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昨日、金巻芳俊木彫展「相対アンビバレンス」@FUMA Contemporary Tokyo、行ってきました。 「アンビバレント」という言葉を知ったのは、十代の学生の頃でした。あのときは、頭で覚える類いの言葉と受け止めていましたが、その後カウンセラーとして修行するうちに、もっとパーソナルで感覚的な“現象”なのだと体で理解するようになりました。 金巻さんの作品は、まさに個展のタイトル通り、アンビバレントな現象を彫刻によって、シンボリックだったり、カリカチュアライズしたり、あるいはメタファとして表現しているわけですが、とにかく、気色が悪い。 ここで誤解されてはいけなのですが、とにかくこれは、表現されたモノに対する感想では断じてなく(というのも、それが表現されたものに対する感想の前提として作品が作られていると推察すれば、単に「見た目が気色悪い」、というのは、制作意図に反する「反復された感想」に過ぎないからです)、観る者が抱く感覚として、己の中の違和感、つまり気色の悪さへの心当たりに辿り着く衝撃的な刺激がそこにあるわけです。 残像のように彫り出される人物は、ゆらぎ、痙攣、ブレ、それも身体でなくちょっと前でいうアイデンティティや主体そのものの「覚束なさ」を惹起せずにおかないのです。 これを、造形的にただ面白い、と思い、その技巧に感嘆するのも素晴らしいのですが、そこに自身を投影してみて、自己がいかに絶妙なバランスの上に立脚しているか/立脚できていないか、にハッとさせられる、というのが「正しい味わい方」ではないでしょうか。 ちなみに私は毎年、その年の過ごし方のテーマを設定している訳ですが、2011年は「死との舞踏」がテーマでした。これは、12世紀西洋で好まれた主題「死の舞踏」に範を採り、逆説的に、命一杯愉しむことを掲げたわけですが、要は、いつも西洋世界でリバイバルするメメント・モリのことなんです。で、一つ、特に気になった作品がありまして…あとで入り口の作品集を見てニヤリ。なるほど、そういうタイトルだったか!!道理で!!(了)追)掌モチーフのサインの刻印が、ひそかにワンポイントで可愛らしかったです(w)。FUMA Contemporary Tokyo 〒104-0042 東京都中央区入船1-3-9長崎ビ ル9F2011年10月14日 11:00 - 10月29日 18:30 ◎巡回展 2011/12/10(土)-2012/1/15(日) 台湾・台北/Elsa Art Gallery
2011/10/21
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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(43) ローマ世界の終焉(下)(新潮文庫)読破ゲージ:読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************西ローマ帝国の歴史に幕を引いたオドアケル。誰も皇帝に就けず、自分も皇帝にならず。ただし、時の東ローマ皇帝ゼノに“宰相の意味を含む”パトリキウス(貴族)の称号承認要請。なぜなら、他の蛮族出身リーダーと違い部族を率いていないオドアケル、傀儡を通じた権力者になるには、一匹狼ではいられなかったから。 この要請にゼノ、完全に曖昧な態度。ゼノ、国内紛争で帝位を追われ、ようやく復位した年でもあったため。やはり、東ローマ帝国、もはや西に愛想を尽かしたのだ。業を煮やしたオドアケル、ネポス排除し、あくまで「イタリア王」になることを決意。さて、“滅亡した帝国”に放置された諸州。ブリタニア、ケルト系ブリタニア人が定住。「イングランド」の時代に。ここに、アーサー王伝説のルーツあり。ガリア、フランク族の治める「フランス」の時代へ。さらに、クロードヴィック王が改宗してカトリックの国へ。ヒスパニア、複雑な地の利を生かして蛮族の侵攻なき時代へ。北アフリカ、ヴァンダル族の支配の苦杯以降、民族浄化と難民の地に。世は、「パクス・バルバリカ=蛮族による平和」を求める時代になっていた。ゲルマン人オドアケル、既存のシステムを温存することで、反目しあう教会勢力を御し、都市計画も、行政組織も旧態を保護。当然、ネックとなる元老院階級の掌握も抜かりなし。その成果は、17年間のイタリア支配に結実。ただし、カトリック派とアリウス派のにらみ合いの下、「同化」不可能、よくて「共生」では、17年が限界であったのだ。一方で、東ゴート族、新たなるリーダーを得ていた。名をテオドリック。ゼノの帝位奪回に助力し、はや二十歳で、父が果たせなかった「同盟者」以上、つまり帝国の「貴族」に就任。東ローマ帝国の、有力な忠臣にまで上り詰める。公式な立場を留保してきたオドアケルを討伐するというテオドリックの提案にゼノ、ゴーサイン。テオドリック三戦三勝。有能なリーダーぶりを実証し続ける。膨れ上がった軍勢を抱えて巧みに戦略転換。一転、イタリア全土の共同統治を持ちかけオドアケルと講和。その下の根も乾かぬうちにオドアケルを殺害。心に野望を秘めた気鋭のリーダー、ここから、東ゴート王国支配をスタートする。その治世、実に33年。基本路線はオドアケルを継承。つまり、政策は温存。さらに、東ローマ帝国との関係は、刺激せずに良好な状態維持に徹底。パクス・バルバリカの下での敗者、つまりローマ人を伝えるカシオドロス。高学歴・上流階級出身。テオドリックに送った“ファンレター”で、貴族に抜擢。以降、貴族に加えられ、その治世でありとあらゆる要職を歴任。その手腕は主に、テオドリックの敏腕スポークスマンとしての活躍。同時代人に後の聖人ベネディクトゥス。それまでの、瞑想オンリーの世界に労働を持ち込み、後の修道院のモデルを作る。テオドリックの統治は、内容のならずそのプレゼンも巧みだったことが長命の要因に。事実、オドアケル+テオドリックで、荒廃し放題の、かつての西ローマ帝国は半世紀の平和を得ることに。国も豊かになった。平和こそが、究極のインフラストラクチャーとは筆者の弁。スティリコ源流の「三分の一システム(筆者命名)」。ローマの同盟者となった蛮族の定住地に住むローマ人は、所有する資産(つまり農地)の三分の一を蛮族に分与。その代わり、ローマ人は、いやいや傭兵料を払わず、侵攻する蛮族への防衛要員を得る仕組みも健在だった。敵方たる東ローマ帝国の官僚で、カトリック教徒でもあったプロコピウスですら「東ローマ帝国から与えられた称号は専制君主(王)でも、やったことなら皇帝同等」と讃えた。晩年は、宿老・ボエティウスが、イタリア進攻を企てたというアルビヌスの陰謀を弁護するなど、煮え湯を飲まされる思いもしつつ、惜しまれて、七十二年の生涯を閉じる。加えて、息子のなかったテオドリック、後継者は孫のアタラリック、実権は娘のアマラスンタ。サポートにカシオドロス。東ローマ帝国、その時代はユスティヌス皇帝から、その甥、後の大帝・ユスティニアヌスの時代へ。軍務経験ゼロ、政務経験ゼロ。コンスタンティノープルに引きこもりっぱなしながら、重要な案件への決断はいつも的確、という不思議ちゃん。コンスタンティヌス、テオドシウスと並んで、史上三人だけの大帝の一人となる。その功績は、何といっても『ローマ法大全』の編纂。後代の近代国家の法律の範となる大業なれど、これまたなぜこの無教養な男がなし得たのか、歴史の不思議也。女性のリーダーを望まぬゴート族の反発を抑えるため、テオダトゥスと再婚したアラマスンタ、夫を最後まで信用できずに東ローマ帝国皇帝に接近。これに、ゴート族重臣が憤慨、カシオドロスの対応も空しく、これが東ローマ帝国のイタリア進攻への口実を与える結果に。皇帝ユスティニアヌスの傍に、東ローマ帝国史上最高の将軍・ベリサリウスあり。ところで、セレブ志向のオリエント色が濃くなる東ローマ帝国=ビザンチン帝国で、“一応、お嬢様”ならいくらでもいた社会で、暴徒に囲まれてパニくった皇帝を叱り飛ばし、“王者の振る舞い”を思い出させた踊り子・テオドラを妻とし、添い遂げた皇帝と、時には一隊を率いて夫の援護射撃すら行う生まれも低い子連れの未亡人・アントニアを妻としたベリサリウス。アントニア、水不足の際も、夫に内緒で船底に積み込んだ水の壷で兵士を救うなど内助の功。それぞれ、妻も偉かった。コンスタンティヌスの業績の今ひとつは、西ローマ帝国の旧支配地奪回。小競り合ったペルシアと講和を結び、ヴァンダル族がのさばる北アフリカ王国打倒を敢行。もちろん、率いるはベリサリウス。まさかの食料腐敗に悩まされるも、500隻の大船団を率い、略奪を禁じて士気を高めたその威風堂々たる姿に、都市も港も門を開く。無血開城で本拠地はカルタゴに到達。百年を夢の中で過ごしたヴァンダル王国、ここに壊滅。次なる目標は東ゴートの支配するイタリア半島の奪回。ベリサリウス、またも出陣。しかし、イタリアは賢明なる王たちによって、平和を享受していたから、あえて“寝た子を起こす”様な形に。やがて、ローマ人の間で、ビザンチン軍が迷惑な存在に。軍務経験ない皇帝に振り回され、ベリサリウスも、援助要請。送られたのは、異色の宦官将軍・ナルセス。官僚的でなく、私腹も肥やさず、陰謀も巡らさない。あらゆる問題も決着してみせる、ミスター・解決。信頼も厚い、デキる宦官を送られて、その指揮下に入るを潔しとせず。時間と兵力を空費し、ナルセス召還。これで、ようやく奮い立ったベリサリウス猛攻開始、牙城ラヴェンナ落城。が、その功績で、今度はペルシア攻略にまわされる。危惧した通り、ベリサリウスが去った、まだ平定ならぬイタリア半島で、ゴート軍が再起。やっぱりゴートの支配でオッケー。そう思われても仕方なし。この感情を利用してゴート王、トティラ。清廉と寛容を旗印に、待遇に不満を持つビザンチン側の駐留軍をも迎え入れ、聖ペテロ教会に参拝すらして、テオドリック時代の「共生」路線に戻ることを宣誓したが、事態を重く見た皇帝に呼び戻されたベリサリウスが、疲弊し切った、食料も兵士もない軍団を率いて向かってきた時には、豹変し、「支配者」と「被支配者」のけじめとばかり、ローマに残る元老院議員およびその家族全員を捕虜に。ここに、建国以来続いてきたローマ元老院、壊滅。過ぎること17年。一向に決着しない闘いに、ユスティニアヌス、ベリサリウスを閑職に追いやって、ふたたびナルセスを立てて事態の収拾に乗り出す。御歳七十歳、ますます知力は冴え渡るナルセス、軍人ベリサリウスとの違いは、準備にあり。ロンゴバルド族を雇い、ゴート族を野戦に誘い出し、とにかくトップを叩いて一気に決着に持っていく戦略。本来、ローマ軍が得意とした作戦。連勝に驕るトティラの心理を突いて会戦に誘い出したが、一週間も偽った宣戦布告に先手を打たれる。しかしロンゴバルド族の奮闘もあって、ティトラ戦死。見事勝利を得るナルセス。が、このロンゴバルド族こそが、次にイタリアに居座る蛮族となろうとは流石のナルセスの想像も及ばず。東ゴート王国最後の王・ティアを討死させて、アルプスの北への退去を命じると、ゴート兵の多くはこれに従う。功績あったナルセス、ついに「皇帝代官」となって、イタリア統治へ。ゴート戦役に費やした費用を回収したいユスティニアヌスの意を汲んで、戦役の英雄、一転して“重税取り立て代官”に。以降、ナルセスの圧政、15年に及ぶ。寂しいベリサリウス、ブルガリ族相手に人生最後の戦働き。「皇帝ユスティニアヌス死す」の虚報に、思わず公然とユスティニアヌス批判。どっこい皇帝は生きていた。それが、陰謀と見られて入牢させられるも、最後は赦されて自由と資産を取り戻す。しかし、その数ヶ月後、ベリサリウス、逝去。追うように、ユスティニアヌスも逝く。ナルセスもまた。甥のユスティヌス二世が即位。その最初の言葉が「金がない。だから、軍事力もない」。ゴート戦役の後だから仕方のない話でもあるが、もはや英雄なき東ローマ帝国に、ロンゴバルド族が侵攻開始しても、なす術がなかったのだ。その支配は、ゴート族のそれとは違い苛烈を極める。紀元六一三年、マホメッド、布教開始。イスラム勢が力をつけて、ビザンチン帝国の領土を瞬く間に削る。地中海の北側を残して皆イスラム化。この版図のまま、中世まで時は過ぎる。地中海は、もはや「マーレ・インテルヌム=内海」ではなく、境界の海に変わっていた。ローマ世界は、実に、地中海が「内海」でなくなったときに、消滅したと筆者。これにて、ローマ人の物語はお終い。読者は、ここに帝国を看取り、見送った。(完)【送料無料】ローマ人の物語(43)
2011/10/11
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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(42) ローマ世界の終焉(中)(新潮文庫)読破ゲージ:読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************フン族が不穏。筆者によれば、フン族の恐ろしさは五つの「無」から来ると。1:目的なし、目的地なし。2:家をもつことに関心なし。3:法律なし。4:家族の守り神なし。5:明日の食を確保する考えなし。強力なリーダーさえ得れば、資産蓄財に興味なく、家族の概念もない臨機応変の軍団が容赦なくノーガード戦法で襲ってくる。そして、強力なリーダーを得た。その名もアッティラ。青少年期をフン族の中で過ごした帝国の軍総司令官アエティウス、代償を払って協定関係にあったため、しばしばフン族に兵士の借用を依頼していたようだが、アッティラが起って様子は変わる。突如としてローマ帝国に矛先を向け、怒涛の侵攻を開始。ただ進軍するのではなく、奪い、破壊し、焼き払って進む。アッティラの後に犬の鳴き声すらしないという。蛮行を繰り返しながらついに、アッティラ、コンスタンティノープルから百キロ地点に到達。恐喝開始。法外な要求に、もはや飾り立てるだけの皇帝になっていたテオドシウス二世はなす術もなく、条件すべてを呑んで同盟者協定を受け入れるしかなかった。首長になって五年、このままの勢いならアッティラの手によって、いち早く滅亡していたかも知れなかった東ローマ帝国。しかし、テオドシウス二世の死によって、一変。子がなかったテオドシウス二世のあとは、先帝アルカディウスの娘プルケリアとの結婚で神意をクリアした軍人皇帝マルキアヌス起つ。老いて盛んな軍人皇帝、フン族との協約を破棄して、フン族掃討に血道を上げる。アッティラ、ピンチ。そこに、まさかの朗報が西方よりあり。重たい母、ガッラ・プアチディアの死により開放された娘・ホノリア、自分と結婚すれば西ローマ帝国の領土の半分をあげる、とアッティラに提案。姉の行動に驚いたのは、皇帝ヴァレンティニアヌス。姉を監禁処分にするも、もはや手遅れ。西ローマ帝国に向うアッティラに、アエティウスが立ち向かう、シャンパーニュの会戦。西ゴート族の族長、老将・テオドリック、討死するほどの奮迅で、アッティラ率いるフン族を辛くも破る。これで落ち着くかと思いきや、ホノリアとの結婚履行を名目に押し寄せるアッティラ、北イタリアを、半年にわたり略奪し放題。これにローマが動いた。といっても、要は金を払って帰っていただく、という手段のみ。ここに伝説生まれる。聖ペテロと聖パウロが助太刀に来て、司教レオがアッティラに神の功徳を説くと、アッティラは感動してイタリアから去った、と。この時期には司教=法皇、レオ一世を飾る名エピソード。翌年、アッティラ、突然死。フン族は後継者争いを始め、内部分裂、雲散霧消。フン族、十年に満たない天下。ようやく真の平穏が訪れたかと思いきや、還暦アエティウス、息子の嫁に、皇帝の娘を要求。これに、ヴァレンティニアヌスはキレた。その場でアエティウス、皇帝に刺殺される。翌年、閲兵中の皇帝ヴァレンティニアヌス、隊列を離れて突進してきた兵士に殺される。下手人は、アエティウス子飼いの兵士。息子がなかったヴァレンティニアヌスのあとは、“律義者”ペトロニウス・マクシムスが皇帝に選出される。アントニヌス・ピウス似と言われたマクシムス、帝国が安定していれば、名君になれたものを。フン族去って、ヴァンダル族現る。制海権を奪われ、地中海でも「パクス・ロマーナ」を失う。ヴァンダル族もまた、とんでもないリーダーを得ていた。有力、強力、長命なるゲンセリック。十万人を、スペインから来たアフリカに連れてきただけでも、そのカリスマ性は推し量れる。マクシムス即位から二ヶ月、ゲンセリック率いるヴァンダル族、オスティア上陸。牽制球たるアッティラもフン族もなく、アエティウスもいない西ローマ帝国に、容赦なきゲンセリックによる、史上二度目の「ローマの劫掠」始まる。軍事力なき皇帝がいかに無力か。二十万の市民がありながら、抵抗もせずに怯えるばかり。必死に鎮める皇帝マクシムス、恐怖に駆られた市民に殺される。ここで、ローマの司教が動く。もはや法皇と呼ぶにふさわしいレオが、アッティラ回心の伝説夜再びとばかり、ゲンセリックとの交渉に乗り出す。といって、キリスト教徒と教会には手を出さないことをルールに、劫掠を同意したようなもの。マクシムス以降、最後の二十年、西ローマ帝国は、動揺の中で、実に、数年ずつの治世を任された皇帝が次々とすげ変わる悪あがきの体。その数、9名。中でも、皇帝マヨリアヌスは、強硬路線の皇帝。ない袖を振っても、北アフリカに出来上がったヴァンダル王国とゲンセリックを許せず。筆者曰く、マキャヴェッリですら合格点を出すに違いないというゲンセリック、無理に無理を重ねて編成した討伐軍の船団に火を放ち、瞬く間に皇帝の彼岸と、帝国の国庫を完膚なきまでに無に帰してみせる。こんな時期、無理をして結果が出せない皇帝など、何らかの理由で殺される。そして新たな傀儡が生まれる。その繰り返し、いや積み重ねで、着実に帝国は滅亡一直線。それでも、最後にひと花火ならば上がった。私腹肥やしの名人にしてフィクサー・リキメロスのお膳立てで、互いの不足を補い合う、利害のみでつながった夢の競演、帝国最後の東西共闘で、北アフリカのヴァンダル族討伐へ。この時期にあっては、まさにコラボレーションによってしか実現できなかったであろう、それなりの軍勢が、ゲンセリックを目指す。が、そこはゲンセリック。人を見る目も鋭かった。せっかくの大軍を率いる、皇帝レオの義弟バジリスコス、虚栄心の塊。この愚かな総司令官が、ゲンセリックの目に留まった。手紙で巧みに交渉を匂わせ、時間稼ぎをしながら艦隊をカルタゴ湾内に引き入れると、またも身動きの取れぬ船団に火を放って、壊し、奪い、殺す。総司令官、逃亡。陸路で合流する予定のマルケリヌス軍も巻き込まれて壊滅、ヘラクリウス軍は撤退。ここに、東西共闘大作戦、あっけなく幕切れ。東西、それぞれに失ったものは計り知れず。領土のほとんど失った西ローマ帝国は、東ローマ帝国からも見捨てられ最後の混乱に突入。フィクサーにして実力者となったリキメロスと、滅亡前夜の皇帝アンティウスの関係悪化。武力衝突の果てに、血塗られた代表の交代劇。見かねた東ローマ帝国がユリウス・ネポス将軍を皇帝として派遣する意向も、反東ローマ帝国の頭目・オレステス従わず。かといって、オレステスに西ローマ帝国復権の意思がある訳でもなく、ただ権力者になりたかっただけ。息子ロムルスを皇位に就け、アウグストゥスと称させたことで、東からの皇帝ネポスと、帝位のダブル・ブッキング状態に。が、異議は東ローマ帝国でなく、北イタリアから上がった。労働条件改善要求を退けられたのに似た形で起こった蛮族からのデモに似て、リーダー・オドアケルを立てて武力闘争に。二度の敗北でオレステス、討死。ロムルス・アウグストゥスも退位。オドアケルの採った道は…誰をも皇帝に就けないという方策。度重なる皇帝交代劇の果てに、誰一人皇帝を立てようとする者もなく、自ら起とうとする者もついにはいなくなって、見棄てられるようにして静かに、西ローマ帝国は滅亡。紀元四七六年のことである。いまだ東ローマ帝国は存命も、その首都はコンスタンティノープルである。ローマという都市なくしてローマ帝国はあり得ない。ゆえに、真の意味でのローマ帝国はここに、「偉大なる瞬間」なる感慨もなく、誰にも気付かれずに、滅亡したのである。(了)【送料無料】ローマ人の物語(42)
2011/10/11
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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(42) ローマ世界の終焉(中)(新潮文庫)読破ゲージ:読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************「ローマの劫掠」その後。皇帝ホノリウスによる西ローマ帝国全域の総督および軍指揮官、法務官あての手紙。内容は「もはや帝国は、カネも軍事力もないので、守ってあげられません。各自自分で自分を守るように」。安全保障を放棄したことで、事実上、「帝国」は崩壊。覇権国の責務は、当事者によって投げ棄てられた。それを横目に進む蛮族化。かつての「防衛線(リメス)」は、荒れるがまま、荒らされるがまま。フン族の台頭に押し出されたヴァンダル、フランク、スヴェビ族らが帝国の版図を縮小し続ける。唯一の希望の星、武将・コンスタンティウスに軍司令官を任せ、ガリア同士の共食いをバックに、アタウルフ率いる西ゴート族の同盟協定を蹴って、皇妹との結婚も承認せず。西ゴート族もついには、アタウルフを殺して差し出すことで、死に体の帝国との関係改善を図る以外、立場を守る道はなかった。アタウルフから返されたガッラ・プラチディアとコンスタンティウスが結婚。バルカン生まれの貧農の子は、皇族に名を連ね、共同皇帝にまで出世。しかし八ヶ月で病死。スケールの小さい便利な共同皇帝に死なれたホノリウス、またも動転。妹と共同皇帝の間に生まれた次期皇位継承者ヴァレンティニアヌスに手をかけようとするが、妹は子を連れてコンスタンティノープルに逃げ延びていた。つまりは、西ローマ帝国の一族の内紛を、東ローマ帝国に助けを求めたことに。間もなく、ホノリウス死去。東ローマ帝国に恩に着せられるまでもなく、無事帝都に戻り、ヴァレンティニアヌス、皇帝に。しかし皇帝は弱冠四歳。摂政にガッラ・プラチディア。一方東ローマ帝国は、着々とオリエントの専制君主国化が進行。ローマ的な気骨はどこへやら、飾り立てた宮殿に、実用性のない装飾的な武具をつけた護衛兵が並ぶ。ホノリウスの実兄・アルカディア帝の治世は、事実上、“将軍の娘”皇后エウドシアの手に。アルカディアの死後は、狂信的なカトリック信者の姉・プルケリアを背後に、先帝の実子・テオドシウス二世の治世。これで、東西ローマ帝国は、女性が事実上の権力者の時代に。ただし、「インペラトール」の存在意義たる国家防衛、つまり軍事面での職務については、女性の権力者においては、司令官を巧みに使いこなすことが必須となる。ガッラ・プラチディアには、ボニファティウスとアエティウスの両将軍あり。いま、まさに怒涛の如く押し寄せる蛮族相手に、西ローマ帝国を守り抜くことができるのか。幸い、二人の良将を得て、その摂政ぶりは好調に滑り出したかに見えたのも束の間、勇将並び立たず。ボニファティウスとアエティウスを、並び立たせることができなかった。ボニファティウス、ドナティストの影響力強い北アフリカを巧みに統治したことで、かえってアフリカの独立分離の叛意ありと噂される羽目に。噂を信じたガッラ・プラチディア、ボニファティウスに、尋問なしの召還命令。これに逆に猜疑心を抱いたボニファティウスが従わなければ、すぐさま討伐軍を送り込む軽挙。戦上手のボニファティウスに討伐軍、あっけなく撃退される。さらに兵力増強に、ヴァンダル族への兵士の借用依頼。ところが、これがヴァンダル族には渡りに船。老獪な族長・ゲンセリック、北アフリカへの定住の口実とばかりに、全部族でアフリカ入り。結果として、アフリカまで北方蛮族の侵攻を許す形に。焦っても時既に遅し。やり手でも、クールさがなかった、とは筆者のボニファティウス評。要は詰めが甘かった。ヴァンダル族の前進阻止の攻防戦に十四ヶ月の代償。戦略上重要な海港都市ヒッポ・レジウスに、後の教父にして聖人、アウグスティヌスが立てこもって、熱弁を振るっていた。守備に失敗したボニファティウス、許されて再び軍司令官に。その裏には、ガリア相手に活躍するも、皇宮と距離を置きたがるアエティウスへの猜疑心から、アエティウスの牽制用カードに、というガッラ・プラチディアの浅慮が。こうして、西ローマ帝国の軍事面の両輪は、互いに相争う間柄に。紀元四三ニ年、アルプスを越えてイタリアに入ってきたアエティウスと、迎えるボニファティウスが衝突。長期戦をしたくない両軍、アエティウスの提案で大将同士の一騎打ちで決着することに。密かに、槍を長くしておいたアエティウスが、ボニファティウスを刺殺。ボニファティウス軍の兵士を吸収しながらガッラ・プラチディアの前に向ったアエティスス、またも策略を弄して、ガッラ・プラチディアと少年皇帝の前に膝を折って謝罪。まんまと許しまで得て、軍総司令官の座を手にする。その気になれば、皇帝の座を力づくで奪うことができたアエティウスの世渡り上手、その真意は、帝位を奪って東ローマ帝国がどう動くか読めなかったからに過ぎず。まずは地位を得て、野望実現のプランニング。北アフリカに侵攻したその後のヴァンダル族の攻略は苛烈を極め、大量の難民を生んだ。肥沃だった「ローマの穀倉」北アフリカは、もはや、農耕民族ではないヴァンダル族の手によって、征服者を養うだけの土地に変貌。この間も、西ローマ帝国はコンスタンティノープルに援助を求めるが、もはや東側に関心はない。ついに、講和によって、西ローマ帝国は、六百年ぶりに北アフリカを手放す。(つづく)【送料無料】ローマ人の物語(42)
2011/10/11
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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(41) ローマ世界の終焉(上)(新潮文庫)読破ゲージ:読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************が、である。二度まで敗走させたアラリックと交渉を図ったのは、アラリックが有能であったからで、ガリアの蛮族制圧に向わせるため、つまり「毒をもって毒を制す」の策。軍司令官に戻し、おまけにアラリックが要求する大金も支払う取り決め。これが命取りになる。議決を求めた元老院からは、蛮族が蛮族に国を与え、追い銭まで払うのか、と紛糾に遭い、スティリコ孤立。糟糠の妻、先帝の姪・セレーナからも遠ざけられ、異端と組むとはもってのほかとする熱狂的なカトリックも後押しして、反スティリコの機運が加速。指示と信頼を寄せてくれたローマの兵士からも売国奴呼ばわり。その間、東ローマ帝国皇帝アルカディウス死去。無為の三十一年。同じく無為な弟皇帝ホノリウス、珍しくやる気を見せた。兄の子を助けに東へ行く、と。要は、幼い甥っ子を傀儡にする稚拙な下心。これに、このタイミングでスティリコが反対した。長いこと時期を見計らっていた反スティリコ勢力を構成する皇宮官僚、一気に牙を剥く。謀略。元奴隷の宦官オリンピウスの段取りで、まずは基地訪問の名目を立て、ホノリウスの眼前でスティリコ派を一掃。血の粛清。二百キロ離れた地で、この報をスティリコは受け取る。万事休し、あな口惜しや。どこまでもついていくから起ってくれ。スティリコについて生死をともにしてきた兵士が懇願するも、スティリコはそれを退ける。それをしたら、自分はローマ人でなくなってしまう。蛮族出身でも、ローマのために、ローマ人として死ぬ。それが、スティリコのスティルス=スタイル。最後の賭け、この悲惨な茶番劇の筋をホノリウス自身が書いたとは思えぬスティリコ、皇帝への直談判を決意するも、面会謝絶。現れたのはオリンピウス。死刑宣告を読み上げる。罪状は、蛮族と共謀して帝国打倒を謀った国家反逆罪。その罪に弁護はできない。即刻死刑が決まりごと。無念、スティリコ斬首。教会からは、最悪の「記録抹消刑(ダムナーティオ・メモリアエ)」。スティリコ亡きローマ軍総司令官にオリンピウスが任命される。残ったスティリコ派の兵士たちは、一人残らず基地から退去。ホノリウスは、スティリコ派が擁立しかねないスティリコの子らも殺させていたから、誰も起てない、起たない。動き出したのはただ一人、アラリック。オリンピウスよりはマシと頼ってきた元スティリコ軍の兵士を加え、三万ではあるが、弱卒相手には十分也。スティリコなければ、怖いものなし、取り決めもなし。長期戦を覚悟せねばならない攻略・占領は完全に捨てて、ともかく帝国の主要都市で強奪のみを繰り返す。目的はただひとつ、皇帝の恐喝。ハンニバル以来、六ニ十年ぶりに、ローマの城壁は敵に迫られた。アラリックの、包囲戦を捨てた城門封鎖のみで、たった三万の兵士の前に、三十万の市民が動転した。結局、スティリコが提案したよりも何倍も大きな“身代金”を脅し取られ、おまけに立ち去らず引き揚げただけ。恐喝は続く。前回の支払いは封鎖解除代、今度は平和の代償を要求。地位とカネ。イコール、イタリアから北ドナウ河にかけて、アラリックと西ゴート族による独立王国を認可するに等しく。パニックを起こしたホノリウスは、“忠臣”オリンピウスを今さら処刑。結果に影響なく。結論を出せないローマ帝国に痺れを切らしたアラリック、迎え撃つ気概の血の一滴もなく、ローマを占拠。首都ローマが敵の手に落ちたのは、「ケルト来襲」以来、実に八百年ぶりのこと。史上名高き、「ローマの劫掠」、紀元四一〇年。十万人が、五日間で、ローマの金銀財宝、家財一式、さらにはホノリウスの妹・ガッラ・プラチディアまで、ごっそり持てるだけ奪っていった。後の聖人ヒエロニムスも、この恐怖と悲しみを手紙に残しているそうな。滅せぬ者のあるべきか、アラリック、ローマを後にして間もなく、病気により突然死。やりたい放題、五十余年の人生。継ぐは親族の一人、アタウルフ。強奪してきた皇帝の妹と結婚。その結婚は、アラリックの後継者にとって、ローマ恐喝の手札となるのかどうか、いずれにしても、目も当てられぬ麻糸の乱れ、帝国の死まで、もう僅か。(了)【送料無料】ローマ人の物語(41)
2011/10/11
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***********************************************************塩野七生著『ローマ人の物語』(41) ローマ世界の終焉(上)(新潮文庫)読破ゲージ:読破ゲージ:■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■***********************************************************いよいよ、時は来た。ローマ世界の終焉。タイトルそのものがストレート。もう、終止符を打つしかないのだ。読んでいて、やりきれない想いと、それが必然、自然の理、と醒めた想いとが交錯する。いま、「世界の首都」の死を看取る。長きにわたる、この作品との対峙も残り三冊である。紀元三九五年、皇帝テオドシウス死去。グラティアヌスとの共同統治を経て、後半は事実上ただ一人の皇帝として統治に当たった、最後の「インペラトール」=軍隊を率いて戦う皇帝。キリスト教振興によって、コンスタンティヌスに次いで「大帝(マーニュス)」の尊称を贈られるも、それがゆえに王権神授にしたがって、時期皇帝は、二人の息子、アルカディウスとホノリウスに。これをもって、決して意図したわけではなく、しかしなし崩し的に、帝国は東西に二分される。東ローマ帝国と西ローマ帝国の誕生、つまり帝国の分裂。父帝の願いは従来にもあった分担統治であったのだが、子らはそう受け取らず。最後のローマ人と呼ばれる、ヴァンダル族出身の蛮族英傑・スティリコ、二人の新皇帝を託されて表舞台に上がる。スティリコ、苦悩の人生スタート。しかし、テオドシウスのもとで、確実な信頼を築くだけの活躍はしてきた。そして、事実上、その後の帝国を誰よりも思って四面楚歌で孤軍奮闘するのが、蛮族の子・スティリコという皮肉。グラティアヌス帝が死んでペルシャが侵攻してきた時に功あったスティリコはまた、ロイヤル・ファミリーにもなっていた。皇帝の甥となったスティリコの昇進を、エウヌコス、つまり宦官が面白く思うはずもなく。スティリコが、嫉妬の中で悪役にされ歴史から抹殺されても、その真実は曲げられていたことを知ることが出来るのは、“現場証人”たる詩人クラウディアヌスの功績。スティリコを襲った最初の、そして致命的な外敵は西ゴート族(ヴィジゴート)。四世紀以降しばしば帝国に侵攻してきた西ゴート族は、なかなかに“しわい”アラリック。精強なるスティリコのいる西方を避け、東方に齧りつく。まさに晴天の霹靂。あっというまに雪崩れ込んだ蛮族、迎撃の暇も与えず押し寄せる。事態を察して難事にあたるスティリコを、皇帝アルカディウスの、宰相ルフィヌスの下策で出撃中止に。荒らされるだけ荒らされ、準備だけさせられて、臆病者の一声で、迎撃も追撃も出来ず。ルフィヌス、義憤に駆られた兵士によって、閲兵式の最中に暗殺される。スティリコの策ならず、辛くも背後を衝かれずに済んだアラリック、次のプランを構想中。スティリコがいないバルカン半島へ侵攻。今度は皇帝もスティリコを起動。戦闘はすぐには起きない。ローマ式の決着とは、兵力を逐次投入することを嫌い、敵勢力の多寡に関わらず、一挙に大軍を投入する方法を好むからである。が、合流が約されたコンスタンティノープルからの軍勢はいつまでも来着せず。なにしろ、この頃すでに、帝国の軍隊は、兵力としては激減していたのだ。足踏みする中、元老院には、同じ蛮族相手に手を抜いたとスティリコを批判する者も。内部にも敵を抱え、討伐を中止したことでスティリコ、またもアラリックに再起の機会を与える羽目に。依然として脅威として居座るアラリックの懐柔策は、宦官の進言。サインは皇帝。中身は、アラリックをローマ帝国の「イリリクム地方担当の軍司令官」として正式に迎え入れること。ローマも脅せば屈する、という前例を作ってしまう結果に。ここで、東西分裂が問題となる。東ローマ帝国が、西ローマ帝国に属すイリリクムを侵攻してきた蛮族に委ねた上に、西の事は知らぬ、と東は東で防衛には無関心。帝国は、この無責任な東の分離から瓦解していくことに。コンスタンティノープルで、オリエント色が強くなっていた皇宮では、あまりにローマ色の強い西ローマ帝国はもはや異質になっていたのだ。ドナティスト。ドナートス派。信仰の純粋主義。世界の機構としてローマ帝国を認めるのがカトリックなら、ローマであろうとなんであろうと、世俗の組織を認めないのがドナティスト。実力伯仲も、いまは、ニケーア公会議で「異端」になっているが、北アフリカに勢力を持っていたことは、後々大きな火種に。北アフリカを統治したドナティスト・ジルド、反体制勢力として、圧倒的な支持を得て蜂起。“ローマの小麦”が危機に晒される。目的は、カトリックへの反抗と、弱体化につけ込んでの、北アフリカの帝国からの割譲。事態の収拾はまたもスティリコの双肩に。スティリコ、ジルドに家族を殺された熱心なカトリック信者にして、ジルドの実弟・マシェゼルを討伐の矛に立てる。スティリコの作戦は当たり、マシェゼルも本懐を遂げて、ジルドを成敗。次々と降りかかる問題を解決できるのは、もはや皇帝の後見人・スティリコ以外になく。帝国のために身を粉にすればするほど嫉妬と憎悪を集め、だからこそ、己の出自・蛮族が気になる。この悪循環。開放的で開明的だった時代に生まれれば、称賛のうちに性を全うしたに違いないスティリコよ、いまや帝国は、王権神授だけが皇位を保証し、実力や才能を称えるより、己の無能に逆ギレして足を引っ張る外野が五月蝿い時代なのだ。「紳士協定」など、セピア色の古典映画みたいなもの。三世紀の蛮族の侵攻が促した農地の過疎化が遠因となって、四世紀後半に職を求めてUターンした農民たちは、土地を捨てたにも関わらず農民に戻る代わりに、農奴となっていた。自作農中心でないため、伝統的なローマ式の軍事力確保もできなくなっていたことになる。加えて、教会振興によって、非生産者=聖職者の数が増え、帝国は、国力そのものに限界が訪れていたことになる。さらに加えて、元老院はもはや、名ばかりの浮世離れした人々の集まりになっていた。帝国の衰弱する中、帝国内の外敵・アラリックは、着々と自軍を補強。“招かれざる同僚”の不穏な増強を横目に、スティリコ、東ローマ帝国軍司令官にして右腕・ガイナスを、政略で殺され失う。カトリックの蛮族排斥運動の狂信化により、このゴート族出身の忠臣は殺された。またも、蛮族排斥。東西帝国の関係が冷え込む中、「神の鞭」、泣く子も黙るフン族が侵攻開始。撃退を喜ぶ間もなく、その男が動いた!!アラリック!!西ゴート族を率い、悠々と、不敵に、まさかのイタリア北部へ侵攻。本来ならアルカディス帝が禁止すべきこの越境行為。しかし、蛮族で、異端のアリウス派であるアラリックが、一族郎党引き連れて、“お隣の西”へ出て行ってくれるならありがたい、との判断。事態は深刻と察したスティリコ、目下もめていたスヴェビ、アラニのニ部族との交渉をまとめてすぐさま北へ向かう。短い準備期間にも関わらず、スティリコ軍は、今度はアラリックをロックオン。真冬のアルプスに立ち塞がれて、さすがのアラリックも対決を避けて逃走を決意。包囲網を狭めてついに、ポレンティアの野で両軍対決。スティリコ軍が機先を制し、アラリックを東へと押し返す。逃げるアラリックをヴェローナに追うも、またもアラリックと西ゴート族は、壊滅だけはまぬかれてまたも逃走に成功する。度重なる消耗的な侵攻に、スティリコ、ガリア防衛戦略を変更。つまりは、ガリアを捨てることを決定。ユリウス・カエサルが征服したガリアを捨てて、帝国の防衛体制を再編・引き締める方針。もはや、壊滅への道行きとは知りつつ、打つべき手は打っておいて良かったのだ。紀元四〇五年、今度は、イタリア中を絶望の淵に叩き込む大規模な侵攻がやってくるのだから。東ゴート族(オスロゴート)、リーダーはラダガイソ。ゲルマン民族。その数、四十万。数は膨大。気味が悪く扱いづらいのはさらに、その規律も目的もない、アナーキーな侵攻スタイル。ただ、押し寄せては殺し、奪い、去る。その繰り返し。無軌道、不規則。イナゴの大群。迎え撃つはスティリコ軍、その数、奴隷をかき集めて、三万。大軍を養うには、それなりのモノがいる。そこに目をつけたスティリコ、“渇え殺し”を先取りした、「食」と「人」を押さえた長期戦で、敵勢力を弱体化。水を求める蛮族のために、あえて包囲網の一角を破壊する陽動作戦でアルノ河に追い込み、一気に背後を衝く。二ヶ月をたっぷり使ったスティリコ、完勝。増長しなかったスティリコも偉かった。この功績を、ガリアを捨ててイタリアを守ったに過ぎないと揶揄する者もあり。予測どおり、四ヵ月後にはまたもゲルマン系蛮族が集団で侵攻。今回もまた、あのフン族に押し出されて、ライン河を渡ってきたのだ。してみると、フン族が、間接的に帝国を削ってきたようなもの。一方、襲われるばかりで、守ってはもらえぬ駐屯のブリタニア兵、帝国に嫌気がさして、一介の兵士をコンスタンティヌス三世と名乗らせ皇帝に擁立してガリア侵攻を開始。皇帝ホノリウスを支えるスティリコにとっては、この帝位簒奪者が危険。居座る北方蛮族に先立って、まずは牽制に成功。これだけの国難にたった三万の帝国軍で立ち向かえたのは、スティリコが、身分の上下なく人材を取り立て、公平で統率力あり、私腹は肥やさず部下の食事に気を配る男であったからに他ならない。(つづく)【送料無料】ローマ人の物語(41)
2011/10/11
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週末・休日は、検査から一転、急遽入院・手術となった家族の見舞いに。大オペながら、手術後の様子は順調。病室でしばし会話を交わす。 スマホに話題は及び、二人で合点。「facebookの熱病って、とっくに日本で起きてたよな」「そうそう、いいね、いいね、って、要は“ええじゃないか”みたいなもんじゃないの?」。ええじゃないか、が行き詰まった世界を変える、ってね。(了)
2011/10/10
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9月27日(火)、塩野七生著『ローマ人の物語』(43巻)読了、29日(木)備忘録(変則書評)書き終える。2008年8月21日(木)から読み始め、未発刊の文庫版リリースと並走しながらの、足掛け三年の“大読破”となった。(11/09/30)(了)
2011/10/06
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米アップルは5日、スティーブ・ジョブズ取締役会会長の死去を発表した。56歳。すでに、氏の健康状態はたびたびニュースになってきたが、それにしてもあまりに早過ぎる。若すぎる。太かったとはいえ、短すぎる人生。 私がはじめて触ったパソコンがMac。以来ずっとApple一筋。理系コンプレックスのティーンが、「俺でもPC触れるんだ」、と胸を躍らせた。プロダクト・サイクル、サービス・サイクルの目まぐるしさに激しくツッコめたのも、やはり氏が実現してきた「豊かさ」への親近感があったから。 「神」だとか、「希代のリーダー」だとか、そういう冠は措くとして、我らがスティーブ・ジョブス氏の人類に遺した偉業をたたえ、深く哀悼の意を捧げたい。(了)
2011/10/06
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