全23件 (23件中 1-23件目)
1
ブログに向かう心が変化してきました。 心ははずむのですが、キイをうつ手がにぶります。 思うこと、見聞きしたこと沢山あるのに何故か心のブレーキがかかります。 これでよいのか。 マンネリ化したまま続けるべきか。 100の自分の日記を記してみたいと始めたブログ。 とっくに過ぎました。 丹念に細かくかいた初期、続けるべきと手当たり場当たりでテーマ探し綴った挙句、社会矛盾に矛先がおおくなり厭くがたまってきました。 機械が壊れて画面がみれなくなった失望は以外と大きかったことを覚えました。 私も電波文明の一員になっていました。 ステップを次ぎに向けて上げましょうか。 秋の夜は長くはないようです。
2007年10月31日
コメント(0)
先日植林に行ったところは、中国山地の真っ只中。 今大きな道路ができてるからいけるけど、かっては誰でも行けなかったでしょう。 そんな山の中に立派な石塔の墓群が随所にあります。 岩質からみると当地のものでなく、人里までおりて買い求め持ち上がったものです。 畑地、田んぼも猫の額ほどの生活で大変と思うのは、現代人の感覚。 過疎でみむきもしない辺鄙な土地と評価します。 でもかなり裕福な生活をしていたとおもわれます。 それは砂鉄採取してたたらで製鉄をして下界に持って出て代価を稼いでいたようです。 植林場所は花崗岩が風化した真砂地帯で、これをユンボでならしてありましたが、前夜大雨がふり、流されて川になり、流れの後に真っ黒になって砂鉄がかたまっていました。 住居の側にこんな無尽の鉱物資源があるんですから、山の中なにするものぞの気概だったんでしょう。 砂鉄は井手という用水をつくりこれに砂を入れて流します。 鉄穴(かんな)流しと言い軽い砂は流れ、重い鉄は残り、これを木炭を燃やして製鉄をします。 長いところは2キロも井手を山の端を通って引いてきています。 立派な土木技術者でもあったようです。 いたるところにカナクソという製錬した滓が転がっています。 山陰は”弁当わすれても傘忘れるな”という位雨が多いので水利用には便利だったんでしょう。 砂鉄を掘って山の形が変形してしまったところもみうけられます。 ここらから有名な刀鍛冶が出たようです。 目線が変われば裕福地でした。
2007年10月30日
コメント(0)
魚心あれば水心。花に蜜。 李下に冠、瓜田に靴。 言いふるされた諺ですが新鮮に感じます。 防衛庁の元次官の国会喚問の様子をみていました。 組織のトップでの威厳はどこえやら、ゴルフの回数、クラブのセット貰いからクラブの接待、友人関係が国防関係におよびモラルとはなんだろうと頭かしげました。 ばれたからあやまる。 いけないと分かっていたがずるずるとやってしまった。 ばれないと思っていたんだろうか。 給油の問題は頓挫状態です。 野党はここぞといきりたっています。 ギブアップした総理、バトンひきつぐ総理。 それをひきずりおろし政権交代はかる野党。 まだ証人喚問を要求のようです。 多数決が民主主義ですが、衆寓にならぬよう。 官僚もおかしいのが出、政治も陣取り優先にならぬよう。 世界の流れ、民心の安定を良識で判断してほしいものです。
2007年10月29日
コメント(0)
実のなる木の植樹祭に参加しました。 曲がりくねった山奥にバスは走ります。 都会育ちの運転手さんならお手上げだなと思うぐらいの山道です。 昨日の20号台風の余波の大雨は嘘のような天気です。 ご挨拶が主催者からあり、植物博士のミニ講座がはじまりました。 参加者全員に小さな袋に10枚の葉っぱがはいったものが渡されました。 この木の葉が何かしってるかい?からはじまりました。 なにげなく見てる木々もこんなに違った形をしてるかと再認識、ブナ、シラカシ、ミズナラ、コナラ、イヌシデ、アカシデ、タブ、スダジイ、ミズメ。葉っぱの裏に名前を書いて大事に仕舞いました。 森を育てる意義を木の葉を説明しながらお話くださって皆気分がたかなりました。 次にきのこの森つくりで、ナメコの菌をナラの木に植え付けました。 現地の公民館の方々が用意してくださった1メートル位に切った木に金槌でほだをうちこみました。帰りに2本ずつもらって帰りました。 昼ごはんをたべるマイカップと箸を自分で作る事になっていて、これも現地の方が竹を輪切りにしてくださって、みんなが紙やすりでみがきせっせとつくりました。 おにぎりとマイカップの豚汁のうまいこと、久々に堪能しました。 どの顔も幸せそうな顔、顔でした。 昼から又バスで移動、植林地にいきました。 ここもブルで山に道をつけ植える場所に支柱をたてて用意がしてありました。 植木やの専門屋さんが植え方の説明をしてくれ、みんなが山に苗を持って登りました。 桜、栗、ぐみ、ミカン、かし、5年後、10年後のはんもした姿を思い浮かべてみる現場に希望のオーラが漂っていました。 口々に参加して今日はよかったと語り、山奥の公民館の方々も良く来てくれたとよろこんでくれました。 山がきれいになれば海がきれいになります。 小さな喜びの心が漲った一時でした。
2007年10月28日
コメント(0)
風化した花崗岩から砂鉄がとれます。 中国山地は、昔から鉄の産地でした。 川を作ってこれに花崗岩のくだけた真砂を流すと鉄は重いから残り、砂は下流に流れていきます。この砂鉄を木炭でとかして鉄をとりだしました。 農具、武具に重宝されたので山奥でも裕福でしたが、盗賊、地権争いで自分たちを守る必要にせまられ武士との共生の形で山城ができていったとおもわれます。 唯落の高城城も勿論高度の鉄の精錬ができた地域にあり、小鴨城も管原、広瀬に鉄を作るたたらがあり、羽衣石城も城としては山奥にありますが懐にたたら場が多くあります。 秀吉が羽柴のころ鳥取攻めをしてきたのも、鉄砲時代を予測しての鉄産地の確保にあったのでしょう。 毛利吉川に攻められた羽衣石南条を助けに大軍をもって進軍してきました。 くしくも尼子から毛利、織田が山陰の地鳥取がほしかったのは鉄だったのでしょう。砂丘の砂は鉄を取った砂がながれたものが大分といいます。
2007年10月27日
コメント(0)
満月の月ながめ、十三夜を思い、点滅なき動く飛行物体の点灯はっけん。 雲なき中空で消滅、3分後に又少し大きな羽を拡げた如きものが登場、いずれも北西から南西に向かい、途中で消えました。 これこそ人工衛星、途中で消えたのは地球の影にはいったためと思われます。 7時過ぎで帰ってパソコン点灯したら、画面がでません。 うんともすんともいいません。 ディスプレイが駄目になったらしい。 発見談知らそうと思ったのに残念。 まる一日パソコンのない日をすごしました。 そして顔も見たことのないブログ友達の顔がなつかしく浮かぶのにおどろきました。 それぞれの方の文章でお顔、体格までできていました。 連絡が駄目になるかと思うと異様な寂しさを感じました。 大きな財産をなくした感じでした。 やっとさっき購入して試運転してもらいました。 頭脳は壊れていませんでした。 皆さんまたよろしくたのみます。
2007年10月26日
コメント(5)
大永4年(1,524年)尼子経久が数万の兵を率いてここ鳥取伯耆の国に攻め入ってきました。山名をはじめ、南条、小鴨、ほか各数代伝わる名家の輩みな滅亡して漂泊の身となり尼子に占領されてしまいました。国中いたるところに死人充満し、骸積んで山の如く、血は流れて朱沙根を漂わす。兵火の余燼は天を暗ます。5月下旬のことゆえ、大永のさつき崩れと語りつたえられています。この時「小勢にて籠城不叶」として戦わずに城を捨てて逃げた高城城があります。人々はこれを嘲り「唯落(ただおち)の城」と呼び武将にあるまじきと評しました。先日高城山散策を博物館主催であったとき、「ここの城主はだれですか」とどなたかが質問しました。「名前は知られていません」との館員の答えには驚きました。関係ないのようです。城主は国司伯耆守親俊です。利のない戦を強いることによって無益な人畜の」殺傷を招き、徒に家屋、財宝の焼失や田畑の荒廃につながることを思えば、敢えて後の世まで嘲られるを承知で敵に後を見せて逃走した親俊公こそ真の勇者だと褒めるものもいます。ここはたたらの製鉄が行われていて、モリブデンが産することからこれの使用もおこなって高度の製鉄をしていたと思われます。中国山地は砂鉄の宝庫でいたるところにたたらがありましたが群を抜いて優秀なものがとれたのでしょう。裕福になれば外敵がやってきますので、自己防衛的に山城の形態ができたのではないでしょうか。戦闘能力以上のものがくるとあっさりと手をあげたのでしょう。
2007年10月24日
コメント(0)
今日は13夜だそうでいつもの河原の土手を散歩して観賞してきました。雲間からのぞくお月さんは左側がまだ欠けており満月を向かえる希望を秘めていました。旧暦の8月15日の15夜、同じく旧暦の9月13日の13夜を秋の名月として古くから鑑賞してきました。中秋の名月の観賞は中国で行われた行事が伝来したものだが、13夜は日本独特の風習だそうです。15夜に月を見たら必ず13夜に月見をするものだそうで、15夜だけでは「片月見」として嫌われるとか。15夜は芋名月、13夜は栗名月、豆名月と旬の産物を称えるようです。皮をむいた栗がざるにいれ軒下にほしてありました。明日は栗ご飯でしょう。十三夜作詞 石松秋二 作曲 長津義司 昭和16年1 河岸の柳の 行きずりに ふと見合せる 顔と顔 立止まり 懐しいやら 嬉しやら 青い月夜の 十三夜2 夢の昔よ 別れては 面影ばかり 遠い人 話すにも 何から話す 振袖を 抱いて泣きたい 十三夜 3 空を千鳥が 飛んでいる 今更泣いて なんとしょう さよならと こよない言葉 かけました 青い月夜の 十三夜
2007年10月23日
コメント(0)
農水省が有機農業推進に力をいれるようです。 モデルタウンをつくり、技術指導、消費者との交流、販売等に鋭意を尽くすことは喜ばしいことです。 なかでも種苗の生産等も拠点を造り支援体制を考えてるようです。 有機栽培は農薬や化学肥料を使わないから体によいだけでなく、微生物が作物の根に共生をして、微少ミネラルを作物に吸収できるように供給してくれるということがありがたいものです。 成人病がふえたのは微少ミネラルの接収不足かららしいようです。 有機農産物はよいけど高いといいます。 微少元素ミネラルが接収できて、頑健になり治癒力が増し、病気が減り、医療費が減れば、家庭も国家も万々歳で決して有機産物は高いものでなくなります。 アトピーもふえ、がんも増加するのは、食のゆがみが原因と言う説も肯定せざるをえません。 可能性を秘めて農水省の取り組みにエールをおくります。 田舎住民故、なんとかこの運動に参加したいと思っています。
2007年10月22日
コメント(1)
大東亜戦争と言う名の生傷をまだひきずって生きてる人がいることを痛ましくかんじました。 そのテレビのタイトル。 学徒兵許さざれる帰還、陸軍特攻隊の悲劇、生きていた軍神。 身を挺し、お国のためと爆弾を飛行機につんで死出の旅にでた若者。 護衛の飛行機もなく、おのれの無線も身を守る機関銃もなく飛び立たせられた特攻隊という名の学徒兵、防御網にさえぎられ撃墜され一命を得た人たちがいたのです。 軍神として死んだものが生きていては困るので、密かに収容して再任務につかせるべく教育していたようです。非国民、卑怯者の罵声を上官から浴びての辛い生活だったようです。 齢80をすぎた当時20前後の青年が、一緒に飛び立った友を偲び流す涙は生生しいものでした。 最後の寄せ書きを書いた国旗を持って、今もその遺族まわりをしている老人にはまだ戦後はつづいていました。 成り行きといえ、総動員を国民にしいた指導者の責任は大きなものがあります。 2度と繰り返してはなりません。 靖国参拝を拒否された天皇が、特攻作戦の報告を受けた時にNOの意志表示されたらと思うは非国民の部類にされるだろうか。 〇月〇日に死んだでなく〇月〇日に死ぬと言う定めを受けた若者たちの出撃前の考え、語らいを聞いて息ぐるしくなりました。 教壇にたちたかったと語る師範学校徒は、戦争のない世に生まれ変わって来たいと語り、死とは考えない事と2日間酒を飲みあかしたそうです。 そして帰らぬ旅立ちをしました。 平和は尊いことです。 幾多の歴史の上にあります。 もっと尊い犠牲を大事にしたいものです。
2007年10月22日
コメント(2)
牛の品評会が先日ありました。 全国大会とあって、手塩にかけた和牛が全国から集まり最高の賑わいだったようです。 イベントの盛り上がりがテレビ放映で充分感じました。 びっくりしたのは牛の丸焼きなるものがお客に振舞われたとの放送でした。 大きな窯を造りまるまる成牛を焼き、その肉をそいでお客にふるまっていました。 長蛇の老若男女の列が順番をまっていました。 豚の丸焼き、鳥の丸焼き、子羊の丸焼きがあるから成牛の丸焼きがあったっておかしくないじゃないか、このアイデアは奇抜でいいじゃないかと言った友もいました。 種を重んじ肥育に勢力をつくした成果の発表会を行ってる会場で、丸焼きはあんまり強烈すぎます。結果は食うんだから同じの感覚らしい。 判断がつく大人はまあ良しとしても、小さな子供には良識の判断を狂わすことになりましょう。 夏のイベントで、川に魚をはなち子供につかみどりを計画しました。 子供に自然を味わせるために充分はたしました。 主催者が魚は食われる為にあるから食う前に遊びにつかっても本望だろうと言った言葉に驚きました。 謙虚さがほしいものです。
2007年10月21日
コメント(0)
自家用の野菜と出荷用の野菜は違うという農家の存在があることは耳にしていました。 形よく見栄え良くするには、特別な農薬が要る、自家用は形が悪くても農薬が少ない害がないほうがよいというわけです。 最近は、営農管理も指導が行き届いて、施行管理がなされています。 でも共同出荷の団体をはなれたらフリーです。 家庭菜園のキャベツの青虫毎日とったつもりでもやられます。 隣の農家のおっさんキャベツは買って食おうとは思わないといいます。 農薬がこわいといいます。 それよりびっくりしたのは、食べてる野菜から採った種は来年はとれないといいます。 種は種専用に栽培したものを購入するそうです。 田中代議士がほとんどが外国産の種だと福田総理に質問していました意味がわかりました。 形はいいが、子孫をのこせない作物に真のパワーがあるのだろうかと疑問を感じました。 地産地消は、その地にあった種であるべきではないでしょうか。 食育の原点として考える要があるようです。
2007年10月20日
コメント(0)
最近強いのか弱いのか分からん人間がおおすぎます。 ボクシングの亀田、あれだけ強がりの格好をしたものが、ボーズにして謝罪会見場に来たものの頭下げる勇気もない弱さです。 ボクシング界の失墜はまぬがれません。 まかりまちがって勝利したらこんな弱い世界チャンピオンを排出した日本は恥でした。 一方朝青龍の横綱も謝罪もできない弱虫です。 勝つときは無敵の強さ、賞金をつかむ時の迫力は絶品でした。 こうも強、弱がありすぎるとガッカリします。 今度復帰しましょうがもう興味ありません。 人生一度きりしかない。 失敗もある、踏み外すこともあります。 その時々に全力であたることこそ皆の共感をよびます。 所詮勝ち負けを競う競技に品格を持てというほうが無理なのかもしれません。 メディアと金が悪誘導したのでしょう。 ブログには無責任な書き込みが羅列です。 腹だたしさが篭ります。
2007年10月18日
コメント(2)
明日早起きして滋賀にいってきます。 孫娘のピアノ発表会に来いと誘いがありました。 爺さん婆さんがそろっての旅行です。 又しばらくブログおやすみします。 行くのはいいが、帰るときのこと考えると辛いものです。 会うは別れのはじまりはこんな時に比喩るものではないんですが、何で帰るんだとぐずる子らを振り切ってかえるのは忍びません。 行きはよいよい、帰りは怖い。 お隣のおばあさんの初七日の法要にいってきました。 元気な写真が語りかけ、まだ他界が信じれませんでした。 道路脇の植え込みもみとうし良くして大分枝が伐られました。 もうここでの交通事故はこれで終わりにしたいものです。
2007年10月13日
コメント(0)
人間喧嘩すきがおおいんでしょうか。 平成の角福戦争というから何事かと思ったら、以前の田中角栄氏と福田赳夫氏の自民党総裁争いのしこりが、息子、娘で国会討論の場で再現と言うことでした。 カビのはえた話を面白おかしくとりあげるテレビが悪いことです。 あたかも非がない人の如き発言で、誹謗する田中真紀子氏には、嫌悪すらかんじました。 自分の外務大臣のときのだらしなさは棚に上げ、ロッキードも忘れた格好はいただけません。 自民党、民主党と国民はみていません。どっちもどっちです。 次々と出てくる金銭トラブルの政治家はなんですか。 枠組みが変わって規制に触れるならまず自分を総点検してみることです。 一致協力して今の日本の緊急課題に焦点をあててもらいたいもの。 田中真紀子氏の態度は昨日の内藤、亀田のWBC世界フライ級タイトル戦の亀田と印象は同じでした。 世界の試合にプロレス技をかけ、相手をゴキブリとののしったり、負けたら切腹してみせるなどの雑言はみにくいものでした。 挙句負けです。 また父と兄の世界チャンピオンの態度、まさに闘犬一家です。 試合中止させるべきです。
2007年10月12日
コメント(0)
92歳で他界なさったおばあさんの葬儀に朝から手伝いました。 受付のテーブル前が例の横断歩道でおばあさんが車にはねられて横たわっていた現場で手向けられた花束が痛々しく感じました。 参列される人が口々に語る言葉が、この横断歩道は車が止ってくれなくて困るということでした。 驚くことにここでの事故経験者が以外におおいことでした。 一級河川をまたぐ大橋をわたり、5叉線の交差点信号があり、直線道路が橋より坂を下るような形でのびています。 すると視界は500メートル先の信号と550メートル先の信号が目にはいります。 例の横断歩道は5叉線の交差点から100mたらずに2級河川の欄干を渡ったところにあります。 川にそった道路との信号なしの横断歩道です。 橋のたもとには国交省の河川の看板があり、続いてガソリンスタンドが天井に黄色の証明を昼間にも灯しています。 大橋で信号待ちして発進し、坂も手伝い加速した時にこの交差点、しかも外部の景色がいろいろ目にはいるところであるようです。 しかもここは小学生の通学道になっています。 ミドリのおじさんが朝はついていますが帰りは三々五々に帰ってきます。 死亡事故ははじめてですが、93歳のおばあさんが犠牲者になりました。 この尊い犠牲を無駄にしないように、何とか対策を喚起することをしようと話し合いました。 車が多くなった事も事実です。 横断歩道でたっていても速度を落とさずにくる車も多くいます。 馬車が通っていた時は静かだったとおばあさんの友達が焼香にきて語っていました。 班長さんがあらためて検討会を招集することになりました。
2007年10月10日
コメント(3)
なんと生のあっけないことです。 車が何かに当る音がしましたので表道りに出てみますと人身事故らしい、横断歩道から1メートル離れたところに人がたおれています。 近くにある消防署の救急車がすぐさま訪れました。 人工呼吸、酸素吸入で担架に乗せて病院へはしりました。 しばらくして同じ隣保班のおばあさんで搬送中に他界なされたことが知らされました。 92歳のしっかりしたおばあさんで裁縫もまだなさっておりました。 昨日は祝日で病院はやすみなのにお薬もらいに出かけ、用をはたさず家に帰るところでした。 家の前の横断歩道です。 見とうしのよい直線道路です。 3メートルもはねとばされていました。 9日の今日からデイサービスにお世話になる予定だったといいます。 物言わぬ人になって今夜7時からの痛夜をまっています。 明日の葬祭の準備をてつだってきました。 ある日突然に生が死にページをめくるように変わるものです。 唖然としてこの変化をみせつけられました。 加害者も大変です。 不注意が人の一生を瞬時に奪ったのですから。 便利な車の前にこの危機の裏腹を心せねばなりません。
2007年10月09日
コメント(2)
朝早く電話がかかりました。 「今日窯をあけます」 窯を築いて初釜を焚いて久しく、暑い季節をさけ、稲刈り、稲こぎの時期を迎え、全員の都合があわず日延べになっていました。 今日は雨で窯だしすることになったようです。 10時過ぎに現場にいったら、5人が連携よろしく炭を出し終えていました。 最初の窯は樫の炭でした。 窯の成型が見事にできて、中に入って手でさすってみました。 今度は本格的に竹が焼かれます。 中に2人外に3人で割った竹を窯口からすべらしていれ見る間に竹ふすまが窯の中にできていきます。 やっかいと嫌われた孟宗竹が調湿、吸臭、土壌改良材になって今度はでてきます。 お風呂のミネラル化もできます。 荒れた森林整備に森林税が徴収されて3年め、さらに5年延長で竹林整備も図るやにききます。 伐った竹が有効活用されるさきがけになりますように激励しました。 消費者はどんどん竹炭、竹酢を使うことが協力になります。
2007年10月08日
コメント(0)
竹がはびこり、山の中腹までしげっています。 山の木が金にならぬのと、手入れするものがいなくなったためです。 その上松くい虫が松を枯らし、杉、檜も時折枯れてるのが目につきます。 広葉樹も今年は枯らす害虫がでてききました。 森林組合がボランティアを募り竹を切り広葉樹の植林をするイベントをしていました。 多くの方が集まって汗を流していました。 伐った竹の始末をどうするかを考えることが大切です。 竹炭を作る事はどこでも考えられます。 竹炭が調湿、吸臭の効果があり、副産物の竹酢は虫忌避材、入浴剤、特にこれから足湯の添加材にはもってこいで、水虫などには効果抜群です。 なのに有志で立ち上げた竹炭組合は、どこも販売に苦慮して開店休業になってしまいます。 薬事法があり旨く効果を説明できぬのと、自分たちがその効果を試しほれ込んでない為です。 竹酢は堆肥造りに威力を発揮し、作付け前の畑にまくと成長がよくなります。 病人の部屋に炭をおくと臭いがとれます。 農薬取り扱い基準が変わって、杓子定規に不認可農薬扱いをJAがするから竹酢は田畑に使用されません。害か益か実験して使用を促進すべきです。 減農薬に貢献できるのです。農薬が売れなくなるなんて考えるのは古い事です。 森林組合、JA,消費者が竹の炭、竹酢を消費するように協力すると、自ずから竹林は減っていきます。 燃やすとCO2がでますが、炭は炭素固定で大地に還元することができます。
2007年10月07日
コメント(2)
なんと豪快なタイトルの博物館の野外散策行事に参加しました。 秋日和満点の山のぼりは最高で、70人くらい参加していました。 植物の権威の先生の草木の名前、用途、食なるものの博学に驚きました。 でも直接食えるものはありませんでした。 驚きを感じたのは、松喰い虫で枯れた松が見渡すところに増えていたことです。 空中防除を環境汚染で中止してる為なのか、今年の猛暑が原因なのかわかりませんが、痛ましい限りです。 有刺鉄線がはってあるマツタケ山も肝心の松が枯れては意味がありません。 登頂した山が昔落城した古城跡であった事もあって心曇るものがありました。 山頂に展望台がありましたが、危険につき登楼お断りのお達しで遠望は叶いませんでした。 かっては観光地として整備したんでしょうが見捨てられたようです。 青いムベ、アケビが頭上にあったくらいで食材の秋は残念ながらありませんでした。 アケビは口を開くが、同じ形で成ってるのにムベは口を開かないんだそうです。 シシカシラなるシダは根元が丁度イノシシのたてがみのようになっていました。 藤原定家の墓に多いからつけられたテイカカズラ、牛のはなぐりに使ったウシゴロシは牧野博士が命名したなど話は佳境にはいります。 先生のお話をせめて食おうと先生の近くを歩きました。 汗をかいて登る山は気持ちがいいものでした。
2007年10月06日
コメント(4)
新入りのおすもうさんが亡くなってリンチの可能性がでて大騒ぎになっています。 横綱巡業ボイコットで一騒ぎがあった後であり又かの感がします。 体に覚えさせるには肉体の限界に挑戦する練習が必要です。 自分でもう限界と思えば体は動きません。 そこをもう一回と第三者から気合をかけられると体は動きます。 泣きながらぶっかります。 本人は強くなりたいと心におもっています。 もう限界だと思って体が動かない自分に情けなく思います。 そこを外部から叱咤激励されると情けない自分を自分で奮い立たせられます。 この最後の頑張りが技の完成になります。 外部から見るといじめにみえる様相がかなりあります。 強くなりたい、強くさしてあげたいの体的行動にほかないのです。 体的限界がありますのでやめる限度はわかります。、 ビールビンでなぐったとか、タバコの火を押し付けた跡があるなど練習以外の傷跡があるなどを、報道で聞きますが信じられません。 肉体を資本とする職業ですから、練習で扱く事は当たり前ですが、練習以外にいじめたり、陰湿なことがなされていたなら、国技の恥です。 プロスモウと名前をかえてNHKからはずさざるをえなくなります。 鍛えた体がぶっかり、力、技の較べあう大相撲が復活するようにいのります。 不祥事の原因究明を早くやってください。
2007年10月04日
コメント(0)

9月27日は満月でした。 15時20分発のマリンビューに乗るべく熊本港に行きました。 熊本港から天草本渡港まで1時間5分ではしるオーストラリア製高速船がマリンビューです。 双胴船で走りだすと船底は波の上を飛んでいきます。 総トン数154、航海速度33ノットの乗船、期待に胸ふくらましてると、桟橋の隅に奇妙な柱が目につき、乗船順列を離脱して柱の側に行ってみました。 藤壺やかきなどびっしりとついています。 これは面白い、はてなんだろう? この桟橋は浮き桟橋で、海底から建てられているポールに滑車で接し、潮の満ち干で上下できるようにしてありました。 きょうは満月で一番潮が干る日で、まさにこの時が桟橋の下限の時でした。 満潮の時は牡蠣殻のついたところまで海がきて桟橋は浮き上がる寸法です。 こんなラッキイな景観めったにみられません。 感心してたら、みんな乗船済まして、船員さんが迎えにきました。 夜は満月が空から煌々と照らしていました。 上と下から満月の贈り物いただきました。
2007年10月03日
コメント(0)
軽い脳梗塞だったようで、いっそう老いが深まった感じの母でしした。 歩くのもままならず、手を添えてようやく歩をかわし、ろれつもまわらず、言葉もよみとれません。 90の坂を越え6年の坂を越えし母でしたが、姉、妹の看護で食欲を取り戻し、日をおって伝い歩きができるようになりました。 幼児と変わらぬしぐさをみせると思えば、まともな会話を行います。 若いときの母の句集があったので見せると丁寧によんでいます。 校長時にメモッタ父の原稿をみせると懐かしげに黙読しています。 「私は〇〇でございます」と紙に私の名を書き見せますと読みあげ私をまじまじとみます。 でも母の脳裏にある私はもっと若いんでしょう怪訝な顔して、愛想笑いをします。 どうもわからないらしい。 ありがとう、ありがとうと手をあわせて感謝します。 じっと座椅子に座って時々テーブルをリズムよく手で奏でたりします。 5日を得てみちがえるように回復し庭の日陰に籐椅子に楽しむようにまでなりました。 もう一度時が巡ってくれたらいいでしょうに。 別れは辛いものですが、どこかの先生としか思ってないのでかえってさばさばとして「さようなら」ができました。
2007年10月02日
コメント(0)
全23件 (23件中 1-23件目)
1