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いやな人が現れると考えると、そうなるよ、そういう状況ばかり引き寄せるよというのは、本当に事実です。マジ事実です。もうしょうがないほど、事実です。私は幼少期、嫁姑の争いを見てきたことがなかったし、周り中の悪口を言う、という環境でもなかったので、嫁姑問題がある、なんてことすら知らなかったです。というか、あまりそういうのってテレビで見る冗談、ただのドラマだ、と思っていました。だってさ悪口言い合うなんて、ばかばかしいじゃない。そのため、わたしの舅はとても素敵な方で、優しくて姑もとても人ができた方で、一番尊敬をしていました。優しくて、大好きでした。乾燥地域で布団を干す習慣がないのに、布団を干す習慣のあることをおもんばかって、乾燥機まで買ってくださっていたんですね。ただのお正月の訪問時のために。こんなことが、数多くありました。で、いい人ばかりだろうと やや若干、信じているのんきな私でも時としてしばしば、いやな人には会うこともあると思います。会うのが人生なんだと思います。ただ問題は、そこから離れるまでの時間なんだと思います。で、これは本当に注意をしてほしいんだけれど、「こんなこと言うなんてなんでだー」と過剰に反応を起こしているとき「その環境が」なじんでいるので、よい人よりも、そちらの人にすごいすごいすごい、関心がいっている、と思ってください。つまり、「この人はなぜこうなの、なぜ非難をするの、なぜなぜ」というのはなにか心にひっかかっているから、その人に文句をいって癒してもらおうと、ラブコールを発している、ということなのです。そういう関心が言っていたら、相手だってあなたに関心を持つのはあたりまえです。そういう縁の繰り返しになるのは、あたりまえです。あたりまえ、なんです。いつも同じことでけんかをしていたら、試しに「この感情がわいたらほっておく、とにかくほっておくその感情に乗ってエネルギーを注いで同じパターンにならない」とどうなるかを、やってみてください。例えば電車で足を踏まれて、「あのひと何なの、気を付けないで馬鹿じゃないの、本当に悔しい、馬鹿じゃないの」というのがスイッチでそれを思うと会社で全部イライラしてしまって怒ってしまうのであれば、「あの人に足を踏まれてすごい腹立たしいわ、腹立たしかった本当に腹立たしいわ」 が感情で、それは感じてがががっ、と体にある感覚はあっていいいので、それ以降は、さまざまな考えがわいてもそれにとらわれなくするのです。というのはすぐにできないし、いつもできるわけじゃないただ、感情→ 考えて→ どんどん気持ちが悪化は避けたいです。その考えにとらわれると、常に同じ行動になりそしてそうなると、常に同じ状態になります。同じような状態ばかり作り出し、同じような人ばかりとかかわっていきます。「腹立たしいわ、なんでこんなこと言ったのあれもいって、これもこうじゃないの、悔しい」という考えにとらわれて言い争いになるようであれば、相手も「なんでこの人は、こんなふうに思うの。こんな扱いをして、こんな言い方をして、こんなふうなの」とその人たち同士で絡まっていきます。これが縁です。縁が二人でがんじがらめ。時には戦うことも人生ではあるけれど、より良い状況を作り出すためにね。「その人」とかかわるというよりも、状況を変えるように。あなたが一体どんな考え方で、どういう人と絡まっていくのかそれを知って操られないことは、重要でしょう。以上の考えと止められない感情が、いろんな状況を引き寄せます。http://www.acoreading.com
2016.06.23
続けていける人は縁を築ける人例えばマイナスの評価をうけたり、ちょっと悪かったかなーと思っても「悪かったなー失敗した」ということを、必要以上に怖がったりせずに「そうんですか。それならばごめんなさい」あるいは今後は気を付けよう、今度は変えていこうと考えてと前向きにいると、その人とさえ、縁になります。マイナスだからもうだめだ、なんて、思わなくても、いいんじゃないかな。ーーーーーーーーーーーーーとはいえ、ご自身で止められない感情の癖はありますよね。http://www.acoreading.com
2016.06.23
本当に、本当に本当に癒されるとき みんなは勘違いをしているよ本当に本当に癒されるとき 問題がなくなるとき、だと思っているでしょう?痛みがなくなるとき、だと思っているでしょう?完全になれるとき、と思っているでしょう? そうじゃないよ癒されて問題がなくなって、そうして人はもう一度、その人と、泣くんだよ。残っている問題があって、泣くんだよその人にぶつかっていくんだよ そうして、けんかして、まだそれが癒されていない、と知ってでもそこから、対話が始まって二人で分かりあっていくんだよ そうやって癒しは、深まっていくんだよ。 あなたが完全にこの問題はなくなったと思うとき、確かにいろんなものが軽減をしていくよでもまた、同じ人といて、また、同じ問題が起きてそうしてその時に、言えなかったことや本当にかかわりたかった思いや願い、それらを話す時期がきて、そうやって二人がわかりあって、癒されることがあるんだよなくなったと思ったもの整理がついたと思ったもの。それらがまた開いていこうとするんだよ その時は、自然とやってくるその時には、その二人が素直になって、何度でもやり直していくのかもしれないね それは親子かもしれないねそれはパートナーなのかもしれないねだから、怖がらないでだから今を完全だと思わないであなたの心のメッセージ受け取りませんかhttp://www.acoreading.com
2016.06.23
今回は内面、外面から輝くためのセミナーです。6/26(日)13:30~16:20 名古屋にて、セミナーがございます。開催をされるあかつき優さんは、ACRのクラス、レベル10終了日にプロポーズをされたという方です。そんな経験をされた優さんは、特に、ご自身の誤った思い込みがはずれていく過程を、ACRでご経験されていらっしゃいます。そのため、そちらに深い造詣があります。今回は思い込みを外し、「本当に輝くときはどんなときか」を調べていく、ワークをします。あかつき優さんの クラスで行うテキストも拝見をさせていただきましたがとても素敵な内容です。開催者のもうおひとりである、ポーリー伊地知 恵さんも、セッションを受けてこられた関係で、存じ上げています。色や形に鋭い感覚をもっておられて、皆さんに、本当に似合う色、形をアドバイスしてくださいます。またご自分にあった服を選べるようにと講座内容が組まれています。ちょっとおしゃれな気分になれるのも、輝ける一つの手段です。関西地域の方は、ぜひご参加ください。 http://nekodatte.exblog.jp/23181163/● 関東地域でも、6月25日、26日、ACRの方法を学ぶレベル1がございます。 残り 2名はご参加いただけます。
2016.06.23
意見が強いとか、何かふとした言葉に皆が聞き従ってしまうとか穏やかな女性でいたいのに、自分がきつい、と思っておられる方もいらっしゃるでしょう。パーソノロジーという学問では、自分の顔かたちが幼少期から青少年期に移るにつれて、自分の個性に新たな一面が出てくる、しかしそれを知らずに、幼い時の自分のままでいることで周りとの葛藤を起こす、としています。例えば、めーめー泣き虫さんだったあなたが今は周りに与える影響力が強いとしても、「私は弱いはずなのに」と思っていたり、「強く意見を言ってしまってまた誰かが聞いてしまった。こんな私はいやだ」と思ってしまったり。そうしたとき、その人は過去に縛られていてすごい勘違いをしていて、本当は、ちゃんと意見を言えることができてうまくいくことがほとんどなのに、そしてたまたま言ってちょっと相手が引くことがありそしてちゃんとフォローをする、という過程を踏まないとならないことがあります。自分を受け入れないとき、相手の目に映るその人の姿は、「余計強い」です。その人が強いところを隠そうと思えば、思うほど周りに移る姿は、不自然に固まった姿です。無理をするから強さが出る時にはがぜん出てしまったりそれをいけないと思っているから、失敗をしてもその後のフォローがさわやかではなかったりその人がその強さを使っていれば出てくる本来のリーダーシップを否定していたり自分が強くないと思い込んで接しているからかえってもてなかったりもう弊害はいかばかりぞや、と思います。自分は本当は、明るくないのに明るいふりをしていたり本当は明るいふりをしているけれど暗いんだよね、と思っているけれど実はその人はやっぱり明るい面もあったりでも気づかなかったり、人は不思議なものです。自分の頭の中で思っているキャラとても違っていることもあります。あなたはどんなキャラを否定していますか?それはお父さん、お母さんの嫌いな姿かもしれません。ほかの方法でその才能を上品に、目指した方向で使えますか?目指した方向で使える人が周りにいますか?何かの力を使ったら、あなたが解放をされる部分がありますか?それが認められないと思っていますか・それは真実ですか?その力を解放して、うまくいく方法を探してみてください。http:://www.acoreading.com
2016.06.22
感情の癖の罠についての話です感情は、「一度出来上がったパターンを崩さずに安全を図る」ためにセットされます。これがいったんセットされるともう大変。日本人のくよくよする性質などは体質や遺伝子に入っているとされているものもありますが。いずれにしろ、感情のパターンは、その人の安全を図るためにプログラムをされています。さて、そんなふうに、無自覚でしてしまっている感情のパターンのなかには、優しくされたいのにされない行動を引き起こすものもあります。その一つに、無意識で罠をしかける、というのがあります。相手をテストするってやつですね。テストをして、ほらやっぱりできないでしょう。と心に思うのが相手に仕掛けている罠ですね。例えば、「今日は卵が安いから、こんなにウキウキ。このウキウキを聞いてほしいな」と思います。それで、「ねえねえ、聞いて聞いて。卵、こんなに安かったぁ~」というのが優しさを受けられる方法です。卵ではなくてもいいんです。何かうれしいことがあって。相手の態度にかかわらず。自分が喜びを表現をしたいときにしたいだけ。もちろん、学校とか公式の場ではしませんがでも普通に表現ができます。自分が望んでいるウキウキ気分を分かち合うのに、ストレスがないということですよね。しかし、優しさを受けられないと思っている方々の感情のパターンは、「聞いてくれるかテストをして、がっかりしたらやめてやるでもがっかりさせるよね、あんたは」というような、くらーい気持ちがあると思います。そうすると、ほかの話をするんですね。無意識に。そして相手が卵に触れてくれないので、「やっぱり、卵には価値がないんだ」とがっかりする自虐タイプ、「卵って普通は、こんな値段で、これはこの値段だったの」って安かったということを相手に言わせようとさせるタイプ、「何か喜びが得られないので、この関係には、心から触れ合う何かが足りない」と思っている足りないちゃんタイプ、卵に触れてくれないので、「心地よくない何か話の内容がよくないっ!」と怒っている八つ当たりタイプ、あるいは、心で怒っているけれど表に出さずに、ずっと相手を付け狙う(?)恨みタイプ、などに分かれるかもしれません。いずれにしろ、通常、卵のことには気が付かなくて、別の、もっと大きな事件で違和感が爆発をします。だから卵の時には何も感じず、後からもっと大事件になることが多いです。これってその人のパターンがあり、異性には簡単にできるから異性の関係にはうまくいくけれど、ほかがうまくいかないとか、ほかはうまくいくけれど仕事で出るとか、パターンはあります。人の行動や考え方は、シンプルであればあるほど、いろんな物事はスムーズには行くのです。サスペンスとかお好きならば、思うでしょ?なんでこんなひねた考え方をして、犯行に及んだかな、そこは気にしなくてよかっただろうとか。えええっ、そんな動機で?ちゃんと確かめなよぉ~とかね。自分が、これが正しいと思って頑張っている事柄を今一度、シンプルに手を伸ばしてもいいんじゃないでしょうか今日は これを話したいな、と素直に話せるでしょうか?それとも、もう少し時間をかけて、自分の感覚を自覚をしておきますか?周りが聞いてくれないからまどまどしてしまうのではなくてもう一度自分に中心を戻して、こころを味わう必要はあるのかもしれません。いずれの場合も、それができれば、確実に周りに変化は生じます。http://www.acoreading.com
2016.06.22
思い出せないものは、いらないものかも今日はなしですごしてみようきっとなきゃ困る、と思っていたのに気づくから忘れてしまうものは、やりたくないことかも今日はそれをしないですごしてみようきっと気づくから、どんなに焦っていたかに忘れて困るものはサポートが必要な分野かも誰かに助けてもらおうきっとどんなに間違った方法で頑張っているかに気づくから 一人ぼっちで困っていたかに気づくから そしてあなたを助けてくれようと待っている人がいることにも、気づくからと、本日のあなたのこころが言っています----------------------あなたからの潜在意識のメッセージを読んでいきませんかhttp://www.acoreading.com
2016.06.21
親しくなってもいやになると距離をおいちゃういいんじゃないかな。そういう時期もあるよねその時期には、いやなことがあっても、「これこうしたな」って明るく言えないんだよね。いやな気持を持て余して、簡単に意見として言えなかったりこうしたいな、って伝えられなかったりしたんだよね喧嘩するしか、押し黙るしか、方法がないんだよねそうだよ、今は精一杯。それでいいんだよでも次回にいやだな。って気が付いたらその人とかかわってみよう。これはこうするねって、これは言われたくないから自分の意見を大事にするねってたとえ心の中でも。ちゃんと自分をどっしり選んで大丈夫でいよう相手が言ったからって気分を悪くせずに自分に許していようそんな関係を学んでこられなかったとしても私から始められる私からできるはず そんなふうに思えるとしたらそうしたらたくさんの人と一緒にいることができるようになるかもしれないねたくさんの人といなくてもちゃんと大事な人々と、繋がれるようになれるかもしれないね意見が言えなくて、言うときには怒ってしまうしいやなことがあったらぶつけるしかなくてでもそんなあなたのことを、きっときっとわかってくれる人がいるのだからhttp://www.acoreading.com自分がしているパターンを変えてみようそうしたら明るい未来が手に入るから
2016.06.20
実は私は、とっても無礼者です。冗談言いたいし、最初から敬語なしで話したいし。それはほかの人たちにとっては、無礼かもしれませんね。さてさて、本日は、人の本質を見分ける、パーソノロジーのお話です。 人にはさまざまな性質が潜んでいます。でもその一つに、人との距離感をどう取りたいか、というのがあります。これは、眉と目の間が、その人の目の幅何個分入るかで決まってきます。私だと一個分くらいかなあ。みんなはどう?要は、「まろじゃあ~」タイプの眉の方であれば敬語を使い、人との距離を置き、親しい中にも礼儀あり、のほうが、穏やかで良い関係に感じます。もちろんそういった方々も、徐々に親しくなった中で敬語がなくなったり、距離が近くなったりはうれしいのです。でも、徐々にされないと、きついです。公家さんたちが、眉をそって上に書いていたのは興味深いことで、独特の距離の取り方をしたい、という現れかもしれませんね。「まろじゃあ、まろなのじゃあ」みたいに、距離を置いた言語や文化であったのかどうかも、気になるところです。でも眉と目の幅があまりなければ気軽に人と接することが、しやすいです。社会的に訓練をされた背景はあるものの、本質的には、「どもーこんちは~●●っす!」みたいなほうが、親しさを感じて、居心地がよく、なおかつ相手をなめているわけでもないです。ということで、外国行くと、そばに寄ってこられすぎてきつい方もおられるかもしれませんね。下向いてて、ふと上を見たら、顔がこんなそばにあるもん! 背が高いとあんまり圧迫感ないけれど、背が170ぐらいで高い靴でもはいて居ようものなら、目の置き場所がないっちゅーか。そんなこんなで、西洋系の友人たちといると、どんどん、追い詰められて道は時にいっちゃうんだよね。どんどんそばに寄られて、私は良い距離を保とうとし、だんだんと壁に追い詰められていく、という現象が。最後はさ、やもりみたいに、壁に張り付くじゃないの。私は昔、ヤモリが家の壁に張り付いているのを見たので、という説明をするのに、「台湾の田舎では、タモリが壁に張り付いているんだよねぇー」といって笑われた、つわものです。そうそう、30年前の台湾では、ブザーがヤモリよけにヤモリの鳴き声であったのだが、そんなの、今もあるのでありんすか?、、、ということで、さてさて、今日、あなたは、タメ語を使われて、なめられている、と感じました?それは親しさの表れかも。それとも、とても距離を置かれていて、自分のこと、嫌いなんだろうなと戸惑いました? それはその人は、あなたという人を、尊重をしたいのかも。そのように相手を見ていたら、怖さはへるかもですね。http://www.acoreading.comパーソノロジー学びたい人はいってね。言われないと、セミナーしない人だからね、今日はパーソノロジー全開で無礼講で参りますが、ごめんなさいませ。● 私のパーソノロジーのベース 1980年に、パーソノロジーを ロバート ホワイトサイド氏の系列から学び、(当時は遺伝行動科学と呼ばれる)その後、1990年後半に、 ダニエル ホワイトサイド氏の系列から学ぶ(構造機能として発展)双方からの学びは、非常に役に立っています。 なお、ダニエルさんはロバートさんの息子さんです。天野
2016.06.17
おはようございます。あのさ、同業者に対していろいろ思うことってない?「あの人はこんなところ、わかってない」「確かに●●は良いと思うけれど、これってどうよ?」とかね。さて、潜在意識って何に現れると思う?みんな言葉だと思ってる。でも言葉じゃないよ。「気分」にすべて、現れちゃうんだよね。例えば、「あの人の、こんなやり方は駄目だと思う」というのが、苦々しい気持ちがあるのであれば、これは、まだ、自分の中で、自分の仕事に対して未消化な部分があります。うーん、うまく説明できないけれど、、そうだな、例えば、しっかりと勉強をしてやってきたことを、勉強をしていない人がしていて悔しいとか。それだと、自分の仕事内容を知ってもらうために、素直になれなくて学歴や何かに頼っているために、そういうものなしでやっている人が気になるのかもしれませんし、また、信じ込みの中で、何かに頼りすぎていた面を整理をする時期なのかもしれません。ほかの方法でできることを、受け入れないとならないこともあるでしょう。あるいは、自分がもう、それらがなくても成功をできるのに怖がっているのかもしれません。そういった心境があれば、やっぱりにがにがしいです。「ひょえーうっそぉ。そんなやり方、おかしくない?どひゃーそりゃないよねえ」というのがお笑い芸人のごとく、たのしく感じられるのであれば、自分の中で、その仕事のその部分については、整理がついているのかもしれませんね。こ こ ろ はあなたのバロメーターだから、罪悪感を持つ必要はありませんが(こんな気持ちになるのは、私が未熟だからだ、とかいらない)でも、「あ、こういう私がいるなあ、何を教えてくれてるんだろうな」とその教えに心を開くことは大事でしょう。教えに心を開く、ということは、「こんなことを感じる私が未熟だ、いやだ、そんな気持ちがあることを認めない」と不快さを否定したり挙句の果てに「だから相手が悪い」となってしまうことではないんです。「まあねえ、いやなものはいや、で? わたしはどうしたいんかなあー」と「私に興味関心を持つ」ことだと思うことだと思うんです。私に興味関心をちゃんと持っている人は、人にも関心があるものです。その結果、相手もあなたに関心を持たざをえない魅力があなたに。今日も良い一日でありますように!!http://www.acoreading.com
2016.06.17
先日のブログの無料相談に上げた記事で、そのご相談者さんから、お礼のメールをいただきました。とても丁寧に書いていただいて、大変にうれしく思いました。個人的にメールを差し上げたのですが、届かずにかえってきてしまったのでこの場を借りて、お礼申し上げます。励みになりました。ありがとうございますーー。。天野
2016.06.16
人というのは不思議なもので、自分が好きになる人は相手も自分を好きです。そういうふうに、できているのです。それで、逆の人もいますよね。好きな人には好きになられない。好きな人と友達になろうと思っているのに、あこがれている人とはなかなか友達になれなかったり、友達になっても、長く続かなかったりは、悲しいですよね。でもたぶん、その理由って、その人にあこがれているからなのです。好意を示してくれて、うれしいかもしれませんが、ちょっと負担なこともあります。あこがれられていると、相手の人は、なんだかプレッシャーを感じるものです。だから、そういう人にも、ごくごく自然に接してくれる仲間のほうを、「同じ波動のもの」として仲間にしやすいんです。じゃあ、どうしたらいいでしょうか?もう扱いを、思いを、 one of them 並みにしたらいいんじゃないでしょうか。話せるときがあって話せないときがあって、そんなのあたりまえ。「受け入れられない」と、いちいちがっかりしていては、自然な時間で起きてくるさまざまなよい流れを妨げます。それにしつこい感じがします。急に近づこうと無理をしたり、親しくなるたびに媚びようとしたりせずにいて、その人がほかに友達がいるのだって当たりまえ。そんなのいちいち気にする必要もありませんし。そして本当に力になれるときになってみる、そんなであると、自然と仲がよくなっていたりするものです。ご自身の中にある、「あの人のほうが上」という思いがかえって、人付き合いでは、面倒なこともあるものです。それは、時として、貧しい心であるのかもしれません。人と人とのお付き合いは、容姿やその人のステータスなど、あこがれるものがあるかもしれないけれど、あっていいのだけれど、「本当にその人の生き方が好き」というほうが、自然ですものね。そしてそちらのほうが、本物の親しみであるとは思うのです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー自分の中のプログラムを改善することで起きる現象を変えていくことができます。憧れてうまくいかない人の根底には、自分らしさがわからなくなっていたり、コンプレックスが潜んでいることもあるでしょう。http://www.acoreading.com
2016.06.16
もっと信じても、いいんじゃないかな、自分を信じて、いいんじゃないかな、ドキドキしてしまうことかもしれないけれど、もっと自分を信じていいんじゃないかな人と比べず、私これ好きだよ、私には、これ、大事だよ、私これ、するんだよ、って心の底から誰が何と言おうと心から良いと思うことを、許してあげて。相手が何かを言ってきて傷つくならば、それはどこかで、自分で自分のすることをたとえ見方がいなくても、これがいいって誇りに思っていないんじゃないかな。自分がそれがいいからだからいいって思えるって。そういう力を取り戻していいんじゃないかな。もっともっと、自分を大事にしても、いいんじゃないかな。ダメって言われるのを怖がって、ああ、私って駄目だなって思ったり、いじめたり、しなくていいんじゃないかな。私は私を好きだよ、って言って、いいんじゃないかな。欠点もあるけれど、そうなんだ、完全じゃないよでもこれは私にとって価値のあることなんだよ、って、何度でも立ち上がって、夢に向かっていいんじゃないかな。もっともっと、私は、私と、お友達になっていいんじゃないかな。だってずっとそばにいてくれた人だから。いつもそばにいてくれた人だから。ーーーーーーーーーーー私が私を信じられなくなったのは、いつ?その時を取り戻すことは、あなたが思っている以上に人生を変えることになるのです。http://www.acoreading.com
2016.06.16
未来巡行のお話を載せるとお伝えしてそのままになっておりましたが本日14日の記事に載せてあります。すみません。
2016.06.15
こんにちは。ちょっと未来巡幸の記事、ブログ消えてるので、後で載せます。すみません。最近なんだか自分が何をやりたいのかわかりません。お金かけて講座で勉強したり、かと思うと今の仕事がんばってみようと思ったり、でも仕事で嫌なことがあると、やっぱり今までの自分とは全然関係ない国家資格取ろうと思ってみたり。自分の趣味でお金を稼いでる人と話したりすると、私も趣味を活かして働きたいと考えたり。。。飽きるというか、すべて始める前はよーく考えて、始めたらわりとまじめに取り組んで、しばらく進むと『やっぱなんか違う。。。』ってなります。ここ2,3年こんな感じで、結局自分が何をやっていきたいのかわかりません。ないものねだりなんでしょうか。ーーーーーーーーーーー続きです。ご相談で、先日、「感情を感じるのは、出来事が起きるからではなくて癖になっているよ」という説明をしましたね。ここまではよいでしょうか?出来事があって感情を感じるのではなくて癖になっている感情を人は感じてしまうということでした。もちろん、極端に大きな出来事があれば、人は皆同じような感情を感じるものの、やはりもともとあった感覚は大きく出てきます。それで、今回は、あなたがもし、自由にのびのびできる感情を、ある時点で失ったらどうなるかというお話をします。これはこの問題と、とても関係があるものです。小さなときに、たとえば、自分が泥団子を作ったとします。そうして、すごくピカピカに磨き上げて、どんなに自分が誇りに思えるか少し感じてみましょう。胸に手を当てて深呼吸。ほかの人がほめてくれてもくれなくても、子供はこういう時に、一心になっています。これが、「自分が満たされて誇りに思える感覚」です。自分が自分のよいものを信じている感覚です。でもそれを、落としてしまって割ってしまった、とします。とてもショックで泣いてしまって、その子が、こんなことは無駄なんだと感じたらどうでしょうか? そう、無駄だって信じたら、もう泥団子で生き生きとはしなくなるんです。あるいは、友達にからかわれて、「やーい泥団子」と言われて恥ずかしい思いをします。真っ赤になって、これってくだらないことだったんだと思います。この子も、恥ずかしいことはしまいと思うでしょう。あるいは、「ばっちいわね、捨てなさい」と言われて、おててを見て、汚いんだ、これって汚い遊びなんだ、とびっくりします。そうかあ世の中には汚いものがあって触ってはならないんだ、と信じるかもしれませんね。そうして好きなものもきれいなものしか選ばなくなるかもしれません。これは、誰かが悪いのではなくて、誰にでもおこることなんです。起きていいことなんです。そういう出来事がおこっても、比較的、気にしないお子さんもおられるかもしれませんし、でもどこかの部分で、私たちは皆、自分のしたいことを頭で分けるようになるんです。「いいもの」と「価値のないもの」にですね。そういう何かの気持ちが残っているために、私たちは、価値のあるものを探そうとします。泥団子で集中ができなかくなった気持ちは、不愉快で、もう一度誰かが見ているからではなく自分がしたいから、という崇高な願いのために集中をしたいと願っています。そうできないと本当に不快なんですね。だから探しているのです。不快な感覚が残っているけれど、頭で「なんだか私がすることは慎重に選ばないと、世の中に認められるように選ばないと笑われる」という信じ込みがあれば、常に、「価値のあるものであれば」「やりがいのあることであれば」またあの泥団子を握った感触を持てるだろうと探し回るのです。でも問題は、「何か立派なものが見つけられたら幸せになれる」という、そこではありません。「ない」気持ちから探すと、いずれ「ない」ということに最後はなるんです。これがあなたの今の状態ですね。でもどうでしょうか。泥団子に集中をしていたお子さんが、「自分は泥団子誰が何といっても好きだなあ」とそのまま輝き続けたらどうでしょうか?あるいはある年代で、「いいや、自分が本当になんかいい感覚を持とうこれこれ、いい感じだなあ」というのを探せた、とします。(ものに、ではなく、自分の内側にです)すると常に満たされている感覚から行動をします。失われた感覚からではなくてですね。すると、算数をしていて、おはじきを使っての計算は、「同じ感じがする」と気が付いたりします。それは将来、何か道具を使うことのほうが向いているとか、色がきれいなもののほうが仕事がしやすいなど、その人の生きる道につながるべく知識として無意識に蓄えられます。こんなものは価値がない、という禁止がないと毎日いろんな情報が知らず知らずのうちに入ってくるんです。びくびくして恥ずかしいことにならないか、ではなくておはじきをわ去ったときに泥団子の心境に入れるからです。もそれはそれでおしまい。そうして、また中学校に入り、どろんこの虫が面白くて触るかもしれませんね。とても生き生きとした誇りが感じられます。そうして、高校になったり、物理の何かにやりたいことを見出すかもしれません。その時の彼は、いろんなときに自分が生き生きとしている感覚がわかっているので、自然と物理でも、「ただ物理をする」のではなくて、なんとなく、丸いおはじきを触っているような、虫を触っているような、感覚と同じものを無意識に選びます。それは丸い記号の多い化学式が好きなのかもしれませんし、あるいは、もっと動的な、実験だとおなじ感覚があったり、人それぞれです。いろんな人生の流れの中で、物理でも、おはじきや虫や、毎日の会話の中で感じているどういうものに行けば自分が喜ばしいかを感覚として頭ではなく選べるようになっています。そういったことは自分が自分につながっていると、それは毎日変化をしながら感じるものなんです。でもそれらは、先にいったように、「好きなものがあるから」ではないんです。泥団子を触るのが怖いと思えば、いいのかな、これはいいのかなというのがどうしても動きます。泥団子がいい感じだあというのがもともと内面にあってもうそちらがしっかりと感じ取れておりそれを禁じるものがないから、おはじきを触ったときにわかるんです。もちろん、皆さんは、そういったいい感じを部分的に持っているんですが、でも同時に、幼少期の失われた感覚も動いています。何か失われた感覚があると、自分が小さく感じる声が聞こえなくなります。すると、失われた感覚は、常に、いや、これじゃないから違うよ、こっちがよさそう、と思うものの満たされず、満たされた感覚は、これもよいね、あれもよいね、へーこれはちょっと変えてこうすればいいや、と働きます。あるなかからどんどんあるを探します。 そうして、失われた感覚から探そうとすると、もう集中をする痛みを感じないように、、何か立派なものを、何か役に立つものをしようと思うようになります。そうして立派なよさそうな目標が立つと、、がーっと過激に感情が動くんです。でもすぐに下がります。だから、「何」をしたら満たされるか、ではないんです。私は、そういう特別なことがないと、穏やかにあれなくなった感覚にいるんだけれど、「どうしたら今、その気持ちを感じられますか」がとても深い質問なのだと思うのです。「今、本当に満たされた気持ちでいていいんだ」というのが回答になります。「私は、穏やかであれなくて、それにつながらなくなって、探さないとならないんだけどそれはそれでいい感じに手放しになるように今の感情を手放そう」というのが答えになります。どうぞ、原因を探さないでください。そうして、優しく、同じ気持ち感じたい、深呼吸深呼吸、一休み一休み、と自分を取り戻すのはどうでしょうか?一休さんみたいですね。^^そうやって自分の感覚につながってしばらくすると、いろんなものがわかっていくこともあります。いろんな引き寄せもありますこれが引き寄せの法則です。何かがあるからではなく、何かが叶ったからではなく、何かが叶うからではなく理由があるからではなく自分が感じ取れるものだからです。そこにつながっていたら緑を見ていても何をしていても結局は同じ感覚があります。純粋に、、子供のように、満たされた感覚を持つこと自体が、あなたの課題なのです。なお、愛情も全く同じです。平安のなかにいる人は案外よい縁を築いたりします。愛してよ、そうじゃないでしょ、というように不足を感じている方々はめんどくさい、恋人のようになってしまう、そんなことが関係性の中であるものです。そんなこんなで、いかがかな?なお、2、3年前からということなので満たされていろいろかなったからこそ、不足感が表面に現れたり(心配事をしているときには出てこないこともあるので)あるいは、何かがきっかけでてて来た何かなのかもしれませんね。http://www.acoreading.comACRのセッションでは、あらゆる問題を自分自身とつなぐことで解消をしていきます。これは本当に面白いと思います。自分の感情の記録にアクセスをしますので、比較的、変化を感じやすいセッションだと思います。 しかも、クライエントさんを尊重をするので穏やかでもあると思います。
2016.06.14
なんかを参考にするときには、「好きな人の」「好きなやり方の」「好きな部分」を参考にするようにね。いろんな資料を読んで、「こうじゃないとだめなんだ」「こういう風じゃないと成功をしないんだ」「こういうやり方しか世の中受け入れてくれないんだ」と 力が入って それらをそろえていくとき うまくいかないんだからぁあなたは幼少期に感じている、「自分のやり方であってはダメなんだ」という「自分とは分離した状態」にいるのですっ!そこからだと作るものが分離をしていくからねぇ「ああ、こうじゃないとだめなんだ」とがっかりしながら、不快でそうじゃない自分を認めてほしいとしつこくなるとき、ほかの方法を勇気をもって使いたいのに、人に惑わされている不快感が生じていて、自分をもっと信じる力を取り戻して、という心の声ざぁますから。ーーーーーーーーーーーーーー人は幼少期に自分を信じられなくなっています。そのためにとても複雑な方法を使いすぎてしまっています。それを取り戻します。http://www.acoreading.com6月3日の未来巡行(セッションの最後に未来が自然にわくのを見て、そちらに向けて生き方を整備する無意識を設定する方法)の結果については、アメブロにあげました。ツイッター @CathyAmano
2016.06.14
こんにちは。最近なんだか自分が何をやりたいのかわかりません。お金かけて講座で勉強したり、かと思うと今の仕事がんばってみようと思ったり、でも仕事で嫌なことがあると、やっぱり今までの自分とは全然関係ない国家資格取ろうと思ってみたり。自分の趣味でお金を稼いでる人と話したりすると、私も趣味を活かして働きたいと考えたり。。。飽きるというか、すべて始める前はよーく考えて、始めたらわりとまじめに取り組んで、しばらく進むと『やっぱなんか違う。。。』ってなります。ここ2,3年こんな感じで、結局自分が何をやっていきたいのかわかりません。ないものねだりなんでしょうか。-----------------------この方は取り急ぎ、ご結婚をされて、一応の夢を叶えていかれたかたです。それで、人は、ある時期、こういう気持ちになることがあります。その時の注意事項などです。まず最初に、引き寄せの法則や、スピリチャル、啓蒙系のものでよく言われることは、「まず気持ちがってから出来事」ということです。「出来事があったから気持ち」ではなく「気持ちがあるから出来事が起きる、起こせる、引き寄せる」です。これを深いレベルで心が理解をすると、世界がかわります。そしてこれは、頭では理解ができないんです。頭ではなくて何らかの手段で心が理解をする必要があることがらです。つまり、頭でそうなんだろうな、ということから、「確かにこうだよねー」という経験を積む段階を経なければ理解が伴わないんです。しかし今回、その理解への扉が開かれるよう、少し理屈で整理をします。でも本当の理解は、自分のことを学ぶことが入ってきて、それは、心を通して行われると思ってください。私はその手段としてセッションを使います。例えば、ある方は、「えっ?なに?」というたびに「何よこの人、私が悪いっていうの、嫌いだ」と思うとしますよね。通常、これは、「相手『え、なに?』といったから、と理解をされています。これが出来事が、気持ちを起こしている、という錯覚です。でももし、「え、なに?」という言葉であの人嫌いだ、と思うのが真実だとしたら、全員が「同じように」ならないとならないはずです。「出来事が起きるからこれが起きる」という因果関係があるとしたら、例えば、卵をゆでると固まる、のように、必ず同じにならないと科学ではないんです。でも全員がそうではない、というときには、別の要因があるからなんですね。さて、ここで、その人が、「え、なに?」と感じる傾向をもう内側に持っている、と理解をしたらどうでしょう?これが、気持ちがまずあって、出来事を引き起こす、という理解です。つまりその人が「え、なに?」ということは、そういう癖があるのかもしれないし、別に深い意味がなかったり、本当に疑問だったり、いろんな意味があるはずですが、その人の中にある、「そういう人=自分に被害を与える人、嫌いな人」というのがもともとあって、相手が「えっ?」と言ったことで、気持ちが引き出されてしまった、ということなんです。そしてこれら(そういった癖になっている強い感情)が強ければ強いほど、不思議と同じタイプの人ばかりと出会ったり問題を起こしたりします。周り中良い人に恵まれる方も多いんですが、その内側になにがあるか、というのは、非常に重要なんです。まず。ここまでが一回目の話、次回に、虚しさ、人生で目的を失うことの心の仕組みと解消法を話します。http://www.acoreading.com
2016.06.13
恐れをおそれる恐れ題名が、なんだか、禅問答みたいですが。(笑)いろんな怖さが人にはあるものです。あの人が怖い、とか、こうするのが怖い、とか夢が叶う怖い、とかエトセトラエトセトラ。でも、恐れという心理を深く理解をするためには、「そう感じるのが怖い恐れ」も理解をしていないとならないことがあります。例えば、何かがもう少しでできるようになるんだけれど、怖いからできない、としますよね。でさ、さまざま、セラピーだって、最初は恐れを扱うと思うんです。でも、いろいろできるはずなんだけれど、まだしないで恐れうことが人にはあり、これは、恐れを感じることを恐れているんです。恐れという気持ちを感じるのが怖くて、相手を恐れているんじゃなくてその気持ちを感じることが怖いんです。つまり、「また怖いって思ったらどうしよう」と怖いと思うのが怖いという恐れ。これは、癒しということを理解するうえで、とても大切な概念です。もうある程度問題が整理がついて来たら、さあ飛び込んでいこうよ、ということになります。そして、恐れをなくすことではなく、恐れを恐れている恐怖心を扱わないとならなくなります。恐れをおそれる恐れは、まるでその人の中に住み着いている幻想の幽霊のようです。正体はないけれどとても強く人を縛るのですね。皆さんは、怖かったり悲しく思うのを怖がりすぎている、ということはありませんか?もう本当はできることがたくさんあるのに。感じることが怖いから、全部、そう感じなくなることが問題の解決だと思っていませんか?全部の恐れをなくそう、だって怖く思うのが怖いから、という時の本当の問題の正体は、怖く思うのが怖い、という怖さに接することなんですね。怖くなるのが少し解消をしている、としたら、怖くなるのが怖い、という怖さそのものを扱う時期なのかもしれません。そった恐れは、実は幽霊のように正体がなく前進する力をあなたすでに持っているのです。大丈夫さー 新しい一週間、あなたは守られているから。行ってらっしゃい!http://www.acoreading.com
2016.06.13
感情と潜在意識の関連 感情を感じきることの大切さ感情を感じることは、大切だ、と言われていますが、それについての、追加記事を載せます。たとえばある目標がある、とします。そして引き寄せたい、とします。でもある「感情」が、邪魔をしている、としますよね。邪魔をしているものは、たいてい、誤った気の使い過ぎ、自分が恐れる癖があるために、自分が何かを手に入れたら、人がそれを受け入れないと感じて、事実みんなが受け入れてくれないことになっていたり、人に対しての怒りや恨みが強く、うまく関係が回らなかったりもあるかもしれません。だとすると、その感情を感じきることで、潜在意識が動くことはよくあります。どうなるか、というと、簡単に言えば、「できなかったことができるようになる、それに向けて動いている」という働きをします。うまくいく、こともでてくるし、周りの人が変わることもあります。その感じる、ということについては、感じきる、というのは、その中に入って暴れるということやその時に思うこと、(相手が悪いとか責める考えがあれば相手を攻撃するなど)ではありません。つまり、その感情に入ってしまうのではなく、「ああ、あるなあ」と寄り添う感じなんだと思います。人と人が寄り添うように、感情とも寄り添います。もし、「この感情が邪魔だ」と思うと、それは抵抗をしている、という別の感情にもなっています。そうして、反発心が強くなったり、自分が受け入れられない悲しみが強くなります。そして潜在意識が良いほうに動く邪魔をします。もし、「この感情がいけないものだ」と思うと、抑圧をして、その感情を相手に見るようになります。すると、常に相手から責められている痛みがするようになります。出来事も面白いことに、同じことがおき続けます。もし、「この感情がわくのは、相手のせいだ」と相手のせいにする「感覚が」癖づいていたら、強い感情が相手にわくので、つながりたい人々と問題を起こすことになります。さらに、正直にお互いにいる関係はできにくくなります。また通常、愛情ではなく、癒着がそれにとって変わります。なので、こういった感情がただあるなあとそこに認めて、「ああ、これってこういうふうに私を動かすんだなー」というのを認めます。するとあら不思議、今までできなかったことができたり、知ることができたり、手に入ったりって、あるんですね。面白いと思いませんか?http://www.acoreading.com
2016.06.12
感情の整理には、感情を感じきることが大事だと言われていますが、そこに誤りがあるようにも思います。恨みがあるからって、恨みを募らせていったって、その人たちは幸せになれないです。怒っているからと言って、相手を殴りたい、と物にあたるとかしかできないのであればいずれ相手を殴ります。だから、そういうこと、ではないんです。かといって、感情を抑えると、弊害が大きすぎます。怒り。と言う感情一つを例にとったって、それを抑えて相手を善良だと思おうとしている方々は、相手を本当に信頼できずに、常にどこかで、怖がっていたりします。気軽に話せないし、率直な意見の交換も出来なかったり、人といるとやたら疲れたり、あるいは、あまりに嫌なことを抑え込んで、自分が良い気分でいられないことを責め続けていたら、鬱になるかもしれません。感情を感じきることは大切ですが、そこには方法があるし、また、感じるので一番難しいのは、思い込みとくっついた感情を感じることではないんですが、ここら辺がどうしていいのか、体験がないとさっぱりわからんちーなのだと思います。なぜなら、あまりに感情と信じ込みが一体化をしすぎているからです。つまり、感情が客観視できないし、感情と思い込みがくっついて、思いがどんどんわいてなおその感情が湧くという悪循環になりやすいからです。 先日、ある極端な恨みの感情を持つかたから、被害を受けた女性がおられましたよね。詳しい内容は痛ましいから書かないにしても、「相手が自分の贈った物を受け取らないということは、非常な悪意で自分を見下している」という考えが強かったように思います。一つ一つのただの自分を愛してくれないことが、凄い悪意を持って自分を見ているという極端な思い込みがあるように見受けました。こういったように、「自分の贈り物を受け取ってくれない、ということは相手はこれだけ自分を大事にしていない、ひどい扱いをしている」という思い込みがあれば、小さな出来事でも大げさに捉えて、相手を恨むようになります。でもそういう思い込みと感情がくっついていなければ、「あれ、ふられた、恥ずかしい~」で済むことなのかもしれません。誰でも、どうしても、「考え」と「感情」がくっついているために、感情が大きなことになりすぎてしまうのです。先日、赤ちゃんが猫に飴がくっついてしまって、泣く、という動画を見ました。でも、お母さんが飴を猫からとってくれて、飴に猫の毛が付いているのを見たら、げらげら笑いだす、というかわいいものです。これが本来の感情です。「ええ、悲しい~」というのが自由に感じられて、ほっとする感じがします。相手が悪くて、どう直さないとならなくて、どんなことがどんなふうに悔しくて、でも気遣わないとならなくて、という一切の思い込みがなく、純粋に悲しみを感じます。そしてそうすると、自然と時間が立てば、楽しい感情が湧いたりします。人は、成長の過程で、「感情は抑え込んだり、演じたりしないとまずい」と言う信じ込みを作っていて、なおかつ、「だから感情を感じたら、行動がやばくなり、やばい」という言語の脳の嘘を信じてしまいます。● あなたが大きな感情を感じたら、「そう感じている理由」は思い込みで強い思い込みなんだ、と自覚をしてみよう。ものすごい大事なあなたにとって大事な「相手がこうした、相手はこう思っている、人はこうではないとならない」というのは、価値観であって、「感情」ではないから。 ● そして、あなたが大きな感情を感じたら、なにか純粋に感じている部分はどこで、どんな感じ?とそれを大事にしてあげよう。それが二つです。 ここが癒しをもたらす感覚ですね。ここらへんになると、真の心理療法と言うのは、とても深い意味があるとは思います。なぜなら片方だけでは成り立たないからです。気持ちにひっかからないように、良い行動だけを起こさせようとする療法も片側ですし、なにかのこわばりのある心理を感じて、いやそうとするだけも片側です。 http://www.acoreading.com twitter 始めたことは始めたけれど、そのうち、独り言かけるといいなあ@CathyAmano です。
2016.06.10
ある方が、とても競争をさせる幼稚園にお子さんを通わせていて、お子さんがある教科なり競技か遊びで一番になれなかったので、お子さん自身が、がっかりして、沈み込んでしまった、というお話を伺いました。さて、一方で、幼児と言うのはとても競争が大好きで、上手にそういった競争を使うと、非常に伸びていく、という特質があるともされます。こんな双方のことが言われていて、どうしたらよいのでしょうか。まず、競争心が高いのがお子さんたちですから、悔しがったり乗り越えたり、その範疇であるのであれば、問題はないでしょう。しかし、あまりに深く傷つくお子さんなのであれば、それはただの競争ではなくて、なにかできないと自分がだめ、という誤解があるので、 まずは、お子さんが、「どれもこれも1番になる必要はない」ということを学ぶ事が重要ではないでしょうか。そしてまた、「自分ができること」で、誇りを持つ、ということを学ぶことも重要です。そうではないと、自分にできることを探して伸び行くお子さんではなく出来ないとコンプレックスに沈むことは多くなりますよね。今、何ができるか、できないか、そういったことは、実は、将来に、あまり関係がありません。もちろん、できるに越したことはありません。しかし、後からいろいろできるお子さんも多いし、また、他が不器用でできなくても、一つの才能なり資質で伸びる方もおられますし、幼少期に天才と言われた凡人もいますし、幼少期は普通だった後伸び天才もいます。なので、今、何ができるか、できないか、ではなく、「自分がどんな状況でも比較的強く生きられる」ということと、「周りがどうであれ、自分が誇りを持ってコツコツできる」という、この二点のほうが、そういった資質を持つことのほうが、より重要です。この二つの感覚が付いた子供は、どこへ行っても心配がないと思います。お子さんにものを教える場合、ことば、よりも、態度の方が重要であったりします。いくら大丈夫だと慰めても、その根底に不安があると、お子さんは意外なほどその不安に無意識では気づいていたりもします。でも何の言葉がけもなくても、親が安定をしていたら、子どもはのびのびと乗り越えることもあるでしょう。そのため、親御さんが、「これはできなくてもまあいいんじゃないかな」というお気持ちを持問うとする決意や、「これは得意で好きそうだから、これができたら、まあよしとしよう、本当にこの子が、ここが出来たことを、誇りに思おう」と思うことで、自然に現れる態度があれば、お子さんは乗り越えられると思います。とは言え、自分もそうできたらいいな、と思っても、「なんで一番じゃないの、こんなのだめじゃないの」とパニックになって子供を傷つけたり、実は子どもができないことを心配してしまったり、がっかりすることは、どんな親でも、あるものです。その際には、子供に助けを借りてください。「これできて、すごいねって思ってるのに、こういう時に元気がなくなっちゃうんだけど、ごめんね。でも、お母さんも、今あなたと一緒に勉強中なの。」と謝ることもできます。言葉はなんでもいいですが、要は、もし親が自分のミスに素直であると、お子さんたちは、「ああ、なんだ、お母さんの問題なんだな」ということが、理屈ではなく、感覚的にわかるようになります。これでは親は尊敬をされない、と思う方もおられるのですが逆です。こんなことを言える親は、本当に強いのだとわかっていきます。しかし、親が「どうして一番じゃないの」とパニックになったりがっかりしたりするのをそのままにしておくと、その親の様子を見た時に、親の問題ではなく、自分が悪かったからとして、記憶をされていきます。すると、「やっぱりなんだかんだ、親がどんなに褒めてくれても、実は自分が一番ではないのは、ダメなことなんだな」と思いますし、そういったことを、親がパニックになったときやがっかりと沈み込んだ姿を見ている怖さと、自分の価値とを結び付けて覚えてしまいます。すると何かできないたびに、上手くいかないたびに、パニックになったり、がっかりするという親の資質を受け継いでいったりします。更に助けを借りると良い点は、男の子、というのは、自尊心を持たせると意外に伸びるので親が助けを借りると、すごくしっかりやってくれるようになったりします。さきほど、言葉はどうでもよい、とお伝えしましたが、実は、女の子はしっかり内容をわかったりしますが、男の子はどこ吹く風、です。しかしながら、双方とも、言葉はなんであれ、親が何か向き合ってくれている、という印象は、しっかりと、ちゃんと「心の奥底」に残っていきます。わたしは、お母さんたちが、本当に素直になれることを、こころから望んでいます。それらによって、お子さんたちはあなたが(親御さんが)背負ってきたこころの傷を、同じように、おうことはなくなるのです。そのように、親が素直に接することで、一つの家族が救われ、成長をとげていくことは、長い長い何世代にもわたる家族歴史の中での、さまざまな信じ込みや、制限、誤解を解いていくものになります。そういったことは、本当の意味での先祖供養なのだと思います。http://www.acoreading.com
2016.06.09
おっちょこちょいの直し方おっちょこちょいって、ちょっとかわいい、と思ってしまうんです。私自身、おっちょこちょいですし。いやはや、皆様、すみません。でも、もし、おっちょこちょいをしてミスが多いなどに困っているとしたら、二つの整理をするとよいのではないでしょうか。一つは、おっちょこちょこる前に、気づくことが大事になります。もう一つは、おっちょこちょいをした後のフォローの方法を覚えることです。よく見ると(私もだけれど)、その人なりに、そのミスをするときに、同じ傾向があります。例えば、● すぐにやらないとと思うと、同じようなことをしている、とか、● 全部をやらないとならないと思うときにミスをする、● かえって成功をした後で一つミスをする● 一つのことを注意をすると、他の一つを忘れる● 誰かにミスを指摘されたときに、間違っていないと 言わないとと言う気持ちが湧いてしまい、 あわてて回答をすることからミスをするなどなどです。自分がどういった時にどういうミスをするのかを知り、そういった対策をきちんとすれば、たいていの問題は乗り越えられます。特に知っておくとよいのは、ミスをする前の行動を起こす感情です。例えば、ミスの指摘をされたときに、「いいえ違います!!」と言ってしまって後から間違っていることが分かることが多いのであれば、「いいえ違います!!」という気持ちが必ず湧くんだな、と知っているのと、「本当に違うから言わないと」と感情が起こす錯覚に操られて行動をしてしまうのとでは格段の差があります。また、ほっとするとミスをすることがあるのであれば、それはほっとするのが悪いのではありません。ああ、一つおわったなあ、と思ってほっとしたときにミスをするならば、ほっとした、ということに気づき、さて次は何をしたらいいかな、と注意すればいいのです。ミスをしないようにするばかりではなく、ミスをした後にどうするか、という在り方も大事です。おっちょこちょいを隠そうとしたり、変な言い訳をしようとしたりする人は、ミスそのものよりも、その姿勢に不信感を抱かれているのに、どうしても気づけません。こういうときには、こういうことがあり、きちんと謝ったり後はできることをしよう、としっかりしていれば突っ込まれないものも、自分がミスをしていることを怖がり過ぎたり、人の目を気にしすぎたりすると対応があやふやになります。さてさて、通常のおっちょこちょいさんは、愛されるし、親しい人々にこころの潤いを与えることもあります。だから全部直そうと、緊張をしすぎる必要はさらさらないので、本当に困った時に、上の、こころに気づいておく、という方法を使いましょう。さて、あわてすぎてしまう方々の中には、おっちょこちょいを見せたらだめな自分と思われる、とかいう恐れを持っている方もいるかもしれません。そのような思い込みからではなく、知性あふれる人でもおっちょこちょいの部分があったり、ちゃんとミスをして謝っている人々と知り合って自分の在り方も探してみるとよいでしょう。どんな自分の欠点と思われるものでも、捉え方を変えたら、そういった資質を、魅力的にいかすことだってできることもあります。賢いけれど気取らない人、という立ち位置にだって立てるし、どんな自分になるかは、自分次第。魅力的なあなたの一部になるものですからね。^^http://www.acoreading.com
2016.06.09
あの時にああしていれば、そういうときに人はとても弱くなる。自分に言い訳をするからだ。今できることに、向き合わなくなるからだ。今も当時と全く同じ弱さと課題をもっている自分を知らなくなるからだ。今も全く同じように資質に恵まれ、今も全く同じ成功への道を、過程をたどれるのがわからなくなるからだ。そうして、過去にはなんでもできたはずなのに、という気持ちに飲み込まれ、今からの人生を、知らず知らずのうちに、放棄をしてしまうからだ。人は、ああしていれば、と後悔をしている人の側に幼少期にいると、ああ、わたしは何もできない、過去がこうならば、と学んでしまうことがある。人は、あまりに大きな悲しみに出会うと、その悲しみを受け入れないがために、過去にとどまってしまうことがある。人は、大事な物を失うと、できなかった自分を誰でも責める。それは、そのことを、その人を、こんなにも大事にしているあなたの大事なこころがあるからだ。だからこそ、あなたに知ってほしい。たとえどんなに、過去にできなかった、という強い悲しみや恨みや諦めがあるとしても、その感情を持ちやすい自分自身を愛する大切さを。そうして過去にできなかったという思いを、乗り越えられることを。今から全く違う未来を築けることを。http://www.acoreading.com
2016.06.09
ー買いだめる傾向と資質との関係ー近年、お片付けがはやっていたりしますよね。断捨離、という言葉があって、お片付けもそれに当てはめていたりもします。つまり、ごちゃごちゃっしているこころの整理になるから、という面も大きいようです。さて、物を買うときの心境は、それに伴う結果があったりします。「ないと困る」「なくなると困る」「足りなくなると困る」と言うように買うことがあるのであれば、そういった物は、大切にされずに、どこかで腐ってしまったりします。せっかく買った服でも、気もしないで、また買っていたりもします。お片付けをすると、「ないと困る」と思って買ったものってだめにしていることにも気づくこともあるし、不必要なのに何本も買っているのかに気が付いたりします。こういった傾向は仕事にも現れることもあるでしょう。成功をして行かない時、というのは、よくその方とお話をすると、「●●をしないと、こういうふうにはできない」という思想がその人を動かしていたりもします。つまり買いだめると同じ衝動、「何か不足をしてそうだ」という感覚で動いていたりするのですね。^^自分学び、ということを考えると、衝動的に買い集めよう、なにかをしようとさせてしまうので、操られない訓練が必要に思います。操られていることから、その衝動があっても気づいて動かないでいると、どんどんと必要なものをそろえて行ったり、シンプルに作業を行うことができます。ちょっとご自身を見直すために、たくさんあっても、使わないものを買った時の心境を調べましょう。そういった心境であなたが行動をすると、うまくいかない、ということです。この心境は、異性関係、仕事でも現れて人を動かすのですね。しかしそれらにとらわれないと、だんだんと自分に必要なものが分かっていきます。そういった大切なものにつながれていきます。これは面白い過程です。例えば私で言えば、ちょっと白髪があるんですが、髪を染めるのは健康に悪そうなのでしたくはないんです。でもそうすると、トリートメントで色が染めるものが良い気がして、事実、使っていたので、買い込んじゃったことがあります。でもだんだんと使わなくなって、今はいらなくなっています。でもいつか使うだろうなーと思う気持ちがあったりしますよね。これは、悪い事ではありませんが、何か「自分に本当は必要」ではなかったけれど、必要だと勘違いをして、買ってしまったのかもしれません。安いからと買い込んだりして、買いこまないと安心できなかったりという心境もあるかもしれません。そしてだんだんとわたしは、マニキュアをするようになりました。なぜなら私の性格にあっているからです。おしゃれで面倒なことをするのはしない性格、また、手が汚れたり面倒であると続けない性質、これらは、シンプルに生きたい、私の本質なのだと思います。だから、マニキュアなら、美容院に行くだけだし、そんなに頻繁に行かなくても大丈夫そうですし、しかも白髪だけに色が入り、自分の好きな色を入れられるんで、憧れていたグラデーションもできそうです。 綺麗に年を取りたいなあ、という自分の目標ともあっているかもしれませんね。^^ けれども、同時に、「絶対にこれだったら使い続ける」というものも分かっています。例えば炊事手袋。わたしは左右、どちらでも使えるものを買っていて、これなどは、本当に愛しちゃっています。だから使い続けます。でも、過去に、「炊事手袋なんて、安いものでいい」と思い込んでいた時には、自分が本当にこれならば、長続きがする、という感性に触れられないで気づかなかったものでもあるのです。その時にならば、「え、左右で使える手袋?高いなあ、普通のでいいよ」と感じていて、安いものを買い込んでいたかもしれませんね、^^そして今、その手袋を使うほうが、無駄にせずに結局は住んでいるので面白いです。右手ばかりやぶれるからですね。これらは、自分のしている行動をよく観察をしないと、人は不必要なものを、無自覚にたくさん買う、という例でした。 自分が行動をしやすい方向性を見出して、今までのくせにとらわれずに成功をする方向を見つける、というのは、認知行動療法は得意だと思うんですが、なかなか、人に見てもらわないとわかりにくいこともあります。でも、自分がため込んでいるものを見て、「どうしてため込むのかなー」「そのとき、どういう心境だったのかなー」「自分の行動を見て、やりやすい方向やこういうのだととても納得をして続けるんだなーという「行動は何かなー」と観察をすることもできるでしょう。そしてそれは、日常のすべてで同じことなのです。恋愛で、必要ではない人なのに、怖くてその人が離れないように必死になってしまって、その人にくっついていたりします。しかしそういった心境は、いらないケチャップを、なくなるのが怖いからとため込んで腐らせるのと、システム的には、同じ心境ではあるのです。なくなるのが怖いから、というしがみつきは、いろんなものを不明瞭にしてしまいます。あるいはお仕事で、サクサクと必要なことをせずに、「これがまずい、あれがまずい」と行動をする癖があるならば、一生懸命に行動をしているのに 「嫌だから、それはいらないから」と怒られる、といった要領の悪さにつながっていることもありえます。さて、ため込んでいないとならない、という方々は、怖いから、地震でこうなるから、ではなくいったん、こんなに怖いのでため込もうとしている損をするから買い込もうとしている、と恐怖心に胸に手を当ててそこがあることを認めつつ、そこから動かないでそれを味わってみてください。理屈で、「足りない買わない、やばい」と考えるとそれにとらわれるので「ああ、こんなに体が動揺をしている、これって幼少期からあるんだろうなー」とみまもります。それが離れてからしか、本当に必要なものを得るという賢明さは生まれないものです。「本当に自分に合っているもの」「真に困った時にいるもの、役にたつ買い方、使いかた」「必要なものってなにかなー」というのが分かるようになったときそれはすべての面で、あなたが、好きなものにつながるきっかけとなってくれるものなのです。一人一人が、明瞭さをもって、本当に必要なものと必要ではないものを見分けられる、としたら人類はとても豊かになれるとも、思います。http://www.acoreading.com
2016.06.07
無料相談で寄せられました。acrsoudan(a)yahoo.co.jp このかたは、ブログに対して暖かいコメントも最初にいただいていて、まずありがとうございます。さて、ご相談内容です。引き寄せがスゴいです。ゆがんでます。片思いの男性との接近を願えば願うほど、願ったシチュエーションで、生理的に受けつけない知り合いの男性と会います。頻繁にバッタリ。会社の廊下で。EVで。街角で。お店で。男性は、同会社の既婚者というパターンが多く、私が好意を持ってると勘違いされ、中にはレイプされ、バレないよう会社をクビにされたこともありました。肝心の本命の男性は、見かけることさえなくなります。素直に誰かを好き、と想うことが怖いです。というより、こういう状況を作り出すことで、私は何を守ろうとしているんだろう、本当は何を、避けているんだろう、と思います。------------------------こんにちは、知り合う男性は、その人の何か癖があります。それはほんとうに興味深いと思います。さて、あなたのように、とても困った状態が多い方々の傾向なんですが、その前に、どうぞ、お願いがあるのですが、今から文章を読んでも、「あなたが悪い」と思わないでください。これは、人間の、数式を考える脳の働きなのですが、とても誤った感じ取り方をします。「こんなになるのは、こういうことは、私が悪い、あるいは下だ」と思うようになりがちなんです。ただ、今から書くことは、起きてきやすい状態を書きます。そして其れが悪いのではなく、ただ、なじんだ環境の中にいようとする、自然な働きが働いている、と思ってください。よく似た方々の改善を図る場合、やや、時間がかかります。というのは、通常、こういった問題を抱えている方々は相当に家族関係が、複雑な場合が多いからです。愛情がとても複雑で、単純に楽しいとか、褒められるとか、そういうことではなく、なにかお互いに嫉妬し合っていたり、ご両親のどちらかの物事の見方が偏っていて非常に人を悪く言ったり、ということは、よくありました。で、あなたの中にあるのは、非常になにか、とても嫌がっている気持ちが解消をできていないんだ、と思います。いやでいやで仕方がない何かがあって、それがご両親のどちらかか、あるいは、ご両親が非常に嫌がっているなにかがおありだったのかもしれません。そういった環境の中で、通常は、「わーいやだな、この人」と思うけれど「あれ、この人、いいなあ」とそっちのほうに関心が行きます。でも無意識に、「嫌だなあ、この人本当に嫌あ、ここにいる、あそこにもいる、あっちにいる」というように非常に嫌なものに敏感なセンサーをお持ちです。そして、いやなんだけれどいやであればあるほどその人たちが気になるというような感じで、外から見ると寄って行っているような気がする行動を無意識にされることもあります。なので、そこの整理になるんじゃないかなーとは思います。ちょっと、こんなにいやな人がいるいやだ、いやだ、いやだ、と感じた時にその感情を大きくせずに、「ああ嫌なんだなーいやだと感じたんだな」というように、そこに敏感になりすぎないことでこれらは収まってはいきますが。参考になるのは、いやだったときのご両親の感情がかなり高くて感情的になっている映像や記憶があると思うのでその整理じゃないかなーとは思います。無料相談はぜんぶに答えていないのですがすみません。気長にお待ちいただけるとありがたいです。http://www.acoreading.com
2016.06.06
時として、人生には、待たないとならないことがあるのです。待つ、ということは、消極的なことに思われがちだけれど、実は、安定をしている、という強さなのかもしれません。相手が遅い歩みの時に、待つことがあります。その時に、「こんなに遅いのは、いやだ」と関係を断ち切ることもできます。しかし待つこともあります。そして、時には、後ろを振り向いて、遅い相手を待つことがあります。けれども、時には、道の花を楽しむ待ち方もあります。時には、空を見上げる待ち方もあります。その時にその人は、とても不思議な空間を味わいます。花に空に向けて、透明な空気に向けて開いているのに、こんなにも開いているのに、一緒にいるのです。そうして、そのように、自分の道を楽しんで待っているときに、相手は自分のペースで来られるので、この散歩は楽しいものとなるでしょう。さて、皆さんが、待ちたい人を待ってあげられないのは、どうしたことでしょうか。怒鳴ってしまいます。もっと早くしてよ、とせかしてしまいます。用事があるのかもしれません。仕方がないときもあります。でもいつもいつもだとしたら、きっと、その人は、待ってもらったことがないのです。待ってもらった気持ちを、感じ取ったことがないのです。人生の行く道歩む時に、せかされてきたのです。せかしてしまう怖さは、愛ではありません。そして怖さは、複雑な関係をその二人にもたらしてしまいます。膠着をすることもあります。愛し合っているのに、片側で憎む関係であることもあります。良い顔をしていても、実は裏切ってしまうような関係になるかもしれません。待ってもらった安心感がないのであれば、胸に手を当て、待ってもらっている安心感をどこかで感じないとなりません。それは、焦りではなく、これをしていて大丈夫だ、という気持ちを持とうとする努力です。これでよいのだ、大丈夫だ、そこから道を探そうとするときに、焦っていた気持ちから離れられれば、その時に癒しは始まります。そうしてその人は、深い深い癒しの中で理解をします。親子の関係は、密着するのではなく、別々のことをしていても、お互いに愛が通う経験をできたのだ、ということを。待ってもらえなかったあなたが、もし、待ってあげられるならばその二人は、今まで経験をしたことのない深い愛情で結ばれることもあるでしょう。ーーーーーーーーhttp://www.acoreading.com
2016.06.06
質問がコメントに書かれておりました。自分なりの正義感で動いた後から「お節介だったかもしれない。放っておいた方が良かったのかもしれない。要らぬ事を言ったかもしれない。」等と思う事があります。いちいち思わなくて良いと言う解釈で良いのでしょうか?ーーーーーーーーーーーーーご相談者さん、このご質問では、ぜんぶ、相手に聞いているのではなくて、かもしれない、かもしれない、と思っておられますよね。つまりね、いつも推測で怖がっておられるんです。対人関係で、とても気にしすぎているところがおありです。あ、言っちゃったあ、そこから不安になるのね。それが癖なのね。でもまあいいかな、と思ってみてください。あるいは、なにか本当に起きていると思うのであれば、「ごめん、言っちゃって言いすぎた?」と聞いてみてもいいです。ほおってければ、ちゃんと時が流れが、何事もなくおさまります。あるいは聞けることができるのであれば、お互いの誤解が案外すんなり解けます。ほおっておいて、もし万が一、「こういうの、言われて嫌だったよ」と言われることがあれば「その人は」そう感じるんだな、と学べます。でもそれだって、誰にでもあてはまるものではないんです。他の人には、言ってあげたら、役に立つことなのかもしれませんね。^^推測をしてばかりの方々の場合、なにかあるとすぐに不安になることの自覚が必要です。そうして、多少何かあっても、大丈夫だと信じること、これが、お互いの欠点を許しあう心を開いた関係の基礎です。特に男性同士だと、それができないと、親友にはなれませんしね。それは、女性と男性との親友だって同じなのですから。http://www.acoreading.com
2016.06.06
わたしの中の正義につながれば、人はとても平安なのだと思います。 わたしの中の正義って、大げさな大義名分ではないと思います。とてもとても、小さなことです。 例えば、前を歩いている人が、ハンカチを落としたので、落としましたよ、みたいに駆け寄った、みたいな。 こんなことが自然にできて、そしてそこに何の思いもないとしたら、この状態は、すごい状態なのです。 ええ、誰でも、ハンカチぐらいなら、できるかもしれませんね、でも。それがすべての面でできている、としたらその人はあらゆる面で、豊かな状態なのです。 わたしが話しているのは、こころの状態だけの事ではありません。素直にいろんなことができるとしたら?あなたがしたかった方法を使ってそれがのびのびできるとしたら? 想像ができるでしょうか。そんな状態を。この仕事がいいな、と思ったら素直にしていて、これが違うな、と思ったら素直に直し、そして、ひっかかりなく、サクサクと進んでいる状態を。 でもそこに、いろんな尾ひれはひれの感じ取り方が邪魔をするから、人はとても苦しいんです。 ハンカチを拾う前に思っているとしたらどうでしょうか?「私だけが拾ってあげたりして、損をするんじゃ。。。利用されるんじゃ」「してもいいのかな、悪いのかな、、、」「そんなこと、普通の人はするのかしら」 ハンカチを拾った後に思うのであるとしたら、どうでしょうか?「今、評価をされたかしら?」「いい人と思われた、それとも変な人?」「みんなが、同じようにひろうかしら、私だけ違うんじゃないかしら?」 自分が自分の正義と豊かさにつながれなくなると、いつもなにをしても、不愉快ですよね。そして、なにかをしても不安です。本当にしたい正義を行わないことで、不安定です。そして判断がぶれぶれになって、人を批判をしていないとならないし。 わたしのなかの正義につながれなくなったのは、いつからですか。わたしのなかの豊かさにつながれなくなったのは、いつからでしょう。一体あなたは、何を諦め、なにをし、あるいは、しないようになったのでしょうね。 そしてそれを取り戻せますか、取り戻せるでしょうか。あるいは、取り戻したいでしょうか。 皆が取り戻したがっているのです。そして、自分が取り戻したいと思った時、取り戻す過程はもうすでに、始まっているのです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーートータルに、自分自身の在り方を探していくことで今抱えているさまざまな問題の解消を図ります。自分自身を見出す過程を応援しています。http://www.acoreading.com
2016.06.04
仕事のプレッシャーをはねのけるためには、不必要なことは、不必要、と言える勇気が必要です。さて、そこには、あなたが思い込んでいる「こういう事を言ったら、こうなってしまう」というプログラムを丁寧に見て行ってください。実際に、それを表現をした人は皆無だと自分は思っていてももう少しいろんなことを表現をできる人がいたり、している人もいるかもしれません。あなたの頭の中で、「絶対にこう従わないとダメになってしまう」という強い強い観念があり、そのために、今の現状のストレスから抜け出られないことが、よくあります。自分の潜在意識が変わって行けば、実際には、いろんなことをもっと早く表現をすればよいのだし、もっと表現をして大丈夫だし、自分の実力をだす場所と、出さなくて良い場所があってよいことに気付けたりもします。あなたは、自分を、思い込みによって、しかも、それが相当に強く、気づけないものによって、縛られてはいないでしょうか。覚えておいてください。それは当然大丈夫、受け入れてもらえると思って話をしている人は、それを改善する力を持っています。これは受け入れてもらえないだろう、と心配をしながらしている人は結局、相手に押されるか、無用な喧嘩になったりします。大丈夫、あれ、違った、でも大丈夫、というこころに向かうためには、何が必要ですか?それがあれば、どれだけ現状が変わるでしょう。ーーーーーーーーーーー色々ご自身が変わると、会社での状況が変わることがしばしばあります。これは興味深いと思います。ある国際的な組織、あるいは大きな会社で、ご自身のやり方は受け入れられないと信じていたとしても、そして理解者がいない、としても、何か自分の中に自信を持って、こことここはこれ、と言えるようになると周りとが従うようにはなっていくという例もありました。その人の潜在意識には、必ず答えがあります。 http://www.acoreading.com
2016.06.02
自分の欠点と引き寄せる法則欠点があるから、こんなだから、ダメ、と考えてしまう人には弊害が出てきます。一つには、自分が暗くなります。一つには、直そうとして、他の良いものを得ようという動きが少なくなります。一つには、欠点を指摘されると、良い動き方よりも、隠す方に意識がいきます。一つには、自信がなくなります。一つには、気にしなくてよい意見が気になって眠れなくなります。などなど。人の脳のなかから、「欠点が気になる」部分が消えたら楽なのに、とさえ思ってしまいます。能天気、とか、空気が分からない、ということではなくて関係のない心配事で、成長が阻まれている、ということがあります。それに、挙動不審の方々って、挙動不審だという心配で挙動不審になっていたりします。自意識の過剰な部分があると大変ですよね。ポジティブに考えるよりも、欠点があるから、これがあるからダメ、という考えがなければ、人はすぐにでも成功をおさめていくことができます。しかしそこには、欠点を考えていてどう役に立っていないのか、それを考えると、自分が安心をするから考えているだけの現状を知ったり、なにかほかの有益なことを実施をしていくことによる自己訓練も必要にはなるでしょう。自分にとって改善をしたらよいと思うこと、それが実現可能なものに焦点を絞り、ただ責めているだけの考え方は、それに惑わされずに、動いていくことはできますか?あるいは、欠点があってもよい、しかし成功をする方法を考える、というのは、非常に運命が変わっていきます。まず、必要な人が引き寄せられるので、そんな考え方も出来ます。例えば、いつもミスをするのであれば、いったんはミスをしないように注意をしても直らないのであれば、じゃあ、このミスはあってよいもの、として、その対策を練るのです。これは、考え方を変えていく方法で、いろんなことが、しやすくなっていきます。ミスを責めているのと、ミスがあっても成功をする考え方との違いは大きくて、結果、何年か経つと、自分の夢をかなえていることが多くなります。これは対人関係でも一緒で、こういう魅力がないとだめ、と思っていたものをこういう私がいて、その私でうまくいく、ということを、自然と受け入れている人々は自分の望んだ関係性を築いていたりします。しかし幼少期から、こうではないとダメ、だけれど、それは私にはない、と思っている方々は、うまくいかなかったり、こういうわたしじゃないと魅力がない、とそこばかり磨いている人も、なにか関係性が複雑になってしまうこともあります。ご自身にない部分はない部分として、輝いてみませんか?必ず運命は変わります。あなたに、新しい道が、表れてきますように、------------------自分の無意識のプログラムに気づき、それらを改善していきます。http://www.acoreading.com
2016.06.02
子どもたちのこころは、常にこう訴えていたりします。「お母さん、お願いだから、『これは皆から笑われる』『こんなのしてあなたは恥ずかしい子だ』『こんなのはダメ』」と言わないで。もっとお母さんを信じてよ、「お母さんはこれがよくないと思う」「お母さんは、こうしたほうがこれでいいと考えた」「私はあなたがこれをしていると、恥ずかしいと感じた」というように、お母さんの意見として言ってほしいんだ。そしたら、私たちはもっともっとお母さんを信頼するよそして、世界が怖いものじゃない、ちゃんと自分の理性で築けるものだと、分かるんだ。どうぞお母様自身が、率直になられますように。もし、ご自身が、自分の意見ではなく、世間、先生、お父さん、そのほかの意見として言っているとしたら、誰からそんな言い方を学んだのかを、感じてみましょう。世間が、こうだから、というときには、母様自身が自分を信じていないときで、意地にもなっているときで、お子さんはますます、こころに壁を作ったり、面倒になったり考えたくなくなりはするのです。「叱ると、あるいは脅かすと、一時的に言うことを聞く子、人の前では良い子になる子が育つ」が、「効果は長続きはしない」「親は叱って一時的に言うことを聞かせることに依存をするようになる」ということが心理学部門でも、研究されており、長い目で見ると、とても有効ではない手段ではあるのです。ーーーーーーーーーーーーーー子どもとの関係は、親御さんの無意識の会話や行動のパターンを理解することでかえることもできます。http://www.acoreading.com
2016.06.02
人と人との暖かい関係は、愛の基礎があればあるほど、うまく築きやすいです。家族で怒鳴り散らしている中に育てば、どうしても関係を築いても、そのようになりがちではあります。相手も、自分も、息苦しい中でしかし離れられずに、怒鳴っていかないとならない心境になったりします。一番である感覚が失われると、人は、浮気と言った問題に悩まされやすくなります。常に、誰かライバルがいるような気がしてしまったり、疑いすぎて関係を壊したり、あるいは、ライバルがいるとその途端に好きだと誤解をして相手に執着をしたり、しかし手に入って長くたつと、こんなやつ嫌いだ、もっといい人がいるのに、もっといい人がいたのに、と恨んだり、つまり、幸せが手に入るとくだらないし、入らないとそこに執着をするし、そんな課題を持っていたら、結局は、安心をして付き合いたい同志で無意識ではくっついていかなかったり、結局は、何が欲しいのかわからないままに頑張ったりしてしまいます。この、一番である感覚は、「自分が自分と一つである感覚」です。本来の一番である感覚があれば、人と比べたり、はする必要がないんです。面白いでしょう?自分が一番である感覚があれば、もう人と比べない、というのは。一番である感覚は、「ああ、わたしは一つで穏やかだ」という感覚そのものだからです。一番である感覚があれば、例えば、「太ってるねえ」とか、「●●が変だよね」と言われても、「なぜそんなことを言うの?」と落ち込んだり、食いつかないでいいです。というかえええブスなのぉ私、知らんかったわぁ~と落ち込んでも思っても、、すぐにもとにもどります。というのは、自分自身が満たされた感覚が、一つである感覚だからです。それがあれば、もう一番ではないと一番に感じない不足感から解放をされるからです。本当の誇り。そして誇りあるうえでの、望みをかなえる力。そんなものを、本当は皆が望んでいるように思います。失われてしまった、自分との一つである感覚は皆さんが幼少期に、持っていたもの、あるいは内面で持っているものです。一つである感覚がなくなると、一番ではない感覚がし、常に人と比較をしては、上がったり、下がったり気分の変動を経験をします。そんなふうに一つであれっば、、「太っているね」と言われたら、「うん、そうなの、まあダイエット中でね」と言ったように安心をしたまま、自分を認められる、そんなことができにくくなります。自分自身が本当に安心で安全である感覚が取り戻せないのです。自分自身が一つである感覚は、心地よさ、集中できると言った感覚で、幼少期、そうしたかったのに、そうしていたところへ、何か親が怒ったりしてあるいは気が散ったりして、その感覚から離れます。そして常に一つである感覚を取り戻そうと、「親が愛して抱きしめてくれたら」と願って相手のことばかり考えてしまうようになります。あるいは、いじけて、もう相手と関わらない、とといった感覚、これも、自分とは離れてしまった感覚です。それは、「誰かが愛してくれなかったから」生じたように思いますが、実は、「誰かが関心を示してくれないと思った時に、自分が自分から離れて戻り方がわからないから」生じています。このからくりに気づいている方々は、深い癒しに気が付いてもいます。自分が経験をしていれば、その用事を本当に一つである感覚に戻してあげると、記憶自体が変わります。これがセッションで、皆さんが、「あれ、こうとしか思えなかったのにこうなっている」と記憶の解釈が変わる時点です・このことは、多く、スピリチャルとして、語られては来ましたが、一つである感覚を味わっている人、これを深いレベルで理解をしている人々も増えてきました。自分自身を取り戻すこと、これが愛情の基礎になります。そしてこれは、会話ではなく、自分自身につながる経験を通してのみもたらされるものです。そしてここから離れさせてしまっている、数々の思い込みを整理することが潜在意識の整理になります。自分が集中をできて、心地よい感覚から離れてしまった感覚、これを分離感、と言います。一心になって何かをしているとき、なにかを忘れて没頭をしているとき、真っ白な空間がありますよね。純粋で、そして、いろいろな思いも抜けていて。それそのものが、貴方ではあるのです。でね、容易に人は分離をします。そうしてバランスを取ります。バランスを取れるようになるのがうーんと、えーっと、言葉が分からないです。でも、この、自分と一つである状態を示す言葉には、悟りがあるので、それを使えば、色々はなれては戻ることができるのが、自分と一致をしている状態、悟りであって、「分離をしない」のが、悟りではないです。自分自身を学ぶこと、それは、自分と一つである感覚を取り戻すとともに、すぐに苦しい感覚を持ってしまう自分自身を、どうしたらより楽なほうに、本来の自分に戻すかのパターンを学ぶということでもあるでしょう。 セッションで、「ああ、これかあ、本当に、、相手と関係なく、自分がここへ行くことができるんだ」と分かった瞬間があるので、、ここまで、問題を整理をしながら、成長をします。でもここが本当につかめてくると、いろんな問題がもう問題ではなくなります。自分の中での穏やかさと一つである感覚は、外側にもそれが現れます。詳しく説明できます。できますが、面倒でしないときが、スピリチャル。。詳しく話をするときが、ちょっと論理的な話になります。ーーーーーーーーー愛を受けることも、与えることも。 ACR AccessCode Reading自分の隠されている暗号にアクセスします。暗号は、一つであること、本来の自分自身の意味、そのものにつながる情報です。幼少期に離れた感覚と、そしてそこから繰り返している自分のパターン、どちらの方向に行けば、一番であると感じる感覚につながれるのかを探して行きます。ツイッター始めました。。。まだ、呟けません。こんなわたしを誰か叱ってください、、、、 @CathyAmano http://www.acoreading.com 本当に自分の意見を聞かれるということは人々は経験があるようで、ありません。ACRは、自分の本質が望んでいること、自分の意思で目指していること、それらを丁寧に聞いてもらえる場ではあると思います。
2016.06.02
40歳すぎの男性とお付き合いをしていると、たとえば、モテてきた男性なんかでは、「そろそろ結婚を」と思う人もいて、そういう人だと、今までは結婚を考えなかったのが、結婚を考えるようになっていたりしていることもよくあります。しかも、そういう人々は、家庭を持ちたがってもいるので、とてもいい夫になったりする方もいらっしゃいます。東山紀之さん、福山雅治さんなんが、そういうタイプです。そういった、40過ぎでご結婚を考える方々は、30代から長くお付き合いをした方々もおられますが、40代で自分が成熟をして、改めて恋愛をしてご結婚をされることも、とても多く見受けます。30代までで学んだことで、「どういう女性が自分と合うのか」というのが、よくわかっているからという面もあるでしょう。一方で、40代の男性とお付き合いをされている場合、その方が、とても安定をしている生活をしていたら、なかなか結婚をするのが難しい、という現状も見受けるのは、どうしたことでしょうか。特にこれは、ご家族と一緒に住んでいる男性に顕著なのかもしれません。寂しくもないし、困ってもない、という(女性からすれば)困った状態だからです。また、離婚歴があると、結婚生活は、楽しいことがたくさんあっても、現実的に調整をしなければならないことがあることも経験で知っていて、結婚を決意しにくい、あるいはしないと決めている場合もあるでしょう。この、現状がいいから、いいやぁ、というのは、言葉には現れない、自覚していない方もいて、だから、「真剣に結婚をしたい」と思っていたり、おっしゃる方もいます。ですが、行動を見ると、その人の気が付かない考え方と言うのはわかるものなので、結婚にポジティブなことをおっしゃっていても、腰が引けていたり、どこかで相手を嫌になることを繰り返したり、行動は別の行動をしているのであれば、お付き合いをしても、結婚の話がでるとどんどんと時間が伸びていくというような感じがあります。ただし、2度目のご結婚であれば、前に学んだことがそれなりにあり、例えば、「ああ、仕事ばかりで家庭を顧みなかったなー」など反省をしているのであれば、とても家事を手伝ったりする、良い夫であることもあるでしょう。お人柄を見れば、そういうことは大体わかるでしょう。もちろん、寂しがり屋の人だと、離婚や結婚を繰り返す人もいますがそういう方だと問題が起きたとき、自分を見直す傾向よりも相手を責める傾向があるため、面倒ではあるし、ちょっと危険人物かなーと思いますから判断は冷静になさったほうがよいでしょう。人と言うのは成熟をしていくこともあり、20代には20代の。それ以降にはそれ以降の、素敵なお二人のあり方は、あると思います。なので、その年齢ごとに、豊かな関係であってください。いずれにしろ、飴と鞭、ではありませんが、優しさと強さが双方有ると、良い結果が出やすいようです。飴と鞭が恋愛で逆転していて、結婚の話がでないと、感情的になってしまうなどして、後から怖くなって、良いことをしようとしすぎてしまう、というのは、下手な方法です。これは、ご自身が、自分の中に価値が探せていない、という課題があります。逆になあなあにならない強さがないで、飴ばかり与えている人は、人として尊重をされないことがあったり、なにか利用をされているような、変な関係を築きやすいこともあるでしょう。それに、意見がないかただと、なにか頼りにならないことも男性は見抜いてしまいます。 こちらは、対人関係で、安定をした愛情を学んでいない課題があります。男性だけにそうなる方もおられるし、人全般になられる方もいて、それぞれ、父親との関係(今は良くても、母親と父親を見ておなじように反応をしやすい部分)自分の中にある対人関係での怖さや、信頼できない自分自身への不信感などの、課題を整理するとよいでしょう。ご自身の中でバランスを取ることは、どんな関係でも良い結果をもたらして行きます。http://www.acoreading.comーーーーーーーー頂いたセッションの感想です。通常、人は、「残している気持ち」に非常に執着をします。つまり、言い方を変えれば、残している気持ちがあると、おなじ気もちを感じて、すごく意地になります。それと、愛と言うものに誤解があるのですが、愛は、嫌いの中にも隠れていますし、逆に、嫌い、という感覚を止めている方々は、充分な愛情を感じることができなくなります。そのため、表面上の何かにとどまっていることもあり、本来の自分の、生きているエネルギーとつながることができなくなるのです。この方の異性との関係で起きていたことは、あるいはお仕事で起きていることは、なにかを押し付ける意見を言ってしまう、ということでした。その根底にある不安感は、その人を好きになりそうになると居心地が悪くなって、何かにこだわって、意見を言い続けるようなところがあります。根底にある不安感を取れば、その人の中で相当に変わった感覚が出てくることもあったりあるいは、自分を操っているものの正体に気付けたりします。ACRというカウンセリング方法では、単なる理解ではなく、そういった理解も引き出しながらこころの中に隠れている感じ取れない気持ちを感じ取ることで、物事の整理をしていきます。それは空想、イメージングによって創り出すのではなく、自然とわいてくる過程を、身体の感覚や、得られたはずだった感情の受容という方法で導き出す技術を使います。なお、潜在意識の査定には、キネシオロジーと呼ばれる筋反射を用います。この筋反射は、現在、さまざまな分野で使われています。ご本人から掲載の許可をいただいております。なお、掲載の許可をいただいている体験談は多々ありますがなかなか載せられずにすみません。しかし皆さんのご協力に励まされるばかりです。ーーーーーーーーーー昨日はセッションありがとうございました。あまりに衝撃が大きかったので、おもわずメールを書いています。 2歳の私と当時の父との関係で本当に望んでいた事は、大嫌いだと思っていた父親に愛情を示したかった、という今まで感じたことがない気持ちでした。それが深く感じられて、全身が温かいものに包まれて涙が自然と出てとまりませんでした。これが安心感なのかな?受け止めてもらえたという感覚なのかな?と。 そして、わかったんです。「私はこれだけ父の事を大好きだったのに、つたえることを怖くてやめてしまった。その苦しみだったんだ」と。不思議なことに、わたしは、父を好きでいると、実現をすると、父親を傷つける、という誤解があったのでした。それに気が付けました。自分が少しわかった気がしてとても嬉しくご報告させていただきました。ーーーーーーーーーーありがとうございます。自分につながること、これがすべて、答えなのだと思います。そして、幸福感は、さまざまな幸福をもたらしてはくれます。なお、このかたの例でわかるように、本来の苦しみは、相手が何かをしてくれないから、ではなく自分の中に失われた感覚があるからで、それを取り戻すことは、非常に重要なことではあるのです。
2016.06.02
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