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とうとう大晦日です。 朝から雪がちらついたり、日が隙間をぬって照ったり百面相の天気です。 「おおつごもり」は樋口一葉の名作。 今日のこと大晦日だと存じているが、内容は読んだことがないのでさっぱり。 年越しが出来ぬ伯父のために主家の金を盗む行為、時所位による善悪の評価と人の心の動揺を鋭く描いた小説のようです。 時変わって平成の時代になってもありうる事象だと感じました。 財布の中に入れていて知らぬでは申し訳ない、新春そうそう「たけくらべ」「大つごもり」読ましてもらいます。 偽の字が年を表す印象だそうでいろいろありました。 偽がわかったことは、真が分かったことの現われです。 来年は良い年になります。 良い年にしましょう。
2007年12月31日
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三徳山が開山1300年で、世界遺産登録申請を昨年おこないましたが、残念ながら選にもれました。 昨26日に又世界遺産の暫定リスト候補に推薦提案書を県と町が文化庁に再提出しました。 今までの宗教的文化遺産のみにスポットをあてたものから、信仰とその及ぼした地域文化の景観をも更に広く周辺の地域にあて、人と自然の調和に焦点をあてられたようです。 昨年始めて実施された世界文化遺産候補の自治体公募の継続審査候補が19件、新規13件で32の暫定リスト候補が国の世界遺産特別委員会に提出されたようです。 そもそも世界遺産なるものは、人類の輝かしい功績ですので、その存在と顕彰はその地域の人の誇りであり、堅持する義務でもあります。 大いに文化遺産としての価値を掘り出し、現在の地域住民の原動力にしたいものです。 昨年島根の石見銀山遺跡が注目され世界遺産となりました。 ここ三徳山も信仰が燦然と光っていますが、その土壌となすものは、中国山地の砂鉄の文化要素が大なるもののようです。 古墳時代から産鉄技術をもち、山中のいたるところで砂鉄が採取されたことは、アメリカの開拓時代のゴールドラッシュまでいかないにしてもかなり外部から人の移住があり隆盛をきわめたようです。 平家の落人が安徳帝をようして中津の山中に居をなしたのも、俵藤太、平将門、山本勘助等の伝説も墓碑まで存することは、本人、またはそれにゆかりの人物がいたことは推察できます。 籐太も将門も鉄には深い因縁をもっています。 籐太の退治したムカデは鉱山族とか、将門は鉄の鎧と武具をまとってたとの伝説があり、勘助は甲州の金山の関係者です。 三朝のいたるところに産鉄のタタラ跡があります。 日本刀の名ある作者もでています。 砂鉄であれば、三朝に限らず花崗岩がある倉吉、関金、松崎もかなりの範囲に存し、タタラ製鉄が行われています。 産鉄の豪族がかなり育成し、危険を伴う仕事から信仰心が強く、寺院建築とうの寄進も進んでなしたものでしょう。 大きな廃寺跡が三朝ならずこの地方に多いのはそのためではないでしょうか。 三徳山の文化基盤は産鉄のこれら広範な土壌の上に成り立ってるといえましょう。
2007年12月29日
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安徳天皇の隠棲の処と称している地は東北から沖縄までに及んでるらしいようです。しかも平家谷の伝説を持つ人々は、全てといってよいほどに、高貴な童児の神を崇め祀っていたといわれます。 ここ三朝の中津も平家の落人の部落といわれています。 安徳幼帝の墓です。 師走の一時の晴れ間にこの深山にいってみました。 普賢菩薩安置の御堂。 「普賢菩薩は帝より祖父忠盛拝領以来平家無二の本尊也。 然るに摂津一の谷落城の節、滝口次郎、命に随い当所に尋来り、庵を結んで安置し奉る。」古文書が残ってるそうです。 堂の陰には、先の雪が残っていました。 あたりには下界におりた人々の放った家が多数あばらになっており、人の気配も感じられず一層の愛惜を感じました。
2007年12月28日
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グシャッツと鈍い音が表でしました。 出てみると横断歩道で停まった軽自動車に、後続の軽自動車がぶっつかっていました。 ぶっつけた車には、若い夫婦が3歳くらいの子供と一緒にのっていました。多分子供に気をとられて、前の車が急に停まるのを見落としたのでしょう。怪我がなかったからよかったものの大事故になるところでした。 この横断歩道は、近所のおばあさんが2ヶ月前に横断中にはねられて亡くなったところです。 一直線で見通しもよいところです。 以前からここでは事故が多かったので、警察交通課が連続写真をとったり、起伏等など計測して、道路に白線で道路横にいっぱい記しをつけました。 一週間前にも自転車が車との接触をしたとスタンドのにいさんが教えてくれました。 対策もあんまり効果がないようです。 運転手のマナーが悪いからだといって済む問題ではありません。 なかなか横断歩道を渡るのに車が停まってくれないのも事実です。 交差点からの距離があまりないのも原因でしょう。 魔の横断歩道と呼ばれないように対策を考えねばなりません。 事故をしたらお互いに青い顔して、警察がくるのを待っているのは気の毒に思いますが、車は事故と裏腹にあるのを痛感してほしいものです。 まじめに運転してほしいものです。
2007年12月26日
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賀状きて 正月きたかと思い出す チョンガー暮らし楽でなし いいわけに学生時代、貰った賀状に返事を書いた一節です。 締め切りが25日、やはりきちんと正月に届いたほうが礼儀です。 やっと賀状書きにとりかかりました。 昨年の名簿があるのですぐかけると思ったのが大誤りでした。 町村合併で新しい住所に変わってる所があり、他界した人が大分ありで手間取ります。 グーグルで、郵便番号で調べますと、こわ便利、全国の新名称がでてきます。 ついでに他の地も散策してみます。一つ調べるのに十個の知識まで得てしまい時間がかかります。 去年元気な便りくれたのに、もうこの世にいない友、癖のある造形の筆跡のハガキだけが手に握られ残っています。 思いは彼とのからみあいに馳せます。 子供の頃に遊んでた 学生時代につきあった いろんな友がいたけれど みんなみんな今はない あーあー懐かしき古い友 25日に全部出すの公約は果せそうもありません。 県外の賀状だけを済ませることにして、夜遅く本局まで車で走り出してきました。 明日は県内方への賀状書きです。
2007年12月25日
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大豆の自給率は4%トウモロコシ自給率はほぼ0%だそうです。 その大豆の輸入量の7割、トウモロコシの輸入量の9割がアメリカからだが、今バイオ燃料ブームでアメリカ農家は収益の見込めるものに作付けを向け、確保が困難になりそうとのこと。 日米貿易摩擦解消策として日本は農産物の輸入自由化、門戸解放をを迫られてきました。 アメリカの余剰農産物を食料、飼料として頼りにしてきたのが、バイオ燃料の方にまわすといわれるか、値段が高くなることは必至です。 大豆はアメリカでは家畜の餌だが、日本ではミソ、しょうゆ、納豆と貴重品であります。不足したり、値段が上がればたちまち大混乱です。 市場原理主義というものは、情容赦がないのかもしれません。 今のガソリンの値上げも投機マネーが操作してるといいます。 荒地になって放られた山間地の田畑、ここに自給の農作物を作る気運にせねばなりません。やはり外国の食物を当てにしててはいつしっぺ返し食らうかわかりません。
2007年12月24日
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小惑星が火星に衝突のおそれがあります。 来年の1月30日。確立は75分の1。米航空宇宙局(NASA)の地球接近天体計画事務局が発表しました。 天体の衝突確立としてはきわめて高い数値だそうで、広島原爆の約188倍の威力があり、直径1キロのクレーターができるといいます。 人智もこのような先まで予測できるすごさまで発達しています。 確立からはずれてくれることを祈ります。 それにしても、信じてる神が違うのでと鉄砲もって殺し合いの行動を地球上ではまだやっています。 火星に向かってるからまだしも、これが地球に向かっているとしたらどうでしょう。NASAも大統領に進言してください。 ミサイル打ち上げ、それを打ち落とす練習どころでなくなります。 テロだ正統派なんていってる暇はありません。 もうそろそろ戦争やめてもらわねばなりません。
2007年12月23日
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夢が開くのが夜なら、一番長い夢が結べる日です。今日は冬至。 昼が短いというより夜の団欒が長いと喜びましょう。 ゆずの風呂が大人気のようです。 今日、ゆず湯にはいったら、一年健康であるといいます。 ビタミンを肌につけるという奥ゆかしい合理的な習慣です。 今年はゆずが豊作のようです。 ゆずが豊作の年は雪が多いといいます。 我が家はゆずを小さく切って、薬局からグリセリンコーワを買ってきてこれにつけます。半年ぐらいできれいな琥珀色になります。 これが手や足のヒビ止めにもってこいです。髭剃り跡にも重宝しています。 秋にとったウマブドウの焼酎漬けは、喉が痛かったり、風邪の兆候だとおもったら、盃一杯を口にふくみ、うがいをかねて飲み込みます。 翌日には、すっきりなおっています。 今年もニア風邪が2,3回ありましたがいずれもセーフです。 ちなみにインフルエンザの注射は、今まで一回もしたことはありません。 刻々と長き夜はすすみます。 今日は年賀状の造り方勉強をします。
2007年12月22日
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かなり息があがり「左、右」と掛け声をだし、足に気合かけながら山道をのぼります。 立ち止まり、見上げると空を覆うスダジイの木です。 落ち葉をかきわけると、椎のみが落ちています。 ここにも、又ここにも。いつか椎のみひろいです。 ポッケが半分椎のみでガラガラ。 汗がひいて充電完了、さあ出発。 椎の実かじったら真っ白の果肉のあまい味、子供の頃の懐かしい味。 あと80メートルの文字の朽ち果てた看板にであってから、久しいのにまだ頂上はきません。 はじめての道は、長いものです。 坂が急になって顔が地面に近くなります。 すると小さな真っ赤な実を見つけました。 野いちごです。 軽くつまむとぱらぱらおちます。 乾いたのどに甘すっぱいイチゴの味が染み渡ります。 気をとりなおして出発したら、そこは頂上の入り口でした。 古城の風はなにか人懐かし涼しさがありました。 麓をながめる風景も時は昔に武者たちが眺めたものでした。 古城はやはり一人できて感慨にふける所のようです。 気侭に椎のみ拾い、イチゴをくって、回顧の情にふけり、時の流れを実感し、健康を感謝できました。
2007年12月21日
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小鴨城は標高247mの山頂にありました。 小鴨良章、大永4年(1524)5月崩れ(さつきくずれ)の言葉が残った尼子経久の怒涛の攻勢に敗れ、浪々の身をおくりました。 毛利元就の尼子討伐により帰城しました。 しかし織田信長と組するや毛利軍ただちに攻撃の刃をむけました。 時、天正10年(1582)5月25日炎上して果てました。 はるかかなたが日本海、麓の道を尼子軍の攻撃、60年を隔てて毛利軍の進軍と攻め寄せてきました。 手にとるように進軍してくるのが見えたことでしょう。 本丸あとは広場になっていて、中心に小さな祠がまつってありました。 祠の後にのぞき穴があったので覗いたら小さな狐の後姿がみえました。尻尾をピンと上にあげていました。 なにかいわれがあるのでしょう。 訪れる人もまばらな淋しいところでつわものどもの夢を慰めているのでしょうか。
2007年12月20日
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戦後、全国的に食料が乏しく、増産意欲が旺盛であった。 新生日本のために、農業の振興は急務であると、宗教家も立ち上がっている。 世界救世郷の岡田茂吉と大本教の出口王仁三郎である。 彼ら巨匠は、宇宙の真理が見えているから、さすがに化学肥料農法のような反自然的な手法はとらなかった。 前者は自然農法で後者は酵素農法である。 両者は伝統農法を進化させ、今日の有機農法の基礎をつくった。 なかでも酵素農法が農家に与えた影響は、大きなものがある。 その農法を推進したのは、島本覚也という人である。 島本覚也は、出口王仁三郎の強い感化を受けていたので、大自然の運行の観察に鋭いものがあった。 山野には誰も肥料をやらないが、樹木は活き活きと生長して繁茂している。 それは動物や昆虫の排泄物やしたい、枯れ木、枯草、などを微生物が分解し酵素を生産する。 自然界はこの酵素の働きで生長している。 農は土づくりである。 土づくりは微生物作りである。 島本覚也は、山野の森林を見てそう気がついた。 土壌の中に無数の微生物が生息し、土壌フローラを形成していることは、農学の常識になっている。 まだそういう概念がないときに、島本覚也は微生物の生み出す酵素の働きを利用する農法を発想した。 島本の酵素農法は堆肥農法である。 稲藁、麦稈、雑草、落葉、木材クズ、米ヌカ、人糞、牛糞、鶏糞などを混合して堆積し、微生物を発生させて、発酵分解させ、肥料として農地に還元するというものである。 自然の法則を無視して、収奪農業を続けていたのでは、日本の農業の将来はない。 島本の酵素農法は全国に普及し、現在では韓国、中国、マレーシア、スリランカ、ネパール、インド、南米など世界的な規模で拡がっている。 「農医学論 忰山紀一 」 有機農法の言葉はよく耳にします。医食同源で自分の健康維持をさせるためにもっと親しみたいものです。安心、美味しい環境米こだわり家族
2007年12月19日
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戦前の農法は、農薬を使う必要もなく、肥料も、油カス、鶏糞、牛糞、馬糞、そして下肥など有機材を利用して、健全な穀物、野菜を生産していた。 しかし、戦争で農産物の収穫は、いちじるしく低下し、とくに肥料不足は深刻で、戦中戦後の食料難をおこした。 その打開策として政府と産業界は、軍事用の重化学工業を化学肥料の生産に転用し、塩安、硫安、過石、塩化カリなどが、大量に農家に流れるようになった。 こうして農作物の減産に歯止めがかかり、食料難は一挙に解決した。 日本の農業の基本は、堆肥づくりである。 しかし、化学肥料は安価であり増収する。 農家は伝統農法を捨て、こぞって化学肥料農法に転向した。 農家の増産思考に、政府と産業界は強力に」推進し、大量の化学肥料を生産した。 土壌は生き物である。 土壌微生物が生息していて、彼らによって土を肥やし農作物が育つのである。 土が肥えている間は、少量の化学肥料の使用でよいが、土壌細菌が死滅し、土が無機化すると、多量の化学肥料を投与しなければ、農作物は収穫できなくなる。 化学肥料は、土壌も農作物も欲していない。 その化学肥料は土壌や農作物の質を悪化させ、そして農地を荒廃させた結果、害虫の発生である。 それを阻止するために、つぎつぎと農薬を開発し、日本全土のほとんどを、農薬漬けにしてしまった。 農薬は農地にとどまらず、川、池、海及びその周辺を汚染し、自然を破壊している。 自然の法則にさからって、農学も医学もなりたたないのである。 「農医学論 忰山紀一」より 戦後の飢餓を救ったのは、化学肥料、農薬があったらばこそだと農薬販売をしてた友人はいいました。確かに其の時は救世主でした。 結果がここに至っては、弁証法的に修正をして活路を見つけるべきにきています。
2007年12月19日
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レジャーブーム、消費者礼賛をよそに、日曜大工ならぬ、日曜農業を私は提唱したい。書く言う私はそれをやっている。 農薬に汚染されない安全で、健康的な食料品を自由に入手できない今日、私たちはせめて一坪の庭でも利用して食べれる野菜を、自分で作ることは、自然に親しむと同時に、健康の為によい。 わたしも米だけは自然農法を実行している農家から分けてもらっているが、野菜類は二畝ほどの畑でほとんど自給自足している。 都会に住む人でも、健康第一主義に徹する人なら、また契約農業をするとか、また空閑地利用、その他の方法を講ずれば道は必ず開けるであろう。 藁氏は一人でも多くの日曜農業者の現れることを祈っている 40年も前「文明と生命」で、今日の野菜危機を予見した千島学説の千島博士です。 田舎の私たちも真剣に考えねばならぬようになりました。
2007年12月18日
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大東亜戦争中の武士道のこと2つ。 スラバヤ沖海戦で日本の工藤艦長率いる駆逐艦「雷」、撃沈され漂流する連合軍兵士を敵潜水艦からの攻撃の危険を冒して救助しました。 「救難活動中」の国際信号機をマストに掲げ、 「我只今より敵漂流将兵多数を救助する」と司令部に打電しました。 「雷」の乗組員220人。救助したイギリス兵422人といいます。 武士道が発揮された世界海戦史上まれなことだが日本人でも知る人がすくないようです。 防衛省の不祥事、自衛隊員の規律違反など一部の人の為に印象が悪くなったのは不愉快で腹立たしいと、まじめに大方の隊員は勤めており、かつての武士道が脈ついていることを元自衛官の方が弁護していました。 もう一つは連合軍の方の話です。 重光外相が降伏調印を行いました戦艦ミズリー号は甲板に大きな凹みがあったといいます。これは日本の特攻機が体当たりしたが不発におわった跡だといいます。 艦長は、戦時体制の中、一部の反対を押し切って、戦死した日本の若い特攻隊員を星条旗に包んで、英雄を葬する儀式で水葬をしたといいます。 「たとえ敵でも国の為に命捧げた勇士である」 艦長の白い手袋の敬礼はかなしげだったといいます。 これもあまり知られてないそうです。 武士道で当たり前のことをしたのだから語るをしなかったので知られなかったんでしょう。 戦争は人間性を剥奪します。 トップにたつ方々の話し合いが平和的に進むことを祈りたいものです。
2007年12月17日
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それから、 戦いに倦むだ山本勘助は、川中島からはなれここ山陰の地三朝の笏賀に隠遁生活を送り、郷国浅間神社の祭神木花咲耶姫を華蔵権現として祀りました。 山本勘助殿の墓です。 又ここは砂鉄の産地でたたら製鉄が行われた有名なところです。
2007年12月16日
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故に其の疾きこと風の如く 其の徐かなること林の如く 侵掠すること火の如く 動かざること山の如く 知りがたきこと陰の如く 動くこと雷霆の如し 郷を掠むるには衆を分かち 地を廓むるには利を分かち 権を懸けて動く 迂直の計を先知する者は勝つ これ軍争の法なり 孫子の軍争篇の一節です。 孫子をまなんだ武田信玄、山本勘助の川中島の戦いは終わり、勘助の壮絶な死で大河ドラマはおわりました。 暗闇のように敵に知られず、雷のように威圧して動くキツツキの戦法が、同じ濃霧を先方に先取りされ、勘助自身も死をとす結果になりました。 10倍の兵力なら包囲する。 5倍の兵力なら攻撃する。 2倍の兵力なら分断する。 互角の兵力なら勇戦する。 劣勢の兵力なら退却する。 勝算がなければ戦わない。 勘助殿ご苦労でござった、ゆっくり眠ってくだされ。
2007年12月16日
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ふたご座の流星、昼は晴れてたんで、最後の日は朝までとはりきってたら、雷がなり大粒の雨がふり完全にストップです。 とうとう3日間満足な観測日はえられませんでした。 昨日の40分ほどの時間だけでした。 この寒いのになんでご苦労さんですと家族に笑われますが、神秘な世界からのあの光を見ると得も言われなくなります。 来年もあるそうですから待ちます。
2007年12月15日
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八犬伝のモデルとされたという里見忠義公、房総安房国から山陰倉吉の地に国替えになってきて、8年で生涯をおえて、子孫なくお家断絶になっています。 千葉館山から里見氏調査会が関係地の学術調査にこられて「里見忠義終焉の地を訪ねて」と題して特別講演がありました。 12万5千石の大名から3万石に配流され、望郷の念やるせなく29歳の生涯を終え、家臣も殉死しはてました。たまゆらの人生として聞く人の涙をそそります。 しかし地元八幡宮造営の棟札を調査して研究の余地が残って面白いと講師が力説されるには「お家再興を目指す願文」が力強く感じれるとの事、戦国武将の末裔がただ配流に涙する日日を送っていない事を感じ意を強くしました。 結果的に8年で生涯を終えましたため、涙をそそりますが、忠義公は充実の日を終焉の堀村で過ごし、地域民にも尊敬を受けていたとおもいます。 理由は堀村の砂鉄です。 房州は砂鉄の製鉄が古くからあるようで、木がなく砂鉄の移動をする「砂鉄7里炭3里」は常習のことのようです。 当地でもかんな流しで砂鉄を採ったところで炭を焼き製鉄をする所と炭が多い所に砂鉄を持っていって製錬する所がそれぞれあるようです。 里見忠義公がいた堀村の上流,明高の鉄山は有名です。 ここは大山の火山砕屑物が堆積したところで砂鉄は採取していません。 こんもりとした木々の地に炭をやき砂鉄を持ってきて製錬した所です。 このような方法を里見の殿様は教えたのではないでしょうか。 清和源氏新田氏の裔である里見家、明高鉄山も清和天皇の流れをくむと家系図にあるそうですがどうも関係がありそうです。 めめしく時を過ごしたのでなく、真っ黒になって地元民と働いてた里見忠義公ではなかったでしょうか。 「あわん神様」と地元のおばあさんの語りから「安房の守様」でないだろうかと、40年前に訪問した講師の川名教授が里見安房守を歴史上に引き出してきたようです。それから里見研究に没頭されたそうです。 めめしくもなり、逞しくもなるたまゆらの武将像、どんな資料が発見されるか楽しみです。 山中鹿之介が負けても負けても「我に7難8苦を与えたまえ」と精進した山陰の雄のように又雄が一人出るかもしれません。
2007年12月15日
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又曇りでしたが、22時ごろから上空が晴れてきてしめたと外にでて見上げました。 22時20分から23時まで14個、内3個は双子座以外でした。 14個まで見たいとがんばったらくしゃみのほうが先でした。 願い事いっぱい持っていったんですが、不意打ちに飛ぶので1個もかなえられませんでした。 天文台に報告したらご褒美をいただきました。
2007年12月14日
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にっくき敵思い知れの忠臣蔵の討ち入りは12月14日です。 時は元禄15年、5代将軍綱吉、犬公方の時代。生類あわれみは、見上げたものだが、人間をないがしろはいけません。 3年後の宝永2年には、大阪淀屋の闕所所払いも情け容赦なくおこなわれました。 殿のうらみを果した忠臣はみあげたものですが、抜いてはならぬ殿中で刃を抜いた親分は、家来とその家族郎党の苦難をどう思っていましょうか。 ならぬ堪忍するが堪忍。出来ぬ雅量は大将の器にあらず。 強い大将を望んだ蛙が鶴の大将を与えられ、みんなが食われてしまったイソップ物語がありましたが、大将如何によって、家来の幸不幸がきまります。 もったいないからと日付変えて食物出して、ばれたら部下の仕業にする社長。経済効率重視過剰で産地偽造をたくらむ社長。等々。 懸命に働いた従業員は路頭にまよう。平成元禄時代はまだあるようです。 大阪も来年1月には新しい大将がきまります。 みんなで決めるのだから、責任は住民にあります。 万民の為になるすばらしい首長をえらんでください。
2007年12月14日
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天体ショウ開幕。 ふたご座流星群がみられます。 国立天文台借用 シブンギ座流星群、ペルセウス座流星群とならび三大流星群の一つ。 1時間で30を越える流星を見ることができます。 最も多いのは14日から15日明け方の予想。 流星が出現する中心となる「放射点」は夕方から明け方にかけて東の空から西の地平線に移動、全国どこからでも一晩中観察可能。 詳しくは国立天文台をごろうぜろ。 一緒に星をみましょう。 晴れるといいね。
2007年12月13日
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タバコ吸わない女性でも愛しい旦那がタバコ吸うと、旦那が吸わない奥さんの2倍、肺腺がんになる危険性があるとの疫学調査結果を厚生労働省研究班が昨日発表しました。 旦那が1日20本以上の喫煙量だとリスクはさらに高まるそうです。 2001年に肺がんを発症した女性は21,000人余。 女性肺がんの70%は非喫煙者とのデータもでたようです。 分煙を進め、他人のタバコの煙を避けることが重要だと国立がんセンター研究員はいっています。 知人女性も今年夏肺がんでなくなりました。 勿論タバコは吸いませんでした。 旦那は早くなくなりましたが、お寺でしたので集会が多かったからあるいは副煙をすってたかも? 背を切り、翌年再発で放射線、抗がん剤投与と目まぐるしい治療を受けました。 セカンドオピニオンを申し出、国立がんセンターに上京しましたが、預けられたデーターが不足で診断もなりませんでした。 3ヶ月おきにCT取り、薬剤の変更をして経過をみていて、その成果を見せるのが嫌だったのか上京の話に不機嫌を示した担当医、資料も不揃いでした。 抗がん剤治療がすむと、ケア病棟に入院。 留まる歩調もなく他界に進んでしまいました。 担当医は次々と患者が来るので、3年間慕ってきていた患者のことは眼中にもなく他界したことも知ろうとしません。 大事に残ってるのは治療経過の論文資料だけです。 なって騒ぐよりならぬ環境を作りましょう。
2007年12月13日
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蛍が飛び交う様子は田園の夏の風物詩でほほえましいものです。 裏の川で飛んでいた蛍がいなくなってから久しく、蛍がいたことが伝説に感じる子供たちです。 田んぼの農薬も少なくなったので、蛍の養殖放流をしようかと河川愛護の会で考えていました。 ところが蛍の名所として鳥取の有名なホタル保存会の活動に待ったの記事を新聞で知りました。 ホタルのえさはカワニナです。カワニナを放流してやることがホタルを育てることです。 このカワニナをイノシシが食いにくるので、金属製の柵を造りました。 希少動物のカスミサンショウウオがこの池の落ち葉の下や土砂に産卵に来るのが柵で入ってこれなくなり産卵がみられぬようになりました。 カワニナと同じ藻を食べるカワゲラやカゲロウなども減って固定種に影響があるようになりました。 以上が県から自主規制のまったの理由のようです。 30年以上の保護活動してるホタルの会は戸惑っているようです。 名所としてホタルの乱舞を準備、市も観光振興のキイにしてる段階です。 ホタル保護と環境保全の両立は中々むつかしいようで、自然発生に任せると数が減り人的にはみばえが悪くなる懸念があります。 生態系を乱さずホタル保護と固有種の共存、住み分けができないか探っていくと県はホタルの会と専門家を交えて検討会を計画してるようです。 みんなが生きて行けれる自然、世界造りへの配慮が必要なことのようです。 自分的にはよくってもだれかに悪い。こんなことがままあります。 気をつけることにします。
2007年12月12日
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木を切って椀や盆などを作るのを生業とする木地師が、トチ、ブナ、ホウ、ケヤキ、クリなどの 良材の存する海抜400-800メートルの山山を求めて移動していた時代がありました。 ここ山陰の地も良材があり、かなりの木地師の働きがあったようです。 木地師の祖先は近江国小椋の庄で貴族の後裔であると称して、その血統、伝統を誇示するとともに勤勉、実直に生きた人だったようです。 一旦伐りつくしたら次の豊富な山に移住していきました。 伐った木も50-60年経つと自然生育しますので成長を待ってまたもとに帰ってくることもあったようです。 そこで木地師は移住にあたって、その地の木の種類植生、山の地形、気象条件、動植物分布状態まで充分調査していったもようです。 山奥の辺鄙なところに鉄山があることは、この木地師の情報が元であるといえます。また、轆轤など鉄の使用から、木地師が鉄山師になったことも考えられます。 木地師、鉄山師、木炭師、製品運搬などが、山奥を往来した時期は、過疎と嘆く現在のような悲観はなかったでしょう。 木地師は陶器がでて衰退し、砂鉄たたらは近代鉄鉱石溶鉱炉で衰退しました。 現代にマッチした山間地の資源開発案が過疎から救うことになります。 花崗岩地帯ゆえ無農薬有機栽培の米作りが消費者連参加で目されていますが、救世主となってほしいものです。
2007年12月11日
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わが家の庭の隅にナメコがはえました。 去年の思い出のナメコです。 去年の秋、実のなる木植樹祭に参加しました。 〇マイカップを竹でつくろう 〇きのこの森をつくろう 〇小鳥のマイホームをつくろう 山の小学校のこどもたちと一緒にマイカップを造り、ナメコの菌を木に埋め込みし、小鳥の巣を造り、豚汁とおにぎりをマイカップで食べ、昼から山に行き小鳥の巣を木につけ、植林をしました。 帰りにナメコの菌を植えた木を2本もらってきました。 1年が過ぎ秋になってもなんの音沙汰もありませんでしたので駄目かなとあきらめていました。 知らぬ間にです。少し大きくなりすぎましたが、こんなうまいナメコは初めてでした。だって去年からの思い出まで沁み出す味ですから。 それをみて家族に笑われました。 我が家は平和ーーーー。
2007年12月10日
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ロサンゼルス・オリンピックで日本人初の体操個人総合優勝、金メダルの具志堅堅幸選手。栄光は怪我と治療の専念の賜物でした。 淋しいでしょう 辛いでしょう しかし辛棒してください もう少しです 明けぬ闇はなく 尽きぬ冬はありません 歯を食いしばってでも 土にかじりついてでも どうなりこうなりこの峠を越えて下さい ”ああダメだ”などとは決して言わぬことです 東でゆきずまったら西へお逃げなさい 東西南北みなだめでしたら しばらくそこで臥ていてください 天地は毎日かわる 晴れくもり寒くあたたかく 日がでたり月が出たり 闇になったり朝がきたり ゆきずまったままの状態が 永久につづくかのように思いなさるな 淋しいときは祈りなさい 辛いときにはお願いなさい 神よりほかに真の杖も柱もありません あなたも祈りなさい 私も祈ります ああ主よ わが心の闇を開かしめ給え 負えるめぐりを いと小さき型においてすまさせたまえ 身もこころもあなたのものでございます 知恵あさく心弱きわれわれに 光とちからとをあたえたまえ 限界を感じ失望の病床に届けられた一通の高校の恩師の便り。 添えられた”生きがいの探求”の中の一遍の詩が復帰の原動力になりました 生きがいの探求
2007年12月09日
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今日12月8日は大東亜戦争と銘打った勃発記念日です。 アジアの国が仲良く共栄圏を造る目的とおしえられました。 主導目的と実行動は解離しての結果は周知の通りです。 「兄弟は他人の始まり」といいます。 小さい時は仲がよかったが、嫁さんもらったり、嫁に行ったりで、他人が夫々つくと仲たがいとなるといわれます。 親が亡くなって財産分与になると顕著にこの現象がでるといわれます。 「他人が兄弟のはじまり」ともいいます。 昨日まで他人だった人を見初めて一緒になれば身内になり、姉さん兄さん妹弟が出来ます。 兄弟の時の経験とは別の世界の経験をも知ることができます。 西郷さんは子孫に美田を残さずと仰いました。 なまじ労せずして入る財をあてにするから喧嘩になります。 一歩引いて共生を考えると相手がいとおしくなります。 若い人方はすすんで大東亜いな世界共栄圏つくりにボランティア活動で海外に出て頑張っておられます。 自他共栄の世界達成にまい進したいものです。
2007年12月08日
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健康の条件は”気血動の調和”と千島先生はおっしゃる。 気は精神を意味し、血は血液つまり肉体のこと、動は運動の事をさします。 精神の安定(気) 正しい食生活(血) 適度な運動(動) 血液は食べ物で造られるのであるから、正しい食生活がもっとも肝心で、 菜食、小食、よくかんで食べることが良い血液を造ることの基本です。 しかしいかに正しい食生活をおこなったとしても精神の安定と適度の運動が伴わないと健康は保たれません。 精神の乱れは血液を汚すし、運動不足は血液を滞らせます。 年を忘れる行事を何回かしないと新年を迎えることができない現代人は、原則は分かっていてもつい逸脱し勝ちです。 気の作用を強くして気血動のバランスをたもちましょう。
2007年12月07日
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養老5年(721)創建といわれる長谷寺があります。 長谷の観音さんとしてお参りがたえません。 長い石段を登っていきます。 この施餓鬼台は平成14年中華人民共和国観音地普陀山浙江省仏教協会会長戒忍法師より贈呈されたものです。 自分の食べる食事の中から一部をこの大の上におき食事の出来ない人の施し、共栄、相互扶助を図るものです。 日本語の次に中国語、英語で解説がありました。 階段を下りていたら団体さんが登って来ました。 「ごくろうさん」 「まだ昇るんですか?」 「もうすぐですよ」 「半分はきていますか?」 「ええ、もうそこです。がんばってお陰がありますよ」 一番後ろのおばちゃんたちまだ3分の一の所でフーフーいってます。 後でおばちゃんたちに観音さん参りで嘘つかれたと怒られますかな。 施餓鬼の心が世界中にみなぎるような世になりますように。
2007年12月06日
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現代医学の医療ミス、医薬公害、医療荒廃や環境汚染をこのまま放置するならば、がんをはじめ慢性的難病、奇病、威厳病などがますます増加して、国民は誤った現代医学と医療の犠牲となり、一億国民の生命や健康が危機を迎えることは必至です。 医学関係者、健康指導者、健康に関心をもつ人々、病気に悩む方々は、ぜひ医学迷信などの洗脳から解放され、コペルニクス的革新の説と言われる千島理論を実生活に応用してください。 きっと医者や薬に頼らず、自分の健康は自分で守る知恵が体得でき、病気が自然治癒することを実証できるでしょう。 千島喜久男博士の言です。 自分の健康を守る為に、よきことは実践しはじめました。 梗塞は倒れてからリハビリ復帰しましたが、がんはなる前にならぬ生活試みます。父も母の兄弟もがんで他界しました。 なってから慌てるより、よきことしてなるかならぬか試すのも人生の楽しみです。 玄米食、菜食、半身浴。勿論禁煙。休酒。はじめています。 一度は千島学説参考にされてはどうですか。
2007年12月05日
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いつもコメントくれた響き煙さん 仕事思いついたと聞いてはいたが、 ブログがつながらなくなった。 信州おとこと聞いてはいたが、 顔もしらない、名もしらぬ、 だけれど逞しい顔浮かぶ、 やさしい兄貴の存在だ。 ブログで知って仲良くなって、 行ったり来たりの隣ぐみ。 健康話しんみりきいた。 ブログ通じぬこの空虚。 ありがとう響き煙さん。 元気でお仕事成功してね。
2007年12月04日
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採算割れと切り捨てられた鉄道廃線跡の追憶の記を昨日記しましたら、ここが今廃線跡トレッキングツアーとして大人気だと今朝の新聞で知り驚きました。 観光協会と旅行代理店が鉄道廃線ツアーを企画したら、10月から2ヶ月で400喃々人の参加者があってその手ごたえにびっくりのようです。 廃線跡の郷愁が都会の中高年層の心を掴み、折からの健康管理ブームとかみあったようです。 判官びいきの心が残ってるようです。 着地型観光としてとらえ、従来の物見遊山的な発地型観光からの転換を図ろうと企画を重ねるようです。 体験や学習を加えた事業に参加者が多く関心を示すようになったのも事実です。これを観光に結びつけようとの試みのようです。 残された自然素材は沢山あります。 ここは農村型の地です。食材の生産地です。温泉もあります。 農薬もない、有機の食材を提供し、滞在をしてもらい、体験、トレッキングと健康復帰が図れる場所を提供する観光の場にしたらよいでしょう。 昔の産業基盤を支えた「鉄は力なり」で国の一翼を荷ったタタラの産地でもあります。郷愁とともに披露してください。
2007年12月03日
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廃線となった鉄道記念をレールとともに保存してありました。 街の方ではもう記憶から忘れられているのに、階段までつけて大事にしてありました。 記念館には鉄道のいろんな記念品、表札がだいじにかざってありました。 中国山地を抜けて岡山勝山まで延長計画がありましたが、中止となり廃線になったようです。 もし通じていたら大きな駅になっていたかもしれません。 運命はわからないものです。山守駅
2007年12月02日
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人生山あり谷あり泣き笑い、転げて落ちて又登る。 悲喜交々の転落劇、復帰劇がくりひろげられています。 2場所謹慎処分の横綱朝青龍、品格を問われて謝罪して、九州巡業に馳せ参じました。 謝罪の仕方が形だけと言われたり、少ない語彙でよくやったと賞賛されたり大変です。後は強い横綱相撲をみせるだけです。 今度は休んでいた力士に投げ飛ばされた現役力士は、なじられますぞ。 稽古が大切さを天下に教えてください。 投げ飛ばされて、己の非力を嘆き転げ落ちの番交代しないように。 隣のプロレスのリングと間違えてボクシングの世界選手権を戦った亀田選手、批判の渦の大きさに飲み込まれ意気喪失していましたが、漸く謝罪会見で復帰を希望しました。 所詮、叩きのめすスポーツ、だからこそルールがあります。 己を強くして相手に勝ったら、すぐ山です。 だからこそ試合は勿論、試合以外でも人間味がでる修行してね。 額賀さん証人喚問取りやめになりよかったですね。 外人さんから証明されて野党も振り上げた手おろしにくかったでしょう。 瓜田の靴が中々信じてもらえず額田さん悶々したでしょう。 でも官僚トップの証言ですぞ、真実は一つですが。 総理大臣に手をあげるくらいの人ですから堂々と歩いてください。 堂々と自衛隊員の前を閲兵して歩いてた守屋殿、大臣までやめさす力もってて、ゴルフ供用ぐらいで魂売って、挙句にベラベラどこの人種の話ですか。奥さんまで逮捕とは。 さらに転げて谷の下に何がありましょうか。 ガソリンは下げを知らぬようです。 所詮、有量のものです。 値段があがれば、風力、水力、太陽熱、潮汐、地熱等々の次期エネルギイが開発がはやまりましょう。 飛行機が運賃、経費が高くなり、年末年始の海外旅行が8割に減少してるやです。反面国内旅行が増加してるとかで良き面もあります。 年末、向寒の折、体にきをつけましょう。 健康でないと馬もはしりません。
2007年12月01日
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