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アレッポからホムスの町に着きました。2時間ちょっとです。首都ダマスカスから、北方110キロのところにあります。シリア国内では、3番目に大きな町のようです。2番目に大きいのはどこでしょう?アレッポでした。ホムスの中心地、クワトリ通りです。何とも日本的な道路名です。クワトリだそうです。クワトリ通りの反対側、公園があり、やはり、時計台があります。シリアは、中心地に時計台を置くのが好きですねー。ま、旅行者にとっては、分かり安くて、とっても便利です。ホテル探しに時間がかかりました。8月のシリアは、観光客が多いのか、満室のホテルが多いです。空いていれば、2000SPとか、3500SPとかの、普通の旅行者ようです。バックパッカー宿は、空いていても気に入らなかったり、2時間も中心地を歩き続けました。そして、700SP(1500円)、エアコン付き、トイレ、シャワー付きの宿を探し出しました。しかしねー、ホテル探しの為に、旅をしているのではない。と、思うと、探している時は、なんとも、惨めな気持ちになります。でも、諦めません! 気に入った宿が見つかるまでは。荷物を置いて、早速、町の観光に行きました。と言っても、何にも観光的な場所がありません。モスクだけです。町の中心地から、500m程度なので、すぐに着きました。市民の憩いの場所にもなっているのか、飲み物、食べ物を売っている屋台も、結構出ています。市民の皆さんは、木陰に入って、おしゃべりしたり、休んでいます。このガキ共は、外国人の僕を見つけると、やって来て、写真撮れって言います。可愛い女の子を撮りたいと思うに、クソガキが邪魔して、仲々、撮れません、やっとの事で、クソガキを追い払って、撮ったのが、右端です。 モスクの名前は、ハーリド・イブン・アル・ワリッド・モスクと言います。覚えなくとも良いです。こんな長い名前は、僕も覚えられません。中庭です。ダマスカスのウマイヤド・モスクの大きさとは、全く比べ物になりませんね。でも、親しみ易いです。モスクの中です。モスクの天井です。以上で、ホムスの報告完了です。簡単ですね。この町の紹介は。
2008.08.12
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デリゾールからアレッポへ移動です。「アレッポ」、と言う町、覚えやすいと言うか、親しみ易いと言うか?何故なのかなー? と考えてみたら、いつも、失敗しては、「あれー? あれー!」などと、言っているからでしょうか?とにかく、そのアレッポに向って出発です。このバスです。エアコン完備、水サービスあり、快適です。アレッポへの道も、ユーフラテス川沿いを登って行きますので、緑豊かな、風景であります。デリゾールから、4時間半で、アレッポに着きました。長距離バス停は、町の中心から、大体、2キロとか、3キロとか、離れています。必ず、タクシーが客引きをしています。ですが、僕は、こう言うところは、歩くことにしています。初めて訪ねた街を、聞きながら、テクテク歩くのも、楽しいものです。まぁ、ここは、ちと、いや、かなり、いや、物凄く、暑いですがね。休み休み、テクテクと歩いていました。そしたら、こんなもの見ました。これは、ホブスですよねー? ホブスです、こんな風に焼くのです。見ていたら、この火のおこっている、炉の中に、ホブスを素手で、貼り付けるのです。熱くないのかなー?45分ほど、歩いて、町の中心につき、ホテル探しです。満室のホテル、5軒。気に入らないホテル、3軒。そして9軒目のAL ZHRAA HOTEL に決めました。1000SPと言い張るのを、何とか、900SPまで負けさせて、決めました。本日は、昨夜の、もう恐ろしい暑さの夜を避けたくて、エアコン付きの部屋にしました。2000円もしますから、ちょっと、高級でしたでしょうか?さて、町の探検、中心部にある、時計台。さらに歩いて行くと、スークを通って、アレッポ城へ続く、アンタキヤ門に着きます。そして、ごみごみした、スークスークを歩いていたら、停電となり、発電機を道路に出して、発電開始しました。屋根もあり、密閉状態の中へ、目が痛く臭い排気が充満して、、足早に歩きました。そのスークを抜けると、アレッポ城です。深さ22mの堀に囲まれ、周囲が2.5キロmもある巨大な要塞です。縮小しました、アレッポ城を見て下さい。 これまた、縮小版、アレッポ城の中を見て下さい。 このアレッポ城、18時で門が閉められます。17時40分頃、ぴーぴー、笛が鳴らされ、帰れー! と言ってます。僕は、17時を過ぎて、入場して、故あって、雑談を30分位していたので、まだたったの10分しか見ていません。150SPもとって、もっと見させてくれよー!と言いましたが、冷たく、あしらわれたので、くっそー! と思って、べぇ~っと、舌をだして、ふんだ! と言ってやりました。舌でる。 シタデル。アラビア語で、「シタデル」とは、「城塞」と言う意味です。(だから、舌だした訳ではありません。)
2008.08.11
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昨日は、おぉー! あれがイラクか? と言うほど、イラク国境にに近い、ドゥラ・エウロポスで、感動的なユーフラテス川を見ました。デリゾールの地図を見ると、町の端に、ユーフラテス川が流れています。行って見ないと、一生の損になると思い、朝の散歩と洒落込みました。川が見えて来ました。なんじゃー? これがユーフラテスかー?彼女のアパートへ通った、目黒川じゃーないよなー? 東京の我が街、池上を流れる、呑川でもないよなー?何とも、ちんけなユーフラテス川です。地図をもう一度確認すると、どうもこれは支流のようで、もっと先に本流があるらしいです。本流を歩いたことのない、僕にとって、支流が似合っていると、言えないでもないのですが、それとこれとは、関係ないとして歩きました。こんな道路です。おー! 見えて来ました。これが、デリゾール橋です。名づけ方が簡単ですな。町の名に、橋をくっつけただけです。東京橋とか、大阪橋、名古屋橋と言った命名です。しかし、橋が沢山ある町では、その名の取り合いになるから困るでしょうが、ここデリゾールでは、そんな心配は不要のようです。あんまり、大きな橋ではありませんねー!おー! 雄大な、ユーフラテス川です! こうでなくちゃー!目黒川程度ではねー、納得出来ませんよ。なんせ、世界4大文明発祥の元の川なんですからねー。橋と周囲を、見て下さい。 この橋、車は通れません。歩く人と、自転車の人は通ります。でも、コンクリの繋ぎ部分の幅が広いのです。子供なら、落っこちてしまうほどの幅です。大人でも落っこちるかな?そうだなー、スタイルの良い、女性なら、間違いなく落っこちます。その位、隙間が開いてます。日本で、こんな大きな、隙間のある橋があったら、大騒ぎでしょう。ニッポンのお母様たちが、半狂乱状態で、行政の怠慢をののしる事でしょう。そして、マスコミも、大挙して押しかけ、報道するでしょう。物知り顔の、評論家が、どこのテレビ局を廻しても、何でこんなのを放っておくのでしょうか? 信じられません! 即刻、修理すべきです!などと、のたまうのでしょう。しかし、ここ、デリゾールでは、そんな心配はありません。僕が、こわごわ、その隙間を飛び越えると、子供達は、その仕草がおかしいのか、僕の前に後ろについて来て、行列騒ぎとなりました。ひょいひょい、歩いていまして、隙間に落ちる心配など、全く感じられません。でも、僕には、やっぱり、ちょっと怖いです。夜、暗闇で、渡るときに、落っこちてしまったなどと言う事故はなかったのですかねー? 聞いたり、確認したりするチャンスなく、これは、謎のままです。しかしなー、現地の人は、隙間があっても、ひょいひょい、歩いているのに、僕は、こわごわ。いかんなー! 弱い人間に成り下がってしまっている!
2008.08.10
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ミクロバス(歩き方より)と言うらしいですが、こんな可愛い車で行きます。(この近辺の国では、セルビスって言ってると思うのですがねー。)勿論、自然の温度調整付きです。まぁ、汗がたっぷり出るので、これは、痩せますね。減量したい人には、お奨めです。(昨夜から、引き続き、ダイエットの旅です。干からびそうです。)ユーフラテス川の、川沿いを下って行くので、緑は豊富です。ラクダも食べ物が沢山あり、まーぁ、すごい団体さんです。ユーフラテスといったら、メソポタミア文明の、あの世界4大文明の所ですよねー? ティギリス・ユーフラテスでしたか?すごいところへ来てしまいました。でも、まだ、その川は見ていません。デリゾールの近くに有名な橋があるらしいので、明日行って見ます。ミクロバスで、暑さに参った1時間、そして、さらに15分ほど進んだところで、「ここだ、ここで、降りろ!」、と言われました。な、なに? どこじゃー! 見回して見ても、なんにもありません。い、いや、とーーーーーくの方に、何か見えます。おい、おい、こんな、砂漠のど真ん中に降ろされてしまって、バスの中より、数倍は暑いし! 直射日光、突き刺さるじゃないか!い、痛い! どうすりゃー、 いいんじゃ!仕方なく、歩きます。汗が目に入り、ハンケチ片手にゆっくり歩きます。まだ、あんなに、遠くじゃ。全く、日陰がないので、溜まりません。それでも、歩いていれば、段々、目的地は近づいてきます。ひぃやー! ようやく門まで、辿り着きました。だれ~もいませんが、チケット売る人は、小さな小屋の中にいました。75SPは、しっかり取られました。こんな所へ見に来る人がいるのか、聞いて見ました。「イタリアからの団体さんが、バスで10人やってきた。あんたが11人目。」だ、そうです。1日、10人程度しか子来ない、観光地です。門を入ってみます。門の左側の壁です。壁以外は瓦礫です。右手側です。な~んにもありません。広大な土地ですが、な~んにもありません。恐ろしくな~んにもありません。もう、戻ろうか? と思いましたが、せっかく、ローカルバスで、エッチラオッチラ、そして、砂漠を、トボトボと歩いて、辿り着いたので、もう少し先まで、歩いて見ようとしました。この辺りは、貧乏人根性って言うか、暑くて、疲れているのに、良く歩こうと思いますよねー! 我ながら感心します。と?すると?向こうの方に、砂漠や、瓦礫の山とは、かけ離れた景色が見えます。ありゃ? 目がおかしくなったか? 心がおかしくなったか? 目の錯覚か? 豊かな緑が見えるのです。ん? んんん? 陽炎か、蜃気楼か?うつ病が悪化したか? 直射日光で、アホな頭脳が、さらにやられたか?怪しみつつ、もう少し近づいて見ました。やや! 川じゃ! 間違いない、川じゃ! でかい川じゃ!目を擦って、後ろを振り返れば、ありゃー? やっぱり瓦礫です。さらに川が良く見える移動してみます。これは、明らかに川です。大河です。う~ん、これが、ユーフラテスじゃな! ようやく、ここで気が付きました。遅いなー! 気が付くのが!ガイドブックを開いて見れば、この軍事都市は、ユーフラテス中流を守る為に、アレキサンダー大王の武将セレウコスと言う人が作ったのです。武将:セレウコス無精:アジアの星一番 同じ、ぶしょう、でも、どえりゃー違いだす。ここに、ユーフラテスがあって当然なのです。蜃気楼ではありませぬ。ゆったり、流れています。ゆったり、ゆったり、です。それにしても、水のちから、水の有り難さ、この景色を見れば、理解力の不足している人にも簡単に分かる、対照的な景色です。古代の人類も、象やライオン達と共に、水を求めて、やって来て、厳しい生存競争を、勝ち抜いて、生きてきたのですね。うつ病になど、なってる暇はなかったでしょうなー、当時の人たちは。
2008.08.09
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デリゾールへ移動します。デリゾールが目的地ではないのです。イラク国境近くに、遺跡があります。ドゥラ・エウロポスと言う、紀元前3世紀頃に作られた、軍事都市を見たい為に、行くのであります。パルミラからデリゾールの景色は、中東の砂漠地帯と同じです。日本で言えば、ドライブイン? 道路脇にあり、小休止しましたが、変った造りなので、撮って見ました。長距離バス停に着いたら、外国人は集まれ! とか言われて、別の部屋に連れて行かれ、パスポートのチェックがありました。こんなのは、初めてですね。因みに、デリゾールから、ドゥラ・エウロポスへ行くバス停でも、パスポートのチェックがあり、台帳に記載してました。イラク国境に近いので。外国人の検査が厳しいのかも知れません。これが、デリゾールの町です。ごちゃごちゃしてますねー! 町の中心、アザール広場です。腹が減ったので、昼食です。シュワルマとは違いますが、ホブスに、肉とトマトなどを挟んだものですから、似たようなものです。1ヶ、30円です。結構、ボリュームありますよ。エアコンなし、シャワー、トイレ共同のバックパッカー宿、ホテル・アル・ジャミア・アル・アラビアに決めました。わずか、350SP=750円程度です。安いですが、エアコンないときついですねー!座って、パソコンに向っているだけで、汗が滴り落ちます。この夜、ずっと、ずっと、暑くて、朝の5時過ぎまで、汗がボタボタで、まんじりと言うのでしたか? そのまんじりともせず、あぁ、もうこれから、絶対にエアコン付きの宿にするぞ! と心に言い聞かせておりましたです。3リットルの汗が、流れ出たと思います。ダイエットしたい方には、お奨めの宿です。
2008.08.09
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客引きに連れて行かれたホテルとは、とかく金儲けの話で揉める。ここのホテルも、ツアーを懸命に薦めるのです。オーナーから、 * エラベール家の塔墓 * 三兄弟の地下墓室 * アラブ城での夕陽この3ヶ所で、1000SPと言います。2000円ちょっとですから、安いのですが、きっとこれは吹っかけていると思って、「行かない」と言うと、どんどん、下がって、600SPになりました。それでも、タクシーなんて、どこにでもいるから、OKしません。そしたら、パルミラの入り口で、16時に待っている、としつこいです。テルミラを全部見終わって、歩いて戻ると、オーナーに会いそうな時間だったので、ショートカットして、ガラクタとなった住宅地跡を通って、市内へ戻って行きました。そうしたら、オーナーの奴、そこで待っていたのですよー!その商売熱心さに驚きましたが、こちらは引きます。絶対に行かない! と思ってしまいます。結局、オーナーを追い返し、しばらくして、他のタクシーから500SPで誘われたので、それにしたのであります。200円とか、300円の差ですが、僕もかなりネバイですね。エラベール家の塔墓 ったく、大したことはありません。三兄弟の地下墓室 行く価値を感じません。まぁ、そんなもんやろ、と、諦めて、ホテルへ送って貰いました。夕陽も大したことなかろう、疲れたから、ホテルに居るかなー?とも思ったのですが、既に3ヶ所分を支払っているので、結局行きました。アラブ城から見た、現在のパルミラの街並です。アラブ城から見た、パルミラ遺跡の全景です。いやー、ツアーに参加して良かったですねー! こんな風に、全景が見られるのですから。アラブ城です。そして、パルミラ遺跡の反対側を見ると、夕陽が沈んでいきます。何と、きれいな夕陽でしょうか? 虚空さんへ見せてあげたいです。太陽が、半分ほど沈みました。このあと、30秒程度で、太陽は、完全に地平線の下です。どう見ても、地球が太陽を廻っているとは思えません。太陽が地球の周りを廻っているとおもうでしょうねー。誰でも。地球は廻っている、なんぞと思った奴は、頭がおかしかったのでしょう。この光景を見て、そう思いました。
2008.08.07
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もう既に、パルミラから、ずいぶん先へ来ています。ですが、ネットカフェが見つからなかったりで、仲々、アップ出来ません。そして、皆さんの所へもお邪魔出来ずにいますが、悪しからず、ご了承願います。又、カメラのレンズに汚れがあるのか、何度、拭いても黒いボヤケが残ってしまい、残念です。汚れじゃーないのかなー?===============================これが、パルミラの一番、柱が残っている部分です。って、言っても分かりませんよね?ベル神殿を出て、記念門へ向っていくところです。ん? 誰か、立ってますねー? ん? 誰だー?少しだけ、見覚えがあるような、ないような? 化粧してないな? 今日は、あんた?そうそう、アラブ語で、アンタって言えば、日本語でもアンタって意味なんですね。分かりやすいです。因みに、私は、アナです。アンタとアナ、で、あなたと私です。アナがなんかピンと来ませんね。あは、余談でした。はい、もう少し近づいてみた、記念門です。列柱道路って言うらしいですが、広大な遺跡の町の真ん中を、こんな柱の道が、あったようです。円形劇場がありましたが、鍵が閉まってて、中に入れません。外からでも、丸い形は、わかりますがね。これが、四面門です。列柱道路の入り口から三分の一ほどの所にあります。この四面門、夕日を浴びると赤みを増して、素晴らしく美しいとのことです。四面門を超えると、観光客は、ほとんどいません。又、歩くところも、整備されてなくて、気を付けて歩かねばなりません。列柱道路は、残っている柱が、途切れ途切れながら、まだずっと続いています。ここが、列柱道路の突き当たり、葬祭殿があります。ここは、保存状態が良く、柱のほかに壁も残っています。入れませんでしたが、地下には納体室もあるようです。ここから、列柱道路を見た写真です。帰りは、ほとんど、柱も残ってない、住宅地跡を歩いて見ました。この方が、近道で、早いのです。暑いしねー。そしたら、雑草が健気に生きていて、花? 実を付けていました。強いですねー。 けど、あんまり、可愛くないですね。
2008.08.06
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パルミラはオアシス都市で、古くは7万年もの前の、石器が発見されているそうです。紀元前18世紀の頃、「タドゥミル」と言う名で、呼ばれていたと言う文書もあり、かつての呼び名も残されているそうです。その後も、色んな歴史の中で、翻弄された都市ですが、詳しくは自分で、調べて下さいまし。まずは、パルミラの「ベル神殿」から見ました。正面です。中に入って、柱が残っている西側から、見た所です。大きな石ころが、ゴロゴロしております。これらは、皆、建物の柱だったり、梁だったりしたものです。柱がこのように残っています。人間が2人見えるでしょうが、如何に大きな柱かが分かると思います。関係ありませんが、このカップル、暑いのに、ずっとくちづけしてました。お陰で、写真撮るのを、待たされましたよ。ったく、もっと別のところで、やってよ! と言いたいです。生殖は、どんなに暑くてもやるのですねー! お疲れさまです。これが、神殿かなー?これにも、下に、人が見えますね? 巨大な建造物なのです。
2008.08.04
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まだ、もう1泊して、ダマスカスを見たいのでありますが、宿探しが面倒なので、シリア最大の見所、世界遺産のパルミナへ早々と移動する事にしました。ここ、ダマスカス、イスラム第4の聖地であり、そのモスクの名が、ウマイヤド・モスクて言うのですよ! ウマイヤド。「うまい宿」、とも書けますよね? もっとうまい宿、準備して欲しいものです。50US$も支払った、AL PATRA HOTEL、朝食付きです。ブッフェと言うので、「元を取り戻したれ! 思いっきり食ったれ!」と、思いましたが、大して食べるものなし。これで、全種類です。中東にしては、珍しくスープがあると思って、スプーンで掬ったら、な、なんと、ジャムでした。やむなく、ホブスにつけました。スープと、ジャム間違えるか? アホやねー!さて、ホテルから長距離バス停へ。始めのタクシーの運ちゃん、200シリアポンドと言うので、『バ~カ!』と言って見送り。次の運ちゃんに決めました。100シリアポンド、相場通りです。着きました。長距離バス停。なんと、このバス停から、トルコのアンカラとか、イスタンブールまで、直通のバスが出ているのです。興味本位で聞いて見ましたところ、イスタンブールまで、1800SP=およそ4000円。20時間かかり、毎日、2便、夜の21時と、22時に出ているとのことです。便利ですねー!パルミラ行きのバスです。一応、エアコン付きで、水のサービスもあり、トルコのバスに比べれば、サービスは劣りますが、特に、文句を付けるべき箇所はありません。ダマスカスからパルミラへ。途中の風景です。このような、緑があるのは、最初だけです。道中は、ほとんど、このような、緑のない土漠でした。パルミラではバス停も何もない、道路端に降ろされました。僕と、もう1人だけが、パルミラで降りるようです。さて、どこかいな? ここは?と、キョトキョトしてたら、客引きが来ました。始め20ドルと言うので、「バ~カ!」と歩きだそうとしたら、「500でいい」と言うので、部屋のみ見る事にしました。外観は普通の家みたいです。部屋です。部屋の外には、ベランダがあり、パルミラの遺跡が見えます。エアコンもついているので、あまり綺麗ではありませんが、ここに決めました。ベランダからの景色です。遠くに遺跡が見えます。
2008.08.03
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朝早くサウジを出発。バハレーン空港から、シリアの首都、ダマスカス空港まで、たった2時間半の旅です。ホテルの予約が出来ていないので、ちょっと心配でありました。4人部屋のドミを見ましたが、さすがに、贅沢に慣れてしまったのか、1000円のドミ、ここでは眠れないと諦めて、別のホテルを探しました。50US$と言う、バックパッカーにしては、超贅沢な部屋が見つかりました。それでも、1泊しか空いてません。明日は、どうするか?荷物を置いて、早速、旧市街:オールドダマスカスを見学に出かけました。 新市街から、旧市街へ 城壁が見えて来ました 行く道路 城壁です 城壁を越えると、ハミディーエ・スークです。 ここは、入り口ですが、なんと、アーケードもついていて、長さが600mもある、大きいなスークです。歩いている人も多いですね。お! アイスクリームが、山のようにありました。早速、買って見ましたぞ! およそ100円です。サウジより、ずっと過ごしやすいとは言え、暑いのは暑いので、おいしいです。スーク・ハミディーエの突き当たりが、ウマイヤド・モスクです。このモスクは、イスラム教第4の聖地と言われているそうで、巡礼者が多いとのことです。そう言えば、イランからの巡礼者で、部屋が満室です、と断られたホテルもありました。 中庭が広く、皆さん、思い思いにくつろいだりしておりました。部屋の中には、イスラムとしては、多分、重要なものが安置されています。皆さん、触ったり、拝んだり、写真撮ったりしてました。 ここは、巨大なお祈り室のようです。僕は、疲れてしまって、横になって寝ていたら、係りの人に怒られました。小突かれて、起こされてしまいました。神聖なお祈り室ですからね。入らせて貰っただけで、感謝せねばならないのに、失礼してしまいました。 シリアは、サウジと同じアラビア半島ではありますが、気候はずいぶん違います。暑いのは、暑いですが、サウジのように、痛いと言うか、突き刺すと言うか、そのような暑さではないです。もっと、やさしい暑さです。気温が、たぶん、サウジに比べて、もっと低いのでしょう。
2008.07.31
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インドのビザ、本日、取得致しました。これから、6ヶ月間は、インドへの出入りは、自由です。まぁ、そんなに、出たり入ったりは、しない予定ですが、バングラデシュ、ネパールの辺りは、インドと入り組んでいるので、結果的に、出たり入ったりする事になろうかと思います。これは、間歇的世界一周の一環としての、旅と位置づけております。まだ、ちょっと先で、サウジの出稼ぎが、無事完了してから、出発となります。その前に、明日から、シリアへ行ってめぇりやす!明日の夜は、シリアの首都、ダマスカスから、アップする予定です。ダマスカスのホテル、今、イランからの巡礼者で、ほとんどのホテルが満室だそうです。8つほど、中級、安宿のホテルへ連絡を取りましたが、ぜんぶ、断られました。困ったなー。
2008.07.30
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毎月、インド人の秘書や運転手と会食していました。しかし、日本への一時帰国や、周辺国への旅などが続いて、暇がなく、且つ、メンバーの1人だった、ヒローがインドへ帰国したので、ここの所、2ヶ月ほど、会食してませんでした。そうしたら、食事に行かないのか?と何度か、催促されていて、本日、行って来ました。支払いは、僕なのに、催促されるとは、面白いなー、と思った次第です。我が町、ジュベールにある、シャルク・ホテルでの食事です。町の食堂的な、レストランでなく、一応、ホテルのレストランです。今回は、パキスタン人の運転手も招待しました。パキスタン人は、彼の国の、民族衣装を着てきました。(左側)これは、ホット&サワー・スープですから、中華ですね。インド料理がメインですが、メニューには、中華もフィリピンもありました。チキン・マサラと言うます。チキン・シーディと言うのだったと思います。チキン・テッキィです。オーダーを任せたら、3皿全部、チキンです。スープは、皆さん、チキン・スープ、飲み物は、皆さん、オレンジジュース。1人が、頼むと皆、俺も、俺もって同じもの、まるで日本人みたいです。それに、チャーハン2皿、サラダ2皿、を追加オーダーしました。ホブスは頼まないのに来ます。これで、日本円で、約6000円。インドだったら、このお金で、家族が、20日間食べられます。ですから、彼らにとって、結構なご馳走なのですね。まぁ、貧乏人の僕にとっても、結構な散財となりますが、それでも、1ヶ月に1回程度ですから、良いでしょう。でもですねー、ご馳走様とか、ありがとうございました、とか、言わないのですねー。秘書のサタールは、さすがに、握手して「ありがとう」って言うのですが、運転手の二人は言いません。ご馳走されて、当然と思うのでしょうね。もしかしたら、何で、1ヶ月に1回しか、ご馳走してくれないのだ?などと、思っているかも知れません。それが、ちょっぴり、不満といえば、不満です。
2008.07.29
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本日、シリアのビザを取得しました。アラビア半島の国々は、日本に対して友好的な国が多いようで、事前にビザを取得しなければならない国は、少ないです。サウジアラビアは、別格で、観光ビザは、ほとんど例外を除いて、発給されません。ワーキングビザも、取得にはハードルが高いです。ビザを取るのは、非常に難しい国です。ビザが入国時に取得可能な国は、下記です。 バハレーン UAE(アラブ首長国連邦) カタール オマーン イエメン クウェート ヨルダン レバノン イスラエルほとんどの国が、入国時にビザとれますね。事前にビザ取得が必要な国 シリアと言うことで、シリアだけなんですね、ビザの事前取得が必要なのは。あ! イラクを忘れてました。イラクは、ビザどうなんでしょう?分かりません。ホットなニュースなんですが、UAEへの入国は、7月29日から、ビザの事前取得が必要になるって、噂が出ております。本当なら、何故なんだろう? と非常に不思議です。観光に力を入れて、大金をつぎ込んでいるのですから、ビザを必要としたならば、観光客は、不便になりますよね?若しかしたら、その観光客の数も減るかも知れません。え? なんで、シリアのビザをとったのかって?そりゃー、勿論、シリアへ行くのですよ!えー? なんですか? また、行くのか! ですと?また、行きますよ! 今週の木曜日からです!へへへ、ホホホ、うふふ、これで、45ヶ国目です。タイトルを、世界一周にしましたので、目標を108カ国にしました。いつまでに、達成出来るやら?
2008.07.28
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本日は、何の話題もありません。でも、パソコンに向って、ブログ書かないと、1日が終わった気がしないです。本日は、日曜日。楽しみにしている、「篤姫」、がある日です。開始当初、「篤姫」、宮崎あおいで、大丈夫かい? などと言う声が多くあったようです。ですが、僕は、面白いと思って観ていました。そしたら、視聴率高いらしいですねー!誰も、感じることって、同じなのだなー、と思った次第であります。それから、NHKでもう一つ。朝ドラです。「ちりとてちん」、が面白かったので、引き続き、「瞳」、も見ようと何回か見ました。しかし、西田敏行の役が、あまりにはまってないし、重苦しいので観るのを止めてしまいました。そう言う感想を会社で言ったら、同じ職場で働く人にも、同じ意見がありやっぱり、感じることって、同じだなー、と感心していました。そして、古い週刊誌、4月の新潮を読んでいたら、「瞳」に関する記事が出ていました。 朝からギットギト、オモたいなー!ってのが、見出しです。暑苦しく、重たく、ギトギトしてて、見てられない。って言うのが趣旨。西田敏行、嫌いではないし、「釣りバカ日誌」なんて、毎回見るほどのファンなのですが、この役は、全く似合ってない。「陰日向に咲く」って言う映画の時も、同じような格好で出ていたけど、あれは、浮浪者の役だったので、はまり役じゃーないと思いましたが、まだ、許容出来る範囲でした。「瞳」の祖父:勝太郎の役は、ダメだねー!ストーリーを変えるか、何かして、西田敏行を引っ込ませないと、視聴率は上がらないわ、西田敏行自身も、可哀そうです。熱演すれば良いってもんじゃー、ないですから、難しいですよ。と言うことで、NHKの番組について、独り言でした。
2008.07.27
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今日は、ちょっと、悪口を言います。あんまり悪口は言いたくないのですが、腹が立つことを並べると、悪口になってしまいます。 すいませんが、ちょっとお聞き下さいませ。=============================カタールのドーハへは、飛行機で行きました。我が町、ジュベールから、車で45分の所に、ダンマン飛行場があります。そこから乗り、帰りも、そこに着きました。しっかし、ここで、腹の立つこと、立つこと、あったま来た事がありました。下腹が立ったのでは、ありませぬぞ! 腹が立ったのです。お間違えなく! 下腹が立つのと、腹が立つのでは、どえりゃー、違いがあります。え? 誰も、間違えてなんかない? へぇー、すんません。何が、そんなに腹が立ったかと言うと、まず、行きのイミグレの係員です。ダンマン空港なんて、ローカルの空港ですから、そんなに乗る人はいません。少ないです。しかし、イミグレでは、列をなしています。なんでやねん?ったく、問題のある奴らが多いのかなー? 出稼ぎの中国人とか、フィリピン人が、出国の問題起こしているのか?と思って眺めていました。サウジ人とか、ガルフ各国の出国は、物凄く早いのに、外国人の所のみ、時間がかかっているのです。なんでやねん? しかし、何とも分からず、なが~い、列を、止む無く、舌打ちしながら待っておりました。そしたら、理由が分かりました。そのイミグレの係員の奴、同僚と世間話か、何か、ベラベラ、人のパスポートを振りかざして、話しているのです。それで遅いのです。腹立ちますわなー! このドアホ!と心の中で叫びました。帰りです。夜中の12時近くに、ダンマン空港に着きました。誰もが、早く帰宅したい為、急いで歩いています。気が早い奴は、まだ、飛行機が動いているのに、荷物を降ろして準備しているのもいました。僕は、特別に急いだ訳ではありませんが、こう言う時の、要領は比較的良いものですから、先頭グループで、イミグレに着きました。僕の前には、白人と、フィリピン人らしき人で、僕は3人目です。こりゃー早く出られるわい。ニコニコ、としておりました。しかしですな、後ろから、サウジ人達が来たら、係員がわざわざ、外に出て来て、「はいはい、こちら、こちら!」、とそいつらを、優先して先に進ませるのです。なんと、10人も、20人も、ぞろぞろと先に行きます。3人目で、ニコニコしていたのに、な、何と言う事か!くっそ! と、文句付けてやっか? と思っていたら、並んでいた、フィリピン人に、係員が寄って来て、何やら言ってます。そしてパスポートか何かを見た後、あっちへ行け! と言うような態度を取り、可哀そうにフィリピン人、ずっと後方の外れのベンチの方へ行ってしまいました。なんじゃいな? 訳わからんわい。我慢強い白人は、じっと同じ場所で待っています。当地では、「泣く子と、女性と、サウジ人には、勝てない」、と言われておりますので、僕も止む無く、黙ってまっていました。(この格言、僕が作りました。)腹立ちますよねー!結局、その白人と、僕が、一番最後になってしまいました。こんな国は、他にはないでしょう。彼の国、中国でさえ、最近、並ぶことを覚え始めました。サウジアラビア、サイテーの国ですね。石油が無くなったら、いち早く滅びる国でしょう。まぁ、ベトウィンに戻れば良いだけの話ですから、何と言う事はありません。外国人に対して、こう言う扱いですから、インド人や、パキスタン人、そして、白人も、サウジを好きだと言う人はまれです。サウジから、タイへ移動とか、マレーシへ移動などと言う、白人は「地獄から天国行きじゃ!」、と大喜びします。そして、その日、最も、可哀そうなのは、フィリピン人でした。その後、入国出来たのやら?
2008.07.26
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水曜の夜到着し、金曜の夜まで、丸々48時間、カタールのドーハに滞在しました。観光スポットは少なく、おまけに2週間前から体調も落ちていたので、「ホテルで休養の旅」、みたいな結果になりました。しかし、お陰さまで、体調も回復して、今は、すっかり元気になり、久しぶりに、ゴルフへも行けるようになったのであります。ドーハと言えば、すぐに思い浮かぶのが、「ドーハの悲劇」ワールドカップ初出場を目指していた日本。最終予選の最終戦、対イラク戦も優位に進め、1点リードで、もはや勝利目前! 誰もが勝利、そしてワールドカップ初出場! と思った事でしょう。が、しかし、だが、ロスタイムで同点に追いつかれ、無残にもワールドカップ出場を逃したのであります。まさに悲劇的でありました。それが、1993年10月28日だったそうですから、もう、15年の歳月が流れ去ったことになります。「ドーハの悲劇」を知っている人は、皆さん、15歳の年齢を重ねたはずです。10歳だった人は、25歳。 お! まだ若い!15歳だった人は、30歳。 おお! 小じわが目立つぞよ!25歳だった人は、40歳。 おおお! 人生半分、中年じゃー!50歳だった人は、65歳。 どう言やー、いいんじゃ?70歳だった人は、85歳。 うわぁー、後期高齢者! 天国に一番近い人(この項、余談です。)そして、このドーハで、一昨年、2006年には、アジア競技大会が開催された由。2016年の夏季オリンピックの開催地にも立候補しているとのこと。そう言った、イベント開催にも、力を入れているようでありますが、ドーハの町を歩いた限りにおいて、そのような雰囲気は感じられません。カタール政府は石油ガス依存からの脱却を目指し、産業の多角化を奨励しているそうです。国王自ら、都市近代化事業が進めているとのこと。アラブ首長国連邦のドバイも石油依存からの脱却を目指しているとのことですが、その方向は、見た目では、極端に異なるように感じます。カタール政府自体、ドーハはドバイのように観光産業が主眼ではない、と言っている由。ドバイに比べたら、同じお金持ちの国ではありますが、全く雰囲気は異なります。ドバイの建設ラッシュ、超豪華ホテル、巨大なモール、どれを比べても、ドーハは見劣りします。しかし、どうなのでしょうねー?僕には、ドバイがこのまま、発展し続けるのかどうか、かなり疑問に思っています。観光、リゾートの地にしては、気候が厳し過ぎます。もし同じような設備が他の国にあったなら、好き好んで、50℃近くにもなるドバイに行きたいとは思わないでしょう。見るべき、自然も砂漠だけです。アラビア湾は、見た目は汚くもなく、泳いだり出来ますが、潜って見れば分かりますが、珊瑚など少なく、よって魚影も濃いとは言えません。世界一の、セブンスターホテルとか、800mの世界一のビルとか、目新しさに観光客や、大金持ちが、今は、お金を落としていますが、すぐに飽きられるのではないかと思います。僕なんぞ、ドバイなど、全く魅力は感じませんし、行きたいとも思いません。カタールのドーハが、観光以外のどんな事業に取り組んでいるのか分かりませんが、ドバイのような、発展一直線より、堅実なような気がします。10年後、20年後の、アラビア半島の行く末が楽しみです。雑感でした。
2008.07.25
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サウジ出稼ぎ後の為に、動き始めました。インドへ行く事にしています。バングラデシュへも行こうとしています。ネパールへも行こうとしています。どうせなら、パキスタンへも行きたいです。地図見ていたら、ブータンも、バングラデシュのすぐお隣だし、行きたくなって来ました。で、取り合えず、ビザ取得の為に、バハレーンにある、インド大使館へ行ってめぇりやした。一応、ビザ申請書に必要事項を記載し提出。手数料の10BD(約3000円)も支払いして来ましたので、来週には、取得出来る手はずとなりました。ついでに、パキスタン大使館と、バングラデシュ大使館も、どこにあるか見て来ました。大使館エリア見たいになっているのか、それぞれ、それ程、遠くはありません。インド、バングラデシュ、ネパール、急いで廻っても、3ヶ月はかかると思われるので、どう廻るか、検討が必要です。パキスタンや、ブータンまでは、3ヶ月では無理かなー?インドは、バイクで廻る事も考えましたが、 * 道路が整備されていない。 * 道路標識が、分からない。 * バイクが、故障した時に、どうするのか? などなど、問題多しと、バックパッカー仲間のご意見多数であり、既に、諦めました。バハレーンへ行ったので、ついでに、豚肉生姜焼き食べて、納豆と味噌汁も買って帰りましたです。
2008.07.24
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私の名刺の肩書きは、アドバイザーです。従って、何かあれば、アドバイスをするのが仕事です。責任はありません。責任がないって事は、気楽なように思えるでしょうが、淋しいもんであります。達成するものがないので、達成感は得られません。元請や下請けが、作成される資料を見ても、嘘ばかり、と言うと身も蓋もありませんが、事実が折り曲げられたり、間違ったデータが、アチコチに散りばめられているのであります。何度、間違いを指摘し、修正するよう、アドバイスしても、直すことはありません。ですから、もっぱら、打合せや会議に出席して、事実を掴む努力を続けております。で、本日の打合せ。午後の打合せでしたので、腹一杯食べた昼食の後遺症で、生あくびが出て来て困ります。それを堪えるのが、結構大変なので、あります。よって、眠気覚ましの為に、首を振り振り、出席者を眺めていたら、面白い事に気が付きました。この打合せは、オーナー会社、元請、下請けの3社で行っていました。7名の出席者がいたのですが、全部、国籍が違うのです。面白いですよねー!国際的ですよねー!サウジアラビア人 → オーナー会社ヨルダン人 →オーナー会社日本人 →オーナー会社(アジアの星一番のことです)南アフリカ人 →元請会社レバノン人 →下請会社インド人 →下請会社イギリス人 →下請会社どうでしょうか? う言う打合せに出席するのは、エンジニアクラス以上の人たちですので、こう言った人種になります。50℃近くにもなる、現場で働いているのは、フィリピン人や、インド人、バングラデシュや、中国人などです。国際色豊かですねー! 驚きました。
2008.07.23
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ほんとに、良く眠れます。昨日は、昼寝、3時間、そして、夜は、9時間も眠りました。それでも、何だか、身体がだるいし、口内炎も直り切ってないので、体調は、今一です。しかし、せっかく、ドーハまで来て、夜の23時のフライトまで、何にもしないのも、癪なので、あまり見たくもないですが、スークへ行って見ることにしました。ここが、街の中心にある、モスクです。この向こう側に、ドーハ・フォートがあります。通りには、パキスタンスィーツなる、お店もありました。アラビア半島の国々は、どこへ行っても、インド人、パキスタン人、バングラデシュ人、ネパール人の出稼ぎが多いです。布地スーク地区へ歩いていったら、こんな建物がありました。なんやら、雰囲気あるなー? と近づいて見ました。カタール・イスラミック・カルチャーセンターと書いてあります。暇は、たっぷりあるし、暑くて、汗はポタポタ滴り落ちるので、これは、格好の休み場所じゃわい、と中へ入りました。係員が、親切で、「今日は、1階しか開いてないが、どうぞ」、と言ってくれました。中には、イスラムの家系やら、ムスリムが守らねばならぬ5つの項目が書かれたりしています。別に、イスラムに興味がある訳ではないのですが、涼み場所には最適なので、ゆっくりと見ておりました。そうしたら、親切な係員が、わざわざ、説明に来てくれました。コーランの原書だそうです。1400年前に書かれたもので、イスタンブール所蔵のものだとか言っていたように思います。ほんまかいな? 1400年前に書かれたにしては、ずいぶん、保存が良いなー、と思ったであります。因みに手前側が、模写であると、説明してくれました。でも、こう言う宗教を作る人ってのは、まぁ、天才でしょうねー!そんなに、色んなこと、考え付きませんよ、普通の人には。しかし、一神教にしたのは、どうなんですかねー? そこの所にちては、あまり賛成出来かねます。汗も、ひっこみ、元気回復したので、布地スークの方へ行きました。金曜日の午前中だからか、開いているお店も、まばらです。布地スークから、アル・ワキーフ・スークへ向います。洒落た、レストラン街もありました。ホテルへ帰って、まだ10時半。23時の飛行機出発時間まで、たっぷり時間があります。いったい、何をすれば、いいんじゃ?
2008.07.22
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何もしなくても、腹は減ります。10時半にホテルの帰り、シャワーも浴びて、パジャマに着替えて、ベッドに潜り込んでいたら、腹が減って目が覚めました。食べに行くのも面倒ですが、3欲の内、2欲は満足させねばなりません。ホテルの隣のインド料理屋へ行きました。お馴染のカレーです。皆さん、右手で食べてますが、僕の場合、フォークとスプーンです。サラダです。キューリと、タマネギと、人参。お定まりです。それに、冷たいスープ。何と言ったかなー? 忘れました。ちぃっと、酸っぱい味です。食べてホテルへ帰り、又、昼寝。先々週、体調悪くて、1日会社を休んでしまいましたが、先週もあまり体調は優れず、口内炎になっていました。本日も、微熱があるようでダルイです。特に見るところもないので、調度いいや、と休養に勤める事にしたのであります。しかし、寝ていても、腹は減ります。体調悪くても、腹は減ります。そこが、唯一、僕の良い所と言いましょうか、食欲がないって事は滅多にないのです。うつ病で、全く動けず、頭はボオーっとして、とても立ってはいられない状況で、寝ているより仕方ないような状況の時であっても、食欲はありました。「食う。」この1欲があるならば、病気も治るだろう、と希望を持ったものです。そして、「寝る」この1欲も、ずいぶん前の一時期は、不眠症的な症状もありましたが、デパス服用により、一時期を除き、改善されて問題なし。残りの1欲は、必要な時に、きちんとしてくれねば困りますが、必要でない時は、なくても、全く困らないし、むしろない方がいいので、あまり関係ありません。必要な時が、ほとんど来ないので、残りのこの1欲、このまま滅亡かも。で、夕食も面倒ですが、食べに行きました。街中を歩いていたら、小洒落たレストランがありました。入って見たら、ブッフェです。値段も、たったの32QR、1000円もしないので、歩き回って探すのも嫌だし、ここにしました。これが、選んだ品々です。魚に、鳥に、牛に、羊に、野菜に・・・。スープも、超おいしかったです。まだ、調子悪く、フラフラしながら、歩いてホテルへ帰りました。そして、又、ベッドの中へ。
2008.07.21
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海岸通りを左折して、ドーハの市内方面へ歩いて行きます。クロックタワーがありました。隣には、グランド・モスクがあります。そして、ドーハ・フォートへやって来ました。石畳が、美しく、敷いてあります。ベルサイユ宮殿の石畳よりきちんと並べてあるように思います。しかし、フォートと言うほど、大したことありません。こんなのでは、すぐに打ち破られてしまうのではないでしょうか。イギリス軍の侵略を防ぐ目的で作られ、ドーハでは、最も古い建物と言うことです。各部屋の中には、何にもありません。ガイドブックには、色んなものが見られるって書いてあるのですがねー。井戸がありました。10mほど、下の方に、水もあります。この位、掘ると水があるのですね。ここは。生命の木とか言われて、砂漠で生きている木の根は、10mとか、20mとか地下まで、地下水を求めて延ばして、水分を採り、生きているって、何かで聞きました。生命の力ってすごいですよね。ここで、びっくり仰天なことがありました。な、なんと、同じサウジの会社で働いている、ご夫妻にお会いしたのです。驚きますよねー!たった1、2分、ここへ来るのがずれただけで、会わないと思います。それが、ぴったり時間があったのです。記念写真を、1枚パシャリ。ちっちゃい写真にしました。誰だかわかりませんね?左側が美人の奥様、右側がアジアの星一番さんです。 これで、ほぼ、ドーハの見所は廻ってしまいました。ホテルまで、歩いて帰って、まだ10時半。2時間で廻ってしまいました。帰りの飛行機は、明日の夜中の23時出発。丸々、2日間も、何をすれば、いいんじゃ?
2008.07.20
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さぁー! 本日と、明日と、2日間もたっぷりあります。ドーハの、観光の始まり! 始まり~! と言ったところで、8時から開くと言うので、まず、カタール国立博物館へ行って見ました。何たって、超金持ちの国、カタール国立ですから、どえらい建物で、そりゃーすごい物の数々が、陳列されているであろうと、期待に期待を増幅させてタクシーを飛ばしたのでありまする。ここが、そうです。が、なんだか、クウェートの国立博物館より、もっとみすぼらしい感じであります。で、やはり、ここも入り口がどこか分かりません。入り口付近をウロウロしていたら、インフォーメーションとか小さく書かれた部屋の中に、真っ黒な係員がいました。彼が言うには、ここはずっと開いてない、との事です。「な、なんだとー! 国立博物館だろー! ここはー!」と、怒っても、開いてないものは、開いてないので、仕方ありません。その係員、「ソマリア」から来ていて、21年間も、カタールで働いているとの事です。20歳から出稼ぎなんですねー。「大変やなー!」、などと、世間話して、開いてない国立博物館を後にしました。「歩き方」、を読み直してみたら、2005年12月現在、改修工事中と記載されています。もう3年近くも改修している事になります。ったく、何を考えていることやら?海岸沿いの、コルニーシュストリートへ歩いて行きました。暑いですねー! サウジのアル・ジュベールより、湿気が多いのか、汗がポタポタ額から、頬を伝います。こんな通りです。仲々、綺麗に見えるでしょう?海です。アラビア湾です。青空魚市場がありました。獲って来たばかりの新鮮な魚ですが、鋭い太陽の直射日光を浴びて、並べたら、すぐに乾燥してしまいます。ですから、ほとんど、保冷箱に入れてあり、客が来ると蓋を開けて見せてます。売っている人は、全てインド系です。これは、みんな釣り船です。エンジンは、ほとんどが、ヤマハですね。ここでも、日本は、活躍しておりました。そして又、こう言う道路を歩いて行きました。太陽を遮るものがないので、暑いです。5分歩いたら椰子の下で、休むと言うような歩き方です。でっかい、真珠貝がありました。向こう側に見える高層ビル群は、日本大使館などもある、地区です。シェラトン・リゾートとか、インターコンチとかのホテルもあります。建設機器がビルの上に見えますので、建設中のものが多いようです。海岸沿いを歩いているだけですが、しかし、ドーハって、何も観光的なものがないですねー?まだ、歩き出して、1時間も経ってないですが、もう少し、見れば、もう、見るところありませんよ?
2008.07.19
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実は、カタールから、たった今、サウジへ帰って来ました。初日から、アップします。============================== KLM航空に乗り、サウジのダンマンから、カタールのドーハに着きました。KLMが、こんな所にもフライトを持っているのですねー! 驚きです!そして、機内誌を見て、日本は、イカンなー、と感じました。何故か?極東のハブ空港は、日本でなくて、韓国であると言うことです。飛行機の発着の数が、韓国と日本では全く違います。韓国の方が、圧倒的に多いのであります。成田空港の反対派の問題で、滑走路が拡張出来ないで、モタモタしているあいだに、日本は、世界から取り残されています。離着陸の枠の配分数が少ないから、中東から成田へ乗り込めるのは、香港経由のキャセイ空港だけです。エミュレーツは、成田へ来ません。ガルフも、成田へ来ません。 困ったもんですねー!各国の航空会社も成田に見切りをつけて、韓国を主要幹線として、日本は、支線としてるのです。 困ったもんですねー!その癖、不要と思われる地方空港は、どんどん出来ているのです。 困ったもんですねー!そんな事を、考えていたら、ドーハ空港に着きました。空港から、市内中心部まで、タクシーでたった10分です。こんなに近い国際空港があるのは、ドーハ位ではないでしょうか?チェックインした、カタール・パレスホテルです。350QRですから、1万円程度でしょうか? ドーハでは、最低価格のホテルで、三ツ星です。1階には、インドレストランがありますし、インド系の客が多いようです。トイレ、シャワーです。清潔にしてありますが、バスタブがないですね。インド系の人が客ならば、バスタブ不要です。どう使って良いか分からないでしょう。外観は、こんなしけたホテルです。
2008.07.19
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明日は、木曜、明後日は、金曜。そうです、ここサウジでは、週末です!中国、「8日間の旅」、は書き終えてしまったし、紀行文のネタも尽きたので、今夜から、カタールへ行って来ます!今回は、カタールのビザが取得可能と言う、運転手がいたので、もう、99%、車で行こうと考えていました。しかしながら、そこはインド人。嘘ついた訳ではないですが、安請け合いでありました。結局、ビザを取るには、大変、複雑らしく、若しくは取得出来ないらしく、車で行くのは、断念しました。サウジのダンマン空港から、カタールのドーハへ飛行機で行きます。ここから、ダンマンまで車で1時間、そして飛行機に乗ってから、1時間も、かかりません。まぁ、待ち時間があるので、合計、4時間ほどかかります。カタールで、ネットを繋げられれば、そちらから、アップします。でわ! 行ってめぇりやす!
2008.07.16
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中国第8日目。もう帰国の日となりました。ホテルからタクシーでも良いのでしたが、「宙を浮いて走る列車」リニアモーターカー、既に実用化されているのに乗って見たいと、駅へ向いました。ここが、始発駅です。浦東にあります。車内です。お客さんは、少ないです。貸しきり状態。出発は、スムースです。レールを走らないので、全く動かないような状態で、走るのかと思いましたが、そう思ったより、横揺れがありました。最高時速は、431キロ。日本の新幹線が、最高時速、280キロ位ですか?路線が短いので、最高時速、431キロで走っている時間は、1分~2分足らずです。すぐに、浦東空港についてしまいます。この写真が、431キロの証拠です。そして、もう、飛行機の上です。今度は、いつ来られるか上海! いつ来るか上海!緑豊かですねー!「蘇州・上海 8日間の旅」、でした。
2008.07.11
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上海雑技団のある、リッツ・カールトンの近くの、レストランで、早めの夕食を採り、上海雑技団のある、2階会場へ入場しました。日本人ツアー客の方も、チラホラ見られましたが、大半は、欧米系の客でした。早速、始まりました。やわらかい身体です。しかもこんな棒の上で演技です。こんなに椅子を積み上げて、その上で、全員が逆立ちします。写真では、良く見えませんが、テコを応用して、ジャンプしています。4人も肩車して立っていますが、その上に乗るのです!ハラハラしますよ!約、1時間半、飽きることなく、笑いあり、緊張ありの素晴らしい演技に拍手喝采でした。上海雑技団を見るのは、今回で、4~5回目となります。リッツカールトンでない所でも見ましたが、そこは、檻の中をバイクがグルグル廻る演技もあります。何度見ても、飽きないです。
2008.07.11
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中国第7日目は、上海博物館へやって来ました。ここは、すごい大規模です。故宮博物館、南京博物館と並んで、中国3大博物館と言われています。古代青銅館の展示物です。 古代彫塑館には、こんな優しい顔した、仏像があります。見ていると、癒されます。これが、古代陶磁館にある、景徳鎮で作られた器です。説明文も、写真撮りましたが、見えますでしょうか? 途中、疲れたので、カフェで小休止です。ケーキもありました。 古代書法館 この家具、椅子などは、すごく精密で豪華なものです。 この他にも、絵画、印鑑、民族工芸、銭幣、などなど、1日でも、見切れません。日本語の、テープも貸してくれるので、自分のペースで、急いでも、ゆっくりでも、廻れます。一度は、見ておくのも、よろしいでしょう。
2008.07.11
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浦東側で、食事をして、雨も止んだので、夜景の外灘へやって来ました。この時計台、ロンドンのビッグベンにも劣らないですか?黄浦江から浦東タワーです。昼間より綺麗ですねー!しかし、少しガスっています。右手の、背の低い建物で、夕食を食べました。舟も、こんなCMの照明をつけたりしながら、走っています。和平賓館へ行って、老人貴公子達の演奏でも聞きながら、カクテルでも飲もうと思ったら、改修中で閉館です。どうも、万博に備えて、大幅な改修をしてるとのことです。で、総経理さんの知っている、こんな中庭のあるホテルへ行きました。ほとんどが、欧米系、白人の客ばかりです。庭のテーブルで、月を見ながら、カクテルを傾けました。ついでに、百楽大酒店の、私の部屋も見て貰いましょう。
2008.07.11
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夕食は、上海のとある会社の、総経理(社長さん)をなさっている方と会食です。浦東にある、有名なレストランで、外灘が綺麗に、良く見えます。ここは、席料は取りませんが、注文の下限料金があって、安いもので済ませる事は出来ません。夜景見学料が含まれているようなものですね。これらは、前菜です。 これ? 何んだったかなー? 忘れてしまいました。小エビです。この辛いのがうまいんですよねー。唐辛子ばっかりで、食べられるのは、この中で、そんなにありません。イセエビ見たいな奴で、高いですが、おいしいです。これを、頼んで失敗しました。何でしょうか?スッポンです。以前にも頼んで失敗だったなー、と思った事があります。あまり好きでありません。皆さんも、一口食べただけで、ほとんど残しました。何で注文してしまったのかなー? 又々、失敗です。このスープは、さっぱりして、うまかったです。 〆て、1600元、およそ、24000円程度でしょうか?4名で、これだけの値段ですから、場所も最高だし、安いのでしょう。しかし、昨夜の火鍋と比べると、値段は5倍。そして、そして、火鍋の方が、ずっとおいしかったなー。(実感)
2008.07.11
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中国6日目。まず、上海城市規格展示館へ行きました。驚いたのが、円盤みたいなどでかいテーブルに乗ったら、これが、また、空飛ぶ円盤見たいに、上海の上空や、黄浦江の上を飛ぶのですねー!小型のディズニーランドみたいです。写真撮って見ましたが、写真では、良く分かりませんね。勿論バーチャルな世界ですが、上海の全体を少し上空から、見て廻るので、良く分かります。これは、延安西路の上を飛んでいるところです。そして、上海市の模型もあります。良く作りました。これを見ると、高層ビルが、ほんと沢山あるのが分かります。世界で、一番大きい都市ではないでしょうか?そして、豫園へ移動です。豫園の入り口の麺のお店へ入りました。お金持ちに見えたのか、2階へ案内されました。しかし、どうも、2階は麺だけを食べる席ではないようです。店員さんが、難しい顔してましたが、構わず、麺だけ注文です。昼食から、そんなに食べたら、メタボになりますよ。この写真の左手が、ラーメン屋さんです。これは、有名ですね。湖心亭です。つい先日rokogirlさんが、アップしてました。rokoさんは、ここで、超高級料理を、お召し上がりになっていましたね。僕は、下から見上げただけで、通り過ぎました。豫園大門から、豫園に入りました。そしたら、「お茶を無料で、サービスします、これは入場料に含まれています」とか、何とか、お嬢さんが誘って来ました。無料、と言う言葉に、極端に弱い、この私は、のこのことついて行きました。お茶を売りつけようって言う、魂胆なのです。全く、うまい言葉に騙されて、「黒玉」とか言う、お茶を買わされました。脳梗塞、高脂血症、高血圧、動脈硬化、血管硬化などに聞くと言うので、お客さんに上げました。「無料」、と言う言葉には、気をつけましょう!豫園の中です。ここにも太湖石が、配置されております。内園の古戯台です。豫園商城の入り口です。時間があったので、ホテルの近くの、静安寺にもよりました。
2008.07.10
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中国5日目の夕食は、上海で、本物の紹興酒が飲めるお店に行こうと予定していました。そのレストランの名は、咸亨酒店です。巨鹿路と、襄陽北路の交差する所にありますが、あまり知られていないようです。濃くて甘い、紹興へ行かなければ飲めない紹興酒が、ここでは飲めるのです。酒だけでなく、料理も全く紹興の本店で食べるのと同じ物が食べられます。例えば、臭豆腐とか。念の為、当日の昼、何気に最新のガイドブックで調べたら、な、なんと、閉店しているでは、ありませんか! いやー、事前確認して、ほんと良かったです。一人なら、どうにでもなりますが、ガイドをしていますので、行って見たら閉店では、対応に困ります。で、止むを得ず、本格紹興酒からガラッと変えて、火鍋にしました。百楽大酒店のフロントへ行き、近くに火鍋のお店はないですか? と聞けば、このホテルの21階にあります。と言います。 小雨も降っているし、あぁ、良かった、良かった、と早速、予約に行きました。すると、すると、午後の5時半過ぎに行ったのに、1時間半~2時間待ちと言うことです。お客さんも、待合席の椅子に座りきれないほど、待っています。 部屋に戻っているので、順番が来たら、電話して欲しいと頼んで、一旦は、部屋に戻りました。しかし、ほんとに電話してくれるのか、不安な為、19時頃出かけて待つことにしたのです。あらまー!まだ、先ほどより、沢山の人たちが待っています。ようやく、席が空いたのが、19時半。これだけ、多くの人が食べに来るのだから、さぞかし、おいしいのでしょう。今まで食べた事のある、火鍋は、一緒に行った人たちと同じ鍋で、皆で一緒に、つついて食べます。日本の鍋と同じです。ですが、ここは、一人に一つの鍋です。そして、鍋のスープも、自分で好みのものを選べます。ちょい辛スープ味 キノコ味 ??味 タレも、自分で調合出来ます。しかし、こんなに沢山の種類があるので、何を混ぜたらどんな味になるのか、さっぱり分かりまへん。で、適当に混ぜて作って見ました。キムチもあります。そして、自分で調合のタレ以外に、調合済みのタレも準備してくれます。キムチ 調合済のタレ 自分で調合したタレ 羊の肉、 蟹入りシュウマイ見たいな奴、 牛肉。 ワンタン、 キノコ類 豆腐、 野菜 うどん、 うどんのような麺、 インド原産 最後にフルーツです。 2時間も待ったかいあり、おいしい上品な火鍋でした。満腹です。難を言えば、頼んだ品物が、雑多に出てくる事です。例えば、メインのはずの牛肉やキノコ類が、仲々で出てこなくて、遅くてもいい、麺類が一番先に来たり、と言う具合でした。でも、総合的には、○です。 ◎かな?
2008.07.10
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クウェートも完結したので、中国に戻ります。============================ 中国5日目です。(6月13日)名残惜しいのではありますが、蘇州を後にして、上海へ移動です。雨季に入っているようで、小雨が降っています。地下鉄2号線の静安寺駅から、歩いてほんの数分の便利な場所に立地する、「百楽大酒店」にチェックインしました。 そして、地下鉄に乗って、新興地帯の浦東へ。早速、上海の全貌を見るために、浦東タワーへ登りました。 絶景です。遠く、ハルピンや、西安、そして東京も見えます。(そっちの方向とか、と書いてあります。)350mの高さの所まで登れます。東京タワーのてっぺんより高いです。僕は強度の高所恐怖症なので、端の方へは行けません。安全を考慮したら、真ん中の柱よりだろうが、端っこだろうが、同じだとは理解出来ても、足が硬直して、体も硬直して、あそこは萎えて歩くことさえ、困難であります。全く、体は、心に支配されているのだなー、と思わされる次第です。お次は、浦東タワーの近くにある、海洋博物館へ行きました。まぁ、簡単に言って見れば、水族館であります。お魚さんが、沢山泳いでいました。この、のこぎり見たいなのを持っているお魚さん、愛嬌のある顔してますねー。で、パチリと撮って見ました。誰かに似てるなー? 誰だろう?水中トンネルも長いし、結構楽しめる海洋博物館でした。小雨は降っていたのですが、上海へ来たら、案内せねばならない外灘です。地下鉄の駅、南京東路駅より、結構な距離です。小雨の中、歩かせて、お客さんには、申し訳ないことをしました。外灘から見た、浦東タワーです。そして、歩いて戻って、上海一番の繁華街、南京西路を歩きました。小雨のせいか、人も少ないです。
2008.07.08
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一昨日、昨日と、体調がよろしくなかったのですが、無理に出勤していたら、今朝は、いつにも増して、頭が重く、胸の辺りがモヤモヤします。血圧も、高めなので、慎重を期して、疾病休暇としました。寝ていましたが、眠ってはいない。それほど悪くはない証拠です。もっと悪い時は、眠れますから。明日は、大丈夫でしょう。と言うことで、クウェートの最終回です。============================= ホテルの近くのレストランで、夕食を食べようと思いましたが、レストラン自体が、あまり、多くはありません。そして、やはり、我が町、サウジのジュベール同様、インド方面からの出稼ぎが多いようで、インド料理が多いです。昼食は、近くのインドレストランで、チキンカレーとミリンダで済ませました。約400円です。夕食は、インド料理以外が良いなー! と歩き回った所、ネパールのレストランがありました。麺があると言うので、厨房まで入って、どんな麺かを見せて貰い、確認した上で、作って貰いました。まるきり、日本の 焼きソバに同じです。卵入りと、野菜入りと言うので、豪華に、卵野菜入りを頼んだのです。料理の名称が、Chwomein、チャウミンとか発音してました。中国語から来ている見たいです。読み方より、炒める麺ですから。 このスープ付で、250円です。ホテルの宿泊費に朝食がついていたので、ホテルです。ブッフェでした。 お昼は、どうしようかなー? と迷いましたが、又もや、ネパールのレストランへ向いました。Momo Specialとか言う、ネパール独特の料理があると、昨夜聞いていたからです。これです。蒸し餃子ですねー。12ヶ入っているので、充分、お腹一杯になるって説明でした。これもスープ付で、200円。拡大しなくても、確かに、12ヶあります。タレはチョイと、ピリ辛ですが、仲々、おいしいです。日本人に合います。しかし、これでは、いくら小食の僕でも、夕食には不足です。半チャーハンを追加で頼みました。これも、日本のチャーハン見たいでした。ネパール料理って、中国に接しているからか、中華料理に似ているのですね。そして、ネパール人もフレンドリーです。出稼ぎの人たちの多くは、明るいですねー。と言った所で、1泊2日のクウェートの旅は、完結です。帰りも、クウェートの境界までタクシーで行き、サウジの境界まで、フセインに迎えに来させました。諸々、全部含めて、262US$かかりましたから、豪華な旅行となりました。しかし、仲々、行けない国、行こうと思わない国、クウェートですから、実際に行って見て、感じただけでも、価値があったと思います。アラビア半島での国々、僕の印象は、大雑把に下記となります。(カタールは未)昔からの伝統が残っている国 → イエメン歴史も感じさせ、リゾートもある国 → ヨルダンちょっと中途半端な国 → オマーン新興人工の国 → UAE(ドバイ、アブダビ)人工の国だが、忘れられつつある国 → バハレーンやはり人工の国 → クウェートイスラムの盟主、頑なにイスラムを守る国 → サウジアラビア
2008.07.07
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本日は7月3日。明日は、金曜日。クウェートの週末は、金曜、土曜です。以前は、サウジ同様、木曜、金曜が週末でした。「アメリカの言う通りに変えたのです。」、とタクシーの運転手が自虐的な言い方で言っていました。で、金曜日は、ほとんどの施設が休みで見学出来ません。クウェートタワーから降りたのが、もう夕方の5時を廻っていましたが、急ぎ、国立博物館へ行く事にしたのです。国立と言うから、素晴らしい受付もあるだろうと思いきや、近くへ行っても、どこが入り口か分からない有様です。メイン道路側に、入門がないのです。もっと、分かり易くしてくれよー! クウェートさん!しかし、ここは、無料です。中に入った中庭では、何の作業をしているのか知りませんが、「ソラ! ソラ!」って、イエメンで聞いた言葉を、言ってます。写真を撮ってくれと、言う意味ですね。ダウ船もありました。 大きな建物が4つほどあり、石器時代から、イスラム時代までの青銅器や壷、硬貨などが展示され、ある部屋は、ファイラカ島の出土品が並んでいました。このファイラカ島、イラク戦争時に、地雷が埋められ、博物館や、リゾートは閉鎖されたままだそうです。それから、ベドウィンの昔からの生活などが、人形にて再現されています。良く分かりますが、人形って、あまり気持ちいいものではないですね。そして、プラネタリウム。観客が僕1人しかいないので、20分も待たされました。しかし、誰も来ません。アラビア語の説明なので、さっぱり分かりません。でも、砂漠で見る、星のようで、とっても美しいです。 そして、隣にある、サドゥ・ハウスに行きました。サドゥとは、ベドウィンの言葉で、「織物」を意味するそうです。その「織物」が展示されています。この部屋には、機織機が、展示されていました。こんな糸を、織っているようです。 織られた、製品です。
2008.07.06
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科学センターを後にして、クウェート市の象徴であるクウェートタワーへ向います。しかし、困った事に、科学センター前の道路で、タクシーを待っても、タクシーが全く来ません。たまに来ても客が乗っています。止む無く、科学センターに戻り、タクシーを呼んで貰う事にしました。そしたら、な、なんと、料金が、4KDだと言いやがります。4KDと言えば、1600円です。1600円と言えば、50サウジリアル。こんだけあれば、フセインの家族が5日間、食事が出来ます。本来なら、1KDか、1.5KDです。「お金絡み怒り同盟」、発起人としては、このままタクシーに乗る訳には、参りません。後先考えをせず、「いらんわい!」、と科学センターを出ました。「3KDなら、どうじゃな?」、とか言ったようにも聞こえたが無視。で、ヒッチハイクで、タクシーの拾える町まで戻ろうとしたのです。結果 → ダメですねー。誰も、止まってくれません。10台ほど手を挙げて見ました。反応があったのは、2人のみ。1人は、反対方向へ行くから無理、って言う手振りをしてくれました。もう1人は、女性で、ハンドルを放して、手を広げ、目を大きく見開いて、「何なのー?」ってな、表情でした。そう言えば、ここクウェートでは、女性が運転しています。サウジでは、女性は運転免許証の取得が許されていません。「くっそ、困ったなー!」汗が、額から、ボトボト流れ落ちます。「歩く距離では、ないしなー」と途方に暮れかけた頃、天は我を見捨てず、アッラーの神も味方して、無論のこと、仏陀も見守ってくれています。なんと、タクシーがやって来たのです。しかも、僕の目の前で止まり、客が降りたのです。運ちゃんと、交渉したら、1.5KD(約600円)で、クウェートタワーまで行くと言います。まぁ、リーズナブルであろうと、乗り込みました。いやぁー、ほっとしますねー。そんなに冷房が効いてるタクシーではありませんが、炎天下から乗った車内は、気持ちが良いです。クウェートタワーが見えて来ました。近くで見ると、こうです。タワーは、3本ありまして、展望台とレストランのあるのが、1本。もう1本は、水の貯蔵庫。さらに膨らみのない1本は、照明用とのこと。120mの展望台から見た、クウェート市内です。展望台は、回転しますので、テーブルに肘をついて、眺めていれば、360度、全て見る事が出来ます。タワーの下は、遊園地、プールなど、がありました。プールで、沢山の人が泳いでますよ! アラブ美人もビキニです。(嘘です)(ここからは、見えません)この展望台には、イラクに攻められた時の写真が展示してあります。クウェートの象徴である、このタワーの中は、イラクの兵士に、無茶苦茶に破壊されました。そう言った写真です。ご存知の通り、地球の正義の味方アメリカが、悪人フセインを叩きのめしたと言われるイラク戦争です。しかし、歴史を紐解けば、イラクやサウジアラビアとの領土問題が解決しないまま、イギリスが勝手にクウェートの独立を承認したのです。だから、イラクが、クウェートは、我が領土であると、攻め入って来ても、不思議ではない歴史があるのですねー。イギリスやフランスは、アフリカも中東も、自らの利権の為に、自分勝手に国土を線引きしたり、独立を承認したり、無茶苦茶やって来たのです。そしてアメリカも、自国の利権の為に、イラクを攻めて、フセインを殺したのです。人権問題だの、なんだの、かんだの言って、正義ぶっても、強い者が勝つ、動物の世界と同じなんですね、現代の民主主義の人間社会も。てな感慨に耽っていたら、時間が過ぎてしまします。80m程度のところには、レストランがあるので、覗いて見ました。
2008.07.05
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ホテルにチェックインし、昼食を食べて、早速、観光に出かけました。市内から少し遠い所から見て行こうと、「科学センター」へ。この「科学センター」は、科学や自然が学べる複合施設と銘打って、 水族館 アイマックス →巨大スクリーンの映像と特殊音響効果 ディスカバリー・プレイス →ゲームや実験が出来る ダウ・ハーバー →実際に使用されたダウ船や漁船が浮かぶ レストラン、カフェテラスなどから、構成されていると、ガイドブックに記載されていました。ここが、「科学センター」の入り口です。こんな、アラビア湾の海沿いに建てられています。チケットを買おうと思ったら、アイマックスは、夕方の5時半過ぎから上映が始まるとのことで断念。ディスカバリー・プレイスって言うのは、子供の遊び場みたいなものなので、これも断念。結果、水族館だけが残りました。入り口に入ると、水族館らしからぬものが、飾ってありました。何じゃいな? と思って繁々と眺めて見ますと、海とは関係ない代物でありました。聞いた事があります。「砂漠のバラ」と名付けられ、Desert Rose または Sand Roseとか言われております。これは、オアシスが干上がる際に、水に溶けていた硫酸カルシウムや硫酸バリウムが析出して、このような結晶が出来るそうです。砂漠のバラは、水と大地と太陽が作り出したもので、我が町、ジュベールから、そう遠くない所でも、見られると聞いています。しかし、この「砂漠のバラ」は、でかいです。正に自然の造った芸術品ですね。水族館ですが、まず、写真を見て下さい。左の写真のように、自然に似たマングローブの樹林の環境を作り、その中に、魚を入れた水槽があったり、鳥も放し飼いにされています。右側は、よくある水槽ですね。 左がウツボで、右がライオンフィッシュです。 タカやカワウソもいました。コウモリは、薄暗くした中を、飛んでいるのが良く見えます。そして、中東最大と言われる水槽。エイやサメ、亀なども、良く見えます。まぁ、でも普通の水族館ですね。上海の海洋博物館の方が規模も大きく、魚も豊富でした。科学センターの外、アラビア湾に面した所に、ダウ船と漁船がありました。先ほど、クウェートから、サウジへ帰って来ました。1泊2日の、身近な旅。
2008.07.04
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思い立って、クウェートへ行く事にしました。早速、行動です。我が町、アル・ジュベールから、北々西に向かって、車を走らせます。と言っても、運転はフセインですが。僕は、スリーピングバッグに包まって、居眠りしていれば良いのでまったく楽です。クウェートの境界まで、たったの230キロ。2時間で、国境に着きました。国境までの、サウジの風景は、こんな感じです。土漠です。見えるのは、土漠と、雨がなくても生きていける、雑草だけです。 フセインは、ビザがなくて、クウェートに入れないので、ここで返しました。ここからは、僕が一人で行くことになります。UAEの時、アシュラフが入国出来ず、大トラブルになった経験を生かして、安全を期して、フセインは返したのです。サウジの出国は、簡単でした。しかし、そこから、クウェートのイミグレが見えません。50度に近い気温の土漠の中を、歩いて行ったら、いつミイラになってしまうか分かりません。弱ったなー? 困ったなー? と、しばし考え込んでいました。しかし、考えても、クウェート市内から呼んだタクシーは、サウジ国境まで来てくれません。止む無く、歩き出しました。そしたら、サウジのイミグレのお兄さんが、追いかけて来て、歩いていくのか? と聞きます。「そうです」と答えると、「そりゃー、大変だぜ、2キロもあるよ」と、イミグレを通過する車に、僕を乗せて行ってくれるよう頼んでくれました。数台目の、おじさんが、乗せて行ってくれることになりました。助かりました。ミイラにならずにすみました。なんせ、立っているだけで、汗だくですから、バックパック背負って、50度の 日陰もない土漠を歩いたら、どうなるのか?ビザの取得に、手間取り、サウジの我が家出発後、3時間で、ようやく、クウェートへ入国出来た次第です。クウェートに入ると、景色が変わります。緑が多いです。しばらく走ると、家並みが見えて来ました。(写真右)運転手さんの話によれば、別荘だそうです。 クウェート市内に入り、すぐにホテルにチェックイン。Oasis Hotelと言う、三ツ星ホテルですが、お値段は、1万円を数千円も超えます。 左の写真が、ホテルの部屋からみえる景色です。町のど真ん中にあるホテルなので、便利は便利です。もう午後1時近くなので、お昼を食べに、ホテルの付近を散策したら、モスクがありました。(写真右)さすが、サウジに次ぐ、戒律の厳しい国です。 さて、お昼も食べたし、観光に出かけましょう!
2008.07.03
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サウジへ戻り、1週間が経過しました。不在であった、3週間は、砂嵐がひどかったと聞いていました。僕が、戻る数日前より、砂嵐は止んで、気温が上がったとも聞きました。しかし、今日も、昨日も、一昨日も、砂嵐です。昨年は、砂嵐なんて、珍しいほどで、すごいなー! と、写真に撮って、ここでもアップしましたよね。それほど、少なかったのです。今年は、毎日のように太陽が見えないので、珍しくも何ともありません。昨年から、今年にかけて、雨がほとんど降らず、1年に1度咲く花たちさえ、元気がありませんでした。花が少なかったのは、雨のせいだと分かります。この砂嵐の多さも、不作の雨の影響だろうと言う人もいます。まぁ、昨年1年で帰った人と、今年来た人では、サウジの気候の感じ方が、違うだろうなー、と、思います。本日は、防塵マスクして、ゴルフして来ました。
2008.07.02
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太湖の後にし、日本人にも知られている寒山寺へ行きました。楓橋です。襄陽出身の張継が、詠んだ有名な「楓橋夜泊」から名付けられたと言う。寒山寺の入り口です。 こちらの線香です。でかいですねー!人の背丈ほどもあります。ぶったまげる位、大きいです。大きければ、ご利益も大きいと思うのでしょうねー、中国人は。寒山寺の上の方だけ、写真に収めました。全部で7層です。やはり有名な、お寺だけあって、お参り、観光客の人が多いです。寒山寺は、6世紀初頭に建てられたようですが、全盛期の寒山寺の面積は広大で、「馬に乗って山門を見る」と言われるほどであったらしいです。その当時、北方から訪れた旅行者の多くは、まず寒山寺を参詣してから蘇州の市街に入ったという。8世紀頃の話です。寒山寺の、次に、虎丘に行きました。地盤沈下で、3.5度傾いていて、東洋の斜塔として有名らしいです。蘇州は、オリンピック開催と、全く関係ありませんが、虎丘の一角にこのような、五輪が作られていました。これが、斜塔を近くで撮ったものです。これだと、傾きはわかりませんが、確かに傾いています。1階のみ、見学可能で、上には登れません。
2008.07.01
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中国4日目は、太湖へ行きました。何と、周囲400キロもあると言う、名前通り、でっかい湖です。琵琶湖の3倍強あると言うこの太湖、これでも、中国で、3つ目に大きいと言うことですから、中国の大きさが計り知れない事が分かります。==============================<参考>琵琶湖の面積は、約670平方キロ世界の湖の中では、淡水湖のみで129番目の大きさ。塩湖を含めると188番目の大きさとなり、さらに、ダム湖を含めると200番目以下となる。琵琶湖の周囲は、約235km。太湖の面積は、約2、350平方キロ周囲は400kmであり、中国五大湖の一つで、は陽湖、洞庭湖に次ぎ中国で三番目に大きな淡水湖である ==============================まず、蘇州の町を出発前に、地元の市場を見学しました。留学中は、ここで、1週間に1回は、買物をしていましたが、野菜、果物、肉、魚、米、雑貨など、何でも、日常品は揃います。蘇州近くから、太湖へ延びる半島(島をつないだ)、東山と西山が延びています。西山の方に見所が多いとの事で、西山方面へ渡りました。林屋洞へ。中国人の好きな赤い布キレが、沢山、木に括り付けられています。日本と同じく、安全祈願とか、色んな願い項目と住所、名前が書かれていました。ここには、石灰岩で出来た鍾乳洞があります。6000m2もあると言う広い鍾乳洞ですが、例のでっかいつららのような鍾乳石はなく、単に地下遊歩道のようなものです。敷地内に、小山があり、このように寺のような建物が山のてっぺんに建っていました。登って見ました。眺めがよく、遠く(近くか?)太湖も見えます。次に、西山のハイライトと言われる、石公山へ行きました。三方を太湖に囲まれ、太湖随一の景勝地との触れ込みです。チケット買うときに、ボートも一緒に買えば、250円程度で、太湖周遊が出来ると説明されて、それも含めて購入しました。湖岸は、こんな風になっています。これの形の良いのが、が太湖石と言われて切り出されて、あちこちに展示されているのでしょう。しかし、島を一周しても、ボート乗り場がありません。いや、正確にはありましたが、ここは乗り場でないと、船頭に言われました。で、いってぇー、どこで乗りゃーいいんじゃ?と、警備員風の若者に、ちょっとした勢いで、問いただした所、その若者、自分の仕事をほったらかして、僕らをボート乗り場まで案内してくれました。しかしながら、やはり人数が集まらないと出発しない、もう30分待てだの埒が開かないので、乗るのを諦めました。お金は、すったもんだの末、最終的には、一番偉い人の事務所まで行き、且つ、中国語では、文句言い切れないので、日本語で、ベラベラとしゃべりまくり、返して貰いました。(大人しい私なのでありますが、お金に絡むと、しつっこくなります。貧乏人の力を発揮したのであります。)それで、事務所から戻って来ると、警備員の若者、上司らしき人に怒鳴られていました。職場を手に離れるな! ってな事情のようです。親切に案内して貰ったのに、可哀そうですが、すごい剣幕で怒鳴られていたので、僕は仕方なく、遠くから眺めていただけでした。(お金が絡んでませんし・・・)
2008.06.30
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朝は、ホテルのブッフェ。蘇州楽園度暇酒店と言って、蘇州楽園のすぐ近くにあるホテルです。蘇州新区にあり、日本人宿泊客も多いので、日本語の話せるスタッフもおり、ブッフェにも、日本食を取り入れたりしてます。又、洗濯は、ただで全部してくれるし、その割りに、宿泊価格も安く、お奨めのホテルです。旧市街からは、ちと遠いのが難点。昼は、蘭州ラーメンを食べました。中国には、色んな麺がありますが、僕は、この蘭州ラーメンが一番好きです。 そう言えば、昨日は、蘇州ラーメンを食べました。 でも、やっぱり、蘭州ラーメンが、一番です。夜は、留学してた時に知り合いになりました、日本語の先生をしておられる、Yさんが予約してくれました、「水郷楼」です。蘇州料理との事です。Yさんは、既に蘇州大学で、5年間も、日本語を教えておられ方で、色んな知識も豊富で、紳士なので、とても参考になる事が多いです。「日本語学科は、女子の生徒が、9割以上で、大変楽しい。で、日本語教師が不足している。僻地なら、資格なんて必要ない。あなたも如何?」、とか言われ、女子大生9割の所には惹かれました。日本語教師、なるかなー?水郷楼の箸です。料理は、Yさんが頼んでくれました。長芋を揚げたのがおいしかったです。 そして、これが蘇州にしかないという、鬼蓮の料理です。色んな意味で、僕もYさんのように、もっと頑張らねば、と言う気持ちになり、新鮮な刺激を受けましたです。それとは、関係なく、食事のあとは、マッサージへ。今夜は、全身マッサージとしました。
2008.06.29
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1昨日、サウジへ帰りました。機中滞在時間 12時間。移動、待ち時間含め、家を出発して、サウジの家まで 21時間。結構疲れます。3週間ぶりのサウジアラビア。日本や中国に滞在中は、遠い国のように思えて、実際にサウジに住んでいたのかさえ、夢幻の如くでありましたが、サウジに着いて見ると、一瞬の間に、気持ちも同時に、サウジに戻るのが、面白いな、と感じます。昨日は、出勤でしたが、さすがに日中は暑いです。外に出ると、熱風が肌に突き刺す感じです。それでも、夕方、6時頃になると、気温は40度程度ありますが、熱風は過ぎ去り、過ごし易くなります。しばらく、慣れるまで、自重せねばなりません。
2008.06.29
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今夜は、田町近辺では、最高級と思しき、料亭で会食でした。入り口から、如何にも料亭です! と言う雰囲気です。下足番の人もいて、仲居さんが、部屋まで案内してくれます。エレベーターの床も、畳で、スリッパも履かずに、部屋へ行くようになっています。本日の、お献立です。 さて、これは、何でしょう? さて、これは何でしょう? ビールも、プレミアム・モルツです。味が何とも複雑です。何たって、プレミアムですからねー。 さて、これは、何でしょう? 料理人さんが、部屋まで運んで来て、取り分けてくれました。 ヒレ以外、骨まで、全部食べられると言ってました。 香ばしい、葉の焼ける匂いがしました。 さて、これは、何でしょう?(左) ヒント:サウジでは食べられません。 右は、強肴です。 こんな和服のお姉さまが、お酌してくれます。 因みに、注いでもらっている人は、アジアの星一番さんではありません。 彼は、こっち側から、写真撮ってます。 さて、これは、何でしょう? さて、これは、何でしょう? 分からない人は、日本人ではありません。 さて、ここで、クイズです。料理は、何種類出たでしょうか? 上から見直さないで、当たった方には、う~ん・・・、どうするかなー?
2008.06.24
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本日は、東京の街へ繰り出しました。と言っても、遊びではありません。目的は、下記。1.新生銀行の口座を作成。(世界の旅用)2.バックパックの購入。(世界の旅用)3.ゴルフ用手袋の購入。(サウジでのゴルフ用)4.株の動向をみずほインベスターズより聴取。(暇つぶし用)で、別件ですが、一昨日から、JALのキャッシュカードが見当たらず、どこかに失くしたか、仕舞い失くしたか、なのです。(よく、色んなもの、失くすなー!)で、新生銀行と、JALへ、一昨日より、電話にて確認をしました。そこで、その両社に大きな相違を見つけたのであります。新生銀行は、フリーダイヤル(携帯電話からかけられる)で、24時間対応しています。案内の方も、懇切丁寧で、応対に申し分ありません。電話を切る時に、思わず、ありがとうございました、と頭を下げている自分でありました。しかし、JAL。まず、携帯からフリーダイヤルに電話出来ません。そして、有料の電話番号。夜間、休日は対応せず。テープで平日に掛けよと言うのみ。月曜日の朝を待って、電話したら、何やらテープの説明があり、何番を押せ、とか、長ったらしいこと限りない。この辺りで、私目は自分の長い足で、コタツの足を小突きました。(イライラ)テープを聞いている間、貧乏人の私は、電話代が、心臓の音に比例して上がっていくようで、イライラして参りました。ようやく、繋がったら、別の電話番号へ電話して下さい、とのこと。腹立つなー!コタツの足を、私目の長い足で、思いっきり蹴っ飛ばしました。痛い!益々、腹立って来ます。と言う事で、JALが経営不振に陥った理由を、もう一つ見つけたので、ありました。JALのメンバー辞めるかなー? 他社に比し、何の良さも、JALから見出せません。しかしなー、ワンワールドのグループだし、世界一周チケットは、良さそうなので、もう少し、様子を見るかなー?新生銀行は、セブンイレブンや郵便局で、カード引去りしても手数料タダだし、ネットで振込みしても、手数料タダだし、海外で引去りしても、手数料はタダだし、仲々、サービス良いですねー。新生銀行ビザカード作れば、年会費無料でも、海外保険も付いています。JALのビザカードは、年会費払っても、海外保険なしです。この勝負、圧倒的に、新生銀行の勝ちです。JALの完璧な負けです。
2008.06.23
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な~んにもしない、1日でした。朝7時 : 所さんの目がテン! →相変わらず面白い。 7時半 : 報道2001 → 竹村健一がレギュラーから外れたようです。 9時 : 日曜討論 居眠り30分 10時半頃よりビデオで、新婚さん、篤姫見る 昼食(生そば)13時 : 新婚さんいらっしゃい → くだらないけど面白い。その後は、ゴルフを見ながら、中国旅行計画、東北地方旅行計画、さらに、インド方面旅行計画など、など、テレテレ、ダラダラと時を過ごす。午後7時から、バレーボール見るか、サッカー見るか迷うものの、バレーの前の、何やら分からぬ、ショーらしきものを見せられ、バレーは見る気にならず。サッカーにしたら、スマップの誰やらが出ていた。そう言うのやめて欲しいですなー。スポーツはスポーツで見たい。スポーツに関係ない役者や歌手は出て来て欲しくない。寿司と焼肉を一緒に食ってるみたいで嫌だ。午後8時より、篤姫を見る。将軍と篤姫と姑との関係、何故か、渡る世間は鬼ばかり、を見ているよう。しかし、夫婦愛が芽生えて来ているようで微笑ましい。しかし、反面、側室の辛いような顔や態度を見るのは、痛ましい。ただ今、日本ーバハレーン戦。前回、3月にバハレーンで、実際に見た戦いのリベンジ戦。入ったー! 入りましたー! たった今、おっかしな先制点が入りました!いやー、実況中継みたいです。これで、1位通過か? 2時間経過後の追記。本日の歩数 → たったの450歩。近くのコンビニへ行っただけ。
2008.06.22
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いやー、行って来ました、四万円温泉! では、なく、四万温泉。これで、「しまおんせん」って読みます。「よんまんおんせん」って読んだ人は、ニッポン人失格です! 部屋です。 部屋の右手の写真。 夕食です。 角部屋です。 すぐ川なのです。 弁当スタイル。 風呂は、4種類あります。 露天風呂。 混浴風呂。 これが一番新しい。5階にあります。 「岩風呂」と言い、1階にあります。 混浴好きな人は、ここへどうぞ! 「元禄の湯」 「山荘の湯」 1階にあり、蒸し風呂もついてます。 家族風呂で、3階にあります。 彼氏と2人の人は、ここへどうぞ! これが、宿への入り口です。江戸時代の元禄の頃に建てられたとの古い伝統ある宿です。説明書もつけておきましょう。元禄に建てられ、昭和11年に増設し、さらに、昭和60年に、さらに増設されたようです。時間があったので、温泉に入る間を縫って、散歩に出かけました。水晶山遊歩道って看板があったので、行ってみる事にしました。そしたら、始めは、真ん中の写真のように、整備された歩道だったのですが、だんだんと、左の写真のようになって行きます。 そして、ついに、こんな道なき道になってしまったのです。しかも、小雨は降って来るし、おまけに、「生き血を吸うヒルがいるから気を付けよ!」、なんて看板もあるし、ひぇー! 帰れるんかいな? などと、心臓ドキドキさせて登ったのです。道なき道を、30分ほど、登ったでしょうか?頂上に到達いたしました。雨が降っているので、慌てて、下山しましたです。同じ道を戻るのも、面白くないので、別の方向へ降りました。ようやく、麓におりて来たら、こんな看板が上り口に置いてありました。おい! おい! おい!止めてくれよー! 熊が出てきたら、勝てそうもないですー!僕は、まさかり、担いでいません!僕の名前は、金太郎ではありません!ま、無事に宿には戻って来ましたが、遊歩道なんて簡単な道のりではありませんでした。じじい、ばばあが、この案内版を見て、山に踏み入れてしまったら、帰って来れませんぞ! 案内図に、いま一歩の工夫をして欲しいです。小渕優子さんに伝えて下さいませ!(あの小渕首相の娘さんの選挙区です。)と言う事で、温泉三昧の、3日間でありました。温泉入湯回数=10回(たぶん)1泊2食付での宿泊料=5350円(1泊)貧乏人には、何度でも行きたい温泉でありました。尚、この温泉宿には、皆様のようなお金持ちの方々の為にも、私目のような貧乏人の為にも、松竹梅の3コースが準備されております。松 = 1万7千円竹 = 1万3千円梅 = わずか、5350円因みに、温泉は、どれも同じ4箇所を使用可能です。僕は、松竹梅があった時には、迷いなく、梅にします。だって、松は食べられないし、竹は食べられても、根っこだけだし、梅は、色んな食べ方があって、しかも、保存も可能。3つ比べたら、間違いなく、梅の勝利だからです。と言うことで、本稿、おしまい、おしまい。(次回は、中国のレポートに戻ります)
2008.06.21
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中国から、帰って参りました。その内容、全部アップするのには、時間がかかりそうです。これから、群馬県へ行って、温泉に浸って、旅の疲れを癒して来ます。って、旅で、普段のストレスは、既に解消されてはいるのですから、温泉は、必要ないのでしょうけど、ニッポンって言えば、温泉です四万温泉ってところへ行ってきます。いえいえ、四万円もかかる温泉って言うのではありません。四万温泉と書いて、しまおんせん、と読むらしいです。貧乏バックパッカーですから、安い湯治場のような旅館を見つけて行きます。さてさて、それでは、又、数日後に、お会いしましょう
2008.06.18
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蘇州到着、第3日目。ちと、強行ではありますが、蘇州近辺ならではの、水郷、周荘と同里の2箇所へ行く事にしました。どちらも、じっくり見れば、1日でも不足です。しかし、中国初心者が、雰囲気を味わうのであれば、1日2箇所でも、良いかな? と考えた訳であります。どちらも、蘇州大学留学時に訪ねています。周荘には、蘇州大学のキャンパスもあり、日本語学科もあるので、留学生との交流会があり、その時、周荘を案内して貰っています。同里は、同じアパートに住む、同級生と、バスに乗って、出かけました。 周荘とは、こんな所です。川が生活に重要な必要物です。900年以上の、歴史がこの水郷の町にあると言うことです。舟も欠かせません。そして、同里に移動。車は、昨日に引き続き、会食した女性副社長さんの会社で、運転手付で準備してくれました。もう、取引の関係はないので、恐縮至極であります。何度か、お断りしても、空いているからと言うので、使わせて貰っています。ですから、タクシーの心配も不要で、便利です。同里に着きました。蘇州では、雨で舟が出ず、残念な思いであったので、早速、舟に乗りました。船頭さんです。鵜飼の鵜も、前回来た時と、全く同じ所にいました。おばあさんが、川で、ジャブジャブと洗濯しています。ですが、ドンブリコッコドンブリコと、桃は流れて来ませんでした。その下流で、別のおばさんが、野菜を洗っていました。(汚くねーか?) 舟は、こんな所を進みます。風情がありますねー。沢山ある建物も見学しました。ある屋敷の2階に、お嬢さんの寝室と言うのがありました。仲々、りっぱです。どんな夢を見て眠っていたのでしょうか?木の根っこで作った、色んな物もありました。これは龍だとのこと。これは、数百年も生き続け、歴史を見てきた、白松だそうです。水と建物。こう言う、風景が多いです。蘇州、いや上海地区も含めて、最も有名な周荘、そして、同里を1日で巡りました。絶対に雨だ、と地元の人に言われましたが、雨はあがり、とっても良い、観光日和でありました。普段の心がけとは、こう言う時に生きて来るもんなんですねー! などと、一人、得意がっています。今までも、ずっと晴男だったですから、まぁ、普通なのですが・・・。
2008.06.14
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蘇州に到着した昨夜は、夜も遅かったので、持っていた食べ物で凌ぎ、この二日目の夜は、高級料理を食べに行きました。以前、蘇州に居た時に、お付き合いのあった会社の女性副社長さんに予約して貰い、一緒に食事をしたものです。某高層ビルの、41階にある、レストランです。生憎、小雨で、見晴らしが良いとは言えませんが、それでも、仲々の眺めです。まず前菜。4皿が、テーブルの上に置かれます。例の廻るテーブルです。 次に、海老と野菜の炒め物イカの炒め物スープ類鳥の足も入っていて、コクのあるスープでした。キノコにもろこしなど。これは? 貝の中に、貝や野菜が入ってます。 この料理にまで、手が出ず。(腹一杯)小龍包です。勿体無い事に、ほとんど食べ切れません。そして、仕上げに、雑炊。(食えました。別腹か?)料理も、高級感のあるすっきりした味で、うまいうまいと食べながら、女性副社長さんの幼少時代から、学生時代、そして現代への中国の変遷や、旅の話し、仕事の話し、今後の中国の心配点、などなど、話しに花が咲き、うっかり何料理なのかを聞くのを忘れてしまいました。飲みやすい味の、紹興酒も味わい、ほろ酔いです。そして、中国では、欠かせない足のマッサージへ。朝から夜まで、予定がぎっしり。ツアコンは忙しいです。あまり詳しく書けませんが、ご容赦の程を。
2008.06.12
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昨日、蘇州に着きました。上海空港より、車で2時間。生憎、小雨です。サウジでは、雨はjないので、1年振り以上の雨。雨は、うっとうしいですが、雨がなければ、砂漠になってしまうのです。そう考えると、まぁ、雨も良いか、と思えます。水郷:蘇州には、世界遺産だらけです。蘇州、第一日目は、世界遺産の庭園巡りに出かけました。まずは、「留園」中国四大名園の一つとして数えられています。明代に創られ、清代に大規模な増改築がされたとのこと。沢山、写真を撮りましたが、アップし切れないので、代表的な太湖石を使った、高さ6.5mの、冠雲峰の写真をアップします。次に、蘇州城内の南方にある、「搶浪亭」へ行きました。この「搶浪亭」と言う名前は、戦国時代の詩人「屈原」が読んだ「搶浪之水」、詩より付けられたと言う事です。この「屈原」、端午の節句に、ちまきを食べる由来の人らしいです。あんこぱんつさんのブログ、参照願います。端午の節句にちまきを食べる由来これが、「搶浪亭」の中の、搶浪亭です。次に、やはり、中国四大庭園の一つであり、蘇州四大庭園の中でも最大規模の、「拙政園」へ行きました。5ヘクタールの敷地の内、70%が池や堀で作られている、水郷:蘇州を代表する庭園です。池の向こうの方に、8重の塔が見えます。この、「拙政園」では、日本語ガイドが、しつっこくガイドさせて欲しいと言うもので、1時間100元(1500円)で、頼んで見ました。100元が、高いのか安いのか、分かりませんが、漫然と見て歩くより、色々と説明があるので、有意義な観光となりました。建物、池、廊下、などなど、それぞれが、皆、意味があるようです。龍をイメージした建物。春、夏、秋、冬、それぞれに見所が現れる建物とその周囲の造り。この建物は。前の建物と、後ろの建物が一体化して見え、扇子のように見えるとの事です。この後、「獅子林」にも行く予定でしたが、3庭園見て、そう大きな相違もないので、中止。そして、小船に乗って、蘇州の水路を廻ってみる予定でしたが、小雨で、小船も出ないとのことで、これも予定変更で取り止め。時間が余るので、止むを得ず、蘇州随一の繁華街、観前街を散歩に行きました。普段は、すごい人の群れですが、小雨が響いているのか、まばらな人です。昨日より、小雨。本日も小雨。明日も小雨模様ですなー。
2008.06.10
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