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2014.07.19
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カテゴリ: 読書案内
【新田次郎/武田信玄 林の巻】
20140719

◆父と息子は最高にして最良のライバルか、あるいはその逆か
父と息子の関係というものは、今も昔もそれほど大きく変わるものではないようだ。
息子は父を、父は息子を、最高にして最良のライバルと見なすこともあれば、あるいはその逆もあり得るわけだ。
父は息子に対して、男と生まれたからには自信を持って欲しいと望む。
卑屈な人間にはしまいと、誇り高い意識を持つように、若き魂に絶えず語りかけているのかもしれない。
戦国の世にあって、信玄とその嫡男である義信の関係も、現代と何ら変わるものではない。
~火の巻~では、義信が父・信玄に逆心を抱く場面が重く描かれている。
「親の心、子知らず」とは言ったもので、信玄が諄々と戦国の習いの何たるかを息子に説いて聞かせたものの、反って義信は己の考えに固執するのだった。
結局、双方の意見が物別れに終わったことで、若き義信は憤まんやるかたなく、傳役を務める飯富兵部に、父・信玄に対する最後の手段を取る旨を伝える。

あとがきによれば、『甲陽軍鑑』には義信の逆心が明るみとなり、座敷牢に監禁され、ついには自害して果てる、という悲劇的な最後になっているとのこと。


「私が自害説を取らずに病死説を取ったのは、私の史観であって、ここで自害説を取れば、私の中の信玄像は根底からひっくりかえってしまうことになる」

この一文は、新田次郎の信玄に対する並々ならぬ思い入れを感じる。
あるいは、息子を持つ父親の苦悩を、著者自身の親子関係と信玄父子を重ね合わせ、何か共鳴するものがあったのかもしれない。

~火の巻~でもう一つの柱となっているのは、織田信長の上洛のくだりである。
桶狭間の戦で今川義元を破ったころは、信長なんて弱小尾張半国の一大名に過ぎなかった。
信玄も桶狭間の件は、偶然の勝利ぐらいにしか思っていなかったはずである。
ところが信長の躍進は凄まじいものがあった。
わずか7年の間に、尾張全域と美濃二国を掌握したのだからスゴイ!
一方、信玄はたかだか信濃一国を平定するのに20年も費やしたことを考えると、今さらながら信長の実力を認めざるを得なかった。
結局、信長は足利義昭の警固のためという大義名分を掲げ、上洛を果たしてしまう。
ここで信玄は、完全に出遅れた形となるのだ。


実力だけではどうにもならない天の時、地の利、そして人材の有無。
それらがいろんなところで作用し、歴史が動いていくのだ。
誰かの描いたシナリオ通りにはいかないからこそ、緊張感と野望に時代が波打っているかのような錯覚さえ覚える。

私は『武田信玄』を何度となく読み返しているが、その度に思うのは、もしも信玄があと10年若かったら、信長に出し抜かれることはなかったに違いない、ということだ。
また、信玄は万全の健康体ではなかったことが惜しまれる。

頃合いを見計らっては志磨の湯に湯治に出かけるのだが、完治には至らない。
そう考えると、基本中の基本ではあるが、人は何か大事を成す時、健康でなければならない。
ごくごく当たり前のことだけれど、今一度、肝に銘じようではないか。

『武田信玄』~火の巻~ 新田次郎・著


20140705
コチラ

武田信玄「林の巻(第二巻)」は
20140712
コチラ


20130124aisatsu


☆次回(読書案内No.135)は新田次郎の「武田信玄 山の巻」を予定しています。


コチラ から
★吟遊映人『読書案内』 第2弾は コチラ から





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最終更新日  2014.07.26 04:25:57
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