青森から酒田まで 0
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土曜日「JRさわやかウォーキング」『掛川城天守閣開門30周年!風薫る城下町の掛川散策』に参加。朝9時前に掛川駅到着、地図をもらって出発。さわやかウォーキングに参加するのは何年ぶりだろうか参加者の大多数がジジババというのは相変わらずである。晴天の掛川城、暑くなりそう、しばらく川筋を歩いて「十九首塚」その昔、関東で討ち取られた平将門の首を、京から差し向けられた勅使が、この地で将門以下19人の首を検視した。検視済の首はこの地に葬られ、今でもこの辺りの人々によって祀られている。少し暑くなり、熱中症が気になる。やがて資生堂企業資料館に到着。18年前、初めて「さわやかウォーキング」に参加した時に見た見たポスターを探す。前田美波里!1966年のポスターだった。爺 二十歳か。MG5は1968年、男性用化粧品のCMではチャールズ・ブロンソンの『う~んマンダム』の方が印象に残っているなあ。昔はいろいろ試したものだが今ではヘヤトニックさえも たまにしか使わない。今日はヘヤブラシだけ『うーん ジジクサ』たまには お洒落もしなくては いかんなあ!
2024/05/19
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先日の若狭・丹後街道ウォークでサンダルのかかとの減りが気になった。このウォーキングサンダルは昨年「ヒマラヤ岡崎店」の開店セールで買ったものだが、買った当初からあれこれ不満な箇所が多かった。先日の若狭・丹後街道では靴擦れにより大きな水ぶくれができた。まだ履いて履けないことはないのだが、今日 思いきって買い替えた。2020年秋、弘前から秋田を歩いた時、街道歩きに初めてサンダルを使用した。使ってみると足に良い。足によろしき履き物サンダルはウォーキングシューズに比べると耐久性がない。この4年間で5~6足買い替えた。いずれもナイキ製品だったのだがウォーキングサンダルは人気がないのか店頭にあるナイキ製は、今のと同じものしかなかった。仕方なくNew Balanceを選んだ。明日は「JRさわやかウォーキング」に久しぶりに参加する予定。朝早く普通列車を乗り継いで出掛けよう停車駅25!昼過ぎにはゴールできるから天竜浜名鉄道で掛川から天竜二俣まで行き「大久保彦左衛門 詫び状 原本」を見て大久保彦左衛門詫び状原本をこの目でみたら天竜二俣から新所原まで「天浜線全線乗車」を楽しもう。、
2024/05/17
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昨日の風雨が嘘のような穏やかな朝。なんとなく心も軽く、朝食後の散歩に出た。田植えの済んだ田んぼにはシラサギの群れが見えるが、私の姿を察して飛び立って行った。満々と水を湛えた田んぼに山法師が映って見事。若狭・丹後街道を歩きおえて 1ヶ月、旧街道日本一周の目標を達成した後のことを考えていなかったためか、なんだか腑抜け状態になっていた。今朝の青空みたいにスカッとした日常を取り戻さなくてはならない。「創めることを忘れなければ、人は老いません。」〈日野原重明〉休養終了!
2024/05/14
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10日前には「ぶよぶよ」だった足の水ぶくれ、水がすっかり乾いて痛みも痒みもなくなった。とはいっても内出血の痕みたいな皮が残っている。齢七十八の爺でも10日ほどで ここまで回復するとは身体の不思議。水ぶくれが破れないようにウォークを控えていたから体がなまってしまったような気がする。天気が回復したら少し歩いて見るかな。
2024/05/01
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ウォークから帰って5日になる。腰の痛みはずいぶん良くなったのだが、右足に出来た水ぶくれは一向に小さくならない。歩くと水ぶくれが擦れて破れるかもしれないから、ほとんど家のなかで裸足ですごしている。つぶさずに置けば そのうち治ると思うのだが、ぶよぶよとした水ぶくれは一向に小さくならない。3月いっぱいでスポーツジムをやめてしまったので家でストレッチをやるだけ早く次のウォーキングの予定を組まなければ体重のコントロールができない。今夜は次女からの差し入れ北海道産ミンク鯨の刺し身をズケにした。水ぶくれ、病院で手当てした方が早く治るのだろうか。
2024/04/25
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左腰(大腿骨)に痛みを感じて帰宅。昨日はあまり動き回らず静養。今朝はかなり痛みが和らいだのだか右足に出来た水ぶくれが気になる。ウォーク初日、木の芽峠を下る急斜面でウォーキングサンダルと足のスレ具合が気になった。その夜、バンドエ★ドで手当てしたのだが、次の日も、3日目も30キロ越えだった。絆創膏を剥がしてみると、赤みを帯びていたのが小さな水ぶくれになっていた。大きい絆創膏に取り替えてみたのだが、4日目の夜の水ぶくれは かなりの大きさになっていた。水ぶくれを潰さないよう気をつけて手当てをした。いま思えば最終日の5日目、水ぶくれのある右足をかばいながら歩いたからだろう。24kmの行程の半分を進んだころ、突然左の腰の辺りに違和感を感じた。だましだまし歩いて大江駅に着いた。駅前の食堂で昼食をとりながら考えた。腰の痛みだと思ったのだが、どうやら大腿骨らしい。このまま残り10キロ近くを歩くか、それとも2駅8キロほどを電車に乗るか。大腿骨の痛みというのは初めての経験。悩んだ結果、電車に乗ることにした。帰宅後2日経過大腿骨の痛みは かなり和らいでいる。足の水ぶくれは まだそれほど変わりはない。このサンダルで昨年、高知~松江、松江~徳島を歩いている。この時は異変はなかったのだがそれ以前のサンダルとは少し作りが違っていた。ほんの少しなのだが下のサンダルは水ぶくれの位置にあるベルトの幅が広いようだ。次のウォークでは、また元のウォーキングサンダルに戻そう。
2024/04/21
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最終日、舞鶴市から福知山市牧駅まで24km 。牧駅からの列車の連絡を考えて7時半出発。気温12℃、少し肌寒いくらい。順調に歩いていたのだが、前方に人の姿これを追いかけて少しピッチを上げるこれが悪かったか左腰下に違和感。構わす歩いていたら痛みが出てきた。酒呑童子伝説の大江山のある大江についた。駅前に鬼瓦公園がある、全国の鬼瓦製造会社の作品が展示されている。駅前の食堂で昼食おまかせ定食700円、おでんコゴミ、タラの芽、ウド、筍の味噌汁コーヒー、デザート腹一杯になったら、ますます腰が痛くなってきた。あと8kmなのだがこれ以上は無理なようだ目的の牧駅まで3駅7km、列車で行った。駅からゴールの山陰道追分までは歩いた。不本意ではあるがゴール!牧駅に戻り福知山へ福知山から山陰線で京都、新幹線に乗り継いで三河安城から岡崎。腰は痛めたが なんとか無事家にたどりついた。愛知県高浜市の鬼瓦もあった。
2024/04/19
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4日目朝食を済ませて8時前にホテルを出た。昨日までと違って涼しい。今日は国道27号をひたすら歩き175号に分岐してしばらく歩く、距離29km0。9時過ぎトンネルが待ち受けていた。歩道はない。ヘッドライトを取り付けて歩く。トンネルを出て下り道上ってくる自転車と出会った。立ち止まって話をした。日本語ペラペラの韓国人マイ自転車で福岡からやってきた2ヶ月のサイクリングリタイア後だから心配ない。またしばらくさかを下ると若い外人の自転車に出会った。うまく会話がすすまない、すぐに別れた。昼過ぎ舞鶴市に到着、赤レンガパーク海上自衛隊横を歩いた。次に田辺城跡を訪ねた。細川幽斎の居城、平城。4時過ぎ 舞鶴市上福井のホテルに着いた。ここは天然温泉、なのだが宿泊棟と温泉施設は200mも離れている。食事も同じなのだ。明日の朝食、面倒だな。
2024/04/18
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昨日のゴール若狭有田駅を9時30分出発。出発後しばらくして国道27号。途中の道路脇に古墳が2ヶ所あったが興味なし、外に見るものもなく、ただただ歩く。小浜を過ぎて550mのトンネルリュックのポケットからヘッドランプを取り出し防止に装着、マジックテープのお陰であっという間一応トンネル手前で立ち止まっての作業安全第一同じくらいのトンネルを3つ越えた。国道27号と言ってもトンネルに満足な歩道はない。ヘッドライトのお陰で対向車の運転手がスピードお落としセンターライン寄りを走ってくれる。もちろん左の白線ギリギリを通るヤツも多い。歩道があってなしが如しというのが一番の問題なのだ。小浜市を過ぎて「おおい(大飯)町」に入ると突然、自転車も悠々走れる歩道が現れた。歩道脇には総合運動場や道の駅ほかいろいろな町営施設が並ぶおおい町のとなり高浜町に入ってもほどうは続く足取りも軽くなる高浜町にもいろいろな施設が並んでいる。おおい町の道の駅から いくらも離れてないのに高浜町にも道の駅しかも温泉設備がある。それもこれも原子力発電所のおかげだ国道は国土交通省の管轄だから原発は関係ないと思えるのだがそこはそれ なにかの思惑、忖度が働いたかそんなことを考えながら高浜町のホテルに着いた。
2024/04/17
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敦賀駅前から27号線を通って若狭有田駅まで33kmのコースだった。何にも問題はないと思った。ところが敦賀から美浜へ入るトンネルの手前で「自転車、歩行者通行止」の表示が出ている。Googleマップが選んでくれたコースなのに!迂回路は225号がある、かなり戻らなければならない。トンネル越えのヒッチハイクをやることにした。27号侵入路でやってみた。なかなか停まってくれない。6台目か7台目の車が停まってくれた、石川ナンバー、女性。トンネルを越えたところまで乗せて欲しいというと快諾。トンネルを通り27号から出て225号で降ろしてくれた。「ご親切に ありがとう」それからは順調に歩けた。美浜の海2日目 33km、かなり疲れた。足に豆が出来た!明日は31km。ガンバろう頑張れるか?
2024/04/16
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旧街道の峠越えはどこの道もきついのだが、北陸古道木の芽峠は、きつかった。今朝早く かみさんに岡崎駅まで送ってもらい、6:11の快速電車に乗った。敦賀からは北陸新幹線「敦賀」開設で第三セクターになったばかりの「ピュアラインいしかわ」にのりかえて9:28 南今庄に着いた。待合所でウォーク支度をして出発したら9:50になっていた。目指すは「木の芽峠」二ツ谷宿二ツ谷関所跡言奈地蔵木の芽峠(高602m)およそ9kmの距離だが近づくにつれて勾配がきつくなる。最後はスキー場のてっぺん辺りを横切った。言奈地蔵ここを越えるとすぐ木の芽峠の前川家屋敷二ツ谷で出会った方が「お爺さんが亡くなって空き家になっている」と教えてくれた。紀貫之、紫式部、道元、源義経、蓮如上人、芭蕉、水戸天狗党も明治天皇も通った。道元禅師明治天皇御膳水紫式部親鸞上人、蓮如上人水戸天狗党峠からの下り道は上りより急斜面だった。ふもとまで4km、さらに10lm歩いて、午後5時ようやく敦賀駅前に着いた。久しぶりの本格的歩きが峠の上り下りだったので とにかく疲れた。午後8時、9時になったら寝よう
2024/04/15
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北国街道・丹後街道ウォークの出発日が近づいている。4泊5日、宿はとっくに予約済み。トンネル通行用のベッドランプは、ワンタッチで帽子に脱着出来るよう3月のうちに改造した。ついでにアゴヒモを取り付けたから、ランプの重みで帽子がぶれたり風で飛ぶのが防げる。雨具はこれまでのもので良いだろうと思っていたが、数日前の雨の日に身につけて試してみたら、カッパと撥水ズボンは期待通りだったが、足の防水用に靴下の上にポリ袋を被せたのは、水溜まりに入ったら水が浸透してしまった。ポリ袋の底のつなぎ目から水が入るのだ。シームレスのものを探すため100均に行った。ビニール製防水靴下というのを探していたが思うようなものは入荷していなかった。シリコン靴カバーというのがあった。シリコンの靴カバーというのは4~5年前使ったことがあるが、マンホールの上で何度も滑って転んだ経験があるから却下、しかしこれをそのまま靴下の上に履いたらどうだろうと思いついた、試しに買って帰った、通気性がないから汗で蒸れるかも知れないが、なかなか良さそう、携行決定。ついでに使い捨てのリュックカバーも買った、さらに、ショルダーバッグ用に防水カバーを作った。ショルダーバッグはこれまでのウォークでは利用してなかったのだが、財布とスマホが一体になり、マスクと「ジパング倶楽部会員手帳」も収納出来て便利。これにて「トンネル対策」「雨対策」 完了!あとは「道中の着替え」と「病院処方薬」「スマホの充電器」「水とおやつ」の準備くらいか。雨対策が出来ていても降らぬに越したことはないのだが、「弁当忘れても傘忘れるな」の土地を歩くのだ、2週間予報では2日くらいは降られそうな気配である。せめて「木の芽峠越え」の初日だけでも降らないで欲しい。
2024/04/11
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腰痛が治まった昨日、岡崎城まで歩いて来ました。途中、いつものベンツ販売店前のコンビニでコーヒー&シュークリーム休憩。無事、お城に到着しましたが桜には数日早すぎたようです。今回の登城の主目的は桜じゃなくて松でした。岡崎城は正面に植えられた松の樹2本が邪魔で、良い写真が撮れませんでした。それが先月、石垣保存と眺望改善のために伐採されたのです。誰が決めたことかわかりませんがグッドジョブ!これまでの写真はあれれ 右の1本は残しても良かったような、、いや 外野のつぶやきです。花には早いし月曜日グレート家康公「葵」武将隊の周りに人影うすく記念写真を撮ってもらいました。帰り道 マクドナルドのビッグマックセット無事帰宅今日は休息日です。
2024/04/02
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4月、今庄から敦賀を経て丹後街道を歩く予定。第1日は今庄を出て木の芽峠を越える行程になる。この行程は古来、多くの著名人が越えている。その中に 紫式部がいる。紫式部は、長徳2(996)年夏 父藤原為時が越前国司として赴任するのに同行し越前国府(武生)に滞在した。長徳3(997)年初冬には、父と別れて帰洛。翌長徳4(998)年、藤原宣孝(のぶたか)に嫁ぎ、一女をもうけている。「紫式部集」には越前滞在中の歌として 降り積みて、いとむつかしき雪を掻き捨てて、山のやうにしなしたるに、人々のぼりて、「なほ、これ出でて見たまへ」といへば27 ふるさとに かへるの山の それならば 心や行(ゆ)くと ゆき〈雪・行き〉も見てまし〈注釈〉 降り積もって、たいそううっとうしい雪を掻いて捨て、山のように積み上げたものに、人々が登って、「やはり、これを出てきてご覧ください」と言うので 故郷へ帰るという名のあの鹿蒜(かえる)山の雪ならば、心が行く(気が晴れる)かと出かけて行って見もしましょうが越前から帰る道での歌 都の方へとて、帰る山越えけるに、呼び坂というなる所の、いとわりなきかけぢに、輿もかきわづらふを、おそろしと思ふに、猿の、木の葉の中より出で来たれば81 まし〈猿・汝〉もなほ 遠方(をちかた)人の 声交はせ われ越しわぶる たごの呼び坂〈注釈〉 越前から都の方へ帰ろうとして、鹿蒜(かえる)山を越えるのに、呼坂とかいうところの険しい山道に、輿も通りかねるのを、恐ろしいと思っていたところ、猿が木の葉の中からとてもたくさん出てきたので、 猿たちよ、遠く離れてはいるけれど、田子の呼坂という名前の通りに呼び声を交わしなさい。わたしが越えるのに難儀している、この坂を無事通り抜けられるように。参照 平安王朝クラブ鹿蒜(かひる・かえる)山、万葉集では越前の枕詞として知られていた、越前国を嶺北と嶺南に分かつ鉢伏山を指すようだ。鉢伏山の木の芽峠を通る道は天長7年(830)年ころ開かれたそうである。紫式部が輿にのって越えた木の芽峠を、77歳のジジは二本の足で越えようというのだ。気がかりは「熊」と「天気」だ。もうひとつ「弱気の虫」というやつ。国道の木の芽トンネルを通る道はなだらかな坂道だよ。でも これまでトンネルでは何度も危ない目に会っているからなぁ。千国街道でのこと北国街道とその他でのこと一人歩きは危険と隣り合わせなのだ。安全第一を肝に銘じて歩こう。
2024/03/29
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4月の街道ウォークに向けて、帽子の改造をしている。昨日は100均のアゴひもを取り付けた、これで強い風が吹いても帽子が飛んでしまうことはないだろう。続いて今日は100均のマジックファスナーで帽子にヘットランプを着脱出来るようにした。これでトンネルを歩くときの安全性が増した。福井県を嶺北・嶺南に分ける鉢伏山・木の芽峠を越えるのに熊出没の危険性とトンネルの狭い歩道の危険性と、どちらを選ぶか、それが問題だ。16キロの木の芽峠越え(黄線)は、芭蕉が歩いた道である、幕末には水戸天狗党が平安時代に紫式部も越したと言われる古道、13キロの国道経由(青点線)は、きつい坂はないけれど1.8キロの木の芽トンネル(赤線)を歩くことになる。ヘットランプの準備はしたけど悩むなあ
2024/03/26
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花見の季節だというのに雨が続いている。近所の河津桜も満開の時期を逃して、すっかり青葉。毎年行くシダレ桜の名所は天候不順で九分咲きというところ。雨だから人は少ないだろうと思っていたら3ヶ所ある駐車場は満車、別のお寺の駐車場に停めた。日曜日てもあり太鼓のイベントもあったので大勢の人で賑わっていた。今日も朝から雨。4月の一人歩きの準備をした。南越前町今庄から敦賀、舞鶴を経て福知山市牧の山陰道追分まで145km途中4泊のビジネスホテルは既に予約済み今日の仕事は帽子が飛んでいかないよう「アゴひも」を着けること。帽子は半年前に忘れたものが、思いがけず戻ったという珍品。忘れた帽子が帰ってきたアゴひもは100均で買ってきた。今度のウォークでは今庄から「木の芽峠」を越える予定だが、旧道というよりは古道といった方がよいという、人通りのない山道を歩くのだ。石川県の熊出没状況サイトを見ると冬眠期だというのに目撃情報が多い、幸い今庄より南では目撃されていないようだ。ただし、私が歩くのは4月。冬眠している。熊も出てくるころではないだろうか。現地に着いたら、「熊情報」を確認して、危ないとおもえば国道の「木の芽トンネル」を歩こう。そのために、簡単にヘットランプの着脱が出きるようにしたい、明日また100均でマジックテープでも買って来よう。
2024/03/25
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ここ数日雨の日が続いた、1日2回の散歩は、降りやんだ時を狙って続けている。今日は陶芸の日だったから午前の散歩はやめ「天皇誕生日」雨が降っていたが日の丸を掲げた近所で国旗を立てるのは わが家だけ、どうしてこうなったのか今日の陶芸は素焼きの済んだ作品に釉薬をかけてガス窯に詰めるまで午前中に終わった。午後は行きつけの喫茶店で漫画週刊誌と週刊新潮を読んだ。この店は日の丸を掲げていた4時すぎ帰宅雨があがっていたので散歩途中で 散歩中のかみさんとすれ違った同じコースを歩くのだが2人そろって歩いたことはない。いつか一人で歩くのが心配になるまでは、それぞれのペースで歩けばいいさ。明日は久しぶりに青空が広がるらしい遠出するかな。
2024/02/23
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毎日の1回か2回の散歩と気が向いたらスクワットで足の筋力を保っているつもりだがたまには本格的に歩かなければとの思い本当に久しぶり家から歩く一番軽いコース「幸田町大久保彦左衛門陣屋跡」を選んだ。9時45分出発、途中コンビニでトイレ休憩をはさみ、11時15分陣屋跡の八百富神社に到着。慶長19年1月小田原城主大久保忠隣(ただちか)失脚大久保一族と大久保家に関わりのある大名が連座処分された。大久保彦左衛門も二千石の領地を召し上がられたが直後、徳川家康公より三河国坂崎(愛知県幸田町)に千石の領地を賜った。この年、大坂冬の陣には彦左衛門、御鎗奉行として参戦、大活躍をした。家からここまで ちょうど7km、10000歩。まだまだ歩ける!!とは思ったが、左足の太ももに強い張りがある、しばらくストレッチして5分ほど座って休憩。こんなことは最近なかった、回復力が衰えたかも。帰路、喫茶店で昼食休憩カツサンド。20分ばかり休憩、かみさんに迎えを頼もうかと思ったが残り3kmと自分に言い聞かせて歩いた。なんとか家にたどり着いたのが13時30分、二万歩。着替えて昼寝2時間。回復!いい1日だった。
2024/02/12
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徳川家康の誕生日の12月26日にお参りするはずだった新城市鳳来寺に昨日、行ってきた。鳳来寺の本尊「薬師如来」に祈願して天文11年(1542)12月26日岡崎のお城で家康が生まれた。その時、鳳来寺の薬師堂から真達羅大将の像が忽然と姿を消し、元和2年4月家康が亡くなると同時に元の場所に戻ってきたと言われている。後に三代将軍家光によって鳳来寺山に東照宮が建てられた。とまあ、今回の歩きは果たせなかった思いを晴らすためのもの。10時半参道入り口の無料駐車場から歩き始めた。山頭火の句碑がある「山の青さ 大いなる御仏がおはす」句碑の横の石碑には山頭火の「旅日記」の一節が記されている原文を掲げておこう、四月廿二日 雨――曇。八時の電車で豊川へ、そして鳳来寺へ。水筒には護摩水がいつぱい、辨当行李には御飯がいつぱい、ありがたう/\。〈中略〉さらに電車で鳳来山へ。――駅からお山まで一キロ、そこからお寺(本堂)まで一キロ。石段――その古風なのがよろしい――何千段、老杉しん/\と並び立つてゐる、水音が絶えない、霧、折からの鐘声もありがたかつた。本堂前の広場でおべんたうをひらいて一杯いただいた。ゆつくりして、二時半の電車で、四時すぎ帰来、よい湯に入れて貰い、おいしい御飯を戴いた。〈中略〉 鳳来寺 トンネルいくつおりたところが木の芽の雨・ここからお山のさくらまんかい たたずめは山気しんしんせまる 春雨の石仏みんな濡れたまふ・石段のぼりつくしてほつと水をいたゞく・人声もなく散りしいて白椿(薬師院)・霧雨のお山は濡れてのぼる・お山しづくする真実不虚・山の青さ大いなる御仏おはす 水があふれて水が音たてゝ、しづか・山霧のふかくも苔の花 ずんぶりぬれてならんで石仏たちは 水が龍となる頂ちかくも・水音の千年万年ながるる・石だん一だん一だんの水音 霽れるよりお山のてふてふ「たたずめば 山気しんしんせまる」の句碑宮沢賢治? いえ、若山牧水でした、牧水も来たの、来たのです、「仏法僧」の声を聞くため6日間も滞在しています。牧水「鳳来寺紀行」「仏法僧仏法僧と なく鳥の声をまねつつ 飲める酒かも」牧水芭蕉は腰痛で途中から引き返したそうです。そうこうするうちに約1200m歩いて鳳来寺山登り口到着(10:56)いきなりの急な階段!300段くらいで「傘杉」(11:09)終盤になるほど急階段になる見えた!最後のひと踏ん張り本堂到着、奥の院はやめた(11:54)家光建立の東照宮には参拝者数人下り道は石段から足を滑らさぬよう、転がり落ちぬよう 全神経を足元に集中して降りた。登り1時間、下り50分ヒジョウに疲れた、今朝はふくらはきの下部が痛い。
2024/01/05
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春になったら福井県今庄駅から敦賀、舞鶴、宮津を経て福知山の山陰道追分まで歩こうと思っている。前後2回に分けることにした。1回目の第1日は米原まで新幹線「こだま」、米原から敦賀まで「特急しらさぎ」、敦賀から普通列車で今庄の計画。岡崎629~639三河安城659こだま米原810しらさぎ敦賀847~902今庄 今庄板取宿・関所跡木ノ芽峠トンネル1783m武田耕雲斎本陣跡敦賀駅(24km)いつものウォークと同じく万全の計画のはずだった。北陸新幹線 金沢~敦賀間開業が3月16日敦賀の宿が取りにくくなるかもしれないが、3月後半に出発としようかなんて考えていたら『JRが廃止届提出「金沢~敦賀」2024年春から新会社へ移管「北陸本線」わずか46kmに』2023.02.28 乗りものニュース編集部という記事を見つけた、金沢~敦賀間は新幹線開業と同時に第三セクターに移管するというのだ。特急しらさぎは敦賀までとなるのはわかったが、敦賀から金沢の普通列車時刻表は、はっきりしない。今庄を10時までに出発出来れば暗くなる前に敦賀にたどり着けるのだから、そう心配することもないかもしれない。まだ3ヶ月も先のこと、そのうちわかることとしておこうか。
2023/12/21
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さくらが亡くなる1週間前くらいから10年近く続けてきた朝夕の散歩をしなくなった。さくらが死んで2週間が経つから、もう3週間も歩くのをやめていることになる。この間、朝暖かくなる時間に歩いたことは何度かあるのだが、リードとシャベルを持っていた両手を、どう扱っていいのか戸惑うばかりその上 首肩痛で処方してもらった薬でふらつきの副作用が出て歩くのが億劫になった。そうこうするうちに、万歩計の電池も切れてしまった。そんなものコンビニで買ってくればいいのだが、1日延ばしに延ばしてしまった。昨日、かみさんと買い物に行ったついでに家電量販店で買ってきた。薬の副作用も医者に叱られて、こんなものと納得。副作用のフラツキだけでなく体重増加も現れているようだ。かみさんに言わせれば、「薬のせいじゃなく食べ過ぎ」なのだがやはり運動不足、明日からはまた朝夕2回の散歩を再開しよう。
2023/12/12
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10月の松山~徳島ウォークの初日に松山にある種田山頭火終焉の地「一草庵」に立ち寄った。その日が、山頭火の命日「一草忌」にあたることを、出発直前に知った。10月11日昼過ぎ「一草庵」に着いた。普段はガラス戸越しに内部を見るのだが、この日は屋内に招じ入れられて仏壇に焼香までさせていただいた。ガラスケースに山頭火が行乞に使った鉄鉢(てっぱつ)と、愛用のキセルがあった。鉄鉢の大きさは「帰って来た鉄鉢を計ってみた。鉄鉢は、幅一六八・八ミリメートル、開口部一四一・二ミリメートル、高さ八〇・〇六ミリメートル、重さ二一〇グラムである。」(藤岡照房著「山頭火の謎」)これを山頭火は「午後は近在行乞、家から家へ歩きまわっているうちに、何だか左胸部が痛むようなので、二時間ばかりで切りあげた。それでも米八合あまり頂戴している。さっそく炊いて食べる。まことに「一鉢千家飯」、涙ぐましくなる。」(其中庵日記)一草庵に句碑が建っている。「春風の鉢の子ひとつ」もう一つ「鉄鉢の中へも霰」の碑があるのだが、急ぎ旅だったので見のがしてしまった。山頭火が「鉄鉢」を詠んだ句を探して、次の5句を見つけた。鉄鉢の中へも霰春風の鉢の子一つ秋風の鉄鉢を持つ鉄鉢をたたいて年を送る木の葉ふるふる鉄の子へも種田山頭火は山口県の生まれなのと「全国を放浪」していることで以前から思い入れはあるのだが、よくよく考えてみると知らないことの方が多い。句集は山頭火句集「草木塔」がある。私が思うほどに「山頭火」は有名ではないのだろうか。Googleで「山頭火」を検索すると「山頭火ラーメン」がズラリと出てくる。どんなものかとコンビニでカップラーメンを買ってみた。旭川豚骨ラーメン「山頭火」豚骨ラーメンなのに太麺私には博多豚骨ラーメンの細麺がいいかな。
2023/11/18
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四国ウォークから帰宅して2週間たった。帰宅9日目に岡崎公園まで往復したとき痛めたのか、ここ数日腰痛に悩まされている。認めたくはないが年齢的に疲労回復力が落ちているようだ。というわけで、次のウォーク計画は「5泊6日174km」をやめて「1泊2日59km」と「3泊4日115km」の2回に分けようかと考えている。丹後街道,宮津街道★★★1回目1泊2日59km1-1日目★岡崎611~大垣・米原810しらさぎ敦賀847~902今庄 今庄~敦賀25km1-2日目敦賀~上中駅34km★上中~敦賀・米原快速~岡崎★★★2回目3泊4日115km2-1日目★岡崎703名古屋ひかり京都~近江今津バス1005上中上中駅から大飯高浜30km2-2日目大飯高浜から舞鶴28km2-3日目舞鶴から与謝野駅27km★与謝野~天橋立2-4日目★天橋立745→与謝野駅与謝野~牧30km★牧~福知山(特急)京都~名古屋~岡崎1回目の敦賀2回目の舞鶴と天橋立は、名所めぐりも計画にいれよう。熊出没や、にわか雨の心配のなくなる来年4月実行かな。
2023/11/01
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四国一周歩き終えて「旧街道日本一周」も「一応」完歩したのだが、日本海側で歩き残した街道が、どうも気になる。長期の歩きは先日の「松山~徳島9日」で終わりにして、これからは3・4日の短期のウォークと決めたのにウォーク疲れが解消するにつれ「次のウォーク」への思いが頭をもたげる。赤い色の街道は踏破済み、オレンジの街道は丹後街道と宮津街道、敦賀から舞鶴・天橋立を経て福知山の牧(山陰道追分)まで。2022.10月山陰道追分北国街道今庄から歩くと174km。Googleマップで約30km間隔でビジネスホテルを探して2日ばかりで旅程完成。現代の国道がほぼ旧街道だから、迷うことはない。初日と最終日は峠越えが控えているのだが、金比羅さんの石段で威力を発揮した「秘密兵器ALUQ」があるから、心配はいらない、、、と思う。★★★★★5泊6日丹後街道・宮津街道174km★★★★★1日目岡崎→敦賀→今庄今庄~敦賀25km2日目敦賀~若狭32km3日目若狭~若狭高浜34km4日目若狭高浜~西舞鶴23km5日目西舞鶴~天橋立~与謝31km6日目与謝野~国道176号~牧29km牧→福知山→京都→岡崎★★★★★これからは4日以内のウォークと言った先から、6日の行程になってしまった。でも、まあ、来春くらいだったら、まだまだ十分、歩けるだろう、なんて思っているのだが、どうだろう。
2023/10/30
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「家康行列」の今日、8km歩いて岡崎公園まで出かけた。5km地点のベンツ・ディーラー前のいつものコンビニで休憩。兜キャップは部品が取り付けてなければ普通の野球帽。公園到着は正午。葵武将隊のいる広場に行き、兜キャップに部品を取り付けたのだが、一緒に写真におさまりたかった隊員が一人もいない。今日は家康行列の方に行っているのかもしれない。お城をバックに記念すべき「公園デビュー」こんな格好をしていても意外と目立たないようで安心した。お城の前の広場で爺と同じ格好のワンちゃん発見。ツーショットそこら中 立ち入り禁止の区画ばかり、このまま行列の到着を待つ気になれず、家に帰ることにした。行列の様子は「岡崎チャンネル」の中継で十分。本田平八郎忠勝榊原康政井伊直政淀どの10日間ぶらぶらしていたので足の筋肉がかなり落ちているのを感じた1日であった。
2023/10/28
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四国ウォーク9日目、いよいよゴールの日を迎えた。当初の計画では国道11号線沿いを歩くことにしていたのだが、旧街道ウォークの最後は やはり大阪峠を越える旧道(県道1号線)を歩くことにした。大阪峠はスタート地点から6km。登り口を目指して歩いていたら私より年配の男性に出会った。大阪峠越えで徳島に行くというと、遍路道を行くようにすすめてくれた。右に折れ線路下をくぐるとすぐ登りになった。道幅は広い案内看板少し行くと旧道説明看板大坂峠みちの移り変わりあなたが今歩いてきたこの旧道は、明治七年着工し、明治八 完成したものです。 それまで険しかった山道が、とても平坦 で良い道になったと「大坂峠改修碑」には書かれています。こ れは「歩荷」(人が荷物を運搬する)の道から、駄荷(牛馬によって荷物を運搬する)や車の道 に大改修されたのです。「歩荷の道」から「駄荷や車の道」へ の発展は、阿讃の物流の増大が直接の原因であり、<後略>ちょっと休憩中県境最後に階段があるとは思わなかったが、これを越えて大阪峠に着いた。下りは遍路道の急坂を避けて県道を歩いた。そのまま何の変哲もない道をひたすら歩いて15時ゴールの徳島駅に着いた、所要7時間半。お土産を買って15時30分発の高速バスに乗った。鳴門・淡路島を通って新舞子、そこからJRで西明石まで行き新幹線に乗る予定だった。ところが、一瞬うとうとして新舞子で降りるのを忘れた。次の停留所「神戸三宮駅前」で乗り越したと運転手に言ったら終点が「新神戸駅前」だから、そこまで乗った方がいいと言ってくれた。新神戸駅でバスから降りたら、当初乗る予定だった「ひかり」に乗れた。そんなこんなで20時30分に家に着いた。四国街道ウォーク達成&旧街道日本一周達成の記念すべき日にしては、なんとも慌ただしい1日だった。
2023/10/21
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8日目、志度で日本旅館の朝食7時半には出発、すぐに四国八十八ヶ所86番志度寺の門を入って、平賀源内の墓参り。源内は、ふとしたことで人を殺め江戸伝馬町の牢内で病死した。東京台東区に墓があるらしい。朝早く宿を出たのは、この日は30km歩き、到着地から宿までバスに乗るため余裕を持たせたかったのだ。昼は、またまた讃岐うどん24km地点の白鳥に今夜の宿、立ち寄ってリュックを預かってもらった。急に軽くなって腰が定まらなかったがスピードは出ている感じ。途中の駅前にあった看板NHK朝のテレビ「ブキウギ」笠置シ子の出身地なのだ。ここから少し徳島方向に歩いてバスで引き返した。バスを降りたのは「白鳥神社」停留所。白鳥神社は白鳥となったヤマトタケルノミコトの霊が舞い降りた場所と伝えられている。この神社には日本一低い山があるという。高さたった3.6mの「御山(みやま)」平地なんですけど。社務所で「御山登山証明書」をいただいて、門前のお菓子やさんで証明印を捺してもらった。すべて無料。
2023/10/20
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ウォーク7日目、本来だったら休養日にするところだが、高松城を見て志度まで歩いた、16km。高松城は13年前、本丸が工事中だった。本丸を再建するのかとおもっていたが、発掘調査だけだったらしい。ここの堀には鯉ではなくクロダイが泳いでいる!3時に志度に着いた。江戸の奇才・天才「平賀源内」の生まれ故郷。源内旧宅にある像源内記念館も入った。記念館のすぐそばに今夜の宿。久しぶりに米をちゃんと食べた。
2023/10/17
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朝7時過ぎ琴平のホテルを出発。信号交差点を渡ると いきなり「日柳燕石(くさなぎえんせき)旧宅 吞象楼」に出くわした。日柳燕石について あまりよく知らないのだか、幕末長洲藩士「高杉晋作」が幕吏に追われていたのを助けて長洲へ逃がしてやったというようなことだった。昨日の土佐・伊予街道の案内にも出ていた。歩いていると「まんのう池 5キロ」の表示があった。法然上人が流罪になって住んだところだったという記憶があるのだか、詳しくは知らない。それにしても10月も半ばを過ぎたというのに、今日もまた街道は25℃を越す暑さだった。27kmを歩いていて「栗林公園」に着いたの15時少し過ぎうだった。50年ぶりの栗林公園だった。疲れすぎてゆっくり見る余裕がなかった。公園のすぐそばのビジネスホテルに入ったのは16時半くらいだった。
2023/10/16
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四国一周ウォークにぜひ寄りたいと思っていた「金比羅大権現」前の晩の宿泊地「観音寺」から19km 、楽勝。と思ったのだが観音寺から国道377号線、歩けども歩けどもコンビニがない。2時間歩いて どうしようと思う頃、「モーニングはじめました」の看板を見つけた。「うどん屋」?「喫茶店」?座って休めれば どちらでも良い座って休めて400円。土地のご同輩がカウンターにじんどっていた。国道から旧道「伊予土佐街道」の急坂に入る。突然、坂本龍馬像龍馬も高杉晋作も通った道。この後すぐ金比羅さん参道に入った。本殿まで石段を上がる。本殿に詣でたあとは奥の院まで行くことにしている。大したことはない、いけいけ。石段が続く続く、後で調べたら583段。着いた!お賽銭、あげようと思ったが10円玉1枚しかない。お守りを買って一万円をくずして、思いきって千円を賽銭箱に入れた。「旧街道日本一周」、ここまでなんとか無事に来れたお礼。参道に並んだ寄進者の石碑に影響されたかもしれない。「金一封」っていったいいくら?3時過ぎ、参道のうどん屋で「肉ぶっかけ大盛」を食べた。ホテルに入って、ひとり酒盛り。明日は高松。
2023/10/15
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今日は20kmの行程だから、ゆっくり朝食をとって出発したかったのだが、目的地「観音寺」の天気は午後3時から雨の予報だった。あまり早くついてもホテルのチェックインができないだろうと、8時半出発。ホテルを出てしばらく旧讃岐街道を歩いた。川之江に入ると祭りの山車に出くわした。こんなに早くから繰り出すのか。山車は「太鼓台」というらしい。昨日の山車よりもかつぎ手(引き手)が多い。しばらく行くと また出会った。かつぎ手の衣装が面白い、少し行くとまたまた山車に会う!後ろの方から もう1台がやって来た。こんなに次々と見させてもらえるとはなんという幸運。5台目これで6台目7台目彼方に川之江城が見えた。商店街の中、8台目、「愛護班」と書いてある小さい山車。9台目がやって来た!子供たちが乗っている!商店街を行きすぎて国道に出た。今日という日のあの時間に出発しなかったら こんなに次々と山車に出会えなかったと思うと11日の山頭火「一草忌」に引き続き狙ったみたいにドンピシャ過ぎて怖くなるほどだ。今日の昼は国道沿いにあった魚屋さんの食堂を見かけて寄ってみた。看板らしきものもなく、なんとなくためらったのだが、入ってしまった。満席順番待ちは魚屋の入り口の椅子。すぐに名前を呼ばれて、食べたのは穴子の天丼定食。これがまた大正解・大満足・大満腹の1,350円。店を出て歩いていたら神社の前に差し掛かった。何気なく見たら「大平正芳」あの「あーうー」総理の大平さんか?神社の方に足を進めたら銅像が立っていた。間違いなく あの大平さんだ。そんなこんなで四国ウォーク4日目、疲れのピークにあるが、今日は素晴らしい日だった。明日は「金比羅詣で」、距離は23km。
2023/10/14
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昨夜は8時に寝入ってしまった。ひどく疲れたので朝起きられるか心配したが、足腰が多少痛むものの壮快。超簡単なパンとコーヒーの朝食てんで足りないそろそろ出発だ、
2023/10/13
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今回9日間のウォーク、無事ゴールできたら四国一周そして日本一周も完了。その記念すべき第1日が、なんと種田山頭火の命日。松山市郊外の「一草庵」が終焉の地で今日は「一草忌」のイベントがあるという。ということなので、今回の最初の訪問地は一草庵。句碑「春風の蜂の子一つ」托鉢の蜂の子と愛用のキセル焼香させていただいた。帰りに愚作を投稿させていただいた。一草忌 しおれ曼珠沙華 踏まぬよう (酔歩)一生一度の経験
2023/10/11
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次のウォークの出発地は松山市古町駅。ほんの20分も歩けば 種田山頭火終焉の地「一草庵」がある。ちょっと寄っていくかと調べていたらなんとその日が山頭火の命日。「一草忌」というらしい。なにかイベントをやっているのではないかと「ググッ」たが、古い情報が多すぎて良くわからない。Google bird を使ってみた。「一草忌」に松山を歩く、これも何かの縁だろう。一草庵に行こう!山頭火、享年57歳、最後の句もりもりもりあがる雲へ歩む 山頭火句集「草木塔」次女には チビの面倒を見てやった「お返し」に、留守の間「かみさんの相手」をしてもらおうか。
2023/10/08
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四国ウォークのゴールに向けて準備が整いつつある。リュックの中身は6月の「高知~松山」とほぼ同じだから点検して詰め込むだけ。前回と違うのはメニエールの薬(水薬)を漢方の散薬に変えてもらったこと、700gくらい軽くなった。今日はJR新幹線の切符を買ってきた。ジパングクラブの割引切符は「のぞみ」には乗れないが「ひかり」「こだま」利用で3割引き。みどりの窓口に行ったら先客が4人並んでいた。これは時間がかかるなと思いながら「みどりの券売機プラス」というのを見ていたら「ジパングクラブの割引切符も可能」と表示されているではないか。オペレーターとテレビ電話で対話しながら切符が購入できると書いてある。早速、呼び出しボタンを押した、画面になんの反応もないもう一度押したら、横からリアル駅員が出てきた。オペレーター呼び出しは画面の呼び出し表示を押すのだと教えてくれた。オペレーターがテレビ画面に出てきた。ジパングクラブの割引切符を買いたいというと。会員証の表紙を右の台にのせるよう指示があった。次に表紙を開いて顔写真のページを見せる。そして 乗車券購入申込書をみせた。特急券の日付未記入を指摘されちが、記入してOK。画面に発券内容が出てカード払いを申し入れカード挿入暗証番号を入れると、すぐにカードと切符が出てきた。切符を確認して購入申込書を指定の場所に投入したら完了。初めてなのに10分ほどで終わった!帰りがけ、先ほどの先客4人がまだ並んでいた。すごいもんだ!この装置にAIチャットを組み合わせたら、機械の向こうに待機しているオペレーターも要らなくなるな。こういった装置が普及したら少子化による労働者不足も ずいぶん補えるのではないだろうか。ここまで書いたところで、タイガが私の足に小便をして行った。チビにかまけることへの腹いせだろうか?みどりの券売機プラス
2023/10/07
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暑さが和らいだら、そして台風の心配が少なくなったら四国一周仕上げの旅に出よう。前回、高知~松山を終わって以来ずっと計画を立てては練り直しを続けて、ようやく歩けそうな日程が完成した。あとは宿の手配を残すのみ、10月中旬を予定している。※※※※※※※※※※※松山~徳島9日間232k※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※1日目 15km※※※※※※※※※※※岡崎638名古屋726ひかり913岡山925急1210松山松山駅金比羅街道横河原駅※※※※※※※※※※※2日目 36km※※※※※※※※※※※横河原標高190m→370m→3m壬生国道11号伊予西条※※※※※※※※※※※3日目 36km※※※※※※※※※※※伊予西条→150m→3m関川伊予土居伊予三島※※※※※※※※※※※4日目 20km※※※※※※※※※※※伊予三島観音寺※※※※※※※※※※※5日目 23km※※※※※※※※※※※観音寺琴平金比羅神社(往復2時間弱)琴平※※※※※※※※※※※6日目 28km※※※※※※※※※※※琴平栗林公園高松※※※※※※※※※※※7日目 15km※※※※※※※※※※※高松高松城志度平賀源内生家跡平賀源内資料館琴電志度→瓦町高松※※※※※※※※※※※8日目 30km※※※※※※※※※※※高松瓦町→志度志度讃岐白鳥讃岐相生駅相生1546bus/1651~讃岐白鳥讃岐白鳥※※※※※※※※※※※9日目 29km※※※※※※※※※※※讃岐白鳥讃岐白鳥805~822相生駅相生駅を過ぎ旧道県道1号大坂峠道の駅板野徳島駅徳島駅1630/1730~高速舞子舞子→西明石→ひかり→名古屋岡崎2029/2130※※※※※※※※※※※
2023/08/22
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6月4日 西予市のホテルを出て17km、大洲城に到着。城の麓に石碑が建っていた。写真から文字起こしをしてみた、間違いはご容赦。※※※※※※※※※※※近世日本思想史に大きな影響を与えた儒学者 姜沆の伊予での七言律詩錦帳名郎落海東絕程千里信便風鳳城消息鯨濤外鶴髪儀形蝶夢中両眼却慚同日月一心猶記旧鴛鴻江南芳草群鶯乱倘有飛艎返寓公錦帳の名郎 海東に落ち絶程千里 便風を信る鳳城の消息 鯨濤の外鶴髪(白髪)の儀形 蝶夢の中両眼却って日月を同にするを漸するも一心猶記す 旧の鴛鴻江南の芳草に 群鶯乱る倘(も)し飛艎有らば寓公を返せ※※※※※※※※※※※姜沆(1567-1618)については副碑に書かれている。『日本朱子学の父 儒学者 姜沆(かんはん)の碑朝鮮王朝時代のすぐれた学者姜沆かんはん(号睡隠)は豊臣秀吉が朝鮮に再出兵(慶長の役)したとき 藤堂高虎の水軍に捕らえられ二人の兄、濬・渙、家族らと伊予の大洲に連行されました。十カ月に及ぶ大洲城での姜沆の生活は学者として遇され 金山出石寺の僧らとの交遊 漢詩の唱酬で毎日を送る自由な身分でした。京都伏見の藤堂邸に移送されてから 江戸儒学の開祖となる 藤原惺窩 竜野の城主赤松広道 海運王吉田素庵らとの自由な交わりの中で惺窩は「四書五経倭訓」を完成しました。姜沆と二人の兄ら十数人が四書五経の大字本を筆写し惺窩がそれに和訓を加えて刊行したのです。近世日本思想の転換期に姜沆と藤原惺窩の友情は日本人も羨む程のものであり惺窩が儒学者として自立し得たのは姜沆の力があればこそでした。姜沆が日本儒学思想に与えた影響は絶大です。』京都で姜沆と交友関係を結んだ藤原惺窩は近世儒学の祖と言われ、その弟子 林羅山を家康に推薦した。羅山は朱子学をもって、家康から家綱まで4代の将軍に仕えた。幕府は朱子学を官学とした。大洲城下には中江藤樹(1608-1648)邸跡もある。藤樹は我が国陽明学の祖と言われている。近世日本儒学の2大潮流 「朱子学」と「陽明学」の源が伊予国の一地方 大洲に有ったというのは極めて面白いことだと思っている。「朱子学と陽明学がどう違うのか」ということは詳しく知らないのだが、陽明学の徒には魅力的な人物が多いようだ。中江藤樹(1608-1648)熊沢蕃山(1619-1691)荻生徂徠(1666-1728)上杉鷹山(1751-1822)佐藤信淵(1769-1850)佐藤一斎(1772-1859)二宮尊徳(1787-1856)大塩平八郎(1793-1837)山田方谷(1805-1877)河井継之助(1827-1868)西郷隆盛(1827-1877)吉田松陰(1830-1859)橋本左内(1834-1859)高杉晋作(1839-1867)陽明学を志した日本人より抜粋こんな本も見つけた陽明学に軍杯 かな
2023/06/21
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第2回四国ウォークは高知から四万十・宇和島を経て松山まで歩いた。5月29日新幹線とJR特急を乗り継いで高知。30日高知から須崎、31日須崎から四万十町、1日土佐大正、2日四万十市、3日宇和島、4日西予、5日内子、6日伊予、7日松山出発前から雨の日が多くなる予報だった。四万十といえば鮎、その解禁日は6月1日、取れたてのあゆを食べたい。その一心で日程を組んだのだ、多少の雨くらい問題ない。ところが早い梅雨入り、おまけに台風2号。29日夕方から雨、30日朝から夜まで雨、31日朝から昼まで雨、1日曇り時々霧雨。そして2日、線上降水帯に捕まった、夜明け前から猛烈な雨。JR土予線は始発から運休。街道歩きで初めて次の宿まで車で送ってもらった。これで厄が落ちたか3日晴れ、4日晴れ、5日曇り。天気続かず6日は雨、最終日7日晴れ。肝心の鮎は6月2日四万十市のホテルで夕食に出た。だけど若鮎にしては形が良すぎる。きいてみたら去年の鮎だった。前日、鮎釣り人を見たのだか、ホテルが手にいれるのは数日後かもしれない。一番の目的「四万十川の若鮎」は達成出来なかったが高知「ひろめ市場」では「ウツボのたたき」土佐大正では地酒「無手無策」と鰹の刺し身宇和島名物「鯛めし」松山城では水道の蛇口からオレンジジュースまあまあの旅だった。
2023/06/14
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本日昼過ぎ第2回四国ウォークから無事帰宅しました。29日は高知市内見物30日から歩き始めて以来、台風2号接近による連日の雨で、かつてない苦しい歩きが続きました。すべての宿を1ヶ月前に予約して、出発したらスケジュール通り次の宿泊地まで行くというスタイルが崩れてしまうかと思われましたが、なんとか宿の予約変更なしで松山に到着しました。松山からフェリーで山口県柳井港に渡り岩国の実家に立ち寄りました。今朝、8時すぎ岩国を出て午後1時すぎには自宅に帰り着きました。やれやれと思いながら、もう第3回目のウォーク計画を練り直しています。
2023/06/09
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10日、岡崎から豊橋まで、「第9次21世紀朝鮮通信使ウォーク」に飛び入り参加した。朝、名鉄東岡崎駅までかみさんに送ってもらってワンデイウォークの申し込み。ゼッケンをリュックに付けてもらった。8時出発予定だったが、岡崎市長がわざわざ駆けつけてくださってセレモニーが始まった。8時半出発ソウルからずっと歩いている日韓の隊員20数名、大阪から参加の隊員10数名、当日参加10数名。大勢の隊員が2列で歩くのだから信号の都度列が延びる、先頭は何度も立ち止まって後続を待つことになる。岡崎~豊橋間33km、一体何時間かかるやらと心配になったのだが、そこは日韓のベテランウォーカーの集団、出発の遅れを取り戻して予定通りゴールした。東海道御油の松並木を歩く先頭集団。私は2009年第2次朝鮮通信使ウォークの時いただいたTシャツを着て参加した。午後5時過ぎ豊橋駅に到着。到着解散式のあと電車で7時に帰宅。風呂に入り、「金麦」500mlを飲んだらすぐに布団の中。10時間ぐっすり寝て今日はいつも通りの暇な老人生活。明日あたり足腰が痛くなるのかな。
2023/05/11
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四国ウォーク第一回、徳島から高知、210キロを歩き終えて4日目なんとなく疲れが取れない。昨日は久しぶりにスポーツジムでストレッチした後、ボサボサ頭をスッキリさせに散髪屋に行った。前々回に行ったとき次からは予約してと言われた。ポイントカードに店主の携帯番号を書いてくれた。前回は、電話で予約したのだが、この時ポイントが満杯になって300円の割引、ポイントカードは置いてきた。ウォーキング前、髪を切って出発したかったのだが店主の携帯番号を登録していなくて電話できなかったので、そのまま出掛けた。四国ウォーク中、カットのみの散髪屋があったのだが、どうせなら行きつけの店でやろうかと思った。帰宅したのが日曜日散髪屋は月曜火曜が休み。水曜日まで待って、店の空いている時間を狙って行ったら、客は誰もいない。大きな声で来訪を告げると、すぐにカットをはじめてくれた。カットが終わりシャンプーにかかる頃、予約した客が来てとなりの椅子に座った。散髪が終わり金を払うと店主が、次は予約してから来てくれと言う。予約したかったが電話番号を登録してなかったと説明したのだが、店主の携帯には私の電話番号が入っている などと言い出す。新しいポイントカードに携帯番号を書いてもらい、次からは予約するねと言って店を出た。行きたい時に行けない、散髪するのに予約して自分の時間を縛られるなど、自分には受け入れられない。次からは15分カットの店に行こうと決心した。今日は、しばらく行ってなかった喫茶店で週刊誌を見てきた。ウォーク中、果物を食べなかった私のために、かみさんが買ってきてくれたブドウを長女の仏壇にあげておいたら、タイガがかじっていた。なんでも食べる子じゃ!今夜の酒は、宮崎の焼酎「ISAINA」ワインのようなラベル全量芋焼酎原料九州産さつまいも、芋麹 と書いてある。芋焼酎でも普通は米麹を使っている。だからどう違う ということがわかるほどの舌ではないのが残念。サンチュ、唐揚げ、山芋、麻婆豆茄子だったかな。
2023/04/27
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土佐東街道ウォーク最終日は香南市の宿から高知駅まで23km。55号線が海から離れると見るべきものはない、ただひたすら歩く。出発から6時間、13時30分、高知駅に着いた。武市半平太先生、坂本龍馬先生、中岡慎太郎先生幕末「人切り以蔵」と呼ばれた岡田以蔵の墓に行きたかったが片道30分かかるのでやめた。宿でもらって使いきれなかったクーポン3枚を駅の売店で土産と飲み物に使いきった。2時過ぎの特急に乗車、「大歩危」、「琴平」など興味深い駅を過ぎて瀬戸大橋を渡り岡山駅へ。新幹線乗り換えまで11分、前日次女から頼まれた「高瀬舟羊羹」を買い込んで、なんとか「のぞみ」自由席に乗った。思いの外混んでいて3人かけシートの真ん中になんとか座った。うとうとしていて新神戸で顔を上げると通路にまで乗客がいる。新大阪でいったん乗客が減って通路側の席に替わったが、京都でまた通路に客があふれるありさま。名古屋から在来線に乗り19時15分岡崎駅。ここまで586kmをたった5時間!今回のウォークは7日間かけて210km!「ウォーキング計画」と「健脚」を確認する旅だった。
2023/04/24
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おへんろ休憩所では出会いがある。昨日朝早く休憩所に先客二人。近寄って見ると外人さん二人。一人はカートに荷を乗せてガウンみたいなものを着ている。もう一人は若い、大きなリュックを横に置いていた。カートのYouは、すぐに出発した。もう一人の若者とは日本語、英語チャンポンで話した。一番寺から「おへんろ」して9日目、泊まりはテント。テントはリュックに入っている、持ち上げようとしてみたが重くて簡単には持ち上がらない。30kgくらいあるかもしれない。しばらく話して出発した。歩いていたら先に出発したもう一人のYouが休憩所から出てきて前を歩き始めた。追いかけて話してみようと歩く速度を早めたが、向こうの重い荷はカートの中、すごいピッチで歩いていく。頑張ったが間は開くばかり、とうとうあきらめた。ライダーの食事所で昼食後、少したって休憩していたら朝方の若いYouが二人連れで前を通った。「ハーイ」と手を振って通りすぎた。宿が近づく頃、先ほど若いYouと歩いていた高年らしきYouが横から出てきて前を歩き始めた。目で挨拶だけして歩く。なんとか追い抜いてやろうと頑張ったのだが、引き離されないのが精一杯。歩幅がまるで違うのだ。急に立ち止まったと思ったら民宿だった。ここに泊まると言うので「グッドラック」と別れた。別れてすぐに、自分のホテルに着いた。部屋から見る太平洋古いホテルだったが眺めはよかった。
2023/04/21
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徳島駅前を出て3日目高知県に入った。今日は何人も本物のお遍路さんを追い越した。みなさん同年代の人ばかり一人だけ背の高い外国の若者がいた。歩き始めて3日目、疲れのピークだった。へんろ道には要所要所に休憩所が設置されている。地元の人たちの接待私の気持ち今日は休み休み海陽町の道の駅、ジャンボ尾崎のグッズなんとか民宿に到着、ここは高知県東洋町。土佐に入ったそ!明日は34km、はよ寝よう。
2023/04/19
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部屋から朝日が昇るのを見た。7時前にホテルを出た。2キロほど歩いてコンビニ、朝食と昼食を買った。徳島クーポンは昨夜の日本酒と今朝のコンビニでほぼ使いきった。今日のコースは33km 先の駅、列車でホテルのある駅まで戻る。峠を2つ越えるので列車に遅れないよう早めの出発。昼食も短時間で終えた。お寺には立ち寄らないのだが遍路道を歩く。国道55号線は時々歩道が狭くなる。登坂の途中に何ヵ所もお遍路さん休憩所がある。ほとんどがバスの待合所のような作りだが、この休憩所は立派だった。列車の時間より1時間前に駅に着いてしまった。足のかかとに豆ができた。絆創膏をはるくらいしか思い付かない。
2023/04/18
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四国ウォーク初日は余裕の29km、出発は8時にした。とは言え11月山陰道ウォーク以来の長距離、体力は落ちているだろうから慎重に歩いた。昼食はクーポンの残金を使って「スシロー」で食べた。腹一杯になると歩けないから、たったこれだけ、20kmを超えた辺りから ふくらはぎに張りを感じた。同時に かかとが痛くなった。休憩して足の手入れをした。体の疲れが頭にも来たのか、残り5km付近で左折するところを直進してしまった。左折地点に道路標識があると思い込んでいたのだ。標識のある所まで歩いて間違いに気がついた。渋々引き返した。それでもなんとか宿にたどり着いた。明日は7時出発だから朝食を断って夕食だけにした。ここまでは豪華そうだが実際は定食。これくらいがちょうど良い。明日は登り道を33km。
2023/04/17
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大阪駅で高速バスに乗った、私を入れて客は5人。難波駅で新たに5~6人、高速新舞子で3人。淡路島を縦断して鳴門市そして徳島。鳴門の渦潮は見えなかった。所要2時間40分。着いてすぐ徳島城址に行った。お堀と石垣が良い。本丸天守は二の丸にあった。初代徳島藩主 蜂須賀家政像。蜂須賀小六正勝の嫡男。小六は、岡崎矢作橋で日吉丸(後の豊臣秀吉)と出会ったのが出世の端緒、阿波の蜂須賀侯、本は是れ野盗。2時間ほどでビジネスホテルにチェックイン。宿泊費2割引き、徳島県クーポン2000円分ゲット。コンビニで夕食と明日のおやつに化けた。風呂にも入ってあとは寝るだけ。
2023/04/17
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街道ウォーク再開に向けて足慣らしに岡崎公園まで往復してきた。朝9時半に家を出て午後2時半に帰宅、往復で17kmだった。ウイークデーなのに岡崎公園は大勢の人、駐車場は満車状態で入場待ちの車が長い列を作っていた。満開の桜!行きは5km地点でベンツ販売店前のコンビニで休憩。コロナ禍のなかでもイートインをやっていた貴重な店。コンビニコーヒーの向こうにベンツのロゴ、この貧富の差を表す光景が気に入っている。とんぼ返りで昼はこのコンビニちかくで スン豆腐チゲと焼き肉丼の定食 990円。食後2kmほど歩いてマックのコーヒーで休憩。家に帰ってストレッチをしていたら足の裏が突っ張った。四国の街道歩きは今日の2倍の距離を歩くのだが大丈夫だろうか。
2023/03/28
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昨年の今頃は宮崎県や鹿児島県の桜を見ながら歩いていた。今年は徳島県や高知県で花見をしようと思っていたのだが、なんとなく気分が盛り上がってこない。それでもウォーキング計画だけはずっと検討を続けていた。ようやく満足のいくものが出来た。歩くのは徳島駅前から高知駅前まで7日間211km。前日に鉄道とバスを使って徳島に乗り込んでおく予定。名古屋から夜行高速バスという手も考えたが、歩く前に疲れるのは、やめた。歩くコースには遍路宿がたくさんあるのだが、泊まるのはビジネスホテルを第一としたから民宿は2泊だけ。多少歩行距離の長い日もあるが、ほとんど海岸線だから心配はしていない。※※※※※※※※四国1回目土佐東街道(遍路路)徳島~高知 211km7日+1日間※※※※※※※※ウォーク前日岡崎911~942名古屋1003~1111新神戸1116=阿波エキスプレス高速バス=1333徳島駅前徳島城見物-徳島駅前・ホテル1日目 29km徳島駅前-55号線-130号-24号-阿南市ホテル2日目 34Km阿南-55号-牟岐 民宿3日目 27Km牟岐-55号-東洋町民宿4日目34km東洋町-55号-室戸岬町ホテル5日目 31km室戸岬町-空海みくろ洞-室戸岬-奈半利ホテル6日目 38km奈半利-55号-香南市ホテル7日目 18K香南市-55号-高知駅高知1513~岡山~のぞみ~名古屋~岡崎2017出発は4月中旬くらいになるかな。
2023/03/27
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大河ドラマ「どうする家康」のおかげで、家康の生まれた岡崎市は相当盛り上がっている。陶芸仲間のワタナベさんは家康十六神将の1人渡邉守綱の末裔だというのだが今日スポーツジムで会ったら、今年の家康行列に姪っ子が家康正室「築山御前」役に選ばれたと言っていた。家康の家臣の足跡を訪ねる私のウォークにも熱が入ることになる。昨日は徳川四天王のうち岡崎生まれの酒井忠次、本多忠勝、榊原康政の誕生地を巡ってきた。岡崎城から北へ3キロの井田公園駐車場を基点に約13キロの歩きだった。井田公園の側に井田城はある、ここは酒井忠次の生まれたところ。忠次は家康より15歳年長で、家康の駿府人質時代から従っている。ここから北方500メートルのところに徳川家菩提寺の「大樹寺」があるが、ここを横に見て北に進むと住宅街の一角に本多忠勝誕生地の石碑が建っている。庭師が石碑の横の樹を切り揃えていた。前面の説明板には「岡崎市指定文化財史跡本多忠勝誕生地徳川四天王に数えられる本多平八郎忠勝の生誕地である。本多氏は松平二代康親《泰親》に仕えて以来、代々殊功をあげた。祖父忠豊,父忠高の時代には蔵前に居住し、天文十七年(一五四八)忠勝はここで生まれたとされている。「ただ勝つのみ」という願いをこめて名付けられた本多忠勝は、永禄三年(一五六〇)大高城(名古屋市緑区)攻めで初陣、それ以後生涯で五十七回の合戦に出陣したが、ただの一度も負傷しなかったといわれている。家康の家臣の中でも抜群の戦上手であり、桶狭間の戦いから大阪冬の陣まで家康とともに全ての戦を戦い抜き、開幕時には、桑名十万石を与えられた。以後子孫は姫路藩(兵庫県)、浜田藩(島根県)などを経て、明和六年(一七六九)岡崎藩に封じられ、明治維新まで岡崎藩主として祖先の地を治めた。現在この地に建てられている記念碑は、大正四年に子孫である本多忠敬氏によって建立されたものである。昭和三十七年六月十五日指定平岡崎市教育委員会」となっているから家康より6歳年下、大高城攻めのときが13歳。続いて北上し矢作川を渡って豊田市の上郷に向かった。家康の三河一向一揆のとき一揆方について家康に敵対した酒井忠尚の居城「上野城跡」である。現在は上野護国神社と城山稲荷となっている。家康の臣下であった酒井忠尚の上野城に榊原康政の誕生地碑があるのは変な話だと思ったのだが、上野城説明板によると「 上野城跡(上野上村城)一四〇〇年代半ばごろ戸田宗光が築城したと言われています。《中略》明応二年(一四九三)井田野(岡崎市)の戦いに勝利した松平家の居城になりました。松平家の内乱後は酒井忠尚が城主になりましたが、永禄六年(一五六三)忠尚が三河一向一揆の総大将として蜂起したため徳川家康に攻め落とされてしまいました。小高く残る部分は、櫓台地土塁(城の防御)の一部が姿を留めたものと思われます。徳川四天王の一人として名高い榊原康政は、ここより南へ約三〇〇mの位置にあった会下城(上野下村城)が生誕の地ともされています。現在は開発事業により、当時の面影は失われてしまいました。豊田市 」榊原氏の城は近くの会下城(上野下村城)で康政はそこで生まれたということらしい。父親は酒井忠尚の臣であったという説もあるが松平に仕える一族であったと思える。榊原康政は1548年の生まれだから家康より6歳年下本多忠勝と同い年、13歳のとき家康に見いだされ小姓となる。16歳のときの三河一向一揆が初陣。昨日は道路脇の気温表示が21度になっていた。13キロのウォークだったがかなり疲れた。いよいよウォークシーズン突入である。
2023/03/09
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