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2008年10月7日(火) 20日目ダージリンへ向けて、バスの出発は、16時です。夜行です。それまで、時間があるので、カトマンドゥの市内を散歩しました。タメル地区のメインストリートです。タヒティ・チョークです。アサン・チョークです。王宮や寺院の集まったダルバール広場です。この建物の窓が、ネパールの切手の図案になったそうです。拡大してみます。なるほどー! 切手にしたい窓です。カテシンブー・ストゥパです。以上、カトマンドゥの町の見所を、グルッと廻って来ましたが、1時間ちょっとで見てきました。あまり、見所は多いとは言えません。話は変わります。昨日、ポカラから移動する時に、偶然、昼食の隣の席となり、お会いしたご夫妻は、京都から来られた方でした。カトマンドゥ市内にある「桃太郎」と言う日本レストランとも関係していて、是非、いらっしゃいと、言うので、昨夜は、そこ食べました。焼き餃子に、回鍋肉をつまみに、ビール飲んで、ラーメン半炒飯付きを食べたら、朝起きても、腹減ってません。食いすぎです!で、そのご夫妻は、京都で、「マチャプチャレ」と言うネパール料理店を経営しているとの事ですが、息子さんに任せて、ポカラに、お店を出すそうです。店名は「桃太郎」と言ってました。11月に開店。ご主人、63歳と言ってましたが、やる気ありますねー!頑張れ! ニッポン! ってな気持ちで、応援したくなります。さて、ダージリンへの移動ですが、カトマンドゥから、昨日来たポカラ方面へ100キロほど戻ります。ムグリン、ナラヤンガード、ヘタウダへ。ここまでが、ネパール。そして、国境を越えてインドのラクソウルへ出ます。この道は、沢木耕太郎が、通ったバスと同じルートなのですよ。一昨日、彼の本を読んでいる時、まさか、同じ道を辿るとは思いませんでした。場所は違いますが、理由は同じ。道路が不通です。しかし、彼が旅したのは、もう20年以上昔ですよね? 世界各国が、著しい成長を遂げる中、幹線道路が、不通となって、他の国を通らねば、自分の国の町へ行けないなんて、なんとも、貧乏な国ですねー。最優先で、幹線道路の復旧しようと思わないのでしょうか?で、旅のルートですが、沢木耕太郎は、パトナーの方へ向かいましたが、僕は、ここから、ネパール国境に近い道路を走ります。ムサファルプルかティハールを通り、ダージリンへ。このようなルートになろうかと思います。もしかしたら、再びネパールへ入国し、カーカルビッタからインドへ出国するかも知れません。飛行機代を、1万数千円ケチル為に、ずいぶん大回りをせないけまへん。まぁ、しゃーないですな。追記インドから、ポカラまで、一緒に移動した、タカ&トシの、タカの方が、なんと、カトマンヅゥで同じ宿でした。再会の挨拶しましたが、いつの間にか、彼の隣には、日本の若い彼女が座ってました。で、挨拶のみで、早々に自分の部屋へ引き上げました。やるな! 青年!再追記今日会ったら、一人でした。彼女ではなかった見たいです。遠慮せんとけば良かったです。
2008.10.07
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2008年10月6日(月) 19日目昨日は、一日、ゆったりと宿の本を借りて、読んでました。一つは沢木耕太郎の深夜特急、インド・ネパール編。もう一つは、ミャンマー秘境を旅する本でした。沢木耕太郎が辿った旅は、コルカタ →ブッダガヤー →カトマンドゥ →ヴァラーナスィー→カジュラーホー →デリーアジアの星一番が辿った旅は(予定も含めて)デリー →マツゥラー →カジュラーホー →ヴァラーナスィー→ポカラ →カトマンドゥ ここから予定 → ダージリン →バングラデシュ→コルカタ →ブッダガヤー僕の方が、多くの町へ行くし、バングラも廻りますが、ほぼ同じような場所を廻ることになります。沢木耕太郎は、カトマンドゥからポカラへ行こうとしたらしいですが、道が雨で、途絶えて、行けなかったそうです。何だよー! 沢木! 残念だったなー、道が途切れるなんて!と、せせら笑っておりました。そのせせら笑いが、自分に帰って来るとは、ポカラを出発する時は、思いもしなかったのです。そして、天気。出発する最終日は、素晴らしく綺麗に、ヒマラヤが見えました。あまりに気持ちいいので、歩いてバス停まで、行きました。ここは、毎晩のように世話になった、日本食堂。「バックパッカー秘伝の味」とありますが、最初にカツ丼食った夜は、あまりのうまさに、涙が出そうでした。バス停です。ここでもヒマラヤが良く見えます。日本の田舎風景に良く似た、田んぼ中の道路を走ります。 途中のレストランも、小ぎれいで、完全水洗ではないですが、トイレも綺麗です。 田んぼ以外の所は、渓谷を走ります。飽きない風景が、ずっと続きます。ポカラ:7時半出発、カトマンドゥ:14時半着。7時間のバスの旅でした。ツーリストバスなので、途中現地人は乗り降りしないので、ゆったりと移動できました。問題は、ここからです。カトマンドゥは、それほど見るべき所もないので、町を散策し1泊したら、インドのダージリンへバスで移動しようと思っていました。それで、早速、チケットを買いに行ったら、何と、道路が決壊していて、ダージリン近くの国境の町、カーカルビッタへバスは行けないって言うのです。な! なんじゃー! 沢木耕太郎を笑っていられないぞ!と、焦りまくりました。おまけに、ネパール最大の盆と正月が一緒に来たような、ダサインと言う秋祭りが重なっているのです。10日間ほど、続く、大祭りで、9日が最大の祝いの日なのです。飛行機で移動するケースとか、バングラのダッカまで飛行機で行ってしまうケースブッダの生まれ故郷、ルンビニ見てから、インドへ戻るケース色々と検討しましたが、通れないネパールを迂回して、一旦インドへ出て、インドを走って、そして、又、ネパールの国境近くに戻るケースを採用しました。もしかしたら、20数時間、いや、30時間くらい、かかるかも知れません。そう言えば、バスで僕の前に座っていた、カナダ女性が、そのような事を言っていたようですが、聞き流していました。明日から、明後日にかけて、大移動です。大変だなー!
2008.10.06
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2008年10月5日(日) 18日目気が付けば、ポカラに、もう6日目になっていました。居心地の良い地なので、いつまでも居たくなってしまいます。困るのは、旅を続ける気持ちが薄れていく事であります。ここに沈没する訳には行きません。まだ、バングラ、インドの大半が待っています。で、本日は、完全休養日として、旅モードへの切り替えを行い、明日、首都のカトマンドゥへ移動することにしました。宿ですが、実は昨日、「ゴータマの家」って言う歩き方に乗っている宿に移動しました。前のJHARNA HOTEL は、立地も最高で、お湯も出るし、蚊対策も万全で、気に入っていたのです。でも、1泊、サランコットへ宿泊し、空けた1泊の代金について揉めました。最初、250ルピー全額でなく、100ルピー支払えば良いって話だったのです。しかし、昨日、山へ登る前に再確認すると、全額支払えって事になり、むかっ腹立てて、即刻、チェックアウトしたのでした。おバカさんですよねー!100ルピーにまければ、150ルピー損したように思えるけど、さらに2泊で500ルピーが入金されるのです。客室はほとんど空いている訳だし。ま、そう言うことで、今度の部屋は、景色はよろしくありませんが、部屋自体は全く同じ程度で、200ルピー(300円)です。日本語の本も沢山揃えてあるし、1日、読んでゆっくり出来ます。沢木耕太郎の深夜特急3 インド・ネパール編が置いてあったので、読もうと借りて来ました。ビデオでしか見てないのです。暇なので、今までの費用を整理して見ました。インド滞在12日間(デリー空港着から、スノウリ国境まで)12,681ルピー、2.35円換算で、29,800円也。1日当たり、2,483円となります。もっと安く廻れるかと思っていました。しかし、宿、移動、観光入場料、食費、全てひっくるめてですから、まぁ、安いと思わねばなりませぬ。そして、ネパール滞在6日間(スノウリから本日の宿とカトマンドゥまでのバス代を含めて)5652ルピー、1.5円換算で、8,478円也。1日当たり、1,413円となります。ポカラにずっといたので、移動費が安いですが、移動費のカトマンドゥまで、600円程度ですし、ネパールの方が、ずっと安いです。贅沢しなければ、夕食は、ビール飲んで、日本食食べても、1ヶ月、5万円以内でここポカラで、生活出来る事になります。安いですねー!東京で、5万円の部屋借りようなんて思ったら、都心から外れ、トイレ共同、風呂なしの、6畳一間程度でしょう。また、時期を見て、ゆったりと滞在して見たいものです。写真ないので、今朝食べた、チベット料理のトゥクパをお見せしましょう。ラーメンやうどんのような麺料理です。チョウメンは焼きそばですが、これはスープ麺です。スープの量は少なめですが。
2008.10.05
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2008年10月4日(土) 17日目今朝も、ヒマラヤの山々は、雲を被って、全く見えません。初日には、くっきり見えたのになー! 残念です。しかしながら、外を覘けば、静かなフェワ湖の湖面が見えます。鳥はさえずり、爽やかな朝です。さてっと、今日も、又、近くの山に登りましょう!ガイドブックを見ていると、観光客は、ほとんど行かず、従って、売店なども少ない山が見つかりました。フォクシンです。1日で行って来れます。=============================ポカラの遊びは、卓球とブランコのようです。フォクシンへ行く途中にも広場に大きなブランコがあり、子供たちが遊んでいます。きちんと、列を作って、順番待ちしています。どこやらの国とは違います。田んぼの、あぜ道を歩いて行くと、川が見えました。 立派な吊橋です。長さは200m以上あるでしょう。入り口に説明がありましたが、スイスの援助で作ったようです。ネパールは、国家予算の40%が、援助と言うことなので、貧乏です。川の反対側へ渡り、少し登って振り返ると、ひょー! いい景色!実は、川の吊橋へ来る前に、ヒルに刺されました。どこで、くっついたのか分からないのですが、田んぼのあぜ道しか歩いていない時です。農家の前を通りかかり、痒いから虫刺されか、消毒かしようと思って、ひざをまくると、黒くてちょっと長いのが、へばりついていました。ひゃー! と思わず声が出てしまって、そいつをぶっ潰しました。血が流れ出ます。ティッシュで抑えても血が止まりません。そしたら、おばちゃんが、マッチのカラ箱を持ってきて、それを千切って貼り付けてくれました。この写真がそうですが、血は確かに止まりました。ヒルに対応している、現地の知恵ですねー。因みに、ネパール語で、ヅゴァと言うようです。もう、こんな登って来ました。こんな高所に来ても稲の田んぼがあったり、山の道だったり、こんな所を歩いて登ります。 フォクシンへは、2時間半ほどで、着きましたが、遅い昼食を木陰で食べていたら、村の子供達がやって来ました。日本の福岡市が建てた、学校があるとか、子供達が説明してくれます。ネパールの歌を歌えとか、賑やかにやっていたら、娘さん達も集まって来ました。僕も得意になって、日本歌を歌って、拍手喝采を受けました。村のガキのクセにませていて、この娘と結婚しないか? などと言い出します。綺麗なお嬢さんで、まだ、17歳だそうです。本人も結婚を承諾しました。おいおい、冗談にしろ、そんなに簡単に、OKすんなよ!と言いたくなります。聞いて見ると、子供達も、娘さん達も、日本願望があるようです。日本へ行けば、沢山稼げると聞いているようです。そう言えば、サウジにもネパール人が、沢山出稼ぎに来てましたねー。それで、ネパールへも行って見ようと思ったのでした。行きたい国は、日本とアメリカをあげていました。中国は? と聞いたら、「やだ」と言ってましたねー。
2008.10.04
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2008年10月2日(木)~3日(金) 15~16日目近くの山へトレッキングに出かける事にしました。サランコットと言う山です。標高は、1500mほどあります。まず、市内バスで、バス乗り場へ。そして長距離バスに乗って、途中のノーダラと言う場所で降ろして貰います。ノーブラではないですよ!延ばしても駄目です。ノーダラー。貧乏人になってしまいます。ノーダラです。バスでは、隣に可愛い、11歳と14歳の姉妹が乗り込んできました。2人座席に3人ですから、体がぴったりと寄り添ってしまうので、子供とは言え、ええのかいな? と思ってしまいました。ノーダラから、サランコットへの道は、村の道です。舗装ではないですが、ずっと整備されており歩きやすいです。しかし、観光トレッキング客が多いのか、村のガキ共は、金くれ!ペンくれ!で、うるさいです。まぁ、これも外人がそうしたのですね。元々は、素朴だったのです。誰かが金くれたり、ペンをあげたりするので、貰えるものと、うるさくなってしまうのですねー。僕はあげません。景色は、素晴らしいです。高所なのに、米の栽培もしています。 フェワ湖が見えて来ました。3時間15分で、目指す、サランコットへ着きました。日帰りの予定で来たのですが、宿に聞いて見ると、1泊2食、大瓶ビール付きで900ルピー(1400円)で、交渉出来たので、泊まることにしました。部屋からの眺めです。絶景ですねー!目の前の、物干し竿見たいのが、突っ立っていて、邪魔ですが、電線用の柱なのです。どこでも、電線は、景色の邪魔です。宿からすぐですが、1592mの、見晴台へ行って見ました。残念ながら雲がかかっていて、ヒマラヤが見えません。本当は、こんな景色が見えるはずなのです。写真売りのお兄さんが、雲がかかって可哀相だ、この写真でも写せ、と言ってくれたものです。(売り物ですけどね。)翌朝も、5時半起きして行きましたが、やはり雲がかかっています。頂上には、欧州系、中国系、韓国系、そして、日本人二人で賑わってました。韓国系が、一番うるさいです。雲がかかって、山は見られませんでしたが、アサガオが、キレイに咲いていました。朝食食べて、下山です。こんな道を降りて行きます。このフェワ湖の、一番向こう側まで、歩いて行きます。昨日と、今日で、6時間弱、3万6千歩。調度いい、散歩コースでした。
2008.10.03
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2008年10月1日(水) 14日目 ゆっくり寝ました! 8時間半も寝てしまいました。 丸2日間のバスの移動で疲れてもいたのでしょうが、何も予定していないので、 気持ちもゆったり出来たのでしょう。こんなに眠れたのは久しぶりです。 この部屋です。 ツインルームですが、一つは、荷物を全部広げて、物置です。 ベッドから頭を横に向けると見える景色です。 信じられませんねー! フェワ湖のまん前で、且つ、ヒマラヤで最も目立つ、 マチャブチャレが、部屋から眺められるのです。この部屋が、1泊400円弱なのです。10泊しても、3900円です。 だから、長期滞在の人が多いのです、ここポカラには。 さて、昼近くまで、ゆっくりしたので、チャリでも借りて、町の探訪に出かけることにしました。 宿の近くの、おばちゃんがやってるレンタサイクルへ行くと、1日100ルピー。 いくら粘っても、70ルピーまでしか下がりません。これで、大体相場が 確認出来ました。 僕の宿のある、ダムサイドから、レイクサイドへ歩いて行きました。 暑いし、歩くと結構、距離もあるので、100円程度だから。チャリ借りれば 良かったなー、と悔やみますが、仕方ありません。 レイクサイドのフェワ湖です。 湖畔で、外に設置した卓球台で、子供達が卓球に熱中しています。 ネットはなく、レンガで代用しています。 ここにチャリ屋があったので、今回も50ルピーを目標に粘り強く交渉。 150ルピーから始まって、100ルピーへ。どうも今の相場は、100ルピー らしいですが、諦めません。 100から80まで下がりましたが、そこからが、時間がかかりました。 「じゃー、いらない」、と歩き出したら、ちょっと待って、とか声がかかり、 ようやく、50ルピーで纏まりました。 しかし、僕は、1日レンタルだから、明日の昼過ぎまで借りられると 思ったら、1日と言うのは、朝から夕方だ、と揉めました。 「あんたなー、誰も借り手がいなければ、ゼロだろ? 僕がな、借りれば、 50ルピーが入って来るのじゃ。50で手を打っておかんか?」 と、諭すと、しぶしぶ、OKとなりました。 なんとも、せこい交渉でしたが、155円が、75円程度に下がりました。 そして、昼を廻っていたので、昼食です。 きっちりした、ラーメンがありました。 それに、お茶が飲み放題ってのが嬉しいです。お茶、がぶ飲みしました。甘ったるい、こちらのお茶より、ずっとおいしいです。 それから、チャリを飛ばして、町の北北東にある、ビンドゥバシニ寺院へ 行きました。ずっと登りで結構きついです。それに、ろくに地図にも乗ってないので、何回聞いたことか? ようやく辿り着きました。 お祭りのようで、演奏と、若い娘さんや、子供達が踊り狂るっていました。 帰りは、オールドバザールを通って帰りますが、閑散としており、 バザールとも言えない雰囲気です。 昨日、2日から1泊で、トレッキングに行っておりました。よって、国境越えネパール編と、このポカラチャリ編、二つアップしました。トレッキングは、最高でしたねー! 夜辺り、アップする予定です。
2008.10.03
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2008年9月30日(火) 13日目蚊に刺されて、あんまり眠れなかったのに、朝は、5時半に叩き起こされました。外は、真っ暗です。雨音がします。ユウジ、30代カップル、無言の若者二人、そして、謎のおっさんは、カトマンズーへ行くのでお別れです。ユウジは雨なのに、合羽着て、わざわざ、僕らのバスの中までやってきて、握手して、自分のバスの方へ去って行きました。いい奴ですねー! 少し位、損してもギスギスしてセコセコ生きるより、損しちゃったなー! 程度で明るく暮らすのが良いかも知れませんね。 いい人生が待ってますよ、彼には。昨日のインド側とは違って、ツアー客専用のバスではありません。一般ローカルバスです。6時45分に出発したのに、ブトワルって町で満席になるまで、1時間以上も待たされました。でも、ネパール美人さんたちも、乗り込んで来るので、その点は、悪くはないです。女優のような美人さんもいましたが、残念ながら、顔写真は撮れませんよねー。隣の少年から青年になりたての、若者は、途中、こんなもの買って、食べてました。お椀も、箸も、葉っぱで代用です。エコですねー。インド国境を越えて、宿泊したスノウリから、インド国内と同じような風景でした。しかし、ブトワルと言う町から、風景は一変して、渓谷を、ずっと走ります。景色は,全く、言うことありません。難点は、しょっちょう止まる事のみ。これは少々、イラつきます。 タカ&トシは、ガタガタ道で、太陽が照りつけるのに、好んでバスの上に乗っていました。ずっとです。10時間くらい、この鉄の座席に座っていたのですから、大したものです。ヒマラヤが見えて来ました。国境を出発して、10時間ほど経った頃です。写真では、見えませんねー。タカ&トシは、レイクサイドの方へ行くと言うので、バスを降りて、お別れしました。僕は、安い宿のある、ダムサイドへ向かいます。250ルピー(400円位)の、宿を見つけました。中学生位の宿の娘さんと、道路で出会って、誘われたのです。その娘が可愛いものですから、ヒョイヒョイと、付いて行ってしまったのです。でも、それが正解でした。安いだけでなく、湖のまん前で、すごーく、いい場所なのです。部屋からの眺めです。ヒマラヤの、マチャブチャレや、アンナブルナも見えます。ちょっと、景色を見ていたら、もう、薄暗くなっていました。
2008.10.03
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2008年9月30日(火) 13日目9月29日(月) 6時50分 ヴァラーナスィーの宿出発。9月30日(火) 18時10分 ポカラの宿に到着。丸々、2日間かかって、インドからネパールへやって来ました。こんなバスです。座席もゆったりして、座り心地は最高です。これは、ツアー客専用のバスなので、ローカルは乗れません。因みに、乗客は、20人ほどで、その半分が、日本人です。海外のバスでは、こんなに日本人が乗っているバスは、初めてです。その他は、欧州系、一人アフリカ系女性がいました。日本人は、どのような人が乗っていたかと言いますと、タカ&トシとユウジ。(自己紹介しましたが、名前は定かでないです。)タカは、20歳、学生。あまり笑わない。トシと一昨日から同一行動。トシは、愛想いい、明るい24歳学生。2年留年で来春卒業。ユウジは、イギリス留学2年間終了し、日本帰国前に旅行中。27歳。その他、暗い感じの23~28歳位に見える男性二人連れ。30歳~35歳位に見える、カップル。派手派手なシャツに、これまた、派手な帽子を被った、謎の男。(ほとんど全く、日本人と会話しなかった。)と言うことで、アジアの星一番は、タカ&トシ、ユウジのグループとほぼ、同一行動です。こんな村を通ったり、こんな喧騒たる、町を通り抜けたり、村の靴屋さんを見たり、バスに揺られ、続けました。既報通り、バス自体の乗り心地は、よろしいのですが、まぁ、クラクションは鳴りまくるし、うるさくて仕方ありません。追い抜くときに、ずっと鳴らしっぱなしでるのです。これは、エジプト、中国も似ています。そして、ほぼ12時間乗った夜の8時前、インド出国のイミグレに着きました。こんな辺鄙なイミグレは、シリアーレバノン間以来? いや、ここが一番辺鄙です。普通の事務所より、もっと簡単です。そして、ネパールへの入国です。なんと、書類の記載は、外で、ローソクの灯りを頼りに、書かねばなりません。いやはや、すごい所です。ホテルチェックインは、8時半を過ぎていました。腹は減るし、すぐに食事に行きました。僕は、ビールに、チョウメン。ユウジは、ビールにスパゲッティ。タカは、何だか知らないのを注文しました。面白かったのは、トシ。「オーシ、わからないけど、ネパールの特産頼もうー!」とか言って、ALU BHUJIA とメニューに書いてあるのを頼みました。「何これ?」、と聞いてみると、「知りませんが、ネパール料理食って見たい」と言うのです。どんなのが出て来るか、楽しみだとか何とか言いながら、明るくビール飲んでいました。しかし、10分経っても、何も出てきません。僕とユウジの、チョウメンも、スパゲッティも出てきました。タカは、良く分からん料理を、「少なくて、夕食になんねぇー」、とぶつぶつ言いながら、トシの前で、食ってました。20分過ぎても、まだ、トシの頼んだ、ALU BHUJIA って代物は出て来ません。「きっと、手のかかる料理なんだ、ALU BHUJIAは!」とトシは、余裕かましてました。僕の前では、ユウジが仕切りと、「損した、損した」、とぼやいています。中々の好青年なのですが、如何せん、バックパッカー初心者で、且つ、騙されても、人を騙さないだろうって言うような人柄に見えるのです。バス乗り場で、インド人に両替を薦められ、インドルピーをUS$に替えました。僕は止めといたら良いのになーと思っていましたが、案の定、5000インドルピー出して、5600ネパールルピーしか貰ってません。本来なら、5000インドルピーが7500ネパールルピーなければならないのです。それに、ネパール側の両替屋で聞いて、損したことに気がついたのですねー!しかし、彼は、もっと損しているのです。ネパール側の両替屋で、ネパール滞在に必要なほとんどを、US$からネパールルピーに替えていました。しかし、こんな場所は、レートが悪いに決まっているのです。僕は、移動に必要と思われる、最低の20ドルのみ両替したのです。ここでは、20ドル → 1120ルピーその翌日、ポカラでの両替は、20ドル →1452ルピー。ですから、国境の両替屋は、3割も高いのです。ボッタクリです。それに、ネパールでの宿も紹介して貰った通りに、予約してお金も支払ってました。後で、損した事に気づくのでしょうねー!ま、誰でも、初めは、損したり、騙されたりして、段々と、イッパシのバックパッカーになって行くのです。人生と一緒でしょうか?ユウジの、損した、損した!って声が聞こえてきそうです。さて、トシです。仕切りと、再三再四、ALU BHUJIA!と、催促して、30分も過ぎた頃、やって来ました。トシ曰く、「ちぃせぇー!」、 45ルピーもするのです。スパゲッティも、チョウメンも、60ルピーなのに。そして、よくよく見てみれば、ポテトチップです。一つ貰って食べましたが、紛れもなく、ポテトでした。トシの、特産ネパール料理に挑戦は、見事失敗に終わりました。だけどねー、内容、聞いてから、注文すれば良いのに、話の種を作ってくれる男です。しかし、このトシ、メゲナイ男です。笑って、ビールもう一本!とか頼んでいました。そんなこんなで、楽しい夕食を採り、部屋です。大部屋です。ドミって呼んでる奴です。お湯は出ません。聞くところによると、1泊、100ルピー(160円)の部屋らしいです。僕は、せめてシングルルームのお湯たっぷりの部屋に泊まりたかったのですが、この宿泊も、費用に入っているので仕方ありません。蚊にさされるわ、夜中に停電して、シーリングファンは止まるわ、で、皆さん、全然、眠れなかった! とか言ってました。しかし、鼾はかくし、寝言をぐちゃぐちゃ言っていた癖に、全然眠れなかった、って、良く言うなーと思って聞いておりました。
2008.10.01
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ネパールの、ポカラにたどりつきました辿り着きました辿り着きました。丸2日間、国境で1泊し、バスに揺られること、合計22時間。インドのヴァラーナスィーから、ネパールのポカラです。疲れきってしまいました。詳細は、明日って事にして貰い、今夜は寝ます。お休みなさい!
2008.09.30
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2008年9月28日(日) 11日目聖なる河ガンガーへやって来ました。日本人には、ガンジス河と言った方が、ずっと通りやすいと思います。しかし、インドは長いことイギリスに支配されており、勝手に英語名をつけられ、それが世界に知れ渡っているのです。インドでは、ガンガーと呼ばれているので、我々もガンガーと呼びましょう。大辞林でも、ガンジスで、説明がされており、ガンガーとひくと、ガンジスとのみ、記載されております。それで良いのかなー?このガンガーは、ヒマラヤ山脈からの水が、ヒンドスタン平原を流れ、バングラデシュで、ベンガル湾にそそぐ、インドの母なる大河です。その距離、2500キロにも及び、日本で言えば、北海道から九州の南端位まであるはずです。そして、ヴァラーナスィーの町は、シヴァ神の額に当たる所だそうで、3000年以上の歴史を持つ、ヒンドゥー教最大の聖地であります。このガンガーの聖なる水で沐浴すれば、すべての罪は浄められ、ここで死に、遺灰がガンガーに流されれば、輪廻からの解脱を得るとヒンヅゥー信仰されているそうです。ですから、彼らにとって、ここで死ねれば最高の幸せなのです。その聖なる、ガンガーをお見せいたしましょう。ヒンドゥー教徒が、沐浴しております。右側に見えるのは、何だ? とカメラを右に振って見ました。ん? 牛さんではないか? 牛も沐浴しているのか?何でも、飲み込むって言うか、何でも許容するインドですねー。この沐浴する場所を、ガートと言うようですが、ガートとは、岸辺から階段になって河水に没している堤のことです。この湖畔に、何と84ものガートがあるそうです。岸辺をずっと歩けないので、水嵩にもよるのでしょうが、本日は、ガートからガートへは行けません。狭い道を歩いて、岸辺へ行かねばならないので、84あると言うガートの、数箇所を見たのみでした。面白いなー、と思ったのは、ガンガーの西岸と東岸の違いです。西岸です。東岸です。このように、西岸は、ぎっしり家々が立ち並び、ガートも84もあります。一方、東岸には、驚くほど、な~んにもありません。これは、対岸は、不浄とされている為に、人が住まないのだそうです。しかし、3000年もの長い期間には、神をも恐れぬか、単なるアホか、そのような言い伝えを、無視する輩が、現れると思うのですが、全くいないと言うのも、すごいなー、と思いましたです。ヒンヅゥー教の方々には、聖なる河なのでしょうが、僕は、この汚い河で沐浴しようと思う気持ちにはなれませんでした。そして、道路を歩くと、片言の日本語で、しつっこく話しかけられ、結局は金をくれってことになるので、長く滞在したい気持ちが失せました。それで、本日の朝、着いたばかりなのですが、明日は、ネパールへ向かう事にしました。ブッタ・ガヤーへ行くのもやめて、インドを退避です。ネパールへ行ったら、インドへ戻る気持ちになれるのかどうか?今のところ、自信がありません。ここなら、もっと、混沌としていましたが、日本人でも、あまり話しかけても来ないマツゥラーとか、田舎町ですが、カジュラーホーの方が、僕としては好きです。
2008.09.28
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2008年9月27日(土) 10日目ヒンドゥー教徒の沐浴、そして火葬場がある事で有名な、聖なる河ガンガーの畔にある、ヴァラーナスィーへ移動します。なお、このヴァラーナスィー、ベナレス(英語名より)、バナーラス、などと、呼び方がいくつかあるようですが、駅名などに使われている、名前のVaranasi(ヴァラーナスィー)と、ここでは呼ぶことにします。その前に、カジュラーホーのホテルを、紹介しておきます。Osaka Guest House と言いまして、メイン道路から、歩いて3分ほど奥に入ります。で、客が少ないのか、格安で泊まれました。テーブルや、椅子、さらに低いテーブルもあり、とても使いやすかったです。又、コンセントも4箇所もあり、パソ コンしながら、お湯沸かしたり、ipodを充電したり出来ました。これで、400ルピー(1000円)ですから格安だと思います。インドの安宿では、珍しく、バスタブもありました。勿論、お湯を満たして見ましたが、残念ながら、湯量が豊富でないので、どっぷり浸かることは、無理でした。でも、気持ち良かったー!昼飯は、親子丼まがいと、味噌汁まがいの、これを食べました。90ルピー(220円)です。まがい物でも、一応、日本食なので、満足しました。バス乗り場まで、ゆったりと歩いて行ったら、こんな鳥がいました。カジュラーホーから、ヴァラーナスィーまで、直通で行くバスも、電車もありません。サトナーと言う所まで、バスで行き、そこから列車に乗り換えです。バスは、完全なローカルバスで、乗客がいれば、どこでも止まったり、乗せたり降ろしたりします。ですから、ゆったりで、勿論、エアコンなどないですから、埃は入ってくるし、大変です。外国人は、フランス女性2名、日本女性2名、そしてアジアの星一番の5名です。その他は、全てインド人。日本女性は、人気高く、インド人に話しかけられたり、じっと見つめられたりしていましたね。そして、着きました。サトナーー駅(構内のホーム)です。僕は、エアコン付きの席とだけ指定して、チケットを買いましたが、2Aと言うクラスで、上から2番目の良いクラスのようです。日本女性は、姉妹で、南欧州から、トルコや、中東、エジプトなど4ヶ月も旅を続けて来ていて、列車の席も、SLと言う、僕より4クラスも下のチケットを買ったそうです。僕のチケットが、625ルピーで、彼女達のが、170ルピーと言ってましたので、3倍から4倍の値段です。フランス女性達も、SLクラスです。同じバックパッカーでも、僕は、金遣いの荒い裕福なほう見たいですなー。貧乏人気取りが出来なくなってきますよ。2段ベッドの上でしたが、それでも、こんなに狭いのです。狭いですが、エアコンは効いているし、シーツに、毛布に、毛布カバーに、枕も準備してくれます。7時間半、熟睡しました。心配した荷物も盗まれもせず、問題なかったです。ただ、僕は荷物最小限にして、12キロ程度にしてますが、フランス女性は24キロもの大きいバックパックを背負ってましたので、荷物は寝台には置けませんね。そうすると、盗難が心配だし、困ります。因みに、日本姉妹は、もうSLクラスには乗らないと言ってました。毛布も、シーツも、枕も何にもなくて、仕切りのカーテンさえない、硬い寝台があるだけってことです。エアコンも、勿論なしです。夜の8時半に、サトナーを出発し、翌朝の5時半に、ヴァーラーナスィーに到着しました。ここでも、客引きが大変です。群がる客引きを振り払って、別の場所へ移動して、日本の姉妹と、一緒にリクシャーに乗りましたが、走り出して、駅を抜けるとリクシャーを止めて、どこへ行くんだ? とか、言い出します。明らかに、宿の客引きに変貌しました。ちょっと揉めましたが、そいつには乗らない事として降ります。リクシャーが来なかったら、困るなー! と心配しましたが、そんな心配は必要なく、すぐにやって来ました。そいつは、誠実な運転手だったので、正規料金で乗れたのであります。そして、ガンガー近くに行く前に、今度は、別の宿の客引きどもです。しつっこく、付き纏います。振り払っても、先回りして、付いてきます。ほんとに、しつっこいです。日本の姉妹さんは、エアコンなしの部屋探しなので、途中で別れました。そして、又、ここでも、格安の安宿を見つけました。もしかしたら、僕は、安宿探しの名人かも知れません。エアコン付き、ホットシャワー湯量たっぷりの部屋で、400ルピー、1000円です。屋上からは、ガンガーが見渡せます。内容も良くて、格安の宿は、「歩き方」に乗ってなくて、中心から、ほんの少しだけ、外れた所が、狙い目のようです。
2008.09.28
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2008年9月26日(金) 9日目本来なら、カジュラーホーは、東も、西も、南も、見終わったので、次の目的地、ヴァラーナスィーへ移動しなければなりません。しかしながら、汽車が満席で、チケットを購入出来ず、もう1泊、ここに留まる事になりました。インドの旅も、9日目だし、完全休養日があっても、良いかな、と宿にてゆったりしております。お陰で、持参のパジャマも洗濯することが出来ました。下着は上下3着ずつ持参し、毎日、シャワー浴びる時に洗っています。エアコン付きでないと、一晩で乾かないので、困ります。ずっと、宿にこもっていても、退屈なので、洗濯が完了し、コーヒー飲んで、カジュラーホー村へ出かけました。ここは、オールド・ビレッジと言われ、ヒンドゥー教のカースト制度が完全に残っていると言うことです。宿の若いオーナーが、夜、案内すると、しつっこく誘って来ましたが、何だか、怪しくて、何かが起こりそうな予感がしたので、断ったものです。こんな街です。ここは、ちょっと見栄えの良い箇所を撮影したので、実際は、、もう少し惨めな感じです。でも、悪くはないですよ。ここの右側が、オールド・ビレッジで、左側が、沼です。この大きな木の向こう側が、村です。村には、共同の井戸が何箇所もあり、そこから水を汲んで家に持ち帰ったり、そこで、洗濯したりしていました。水道は、ひかれてないようです。村のハズレに、寺院がありました。西や、東、南と同じような造りです。さらに、その先にも、寺院がありました。えげつい彫刻はなく、エロでなく、色っぽいと言う彫刻でした。村では、大人も子供も声をかけて来ます。最初は、親しい人たちだ、と思って挨拶を返し、言葉も交わしましたが、皆さん、金くれ! か、ペンくれ! との、おねだりです。貧乏旅人の僕に、くれって言っても無理よ、と、後は、しらばっくれて、自転車を漕いで、宿方面へ帰りました。エジプトでも、ペンくれだの、バクシーシだのって、しょっちゅう、言われました。インドでも、言われるだろうと、実は、予想しておりました。物乞いは多いって聞いてましたので。ここが、カジュラーホーの、中心地です。田舎通り見たいでしょう?この付近がそうなのか、季節的にそうなか、分かりませんが、虫が多くて、参ります。宿の部屋は、たった400ルピー(1000円)の割りに、しっかりと虫対策されており、窓には全て細かいメッシュの金網です。ですから、蚊も入って来ません。問題は、ネット屋さんとか、食堂で、ご飯食べる時です。ネット屋も、ネットカフェなどと洒落たものでなく、まさしくネット屋って感じで、入り口のドアなどありません。壁もなくオープンです。虫さん達は、我が家だとばかり、パソコンの画面に向かって来ます。しっかり眼を見開いて、画面を見ていたら、目に直接、虫がぶつかって来ました。反射的に瞼を閉じます。虫が瞼に挟まりました。痛い! 痛い!暫く、眼が開けられませんでした。(恐い位ですよ!)食事も、レストランなどと洒落たところで食べませんから、完全にオープンスペースで食べます。昼は暑いですが問題ありません。夜です。灯りを点ければ、虫の大群が押し寄せてきます。薄明かりだって、やって来ます。ですから、ものすご~く暗い、外で食べますから、虫の数匹、一緒に食べてしまっても分かりません。(食べているなー、きっと。 おぇー! 気持ち悪くなってきたー。)宿の部屋は、完全隔離かと思いきや、小さな蟻さんは、やって来ます。朝食用の食パン買って一晩経ったら、何と、蟻がもう100匹以上は、袋の中に入って、蟻の巣になっていました。しゃーねぇーなー、と蟻を、振り落として、食パン食べましたけどね。そんなこんなで、各家庭も、電気は、最小限しか点けません。で、夜空がきれいなんですよー! 灯りがほとんどないですから。日本なら、山の奥へでも行かねば、見られないような星空です。蚊の心配しながら、虫除けマットのスイッチをオンにして、暫く夜空を眺めていました。日本もなー、各県ごと位の単位で、停電の日でも作って欲しい。例えば、1ヶ月に1回とかね。電気の有難さは、実感できるし、夜空の星でも、家族や、恋人同士が、眺められるし、良いことばっかりだ。などと、と考えながら・・・。
2008.09.27
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本日、2回目の更新です。ほんとど、休養日で暇ですので。===========================2008年9月25日(木) 8日目自転車を借りて、少し暑いですが、快適に飛ばして、東群寺院へと向かいます。見えて来ました、この通りの向こうに見えるのが、東群の入り口です。このように、3寺が、ここにはあります。それぞれ、別の特徴がある、3寺院です。 さらに、チャリを飛ばし、南群寺院へ向かいます。のどかな田舎の道を、気持ちよく、ペダルを踏み続けました。ドゥラーデーオ寺院に着きました。(写真なし)こんなに広く、美しい庭園を持ってます。ここは、無料ですが、どうやってこれだけの、庭を維持しているのか、分かりません。(写真なし)こんな川を渡り、こんな村の道を通りぬけて、チャトゥルブジャ寺院に着きました。隣に、小学校がありました。休憩時間なのか、子供たちの声が、すごく大きく聞こえました。とっても、のどかで、気持ちよい道でしたので、寺院とは関係ありませんんが、田舎道の写真をアップすます。
2008.09.26
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2008年9月25日(木) 8日目ラクシュマナ寺院左が、カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院真ん中の小さいのが、デーヴィー・ジャグダンベ寺院右が、チトラグブダ寺院ヴィシュワナータ寺院西群寺院は、上記の5寺がメインです。その他、小さいのを含めれば、全部で、14寺あります。昨日は、エロスのみの写真を掲載しました。どぎつい奴ばかりで、少しげんなりしたかと思います。あぁ言うのは、秘め事にしておくのが良いですよね。で、本日は、どぎつくないのを、アップします。その前に、全体像ですが、彫刻は、こう言う風に、側面に施してあります。まず、彫刻関係。タージ・マハルはシンプルでしたが、ここは、色んな模様が、彫ってあります。 でも、やっぱり、特徴は、シヴァとバールヴァティーと言う名前らしいですが、寄り添う、男女像です。 さらに、天女像なのか、女性の像です。処女と、非処女の区別もつけて、彫ってあるらしいですが、経験乏しい、アジアの星一番には、さっぱり分かりません。 西群寺院の、監視員の皆さんです。暇なので、暫く雑談してましたが、ちょっとした冗談なのに、良く笑ってくれて、楽しいひと時を過ごしました。東群寺院、南群寺院へと続く
2008.09.26
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2008年9月25日(木) 8日目カジュラーホーが、何故、「エロスの寺院街」かと言うと、ここの寺院は、エロティックな彫刻が施されていると言うのであります。それを見るのが、目的ではないのですが、移動距離との関係で、ここへ来たのであります。言い訳しておきますが、あくまで、それが目的ではありませぬ、ので。まず、ここカジュラーホーには、西群の寺院、東群の寺院、南群の寺院、の大きく3箇所に別れております。西群の規模が、最大だと言うので、まず、西群の寺院へ言って見ました。大通りのすぐ目の前が、寺院です。門をくぐると、公園のようであります。これが、西群の寺院の中でも、最大なカンダーリャ・マハーデーヴァ寺院です。遠くから見ると、アンコール・ワット廻りの寺院のような感じを受けます。「エロスの寺院街」、と僕が名付けましたが、まず、それを先に、お見せします。羅列と言った方が良いでしょうか。寺院の壁に、こう言った彫刻が施されています。二人で屈んで、何しているのでしょうか?こんな、彫刻が沢山あります。 おー! おおおー! 大胆に乗っかっていますぞ!真ん中の女性、ち○ち○、押し付けられて、恥ずかしがってます。その隣では、きちんとやってますが。これは、すごい! この体位は何と言うのでしょうか?経験ありません。逆立ちしてますぞ!逆立ちしたり、立ってたり、後ろからだったり、乗っかったり、インドの人の正上位ってのは、どれかなー? ないのかなー? と思って、探したら、ありました!小さい彫刻なので、懸命に探さねば、見つからないような所に、ありましたです。今回のところ、これまでにしておきます。全体像を見ると、いやらしいと言う様な建物ではありません。西群の寺院、南群の寺院と、共に、明日、全体はまとめてアップしたいと思います。いやー、大胆な、彫刻には、驚かされます。
2008.09.25
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2008年9月24日(水) 7日目アーグラーから、どこへ行こうか考えました。地図を見ると、バナーラスの前に、カジュラーホーがあります。バナーラスへ直接行くには遠すぎるので、カジュラーホーへ行くことにしました。調べて見ると、アーグラーから、カジュラーホーへ直接行くバスがありません。誰に聞いても、汽車で、ジャンスィーへ行き、そこからバスで乗り継げ、と言います。止む無く、昨日、チケットの前売りを買いに駅まで行きました。そしたら、普通(多分2等席)は、売り切れで、ファーストクラスしか空いてないとつれない返事です。300ルピー位でいけると思っていたら、なんと、720ルピーもします。1700円もします。迷いましたが、もう1日無駄にするのも、もったいないので、泣く泣く、ファーストクラスのチケットを購入しましたです。そして、本日、移動です。アーグラー駅です。鉄橋も渡ります。緑豊かな車窓です。 ファーストクラスの僕の席をお見せしましょう。先日、成都で買った、ショルダーバッグが置いてあります。(すっごく便利になりました。)8時17分発が30分ほど遅れましたが、朝食つきです。さすが、ファーストクラス。2時間半かかって、ジャンスィーに着きました。ここからが、問題。バス停がどこにあるか分かりません。リクシャーか何かの客引きが、駅の構内までやってきて、纏わり付きます。振り払って、外に出ると、欧米系のカップルが、客引きに捕まっていて、一緒にタクシーで行かないか? と誘いがありました。聞くと、合計3000ルピー、1人、1000ルピーでどうだ、と言ってます。僕は一言、「高い! 高すぎる! バスで行く!」、と断りました。客引きは、もう11時のデラックスバスは出発した、ローカルバスはあるけど、7時間かかる、とか、何とか言って引き止めにかかりましたが、振り切って、ツーリストインフォーメーションへ。そこにも、欧米系の青年がいたので、一緒に行くことにしました。外に出ると、彼には、彼女がまっていました。3人となりました。まずは、長距離バス停へ行かねばなりません。オートリクシャーで行きましたが、その運転手が、仕切りとタクシーを薦めます。やはり、3000ルピーから始まりましたが、すぐに、2500ルピーへ、そして、2100ルピーまでディスカウントすると言います。一人、700ルピーまで下がりました。メキシコから来たカップルは、タクシーで行きたそうな素振りだったので、僕は、そこで、「一人、500ルピー。それ以上だったら、乗らない」と、言って、後は、何を言われても、Noと言ってました。メキシコ女性も、僕に合わせて、500ルピーと言い張っています。で、敵は、600ルピーまで下げて来て、もう一息で、500になるな、と、ひとり、ニヤッっとしてました。そしたら、堪え切れずに、メキシコ女性、550ルピーで、どう?と言ってしまったのです。もうー! このー! もうちょっとだったのにー!と思いましたが、後の祭り、550ルピーで、手を打ちました。で、こんな、道路を走ります。中学生か、高校生なのか、女子生徒が自転車で、やたら走ってます。のどかな風景がずっと続きます。町よりも、ずっとキレイな道路と、畑や、牧草地です。 ホテルは、ちょっと奥へ入りますが、相場700ルピーのところ、400ルピーのところを見つけました。エアコン付き、バスまであります。エロスの寺院ってのは、明日、現物を見てから、報告します。乞う、ご期待! (期待してない?)
2008.09.25
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2008年9月23日(火)ホテル、2泊するつもりでしたが、別ホテルに移りました。エアコン付きと言う条件で、泊まったのに、エアークーラーと称するファンの部屋だったのです。良く確認しなかったこっちにも落ち度はあります。で、そうそう、怒れませんが、エアコンなしだと、サウジの豪華な家に慣れてしまった、僕の身体が、持ちません。屋上からは、チラッと、タージ・マハルが見えるのですが・・・。昼食は、ターリーと言う、インドの定食です。ターリーとは大皿の意味だそうですが、定食なので便利です。あまり悩まず、オーダー出来ます。ここ、アーグラーには、ヤムナー河の対岸に、もう一つの小さなタール・マハルと言われているお墓があります。そこへ、リクシャーに乗ってのんびり出かけて見ました。インド女性も、リクシャーに乗ります。3人座りきれず、後ろに一人。牛ものんびり、交通量の多い道路でも、歩いています。だけど、牛さん、ストレス溜まらないのかなー? こんだけの煩さの中で。日本の牛とは、たぶん、DNAが違うでしょうねー、何て思うほど、牛さんも大変だなー、と思います。ヤムナー河にかかる橋の上です。向こうに茶色見えるのが、目指す、イティマド・ウッダウラーです。正門です。似てませんか? タージ・マハルに。これは、タージ・マハルが建てられる前に、ジャハーンギールの妃、ヌール・ジャハーンが、父母の為に建てたものだそうです。タージマハルを建てた、シャー・ジャハーンが、皇帝に即位した、1628年に完成していますので、数十年早く、建てられたものです。インドは、サルも多いですが、リスも多いです、どこにでもいます。 イティマド・ウッダウラーを、ヤムナー河側から見たものです。タージ・マハルは、飾りもシンプルだな、と思いましたが、こちらの方が、全体にすごく小さいのですが、複雑に設計施工してあると感じました。 最後の写真がお墓です。この敷地、建物、全ての配置の、ど真ん中に配置されております。 帰りは、ヤムナー河の畔を、帰って来ましたが、タージ・マハルも良く見えました。
2008.09.23
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2008年9月22日(月)ブログって、1回、1万語以内なのですね。昨日は、書き過ぎました。さて、マツゥラーでは、ホテル前をヤムナー河が流れています。朝、ホテル出発前に、手漕ぎボートにて、朝の散歩としゃれ込みました。 そして、ある意味、インド観光のハイライトとも言える、タージ・マハルのある、アーグラーへ移動しました。ホテルを探してチェックイン後、早速、タージ・マハルへ出かました。正門の向こうに、白亜のタージ・マハルが見えます。正門をくぐると、完璧なシンメトリーのタージ・マハルが見えます。素晴らしいです! さらに歩いて、近づいて見ます。美しさは、まばゆいばかりです。タージ・マハルから、正門を見てみました。この眺めだって、見事なものでしょう?ここも、インド北西部より、デリーや、マツゥラーを通って来る、ヤムナー河の畔にあります。このヤムナー河は、ご存知の通り、バナーラスの上流で、ガンジス河と合流します。高級そうな、大理石で作られています。樋も大理石です。写真、全部載せられませんが、細かく見ても、シンプルなデザインです。ゴテゴテしていません。 正門とタージ・マハルを結ぶ、写真が有名ですが、他の角度から見ると、緑も豊富です。 ここは、説明するまでもなく、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが亡くなった奥様の為に、22年の歳月をかけて、作ったお墓です。お妃の亡くなった時の称号が、ムムターズ・マハルで、ここから、タージ・マハルとなったそうです。しかし、死生観、宗教に基づく、死後の世界の考え方、そう言った生き方から、見方も変わると思うのですが、深い信心を持たない僕などからすると、死んでから、こんなりっぱ物を作ってくれるより、生きている時に、立派な暮らしさせてくれー! と言いたいです。何はともあれ、タージ・マハル。素晴らしいものです。感動しました。
2008.09.23
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本日は、9月22日(月)、デリー →マツゥラー →アーグラーと 移動して来ました。マツゥラーでは、ネットに繋げませんでした。 このブログ、日記のつもりで、毎日書いているので、ネットに繋げない時のものも、遅れてアップすることにしました。 ============================ マツゥラー市内ツアーの続き 次がバルサーナで、クリシュナの父も、一緒に祀られている所です。 日本のお寺と違って、ここはご本尊様が、扉の向こうに隠れています。 さらに、その向こうにカーテンで覆われ、時間が来ないと拝めません。 待つこと、20数分。 時間が来ると、皆さん、いっせいに、ご本尊の前に行き、何やら、 一緒に、声を合わせて言ったりしていました。 さらに待つこと、5分くらいだったでしょうか? いきなり、ドアがバァーンと開きました。さらに待つこと、数分、カーテンが サァーっと開きました。ご本尊の登場です!(撮影は禁止です) やはり丘の上にあります。 次は、ジャティプラって所でした。もう、クルシュナのオンパレードで、 そんなこと言ってはなりませぬが、いい加減飽きて来ました。 毎回、靴脱いで入らねばならないし、面倒なので、入り口で待ってました。 ここでは、こんな風に、ミルクを売ってます。 路上ですから、埃は舞い上がっているわ、砂もあるわ、呼び込みで、 唾は飛ぶは、ですから、かなり、世界の国に溶け込んでいると自分では 思っている、アジアの星一番、でも、飲む勇気はありませぬ。 そして、ラダクンダ。沐浴です。ラダクンダとは、川の名前です。 写真のように、川の中に、せり出しており、そこで、川の水を 頭にかけたり、体全部を、水中に入って、清めている人もいました。 僕は、ここでも、静観です。 もう、16時半です。 これで、マツゥラーに帰るだろうと思ったら、まだ、どっかへ行くようです。 本日は、天気は良くないものの、小雨も降らず、まずまずです。 しかし、雨だと、下がグジャグジャで、雨で湿ってないと、砂埃です。 誰も座っていないバスの座席は、砂で真っ白となります。 雨でも、晴れでも、嫌ですぞ! インド。 こんだけ、多くの砂を吸っているのだと思うと、もう、早くホテルに 帰り、シャワーを浴びたい気分です。 最後に行ったお寺も、クリシュナでした。
2008.09.22
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2008年9月21日(日) 州政府観光局が主催している、市内ツアーがありました。それに、 参加してみることにしました。 たった100ルピー(240円)なのですよ。 こんな、オンボロバスで行きます。観光バスとは思えませんが、何せ、 たったの100ルピーですから、文句は言えません。 最初の、クリシュナ・ジャンマブーミーで、トラブル発生。 結局、中へ入れず、見られずじまいでした。 30分で、帰って来て下さいと、ガイドから言われました。バスから入り口まで、 数分で、往復考えると、残り、25分もない。 入り口付近で、うろうろし、説明など読むと、どうもカメラが持ち込めない模様。 預り所があり、列をなして並んでいます。 ようやくカメラを預けて、入り口の列に並ぶと、ipodは持ち込めないと、 係員が偉そうに言いやがる。 なんでやー! あそこの説明文を読んでみろ! Ipod駄目だと、全く 書いてないぞ! と係員と揉めるも、許可権を持っている敵さんに 勝てる訳なし。再び、預り所へ。ここで、既に10数分経過してました。 やれやれ、これで、入れるわい、と又、又、入り口の列に並ぶと、今度は 電子辞書は持ち込めないと、言いやがる。 この! 俺をネパール人だと 思って、舐めてやがるな! (そうそう、ネパール人か? と聞かれました。 面倒なので、そうだ、と答えておいたのです。) 揉めていても、時間は過ぎる一方なので、又、又、預かり所に戻り、 荷物全部を預ました。身軽になって、入り口に並び、検査の順番を 待っていると、もう、残り時間、7分ほどしかありません。 で、入場を諦めて、荷物を引き取り、バスに戻ったのであります。 ったく、困ったものです。 しかし、その後が、又、問題。 決められた。8時30分までに帰って来たのは、僕一人。 40分頃、大半の人は帰って来ましたが、まだまだ、帰って来ない人あり。 僕は、ガイドに、8時半出発だよな? 入場すると、時間に間に合いそうも ないので、入らずに帰って来た、と説明済みでありました。 客とガイドが揉めていましたが、最終的に、25分遅れの、8時55分に 最後の一人が帰って来ました。 そしたら、ガイドが怒りまくって、乗客に何やら言ってます。 おい! お前ら! 8時半に集合ってのに、何時だと思っている! 時間通りに帰って来たのは、あそこの日本人だけだ! しかも、時間に遅れるからと、中にも入らずに帰って来たのだ! それが、何だ! 貴様ら! インド人の恥じだ!(全て推定) 乗客も黙ってはおらず、応酬していましたが、ガイドの剣幕に恐れをなし、 最後には、分かった、分かった、と乗客が謝っていたようです。(推定) 決着が付くまで、5分以上かかったと思いますが、最後に、僕の所へ 来て、「大変、申し訳なかった」、とガイドが謝るのです。 「いやいや、あなたが悪いのではない、」、とこちらは恐縮してしまいました。 どうです? すごいガイドでしょう? 感心しました。 その後、乗客全員が、全ての場所で、きっちり時間を守って帰って 来ましたから、この最初の、5分間のガイドの、毅然たる態度と、要請は、 ツアーを、素晴らしいものにしたのであります。 あー、良かった、良かった。 おしまい。 では、ありません。まだ、ツアー始まったばかりなのであります。 続けます。 二つ目は、ヴリンダーバンで、クリシュナが、育った土地です。 毎日、多くの信者が巡礼に訪れ、この周辺だけで、な、なんと、4000もの 寺院があり、そてが、全て、クリシュナを祀ってあると言います。 すごいですな。 ここも写真撮影禁止なので、何にも撮れませんでした。 そして、その後、バスは、ガタガタ道を北上します。 周囲は、緑豊かな、田園風景であります。サウジとは違いますねー。 こんなに豊かな土地を持っているから、多くの人口を養っていけるのでしょう。 1時間20分ほど走って、着いたのが、ナンダガオンです。 マツゥラーの北方、40キロ地点にあります。ここもクリシュナを 祀ってあります。 小高い丘の上にあります。 中の撮影は禁止なので、外からしか写真は撮れません。 早めに、丘を降りてきたら、ガイドさんが、ティを飲んでいました。 で、僕も、同じく、そのティを頼みました。 この少年が、鍋にお湯とお茶をいれて、沸かします、それを、素焼きの 茶碗(手前にちょろっと映ってます)で飲むのです。 3杯分あり、一緒のインド人と飲みましたが、僕がお金を払おうとすると、 ガイドが、いや、彼らが払うからいい、と僕を制します。 ご馳走になりました。まぁ、でも、3ルピー(8円)程度だったようです。 10000字を超えてしまいました。 続く
2008.09.22
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2008年9月20日(土)寒くならない内に、ネパールへ行く計画は、断念しました。何故かと言いますと、飛行機代が、かなり高いのであります。何と、デリーとカトマンズ往復で、4万円もするのです。そんな大金を、気温の為に、使うのは、ちょっと無理です。で、デリーから、マツゥラーへ移動することにしました。マツゥラーと言っても、日本の松浦さんとは、何の関係もありませぬ。「クリシュナ」の、生誕の地で、ヒンドゥー教の聖地だそうです。とっても有名なバナーラスを、シヴァ神とすれば、マツゥラーは、ヴィシュヌ神の巡礼の一大中心地であるので、ここは行かねばならぬ、と、オンボロバスに乗って、移動したのであります。まぁ、着いて、ぶったまげました。何でもありの町です。人力車、自転車、車、人間、牛、犬、さる、リス、豚も。道路の両側には、各種、さまざまな店が並んでいます。食べ物、着る物、生活用品、薬屋、ちっちゃなお店で、何でも、ごっちゃにありまして、その道路脇の溝見たいな所では、おしっこしている、おっちゃんもいます。ごちゃごちゃ、とは、こう言う所を言うのでしょうか?中国も、ごちゃごちゃだと思っていましたが、大都会は、急速に変貌しており、世界に追いつきそうです。追い越している部分もあるでしょう。インドは、ごちゃごちゃ。混沌、カオス。ちょっと吐き気がして来ます。ここに比べたら、中国は、もっともっと、清潔です。写真では、雰囲気、分かりにくいと思いますが、町の中心部をパチリ。露天の店の横では、牛がゆったりしています。ちょっと、表通りから入ると、ゴミ捨て場? ちがうなー、普通の道路。そこで、牛と、豚が、えさを漁っていました。サルだっています。僕は、朝の食事にと思って、バナナ2本を、負けさせて、7円で買いました。しかしながら、くっそ! サルの奴目に、ひったくられてしまいました。腹の立つ、サルめー! 7円、返せ!バルセロナで、スペイン野郎にひったくられてから、久ぶさの事件でした。手口は全く一緒。後ろから来て、ばっと、手荷物を取って、一目散に逃げる。人間は、確かに、進化したサルだ。追記デリーからのバスは、普通の路線バスで、途中何度も停車します。ですから、風景は十分堪能できます。まず、感じることは、うるさい。バスはオンボロだから、エンジン音が高く、ipodの音量も、maxに近いほど上げねば聞こえない。追い越しの車も、クラクション全開。その度に耳を塞ぎます。それから、隣の奴は、平気で体をくっつけてきます。やはり人口の多い国、これは中国と同じでした。マツゥラーに着いたって、運転手と料金徴収係員は言うが、そこは道路脇で、何もない所でした。それで、バスを降りると、リクシャーの人たちが、どっと押し寄せて来ます。乗れ! 乗れ! と。最初に声をかけて来たのは、齢、13歳位じゃーないかと思われる少年。大人や、他のガキどもが、どっと来ると、後ろに追いやられてしまいました。それでも、必死に手のひらを広げて、50ルピーと言っているようです。一番初めに声をかけてきたし、気弱そうなので、そいつを指名しました。ちっちゃな、きゃしゃな体で、エイコラ、エイコラ、ペダルを踏んでいます。可哀相になって来ます。途中、うしろを振り返って、ホテル名を確認してきました。僕は、明治時代の金持ちなった見たいに、ない髭をなでながら、鷹揚にそうじゃ、そうじゃ、とうなづいていたのです。初めは。そしたら、指3本立てて、必死の形相で、何か言い初めました。片手の手のひら広げて、声をかけて来たので、「50ルピーだな?」と、念を押して乗ったのです。おとなしそうだし、他の奴らに押しのけられて可哀相だから、指名してやったのに、追加をよこせって事か?「何を言ってんじゃい! 50ルピーで行くって言ったろ!」と、何度言っても聞き入れません。おとなしそうな振りして、後で変貌する。んん? どっかで経験したような? そうだ! あの彼女だ! 可愛いそぶりで、すっかり入れあげてしまったら、突然の変心。態度も変身。大きく傷ついたなー。そうなんだ、あれ以来、女性は信用しないことにしたのです。話が飛びました。で、今回は男、しかも少年。こいつに負けてはいられない、と、繰り返し、大きな声で、50ルピーしか絶対に払わない! と言い張りました。そしたら、怖そうなおじさん二人いるところで、リキシャー止めて、こっちへ来い、と言うそぶりです。「あちゃー! こいつら、グルか? 困ったぞ!」と思いましたが、重いバックパック背負って逃げる訳にも行かず、のこのこ付いて行きました。こりゃ、大変なことに、なりゃーせんか、と心配多大でした。しかし、よく聞いて見ると、遠いので、30ルピー欲しいと言っているのです。なんちゅうこっちゃねん! こっちは、50ルピー払うって言っているのに、30ルピーくれ! って必死に言ってたのです。あらまー! 言うことなしです。で、どうしたって! 30ルピーだけ、きっちり支払いましたです。
2008.09.22
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2008年9月19日(金)デリー市内ツアーに参加しました。安いので、一応、目ぼしい所を廻って、良ければ、又、ゆっくり見ようとした訳であります。1日市内ツアーが、300IR(750円位)です。9時半出発と言うことで、宿から、15分ほど歩かされ、小雨の中、45分も、こんなところで、待たされました。 まず、「歩き方」にも載っていない、ビルラ寺(Birla Temple)と言うヒンズー教のお寺に行きました。靴を脱いで、裸足で、お寺内に入ります。次は、大統領官邸です。国会議事堂も、すぐ近くにあります。この辺りは、市内と全く景観が異なります。整備されているので、ごみごみしていません。汚くありません。インド門です。この門は、第一次世界大戦で戦死したインド兵士の慰霊碑として作られたとの事です。イギリスに協力すれば、独立を承認するとか言われて、多くのインド人が戦死したそうですが、戦争後、独立させてもらえませんでした。イギリス、ひどいなー!インド門から、先ほどの、大統領官邸まで、一直線に並んでいます。これは、イギリス領であったインドの時に、コルカタから首都をニューデリーへ写した時、イギリス人の建築家により、設計、建設されたそうです。インド人が、やっていたら、こんな風に作ったかどうか?インデラガンジーの、記念館に行きました。使っていた、居間や、勉強部屋、食卓などもあり、ニュースの写真は大量に展示され、暗殺された時に、着ていたサリーなども、展示されています。インド人に取って、忘れえぬ偉大な人なのでしょう。世界遺産の、クトゥブ・ミーナールです。ニューデリーの南、15キロの所に塔がそびえ立っています。高さは、72mですが、周囲に高い建物がないので、目立ちます。これは、イスラムの塔で、ヒンズゥー教徒に勝った記念に建てられたとのこと。下の、右端の建物がモスクですが、破壊したヒンズゥー寺院の石材を用いて作られたとの事です。 下の写真は、上の塔、クトゥブより高い塔を建てようとしたが、完成せずに残っている、基礎部分です。完成したら、アラーイーの塔として、そびえ立っていたことでしょう。 因みに、ここの入場料、外国人は、250ルピーです。1日市内ツアーの料金が、300ルピーですから、ベラボーに高い訳です。外国人は、僕と、イギリス人の青年と、韓国人の家族だけで、その他は、全て、インド人でした。で、イギリスの青年、韓国人家族は、ここに入場しませんでした。貧乏人で超ドケチである、アジアの星一番の上を行く、ケチを発見です。ニッポン代表ドケチは、残念なるか、イギリスと韓国に完敗しました。謹んでここに、報告申し上げます。それにしても、ほんまに、ケチやなー、あいつら! 何しに、ツアーに参加したんじゃ? んんー? お? おおお? なんだ? こりゃー! 変な建物が見えて来ましたぞ?これは、バハーイー寺院です。バハーイー教ってのがあるらしいです。全く知りませんでしたが・・・。人類の平和統一、宗教と化学の調和を説く、イラン起源のイスラム系の新宗教らしいです。インドでは、カーストに関係なく、誰でも、純粋に祈り瞑想する場であると言っているそうです。人類の平和統一が出来たら、良いですけどねー。朝、10時に遅れて来たバスに乗り込んでから、ずっと観光していました。しかし、もう、夕方も6時。薄暗くなって観光には適さない時間になってしまいました。本当は、あと、2箇所行くはずでしたが、暗くなって来てしまったので、ここが、最後の見学場所です。こんな所を歩いて行きます。Mahatma Gandhiの、お墓です。中には、広場のど真ん中に、このお墓があるだけで、何もないシンプルなものであります。ご存知、インド独立の父、と呼ばれています。無抵抗、非協力、不服従の非暴力主義者でありましたが、暴力により暗殺されたのでしたね。冥福を祈ります。
2008.09.20
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2008年9月18日(木)デリーに、無事到着しました。日本との時差は、3時間半です。成田発、12時40分。デリー着、17時20分。約8時間の空の旅でした。成田からデリーまで、どこを飛んでいくのかなー、と、飛行画面を見ておりました。日本国内は、日本海側を飛んで、佐賀上空へ行きます。その後は、中国上空、上海 →南京 →武漢 →重慶 →昆明 (重慶、先日、行ったばかりですよ! その上、飛んでました。)ミャンマー上空バングラデシュ上空(ダッカ上空)そして、インド上空へ入り、コルカタの北方、ネパールとの国境付近を飛んで、デリーへ着きます。8時間もの空の旅ですが、空いていて、3人がけの座席に一人だけ。映画も豊富で、飽きることありませんでした。映画は、「築地魚河岸三代目」これは、良かったですねー。皆んな、良い人たちで、皆んなが幸せになる。初めから、最後まで、、ほのぼのしてて、適当に笑わせ、適当に涙を誘う。大沢たかお、「深夜特急」見て、爽やかな役者やなー、と思いましたが、ここでも、はまり役でした。デリー空港着。 しかし、その後が、面倒でした。ガイドブックや、ブログなどで、トラブル頻発と聞いていたからです。タクシーに乗ったら、予約したホテルはつぶれた。高いホテルに連れて行かれた、とか、とか、旅行会社に連れて行かれて、法外な料金のツアーに入らされた、とかのトラブルです。で、小心者の僕は、バスで市内へ移動する事にしたのです。バスに乗り場は、簡単に見つかりました。カスタムを出て、右へ曲がって、どこまでもまっすぐです。インド人、荷物一杯持ってます。それも、どでかい奴です。そいつを、通路に、どかっっと置きます。通路、歩けません。それでも、その荷物の微妙な隙間に足を突っ込み、抜き出し、そして、又、足を突っ込み、抜き出し、「何で、こんなんや!」と思いながらも、唯一、空いている、一番後ろの席を確保しました。うぇー、座席は、ホコリで真っ白です。仕方ありません。そのまま、そこに座りました。雨が降っています。空港から、市内まで、意外と遠いです。50分も走って、ニューデリー駅だと言う場所に、バスは止まりました。「駅なんて、みぇねぇーぞ!」、と言っても、「ニューデリー駅」だと、皆さん言い張ります。止む無く。降りしきる雨の中、バスを降りました。しかし、単なるバス停で、列車駅など、見当たりません。「駅は、どっちや! 駅は、どっちや!」 バス停で待っている人たちに、と聞きまくると、「あっち!」、と皆さん、同じ方向を指します。どうも、ほんとらしいです。雨が降っているし、バックパックが濡れると行けないので、前から背負って、ショルダーバックも肩にかけて、傘差して歩きます。まるで、妊婦さんになったようです。バックパックと、ショルダーバック、合わせて、12キロです。妊婦さん、この位、重いのを、毎日、毎日、お腹に入れて、歩いているのですねー、大変だなー、と、関係ないこと思いながら、買ったばかりの、超高価なショルダーバックも、濡れないよう、歩きました。道路は、グチャグチャだし、水溜りはあるし、車はがんがん通ってるし、暗くなってしまったし、「参ったな、こりゃー!」 と、心の中で、頭掻きながら、歩きました。途中、何度も、聞きながらです。30分も歩いて、ようやく、駅に着きました。しかし、目指す、メインバザールらしき、道路は見当たりません。それも、そのはず、ここは、地下鉄駅でした。さらに聞きながら歩き、列車駅に着きましたら、まぁ、すごい、人だらけです。中国も多いですが、インドも多い。ほんと多い! 多すぎ! です。どうも、メインバザールは、線路をはさんだ向こう側のようです。プラットホームが、16番位まであったと思いますが、どうやって、向こう側へ行ったらいいのやら、分かりません。良く分からんけど、各プラットホームを繋ぐ、連絡共通通路へ登って行きました。切符か入場券を買わねばならないよなー、と探しましたが、売っているような場所も見当たりません。ええわ、行け、行け、とどんどん歩いて行ったら、入場券も要らずに反対側へ出ました。そんなこんなで、雨も降っているし、早くチェックインしたかったです。3軒目のホテルに決めました。1泊550IR(1400円位)。雨に濡れているし、エアコン付きの部屋にしました。エアコンがないと、300IR(750円位)だったのですがねー。奮発しました。空港から、宿までが、とっても、疲れましたです。
2008.09.19
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今、成田空港です。あと、1時間少々で、インドのデリーへ飛び立ちます。その前に、重慶の、お勧めホテルを、アップしておきますね。=========================== せっかく重慶まで来て、そして1泊しかしないので、重慶随一の繁華街、解放碑の近くに泊まることにしました。 「歩き方」に載っていた、揚子酒店は、228~308元と記載あったので、 行って見ると、シングル375元と言います。 場所も、申し分なく、リセプションも、それなりに、キチンとしています。 が、375元は、高すぎます。 こんな、繁華街を、トボトボと歩いていました。 そしたら、この右に見えるのが、ホテルです。 高いだろーなー、と思いましたが、一応、聞いて見たら、なんと、180元。 早速、部屋を見せて貰いました。 おー! バスタブが付いてます。中国では、驚きー! です。 トイレ、洗面も、綺麗です。 おまけにネットも使い放題だし、ここに決めました。 いやー、良いホテルが見つかりました。 アジアの星一番も歩けば、良いホテルに当たる、って格言作りましょう。 この写真の、手前に映っている塔のようなのが、有名な「解放碑」です。 歴史は古く、1939年、中華民国(国民党)政府が、臨時首都を重慶に おいた翌年「精神堡塁」として、建てられたのが始まりだそうです。 その後、抗日戦争勝利記念として、「起功碑」、重慶解放を記念する、 「解放碑」と名を変えて、今に至るとの事であります。 そして、その「解放碑」の後ろ側に見える背の高い、上が丸くなっている 建物が、僕が泊まったホテルです。 最高の、位置にありますよねー! 「渝都大酒店」、と言います。 夕食は、繁華街でなく、ちょっと歩いて、定食屋さんで、食べました。 ビールは、置いてないのですが、買って来てくれます。 この辺りは、日本と違って融通が効きますね。
2008.09.18
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僕のバックパックは、普通の人のバックパッカーが持っているものと少し異なります。普通の人は、グレゴリーとか、カリマーとか、コロンビアなどの登山パックのようなのを背負っている人が多いようです。今度、インド方面へ3ヶ月ほど行くので、僕も普通のバックパッカーさんと同様のを購入しようと、明治大学近くのお店へ見に行きました。ですが、中の仕切りがないとか、あまり使い勝手が良いとも思えません。で、もう、四国お遍路から使っているので、2年半になりますが、今のを使い続けようと考えました。サイズから計算すると、40L位の大きさです。これですと、ネパールへ行くときの、ジャケットなどが入りきれません。バックパックの他に、パスポートや、お金など、重要なもの、手帳や、メモ用紙、ペットボトルの水など入れる、ショルダーバックを持って、歩いています。これが、愛用のショルダーバッグです。バンコクのカオサンで買ったものです。バックパックを替えないとすれば、ショルダーバックを大きいのに、替えれば良い訳で、御徒町、上野などで、探しましたが、仲々、調度良いのがありませんでした。成都を歩いていたら、バッグ屋があって、まぁまぁ、これでも使えるか?と言うのがありました。わずか12元(180円)だったので、買って見ました。写真だけ見ると、180円には見えないでしょう?これで、インドに行こうか? と決めたのですが、どうも肩にかける帯が、曲がってしまったり、ちょっと大きい感じがして、歩きにくい。で、東京で、もう一度、探そうと、考え直しました。成都の最終日、暇があったので、伊勢丹へ行って見ました。そしたら、ぴったりのショルダーバッグがあったのです。ちょっと、と言うか、かなり高いのですが、買ってしまいました。Kenji Yamamotoって書いてあります。有名なのかどうかは知りませんが、肩にかける帯も広いし、バッグとの接続部もねじれないようなので、使い易いです。仕切りも、沢山あります。愛用のバッグ = 300バーツ(約900円)新規購入バッグ(茶) =790元(1万2千円程度)新規購入バッグ(黒) =12元(約170円)ずいぶん、値段が違います。今度のは、特別に高いですねー。愛用の300バーツのバッグ、捨てるには忍びないほど、一緒にあちこちへ行きました。ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジャ、マレーシア、シンガポール、蘇州、上海、ハルピン、黄山、桂林、サウジアラビア、バハレーン、UAE、オマーン、イエメン、トルコ、エジプト、モロッコ、ヨルダン、シリア、レバノン、カタール、クウェート、成都、重慶・・・、いやー、書くのも面倒なほどです。300バーツの割には、作りも頑丈で、ほころびなど全くありません。飛行機の座席の下に置いた時に、何かをこぼされて、裏側が、若干色が変わっている程度です。しかし、日本へ持って帰っても、使わないでしょうから、ホテルの受付の人に、新規購入した黒のバッグと一緒に、あげる事にしました。捨ててしまうのか、どうかは分かりませんが、まぁ、部屋へ置き去りにするより良いかなーと、思ったものであります。
2008.09.17
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インド行き準備中。蚊対策を除いて、ほぼ準備完了。今回は、紅茶の他、コーヒー、クリープ、砂糖も、準備しました。機内持ち込みが、最近、ものすごく厳しくなり、練り歯磨きさえ、グダグダと言われます。従って、チャック付きプラスチック袋を購入し、液状のものは、小物も全て、袋にいれ、チャックしました。============================ 2008年9月13日(土)明日、日本へ帰国です。今回の目的は果たし、全ての予定は、完了しました。本日は、丸1日、空いています。で、ここ成都は、パンダの故郷って言うことですので、動物園へ行くことにしました。 劉備、諸葛孔明の、「武候祠博物館」へ行くか、迷いましたが、諸葛孔明より、パンダが、優勢勝ちしたのであります。市内から、18番バスに乗ると、乗り換えなしで、動物園前まで行きます。わずか1元(15円)で、30分ほどかかります。まず、孫悟空のモデルと言われる、ゴールデンモンキー(金糸猿)が毛づくろいしてましたので、1枚、パチリ。そして、パンダです! ゆったりと、寝そべっておりました。さすが、中国でも、パンダは人気者です。檻の前は、人だかり。そして、誰もいない、裏手の方へ廻って見ました。何か、動物らしのが、鉄の渡り橋のようなところにいます。ありゃー? なんじゃー?と、よくよく、見てみると、おー! パンダです。あんなに檻の前に居た、中国人は誰も見ていません。パンダ独り占め状態です。上を向いたり、足で腹を掻いたり、一回転したり、一人で遊んでいます。15分ほど、見ていたでしょうか?コロリと横になって動かなくなってしまいました。じゃー、他も見てこようと、移動。動物園には、珍しい、「金魚館」が、ありました。 レッサーパンダが、物思いに耽っています。 見えにくいですが、サル山です。 ライオンのメスライオンのオスそして、虎です。 ヤギに、エミュに、犀です。 キリンに、シマウマに、ん? 牛の一種です。 キリンの顔、しみじみ見たことあったかなー、と写真に撮って見ました。鹿たちの部類です。こう見ると、ずいぶん、多くの種族がいるのですねー! パンダも人気者でしたが、このオランウータンはもっと人気がありました。パンダと違って、手を出したり、愛嬌があります。サウジや、中東、北アフリカでよく見た、ラクダがいました。おー! でっかいコブがありますねー! それもフタコブです。ヒトコブしか見た事ありません。中国はフタコブなんですね。フタコブの方が、コブの間に乗れば良いから、乗りやすいと思ってましたが、こんなにでかいコブだと、乗りにくいですねー。それに、ヒトコブラクダと、顔も少し違うように見えます。3時間ほど、グルッと園内を廻って来ました。パンダ君、まだ気持ちよさそうに寝てます。
2008.09.16
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昨夜(14日)、成都→西安→成田、経由で、東京まで帰って来ました。今度は、18日(木)から、インド方面へ行くので、その準備にかかっています。中国で、食べ過ぎたか、ちょっと体重が増えたようです。計ってませんが、腹の辺りが重い感じです。=============================== 2008年 9月 11日(木)成都の大繁華街のホテル、金春賓館から、別のホテルへ移動しました。金春賓館は、場所も、値段も、清潔さも、非常に良かったのであります。しかし、新たに探したホテルは、面白い作りになっており、泊まって見ることにしたのであります。小憩駅酒店(TRIP STAGE INN) というホテルです。市内の繁華街に近い、太昇北路にあります。この社員を見てください。入り口のドアを開けると、ベッドは下にあります。この階段から、降りて行きます。入り口ドアを開けた所です。日本人が憩うコタツのようになっています。こんな造りの、ホテル見たことないですよねー!トイれも、シャワーも、清潔です。それに、ネットは使い放題なのです。この部屋は、158元。そして、普通の部屋で、ツインルームが148元。値段も安いです。 しかし、問題は、ネットのケーブル差込口が、この部屋だと、ベッドの横にあり、パソコン置いて、操作する場所がないのです。止むを得ず、ベッド横のテーブルを階段の所へ移動して、階段を椅子にして作業しました。普通のツインルームも、差込口が、机の方になく、反対側の壁、ベッドの頭の裏に隠れています。設計、工事する人が、ネット使ったことないのでしょうね。ツインルームでは、止むを得ず、空いているベッドを机代わりに使用です。面倒ですねー。それ以外は、完璧なのに、この点のみ、残念です。まぁ、でも、ここも、お奨めホテルなので、アップしました。
2008.09.15
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2008年9月11日(木) 昨日は、成都から重慶への移動で、1日かかってしまいまいた。 長距離バスに乗っている時間は、5時間弱なのですが、成都市内の 移動、重慶市内の移動を、タクシーを使わずに、路線バスに乗った為、時間的には、著しく、効率が落ちました。 ま、学生に戻る訳ですから、タクシーなんぞと言う、贅沢な乗り物に 乗ったら、行けません。歩いて、歩いて、バスに乗って、勉学に 励まねばなりませぬ。 で、本日、早速、四川外語学院へ行って見ました。何の予約もしていませんでしたが、対応は、すごく良かったです。 まずは、留学生寮の見学です。 一般学生寮とは、反対側に位置し、静かな所にあります。 1ヶ月、400元(6000円弱)の部屋です。 ベッド、テレビ、エアコン、冷蔵庫、電子レンジ、トイレ、温水シャワー、 そして、鍋まで付いています。 これで、この値段。安過ぎます! (いくら安くっても構いませんが) 部屋が、暗すぎるなー! と独り言を言ったら、電気スタンドを準備するって、言ってました。 あまりに安いので、1ヶ月、倍の値段の、800元の部屋も見せて 貰いました。 ベッドルーム、居間(勉強部屋)、洗濯干し場部屋、があります。 トイレと温水シャワー、キッチン、冷蔵庫です。 勿論、エアコンは、ベッドルームと、居間の2部屋についているし、 電子レンジも、鍋もあります。 居間に、絨毯でも敷いて、テレビも、ベッドルームから移動して、ちょっとした低いテーブルでも置けば、座ったり、食べたり、テレビ見たり、 寝っころがったり、出来るし、快適です。 そうだ、絨毯は、ホットカーペットって奴が良いな。この辺り寒そうだし。中国にも、売っているかなー? 400元の部屋も、800元の部屋も、ネットは、1ヶ月、たったの50元で 使い放題です。 この寮には、大満足です。 但し、寮に入ると、友人が訪問してくれた時に、泊まる事が出来ません。 それだけですねー、不便は。 教室です。 留学生の教室は2階にありますが、一般の生徒も、ここの建物で 勉強します。 昼前の授業が終わったら、生徒たちが、どっと降りて来ました。 女子大生の方が、圧倒的に多いです。8割がた女性ではないか? と感じるくらい、女性が多かったです。 テニスコートに体育館、 図書館、 そして、新入生向けか、携帯を売ってました。 授業も見学しましたが、1クラス10人以下の編成で、個人への 指導が行き届く感じです。 蘇州大学は、30名程度いましたから、それに比べると、ずいぶん、 少人数クラスです。 今期の日本人は、たったの4名と、少ないのも、良いですね。 気持ちは、ここに、傾いて来ました。
2008.09.13
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2008年9月8日(月) Yの字の右上の日則溝景区を見終わって、調度お昼となりました。 レストランは、50元か、80元の、食べ放題ブッフェしかありません。 50元ブッフェで思い切り食べて、Yの字の左上の則渣くぼ溝景区へ 又、シャトルバスで行きます。 シャトルバス終点の「雪峰」です。 約7500万年前に、ここは大きな地殻変動があり、高い山が出来たそうです。 4500m以上の山が19もあるとのことです。これらの山は、雪に11月から 5月頃まで覆われ、それで、雪峰と言われているそうです。 今は、雪もありません。 そして、ここの大きな見所、五彩池にバスに乗ってやって来ました。 五彩池との名の通り、不思議な色であります。 ここの見所は、雪峰と五彩池だけです。 他には、大きな池がありますが、特に見所とも言えずパス。 九寨溝のハイライトとでも言うべき、Yの字の下側である、樹正溝景区へ 急ぎ、移動しました。 まずは、諾日朗瀑布。 九寨溝は、渓谷にあります。滝は、多く、そして、その水のしぶきは、 気持ちの良いものです。 犀牛海です。 静かな湖面です。地下水からの水の供給が一定しており、いつも湖面は変わらず、減りも増えもしないそうです。 犀牛海とそっくりですが、これは老虎海です。 この老虎海を下ると、九寨溝のハイライト、樹正瀑布の始まりです。 どの写真を選んで良いのか、難しいですが、とりあえず、小さい写真を見てください。 ちょっと見られない光景です。水の量も多いし、とても綺麗な水です。中国では、長江でも、天津河でも、水の都、蘇州でさえ、澄んだ水に出会ったことがありません。 中国経験乏しいので、確かなのか、否か分かりませんが、美しい水、 澄んだ川の水は、雲南省の北部、長江の源流でしか見た事がありません。 しかし、ここは素晴らしい。 時に激しく、時にゆったりと、木々の間を流れる水たち。 途中、九寨の一つと思われる、部落がありました。 チベット系の住民部落のようです。どう言う意味があるのか分かりませんが、 色とりどりの、のぼり旗が、はためいています。 この部落から、さらに、下流側を歩く為に、対岸へ渡ろうとしたら、 向こうから、日本人と思しき、女性が歩いて来ました。何故、日本人と 推測したかと言うと、シャトルバスを待っている時に、「歩き方」らしき、ガイドブックを読んでいたからです。 反対側へ歩いて行くので、声をかけるのは、止めました。 もしかしたら、韓国人かも知れませんしね。 ここから下流は、木々の間を、水が流れます。 川幅が広いのに、良くも均等に流れるなー、と感心しながら歩いていました。 トイレに寄って、歩いていたら、前方に先ほどの女性が歩いています。 えー? 何でー? 反対側へ行ったはずなのに? で、今度は、声をかけて見ました。 やっぱり日本人の方でした。一人で旅行していると言うので、中国語 ペラペラですよね? って聞くと、やはり、ペラペラもペラペラ、まるで、 中国人並みです。 こんな景色を見ながら、歩きながら、話しました。 彼女は、1年半、中国に留学し、その後、中国で働いて、合計8年 中国で暮らしたそうです。今は、故郷の沖縄に戻って仕事をしている そうですが、休みが取れたので、前々から行きたいと思っていた、 ここ、九寨溝へやってきたとの事です。 逞しいですよね、ニッポンの女性は。 こう言う風に撮れば、綺麗ですよ、と教えて貰って撮った写真です。 確かに、良いですね。 そんなこんなで、かなり歩きました。 夕方、5時の帰りの待ち合わせに間に合わず、タクシーにて、一人で ホテルへ帰る羽目に陥りましたが、とっても、有意義な一日でした。 万歩計を見たら、2万歩を超してました。よー、歩きましたねー!
2008.09.11
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2008年9月8日(月) ここは、チベット族を中心とした、九つの山寨(周りを囲った山の中の集落) に分かれて暮らしていた渓谷、と言う意味で、九寨溝と名づけられたらしい。 Yの字型に、3つの渓谷があります。 一つは、日則溝景区 → Yの字の右上 一つは、則渣くぼ溝景区 → Yの字の左上 一つは、樹正溝景区 → Yの字の下側(入り口に近い所) 入場料、220元(約3000円)を支払うと、中を走るシャトルバスには、 無料で、何度でも乗れます。このバスです。 シャトルバスには、こんなチベット服を着た、お嬢さんがガイドしてくれます。 ところが、バスによっては、男だったりするんですねー。 ですから、当たり! とか、ハズレ! とか、言いながら乗ります。(僕だけか?) で、まず、日則溝景区の一番上まで行きましたが、入り口から、バスで、 40分もかかります。20キロ以上はあるでしょう。 日則溝景区の、さらに上は、原始林景区となっていますが、ちょっと行って 見ました。ですが、かなりの距離がありそうで時間的にも無理があるので、 諦めて引き返しました。 又、バスに乗り、戻り、草海で降りました。 次が、熊猫海です。なぜ、そう銘々されたのか、景色を見ただけでは、 分かりません。 熊猫海瀑布です。滝のしぶきは、心を癒してくれるような気がします。 五花海です。 九寨溝の中でも、最も美しいと言われる海子。海子とは湖の事です。 湖底が浅いので、湖内の倒木が良く見えます。 歩道は、黄龍と同様、全てこのように整備されており、非常に歩き安く なっております。 珍珠灘瀑布。日則溝景区最大の見所です。これが、滝に落ちる前の川。川と言うより、落差の少ない滝ですね。 この滝が、200mは続きます。 落差は、40m程度でしょうか? ここで、高度は、2334mの位置にあります。黄龍より低い位置です。 鏡海です。 土砂崩れや、岩石が堆積して出来た湖とのことです。 水面が、鏡のように澄んでおり、雲や森、滝や雪、山が水面に映って、 「魚は雲の中を泳ぎ、鳥は水中を飛ぶ」、ように見えるそうです。 うん、確かに、澄んでいるけど、ちょっと波があるなー。
2008.09.10
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2008年9月7日(日) 成都:11時45分発。 飛んでいる時間は、40分(?)ほどで、九寨黄龍空港へ到着しました。 空港の外で、1枚。 すぐに、大型バスで、黄龍へ向かいます。 ツアー客は、総勢、30名程度。成都だけでなく、北京や海南などから 来ている人たちもいるようです。僕を除いて、全員が中国人です。 空港を出発したのが、13時。初日は、昼食はないと言われていたので、 すきっ腹のまま、行くのかよ! と思っていたら、すぐにレストランへ 寄りました。良かったー! 助かったー! しかし、頭は重く、高山病症状であります。 そう言えば、確か、飛行場でも、高度2000m以上で、3000m近くだったよな、 参ったな、こんな症状で、丸3日も、もたない、ツアーどころじゃーないよ、と 先行きが心配されます。 体調悪くても、食うだけ、食っておこう、と、野菜ばかりの安い昼食を、中国人に 負けずに、きっちり食べました。おっとりしてたら、全部食われてしまいます。 生存競争厳しいです。バスに乗ると、頭が重く、起きていられなくて、眠ってしまいました。 僕は、船酔いには一度もなった事がなく、高山病も問題なかったのです。 (と言っても、一番高いのが富士山でしたが。) ところが、雲南省の昆明、大理、麗江などから、シャングリラへ行ったら、 ひどい高山病になってしまい、歩くのも困難な状況になったのです。 シャングリラは、4000mを超えているので、富士山より高いですけどね。 発病後、1年数ヶ月たった頃でしたから、もう4年も前となりました。 で、今回も、高山病になるのを、心配してはいたのです。 困ったなー! 夢か現か混沌とした中で、何度も、困った、困った、と悩んでいたら、知らぬ間に、 黄龍の麓に着いていました。食事時間も含めて、空港から2時間です。 ガイドブックを見ると、もうここは3000mで、黄龍の一番上は、3576m。 おまけに、空は、今にも泣き出しそうな状況です。 しかし、ここまで来た以上、行かねばなりませぬ。 今、15時20分。19時には、帰って来いと、ガイドが言いました。 言われなくとも、暗くなるまでには帰るわい、と独り言をもらす。 少し歩くと、もうこんな景色に出会いました。 水が、流れ落ちています。 1000mほど、歩いた頃、見所の五彩池まで、3200m地点。 ここで、霧のようだった天気が、小雨になる。 まだ、3200mもあるし、息は切れるし、おまけに、頭がボォーっと していたせいか、傘をバスの中に忘れてしまっています。 行くか、引き返すか、迷うものの、帽子はあるし、フード付きジャケットも あるので、行けるところまで行くこととしました。 水は、豊富でないものの、このように流れています。 上の写真の小さな滝の、その上です。 斜面一面に、水が流れていますが、何故か、石灰棚は出来ていません。 小雨の中をさらに歩くと、うわぉーーー! 出て来ました。 これぞ、黄龍! 言葉は要りませんね? 石灰棚の写真を堪能して下さい。 サル達の風呂では、ありませんぞ。 さらに歩きます。 さらに、さらに歩きます。雨は、小雨から霧模様に。天の助けです。 日ごろの行いの良さですねー! さらに、さらに、1歩ずつ、重い足取りで、登ります。 美しい、石灰棚を越えたら、こんな色になりました。頂上まで、 もう一息です。 ここが、黄龍で、もっとも美しい、五彩池の全景です。 霧でなかったら、ものすごーーーく、美しい写真が撮れたのに、残念! 良く見えません。 ここは、もう、3576m+30m位の所ですから、3600m。 ええー? ここで、気がつきました。 高山病を克服しています。 ええー! なんでや? 嬉しい誤算です。 シャングリラへ行った時は、病後で、体力不足だったのが、今はサウジの ゴルフのお陰で、多少の体力も、持久力も、付いていたのかも知れません。 やったねー。 これで、南米の高地へ行っても、問題なさそうな感じです。 話がそれました。五彩池のそばへ行って見ました。 霧が邪魔しています。 こんなに綺麗なのですよ。 九寨溝ばかりが有名で、黄龍は、名前と写真を見せて貰った程度で、 大したことはないと思っていました。 しかし、ここも素晴らしい見所です。 歩く所は、びっくりするほど、きちんと整備されています。 この歩道を見てください。 悪名高い、噂の中国トイレ。 それも、全く問題ないトイレが、適度に配置されています。 いやあー、儲けものでした。良いのを見ました。 「歩き方」には、往復、4時間~6時間と記載ありました。 が、3時間と15分で、往復しました。がんばったねー! ここを登って降りたのです。 ===========================もう、本日、8日は、九寨溝から成都に戻って来ました。九寨溝も素晴らしかったですよ!たぶん、2回か、3回ほどに分けて、アップします。成都の繁華街の、ど真ん中にある、お勧めのホテルも、この前に、アップしました。ツアーでなく、成都に行くなら、安くて、便利で、まぁまぁ、綺麗だし、お勧めです。
2008.09.09
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2008年9月6日(土) 成都市の繁華街、春煕路のど真ん中にあるホテル、金春賓館に チェックインしました。 (金春の、本当の書き方は、金が三つです。エラーになって書けませんでした。)昨日、この繁華街を散歩したついでに、見学しておいたホテルです。 場所も良く、綺麗なのに、たったの160元(約2400円)なので、ちょっと 豪華に泊まって見たものです。 きれいでしょう? 窓の外は、繁華街です。 ちょっと歩いたら、イトーヨーカドーがありました。 そして、その向こう側は、伊勢丹です。 イトーヨーカドーで、豚肉しょうが焼きを食べましたが、味が全く 違います。ちょっと残念。 バハレーンの、豚肉しょうが焼きの方がうまいです。夜は、裏通りの食堂で、水餃子で、一杯と思ったら、量が多すぎて、 腹が一杯となり、ビールと、水餃子だけで、夕食となってしまいました。 そして、その後は、全身マッサージ。 街角のドアもない全盲按摩だったので、1時間たったの20元です。 300円で、きちんとしたマッサージですから、悪くないです。 昨日、見に行った所は、98元でしたから、どえらい違いです。 98元出しても、たぶん、マッサージ自体は、変わらないか、全盲按摩の方が、良いかも知れません。
2008.09.09
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2008 09 06 nihongo ga kakemasen。 四川大学 見学 owarimasita。net café mo sukunaku up dekinakkatanode,3kai matmete up simasita。<追記>日本語書ける所を見つけたので、追記です。2008年9月6日4日に、西安経由、成都に着きました。(アップ済み)5日は、四川大学を見学完了しました。来週、授業を見学です。(アップ済み)6日、本日は、成都の繁華街をブラブラしました。(下記にアップ)明日から、ちょっと時間があるので、世界遺産の、九寨溝へ行って来ます。大地震のせいで、バスでのツアーがありません。飛行機で割高ですが、日程が厳しいので、調度良かったです。九寨溝では、たぶんネット繋げないと思うので、しばし、ブログも覘けないと思いますが、後日、まとめてアップします。+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++成都で有数の繁華街である、春熙路(チュンシールー)にやって来ました。ホコ天です。手をつなぎ、腕を組んで歩くカップル。おばあちゃんの手を引いて歩く、おばさん。田舎から出てきたらしい、おじさんにおばさん。でも、一番多いのは、若い女性の二人連れです。何ででしょう?この広場の右手を見上げると、味千ラーメン店がありました。シリアでは、あれほど食べたかった、ラーメン屋さんが、いとも簡単に見つかります。これが、中国の良い所ですねー!早速、入って見ました。メニューを見ると、結構なお値段しますよ。四川大学構内で食べた値段に比べると、3倍以上すると思います。で、頼んだのは、麒麟麦酒。青島麦酒は売り切れでありませんでした。640ccで、12元=170円~180円です。ビールは、すご~く安いです。喜多方ラーメンもビールと一緒に頼んだのですが、店内満席で大混雑、仲々、出てきません。店内を見渡して見ますと、日本の国技、相撲の絵が、壁一杯にあります。待つこと、10分。何も食べずに飲んだビールの効き目大で、ほろ酔いを通り越して、眼が回りそうです。元々、弱かったアルコールでしたが、サウジ生活でさらに弱くなり、640ccは、とても飲みきれません。喜多方ラーメンです。喜多方ラーメンって、こんな味だったかなー?と思いましたが、間違いなくニッポンの味。中国のラーメンではありません。これで、25元=370円程度。中国人にすれば、ベラボーに高いと思うのですが、店内満席。もっと高い、寿司など食べてるお姉さんたちもいます。裕福ですよねー!寿司は、2貫で、160円くらいですから、日本の100円寿司より高いです。驚きました。裕福な中国人達。 そこに、ポツンと貧乏な日本人が一人。みじめぇー。さみしぃー。酔っ払っちまって、動きたくない。少し休んでから散歩したいのに、お客さんが待っているので、そうも行かず、せかされるように外に出ます。夜は、もう9時を過ぎているのに、こんなに明るいホコ天です。成都は初めて来ましたが、この電気の使用量、すごいものです。これだもの、原油の値段が上昇するのは、当たり前です。地球の環境が悪化するのは、当たり前です。地球の食料が、不足してくるのは、当たり前です。でもですねー、僕がもし中国人だったら、「あんたら、西欧人とか、日本人はもっとずっと前から、電気使いまくっていたろう? 何で、俺達が使いだしたら、文句言うのだ?」 と素朴な疑問を投げかけるような気がします。どこで、バランスするのか、させられるのか、難しい問題です。
2008.09.06
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四川大学は、成都市の南々東に位置します。人民南路から、南河に沿って歩けば、自動的に四川大学の東門に着くはずなのですが、近道をしようとしたら、どこにいるのか訳わからなくなりました。100歩、歩いたら、1回聞くなど、何度も聞きながら、そして、最終的に、35路バスに乗って、ようやくたどり着きました。四川大学の文字が見えましたでしょうか?少しアップで、撮って見ました。門をくぐって、ほんのちょっと歩くと、大きな看板があり、構内地図がありました。留学生寮は、東門のすぐ近くなので、先に寮を見学させて貰いました。一人部屋も見せて貰いました。テレビが置いてあります。勉強机も置いてあります。電話もありますね。ベッドです。案内してくれた受付の女性が、「毛布は取り替えます」って言っていたような気がします。トイレと、洗面ですが、バスタブはありません。冬は、寒いでしょうねー! お湯シャワーだけで、我慢出来るかなー?サウジでは、暑いのに、「温泉の元」使って、あったまってました。 エアコンは、写真に撮りませんでしたが、部屋についています。そして、共同ですが、炊事場もあります。が、自炊するには、炊事場が遠いので、相当面倒ですね。構内は、驚くほど広いです。公園か、と勘違いするように広々としています。こんな池もありました。広いキャンパスを歩いていたら、腹へってしまいました。タイミング良く調度、あった食堂に入って見ました。勿論、大学構内です。卵スープ猪肉炒飯マーボー豆腐四川料理だからか、どれも、たんまり辛いです。それに、写真でお分かりのように、量が半端ではありません。いくら腹減っているからって、 どんぶりに一杯の卵スープ飲めません! 大皿一杯の炒飯食べ切れません! 大皿一杯のマーボー豆腐食べ切れません!それに、このマーボー豆腐、飲み物ではありません! 食べ物です。これだけで、3人前以上あるでしょう。注文する時に、そんなに食べ切れるの? とか言ってくれればねー、多少、注文の仕方を考えるのに! 回鍋肉も頼もうと思ったのですが、止めておいて良かったです。こんなに、量が多いのなら、ギャル曽根ちゃんを、連れてくれば良かったです。誘っても、来ないかな? 今、売れっ子だものね。そうだ! お値段ですが、これだけ、食べて、14元でした。200円位です。成都は、結構、物価高いなー、と思っておりましたが、この値段には、驚きました。安いです! で、あまり沢山食べたので、食後動けず、暫く休ませて貰って、その後、留学生管理室で、話を聞いて来ました。結果、「よし! ここで、勉強しよう!」、と言う気にさせる、インパクトあるものが、本日の所、見つかりません。一応、入学必要資料は、貰いましたが、来週、授業を見学させて貰うことにしました。ここは、北門です。この写真のように、構内には、許可された人力車が走っています。どれだけ、広いか分かりますよね。それに、人力車が、何台も何台も、商売出来るほど、成り立つほど多いのは、それだけ、人力車に乗る学生が多いって事でしょう。 裕福ですよねー!中国は、完全に変わりました。日本より、裕福です。
2008.09.06
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2008 09 04 ただ今、現地時間19時半です。成田:9時45分発、およそ4時間半で、西安に着きました。成都行きの飛行機は、16時50分発。西安で、3時間待たねばなりませぬ。空港の外に出て見ました。東京と比べると、ずいぶん涼しい感じです。たぶん、20℃程度でしょう。これが、西安空港です。暇はあるし、座る椅子もないので、空港内の茶店で、コーヒー飲もうと思ったら、なんと、76元。7.6元の間違いじゃーないの? 中国語、すっかり忘れて聞き取れないなー? と再度、確認するも、やはり76元。コーヒー一杯、1100円ですぞ!高過ぎ!!! って事で、飲むのを我慢しました。しかし、中国の物価、そんなに高くなったの? 驚きですねー。蘇州に留学中は、皆で昼食、ビール飲んで、7皿位頼んで、一人当たり、20元から30元でした。76元のコーヒーは、いくらなんでも、高過ぎでしょう。でも、数年前でも、高級珈琲店では、一杯、100元なんて、お店もありましたから、空港では仕方ないのでしょうか?成都の空港から市内へは、303路バスで向かいます。空港を出てすぐ目の前が、チケット売り場なので、迷うことありません。空港を出たところの道路と、市内に近い所の道路です。 ホテルは、1泊100元です。空港のコーヒー1杯とあまり変わりありませんが、こんな部屋です。テレビも、エアコンも、机もあります。今夜は、ゆっくり寝ることにします。
2008.09.06
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明日、中国の成都へ向かいます。西安で乗り換えです。全ての、準備完了。四川大学の資料も、コピー準備済み。留学生宿舎は、エアコン、TV、電話、冷蔵庫、シャワー、トイレ付き、これで、1日、5US$。1ヶ月、150US$。安いですねー。この資料も、持参済み。この他、成都市内にある、西南交通大学、華西医学大学、西南民族学院、四川師範大学、成都中医薬大学など、留学生を受け入れる学校の連絡先も、調査済み。さらに、同じ四川省ですが、重慶市にある、四川外語学院も見学して来ようと、資料も準備しました。ここの留学生寮は、さらに充実しています。エアコン、テレビ、電話、机・椅子、電気ポット、コンロ、冷蔵庫、電子レンジ、トイレ、シャワー、自炊可能です。そして、お値段は?な、なんと、一人部屋で、一ヶ月、たったの400元です。6000円くらいですよ! 驚きですねー! 魅力的です。ネットも、一ヶ月たったの50元、700円少々です。授業も、蘇州大学と、ほぼ同じで、充実しています。韓国人留学生が、4割もいるのが、気になりますが、これは、どこの地域へ行っても、同じような状況らしいので、仕方ありません。半年間、勉強して、 * 授業料 約10万円 * 寮費 約 5万円 * 食費 約15万円(推測:雑費含む)合計 30万円で生活出来ます。 1年でも、60万円。 いいっすねー。重慶も、絶対、見学してきます。
2008.09.03
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昨日、一昨日と、全く部屋からでないで、パソコンの調整してました。疲れたー!腰が痛い!ですが、メールの受発信可能。インターネットも問題なし。写真の縮小ソフトも、インストール済み。問題は、正規のオフィスでないので、スペルチェックが出来ないのです。これには、困りました。何せ、単語のスペルは、う~ん、多分、10個位しか、きちんと書けません。スペル、覚えてません。本日も、availabilityって単語探すのに、30分を要しました。英和からも、和英からも、仲々、たどり着かないのです。ったく、アホやねー!ま、それでも、一応は、旅立ちの準備完了です。長さ25cm×奥行き16cm×厚さ3cm ですので、画面が小さいのはやむをえません。文字盤も、それに従い小さいですが、慣れれば、なんてことないと思います。これで、ばっちりです!
2008.09.02
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サウジアラビアの民族衣装を、下着も含めて一式プレゼントされたこと、ここで、既に、アップ済です。さて、このトーブとやら、日本へ持ち帰って、いつ着るのか?はてさて? むむむ? どう考えても、着るチャンスはなさそうです。ミャンマーへ行った時、巻きスカート風の、ロンジーは、涼しくて便利なので、現地で購入して、ずっと穿いてました。そして、日本へ帰っても、着用して、盆踊りなどへも行ってました。特別に、関心を引くような事もなかったような気がします。しかし、このトーブ。巷では、オバQと言われているようですが、これを東京で、着る勇気は、如何に身なりを気にしない、私であっても、ありません。無理です。すると、せっかくプレゼントされたのに、箪笥に仕舞いっ放し、いや、箪笥なんて、洒落たものありませんから、ポリ衣装ケースに入れっ放し。ちょっと、トーブも可哀そうです。さて、写真です。この丸い帽子は、クーヒィーヤと言うそうです。まず、これを先に被ります。クーヒィーヤの上に被る、スカーフのようなのは、シュマーク。夏用は薄手、冬用は、厚手のものとなります。同じく、白いスカーフのようなのが、ゴトラと言います。ゴトラや、シュマークの上に乗せる、環状の黒いバンドは、イカールと言うそうです。コンパウンドのサウジ人の守衛に聞いたら、オガールと言ってました。イカールか、オガール、微妙に違います。下着です。トーブを着て、下着が透けて見えないように、下着も白を着用するようです。上の下着は、日本の丸首半袖シャツと全く同じですね。下の下着です。こう言うのは、日本では、見かけません。そして、これが、トーブです。さて、せっかくなので、全部着て見ました。そして、せっかく着たし、日本へ帰ったら、着る機会は、全くないと思われるので、日本人さん達が開催してくれる、送別会に、この格好のまま参加することにしました。何故か、着物着たときみたいで、しずしずと歩く気分になります。送別会後、同じコンパウンドに済む、同僚ご家族と記念撮影しました。皆さん、いい顔してますねー! 奥様の化粧、ちょっと失敗しました。 すいません!
2008.09.01
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昨夜は、東京地区バックパッカーのオフ会。「なんくるないさー目黒店」で、沖縄料理でした。なんくるないさー、って聞くと、涙そうそう、を思い出して、涙がでそうです。にぃにぃは、良い奴でしたねー!さて、オフ会のメンバーですが、世界をかけ巡る、経験豊富で話題豊富な 美女1名エジプト駄目で、高所も駄目と言う我儘な 美女1名イケメン青年 1名イケテない奴 1名の合計、4名であります。え? お前は、どいつだ? ですと? 1番目でも、2番目でもないです。3番目か、4番目です。4番目に決まってんだろ! ですと!くぅー、残念ながら、かなり近い、当たっている推測です・・・(親に、文句言っときます。)出会った、エジプトの話から、ヨルダン、シリア方面、トルコ、中国から、インド、あっちこっちの世界の旅の話で、大いに盛り上がり、あっという間に、終電車時間になってしまいました。時間が不足です。雷が、ピカピカ、ゴロゴロしている、夜中に家に帰って来ました。楽しい夜でした!で、本日は、アキバへ繰り出し、迷いに迷った末、パソコン買いました。優柔不断が生きているような、奴なものですから、今回の買物は、超スピード決定です。たった、4日間で決めたのですから。Acer、エイサーです。小型モバイルパソコンですが、OSは、windows XP、CPUは、インテルAtom、システムメモリ:1GB、HDD:120GB、重量、1.1Kgどうでしょうか?明日は、こいつを、使いこなせるよう、試してみる予定です。
2008.08.30
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日本へ帰って、もう4日目です。なんだか、バタバタしてて、ずっとアップ出来ず、でした。毎日、会食でした。丸の内、丸ビル内、日本料理店。赤坂、日本料理店。田町、日本料理店。そして、本日は、何故か、目黒の沖縄料理店。サウジで壊れてしまった、電子辞書もアキバへ行って購入しました。バングラデッシュの、ビザも取得しました。驚いたのは、ここのビザ取得手数料が、無料なのです!モバイル小型パソコンも、何を購入するか検討中です。KOHJINSHA SA SERIES 79,800円ASUS Eee PC901 59、800円ACER どれが良いですかねー? 迷います。軽くて、丈夫で、安くて、最低、エクセル、ワード使えて、写真も取り込めれば、良いのですがねー。さて、目黒へ、出発する時間です。
2008.08.29
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いよいよ、本日が、サウジアラビア最終日となりました。引越屋さんが、荷物引取り、ガラ~ンとした、大き目の各部屋が、さらに、ガラ~ンとして、なんだか、とっても淋しい部屋となりました。ガラ~ん、ガラ~ン、と、静かに音がしているようです、まるで、同棲していた彼女が、知らぬ間に、黙って荷物持って立ち去った時みたいです。(ほんとかー! そんな経験あんのかー! 逃げられたのか?)長いと思われた、サウジアラビア生活、たったの1年7ヶ月でした。572日間です。その内、 出勤した日数 :338日(出勤率:59%) 休みの日数 :234日(休日率:41%)結構、休んでますねー! いつ仕事してんねん? って感じです。結構、ゴルフにも行ったなー、と思って数えて見たら、 197回行ってます。ゴルフプレー率、なんと34%です。 3日に1回は、ゴルフしてた事になります。さらに、旅行に行ったり、 日本へ行ったり、親指捻挫してゴルフ出来ない 期間を加味すれば、 ゴルフプレー率は、44%にも跳ね上がります。良くやりましたねー! 連続プレー52日間と言う、記録も作りました。こんなに、やっても、ハーフ最高で、37ですから、大したことありませぬ。毎日やれば、うまくなると言うものでもなく、連続52日間の時の平均スコアは、ハーフで、45.9ですからねー。月間平均最高でも、ハーフで、42.6です。まぁ、普通のゴルファーです。こんなにゴルフ出来るのは、後にも先にも、あり得ません。ゴルフは、ほんと、充分、堪能しました。そして、世界への旅。来サウジ早々、昨年の、 3月 :オマーンを皮切りに、 7月 :ヨルダン 8月 :アブダビ、ドバイ 8月 :トルコ10月 :エジプト11月 :アブダビ(社内旅行)12月 :イエメン今年に入っても、 2月 :ドバイ(社内旅行) 3月 :モロッコ 6月 :蘇州、上海 7月 :クウェート 7月 :カタール 8月 :シリア 8月 :レバノンバハレーンは、しょっちゅう行ってましたし、サウジアラビアを含めれば14カ国へ行きました。行き過ぎー!って、どなたかに、怒られそうです。まぁ、そんな訳で、大変、充実したサウジアラビア生活でありました。え? ええぇー!何ですと! 仕事はしたのか! ですと!エヘヘ、すいまへん!上記の他にも、社内大旅行の幹事やったり、UAEなんて、下見まで行ったり、ゴルフコンペの幹事やったり、もう、そっち方面が、大忙しで、仕事の方は、そのー、あのー、ですから、そのー、と言う事でして、勘弁して下さいな!しかしながら、きっちり、給料は、貰いましたぞ!運転手フセインの、10倍以上は貰いましたな。 うふふ。明日の夜は、日本ですな!
2008.08.24
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レバノンに来て思うのは、同じ中東でも、ずいぶん他の国と違うと言う事です。そう感じるのは、僕だけなのか、どうか、分かりません。が、気付いたことを、列挙して見ます。まず、どでかい看板に、ビキニの水着のお姉さんの後姿が、堂々と掲げられております。美尻が強調されているものです。それも、あちこちに、沢山。 他の国では、見られません。街を歩いているお姉さんも、おっぱい半分くらい出したり、ヘソだしだったり、自由主義国と全く同じです。 他の国では、見られません。アルコール類も、その辺のお店で、どこでも買えます。レストランへ入って、あぁ、ビールがあるの? ってな感じです。 他の国では、そう簡単に飲めません。そして、砂漠がありません。シリアから入って、ずっと豊かな緑です。 他の国には、必ず、砂漠があります。海辺の町も、ほとんどリゾート地と言う感じで、イエメンなどの海とは、全く違います。トルコに似てます。何でやろなー? 何でやろ?と考えて見ました。イスラムのパーセンテージが少ないのか?早速調べて見ました。ヨルダン イスラム:92% キリスト教: 6% その他:2%シリア イスラム:85% キリスト教:13%レバノン イスラム:70% キリスト教:30%UAE イスラム:96% その他:4%オマーン イスラム:100%カタール イスラム:100%バハレーン イスラム:100%クウェート イスラム:85% その他15%サウジ イスラム:100%イエメン イスラム:100%やはり、レバノンは、イスラム率が、低く、キリスト教が30%もいます。ですから、イスラムの戒律を、全て押し付けられないのでしょう。納得しました。
2008.08.22
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シリアからレバノンと廻って来ましたが、食事は、いつもホブスと、中に肉とかトマトとか挟んだ、サンドイッチのようなものばかりで、いい加減、飽き飽きしています。アラブ地区で、アラブ料理と言われているのは、レバノン料理である、との知識を仕入れ済です。ですから、こちらの料理には、飽き飽きしているのですが、機会があれば、本格派レバノン料理を試して見たいと思っておりました。一方、日本レストランもあると言うので、奮発して、食べて見ようとも考えていたのです。で、最初の日の夕方、内戦中であっても、営業を続けて来たと言う、レストラン東京を目指して、「鳩の岩」から、歩いて行きました。まぁ、でも、分かり難い地図で、しかもベイルートは、坂も多い。海側から、登って見て、ないので、降って見て、ないので、又、登り、いい加減疲れたので、風の通りやすい道路の日陰で、30分も、お休みして、又、探しました。そして、ようやく辿り着いたら、何と、幽霊屋敷のようです。どうも閉店したようです。それも、最近でなく、結構日にちが経っているみたいでした。ガックリ。 何時間探したんだよー!もう、日本食を食べるって、脳に指令を出したので、パニックです。脳が、「日本食~!」 と怒鳴っています。しかしながら、日本食は、「歩き方」、に1軒しか載っていません。載っていないものを、探すのは、載っているのを探すのも困難なので、それは不可能と言う事であります。まぁ、「中華で我慢せぃや!」 と脳をなだめながら、次の目的地、ハムラ地区にある、チャイナ・ファースト・フードへ急ぎました。ラーメンとか、チャーハンとか、食べられる中華屋さんです。しかし、ありません!アメリカ大学の近くは間違いないのです。聞いたり歩いたり、そして又、聞いて、同じ道を、何往復かしました。警察にも聞きました。アメリカ大学の職員にも聞きました。しかし、ありません!絶対に、ここだ! って場所が、閉まっています。看板さえありません。どうも、ここも潰れてしまっているようです。ガックリ!もう、脳に指令を出す元気もありません。脳も疲れ切ってしまって、文句言う元気もないようです。ただ、ただ、しょんぼりと、力なく、何でも良いから、くいてー!と、ハムラ通りを歩いて行きました。そうだ! 海岸沿いに、イタリアンがあったよなー! ラーメンじゃないけど、麺は食える、とガイドブックを見直しました。おー、あった、あった。ちょっとだけ、元気も出ました。そして、18歩ほど歩くと、 あれー! 日本食かー?漢字で書いてある、お店があったぞー!ってんで、早速近くへ行って見ました。中華料理でした。何だか、高そうなレストランですが、もう、脳が「ここにせぇー! ここにせぇー!」、と喚くもので、入って見ました。仲々、雰囲気よろしいです。早速、ビール頼みました。そして、ラーメンと思って頼んだ麺は、ガックリ、残念ながら、焼きソバでした。でも、うまかったです。 おー! 久しぶり! 満足している、アジアの星一番さんです。んー? ちょっと、お疲れですか?そして、この翌日の朝、朝食を探しに、ホテルの近くを歩いて見ました。そしたら、おー! おおおー! お寿司屋さんがありました!最終日の今夜は、レバノン料理は止めて、寿司にしよう!と、脳の奴め、この僕に指令を出して来たのです。ったく、何にもせんくせに、物覚えも悪い癖に、生意気な奴です。僕は、本格派レバノン料理を、食しておきたかったのに・・・。朝食用には、パンと、ジュースを購入。昼食用に、インスタントラーメンを買いました。1袋に5ヶも入ってます。明日の朝は、超早起き、移動なので、夕食は、早めにと、夕方6時半頃、出かけました。そして目指す、お寿司屋さん、あれ? 閉まってます。しゃーないなー!止む無く、開いている、イタ飯屋さんへ入るも、ピザしかないって。どうも、この辺りは、夜の8時半に、レストランは開店のようです。レストランでの夕食、諦めました。宿に帰り、昼に引き続き、インスタントラーメンです。僕の貧乏旅には必携の、湯沸かし器で、作りました。ラーメン1杯では、物足りないので、もう一度、湯沸かし器で、ラーメン作りました。夕食は、2杯のラーメンです。そしたら、その夜から、腹がゴロゴロしだして、3日間、調子が悪かったです。昼食、インスタントラーメン1杯。夕食、インスタントラーメン2杯。 ラーメン揚げる、油が、悪いのかなー? 移動が多いときに、腹こわすと、ほんと、困ります。と言うことでありまして、ベイルートでも、ろくな物、食べませんでした。そして、たぶん、2キロは、痩せました。
2008.08.21
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う~ん、早いものです。シリアの旅に出て、もう7泊しました。おまけに、レバノンまで来ました。明日は、もう、ダマスカス経由、そして、バハレーン経由、サウジへ帰らねばなりません。見学の最終日、レバノンの北、36Kmにある、ビブロス遺跡行くことにしました。バスに乗ったら、1時間もかかりません。居眠りする暇もなく、50分で、ビブロスに着きました。高速道路の端に降ろされるので、怖いですよ。そこから、歩いて、遺跡方面へ行くと、もう柱が見えました。ここは、まだ、遺跡の中ではありません。町へ入る道路です。ここの入場料、6000CP(約500円)もします。高いですが、一応、世界遺産のようですから、止むを得ません。ここが、残っている一番大きな、建物です。この遺跡は、地中海に面して、あります。さらに、遺跡から、地中海を見て下さい。 ここ、ビブロスは、聖書を意味する呼び名、バイブルの元となった所だそうです。ビブロスのギリシャ名が、パピルスで、書き物を表し、この都市の名前がパピルスの意味を持つようになったらしい。そして、結果としてこの都市が「バイブル」(聖書)の語源になったという。(なんだか、良く分かりませんねー。ガイドブックの受け売りです。)ビブロスは、フェニキア人の発祥の地として有名らしく、アルファベットの元になったフェニキア文字もこの地で生まれたとのことです。このことからアルファベット発祥の地とも言われているらしい。すごいですよね?バイブルの元の地で、アルファベット発祥の地なのです。そんな事を考えながら、木陰で休み、休み、歩いていったら、円形劇場がありました。小振りな円形劇場です。地中海が良く見える、場所的には、非常に良いですねー。観客さんは、地中海を見ながら、音楽も楽しめたのですから。おー! 誰かが、歌っています! 身振り手振りです!何を唄っているのかな? 日本語だぞー!千の風にのって、とか、唄っています!「うまいなー!」観客は、広い地中海と、空と、何千年も前の、遺跡だけです。誰やねん? なんだー! アジアの星一番君じゃーないか?はい、おそまつ様でした。
2008.08.19
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ベイルートとか、アンマンとか聞くと、中東の火種、危ない! そんな印象が強いです。そのベールートへ、バールベックからやって来ました。道中は、緑が多く、他の中東諸国とは、感じが異なります。景色だけでなく、大きく違う印象項目が、沢山ありますので、それは別掲する事とします。ベイルートの長距離バス停は、旧市街からは、かなり離れているようで、始めについた町は、出来るだけ歩く事にしていますが、ここは、諦めました。吹っ掛けタクシーは、無視して、セルビスがつかまるまで、歩きます。自分がどの辺りにいるのか、明確に分からないので、不安ですが、まぁ、その内、なんとかなるだろう、と歩き続けます。セルビスがようやくつかまりました。そして、泊まろうとするホテルの近くまで行けたのです。ホテルに着いたら、屋上5ドル、ダブルルーム26ドル、の二つしか選択肢がないと言われました。両方見ましたが、屋上の屋根なし、破れテントのみは、贅沢バックパッカーには、宿泊無理です。豪華にダブルルームにしました。そしたら、オーナーが、冷蔵庫の飲み物を、1本飲んで良いと言います。これを選びました。オーナー太っ腹です。ねー! こんなチンケな宿にも、ビールが置いてあるのですから、ベイルートは、他の湾岸諸国と違いますねー!部屋です。エアコン付き、温水シャワー、トイレ付き。テレビ付き。ベランダから、地中海が見えます。これ同じく、ベランダから、北側を撮ったところです。移動で、お昼も食べてないですが、水ばかり飲んでいるので、お腹も空かず、昼食は、生ジュースとケーキ見たいのにしました。宿の主人、確か、ババロンとか言っていたようですが、甘い!甘すぎ! 度の過ぎる甘すぎ!気持ち悪くなって来ました。でも、勿体無いから、全部食べましたが、生ジュースで、口の中を甘さと、ジュースの配置換えしながら、食べました。次に、ベイルートの人なら、誰でも知っており、誰でも行っていると言われています、『鳩の岩』って所へ行って見ました。何で鳩の岩と呼ばれているのか理由は分かりません。ここから、ダイブした、と言うのが、レバノン男のお決まりの自慢だそうです。鳩の岩の先の方まで、行って見ました。海の水は、仲々、キレイです。海水浴を楽しんでいる人たちもおり、釣りを楽しんでいる人たちもおり、カップルで、何やらを楽しんでいる人たちもおりました。
2008.08.18
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今夜は、サウジアラビア人に招待されて、夕食をご馳走になりました。公表されている訳ではないのですが、僕が帰国すると聞いて、帰る前に招待したいと、有り難い言葉をかけてくれたのです。まず、アラビアコーヒーと、デーツで、歓談します。写真にはありませんが、コーヒーに飽きると、ティーが出されました。そうこうしていると、ご近所の方も呼んであるとの事で、2人が来ました。そして、隣の別室に移動しました。すっかり、食事が準備してあります。カプサに、サラダに、野菜ジュースに、スィーツです。こんな部屋です。これが、カプサです。チキンと、野菜が入っています。4人では、食べきれませんよねー!その後、又、別室に移り、コーヒーと、ティーで歓談です。 その後、彼らが着ている、白い民族衣装を一式、プレゼントされました。帽子、オバQ服、そして、その下に穿く白いズボン? 上の下着、それらを、一式です。そんなのを、プレゼントされるとは思ってもいなかったので、感激であります。その衣装は、又、別途、お知らせしますが、上の写真で彼らが着ているのと同じものだそうです。サウジアラビア人は、あまり外国人を家庭に招待しないって、聞いていましたので、招待されて、何も持っていかなくて良いものかどうか迷いました。しかし、貰って怒る人はいないだろうと、インターコンチで、思い切って、二つ、ケーキを買って行きました。 持って行って良かったですねー。プレゼントまで、貰って、手ぶらでいったのでは、恥ずかしい所でした。2時間ほど、お邪魔していましたが、奥様は、一度も出て来ないし、物音すらしません。完璧に、女性と他人の男性は、一緒にはならいようにしています。最初の部屋で歓談している時に、別室に食事の用意をしていたのです。そして、食事が終わって、元の部屋に戻ると、食事の片づけをしていたようです。(全て推定ですが)男の子供達は、物珍しそうに出て来て、挨拶はしましたね。珍しい体験が出来ました。
2008.08.18
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バールベックは、レバノンの首都ベイルートの北東86キロに位置し、ベカー高原のほぼ、中央にあります。チェックインした宿からは、歩いて5分もかかりません。まぁ、とっても、小さな町なんですがね。入り口を入った所です。ここは、入場料が高く、450SPもしました。1000円以上です。まるで、エジプト並みです。こんな建物だったらしいです。それが、どれなのか分かりません。ここは、前庭を抜けた、大庭園です。巨大な柱には、ヒビが入っているものもありました。下にゴロゴロ転がっている、柱の折れたものですが、アジアの星一番の身長より、遥かに大きいです。 ここに誰かいますぞ↓↓ この遺跡は、フェニキアの豊穣の神バールに由来しているそうで、 天地を想像する最高神ジュピター 酒神バックス 愛と美の女神ビーナスの3つの神殿から成っているとの事です。これが、最高神ジュピターの神殿で、残っている6本の柱です、 全部で、54本の柱があったようですから、巨大な神殿です。次がバッカス神殿。かなり、しっかり残っています。この柱の上にある石には、色んな彫り物があります、見えないですねー? もう少しアップで撮ってみます。下に落っこちている、石を撮って見ました。ライオンやら、模様やら、彫られていますねー。バッカス神殿の中です。バッカス神殿と、ジュピター神殿の間の広場では、ずーーーっと、この2人が演奏しながら、歌ってました。ビーナス神殿は、時間がなくて行けませんでした。まだ、今でも、発掘し終わってない場所もあるようです。さすがに、レバノン一番と言われる、遺跡です。柱が、全部残っているより、6本の方が、想像が膨らんでいいですね。
2008.08.16
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実は、わたくし、来週、日本へ帰国致します。いえいえ、一時帰国ではありません。完全帰国です。そうです、もう、サウジアラビアへ戻って来ない帰国であります。え? 淋しいだろう? ですと?ええ、ええ、そりゃー、もう、淋しくって、淋しくって・・・。こんな素晴らしい国に、もう戻って来れないと思うと、あぁー、ふぅー、言葉もありません。で、で、たんまり貯まったサウジ出稼ぎ金を、持ち帰らねばなりません。実は、バンク・フランシと言う、サウジの銀行に秘密口座を持ちましてですな、うふふ、たんまりと、そこに貯め込んでおりますのじゃ。貯まっているのは、サウジリアル、サウジの紙幣です。これを持ち帰っても、使い道ありません。両替も難しいでしょうし、出来ても、レートが悪いと思われます。よって、「世界への旅」、の資金として、US$で持ち帰る事にしました。銀行へ行きます。サウジ銀行の場合、番号札を取って、順番待ちします。従いまして、ちょっと前の中国のように、長い列に並ぶ必要はありません。しかし、これを降ろし、US$に替えるまで、恐ろしく、色んな手続きを必要としましたのであります。さすが、サウジ様! てな感じです。詳細に書くと、恐ろしく長くなるので、省略しながら、書きます。もう、どっと疲れてしまっております。第一段階:バンク・フランシ 窓口 → カスタマーサービスへ行けと言われる。 カスタマーサービス → 窓口へ行けと言われる。 窓口 → イカマ(就業証明書)がないと降ろせない。 結局、預金が降ろせず、スゴスゴと引き下がる羽目に陥る。 くっそ! 最初にイカマが必要って言えよ! 半日かかりました。第二段階:バンク・フランシ 会社が保管している、イカマを一時持ち出しさせて貰って行く。 窓口 → 全額、サウジリアルで引去り。(ほっとする) カスタマーサービス → 口座解約。(ほっとする) しかし、US$に換金依頼するも、窓口へ行け、と言われる。(むっとする) 窓口 → US$に換金依頼。却下 → アル・ラジ・バンクを紹介される。 何で、US$に替えてくれないのだ? ええ? 半日かかりました。第三段階:アル・ラジ・バンク 午前中にいくも、大量のインド人にて、銀行内満杯。(この銀行、番号札なし) 止む無く、並ぶ。 順番くると、メンバーにならねば、換金不可とのこと。 別の列に並び、用紙を貰う。 さらに、別の列にて並び、ようやく、順番が来たら、12時のお祈りの 時間ゆえ、16時以降に来いと、換金できず。 またもや、半日かかりました。第四段階:アル・ラジ・バンク 午後7時過ぎに、再度、メンバーになるべく、銀行へ行くも、午前中より、 さらに、良くも集まったと思われるインド人に圧倒され、並ぶのさえ諦める。 皆さん、愛する(たぶん)家族へ仕送りなのです。さて、第四段階まで来て、まだ、サウジリアルが、US$に換金出来ません。さて、困った! どうすりゃー、ええのだ?どうしたら、よろし、おますか?
2008.08.15
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さて、シリアからレバノンへの国境越え。以下の4ケースがあります。マスナワ国境 ダマスカスからベイルートへアル・アリーダ国境 地中海沿岸のラタキアからトリポリへアブーディエ国境 ホムスからトリポリへカーア国境 ホムスからバールベックへこの内、トリポリ経由は、最近、抗争事件があり死者が出た町であり、ここは避けた方が無難。何にもないと確信しても、避けた方が無難です。ホムスから、わざわざ、ダマスカスまで行って、それからベイルートと言うのも、時間とお金がかかるので、優先順位は低いです。残るは、カーア国境越え。レバノン一番の見所と言われる、バールベックへ直行出来るのですから、まぁ、最もらしい理由を見つけなくても、このルートを採用でしょう。そして、このルートは、唯一、ビザ代が無料なのだとの噂も聞いています。ほら、無料と言う言葉の響きに、とっても左右されやすいのです。と言うことで、宿の主人に、バールベック行き長距離バス停の名前をアラブ語で書いて貰いました。で、オンボロのタクシーに行先を見せて乗り込みました。そうすると、どうも僕が思っている方向と反対側へ向ってしまいました。「おい! 止めろ!」行先がちがうじゃろ! と、少し怒った振りして、お金も払わず、降りました。気の弱そうな運ちゃん、しょぼんとして、走り去りました。可哀そう。次に、もう少しマシな、タクシーを選び、メモを見せました。やはり同じ方向へ行きます。どうも、宿の主人が書いたバス停は、別の方向にあるようです。調子の良い、運ちゃんで、100SP(250円)も取られてしまいました。100SPだしたら、お釣りをよこさないのです。オンボロタクシーは乗る前に、50SPと交渉したのですが、相場が分かったので、次は運賃を確認しませんでした。失敗の巻ですねー。バールベック行きのセルビスを探します。ありました。かなりオンボロの、30数名は乗れるバスです。いくらか乗車代を聞くと、25SPと言います。たった60円です。国境越えて、2時間から3時間も走るのに、60円で、ええのかい?え? ええのん? 60円でほんとに、バールベックまで行くの? と何度聞いても25SPです。試しに、100SP渡したら、75SPも、お釣りをくれました。しかし、町から長距離バス停まで、100SP取られて、国境越えて、レバノンまで、25SPと言うのは、いくらなんでも安すぎです。何か問題があるのかなー? とせっかく乗り込みましたが、降りて25SP返して貰いました。このバス、ほんとに、バールベックまで、行ったのでしょうか?そして、20軒ほどある、切符売り場の1軒へ、もう一度、バールベック行きバスはどれか聞きに行くと、ここからは出ない、と言います。そして、僕の肩を抱き、長距離バス乗り場の外まで連れて行きます。(こっちの奴、やたらに肩に手をかけたりして来ます。やめろ!)セルビスの運ちゃんに何事か、話してこれに乗れ、と言います。お礼を言って乗り込むと、セルビスの運ちゃんはお金を取りません。何でじゃろーなー? すぐ近いのか?ちっとも近くありません。のった乗客は、どんどん降り、新しい客がどんどん乗って来ます。「バックパッカーとは、無駄に待つ」、のですから、じっと我慢して乗っていました。着きましたねー! あっちこっちと廻ったので、どこへいくのだろ?と心配しましたが、着きました。ただで、乗せてくれた謎は分かりませんが、とにかく着きました。このセルビスが、バールベックまで行くそうです。このバス乗り場に着いたのが、9時半。まだ、乗客は、僕が二人目。全部で、14名になったら、出発すると言っていますから、相当待たねばならない事を覚悟していました。運転手の後ろの真ん中の席を確保すべく、乗り込みました。1.5Lの水を抱えて。そしたら、いつの間にか居眠りしてました。起きて見て、びっくり、水がありません。外を見ると、係員か乗客か分かりませんが、僕の水を回し飲みしているではありませんか!このやろう! それは、わしの水じゃ! ったく、ふざけた奴め!と怒ってやると、三分の一ほどに減ったペットボトルを返そうとします。お前達が、口移しで飲んで、いくらも残っていない水を返すっつーのか! このドアホ! 新しいのを買って来い!こう言う時は、つたない英語で、うー、うー、と、つっかえながら言うより、相手も分からんのだから、日本語で、ベラベラしゃべる方が迫力あり、相手にも伝わります。この日もその手です。お前らが、飲んだんだろ! 新しいのを買ってよこせ!皆が飲んで残ったのを返すなんて、不届き千万!だいたい、何で、人のを黙って、了解も得ず、みんなで呑むんじゃ。この!と、言いたいこと言って、睨みつけて、ムッとしております。それでも、何の行動も取らないので、又、文句言ってムッとしています。何度か、繰り返し、時間にすれば、10分も過ぎた頃でしょうか?このしつっこい中国人には適わん、と思ったのか、首謀者らしき男が謝って来ました。しかし、新しいのを買って返すのかは分かりません。まぁ、でも、暇つぶしは出来たし、言いたいこと言って、元々ない、ストレスも、さらに減るし、まぁ、勘弁してやろう。但し、水は要るよな、買いに行ったら、一番良い席を横取りされるよな、バックパックを置いて行ったら、盗まれると困るし、などなどと、考えていたら、新しいペットボトルを買って、持って来てくれました。すまん、すまん、と言う仕草をしています。こちとら、返って来ないと思っていた水ですから、驚いて、満面の笑顔で、よっしゃ、よっしゃ、と鷹揚に頷きました。そしたら、さらに、こんなものをくれました。菊の紋が入っているいようなお菓子です。悪いと思ったのか、お菓子まで、買ってくれたのです。わしも貧乏はしておるが、シリアの貧乏人から、貰うほど、落ちぶれてはおらんぞ、と言おうとしましたが、どのように言って良いのか、分からず、ありがとう、と素直に貰って食べました。中には、あまり甘くない、餡のようなものも入っています。水を飲んだ首謀者は、こいつです。怖そうな奴でしょう? 乱闘になったら、必ず負けるなー!いちゃもん、付けてきたら、どうやって避けよう? 文句を言いながら、同時にそっちの心配もしておりましたが、心配無用でした。その後は、とっても、仲良しになり、手振り身振りで、楽しい道中となったのであります。こう言った連中です。補助椅子3ヶも入れて、14人乗りですが、そこに、17人も乗り込んでいます。運転手の後ろは、2席プラス補助椅子で3席ですが、運転手席と僕が座る椅子の間に、わずかな隙間があります。そこに、120キロの体重がある、大デブの係員が座ったので、いい席だと思ったその席は、大デブに押しつぶされそうで、大変でした。まぁ、なんとか、ホムスを出発し、バールベックへは、3時間少々で、着きました。シリア、レバノンのイミグレで、30分づつ、およそ1時間かかりましたので、実際に走っていたのは、2時間弱でした。イミグレでは、シリアの人々の手続きは、運転手がやっていましたが、日本人の僕のは、何にもやってくれず、しかも、何の説明もありません。聞いても無視です。止む無く、自分で、行くより仕方なく、すったもんだしました。シリアでは、出国税を、550SP(1300円ほど)も取られました。レバノンへの入国は、スムースでした。そして、噂通り、ビザ代は無料です。3日滞在って言ったのに、1ヶ月マルチのビザをくれました。レバノン、いい国じゃーないですか?サウジからクウェートの、イミグレ間の距離、歩いて行くには遠い、と思ったものですが、ここ、シリアとレバノンのイミグレ間は、まぁ、歩くのは絶対に無理!って言うほど距離がありました。両国とも、国土は広い訳でもなし、中間地帯をそんなに広く取らなくても良いのになー、と不思議に思いました。ホテルは、探すのも面倒なので、20US$と言う、高い宿ですが、ここにしました。たはぁー! 本日は、長くなりました。ここまで、辿り着いた人は、粘り強い方か、途中飛ばした方か、よっぽど暇な方か、と言う人でしょうねー!何れにしろ、読んで頂き、ありがとうございました。
2008.08.14
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ホムスは、シリアの交通の要所であり、シリア国内ならば、どこへでも交通網が延びている、と言います。それだけの理由で、ここにも1泊して見たいと来て見ました。モスク以外、何もないですねー。勿論、スークはありますよ。でもねー、買物する訳じゃーないし、どこの国のスークも似たり寄ったりですしねー。ちょっと違うのは、女性の下着なども、ズラズラーっと、展示されていますね、ここは。 あまり見た事のない物ですから、目がそちらへ向きますが、じっくり見るのも、恥ずかしいので、通り過ぎます。正直言うと、僕は、その覆い物より、中の方に興味がありますです。はい。暇なので、ネットカフェを探して入りました。日本語がありません。英語は選べますが、基本の表示はアラビア語です。イエスはアイワ、ノーは、ラー、程度は知っていますが、どう書くのかは知りません。ですから、どっちをクリックしたら、イエスなのかも分からず、困りました。試しに日本のヤフーを表示したら、日本語は、全て完璧に表示され、ニュースを読むには、問題ない事が判明しました。僕は、旅に出ますと、ネットに繋げるか、繋げないかと関係なく、日記を書いてパソコンに保存して置きます。それを、USBにコピーして、ネットカフェに出かけるのです。ですから、日本語が書けなくても、日本語表示可能なパソコンなら、ブログをアップする事が出来ます。ここでも、アップしようとしました。しかし、ワードが表示されません。係りの人に話し、パソコンを何台か試したら、表示可能なものがあり、やれやれ、アップ可能となりました。困るのは、USBからパソコンにコピーして確認の為に再読し、誤字、脱字、おかしい文章など、直したい箇所があっても、直せない事です。完全主義者の僕は、うー、うううー、と唸ってしまいます。完全には、ほど遠い性格と、その実行結果なのですが、心は完全主義者なのです。日本語で書けないと、これが一番困った問題です。何故かと申しますと、完全を求める自分の心が休まる暇ないのです。まぁ、いつもの事なんですがね。疲れる性格ですよー。どうせ、大した事なんて、出来るはずはないのにねー。エッと、何の話でしたか? ネットカフェ? あー、それは、もう、書き終わりました。今は、もう、8月、えー? 幾日だ? 手帳は? どこだ?おー、そうそう、8月5日の火曜日でした。ダマスカスを1泊で通過し、その後の旅も順調です。シリアについて、絶対に見ておきたいって、場所は、もうありません。お隣のレバノンについて、外務省の安全情報を見たら、「渡航検討」に安全度がゆるくなっていました。で、ででで、レバノンへ行く事に決めました。調べて見ますと、レバノン最大の、みどころ、「バールベック」へこのホムスの町から、国境を越えて、直行で行けるのです。こりゃー、行かにゃー、損、損、でしょう?
2008.08.13
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