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第3章 悲しい世界 誰もが寝静まった夜中の三時、私はパソコンの前に座り込みマウスを操作しながら何度もこのホームページの文書を読んでいた。「同じだ…」 画面に向かって思わずポツリと呟いていた。私は次にそのホームページの掲示板を開いた。半年近くその掲示板には書き込みがなされていなかった。私は少し迷ってから、その掲示板に書き込みをしてみることにした。ハンドルネームは少し迷った後、男の名前でも女の名前でもあるような「ケイ」とすることにした。「初めまして。 ホームページ内の文章を読ませていただきました。そしてまるで自分のことを書いているかと思いました。 私もいつだって、この世界からの拒絶感を抱きながら生きてきました。ホームページの中の、『この地球上には五十億人もの人がいるのに、私を救ってくれる人が一人すら存在しないなんて、なんて悲しい世界なのだろう』 という言葉には、今までの私の思いと重なって思わず涙が出そうでした。」 そこまで書いて、掲示板の「送信」ボタンを押した。 外が明るくなり始めたころ、私は布団を敷いて中にもぐりこんだ。だけどなかなか眠れなかった。あのホームページに刻み込まれていた言葉が私の頭の中にも深く刻み込まれて、その言葉からなかなか逃れる事ができなかった。「この地球上には五十億人もの人がいるのに、私を救ってくれる人が一人すら存在しないなんて、なんて悲しい世界なのだろう」という言葉が。 部屋の外では、母が起きてきて朝食の用意をしている音、父が起きて洗面所で顔を洗っている音、隣の部屋で弟が起きて学校へ行く準備をしている音が聞こえてきた。まるで、別世界の音のようだった。その音が存在する世界と、この私の部屋の中の世界が繋がっているとはどうしても思えなかった。「誰か、助けてよ…」 そんな言葉が無意識に私の口の中からこぼれた。口の中から、というよりはむしろ、私の心の中から、といったほうがいいかもしれない。 母がパートに出かけ、家の中は静かになった。私一人だけしかもう居なかった。眠ろうという努力もするのをやめて私は階段を降りてキッチンへ向かう。そして冷蔵庫を開けてみるとヨーグルトが一個あったので開けて食べた。 部屋へ戻り、私は気になってしようがないのでパソコンを起動させ昨夜見たホームページをまた開いてみた。 昨日見たのと全く同じ、白くかすれたような「Snow World」の文字。その文字を見ただけで、雪のようになりたい、という由紀の厳粛ささえ備えた祈りが見えたような気がして、少し悲しくなった。さっそく掲示板に入ってみる。すると一件、私の書き込みに対する由紀の返事がすでに書き込まれていた。その全文をここに書き記そうと思う。
2004.12.31
3 リストカットについて その一件があってから、私は自分の腕をカッターで切るようになりました。初めは手首を切っていたのですが、夏などは長袖を着ないと切り跡を隠せないので二の腕を切るようになりました。二の腕なら半袖の服でも切り跡を隠せました。 ある人には、自分の体を傷つける「リストカット」と言う行為の意味が分からない、と感じられるかもしれません。またある人は、そんなに何度も手首を切るのは自殺したいからだろう、と考えているかもしれません。ですが、それは違うのです。リストカットは私にとって、生きるための手段なのです。 夜、自分の存在が無価値に思えて、自分が生きていることが無価値に思えて、しまいには今自分が生きているのか死んでいるのか、その境界があいまいになってしまうような苦しみにときどき襲われます。そんな根無し草のような状態はとても辛いのです。自分が今生きているのか死んでいるのかすらも分からないほど、自分の存在が希薄になっている状態は、発狂しそうなほど苦しいのです。 私はそんなとき、机の引き出しに入れてあるカッターナイフを取り出します。そして袖をめくって二の腕を出し、カッターナイフでゆっくりと切っていきます。確かに痛いです。本当ならこんなことしたくないです。 だけど腕を切って、流れる血を見て、腕の痛みを感じて、そして、「今、私は確かに生きているんだなぁ…」と実感できるのです。その実感は、腕を切る痛みなんてどうでもないと思えるくらい、今の私には貴重な実感なのです。悲しいけど、私にはそんな手段しか見つけることができなかった。そんな手段に訴える以外に、自分が今生きていることを確認する事ができなかった。 と言っても、私も確かに、自分の体を傷つける事を絶対的に正しいことだとは思っていません。体を傷つけなければ済めば、それが本当は正しい事なのだと思ってはいます。ただ、私にとってはリストカットは、緊急避難場所であるというだけなのです。 だから、腕をカッターで切り刻み、生きている実感を感じられ、儚い安心感を感じた瞬間が過ぎると、真っ暗闇に包まれているかのような自己嫌悪に苦しみました。そんなとき私は、机に頭を埋めるようにしながら、「誰か、助けてよ…」 掠れた声で呟きました。 部屋は静まり返り、音という音は消え去りました。誰一人にすら、私の助けを求める悲痛な叫びは届かないのです。誰も私を助けてはくれない。たった一人だっていい、誰かに私のことを助けてほしかった。でも、誰も救ってはくれなかった。この地球上には五十億人もの人がいるのに、私を救ってくれる人が一人すら存在しないなんて、なんて悲しい世界なのだろう。 私はよく、そんなことを思いました。
2004.12.30
またあるとき、妹の進学先で父と母が大きな声を出して喧嘩をしたことがありました。 二階の自分の部屋で、一階の居間から聞こえてくる両親の怒鳴り声が聞こえないように、耳をギュッと塞ぎながら机の上に顎をのせるようにしていると、妹がノックをして私の部屋に入ってきました。「どうしよう。どうすればいいのかな?」 妹は心配そうな顔で私に尋ねました。その顔は本心から両親の事を心配しているような表情でした。純粋に自分の心が顔に出ている、という感じでした。 私は突然、その純粋さに殺意にも似た怒りを感じたのです。その怒りは、いつも自分の感情を心の底に押し付けるようにして生きてきた私ですら抑えることができなかったのです。「何言ってるの? すべてあんたのせいなんだよ。あんたのせいで喧嘩をしてるんだよ。そんなにお父さんとお母さんの喧嘩を止めたいなら、あんたが死ねばいいでしょ」 妹は、私の口から漏れた残酷な言葉に茫然と立ち尽くしていました。そして悲痛な眼を私に向けていました。私はその眼にさらされていることが堪えられなかったのです。「ここから出て行って!」 机から立ち上がり、妹をドアの外に押し出すとドアを乱暴に締め付けました。 私自身も分からない心の底には、私があんなにも努力して得られなかった両親からの愛を、安々と手に入れた妹に対する醜い嫉妬があったのかもしれません。 それ以来、妹は精神的に不安意になって病院の心療科に通うことになりました。 私は妹に投げかけた言葉について親に話しませんでした。親から何も言われなかったことを考えると、妹も親にはしゃべっていないのかもしれません。しばらくはびくびくとしていました。妹が、「お姉ちゃんにこんなこと言われた」と親に言われて、親から、家族から見捨てられてしまう事を恐れました。いや、それ以上に、世界から見捨てられてしまう事を恐れました。そのときの私にとって家族は世界そのものでもあったのです。この家族は私には安全に存在できる場所ではなかったけど、そんな家族以外に私は「世界」を見つけることができなかったのです。だからそんな私の存在を抹殺するような家族でしかなかったとしても、私はその家族にしがみつく以外に無かったのです。
2004.12.27
3 母について 私の母は、自分の果せなかった理想を自分の娘で実現しようといつも一生懸命になっているような人間でした。母はいつだって私自身を見てはくれなかった。母の中にある私の理想像しか見てくれなかった。私は母から見捨てられる事を恐れて、たとえ母が私自身を見てくれていなくても構わないから、母の中にある理想像を演じ続けました。だって、それを演じ続けさえすれば母の目は私に向いたのだから。その目が私自身に向いているのではなくて、母の中にある私の理想像しか見ていないと痛いほど分かったとしても、私はそれ以外のなすすべを知りませんでした。私はただ、母から見捨てられる事だけが怖くて、母以上に一生懸命その理想像を演じ続けたのです。私が十五歳の時です。私は母と二人でいるときにこんな言葉をぶつけられました。「どうしてあんたは、愛美のように明るく振舞えないのかね?」 私は、驚きました。「どうしてそんなこと言うの? 今までお母さんが望んでいるような子になろうと一生懸命努力してきなのに…」 そんな言葉が喉のすぐそこまで出掛かりました。だけど私はその言葉を飲み込んだのです。その言葉を言ってしまったらきっと何か取り返しの付かないことになる、何かが終わってしまう。そのような思いが私の言葉を凍りつかせたのです。「あなたは、無口で何を考えているのか分からない不気味な子だよ」 母は私を氷のような眼で見ながら、氷のように冷たい言葉を吐きました。 私はその母の姿に、悲しい、というよりもむしろ絶望しました。それは、一生懸命、母が気に入るだろう私を演じてきた私の努力が全て無駄であったのだろうかという自分自身に対する絶望でもあったし、母のイメージが代表しているこの世界そのものに対する絶望でもあったのです。
2004.12.26
2 妹について 私には一人、二つ歳の離れた妹がいます。 妹は明るい人間でした。小学生のときなんて、夕飯時になると妹の独断場でした。「今日、学校でね、こんなことがあったんだよ」 父と母は笑顔で妹の話を聴き、その笑顔に勇気づけられるように妹はより楽しそうな声で学校での話をしました。私は作り笑いをしながら妹の話を聞いている振りをしていました。私には、それが精一杯でした。その楽しい空気を壊さないようにするので精一杯でした。素直で、明るくて誰からも好かれている妹。その妹に対して私は、外見上は何気ない様子を装っていたのですが心の奥ではきっといつだって嫉妬していたと思います。何で妹は皆から好かれるのに私はいつも一人なのだろう。そのような醜い嫉妬心。それに反して、こんなにも素直で明るい妹に対して嫉妬してしまっている自分自身についての自己嫌悪感。そんな想いに心が裂かれそうになっていました。
2004.12.23
第2章 Snow World 1 ホームページの題名について 私の名前は由紀と言います。由紀、ユキ、ゆき、雪…。ここまで書くと、このホームページの題名の由来はもうお分かりですよね。ですが、それに加えて、この題名には私のある祈りが込められているのです。「雪のようになりたい…」という悲しいけど切実な祈りが。 雪は、純粋で、汚れてなんていなくて、そして儚い。残念ながら、今の私は雪とは真逆な人間なのです。純粋からは程遠く、そして真っ黒く汚れていて…。だけど、儚い、という点に関してだけは雪に対して親近感を抱いています。この世界を漂うように生きている私。空から漂い落ちてきて、地上で朝の光に輝きながら、昼には太陽の熱で溶けて消えてしまう雪。だけど私は雪のように輝くことはできません。 私は人見知りで、中々明るく人に接する事ができなくて、無口で、周りの人たちからは、「暗い」とか「何を考えているのか分からない」とか言われます。私なりにこの世界を精一杯生きているつもりなのに、雪のように輝くことはできないのです。輝くすべが見つからないのです。 このホームページは、そんな私が、いつか雪のようになれることを願って作っています。
2004.12.18
爆弾、というキーワードを検索欄に入れてみる。四十万件のヒットがあったがざっと見たところ作り方のサイトは無いようだ。爆弾、というキーワードの後ろに、作り方、ともう一語を入れてまた検索してみた。一万件くらいのサイトがヒットした。 とりあえず目ぼしいサイトを見ていこうと思って、いくつかのサイトを開いてみるのだが中々目的にぴったりと合ったサイトは見つからない。そのサイトは、そんな中に出会ったひとつのサイトだった。私はある、不思議な雰囲気のサイトに遭遇したのだ。それはどうやら個人の人が自分についていくつかのテーマで文章を書いたものだった。始め何気なくその文章を読んでいたのだが、私はすぐにそのサイトの世界に取り込まれていった。 そのホームページは背景が黒で統一されていて、真ん中に白い、掠れたような柔らかいフォントで「Snow World」と書かれている。そして画面の一番下にたった二つだけのコンテンツが置かれていた。「私について」、「掲示板」とそれぞれのコンテンツの題名には書かれている。 私は「私について」をクリックした。するとまた真っ黒い背景のページに飛んで、小さい字で、「ホームページの題名について」、「妹について」、「母について」、「リストカットについて」というリンクの白文字が四つ書かれている。私はそのそれぞれを、貪るように読んでいった。
2004.12.15
「爆弾を作って、世界のどこかを破壊してやる…」次にそんな考えが浮かんだ。ひどく今の私にぴったりなやり方だと思った。こっそりとこの世界のどこかを爆破させる。私は陰に隠れてその様子を見ていればいいだけなのだから。さて、どこを爆破させるか。これは中々難しい問題だった。結局いいアイデアも浮かばないので、とりあえずそれは横に置いておいて爆弾作りから始めることにした。と言っても、私にはその知識は欠片すらない。それでここ三日間はずっとネットの中で「爆弾の作り方」を探し続けていたのだ。 静まり返った住宅街で、私の部屋だけが切り離された世界であるかのように蠢いている。私の部屋は六畳くらいの小さな部屋で、隅にベッド、中三以来もう使うことも無くなった勉強机、その隣に昔父が使っていた机が並んでいた。本棚にはマンガ雑誌が山のように積んであった。夜中客が途切れた時間を見計らって、コンビニに買いに行ったものだった。コンビニに行くときは、帽子を目深にかぶり視線は誰とも交わらないように床だけを見た。 父の机の上には、もう五年ほど使っている古いパソコンが置かれていた。二十歳になったとき、父の、「パソコンを買えば、少しは外の世界につながろうという気が起こるんじゃないか」というありふれた一言とともに私の部屋に置かれる事になった。自分の部屋にパソコンがやって来ることは正直言えば嬉しかったのだが、嬉しそうな素振りをすると親に貸しを作ったように思われてしまうのが癪だったから業者の人が私の部屋でセットアップしてくれているのを、まるで毛虫を見るような憎々しい表情で部屋の隅に座って睨みつけていた。
2004.12.12
そして私は二十五歳になった。 十五歳から二十五歳までの十年間、まったく価値を持たない時間が過ぎていった。本当に、その十年間の一秒にすら価値なんて見出せなかった。じっと耐えていさえすれば、時間は自動的に過ぎていく、そう自分に言いきかせて、口をつぐんだまま時間が私の頭の上を通り過ぎるのを耐えた。 その無価値の時間の中で、私は時々、私を取り囲む世界について考えた。考えたと言っても、ぼんやりと心の中に浮かんできた思いを無言で見つめるような経験を繰り返しただけであって、論理的に敷き詰めて考えていったというわけではない。そのころの私は常時、半分眠っているような状態で過ごしており必然的に思考能力は著しく低下していたのだから。「この世界はきっと、私の存在を受け入れてくれるのを拒否したんだ…」 真夜中の自分の部屋。電気もつけず暗闇が充満している部屋。その部屋の真っ黒い壁を見つめながら呟いた。何だか、その真っ黒い壁が、私と世界とを隔てる壁であるかのような気がした。その壁は、私には破る事が永遠にできないと感じた。 そして今私は、この世界に復讐をしようと考えている。私のことを受け入れることを拒んだこの世界に対し復讐をしてやろう。そう思っている。
2004.12.11
その時家族は私を助けてくれただろうか? いや、助けてはくれなかった。まるで私なんて初めから存在しなかったかのように家での生活は継続していった。朝、母が起き家の雨戸を開け、父が起きてきて顔を洗ってから背広に着替え、それから弟が起きてきてキッチンで朝食を食べている。その光景は、もともと私という存在は必要としていなかった。私が存在していなくても何の問題は無かった。この世界は、私が存在していなくても何の問題は無かった。この世界は私という存在なんて必要とはしていなかった。 何よりもそのことに私は傷つき、絶望した。私は人々が活動している昼間の世界から逃げ出すように、自分の部屋に閉じこもり昼夜が全く逆転した毎日の中におぼれていった。溺れ死にそうになって、「誰か、助けて…」という言葉をノート一杯に書いて過ごす日もあったのだが、結局その言葉は形を与えられて誰かに届く事は無かった。 ときどき母が思い出したように、私のドアの前にやってきてノックした。「学校行かないの? 高校はどうするつもりなの?」 私は一言も発しなかった。ただノートに「助けて…」と書き続けた。三秒もすると母は何も無かったかのようにドアの前を離れ、階段を降りていった。私はそれでも「助けて…」とノートに無表情のまま書き続けていた。でも自分自身、何に助けを求めているのかよく分からなかった。
2004.12.10
それ以来、私はもうそれまで保持していた楽観さの中で生きることができなくなった。確かにそれ以前と同様に人と心をさらして話し合うという事はなかったけど、あの出来事があってからは他人と会話をしていても心の中ではいつも、「何気ない表情をしているのだけど、きっと私のことを殺したいくらい憎悪しているに違いない…」という思いに駆られた。その思いを持ったままどのように他人と接していればよかったのだろう。分からなかった。分からないまま、私は人と接することがとてつもなく怖いことに思えるようになってしまった。人と会うことに、まるで断崖絶壁の崖の端に立たされているかのような恐怖を感じるようになった。 結局私はその時以来少しずつ中学校を休むようになって、中三になると全く学校に行かなくなった。
2004.12.09
日曜日の夜七時、私が居間のテレビでバラエティー番組を見ていると、風呂から上がった父が下着姿のまま居間にのっそり入ってきた。そのころ父は腰を痛めていて毎日シップを貼っていた。当然腰へは自分では手が届かないので、いつも家族の誰かに貼ってもらっていた。 居間へ入ってきた父は「シップ貼ってくれ」と言った。だけど運悪く私はアニメに夢中になっていてその声が聞こえなかった。父には私が父の言葉を無視したととらえたのかもしれない。いきなり、バンとアニメを見ている私の横顔にシップが飛んできた。「イタッ」 私はただ本当にビックリして、小さな悲鳴を上げてシップが飛んできた方法を振り向いた。目を剥くようにした父がそこに立っていた。そして父は、「ゴミめ…」ぼそりと小さく呟くように言った。父の近くには私だけがいた。母は台所で夕食の準備をしていたし、弟は二階の自分の部屋にいた。「え?」 私は父の声からそのような言葉が出てきたということそれ自体が信じられなかった。そしてその言葉が聞こえなかった振りをした。まるでそれが聞こえない振りをすればその発言を始めから発せられはしなかったとできるかのように。父はパジャマを取りに自分の寝室に向かうため、無表情で黙ったまま居間を出て行った。 夕食を食べながら、私は自分の茶碗に視線ととめ家族を一度も見なかった。食事が終わって茶碗を流しに持っていくときも、そのまま二階に上がるために居間のドアへ歩いていくときもひたすら床を見つめ続けた。床を見る私の目には「ゴミめ」という文字が映り続けていた。 父はいつだって私のことを「ゴミ」だと見ていたのか。楽しそうに笑っていたときも父の心の奥底では私に対する侮蔑、憎悪が隠れていたのか。二階の自分の部屋でそのような思いに一晩中苦しめられ続けた。
2004.12.07
私には、家族に心をさらけ出したという記憶がない。私にとって家族はどこか不気味な存在だった。「家族」というものは客観的に見るとひどく近しい関係なのだけど私が所属している「家族」とは心理的には日本とブラジルとの間くらいの遠さを感じた。その矛盾した関係が、私に他人に対する関係とは違った不気味さをもたらしていたのかもしれない。そしてその感覚は、先述したような家族の心理に対する想像力の欠如をもたらしていたのかもしれない。 といっても、小さいころの私はそのことに対して特に悲観するということはなかった。父や母や弟と心をさらけ出してお互いの思っている感情を述べるということがなくても、心のどこかでは、「一応家族なのだから、それなりに考えていてくれるのだろう。まさか私のことを毛虫のように嫌ってはいないだろう」と楽観的に考えていた。子供特有の楽観さだった。 私が十五歳の時だった。 私にとってとても重大な、だけどきっと私の回りにその時存在していた人々には些細に思われ三日もすれば忘れてしまうだろう出来事が起こった。
2004.12.06
私はオネショをする子供だった。今になって考えてみればどうしてオネショなんてしていたのか分からない。だって寝る前にトイレに行っておけば済むだけの話なのだから。それなのにどうしてもオネショを止めることは出来なかった。朝起きて自分の布団が濡れている事実に気付いていつも絶望的な気持ちになった。 もしかしたら、小さいころの私はいつもどこかで強迫観念に苛まれ続けていたのかもしれない。幼稚園のころ、保母に、「トイレに行きたい」というたった一言が言えなくて時々おもらしをしていた。昔の事だからはっきりとは記憶にないが、心では、このような自己主張をしたらいけないんだ、という思いがいつも私の体をぐるぐる巻きに縛り付けていた気がする。自分の思ったことは一言も言えなかった。言えば嫌われる、と思っていた。言えば見捨てられる、と思っていた。 そのことに関連して、もう一つのイメージが私の脳裏に刻まれている。 私の通う幼稚園では毎週水曜日の朝に全体で、体育館のような建物に集まって、園児は座ったまま園長の話を聞くという朝礼があった。そのある日の朝礼の時だった。私は突然尿意に襲われた。だけど私の周りは静かに園長の話を聴いている園児が取り囲んでいて、私にはその静けさを破ってトイレに行かせてもらう勇気がなかった。自分自身に、大丈夫、まだまだ我慢できる、と言いきかせていたのだけど、結局我慢は出来なかった。尿はパンツとズボンを通して、体育館の床に静かに広がった。私は、周りの園児を気にして、いや、誰か特定の個人と言うわけではなく、自分の周りの世界を気にして、「これは水だよ」何かに対して必死に弁解しながらハンカチでふき取っていた。
2004.12.05
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