全6件 (6件中 1-6件目)
1

調査報道でピューリッツァー賞などを受賞したエヴァン・オスノスが書いた本。アメリカ合衆国第四十六代大統領ジョー・バイデンの半生が綴られている。出版は2020年。バイデンがトランプ大統領の2期目を阻んだ年にあたる。本書の後半、バイデンがトランプを評して語ったとされる言葉があった。「意地の悪さ、狭量さ、自腹を切ってまでも復讐を果たそうとする執念深さ。」この時バイデンはトランプ大統領の再選を阻むことに成功。敗北を受け入れようとしないトランプの悪態は、バイデンが評するトランプそのものだった。しかしその4年後の大統領選では、まさに執念深くトランプは大統領の座を再びもぎ取った。トランプ政権が誕生するまで、アメリカは長年、世界のリーダーとしての役割を果たし続け、それによって世界中の金・物・人・情報がアメリカに還流し続けてきた。そんなアメリカ繁栄の仕組みを、トランプ政権は捨てた。そして目先の取引一つ一つの損益勘定に血眼になり、結果によらず大勝利、大勝利と自らを称賛している。白人至上主義が透けて見える移民の強制排除政策は、今のところヒスパニックや中南米からの移民が主なターゲットになっているが、不法移民に留まらず留学生や研究者にも矛先が向かっている。最終的にトランプと戦った候補者がハリスではなく、再びヒラリー・クリントンだったら今回の結果はどうだったのだろう、と今さらながら改めて思う。
December 28, 2025
コメント(0)

仙台の城下町の北西端に「坊主町」(ぼうずまち)はあった。大崎八幡宮に近く、今は仙台市青葉区国見二丁目、八幡ニ・四丁目のそれぞれ一部になっている(昭和45年2月1日住居表示)。八幡町の本通りから北に向かって緩やかな斜面を上る。とは言うものの、その傾斜は緩やかで、大崎八幡宮の長い石段分をいつの間にか登っていた感覚。そんなに上まで登った感じはしていなかった。とにかく坊主町は大崎八幡宮に隣接する町だったことがわかった。(大崎八幡宮から見たかつての坊主町方面)辻標32番「江戸町/坊主町」は坊主町を次のように説明している。・天和3年に亀岡八幡が祀られるまで麓に住んでいた坊主衆の大部分は、龍宝寺の東北、四ツ谷堰の北に移されて坊主町ができた。・何阿彌と称した同朋衆の指導をうけ、城内の装飾、案内、接待等に奉仕した。・頭を丸めていたが、藩主や重役にも接するため礼儀作法に通じた。少しわかりにくいが、亀岡八幡は今も青葉山の麓(ふもと)にあるので、もともと川内亀岡あたりに住んでいた坊主衆が、亀岡八幡の造営によって四ツ谷用水の北側に移された、ということだと思われる。(四ツ谷用水の跡。標柱には「仙台藩祖伊達政宗公は、城下町に必要な水を広瀬川上流の郷六から引きました。「四ツ谷用水」と言われ、ここはその本流の跡です」とある)(この四ツ谷用水の上側が坊主町、下側は江戸町だったと思われる。)そして坊主衆とは、お寺にいるお坊さんのことではなく、お城の中で働く僧の姿をした人たちを指し、殿様のお世話や来客の接待をするお坊さんの姿をした人たちのことのようだ。坊主町は城下町の端にあって、お城からは少し遠い。ここからお城に登っていたとすれば、その通勤は少し大変だったのではないかと感じた。町の範囲は面的になっていて、城下町中心部の両側町とは様相が異なり、坊主町という通りがどこだったのか、歩いてみても良くわからなかった。
December 23, 2025
コメント(0)

ボストン・レッドソックスがワールドシリーズを制覇した2013年シーズンの終了後、この本は書かれた。少し前に読んだ「覚悟の決め方(PHP新書)」とこの本は同じタイミングで書かれ、出版されている。この2冊にはの内容が重なっているところもあり、ほぼ同時に出版されたことが少し不思議にも感じた。だけど前に読んだ「覚悟の決め方」が小気味良い書きっぷりで、読みながら気持ちが上がってきたたので、この本もちゃんと読もうと思った。野球が好きで、ある程度野球が得意で、それなりに一所懸命に野球をやって、だけど一流にはなれなかった、つまり野球エリートではなかった元野球部員たちがこの本を読むと、共感できる部分がすごく多いに違いないと感じた。アマチュア野球界の片隅にいたような僕でさえ、読みながら「あぁ、そうだったよなぁ…」と何度も感慨に浸った。専用の練習グラウンドがない、野球用具は自費で調達、遠征費も自腹、顧問はいるけど指導者はいない、選手たちで考えて練習するしかない、自己流だからケガもする、強豪校には練習試合も組んでもらえない…こんな環境で上原投手は野球を続けた。大学浪人もしながら…肩を壊したとか、膝を痛めたとか、金が続かないとか、親に辞めろと言われたとか、日々の辛い練習から逃れるためのもっともらしい理由はいくらでもある。練習環境が良かったら俺もプロに行けた、強いチームだったら俺も注目されていた、などと語る大人も少なからずいる。だけど、上原浩治はこの環境からドラフト1位で巨人に入り、30代半ばで大リーグに移籍し、ボストン・レッドソックスでワールドシリーズを制覇した。彼とその他大勢との違いは何か。上原は自身を不器用と言うが、能力の圧倒的な違いは前提としてあるとは思う。ただ、それだけでは上原浩治は上原浩治になれなかったことも間違いない。「不変」そして「覚悟」このキーワードをベースに、彼を頂点に押し上げた要因がさまざまこの本には書かれていた。
December 18, 2025
コメント(0)

地下鉄大通駅の近くで家族と食事をした。この日は1日雨。エアコンなしでは過ごせないほど暑かった夏の名残はすっかり消えて、夕方から気温がぐっと下がった。夏の暑い空気は今どこにあるのだろう、と歩きながら思った。今は子どもが札幌に住んでいるおかげで、北海道の親戚に会う機会も増えた。自分が子どもの頃は、おそらくわが家の経済的な理由で親戚の冠婚葬祭には親のどちらかだけが出ていたから、北海道に行く機会はほとんどなかった。今年はこれが3回目の札幌。こんな日が来るとは…と、飛行機の窓から北海道を眺めながら思ったりもしていた。子どもが予約してくれたレストランのテーブル横には大泉洋さんのサインがあった。北海道のローカル番組「1✕8行こうよ!」の縁で、今年の夏に食事に来てくれたらしい。オリゾンテ、というイタリアンのレストラン。行くたびに満席で、賑やかで、料理もワインも美味しくて、今回も楽しい時間を過ごした。
December 13, 2025
コメント(0)

上原投手のピッチングスタイルそのままに、小気味の良い書きっぷりの本だった。一気に読み終えた。1998年に巨人にドラフト1位で入団し、1年目に新人王と沢村賞を獲得。2009年から大リーグで活躍し、2013年にボストン・レッドソックスでワールドシリーズ優勝。胴上げ投手となった。プロ入り後の上原浩治投手の経歴は華麗のひと言。だけど彼は少年時代からずっと無名の一野球部員に過ぎなかった、とのこと。高校時代は外野手兼控え投手。大学入試では1年浪人を経験した後、体育教師を目指して大阪体育大学に入学している。その彼が大学に入ってから突然脚光を浴びた理由は何か。「正直、自分でもよくわからない…」と彼は言う。笑わせるつもりはないのだろうが、いかにも大阪の人っぽい片付け方で笑えた。自分のことを言えば、投手の経験は小学校の草野球と大人になってからの草野球だけ。あとは全部外野手だったこともあり、ピッチャーというポジションは一度きちんとやってみたい憧れでもあり謎の多いポジションでもあった。中でも、打たれている時と抑えている時のピッチングの違いが外野から見ている僕には良くわからなかった。その点も含めて、上原投手は「良くわからない…」と言いながらも一流のピッチャーへと這い上がっていくプロセスをしっかりと書いてくれている。とりわけ球種については、フォークボールの上原投手独自の握り方まで子細に書かれていた。当時はまだ現役だったのによくぞここまで開けっぴろげに…と感じた。近頃また野球関連の本に手が伸びるようになってきた。年齢がかさむとともに思うように身体が動かなくなり、それと共に野球をやらなくなり、そうするとプロ野球を観ていても興奮しなくなり、「野球に飽きたのかな」と思っていたけど、今はやっぱり野球が好きだと思っている。あわよくば、身体が動くうちにこの本を読んで、上原投手の真似をしながら上達してみたかった。さらに言えば、自分で最初からムリと決めつけずに「ピッチャーがやりたいです!」と宣言してみたかった。
December 8, 2025
コメント(0)

仲が悪くて極力関係を絶ってきた兄が死んだ。突然、見知らぬ土地の警察から遺体を引き取りに来るように電話があり、後始末に行かなくてはならなくなった妹の話。切実なテーマながら、ほのぼのとしたタッチで描かれていて、出てくる人はみんな良い人たちばかりで、心がほどけるような時間を過ごせた。少し欲を言えば、ロケ地があまりにも普通の場所で、映画館に向かう途中の風景とスクリーンの中がほぼ一緒。大スクリーンで日常から逃避するという楽しみ方は、この映画の場合、難しかった。
December 3, 2025
コメント(0)
全6件 (6件中 1-6件目)
1