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「ん?もういいのかい?随分早いじゃないか。」氷翠王【シャナオウ】の自室から出て、離れに自分に用意された急ごしらえの客間に良将が戻ると、大人の男の余裕が厭味になる一歩手前まで溢れかえった腰にくる低い声に迎えられた。男は良将と同じ船に乗る航海士だ。皓【コウ】国と大陸を二分する黒曜国には、自国の紋章を象った旗を掲げる私掠船の存在が有名だった。簡潔に言えば、海軍とは別に国王陛下が掠奪を認めている海賊たちのことである。鎖国を旨とする皓国とは異なり、黒曜国は海に通じさかんに他国との貿易をし、かつ海を越えた領土の拡大を着々と図っている。黒曜国の海軍は無敵と謳われるほど世界では恐れられていた。そのトップに君臨すると云われるのが、黒曜の海賊であった。良将は、その中の船の一つを任されている人物だ。安騎良将【アキ ヨシマサ】、と云われれば知らない者はそうはいない。その良将と同じかそれ以上の知名度の持ち主がこの男だ。今回の航海を終えた後、共にこの【禁足地】に寄ったのだ。「ああ。随分と疲れているようだったから。」良将が男にそう返すと、男は笑い、甘い声音とは裏腹な苦すぎる言葉を吐いた。この男の容貌や眼は鋭いに過ぎ、獰猛さを通り越して憎悪さえ宿すように怖い形と線を引くのに、この男は肉厚な唇だけは甘く見える。野性的な美貌と危険な雰囲気を漂わせるこの男に、そこだけが甘い唇で耳元で優しく囁かれれば堕ちない女はいないのではないかとさえ良将は思った。「甘いね。」この男の言葉には、『俺なら見逃さずに責めてやるのに。』という甘さにも似た残酷さの意味を孕んでいる。言われずとも分かる。氷翠王のことだ。この男はそのまま良将が放置してきた氷翠王の状態のことをなじっているのだ。氷翠王に会いに行ったのが良将でなくこの男だったなら、あのままの状態を継続させるような真似はせず、傷口を抉るように突き上げてでも追い詰め、仕舞いにはせがむまで泣かせてでもあの思いつめたような氷翠王の唇を溶かすだろう。この男なら、溜まり切った膿みも全部、吐き出させてしまうに違いない。けれど、良将とこの男ではやり方が違うのだ。良将はそんなことをするつもりは欠片もなかった。「なら、どうしてお前が会わないんだ。」「取り返しがつかないからだ。」どうでもよさそうに投げ捨てる男の言葉の意味は、聞かずとも分かった。取り返しがつかない。そう、もう隠しようもない。『見ると、殺したくなる。』以前、この男は言った。その意味が分からなくもない。だが、それを願ったことは一度たりともない。「斎賀【サイガ】。」男の名を呼ぶと、彼はこちらを見、眼だけで笑った。「ん?甘くていいけどね。俺には。」そして一言だけを投げてくる。それだけでは分からない、と眉を片方上げると斎賀は言葉を付け足した。「お前のそういうとこ-----------相手に何にも知らせずに無償の奉仕をするとこ、なんでも自分ばっかり辛くなって、馬鹿だなって思うけど。・・・・・そこも俺は好きだけどねぇ。」斎賀はいったん言葉を切って、少し声を低くした。「口に出さなければ伝わらないこともある、と思わないか?」斎賀が言っていることが何を指しているかは分かった。「これからもずっと、自分の働きを見返りにして黒曜国の此処への関心を逸らすつもりなのか?」「んーー、此処でその話はやめてくれないかな、聞こえるだろ。せっかく秘密にしてるのに。」その言葉を良将はふざけたほど飄々とした風情でわざとかわそうとした。何の気もないように。ふざけたような口調と声に混じる語尾の甘い響きは良将の常だった。斎賀がそれと同じように。従兄弟でもそれなりに似るらしい。やはり血は水より濃いのだ。嬉しくないことに。たぶん、同じことを思っただろうが、斎賀も良将もそれを表には微塵も出さなかった。「黒曜が此処に手を出さない代わりにお前に要求していることを氷翠王に知らせないつもりか?どこまで食い込んでんのか知らねぇが、お前が黒曜の海賊なんてやってるのもそれが要求の一つだからと、黒曜の動きをなるべく早く掴むためだろう?・・・・・・健気だねぇ・・・・・・・、お兄ちゃんはとても無理だ。」自分を指差し、わざとっぽく自分のことをお兄ちゃん、とのたまう斎賀に良将も柔らかくて人好きのする、けれど胡散臭い笑みを浮かべた。「まあねぇ。ん・・・・・、権力ってやっぱり色々必要なのよ。黒曜のお偉ら方抑えたりすんのには。まあ、持ちつ持たれつ?」それだけではないだろうと、斎賀は内心言葉を返した。朱樺【シュカ】で叛乱が起きてから三年。それを皮切りに“神生”(カミウマレ)の血筋である朱樺絡みの情報は黒曜国にただ洩れになった。それについても全て良将が動く羽目になったのではないだろうか。それから三年、今に至るまで良将の言う所の見返りを求められなかったわけはない。良将が差し出したのは財力、人脈、頭脳・・・・・それらだけではないだろう。朱樺家と番【つがい】である血筋の血を売ったのだ。即ち、自分を。そうでなければ、黒曜を留められまい。その斎賀の視線を受け、恥ずかしいとでも言うように、または居心地が悪そうに視線を逸らし、良将は柔らかく誰かを思い出したように声のトーンを変えた。その大人びた顔が、年相応の青年の顔になる。誰を思い出したかなど、聞かずとも分かっている。「言っただろ。俺は邦友さんだけ大事にしてるって。けどその邦友さんが大事にしてるものなら、“ここ”もやっぱり俺には大事。」氷翠王のことを正式な名がつく前につけられた彼女の叔父の名と同じ名・・・・邦友、で良将は今でも呼ぶ。「邦友さんは許容範囲を軽く飛び越えたものでも、無造作に抱こうとする。そしてあの人の凄いところは本当にそれを成し遂げるところだ。あの人は想像を絶する苦境に合う度、強くなる。限界がないんだよ、信じられないことに。何が起こっても、あの人は限界の線を越える。ギリギリの水面張力のところまで水が入っていても水が溢れそうになれば、あの人の器はまた深くなる。考えられないくらい。そんなことは不可能なのに。けれどそれができる人だ。“それ”をする人だ。だから誰もあの人にはかなわない。」「それは、知ってるな。忌々しくなるくらいに。」「うん。・・・・・でも、それに比例してあの人の精神は刹那的で危うい。当たり前だ。邦友さんが限界を知らないのは邦友さんが限界を自分に作らせないからだよ。だから邦友さんは何にも甘えを許されない。何にも甘えられない。脆弱の精神も、素直でずるい保身も、あの人には許されない。・・・・・・そんなあの人を知れば誰も認めないだろうけど。」むごい事実を良将は口にする。彼女の周りの人間に対する非難をこめて。「だからあの人は刹那的になって誤魔化している。これは嘘だとあの人は知っているから。」今日、この夜に、有家清綱【ありえ きよつな】が氷翠王に直接断罪した言葉を良将ははからずしも口にした。「・・・・・・・・・・・。」それは真実だろう、と斎賀も口を挟むことはしなかった。「でも、それでいいから。」何もかも溶かして許してしまうような強さを滲ませた優しい声で良将は言葉を静かに続ける。行動の芯は似ているが、自分とは正反対の良将の優しさに斎賀は思う。自分が傍にいたならあんなふうになるまで氷翠王を放っておきはしなかった。だが、良将が・・・・・・・否、こんなにまでする者がいたならば、また、氷翠王がこんなになることはなかっただろう、と。「そういう厄介なのも、邦友さんだって知ってるから。・・・・・・あの人から、何一つ取り上げる気はないよ、俺は。」此処のことだけではなく、全てを抱えたままでいい、と良将は笑う。「伊達や酔狂でここまで付き合ってきたわけじゃない。」「このままいけば、あの人は壊れると思う。邦友さんの強さは疑っていないけれど。でも、壊れる。それをあの人が望んでいるから。生きて生きて生き抜いてから死ぬことを邦友さんが選んだから。邦友さんは妥協なんてしないから。だから俺は止めないし、もう何も言わないって決めた。もうそれは邦友さんの生きる理由だから。」できることは、あの人が死ぬまであの人の邪魔をしないことだと言葉にその意味を良将は乗せる。この時点で良将は氷翠王のすることを止めないし、死ぬまで何もしない、とつまりは氷翠王が壊れることを妨げることなく容認し、放置する、見殺しにすると言ったのだ。それは一見薄情で非情なように思えるが、違う。良将の声や表情には慈しむような深い愛情が満ちていることが分かる。氷翠王一人を愛するだけではなく、その胸の中で想うもの、それすらを受け入れて全てを守ると言っているのだ。良将が自分の身を呈して黒曜から此処を守っていることにもそれは表れている。そしてそれだけではなく、良将が氷翠王の唯一つの望みである、朱樺家に戻る、という願いのために朱樺家や蒐【シュウ】家に接触し、今は自由に出入りを許されるようになったことも斎賀は知っていた。「邦友さんのことは止めない。でも、邦友さんが自由に身動きができないんなら、捨てられないものが多すぎるなら、それごと抱えるのはとっくに俺の中で織り込み済みだ。それに、あの人の道に降りかかる火の粉は、ある程度、打ち払ってやることができる。」「禁足地のことで問題を抱えてるんだったら、原因をなくしてやればいいし、・・・・・・有家を見ていて辛いなら、ほとぼり冷めるまでどっか行かせりゃいいと思って黒曜への手配もしてやった。」良将は暗に黒曜の禁足地への注意を逸らしたことを言っている。それだけでなく、あの当時、良好とはいえない冷たい憎悪さえ互いに覗かせる関係に陥っていた有家と氷翠王のことさえ言った。あの有家が氷翠王の下を離れたのは良将のためだったらしいとさえ知らされて、斎賀は大声を上げて笑い出しそうになった。よくぞ、ここまで、とさえ思う。たかだか十八歳の男の愛し方とは思えなかった。ある意味、老成している、とさえ言える。四十を過ぎてもここまでの愛し方ができるものはそうはいないだろう。どうしてそこまで、と聞けば、『愛しているから。』と単純明快な答えが返ってくるだろう。面白いから聞いてみようと、震える肩を必死に宥めながら斎賀が聞くと、「どうしてそこまで?」今にも笑い出しそうな斎賀の雰囲気に気がついたのだろう、良将は少し不機嫌に眼差しをキツクし、「愛しているから。」やばい。可愛い。半ば生まれて間もない無邪気な赤子を見るような気分になりつつ、斎賀は堪え切れずに吹き出した。それを見、言い過ぎたと思っているのか良将は苦笑して自分が前に告げた言葉を全て軽くするために声を向ける。「誰が想ってるよかずっと、俺の愛は深いぞ。」ふざけた良将の口調はそれを冗談にしようと思ってのことだと斎賀には分かった。この気遣いも、年相応のものではない。本当は軽く、五十でもいってるんじゃないのか、と言いたくなるのを抑え、その気遣いの意味が分かったので斎賀も半ば以上ふざけた気分で・・・・・・否、言葉どおりの意味は本気で返した。「・・・・・・というか、深すぎて誰も気づかないんじゃないか。」言わなければ分からないだろう良将のこれほどまでの丸抱えの愛情は。こんな愛し方をできるのは他にはいないに違いない。その証拠に良将は次に言った。「いいんだよ、それで。気づけば、邦友さんは困るだろ。だからこれでいい。」瞳を柔らかく笑ませて良将は笑った。
2006年05月28日
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残酷というもの それは。 休日明けの朝、月曜日の約束。 睡眠不足の脳みそに沁みる激烈な太陽。 うっとおしい、その他すべて・・・・・・。 そして。 一番に僕をころすものは。 罪のない君の気のないそぶり。 “愛しているのに。” けれど。 “愛している”の言葉の後に、 “のに”と“から”のくだらない付属物が必ず付くのは。 どうしてなんだろうね?
2006年05月20日
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*“好きって云って”のその後 反吐がでるよ。 そのはっきりとしない様。 “愛してほしい”と無知な傲慢さでキリキリ、とゾッとするほどの ヒステリックさでわめき。 拒絶されようものなら、意味不明の嘘を吐き(それも自己保身のための)、 馬鹿のように走って逃げていった。 愛しているとほざくなら、 せめて。 みっともないほど泣いて縋って見せたらどうなんだい? 虚栄を捨て切れず、受け入れてくれと相手に希(こいねが)うことすらできないなんて、 きみは僕を馬鹿にしているの。 一緒に血にまみれる事もできないくせに、“愛”だなんて、笑わせる。 いっそ欲しい、と欲しくて欲しくて堪らないとわめいたらどうなんだ。 そこまでして、泣き死ぬほどに血の涙を流したのなら、 僕はきみに一生の“愛”を誓ってもかまわない。
2006年05月11日
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こちらが眠っているだろうと分かっているはずなのに、一寸の遠慮もないノックの音に、氷翠王は眠りから無理矢理引き摺り帰された。一瞬、夜食を用意してくる、と部屋を出て行った千波【チハ】かと思ったが、彼はこんなに乱暴な起こし方をしない、と思い直す。だとすれば誰なのか。・・・・・・・思い当たる人物が多すぎて、氷翠王には判断できなかった。少しの間を置いて意識をはっきりさせた後、部屋のすぐ外に待つ人物に声をかける。「入っていい。」偏頭痛のするこめかみを押さえ、一瞬目を細めるが、それも入ってきた人物を見て寸分忘れる。「・・・・・・・・良将【よしまさ】?」驚く氷翠王に、相手は大型犬が尻尾を盛大に振っているように嬉しげな顔をして笑いかける。「ん。ただいま、邦友さん。」氷翠王のことを正式な名を貰う以前の名で呼ぶのは、今はこの人物しかいない。他の者は、氷翠王の父が便宜上とはいえ自分の弟の名を氷翠王に与えたのが気に入らないのだ。父の弟であった朱樺邦友【シュカ クニトモ】は稀な才を有していたが、碌な死に際をしなかったので。にっこりと昔の名を呼んで笑む良将に、氷翠王も歓迎の意をこめて微笑みかける。「おかえり。」「うん。俺がいない間も元気だった?」言いながら良将は軽い抱擁をしてくる。これはほとんど儀式に近いものだった。再会した時と、別れる時、良将は必ず忘れることなく抱擁をしていく。接触はそれのみ。あとは迂闊には触れてこない。それを大人しく返しながら、氷翠王は柔らかい視線を向けた。「何時?」「ん?」「何時帰ってきたんだ?」頬にあたる髪がくすぐったく思え、氷翠王は目を細める。それを面白げに見返しながら良将は目元を笑ませながら、返事をしてくる。「ついさっき。本当は明日の朝船でこっちにつく筈だったんだけど、思ったより早くついた。」「黒曜【コクヨウ】から?」「そうだよ。」皓【コウ】国と大陸を二分する黒曜国には、自国の紋章を象った旗を掲げる私掠船の存在が有名だった。簡潔に言えば、海軍とは別に国王陛下が掠奪を認めている海賊たちのことである。鎖国を旨とする皓国とは異なり、黒曜国は海に通じさかんに他国との貿易をし、かつ海を越えた領土の拡大を着々と図っている。黒曜国の海軍は無敵と謳われるほど世界では恐れられていた。そのトップに君臨すると云われるのが、黒曜の海賊であった。良将は、その中の船の一つを任されている人物だ。安騎良将【アキ ヨシマサ】、と云われれば知らない者はそうはいない。軽い抱擁を解き、氷翠王は目の前に立つ男を見返す。わざと不揃いに伸ばした獅子のような豪奢な金の髪は、長身に野生的な顔立ちに映え、驚くほど見栄えがする。美貌だが、物騒な光を宿す鷹のような鋭いターコイズブルーの瞳が荒削りの印象を良将に与えている。手足も長く鍛え上げられた逞しい身体に、動きやすさだけを追求したような身体の線にゆったりと沿う洋装は豪奢な金髪と容貌を際立たせていて、この男が自分の魅せ方を知っていることを見る者に知らせる。此処、【禁足地】はちょうど皓国と黒曜国の中間にある。良将は黒曜の港に船を停めた勢いで此方に顔を見せたのだろう。そうなんともなしに考えていると、氷翠王は良将がふ、と眉根を寄せたのに気づいた。「・・・・・・どうかしたのか?」「どう、って・・・・・・・邦友さんこそどうしたの。」「どうもしてないが・・・・・。」そう答えると、良将の目つきが一瞬の内に鋭くなる。何がだ、とかわしてみせたが、誤魔化されてくれる気はないらしい。「・・・・顔色が悪い。それに、・・・・何、さっきからこめかみ押さえて。」「別にどうもしない。」目を逸らしもしない氷翠王に何を思ったのか、良将は厳しく目を細めた。「こめかみってことは、風邪じゃないな。」良将は氷翠王が精神的な疲れを覚えると酷い偏頭痛と微熱に悩まされることを知っている。だが誤魔化しではなく、一種の慣れた者だけが言う強い否定を告げる氷翠王に良将はしかし追求を弱めなかった。「何かあっただろう?」「・・・・・・・・・・・・・・。」良将の問いに氷翠王は何も言わず、ただその怜悧な瞳に微笑を佩いた。その笑みは、澄み切りすぎて痛く、「・・・・・・そんな顔して笑うのよしなって。」「・・・・・・・・・?」自分がどんな表情をしているのか分からず、氷翠王はまるで幼な子のように首を傾げる。「皆の前でもそんな顔してんの?」広い肩を上下させ、宥めるように声を発した良将が、目を合わせるようにかがみ込んでくる。そうして、じっと目を合わされて、氷翠王はくすぐったいように目を細める。その仕草に反してきっぱりとした声が発せられた。「していない。」「何でそう思うの。」「今はもう、これ以上の数の作り笑いができないから。」ようするに、数をこなしすぎて今は上手く笑えない、と悪辣な冗談のように氷翠王は何の気なしに言ってのけた。自分でも、一体これはどうだろう、と思う自覚は在る。これも、たぶん甘えているのだ。まるで子供のようだ。叱って欲しい、など。彼の正しすぎる言葉が、何より欲しいと思う。予想通り、良将は頭が痛いとでも言いたげにこめかみを押さえて首を振った。「辛くないの。」「分からない。」似合っていない、とどこか哀しげに良将は言う。「邦友さんはそれでいいの。」良将に昔の名を呼ばれるのは好きだった。今、この場に居るのではなく、昔の何も知らなかった頃に戻った気がしたから。良将がこう呼ぶ時はいつも、特別だというニュアンスが、そこだけ柔らかくなる声の響きにも、揺らぐ吐息の強さにも分かるから。その響きで、声で呼ばれ、自分こそが痛いような顔をした良将に静かに問われて氷翠王は何も言えなかった。「“自分が走り続けなかったら誰が朱樺を守るんだ”って、朱樺の地のことを話してた時のこと、俺は覚えてるよ。あんな嬉しそうな幸福そうな、きらきらした顔してまでずっと守ってきた人たちに、自分だけ表面だけみたいな付き合いして、本当の自分を見せずに相手を偽って、それで本当に満足できるの。」俺は嫌だよ、と良将は大きな手のひらを両肩にかけてくれる。「・・・・・・・・ねぇ、それって偶像崇拝だよ。」彼らは、と続ける良将を氷翠王はかすかにかぶりを振って見上げる。良将の言葉が胸を抉る。本当は彼らと思いを重ねたとき、根本的に全てがかすかにずれていって、最後には大幅なずれと歪みがあることは本当は分かっていた。お互いにもう、互いの姿が見えた時期は過ぎに過ぎていたのに、その事実に気づいているのもまた、氷翠王しか気づいていないのだ。もう取り繕えない薄い絆を躍起になって取り戻している心地さへする。自分を抱いていた想いが、もう何処に在るかも分からない所にいってしまったと、そう考えるだけで、本当は彼らのことが心配でたまらなくなる。彼らがこのことに気づいた時の、彼らの受ける傷の深さを思って。ただ、ただ、心配で・・・・・・・・。心配でならない・・・・・・。人の“理想”はいつもその人の中に在る。しかし、その“理想”が過去と今、未来では同一であるとは限らない。人の“理想”は今生きている“現在”で変わるものだから。昔は“理想”だった。けれど。今は違うかもしれない。そうして勝手に失望して、人は離れていく。昔の彼らが救われるために欲しがった“理想”を、まるで本当に自分自身であると演じきった自分は、“本物”でない限り、これから“先”を恐れ続ける。自分は今、皮肉にも、過去の自分に押しつぶされかけている。過去の自分に脅かされている。このまま力を喪うことに恐怖を感じている。目まぐるしく流れる時が、自分を置き去りにすることを恐れている。いつも、脅迫を感じている。だから刹那的になって誤魔化している。ここで去れば伝説になれると思っている。「邦友さんには幸せになって欲しいよ。俺じゃなくってもいいんだ。でも、・・・・・・でも、彼らを欺くようなことをして、それで本当にいいのか?」ああ、彼はどこまでも真っ直ぐで強い。案じてくれる彼の厳しい言葉は、けれど何より言って欲しかったもの。「・・・・・それで、かまわない。」良将に氷翠王は絶えるように真実の言葉を震える唇に乗せる。(どうか・・・・・・・。)声が震えていませんように。・・・・・・言葉は他に、思いつかなかった。「これだけあれば、それで、いい。」息が、上がりそうになる。「でも、彼らは邦友さんの“本物”を見ていない。」(この切なげに震える、弱い肩も、知らない。)良将はそう、心に思う。どう言えばせめてもの慰めになるのか。目の前の人を担いで逃げられるような地位と権力が欲しかった。こんなトコロ(禁足地)に捕らえられて逃げられない彼女を柔らかく包み込める、彼女の母の身体が欲しかった。どちらも、叶わぬ夢・・・・・・・。どうして神は彼女にばかり苛虐なほどに厳しいのか。せめて彼女よりも先に生まれていれば、こんな状態にさせはしなかったのに。「そういうの、平気なタイプじゃないのに、それだけなんて言うなよ。」「分かってるっ・・・・・・、でも、捨てられない。・・・・・・そんなことはできない。」“これ”があるから、生きていける。生まれた時から今までずっと、自分を必要としたのは朱樺の地だけだった。初めて与えられた、“生きていい理由”だった。「ない方が、苦しい。・・・・・苦しいんだ。」氷翠王は無意識に両手で目を覆う。もう二度と、あの苦しみは味わいたくない。だから、矛盾ばかりを抱えて、ただ、迷うまま。「邦友さん・・・・・。」「そんなことは別にかまわない。“痛い”?“苦しい”?“辛い”?“無理だ”?知ったことか。私は自分の好きにする。」「私が強くなりたかったのは、自分が“一番”になって誰も私から朱樺を横取りできないほど、“朱樺”というものの“唯一”になりたかったからかもしれない。」両の瞳を隠していた手をどけ、瞳を上げる。ゆっくりと、氷翠王は自分の手を見つめた。自分の本心を探るように。「そんなこと、できるはずもないのに。でもそう思ってた。父が母に殺された時から。“ここ”を母に刺されてから。ずっと。盲目的に。」“ここ”と言いながら氷翠王は左の腰骨の辺りを無意識に押さえる。「“朱樺”を自分一人のものにしたかった。誰にも渡したくなかった。だから蒐【シュウ】家にも忠誠を誓って立て直しまでした。私は“朱樺”に愛されたかった。・・・・・・・・愛される、なんて、“朱樺”は人ですらないのに。」有機物ですらない、と氷翠王はかすかに思う。「自分の心のための保身なんてどうでもいい。これぐらいも堪えられないならいっそ、壊れてしまえばいい。私は、朱樺のためになればそれでいい。」だから自分は朱樺の地を離れることになってでも、朱樺を義兄に任せてきた。「私が壊れようがどうでもいい。次の朱樺に繋がれば、それでいい。お前こそ、分かってない。私は還る、朱樺に、必ず。私は百、欲しい。百、手に入らないなら、零しかいらない。」「・・・・・・・・そんなに、大事?」息を呑んだ良将が問いかけてきて、氷翠王は頷く。「そう、・・・・・・・なら、俺はもう、何も言わないよ。」静かな良将の声に伏せた目を上げると、“お節介が過ぎた”、と彼は笑ってみせる。「ただ、覚えておいて。俺は邦友さんの味方なんだからね?」優しく肩を撫でられ、思わず良将の肩に額を押し付ける。「・・・・・・うん。」・・・・・温かいものが頭に触れた。良将の大きな手はずっと長い間、温かみを分けるように氷翠王の髪を撫で続けてくれていた。
2006年05月04日
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まどろみの中見た夢は、ほんの数刻前の過去。月光の淡く照らす雪化粧をした庭園が己の部屋から見える。ほの蒼い光がほろほろと視界を塞ぐ。雪の降る庭園が見えるように部屋の襖を開け放していて、身は凍えるほど寒いはずなのに、畳に擦り付けている頬は熱があるのかと疑うほど、熱い。逆にはらはらと頬に触れる雪が心地よかった。気温が低いせいで高く、澄んだ夜空を見、呼吸を深くする。かなり深く、眠っていたらしい。疲労に重かった身体は程好くだるく、少し軽い。(今度こそ、終わりにできる。)そう思って、短い時間に現状を思い出した氷翠王【シャナオウ】は、いつものように穏やかな微笑をその瞳に浮かべた。『あなたを見ていると時折妙に癇に障る。』『そんな見え透いた嘘で一体何を隠そうと言うんですか。こうでもしなければあなたは本心を明かせませんか。無理矢理吐かせてやらないと、あなたには駄目ですか。』耳元で容赦なく囁かれた断罪の声を思い出した。『一体何を企んでいるんです。』男は、有家清綱【ありえ きよつな】が最後に告げた言葉を。それが氷翠王が【禁足地】に連れてきた“守人”のことを言っているのは分かっていた。有家は、気づいている。『・・・・・・あなたはここで去れば英雄になれると思っている。』『今夜のあなたは野蛮すぎる。・・・・・・“元虎”で在ることに疲れましたか。それとも“氷翠王”に?』(違う、有家。)届かないと分かっていて氷翠王は今は此処にいない男に呼びかける。伝わる気が、するのだ。何処に居ようが、どれだけの距離が離れていようが。それは心が通っているとか、そういう優しく甘ったるい理由ではなく。無茶苦茶な男だ。船が沈めば泳いででも戻ってくる男だ。虜囚の身になれば、檻を引き摺ってでも帰ってくる男だ。邪魔をすればその人間を皆殺しにしてでも帰ってくる男だ。理屈じゃない。“それ”が、できる男だ。そうでなければ自分はここまであの男に許しはしなかった。だから。だから、と。(死にたいわけではない。けれど、生き永らえたいわけじゃない。)“生きたい”のだ。だからその理由が血を吐くほど、欲しい。ずっと、“他”はいらなかった。今も、いらない。“朱樺”【シュカ】の地のためだけに生きている。それのために死ぬために、生きている。けれどたぶん、“俺”を殺すのはお前だ。(有家。)己の身さえ焦がす様に、まるで憎しみさえ其の声に籠めている様に、お前は俺を呼ぶ。まるで敬虔な殉教者の様に。一片の偽りも疑心も持たないお前の言葉は俺の醜い心を抉り出し、同時に俺をひどく怯えさせる。『元虎様。』そうしてまだ俺を呼ぶのか。俺はもう死んでいるのに。今生きているこの魂は、既に俺のものではないのに。これ以上俺に何を請うんだ。俺は全てを捨てたのに。自分が自分で在ることすら捨てたというのに。これ以上俺に何を請うんだ。<お前は・・・・・・・・。>死してなお、眠ることすら許してくれないのか・・・・・。『元虎様。』裏切り者。殺してやる。この魂に触れることはお前は二度とない。お前が唯一欲しがるものなど与えてやらない。馬鹿が。お前は愚かだ。愚かすぎてもう、云うことがない・・・・・・・。(お前が与えるべきであったのは、俺ではない。)俺は何度も機会を与えた。此れがお前が選んだものだ。・・・・・・狂い、死ねばいい。俺を呼ぶ代償に失うものを、お前は判っている。判っていてやっている。諦めればすぐに手に入る幸福を、お前は知っている。其れを知ることができるほどお前は利口で、そして其れを承知で其れに見向きもしないほどお前は愚かだ。『元虎様。』もう・・・・、いい。もう・・・・、判った。それほど請うならば。来い。殺してやる。それほど狂わせたいのなら。来ればいい。(・・・・・・・・。)呼べ。再び訪れるまどろみに身を任せながら、氷翠王は己の過去の名を呼ぶ男の横顔を思い出した。殉教者のようにただ、ひたむきな視線は、いつになく鮮やかだった。次第に暗くなる視界の端にそれを捕らえ、氷翠王は堕ちていった。
2006年05月04日
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自分に縋り付くようにして気を失った少女を抱き上げ、氷翠王【シャナオウ】はその少女を見下ろした。少女の胸が呼吸のためにか細く上下している。それだけが少女が生きていると分かる事実を知らせる。ぐったりとしたその身体が小刻みに震えている。そして寒さに堪えるためだろうか、まるで助けを求めるように少女はその小さな指先が白さを通り過ぎて蒼くなるほど氷翠王の肩の部分の服を握り締めている。否、求めるように、ではなく、求めている。その仕草はあまりにも哀れで胸を突かれる。ひたすらか細い息は、それすらだんだんと弱まり切っていく。かなり冷えている。自分に助けを求める呼吸に、氷翠王は少女にとって冷たく無慈悲な雪からかばうように抱きながら少女に降り積もった雪を払い落としていく。それに気づいたように一瞬、少女の縋る指に力が入り、強張った表情が緩んだ。氷翠王もそれに気づき、少女の濡れて凍っている髪を自分の手指で溶かすように何度も撫でて、ほぐしていく。『わかった・・・・・・わかったから。大丈夫。もう・・・・・・・寒くない。』氷翠王はそう語りかけて、ぬくもりを伝えてやるように抱いた少女の身体を引き寄せた。雪は未だ止む気配は、ない。(このままでは死んでしまう。)少女の身体はこれ以上この雪山の寒さに堪えられないだろう。とても雪山に入る格好ではない少女に自分の上着を身体を包み込むようにくるませる。このまま此処にいても少女が凍えるだけだ。少女だけではない。気丈に一人で立ち、獅吼【シコウ】に食って掛かっている少年もだ。だんだん弱まっていく少女の体温を感じ、それに向かって無情にも叩き付ける氷交じりの雪を恨む。が、それより先にしなければならない事がまだ待っている。遭難者が少女だけならそのまま馬を駆けさせてでも、自分の屋敷に連れて行くことができるが、生憎ともう一人。触れることが許されなければ助けることもできない。だが少年は生がある限りをもって極上の敵意と憎悪でもって、獅吼に相対している。よほど、相性が悪いらしい。この分なら、少年を獅吼に任せず自分で応対していた方が良かったかもしれない。未だ少年の容赦ない攻撃をかわしながら、それでも余裕で相手を揶揄する獅吼の名を氷翠王は呼んだ。少女を抱き上げ、彼らとの距離を測りながら近づく。『獅吼。』その氷翠王の確かな声に、獅吼は主に忠実な番犬のようにこちらをないがしろには決してしない熱意さで氷翠王と少女に身体を向き直って目を向けた。少年はそのことに頓着せず、獅吼のその行動を“隙”と見たのだろう、そのまま獅吼に身体が凍傷を起こしかけているとは思えぬ鋭敏さでもって攻撃を仕掛ける。が、獅吼は一瞬面白げに片眉を吊り上げたが、少年をはるかに上回る俊敏な動きで面倒くさそうに少年を叩き伏せた。『ようやく、かい?先生。待ちくたびれたぜ。』色悪、という形容がこうまで似合う男は他にいないだろうという口調と声で、自分のことを先生、という可笑しなあだ名で呼ぶ男に氷翠王は真っ直ぐに視線を返して笑みを浮かべた。『あんた・・・・・・・っ!』獅吼の言葉に、自分がその警戒心を逆手に取られて少女の方に気が向かないように注意を逸らされていたことに少年は気がついたのだろう。一瞬、自分への怒りに燃え上がった少年の瞳は、けれど氷翠王と少女に戻された途端に驚きと戸惑いの色に変わった。その少年に瞳を移して氷翠王は少年に話しかけた。なるべく刺激をしないように、理性的に。『あなた方に危害を加えるつもりはない。行く当てがあるのならば、そこへ無事に辿り着けるよう、取り計らおう。』その氷翠王の声音に少年は少し目を見張り、けれどいったんは幾らかの冷静さを取り戻す。または取り戻したかのように装った。だが、言外にあなた達二人の今の状態では何処にも行けないだろう、と意味と最初から行く当てがあるのならこんな【禁足地】などに入り込みはしないだろう、という意味を込めた氷翠王の言葉に、少年は唇を噛み締めて警戒心に満ちた眼差しでこちらを凝視する。まるで一片の嘘も悪意も見逃すまい、とするように。その少年を獅吼は面白げにからかう。『悪意のない人間に随分な態度だな。それとも怯えなきゃいけねえ理由でもあるのか?』それに少年はカッとなって獅吼に怒鳴り返す。氷翠王に対する時とは違い、えらく沸点が低い。『うるせぇ。誰が初対面なのに『はい、そうですか』って、てめぇを信用するのかよ。どう贔屓目に見たって、てめぇは堅気じゃねぇだろうがっ!!』『おいおい。言うに事欠いてそれかよ。何で分からないかねぇ。ぱっと一目で正確に俺の性格を分からせてやろうという俺の優しさが。』『そうなのか?・・・・・・・まあ、お前の格好を見て控え目で大人しい男だ、と言う者はいないだろうが。』とどめに知らなかった、と嘯く氷翠王に獅吼は珍しく苦笑した。『先生。それは一応、執り成しているつもりかい?』『いいや。執り成して欲しいのか?』自分の後始末ぐらい自分でできるだろう、と当たり前のように言う氷翠王にさしもの獅吼の勝てない。気がつけば、少年だけが話に置いていかれているのにその原因になった本人が悪げもなく執り成した。『で?先生、どうするつもりだ?』長くなりそうな話に獅吼は煙管を取り出してふかし始める。『何より先に治療を施したい。町のほうに戻ってもいいが、ちゃんと医学を修めた医者はいないだろう。あなた方の状態を見れば、温かい湯に放り込んだ後瀉血しようとするだろうが、駄目だ。あんな治療法では身体が弱まるだけだ。それより【禁足地】に連れて行って雪花【セッカ】に診てもらった方が良い。』『だろうな。骨折だけでも足をのこぎり引きで切り落とす医者と汚れた包帯を使って傷口を化膿させる医者しか町にはいないからな。』最後の言葉以外は少年に向けた氷翠王の言葉に、獅吼は同意をしめす言葉を返す。あまりの現状の酷さに目を剥いていた少年がやっと我に返り、ギリギリとこちらを睨み据える。『何処に連れて行くつもりなのか知らねぇが、俺はあんたたちに付いてはいかない。・・・・・・・・・そいつを、放せ。』『へぇ・・・・・・・、粋な口を利きやがる。その意気の良さと無鉄砲さは認めるが、引き際を誤る馬鹿は一番に死ぬぞ、生憎とな。』『黙れよ。あんたも、金掴まされて頼まれた口だろうがっ!』人を食ったような獅吼の口上と殺気を向ける少年の毒舌を黙って聞いていた氷翠王は、ふいに表情を緩ませて微笑した。『賢明だな。“深慮”、それだけが自分の身を守ってくれる。もちろんそれ以外を守るためにはそれを更に利刃のように砥いでおかないと、生きてはいけない。』けんめい、の言葉に懸命の意味を氷翠王が含ませたことに少年は気づかない。けれど言いたいことの意味は分かっているだろう。言葉のとおり、賢い少年だ。それは痛いほど自覚の刃を少年に突きつけることだろう。同時に、敵意と殺意が剥き出しの自分の態度を気にも留めず、柔らかな微笑と声をむけてくる氷翠王に少年は困惑する。だが、次に氷翠王は痛いところを突いた。『そこまであなた達には利用価値があるのか?』少年はしまったとでもいうように唇を噛んだ。もし、この二人組みが何も知らなかったとしても、今までの少年自身の態度と言葉で、自分たちが何かに追われていること、何かから逃げていることが丸分かりだ。それすらにも、頭が回らなかったと、少年は自分の迂闊さに自分を八つ裂きにしたいほどの憎悪を覚えた。その感情が、今まで気力だけで立っていた少年を揺らがせる。気を失うまい、と足が地に噛むように立つ少年の肩が、それでも身体に正直にふらつく。それを触れるか触れないかの微妙な接触で氷翠王は支える。傷を負った獣のように牙を剥く少年の矜持を無遠慮で無神経な優しさで穢したくはなかったのだ。そして少年が自分の手を振り払おうとするだろう事を見越して、氷翠王は少年が氷翠王の手を振り払うことで体力を削らせないようにすぐに手を離す。少年の警戒心をこれ以上逆撫でしない程度の距離を置く。まあ、少女を腕に抱いているので反感を買わない、などということはないだろうが。『私たちは【禁足地】に住む者だ。』少年たちの体調を慮り、氷翠王は一気に話を進めることを決めた。少年は名だけは聞いたことがあるだろう地名に、眼を見開く。『そこにはあなたたちのように行き場のない者が、大勢いる。彼らは、外の何にも服従しない。己の名の下に戦う者ばかりだ。自分の足で立ち、己の信念にしか従わない。身分や名や地を問わない。過去も、髪や瞳の色も。失いかけたものは、守ることで再び取り戻せる。欲しいものがあるのなら、戦えばいい。』静かだが強い意志が宿る氷翠王の言葉に、少年は言いたいことが分かったのだろう。氷翠王が言葉に孕んだ、少年にとっての対象である少女に少年は視線を滑らせた。それをしずかに見据えながら、少年にとっては厳しいであろう言葉を氷翠王は向けた。『確かに初対面の人間を信用などできないだろう。追われているならなおさら用心深くならなければならない。だが、ではそれを何で測る。今、ここで。』氷翠王の厳しい言葉に少年は図星の苛立ちを己にぶつける。『道は二つ。このまま此処でのたれ死ぬか、私たちと共に来るか。徒に此処で待ってもあなたの望むものは手に入らない。ならば、まだ可能性のある方に賭けてみるのも一興だとは思うがな。まあ・・・・・・、あなた次第だ。』『・・・・・・・・・・・・。』『同じ戦うなら、残るもののために戦え。・・・・・私はその機会を与えてやれるぞ。そしてその賭けに勝てばあなたは居場所を作れる。この子が、生きているのだから。』『・・・・・なんでだ?』『何がだ。』『こんなことして得があんのか?口調からして本当に俺たちのこと何も知らないんだろ?・・・・・なんでそんなこと・・・・・・・・。』言うんだ、と問う少年に氷翠王は無造作に返事を放り投げる。『別に困らないからな、私は。』『なぜ?』『私はあなたにどうこうされてたりはしていないからな。』『さっき攻撃をしかけただろう。』『別に死んでいないからな。獅吼も私も。問題ない。』『・・・・・・本気か。』『ああ。』『・・・・・・・・・・・・。』潔すぎる氷翠王の言葉に聞く耳を持ちながらも、未だ半信半疑の少年に、氷翠王は言葉を続けた。『生きながらせたい訳じゃない、決して。』行き成り続いた言葉をいぶかしみながらも、少年は再び氷翠王に眼を遣る。『局を見れず、感情ばかりに走るならばこのまま其処に死ぬまでいればいい。』その言葉に本気を見てとって、少年はそれが最後通牒だということを知る。『“生きたい”なら、来い。最大限の助力を約束しよう。』氷翠王の言葉は痛いが、事実だ。ここにいれば死ぬ。この機会を逃せば、少年は少女と此処で心中することになるだろう。『・・・・・・・・こいつに、危害は加えないんだな。』確認の口調になった少年に、氷翠王は真率な瞳をこちらに真っ直ぐに向けてくる。『約束しよう。』予想通りの言葉を得、少年は精根尽きたように瞳を閉じて肯いた。
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