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「あああああッ!!」力の限り喉を引き攣らせ、悲鳴を上げる。喉の奥が痛み、血が流れたが、そんなことに頭は働かなかった。重く湿ったシーツをわし掴み、ベッドから飛び起きる。「咬(ぜん)・・・っッ!?」焦りを含んだ声とともに乱暴にドアが開けられ、何かが寝室に入ってくる。その何かを判別することもできず、けれど間をおかず背に触れてくる熱に咬は縋りついた。「うッ、ごほッ・・・・、違、・・・俺はッ違・・・・ゥ、ゴホッ・・・・・・・・ハッ・・・・・ハアッ。」悲鳴を上げて咽返ると、背の熱が優しくなだめるように背を撫で、次いで髪を梳いた。その熱が、いつも夢に出てくる腕の温かさと少し似ていて、だんだんと落ち着いてくる。どうにか呼吸を楽にしようと喘ぐと、すぐに姿勢が楽になる様に身体を支えてくれる。そうしてようやく息をつけるようになって、徐々に自分の目に周囲の様子が映り始めた。そこにあるのは、月光の降り注ぐ見慣れた自分の寝室と・・・・・・・、「・・・・・・良、将(よしまさ)・・・・・・。」ぐったりと疲労した目を向けると、良将の口元がいつもの見慣れた形に動いた。咬、と。そのことにほっとして、思わず良将の肩に頭をあずける。それに応えるように背に腕が回され、らしくなく良将が切迫した声で聞いた。「・・・・大丈夫か、どうした。」間近に顔を覗き込まれ、目が・・・・、合う。良将の目と、あの女の目が脳裏に重なった。知らず身体が動き、良将をおしのけてしまう。途端、良将の目がキツく細められた。「またあの夢を見るようになってたのか?」怖いほど真っ直ぐな目に、嘘などつけなかった。「・・・・・慣れているから大丈夫だ。」感情を殺した声に、一瞬良将の顔が強ばった。「・・・んなもんに慣れるなっ、馬鹿野郎ッ!!」眼が怒りと失意に燃えていた。“何故俺を頼らなかった、まだ信用できないのか。”真摯な怒りがそう告げていた。その眼を咬は一筋に見返した。(そんなんじゃない。)口には出さず、静かに見据える。そうだ、そんなことじゃない。告げなかったのは、ただ・・・・・。良将はこちらを切るように見返す。それに静かに堪え、瞳を逸らさず告げた。「悪かった。」しばしの間、睨み合う。が、良将が深く息をついた。「・・・・いいぜ、もうわかってるよお前のことなんざ。今日は俺もここで寝るぞ。まだ夜中の1時だ、お前ももう一度寝ろ。・・・・夢なんか見なくていい。」他人がそばにいると例の夢を見ないことを承知での良将の申し出だった。「・・・・・ありがとう。」ここ一ヶ月ろくに眠っていなかった故の疲れが一気に襲って来、咬は目を閉じた。良将が髪を梳いてやると、咬はすぐに幼子の様に寝入った。それを見、今まで気づきたくもなかったことに良将は目を向けた。咬の首筋と足に、ねっとりと血が絡み付いている。唇も微かに紅に染まっていた。それを乱暴に自分の服でぬぐい、それでも堪え切れず良将は低く獣のように唸った。「お前か・・・・っ、また、“貴様ら”かッ・・・・・・・っ!!」『・・・・・・・・ッ!!』先程の声にならぬ咬の悲鳴が耳の中で木霊する。怒りに似た衝動が突き上げてくる。その激情のままに良将は拳を壁に叩きつけた。咬はよほど疲労していたのだろう、身じろぎさえせず、死んだように眠っている。「・・・・・咬にまた同じことをしてみろ・・・、許さねえぞ・・・・っ。」あまりの激情に臓腑が焼き切れそうだった。それを冷静になろうと冷たい夜気を吸い込む。いつもは涼しく心地よい春の夜気が、甘く陰惨に凝っている。この狂夢の中に咬は今の今まで身を置いていたのだ。しかも其れは咬が思っているような夢の中ではなく、<現実>で。冷静になれ、良将は自分に言い聞かせる。激情に身をゆだねるだけなら、馬鹿にもできる。・・・近頃様子がおかしいと思ったら、案の定例の夢を見ていたらしい。(咬の母親が死んでからは見ることがなくなっていたのに、だ。)今から思い返すと、再びあの夢を見始めたのはおそらく一ヶ月ほど前だろう。気付くのが少し遅れたが、接触したのは今夜が初めてのようだった。ならばまだ手の打ちようがある。「・・・・・・・。」と、眠っている咬が細く息を吐いた。目を向けると、咬の唇が切なげに震え、知るはずのない名を上らせた。「な・・・・・っ。」こうして良将が傍にいて抑えているので接触などできないはずだ。(一体どういうことだ、どいつが入り込んでやがる・・・・っ。)咬が呼んだあの名は・・・・。まさか、ありえない。けれど・・・・、と今朝のことを思い出す。今朝も咬は夢を見ていたはずだ、けれど悲鳴どころか、うめき声一つ上げなかった。様子はおかしかったが、今まで見たことのないくらい深遠な目をしていた。満ち足りたような、それでいて全てを拒んでいるような。(奴らじゃ、ないのか・・・・・?)先程の昏く淫靡な波動は、今朝も今も感じられない。どちらかといえば神聖で、殉教者が纏うのと同じような思念が咬を守るように包んでいる。よほど愛しているらしい。しかもかなり咬の魂と順応している・・・・・、ということは今まで何度も咬の夢の中に入り込んだはずだ。(この一ヶ月咬と接触していたのは、こいつか・・・・?)ふと脳裏に鋭利な気を持つ男の顔が浮かび上がる。ゆるゆると、驚愕が上がってくる。(まさか・・・、けれどあの男は元虎が殺したはずだっ。)けれど何かにだまされているように、咬が呼んだ名とその男の符号が一致する。思わず咬を見やり、手をのばす。が、その手も途中で凍り付いた様に止まった。なんともいえぬ予感めいたものが走り、良将は戦慄した。
2005年05月29日
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寒い・・・・。臓腑まで侵す夜気の冷たさに、思わず身体が震えた。冷えた身体を両腕で抱く様に夜着の前を閉じ合わせる・・・。と、微かに近くで水音がした。けれど、すぐに其の音は闇に溶けて消えていく。寒い・・・・。もう、一体どれだけの間、俺はこうして立っていたのだろうか。どろり、とした闇が、すでに冷たさで動かない身体を愛おしそうに這いずっている。『嫌、だ・・・・っ。』声になるはずの其の言葉は、けれど自分の唇の上で空回る。代わりに、喉の奥でヒューヒューと音を立てて呼気が通っていく。唇の不可解な動き・・・・。震えの止まらない身体・・・・。怯えとおののく歓喜に悲鳴を上げる心・・・・。視線を転じると、遠くにはヘッドライトの白とテールランプの赤。見慣れた街の夜の情景・・・・。けれど其の光は、この忘れ去られた薄暗い細い路地の奥には届かない。微かな音すら、陰鬱な闇に喰われ、自分のもらす呼気も呑まれていく。・・・其の度に闇は甘い悲鳴をあげ、さらに重く凝っていく。そんな淀んだ世界に、一人、取り残されている。もう、一体どれだけの間俺はこうして立っていたのだろうか。(帰りたい。)けれど身体は動かない。(帰りたい。)けれど闇は俺を離さない。そして闇はさらに俺を深いところへと連れて行こうとする。自分の足が路地の奥へと勝手に歩を進める。それに気づき、怯えともどかしさに上半身がびくりと震えた。上半身だけは自由に動くらしかった。反して、唇が一人でに声を紡ぐ。「ここに、居たか。」思わず震える手で唇に触れた。すると唇は冴えた笑みを浮かべた。風がビルとビルの間に木霊する。其の風に乗っておかしな香りが鼻腔に運ばれる。・・・・・血だ。・・・・・誰かが居る・・・・。・・・女だ。白い着物を着た美しい女がそこに佇んでいた。「『我が君・・・・。あなうれしや・・・、御身自ら妾の元においで下さるとは・・・・・。よういらせられました、元虎(もととら)様。この白炎(びゃくえん)、御時を、血が湧くほどお待ち申し上げておりました。』」・・・・元、・・・虎・・・・?「『いかがされました、我が君・・・それとも・・・・今生の名でお呼びしたほうがようございますか、・・・咬(ぜん)様。』」・・・・・っ!艶めかしく淫靡な声で白炎と名乗る女が告げる。女がゆっくりと歩み寄り、身を投げるように腕を絡ませる。「『元虎様・・・・。』」間近に見下ろした女の目は、狂おしいほどの喜びで濡れていた。「『今生の御姿も、見目麗しゅうございまするな、我が君。どうか其の御身体で妾を再び愛してくださりませ・・・・。』」己の唇に、女のそれが重ねられる。ぬめり、とした温かいものが口内にわけ入ってくる。・・・・・・・。と、おぞましい違和感がして思わず身体が震えた。血の味と、舌に腐ったように柔らかい感触をした<もの>がある。「『献上物にございまする、我が君。我らはこの<界のほとり>ではこの世界の者を喰らわねば留まれぬ故・・・・、最も見目良き部分を・・・・。まだ、たんとござりますれば、さあ・・・、召し上がれ。』」女の指が、腕から肩、肩から首筋へと這わされる。女の指が咬の首筋にかかった途端、ビチャリ、と異様な音がした。それと同時に、まだ生温かい液体が首から滴る。夜着の上からの愛撫では気づけなかったのだ、と他人事のように気付く。闇に慣れた目を路地の奥に向けると、血溜りの中にいくつかの身体のパーツを見つけた。「『我が君・・・・。』」淫らで、こってりと甘い女の声。そのまま、また女は深く口付ける。舌に乗せられるのは、肉片・・・・・。ッ!ごとり、と女の背後に落ちたものがあった。男の、生首、だった。っッ、ああああああああアアアアッ!!
2005年05月29日
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その地は錆び付きつつあった。 何処からともなく腐臭がし、空には円環の白い炎が揺れていた。死にゆく輝きが呪詛をたゆたわせ、月の影がそれを背にしている。その地は何もかもが命の輝きを失い、凍て付いていた。 動いているのはその地の空を覆う光の呪いだけだった。 日蝕だった。 けれど普通ではない。 月の影が日の光を背にしたまま、もう半年がたとうとしている。 蝕はそれより先に進まないのだ。この半年間ずっと。 凍った世界はなかなか溶け出さず、どろりとした闇が貪欲にその地を貪りつつある。 「まるで妾の様だとは思わんか、のう?山蛾(さんが)。」 艶めかしく淫靡な声が闇を圧倒して響いた。 その声は闇夜の砂浜に佇む女の唇から洩れ出でた。 白い着物を着た女はどこか淫らで、幽鬼のような美しさを身に纏っている。 その女の声に、異質な声が返った。 波の音に乱れるその声は闇に沈み、女の耳にだけ届く。 「その通りじゃ。妾は<あの御方>しかいらぬ。」 毅然と海を睨み女は言い放った。けれどその凛然さはすぐに妖しい笑みに崩れた。 「・・・けれど、今度こそ<あの御方>を貪り殺してしまうやもしれぬなあ。あの傲慢で美しい金の瞳・・・・いくら愛しても足りぬ。あの強靭な身体と精神、いくら貪っても足りぬ・・・・。のう、<あの御方>を崇拝したそなたには判るであろう、山蛾。」 いたぶる笑みを浮かべる女に、山蛾と呼ばれた男は沈黙で応じた。 その男の頬に手をのばし、弄ぶ様に女は撫でた。 男に触れることができるのはこの女だけだった。 山蛾には在るべき肉体がなかった。山蛾は実体を持たず、魂だけでこの世に存在していた。 その山蛾に触れることのできるのは、<喚魂者>であるこの女だけだった。 「可哀相に・・・・。このような身体では、もう<あの御方>に触れることも叶わぬのう。」 今まで無表情だった山蛾の瞳に一瞬悲痛な色が宿る。それを女は見逃さなかった。 「<あの御方>もそなたをこんな姿にせずとも良かったのになあ・・・。けれどそなたも悪いのだぞ、よりにもよって、<あの御方>に欲情するなど。」 女は堪え切れぬ、と言う様に狂った様に笑った。 「くっ・・・、あは、はははっッ・・・・、まさかそなたにそのように想われていたとはっ、<あの御方>も夢にも思わなかったであろうなあっっ!」 山蛾の顔が苦痛に引き攣る。 『白炎(びゃくえん)、様。』 狂った様に笑う女を制止する様に山蛾は言霊を紡いだ。 すると、名を呼ばれた女は凄惨な憎しみのこもった眼を山蛾に向けた。 「そなたの其の情念が<あの御方>を殺したのじゃ・・・。」 雷に打たれたように山蛾は身を震わせた。 いつもは冷然としたまなざしが苦しみに歪んでいる。 そのまなざしから白炎は眼を逸らし、視線を海に向けた。 「<あの御方>の魂は見つかったのであろうな?」 『・・はい、今は転生され<界のほとり>にて生きておられます。』 山蛾の声は感情を焼き殺したかのように淡々としたものに変わったが、眼には今までにない熱が宿っていたことに白炎は気付かなかった。 「<界のほとり>・・・っ!・・・・道理でこの世をいくら探しても見つからぬわけじゃ。よう蒐一族より先に見つけることができた。褒めてつかわすぞ、山蛾。」 山蛾は静かに平伏した。 それに頷き、歓喜のあまり思わず白炎は両腕で自らの身体を抱いた。 「それで・・・、それで<あの御方>の・・・元虎(もととら)様の今生の名はなんと申す?」 山蛾の口元がかすかに温かく微笑する。 『志砂 咬(しずな ぜん)、と。』
2005年05月18日
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朝の清々しい光に目を細め、隣を無言のままに歩いている咬(ゼン)を見つめる。 咬の住むマンションを出てからずっと、唇を引き結んだまま口を開こうとしない。 何事かを考え込んでいる咬の横顔は、何かに追い詰められているようにも、呆然としているようにも見える。 それを横目に見ながら、良将は煙草に火を点けた。 そうすると、その煙草の香りが届いたのだろう、今まで視線すら動かさなかった咬がこちらに目を移し、細く息を吐いた。それに軽く手を振って返すと、咬はかすかに微笑し、先程より気を弛めた様子で再び前を向いた。 近頃何かと理由をこじつけて良将が咬を連れ回すのは、こうやって、ともすれば思い詰めがちの咬の気を散らすためだった。 咬と居る時は、良将はほとんど喋らない。 さっきの様に、しぐさや視線で互いの思っていることが判るからだ。 むしろ、余計なものを付着させたり、ストレートに感情を表すことができない言葉は咬との間では邪魔だった。 咬は他人の感情の動きにかなり敏感だ。特に負の感情、同情、妬み、嫉み、憎しみ、嘲り。 咬の幼い頃を思い出すと、今では当然だと思うが、鋭敏すぎる感受性は人間不信を起こすほどだった。卑屈で甘い嘘など、咬には通用しない。そんなものは受け入れない。 だから良将はいつも咬には真正面からぶつかる。 踏み込みすぎてもいい、それは問題ではない。 多少傷を負わせても、其れさえも取るには足らない。 けれど、嘘など一つでもついたら、一歩でも後ろに下がりでもしたら、咬にはもう二度と近づけなくなる。それは咬が幼い頃に必死で築き上げた最後の砦だ。それは良将へでさえも例外ではない。 傷つけられる前に傷つけ、裏切られる前に裏切り、他の誰かに心を殺される前に自らでその心臓を引き摺り出す。なまじ鋭敏な感受性故に咬の行動は早く、その刃は他人を傷つけるより深く、重く自らを傷つけている。 まるで手負いの獣だと思った。 しかも自分の血溜まりに溺れながらも、獣は牙をむき、威嚇を止めようとはしない。 どうにか其処から引き摺り起こそうとし、向き合ったところで、其れが計算尽くだということに良将は気付いた。 咬が自分で負わせている傷は死にもの狂いで自分の身を護った時についたものではなく、これから受けるであろう傷の深さを想定し、其れに堪え得る為に敢えて自分に牙をむいたものだった。 しかもその自傷行為はおかしなほどの冷静さで行われる。 哀しいほどの防衛本能に、始め良将は絶句した。 「良将。」 戸惑った様な声に呼ばれ、間をおかず笑みを返す。 「何だ?」 そして迷わず咬の髪を梳いた。これは良将のクセだった。 どうやら咬はスキンシップに弱いと気付いてからよくやるようになった。 最初の内は、咬はかなり嫌がったが今ではもう何も言わなくなった。 小さい頃咬が熱を出した時、髪を梳いてやるといつも気持ち良さそうに眠ったのを覚えていたからやり始めた。どんな些細なことでも何かの切っ掛けになればいいと思った。 続けると、咬は微かに目を細めた。気持ちがいい、とでもいうように。 思わず嬉しいと思ったことを良将は否定しなかった。 「何だ?」 もう一度聞いてやると、咬は少し考え込んだがすぐに目を上げ苦笑した。 「いや・・、いい。何か、どうでもよくなった。」 咬の温かな微笑が自然と浮かぶのを見、祈るように思う。 『守らなければ』、と。
2005年05月14日
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「咬?」少しキツめの、けれど不思議と柔らかな声音とともに、ドアが開けられた。わずかな倦怠感に苛まれ、身を起こしながら、朝っぱらからの闖入者を見つめる。「良将・・・・。」そういえば、気がつかなかったがコーヒーのいい香りがしている。(来ていたのか。)夢見が悪い後だけに、見慣れた幼馴染の顔はそれだけで咬をほっとさせた。これが自分の『現実』だ、と。自然と微笑が浮かぶ。「おはよう。」それに笑いながら応じ、良将は淹れたばかりのコーヒーを咬に差し出した。それを素直に受け取り、カップに口を付ける。そんな咬を面白げに見下ろし、何気ない口調で良将は声をかけた。「お前、今日の約束覚えてるか?」良将の言葉に思わず、『またか』、と睨みつける。「今日の俺の時間は全部俺だけのものだ。」見下ろしてくる良将の視線から鬱陶しげに目を逸らし、言外に約束などしていない、行きたきゃ一人で行け、と告げる。「いいじゃねえか、行こうぜ。」が、ますます面白げに良将は絡んでくる。それに咬は嘆息し、気の置けない笑みを浮かべる良将に目を戻した。切れ長の瞳は人の悪い笑みをいつも宿している。何を考えているのか判らない表情と声の調子は良将の常だが、口許だけは揺るぎない意思を表している。それらが良将の顔を彩り、整っているのに荒削りな印象を与える。「良将、俺は眠いんだよ。」一人で行けと付け加え、シーツに顔を押し付ける。眠ればまたあの夢を見るだろうから、咬は二度寝など絶対にしないが、今日もまた良将に付き合わされるのは勘弁してほしかった。「・・・・・・・・。」良将が押し黙った。しばらく沈黙が続いたので、諦めたのか、と重いシーツから顔を上げかけると、背にこれでもかとまでに重みがかかった。「良っ・・・、重、いだろうがっッ!」思わずがなったが、良将が咬の背の上から退く気配はなかった。さすがに、自分より一回り近く大きい相手に乗られるのは、咬でも苦しい。すぐに息が上がった。「馬鹿野郎っ・・・ど、けッ・・。」「行こうぜ?俺、咬がいねえとからっきしダメなんだわ。」などと、ざっくばらんに告げてくる。そして少しの後、「コーヒー、俺が淹れたの美味かっただろ?」と付け加えられる。怒鳴りつけようとしたが、良将の其の口調にわずかなりとも真剣さが混じっていることに気づき、結局、何も言えなくなる。自分とて、多少なりとも心配を掛けているのは判っているのだ。出かかった吐息を殺し、代わりに重い口を開いた。「判ったから、・・・どけ・・用意するから、外で待ってろ。」問うような良将の視線を受け止める。やがて背から熱と重みが引いた。立ち上がり際に良将は咬の髪を梳き、からかう様に「早くしろよ」といって出て行った。それを見送り、ベッドから下りたが、未だに身体に夢の余韻が生々しく残るのに気付き、舌打ちした。
2005年05月10日
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「・・・・・・・?」控えめな音の気づき、窓の外に目を向ける。空は晴れているのに、雨が街をしとどに濡らしていた。少しだけ先程より湿った風に髪が乱れる。「・・・・ん・・・。」(・・気持ちがいいな。)雨に濡れた風は、咬を起こした風のように暴力的ではなく、優しく、温かだ。頬は冷え切っていったが、夢の熱を孕んだ身には心地良かった。そこまで考え、思わず眉を寄せる。あの夢は骨を軋ませるのだ。目覚めれば、何かに触れたくてしょうがない衝動を持て余し、指が熱を孕むのに、その触れるべきものすら見つけられない。(そうして息すらつけなくなる。)そして、さらにこの夢は咬の内に入り込む。自分の意思が受け入れたものではない『其れ』が、自分のものを侵して無理に入ってくるのが嫌で嫌で堪らない。近頃は、それに吐き気すら覚える。「・・・何がッ、言いたい・・・・ッ。」知らず、下唇を噛み切った。苦い血の味が口内に広がる。其れさえも夢が与えた傷のようで、叫びだしたい焦燥に駆られた。夢があまりにもリアルで、抱きしめてくる腕から己のすべてが奪われそうで・・・・。(俺が、願うからだろうか・・・?)ふと思う、そして同時に脳裏に古い日本家屋の庭が浮かび上がる。大きな桜の木が花を誇り、見事なまでに散らせている。その根元に、一人の女性が横たわっていた。月光を宿したように白い肌がまるでその精のように見えた。一つ異常なのは、その白い肌に花のように紅が散っていること。子供心に思ったことは、桜が淡く紅を宿しているのはその土に埋まっている死体の血を吸い上げているからだという話は本当だったのだ、ということ。そこから先は意識が飛んでしまった。最後に覚えているのは自分の絶望したような弱弱しい声。「お母、さん・・・?」意識を手放し、冷たい地面に抱かれる前・・・・・、ひどく悲しそうな母の声を聞いた気がした。『咬・・・・。』其れでも自分は、優しい母の声にほっとし、為す術もなく意識を手放し眠ったのだ。(自分はあの時失った温もりを求めているのだろうか?)未だに欲しい、と願っているのだろうか?そんな夢のような、愚かしいことを・・・。だからあんな夢を見るのか?何でもいいからあの腕の温もりに救いを求めているのか?あんなひたむきに自分を抱きしめてくれる腕は他にはない。生半可な優しさなど、俺は要らない。そんなものは信じていない。だから近寄るものは全て退けてきたのだ。けれど疵付いていないわけはなかった。疵はいつまでも鈍く痛む。本当は誰より縋るものが欲しいのだ、一番自分が判っていた。けれど強烈に其の感情を焼き殺してきた。己以外の何かに縋るなど、咬は許せなかった。其の矛盾を、夢はいつも生々しく眼前に突きつけてくる。己の一番弱く浅ましい心を夢は曝け出す。だから朝はこんなにも苦しい。<許さない。>だから母のことなど思い出すのだ。<いらないッ、縋るものなど・・・・ッ!>血を吐く思いで祈る。けれど、夢の痕はいつまでも鈍く痛む。咬を攻めるように。
2005年05月08日
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夢を見る・・・。「・・う・・・っ。」春のまだ少し冷たい風が弛緩した身体を嬲って通り過ぎていく。陽光がゆるく窓から射すのを、咬(ゼン)はシーツの上に身体を横たわせたまま見上げた。(・・・またか・・。)毎晩、毎晩同じ夢を見る。内容はあまり覚えていなかったのだが、近頃は少しずつ見たものを思い出すことができるようになっていた。それがまるで脳に無理に入り込んできているように感じて気に入らない。夢がはっきりした意志を持って、咬に挑んでいるような気がするのだ。余人を己の中に入れる場所など咬の内にはない。自分以外に自分に中を占めるものなど、たとえ夢でも許しはしない。けれど其の夢はまるで内臓を抉る勢いで日々侵入するのだ。怒りを通り越して血さえ湧きそうだった。しかも其の夢はふざけたことに、咬に向けているのではないのだ。夢の中で咬は、金の瞳を持つ男だった。野生の獣のような、孤独で誇り高い男だ。何にも縛られず、自由で激しい、王者のように傲慢で美しい瞳を持った男。其の男の姿で、咬はいつも闇の中に立っている。寒くて、全身がひどく痛くて、咬は夢の中で震えるのだ。けれど誇り高い其の男らしく、咬の唇は言葉を抱かず沈黙を持ってそれに応ずる。吐息さえ寒さに凍てついているのに、咬は(男は)、一人前を見据え、立ち続ける。気の遠くなるほどの後、咬は幻覚を見るのだ。顔は分からない。けれど、誰かの微笑を。そして其の瞬間温かい熱に抱かれる。愕きゆえか、怯えゆえか、自分でも判らない心の痛みに、けれど咬は自分への誓いゆえに振り返ることができない。そして其の温かい熱は、こちらの焦燥を呼んだように、人の腕へと姿を変える。其れを見、咬は屈辱に身体が熱くなるのを自覚し、其の手に抗おうと手を伸ばすが、其れは許されなかった。手は拒まれ、ますます強く抱かれる。殺気すら感じる其のひたむきさは、ひどく咬を困惑させる。同時に、殺してやりたい、と。一瞬でも其の温もりに己を崩されたことが腹立たしく、全身の血流が音を立てて一気にめぐり、怒りに律動する。このすべてを与えている人物を、夢の中の咬は知っていた。と、背後から言葉が与えられる。<・・・・・・・・・。>小声の早口は聞き取りづらく、よく分からない。というより、ただ、理解したくなかったからかもしれない。与えられた言葉は誓言のようで、何者にも侵し難い神聖さを孕んでいた。まるで神を愛する殉教者のような清冽さで、其の人物は続けたのだ。<・・・たを・・・・て・・る。>と。<・・・・・してなど・・・ッ。>それに本能で抗おうと、咬は激情を唇にのぼらせ、・・・・・・。そして、目覚める。
2005年05月07日
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彼は一人で在り続けた。彼がその瞳に映そうとするのは、最果てのない・・・どこか。彼は一人立ち、前を・・・ただ前を見る。彼は振り返らない、決して。彼は強すぎて、そして・・・誇り高いから。風に乱れる黒髪に、滾る金の瞳、不屈の意志を表す唇は静かに引き結ばれている。何をも彼を縛ることなどない、できない。誇り高い彼はそれだけで死を選ぶであろうから。血反吐を吐き、途方もない孤独にその身を震わせながらも、一人立ち続ける彼であるから。彼は知らない。己がどれほど美しく、どれほど残酷か。彼はまさしく勝者であるから。彼は知らない。縋る者の苦痛を。その手足は縋る者の存在を感じ、その血で確かに濡れているのに、その唇は確かにその血の味を知っているのに。それなのに、彼はなお強く輝きを増す。彼はまさしく勝者であるから。孤独を抱き、何にも縋ることのない彼の立ち姿は誰もが王者と認めるだろう。彼は一人極地に佇み、ただ上を仰ぐ。その指先はまるで寒さに耐えるように己が身を抱いているというのに。その背を抱けばよかった。気高くも沈黙を守る其の背に、縋ればよかったのだ。彼は抗うだろう。其のあまりの誇り高さ故に、彼は手負いの獣の凶暴さで抗っただろう。殺されたかもしれない。けれど何度でも、どれほど醜悪な姿を見せてもいい、彼に屈辱を味合わせてもいい、何度でも、それこそ殺されるまで抱けばよかったのだ。臆病な自尊心など捨て、追うべきだった。そこに彼の血肉が在ったのなら、抱けば・・・・・。彼が其の手に永遠の眠りと安らぎを掴む前に・・・・。そうしたなら、彼を繋ぎ止め、一人でいかせることなどしなかった。最後の最後まで、孤独を抱かせたままいかせることなど・・・・・。これほどまでに彼への想いが、この心臓を抉るのなら、(其の心臓を滴る血の律動さえ聞こえるのに)、死ぬまでこの腕に抱けば・・・・・。決して凍った激情のまま、いかせはしなかったのに。
2005年05月07日
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