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クロニクル 山手線に冷房車登場1970(昭和45)年7月31日酷暑の日々ですから、涼しそうな話題を…。42年前のことです。今ではあたり前になった通勤電車の冷房。私はもっぱら弱冷房車を利用するよう心がけているくらいです。そんな冷房車。当時は新幹線を中心に、別に特急料金が必要な長距離電車にのみ設置されておりました。乗車時間の短い通勤電車には要らないと考えられていたのですね。関西の事情には疎いので、もしかしたらそちらの方が速いのかもしれませんが、首都圏で最初に冷房車を導入したのは、1968(昭和43)年の京王電鉄でした。新宿から京王八王子や高尾山口に向かう1部の特急(特別料金不要)に設置したのが最初です。この好評を見て、当時の国鉄が山手線に導入を試み、42年前の今日、その第1号が登場したのです。当時の冷房車は新型車輌の1部の電車だけだけでした。私は、赤羽線の板橋駅が最寄り駅で、池袋・新宿間良く利用していましたので、夏場に時たま、冷房車にめぐり合うと、何か得した気分になったものです。今はあたり前になっている、ラッシュ時間帯の女性専用車輌の導入も、京王電鉄が最初に踏み切っています。そういう点で、京王電鉄は通勤電車サービス改革のパイオニアです。
2012.07.31
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クロニクル 小渕恵三内閣成立1998(平成10)年7月30日14年前のことです。7月24日の自民党総裁選で勝利した、小渕恵三自民党総裁を首班とする小渕内閣が、この日成立しました。内閣の目玉は、首相が三顧の礼を持って迎えた元首相の宮沢喜一蔵相と、民間から迎えた堺屋太一経済企画庁長官でした。この2人の積極財政論者による、財政の大盤振る舞いで、落ち込んでいた景気は多少持ち直しましたが、赤字財政に苦しむ中、隠しおおせなくなった不良債権のヤマの中で、資本の毀損が著しい大手金融機関への公的資金の注入が不可避な状勢になっていたため、継続的な財政資金の投入は躊躇われる事となりました。こうして、やがて経済の減速が明らかとなり、他方で蔵相が是非にと拘った長銀の救済は、相手方と頼んだ住友信託銀行の足並みが揃わず、遂には、一時国有化という荒療治が仕組まれるなど、日本経済は、やがてどん底へと落ちていくことになりました。
2012.07.30
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バーベキュー・パーティ今晩は。私の住んでいる地域は、世帯数140軒少々の住宅団地です。市営の浄化槽が利用できるようになるまで、自分達で浄化槽用地を確保し、運用してきました。その関係で、比較的団結意識の強い自治会が、現在も残っています。自治会に所属しながら、自治会ごと町内会にも加盟していますから、大人も子どもも、2つの団体の行事に参加し、楽しむことも出来るのですが、その分、忙しくもあります。本日は、昨年の東日本大震災を受けて、昨夏から初めた自治会行事、納涼バーベキューパーティの2回目でした。いつ来るか分からない大震災に備え、12月のもちつき大会の外に、夏にバーベキューパーティをやろうと言うわけです。焼肉、ヤキソバ、魚貝と野菜を交代で焼き、シニア、若者、子ども達の3世代が一夜に楽しみ、団地中で会話のできる関係を築こうというのが、キャッチフレーズです。会場は、団地入口の緑地です。自分達で「公園・緑地管理運営協議会」を作り、清掃や草刈など請負、自主管理をしてきましたので、直接地面で火をたかない(火はコンロの中です)ルールで、使用出来ることにしています。まずは写真をご覧ください。第1回の昨年は、78名の参加でしたが、今年は109名が参加。若い夫婦と子ども達の参加が激増して、大きな行事になりました。開始は午後5時、8時近くまで約3時間の集会でした。食べ終わった子ども達は、緑地を走り回り、大賑わいです。6時からスイカ割り、小玉スイカを2個用意して、幼児の部と小中学生の部で、各1個を割り、それから大玉2個を含めたスイカを、あっという間にペロリ。この間、大人たちは、飲んだりしゃべったり、代わり合っての焼肉やヤキソバ作りを冷やかしたりと、こちらも賑やかでした。子ども達を返した7時半以降も、暗くなった緑地でなおしばし、気持ちよく飲んでおりました。というわけで、片付けは明日の午前中となっています。これはもっぱらシニアの役割ですが…費用は、大人1人1千円、夫婦で参加の場合1500円、子どもは中学生まで無料、高校生500円、大学から1千円。自治会から約2万円程度の補助の、アルコール類の寄贈で、間に合っています。
2012.07.29
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クロニクル チャールズ・ダイアナの結婚1981(昭和56)年7月29日ダイアナ元妃がフランスで事故死して、間もなく15年になりますが、31年前の今日は、イギリスのチャールズ皇太子(当時33歳)とスペンサー家の令嬢ダイアナ(当時20歳)との結婚式が行なわれた日です。それはイギリス王家にとって、大変喜ばしい日でした。2人の結婚の翌年には、長男ウィリアム王子が生まれ、さらに2年後の84年には次男のヘンリー王子が誕生するなど、当初の夫婦仲は円満でしたが、13歳の年の差と、2人の生育環境の違いから、次第に不仲となり、1992年には公式に別居、96年には、遂に離婚に至りました。ダイアナ妃の事故死は、その翌年のことでした。
2012.07.29
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クロニクル アムステルダム五輪開幕1928(昭和3)年7月28日今日はロンドン五輪の開幕日。ロンドンで間もなく始まる開会式に敬意を表して(といっても、英国時間では、まだ27日ですが…)、この話題にしました。84年前の今日、日本はまだ前年の金融恐慌の打撃から回復していない時期でしたが、アムステルダム五輪が開幕しました。この五輪は、五輪に始めて聖火が登場し、閉幕する8月12日まで絶やされることなく、ずっと燃やされたこと、コカコーラが初めて導入された大会スポンサーとなって、大会関係者全員に配られたこと、女子の陸上競技が始めて実施されたことなど、五輪の成長を辿る上で記念碑的な大会になりました。また日本選手が、初めて表彰台に上ったのもこの大会です。記念すべきメダルの第1号は、三段跳びの織田幹雄選手。15m21cmの堂々たる成績で1位となり、見事に優勝金メダルを獲得したのです。続いて、陸上女子800mで人見絹江選手が銀メダル、水泳200m平泳ぎでの鶴田義行選手の金メダルと、3個ものメダルを獲得したのです。この3人のメダル獲得は、日本国内は勿論、日本選手団の中でも想定外の出来事で、選手団は、表彰式であげる日の丸も、優勝者の栄誉を讃える演奏用の国歌の譜面も用意しておらず、大慌てとなったのです。その結果、国旗は他国の旗より4倍も大きな応援用の国旗が掲揚され、君が代にいたっては、国旗掲揚の途中からようやく吹奏されました。原発の想定外など、無責任極まりないいいわけもありますが、こういう想定外は、嬉しい悲鳴で、恰好は悪くても、笑って許せますね。
2012.07.28
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クロニクル 朝鮮休戦協定調印1953(昭和28)年7月27日前年の大統領選に際し、「自分は朝鮮戦争を終らせる」をスローガンにして、支持を広げ、見事に勝利した、共和党のアイゼンハワーは、この年1月に大統領に就任後、積極的に対話を続け、遂に59年前のこの日、調印に漕ぎつけました。アイゼンハワーは、第2次世界大戦におけるノルマンディ上陸作戦を指揮した英雄でしたから、軍部の信頼も厚く、和平の実現の為には、うってつけの人物だったのです。こうして、38度線を中心に非武装地帯を設け、国連軍が常駐して停戦を監視する形で、朝鮮戦争は一応の区切りを迎えました。結果的に元の木阿弥。南北朝鮮双方の国民に辛い犠牲を強いただけだったのです。
2012.07.27
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クロニクル スエズ運河国有化1956(昭和31)年7月26日56年前の今日です。54年4月に実権を掌握し、この年56年にエジプト大統領に就任したナセルは、この日スエズ運河の国有化を宣言し、即日実施しました。スエズ運河は、フランス人技師のレセップスの計画によって着工され、7年の歳月を経て、1869年に完成しました。エジプトは、当初スエズ運河会社の株式の43%を所有していましたが、財政上の理由で、その株式をイギリスに手渡してしまい、利益金の取得権もフランスの金融資本に売却していました。こうして1956年まで、スエズ運河は、イギリスとフランスの所有物のようになっていたのです。こうした事情がありますから、大統領に就任したナセルは、思いきってスエズ運河の国有化を宣言しました。困った英・仏は、軍の派遣を模索しました。そこに渡りに船とばかりに、10月29日にエジプトに侵入したのが、イスラエル軍でした。翌30日には、英・仏軍もスエズに進撃。ここに第2次中東戦争(スエズ戦争)が勃発しました。ナセルを中心にエジプト軍は、良く奮戦して引かず、侵略軍は何の成果を上げることなく、12月22日の国連決議を受けて、撤退に追いこまれました。ここにナセルのエジプトは、一躍中東地域の政治的リーダーにのしあがったのです。
2012.07.26
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かかし作り22日(日)の午後、午前中の親子木工教室に続いて、かかしコンクールに出品する案山子を作りました。残念だったのは、野球とサッカーのチームに属している子ども達が、試合の関係で参加できなかったこと。雨の影響で試合が延びてしまったからでした。農家出身の御指導くださる皆様の御都合もあり、日を替えるわけにもいかなかったのです。最初に伊稲藁の梳き方、使い方などを教えてもらって、いざスタート。手分けした作業を進めました。今年の案山子は、三毛猫ホームズ。5年生のデザインをみんなで作ります。穴のあいた古バケツを四つ繋げ、上下に半分に割いた竹で縛って安定させたものが脚の部分,その上に胴体をのせます。周囲に藁や発泡スチロールを砕いたものをつけて、シーツを播きます。頭は、丸い水切りボールを2つ重ねて、布を巻きます。ニャンコのお手ては、招き猫風に手袋をまるめて藁を詰め、腕の部分も藁を巻いて作ります。口を書き、耳も子ども達で作りました。縫い付ける作業は、お母さんたちにお願いしましたが…3時過ぎに、20分の休憩タイム。カキ氷のサーヴィスに、子どもも大人も嬉しそう。なかには4ハイも食べた子もいました。 私も作業の手伝いが忙しく、肝腎の部分の写真が撮れなかったのが残念です。細かな作業が延び、完成したのは午後6時。疲れて途中で帰った子も多く、バドミントンの子ども達も、6時半から練習で、最後まで残れませんでした。そんなわけで完成した写真と一緒の記念撮影に加われた人は、全体の半分でした。完成した写真、別に作ったお顔が小さく、三毛猫ホームズというより、スター・ウォーズのヨーダのようになりました。疲れましたが、楽しい1日でした。
2012.07.25
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クロニクル 山陽本線の全線電化完成1964(昭和39)年7月25日ちょうど東京オリンピックの年ですから、48年前のことになります。10月1日には、東海道新幹線が営業を始める事になる2ヶ月と6日前のこの日、山陽本線の全線電化が、ようやく完成を見ました。ここに、高度経済成長を続ける日本経済の大動脈、太平洋ベルト地帯の貨物輸送のスピードアップが、ようやく実現を見ることになり、70年代前半までの高成長の持続が、短期間の適度な調整を鋏みながら、続けられることになったのです。
2012.07.25
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クロニクル 芥川自殺1927(昭和2)年7月24日85年まえのことです。この日未明、芥川竜之介が田端の自宅で、睡眠薬自殺を遂げました。36才でした。芥川は、東京帝大在学中の1916年に、『新思潮』に短編「鼻」を発表して、夏目漱石に激賞され、作家としてのスタートを飾りました。「羅生門」「地獄変」「芋粥」「蜘蛛の糸」など、古典に題材をとった完成度の高い作品を発表しましたが、やがて題材を現代に変え、晩年には強度の神経衰弱に悩まされていたようです。。自殺の動機について、芥川は、遺作となった「或旧友へ送る手記」の中で、「何か僕の将来に対する、唯ぼんやりとした不安である」とのみ、記しています。
2012.07.24
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夏休み親子木工教室昨日22日は、夏休み最初の日曜日」でした。子ども会の企画で午前中に夏休み親子木工教室を、午後にはかかしコンクールに出品するかかし作りを致しました。木工教室は、子ども達が日頃使うことの少なくなった鋸や金槌などを使って、親子で工作物を仕上げる試みです。町内と近隣町会の隠居身分の建職組合の親方衆に御協力をいただいて、実現した企画です。会場には、近くの養護学校の屋根付きの車寄せを拝借しました。製作するのは、本立て、植木鉢、丸テーブル、巣箱、タイル絵のなかから1種類です。材料も親方衆が事前に用意し、道具のない方には、道具も貸してくださいます。費用は怪我した場合の保険料のみ、実質無料です。参加した親子は養護学校の生徒7名を加えて53名、親子で100名を超えました。材料を配るのが大変でしたが、作業上の御注意をいただいて、いざ開始。最初に、作り方の説明を受けても、イタをどう切るか親子で相談する光景もあちこちで…。親切な親方衆が迷っている親子に声をかけてくれるので、ホッとした顔があちこちに見られました。付き添いの保護者の多くは、お父さんかおじいさんが8割。さすがに男の出番でした。11時頃から出来上がる親子がチラホラ。いずれも苦心作を仕上げて満足そうでした。女子たちには、タイル絵が人気。図案に凝って、下絵の完成に手間取った子は、最後は焦り気味でしたが、それでも予定の12時には、全員の作品が仕上がりました。午後の部の案山子作りは、後日紹介します。
2012.07.23
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クロニクル 「ヤマが動いた」発言1989(平成元)年7月23日23年前のこの日は日曜日でした。どうして曜日まで分かるかというと、参院選挙の行なわれた日だったからです。この年4月1日、3%の消費税徴収がスタート、そこに前年明らかになったリクルート事件への批判が高まり竹下首相が辞任。有力候補に次々就任を辞退されて、消去法で選んだ宇野首相は、女性問題が暴露されて、これまた散々の悪評を蒙り、そうした中での参院選のスタートでした。開票の結果、自民党は過半数を大きく割り、当時まだ健在だった社会党が大きく議席を伸ばし、野党第1党となりました。当時の社会党委員長の土井タカ子氏の、「ヤマが動いた」と勝利の感想を述べ、この言葉が大流行となったも、記憶に新しいところです。。
2012.07.23
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クロニクル 米軍フセイン大統領の息子射殺2003(平成15)年7月22日9年前のこの日、米軍は、賞金で誘惑した内通者の垂れ込み情報に基ずき、フセイン大統領の長男ウダイと次男クサイ両人の隠れ家を急襲、2人を射殺しました。この襲撃の成功は、米軍独自の探索活動の成果ではなく、多額の償金をエサにして、フセイン一家の身近の人物の裏切りを唆した金の力によるものでした。こんな所にも、金権体質に骨の隋まで浸かりきった、米軍の堕落振りが読み取れる出来事でした。
2012.07.22
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民・自・公3党合意を考える(8) 野田内閣が抱える内憂には、鳩山元首相の動きも加えなければなりません。元首相が首相官邸に向う「原発ノー」のデモの低劣に加わったニュースも今週報じられました。大飯原発の再稼動以来、原発ノーのデモは連日続けられ、日本における新たな抗議行動の姿として、隊列に加わる市民たちに広く受け入れられています。私は二度しか参加していないのですが、60年代から70年代初めにかけての闘争型のデモを知る者の眼で見ると、指導部の指揮の下に、整然とまとまって行動する旧来のデモとは全く異なる、新しいタイプの意思表明運動であることが分かります。組織動員の全くない、新しいタイプの運動が大きく育ち、警察発表ですら「数万人」と発表(警察は常に参加者を過少に発表します)せざるをえない規模に成長し、しかもそれが途切れることなく、連日のように続けられているのです。そんなデモに、元首相が参加したものですから、なかには「選挙目当てのパフォーマンス?」と、うがった見方を取る方も出ているようです。しかし、この見かたはいかがでしょうか。私は、昨年12月25日のブログに、「原発問題からーーフクシマダイイチと鳩山元首相ーー」と題する」記事を書き、鳩山氏が平良智之衆院議員と連名で英科学誌『ネイチャー』に論文を投稿し、審査を通過して掲載されたことを紹介し、あわせて内容の一端も紹介しました。 http://plaza.rakuten.co.jp/Xabier/diary/201112250002/そこでは、東電並びに原子力村、そして事故発生時の菅内閣姿勢などが厳しく批判されています。「原発ノー」にかける鳩山氏の思いは、当時から微動もしていないことが分かります。鳩山氏は、最善を尽した調査もせずに、業界と経産省の言うことを鵜呑みにして、再稼動に踏み切った政府の姿勢に怒っているのであって、その行動派、昨年から一貫しています。イラン訪問については、私もクビを傾げましたが、今回の官邸デモ参加は、素直に理解できました。うがった見方の発信源は、党内の地殻変動の広がりに動揺を隠せない官邸サイドから、でているような気がするのは、私だけでしょうか。よろしければ、上にURLを記しましたので、昨年12月25日のブログ記事を再読してみてください。
2012.07.21
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クロニクル ワールドコム粉飾決算発覚2002(平成14)年7月21日ちょうど10年前のこの日。全米第2位の通信会社ワールドコムが、粉飾決算の発覚で破産しました。負債総額は410億ドルと全米史上最大級の破産でした。粉飾決算に伴う破産は、前年12月のエネルギー大手エンロンに続いて2例目でした。そして手口も同じような粉飾でした。利益を過大に見せて株価を吊り上げ、高株価を利用して株式交換で買収を行ない、規模の利益を追求する。そのためには粉飾も辞さないという手口は、どこかの誰かさんにも共通していた気がしますが、この手口の発覚が株式市場と経済界に与えた衝撃は大きく、監査方式の見直しも進められていくことになりました。日本でもそうでしたが、この時期は米国でもITバブルが弾けた後だったために、経済不振で大きく傷ついた企業業績を覆い隠すために粉飾という禁じ手に、手を染めたということなのでしょうか。企業の社会的責任を自覚しない、或いは自覚できない経営者を見抜くというのは、実は大変ですね。そんなことを考えさせられた事件でした。
2012.07.21
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民・自・公3党合意を考える (7) 小沢グループの離党によって、民主党は政党としてのタガが外れてしまったようです。最大の政敵が子分を連れて、勝手に出て行ってくれたと、自公両党にすり寄った成果に浮かれたのでしょう。野田首相の頑固ぶりに磨きがかかりました。野田首相と野田グループは、民主党の中でも最も自民党に近いグループではあったのですが、経済的に必要との一点張りで、きちんとした安全確認をしないままでの原発再稼動、全国自治体の猛反対を無視して、米軍と米政府にすり寄るオスプレイの配備強硬と、世論や党内の反対を無視して、走っています。そんな首相(兼党首)の姿勢に見切りをつけ、このところ民主党からの離党者が、大きな土砂崩れの前兆よろしくチョロチョロと続いています。民主党会派が衆院の過半数を割り、参院では第1党の座を自民党会派に譲るのは、時間の問題のようです。自民党を大差で破って政権交代を実現してから僅か3年。政権から滑り落ち、早期の返り咲きが難しいと思われた自民党が、先に自壊作用を起こすだろうと考えていたのですが、その自民党よりも先に、民主党にガタが来るとは、不明を恥じるしかない心境です。民主党は、離党者の続出だけではありません。党執行部の要の1人の政調会長が、内部の会議の席ではなく、マスコミとの会見の席で、首相と官房長官を名指しで批判したのです。「総理も官房長官も少し沖縄や山口の皆さんの民意というものを軽く考えすぎている。……見通しが甘いと言わざるを得ない」と、語ったというのです。遂に、政府と与党との間にも、大きな溝が入ったということでしょう。まさに、民主党は内部からバラバラに崩れそうな様子です。自民党も含めたガラガラポンが行なわれるなら、それはそれで再編のあり方によっては、すっきりするのですが、民主党の分裂で、先に分裂するのが妥当だった自民党の地殻変動が止まってしまうとなると、政界再編は不十分にしか進みません。それは、日本の政治の停滞を益々長引かせるだけになりますから、これまた困ったことになります。
2012.07.20
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クロニクル 人類月に立つ1969(昭和44)年7月20日43年前の出来事です。この日、米国のアポロ11号から切り離された月面着陸戦イーグルは、人類初の月面着陸に成功しました。米国東部時間で、午後4時17分でした。乗員のアームストロング船長が、月面に降り立ったのは、午後10時56分だったと、伝えられています。それから18分後には、オルドリン飛行士も月面に降り立ち、2人は都合22時間に渡って月面に滞在し、2時間31分に渡って、船外活動を行ないました。2人の船外活動の模様は、衛星中継を使って、全世界に同時放映され、丁度日中ということもあって、日本では、特設テレビが街頭に設置されて、各地に黒山の人だかりができ、都心部の交通量は半減したと報道されました。この衛生中継は、全世界で5億人の人が映像を見たともされています。アポロ11号は、24日午後零時50分に、ハワイ南東の海上に着水、無事に帰還しました。
2012.07.20
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G7の黄昏とEUの憂鬱(25)フランスを見ましょう。ユーロ圏の維持に最も熱心だったサルコジ大統領が、緊縮財政による国民の犠牲を顧みず、南欧諸国の救済に熱心なことを国民に嫌われて、社会党のオランド大統領が誕生したのが、5月上旬のことでした。オランド新大統領をいただく社会党は、6月に行われた下院議員選挙でも圧勝し、議会の安定多数を大きく超える議席を確保しました。そして今、市場の信任が得られず、市場で大量の売りが出て、大きく値を崩している(価格は下落、金利は上昇)スペインとイタリアの国債を尻目に、サルコジ時代はスペインやイタリアに連れ安していたフランス国債は、大きく値を戻し、金利はグンと安くなったのです。とりわけ、短期金利の指標と成る2年もの国債の金利は、0,2%を切るまでに下がってきています。市場はオランド政権を信任したと言えるようです。「オランドと彼の内閣は、良くやっている」。市場はこう判断したようです。しかし、困ったことがあります。市場が「良くやっている」と評価している政策の中身は、南欧救済から距離を置くことなのです。南欧に知らん顔をする限り、フランスの財政事情が今以上に悪化することはない。だから好意的に反応する。こういうことなのですね。南欧救済から距離を置くフランスが評価されるということは、近い将来ユーロは再び危機的状況に陥るであろうことを、示しています。危機の繰り返しは、それだけ体力を消耗します。大丈夫なのですかね。 続く
2012.07.19
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クロニクル 禁門の変起こる1864(文久4)年7月19日前年8月18日の政変で、京都を追われた長州藩の尊皇攘夷派の過激分派は、148年前のこの日1千数百人の部隊を率いて京都を攻撃、御所の警備を奪還しようと試みました。伏見方面での行動開始は前日18日でしたが、京都での戦端が開かれたのは、19日でした。蛤御門での戦いは19日午前2時頃から行なわれ、警備の会津藩兵と激戦を展開しましたが、薩摩や桑名の応援が駆けつけると、敗退しました。これは、どう考えても勝算のない無謀な戦いでした。その上、自ら放った砲弾により、御所周辺の民家から市街全体に火災が広がり、2万8千戸が焼失、多数の流浪の民を生じたのです。孝明天皇の怒りは凄まじく、2日後の21日には、早くも長州藩に対する征討令が出されます。第1次征長が開始されるのは、それから間もなくのことでした。揺れ動く幕末政治史の一幕でした。
2012.07.19
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G7の黄昏とEUの憂鬱(24)ユーロ危機は、相変わらず綱渡りと鬼ごっこを続けており、この状況はモグラ叩きよろしく、当分の間続いていく気配が濃厚です。このところの様子を見ていると、ギリシアよりもスケール大きい、スペインとイタリアが主役に躍り出てきた気配が濃厚なのですが、その分6月まで堂々と主役を張っていたギリシアが消えてしまったような気配です。ギリシアはどうなったのでしょうか。新任の連立政権の首相が、ユーロ圏の首脳会合を欠席して、各国首脳を呆れさせたことは記しました。そこから、スペインの金融界に直接資金を投入する話が飛び出し、同時に愛想をつかされたギリシアは、完全に話題の外に置かれ、現在に至っています。ECBやユーロ圏諸国が、ギリシア政府が満期となった国債の償還のために発行する、新発のギリシア国債を買い支えるための資金支援が行なわれれば、少なくとも公式発表が行われ、確実にマスコミが報道することになります。そうした発表は行なわれていないのですから、今のところギリシア政府がデフォルトしていないということは、今のところギリシア政府は手持ち資金で、借換債を引き受け、国債の償還に応じていることになります。今のところ、国際の利払いも遅れることなく正常に支払われています。償還も行なわれています。これは、ギリシア政府が隠し持っていた「埋蔵金」によるのではないかとの推測が、もっぱらです。つまり、ユーロ圏諸国との交渉をスムーズに運ぶために、手持ち資金(中央銀行の資産など)を過少申告していたのだろうというのです。おそらく「当らずといえども遠からず」なのだろうなと、私も考えます。それだけに、ユーロ圏諸国のギリシアに対する心証は、非常に悪くなっています。ギリシア政府の隠し資産、いつまで持つのでしょうね。どれだけの隠匿資産があるのか、それが分からないだけに、当分様子を見るしかないようです。 続く
2012.07.18
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クロニクル ヴェトナム国連に加盟1977(昭和52)年7月18日35年前になります。この日、ヴェトナム民主共和国の国際連合への加盟が決まりました。ヴェトナムは、1945年8月15日の日本の敗戦を機に、当時占領中だった日本からの独立を宣言しましたが、翌1946年に、日本占領以前の宗主国フランスが再占領し、以後対仏独立戦争を展開し、1954年に独立を達成しましたが、なお、北緯17度線の南側(南ヴェトナム)は、フランスに替わったアメリカの傀儡政府が支配する分断状態に置かれました。このため、その後も南ヴェトナムの解放戦争が続けられ、国連への加盟は果たされなかったのです。1973年にようやく米軍が撤退。75年に南ヴェトナム解放が実現、翌年の南北合併を経て、この日、ようやく国際連合への加盟が実現したのです。
2012.07.18
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民・自・公3党合意を考える (6)もう1度消費増税に戻ります。欧州諸国の付加価値税と消費税、詳しく見ると相当違いがあるのですが、今はその点は置いておき、類似の間接税として眺めると、日本の消費税の5%はいかにも低く見えます。そこから、財政難のみぎり消費税の増税は止むを得ないと、お考えの皆さんも増えたように思います。しかしです。財務省が承知の上で、説明していない事実があるのです。彼らは「隠していたわけではない。問われなかったから答えなかっただけだ。答える用意はしていた」と答えるのでしょうが。税収に占める所得税と資産税(相続税や贈与税など)の割合です。この割合は現在の日本では11,2%に過ぎないのです。同じ比率は米国では15,9%あり、フランスでは18,6%を占めています。金持ち優遇税制の是正が叫ばれる米国ですら、所得税と資産税の合計は日本よりも4,7ポイントも高いのです。これは、増税で財政再建を図るのなら、まずは高額所得者優遇税制を改め、資産税の優遇措置を縮小ないし廃止し、同時に消費税の導入に隠れて実施してきた高額所得者向けの最高税率の引き下げを改めるべきなのです。フランス並みの比率まで引き上げるだけで、相当な税収増が期待でき、しかも景気へのマイナス効果は、消費増税に比べはるかに小さいです。しかし、所得税の最高税率の引き上げと、資産課税の強化には自民党が強硬に反対し、民主党も強く引き上げを主張していません。わが身に増税が及ぶと考えているのかもしれません。マスコミは、所得課税や資産課税を強化すると、金持ちが海外に逃げてしまうなどと、富裕層に迎合する記事が目立ちますが、欧米やアジアの富裕層は、欧米に比べて経済が安定し、治安の点で最も安全な日本に、資産を移す動きを続けています。マスコミが騒ぐほど、資産の流出は起きないと、私は見ています。
2012.07.17
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クロニクル ウルトラマン登場1966(昭和41)年7月17日誕生から46年になるのですね。46年前のこの日は日曜日。日曜夜の7時から7時半のゴールデンタイムに、この日TBSから登場したのが「ウルトラマン」でした。「ウルトラマン」の制作は、円谷プロダクション。同プロの得意な特撮を駆使したTV劇映画でした。1966年(昭和41年)の7月17日から1967年(昭和42年)4月9日まで、全39話が放送されました。放送開始直後から、大変な人気を集め、当時の調べでは、平均視聴率は36.8%、最高視聴率は42.8%(1967年3月26日放送の第37話。ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録した、超人気番組でした。放送終了後もその人気が衰えることはなく、最初に行われた再放送でも平均視聴率が18%台を記録しています。「ウルトラマン」の前作だった「ウルトラQ」の実績を参考に、TBSは本作の商品化収入を74万円と見積もっていたそうなのですが、関連商品が大ヒットし、商品化収入は何と1億5000万円に膨れ上がったのですから、TBSとしては、嬉しい誤算となったようです。この作品は、日本のテレビ局にとって画期的な作品となったのですが、それは従来の子供向け番組が、漫画を原作としたものばかりだったのに対し、この作品は初めてのTV局のオリジナル作品として制作されたことにありました。本格的なテレビの全盛時代は、ウルトラマンと共にやってきたといえましょう。初放映から40年以上経った現在でも、「ウルトラマン」は世代を超えて根強い人気を保ち、日本の特撮番組の基本フォーマットの一つとなっています。
2012.07.17
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クロニクル 三内円山遺跡発掘1994(平成6)年7月16日18年前のこの日、青森市内の三内円山遺跡の発掘現場で、大量の土器が出土しました。遺跡発掘における超弩級の宝の山にぶち当たったのです。以後も慎重に発掘を進めた結果、国内最大の縄文遺跡であることが明らかになり、考古学界は大いに賑わいました。遺跡の周囲には大量の枯れ死した栗の木が出土、三内円山の縄文人が、栗を主食にしていたらしいこと、その栗の木が寒さの襲来か何かで、全滅に近い被害を受けたことで、この地の生活は、終止符を打ったらしいことも、明らかになりました。
2012.07.16
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民・自・公3党合意を考える (5)では、自民党以外はどうか。政権を握った民主党は、子ども手当と農家の所得保障といいたバラマキ政策を推進しました。人口減少の止まらない日本で、子育て世代を支援する政策が必要なことは事実です。しかし、財政が厳しい現実に照らせば、子ども手当の支給対象に、最低限所得制限を設ける程度の拝領が必要だったように思います。使えば消えてしまう手当よりも、真に必要なのは、待機児童をゼロにする保育所の増設や、企業の保育事業参入を容易にする、規制緩和の推進こそが必要だという声も、随分ありましたが、民主党政府の取り上げる所と成りませんでした。その挙句に消費増税です。消費増税で一番重い負担を押し付けられるのは、30代~40代の子育て世代です。成長期の子どもを抱えるこの世代が、消費増税の負担を最も強く受けるのですから。 成長期の子どもにかかる費用は、増えることはあっても、減ることはないからです。結果的に、消費増税は少子化対策に逆行する結果を生んでしまうのです。農家の所得保障もバラマキでした。現在農家をb名乗る家庭で最も多いのが、第二種兼業農家です。所得の最大部分がトウチャンの給与収入で、農業収入は、カアチャンとジイチャンバアチャンによるもので、多くは自家消費です。こうした本質的には農家といえない世帯に対しても、農家の所得保障は届けられます。結果として、篤農家による経営の拡大を邪魔し、趣味の農業の延長にあるような、旧態依然とした農業の温存にしか役立たない政策を、民主党はとりました。消費増税は、こうしたバラマキ政策の結果の尻拭いの意味を持つのです。少子化は今後も避けられそうもなく、農業の国際競争力の強化も延期になりそうな政策を、継続するために必要とされたのが、消費増税だとすると、溜まったものではないですね。これで、財政再建は進むのでしょうか。大変疑問に思えます。 続く
2012.07.15
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クロニクル ファミコンの登場1983(昭和58)年7月15日29年前の今日、任天堂はファミコンを発売しました。今に続く本格的なテレビゲーム時代の到来に道を開いた、ファミコン誕生の瞬間でした。それまでは家庭用ではなく、ゲームセンター等でのテレビゲームで、インベーターゲームなどが流行っていましたが、家庭用ゲーム機が主力となっていく契機となったのが、ファミコンでした。ファミコンの発売で、それまではトランプや花札が売り上げの主力だった任天堂は、一躍ファミコンの任天堂として、世界に名を知られるようになりました。85年に大ヒット作「スーパーマリオ・ブラザーズ」が発売され、本体と共に、爆発的な売れ行きを示しました。何しろファミコン本体は、メーカー希望小売価格が14800円でしたが、販売終了までに、世界で6291万台を売り上げ、そのうち日本での売り上げは、2000万台弱、世界販売は4000万台超える人気となりました
2012.07.15
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民・自・公3党合意を考える (4)ところで、百歩譲って、今回の消費増税で税収がかなり増えたと仮定してみましょう。税収が増えた分、財政収支は好転するでしょうか。税と社会保障の一体化計画は放棄されています。その分、赤字国債の減額にまわるのでしょうか。ここに、自民党や民主党、さらには公明党の主張を検討する必要が生じます。まずは、自民党から見ていきましょう。自民党は解散総選挙にとても熱心です。3年に及ぶ民主党の失政を見て、次の選挙で勝てる、政権復帰間違いなしと、皮算用しているからでしょう。その上、国民に不人気な消費増税を民主党内閣が実現してくれたのです。すっかりご機嫌で、選挙後の計画を練っています。「国土強靭化基本法案」大綱を早々と用意して、政権復帰後の公共事業を10年間で200兆円に大幅拡大する計画を、ぶち上げました。90年代の失敗にまったく懲りずに、再度同じ失敗を繰り返そうとしています。国土強靭化計画には「国土の均衡ある発展」といった、田中首相時代の懐かしいスローガンが出てきます。全国に道路・新幹線・ハコものを再度建設するつもりでいるのです。10年間で200兆円もの公共事業を、臆面もなくぶち上げるのですから、財政再建は消費増税を実現するための方便として唱えているに過ぎず、本気で財政再建を考えていないことは明らかです。消費税を増税しても、公共事業をばらまけば財政は破綻します。国土強靭化計画には、防災インフラに加えて、新幹線整備、道路整備、都市インフラなど、高度経済成長期的発想が、ふんだんに盛り込まれています。「昭和の亡霊」が色濃く漂う、悪夢のような計画です。「航空ネットワークの整備」という項目まであるのですが、無駄に増えすぎた大赤字の空港をさらに増やすつもりなのでしょうか。このように、首を傾げざるをえない計画が、いくつも並んでいます。インフラは建設費だけでなく、維持管理費もかかります。費用と便益をきちんと分析したら10年間で200兆円も、インフラに投資する計画が出てくるとは思えません。今や日本は人口減少社会なのです。人口減少社会では、インフラは減らしていく方向で検討するのが、財政の健全化に必要なのです。維持管理費の負担が重くのしかかってくるからです。新規の公共事業は原則やめ、既存のインフラの更新や耐震化を進めることが必要な時代になっているのです。それなのに、消費増税が実現しそうだと思った途端に、公共事業の大盤振る舞いという亡霊が登場するのです。これで、財政再建は可能でしょうか。増税は政治家と官僚の無駄遣いに消える可能性の方が、ずっと高いように私には思えます。人口も経済も伸びていた高度成長期の発想とは、早くにさよならする必要がありますね。
2012.07.14
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クロニクル リカちゃん人形発売1967(昭和42)年7月14日45年前の今日が、今も人気のリカちゃんが始めて発売された日、いわばリカちゃんのお誕生日なのです。リカちゃんも45歳になるのですね。誰ですか、私と同い年だなんて、呟いているのは…。リカちゃんは、ビニール玩具メーカーのタカラが発売したものです。企画にあたり、日本の少女たちがより身近に感じられるようなファッションドールとすること、小学生の女の子で、小さな女の子の手の平に収まるサイズとすること、この2点から身長を21cmとすることが決められました。さらに、当時流行していた少女漫画のヒロインのような顔立ちが、牧美也子氏の原案から採用されました。また「リカちゃん」という名前は月刊少女漫画雑誌「りぼん」の1967年7月号誌上の一般公募で決められたそうです。発売2年後には、人形の売り上げでトップとなり、90年代に2年ほど、当時の人気アニメの主人公、セーラームーン人形にトップの座を譲りましたが、その後は再びトップの座を奪い返し、現在に至っています。
2012.07.14
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G7の黄昏とEUの憂鬱(23)このシリーズは6日以来、1週刊振りとなりました。間が空きましたこと、お詫び申し上げます。欧米のバブル崩壊で体力を消耗した欧米のメガバンクは、90年代後半から12世紀初めの数年間の日本のメガバンクと同じように、貸し出しの抑制によって自己資本比率規制をクリアし、自己防衛を図る道を選ぶしかありませんでした。その結果、アジアや中南米の新興国への融資の多くは回収され、欧米の金融機関からの資金導入をテコに、積極的な設備投資を行なってきたBRICsや新興諸国の経済は、大きな打撃を受けたのです。この時、バブル崩壊の打撃を欧米に先行して受けた日本のメガバンクは、欧米のメガバンクの融資を肩代わりしうる立場にありました。アジア諸国に対する融資の一部については、確かに融資を引き継いだのですが、残念ながら、資金不足による景気後退を防ぐには、力不足でした。そこに欧州経済の変調が追い討ちをかけます。結果としてBRICsや新興諸国の経済は、なお成長軌道に乗っているものの、明らかに今までの勢いをなくし、軒並み成長率の減速に悩まされています。この点は、1960年代から第一次オイルショックまでの、日本の高度経済成長の経験を持つ我々世代には、まさに自明のこととして納得できるのですが、年率10%を超える高成長に慣れた身には、7%や8%成長はもの足らず、国民心理としては不況感が漂うことになるのです。リーマンショックが招いた世界恐慌の深淵を、何とか回避することが出来たのは、短期間で回復した中国への輸出の伸びに負う所が大きかったのです。その中国の足取りがおかしくなり、インド、タイ、インドネシアから韓国や台湾、そして中南米のブラジル、メキシコ、アルゼンチンなどの国々が、軒並み景気後退の荒波を被り、米・欧・日らからの輸入を減らしているのです。欧州や米国は、国内経済の収縮のみでなく、BRICsや新興諸国に対する輸出の面でも苦戦を強いられているのです。大統領選を4ヵ月後に控えた米国経済の回復が思わしくないという、現職大統領にとって不利な事柄が、大統領や経済閣僚の必死の努力にも関わらず、ここ3ヶ月の続いている原因は、ここにも隠れているのです。当然、同じ影響は、日本経済もまた受けることになります。 続く
2012.07.13
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クロニクル 第1回ワールドカップサッカー大会開幕1930(昭和5)年7月13日2014年ブラジル大会の予選も一息つき、月末に始まるロンドン五輪チームに注目が集まるサッカーですが、五輪では男子より、女子のなでしこジャパンが人気ですね。そうです。今日はサッカーの話題です。82年前の今日、ウルグアイでサッカーのワールドカップが開幕したのです。第1回FIFAワールドカップは、以後の大会と異なり、出場権を賭けての地区予選は行われず、全ての参加チームが招待されて参加しました。船での長旅のため、ほとんどのヨーロッパのチームが出場を辞退し、開催2ヶ月前の時点でユーラシア大陸からの参加チームは1つもありませんでした。そのため、当時のFIFAの会長、ジュール・リメが参加を呼びかけた結果、ベルギー、フランス、ルーマニア、ユーゴスラビアの4カ国が参加に踏み切りました。大会には13チームが参加しましたが、4グループに分かれた予選の各組1位が決勝トーナメントに進出する仕組みでした。準決勝には、ウルグアイ、アメリカ、アルゼンチン、ユーゴスラヴィアの4チームが進出、7月30日に、ウルグアイ対アルゼンチンの決勝が行なわれ、ウルグアイが4対2で勝って、初代王者になりました。
2012.07.13
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小澤新党寸評昨日、小澤新党がスタートしました。「国民の生活が第一」とは、何ともインパクトに乏しい名前です。命名からして、迫力に乏しいという印象を持ったのは、私だけでしょうか。まず、政治家にとって、本音はともかく建前において、国民の命と暮らしを守ることは、あたり前の上にもあたり前の、当然のことではなかったでしょうか。フクシマダイイチを巡って、その嘘が明るみに出されましたが、それでも、我が党以外は、国民生活を第一に考えていませんとでも言うのでしょうか。ちょっとどうかと思わせられました。新党のメンバーを見ます。小澤氏は、自民党を出てから、新生党、新進党、自由党、民主党と次々に新党を立ち上げたり、合流したりして、今度が5度目の移動です。そして、過去の分裂では、そのたびに同士と呼びうるヴェテランの仲間が、1人減り2人減りしながらも、何人か残っていました。しかし今回は、誰もいません。アガサ・クリスティの名作『そして誰もいなくなった』を地で行くような印象です。前回選挙で、軒並み落選の苦渋を飲んだ小泉チルドレンの二の舞になりそうな、小澤チルドレンと呼ばれる新人議員など、選挙地磐の固まっていない若手議員ばかり、指示待ち議員ばかりでどうするのでしょう。優秀な秘書さんが残っているのでしょうか。そこも未知数です。そして何より、民主党を出た小澤氏を警戒する空気が、政界にほとんど感じられません。民主党の一部には、これで厄介払いが出来た風の雰囲気もあります。政界に敵を作りすぎたようにも思えます。政治家に大切な、議員仲間や国民の信用の点で、今回の行動はどうなのだろうと、そんなことを感じてしまいます。反消費税と脱原発を唱えることで、出来る限りの支持を訴えるのでしょうが、選挙民がどれだけ、彼の主張を支持してくれるかがポイントになりそうです。今回の新党が、小澤一郎の政界引退の一歩になるのか、私はそこに注目しています。
2012.07.12
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クロニクル NHK本放送開始1925(大正14)年7月12日87年前のこの日、現在の日本放送協会(NHK)の前身、東京放送局が、東京府東京市芝区芝の愛宕山よりラジオ中波放送の本放送を開始しました。ラジオの商業放送は、1920(大正9)年11月に、米国ペンシルベニア州のビッツバークで行なわれた、大統領選挙の中継放送が最初です。この時ハーディング大統領の当選が伝えられました。以後、ジャズなどの音楽番組、スポーツ中継、そしてニュースを3本柱に、ラジオ放送は急拡大。受信機は大ヒット商品になりました。日本への導入は、それから僅かに5年後という速さでした。ところで、1968年3月までは、NKHによるラジオ受信の受信料が聴衆されていました。
2012.07.12
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民・自・公3党合意を考える (3)まずは、下のグラフをご覧ください。このグラフは、2005年を100として指数化した、1990年~2010年までの全産業ベースの1人当り賃金の動きです。厚生労働省発表の全産業を調査対象とした「毎月勤労統計」をもとに、水野和夫氏が算出したグラフです((水野和夫・萱野稔人『超マクロ展望 世界経済の真実』より)。グラフの灰色(網掛け)の部分は景気後退期(=不況期)、白い部分は景気回復期(=好況期)を現しています。グラフから明らかなように、1997年第1四半期は、108.8と90年以降の最高を示しています。それに対して、2010年第2四半期は84,5に落ちています。御承知の通り、20世紀最後の10年、1990年代の日本は、バブル崩壊による経済混乱の中にあり、「失われた10年」という自嘲的名言辞が、広く受け入れられていた時期です。グラフは、そうした時代にも好不況の波があったこと、そして、バブル不況に苦しみながらも、1人あたり賃金は上昇を続け(91年~94年までの不況期の賃金上昇の事実をご覧ください)、97年には、戦後の最高を記録したことを、明らかにしています。こうした日本経済の良き時代は、97年を最後に様相を変えました。以後は、不況期には賃金は大きく下がり、好況期にあっても、賃金は上昇せず、横這いないし小幅安となっています。その結果が、1997年~2010年までの13年間で、24,3ポインという、大幅な下落に繋がったのです。97年は、橋本内閣の下で、3%~5%への消費増税が決定された年です。確かに97、98年は金融メルトダウンという不況期でした。しかし、当時はまだ賃金は高原状態の中にありました。景気は「気」の字が語るように、多分に心理的要因を含みますが、97年当時と現在では、我々国民という、一般消費者の財布の紐の締め具合は、大きく違っているのです。21世紀に入って、日本の賃金は、景気の好不調に関係なく、下がり続けている事実は重いです。消費税の値上がり分だけ、財布の紐を緩める対応を取る家庭や個人は、一握りの富裕層に限られ、我々庶民の家庭では、消費税の値上がり分だけ、或いはそれ以上に、消費を控えることで対応することになるし、そうするしかないのです。所得は減ることはあっても。まず増えないのですから…。消費の冷え込みは、景気の悪化に繋がります。97年以降、不況期には賃金は大きく下がっていますね。消費増税で、果たして税収は増えるのでしょうか。少なくとも日本の景気が、相当深い谷をつけることだけは、間違いがないでしょう。そういう選択を民・自・公3党はしたということです。
2012.07.11
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クロニクル 総評結成1950(昭和25)年7月11日62年前のこの日、日本労働組合総評議会(略称 総評)が結成されました。総評は、企業別の単位組合が参加する組織ではなく、企業別組合が同業種毎に結集した産業別組合(これを単産と呼んでいました)が参加する形式をとっていました。ですから、炭労、私鉄総連、全国金属、電機労連、造船・重機、出版労連、私教連、日教組、国労、自治労、全逓等々が加わった組織でした。朝鮮戦争が始まり、日本社会の右傾化の第1歩が記され始めた時の結成でした。当時の日本は、まだ占領下でしたから、結成にもGHQの許可が必要です。ですから、結成当初の総評は、非常に穏健な労使協調路線に立つ組織体でした。その総評が、次第に労働者のナマの声を反映する組織に脱皮し、やがて、春の新卒社員の入社に合わせて賃金体系の改訂を迫る、春闘を編み出して大きく支持を伸ばし、1950年代後半~60年代にかけて、黄金時代を築きました。
2012.07.11
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民・自・公3党合意を考える (2)ご要望もありましたので、今後不定期に3党合意の問題点を記して行きたいと思います。日本の財政赤字が危機的状況にあることについては、大方の日本人の間で、合意が出来ているように思います。しかし、財政赤字の改善が、なぜ消費税なのかについては、大いに問題がありますし、消費増税で果たして政府が期待する7兆円の税収増が期待できるかというと、大いに疑問です。橋本内閣の3%から5%への2%の消費増税は、結局税収増には結びつきませんでした。公平を期すために記しておきますと、あの時は、消費税の外にも特別減税の打ち切りとか、健康保険料の引き上げとか、月収に響く値上げが相次いだとか、金融メルトダウンの発生で、景気が悪くなったのであって、消費税の引き上げが景気悪化の首犯ではないという説もあります。またこれはマユツバですが、97年の消費税値上げによる、家計の消費減は月額500円程度と主張する財務省の広報官のような主張をされる方もいます。 景気後退の主因を何処に求めるかによって、消費増税の影響を何処まで認めるかは大きく違ってきますが、確かなことは、97年の消費増税は、税収の改善の効果を発揮できず、日本経済の落ち込みによって、その後2002年までは、税収減が続いたということです。さて、今回はどうなるでしょう。私は今回の消費増税の方が、橋本増税よりもはるかに大きく、景気を冷やす効果を発揮するだろうと考えています。そう考える根拠は、平均的日本人の給与所得の水準が、当時に比べ大きく下がっている現実があるからです。 この点は説明を要しますので、続きは次回にさせていただきます。
2012.07.10
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クロニクル 岩波文庫創刊1927(昭和2)年7月10日85年になるのですね。85年前のこの日、岩波書店は、分売可能な小型本叢書(後、岩波文庫と命名)を創刊、ただちに発売しました。これは、当時流行の円本に対抗する狙いを篭めたもので、第1期刊行は、夏目漱石の『こころ』など22点、定価は★印、1コにつき20銭という手軽さでした。因みに『こころ』は★2コでした。岩波文庫は、手軽さと、値段の安さで強い支持を受け、文庫本ブームの火付け役となり、やがて角川文庫や新潮文庫が後を追うことになりました。私の中・高時代、文庫といえば、この3社のものだけでした。親書は岩波新書に光文社のカッパブックス。中央公論の中公新書や講談社の現代新書の刊行が始まったのが、大学生の頃でした。それが今では、あちこちの出版社の文庫や新書が溢れています。しかし…書店に本は溢れていても、本の売れ行きは落ちていて、町の中小の書店の店じまいが今もなお続いていて、寂しい限りです。電車内の若者がケータイやゲーム機をいじくるのではなく、せめて文庫本でも読んでくれたらなぁと願うのは、私だけではないと思うのですが…。
2012.07.10
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G7の黄昏とEUの憂鬱(22)欧州の変調は、欧州経済のみでなく、BRICSや新興国経済に大きく影響しています。一つには欧州の消費市場の縮小で、どの国も欧州輸出が大きく減退しています。それは日本でも同じですね。次に欧州や米国の銀行の貸し出し姿勢が大きく変化し、自己資本比率の維持のために、90年代末の日本と同じように、貸し出しの抑制が猛烈な勢いで進められています。新興国やBRICS諸国の企業は、欧米の金融機関からの借り入れに頼っている部分が大きいのですが、欧米銀行は、利払いに何の問題も無かったこれら諸国の借換え要請に応じず、資金の回収を強めているのです。欧米でダブついた資金の投資先として、新興諸国の経済は大きく躍進しただけに、急激な資金の逆流は、大きな逆流になります。輸出市場の不調と資金不足の二重苦が新興諸国やBRICsに吹き荒れているのです。そして、BRICsや新興諸国経済の不調が、リーマンショック後の世界経済の回復を支えた諸国の経済不振として、米・欧・日などの輸出に大きく影響してきています。この3月まで堅調だった米国経済が、4月以降変調をきたしているのは、欧州輸出並びに新興国輸出の大幅な減退による要素が大きいのです。 続く
2012.07.09
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クロニクル キッシンジャー隠密裏に訪中1971(昭和46)年7月9日41年前のこの日、米国ニクソン政権のキッシンジャー大統領補佐官が、隠密裏に中国を訪問、周恩来首相と会談しました。国際政治学者で、ハーバードの教授だったキッシンジャーは、乞われてニクソン政権の外交顧問を兼ねる形で、大統領補佐官に就任、精力的に膠着状態の国際関係に風穴を開ける仕事に専念していました。この時も、公式にはタイとビルマを訪問すると発表しながら、ビルマ政府の協力で、国境を接する中国に渡り、北京へ飛んだのです。会談の結果、米中関係の改善のために、翌72年5月までに、ニクソン大統領が訪中することで意見が一致。キッシンジャー補佐官の帰国後の同月15日に、米国と中国で同時に発表されました。この決定を下に、ニクソン米大統領は、翌年2月21日から27日まで中国を公式訪問し、両国関係の改善に努めました。この時、日本の佐藤首相は、米国に追随して中国敵視政策を取っており、国会審議中に米中の発表を受けて、議場はしばらく混乱に陥り、佐藤首相は終始、苦虫を噛み潰したような渋い表情をしていました。
2012.07.09
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原発危険度ランキング超党派の議員集団「原発ゼロの会」(7党9名の国会議員で構成されています)が、6月29日に<原発危険度ランキング>を発表しました。この会には、民主党と自民党から2名づつ、公明党、みんなの党、共産党、社民党、新党きずなから各1名の、9名の議員で構成されています。このランキングの発表の主旨は、原発ゼロが望ましいけれども、即時全ての原発を廃炉にすることだけを主張していては、議論に時間がかかって、かえって廃炉が遅れる可能性もあるため、将来における完全な原発ゼロ社会を目指して、まずは、危険な原発から廃炉にしていくという発想で、データを集めて、、項目別に評価し、危険度を総合点で順位付けています。全50基の原発のうち、ランキングの対象は26基。残りの24基は、活断層の上にあったり、東日本大震災や中越大地震などで被災した原発なので、ランキングの対象とせず、即時廃炉が望ましいとして、別表扱いとなっています。半分の原発を即時廃止し、残りもランクの高いものから廃炉にしていく案といえます。ランキングは、「原発ゼロの会」の6月29日ブログに、PDFファイルの形で掲載されていますので、下記からご覧ください。http://genpatsuzero.sblo.jp/私は、知人の国会議員から「原発ゼロの会」の活動とランキングのことを教えられたところです。よろしかったら皆さんも覗いてみてください。ただ気をつけるべきは、調査は、現在調査可能な項目についてのみ、なされていますから、ランキングが下位だからと言って、ただちに安全というわけではありませんので、御注意ください。
2012.07.08
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クロニクル 三宅島噴火 2000(平成12)年7月8日12年前のこの日、三宅島の火山、雄山が大きな噴煙をあげて、噴火しました。噴火の規模も大きく、火山性の地震も続き、さらなる大噴火が心配される事態が続きました。有毒ガスの発生,噴出も続き、次第に島内に安全な場所を確保することが難しくなって行き、ついに三宅島の人々は、全島避難を受け入れざるをえないところにまで、状況は悪化しました。長年暮してきた生活の場を離れ、見知らぬ町での生活に適応しなければならないのですから、大変な決断だったろうと思います。それでも、生き長らえるためには、受け入れざるをえない結論でした。こうして、噴火発生から55日目にあたる9月1日、全島避難が決定しました。三宅高校の生徒は、親戚等の家に寄宿した一部生徒を除いて、全員が寮設備のある都立秋川高校に受け入れられるなど、受け入れ側の東京都も大変でしたが、住み慣れた島へ、いつ戻れるのか、避難生活がどのくらい続くのかも分からない、三宅島の皆さんのご苦労は、この後も長く続きました。全島避難指示は、4年5ヵ月後の2005年2月1日午後3時に解除されました。嶋に戻ることが出来て良かったですね。
2012.07.08
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クロニクル 田中内閣誕生 7日の日記1972(昭和47)年7月7日丁度40年前のことです。この日、第1次田中角栄内閣が誕生しました。64年11月、池田勇人首相の病気退陣を受けて成立した佐藤栄作内閣は、7年8ヶ月の長期政権となりましたが、沖縄返還を花道に引退、自民党の総裁選で、福田赳夫氏を大差で破った田中氏が、自民党第6代の総裁に就任、この日の首班指名選挙を経て、首相に就任しました。田中首相は、小学校卒の学歴から、今様の立身出世ともてはやされ、今太閤と親しまれました。また、総裁公選で田中氏を支持した三木武夫氏は、「私は日中国交回復を目指す人物に、三木派の票をいれようと考え、2人にあったところ、田中君の方が国交回復に熱心だと判断できたので、投票することにした」と語り、田中内閣が佐藤亜流ではなく、日中関係改善のエースとして登場したことを示しました。田中首相はまた、列島改造を計画したのですが、この壮大な計画も氏の人気を後押しすることになりました。
2012.07.07
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G7の黄昏とEUの憂鬱(21)日本のバブル崩壊時に、「不動産融資に関する総量規制が諸悪の根源だ。バブル崩壊は政策ミスによる人災だ」と言わんばかりの論調が目立ち、80年代の後半に、とりわけ87年のブラックマンデー以降の世界経済を一手に支えていた日本に、欧米から大量のドル資金が流れ込んでいた事実と、そのドル資金が90年代の訪れと共に、急速に逆流した事実は、あまり言及されませんでした。しかし、総量規制は比較的短い機関で終止符が打たれている事実を考慮すると、ドル資金(当時の言葉で言うユーロ・ダラー)逆流の重みは、十分考慮する必要があります。90年代初頭の米国は、S&Lと呼ばれた貯蓄信用組合の英英が行き詰まり、ドル資金の不足が問題となり、国際金融市場で、大量のドルを手当する必要が生じていました。そしてそれ以上に大きかったのが、90年8月の東西ドイツの統一です。当時のコール西ドイツ首相は、東ドイツ国民への人気取りで、東西ドイツの合併(事実上の西ドイツによる東ドイツの吸収)を速やかに実現するために、西ドイツマルクと東ドイツマルク(オストマルク、公式レートで1:4、闇レート{実勢レート}では1:10)の交換レートを1:1に設定したのです。その結果、東ドイツ企業のほとんどは、西ドイツ企業との競争に敗れて退場を余儀なくされ、新生ドイツは旧東ドイツ地域の経済再建のために多額の資金を必要としたのです。その結果、常に虎視眈々と有利な投資先を探しているユーロ・ダラーは、日本よりも有利な投資先として、アメリカとドイツに目をつけ、日本を離れたのです。その結果、日本の不動産市場は、大方の期待を裏切って、長期間にわたって下落を続けました。90年代以降、増殖を続けた世界マネーは、各地に流入したり退散したりと、世界経済に様々な足跡を残しました。そして今や、リーマンショック後は、BRICSや新興諸国に大量に流入し、そして今やその地域から逆流しているのです。中国を含めての新興諸国の経済不振の原因の一つは、ここにあります。 続く
2012.07.06
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クロニクル リクルート事件政治家に波及1988(昭和63)年7月6日24年前の事件です。リクルート事件、覚えていらっしゃるでしょう。リクルートの江副社長が、同社の不動産部門の子会社、リクルート・コスモスの未公開株を政・財・官界の要人にばら撒き、便宜を図ってもらっていた事件です。事件そのものは、同社が川崎駅前再開発に絡んで、川崎市の助役に未公開株を渡して利益を供与していた事実が、既に87年に朝日新聞にスクープされていました。それがこの日は、一方では日本経済新聞の森田社長が、同社株の売買で8千万円の利益を得ていたことが発覚して、社長を辞任する事態がおき、他方では、未公開株の譲渡が政治家に及んでいたことが明らかになったのです。しかもその譲渡先には、自民党の派閥の領袖クラスが網羅されていました。中曽根康弘前首相(配布当時首相)、竹下登首相、安倍慎太郎幹事長、宮沢喜一蔵相、渡辺美智雄通産相、藤波孝夫官房長官などです。このため、事件の波紋が広がり、翌89年4月に、竹下首相が責任を取って辞任した時、派閥の領袖クラスは、全員謹慎中のため、次の総裁に困った自民党は、派閥の親分ではない宇野宗佑を総裁に担がざるを得ないという、体たらくに陥りました。。
2012.07.06
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民・自・公3党合意を考える消費税増税法案が衆議院を通過しました。消費税の増税には、様々な反対論があります。私も、財政再建の必要性は認めていますが、現時点での消費税増税には反対です。増税は、まずは相続税や贈与税、所得税などの増税で賄うべきだと考えています。ですが、まずここで取り上げたいのは、税と社会保障の一体改革を唱え、最低基礎年金を含む社会保障改革、公務員改革、歳出削減の徹底といった、消費増税に先立つべき一体改革を、自民党の要求を受け入れる形で、すべて放擲して、増税のみを単独で可決した卑劣なやり方です。ここでは6月25日に発表された、日本弁護士連合会の会長名で出された、「社会保障制度改革推進法案」に対する反対声明を、紹介したいと思います。法曹関係者特融の固い文章ですが、3党合意の問題点を鋭く突いています。以下の反対声明を読んでみてください。社会保障制度改革推進法案に反対する会長声明 民主党、自由民主党及び公明党が今国会で成立を図ることにつき合意した社会保障制度改革推進法案(以下「推進法案」という。)は、「安定した財源の確保」「受益と負担の均衡」「持続可能な社会保障制度」(1条)の名の下に、国の責任を、「家族相互及び国民相互の助け合いの仕組み」を通じた個人の自立の支援に矮小化するものであり(2条1号)、国による生存権保障及び社会保障制度 の理念そのものを否定するに等しく、日本国憲法25条1項及び2項に抵触するおそれがある。すなわち、推進法案(2条3号)は、「年金、医療及び介護においては、社会保険制度を基本とし、国及び地方公共団体の負担は、社会保険料負担に係る国民の負担の適正化に充てることを基本とする」として、年金・医療・介護の主たる財源を国民が負担する社会保険料に求め、国と地方の負担については補助的・限定的なものと位置付けており、大幅に公費負担の割合を低下させることが懸念される。また、推進法案(2条4号)は、社会保障給付に要する公費負担の費用は、消費税及び地方消費税の収入を充てるものとするとしているが、財源の確保は、憲法13条、14条、25条、29条などから導かれる応能負担原則の下、所得再分配や資産課税の強化等の担税力のあるところからなされなければならない。さらに、推進法案(4条)は、新設する社会保障制度改革国民会議の審議を経て社会保障制度改革を具体化する立法措置を講じるものとしているが、社会保障制度改革をめぐる国民的議論は、全国民の代表である国会において、全ての政党・会派が参加し、審議の全過程を国民に公開すべきであり、内閣総理大臣が任命する僅か20名の委員による審議に委ねることは民主主義の観点から不適切である。最後に、推進法案(附則2条)は、「生活保護制度の見直し」として、不正受給者への厳格な対処、給付水準の適正化など、必要な見直しを実施するとしている。しかし、生活保護受給者の増加は不正受給者の増加によるものではなく、無年金・低年金の高齢者の増加と非正規雇用への置き換えにより不安定就労や低賃金労働が増大したことが主たる要因である。むしろ、本来生活保護が必要な方の2割程度しか生活保護が行き届いていないことこそ問題である。給付水準の見直しについては、最も低い所得階層の消費支出との比較により、保護基準を引き下げることになりかねず、個人の尊厳の観点からも是認できない。当連合会は、2011年の第54回人権擁護大会において、「希望社会の実現のため、社会保障のグランドデザイン策定を求める決議」を決議した。しかし、推進法案は、上記のとおり、社会保障制度の根本的改悪、削減を目指すものとなっており、当連合会の決議に真っ向から反する法案である。よって、当連合会は、今国会で推進法案を成立させることに強く反対するものである。2012年(平成24年)6月25日 日本弁護士連合会会長 山岸憲司
2012.07.05
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クロニクル 三和、東海、東洋信託合併へ2000(平成12)年7月5日12年前のこの日、三和銀行、東海銀行、東洋信託銀行の3行の頭取が会見し、翌年4月1日を期して経営統合する旨を発表しました。ここにUFJグループの誕生が宣言されました。不良債権の増加に悩む都市銀行,信託銀行等は幾つかのグループへと再編されることとなり、三井系のさくらは、系列を越えて住友と合併、三井住友銀行となり、富士・第一勧銀、興銀はみずほグループとなり、ここに誕生したUFJはさらに東京三菱と経営を統合するに至ったのは、周知の事実です。残されているのは、証券不祥事で揺れる野村證券と、マンモス生保の日本生命などですが、リーマンの欧州部隊を引き受け、欧州進出を強化したところでユーロ危機の直撃を受けた野村の弱体化が著しいだけに、かつて噂になった野村・日生とりそなが組んでの第4勢力誕生の可能性は、ほとんどなくなったように思えます。さて、日生はどこと組むのですかね。
2012.07.05
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G7の黄昏とEUの憂鬱(20)ところで、1990年代の日本のバブル崩壊を先駆けとして、リーマンショックに代表される米・欧のバブル崩壊で、すっかり元気を失ったG7諸国の経済を尻目に、元気イッパイだったBRICsや新興諸国の経済の動きが、このところ変調をきたしています。中国の元は例外ですが、インドのルピー、タイのバーツ、インドネシアのルピア、メキシコペソ、そしてブラジルレアルと、軒並みここ数ヶ月で、ドルに対して20%以上下落しています。韓国ウォンも同様です。そして、通貨価値の下落に重なって、こうした国々の景気動向も大きな変調をきたしています。そして景気の失速減少は、中国もまた例外ではありません。経済の落ち込みは、原材料価格の下落や取引量の減少に繋がり、次いで荷動きの減少による海運料金の下落となって現れます。実需の取引は僅かなのに、仮需似すぎない先物市場を使ったマネーゲームとして、投機筋のおもちゃになっているWTI原油が、大きな顔をしている原油の売買ですら、このところ大きく値を下げているのですが、鉄鉱石や石炭。ゴムなどの価格は、、大きく下がっています。海運市況も値下がりが激しく、海運業界も不況色を強めています。これはなぜでしょうか。ユーロ危機の深刻化により、欧米の金融機関の経営が揺らぎ、信用不安の拡大に備える必要が生じた銀行などが、中央銀行や政府による監査に備え、自己資本比率規制をクリアするために、貸し出しの削減に励んだことに原因があります。ギリシアの危機で、ギリシア国債の80%近くが紙屑になりました。一応の形式として民間金融機関を含めて、債権放棄に応じるという形式を整えたので、デフォルトではないと言いつくろったのですが、国際だから不良化率はないという詭弁は使えなくなり、南欧諸国の国債については、満額で評価することは出来なくなりました。当然、株価の値下がりリスクも織り込む必要があります。こうしたことから、90年代に日本の銀行がそうしたのと同じように、金融機関は貸し出しを絞り、貸付金の引き上げに精を出すようになったのです。この際に政府も中央銀行も、貸し出しを絞るのなら、国内ではなく、国外への融資をまず絞れという行政指導を行なうだろうことは、すぐに想像できます。こうして欧米の金融機関は、アジアや中南米の新興諸国やBRICsに対する融資を、貸しはがしに近い形で、その多くを回収したのです。これが原因です。 続く
2012.07.04
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クロニクル 『不思議の国のアリス』誕生へ1862(文久2)年7月4日文久2年と言うのは、維新前夜の混沌とした時期でしたが、文豪森鴎外の誕生年でもあります。ちょうど150年前になるのですが、この日、『不思議の国のアリス』の著者、ルイス・キャロルは、友人のヘンリー・リデル一家の3人娘を、川遊びに連れてゆきました。川遊びに疲れて休んでいる時に、物語の好きなリデルの次女アリスは、キャロルに楽しいお話をしてとせがみました。この時、キャロルが即興的に話して聞かせた物語を、アリスはことのほか好きになり、何度も同じ話をキャロルにせがみました。キャロルは、自ら紡いだ物語を、「地下の国のアリス」として手書きの本にまとめました。この本が、後『不思議の国のアリス』として、世界各地の子ども達を魅了することになったのです。
2012.07.04
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G7の黄昏とEUの憂鬱(19)結局南欧諸国を救済するために、FFSFやESMが必要とする資金は、ユーロ圏やEU諸国では賄うことが出来ず、IMFや日本そしてBRICSなどの新興諸国の資金協力にすがるしかないのが現実です。しかし、謙虚というかパワーポリテックスが苦手というか、資金は提供しても、滅多に口出しをしない日本を除けば、IMFもBURICSも、資金を提供する以上、応分の発言権の確保を条件とします。ですから、欧州の問題に介入されたくないEUやユーロ圏諸国は、IMFの融資(=そこには当然箸の上げ下ろしにまで及ぶ、強烈な介入が付き物です)は受けたくないのです。中国やインド、ブラジルなどBRICS諸国は、IMFの出資比率の見直しを含め、G7諸国の思惑で動く、IMFの組織改変を求めて様子見の姿勢をとっています。リーマンショック後の世界経済の落ち込みが、大恐慌に陥らずに済んだのは、中国の景気が一時的な停滞の後に、1年足らずで力強い成長軌道に戻ったからでした。中国経済と新興諸国の台頭が世界経済の底抜けを防いだのです。その結果、世界経済の重要な問題を議論するには、G7やG8(G7プラスロシア)では力不足でのため、G20の開催が必要欠くべからざることになったのです。BRICSや新興諸国の発言権確保の要求は、もはや無視しうる状況にはなくなっているのです。 続く
2012.07.03
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クロニクル 米艦イラン旅客機を撃墜1988(昭和63)年7月3日24年前になります。この日、ペルシャ湾で米国の艦船がイラン旅客機を誤って撃墜、乗員・乗客290人全員が死亡する痛ましい事故がありました。米艦船は、旅客機を戦闘機と誤認して攻撃した模様で、米国政府の速やかなお詫びで、事態がさらに悪化することは避けられました。しかし、戦闘機が旅客機ほどの大型であることはありえず、戦闘地域に派遣された兵士の精神状態が、いかに過度の緊張のために、破綻に瀕していたかが浮かび上がった事件でした。この事件には、後日談があります。1988年のこの時期は、なおイラン・イラク戦争が続いていました。イランの革命政府を嫌うアメリカ政府は、フセインのイラクを支援し、そのために艦船をペルシャ湾に派遣していたのです。そこへこの事件です。事件をきっかけにイラン・イラク戦争への介入に、世論と議会の反発が強まり、結局米国は、イラン・イラク戦争から手を引かざるをえなくなるのです。この事件は、結果としてイラン・イラク戦争の幕引きの原因になったのです。
2012.07.03
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G7の黄昏とEUの憂鬱(18)1)がどうまとまるか、まだ先が見えませんが、1)がまとまると2)と3)が動き出します。2) 1)の設置後、ESM(欧州安定メカニズム)による金融機関への直接資本注入を可能とする3) EFSF(欧州金融安定基金)とESMの活用で、ユーロ圏の金融安定に必要な措置をとるここで、EFSF(欧州金融安定基金)とESM(欧州安定メカニズム)について、簡単に一瞥することにします。まずEFSFは、金融危機に陥った国に対し、2013年6月までの期間限定で、金融支援を行なう機関として、ユーロ圏諸国がGDPの割合に応じて資金を拠出して、作られた機関です。EFSFの創設当初は、13年6月までには、危機の克服は可能であろうと考えられていたのですが、、その後の危機の深化で、そう簡単に危機の克服は出来ないことが明らかになったため、EFSFに替わる恒久的機関を創設することになりました。こうして出来上がったのがESMです。ですからESMは、当面はユーロ圏で財政危機に陥った国々に対する金融支援に特化するのですが、EU加盟国全体に対する金融支援の構想も、将来構想として持っています。要するに、金融監督が実際に行なわれると、来年6月まではEFSFによって、来年7月からはESMが轢き継ぐ形で融資が行なわれるのです。ところでEFSFやESMは5千億ユーロ(約50兆円)までの融資が実行できるとなっているのですが、本当にそれだけ集めることが出来るかどうかに、かなりの疑問が存在します。ユーロ圏諸国がGDPに応じて資金を拠出する義務を負ったのですが、その比率をざっと見るとドイツ27,13%、フランス20,38%、イタリア17,91%、スペイン11,90%と、4カ国で総額の77,32%を拠出することになっているのです。この4カ国に続くのが、オランダの5,71%なのです。ECBやEUに金融支援を要請しなければならない、財政基盤に問題のある国に、この負担は可能でしょうか。ここにも問題が残っています。 続く
2012.07.02
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