全412件 (412件中 101-150件目)
未開通の環状第2号線を2km歩く。築地大橋と豊洲大橋との間、勝どき5・6地区と晴海3地区を横断することになる。そして朝潮運河を渡る。 勝どき地区は、早くに埋立てが完了したエリアで、住宅・マンションが多い。そのため道路は、防音壁を備えた高架橋となっている。「勝どき陸橋」と呼ばれ、延長525m×幅員15.7mの規模だ。強化ガラスの防音壁は、汚れが目立つと云われているが・・。 勝どき地区と晴海地区の境を流れる朝潮運河。目立たないが、この運河に黎明(れいめい)大橋が2017年に完成している。晴海地区は、中央清掃工場など工場・倉庫が並ぶ。ほっとプラザ近くでは、東京オリンピックの選手村づくりが急ピッチで進む・・。写真-1 築地大橋から勝どきタウンを望む。写真-2 勝どき陸橋の防音壁。写真-3 勝どき陸橋。約520mの高架橋。写真-4 晴海地区では選手村の建設が進んでいる。写真-5 朝潮運河。上:朝潮小橋、下:朝潮水門と黎明大橋。
2018年09月23日
コメント(0)
複数の鉄道会社が乗り入れるJR新橋駅。山手線他JR5線、東京メトロ銀座線、都営浅草線、そしてゆりかもめ線が蠢く。昔のターミナル駅が色濃く残っている。 JR新橋駅の北側(東京駅方面)には、日比谷口と銀座口がある。改札口が大きくないので、初めて利用する人は迷うかも知れない。日比谷口の駅前広場は、テレビニュースなどでサラリーマンへのインタビューがなされる場所。 この広場は、通称「SL広場」と呼ばれ、待ち合わせスポットでもある。C11形蒸気機関車が静態保存され、広場のシンボルだ。SL車の後方に、喫煙処が連なっている。淡い紫煙が上がっていた・・。 正午と夕方に汽笛を鳴らす蒸気機関車。ランチと晩酌タイムを知らせる合図か。C11-292機関車は、昭和20年に日本で作られ約108万キロを走破したという。所属機関区は姫路。中国地方で活躍した。ご苦労様でした・・。写真-1 JR新橋駅北側の日比谷口。写真-2 レンガ積・アーチ高架橋を電車が走る。写真-3 JR新橋駅プラットホームとSL広場。写真-4 静態保存されているC11形蒸気機関車。写真-5 蒸気機関車の後方に喫煙処がある。
2018年09月21日
コメント(0)
豊洲大橋の上から海上の「噴水」を眺めた。環状第2号線見学会におけるイベントのひとつ、祝賀放水である。東京消防庁から消防艇3隻が出動した。 豊洲大橋は、2008年には概成していた。大橋に取付く道路工事が遅れ、今日に至る。晴海運河を跨ぎ、晴海5丁目と豊洲6丁目を結ぶ道路橋。橋長550m×幅員32.3mの鋼製ガータ橋である。 東京消防庁には、消防艇10隻が配備されている。祝賀放水に出動したのは、向かって左側から「おおえど」、「みやこどり」、「すみだ」の3隻。中央の「みやこどり」艇は、大型化学消防艇で、総トン数195トン、放水砲6基を備えている。合計毎分70,000リットル放水可能な消防ポンプを搭載。 大型艇の「おおえど」や「みやこどり」は、有事に沿岸を航行する。東京湾のみならず、日本各地に赴くという。日本海における他国の違法操業の取り締まりに使用したならば、威力は相当なものだ・・。小さな漁船なら沈むかも知れない。実行してはいけない行為だが・・。写真-1 豊洲大橋をゆりかもめ線駅から観る。写真-2 豊洲市場側から豊洲大橋を望む。写真-3 大橋から豊洲市場とゆりかもめを望む。写真-4 東京消防庁による祝賀放水。写真-5 大型化学消防艇「みやこどり」。写真-6 豊洲大橋とレインボーブリッジ。
2018年09月20日
コメント(0)
江戸時代、鴨(かも)を捕獲した鴨場が保存されている。浜離宮庭園に2箇所ある。横堀に沿って北東方向に伸びる「庚申堂鴨場」と南西端の「新銭座鴨場」である。庚申堂鴨場は、安永7年(1778)と古い。 鴨の狩猟方法を解説するパネルが設置してある。鴨場池に幾筋かの「引堀」を設けて、「小覗」から鴨の様子を窺う。囮のアルヒと餌で鴨をおびき寄せ、機をみて「小土手」から鷹や網で捕獲する・・。 鴨場池を覗くと、水面が青粉(アオコ)で覆われていた。富栄養化した湖沼では、夏場時折見られる自然現象。しかし、緑色した微細藻の膜の水面下に棲む魚は、酸素欠乏となり死滅する場合が多い。 臨海都市におけるオアシス的な場所が、アオコの侵略を受けているさまを見たくないものだ。しかし駆除と対策には多大なコストがかかる。皇居の濠の水質改善事業とリンクしてできないものか・・。写真-1 浜離宮庭園にある青粉池。美しい芝のようにも見えるが・・。写真-2 北東方向に伸びる「庚申堂鴨場池」。写真-3 鴨場施設の「小覗」と「引き堀」。写真-4 鴨場施設の「大覗」。写真-5 鴨猟の方法を解説したパネル。写真-6 江戸期・将軍の鷹狩の様子がわかる絵画。
2018年09月18日
コメント(0)
開通前の築地大橋の上から築地市場を眺めた。10月11日の市場移転が迫るなか、9月15日「環状第2号線見学会」が半日行われた。あいにくの雨日和になったが、残暑と強い紫外線を避けることができた。 環状第2号線は、江東区有明を起点として、千代田区神田佐久間町を終点とする全長14km。当初2020年東京オリンピック前の開通を目標にしていたが、ご存知「市場移転問題」で大幅に遅れていた。 見学ルートは、築地大橋から市場前駅(ゆりかもめ線)までの約2km。この区間には、勝どき陸橋、黎明大橋、豊洲大橋が完成している。大橋は高さがあるので、橋上からの眺めが良いはずだったが、雨と低い雲で視界は不良だった・・。写真-1 雨に煙る築地大橋。勝どき側から車道を観る。写真-2 築地側から築地大橋を観る。写真-3 大橋の親柱と橋名板。写真-4 築地大橋から移転直前の築地市場を望む。写真-5 2年前の橋梁写真と計画されているライトアップ景。
2018年09月17日
コメント(0)
JR新橋駅は、ほぼ南北方向に作られている。北側は東京駅方面、南側は浜松町方面で、それぞれ出入口に名前がある。北側に日比谷口と銀座口が、南側に汐留口と烏森口がある。烏森口の近くには烏森神社がある。御利益は、技芸上達、商売繁盛。 烏森口を出ると、白い格子状の外観のニュー新橋ビルが目立つ。サラリーマンの憩の場所である。このビルは、1964年東京オリンピック後の市街地改造事業で建設されたもの。もともとは「狸小路」と呼ばれた飲食街のほとんどが、ニュー新橋ビルに入居した。今もその面影が残る。 南側には、もうひとつ汐留口がある。臨海新交通「ゆりかもめ」と結ぶ出入口である。この汐留口の左側に、鉄道唱歌の碑とD51機関車の車輪が置かれている。 鉄道唱歌の碑は、作詞者・大和田建樹生誕100周年を記念して、昭和32年(1957年)に設置すされた。明治32年から発表された作品は、全5集・334番におよぶ。作者が汽車に乗ってつぶさに見た見聞録である。特に、東海道・山陽道・九州道の汽車シリーズが知られている・・。写真-1 JR新橋駅の烏森口と京浜東北線プラとホーム。写真-2 白い格子状の外観が特徴の駅前ビル・ニュー新橋ビル。写真-3 レトロなガード下店舗と烏森神社。写真-4 新橋駅南側の汐留口。写真-5 鉄道唱歌の碑とD51機関車の車輪。写真-6 鉄道唱歌「東海道汽車」の一節。
2018年09月15日
コメント(0)
海水を引き入れ潮の干満によって、池の趣を楽しむのが「汐入の池」。今は、東京湾の水位を観て、水門を開閉して池の水位を調整している。池には、ボラ、セイゴ、ハゼそしてウナギが生息していたとか・・。 歴代の将軍が汐入の池とその回りの景観を愛でた御茶屋が4つ復元している。以前からあった「中の島御茶屋」と「松の御茶屋」に加えて、平成27年に「燕の御茶屋」、更に今年4月に「鷹の御茶屋」が公開した。中の島御茶屋では、抹茶セットと景観を求めて、列をなす外国観光客がいた。 大きな池(大泉水)に浮かぶ中島に、三方から木橋が繋がっている。小の字島と中島を結ぶ、延長118mの「お伝い橋(おつたいはし)」は、総檜造り。大泉水の南側に「富士見山」がある。天辺に登ると庭園を一望することができる。しかし、富士見景は、ビル・ウォールにより遮断されている。写真-1 富士見山から大泉水(潮入の池)を望む。写真-2 4つの御茶屋とお伝い橋。写真-3 富士見山から隅田大橋方面を望む。写真-4 御亭山(おちんやま)から中島の御茶屋を見る。写真-5 今年4月公開したばかりの「鷹の御茶屋」。写真-6 鳥の形をした庭石が見えた。
2018年09月13日
コメント(0)
明治初期、文明開化を牽引した鉄道。日本最初の鉄道ターミナル・新橋停車場が開業したのは明治5年(1872年)。当時まだ珍しかった西洋風の木骨石張りの駅舎が鉄道の起点となった。 大正3年、東京駅にターミナル機能が移る。それまでの烏森駅が新橋の名を引き継ぎ、旧停車場は汐留駅に改称された。その汐留駅は、昭和61年まで貨物駅として存在したが、その広大な構内跡地を再開発して、現在の高層ビル街が出来上がる。 このビル群のなかに、「旧新橋停車場」がひっそりと佇む。遺構が良好な状態で見つかったため、当時の姿で、同じ場所に駅舎が復原された(2003年)。施設内には「鉄道歴史展示室」がオープン。そして施設の外に、石積みのプラットホーム、0哩(ゼロマイル)標識などが復原。 新橋は、日本の鉄道発祥の地。鉄道歴史展示室で、当時のホストカードをお土産に、汐留駅が約72年間存在した場所をあとにする・・。写真-1 復元された旧新橋停車の外観。写真-2 建物の2階に「鉄道歴史展示」がある。写真-3 プラットホームとゼロマイル標識。写真-4 正面階段遺構見学窓と企画展示室の様子。写真-5 東京名所乃内 新橋ステーション蒸気車鉄道図。[明治6年 三代目広重]写真-6 東京汐留鉄道開業例祭画。[明治5年 三代目広重]
2018年09月11日
コメント(0)
浜離宮庭園の東端に、隅田川を見渡す小山「新樋の口山」があり、展望台となっている。かつて江戸城の出城と称された浜御殿が恩賜庭園として保存された。関東大震災や戦災で多くを失ったが、昭和21年に整備される。都立文化財9庭園のひとつ。 現在、四方を川・水路に囲まれ、三方を高層ビル群に囲まれてしまった浜庭園。東に隅田川、西縁に汐留川、そして北に築地川が流れている。いわば江戸前に突き出した「出城」から水路で囲まれた「浮城」のようだ。 庭園の東地区には、タワーマンションなどがそびえる。対岸の月島・勝どき地区は、明治中頃から末にかけて埋め立てた土地。航路を確保するための浚渫土が、立派な都会になった。荒川放水路ができるまで、隅田川河口には堆積土砂が多かった・・。 広重・名所江戸百景に描いているように、浜御殿は江戸湾に面し、芝うらの北端に位置した。当時の芝うらは、現在の新橋駅から高輪辺りまでの海浜を指した。絵中の木組みは、浅瀬を船乗りに知らせる目印とされる。写真-1 新樋の口山・展望台から東京湾を望むが、レインボーブリッジが見えるのみ。写真-2 隅田川の対岸・勝どき地区の風景。写真-3 水上バスが出入りする築地川水門。水深が表示されている。写真-4 海水を取りいれる「横堀水門」。写真-5 汐留川水門とその排水機場。写真-6 名所江戸百景「芝うらの風景」。
2018年09月08日
コメント(0)
法務省旧本館は、警視庁本部庁舎の向い、桜田通り(国道1号線)を挟んで霞が関1丁目に建っている。中央合同庁舎第6号館赤れんが棟である。略して、霞が関赤れんが棟と呼ぶ。ドイツの建築家による設計で、明治23年(1895)に完成したネオ・バロック様式の建物。 戦災で大きな被害を受けたが、平成7年に当初の姿に復原された。内装を除いて、国の重要文化財の指定を受けている。かつて司法大臣が執務した部屋を、「法務史料展示室」として、一般開放している。平日10時から18時まで入館できる。 赤れんが棟が建っている敷地は、江戸時代に米沢藩・上杉家の上屋敷があった場所。向い側には、松平家所縁の屋敷があったとされる。戦国時代を生き抜いた武家屋敷が並んでいた一帯だ。 現在、赤れんが棟には、法務省研究所、国会図書館支部、公安審査委員会など入居している。公安審査委員会は、破壊的団体に対する規制などを審査する機関。オウム真理教に対する審査も行った。法務省の外局のひとつ。写真-1 法務省旧本館赤れんが棟。写真-2 桜田門交差点から赤れんが棟を見る。写真-3 米沢藩上杉屋敷跡を示す碑。写真-4 ドイツ風ネオ・バロック様式の建物。写真-5 焼け残ったレンガ壁と史料展示室。
2018年09月03日
コメント(0)
約30万株のキバナコスモスが今年も、浜離宮庭園を染めていた。高層ビル群が囲む一画、築地川に沿うお花畑だ。赤橙色と黄色のコスモスの蜜を求めて、蝶も飛び交う。 キバナコスモスは、一般的な桃色コスモスよりも風雨に強く、丈夫で力強さがある花。メキシコ原産であり、少し情熱的なイメージが漂う。品種は「ディアボロ」と「ドワーフイエロー」。和名にすると、ディアボロは悪魔的・空中独楽、ドワーフイエローが黄色い小人・・かな。 築地市場と浜離宮恩賜庭園は、築地川を挟んで隣り合っている。そのため、築地市場を見学・食事した外国観光客がこの庭園に足を運ぶ。和式庭園にも興味があるようだ。実際に松を多く配置した庭園を歩くと、日本茶を飲みたくなる・・。写真-1 浜離宮庭園-お花畑と夏空。写真-2 キバナコスモス「デアポロ」とツインビル。写真-3 「ドワーフイエロー」とコンラッドホテルと電通本社ビル。写真-4 訪れる人は、多くが海外の人々。写真-5 キバナコスモスの蜜を求めて飛び回るチョウ。
2018年08月31日
コメント(0)
会正門から桜田濠へ真直ぐ伸びる、並木道の左側(参議院)が洋式庭園。この庭園公園には、憲政記念館、噴水池、三面時計塔などが配置されている。 洋式庭園の丘は永田町1丁目で、江戸時代加藤清正屋敷、井伊屋敷を経て、明治に参謀本部・陸軍省が置かれた場所。皇居近くの南側に位置する丘陵地は、安定した地盤として知られていた。今は三権分立を現わす、百尺(約31m)三面時計塔が三方に向かって時を告げる。 樹木が生い茂る一画に、ローマ神殿風の石造り小屋が建っている。日本の水準測量の基準点を治めた「日本水準原点標庫」である。1891年に設置されたが、関東大震災、東日本大震災を経た現在、約11cm低い、TP+24.390mとされる。 昨今、10を超える省庁で法定障害者割合を、水増しを行っているようだ。「データ改ざん文化」が根付いてしまった日本の官庁。この7月には、国会議員の実増しが行われた。参院議員定数が6名増加した。衆議員が511人から475人に減らしきた努力に逆行する。働き世代が激減する中、安直な方法だ・・。写真-1 国会正門から延びる並木道。その左(北側)に洋式庭園公園が広がる。写真-2 憲政記念館と中庭。写真-3 ソテツと石灯篭、そして紅白の百日紅。写真-4 皇居方面を見渡す高台に噴水公園と百尺時計塔。写真-5 安定地盤が故に設置された「日本水準原点」。
2018年08月30日
コメント(0)
国会正門へ向かって続く並木を挟んで、庭園が向い合っている。内堀通り方面からだと、国会議事堂が緑に囲まれているように見える。北側(参議院)は洋式庭園。南側(衆議院)が和式庭園だ。 南側の庭園は、江戸時代に九鬼氏の屋敷、明治時代に有栖川宮邸を経て霞が関離宮となった場所。現在では、回遊式庭園として管理。入場時間は9時から17時まで。夏場は訪れる人は少ない。春、桜の頃賑わう庭園である。 国会正門は、いつも閉じている。国会議員の初登庁日、または特別の日に限定で正門が使用される。議員会館と議事堂が地下で繋がっているため、議員の出勤風景は、外から見かけることがない。北門(国会図書館側)で、出入りする関係者や車両が時折見られる。 「はとバス」では、東京駅発-国会見学-靖国神社の3時間観光ツアーがある。国会が閉会している時、赤じゅうたんを歩いてみてはどうか・・。写真-1 桜田濠から続く並木道と国会正門。写真-2 はとバスと国会の内案内図。写真-3 北門から議事堂を見る。写真-4 緑に包まれた国会議事堂。写真-5 和式庭園の池と百日紅。写真-6 夏の代表花サルスベリ。
2018年08月28日
コメント(0)
皇居桜田門は、皇居ランニングの起点となる「聖地」とされる。この場合、皇居外苑側の渡櫓門前広場さす。皇居1周5kmコースは、反時計回りのランがルールである。そのため高麗門を曲がり、渡櫓門をくぐり抜けることにより、ゴールとする。近くに時計台が設置されている。 桜田門の正式名称は、「旧江戸城・外桜田門」。本丸に近い内桜田門(桔梗門)に対して、この名が付けられていた。外側の高麗門と内側の渡櫓門の二重構造からなり、防御性に優れた戦国時代を偲ぶ入口だ。 外桜田門は、大手門には異なり年中開放されている。但し、年に数回、高麗門と渡櫓門の大扉を閉めることがある。その際には、小さな扉(潜り戸)だけが開放される。ランナーや自転車は通行できない。大扉を閉じることにより、門の威厳が増すようだ。その日にわざわざ訪問する人もいる。写真-1 桜田門渡櫓門を西側(半蔵門)から観る。写真-2 渡櫓門の開放された大扉と閉じた様子。写真-3 皇居外苑側から観た桜田門渡櫓門。写真-4 皇居外苑広場と東京駅方面。写真-5 時計台と皇居一周ランニングコース図。写真-6 旧江戸城外桜田門の案内看板。
2018年08月25日
コメント(0)
警視庁本部庁舎前は、桜田通り(国道1号)と内堀通り(国道20号)との三差路になっている。交差点の北側へ、堀を渡ると桜田門-高麗門に突き当たる。高麗門からは、桜田濠と国会議事堂がよく見える。 高麗門から西側に伸びる内堀は、かつて弁慶堀と呼ばれた。現在は桜田濠。濠の土手は上部が芝土居で、やや低めに石垣が鉢巻きのように巻き付いている。鉢巻土居という。芝の緑は、猛暑に負けずに鮮やかだ。 警視庁前三差路と高麗門にかけての場所は、あの「桜田門外の変(1860年)」があったことで有名。名所江戸百景・広重「外桜田弁慶堀糀町」における左奥の赤い門は、彦根藩井伊家の上屋敷。桜田門との距離は約600m。雪の積もった朝、その事件は起きた。 高麗門の正面に、警視庁本部庁舎が建つ。現在の建物は、1980年に改築したが、老朽化が進む。施設の近代化を図るために、昨年から改修工事が行われている。本部庁舎は、「本部」または「桜田門」と呼ばれることがある。刑事ものドラマで、しばしば登場する言葉・・。写真-1 桜田濠(弁慶堀)の夏景色。写真-2 桜田濠と桜田門を望む。写真-3 桜田門外の変が起きた場所。写真-4 高麗門から桜田濠と国会議事堂を望む。写真-5 広重・名所江戸百景「外桜田弁慶堀糀町」。写真-6 桜田高麗門と警視庁本部庁舎。
2018年08月22日
コメント(0)
国会議事堂と道路を隔てて、北側に国立国会図書館がある。今年の6月で、開館70周年を迎えた。「過去を読み、未来を読む」のキャッチコピーが門柵に掲げられていた。 国会図書館は、戦後・昭和23年に赤坂の仮庁舎から開設して、昭和36年に現在の永田町に移る。図書館本館が完成したのは昭和43年。その18年後に、新館が増設された。本館450万冊+新館650万冊、計1200万冊が収蔵可能となった。 国会議員さんの調査・研究のための図書館でもある。大いに活用してもらいたい・・。一般にも広く開放されているので、たまに利用させてもらっている。受付カウンターの上に当館の使命のような文面が掲げられている。「真理がわれらを自由する」と・・。 猛暑日の中、久しぶりに訪ねた。古い入館カードのため、新館で登録使用者カードを作成してもらう。パソコンの前に座ると、新しい閲覧・検索システムに更新されていた。順次、PDFへ電子テータ化しているため、パソコン画面で読める。更に直接、印刷を申し込める。便利になっていた・・。写真-1 国会議事堂の横にある国立国会図書館。写真-2 開館70周年を迎えた国立図書館。写真-3 図書館本館の玄関。写真-4 腰かける女性像のオブシェと後方の新館。写真-5 本館前広場と国会議事堂。
2018年08月19日
コメント(0)
日比谷交差点近くに、高さ192mの大きなビルが出現した。「東京ミッドタウン日比谷」と呼ばれる複合ビルだ。地下1階から地上6階までに、約60店舗のショップや飲食店が入る。目玉は、4階から5階を占める映画館フロアであろうか。7階から上は、オフィスなどが入居。 皇居内堀濠沿いを通る日比谷通りと晴海通りが交差する場所に建った高層ビル。このビルの6階デッキに、「パークビューガーデン」が開放されている。日比谷公園と皇居の一部を展望することが出来る。 ミッドタウンは、ニューヨーク市マンハッタン地区のひとつ。経済活動が活発で、観光客が多く訪れ場所。イースト川とハドソン川に挟まれている。翻って、日比谷ミッドタウンは、お掘りと山の手線に挟まれたビル街であり、日比谷公園に隣接している。 ミッドタウン日比谷ビルの入口広場の一画に、高さ3mほどのゴジラ像が設置されている。映画界の売り上げに、貢献してきたゴジラである。2016年の映画「シン・ゴジラ」は第29作目だったという。ゴジラと人類は共存している。との看板を目にした・・。写真-1 日比谷公園に隣接する「東京ミッドタウン日比谷」ビル。写真-2 6階デッキの「パークビューガーデン」。写真-3 パークビューガーデンから皇居方面(伏見櫓)を望む。写真-4 ミッドタウンを歩き回るゴジラ(高さ3mの像)。写真-5 北の方角、日比谷濠を目指すゴジラ。写真-6 日比谷公園を見続けて来た「鶴の噴水」。
2018年04月23日
コメント(0)
皇居内堀、牛ヶ淵と千鳥ヶ淵沿いの南側に、靖国神社とその外苑が広がる。外苑の東口に高さ25mの大鳥居(第一鳥居)がたっている。昭和49年に再建された銅製鳥居だ。この大鳥居をくぐり、西へ進むと靖国神社に到る。政府の要人が参拝する際には、ショートカットして第二鳥居から参内するようだ。 九段坂は江戸期、急坂で九つの石段状の坂だったいう。道幅が広くて、江戸湾が見える眺望の良い坂として有名だった。かの葛飾北斎も浮世絵「くだん坂 うしがふち」に描いている。現在その坂の名称が交差点名に残る。九段坂下と九段坂上で、その距離430mほど。 靖国神社外苑で工事が行われていた。来年創立150年を迎えるためのようだ。明治維新は、多くの尊い命を奪った。その慰霊のために、「招魂社」が明治2年(1869年)につくられた。現在の靖国神社は、政治的外交的に問題となるが多い。しかし内外を問わず参拝者が多い「坂の上」だ・・。写真-1 靖国神社外苑の入口に建つ大鳥居(第一鳥居)。写真-2 桜色に染まる大鳥居。写真-3 神門から拝殿を観る。写真-4 田安門付近から牛ヶ淵を望む[昨年撮影したもの]。写真-5 田安門交差点付近にある標識[北斎のくだん坂うしがふち]。
2018年04月20日
コメント(0)
大勢の外国人で賑わう浅草界隈。浅草寺宝蔵門では、両脇の枝垂れ桜が出迎えてくれる。渋谷のスクランブル交差点で記念写真を撮ってきたという団体さんもいた。観光バスが着く度に、一行が本堂前に並ぶ。 左手にスマホ、右手に紙に包まれた食べ物を持って歩く人が多い。浅草名物のメンチ、またはあげまんじゅうであろうか。歩きながらモノを食べるのは、いかがとおもうが。ここ浅草境内では、不思議と違和感がない。境内の清掃は、いつ・誰が行っているのだろうか・・。 観音堂西南側の植え込みに、「慈雲の泉 雲」のブロンズ像がある。雲の上に6名ほどが固まり、何かを見つめている。観音様または噴水を観ているのだろうか。朝倉文夫氏の作品(昭和40年に設置)。雲の像が立っている付近に、噴水があったという。写真-1 大勢の観光客を迎える浅草寺宝蔵門。写真-2 枝垂れ桜と浅草寺扁額。写真-3 ブロンズ像「慈雲の泉」。6体が見るものは・・。写真-4 五重塔と桜。写真-5 子ども図書館と五重塔。
2018年04月12日
コメント(0)
新宿中央公園の一画に、熊野神社がある。そして十二社(じゅうにそう)の文字が目に付く。神社の西を通る「十二社通り」とバス停「十二社池の下」などである。室町の時代、中野長者が紀州の熊野三山より、十二所権現を移したとされる。 江戸期、この辺りは角筈村(つのはずむら)と呼ばれ、熊野十二所権現社があった。幕府による社殿の整備や修復も行われたようだ。池や滝もあり、江戸西郊の景勝地として発展する。茶屋・料亭300軒が並び、舟遊び・釣り・花火などの娯楽が盛んだったとされる。 十二社の池は、戦国時代に農業用池して開発された。現在の熊野神社西側、ビルが立ち並ぶ当りにあったという。戦後の高度成長期に埋め立てられてしまう。 社の境内から都庁ビルや新宿パークタワーが見えた。都庁の展望室から熊野神社の位置を確認して、地下鉄・大江戸線に乗車した。写真-1 熊野神社本殿の桜。写真-2 本殿から鳥居と新宿パークタワーを望む。写真-3 熊野神社の境内。左手に神楽殿、右手に社務所がある。写真-4 仰ぎ見る都庁ビル。写真-5 熊野神社と中央公園を展望する。写真-6 歌川広重の名所江戸百景「角筈熊野十二社」
2018年04月08日
コメント(0)
好天で花見日和が続いた東京。ドコモタワーが見まもる庭園を、花見しながら散策する。広い苑池から構成されるイギリス風景式庭園に、数々の桜が植えられている。休息所で弁当を販売しているが、数に限りがある。早めに購入した。 新宿御苑は、日露戦争後の明治39年、戦勝祝賀を兼ねて開苑式が行われた。日本庭園、フランス式整形庭園、そしてイギリス風景式庭園を組み合わせて、近代的庭園を目指したようだ。大正期に観桜会、昭和初期に観菊会の会場として定着していた。 3つの「国民公園」のひとつが新宿御苑。他の二つは、皇居外苑と京都御苑である。国民公園は、国立向公園、国定公園、国営公園とは異なる。名前が似ているが・・。戦後、旧皇室苑地の運営を国の施策として、環境省が所管している。写真-1 新宿御苑・中の池付近とドコモタワー。写真-2 レストハウスからツツジ山と桜園地を見る。写真-3 フランス式整形庭園とプラタナス並木。写真-4 大広場と副都心ビル群。写真-5 大温室付近の丸花壇。待ち合わせ場所に向いている。
2018年04月05日
コメント(0)
伝法院大書院(おおじょいん)の左右に佇む枝垂れ桜が風で揺れていた。浅草寺境内の喧騒とは打って変わって、静寂な空気で覆われている。国の名勝・伝法院庭園が今年も春季特別拝観になった。絵馬堂には、過去に奉納された大絵馬約60点を展示している。 伝法院は、浅草寺の本坊で、歴史的建造物と庭園からなる。回遊式の庭園越に、五重塔と東京スカイツリーのツーショットを望むことが出来る。絵葉書のような風景がある。伝法院の建物は、客殿や大書院など6棟が国の重要文化財となっている。現在、客殿辺りに仮囲いが造られ、修復工事が進められている。客殿内には、阿弥陀如来像と徳川歴代将軍の位牌が安置してあるという。写真-1 浅草・伝法院庭園。五重塔とスカイツリーのツーショット。写真-2 大書院とスカイツリー。客殿を覆う仮囲いが見える。写真-3 池の水面に映る五重塔。写真-4 絵馬堂と五重塔。写真-5 枝先の長い枝垂れ桜。写真-6 大書院の室内の様子。掛け軸の文字不明・・。
2018年04月04日
コメント(0)
上野公園大噴水の南側広場に、赤いカラーコーンの行列ができていた。上野動物園から続く、人波を整理するためのものだ。パンダ人気の凄さを実感する。 ジャイアントパンダの子「シャンシャン」を観覧するために、開園前にから人が並ぶ。2月から整理券制による先着方式を採用している。開園前の9時頃に並んだとしても、観覧できるのは正午前後になるという。1日の整理券は約9000枚・・・。 動物園前広場とは対照的に、大噴水廻りは閑散としている。紅い寒緋桜が10本程植えられているが、存在感が薄い。ベンチからは、トーハク玄関前の若葉で包まれている大きなユリの木が見えた。暫くすると開園になり、ここにも人が集まって来る。写真-1 上野公園の噴水池と赤いコーン列。写真-2 上野動物園正門前で整理券配布を待つ人の列。写真-3 大噴水の東側ベンチと寒緋桜。写真-4 東京国立博物館のユリの木を見る。写真-5 寒緋桜とトーハクの建物。
2018年03月30日
コメント(0)
東京メトロ(地下鉄)日比谷線で上野公園に出る。地下鉄上野駅は、明るく綺麗になっていた。並木のように樹が、ホームの柱が並ぶ。コンクリート柱の表面が樹皮に見えるように化粧されていた。 長い間続いていたリニューアル工事が3ヶ月前に終えたようだ。JR上野駅を利用することが多いので、東京メトロ駅はあまり利用する機会がなかった。以前の薄暗く、ゴミゴミしたイメージが払拭されている。駅全体を「美術館のある街」のように改修したという。 不忍口側、中央通りに面した公園入口に、袴腰(はかまごし)広場がある。カエルの噴水と提灯看板があり、待ち合わせに利用される場所のひとつ。カエルの噴水前の枝垂れ桜が見頃。待ち合わせする間、花見ができるメリットがある。混雑する前に、袴腰広場に寄った・・。写真-1 リニューアルされた上野駅(日比谷線)のホーム。写真-2 東京メトロ上野駅内の連絡路。明るくて広く感じる。写真-3 不忍口の袴腰広場は待合せ場所のひとつ。写真-4 カエルの噴水の先は中央通り。写真-5 袴腰広場枝垂れ桜。
2018年03月26日
コメント(1)
春の川面をボートが滑るように横切った。河津桜に彩られた旧中川を練習場にしているようだ。4人乗りボートが静かに進む。 旧中川は、江戸川区と墨田区の区境となっている。荒川放水路開削により分断された川だ。上流は平井口、下流は小松川口である。但し、荒川より水位が低く、勾配も緩い。風の影響が少ないので、各種ボート・カヤックの乗艇が体験できる水路だ。 ボートとカヤックの違いは漕ぎ手の向き。顔の向きが進行方向と同じならカヤック。進行方向が後方ならボート競技だ。四人乗りカヤック競技は、オリンピックにあるが、前回リオ五輪に出場していない。この水路で練習して、東京五輪に日本チームで出場を果たてしもらいたい・・。 ボート・カヌーは、ヨーロッパで盛んな競技だという。日本では、手軽に楽しめるスポーツとは言い難い。水場が少ないのだ。「海の森水上競技場」が早く完成して、練習できるとよいのだが。スプリント競技にも出場してメダルを目指してほしい・・。写真-1 逆さツリーを写し出す旧中川。写真-2 赤組と青組の4人乗りカヤックが横切り。写真-3 翼を乾かすカワウ。写真-4 ボートなどの練習場になっている穏やかな水路。写真-5 スカイツリーとふれあい橋の夜景。
2018年03月14日
コメント(0)
梅まつり開催中の亀戸天神を訪れた。梅開花状況は、4~5分咲き程度。観梅には早すぎた。亀戸天神は、東宰府天満宮、亀戸天満宮とも呼ばれる。境内には、白梅や紅梅が約300本植えられている。江戸期から梅の名所として知られた場所。 鳥居をくぐり、男橋-太鼓橋の上に登ると境内を一望できる。その太鼓橋の左側、「呉服枝垂れ梅」が見頃を迎えていた。ピンク色の八重咲きの品種。一般に「ゴフクシダレ」ではなく、「クレハシダレ」と呼ぶ。 梅や桜など、花の名所たる神社仏閣には、おいしい名物がある。亀戸天神は「くず餅」である。天満宮総本山の大宰府天満宮は「梅ケ枝餅」、そして湯島天神に「ふく梅」がある。いずれにしても、参拝・散歩した後、お茶とお菓子は、日本古来の「いっぷく」だ。写真-1 亀戸天神の呉服(くれは)枝垂れ梅。写真-2 亀戸天神の太鼓橋(男橋)。写真-3 三つ目の橋、太鼓橋(女橋)。写真-4 本殿と絵馬掛け。写真-5 五歳菅公像と和歌「美くしや 紅の色・・・」。写真-6 合格祈願された絵馬たち。
2018年02月26日
コメント(0)
東京港越しにダイヤモンド富士が見られる2月の舞浜海岸に出向く。やはり多くの人で賑わっていた。新しく延長された護岸背面のプロムナードは、鑑賞と撮影に向いている。また、海からの風除けにもなる。 この日は、富士山頂を覆う厚い雲が居座った。まるで太陽―を隠すような「陣幕」である。しかし雲間から垂れ下がる光芒の夕景があった。 風が弱く撮影日和であった。そんな夕方は雲が発生し易く、ダイヤモンド富士が見られない日が多い。海岸散歩したと思うことにした。写真-1 東京港の夕照と東京ゲートブリッジ。写真-2 厚雲の帯から垂れ下がる光芒。写真-3 ダイヤモンド富士はお預け。写真-4 舞浜海岸のプロムナード。写真-5 多くの人が集まるダイヤモンド富士のスポット。
2018年02月24日
コメント(0)
浅草寺観音堂の扉が閉じても、境内は大勢の人々で賑わう。2、3年前とは明らかに異なる風景だ。その多くは外国人観光客なのだ。 浅草寺本堂の扉開閉時間は、冬季6時30分から17時である。観光客は、その門限時刻をあまり知らないようだ。また気にもしていない様子。ライトアップされた日本的な美しい建物に囲まれると、「日本に来た・・」と実感する外国人が多いという。 浅草界隈には、京都、鎌倉、金沢に並んで着物レンタル会社がある。最近、売り上げを伸ばしているらしい。3千円から1.2万円のランクから選択できるという。江戸情緒が残る浅草ならでの光景だ。このブームは、しばらく続きそうだ・・。写真-1 仲見世側から宝蔵門と五重塔を観る定番スポット。写真-2 宝蔵門を正面から観る。写真-3 昼間と異なり、仁王像が浮かび上がる。写真-4 賑わう夜の境内。写真-5 宝蔵門と五重塔を並べて撮影できるスポット。写真-6 閉扉した本堂にも列ができる。
2018年02月18日
コメント(0)
浅草寺境内から東京スカイツリーが良く見える。東京下町の何処からでも仰ぎみることが出来る。初めて東京を訪れた人にとって、現在位置を知る上で恰好に目印となる。夜、陸の燈台となる・・。 スカイツリーは、バレンタインを意識して特別ライティング(ラブリーショコラ)が灯されていた。色とりどりのチョコレートを組み合わせて、積み上げたイメージ。 バレンタインのチョコとは縁遠い小生でも、家族からもらえる。最近、「セルフチョコ」が増えているという(23パーセント)。カップルに恵まれない若者が多いのだろうか・・。 2月のチョコレート売り上げは、他の月の約2倍相当らしい。日持ちするチョコは、プレゼント品に向いている。「気持ちを 形に チョコと」というキャチコピーが浮かぶ。いずれせよ、日ごろの感謝の念を伝える日として、定着している。写真-1 浅草寺境内から宝蔵門と彩灯したツリーを観る。写真-2 山門の庇とスカイツリー。写真-3 特別ライティング「ラブリーショコラ」の彩り。写真-4 五重塔とツリー彩灯。写真-5 昨年取り替えられた五重塔の相輪が美しい。
2018年02月14日
コメント(0)
テレコムセンター駅は、新交通ゆりかもめの最南端に位置する。テレコムセンター展望フロアの南側は、シーサイド側になる。東京湾と羽田空港が見える窓辺だ。羽田空港を離発着する飛行機が低空で飛ぶ。 臨海都市の脇腹に伸びる羽田空港。そのため、各種の制限をもたらす。湾内の建造物に、高さ制限がある。そのため、東京港のシンボルと言われている東京ケートブリッジが評判を落としている。 船舶の超大型化が急速に進んだ世界の海運ビジネス。東京ゲートブリッジの海上高さは、54.6m。レインボーブリッジより2.6m高いが、世界的には低い橋梁となっている。12万トン級の客船が通過できないのだ。ケートブリッジの名称を返上したらどうかとの意見もある。 昨年バルト海をクルーズしたクルーズ船は14.5万トン。海外へ行くと、このような大型船を良く見かける。因みに22万トンの超大型客船(乗客乗員約7500名)の海上高さは72m。瀬戸大橋を通過できるという。写真-1 東京港のシンボル、東京ゲートブリッジ。写真-2 ゲートブリッジ桁下54.6mを遊覧船が行く。写真-3 羽田から飛び立つ航空機。写真-4 羽田の滑走路を望む。写真-5 東京湾に浮かぶ海ほたるが見えた。写真-6 ゲートブリッジからテレコムセンター方面を望む。
2018年02月12日
コメント(0)
浅草寺宝蔵門を挟んで、東側に二尊仏(濡れ仏)、西端に淡路堂がある。浅草寺境内を散策すると、江戸時代におもいを馳せるものに出会う。 銅製の二尊仏が造られたのは、約330年前の江戸時代。将軍綱吉の時代。宝蔵門を斜めに見るように菩薩坐像がある。「観音菩薩」と「勢至菩薩」とされる。 蓮台を含めた高さが4.5mの二尊仏銅像。近くに宝蔵門や五重塔が建っているので、小さく見える。しかし商店街通り等にあれば、十分に大きく見えて、かつ重みのある仏像だ。 遊園地「花やしき」を背にして、ひっそりと淡路堂が建っている。浅草寺境内に数あるお堂のひとつ。江戸時代の女性の守り神、淡路明神像が祀られている。豆腐に針をさす「針供養」が行われるお堂。紅梅が咲いていた。写真-1 二尊仏像と浅草寺宝蔵門・五重塔。写真-2 勢至観音菩薩像と観音菩薩像が並んでいる。写真-3 小さな祠が並ぶ観音堂西エリア。写真-4 江戸時代の女性の守り神・淡路明神を祀るお堂。写真-5 淡路堂から紅梅とスカイツリーを観る。写真-6 寒い中、着物姿で観光する若いひと。
2018年02月11日
コメント(0)
東武線・新鎌ヶ谷駅で途中下車して、鎌ヶ谷市役所の屋上で夜景を見た。この場所からは、東京スカイツリーと富士山をツーショットで撮影できる。しかし、生憎と厚い雲が張り出し、マジックアワーにならず。2月2日がダイヤモンド富士見デイだった。 市役所の建物は市内では比較的高く、東京方面の展望が開けている。駅に近く、大型ショピングセンター(イオン)がすぐ近くなので、買い物や食事に便利である。但し、市役所なので屋上の開放時間が平日8時30分から17時45分に制限される。 鎌ヶ谷市と言えば、先月「キヨミヤフィーバ」があった。日本ハムの二軍・鎌ヶ谷スタジアム(かまスタ)がある。自主トレをする清宮幸太郎(18才)選手を見るために、大勢のファンが押し寄せた。今彼は、暖かなアリゾナでキャンプしている。日本は寒い・・。写真-1 富士山をバックに、スカイツリーと新宿ビル群の夜景。写真-2 「かまがやスカイビュー」から東京方面を望む。写真-3 夕陽の柱が昇って来た。写真-4 富士山の前を魚のような形をした雲が横切る。写真-5 都内の港区方面の夜景。
2018年02月08日
コメント(0)
浅草寺観音堂で、年男による豆まきが終わると、隣の浅草神社において「節分祭」が行われた。節分祭では、節分祭斎行と福豆まきが行われる。神楽殿にて、巫女舞の奉奏後、稚児と年男・年女による豆まきが行われた。 浅草神社は、浅草寺とほぼ一体化した神社。夏の訪れを告げる「三社祭」で知られる浅草寺ゆかりの神社とされる。「三社様」、「三社権現」とも呼ばれる。浅草寺に創建に関わった3名を神として祀っている。 撒く豆は、数個単位でラッピングされている。中には金平糖が入っているものもある。浅草神社および浅草寺で撒かれる豆は、かなりの量となる。立春にあたって、豊作を願いつつ厄払いを払う、節目の日。夕食時、年の数だけ食べた・・。写真-1 浅草神社の福豆まき。[2月3日15時半頃]写真-2 年男と年女そして稚児による豆まき。写真-3 豆まきに先立ち、巫女の舞が奉納される。写真-4 巫女舞の奉奏(豊栄の舞)。写真-5 駐車場入口付近の九代目市川団十郎像。
2018年02月06日
コメント(0)
観音さまのお膝元で撒く豆まきは、「千秋万歳福は内」と発声する。そもそも浅草観音堂付近には、鬼が寄りつかないそうだ。立春の前日に、厄を払う日本ならでの伝統行事である。陽気に誘われて、浅草へ出かけた。 関東の四大豆まきは、成田山新勝寺、池上本門寺、芝増上寺そして浅草の浅草寺とされる。浅草寺の節分会(せつぶんえ)午後の部は、大きく3つの構成。(1)一般信者の年男の厄払い法要と豆まき。(2)仮装した七福神の舞い(神聚の舞)。(3)浅草縁の文化芸能人による豆まき。 16時開始の「浅草観音文化芸能人節分会」は、総勢約60名が4回に分けて豆まきをする。浜口京子さん、林家三平さんの姿もあった。最終組が豆撒きを終える頃、日没を迎えた。写真-1 浅草観音堂東側回廊の仮設舞台で節分会が行われた。写真-2 信者の年男による豆まき。写真-3 浅草寺の七福神の舞が披露された。写真-4 神聚の舞を終えた七福神。写真-5 浅草文化芸能人による豆まき。写真-6 日没まで続いた観音堂の豆まき。
2018年02月05日
コメント(0)
お台場に凱旋門のような建造物・テレコムセンターがある。その21階の広い展望フロアから、東京の臨海都市を一望できる。椅子・机が設置され憩のスペースもある。自販機の珈琲ではあるが、眼下の景色を見ての一杯は格別だ・・。 北側の窓辺からは、レインボーブリッジ・東京タワーが見える。少し東側に目を移すと、ゆりかもめ青海駅とパレットタウンが見える。夜景遺産とアピールしている展望である。 また、西側に目を移すと、大井ふ頭並びに富士山の頭が見える。大井ふ頭はコンテナによる貨物輸送ターミナルがある。時には13万トンの超大型のクルーズ船が接続することがある。その際、東京港第一航路が小さく見えるという。因みにゲートブリッジの下は第三航路で、超大型船が通過できない。写真-1 ブジテレビとレインボーブリッジそして東京タワーの展望。写真-2 眼下にゆりかもめ・青海駅とパレットタウン。写真-3 大井ふ頭前の第一航路を進むとレインボーブリッジがある。写真-4 大井ふ頭と富士山の頭をのぞむ。写真-5 テレコムセンター21階の展望フロア。写真-6 パリの凱旋門のようなテレコムセンタービル。
2018年02月04日
コメント(0)
新交通「ゆりかもめ」に乗車すると、車窓から東京タワー、スカイツリーなど、東京のシンボルをのぞむことができる。高架全線を静かに走行する。車内が空いていれば、最前列に座ると運転士の気分を味わえる。 ゆりかもめは、モノレール走行ではない。専用の走行路を1車両4輪のゴムタイヤで走行するもの。全長約15km区間を自動化無人運転している。原則、ホームにも駅員はいない。ディズニーリゾートラインでは、ホームに係員が立ち、乗客の動向を見守っている。 「ゆりかもめ」から見る景色は、昼間より夜景がお勧めだという。海外の旅行冊子等で、ウォーターフロントの夜景が美しいと紹介されている。しかし、あっという間に過ぎてしまうので、テレコムセンターなどで下車する良いかも知れない・・。写真-1 無人自動運転する新交通ゆりかもめ。有明テニスの森駅が見える。写真-2 高架上の専用走行路と国際展示場正門駅。写真-3 有明スポーツセンター体育館。写真-4 船の科学館駅と白い富士山。写真-5 テレコムセンター駅から東京タワーを望む。
2018年01月30日
コメント(0)
地下鉄有楽町線・豊洲駅から地上に出ると、目の前にシビックセンタービルが建っている。11階フロアーを市民に一部開放している。その市民広場からは、晴海運河の両岸で開発されてゆく臨海副都市を見ることが出来る。 工事用クレーンが林立する、晴海運河と朝潮運河に挟まれた埋立地。2020年東京オリンピック・パラリンピックの選手村の建設工事が急ピッチだ。地上14階から18階の中層住宅21棟が建ち並ぶという。 五輪大会後の選手村は、賃貸・分譲住宅に改修して、「町づくり」をする。50階建のタワーマンション2棟も追加建設する計画がある。水素社会を先取りする町を想定している。 2年後、豊洲市場の開業と相まって、今のウォーターフロント風景は一変するだろう。また、豊洲駅から北方面に地下鉄を新設する計画もある。膨張・拡大する大都市。その分、地方は収縮・縮小するかもしれない。写真-1 豊洲シビックセンターから晴海運河を望む。写真-2 運河を渡る橋群とレインボーブリッジ。写真-3 東京五輪の選手村建設工事が進む。写真-4 1年以上放置されている豊洲市場。写真-5 選手村と豊洲市場を結ぶ豊洲大橋。写真-6 地下鉄・豊洲駅改札口付近の壁画「豊洲今昔物語」。
2018年01月27日
コメント(0)
ニューイヤー・骨董ジャンボリーを見て廻った。毎年1月と8月に東京ビッグサイトで開催される屋内での大骨董市。参加ディーラーが約500規模。大きく3つのジャンルからなる。和骨董が280店、西洋骨董が120店、おもちゃ類が70店。古時計など修理する修理屋横丁もある。 数年前、入場する際に長い列になったので、今回は最終日に訪れた。予想どおり混雑のピークは過ぎ、ゆっくり観て廻ることが出来た。と言っても1時間半程度。ゆっくり歩くと以外と疲れるのだ。 せっかくなので、予算1万円でコーヒーカップと抹茶茶碗をお土産にした。茶道用の茶碗には、100万円、300万円の高額のもがあった。購入する人はいないようだ。玩具については、小生のガラクタも出品できそうな気がした・・。写真-1 江東区にある東京ビッグサイト。逆三角形のシンボル。写真-2 広々とした屋内の大骨董市。雨・寒・風を心配せずに徘徊できる。写真-3 骨董ジャンボリー・出店の様子。写真-4 ポップモードと題した特別展。写真-5 骨董ジャンボリーのポスター。
2018年01月19日
コメント(0)
東京国立博物館本館内は、日本ギャラリーまたは総合文化展と称される。前回は土偶・埴輪、前々回を絵画して掲載した。今回、仏教彫刻類を整理した。仏教彫刻は、2ヶ月から5ヶ月毎に入れ替わるようだ。時折、覗くようにしている。ボケ防止のために・・。 本館1室は、仏教の興隆と題して、飛鳥・奈良時代の作品を展示。日光菩薩踏下像(奈良時代、重文)、銅像聖観音菩薩立像(模造)が展示。3-1室は、仏教の美術と題して、平安・室町時代の作品を展示。毘沙門天立像および不動王立像をゆっくり眺める。 総合文化展への入場料は、一般620円。しかし、障害者、高校生以下、70歳以上は無料となる。小生もあと少しで無料なりそうだ。また、毎週金曜日・土曜日については21時まで開館している。サラリーマンや旅行者を対象にしている。 特別展「仁和寺と御室派のみほとけ」が始まった。混雑が予想されている。開催期間は3月11日まで、少し様子をみることにする。写真-1 日光菩薩踏下像。高さ56cm奈良時代 [重文]。写真-2 本館1室の銅造・聖観音菩薩立像(模造)。写真-3 不動明王立像。平安時代。写真-4 毘沙門天立像。高さ93cm 鎌倉時代。写真-5 本館1階ジャンル別展示・彫刻の二天王立像。写真-6 大黒天立像。南北時代、重文。
2018年01月17日
コメント(0)
東京ゲートブリッジと富士山を重ねて望むことができる舞浜南海岸を歩く。恐竜が向い合うかのような橋梁近くでは、東京オリンピックのボート・カヌー競技会場となる海の森水上競技の工事が進む。1年後には、ほぼ完成する予定。 東京ディズニーシーの南側防波堤沿いの遊歩道が以前より延伸していた。南・海側だけでも約1.2kmの直線プロムナードだ。サイクリング・ロードになる予定。 最寄り駅は、東京ディズニー・リゾートラインのベイサイド駅を利用する。東京リゾート社では、2020年を目途に、新たな施設を開発する予定だという。「美女と野獣」エリアを造るようだ。少子高齢化でも攻めの経営を進めようとしている・・。写真-1 舞浜海岸から東京湾・橋梁そして富士山を望む。写真-2 東京ゲートブリッジ近くでは五輪競技場建設工事が進む。写真-3 恐竜橋と富士山。写真-4 舞浜南のプロムナードが延伸。写真-5 リゾートライン駅の小広場に新年を祝うキャラクターが・・。
2018年01月16日
コメント(0)
新春のトーハクで、日本絵画などを鑑賞する。本館の国宝展(本館2室)は、他の博物館からの貸し出しがあるため、短期間で入れ替わる。現在、京都国立博物館蔵の「釈迦金棺出現図」が展示。 本館7室(屏風と襖絵)には、十二ケ月花鳥図、宮楽図そして浅間山図が展示。「浅間山図屏風」は、江戸期のもので重文指定の作品。最近は、無フラッシュ撮影可能な場合が多い。写真撮影禁止される展示品もある。NG表示と係員が詰めている。 本館8室(書画の展開・安土桃山から江戸)には19件が展示。そのなかの「おすすめ」は、伊藤若冲筆の「松梅孤鶴図」。 本館18室(近代の美術)には35件が展示。「おすすめ」は、横山大観筆の「無我」、青木繁筆の「日本尊命」など。本館内は暖かいので、コート類が邪魔になる。そして、目が疲れる・・。写真-1 狩野永敬筆「十二ケ月花鳥図屏風」。写真-2 亜欧堂田善筆「浅間山図屏風」。写真-3 新春特別公開・国宝「釈迦金棺出現図」。写真-4 特集・犬と迎える新年。円山応挙筆「朝顔狗子杉戸」。写真-5 お年寄りに人気の「無我」(横山大観筆)。写真-6 伊藤若冲筆「松梅孤鶴図」。写真-7 「縄暖簾図屏風」。
2018年01月11日
コメント(0)
東京国立博物館(トーハク)の正面玄関が華やいでいた。2年ぶりに、「博物館に初もうで」する(正月月3日)。特別展を開催する平成館は休み。常設展の本館(日本ギャラリー)が開館。2日と3日は、本館前と平成館ラウンジで新春イベントが開催された。 若い女性陣による元気・粋な掛け声、躍動感あふれるパフォーマンスだ。湯島天神・白梅太鼓のメンバー9名が、1日2回(11時と13時)演技してくれる。本館の正面玄関前は、大勢のギャラリーが出来た。 11時の気温8度、北西の風毎秒7.8mで、より寒く感じる。しかし、日差しがあるので、太鼓の打ち手は汗ばむ。太鼓の音から元気をもらった新春のひととき。写真-1 華やぐトーハク玄関。[1月3日11時の演技]写真-2 東京国立博物館・本館。写真-3 本館正面玄関前のギャラリー。写真-4 躍動感あふれる白梅太鼓。写真-5 寒さに負けずに、半被を下げてシャツ姿に・・。写真-6 粋な太鼓打姿。
2018年01月08日
コメント(0)
師走の東・東京の夜景を眺めた。地上150m、市川アイリンクの展望施設から・・。北風が強く吹き込む展望デッキは、寒くて長居できない。45階の展望ロビーで暖を取る。「キャンドルツリー」の東京スカイツリーが赤く浮き出ていた。 千葉県で寒いと言っても、北国のことを思うと知れている。北海道や東北・本陸では、クリスマス寒波に襲われて、道路事故、100台規模の立ち往生が起きた模様・・。 家庭では、野菜の高騰と燃料費の値上げが関心事。年が明けると次の寒波の到来が予想されている。今回の寒波は、世界的規模だとの報道もある。強風が吹き荒れる日は、炬燵で丸くなるに限る。写真-1 東京の東半分を市川アイリンク展望施設から眺める。写真-2 東京タワー方面の夜景。写真-3 明りの灯ったスカイツリーと富士山。写真-4 富士山のシルエットが半分程度見えた。写真-5 「シャンパンツリー」を望む。
2017年12月29日
コメント(0)
東御苑・二の丸庭園は、本丸跡広場より一段低い場所にある。双方を繋ぐ連絡路は梅林坂。梅林坂を下り、雑木林を抜けると、優美な外観の「諏訪の茶屋」が見えて来る。 諏訪の茶屋は、この二の丸跡を整備する際、吹上御所にあった茶屋を移築したという(昭和43年)。茶屋そのものは、明治45年に再建されたもの。二の丸庭園は、この茶屋と雑木林が特徴の場所。 かつての二の丸御殿は、将軍の隠居所、または将軍の生母の居場所とされる。しかし、幾度も火災に遭っている。特に、幕末(1867年)に焼失して以来、再建されることはなく放置された場所だった。諏訪の茶屋と回遊式庭園を整備することで、国民に憩の場所を提供している。 二の丸庭園は花の「名所」でもある。春のツツジ、初夏の菖蒲、夏のサルスベリなどが知られている。夏の皇居東御苑は、緑が多いので都心より涼しい・・。夏場、機会を作って出かけようと思う。写真-1 二の丸庭園の「諏訪の茶屋」。写真-2 茶屋の前の立派なモミジ。写真-3 回遊式庭園の池。写真-4 武蔵野の原風景を残す雑木林が残されている。写真-5 水面に映る美しい紅葉。写真-6 ツツジの春景色と諏訪の茶屋。
2017年12月25日
コメント(0)
旧江戸城の石垣が多く保存されている皇居東御苑。その石垣・石門に、紅葉した幹が彩を添えていた。天守台以外の城郭石積風景にスポットを当てた。 城郭を構築する場合、石の積み方は、「布積み」と「乱積み」とがある。東御苑では、ほとんどが整った布積みのようだ。また石の加工程度により、3種類以上の呼び名があるそうだ。中之門の石積みは、すき間の無い「切り込みハギ」と呼ばれる見事な石垣・・。 江戸城の城郭は、幕府が全国の代表に命令して行わせる「天下普請」により造られた。1606年から本格的に行われ、各大名の忠誠心を計ったとされる。領地1000石につき1人の役夫が課せられた。20万石大名は、最低200人を派遣または現地雇用したものと思われる。 石面には、ノミ跡を付けて化粧しているのもある。更には他藩と区別するような「刻印」も見られる。400年前、巨石を加工する喧騒、表面を化粧するノミの音が聞こえてきそうだ・・。写真-1 梅林坂付近の石垣。表面にハツリ化粧を施している。写真-2 中之門の石積みとモミジ。写真-3 中之門から白鳥濠へ向かう石垣。写真-4 石垣に彩りを添える紅葉。写真-5 大手門の石垣と紅葉。写真-6 西桔橋の石垣とモミジ。
2017年12月22日
コメント(0)
かつて江戸城の本丸や二の丸があった皇居東御苑を歩く。昨年と変わらない風景がある。広々とした本丸跡芝生広場の周辺に、江戸城を偲ぶものがある。大手門から入園して、富士見櫓、松の廊下跡、富士見多聞、天守台などをぶらつく。 富士見櫓・富士見多聞は本丸の南と西側にあり、当時富士山が良く見えたはず。徳川家が関東移封する前の領地は、三河・信濃・甲斐・駿河・遠江。家臣団の多くは、富士山を見て故郷に思いを馳せたことだろう・・。 東御苑は年間100万人以上も訪れる場所となった。昨年、入園者数の4割が外国人だったという。都内の観光スポットになりつつある。「クールジャパン」で、新たな企画があれば良いが・・。 巨大な石垣を積んだ天守台に、大勢の人々が上っていた。特に、絶景があるわけではないが、昔の江戸城をイメージする高台だ。賛否両論のある天守閣復元。復元に拘らずに、小さな「本丸櫓」を作り、展望台にしたらどうだろうか・・。写真-1 本丸跡広場の南端に建つ富士見櫓。写真-2 松の廊下跡付近に群生するツワブキ。写真-3 富士見多聞入口付近の紅葉したツツジ。写真-4 富士見多聞の窓から見た乾通り。写真-5 人々が群がる天守台。写真-6 本丸跡広場の真っ赤な紅葉。
2017年12月19日
コメント(0)
秋季の皇居乾通りの通り抜け。今年は12月2日から10日までの9日間。 アルバイトが休みとなる6日目訪れた。この日、東京駅丸の内側広場が完成・オープン日でもあった。 皇居乾通りは、坂下門と乾門を繋ぐ約700m。旧江戸城・本丸の石垣と濠に沿って行進することになる。坂下門をくぐるとまもなく、正月参賀をする皇居宮殿が見えた。その後、富士見櫓、宮内庁庁舎。局門(つぼねもん)、富士見多聞、西桔橋(にしはねはし)などを観る。 正午過ぎだったので、比較的スムーズに入場できた。例年、荷物検査とボディチェックとで長蛇の列が出来る。都外からやって来た大型バスの団体さんも大勢いた。都内の有名な食事処と組み合わせた皇居ツアーもある。 天皇陛下の退位が平成31年4月30日と決まった。今上天皇が55歳で即位され、約30年間。皇太子様が今年57歳になられた。程よいバトンタッチと思われる。天皇と上皇が存在する時代を迎える。高齢化社会の象徴する日本社会にふさわしいかも・・。写真-1 西桔橋から乾濠を望む。写真-2 坂下門から入場する。写真-3 蓮池濠沿いの乾通りと紅葉。写真-4 局門(つぼねもん)とイロハモミジ。写真-5 本丸の南に位置する富士見櫓。写真-6 蓮池濠と富士見多聞。
2017年12月16日
コメント(0)
東京駅・丸の内側の駅前広場がようやく12月7日完成し、全面的にオープンとなった。平成14年からJR東日本と東京都が3年余をかけて整備していたもの。 東京オリパラを控え、首都の玄関口として綺麗に生まれ変わった。 19,000m2にわたり整備された駅前広場。特に、歩行者空間の「中央広場」(6,500m2)は、白色の御影石で舗装されている。 両側にケヤキが植樹され、4辺ベンチもあり、憩の場所となる。 駅前広場の完成式典に天皇皇后両陛下が見えるとのことで、中央広場の両脇に人だかりができた。ステーションホテルでは、安倍首相並びに小池都知事も出席していたようだ。 中央広場と行幸通りが繋がったことで、東京駅丸の口から皇居へ向かう馬車が見られるという。新任の外国大使が天皇陛下に挨拶する「新任状捧呈式」だ。10年間ぶりに復活する。早速12/11、西アフリカ大使を乗せた儀装馬車が通った。写真-1 白い広場・丸の内駅舎。御影石の上を馬車が走ることになる。写真-2 12月7日完成式を行った東京駅丸の内側広場。写真-3 中央広場から行幸通り・皇居方面を見る。写真-4 式典に見える天皇陛下を出迎える人々。写真-5 皇居側から行幸通りと駅舎を望む。
2017年12月13日
コメント(0)
上野公園が夜の帳に包まれると、「国立建造物」が輝きを増す。国の重要文化財の建築物をライトアップされる。国立西洋美術館、国立科学博物館、そして東京国立博物・表慶館を観て廻る。 国立西洋美術館は、ル・コルビュジェの作品群のひとつで、世界文化遺産。1959年(昭和34年)に建築された。当初、松方(幸次郎)・コレクションを基にオープンした美術館。10年前に人命と芸術作品をまもる対策が済んだ。万一の地震に備えて、免振工事を終えた。 美術館の前庭に、ロダン作のブロンズ像が置かれている。「地獄の門」、「弓をひくヘラクレス」、「考える人」、そして「カレーの市民」などである。このうち「カレーの市民」は、フランスの港カレーがイギリス軍に包囲され、降伏する場面。処刑を覚悟した6名の代表の表情・姿を表現している。 国立科学博物館(愛称をカハク)は、日本館と地球館に分けられる。日本館は、1930年に作られた石造り・ルネッサンス風の建物。玄関ホールには、大理石が使われ重厚な佇まいだ。敷地内に黒光りするクジラが跳ねていた・・。写真-1 国立西洋美術館ライトアップ。正面の壁はスクリーンにもなる。写真-2 ロダン作「カレーの市民」ブロンズ像。写真-3 美術館前庭のブロンズ像。奥のが「地獄の門」写真-4 国立科学博物館・日本館ライトアップ。写真-5 原寸大のシロナガスクジラの像がある。写真-6 東京国立博物館敷地内の表慶館。
2017年11月19日
コメント(0)
色とりどりのテント38基が並んだ上野恩賜公園・噴水広場。噴水も七色にライトアップされて、華やかな夜を迎えていた。今夜は、「明りを楽しむ」イベントが各地で開かれているだろう。 創エネ・あかりパークと題する企画は、経済産業省、環境省、国土交通省が共催している。創エネや省エネ技術と光技術との組み合わせた「もの」が、各テント内ブースで見学できる。上野公園の秋の風物詩となるか・・。 この場所、竹の台広場は、4、5年前にリニューアルされた。より親水性の高い、噴水広場が出来た。季節ごとに花壇も並べられるので、憩の場所となっている。しかし元は、寛永寺の根本中堂が建っていたところ。昔は蝋燭と行燈、今はLED照明、レザー光線が空を駆け巡る・・。写真-1 噴水広場からトーハクを望む。写真-2 噴水池を囲むようにテントが並ぶ。写真-3 テントと噴水の明りを楽しむ。写真-4 あかりパークのメイン会場。写真-5 桜並木に施されたイルミネーション。写真-6 あかりアート作品・長野灯明まつりから。
2017年11月16日
コメント(0)
全412件 (412件中 101-150件目)