全731件 (731件中 201-250件目)
< 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ... 15 >
2023/08/27/日曜日/一日のどこかでは雨あり8/19 いよいよ花輪ばやしの刻驟雨の田沢湖を去り、鹿角市花輪の街の大型バスも止められる かづのみちのえき へ。本当にまあリレーションがすごくよく考えられている。到着すると直ぐにご当地の夕飯がセッティングされていて、他の団体さんも続々と加わる。日本のツアー団体は様々な関係者を伴ってこんなふうに回っているんだなぁ。コロナ禍ピークの時はさぞや心細いことだったろう。敷地内には花輪囃子の展示館も。間も無く各町の屋台が出発の時間までに奇跡的に雨上がる。大雨では金箔施した華麗な屋台は繰り出せないので、一番安堵したのは添乗員さんか。バスの中ではガイドさんの花輪囃子について案内があった。10の町の屋台がお囃子を奏でながら町を練り歩き技を屋台の美しさを競い合う。案内では今のお囃子は昭和7年から始まったと聞いたが、記憶は曖昧。ぐぐってみるともっと古いようだが、いつから誰が何のために、というところははっきりしない。↑辻ででくわした二つの町の屋台の青年ら、直立不動で我が町のリーダー同志の話合いを見守っているような。どちらが先にお旅所に出向くかを討議しているような様子雨上がりの空は明るく、濡れた道路に映し出される。この地を歩きながら何度か『かたづの!』中島京子を思い出した。江戸時代の女城主ねねが、主人公。親戚の盛岡藩主の無理難題に耐え、知恵を働かせて、遠野へ転封されても臣下一同に血を流させなかった名君ねねの霊感の泉はユニコーンみたいなカモシカの角、だった。さて、根城南部は今の八戸市だがむつの港も領地であれば、秋田藩界に近い鹿角も領地ではないだろうか。地名に印象操作されて本を思い出した?屋台の中は老若男女が世代を越えて一つの音楽を奏でる。若い人たちの力漲る演奏と年配者の老練な調子のハーモニーが良い。ところで、このお囃子音頭を若い女性が取る姿に女城主のねねの歴史を呼び覚ます何かを覚えるではないか。↓お旅所は街の北にある 幸稲荷神社全屋台が集まる前にお参りしようと手を合わせていると、神主さんから御神酒を頂いた。幸い也。スーと喉越しのよい品のよいお酒。↑待っているうちにぼんぼり提灯に灯りがともり、風情がイヤます。神様の前に集合しておそらくは今年もお祭りのできることを感謝し、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全を守る神を喜ばせようと心を一つにする町衆。その姿の良さは子どもたちの目に刻まれ、その子が大人になってまたその役目を果たしていく。参道へは屋台は入って来ないけれども後から後から町の代表者や若頭、若衆揃い踏みでお祓いされ、みなで御神酒を酌み交わす。そうしていよいよ本格的に屋台は3時間ほどかけてお囃子を打ち鳴らしながら豪壮に駅前広場に集結する。富士吉田のお神輿では町ごとの屋台のお囃子のリズムの競合で、自分たちのリズムを見失うと負け、みたいな規則で闘うけんか神輿だったと記憶する。あれも素晴らしいけれど、これもよい。日々の暮らしの中で、お年寄りの男性がカッコよくて花がある見せ場が用意されている、のが気分がよい。花輪ばやしは今年は8/19、20日の開催。例年30万弱の人びとがここに集い、祭りの気分に浸る。知事賞などの発表が行われ、駅前行事は9時過ぎには終了し、屋台は一旦町に戻ら、深夜まで翌日の用意、朝詰めなどもあるらしい。私たち観光客もバスに戻る時間、再び盛岡奥座敷のつなぎ温泉のホテルに帰る。寝るのはまた明日の日付だろうなあ。バスで爆睡の客が増える。地域の心を一つにする祭りの知恵、これが失われれば町の紐帯も解け、再び統合することは困難だろう。こうして失われた町が全国に数知れず。祭りをこれ以上失わせないようしっかり守れる国、地域であってほしい。
2023.08.27
コメント(0)
2023/08/26/土曜日/昨日はドームで巨人阪神8/19 ツイ習慣で6時半には目覚めて、ホテル内の、昨晩とは違う温泉に浸かる。本日夕方からは花輪のお囃子、その前にあちこち訪ねるらしい。流石に出発は11時朝食前にホテル前の堰き止め湖、御所湖辺りを散歩する。↓地図に登場するシオンの像この像は舟越保武による。昨夜の秋田美人を思い出すようなすらりとした美しさ。そういえば長崎に出かけた時に26聖人記念館の前を歩いた記憶がある。あれは舟越さんの作品だったのか。26番目殉教者、フランシスコ吉が彼のお父様の顔に似てしまったことなどを先日新聞で読んだ。↑フランシスコ吉のスケッチは、そのまま息子さんの作品のよう。朝からとても暑かったが、心地よい散歩の後の朝食では念願の尾花沢スイカをぱくつく。バスは定刻に出発、東北だけど朝から暑い。行き先は角館、ああ憧れの。ここで2時間ばかり過ごすらしいけれど、一体2時間でお昼も済ませて何が見られるかしらん。結局、青柳家敷地内でお昼も済ませ、角館の短い滞在はここで尽きた。3000坪の敷地に幾つも棟があり、樹齢400年になんなんとする屋敷林があり、公開されてあるものだけでも一つ一つ丁寧に見ていけば一日かかるかも。ところで、青柳家のルーツが武田甲州の武器方家臣であった記述を邸内で見たように思うが手元に資料がない。パンフレットで確かめられるのは角館を町割した芦名氏に仕えた後、徳川家康によって常陸から当地秋田に減封の上お国替えされた佐竹氏に仕えた、とある。もっとも「万葉の昔から こがね花咲くみちのくと謳われ、ことにその中心地秋田への転封」←『菅江真澄 みちのく漂流』より。であれば、みちのく転封を逆手に、青柳家の解体新書記念館、すなわち武器に必要な資源である鉱山の豊富な山を入手、武器を造る技術武士集団青柳家を支配して、東北での優位を佐竹氏が諮ったのかもしれない。ところで『解体新書』の挿画家である 小田野直武 は青柳家の血筋とか。平賀源内は当地を訪れ、直武の絵描きの才能を評価し、江戸に呼んだのである。なぜ平賀源内が角館にやって来たのか。それは阿仁銅山の粗銅を精錬して銅から銀を抽出する技術を佐竹藩が欲したからという。その背景をやはり『菅江真澄 みちのく漂流』で旅すがら読んだ。青柳家の解体新書記念館には、さりげなく 阿仁銅山の鉱石の実物が展示されていた。阿仁鉱石は何も語らない。しかし関ヶ原で西軍につき転封、減封の250年の恨みを深謀遠慮の佐竹氏なのではないか。東北諸藩が幕府方につくのを尻目に官軍側に従った秋田藩の軍資金は、阿仁銅山がもたらした銀と銅の莫大な利益なのだ。200年400年はほんの瞬き、でござる。武家屋敷の畳に端座する、侍う主が仄かに見ゆる。↓集合場所に戻る道で気になる建物表にまわると、素晴らしい面構え学問を旨とした質素で清潔な佇まい。今は縁側で秋田民芸を展示、商いの方が手仕事をされていた。バスではガイドさんが、秋田は三方を険しい山に阻まれて、他地域からの影響を受けることが少なかったことや、山々の話をしてくれる。また東北三大まつりプラス山形花笠音頭について秋田竿燈祭りの由来を聞く。昔、秋田の殿様が凶作を心配するあまり病に臥された。そこで民衆は殿様を元気付けようと竿灯を黄金に稔る稲穂に見立て元気付けた、とか。民の竈から煙が上がらぬとオロオロ歩く為政者は今の日本国に見出し難く。窓外の雨を見ながら眠りこける。休憩地の田沢湖辺りでは豪雨。ガイドさんも添乗員さんもあちこちの雨雲レーダー検索を照合しては伝達何しろ今夜の花輪囃子が…どうなる⁈
2023.08.26
コメント(0)
2023/08/24/木曜日/最高気温は33度とあるけれど8/18 会場は天候不安で開催もおぼつかない予想があったためか、思ったよりも混雑は少なく地元の方が多い様子に、また雨があがり安堵する。お囃子には四つの曲目、踊りは「音頭」と「がんけ」の二種「音頭」踊りそのものはとても優雅で指先の使い方や反りが美しい。だが、動きの無いうなじと、袖から見える手首、腕が何故か能弁で艶めかしい。宵闇と篝火が踊り手に影を与え、年配男性の声と大太鼓、小太鼓、鼓、鉦、笛、三味線が高い櫓から降りかかるように包む構成も洗練されている。男女同じ振り付けで踊るけれど、それぞれ個性が少しずつ、着物の柄のように表れて二つと同じものがない。彦山頭巾で踊る人、由来は幾つかあるそうだけど、亡者を表すと受け止められているとガイドさんから聞く。生者と亡者が篝火とお囃子に呼び集められてぐるぐる回り踊る様は誠にお盆に相応しい。「がんけ」を踊る男性。この方、実に美しく待っていた。がんけもまたその由来には諸説あるらしい。月光の夜空を飛ぶ雁の姿から「雁形」或いは、現世の悲運を悼み来世の幸せを祈る「願生化生」の踊り、願化踊、亡者踊とも。確かにどこか鳥の舞のような味わいもあり、鳥が運ぶ魂を表すようでもある。そのがんけの甚句の一番始め♬お盆恋しや かがり火恋し まして踊り子 なお恋しうん、どう考えても亡者が三途の川の向こうから生者と盆踊りを懐かしんでいるように聞こえる。それに比較すると、上方の優雅さを思わせる音頭の地口は♬時勢はどうでも 世間はなんでも 踊りこ踊たんせ日本開闢 天の岩戸も 踊りで世が明けたと、打って変わって賑やか、冷やかし茶化しお色気まぶしの、アドリブづくし、なのだ。秋田県羽後町で毎年8/16〜18に開催される西馬音内盆踊りは、日本三大盆踊りの一つという。700年以上前、源親という修行僧が豊作祈願の踊りを広め、400年ほど前に山形城主最上氏に滅ぼされた西馬音内城主小野寺一族を偲び、家臣たちが踊った盆供養の踊りが融合した、と考えられているそうだ。実際に踊りを体験するとその二つの要素が実感される。西馬音内盆踊りは、二つの捻れで円を描く盆踊りだ死者と生者が交差する回廊だ一番前に陣取れる席は3人用で六千円。団扇付き。盆踊り会館の奥で買える。二人なので個別で一人2500円で買える後ろの高い席が良かったのだけど、ツレの主張を飲む。手拭い好きな我ら。一枚千円を二つ買う。この手拭い、私の勧めた個別席の特典に付いてたらしい。えー、席と手拭いで8000円出したよ?5000円で丸く収まったのよ?3,000円ムダ遣いよ?しかし、一方でそれは死者へのスパチャであるかもしれないと考える私がいる。家計など考え始めれば、地上に意識が戻され、すなわち集合時間が近づいて数字に追われる事とあいなりぬ。盆踊りが終わるのは3時頃となるらしいが、バスツアーはそこまで付き合ってはくれない。 お宿は盛岡市のつなぎ温泉、ここは秋田、盛岡は岩手。当地からは1時間半のバスライドなのである。 殆ど眠りこけ、ホテルに着いたのは12時半を過ぎていたが温泉には兎にも角にも浸かる。目が覚める→ビールとカレーパン→盆踊りの終わる時間に律儀に就寝朦朧とする意識に、色とりどりの端縫い、藍染の浴衣、帯、編笠、秋田美人が走馬灯となり、浮かび、寝落ち、する。
2023.08.24
コメント(0)
2023/08/22/水曜日/蒸し暑い一日8/18 新幹線内でお弁当を食べると気分は旅モード右側深川めし風のお弁当が美味しい。各駅停車やまびこで仙台駅到着はお昼を過ぎ。ここから西馬音内を目指す。その前に時間調整も兼ねて、銀山温泉散歩が組み込まれていた。↓下から観光バス、銀山温泉手前の道の駅ターミナルでマイクロバス乗り換え、5分ほど。小さな渓流を挟んだ宿集落が銀山温泉。カレーパンが名物らしい。夜食用に最後の一つを買う。まあまあ美味しい。エビチリパンは今イチだった。100メートルにも満たない渓流距離を挟んで温泉宿が連なる。そこに沢山の、私たちのような日帰り観光客が押し寄せている。やはり有名どころは人も多く落ち着かない。きっと知る人ぞ知る頃の冬の銀山温泉は格別だったろう、という感慨に浸る。↓「千と千尋の神隠し」のモデルとなったとかいう能登やさん。よく手入れされている印象。↓何軒か挟んで、隈研吾が設計した旅館。周囲の風景に違和感なく馴染んでいる。↓いいなぁと感じたのは左上の古勢起屋別館ファサードから内部を見たいと思わせる演出が優れている。旅館が途切れた奥には勢いの強い滝があり、その周囲は5度ほどは気温が低く感じられた。↑銀山温泉の印象スナップうーん。銀山温泉。時間を忘れてしまったような味わいがあるのに、なんとか銀座みたいな感じが、ちょっとなあ〜。どこかにもっとひっそりとした山中の渓流沿いの鄙びた温泉ないかしらん。さて、スイカの名産地、尾花沢へとバスは再び戻り北上。尾花沢はスイカの生産が日本一なのだけど、冬はかなり積雪を見るとか。そのために住宅の基礎部分が高くしてあるとか、道路の真ん中からお湯が出る仕組みにしてあるとか、ガイドさんは窓外を示しながら特徴を伝える。それに続けて、道であるものを見ると、ああ雪の多い東北に来たなと分かるけれどそれは何でしょう、とクイズも。バス同乗者31人中お一人正解者が。それは信号機の形だった。横向きでは雪に耐えられないので縦向きなのだとか。ガイドさんは仕事とはいえ宮城特産、山形特産、秋田特産から、地理歴史、方言、暮らし、人気のお土産など、それはそれはお詳しい。ユーモアたっぷりで、楽しくためになる。かなり頻繁にトイレ休憩がある。あっという間に夕飯場所である湯沢グランドホテルへ。稲庭うどんやお刺身、天ぷら、お稲荷さんの量控えめ夕飯を頂く。↑グランドホテルのロビーに展示されていた可愛らしいコケシ。最近はコケ女という言葉もあるくらいブームだそう。本日盆踊り最終日、7時半スタートの少し前に会場になる場所へ。お囃子が聞こえ始め、それがだんだん大きくなると何故か吸い込まれるように足も気持ちもせく。
2023.08.23
コメント(0)
2023/08/22/火曜日/もう処暑なのだ先週金曜日から日曜日にかけて、バス旅に参加した。修学旅行を除けば、生まれて初めてバスガイドさんのいるツアーである。西馬音内盆踊りに長年憧れていたツレのご招待でなければ、参加しない?できない?費用対効果予算、である。私なら台湾辺りで費やす予算。お囃子の開催される花輪はともかく、盆踊りの西馬音内は車でアクセスするしかない。近場には宿もない。駐車場をどうするか、日付が変わって泊まる宿の手配は?などなど考慮の末、このツァーとなったらしい。旅行会社に桜咲く前頃に問合せたら既に完売。すごい。熱気を感じるなあ。キャンセル待ち申込で幸運にも急遽参加が決まったのは七月に入ってからだった。東京駅八重洲東口でいつも出くわす、ハタ持ち添乗員さんを先頭に、一列に並ぶグループの一員となるべく北口に集合した。列に加わると旅のワクワクよりは含羞が滲んで節目がちに申し訳なさげに歩みゆく。慣れぬ集団歩行そういえば、海外一人旅をしていた昔日には、あちこちでバスから繰り出す同胞旅団に出会した。甲高い日本語の津波と共にドアから繰り出し、判で押したようにカメラ連写の音なして、瞬く間に引き上げていく。その様相を外から眺めると、彼らには見えない頑丈な皮膜があって、その内部には頑なまでに日本が充満しており、ついぞ外国の地の実態の何ものにも触れ得ず帰国するのではないかそんな感慨を抱いたものだった。それから四半世紀ばかり後の、東北大震災の翌年。アラン島を一人自転車巡りした時にも日本人を乗せたバスが走っていた。その時窓越しに目があった若い女性は、確かに含羞帯びた色をその目にうかべていたのである。何となしに、四半世紀の成熟を私は同胞人に感じ入ったのだ。旅は含羞を含むものだという了解が私にはあるのだな。例によって旅に同行する書籍仙台までのやまびこ内で読んでみる。これが実にどんぴしゃ、どんどんひゃらら二百年前の菅江真澄の漂流した辺りを、真澄が書いた事、ではなく書かれなかった事、内容に目を向けて、二つの時代の東北を漂流する 簾内敬司氏の視点が優れている。文体も実に好ましい。そして、序章でいきなり真澄が信濃を発って出羽國雄勝郡で新年を迎えるという1行に出くわす。その地は湯沢の近く、信濃からは出羽三山、鳥海山を越えた先で、真澄は春先には湯沢の南、雄勝郡の西馬音内の庄、小野郷へ向かう、とある。まさにこれからツァーが盆踊りを観に行く所ではないか。小野郷の小野の村。一千年の昔の美貌と才媛、歌で名高い小野小町の生まれ故郷とのことだ。この章の小野小町の考察も、本と共に実際この地を歩けば更に認識も感興も改まる。8世紀半ば、蝦夷との戦いに明け暮れるみちのくの出羽柵が北進し、雄勝郡が建てられた。その国司に遣わされた官吏が小町の父の小野良実だという。本書からは逸脱するが、小野氏は琵琶湖南面を領地とした渡来人で、何と小野妹子から小野洋子へと連なると白州正子で読んだ記憶がある。著者は序章の最後に、雄勝にはいつも八月に訪ね、西馬音内で盆踊りを見ると記す。さて、著者とどこかで行き違ったろうか。
2023.08.22
コメント(0)
2023/09/01/金曜日/関東大震災から百年〈DATA〉 小学館著者 鈴木エイト2022年10月1日 初版第一刷発行 2022年10月25日 第四刷発行 〈私的読書メーター〉〈元首相暗殺事件。こんなことが今の日本で白昼、衆目の面前で起きるのかという驚き。当初政権も報道もこれはテロである、民主主義への暴虐だといった論調だった。しかし犯行は個人的な怨恨である事、その原因が旧統一教会への過剰な献金による家庭崩壊であることが判明。この教会原理が明るみになるとその内容の荒唐無稽さに質の悪い漫画を見る思いがしたと同時に日本の保守勢力のなんちゃって振りの粗悪さ幼稚さにも呆れ果てた。足かけ8年、お金にもならないだろう追跡を諦めなかった鈴木さん。足で稼いだ情報を目にして大手報道人は何を思うのか。〉あらら。怪しい政治家リストを載せていた下書きが消えている。既に本は手元にないし。感想を何とする、こんな場合。では思いつく昨今のことなど。第二次安倍政権以来、大手マスコミはその責任を果たさなくなった。先の戦争でいかに国民をアジテートしたか、朝日新聞は自らを点検して、決して軍部や政府のスピーカーにはならないと誓った決意も霧に霞む。もはやテレビ新聞に真相を求めることはできない時代であるらしい。ただし、かつてと違うのは鈴木エイトさんのように、インディペンデンスな個人の発信者の存在で、からは希望ではないだろうか。
2023.08.21
コメント(0)
2023/08/21/月曜日/じっとしていても汗ばむ残暑〈DATA〉 文藝春秋著者 小川洋子2023年3月10日 第一刷発行 文藝春秋2020年9月〜21年12月号カバー作品 中谷ミチコ 「すくう すくう すくう」〈私的読書メーター〉〈からだの美というタイトルには「用の美」という民藝運動の思想が思い起こされる。「用いられるからだの美」ともいえる、肩、声、中指、爪先、視線、首、ふくらはぎ、腕、太もも、足の裏、指先といった人間細部。また、ゴリラの背中のシルバーバック、ハダカデバネズミの皮膚、シロナガスクジラの骨、カタツムリの殻という作為のない、自然進化の美への視点も著者らしい。挿入写真が美しい一方で不思議なカバーの、両の掌のようなオブジェが、作品最後の赤ん坊の握りこぶしと響き、連なる生命への賛歌に、力強い肯定になるのが妙、作本の美となり。〉小川洋子さん、名前の字画が既にうつくしい。小さな水源地の側のささやくような水の流れが、はるか海を目指してゆったりと広がる様が見てとれるような。そしてそれを裏切らない作品群。ときどき不思議な窪地の底に潜む水を巻き返し、流れを渦巻かせるような不穏な時も味わいがあるけれど。この作品はすーと、まさに掬う、救う、すくう。福井晶一の声 本当の意味で生身の人間の声に圧倒された、との小川さんの感動を私も同じくした。コロナ禍の前だったろうか、彼の存在が他のすべての役者を引き上げてさえいたように感じた。その前年か、ロンドンのウエストエンドで観た本場舞台、尤もロンドンのステージはみな小ぶりだから、その比較は公平ではないかもしれないけれど、より遥か上を行くパフォーマスに、日本のミュージカルの厚さを認識したのだった。観客席の椅子の奥深くに身体が沈み込むような、そんな感動を覚えている。羽生善治の中指の震え前人未踏の先の一手、その真空のような静けさの中に入るときの畏れに肉体は震える。まるでシスティーナ礼拝堂のアダムの指先バレリーナの爪先重力に抗う筋力では無い、ほかの要素。爪先の鋭い痛みは、アンデルセンの人魚姫が娘の脚を得て、地上を歩くとき、その一歩ずつにナイフで切られる痛み、とあったのをぼんやり思い出す。その痛みが無くて自分が縛られている世界から飛躍することはできないのだ。痛みが、それを見つめる万人をしてサクリファイスと胎底に落ちるとき、芸術が立ち昇るのかもしれない。なんということ。私もゴリラのシルバーバックにすりすりして遊んでみたい。そして叶うものならば、ボートのエイトの一人として、水も空も溶け合った輝きの中を滑るように流れてみたい。
2023.08.21
コメント(0)
2023/08/17/木曜日/朝から灼熱8/16 久しぶりに映画館に出かけた。キングダムとどちらにするか迷いつつも、宮崎駿を選択した。構造的には『千と千尋の神隠し』に似ている。別次元の世界で濃密な時間と体験を過ごし、何かを克服してこちら世界へ戻るとき、子どもはどんな成長を成したか。この内的成長は、その後世の中で彼、彼女が何を大切に世の中に具体的に関わるのか決定的な要因になるだろう。昔話や児童文学が多くこのことを扱っている。長谷川摂子『おっきょちゃんとカッパ』のようなエンデの『ネバーエンディングストーリ』でもありピアスの『トムは真夜中の庭で』でもあるようないわゆるファンタジーは特に。宮崎駿が良質な児童文学から汲み上げたスピリッツのカクテルのような味わいの映画だ。母を空襲の火事で亡くした、牧 眞人は10歳くらいか。その後間も無く母の実家に疎開するが、そこには父の再婚相手である母の妹、夏子伯母が待っていた。しかもおめでたなのである。胎動を眞人の手を取り触らせるのである。これは強烈だ。母を亡くしてまだ2年ほどなのに。父はどうやら戦争で儲かる事業経営者である。おそらく戦後は戦後で物資不足の中で富を得る、凡庸な俗物だが家族を思う気持ちは強い。息子の眞人はその間合いに屈託している。その事実において、眞人は凡庸な俗物ではない。いや子どもとはみなそういう存在かもしれない。その屈託が要因として物語の顛末がある。結果の自傷は自分の悪意によることを、もう一つの世界で眞人ははっきりと自覚する。自覚を促したのは、大叔父の、世界を均衡させる積み石だ。世界を統べる後継者になれ、と大叔父に求められるが、それを作用させる積み石に悪意があるから、僕はつがないときっぱり拒絶する眞人。ここには世界は刻々生成する丸ごとの生命なのだ、手のひらの中で知的に弄ぶゲームではないのだ、という声が聞こえるようだ。さて悪意、である。それがテーマかもしれない。顕在化した時、眞人の悪意は克服されたが、未だ潜在する悪意が眞人を襲う。黄泉平坂の地下世界にお籠もりした、身籠る夏子の呪いの言葉〈あんたなんか大っ嫌い〉で悪意が最高潮に至ったとき、その世界の住人である母ヒサコ=火水ヒミによって焼き清められる悪意。いや、火水ヒミの炎を燃え上がらせたのは、眞人が夏子をお母さんと呼んだ、その嘘偽りのない哀れむ心=愛、真心、の言葉が誘導したのだ。真心のこもった言葉が救いなのだ。人を殺すも生かすも言葉なのだ。私たちは道の別れ目で選択を迫られた時、どちらを選ぶか。果たしてそれが悪意による選択でないと言えるか。生き延びるにはそれしか選びようがないとしたらどうするか。『君たちはどう生きるか』。生きるとは選択の連続なのだ。何かに悩むとき、相談する友だちが現実世界に見出せないとき、例えばコペルくんと共に悩んでみないか。この本の扉のアオサギが道案内するだろう。宮崎駿が12歳になって、塔の老人にもなって、12歳の自分と君に伝えている。
2023.08.17
コメント(0)
2023/08/16/水曜日/突然の雨、時々晴れ今月初め、山からの帰り道、大村博士の生家を中心とした一角を訪ねた。生家の敷地内にある手入れの行き届いた小庭が美しい。この土地は釜無川の南側。地名に神山とあるように小高い山の中腹で、東に眺望があれば富士山が良い角度で見られる。北西遠くには堅固な岩山の上に開けた韮崎市街が見える。大村博士の生家は堅牢な、質素な、力強い、しかし細部においては繊細な、清潔な構えであり、このような在所に産声を上げ、成長する人の人間の容れ物とその精神的内容をあらためて感得させる。お母さまは、結婚後も暫くは小学校教員を務められたのち家庭に入った。大村少年はその母によって学ぶことの大切さを教えられ育ったろう。農家の後を継ぐつもりだったが父から進学を勧められ、地元の山梨大学に進学し東京で夜間学校の教職に就いたのが、そのキャリアのスタートだ。夜間学校では真剣に学ぶ就労学生の姿に刺激され、改めて学び直しを決心し、教師、大学院生と研究の日々を過ごした。教えるものと学ぶもの、医師と病人、それは一対を為す。その良い影響が双方を癒し、伸ばす。この母屋で、大村博士によるセミナーが何度か持たれたそうだ。まさに寺子屋だ。母屋に面して直ぐに蔵が隣接している。母屋とのバランスで言えば蔵は大きく思われる。静謐な空間でまことに好ましい。蔵は改装されて、宿泊可能な貸室スペースとなっている。内装は民藝運動に連なる意匠と家具。日本のスタンダードな暮らしの目指す方向はこれなのでは無いかと思う。生家から徒歩3分ほどに大村博士のミュージアム美術館は大村博士に関わるメモリアルと収集あるいは贈呈された、あるいは女子美大との関わりで購入した絵画や彫刻焼き物などの展示と企画展のコーナーからなる。大村博士が土に親しみ育ったこと、高校大学でスキーに没頭したこと。その好奇心と体力によって土壌の細菌採集、研究実験がやがてノーベルプライズナー辿る道となっていく様が具にわかる。一方で芸術と民藝を楽しまれている様子も美術館と道を挟んでお蕎麦屋さんと温泉。あと清潔な宿と図書館とワインバーがあれば申し分ない^ - ^のだが。
2023.08.16
コメント(0)
2023/08/13/日曜日/残暑、ときどき大雨〈DATA〉 講談社著者 石田夏穂2023年1月24日 第一刷発行 〈私的読書メーター〉〈百頁に満たない中編と短編二つ。主人公は共に自立した、能力の伴う仕事をこなす女性だ。低体温から逃れたい一心で、或いは並外れた太ももコンプレックスで、つまるところ自分は太っていると思い込み(相対的な数値な訳だから)、その克服にどこまでもストイックにゴールを目指し精進する。細くなる、小顔になる、艶やかな肌になる、周囲の態度が変化する。役割としての女性的振る舞いをメタ受容してみる。益々周囲が変わる。ルッキズムというよりは肉体を卑下し、その改造を試み、それによって精神にどんな変化が展開されるか。ディープラーニング?〉殆ど修行僧である。この身体のイジメ方。主人公である私は、身体や感情が反応する前に思考の一拍が必ず挟まれる。意識の前の身体の動きなど無いかのようにまるで人間の生理がAIと同期しているみたい。〈ケチる貴方〉の私=佐藤 の昏倒。頻脈が原因だが、その時の意識の消失はまるでバッテリー切れ、のようでもある。心遣いの出し惜しみを止めると低体温が少し緩和されることに気づいた私は、仏頂面はとりあえす脇に置いて、新人指導に当たる。この新人二人の内、一人が大事な日に遅刻してくるのである。その時の新人くん曰く、「さあせんさあせん」。笑える。そういえば 若い人の あざーす。ケチるって、会話というか物言いに表れております、ことばをケチる貴方。一方、主人公の私 は上司にきちんとすいません、と言える。新人との8年の差という時代変遷。ところで新人の内、一人はエクセルがまともに使えない。年配者はPCが使えない、が意外にも職場では逆転していると、何年か前にニュースで見たけど。今となってはスマホ万能、ヨロズ無料アプリ、レポートはチャットGPT、コンビニでアウトプットなんだから、ゾロリと重いPCを立ち上げ、周辺機器をアップデート気にしながら揃える必要もない。さあせんチャラ男は愛嬌はあれど、オツムはもう一人の新人にある。そしてその新人くんは日をおうごとにケチる貴方、の地金が出てくる、のだ。嘘寒い。寒いねと言えば寒いねと応える人のいる温かさも横滑りの寒さで、物語閉じる。何だろなぁ。〈その周囲、五十八センチ〉太ももの脂肪吸引のところがリアル過ぎて、もうホラー小説のようなんですが。作者はもちろんホラー小説を書きたいわけではないだろう。幼児期より見た目で評価されなかった分、奮闘努力してエリート大学に入る到達点を通過したのち、その営みモードを今度は自分の理想形を手に入れるため、歯を食いしばる痛み、注ぎ込む大金へと情熱を傾けた三十路の女の自己肯定。それを言いたいのでもないだろう。肉体の自然、正直な感情、共感する思考みたいな幸福感から途絶されている、それは令和5年夏を生きる我らのプロブレムである、と。まあ、とりあえずそのように捉えた。8/6、8/9、8/12、8/15全部アメリカと日本が交差する歴史の日、なのだ。本当に苦しんだのは民草ばかり。何を到達点にして、何のためにそこまで自分を蔑ろにして。
2023.08.13
コメント(0)
2023/08/12/土曜日/曇りときどき猛暑先月末から、三國万里子さんのacacia を参考にボレロを編み始めた。暑い日はクロシェが扱いやすいもの。手元にある資料を参考に当たりを899に付ける。クロシェは3号。今更ながら4号が適切だった。糸の推奨は4号。糸はネット購入の野呂さんの綿混カセ糸と東京アートセンターの絹の1プライほどのカセで二本どり。これらは糸巻き機を買う以前だったので、手巻きしたまま保管していた。編もうとすると、さあ大変。編む時間より糸を解く時間が長い。連日日付が変わるまで頑張って、編む⇔解くを頑張ったら、ひどい腰痛に(*´Д`*)2日前↓↓本日。時間の経過と努力のあとがにじむ。玉巻き機は偉大なり、を身をもって知る日々
2023.08.12
コメント(0)
2023/08/11/金曜日/はあ、久々に涼しい朝〈DATA〉 出版社 東洋経済新報社著者 ジェイソン・ヒッケル訳者 野中香方子2023年5月4日 第1刷発行 2023年6月21日 第2刷発行 〈私的読書メーター〉〈今夏の台風の暴虐と迷走、地球規模の酷暑、山火事、大雨。またぞろ復活のウィルス禍。地球環境異変が続く近年。かつてない難民の数、いつ終わるともしれないキャンプでの劣悪な暮らし。なのに世界の穀倉地帯での長引く戦火が食糧難を助長。この状況下で、1%の富豪らは彼らが保有する世界の富の40%を更に嵩上げすべく権力闘争を繰り広げる。資本主義成長神話。当に我ら火宅の人だ。「魂をモノに変えた産業」から再び「モノに魂を」授けられるだろうか。「なぜ二番ではいけないのか」を嘲笑するマチズモから自由で、ビリでもと笑っていられるか。〉経済人類学、そんな分野もあるのね。著者は経済人類学者だ。エスワティニ、そんな国がアフリカにあるのね。著者はそこで育った。もっとも当時はスワジランドと言った。あ、それはなんか耳にしたような。本書は2部立て、第1部 多い方が貧しい第2部 少ない方が豊かこの切り口で第1部では資本主義の台頭とその思想的屋台骨であるデカルト二元論が語られ、自然を搾取の対象とみなす欧州人の価値に基づくテクノロジーの進歩、現状が今後地球にもたらす禍いを、統計やグラフで証明する。ここで、ハタ、と思うのだが。中東のユダヤ人青年、すなわちイエスが3年間説いた初期キリスト教ではなく、ローマ・カトリックによって権威付けられた方のキリスト教って、実はデカルトで完成したんだなぁ、ということ。カーペンターズ兄妹が、高らかにトップオブザワールドを歌う、あの神が創りたもうた最高のクリエイチュアとしての、最高の白色人種の歌、がよぎる。とってもアメリカ的的。第2部では、デカルトではなくスピノザの思潮が欧州で受け入れられていたら世界は別のものに、という著者の考えが述べられている。スピノザはフランドル地方ネーデルランドのユダヤ人で、厳格なキリスト者からは異端扱いされた哲学者だった、くらいの理解しか持たない私。以前からその著作が日本ではブームと言ってよい状況が続き、周囲から読んでみたらプッシュが絶えぬ。ラティオの思潮をいつか捉えたい、とは思う。またまた、ハタと思うのだが。今度は北方ルネサンスの地で、イエスと同じくユダヤ人青年スピノザによってアップロードされた筈の、ブラザーサン、シスタームーンの側の宗教観は結局、強固な権利システム構造の前に粉砕された、と。しかし、そのカケラを集めて世界を再構築するトレンドがある。ということ。人類が生き延びるためにはそちらを目指すしかない。ノースから見れば、地球の生命ネットワークは何とか平衡を保っているように見える。そしてそこで終末から目を閉ざし日々をやり過ごす茹でガエルとなる。そういえば、この前露天風呂で四肢を伸ばして白いハラを見せ浮かんでいるアヤツを見た。私に視ることを強いるアヤツを。が、サウスではもう始まっている。引き戻すことのできない沸点に到達したときを想像できる人はどれだけいるのか。著者は欧州言語で二元論を克服する語り部?として隘路に陥った現代文明を告発する、その原点は少年時代に夢中になった小さな生き物たち。でもでも日本人の私からすれば日本は、アジアはとうにというか、元々汎神論が世界観のベースではないの?身構える必要も無いくらいに、当たり前のように水道の蛇口からお水を飲むように←世界のスタンダードでは当たり前ではない、山川草木全てに同等の生命を感じ、お天道さまが見てござるから人として間違ったことはできない、を身上として祖先を敬い生まれ変わりを信じ、生きてきたのではないのか。生命のない石にさえ、亡くなった人でさえ、世界に張り巡らされた網の結束として私と一体で、その一つが破壊されるなら、世界そのものが消失する、という世界観それはイデアでは無い。身体的な感覚だ。喉を潤す水と同等の、現実的な具体的な感覚だ。またもやハタと思うのだ。成長する、進化する、と言った所で、人類の中に100mを5秒切って駆け抜ける者は登場しない。富士山を超えるビルディングは建たない。生命体も物理体も限界があるのよ。ビッグブラザーに洗脳、コントロールされたひ弱な現代人、わたし、はそんな限界はないと踊り狂う、マーヤの闇祭りの群衆、である。現実を具に観察し、思考する人は現在の気候変動、プラネタリー・バウンダリーは100年河清を待っていられる状況にない、と警告する。渋谷の高級アパートに住むアメリカ人一家が夏休みで2ヶ月留守にする際、200m2の居室のエアコンをオンのまま帰米した。帰宅した時に部屋が暑いのがイヤだから、という理由で。こういう人に付ける薬ってあるの?こういうムードを煽る建築を作る作家、ゼネコン、許認可役所に問題ないの?それで儲かっている人だーれ?それは原発へ核燃料ウランへ、核戦争へとつながらないと言えるの?複雑で暑い日本のパラダイス♫
2023.08.11
コメント(0)
2023/08/08/火曜日/早朝、雨に洗われる❷そばき里 休屋 ★初訪問8/5 相模原市 千木良2色もり+ゴーヤかき揚げ1550円↑以前からネギはツユではなく蕎麦に散らしていたけれど、最近ではワサビもそんな風で食べている。せいろ、田舎共に二八どこ産か聞き忘れた。清々しい甘みの強い蕎麦。ツユも蕎麦湯もテライ無し。ゴーヤのかき揚げも美味しい。お店も清潔、従業員のみなさんもキビキビとして気持ち良い。値段も適正。このお店、店主がそろそろ引退を考えたか、誰かに譲りたい旨の貼り紙があった。我と思わん若い方、いないかな。当地には京王線で高尾山口→駅前から相模湖駅行きバスに乗り、千木良バス停下車、目の前。もちろんこれだけが木的で当地に来たのではない。ところで、高尾山ハイカーがバスには沢山乗車していた。人混みを避け、上るルートが途中ある、のだった。逆に早朝高尾山を歩いて、このバスで相模湖駅に出て帰る方もいるようで、みなさん工夫されている。【番外編】8/6 ブンボーフエ 初めて食べた、フエで食べられている米粉牛肉麺とか。このお店のは鳥、豚、牛の3つが少しずつ入ってたけど、麺は乾麺みたいで今イチ。スープは高温多湿風土にぴたりとハマるお味。
2023.08.08
コメント(0)
2023/08/07/月曜日/立秋7/31 ランチで出かけたジオヒルズワイナリー。先日宿泊した中棚荘ご主人の弟さんが、お父さまの始められた葡萄園を引き継ぎ、しかもワイナリーを最近スタートさせたのだという。お宿で頂いたみまきがはらメルローに惹かれて、どんな場所か興味が湧きやって来た。週末の土日だけ開店。ここは、長い時代に渡り朝廷直轄の産駒の地。殊に望月と呼ばれたこの界隈の御牧は最大の産地だったという。標高700〜800mの台地がぽっかり開いて、遮るものとてない。古代に馬を育てる技術を持った渡来人がここで戦馬を育てた。おそらく騎馬民族にルーツを持つ人にとって、懐かしいような草原風景だったのではないかと想像するのも面白い。どんな言葉が用いられ、元からここに暮らしていた人びととどのように交じりあって暮らして来たのだろうか。お宿からやって来た山羊は今年の秋、初めて番わせるとか。置かれた場所で紐の届くかぎりの雑草を日がなむしり食べている。人の手でやると頭をもたげてそちらを優先する気の良さ。昔の大切な馬たちは野馬と混ざらないよう、自然の地形を生かしながら野間追いの環濠が築かれたという。昔馬。今山羊。来春には子山羊がメエと鳴くか。↑下の2枚の画像は建物一階部分のワイナリーがカフェ入り口から見えるように強化ガラス若しくはポリカーの床仕上げになっている。夢見るワイン樽。四つのテイスティング。右から気軽なブレンドの白、癖のないロゼ左から2番目、秘密と言われた希少な葡萄種の白は日本でまだ2ヶ所ほどしか生産していないという。もはや味も香りも思い出せない(*´Д`*)シャルドネに近い味わいだけど、あの癖のある匂いではなくてもっと優しい香りだったような一番左、みまきがはらメルロー2021は他の3つと異なり、ここの葡萄園のもののみ原料とする。もっとも他の3つも小諸周辺の農家産だという。さて、ドライバーのツレに遠慮して娘と少しずつ分け合い楽しんだテイスティング。このメルローを、白好きな娘はそんなに?な反応。いやいや、この野生のベリーのカクテルブーケは素晴らしいのだよー、強いていえば私好みのタンニンが少なめだけど、まあ所詮は好きか否かでございましょう。ところで、お店には訪問者の色紙が幾つか展示されていたのだけどその中に『神の雫』原作者亜樹直氏の一枚を発見。彼はここのピノノワールを箱買いしているというではないか。え、それはあるの?と尋ねるとソルドアウトとのこと。来年を楽しみにしよう♪メルローを買うのもこの暑さで、帰途1時間半も車に揺られることを考えると諦める。何しろ5500円もするのだから、最適なコンディションで頂きたい。なので、ずっとカジュアルに、シードルを一本購入。きりきり冷やして休みの日の午後に頂くことにする。ワイナリーでは地元の高校生と小学生が組んでラベルのデザインを試みる、地域の人が葡萄園を定期的に手伝う、中棚荘と連携してソムリエを迎えてのワイン会など、地域ぐるみで発展していく予感。ジオヒルズのジオはベトナム語で風の意味だそうだ。カフェの美味しいベトナム料理は、ベトナム、フエ出身の奥様の手料理なのだ。ベトナムでもワイナリーがあるという。いつかそことも連携ができれば、と語るご主人は未だ30代前半。この丘の風はベトナムの丘にまで吹き付けるだろう。美味しい香りをのせて
2023.08.07
コメント(0)
2023/08/05/土曜日/危険な暑さ続く❶そば一仁8/4 世田谷区十割蕎麦細打ち950円十割蕎麦が食べたくなり、寄り道をする。ここの蕎麦は水分多めで、そんなにコシは強くない。この時期、蕎麦の香りが少ないようにも思う。山で食べる蕎麦の美味さは何といっても水に負うところが大きいが、その水の清冽さが、都会では不足するんだろうか。それでもワサビ、十割、ありがたし。↓夏のメニューも
2023.08.05
コメント(0)
2023/08/04/金曜日/格別の暑さ、酸素が少ない7/26、民芸館は不発に終わるが、私にはその先のアイデアがあるのざんす。それは 布引観音堂今回のドライブツーリズムのメインイベントである。ここに行きたかった。しかし、カーナビの個性なのか、いつも早め早めを私に指導するため、とてつもなく細いヘアピンカーブを車を唸らせながら右折したのが間違いの元であった。確かに方向は合っている。カーナビは裏の駐車場をすすめているのかな?などと肯定的に受け止め、対向車は無いと信じ←この辺の心理も面白い。民芸館での対向車無し、の経験がはばかる。農道→林道→トレイル、辺りでもう道が消える。さすがにおかしいと気づく、ちょっとトンマだけど。ならば引き返すしかない、のだ。なーんだ、なんまいだー。カーナビはヘアピンのその先の道を示したのね、以降そのクセ尊重致します。布引観音までの道は対向車の道も確保された立派な舗装道路だ、快適だ。実に文明国家だ。駐車場は平日とあってかスキスキ。牛に惹かれて善光寺詣り、の由来となったこのお寺の縁起が興味深い。↑御朱印をお願いしたら、縁起も頂きました。こんな素敵なものは初めてです。布引山への緑濃い入り口、人は何故こんなところにまで分け入ったのか。山全体が岩のように思われる。それが磐座信仰ともつながる面持ちがする。それによって古来からの神聖な場所であったことも窺える。↑奇岩や岩の上に鎮座するような杉の木?蹴上の高い石段を苔や清水の垂れる音を見聞きしながら登る。途中、立派な山門を通して右上方に岩と一体になった観音堂の基礎柱が見える。今年この一部を補修したとのことだった。人知れず、維持にはお金が掛かっています。牛に引かれて、の発祥地だけあって、善光寺穴と呼ばれる風穴がある。善光寺の創建に歴史的に関わりがあるのだろうか。ふうふうと上り来ると、正面に釈尊寺本堂が座る。絶景にぽーとなる。御朱印を求める方は先に帳面を預けておくようにインフォメーションがある。現観音堂の向こうに霞んで、小諸の街、浅間山↑観音堂に入るには、この、好ましいトンネルを潜り抜ける。にじり口。観音堂とは別に二つの先駆け?社堂や御堂がある。開基は行基と社伝にあるそうだが、いささかその説がありすぎるようにも感じる。室町時代のもの、と言われるこの小さなお堂はたいへん美しい。聖観音が祀られたお宮、この地の観音さまはお幸せ。ここで3年修行したという西行も、芭蕉も訪れ、歌や句を作った。地域性や構えを考えると、おそらく修験道や山岳信仰とも深い繋がりがあったのではないだろうか。お宮格天井には、奉納者の手描きらしい板絵が並ぶ。地域の人のもあるが、なぜか東京、神田区とか深川区など、戦前の地名の絵が多い。そういえば、山道には神田市場の名を記した石仏も幾つかあった。何らかの関わり、或いは当地ご出身の方の寄心だろうか。↑左は何となく役小角を彷彿とさせる。ここは朝廷直轄御牧のあった望月氏の所管地ではないだろうか。そうすると、甲賀忍者筆頭の望月との関わりが垣間見え、芭蕉との関わりも見えてくる。そんな歴史を調べれば、更に興味が湧く。幾度も足を運びたくなる場所だ。
2023.08.04
コメント(0)
2023/08/03/木曜日/昨日より暑い先週水曜日、小諸古城の 中棚荘 に一泊した。素泊まりで一万円某は、私の案内された部屋の施設からすると随分気張った値段かな。とまれ、この界隈の温泉宿では、ここが評価がよろしいようだ。↓え、という急なヘアピンカーブの細い道を、敷地内に降りる。駐車場まで敷地を下ると、何のことはない。そちらか楽に公道に面していた。↑駐車場からのアプローチ、フロントへはこの左手、卓球室を眺めながら更に奥の階段を登る。荷物が多い場合は駐車場に降りる前に、宿玄関前に止めて荷物を渡す方が無難。どうやら素泊まりは、宿にはあまり喜ばしい客ではないようで、当てがわれた部屋は大正館とか、古い方のしかも急な階段を降りた、浅間なる部屋。部屋の中は古くても清潔。もちろんだけどエアコン、冷蔵庫、TVがありトイレ洗面は共同。床は既にのべられていた。元湯治場宿?な地上階のお部屋ではある。↓あら、写真は風情有りで映るるんだなあ2時チェックイン、11時チェックアウトは嬉しい。前後2時間ワイド。兎も角も、長のドライブで疲れました。温泉だー。しかし、宿の温泉。別棟の大正館からはだいぶ離れた場所にあり、かつ階段を50ばかり登っていく。お湯も2度目にはショートカットを見つけ、本館ロビーを経由せずに行くことができた。↓遠路故か?途中休憩所があって、鉱泉が飲める。冷たくも熱くもなくトロリとした水。なんかクセになる飲み心地。↓着替え室から遮るもの無しに、いきなり浴槽というのが面白い。露天風呂の周囲はアマガエルが。浴槽内には茹でガエルが!お湯にくるんで土に帰す( ; ; )温泉は滞在中いつでも翌朝10時まで入ることができる。朝一番、鳥や虫を友にひとりゆったりと寛ぐ。部屋はあいにくでも、使えるスペースは充実している。敷地の傾斜をうまく利用して、古い蔵を移築。中は談話?音楽?読書スペース。フリードリンクも用意されているが、ここではそれ以外は飲食はできないとのこと。ハンモックに収まると、蚊のオヤツが。早々に蔵の中へ。でもやはり蚊に刺され、結局蔵の本を2冊携えラウンジは逃亡。フロントで尋ねて、幾つかのリストから みまきがはらメルロー2021 を選んで2冊の本を眺める。これが実に美味しい。今まで飲んだ国産ワインの中では一番私好みだ。後で壁に貼られた新聞切り抜きで、フランスの国際コンペの日本ジャンル?で金賞を受賞とのこと。ふむふむ、分かる。じっくりワインを飲みながら、本、特に 北国街道 が面白く見入ってしまい、瞬く間に2時間近く過ぎていた。そこで2度目の温泉を後回しにして、部屋までワインのお代わりと馬刺しをお願いする。おおお。極楽。これと持参のライ麦のサンドイッチを夕飯とする。デザートはドライナツメとプラム。大体こういう宿は食べきれないご馳走を出す→罪悪感があり残せない→無理して食べる→お腹がくちくて大好きな温泉に何度も浸かれない。このループから逃れたい。ワインと一品は、私的にはとても良いアイデアだった。あ、でも当初は敷地内の はりこし亭 でお蕎麦とお酒の夕飯の計画だった。けれどはりこし亭は水曜休店で、そこに重なった、という…↓はりこし亭
2023.08.03
コメント(0)
82023/08/01/火曜日/過ごしやすいなぁ、朝は❽そば処 上小路 ★初訪問7/31 韮崎市神山もりそば 760円とりもつ600円、ご飯セット350円↓とりもつが韮崎のソウルフードらしい。とても美味しく、ご飯お味噌汁、香のものセットと共に平らげる。すごいな自分ツレは汗まみれでほうとう。蕎麦粉そのものはこだわりの原種を用いているらしいが、やはり基本がほうとう食文化のせいか、小麦多めのつるり感蕎麦は七三だという。もったいないなあ、十割が食べたいなあ。色味が独特で蕎麦殻も細かに粉砕されて混在している印象。蕎麦つゆが、蕎麦猪口にいきなりたっぷり入れられて供給される。蕎麦湯で薄めたいが、最初は濃い目を我慢して飲み、2回目で好みの薄さに到達。今どき、800円しないもりそば、ありがたい。【番外編】ジオヒルズワイナリーカフェ7/30 ジオヒルズ風フォー600円、だったと記憶米粉の麺、優しいお味ベトナム人奥さまの本格的なフォー、とても美味しい。ベトナム値段を知っているみなは、うむ。ではあるが、適正価格だよー何しろ風景が素晴らしい。
2023.08.01
コメント(0)
2023/07/31/月曜日/山の朝、曇り夏休み第一弾の終了前回は無念の休館。昨日7/30 日曜日、とうとう入館の運び。開いてる開いてる、嬉しいな♫私は手仕事が好きだ。手仕事されたものも好きだ。もちろん平和はかけがえがない。手仕事と平和が結びつく、というのは何かを呼び起こす、と思いながら見学させていただく。入館料は大人300円。そんなに大きくはない。が、小さな町に小さな灯火を掲げる空間だ。平和と用の美の結束点としての民芸、地方の、一人の教師の、80年のコレクションがつややかに並ぶ。民芸館の多津衛の名は、館の初代館長でもありそのコレクションオーナーでもあった 小林多津衛 に因む。明治半ばの1896年に生まれ、21世紀の2001年、満104歳の大往生。その人生は、自己を生かす教育、手仕事の大切さ、美と真の暮らし、平和への願いに貫かれた教育者の生涯だ。二十歳の時に柳宗悦の『ウィリアム・ブレイク』に出会い、その影響を強く受け、白樺派の運動に共鳴すると共に80年に渡り様々な手仕事を収集した。↑ロンドンにはブレイクの作品を集めたギャラリーがあった。詩人の霊感を持つ人だった。多津衛は晩年には地球温暖化など、環境問題に深く関心をもった。柳宗悦の講演が近在の望月であり、それをきっかけに多津衛の民芸の収集が始まったようだが、最初に求めたのは古伊万里の蕎麦猪口だったという。館内の蕎麦猪口コレクションのボリュームは、それ故か充実している。↑左下、コレクションNo.1の蕎麦猪口。右下は佐久界隈の生活雑器である焼き物。まさに用の美。中段には李朝の器、花瓶。上段左の二つ、バーナード・リーチ。→二つの左、河井寛次郎、右浜田庄之助年齢を比較すると宗悦が多津衛より7つほど年上だから、『ウィリアム・ブレイク』は、宗悦が20代に書いたものと想像できる。すごいな。↓柳宗悦が多津衛に贈った書今現在の日本で、こんな幸福な若い出会いってあるかしら。ウィリアム・ブレイク!そういえば、無言館美術館にもいくつか所蔵があった。長野とブレイクは縁があるのか。平和と手仕事が想起させるもの…観覧の内に、このコーナーを見てハッとする。そうだ、それは糸車を回すガンジーの姿だ。と、同時に先日深く考えさせられた、『八月の光』に描かれた 道 が蘇る。ここに、こんなに鮮やかに、ガンジーの言葉が描かれていたとは。「平和への道はない。平和こそが道だ。」なんとも含蓄ある言葉。平和は到達点として存在するものではなく、行為に他ならない。屈せず、たゆまず続ける道としての平和の行為。それを止める、そこから降りる、ということは即ち、反平和の選択なのだ。アメリカ先住民の、「美の中心へと私は歩く」みたいな、花粉の道?の歌を同時に思い出す。美の中心を歩くとき、私の前も後ろも上も下も美しい。それが平和の道である。本日の訪問はとても実り豊かだ。↑左、白馬のデザイン、右は山羊?燭台民芸館のある御牧ヶ原台地は古来より朝廷に馬を納める牧場として日本最大の産地であったという。望月歴史民俗資料館に詳しい。↓図書コーナーや、コーヒー、紅茶のカフェも併設今日はコーヒーを美味く淹れる館長さんが只今ご不在とのことで、カフェは開店休業中。この地域のクラフト作家の作品も少し販売していた。↓ガラス作家さんのスタンドグラスのペンダント購入。2400円だった。竹紙にくるんで下さった。↑対応下さったご婦人の息子さん手製の蕎麦猪口兼お湯呑み、館長のイラスト入り、を(内緒)でくださった!恐縮至極。館では陶芸の体験もできる。音楽会、学習会などの活動もあるようだ。ああ、私の住まいの近所にこんな所がほしい。
2023.07.31
コメント(0)
2023/07/29/日曜日/カッコーの声がこだまする↓たまにはこんな環境下で読みたい。〈DATA〉 光文社古典新訳文庫著者 フォークナー訳者 黒原敏行2018年5月20日 初版第1刷 発行 〈私的読書メーター〉〈引き込まれ読んだ。アメリカ南部の悲劇を描くと同時にその土地の持つ肥沃さが培った向光性とでも呼びたくなる無垢な希望が始まりと終わりに円環している。宗教を持たない私にはとても宗教的な作品と受容された。ネガティブキリスト存在とも言えるクリスマスの、己とは何者か?の切実な問いが来した、飲まず食わずの荒野の彷徨、肉体と精神に及ぼす描写はただならぬ迫真を持ち殆ど求道僧のようだ。また、血族の物語の中に囚われ生きた元牧師を告解へ至らしめる赤子の取り上げ。印象的な道の表出を誘うような信仰告白の響きは八月の残光の如く微かに。〉作品中に現れる印象的な道の描写もう一度確かめたくて読み直す。それはこの文庫本の482頁にある。伏線は476頁。保安官と自警団がいよいよクリスマスに迫る場面。今まさに夜が明けようとする。…吸い込む空気は泉の水のようだ。…怒りや絶望とはまったく無縁な静かな寂寥とひとつになっていくように感じる。『俺が欲しかったのはこれだけだ』そして冷たいまだ暗い泉に顔を映し髭を剃る。『地面の畝のところをたどるほうが楽だが、そうはせず、まっすぐに歩く。短い距離をへて道路に行きあたると、その脇に座り込む。静かに現れ、静かに消えていく、静かな道路だ。白っぽい土埃の上には細い車輪の跡がまばらに残り、ほかには馬やラバの蹄の跡、所々に人間の足跡。』静かに現れ静かに消える静かな道路!メキシコの人がいう カミーノ 日本のひとがいう 神の道これはやがて、コーマック・マッカーシー『THE ROAD』に続くのだろうか。この読書の元、この島国では父親が娘への歪んだ愛情と自覚することを拒絶するような、新しい事件と古い事件が蘇った。『八月の光』の中で、フォークナーは、ひとり見知らぬ土地を目指す臨月のリーナの姿を見た、行きずりの男たちの会話でこう言わせている。この娘にはきっと母親がいない。なぜなら男親はどんなに娘が可愛くても赦せないことをしたら追い出すが、女親はどんなに娘が赦せないようなことをしてもやっぱり可愛くて一緒に暮らすからだ。さすれば、フォークナーは、巷間賑わす日本の2つの事件を見て、この国に父親という構えの欠落を発見するだろう。そして、およそ独立したもの同士の契約ができる交渉相手では無い、と考え、恐喝に至るのは実に簡単なことだろう。物語中、私がもっとも人間的に止揚されていくと思えるハイタワーが、クリスマスなる人物について憐れむ述懐、どんな場合でも、人を殺すことは正当化されるものじゃない。みんなの命を守るために働くことを誓った公務員ならなおのこと、人の命をとってはいけない。それがどういうにんげんであれ、…警察庁長官よ、聞きなさい。法と規則と人間性に基づいて。あなたはフォークナーが嫌いかもしれないが。旧約聖書と、本書の登場人物、そしてフォークナー自身の血脈、アメリカの分断の歴史なども読み解けば、いよいよ興味と好奇心の募る読書だ。
2023.07.29
コメント(0)
2023/07/28/金曜日/午前中は涼しく7/26 本日は遠出した。当初は笊蕎麦・刻で蕎麦、の予定だったが、急遽の休店、あるある(T-T)刻から近い、小諸らしい蕎麦屋を検索❼丁子庵小諸市もり 935円白玉ぜんざいそばアイス 550円蕎麦は二八、せっかくの石ウス挽きだから十割にしたらどうかな、地元の蕎麦なんだし。コシの強さは中よりやや弱めかな。ツユは意外にいけた。あともう少し濃ければ私好み。でも出汁も感じられ美味しい。白玉ぜんざいそばアイスはとてもとても美味しい。周辺もこんな感じで旅愁を誘います。
2023.07.28
コメント(0)
2023/07/28/金曜日/山は爽やかに晴れ渡る7/26 水曜日、意を決して外泊伴う一人ドライブを敢行したのは、公共の交通では辿り着けないような場所をいくつか見学するため、だ。計画策定後に、県道11号が通行止め。あら、八ヶ岳をぐるりと巡る予定は早くも崩れる。したがって八ヶ岳の西側、白樺湖、大門街道や立科を往復することになった。訪問地も順番変更第一番目の 平和と手仕事多津衛民芸館名前の響きが良い!ではないか。民藝の100年展 を観てからこっち、何となく密かなマイブーム、擬洋風建築や古民家、用の美、と古刹への憧れがない混ぜとなり、かつての欧州アンティーク好みの傾向が洗い流される感。別に何かをコレクションしたい願望も無く、ただ眼福を得るというか、独特の出会いの一瞬を待つ、というか。しかし訪問地はGoogleで眺めても道は細く大変そう。でも頑張る。実際対向車が来たらアウトな、車幅に草を擦らせての運転。大丈夫?と自問しながら何とか辿り着く。あら、10時過ぎてるのに森閑としとります。えー(T ^ T)まさかの休館。くくくく。ほんとだ。いつのGoogleを見たんだ!火水木は休館助手席にはレオぽんも座して、漸くたどり着いたらコレだなぁ、私の人生を象徴するなぁと苦笑う。ひまわりが数本、のどかにお日様に顔を向けている。それがまあ、変則の出会い、なのだろう。ばいばい、でもまたね♪帰りは、登ってきた道とは別の道を下りた。コチラがはるかに楽である。細い道がすぐに終わる。次回はこちら側から下の駐車場に停めて行くのがよいかな。
2023.07.28
コメント(0)
2023/07/25/火曜日/雨の気配無しの晴れ私は職場にお弁当を持参している。 なに弁当と呼ぶほどのものでもない、おむすびを3つ詰めるだけのことだ。 タネは辛子明太子、ちりめん山椒。 この二つは不変で、後の一つは季節若しくは冷蔵庫にあるもので変わる。 そして変わらないもう一つがお弁当袋。 これは子どもの学校のバザーで買った、どこかのお母さんのお手製。もう10年以上も、えらく子どもじみた袋を携えている。 そろそろ袋を手前で用意してはどうか。 刺繍糸もどっさり残っているし。↓木綿刺繍糸一本を4号針で。糸巻き代りの木製十字架は、多分フランス、ロンシャンのカテドラルで買った。そこで先週から編み始めた。海図も磁石も無し、な、行き当たりばったりで。ついでに航海日誌ならぬ編み始め画像も失くす。↑一見棒編みの縦横なメリヤス表情が浮かぶ。この編み方を試したくて、お弁当袋となったのだった。わーい、完成U^ェ^U林の背景に溶け込むなぁ。次回はこれにおむすびを入れるよ♪↓朝のお散歩図鑑
2023.07.25
コメント(0)
2023/07/24/月曜日/山はお昼近くなり、温かい炎天下、中央高速双葉で降りて釜無川を渡り、韮崎のトンネルを越えて甲州街道へやがて道路に面した右手に、蕎麦のノボリがはためくのが見える。❻ 満月庵7/22 北杜市 ★初訪問炊き込みご飯セットもり蕎麦 千円思ったより若い女性の明るい笑顔が迎えてくれる。20号線のホコリっぽい暑い空気が一気に遮断されるかのよう。蕎麦は二八だけどとても美味しい、甘みが強く感じられる。普通のもり蕎麦と日々変化があるらしい変わり蕎麦の2色がサプライされるらしいけれど、私は桜もノリもウコンも関心は湧かず。炊き込みご飯はまるで我が家メイド、とでもいうような素朴で家人の健康を念頭に置いたような味わい。付出しの小皿の塩麹和え?も美味しい。デザートのアイスクリームとプリンを二人で分け合う。プリンは今3つな感じだったけど、濃厚なアイスクリームと振り掛けられた煎ったばかり風な蕎麦の実は香ばしくベストマッチ。女性が育てた枝豆、一袋百円を2つ求めて先へと車は行く。
2023.07.23
コメント(0)
2023/07/23/日曜日/山は曇り7/21、N先生のクラスでは スティーブンのサプライズソックアロング を殆どの方が挑戦中例によって、ポップな色取りが楽しくお先がミステリアスな仕掛けで、私も心惹かれる。↑右の模様編みが先生の作品。ミッション編図はここまでらしい。トップダウンの編み方↑左は次回のお題。サコッシュ。面白い編み地で裏表同じ表情、糸はバンブー。けれど、一人あっち向くオットセイのあたし。以前ピンタレストで見つけたものの編み方が分からず煩悶してた私のために、なんと!クラスの方が探し当てて編み図まで用意くださった、ダブルリーフ? の模様編みにトライ↑糸は2PLYのメリノをマンゴスチンで自家染め。濃淡まばらな仕上り。テスト編み中。遅々として進まず当日は20%セール中につき、ポシェット、サコッシュ用にふた玉購入。左は紙、右はレーヨン
2023.07.23
コメント(0)
2023/07/22/土曜日/山の日差しは強い❺ 富田葉7/21 千代田区ミニ丼もり蕎麦セット 980円街の蕎麦屋さん。大概、蕎麦屋には清潔感を望む私ではあるが、ここの雑善ぶりは気にならない。不思議だ。懐かしさが先に立つ、そんなところだろうか。店内奥のお座敷で、近所らしい小学生女子4人が蕎麦をすすっている。賑わう店内はこちゃこちゃ狭いところに、これまた近所で働くまっとうな勤め人の老若男女。難しい事は言わない。普通に二八で東京ありがちの濃い甘いツユ。妙に汁だくな親子丼しかし不思議だ。とても満足して、食べ終わると感謝して、さっと席を離れる。長居をするママ友グループの弾丸おしゃべりや、蕎麦ウンチク無縁の心地よさ。馴染みが長年磨き上げた、蕎麦を出す、蕎麦を食べる、のシンプルな堅実さ。
2023.07.22
コメント(0)
2023/07/20/木曜日/雨は降らなかった。❹手打蕎麦ふじや7/19 新宿区十割蕎麦もり 980円あんまり暑いせいかお店外に並ぶ人もいないお昼。蕎麦産地変化なし。十割蕎麦は限定品だけど、今まで外れたこともなし。本日のお蕎麦は今までの中で1番の出来かな締め方はあと少しほしいが固さも喉ごしも風味も麺の太さも上々。本ワサビがたっぷりあるのも有り難い。ツユを蕎麦湯でうすーく割ると、ようやく鰹が香るのも好い。お蕎麦を食べた後に用事があると、この暑さにやられて、ふらふらと、かき氷にありつけそうなお店に吸い寄せられ、囚われの人と化す。かき氷は宇治ミルク、イチゴミルク、コーヒーの3種、どれも660円、の倉敷珈琲。看板の方が立派過ぎてΣ(゚д゚lll)ツイまじまじと見比べるアタクシ。まあ、美味しく冷やされたからOK
2023.07.20
コメント(0)
2023/07/19/水曜日/幾分日差しが落ち着く『大人のためのかごバッグと帽子』文化出版局↑中身の充実した ハマナカのエコアンダリアを用いたデザイン集の本。どれもステキなのでお買い得だと思う。中でも 表紙を飾る サイチカ さんのこれ!ステキMAXサイチカさんのショップでキットを買えるのだが、見た時点では三色しか選べない。確かにエコアンダリアの素材にはこの白が必然のように合う。けれど汗ばむ夏には汚れと反射が…と、アーティストではない生活者は考える。結局オカダヤで藁色風の糸を購入した。エコアンダリア初挑戦本では編み方のコツやディテールが今一つ掴めない。糸の特性に慣れてないせいか、ボップル部をキュッと締め過ぎ、貧弱に。゚(゚´ω`゚)゚。サイチカさんは比較的ざっくり編んでいる印象このトライアングルモチーフは面白い。しかし、初編みエコアンダリアの仕上がりは凹むしたがって、また再度挑戦するつもり。今度はキットで試そうかしら色々応用も効きそうで嬉しい。実際に用いた感想。紐部分ボリュームどうかな?と思ってたのだけれど、これはよく考えられていると実感する。バッグの容量から予測される重量を、この複数のストリングスが分散することがちゃんと考察されていたのだなあ。さすが。沢山の荷物を入れたけれど、肩がとても楽なのである。
2023.07.19
コメント(2)
2023/07/18/火曜日/今日も今日とてお仕事開始日曜日、須玉町津金にある津金学校をランチ方々訪れた。↓真ん中に建つ大正校舎。こちらは体験学習スペースなので、利用者以外の一般開放はないみたい。何となく宮沢賢治の羅須地人会が思い出される風貌。↑和食とイタリアンのレストラン、物産販売コーナーや宿泊施設のある昭和校舎。内装は多分、相当変化している。外壁や床板は往時を思い出させる。ランチはこんな感じ。生ハム、トマトソース、ピザ美味しい。2人でシェアできるセットがお得。↑ピザをアラカルトでもう一枚追加。これにパスタが付く↓当時の教育資材、日用品など展示する明治校舎。↓国産の創成期オルガン展示が充実している。この学校が音楽教育に熱意をもっていたことが伺える。ヤマハは当初ヤマバだったのね。↓建築時は板戸と障子だった模様。ガラス戸は大変高価だった。集団で学ぶ良さは、音楽や演劇、スポーツの学びにあるのではないだろうか。低学年の読み書きそろばんをベースに学校教育は芸術を主体として、現在の貧しいカリキュラムから解放し人間を育てる、人間の幸福に寄与する方向へ舵をきってはどうか。学校建築はそれに相応しい美しい建造物とし、放課後以降は大人の学び直しに開放する公共財とする。考えてみれば、自由学園にはそんな動機があったろう。よく働く手を備えた生活芸術としての教育。こんな校舎を見るとそんな夢をみる。↓津金学校明治校舎ディテール明治8年創立。旧吹屋小学校の二年後のことで、現存する2番目に古い校舎という。あの開智学校よりも古い。地元のひとの誇りとなったことだろう。武士も平民も同列に座して同じ学習をした新しき時代。↓山梨には他に四校が保存されているらしい。旧春米学校の愛らしいこと。保存/富士川町民俗資料館、されて見学可能。
2023.07.18
コメント(0)
2023/07/17/月曜日/晴れ渡り昨日朝早いお散歩で、モグラの子ども?がアスファルト道路真ん中で、昇天していた。草むらに運んだ。ホタルブクロ、木苺、ガクアジサイ、鳥の声に見守られ土に返りなむ、いざ。山小屋の柱には羽化したばかりのセミ命のリレーの交錯、まばゆい夏津金学校という、村の学校遺構は明治、大正、昭和の時代の順番に山梨、須玉、津金に並び立つ。大正校の正面玄関には明治37年植樹の三葉松。ご利益のおこぼれに預かろうと木の根元に拾う。
2023.07.17
コメント(2)
2023/07/16/日曜日/爽やかに晴れ渡る❸ 三分一 ★初訪問7/15 北杜市蕎麦セット 二八 1800円蕎麦セット 十割 2100円名水で評判の三分一湧水その施設内のお蕎麦屋さん、何度も通過して初めて訪問。連休初日で40分待ち木陰が涼しいので苦にはならない。こちらのそばセットを一つずつ注文二八と十割の違いを食べ比べ。黒いお皿が十割。色味が随分違う。歯触りも違う。二八はもっちり感がかすかにある。十割は歯ごたえ、コシを感じる。風味も違う。甘味の質が違う。二八はよりウドンに近い。私には十割が蕎麦。ツルツル喉越しよりはキシコシ噛み締める感じ。お店によっては水分多めでぬるりとした十割を出すところもあって、それも好き。ツレはこちらのツユを美味しいというが、私はもう少し濃いめがよろしい。出汁はしっかり効いているが、返しの時間の重ね?みたいなものが不足かなぁ。でも他のお料理が美味しく量的にも私には好ましい。↓その後、デザートに婿殿お父上丹精のスイカ
2023.07.16
コメント(0)
2023/07/15/土曜日/曇り。日差し遮られ過ごしやすい。〈DATA〉 新潮文庫 著者 太宰治昭和25年11月20日 発行 平成15年5月30日 百四刷改版 令和4年3月20日 百四十一刷〈私的読書メーター〉〈高名な作品だけど初めて読んだ。明治末年、津軽の金木という所、津島修治なる聡明な人間に生まれてくることの難儀さを想う。父は貴族議員も務めた大地主。三十人の使用人に囲まれ豪邸に住む子ども。属する世界の乖離の淵を覗けば、王族のごとき暮らしは貧しい農民の搾取の上に成立する事実が見える。優しい心根を育む何不自由無いオーチャードという母胎。その優しさが含羞を含んで、虐げられた人びとへの慚愧の念へと固まり身も財も潰す苦しさ哀しさの往復運動、下々からすれば諧謔やら無頼やら。太宰に殆ど重なる直治の遺書にそれが鮮やか也。〉版を重ねている。沢山の読者を得ている。よく読まれているということ?こんな重苦しい世界を描いているのに。もっともただ暗いだけではない。かずこの健康な生きる力は、貴族的な母と狂乱蕩尽弟の直治という〈光と闇〉に不思議な日の差し方を投げて交差する。一つの世界を創造したのだ、確かに。蛇の卵を焼く、薪のボヤ、竹の子暮らし、西片町…作者は、直治に伊豆の山荘ではなく、西片町のあのお屋敷で死にたかったと述懐させている。実際、西片町はには多くの作家、編集者、学者、音楽家が住んでいた。木下杢太郎のような人も。牧野富太郎も。太宰の早い頃の作品を読んで作家になることを諦めた、三島由紀夫を育てた木村徳三という編集者も。その地に、この一族のお屋敷はあった。一族とは、太宰治が考えた文学や絵画、音楽などの芸術の血脈で繋がる一族だろう。故に『斜陽』の聖家族である、母、姉、弟を含め、太宰を取り巻くその時代の、芸術デモーニッシュが大小投影されたものでもあるだろう。投影される光の源へ。エセ芸術家の妻へのプラトニックな恋慕は、彼女のプロフィールを冬の夕空を背景に、横たわる位置から仰望したとき頂点に達する。全く自然な、彼女から差し出された毛布の親切にヒューマニティーの蘇生を見る直治は、戦争末期の焦土、焼け跡の人心荒廃の現実の福音となり得た。本当に大切なその人を思い浮かべ、姉かずこに、道徳の過渡期の犠牲者と理解される直治の死道徳の過渡期!新しい道徳が生まれて来なければ人はどうやって生きていけるだろう。「革命は、いったい、どこで行われていやのでしょう。少なくとも私たちの身の廻りに於いては、古い道徳はやっぱりそのまま」あれだけの敗戦があっても古い道徳は残り人びとは変わらない。この文章を読むと呆然とする。新しい道徳は未だ生じないのに、利権だけは蛇より聡く素早く雑草よりも強かに蔓延る。3.11が起きても、古い利権は残り人びとは変わらない。のだ。これ以上の犠牲者は要らないのに。「この世の中に、戦争だの平和だの貿易だの組合だの政治だのがあるのは、なんのためだか、このごろ私にもわかってきました」かずこは「女がよい子を生むためです」と結論付けた「よい子」。私はこの言葉にとても引っかかった。しかし、かずこが太田静子その人であれば、その前に心中を運命付けられた赤ん坊の父親である太宰は、よい子が授かるようにという願いよりもはるかに強い言霊を静子に与えたのではなかったか。そう、腑に落ちた。「マリヤがたとい夫の子でない子を生んでも、マリヤに輝く誇りがあったら、それは聖母子になるのでございます。」敗戦後に、かずこのこの言葉に救われた女性がどれだけあったろう。いや、今でも。だからよい子を生んで、と祈らずにはいられない。芥川賞がとれなかった。そのことに衝撃を受け、入院治療する津島修治さんは実に繊細だ。男とは哀しい存在であることを如実に体現した人だなあ。
2023.07.15
コメント(0)
2023/07/14/金曜日/暑さ一服7月は10日連続でお蕎麦を食べられなかった珍しい月。だけど、連日食べるのも珍しい。❷ほさか ★初訪問7/12 吉祥寺2色もり 920円メニューに曰く当地で50年以上、元は足利の有名な蕎麦屋さんで修行して始めた、とある。蕎麦は二八。それは問題ないのだけどもう少しシャッキリと締め冷やして出してほしい。わさびの量が少なめ蕎麦そのものの分量は申し分ない。特筆すべきはツユ。びっくりの美味しさ、私好み。甘過ぎずカツオの風味が立っている。本日は用向きがあり、吉祥寺に出た。東京も海から遠くなればなるほど暑さがイヤます。耐えきれず氷水を求めふらふらと中町氷果店 へ氷のハタがぶら下がっているけど。ええ、大丈夫?な錆びれた鉄骨階段登る。登り切った左手の安っぽいアルミドア、これでいいの?と不安に。30度ばかり開く。ステップインサイド、左側を眺めた途端に安心。カウンター一列の小洒落たかき氷、のみならず果物のお店。嬉しいことに幸運にも一人分席が空いていた。すぐにかき氷にありつける!基本はインスタから予約、とのこと。↓右は冷凍庫から出したばかりの純氷↑右は時間をかけて中と外の温度差を無くした氷。これを削るとふわりとして決してカキーンとならない氷になるそう。店主から講釈いただく内に、わーい♪注文のミルクメロン、1800円。まあギリギリ許容の値段かな。完熟メロン←本日千葉のどこそこの←そう。フルーツとかき氷のベストマッチなんだし、この値段は了解。あああ、おいちい。幸せ、ありがとう。
2023.07.14
コメント(0)
2023/07/13/木曜日/曇り、目薬ほどの雨向ヶ丘遊園駅から15.6分歩いたところに、気になるかき氷のお店情報を最近キャッチ行くならば、千歳船橋駅に出かけた本日(火曜日)であろう!中天から遠慮容赦無しの太陽が照りつける中、自分の影も点とならゆらゆら目指すは 増尾氷店 なるお店↑お店などはとんと無い、こんな道をゆくと、マンションや住宅の並ぶ角地に氷屋さん以前は自転車の並ぶ店先に椅子など置いていたとのこと。近所から苦情が届けられて、今はテイクアウトと純氷売り、のみらしい。安い!抹茶に練乳トッピング350円なり↓抹茶というよりは甘い宇治茶シロップに練乳かな氷の質はよいのだろうが、少しキーンとする。というか、圧倒的に量が不足である、私には。日陰であっという間の夢幻の如く消えて、俄然かき氷の情熱駆り立てられ、我は行く成城の あんやうむむ、癒される。30分以上は待ったけど、さすがに氷の質が高い。北九州や山陰では記録的豪雨の連日報道に親戚のことを思い。関東では記録的猛暑で食欲も睡眠もまばら胃も身の内 とはいえ、かき氷は好い。
2023.07.13
コメント(0)
2023/07/12/水曜日/暑すぎ❶そは一仁7/11 世田谷区十割蕎麦 せいろ950円十日以上お蕎麦を食べていないので、禁断症状を発出電車に乗ってやってきたのは最近ご無沙汰のここ12時少し前に着いたけど、既に3組が並んでいる。何とか店内で待てだけど、この炎天下外待ちならお蕎麦を諦めるところ何度かお邪魔しているけれど、十割蕎麦の太麺には初めて当たる。少ないかも、と当初は思ったけど、蕎麦の量は細打ちよりもあるかも。蕎麦の旨みをギュッと感じる。あら、おつゆはこんなに甘味が強かったかな?わざわざ食べに来てよかった。というお味で満足。火曜日は東宮さんがお休みでわらび餅が買えなかったのだった。
2023.07.12
コメント(0)
2023/07/11/火曜日/朝から暑さ甚だ〈DATA〉 新潮文庫編者 太宰治昭和42年8月30日 発行平成23年11月25日 七十一刷改版令和3年11月20日 七十八刷〈私的読書メーター〉〈ざっと120年前のロシアを映す戯曲2つ。名訳と言われる神西清の新潮版『桜の園』と『三人姉妹』を収録。貴族階級が没落し新しい支配階級が台頭し、無産階級の人びとも労働を通して自己実現を図ろうとするような時代に揺れるロシアの大地に共鳴するように切り倒される桜の樹。かつてその実を瑞々しく保存したレシピは既に失われた。しかし開墾された土地には沢山の小別荘が建ち並ぶと今や金満家になった小作の倅は幻視する。神の救済に寄らない人間中心の時代精神の招来への祈願はアジア的な野蛮、無知蒙昧を遠い未来克服していくとの予言は?〉上る朝日と沈む夕日、どちらがお好み?うーんそれぞれ味わいが違うわよね。朝日はエネルギーがこちらにまで満ち溢れる印象、夕日にはたまらなく郷愁の念が湧くという。起きよ立てよ、とだだんだんのリズムの予兆。色は持たずかたや優しく労わる弦の調べ、偶に何事かと驚嘆せざるを得ない色彩の展覧自然観察と時代観察がチェーホフの中に併存して…あ、だからか。これを読んでいる最中に何度も『日の名残』が蘇った。つまり朝日と夕日の印象もしも私が舞台演出するなら色と音でインプレッションに強弱を付ける。あと役者の肉体がとても大切。夕日側の方には半年ほど前からグランメゾンの食事三昧、ホテル暮らしと社交。できれば老婆やと執事付きでのらくら過ごして頂く。若しくは一瞬にしてその肉体を顕現させる方。こちらのおねぎが3円安い、が見えてしまうはあるまじきにて。さて。2作ともに重要な存在は高齢の男だ。『桜の園』では、売られた屋敷に閉じ込められて今当に息を引き取る高齢の執事フィールスドラマ最後のセリフを引き受ける最期の独白はフィールスの、「…ええ、なんてざまだ、精も根もありゃしねえ、もぬけのからだ…」そしてセリフの後、ト書きでドラマを締めくくる。「はるか遠くでまるで天から響いたような物音がする。それは弦の切れた音でしだいに悲しげに消え」桜を伐採するために「木に斧を打ち込む音だけ」になるのだ。『三人姉妹』終幕前、三人姉妹の「生きて行こう働こう、楽隊の音はあんなに楽しそうに鳴っている.私たちの苦しみは後に生きる人たちの悦びに変わる」とそれぞれ明るく前を向きながらも、聡明なオリガは何のために今苦しんでいるのか、「それが分かったら、それが分かったらねえ!」それに被せて、耄碌した軍医チェプトイキンの口上。タララ、ヤ、ブンビヤーと口ずさみ「道の置石に腰かけて」、新聞を読みながら「おんなじことさ!おんなじことさ!」被せてオリガ、「それが分かったら、それが分かったらねえ!」言葉のロンド、そして幕。ところで『三人姉妹』でアレーコの名が登場する。これは、あの「アレコ」かな?先だって青森美術館で観たバレエに仕立て上げられたプーシキンの、あの詩ジプシー女に恋をして家出した貴族の青年アレコは100%自由を得、愛を得たと思ったが、恋に奔放なジプシー女は他の若い男に心変わり。怒れるアレコの女に振りかざすナイフは彼女の命を奪う。本作中「いかるをやめよ、アレーコ」のセリフに対して、「なんだってアレーコなんか持ち出すんです」。これ当時のロシアの観客に受けたところかも。同時代の有名作を引っ張り出すお茶目振り他にもロシア文芸に通じた人には、ははーんが沢山あるに違いない。芸術作品としてはやはり『桜の園』の美しさが一際輝く。
2023.07.11
コメント(0)
2023/07/09/日曜日/梅雨らしいけれど雨は控えめ昨シーズンから集めていた薔薇の花びらが、ある程度増えたので、ピローを作り始める。↓これは未だ乾かしている分↓オイリュトミーのためのドレスの余りを手縫いして袋状にする。布は厚めの絹、自分で染めたものすごーく昔、私が女子高生の頃。薔薇の花びらの枕が欲しいと思ったけど、それだけの花びらはその頃手に入れられなかった。一昨年前にローズシナクティフを手に入れ、作れそうな予感が!お花全体の半分以上を足かけ2年保存した今。美しい色のままドライになったものはリースにするか、そのまま飾っておくか。変色した花びらも香りは薔薇少し日向くさい匂いも加わり、これでお昼寝したらどんな夢を見るかしら。と。
2023.07.09
コメント(0)
2023/07/08/土曜日/雨は降らない夏至が過ぎれば、日足は一日一日短くなりぬ。クリスマスプレゼントのために 広瀬みどりさんのcassisベスト を編む。2作目。けれど。模様編みが終わり、袖下で身頃がぐるりとつながると、もう後は眠りこけ編みも大丈夫。なので。放置していたバッグ、サイチカさんデザイン、をようやく編み進める。しかし暑すぎ。腰も座り続けは辛い。で、やや散漫に編む日々。そんな日々の中にもお約束あり。昨日の炎天下、ランチを友人と堪能(о´∀`о)京橋。天井が高い。お値段もそれなり高い。しかし満足度はもっと高い。スープ無し、前菜は自家製テリーヌ盛合わせ、メインはスズキ。どちらも四つの中から選択できる。ソースは深いコクがあるが、オールドファッションではない。気を衒った新しがりでもない。それが好い。ボンサンスざんす。デザート6種ほど、私は意地汚く5種を少しずつ。友人は品よく2種。うーん甘重も軽爽やかも。それぞれのプレートは量もフランス。たっぷりあるのが嬉しい。これで最安8800円コースだけど、シャンパンとワインを1杯ずつ付けて14605円。やっぱり。グランメゾン、つーのはヴェヴェーレお高すぎ。2杯までを死守だねえ。しかし。お客さん筋もよくて私らでも気後れすることなく。都心のオアシス。東京駅、銀座近い。
2023.07.07
コメント(0)
2023/07/07/金曜日/腫れ上がり〈DATA〉 新潮文庫編者 太宰治昭和49年3月30日 発行平成21年4月20日 四十刷改版令和5年1月10日 四十五刷〈私的読書メーター〉〈面白い。言葉と感情の連弾と疾走。どうみても若きハムレット=旧制高校時代の太宰治。金木の生家、斜陽館は当時周囲を圧倒し当にお城であったろう。津島家をデンマーク国王一家に置換。一大事はお家=お国の存続。番頭一家のいわば庶民クラスの交情なんぞは夾雑物、家政円滑のかなめは振舞いであり感情は糊塗され、見た目至上。若いハムレットは立場を理解するも甘えたい、訴えたい。オフィーリアに言葉で愛が欲しいと漏らして反論される。彼女といい王妃といい、ぶれない存在の周囲をとち狂う男たちが戦争を前に体面を繕おうと躍起。これ戦中作品〉率直に言えば、太宰治はそんな好きな作家ではない。そもそも教科書の『走れメロス』が初対面というのもいけなかった。教えられる道徳がイヤな年頃にこれはフィクション過ぎた。周囲の文学少女に背中を押されるように読んだ『人間失格』は読むのが苦しい作品だった。それから何年も経って3.11の事を伺った方から勧められて読んだ『駆け込み訴え』大変驚くべき作品だった。その才能は信じられた。本作はそれに連なる作品で、心理描写と言葉が溢れもつれ、渦の中に引き込まれる勢い。新潮文庫版には他に短編四つが含まれる。『女の決闘』は、当時の逐次刊行6回に登壇した、何というかオリジナルを解説しつつ太宰治文学を建築する講座、のような実験的作品。その技巧の手の内をどこまで披露したかは私なんぞには理解及ばぬ。それに比べると『乞食学生』は素朴ながら、太宰治という人の美質が素直に表現されて、また師匠の井伏鱒二のような諧謔を持ち合わせ、わたしなんか大好きだなあ、これ。熊本君の鼻エピソード、バスを待ちながら爆笑堪える。ゼンチンナイグの鼻などにじむ。しかし。後年この人喰い川と地元の人に言われた玉川上水での入水自殺が重なる事実を呼び起こせば、腹に下駄の後、背中に冷水、ピカピカの革靴。↓桜桃忌6/19 2023↓6/17の山梨の桜桃 2023
2023.07.07
コメント(0)
2023/07/05/水曜日/晴れのち曇り、凌ぎやすい〈DATA〉 文藝春秋/著者 中村圭志2008年9月20日 第一刷印刷文春新書656〈私的読書メーター〉〈聖書、旧約の面白さは格別で何度か子どもに読み聞かせ私自身も楽しんだ←不敬?しかし凡百の私らを楽しませ喜ばせ、果てに考えさせ、人間らしく生きる術を説くのも、その道で修行される先達、宗教人の功徳でもあろう。一方、お釈迦さまの生涯はそれとなく理解するが仏教経典に縁がないのは如何。法事でナムナム語られているあの中身は何か?興味を抱く。この本のチョイスが妥当かどうか今ひとつピンと来ないけれど、ナムナム中には沢山の譬え話が活写されている事を知る。『銀河鉄の夜』が法華経ファンタジーである背景もおぼろに見えて来る。〉もう随分前に読んだのだった。反芻の時間はあったが本は既に手元にない。法華経を教理として学ぶと法華経の持つダイナミズムが損なわれる、ということはこの本で理解した。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天 の六道を輪廻転生する我らは、胎、卵、湿、化の何れかのテイでこれらの界に生じる。とはいえ一人の人間さえも、その短い生の日常の刻々の最中にさえ、六道を目まぐるしくへ巡って、心静かな時などない、のである。仏教的な考え方では、私という実体は昆虫にさえ輪廻するのだなぁ。人間を創造物の頂点に置かない発想がよい、と思う。保護犬を見て、これはかつての夫であったよ、このカタツムリはいつぞやの母であった、と目が開けている方は認識するのやもしれない。こんな世界観を主知主義の人は滑稽に感じるだろうが、私には豊かさ、大らかさを与えてくれるものだ。生きとし生けるものへの温かい情が自ずと湧いてくるのだ。
2023.07.05
コメント(0)
2023/07/04/火曜日/雨降らない先日、渋谷パルコ劇場で『新ハムレット』をみる。パルコ劇場の外空間がリッチな変貌を遂げていた。渋谷で待ち合わせ、なんてときに使えそう。屋上庭園フロアではドーモくん?キャラのコマ撮影スタジオがたまたま?開催中人工知能の仮想空間キャラとは真逆の、自分でネジ巻いて動く時計みたいな、人の手で修理できる安心感に包まれるような。そんな存在感。かわいい。さて、『新ハムレット』私、ちゃんと太宰治の本を読み、臨みました。確かにこのセリフ回しは大変だ。平田満さんなんか、見ていてハラハラした。セリフ出ないんじゃないか、とか。太宰治は坪内逍遥の大時代な口上を作品の中で揶揄しているのだけど、太宰治のセリフ自体経年劣化とまではいかないけれど、多少古さは否めない。それなのに、相当口の回る役者が更に顎に油でも差さないと、その勢いが無いと、舞台は色褪せる。歌舞伎でダンダンダンと前のめりにたたらを踏む勢い。特にハムレット、ホレーショ、ポローニャスはそれが要求される。新王と王妃はその勢いを一段階落とした上で、新王こと山羊のおぢさんには、何層もの複雑なパーソナリティが出て来なくてはならない。王妃は高貴な雰囲気が野の花を摘むときさえ揺らいではならない。という勝手な私のイメージでは、王妃役の松下由樹が出色。ハムレットはねえ、これは太宰治そのものなんだと思う。役者さんはさぞ大変だろう。凄い秀才で破滅的で、苦しい苦しい→かわいそうかわいそう、に振れつつ、テッペンカケタカー‼️と啼く鳥みたいな仰々しさでとにかく駆け抜けるような。弱さいじらしさも漂わせなければならぬ。木村達成さんはチンピラ振りはよく出ていたけれど、ハムレット=太宰治の、根っこの育ちの良さをもっと印象付けてほしい。死なずに孕んでしまうオフィーリアはシェークスピアオフィーリアのパロディ横綱といえる。トリックスター振りがぴったり来るような配役と衣装デザインでマッチングしてた。ポローニャスの池田成志はよくトレーニングされていて才能豊かだった。ハムレット親友ホレーショを加藤諒。何をやっても加藤さん、みたいなところがハマってて、これはこれで諒とする。ハムレットだけど、極めて日本人的な人間劇場。先王を殺したのか殺してないのか。事実は藪の中。太宰治の芥川好み、かな。金木に疎開していた太宰治を敗戦の翌年に訪ねたのが、若い頃に憧れ芥川ポーズの写真を多く残す、あの芥川龍之介長男、芥川比呂志『新ハムレット』上演の許可を求めての事だった。この辺の経緯は田端文士村記念館に詳しい。このお二人が初めてあい見えた時のシャイの極みはまるで少年のように初々しい。
2023.07.04
コメント(0)
2023/07/03/月曜日/どうした雨よ[番外編]ぴゃんぴょん舎盛岡市6/22半冷麺750円と焼肉、ベアレンビール平日の夕方だけど、4.5人順番待ちホテルスタッフの男性が、僕でも一人前はきつい、を信じたのがいけなかった。頗る美味しい!冷麺だけ頼むのは申し訳ないし、男の人がキツいなら、とはにかんで焼肉一皿とハーフのチョイスは間違い、と麺を一口啜って思い至る。堂々、冷麺勝負がよろしい。スープも透明感がありつつ旨味も。えー、スイカ?という偏見を払拭。ビールと冷麺ハーフがほぼ同じ値段だったような。後日あまりに混んでいたので別のお店で食べたけれど、空いてるお店は理由があって空いている。冷麺人気のお店はどこも混んでいるので、時間に余裕をもって臨みたい。❺手打蕎麦 ふじや新宿区6/28十割もり蕎麦980円静御前、常陸秋蕎麦この半年多分変わらず。本日やや粉を感じる打ち方
2023.07.03
コメント(0)
2023/07/02/日曜日/あまりの暑さよ6/25 盛岡あら、もう1週間。まだ余韻は残る。今度はチャグチャグ馬コを見たいから、来年になるかなぁ。それに、冷麺だけで満腹になりたい。割愛した斜陽館や恐山に行くのもいいかな。りんごの季節にアップルパイと弘前カフェ巡りも。残すところ2時間ほどで電車。最後はここ、と決めていた 光原社へ。見るだけ、なのだけど。よほどなことがない限りモノは買わない。買うのは、ボタンとかサシコ用糸とか手拭い、ハガキなどあげるもの使うものだけ。店内に、まあ素敵なブラウス!があったのだけど、コットンアヤのだったから今度本店三鷹に行ってみよう。↓私が買ったのは柚木沙弥郎さんのチャグチャグ馬コハガキと釦を求める。そんなに大きくない敷地だけれど、樹木が育って落ち着きが感じられるコートが魅力的。柚木沙弥郎さん作品展示中、マチエル館入り口には光原社スタートの機運となった宮沢賢治『注文の多い料理店』の初版本。全冊売れても手数料も出ないくらいこだわった装丁で、光原社という出版社を光原社初代となる及川四郎と盛岡高等農林同輩の近森と創立、スタートした。発刊は大正13年12月1日のことである。が、在庫の山を抱え、及川は金策に奔走。見かねて賢治は自ら千冊の内二百冊を買い取ったという。タイムマシンがあったら私めが10部ほど頂きたい。↑初版本。柚木沙弥郎さんという方はよほど賢治に思い入れのある方なんだろうなあ。もしご健在ならもう百歳を越えているようだ。芹沢銈介の影響を受けたらしいが、柚木さんご自身、東大同窓生に柳宗悦の息子が在籍していた事もあり、民藝運動に早くから関心もあったことだろう。その発展系は賢治の農民芸術か。この辺りを掘り始めると、私は芹沢銈介の美術館どころか、代々木の日本民藝館にも足を運んでいない。手仕事が大好きであるのに!↓弘前のPPPオーナーさんに教えて頂き購入した岩井窯の山本氏の本。どうしたって鳥取も行かねばならぬ。この本を読んで益々その思いが強くなる。今に生きる賢治の流れ、の如きものを慕って。盛岡から東京まではびっくりの、あっけない旅路だ。ベアレンビアをちびり飲んでいる内の出来事国内一人旅は、3.11後の東北巡りから11年振り二度目の旅。これに気をよくして、さあ次はどっちだ?
2023.07.02
コメント(0)
2023/07/01/土曜日/朝はようやく梅雨らしく6/25 午前①旧宣教師館→②桜山神社→③もりおか歴史文化館→④啄木新婚の家→⑤光原社→ランチ→駅①旧宣教師館は土日は内部見学ができない様子通用口は開いていたけれど。戦災で一変した街の姿、人の様子。打ちひしがれた暮らしの中、それでも花を植える姿を垣間見て、日本の復興を信じたという銘板があった。盛岡の街中もお花がいっぱい。②桜山神社創祀は1749年というから菅江真澄が生まれて間もない頃。真澄は盛岡にも滞在していたから、まだ新しさ残る宮を目にしたことだろう。北上川の船橋については図絵も残る。南部家の初代、不来方にお城を築いた二十六代信直、盛岡と地名を変えた二十七代利直らを祀る。↑本殿裏に巨大な兜様な岩ネコちゃんは神出鬼没③もりおか歴史文化館丁度開館時間。展示物そのものは少ないが、色々な仕掛けで昔の暮らし振り、賑わいの様子が理解できる。盛岡の土地柄の祭り、特にチャグチャグ馬このビデオ紹介が興味深かった。↓馬の気持ちのナレーションと東北の言葉が胸を打つ。そこに賢治の詩が加わる。盛岡八幡宮から14キロも離れた滝沢の鬼越蒼然神社から、晴れ着の子どもら以上に飾り立てられた馬こが晴れがましく、往来を行列して健康豊作を祈り参る。南部曲がり屋は、馬と人が一つ屋根の下で、人馬一帯、家族として成長する。こんな風習は世界の他にあるかしら?賢治と弟清六は、寄宿していた家側の下の橋でこの馬こ行列を見に、音が近づけば幾度も戸口を出たことだろう。私も実物の馬この行列を眺めたい。毎年6月第二土曜が例祭という。↓企画展から。これら陣羽織のようなコートと雨合羽は皮をなめしたような風合いだが羅紗地。すごくモダンで美しい。骨を用いたトグルボタン。よほどセンスの良い作り手がいたのだろう。↑バロットン張りの版画は最後の藩主の相続人による。欧州旅行のスケッチから起こした作品。⑤啄木新婚の家新婚の家、といっても啄木自身この家に寝起きしたのは何と3週間だけ。しかし彼が確実に起居した住宅はこれしかないので大切に保存されている。元は武士の住まいであった屋敷の一角を曲がりしたもの。そこに啄木の母堂や姉妹も同居って、二間しかない。↓間借りの玄関、畳二畳、奥の間八畳↑床の間座敷は大家さん?或いは他の店子用祝言あげる前に啄木は盛岡になかなか帰省せず、3週間で転居。はあ〜不来方の〜でござります。↓これが新婚世帯四畳半の全て。元はお茶室?炉が切ってあるのが風流で狭さも気にならず。いっそこんな書斎が欲しいわいな↑畳、壁の卵色と紙の白と木部とヘリの濃色、ヤカンと自在鉤の鉄部、炭のハイ色、外部の緑。言う事なし。
2023.07.01
コメント(0)
2023/06/30/金曜日/雨まじり風❺白州手打ち蕎麦 くぼ田6/19 北杜市天丼+十割蕎麦天盛り十割蕎麦計3900円卓上には、お店ご主人の庭にこぼれ種から、時期早く咲いた蕎麦の花が。遠目で見ると地味に感じたけれど、近くで見ると中々の賑わい。人気の蕎麦屋さんだけど平日故か、並ばず入店。天丼も美味しい。本日は福井の蕎麦、もう少し先には北海道産蕎麦に切り替わるらしい。蕎麦はよく引き締まり最後までダレない。ツユはやや甘め。❻手打蕎麦 ふじや6/21 新宿区十割もり蕎麦980円本日並び待ち今月2回目、蕎麦産地変わらず。コシあり十割、ツユも濃いめでよろしい。にしても、蕎麦一枚がほぼ千円の時勢であります。
2023.06.30
コメント(0)
2023/06/29/木曜日/明け方おしめり6/24 午後朝7時過ぎから活動していると一日は長い。次はお土産目的で しかないせんべい なるお店へ。本店はやや不便な所にあるけど、五重塔で高名な最勝院に寄り道しながら行けるのでポイント高い。禅林坊にも寄りたかったけれど、16時半ばの電車に乗るのため割愛。神社、プロテスタント、カソリックと巡り、ようやく仏教寺院へ、世界平和の輪。五重塔は大変立派で周囲の緑も美しい。津軽を統一した初代藩主が、その時に戦死した敵味方の人びとの鎮魂のために建てられたと、お寺の記録にあるそうだ。1664年頃建立か。平成3年の台風被害で、330年にして初めて全面的な解体修理がされたという。階段を上ると先ず、隣接神社の鳥居がある。きれいなネコさんお出迎え。仁王さんの目力、迫力あり。廃仏毀釈なぞどこ吹く風とばかりの、江戸時代までの睦まじさがここでは見られる。うさぎと縁があるのは何故は?入り口に狛犬のような様子であ、うんしてます。手を合わせて、しかないせんべいに向かうとその手前で十一面観音菩薩立像の文字が左手に袋宮寺藩主と繋がりのある古刹らしい。観音さまのお姿を拝見したいけれど無人のお寺につき、諦める。あら、トイメンには稲荷社の赤い鳥居が、と思うとその右側が しかないせんべい だった。お煎餅3箱購入。お煎餅切れ端袋詰めが200円で売っていたのでそれも買って食べてみる。バターっ気のないクッキー、のようなお味南部せんべいにも似てるかな。ずしりと重い袋をぶら下げ、これから弘前駅西南方面を散策してホテルで荷物をピックアップするための時間も計算に、急ぎ足。しかし太宰治学びの家を見たい。これは外せない。が、随分歩き続けなので途上にある弘前大学カフェで一休み。雨がぱらつき始める。↑こんな赤煉瓦外壁を抜けて右に曲がる。↓大学入り口の右手に独立した洋館のカフェ、お洒落。2階2室とも先客あり。朝と同じくコーヒーとアップルパイを注文。お店の人にすごく赤いリンゴですね?と聞くと、このリンゴは弘前大学の実験的な、実の赤い品種で市場にはまだ出回っていないらしい。弘前のカフェのコーヒーは、今のところどこも美味しい。カフェ文化が根付いている感。先客のみなさんが寛ぐ中をあたふたと、旅人は次の移動のために腰を上げる。お煎餅が重い。太宰治学びの家の近隣の、旧弘前偕行社は日本陸軍第八師団将校たちの社交場として、堀江佐吉によって建築された。撞球室あり。この時代の寮とか邸宅に備えているケースを幾つか見た。広いホールでは社交ダンスの練習などあったか。第八師団に因んだ蜂の玄関破風飾り紛れもなく一つの文化のスタイル。欧米に憧れ欧米を師と仰ぎ、貪欲にそれらを吸収した時代の。さて、どうしても時間が惜しい。太宰治〜と考えていると受付の女性が「すぐ側に太宰治学びの家があるので寄られませんか?」と声をかけて下さった。なんと、旧弘前偕行社の正門前にあるではないか。ありがたい。玄関に回るといきなりのお迎え事務の方かな?色々説明くださる。もうお一人は小説の朗読を来館者に教えている様子藤田家は太宰治の母方の親戚の家で造り酒屋であったという。この家の2階にこの家の息子と襖で隣り合わせに暮らした。↓長押には旧制高校制時の数式の落書きが残っているそうだ。肉眼では判明しづらい。↑文学に目覚めた季節は同時に芸妓に熱をあげ放蕩に明け暮れる到来でもあった。この部屋で狂言自殺を図りもした。学びの家を出ると雨足が強くなっていた。胸肩神社にたどり着いた頃は、前が霞むほどに降り始める。雨の中神社のお水を頂く。靴の中は雨水の音を奏で、ホテル直前でお煎餅の紙袋の底がとうとう破れる。お土産は既に神社でリュックにしまい、大過なし。心残りのこぎん刺しは、名品が駅の待合室でみることができたのだった!こうして22時間の弘前滞在時間は怒涛の勢いで過ぎた。何とも濃密でした。ありがとう。間も無く盛岡アゲイン。盛岡は雨なし。
2023.06.29
コメント(0)
2023/06/28/水曜日/雨がほしい6/24お昼前からお昼時教会が見たくて足を伸ばす。歩いて7分ばかり。る↑日本キリスト教団弘前教会、観光物では無いので入ることはできない。欧米でもカトリックは自由に出入りできるが、プロテスタント教会はどうか?↓その直ぐ近隣に石場旅館。次回はここに宿をとり中を見ようと思う。↑旧高谷家別邸。懐石料理店は廃業。裏にヴィンテージ何やらの看板。アパートかと思ったら、美容院らしい。次回ここでカットしてもらえば内部見学できる。うむ。↓更に4分ばかり歩くとカソリック弘前教会旅人にOPENの文字が沁み入ります。スタンドグラスの柔らかい色と光、こぎんざしの十字架のタピストリー↓タタミ敷のお御堂感謝と平和の祈り間も無くお昼になんなんとす。五重塔を目指す方向へ、気になるショップもあり。おや、このステキな建物は?と足を止める。見学したいなぁ、どうしたものかとうろうろしていると中から人が。ここは見学できますか?と尋ねると、ご主人らしき方、お昼時なのに、出かけそうなのに、どうぞと招き入れていただく。とまぁ。行きたかったショップPPPであった。ご主人のセレクトの北欧ビンテージ、北欧モダン、手仕事、色々私と被るなあ、とお話しする内に、大好きな建築家が吉村順三であることまで同じ。岐阜が大好きでそこに行くつもりが、この場所を借りられて弘前に留まる事になったとか。そりゃそうでしょう。私なら絶対そうします。民芸、手仕事、青森美術館の建築、ロゴ、その他たくさん教えて頂いておまけに2階も案内頂くこの時代にあって、畳の間から段差なしで縁側が続く。しかも床から長押まで全て開口のガラス建具。これは吉村順三そのものです。また、開けた先はお庭の緑がこんもりとして、室内が緑の上に浮遊している感覚だ。これは羨まし過ぎる!オーナーの方のための和室は乙女心満載の仕様東京から弘前に定期的にいらしてここで書き物をされるのだとか。いい!良すぎる!。゚(゚´Д`゚)゚。↓ご主人が敬愛する岩井窯、山本教行氏の作品が床に。氏の本なども見せて頂く。↑秋岡芳夫のフォールディングチェアが、ユンフィールぽいダイニングセット横に。コルビジェやら前川國男やら話は尽きねど、時間は過ぐる。お暇して、お店を出る。この玄関が素晴らしい。色彩感覚が抜群によろしい。今度家具を買う機会があればこちらで買いたいと存じます。山本氏の『暮らしを手づくりする』早速発注しました。ところで、帰り際に、この冊子を頂く。なかなかとんがったユニークな個人商いのオーナーの物語満載。これ読んだら行きたいお店が増えた。↑PPP石田学さんのページアビヤントー、また来るねありがとー、またよろしくねー
2023.06.28
コメント(0)
2023/06/27/火曜日6/24 お昼前藤田記念庭園から東ヘ5分ほども歩く。道すがら見るものはまだある。↓市庁舎前。りんごの里のポスト^ - ^↓旧第八師団長官舎、スタバが入っているため見学したければコーヒーを飲むしかない。先ほど頂いたばかり、表のみやって来ました。旧弘前市立図書館外観は昨日撮影したのでいきなり入館↓プラン。3階は見学できないが、浄写室 とある。模写?曝書?本の修理?西欧建築はおしなべて地下を大切にする。日本の洋風建築にはそれが省かれているのが惜しい。1.2階とも96.298㎡なのでほぼ29坪ずつ。やや大きな一般住宅の規模と言ってよい。普通閲覧室と婦人閲覧室が分かれているのは、儒教の名残か。改めてプランを眺めると、この八角堂は平行相似では無い。その事に舌を巻く。向かって右が三尺ほど飛び出している。外観を眺めている時には気づかなかった。このズレ、階段の収まりのために奥まったのか、あるいはアプローチ踏み石のラインを外側ラインに同調させたのかは分からないけれど、実はこのズレが動線目線をイキイキさせ、狭い内部空間を豊かにしているかもしれない。↑初代館長と館長室。サンタクロースみたい、立派なお髭は二代まで。後はカイザーヒゲみたいに変化するのも面白い。ヘルシンキ空港のラウンジで相席した韓国のご老人がやはりこのヒゲの持ち主であった事を思い出した。私も漢であれば欲したかもしれぬσ(^_^;)↓婦人室は6席。ただ一冊ばかりを読める図ここを訪れたご婦人とはどんな方だったろう、どんな本を読んだのだろう。図書室の狭さを思えば、蔵書数もさほどなく貸出などは行なってなかったのだろう。この空間あっての読書だなぁ。総合芸術に等しい。↓階段ディテール↓2階閲覧室、評議室など。この建物の秀逸な八角堂の縦ラインは下から婦人閲覧室、評議室、応接所となっている。ともかくも、学ぶご婦人に敬意を表している点が見逃せない。小さくとも豊か。愛らしい。堪能後は目と鼻の先の 旧第五十九銀行本店本館この館内では、弘前の一連の洋館の棟梁 堀江佐吉についての展示がある。受付の方と少し話す。戦災も3.11も免れて今日弘前で洋館や古い建築を見られることの幸い、とか何故弘前でこれほど洋館が建てられたかの背景などその第一要因は函館にあるという。函館は青森からは至近、東の神戸のような土地柄である。その洋館や繁栄に影響やら職を求め沢山の人が渡った中に、本館棟梁である弘前藩お抱え建築方の堀江佐吉がいた。様々な技術を習得、あるいはそれを元に佐吉が一番心血注いだ建物がこの本館なのだそうだ。当初は少し離れた場所にあったのだが、曳屋で今の場所に持って来たのだという。その際に入り口は90度変えられたそうだ。↑広々とした銀行業務の内部空間に柱はない。↓重厚感あるインテリア↓小上がり天井の意匠や格天井デザイン見学の二点共棟梁は堀江佐吉。用途が異なるとはいえ、住宅、図書館好きの私には断然、りんごを彷彿とさせる旧図書館が好みである。りんごの実る頃、再訪を願う。
2023.06.27
コメント(0)
2023/06/27/火曜日/曇天6/24 午前 家屋と庭のある土地の形状が面白い。全面道路と同じレベルの敷地にゆったり構える和式建築。↓これは下の庭園の茶室左にはシックな洋館本格的な庭園はがくんと下がった段丘の方に設えてありお茶室もそちらにある。↓岩木山を見張るかす、別邸からのながめそしてこの別宅を普請した藤田氏の境涯がこれまた、そのランドスケープをアーキタイプとしたような妙なる様相↑左、藤田氏、右当時の首相田中義一洋館一室に彼の人となりが紹介され、興味深い。藤田謙一は政財界で活躍し、日本商工会議所初代会頭となった。今のサラリーマン社長とは異なり、大したものだなぁ。wikiでは東奥義塾←これは慶應義塾に感化され弘前市に創立された私学←を中退して上京、と記されているが、私があの一室で読んだ限りでは、東奥義塾の受験に失敗している。しかも、養子先の家から150円くすねて、上京した強者である。学業より実業に秀でた彼は、瞬く間に様々な事業を太らせ発展させた。史実を淡々と記す姿は当然とはいえ好感増すものだ。↓こんな資料も目を引く彼は自らの私腹を肥やしただけの人ではない。武家の生まれ、明治人の矜持を後世の人間に伝える。弘前公会堂建設資金として154千円を寄付したが、これは当時の市予算額の4分の1強の額で、平成3年予算でみると、133億円規模に相当するという。ところで。寄付前年の大正8年竣工、庭園と別邸の総工費は寄付の4倍なので計算上は500億⁈いやそれはないでしょう、いくら何でも。こういう疑問を持つと、大きな図書館ではそれに応えるレファレンスサービスが利用できる。便利。そしてネットでレファレンス実例なども拾える。まこと便利な世の中である。それによると指標を何で求めるかで5倍はずれてしまうようだ。大正10年の10万円は公務員給料平衡で換算すれば、2億越え。そうすると寄付は3億、総工費は12億。土地取得を考慮すればもう少し高額かも。だけど、まあ妥当なところかな。藤田氏を偲ぶヨスガとしてはこれも。毀誉褒貶のあった方とはいえ、スケールの大きさはやはり明治の時代精神。青雲の志、気宇壮大。↓和風建築↓洋風建築↑洋館サンルームではお茶とアップルパイが頂ける。建物や庭を見るに、雅というよりはどこか武張った感じで、贅を尽くしたというよりはどことなく質実剛健な印象をもつ。庭は江戸の職人が入ったそうだ。
2023.06.27
コメント(0)
2023/06/26/月曜日/曇り晴れ6/23、24メモ看板に偽り状態、本を読む間も無くひたすら 弘前の土曜日を朝7時過ぎから歩く。昨夕の突撃調査で弘前のもう一つの目的である、こぎん刺しが見たい が空振りであることが分かった。下調べしない、アドリブ好きの露呈Σ(-᷅_-᷄๑)体系付けられた展示がひろさき無い、のだった。手芸店のご主人が親切に対応下さり、こぎん刺しの県内広域マップまで下さった。予約をした上で見学できる工房がいくつか市内外にあるようだけど、短時間滞在では難しい。よって、翌24日土曜日は当初予定になかった、弘前城北側の、仲町重要的建築物群保存地区 及びお城跡公園周辺を歩いて、予定してい藤田記念庭園に出かけてみた。お城に隣接区域であることから、家臣の中でも重い役目の武士たちの住居地区だと推測する。それにしても、この道の気持ちよさ理由は電信柱が無い!それに尽きる。いいなぁ、こんな往来に住みたいなあいくつかの建物は市の指定を受けている。住まいが今風になってしまっている住居でも、古い門や年を経た樹木などがあちこちに散見される。これら住居の公開時間は10時から。未だ2時間弱もあるではないか、と諦める。公園をはさんでこの地区とは反対にある、藤田記念庭園の9時公開に合わせのんびりと散歩することに。釣りをしている方もちらほら。フナが釣れるそうだ。おや右手にステキな建物が!街中にこんな建物が勇ましく働いてちゃんとある。この尊さは計り知れない。↓そして、この公園は街の中心にあるのである。想像できない風景ではないだろうか。公園内には、京都御所にも負けないすごいイチョウがある。紅葉の時はどんな風だろうか。一目見るなり、これはエントである と感じるような木だ。古い記憶と表情をもつかのよう。あなたと一緒に働きたい。などと思う。率直に言って、この公園を歩いている内に私はすっかり弘前が好きになった。いいなぁ、いいなぁと思いながら歩き続ける。公園出口には市立博物館と市民会館かねてより前川國男の建築とは聞いていたけれど、こうやって現物が見られることは素晴らしい。特にこの市民館外壁の表情。左上の立面の影は、それを横から眺めると右写真のように角度を持って立ち上る様子が実感される。地面歩道から外壁への一体感の工夫。コルビジェ晩年の域を感じさせる。歩くたびに姿を変える建築に見惚れているといつの間にやら藤田記念庭園が目の前に。しかも右下の急な坂の向こうに聳えるは、お岩木山らしきロケーション。これは計算されたもの?すごいなあ、建築と景観のマジック、目にする全ては天然+アーティストのニワである。そこに時間も加わる。まさにに9時アジャスト。一番乗りで庭に行くとあやめが丁度見頃の塩梅神さま、ありがとうございます、と感謝せずにはいられない仕業でございます。お岩木山ははっきりと捉えられなかったが、本来ぐずつく天気予報を覆す青空の中で庭園を堪能。
2023.06.26
コメント(0)
全731件 (731件中 201-250件目)