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◇清水寺の境内にある三重塔に訪れました。荘厳を誇る当山において、三重塔は、根本堂を中心とした伽藍配置上、欠かすことが出来ません。島根・鳥取両県下で現在唯一の総けやき造りの木造多宝塔です。心柱は一層をはずして、二層、三層を貫いています。地上から棟まで高さ21.1m、宝珠の尖端までは33.3mあります。1827年から1859年の33年の歳月を費やして完成しました。少し小高い所にあります。拝観料は、200円だったかな?三重塔や五重塔には数箇所は入った事があります。でもこの三重塔は、登れるのが他と違いました。二階まであがったことがあるのは、2箇所ぐらいですね。細い階段で何回かに分けて登りました。階段を登ると、外の景色が見えると、怖さが増しますね。外にも出る事が出来ますが、始めは恐怖心が出ますね。慣れれば、それほど怖くは無いですけど、安全とは思えませんね。此の三重塔からさらに山に登ると「山中鹿之助の槍砥石」があるみたいです。後で気がつきましたが、疲れていたので気がついても見に行かなかったと思いました。札打ち巡拝路沿いにあるみたいに書かれていました。三重塔は、他の所と違うので、訪れた事がない人は登ってみてほしいと思いました(笑)。●島根安来旅行で訪れた所島根安来旅行は、まだ続きます。
2010/12/30
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◇島根県安来市の東側へ移動したところに清水寺があります。厄払いの寺としてしたわれる清水寺は、今を去る千四百年前、用明天皇即位二年(587)、尊隆上人によって開かれた観音霊場である。開基以前のこと、「山上に瑞光現れ、その光明を因として山を瑞光山と号し、また水の清く霊なるをもって清水寺と名づく」と伝えられる。その後歳月を経て荒廃するも、中興開山盛縁上人復興に尽くし、806年に平城天皇の詔勅を受け、七堂伽藍を完備する。847年11月、慈覚大師(天台座主円仁)、唐留学の帰路、当山に立ち寄り、光明真言会を創め、これを機に天台宗となる。盛時には僧坊四十八を数えたという。その後再三火災に遭うも、1393年、再び大伽藍を復興、今日も寺域を形作る。戦国時代に入るや、尼子と毛利の戦いに巻き込まれ、毛利によって焼き討ちに遭い、根本堂(現存)を除いて全焼する。その後、毛利家、歴代の松江藩主の庇護を受けて復興した。駐車場まで車で行きました。そこからは徒歩で20分ぐらい歩くと本堂らしいです。階段数は450段近くあるみたいです。夕方でしたが、まだまだ訪れている人がいました。さすがに疲れましたね(笑)。「宝物館」は4月28~5月5日と11月1日~11月9日ぐらいしか開館してないみたいです。此処まで来たから訪れてみたかったですね。古門堂茶室も見えるみたいですが、終わっていました。本堂は拝観できました。三重塔は、明日書きます(笑)。●島根安来旅行で訪れた所島根安来旅行は、まだ続きます。
2010/12/29
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◇「ゲゲゲの女房」の故郷は大塚という町らしいです。小さな町ですが、それなりに町並みがありました。河の近くに姫地蔵がありました。戦国の世、毛利軍の追っ手を逃れた尼子家武将の姫が、ついに此の血で捕まり自害した。地元民がこれをあわれみ慰霊の地蔵堂を建立した。尼子家の城跡へ訪れていたので、気にはなりました。詳しい説明看板は無いので、つたえとしてあるんでしょうね。地蔵堂にしては、維持されていて綺麗ですね。ドラマでも登場したらしいです。「姫地蔵」の裏に釈迦ヶ嶽の碑があります。1824年、稲妻咲右ヱ門が兄・釈迦嶽を偲び郷里に建立した。近年、足型・等身碑などが整備され、安来市文化財に指定されている。「ゲゲゲの女房のふるさと展」で手形がありました。すっごくでかいです。ここには足型があります。此の場所は訪れる人は少ないけど、観ても良いと思いました。「ゲゲゲの女房の思い出マップ」を参考に歩きました。それほど歩いたわけでは無いですけど、近辺だけ探索しました。「おやくしさん」や「大神宮さん」は訪れました。「大神宮さん」(大塚両大神社)は母里藩主の祈願所と定められていてそうです。大塚の町から移動しました。●島根安来旅行で訪れた所島根安来旅行は、まだ続きます。
2010/12/28
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◇安来に訪れた時に看板があったので「ゲゲゲの女房」ふるさとへ訪れました。本年度の流行語大賞の「ゲゲゲの」ですので寄りました。ドラマは見ていないので、なんとなくですけどね(笑)。警備員まででて駐車場が何箇所かありました。夕方に訪れましたから駐車所は近くに停めれました。十数人は、まだ訪れました。「ゲゲゲの女房のふるさと展」と「ゲゲゲの女房(布枝さんの生家)」などが見えます。生家の方は、面影がなくなっているらしく、現在では販売の酒屋になっています。ふるさと展はドラマや映画版の話などが聞けました。ミシンがメインかな(笑)。一般の家なので、撮影は掲載しません。会期は平成23年3月末までの予定らしいです。時間は9時から17時までです。入場料は無料です。近くに訪れたら、寄ってみてください。「つるべの家族に乾杯」でも訪れていたと思います(笑)。●島根安来旅行で訪れた所島根安来旅行は、まだ続きます。
2010/12/27
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◇河の反対側の山沿いに洞光寺があります。開基は尼子清貞・経久父子とされている。両公の墓所については、他説もあるが、寛永年間つまり、経久公没後83年後金尾の故地から、此の地へ、寺基と共に塔を奉遷した当時の人々の熱い信念を慕うものである。町から路地に入った所に寺はありました。寺は元々どこなったかはわかりませんが、戦国時代の町の位置は川の所だったそうです。氾濫も何度もあったらしく、位置に関しては不明な点が多いらしいです。この墓も、伝えとしての部分が多いみたいですね。案内看板もあり、すぐに見つける事が出きしました。町中には「川中島一騎討ちの碑」があります。昔は冨田川の中洲があったところ。1565年、尼子の猛将山中鹿介幸盛と毛利方益田越中守の家臣品川大膳とが一騎討ちを行い、鹿介が大膳の首級をあげた場所といわれている。公園の横にありました。碑だけですので、面影はありません。逆光ばかりになる撮影が多かった今日でした。もう少し山沿いに「品川大膳の墓」があります。町の道からは、100mぐらいは歩かないといけないかな?本当にわかりにくい場所ではありました。案内看板を道沿いで見失うと、たどり着けないと思います。小さな川沿いにありました。此の墓があるので、一騎討ちの場所を特定したらしいです。町中に「お茶の水井戸」があります。説明看板には、「206年間藩主の使用した当時の井戸水に復元した」と書かれていました。水は飲めますので、飲んでみました。島根の名水百選(歴史の泉部門)に指定されているそうです。初めて聞く部門ですので、そうなんだと思うだけでした(笑)。●島根安来旅行で訪れた所これで月山富山城跡周辺から移動します。でも、島根安来旅行は、まだ続きます。
2010/12/25
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◇月山富田城跡の河側の麓にある巌倉寺へ訪れました。真言宗の寺で、1187年に高顕僧正によって現在の地に移された。これは富田城築城と相前後するもので、おそらくは城主の意思によって城内の祈願所とするとともに富田城外郭線の守りとしたものと思われる。山門前に車は停めれます。少し急な坂道ですが、それほど長くないので一気に登りました。なぜかミニ88箇所巡りがあるみたいです。全国にあるので、どうしてかはわかりませんね。「小那姫の墓」は看板は出ていましたが、場所がわかりませんでした。寺についての説明看板は見当たりませんでした。本堂の少し上に堀尾吉晴の墓があります。堀尾吉晴は尾張国丹羽郡御供所村(愛知県丹羽郡大口町豊田)出身の武将。羽柴秀吉配下の武将として活躍し、豊臣政権においては、三中老の一人に任命されるなど、秀吉の信任が大変厚かった。近江国浜松城主時代の1599年に隠居し、息子忠氏に家督を譲り、徳川家康から越前府中(福井県)に五万石の隠居料として与えられた。忠氏が関ヶ原の戦功により雲隠24万石を領主となった際、共に富田城に入城した。1604年に忠氏が急死の為、まだ幼少であった孫の忠晴の後見として政務に復帰した。1611年に松江に城を移した。同年6月17日、65歳で没した。戒名は「法雲院殿前佩帯松庭世柏大居士」。遺言によって此の地に帰葬されたと伝わる。此の五輪塔は来待(きまち)石製で、高さは約3mを測り、来待石製五輪塔としては最大級のものである。空風輪・火輪・水輪・地輪の各石材の四方には薬研彫りによぅて凡字が刻まれている。また、墓の前面には灯籠の基礎と見られる四角形の石柱があり、四方には仏像が陽像されている。地味な武将ですが三中老に選ばれたぐらいの人ですから、墓は立派ですね。子供の墓は、だいぶん離れた山の中にあるみたいですね。なんでこんなに離れているのだろうかな?その奥に鹿介供養塔があります。幸盛公の遺徳を偲び、1602年に堀尾吉晴公の御内儀(妻)によって建てられた。50cmぐらいの供養塔ですので、看板が無ければわからなかったでしょうね。現地の人に気を使った気もしますね。●島根安来旅行で訪れた所島根安来旅行は、まだ続きます。
2010/12/24
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◇「城安寺」の前の小高い所にある松平直諒の墓に訪れました。松平直諒(なおあき)は広瀬藩松平家の八代目である直寛の嫡男である。直寛が1850年に死去した為に、家督を継ぎ九代藩主となった。直諒は入国すると、製紙業や製油業などを奨励して経済・産業の振興に取り組んだ。しかし、1861年6月15日に病に倒れ、同年7月19日、広瀬藩邸にて没したため、城安寺墓地に埋葬された。寺からも見えていたので、迷うことなくいけました。なんで1人だけ、ここにあるのだろうか?広瀬藩松平家の菩提寺では無いって事かな?「新宮党館跡・太夫神社」新宮党は、尼子氏の強力な一門であったが、毛利氏に謀られた冨田城主・晴久によって、1554年に滅ぼされた。尼子経久の二男・国久、その子・誠久、豊久、敬久の墓とともに太夫神社の祠がある。道路から150mの広場がそうらしいです。太夫神社は新宮党一族を祀った神社だそうです。「毛利元秋の墓」宗松寺跡の奥、竹薮の中にあるのが毛利元秋の墓です。元秋は毛利元就の五男で、1573~1591年頃、天野隆重に推されて富田城主になったが、1585年に富田城内で病死した。道路から120mの山の中がそうらしいです。「尼子氏奥都城」尼子一族の墓所とされている所。尼子一門で、新宮党の末裔にあたる久富二六氏が先祖の地新宮谷を訪れ、尼子時代の尼子の夢をこの碑に託し、1941年に此の地に建立した。道路から100mの所がそうです。ここは入口が狭いが、広場という名の駐車所はありました。碑だけですね。「塩治掃部介の墓(荒法師)」塩治部介は尼子経久が京極氏から追放を受けた後、富田城の目代として入城したが、文明18年元旦、尼子経久の奇襲を受け、富田城内で討たれた。俗に荒法師と呼ばれ、昔から此の墓をみだりに荒らすと必ず祟りがあるといわれている。道沿いにありますが、草が生えていました。「堀尾忠氏墓」も道から150mらしいです。広瀬町史蹟ガイドマップには載ってなかったので訪れていません。「山中鹿介幸盛生誕の地」鹿介の生誕の地については異説があるが山中家は尼子家の分かれであることから古文書、系図等の調査によって此処が生誕地と定められている。鹿介は1545年8月15日、父・満幸、母・なみ(立原佐渡守鋼重の娘)の次男として生まれた。道から150mの山の麓にあります。案内看板はあり場所はわかりましたが、説明看板は無かったです。「尼子晴久の墓」晴久は経久の孫にあたり、父・政久が戦死した後、経久から家督を相続した。しかし毛利軍が富田城に肉薄しようとした1560年に急死した。天守跡の山の麓にありますが、車なら反対側から回れば近くまでいけました。駐車場は数台停めれます。そこから段差を上がれば、ありました。「尼子興久の墓」経久の三男。禄高の不足を父・経久に訴え、これを聞き入れなかったことから父に背いた為、やがて父の手によって追放された。1534年に妻の実家にあたる備後甲山城主・山内大和守直通方に身を寄せ、そこで切腹した。「安来市立歴史資料館」の駐車場の山沿いに墓があります。看板もあります。●島根安来旅行で訪れた所島根安来旅行は、まだ続きます。
2010/12/23
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◇月山富田城跡の麓にある城安寺に訪れました。城安寺(じょうあんじ)は臨済宗南禅寺派の古刹で、1312~1317に古愚(こぐう)和尚によって創建された。寺は元々、現在の福祉センターあたりにあったが、1666年に当地に広瀬藩邸が建設されることとなったため、かつて尼子氏の館があったとされる場所(現在の城安寺墓地の周辺)に移転した。明治19年には火災や洪水にあい、山門以外の本堂など多くの施設が被害を受けたため、隣接する現在の地に移転した。山門は広瀬松平家九代藩主・松平直諒(なおあき)の寄進による物で、扁額も自身の書によるものである。また、扁造多聞天像と広目天立像は鎌倉時代頃の作とされています。広瀬藩のお抱え絵師であった堀江友声の描いた、尼子十勇士絵巻や月山富田城絵図などがある。広瀬松平藩の菩提寺。月山富田城跡を回れる車道の麓にある寺です。山門は閉まっていましたが、人の出入りがあるので聞いて入りました。庭園が見えるそうなので、聞いて見せてもらいました。訪れたのが遅かったのと、数日前の強風で木々は冬使用になっていました(笑)。少しだけ紅葉していました。観光的な場所では無いので、早めに移動しました。●島根安来旅行で訪れた所島根安来旅行は、まだ続きます。
2010/12/21
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◇月山富田城跡の頂上まで来ました。尼子氏は近江出身で、富田城主として確認されるのは出雲濃く守護代であった清貞からである。晴久の時代になると八箇国の守護職に命ぜられました。義久が富田城主になる頃には毛利氏の侵攻により1566年に富田城は開城し、尼子氏の支配は終焉した。その後、毛利氏支配になり五男・富田(毛利)元秋と家臣の天野を置き二人体制で支配した。1585年に元秋が亡くなり、翌年には元就の八男・末次(毛利)元康が入場した。豊臣秀吉の意向により1591年に吉川元春の三男・広家が入場した。1600年の関ヶ原の合戦で堀尾氏の親子(吉晴・忠氏)に出雲・隠岐両国が与えられ、富田城に入場した。しかし、富田城が出雲国の東部に片寄っていることや、周辺の山々から見下ろされるなど政治上・軍事上近代的な領国支配の体制づくりに適さないと判断し、1607年より松江築城に取り掛かり、1608年に富田より松江に本拠地を移した。本丸跡らしいが、面影は無いです。平らになっていて、縦長くなっています。別名・「甲(つめ)の丸」と呼ばれているそうです。「山中鹿介幸盛記念碑」があります。碑は碑でした(笑)。天守跡に「勝日高守神社」があります。1156~1159頃に平家の武将・平景清が出雲に入り、月山に築城するにあたって御社があっては畏れ多いと里宮に移したのが富田八幡宮(矢立松の伝説)。現在山頂の勝日高守神社は里宮に対して奥宮。大国主命が祀ってある。(尼子時代は、代々城主内の守り神であった)月山は、標高191mである。周りは一周できますが、見所は無いですね(笑)。山の中の神社ですが、綺麗に整備されていました。途中にポツンと鳥居があったのは、此の神社のだったのかな?古い城跡ですが、整備は所々されています。復元で石垣なども少し、整備されていました。石垣だけなら三の丸か山中御殿あたりが、綺麗に整備されていました。●島根安来旅行で訪れた所島根安来旅行は、まだ続きます。
2010/12/20
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◇地上波で夜に放送していたのを録画して見ました。『相棒-劇場版-絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン』は、2008年の日本映画です。警視庁特命係に所属する常に冷静沈着な右京と、熱血漢の相棒、薫のコンビが難事件を解決する人気テレビドラマシリーズがついに映画化。水谷豊と寺脇康文の硬軟取り混ぜた絶妙な掛け合いはテレビシリーズそのままに、劇場版ならではのスケールを求め、都心で一大ロケを敢行。シリーズ最大の危機がふたりを襲う。味わい深い脇役陣の活躍も楽しみ。監督 和泉聖治出演 水谷豊,寺脇康文,木村佳乃,西村雅彦 などう~~~ん、ドラマを見ていないせいか、いまいちでした。話のつながりがドラマとの関連性があるような設定なのか、ぶった切っただけの内容なのかわかりません。警察の人間関係は、あれでよいのかな?序盤の展開からは一変して、しゃしゃりですぎですよね(笑)。話も他人からの情報で動いていました。御都合すぎましたね(笑)。東京マラソンも、ほとんど意味ありませんでしたね。CGでの編集が大変になっただけだと思いました。認識システムが出ていましたが、それほどの物があるのなら、もっと活用しろよ。そういうのを出してしまうと、サスペンス性が薄れてしまうんですよね(笑)。アクションに関しては、米国のB級映画の域を出ていませんね。CGでしているので、変な色使いになったいます。「寺脇康文」も肉体派でないのに、肉体派の様な演技をしていました。それは無理だろうと思いました(笑)。社会派ネタだったという、落ちらしいです。言いたい事はわかりますが、ピンと来ない人がほとんどだと思います。そんな過去の事を言い出しても、何も変わらないのは現実だと思います。犯人の犯行理由が、いまいちピンときませんでした。それほど周りくどい事をする理由もわかりませんし、よけいな犯行?は意味があったのかな?一歩間違えれば、無差別殺人者に近い行動だった。報道バッシングも、幼稚な内容だった。重要な内容を投げかけているかもしれないが、投げっぱなしで誰も拾う人はいない。そういうのを描くのは、日本では国民も衰退していますからね(笑)。ドラマの『相棒』が好きな人だけ、観てください(笑)。
2010/12/19
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◇富田城跡の奥書院平に山中鹿介幸盛の銅像があります。山中幸盛は尼子氏の一門である山中氏の出身で、病弱の兄に代わって家督を継承した。幼名を甚次郎、元服後は幸盛と名乗った。一般的には鹿介の名が知られている。毛利氏による富田城攻めの際に、益田氏配下の武将である品川大膳との一騎打ちで名を馳せ、尼子氏滅亡後は尼子勝久を奉じて尼子再興戦で中心的な働きを行い、一時は富田城を包囲した。しかし布部・山佐の戦いにおいて、毛利軍に敗北した後は徐々に劣勢となり、1571年頃に出雲から徹底した。その後は因幡方面で転戦した後、織田信長の配下である羽柴秀吉の軍勢に加わり、播磨国(兵庫県)の上月城守備を命じられていたが、毛利軍の猛攻によって落城。主君・勝久らは自害し、鹿介は捕らえられた。鹿介は備中松山城にいる毛利輝元の下へ護送されたが、その途上松山城に程近い阿井の渡しにおいて暗殺された。生年不詳~1578年。「安来市立歴史資料館」の人に車で行けるとか駐車場とかを聞いて訪れました。対向車が来たら厳しい道が多いですが、距離があまりないので一か八かで行ってください(笑)。銅像前は広場になっているので、駐車場はあります。銅像は「三笠山」の方をむいているのだと思います。あまり周りの景色は見づらい場所ではありました。後ろの木も邪魔でしたね。銅像は1978年に作られたので、地味な感じでした。男前には見えませんでしたね(笑)。 車で一周できる道を進み、登り口の先のトンネルを越えて少しの所に少し駐車スペースがあるので停めました。3台ぐらいは停めれます。登り口から「侍所」に寄りました。建物を再現していています。「花ノ壇」と呼ばれています。蜂とマムシに注意の張り紙があるりますので、夏場は要注意ですね。「山中御殿」は小さ目の石垣があり、整備しなおしていて雰囲気はあります。3000平方メートルもあるらしく、広々しています。山城でこれほど広いのも珍しいですね。一番の難所は「七曲がり坂」ですね。昔の山道な感じです。軍用道で石畳が雰囲気を出しています。途中には「親子観音」と「山吹井戸」がありました。二ノ丸まであがると、中海か宍道湖が見えました。海が見えると、少しホッとしますね。●島根安来旅行で訪れた所島根安来旅行は、まだ続きます。
2010/12/18
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◇島根県の安来節で有名な安来市へ訪れました。山中鹿介と尼子家の縁の地でもあります。あまり調べずに富田城跡周辺へ訪れました。近くの公園に尼子経久銅像がありました。尼子経久公の由来(1458~1541)応仁の乱は全国を千石争乱の世に変えた。そのころ尼子氏は出雲守護代職にあった。父・清貞の跡を継いだ経久は、父を越えて戦国大名への道を歩み始めた。一時、その地位を追われたが後に回復し、瞬く間に出雲国を平定し、ついに山陰・山陽にまたがる(現在の島根・鳥取・広島・岡山の各県と兵庫県の一部)十一州の太守と讃えられる大勢力を築いた。経久は、武将としての勇猛さと共に神仏を信仰し(出雲大社の遷宮など)、人に優しかったとも伝えられていて、優れた文化人でもあった。実に60年もの間、尼子の栄光を支えた。最近の銅像なのか、迫力がありました。指差している方向は「三笠山」か「経塚山」の方です。「経塚山」の方が「自ら一切経を写して埋めて子孫繁栄を願った山」とされているので、そちらの方かな?山中鹿介が「三笠山」の上にかかる三日月に拝して「願わくば、我に七難八苦を与え給え」と祈ったとされていますが、山中鹿介像でないですかれね。小説の話が元らしいで、言っては無いらしいですね(笑)。公園にあって、すぐ見えるので訪れたら見てください。橋を渡り、富田城跡の麓に安来市立歴史資料館へ訪れました。入館料は200円でした。細かい藩の歴史があったらしいのは知りませんでしたので、その藩は興味を持ってみました。そこで「史蹟ガイドマップ」をいただいて探索をしました。●島根安来旅行で訪れた所島根安来旅行は、まだ続きます。
2010/12/17
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◇「戦国の庭歴史館」の近くにある「松本屋敷跡」(国史跡)にもよりました。1580年頃、吉川元春の妻が住んでいたとされる館跡です。間口80m、奥行30mの規模で、正面の石垣は吉川元春館跡や万徳院跡と同じ技法が見られます。石垣だけが目印です。草が生えていて、それ以外はわかりませんでした。看板らしいものも無かったと思いますが、近所の人に聞いたので間違いは無いと思います。現地の人の案内で毛利元就初陣の地へ訪れました。有田城跡と有田合戦有田城跡には四つの廓(人工的な平坦面)と、郭の北西端を固める土塁(人工的な土手)が残っている。城主は山県一族有田氏と思われ、東の壬生氏・西の今田氏とともに、室町から戦国時代初期にかけてこの地域を支配していた。1515年、中国地方に大きな勢力を持っていた山口の大内氏に対し、銀山(かなやま)城(広島市安佐南区)の武田元繁が反旗をひるがえし、壬生氏・有田氏、今田氏も従軍した。これに対し、大内氏の命を受けた郡山城(高田郡吉田町)の毛利氏によって有田城は攻撃され、落城した。1516~1517年に有田城奪回を目指す武田氏と毛利・吉川氏の間で有田合戦が繰り広げられたが、武田元繁は戦死、山県一族の壬生・有田・今田氏も没落した。元繁戦死の地の碑は現在、又内川河畔にあるが、今田、中井出など異説があり、確定できない。此の有田合戦は、武田氏の威勢を失墜させることとなり、逆に毛利氏は安芸国人の中に占める地位を固め、初陣を飾った元就自身も毛利家家督相続の足場を築くこととなった。千代田ICからは近くにあ小山です。それほど高い山では無いので頂上近くまで車でいけますが、1台ぐらいしか停めれませんでした。Uターンしなければ、2台は停めれるぐらいです。麓にある駐車場の登山口から登っても、それほど距離は無いと思います。殿下の碑と320mの看板があります。「三の丸」や「焼け米の出た場所」や「本丸跡」の碑と説明看板がありました。見た感じは土塁などがある感じではありましたが、写真で撮るとまるでわかりませんdねした。城跡ではありますが、石垣で固める時代では無いので仕方はありませんね。軍記「陰徳太平記」に合戦が描かれているみたいです。武田元繁を討ち取ったのは、井上左衛門尉だったらしい。毛利元就の初陣らしいが、あやふやらしいのか、はっきりとは書かれていない感じでした。有田合戦で名を挙げたらしいのは、確からしい。「武田元繁戦死之地」は有田城跡の少し離れた川沿いにありました。説明看板は無いので、あまり観る人は少ない場所ではあるとおもいます。高速に乗って帰りました。これで、広島北旅行は終わります。●広島北旅行で訪れた所広島北旅行(一)椋梨城址広島北旅行(二)郡山城跡広島北旅行(三)毛利元就の墓広島北旅行(四)郡山城天守跡広島北旅行(五)清神社広島北旅行(六)三矢の訓跡碑広島北旅行(七)宮崎神社広島北旅行(八)古保利薬師広島北旅行(九)吉川元春館跡広島北旅行(十)吉川元春の墓広島北旅行(拾壱)万徳院跡広島北旅行(終)は、此のページです。
2010/12/16
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◇「歴史資料館」から山の方へ2kmぐらいの所にある万徳院跡に訪れました。1547年頃に、この地域に勢力を広げていた吉川元長(毛利元就の孫)が建立した寺院の跡です。当初は山中に谷あいにひっそりと建つ、いわば別邸でしたが、元長の死後、弟の広長が吉川氏の菩提寺としてふさわしい寺院を求め、長い参道や石垣、庭園、建物を増築などの大改修を行いました。万徳院は宗派にとらわれない「諸宗兼学」の寺として、東西80m、南北45mの境内でした。しかし、1600年に吉川氏が現在の山口県岩国市へ移されると、万徳院もこれに従い建物ごと移転しました。「万徳院跡ガイダンスホール青松」の駐車場に停めました。説明を聞いてから、歩いて散策しました。参道も整備されていましたが、直線に長かったです。跡地なので本堂周りには跡がありました。石垣などがあり、広々として雰囲気はありますが、跡は跡でした(笑)。「容光院墓所」が隅にあります。その近くには旧の墓跡があります。移動させた理由はわかりませんが、この距離なのは意味あるのかな?万徳院跡HP風呂屋(再建)に入りたい人は、上のHPを見てください。冬場は入れませんが、体験が出来る場所なのは良いことですね。自分は時間が遅かったのでは入れませんでした。一度入ってみたかったですね(笑)。●広島北旅行で訪れた所広島北旅行は、まだ続きます。
2010/12/15
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◇「史蹟・吉川氏城館跡」の奥に吉川元春の墓があります。吉川元春は1586年に豊臣秀吉の要請により九州の小倉へ侵攻した時に57歳で病没した。遺骸を此の地に帰し送葬し、隋浪院殿前駿州大守四品海翁正恵大居士と号す。又、左に隣接しているのは、元春の長男・元長の墓で、1587年に宮崎県日向において40歳で病死したものである。元春と同じく此の地で送葬し萬徳院殿前禮部中翁空山大居士と号す。なお、右に離れている墓標は元春の四男で早世した禅岑法師の墓と言われているがさだかではない。吉川家が岩国へ移封された後は一時期荒廃したが、1827年に修復され、玉垣・石燈ができた。更に1908年の進賞、追贈に際し改修が行われ現在に至っている。それほど歩かなくても良い場所に在りました。木を植えるという埋葬なので木が植わっています。それが目印なのでしょうが、遠くからなのであまりわかりませんでした。岩国の墓は、墓石だったのが多かったと思いますが・・・。時代によるのかもしれませんが、新たには作る事はしなかったみたいですね。こんな場所にあるとは思いませんでしたので、嘘だろうと思いましたが、聞いてみると吉川家が毎年訪れているらしいです。移動したりしていないのは、意外でしたね。戦国武将で名も知れているので、訪れれて良かったと思いました(笑)。「史蹟・吉川氏城館跡」には戦国の庭・歴史館に駐車場を利用しました。入館料は300円でした。ビデオで数分間、案内を見たりしました。●広島北旅行で訪れた所広島北旅行は、まだ続きます。
2010/12/14
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◇北広島町の歴史館へ訪れました。その横にある吉川元春館跡に訪れました。駿河国(静岡県)を本拠地としていた吉川氏は、鎌倉時代の終わり頃に大朝本庄(北広島町大朝)に地頭として入り、室町時代には安芸国の北部を中心とする地域を治める国人領主に成長します。その後戦国時代には周防国の大内氏と出雲の尼子氏の間に立たされましたが、毛利元就の次男である元春を当主として迎えることにより毛利体制に入ります。吉川元春は弟の小早川隆景とともに毛利氏を補佐し、おもに山陰攻略に貢献した。1600年の関ヶ原の戦い後、吉川氏は山口県岩国に移りますが、それまでの吉川氏に関わる遺跡が山県郡北広島町に分布しています。そのうち、駿河丸城跡、小倉山城跡、日山城跡、吉川元春館跡、松木屋敷跡、万徳院跡、洞仙寺跡、西禅寺跡、常仙寺跡の9遺跡が史蹟吉川氏城館跡として国の史跡に指定されており、小倉山城跡、吉川元春館跡、万徳院跡の3遺跡は広く一般へ活用する為に整備し、歴史公園として公開しております。吉川元春が1583年頃、隠居所として建てた館跡です。本拠城である日山城の西南麓、志路原川に面した河岸段丘上に立地しています。館は石垣のある東側が正面で、北は切岸と土塁、南側は堀と土塁で区画された間口110m、奥行き80mの範囲です。現在残っているのは、石垣と土塁と庭園跡です。史蹟ですので、埋められているので、跡だけわかるように整備されていました。井戸の囲いの中の井戸跡の高さが、実際の高さだそうです。台所が復元されていました。簡単な説明を聞きました。便所跡の説明看板には寄生虫の事を書いてあるのは珍しかったです(笑)。●広島北旅行で訪れた所広島北旅行は、まだ続きます。
2010/12/13
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◇BS-2で昼に放送していたのを録画して見ました。『セルピコ』(SERPICO)は、1973年の米国映画です。希望と正義感にあふれてニューヨーク市警に配属された若き警官セルピコ。しかし、現実は汚職まみれの警察官であふれる職場だった。巨大組織に根強くはびこる腐敗に、たったひとりで挑んだ実在のヒーローをアル・パチーノが熱演。「十二人の怒れる男」、「狼たちの午後」などの巨匠シドニー・ルメット監督による社会派ドラマの名作。監督 シドニー・ルメット出演 アル・パチーノ、トニー・ロバーツ、ジョン・ランドルフ などこれが事実だったのだろうか?話としては地味で面白くはなかった。悪徳警官だが、悪いと思っていないからたちが悪い。この中で孤立するののは、誰でも出来ない事ではある。事実がどこまでかが、わからない。闇の部分だし、警察の資料も偽りだからな~。賄賂をもらう警官は、未だにいるからな~。西部劇時代から保安官は、同じ事を言っているな~。安月給で命を賭けられるかって同じ事を言いますね。最後ではハッピーエンドらし終わり方ですが、米国には住めなかったらしいです。警察のその後の対応とか、処罰とか、正式発表とか、知りたい事には触れなかった。知りたかった事では、生存がわかっただけですね。今はどうなんだろうって思いました。「アル・パチーノ」が好きな人だけ観てください(笑)。
2010/12/12
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◇BS-hiで「ジャッキー・チェン」特集の再放送を昼に放送していたのでみました。『プロジェクトA2 史上最大の標的』(PROJECT A II)は、1987年の香港映画です。大ヒット作「プロジェクトA」の続編。20世紀初頭の香港を舞台に、ジャッキー・チェン率いる水上警察・陸上警察が、清朝に抵抗する革命軍や“西環の虎”と呼ばれる暗黒街のボス、清朝から送り込まれた暗殺団、悪らつな香港島の警察署長など、次から次へと現われる敵に敢然と立ち向かっていく姿を描いたアクション大作。監督 ジャッキー・チェン出演 ジャッキー・チェン、ロザムンド・クワン、マギー・チャン、リッキー・ホイ、カリーナ・ラウ など観た事ない感じでした。1作目よりは地味になっていていました。ジャッキーってコメディの役者なのかなって思いました。アクションよりもコメディの色が強い映画になっていたかな?順番はどれが先かわかりませんが、よく似た感じのシーンがチラホラありました。1作目よりは良かったシーンは、惨殺する所がなかったって事ですね。中国人らしく心変わりと他人を犠牲にするのと肩書きで偉そうにするのと賄賂はよく描いていました(笑)。すごい事をしているのですが、それを軽々としている感じに見えているのは残念ですね。小銭を投げて不意をつくシーンも、サット流してしまいます。映画を見せるという映像美に関しては、いまいちなのかもしれませんね。ユン・ピョウ、サモ・ハン・キンポーも出ていないので、三人の戦いがないのは残念ですね。最後の敵も、逃げるだけで強くなかったですね。A計画の続編ですが、A計画はありませんでした。普通の警察物になっていました。1作目をすべてにおいて越えられなかったですね。続篇として見たい人だけ観てください(笑)。プロジェクトA デジタル・リマスター版(DVD) ◆20%OFF!
2010/12/11
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◇北広島町へ移動した所にある古保利薬師へ訪れました。古保利山福光寺(現廃寺)は、かってこの地域で勢力を誇った豪族凡氏(おおしし)の菩提寺として平安時代初期(九世紀)に建てられたと伝えられています。当時、山県郡は、壬生、山県、品地などの五郷からなっていました。古保利(こおり)という地名は、山県郡の中心となるぐんが(役所)が置かれた山県郷(こおり)の所在地であったことからきています。寺は、鎌倉時代以降、大朝荘地頭となった吉川氏の手厚い保護のもとに栄えますが関ヶ原の合戦後1600年に吉川氏が岩国に国替えされると次第にさびれて、明治時代には無住職の寺となりました。地元の有志により整備されました。建物は再建された小さな物ばかりです。訪れた所を間違えたのかと思いました。収蔵庫がありましたので、入りました。入館料は300円です。説明などを聞くと、なぜこのようなのかがわかりました。詳しい事は、今となってはわからないのかもしれませんね。境内には、「古保利の大桧(県天然)」「古保利古墳群」などがあります。大桧は、半分以上修復されて、細長くなっていました。部分の倒壊で、仁王門が壊されて移動したらしいです。仁王門の位置が少し違っていますね。古墳群は、あまりわからないらしいです。案内看板には場所は書いていましたが、それほど大きくは無いらしので見つけられないかもだそうです。見には行きませんでした。「国史跡吉川氏城館跡ガイドブック」を売っていたので買いました。200円だったと思います。それを参考に、この後回ります。●広島北旅行で訪れた所広島北旅行は、まだ続きます。
2010/12/10
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◇BS-hiで「ジャッキー・チェン」特集の再放送を昼に放送していたのでみました。『プロジェクトA』(PROJECT A)は、1984年の香港映画です。香港が世界に誇るアクション・スター、ジャッキー・チェンの10周年記念映画。非道の限りをつくす海賊を倒すために、正義の味方ジャッキー・チェンは、盟友ユン・ピョウ、サモ・ハン・キンポーとともに、敵のアジトへ乗り込む。ジャッキーの体を張ったアクションの数々がつるべうちの傑作。監督 ジャッキー・チェン出演 ジャッキー・チェン、ユン・ピョウ、サモ・ハン・キンポー などちゃんと見た事がなかったのかな?有名なシ-ンは知っていたけど・・・。有名なシーンを知っていたからか、最後の方は尻すぼみな感じでした。あれほどジャッキーが体を張っていた前半に比べ、後半は普通になっていました。A作戦が始まるとダメになるのは、タイトルの意味がないな~(笑)。それに刺すシーンをたしているのは、どうかな~って思いました。警察だからって手榴弾やナイフで殺しまくるのは、どうかな~っても思いました。せっかく楽しく見える映画なんだから、配慮は必要ですね。女王の為だって何度も言うところが香港らしいですね。今は、独裁国家だから使えませんからね(笑)。前半だけなら、公開時に映画館で観たかったと思える映画でした。エンドロールも痛さが伝わるNG集で、最後まで飽きさせませんでした。時計台からの落下を観たい人には、御薦めしておきます。プロジェクトA/史上最大の標的 デジタル・リマスター版(DVD) ◆20%OFF!
2010/12/09
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◇郡山城跡から車で北へ移動していると「毛利元春が相模国 宮崎より勧請 毛利家の氏神」の看板が目に入ったので宮崎神社へ寄りました。郡山城四代の城主・毛利師親(後に元春)が、1350年頃相模国宮崎より勧請した八幡宮で毛利の氏神そして崇敬された。社は1523年の元綱反乱のとき兵火で焼かれた。1541年1月13日、毛利・尼子の郡山合戦のとき尼子の陣地となって激戦が行われたが、1568年に毛利元就によって再建された。師親(もろちか)が石見国佐波善四郎を攻めるため先陣をうけ、江の川を渡ったとき鐙石の奇端で大功をたて、当社を勧請する由縁となったという。鐙石は「川通り餅由来の石」として有名で、社宝として今に伝えられている。道沿いにあるので寄りましたが、急な階段でした。これほどの階段は、そうそうないですね。階段の上の方は、落下防止か突き当たりが左右に分れていました。昔からこんな階段だったんだろうか?それほど長い階段ではなかったですが、疲れました。降りる時の方が怖かったですね。本殿は、天狗のお面が目に付きました。瓦のせいか、南国風に思えました(笑)。それほど広い広場ではなかったです。草刈などされていて整備はされていました。●広島北旅行で訪れた所広島北旅行は、まだ続きます。
2010/12/08
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◇地上波で夜に放送していたのを録画して見ました。『GOEMON』は、2009年の日本映画です。監督デビュー作『CASSHERN』で鮮烈なインパクトを見せつけた紀里谷和明が、天下の大泥棒・石川五右衛門を題材に描く時代劇エンターテインメント。江口洋介、大沢たかお、広末涼子ら豪華キャストが生み出すライヴ・アクションと、デジタル技術を駆使した華麗な映像美を融合し、まだ誰も観たことのない脅威の映像世界を生み出す意欲作だ。監督 紀里谷和明出演 江口洋介,大沢たかお,広末涼子,ゴリ,奥田瑛二 など映画としては内容がないので、いまいちでした。序盤は説明ばかりで、そこまで言葉で言わないといけないのだろうかと思いました。過去の話も、それほど必要なのかな?感情が入らない友情も自由も、違和感だらけでした。信長の描き方だけは良かったですね。嫌いでは無いというだけですけどね。他の役の人たちが、いまいちだからかもしれませんね。世界観は、なんとなく良いかもしれません。描ききれてないので、評価はまったくできませんね。CGも、中途半端なアニメみたいな映像がチラホラとありました。全体的にCG色であり、あまりにもCGに頼りすぎていました。大風呂敷を広げて、しまいきれなかった感じでした。茶々の役も変ですね。出る理由があまりありませんでした。男の話に中途半端に出てくるのは、話の腰を折りますね。忍者で飛びまくっていた奴が、釜茹でのシ-ンでは人混みで阻まれていました。何をしてるのか、まったくわかりません。終わり方も、意味不明ですね。海外のファンタジー映画のダメな感じですね。ゴリが騒ぐのが五月蝿かったですね。子供騙しの内容と映像に設定の奥深さが見える人だけには、お勧めしておきます(笑)。
2010/12/07
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◇地上波で夜中に放送していたのを録画して見ました。『デンジャラス・ビューティー』(MISS CONGENIALITY)は、2000年の米国映画です。吹替えで見ました。男勝りでお色気ゼロのFBI捜査官グレイシーが、美人コンテストに出場するはめに。連続爆弾犯逮捕のための潜入捜査が目的なのだが、美容コンサルタントの厳しい指導を受けるうちに、いつしか彼女は素敵なレディーへと変身していく……。S・ブロックの魅力をフルに活かしたセクシー&ゴージャスなアクション映画。監督 ドナルド・ピートリー出演 サンドラ・ブロック、マイケル・ケイン、ベンジャミン・ブラット、ウィリアム・シャトナー などデンジャラス・ビューティー(BD) ◆20%OFF!たぶん観た事はありましたが、録画していたので見ました。B級のコメディとしても、いまいちでした。サンドラ・ブロックが魅力的でないのが致命的かな?周りのミスも主役を引き立てでしかないので、綺麗所をそろえてないですね。客が観たい映像と、製作側の考えが違う気がしました。パッとしない女が、漫画の様に綺麗になるのをしたかったんでしょうね。基地倉庫からの登場の時が一番綺麗でした(笑)。パフォーマンスは、一部は良かったです。グラスを響かせるのも、もう少し見せる様にして欲しいですね。何をしているのかわかりにくかったです。ミスの大会の裏側も見せて欲しかったですね。薄い大会運営でしかなかったです。女の陰湿な所も描いてほしかったですね(笑)。「サンドラ・ブロック」の名前を知っている人だけ観たらよい映画でした(笑)。デンジャラス・ビューティー2(BD) ◆20%OFF!
2010/12/06
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◇晴天なので、島根に行く事にしました。行けば何とかなると思い出かけました(笑)。天気は快晴ですが、山沿いは霧が出ていました。出発 ▽ ▽最寄IC~瀬戸大橋~安来IC ▽三日月公園「尼子経久銅像」 ▽尼子晴久の墓 ▽尼子興久の墓 ↓安来市立歴史資料館(入館料200円) ▽山中鹿介幸盛の銅像 ▽駐車場 ↓花の壇 ↓山中御殿 ↓七曲がり ↓山中鹿介幸盛記念碑 ↓月山富田城跡 ↓勝目高守神社 ↓ ↓大手門跡 ↓駐車場 ▽城安寺「庭園」 ↓松平直諒の墓 ▽新宮党館跡 ▽毛利元秋の墓 ▽尼子氏奥都城 ▽塩治掃部の墓「荒法師」 ▽山中鹿介幸盛生誕の地 ▽厳倉寺「堀尾吉晴の墓」「山中鹿介幸盛供養塔」 ▽名水百選・お茶の水井戸 ▽洞光寺「尼子清貞・経久の墓」 ▽川中島一騎討の碑 ▽品川大膳の墓 ▽ ▽「ゲゲゲの女房のふるさと展」 ↓「ゲゲゲの女房」布枝さんの生家 ↓おやくしさん ↓姫地蔵 ↓釈迦ヶ嶽の碑 ▽ ▽清水寺「三重塔拝観200円」(駐車所から徒歩15分) ▽雲樹寺 ▽ ▽米子西IC~瀬戸大橋~最寄IC ▽無事帰宅!◇月山富田城跡も「安来氏史蹟ガイドマップ」を参考にまいました。思ったよりは整備されていて、歩きやすかったです。色々と場所が飛んでいたので、時間がかかりました。本年度の流行語になった「ゲゲゲの」も、看板を見かけたので寄りました。小さな町なので、今だけの話題でした(笑)。清水寺も歩いて登らないといけないので、疲れました。季節が悪いのか、庭園や宝物館は見えませんでした。また訪れたいですね(笑)。
2010/12/05
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◇地上波で夜に放送していたのを録画して見ました。『魔法にかけられて』(ENCHANTED)は、2007年の米国映画です。吹替えで見ました。“アニメの世界“に暮らすお姫様ジゼルが魔女に騙されて迷い込んだのは現代のNYだった!数々の名作ファンタジーを生み出してきたディズニーが“おとぎの国“とは正反対の猥雑で刺激的な現代の都市を舞台に、究極のファンタジー映画に挑む。監督 ケヴィン・リマ出演 エイミー・アダムス、パトリック・デンプシー、ジェームズ・マースデン、スーザン・サランドン などディズニー映画らしく、ひどい出来でした。この映画の話の『塔の上のラプンツェル』のアニメが出来たらしいです。シンデレラの話のパクリだろけど・・・。幼稚な会話が多かったです。子供がいうと、まだいいですけど、大人が言うと「痛っ」と思いながら見ました。俗世間に汚されてしまう話ですね。街のダンスなどは良いですが、もっと動物を使って映像的に見せる事が必要ですね。ゴキブリの大軍が出てきた時には、引いてしまいました。逃げるほど嫌いでは無いですが、強烈でした(笑)。最近の映画らしく二心を持たす事を演出するのを子供に見せ付けるとは思いませんでしたね。序盤の設定と、地上からの設定がずれて変ですね。話としてはハッピーエンドかもしれませんが、スッキリしない終わり方ではありました。ゴキブリ好きな人には、お勧めしておきます(笑)。
2010/12/04
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◇駐車場近くまで戻ってきた所ある「御里屋敷跡伝承地」に三矢の訓跡碑があります。江戸時代以降の記録では、少年自然の家敷地を毛利元就の住居館・御里屋敷と伝えている。しかし、試掘調査では、それを裏づける遺構や遺物は見つからず、館の位置は再検討されている。1956年に中学校生徒会の手で「三矢の訓跡」の碑が建てられた。題字は元就の子孫である毛利元道氏の揮毫である。少し中に入った運動場の端にありました。大きくてすぐに見つかりました。三矢の話も、色々とあるみたいですね。道沿いには「毛利元就公像」があります。年老いた像なので、少し躍動的ではありませんね。もう少し大きくて高い所にある方が像としては良いですね。1時間ぐらいで郡山城周辺を探索できます。これで郡山城跡から移動しました。●広島北旅行で訪れた所広島北旅行は、まだ続きます。
2010/12/04
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◇BS-hiで「アガサ・クリスティー」特集をしていたので録画してみました。『情婦』(WITNESS FOR THE PROSECUTION)は、1957年の米国映画です。アガサ・クリスティーが自作の短編小説「検察側の証人」を脚色したヒット舞台劇を映画化。名匠ワイルダー監督が巧みな演出でみせる二転三転の法廷ドラマで、ミステリー映画の傑作。ロンドン法曹界の長老ウィルフリッド卿は、金持ちの未亡人殺害容疑で逮捕されたヴォールの無罪を直感し、弁護依頼を引き受けた。だが、ヴォールの潔白を知るはずの妻クリスティーネは、検察側の証人として夫に不利な証言をする。監督 ビリー・ワイルダー出演 マレーネ・ディートリッヒ、タイロン・パワー など原作 アガサ・クリスティー裁判物ですので、そこそこは面白かったです。この監督だからでしょうね(笑)。裁判部分は良いが終わり方は、あまりよくない。犯人が裁判所でペラペラ喋るのは、がっかりですね。「アガサ・クリスティー」の原作だからか、第三者の使い方が下手ですね。話に必然性を求めているから、こうなるんでしょうね。タイトルが悪いですね。だいたい予想がつくタイトルなのはダメですね。「結末は言わないで・・・」と最後に書く必要はあまりなかった。日本の思う『情婦』なら、結末は違ったと思います。欧米の『情婦』と価値観が違う気がしました。裁判の対決、弁護士と看護婦の会話が見事でした。裁判後の茶番が納得いかないけど、最後の弁護士と看護婦の会話が救いでしたね。監督が良いので、お勧めしておきます。
2010/12/03
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郡山城跡の麓にある清神社(すがじんじゃ)に訪れました。この杉は毛利時代のものと推測されており、胸高周囲5mのものが最大であり六本の巨杉であったが、台風により一本が根本から14mを残して折れ境内に倒伏した。由来の看板もありましたが、わかりにくいし、一部消えていました。日本書紀の八岐大蛇を退治した頃らしいです。社殿の前に杉が数本立っているのは、珍しいので少し見ました。後でわかりましたが、毛利元就が好きな木だったらしいです。中国からの木で、真直ぐ伸びる所が良かったらしいです。他の所の案内の人が言っていました(笑)。境内の隅に「椙若(すぎわか)社」がありました。毛利元就が陸奥守であったころの発願とされ、元就の育ての母「椙(杉)の方」を祭った社である。元就は四歳で母を、九歳で父を亡い、母親の代わりになって育てたのが、元就の父・弘元の継室(一説には側室)であった大方殿である。元就は大方殿を追慕して社を建て、守として祀ったとされる。大方殿は「椙(杉)の方」との呼び名があり、社も「椙若社」の名がついたといわれる。年月により腐朽して、敷石を残していた。近年に再建した。NHKの大河ドラマをレンタルで借りたくなりましたね。あまり知らないから、だいぶん興味が沸きました。この社は、新しいのでそれなりでした(笑)。●広島北旅行で訪れた所広島北旅行は、まだ続きます。
2010/12/02
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◇BS-2で深夜に放送していたので録画してみました。『サラバンド』(SARABAND)は、2003年のスウェーデンイングマール・ベルイマン監督が「ファニーとアレクサンデル」以来約20年ぶり、85歳で撮り上げた「ある結婚の風景」の続編。離婚後、30年たって再会した夫婦の姿、親子の確執など家族の愛憎劇がつづられる。片田舎の別荘で隠とん生活を送るかつての夫を訪ねたマリアン。別荘のそばには夫の息子ヘンリックがその娘カーリンとともに住んでおり、家族間には複雑な感情が流れ、やがてそれがあらわになっていく。監督 イングマール・ベルイマン出演 リヴ・ウルマン、エルランド・ヨセフソン、ボリエ・アールステット、ユーリア・ダフヴェニウス など サラバンド/リブ・ウルマンDVD/洋画ドラマ『ある結婚の風景』の続編だったなんて知らないで見ました。観てないのでつながりがあるか、どうかもわからない感じでした。タイトルを考えて欲しかったです(笑)。始まりからカメラ目線で始まります。あれ~、失敗な感じがしました。それで解説を読んでから映画を見直しました。老人監督の勘違いかな~と、初めは思っていました。それが、引き付けられていきました。巨匠と言われるだけの事がありました。子供に大人の会話をさすのは、どうかな~と思いました。逆に男達が、子供ぽかったですね(笑)。言葉がいらないという日本的な部分はあるかもしれませんね。その流れがわかる人だけ、よく思える映画かと思いました。力強く悲しい映画とも思いました。この監督の映画を見た事がある人だけ見たら良い映画だと思いました。
2010/12/01
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