青森から酒田まで 0
古文書 0
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月曜日、待っていたものが届いた。家康公検定案内書今年は9月21日(土)、さっそく予定表に書き込んだ。一度だけ検定に付き合ってくれた孫一にLINEしておいたらすぐに返事があった。付き合ってくれると爺は嬉しいのだがどうなるだろうか中3の2023年は6月3日に申請をして試験の1ヶ月前にはテキストが届くから受験勉強はそれからで十分。それまでは、「大久保彦左衛門聖地巡り」の計画作成に励もうか。
2024/05/28
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例年4月の花見シーズンにある「家康行列」が今年は10月28日になった。この日にかぶって行こうとAmazonで購入した「兜キャップ」このまま被ってもいいのだが、ちょっとアレンジして見ようと100均でフェルトを買ってきた。少し加工してキャップに貼った。兜の緒を作ろうと紐も買ってきたのだが難しすぎてパス。この兜をかぶって28日に岡崎公園の家康行列を観ようと思っていたのだが今年は「事前予約」していないと行列の沿道に近寄れないようだ。それでも行くだけは行って、規制区域外で兜キャップのお披露目はするつもり。前祝いに、「三河武士」純米吟醸に秋鮭の白子 ポン酢和え。ちと飲みすぎた。明日はノンアルデイとしよう。
2023/10/27
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9月末に受験した「家康公検定」の合格通知と合格証が届いた。目標はいつもの如く「百点満点」だったのだが、結果は97点昨日は通販で注文しておいた「兜キャップ」も届いて、去年の99点以上は確保したかったのだがやっぱりなあ試験結果の報告書によると今回は、大河ドラマの影響、ならびに鶴岡 (山形県)、 会津 若松(福島県)の2会場が新たに加わり、初めて受験される方 が多く見込まれたことから、 家康公と家臣団に関わる問題を 多く取り入れて実施しました。 結果としては、好成績であっ 前回に比べ、合格率75.9% (△5.6%)、 平均点77.8点(△2.6 点)とも若干の低下が見られましたが、 コロナ禍の鎮静化の 影響もあり出席率は2.9%向上しています。個人成績では、満点合格者が4名、最年長合格者は91歳、 また、小学校1年生 (7歳) の児童が初めて合格し、最年少記 録 (過去は小2) が更新されました。1. 実受験者数 1,384名 (前回1,007名)※出席率88.6% (前回 85.7%)2. 合格者数 1,051名 (前回 821名)3. 合格率 75.9% (前回 81.5% 前々回 75.2%)4. 平均点 77.8点(前回80.4点前々回77.9点)5. 最高点 100点4名(前回2名)※小中学生最高点:96点(前回96点)ということだった。来年こそ!!
2023/10/25
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「家康公検定」が終わった。目標の100点は今年もムリだったが、一夜明けて今朝は解放感に浸っている。中日新聞「西三河版」に記事が出ていた。※※※※※※※※※※※※※※※※※徳川家康に関する知識を問う「家康公検定」が30日、岡崎など家康ゆかりの 6市で行われ、小学1年生から97歳まで約1560人 が挑んだ。公益財団法人「徳川記念 財団」と一般社団法人「徳 川家康公に学ぶ会」が主催、12回目となる今年は 「家康公と家臣団~戦乱の 世から江戸の平和へ~」を テーマに4択式の全100 問が出題され、90分の試験時間で行われた。会場は従来の岡崎、名古 屋、静岡、浜松の4市に加 え、家康の家臣・酒井忠次の子孫が藩主を務めた山形 県鶴岡市と、家康の孫・保科正之の家系が治めた福島 県会津若松市でも初めて実施。岡崎市菅生町の岡崎信 用金庫本店の会場では約1 80人が受験し、徳川家の葵紋付きの陣羽織を着た同信金職員から注意事項などの説明を受けた後、開始の合図で問題に取り組んだ。 結果は10月下旬に発表され、70問以上の正解で合格となる。※※※※※※※※※※※※※※※※※最高齢受験者97歳!この方は毎年受験しているようだ。昨夜は久しぶりに居酒屋「魚常」で、焼酎のお湯割りを楽しんだ。ヒラメの刺し身鯛のかぶと煮小ぶりの鯛だったが「鯛のタイ」を探り当てて満足!目玉も堪能。鯛のタイについて つい最近「桂文枝師匠」がブログに書いていた。桂文枝タイのタイですタイ桂文枝師匠 今年80歳!
2023/10/01
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今年の家康公検定終了。年配の受験者に混じって小学生もチラホラ。100問中、あやうかったのが3問。やはり100点というのは難しいものだと思った。昼前に解答を提出して帰宅途中、韓丼店で「スンドウフチゲ定食」思い切りご飯を入れて食べた。今夜は居酒屋「魚常」でひとりチク勝会。明日からは10月の、旧街道ひとり歩き「松山~徳島」に向けて体調を整えることになる。宿の予約は とっくに完了した。酒は控えめに、ストレッチ&スクワットは定期的に!
2023/09/30
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いよいよ明日が試験日、10時半から昼過ぎには終わる。終わったら夕方には、しばらくご無沙汰の居酒屋「魚常」に行こう。3日間の断酒だった。最近は飲まないでも禁断症状が現れるほど飲んでいない。週3日くらいノンアルデイとするかな。試験前日にどうかとは思ったのだが、今朝、新型コロナのワクチンを接種した。少し腫れて触ると痛みがある。午前中は安静にしていたが、午後は普通に過ごした。さすがにスポーツジムには出かけなかったが、家でストレッチはした。試験に向けてテキストの通し読みを総ページ数の半分ほどやって、プライムビデオで韓国映画を見た。夕食後、残り半分を読む予定。明日は美味しい酒が飲めるといいな。
2023/09/29
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泣いても笑ってもあと2日。テキスト7回読みの後 始めた家康の生涯の試験に出そうな箇所をノートに書き終えた。明日は、コロナワクチン接種の後で、もう一度テキストを読み通して見るかな。それで明後日の本番待ち。孫一の中学校はコロナによる学級閉鎖が昨日ようやく明けたと思ったら、今日は体育祭だったという。昼過ぎ、気温は30度を超えた、大丈夫かいな。孫一の走る姿。リレーのアンカーだったが順位はドベだそうだ。
2023/09/28
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土曜日の家康公検定まであと3日。今日も気になるところ(試験に出そうなところ)をノートに書いた。テキストを読むのに比べると時間がかかるし楽しくないから、今夜で終わりにしよう。勉強の合間に 朝の散歩、午後はスポーツジムでストレッチ、夕方もう一度散歩。夕日が美しい!昼間は30℃を越えたが夕方は涼しい。今夜から3日間はノンアルデイズと決めた。先ほど3女からLINE相変わらずである。
2023/09/27
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まだまだ時間があると思っていたが、30日の検定まであと4日。今回の試験準備は「テキストを7回読む」ことにした。7回読み終えたのは7月19日。残りの日数であと3回ばかり、読むつもりだつたのだが、飽きた!それに読むだけだと頭に定着しているかどうか心許ない。そこで家康公の年表に基づいて75年の生涯のポイントをノートに記して見ることにした。これはかなり時間がかかる。今ようやく慶長5年関ヶ原合戦と戦後処理を終えたところ。59歳。あと今日を入れて4日で江戸幕府の政策をノートしなければならない。まあなんとかなるだろう。書くのを終わったら 最後に もう一回通し読みするかな。
2023/09/26
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市の図書館に予約していた本を近所の市民センターで借りてきた。「一気読み世界史」は7月20日に予約したとき6人待ちだった。食べ物屋で並んで待つのはキライだが、本の順番待ちは気にならない性格。Amazonに注文する手もあったがなぜかそうしなかった。「三河の街道」は、かつて歩いた旧街道をどのように紹介しているか興味があった。「白い人が仕掛けた黒い罠」は、いつも週間新潮のコラムを愛読している作家のものだから借りてみた。「家康公検定」まであと9日となった今、3冊も借りてしまって詠めるのか、おおいに疑問ではある。でもまあ「家康公検定」準備の合間の「箸休め」と思えば、これもありかな。あと3回読めば、ひょっとして「100問中100問正解」かも。庭の片隅で白い彼岸花が咲いた!まだまだ暑いけど 秋が来た。
2023/09/21
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今月末の「家康公検定」に向けて、毎日コツコツ勉強を続けている。今回の検定のテーマは「家康公と家臣団」配布された「副読本」から100問出題される。回答は4者択一だから、うろ覚えでも覚えていれば正解の可能性は高いのだ。以前、副読本を書き写したことがあるが効率が悪かった。そこで今回は副読本を7回読み通すことにした。1回目は丁寧に読み込んだのと受験まで日にちがあるため、かなり時間がかかった。2回目、3回目となると かなりスピードが上がって来て、今日7回目を読み終えた。副読本は101ページ、若い頃だったら ここまでやれば全文暗記出来ていたものだが、今は読むたび新鮮、頭の中に残っていかないのだ。この分では10回読みに変更しなければならないかも。
2023/09/20
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10日 同好の友へのLINE今年も受験のための勉強が始まる!とはいっても試験は9月30日、日はたっぷりある。配布された読本の範囲からの問題100問。今回のテーマは「家康公と家臣団」~乱世の世から江戸の平和へ~読本目次は1.徳川創業期の家康公と家臣団2.対武田期の家康公と家臣団 3.豊臣政権下の家康公と家臣団4.将軍大御所時代の家康公と家臣団それぞれの時期に家康を補佐した家臣とその働きぶりに関する出題になるだろう。まずはひと通り「読本」に目を通さなくてはいけないのだが、まだほとんど手を着けていない。受験準備をやっていないわけではなく、昨日は安城市歴史博物館で開催中の「徳川の支柱 酒井氏」展を見てきた。酒井氏には左衛門尉(さえもんのじょう)家と雅楽頭(うたのかみ)家の二家があり、それぞれ家康創業期に活躍している。左衛門尉家の酒井忠次の子孫は幕末には鶴岡市の庄内14万石藩主だった。今回の家康公検定の出題間違いなしの酒井氏なのだ、それなのにジジが一番興味を持ったのは酒井忠次所用の「軍扇」だった。なにせこの軍扇上方の二つの孔にはレンズがはめてあり拡大鏡として使える。多分老眼鏡として使ったのだろう。さらにその上の小さな穴には方位磁石がはまっている。合戦場で絵図の方位を合わせるのに使ったのだろう。なんて展示物の詳しい解説はパンフレットでゆっくり見ることにしている。近頃は古文書もアプリを使えば、ある程度読める。1-36 剣酢漿草(かたばみ)の由来(姫路市立城郭研究室蔵酒井家文書)これをアプリで書き起こし少し手を加えてみた。まだまだだが 酒井氏の家紋「かたばみ」の由来について書かれているようだ。これについては徳川の「葵の紋所」と本多氏の家紋「立ち葵」との関係ともからめて調べてみたい。姫路酒井氏は雅楽頭家であり江戸時代その家紋は「かたばみ」から「剣かたばみ」に変ったようだ。ところで話は急に飛ぶのだが12日にかみさんの実家の墓参りに行った。毎年の行事だが、うかつにも結婚以来49年、今回初めて かみさんの家の紋所が「剣かたばみ」だったことに気がついた。酒井氏とは なんの関係もないとは思うのだがそれはさておき安城市歴史博物館の展示会のパンフレットが「家康公検定」の勉強に役立ちそうな気がして本箱から持ってきた。酒井、本多、石川、松平一族 まさに家康公の家臣団ではないか。というわけで なかなか「検定読本」に戻れないのだ。「道草 てっちゃん」困ったもんだ
2023/08/14
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「どうする家康」岡崎ドラマ館で撮影OKだった展示物に、桶狭間合戦の直後、岡崎にいる元康(家康)が駿河府中の瀬名に送った書状がある。「瀬名と府中への思いを込めた手紙と押し花」番組の中でちらっと出てきた手紙、リンドウかなにかの押し花だけは覚えているが手紙の文面は画面に出ていたかどうか。そんな小道具なのに、ちゃんと筆で書かれていることに驚いた。細部にもこだわる、さすが日本人の仕事である。達筆過ぎてなんと書いてあるかさっぱり読めない。「古文書解読アプリ みを」で読んでみたがよくわからない。暇な爺は これをちゃんとした文章にしようと考えた。酒の肴を買いに行ったスーパーで「鯨の刺身」を買って酒の棚を見たら20年前に廃業した半田市亀崎の日本酒を見つけた。違う酒蔵が買い取ったとは聞いていたが同じ銘柄で発売しているとは知らなかった。ぬる燗に鯨の醤油漬け1合飲み終わってあとはコップに半合ほどをちびりちびりと飲みながら元康(家康)の手紙を修正していった。わざと筆を染めもうし候 こなた達しやに候や そもし若子ともに健やかにて候哉 わがきみそくさいに候や きやうふ殿はゝ君にをひては如何ニ而(にて)候や 於岡崎かすさのすけ殿御下知にしたかひちう勤に励み候 たやすき事に候ゆへ御心やすかるへく候 やかてふちうにかへり上総殿そはにをん仕すへく候あひた不日相まみゑるへく候 皆々睦まじくあけ暮らしたく候 き国いたし候まて者(は) 府中被くわんの儀ねんころにいたさるへき事簡やうに候 いさゐこうゐんのときを期し候かしく 六月二 ゟ岡崎元やすせな まゐる完璧ではないが、なんとか読めたようだ。ただし、こんな手紙を本当に家康が書いたかどうか。
2023/01/26
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『桶狭間の合戦、大高城からの脱出〜大高城で孤立した元康 さあ、どうする〜』という演題の歴史講演会に行ってきた。18時開場、18時30分開始なのに駐車場が手狭なため17時に会場の岡崎市商工会議所に到着、なんとか車を停めることが出来た。会場前のスタバでコーヒーを飲みながら時間を潰した。18時会場に移動。定員150名の席はジジババで埋まっている。講師はいつもの市橋先生、90分の講演予定が延びて質疑応答時間に食い込む。桶狭間の合戦で徳川元康(家康)がどこでどう働いたか、今川義元討死後どう動いたか。なかなか名調子で楽しかった。
2022/12/05
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今年は酒断ちまでして頑張った「家康公検定」目標の「百点満点」&「徳川宗家表彰状」はならなかった。受験直後に百点満点はないと思っていたのだが、ひょっとしたらという思いがなかったわけではない。でも、結果通知書を受け取ったら、認めざるを得ない。しかし4者択一で、あと1問、うまく選んでいたら、今回100点2名が3名になっていたかもしれない。 そうしたら、先日徳川宗家を継いだばかりの19代目から表彰状を受け取れたかもしれない。なんて、「たら・れば」ばかり調べてみたら「第1回家康公検定」でも「99点」だったが、その時は「99点は上出来」と謙虚だったのに9年の歳月は年寄りの傲慢さを身に付けさせたのかもしれない。第11回家康公検定結果ここは初心に帰って「次を頑張ろう」次はもっと早くから酒断ちして「百点満点」を達成するぞ!
2022/11/06
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15日、「家康公検定」が終わった。残念ながら今年も百点満点ならず。五島に住む現役時代の同僚が自分で釣ったミズイカ(アオリイカ)と五島のはんぺんやうどんを送ってくれたのが夕方届いた。さっそくイカを刺身にして 「家康公検定」残念会酒は地元岡崎 丸石醸造の「大吟醸 徳川家康」2合飲んだ!締めは「卯の花」缶詰め。
2022/10/16
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記憶力回復のためにと始めた「断酒」も7断1休5断となった。もはや酒が恋しくもなんともない。最初は今月15日の「家康公検定」までのつもりだったがこのまま ずっと飲まないで居られるかもしれないなんて、恐ろしい考えが頭をよぎる。今朝は、「断酒」の効果を確かめようと、いつもの「家康公検定副読本」の黙読は後回しにして過去の検定「問題と解説集」を引っ張り出して、それぞれ100問に挑戦してみた。「家康公と三河武士たち」「家康公と偉業を支えた人々」それぞれ1時間近くかけて解答したが、6問間違いと10問間違いという結果だった。もう少し正解が欲しかったが、断酒の効果で これくらいの間違いで済んでいるとしようか。記憶力の回復効果は まだはっきりしないのだが、「断酒効果」は体重に現れた。断酒前の9月20日80.7kgあったのが今朝は78.8kgこの調子だと「家康公検定」の後、計画している「旧山陰道ウォーク」までには78kg以下になるかも知れない。この辺りの1kgは足の疲労に大きく関係してくるから減量は大切だ。
2022/10/07
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今月の15日は「家康公検定」の日。9月初めにテキストが届いた。以来、テキストを読み返して内容を覚えようとしているのだが、覚えるそばから忘れているように思える。読めども頭に残らずなんとか記憶力を取り戻す方法はないだろうか。「そうだ、酒をやめてみよう!」酒と記憶力の関係がどんなものなのかは知らない、知らないが、なんとなく酒をやめると記憶力が回復しそうな気がするではないか。毎晩のように酒を飲み始めたのがいつからだったか思い出せないのだが、1週間以上 酒をやめたのは、「原田氏病」「黄はん円孔」「突発性難聴」での3回の入院の時だけ。本当にやめられるかどうかはわからないが、ともかくやめてみた。1日目はなんとなく手持ちぶさただった。2日目からは普通に過ごせた。快眠、快便なんとなく調子がいいような気がした。あとはなんとなく1週間が経った。あれ? 俺ってこんなに意志が固かったのかなあ。それはともかく肝心の記憶力はどうなった?正直、わからない。わからないが、飲まずにいるから夕食後もテキストを読んでいる。何度も読めば(今のところ3回だが) 脳に定着するのではないだろうか。ただあまり集中しすぎてもストレスになる、8日目の昨日は町内の神社の例大祭だったから、断酒を中断してみた。今日から断酒「再スタート」
2022/10/02
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1日、予定通り「家康公検定」の受験票と副読本が届いた。今年の試験テーマは「家康公の平和外交」今回の目標は これまでと同じく百点満点を取って徳川宗家から成績優秀者表彰状をいただくことだ。試験日は10月15日。歳とともに落ちていく集中力と記憶力なんとかならんかなあ。先日の帰省の帰りに買った「獺祭45」300mlと冷蔵庫にあったイカ焼、そしてホヤ。ホヤはしばらくポン酢に漬けてキュウリと和えた。これがすごく旨い。「前祝い」!
2022/09/02
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今年も家康公検定の案内が郵送で届いた。試験は10月15日今年の課題は「家康公の平和外交」となっている。8月末に送付される副読本から100問が出題される。若い頃と違って記憶力の怪しくなってきた爺だが「四者択一」の解答だからこれまでなんとかなってきた。だがあくまでも受験の狙いは「百点満点獲得」と徳川宗家当主から表彰状をいただくこと。だが毎回どこかでミスをするのは勉強期間が1ヶ月と少しでは足りないのからかもしれない。今回は少し早めに準備をしようかと考えている。ヒントはパンフレットの絵にある。この絵の人物と家康の外交との関係をしっかりつかんで置こうかと思っている。人物は後列右より後藤庄三郎宗義智林羅山藤原惺窩金地院崇伝南光坊天海茶屋四郎次郎清延中列右より板倉勝重本多正純前列右より松雲大師徳川家康ウイリアム・アダムスヤン・ヨーステンこれらの人物について資料を読んでみようかと思う。その第一弾として古本を注文した。まだ届いていない。さてパンフレットの絵の下の方に「朝鮮通信使」の行列がある。慶長9年来日した「松雲大師」と家康の講和交渉とその後の朝鮮通信使は押さえておかなくてはならない。昨年一緒に受験した孫一は部活が忙しくて参加できないとのことで残念。来年に期待しよう。孫三太郎の猫便りサビコのオッパイにむしゃぶりつくシーナ吸っても出ない
2022/07/04
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蒲鉾に わさび漬けで飲んでいたら、次女からLINEが入った。さっそくTVをつけてみた放送内容の動画を見つけた。 家康ゆかりのお寺に眠る 絶対に開けてはならない木箱ここ ←こうやって盛り上げるのか!確か何が入っているかの説明書きもあったはず。「貫木(かんぬき)神」のいわれは旭軒元直のパイ菓子「開運貫木」の宣伝文によると「大樹寺の陣で、豪僧・祖洞坊が寺の総門の貫木(かんぬき)を振り回して、追撃の織田軍を蹴散らし、若き日の徳川家康公の窮地を救いました。後にこの貫木は立志開運の「貫木神」として奉られ、今でも大樹寺に安置されております。この立志開運を意匠して作り上げたパイ菓子です。」今度、買ってみるか。少し補足すると「桶狭間合戦に今川義元の武将として参戦した家康公は、義元討死の後、岡崎大樹寺まで逃げ帰ったが、山門の外まで敵が迫った、この危急存亡のとき、助けてくれたのが大樹寺の僧や僧兵たちだった」私の大久保彦左衛門コレクションにある「家康公大樹寺御難戦之図」三枚続きで真ん中だけが本物、左右はプリンターで印刷したもの。
2021/04/16
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北国街道ウォークから帰って来て以来、心待ちにしていたのが「家康検定」の成績発表。 今年はなんとなく高得点の自信があった。 ひょっとしたら優秀合格者に選ばれて徳川宗家から表彰状をいただけるかも知れない。 昼前、郵便受けを覗いたら「結果通知書」が届いていた。 急いで封を切り確かめた。 残念! 97点。 100点満点でなければ優秀合格者にはなれない。 前にも97点はあった。 このあたりが限界かな。 昼はチキンラーメン・スペシャル
2019/11/02
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今年の家康公検定が終わった。試験開始の1時間も前に会場に着いたのに、すでに駐車場は満車。やむを得ず近くのショッピングモールに停めた。10時45分試験開始。去年、マークシートがよく見えなくて焦ったから今回はハ★キルーペを持参。さらに萎えた脳の活性化にブドウ糖がいいと聞いたからブドウ糖90%のラムネ菓子を事前にボリボリかじった。用意周到のおかげか4択100問・制限時間1時間30分のところを50分で終了した。出来映えは去年並みか少し良かったかも知れない。11月始めには成績通知が届くのだが、ずっと狙っている徳川宗家の表彰状には少し力不足だったようだ。受験記念のタオルをもらって帰宅した。右側が去年、左は今年のである。及ばざるは 過ぎたるよりまされり(徳川家康)
2019/10/06
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今年もまた「新家康公検定」の案内状が届いた。 試験日は10月6日 今回が9回目になるらしい。 毎回盛況で主催の岡崎商工会議所も、やめられなくなったみたい。 爺も、こうなったら百点満点を取って徳川記念財団から表彰状をもらうまではやめられない。 昨日、ファックスで受験申込書を送り、今朝受験料を送金した。 郵便局のATMは何事もなく送金出来た。 8月には家康公検定副読本が届く。 これを完璧に身につけたら百点満点可能。 8月まで続く古文書講座が終わったら検定に向けた受験勉強に入る。 おっと9月には北国街道ウォークも控えていた。 ご隠居さんも忙しい!
2019/06/18
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数日前ネットオークションで写本を落札した。落札価格300円+送料360円久しぶりに安い買い物だった。届いた商品はこんなもの徳川家康の生まれてから死ぬまでの年譜。著者は 家康の九男 尾張徳川家初代 徳川義直である。空欄に「大正2年 神戸の寓居にて浅井★之」と写本者名がある。漢字ばかりで完全には読めない。眺めていると意味は 7~8割くらいわかる(ような気がする)上の写真は家康数え19歳、永禄3年(1560)5月織田・今川が戦った桶狭間の合戦の折今川義元本隊に先行して大高の丸根砦を攻めたこと。義元討ち死に後 岡崎大樹寺に引き上げたこと。その後 岡崎城に入ったことが書かれている。面白いのは 前年の永禄2年に大高城へ兵糧を運んだとある。高名な「神君 大高城兵糧入れ」である。諸説あって 通説では永禄3年桶狭間合戦の前日のこととなっている。しかし危険な敵前兵糧入れのすぐ翌日 その敵を攻撃するというよりこの年譜にある前年のこととした方が自然な気がする。適当に読み進めていくと慶長9年(1604)の閏8月14日「朝鮮人来聘(僧松雲 孫文い或 金孝舜 来請文禄之因 公許之)という文があった。この僧松雲というのは 当時の朝鮮にあって傑出した人物で文禄の役では 敗走を続ける朝鮮正規軍とは違い 朝鮮の僧侶をまとめて日本軍と果敢に戦っている。一旦、休戦後の慶長の役では 加藤清正に対して朝鮮の立場を説明し講和の働きかけをしている。秀吉の没後、渡海した全将兵の引き上げ、関ケ原合戦と続き徳川の天下となった。慶長8年(1603)征夷大将軍となった家康の働きかけで朝鮮国王が日本の情勢探査を兼ね 松雲大師を日本に派遣した。伏見滞在中の家康が使節一行と会見したのが この記事。これが文禄・慶長の戦後処理となり松雲大師は 日本軍に連れ去られた朝鮮人捕虜のうち1340人を故国に連れ帰っている。これより後 慶長12年(1607)には 朝鮮通信使一行が来日以後 徳川時代には将軍の代替わりに全12回の通信使来訪があった。慶長12年5月の記事(第1回朝鮮通信使節)朝鮮からの征夷大将軍秀忠への贈り物 大御所家康への贈り物の数々将軍からの返礼品、大御所からの返礼品が記されている。参考 家康と松雲大師
2018/12/17
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先月受験した「新家康公検定」の結果報告書が届いた。 99点を予想していたのだが結果は下回っていた。 う~ん 残念かつ無念じゃ。
2018/11/02
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徳川記念財団・岡崎市商工会主宰「新・家康公検定」を受験した。 8月20日に受験票と試験用副読本が届いて以来、1ヶ月半。 減退した記憶力を補うため、近来まれな受験勉強をした。 副読本の音読4回、全文書き写し2回、要点書き出し数知れず。 果てはヤフオクで「徳川時代大名変遷一覧表」なるものを落札。 全国280藩の領主の変遷を詳しく調べた。 試験は四択問題100問。 解答は前回までとは違ってマークシート方式。 解答用紙はA5くらいの紙で縦25問x横4列。 老眼の目を見開いて解答番号を塗りつぶすのだが、これが結構手間取るのだ。 間違い防止のため問題用紙に答えを記入しておき、後で100問の解答塗りつぶしをやった。 100問中一問だけ副読本には出ていない問題があった。 これに引っ掛かってしまった。 問題は蒲郡市の市章は蒲郡市を発祥の地とする竹谷松平の家紋(新田源氏の紋)はどれでしょう というものであった。 蒲郡は家から30分の距離なのに、あまり縁がない。 市章なんて気にしたこともない。 で 間違えた! もう百点満点はないのだ。 徳川18代当主から表彰状をもらう夢は消えた。 蒲郡市の市章 発表は11月1日
2018/10/07
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10月に受験した 家康公検定の結果が昨日発表された。○申込者数 952名○実受験者数 874名○合格者数 716名○合格率 81.9%○平均点 80.0点○最高点 100点(1名) ※小中学生最高点 91点○最高齢合格 90歳(1名)○最年少合格 小学校3年生(2名)100点が1名しかいないということは ひょっとして成績優秀者として徳川宗家18代当主の表彰状がもらえるかもと 期待したのだが今日 成績表が届いた。残念ながら成績優秀者から外れた。う~ん あれとあれ ひっかけ問題をうまくやっていればなんて 後の祭り・・・・・でもまあ かみさんまで巻き込んで受験した結果はまずまずの成績であったと 納得しよう。ファイナルだから 次は もうない のかな。。。。
2016/11/02
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これまでに2回受験したことのある「家康公検定」2013年の試験は、まぐれで99点が取れた。翌年は試験日に用事があって申し込みはしたが受験断念。2015年は、がんばったのだが 93点だった。昨年の家康公薨去400年祭で「検定」も終わりだと思っていたら、「岡崎市制施行100年」を記念して「ファイナル家康公検定」をやるという。7月初めに申し込んでおいたら 今週になって受験票と「副読本」が郵送されてきた。試験では「副読本」から100問が出題される。これを完璧に理解・記憶しておけば100点間違いなしなのだ。70歳の記念に今度こそ100点満点を取ってやるかと思い立って一昨日から勉強を始めた。1日目 副読本を一通り読んでみた。2日目 家康誕生まで松平8代の事績 家康誕生前後の国内 家康誕生から駿府人質まで(1歳から8歳) 家康の駿府人質時代(8歳から19歳)ノートに書き写してみた。これから75歳で閉じた家康の生涯を追って 副読本を頭に叩き込もうと思うのだが。固くなりつつある脳には これがなかなか難ではある。1ヶ月退屈しのぎ出来ると思えばいいかな。なんて弱気の虫が。。。。。いやいや ファイナル・最終回だから 100点満点は 「努力目標ではなく 必達目標」なのだ。
2016/08/25
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9月に受けた第3回「家康公検定」の結果通知書が届いた。結果は93点 合格、まあこんなものだろうが 100点を目指していたのだから残念。封筒には合格証、記念バッジ、合格者特典一覧表、優待チケット・クーポン等が入っていた。さらに小さな封筒の中に慶長小判のレプリカが入っていた。小判は岡崎市内の「備前屋」という和菓子屋提供。家康公400年祭にちなんで 成績400番台の合格者に贈られたもの。1334名の合格者中400~499番の順位というのはがっかりだが この記念品は ちょっとうれしい。
2015/10/23
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ニュースで 第2回家康検定を取り上げていた。今年も受験するかなあと考えていたら、受験案内が届いた。昨年、第1回検定を受けた人に先行送付されたものだった。合格者には合格証と合格者特典(協賛商店等の割引券)。2年連続合格者にはオリジナル記念品優秀合格者(満点合格者あるいは上位合格者若干名)には徳川記念財団より表彰状・第1回の検定結果 では 期待以上の高得点だった。そうなると 優秀合格者を逃したことが惜しく思えた。今年こそは満点合格で徳川記念財団表彰を目指すかな。試験日は9月21日だから 日数は十分にある。
2014/06/12
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先日受験した「家康公検定 」の合格通知が届いた。合格者数1058名だった。優秀合格者には後日 徳川宗家18代恒孝氏より表彰状が手渡されるそうだ。100点満点の優秀合格者は10数名いるという。残念ながら及ばなかったが あてずっぽうで答えた問題もあったのだから 99点は上出来。
2013/11/02
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家康公顕彰400年記念プレ事業「第1回家康公検定」は いよいよ明日実施される。今回のテーマは「家康公と戦国武将たち」家康が天下取りの一生に出会った多くの武将たちとのエピソードから出題されるはずだ。家康に関しては 出生地・岡崎に流れ着いてから30数年 興味を持ってきたから100問中70問以上の正解という合格ラインは まず大丈夫だと思っている。どうせ受験するのだったら100点満点を取ってやろうと 大それた望みを抱いている。祖父 松平清康、父 松平広忠、尾張人質時代の織田信秀、駿府時代の今川義元・太原雪斎、桶狭間から本能寺の織田信長、三方原の武田信玄、長篠の武田勝頼、本能寺の明智光秀、太閤豊臣秀吉、小牧長久手の織田信雄、小田原の北条氏政・氏直。多くの武将との関わりは 良く知っているつもりなのに あまり的確には覚えていないことを この1ヶ月ほどの調べもので実感した。100点満点は 楽ではないな。
2013/09/21
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9月22日 岡崎市・浜松市・静岡市 3市共催の「第一回家康公検定」が行われる。これに向けて 只今勉強中。「厭離穢土 欣求浄土を旗印に幾多の艱難辛苦を乗り越え戦国乱世を平定、江戸に幕府を開き265年の長きに亘る天下泰平の世の礎を築いた徳川家康公。この家康公が薨去され400年(400回忌)の節目の年を2年後の平成27年(2015年)に控え、家康公の「ふるさと」岡崎、浜松、静岡の3市3商工会議所では、不世出の強度の英傑、家康公の偉大なご遺徳(優れた功績)を全国、世界に発信しようと、徳川家康公顕彰400年記念事業の実施を計画しています。「家康公検定」は、本記念事業の一環として、家康公の懸賞とファンづくりを目的に実施します。あなたも検定受験を通してともに家康公に学びましょう」岡崎市では 昨年まで3年間「岡崎 家康検定」というのを実施しており 発展的に 今年から3市共催となったようだ。なにはともあれ 過去問題で 出題傾向を知ることにした。第一回 100問中97問正解。なんだこの程度だったら 少しがんばれば全問正解も夢ではないな と思ったのだが第二回 100問中88問正解。前回が優しかった分 家康家臣団のかなりマニアックな問題が増えていて 迷わされた。第三回 100問中92問正解。家康の子女の問題が多く これもかなり難しい。今度の検定テーマは「家康公と戦国武将たち」~家康公が歩んだ激動の時代~家康75年の生涯で出会った武将というと今川義元織田信長武田信玄今川氏真浅井長政・朝倉義景武田勝頼明智光秀豊臣秀吉北条氏直伊達正宗真田昌幸・幸村上杉景勝・直江兼続石田三成豊臣秀頼島津義久毛利輝元 等々と家康とのエピソードを勉強しなくちゃ。目指せ最年長100点満点!
2013/09/06
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少し前申し込んでおいた「第1回家康公検定」の受験票が送られてきた。家康は元和2年(1616)駿府にてその生涯を閉じた。2016年は400年に当たる。これを記念して「徳川家康公顕彰400年記念プレ事業」として実施されるというわけである。家康の生涯に合わせて~生誕の岡崎、出世の浜松、大御所の静岡~ それぞれの会場で9月22日に検定試験が行われる。私は岡崎会場で受ける。受験NO.は400番台、岡崎会場の受験者は671名である。 添えられた資料は「家康公と戦国武将たち」~家康公が歩んだ激動の時代~この中から出題されるであろう100問に対して70点が合格ライン。若いころは 短期記憶力に絶対の自信を持っていたのだが 今は最も自信のないのが 短期記憶力である。これからほぼ1ヶ月、ゆるくなった脳に家康の事績の数々を刻み込んでいくのだが どうなることであろうか。でも やるからには 一応 「目指せ 100点満点」なのだ。
2013/08/25
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