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日本では今日から新年度。目のくらむような思いをしている人も多いことでしょうね。
2005年03月31日
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11歳の女の子。いつもはクラスのお友達の話題なのですが、今日はテリー・シャイボさんの件や、ゲイの権利について話題が及びました。彼女、急に、「うちのお母さん、バイ・セクシュアルだと思う・・・。」とにつぶやくのです。「どうしてそう思うの?」と、おそるおそる聞いてみると、まじめな顔をした彼女は、「うちのお母さん・・・、いつも、『奥さんがほしい!』と叫んでるから・・・」って。それは、そういう意味ではないのでは?
2005年03月30日
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昨日、飛行機乗り継ぎでできた時間に我が家を訪ねてくれた友達、ほんの数時間で帰っていきましたが、うちにある鉢植えの枝を挿し木にしたいと、切って持っていきました。実はその鉢植え、以前、彼女が引っ越していったときに私にくれたもの。枝としてはかつてのご主人様?の元に戻ることになるわけですね。元気にかの地に根付いてほしいです。
2005年03月29日
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昨年のイースターに代母さんにプレゼントしたキルトです。大急ぎで作ったので、納得できる出来ではなかったのですが、一から自分でデザインして作ったので愛着があります。空の墓から覗く天使の翼、光る空から降り注ぐさまざまな光。墓を訪れて驚く女を母の着物のはぎれから抜き取った壷で表してみました。また、私のオリジンを出したかったので扇形に仕立ててみたのですがどうでしょうか。
2005年03月28日
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(ICF求道俳句板への投稿)主の御復活おめでとうございます。まるで決まりみたいにイースターから暖かくなります。初めて教会まで歩いて行ってみました。数十分の道のり、庭先に芽吹いた緑を見つけたりカージナルの恋の歌を聞いたり、楽しい発見がありました。すべてが「主の復活」に生きているようで、うれしいイースターです。
2005年03月28日
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主の御復活おめでとうございます。明るいイースター・サンデイ。今日は暖かく、教会まで歩いていけました。この日を待っていたかのように恋の歌を歌う真っ赤なカージナルを聞きながら数十分の道のりでした。聖堂は百合の花の香りが立ちこめてすがすがしい雰囲気です。女の子たちはイースター・ドレスを着てうれしそう。たくさんの人たちが交わすあいさつでにぎやかです。今日もグロリアが高らかに響きます。「イエスは私たちのために十字架にかかり死んだ。このことはよくわかっていますが、同時に、イエスは私たちのためによみがえりもしてくださったのです。なんとすばらしいことでしょうか。イエスのよみがえりによって私たちは新たにされることができるのです。主のよみがえりに私たちも生きましょう。」Fr.Joeのお話が心に響きました。世界中の人たちにおとずれた主の復活にアレルヤ!
2005年03月27日
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夜8時、皆会堂前に集まります。灯りは焚き火だけ。炎の祝福。過ぎ越しのキャンドルから火をともしつぎ司祭たちに続いて会堂へ。♪Christ our Light♪(R)Thanks be to God!司祭からいよいよイースター徹夜祭が始まることが伝えられると、キャンドルは吹き消され会堂は闇に。最も暗い一瞬を味わいます。その暗闇の中で聞く聖書は、創世記、出エジプト記、イザヤ書。世のはじめからの約束、暗闇に訪れる救いの光への期待が聞くものの心に広がってきます。そして栄光の賛歌。♪Glory to God in the highest, Sing! Glory to God!灯りがつけられまぶしい。クワイアの高らかな歌声に会衆も加わり、割れるようなグロリアです。ゴスペルはルカ24。「なぜ生きておられる方を死者の中に探すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」死から命へという劇的な変化の証人となった女たち。朗読を聞く私たちにも、彼女たちの驚き、喜びが伝わってきます。今日のお話は、最も暗いと思われたそのときに主は約束どおり復活されたこと。私たちの心に希望のともしびを持ち続けていきましょうと。続いて洗礼、堅信式。祭壇前に設置された洗礼用プールに、司祭様はひざまで浸かり、候補者ははひざまずいて、洗礼が授けられます。(プールの向こう側のふちにちょこんと置いてある白いものは、聖水をすくい頭に注ぎかけるためのアコヤ貝の殻です。)「In the name of the Father, of the Son and of the Holy Spirit.」洗礼が授けられるたびに会衆はアレルヤを歌います。新しく洗礼を受けた人たちを迎えるとともに、私たちも洗礼の恵みを再確認します。一人一人、聖水に手を触れ十字を切りました。続いて行われる堅信式は、今洗礼を受けた人と、すでに洗礼済みでカトリック教会にフル・コミュニオンを望む人たちを迎える式です。聖香油で額に十字を印してもらった彼らは、今日から聖体拝領ができます。喜びの中の聖体拝領。口の中で融けていく御聖体を味わいました。閉式「Christ is risen! Shout Hosanna!」イースターおめでとう!
2005年03月26日
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音楽も無く、司祭たちが入場し、祭壇の前で最大限の敬意を表す大平伏。体全部を床に伏せます。会衆はひざまずき、黙祷がしばらく続いた後、聖書朗読。答唄詩篇は31「父よ、命を御手にゆだねます」受難の朗読とお話の後、祈りは「のりと」や「声明」にも似た、イーブンソングで行われました。ひとつの祈りが終わるたびに、会衆はひざまずきます。普段とは違う、あらたまった祈りです。次に大きな十字架が運ばれてきます。会堂の通路、3箇所で3回、ひざまずき十字架を迎えます。ラテン語聖歌Crucem Tuamが流れる中、順番に十字架に近づき、主が十字架につけられたことを思います。お辞儀する人、ひざまずき十字架に触れる人。唇に触れた手で十字架に触れる人。キスする人・・・。いつまでもいつまでも、続くベネレーション。その後、昨日のミサで聖別してあった御聖体を拝領してサービスは終わります。無言の退場も、余韻を残して。
2005年03月25日
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教会典礼は最も沈痛な日を迎えています。祭壇の飾りは取り除かれむき出しのまま。バナーも、花もありません。一年のうち、今日一日だけ、ミサは行われません。今日は食を絶ち、教会での挨拶も、入場の歌も、行進もありません。私たちは、ただ、みことばと十字架の前に集い、悲しみに打ちひしがれます。今日はお昼から、グッドフライデイのサービス(礼拝)。主の受難を覚えます。
2005年03月25日
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苦しむ友へ・・・ゲセマネに伏す君に添いうす雲のかかる月夜を祈りつくして
2005年03月25日
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7時から小教区のミサへ。お互いにつかえあうことの大切さを知らせるために、イエスが弟子たちの足を洗ったこと、「師である私があなた方の足を洗ったのだから、あなた方も互いに足を洗い合わなければならない」といったことにちなみ、ミサ中、洗足の儀式があります。会堂の数箇所にたらいとお湯差が設置されていて、4人来られていた司祭が、それぞれ列の最初の12人の足を洗います。その後、信徒同士が順番に足を洗っていきます。私は列の3番目だったので、Fr.Markに足を洗っていただくことになりました。今年のお湯は着色されていて青い。くつを脱いだ片足にお湯を注いでもらい、タオルでぬぐっていただきました。司祭に洗っていただくなんて申し訳ないような気がして、イエスに足を洗ってもらった弟子たちの気持ちが少し分かるような気が・・・。(自分のほうが他に仕えないといけないのです!)ミサが終わると、会衆はラテン語聖歌Pange Linguaを歌いながら、地下へ降りていきます。その後、司祭たちが聖別されたパン(カトリックでは、マタイ26:26「これは私の体である」とのことばから、イエスそのものだと考えています)を地下に運び込んできます。地下には祈りの場所が設けられています。屏風式のスクリーンを奥にして、前に祭壇。祭壇の両脇に燭台。さらに手前にひざまずき台が2つ。聖体を祭壇において、全員ひざまずきます。お香がたかれ、甘く焦げたような不思議な香りが漂ってくる・・・。特に今夜、深く祈りたかった私は、ヴェールかぶってひざまずきました。(こちらでは誰もかぶっていないので少し勇気が要りましたが、日本のクリスチャンの人たちと通じ合いたいような気がして)「Stay with me, remain here with me, watch and pray, watch and pray・・・」といつまでも続く低く悲しげなリフレイン。司祭が退場した後も、皆祈りをささげます。私は10時過ぎに帰宅しましたが、今夜は深夜まで教会は開放されています。きっと今も、祈りがささげられていることでしょう。深夜までのアドレーション(礼拝)です。
2005年03月24日
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聖木曜日。午前中、カテドラルの聖香油ミサに行ってきました。教会の駐車場は車が一杯で停められず、道一本と何ブロックも離れたところに駐車。会堂に駆けつけたときにはもう人があふれんばかりでした。座るべくも無く、脇の通路の、それでも前のほうにすすんでいきました。背が低いので、後ろにいると何も見えなくなってしまいます。(^^;)そこへ司教様、たくさんの司祭、ディーコンが入場。この教区にはこんなに司祭がいるのかと驚きました。壇上には収まらずに、両脇の一角と、長いすにまで、真っ白い祭服がまぶしく映りました。小教区の主任司祭を見つけて喜んだりしていたら、アッシャー(案内の人)が私のほうに向って来ます。席があるので前に行ってください、と。他にもたくさん立っている人がいたのですが、私は連れがいなかったので、案内しやすかったのでしょうか。そして案内された席は、ずらりと並んだ司祭、ディーコンの隣でした!びっくり!ちょっと緊張しました。(司祭やディーコンだけが起立するときに、つられて私まで立ち上がってしまいそうでしたから・・・)でも、前から6,7列目だったので、ミサの流れやお話しする司教様の表情がよく見えてよかったです。たかれるお香の香りもすぐ漂ってきて清らかな気持ちになりました。聖書朗読の後、司祭たちの職務の確認と更新の儀式。それから、今後一年間に使われる聖香油の祝福と聖別です。(洗礼志願のとき、病気のとき、それから司祭叙階、堅信、洗礼のときに額に十字するための三種類の香油です。)ディーコンと7つの地域の代表者がガラスのかめになみなみ注がれたオイルを持って入場します。司教様は種類ごとに、祝福、聖別なさいました。あのオイルで、去年のイースターに堅信のしるしをいただいたのだなあとしみじみ。聖体拝領は、司教様からいただきました。昨年、これから堅信を受けカトリック教会に迎えられる私に、「おかえり、おかえり。あなたのうちに帰ってきたんだよ。そうでしょう?」と声をかけてくださったことも思い出されます。今日のお話の中で、司教様は、日曜ごとのミサの大切さと、御聖体はイエスそのものなのだということの神秘を、ユーモアを交えながらも力強く訴えておられました。「取って食べなさい。これは私の体である。」マタイ26:26それを思い、こうして御聖体をいただくことのできる恵みとイエスとつながっていられる喜びを味わいました。ミサが終わると、司祭同士の挨拶があちこちで取り交わされていてにぎやか。私は出口に立っておられた司教様と握手することができました。暖かく大きな手でした。会堂を出ると、外は暖か! 急に春らしいお昼です。賛美歌を口ずさみながら車まで歩きました。「joy」「gladness」「rejoice」この3つのことばをもってイースターを迎えましょうとおっしゃった司教様のことばを胸に。
2005年03月24日
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この日はかつて「スパイ・ウェンズデイ」と呼ばれたのだとか。ユダのたくらみがあらわになったことからだそうです。知りませんでした。30枚の銀貨と引き換えに師であるイエスを裏切ったユダは、まだイエスと食をともにしています。その気持ちはどんなだったでしょうか。また、すべてを知っていたイエスの気持ち、そして「あなたがたのうちの一人が私を裏切ろうとしている。」と言われた弟子たちの気持ちは、どんなだったでしょうか。
2005年03月23日
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バレエのレッスンの後、体は温まっているし、外もそれほど寒くはなくなってきているし、空を見上げながら駐車場へ。朧の月がうかんでいました。エンジンをちょっと温めている間、春の月見です。
2005年03月22日
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違うことばでできてる人の春の夢(ICF求道俳句投稿板のako虫さんの歌を読んで)春晴れて晴間はるけく晴れ晴れとさえずり渡る春の羽雀
2005年03月21日
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今日は棕櫚の聖日。教会の近くの広場に集まった会衆は、手に手に棕櫚の枝葉を持って「ホサンナ」の歌を歌いながら会堂に入っていきます。聖書の箇所は、棕櫚の枝を手にした人々に讃えられてエルサレムに入ったイエスが、捕らえられ、裁かれ、十字架につけられた場面。「イエスは、・・・息を引き取られた」の一節の後、皆ひざまずき黙祷をささげました。讃えられた者が見捨てらた者とされる・・・。私たちが主と仰ぐイエスは、人生のきわみを味わいつくします。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」そうイエスは十字架上で口にします。弟子たちだけでなく、神からも見捨てられたと苦しむイエス。イエスは民衆に見捨てられ、弟子たちにまで見捨てられました(abandonment)。そしてイエス自身は、そうした人々を赦し受け入れ、自身にまつわる一切(力や命)を自ら手放し(abandonment)、すすんで苦しみを受けました。そのイエスを神は栄光へと引き上げます。この価値の転換はキリスト教の最大のテーマではないでしょうか。栄光から見捨てられたイエスが、うち捨てられた場所から栄光へとよみがえる不思議。復活の喜び。すべてを味わいつくしたイエスだからこそ、私たちと一緒にいてくださり、私たちの人生を「よし」としてくださる・・・。聖週間に入りました。この「闇から光へ」「死から命へ」というテーマを心に過ごしたいと思います。
2005年03月20日
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白い赤ちゃん用のカーディガンが出来上がったので、次にすることは・・・と、思い立ってパッチワークを。今度は曲線を使ったデザインでハンド・ピーシング(手縫いはぎ)にしてみました。いつも無難に同系色を使ってしまいたくなります。紫系の3色をはいで見せたら、だんな君、「コントラストがない。」だって。う~ん、たしかに。普通の感覚ではぎょっとしてしまうくらいの色を入れないとはっきりしません。思い切って黄色と黄緑に赤黒いプリントをあわせてみました。絶対好きな色合わせじゃない。でも、はいでブロックにしてみると、けっこういいかも知れないと思いました。特にこちらの家は薄暗いので、コントラストがないとぼんやりしてしまいます。写真ではどう見えるかわかりませんが、UPしてみますね。夜の照明だとこんな風に見えるかな?
2005年03月19日
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いつまでもいつまでも降ります。雪です!もう積もりはしませんが、本当に疲れてきました。心から待ち遠しい、復活祭、春のはじまり!
2005年03月18日
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スタジオに入ったら、緑色の練習着やスカートがまぶしい。今日は聖パトリックの日。アイルランドの守護聖人、偉大な布教者のパトリックを記念する日。三つ葉のクローバー(シャムロック)や、緑色のものを身につけたりたりしてお祝いします。元はアイルランド系の人たちのお祭りですが、今では多くの人がお祝いしています。アイルランド系でもカトリックでもない人たちが、「今日はみんなアイルランド人!」と少し浮かれた気分も・・・。(^^)お店ではセール。一部のレストランでは緑色のものを身に着けていると、緑に着色された卵や、お酒を振舞ってもらえるとか。新聞には伝統的なアイルランド料理のキャベツとコーンド・ビーフのお料理が紹介されていました。バレエの先生は、ものすごくシリアスな顔をして「今日の運転は注意しなきゃだめよ!ばか者たちが高速をジグザグ運転していたんだから!」と叫んでいました。笑って聞いていたけれど、帰りの道は夜なのに混んでいて、本当に人が出ているんだ!と思いました。(^^)
2005年03月17日
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なぜかここのところ、心がそぞろです。春になるせいなのか、忙しくなってきたからか、家族や友達に起こる出来事への心配からか。じっとしていることができなくて、掃除をしたり、思い立ってキルトのピースワークをはじめたり。作業をしながら、思いが祈りにつながっていけば良いなと思っています。
2005年03月16日
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メキシコ出身作家の小説。夫に死なれ、娘まで失ったエスペランツァのオーブンの窓に聖ユダ・タデオが出現し「娘は死んでいない」と告げます。エスペランツァは聖人の像や祈りのカードを納めた箱を手に、メキシコの小さな村から、ティファナ、サン・ディエゴ、ロス・アンゼルスへと娘を探す旅へ。道中、手に入れた聖人たちの像やカードやキャンドルで、箱はどんどん重くなっいきます。果たして娘はお告げどおりに見つけることができるのか・・・。休み休み読んでいたのがやっと読み終わりました。神父への告白は、よく小説で使われる手法ですが、この作品にもふんだんに取り入れられていておもしろい。キャンドルや祈りや教会の様子や鮮やかな色彩・・・。宗教的なイメージがたくさん出てくるのも、メキシカンテイスト小説の興味深いところです。カリフォルニア南部の英語とスペイン語が混在している雑多な雰囲気も楽しめます。周囲の困惑や無理解を意に介せず、自分の道を突き進んでいくエスペランツァに、友人を重ねながら読みました。(著者:Maria Amporo Escandon)
2005年03月15日
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赤ちゃん用の白いカーディガン、パーツが編みあがり、裾と袖口にゴム編をつけて、前後身頃をはぎ合わせました。あとは袖を筒にして身頃に綴じ付けて、襟、前立てを編みつければ出来上がり。今回は模様も覚えて楽でした。小さいものはすぐできるから達成感が味わえて良いですね。落ち着きのない私は、針と糸を持たせておけば、静かにしていられます。精神衛生の上でも良いみたい。
2005年03月14日
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5月第一週まで、日曜の11時から1時までのリハーサルが入りました。(ミサはしばらく土曜日の夕ミサが日曜夜に行くことに。)今日はダンサーの顔合わせ。私とパートナーを組むのは同じバレエのクラスをとっているジムくん。他にもう一組。このモダンダンスのピースは、ギリシャ劇の間に挿入されるものです。劇のコーラスはそのまま舞台上にとどまり、一緒に演技をします。ハルシオンの役をもらいました。冬に水の上に巣を作るという伝説の鳥で、混沌としたところに静けさをもたらすのだとか・・・。そんな役ができるのか、不安になってきました。フラミンゴ役の子は本当にフラミンゴみたいに足が長くて細い!私はキウイみたいなので劣等感一杯ですが、演技力はあるほうなのでそれでカバーするしかなさそうです。リフト、はじめてだったのでタイミングが合わず、相手の子に迷惑をかけました。落ち込むなあ・・・。人とあわせるのがだめなんだ。それに、減量しないと、ジム君の腰が悪くなる・・・。
2005年03月13日
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聖堂を入ってすぐの柱に、聖香油の飾り棚があります。この飾り棚をみるたびに聖香油で額に十字をしるしてもらった去年のイースターのことを思い出します。すがすがしい香りに包まれた日、オイルを押さえたハンカチには今も香りが残っています。
2005年03月12日
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「3月は一番つらい。体がもう春だと思っているのに、外は違う」とはテキサス出身の人。一日おきに雪が降っています。それでも晴間が見えれば日差しだけは春。(たとえ真冬日でも・・・TT)とんがり帽子をかぶった真っ赤なカージナルは、確かに春の歌を歌っています。このカージナル、調べてみたら和名は「紅冠鳥」。英名Cardinalは、カトリックの枢機卿(カージナル)が赤い帽子と服を着ているところからきたのでしょうか。姿も声も美しいカージナル、木につるした餌を食べにきては目を楽しませてくれます。カージナル(ICF求道俳句板へ投稿)
2005年03月11日
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夕べ降り始めた雪の勢いはすごかったので、ちょっとうんざりしていました。けれど、目覚めたらうっすらと雪化粧。春分も近くなり、日ざしはやはり春のものですから、雪に映って美しい。
2005年03月10日
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水曜日は予定が詰まっているのですが、急にだんな君の同僚夫婦&娘さんとの食事も入りました。本当は心配事があって夜は静かに過ごしたいと思っていたのですが、11歳になる娘さんがさかんに話しかけてくることがなんとも無邪気で心が洗われるようでした。「来年になったらベビーシッターの講座を受けるんだ。いうの子供のベビーシットをしてあげるから早く生んで」とか。「何人欲しい?」と聞くので、「なんで?」と聞き返したら、「友達が弟を売りに出してる(!)」と答えたり!「いくらなの?」「ただ」「ただ?!じゃあ売るんじゃなくって、あげるんだ。」「だって、弟はいじわるだから」とのこと。しばらくそういった会話を楽しみました。天使は、こういう子を通して小さなプレゼントをくれるんだな、と思う夜。
2005年03月09日
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心がそぞろ。そんなときには黙々と作業をするのがいいみたいです。今度は白い糸で赤ちゃんのカーディガンを。後ろ身頃が編みあがりました。簡単なアラン模様が入っているので、一段ずつ伸びていく縄編が楽しいです。アラン模様は、アイルランドの西、アラン島の漁師の妻たちが漁に出る夫の無事を祈りつつ仕上げたセーターに編みこまれた模様です。びっちりと模様の入ったアラン・セーターは、夫たちを暖かく包んだことでしょう。今日は、模様に込められた祈りを思いながら、せっせと針を動かしています。
2005年03月08日
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「ねこに告白~トホホ話」に「十字架のつもりが・・・」、「ねことかしこむ~心にある人」の「支倉常長」のページに常長の墓の写真UP。
2005年03月08日
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春朧と言うにはまだまだ寒いのですが、ICFの俳句投稿版のある人(その人のファンです)の句を読んで浮かびました。友人の近況報告がぽつぽつと入ってくる季節。新たな転機を迎えている友のために祈ります。
2005年03月07日
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代母さんとカテドラルの祈りの会へ。ひざまずいて手を合わせているとおのずと心も祈りへと整えられていくようです。プログラムはマリアの賛歌や詩篇からの交読とラテン語聖歌を織り交ぜ、静かに進んでいきました。司祭のお話(通常のミサよりもだいぶ長かったと思います)の後、再び交読、歌。静かな祈りの会でした。その後、簡単なスープとパンの夕食会に誘われました。持ち寄りのスープが何種類も。各小教区の情報交換をしたり、最近読んだ本の話など、おしゃべりも楽しかった。来週も来るでしょう?と誘われたり・・・。(^^)飛び入りなのに温かく迎えてくださってうれしかったです。よい祈りと交わりのときがもてました。
2005年03月06日
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編み物の好きなところは、いろんなことをボーッと考えていられること。いつまでも続く一本の糸をたぐりながら、なんていうか、瞑想的な世界に入っていくような・・・。今日は赤ちゃんの胴着を結び紐を残して仕上げました。(紐はプレゼントする赤ちゃんが男の子か女の子で付け位置が変わってくるので。)すかし編の入った簡単なパターンです。あっという間。縁編は鉤針編みでピコットをつけながら。ただ、編地に比べてふち編が固いのがなじまない感じです。けれどもお母さん方の意見によると、ちょっと着せられるようなベストがとても便利と聞いたのでよしとしよう。(^^;)ヘヘ。カジュアルなもの、ということで・・・。
2005年03月06日
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ボタン付けだけ残しておいたカーディガンを完成させました。これはだんな君の同僚の赤ちゃんのところに行きます。私の友人も妊娠したことがわかりました。周りはベイビーブーム。次はどんなものを作ろうかなと本をめくりながら楽しい計画を立てています。
2005年03月05日
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みちのくのたたらいぶきの繰り返す聖き祈りの響き残れり昭和48年、岩手県との県境近く、宮城県東和町で林業作業中に、杉の根元にやっとくぐれるほどの穴が開いているのが発見されました。入ってみると中は意外に広い人口の洞窟でした。調査の結果、最深部には2段になった祭壇、壁には鉄釘の残るろうそく立ての穴が確認され、キリシタン遺跡であることがわかりました。この地方には製鉄業とともにキリスト教が伝わったという伝説があります。鉄を溶かすために「たたら(フイゴ)」を休みなく踏むときに、「ある唱えごとをすると鉄が速く溶ける」と祈っていたのだそうです。それはキリスト教の祈りだったとされています。江戸時代寛永年間に入ってから、岩手県側の大籠地区で300人、東和町で120人の殉教者を出したということですから、製鉄業の興隆とともにかなりの信者数になっていたものと考えられます。迫害の嵐が迫った頃、信者たちが必死の思いでこの洞窟を掘り祭壇を築いたのかと思うと、なんとも言えない思いがします。洞窟の奥は、人が二人やっと並べる程度。水成岩の層うまく利用してはがした祭壇も天井も壁もつるつると磨かれたように光っています。ろうそくの明かりをともして真剣に祈っていた彼らの祈りがこの洞窟に響いていたのですね。
2005年03月04日
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雪に日差しがまぶしい!気温は低くて外に出ると身を切るようですが、それも気持ち良い明るい日です。午前中は友人に頼まれて布の見立て。帰りにアンティーク・ショップをいくつか案内してもらいました。古いレース編やキルト類にばかり目がいってしまう。50年代くらいの、ジャクリーンがよくかぶっていたような帽子もいくつかあって、作れそうだな、とじっくり観察。それに60年代の細身で明るい茶色ウールのワンピース。襟元と袖口と裾に、波型のリボンが何本も縫い付けてあってシンプルでかわいい。値段は20ドルだったのでちょっとぐらっときたのですが、あきらめました。目の保養のみに努めて帰宅。夜は、私の若い友達(小4)の学校のお芝居に行ってきました。ミュージカルで、ロッキー・ホラー・ショーのような感じ。本当はかわいい女の子役が欲しかった彼女。がんばったオーディションの後、「あなたにはもっと大きな役がある」と先生に言われてみたら、おばあさん役。狂った科学者の友人で、召使に杖を振り上げる怖い役でした。それでも相方の科学者が憧れの男の子でいつもその話を聞かされていました。小さなアクター達の歌や踊りに、お客さんのお父さんお母さんがやんやの喝采。大成功。とても楽しいおしばいでした。遅く帰ってきてから、だんな君がシャンペンを開けてくれました。今日は私の誕生日だったのです。(^^)
2005年03月03日
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代母さんが、司教区とトラブルを起こしてしまいました。夕べ事の顛末を電話で一時間以上にわたって聞きました。代母さんは、正直で誠実。気持ちをまっすぐに伝えたところから誤解が生じたのだと思います。10日くらい前に何事かあったことはわかったのですが、そのときはまだ言えない状態だったようです。気持ちの整理が付いたからと打ち明けてくれたのですが、私ははただ聞く事しかできませんでした。どうぞ代母さんの傷がいやされて、ことが解決しますように。祈ることしかできません。
2005年03月02日
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仙台司教区ニュースで、2月27日に仙台キリシタン殉教祭が行われたと知りました。仙台キリシタン殉教祭比較的キリシタン迫害が緩やかだった仙台藩ですが、江戸の大殉教をきっかけに本格的な取締りが始まったのは元和9年(1623年)。水沢で捕らえられたカルバリオ神父ら9名は仙台に送られ、大晦日(1624年2月18日)の冷たい広瀬川につけられました。3時間後引き上げられたときには二人が帰天。明けて正月4日、再び凍てつく川につけられ、残る七人も帰天。信徒たちを励まし、祝福を与え続けたカルバリオ神父が最後に息を引き取りました。殉教者の像は、大橋たもとの公園にひっそりと立ち、川の流れと橋を行く人々を見つめています。中央はカルバリオ神父。左右にはともに殉教していった農民、侍を象徴する人物像。信仰を貫いた彼らの息吹が力強く感じられます。同じものが仙台司教座、元寺小路教会の会堂2階にあります。
2005年03月01日
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弥生三月生まれ月春は名のみの雪が舞う淡く白くに覆われば次の月には明るかろ・・・
2005年03月01日
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