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今日はキルトの日でした。今日来たのはピアノの先生。日本人でユダヤ人。(^^)それでお互い結構宗教の話などもするのですが、「今朝も(ミサ)行ってきたの?」と聞かれました。「うん。8月行くって思い立って、今日は31日で満願。」って言ったら、「『満願』ってアナタ!」(^o^;)/私もおかしくなって笑ってしまいました。(^^)『満願』なんてきっと初めて自分の口から出た言葉だと思うけど、一応使い方合ってたような?気がするし、とっさに出たのがおもしろかった。そして、それをまた、瞬時に理解してくれて「アナタ、クリスチャンで『満願』って!」と面白がってくれる友人のいる、ああこの喜びよ!(これを英語で言おうとするとね、ややこしやぁ~、あ、ややこしやぁ)
2005年08月31日
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線一本引く秋冷や歩を進む今朝の空気は明らかに違いました。気がつけばチャペルを出た庭の、ハートの形をした木の葉が黄色に変わっています。こんなにもくっきり季節が変わっていくのは怖いような気もします。今日のお話は、熱で苦しむペテロの姑を癒す場面。「熱を叱りつけられると・・・」っていうところ、夕べ読んだときに少し笑ってしまったのですよね。「『熱を叱る』ってそんな(^_^)」って。「イエス、かわいい」とか不謹慎にも思っていました。でも、今朝の神父さんの話を聞いて、そんな不謹慎な?思いを恥ずかしく思いました。たくさんの病人が連れてこられたとき「その一人一人に手を置いて」癒すイエス。それは慈しみの表れだというのです。きちんとあなたに向ってくれるのですよ、と。考えればそうですよね、たくさん連れてこられて「じゃ、まとめて」ってできないこともなかったわけなのに「一人一人に手を置」いてくださった。「あら、ちょい、ちょい!」じゃなくて、「ひとりひとり」。さらっと読んでいたのが恥ずかしかったです。私だけに向ってくれるそのために、イエスは来てくれたんだなぁ・・・。「神父さん、教えてくれてありがとう!」(あれ?五七五だ!(^^;))だから「熱を叱る」のも、ペテロの姑だけのためにしてくださったんですよねー。イエスが今、目の前に来てくれたら私のなにを叱っていやしてくれるかな・・・。「怠惰」「傲慢」「そそっかしさ」「ぉ軽さ」・・・orz (^o^;;)・・・ともあれ、八月中守られて朝ミサに通うことができました。本当に感謝すべきことだなあと思います。朝の時間を静かに過ごし、いろんなことに気付けたような気がします。句もいろいろできました。気持ちとしては、夏休みの朝のラジオ体操みたいに首からカードをぶら下げて行って、はんこをついてもらっているような・・・。ミサの後、お年を召した神父さんが、はんこに「はあっ、はあっ」っと息を吹きかけ吹きかけ、欄を確かめながら押してくださるのを何度となく想像して笑っちゃいました。んでそのはんこ、丸に「デイヴ」とか書いてある・・・(^^)景品は、なんだかたくさんもらえたような気がしています。(^^)(ミサに行くという行為そのものが大事だったんじゃなくて、日々の福音箇所を深く思うこと、聖人の生涯に学ぶこと、祈ること、特にロザリオを繰ること、そういったことがよかったと思っています。(^^))
2005年08月31日
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後で気付いたのですが、下で紹介したファーザー・ボブのフランス巡礼の記事、一番下の行にもっと写真を見たい人はここをクリックしてね、というところがあります。そこをクリックすると、さらに、テレーズの生家、アランソンの家、テレーズが生まれて母ゼリーが亡くなったベッド、洗礼服、洗礼盤、テレーズに微笑みかけた聖母像(本物と寝室に設置されたコピー)、玩具、椅子、テレーズのバジリカの見事なモザイク画、聖遺物(大たい骨)など、さらには、カタリーナ・ラブレとビンセント・デ・ポールのご遺体の写真も見ることができます。
2005年08月30日
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杯に無明預けて六夜待ち照らされて二十六夜の闇くきり二十六夜は傾きて闇を抱く傾ける月杯に干す無明若い声が後ろから聞こえると思ったら、昨日のシスター3人が後ろの列に座っていました。平和の挨拶、こちらは「主の平和」で合掌お辞儀のところ、「Peace be with you.」と言いながら握手をするのです。握手ができてうれしかった(^^)♪8月ももう終わりになりますね。こちら朝ミサが始まる前はまだ夜が明けず真っ暗です。今日は月が杯みたいに傾いて自分の影をたたえていました。照らされて影までがくっきりしている。今日の福音書を思いました。チャペルを出るとうっすら夜が明けてきています。雲がしいて月は隠れていました。
2005年08月30日
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私のよく行く「小さき花の会」というテレーズのサイトに、ボブ神父のフランス巡礼の記事がありました。その中にテレーズ関係の写真がUPされていました。(^o^)!テレーズの生まれたアランソンのチャペルでのミサ風景、跪いたお父さんから最後の祝福を受けたテレーズがそこから入っていったというリュジューのカルメル修道会のドア(Fr.Bobが跪いている)、テレーズの着ていたドレスや遊んでいた玩具が保存された部屋。そんなに大きな写真ではないのですが、雰囲気はよくわかります。(^^)The Society of the Little Flower Fr.Bob's Pilgrimage
2005年08月29日
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明けぬ夜の聖者いたみて草の露2年前、死海文書の展示を見ました。当時死海文書の展示は米国各地が候補地に挙がっていたのですが、911の影響で「テロの恐れあり!」とイスラエルが文書と資料を貸し出しませんでした。何しろ国の宝ですもんね。米国内たった2箇所だけに、田舎でテロの心配が少ないという理由から(!)展示のOKが出ました。その一つが家から2時間くらいの博物館だったのです。1947年、迷った羊を探していた二人の少年が偶然洞窟に見つけたつぼ。その中に死海文書が発見されました。イエスが生きていた頃の文書発見とあって当時は大騒ぎだったそうです。その付近に発見された修道院跡がクムラン。クムラン修院では、神秘主義、禁欲主義、入門者への洗礼の存在があり、洗礼者ヨハネがその影響を強く受けたと考えられています。展示室には、クムランの様子がよくわかるように、荒涼とした岩山の写真、生きるものを寄せ付けない死海の景色、修道院から発掘された食器や道具類、だれが履いたのだろうサンダルの皮底、文書の入っていたつぼ等が展示されていました。文書は2000年を経て痛みがひどく、粉々になったかけらを継ぎ合わせる作業が今も続いているとか。なかなか内容が発表されなかったために、公表できない事実が書かれているのではと憶測を生むことにもなってしまったそうです。(日本でも、アニメ、エヴァンゲリオンのなかで(なんだかなー)という形でしたがつかわれていましたよね。なぞめいた終末論的な雰囲気がそうさせたのでしょうね。)作業の様子の写真や粉々の文書のかけらを見ると、これは並大抵のことではありません。きっと私たちの生きている間に終わるようなものではないでしょう。修道院の規律の一部などが書かれていましたが、なんとも厳しいもの。「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物として」聞く人々が震え上がるような説教をしたヨハネを思うと、きっとこのような厳しい生活をしていたのだろうと納得できるのでした。当時のエッセネ派、終末論、洗礼者ヨハネのことを知るのにとても良い展示でした。一生に一度の機会だからと行ってみて良かったです。さて、ヨハネは自分が救い主だというようなことは言いませんでした。救い主は後から来る、と。イエスに洗礼を施したヨハネは、その後、ヘロデ王を告発したことから牢に入れられます。ヨハネを憎んだ王の妻ヘロディアが娘サロメの踊りの褒美として首を望み、ヨハネは斬首されたと聖書には書いてあります。これはオスカー・ワイルドが妖しく美しい戯曲にしていて興味深いですね。(一幕悲劇「サロメ」)悔改めを説いた殉教者。洗礼者ヨハネの力強い声は、イエスの愛の生涯の前触れとして今も響いています。今朝のミサ、神父様の祭服は殉教者を覚えるための赤。若いシスター3人が出席していました。(やはり先日の小さなレンガの建物は今も修道院なのでしょうか。)ミサの後、ロザリオを終えて見上げてみると、シスター方はまだ座っていました。チャペル正面のモザイクを見つめておられたり、なにかプリントを読んでおられたりとそれぞれ。月曜日はミサの後すぐにお掃除があって掃除機の轟音の中の黙想やロザリオとなるのですが、今日はシスターがいたからか、お掃除の人も遠慮したようです。ロザリオの間は静かにしておいてくれました。(^^)
2005年08月29日
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ここ2,3日コンピューターの動作が遅くなりました。バイルススキャンをかけても途中で止まってしまったりでだんな君があれこれしていたら、急に「空白」に!もしかしてデータが消える?と思ったらぞっとしました。自分のものなどは良いとして、知人のメールアドレスや旅行の写真の未整理分など・・・。「こういうときのためにバックアップを取っておかないといけないんだよ」と怒られてしまいました。(TT)だんな君が長時間にわたり格闘した結果、運良く消えていないことがわかりほっとしました。よかった。日曜日をつぶさせてしまってごめん・・・。明日からデータの整理をします。(TvT)
2005年08月28日
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朝ミサ。週末は8時からです。いつも6時半からなので、なんだか勘違いをして7時半に間に合うようにいってしまいました。(頭の中では「今日は8時から」とわかっていたのにね。寝ぼけてる。)チャペルに入ると神父さんがお一人でロザリオをしておられました。私もロザリオ。その後、神父さんは目を閉じて座っておられ、時間になると席を立って準備に向いました。この神父さんはプロテスタントから転会してこられ今年神父さんになられた方です。ミサの前と後に、その日の聖人のお話や短い指針などを話して下さいます。今日は聖モニカの日。家族、とりわけ息子のために祈り続けた聖人。神父さんはモニカの指導者だった聖アンブロジオの「たくさんの涙を流すことになった子供がかいなくなるようなことがありましょうか」という言葉をひいて、祈り続けることの大切さをおっしゃっていました。また、モニカの生涯を通して、マリアのイエスへの愛に思いをはせましょうとも。朝ミサから戻ると8時半過ぎ。お客さんはもう起きてシャワーも使って準備OK。だんな君はゆうべも遅かったのでまだ寝てる。飛行機の時間があるので、だんな君を起こして3人でコーヒー。もう帰っちゃうの!という感じでした。楽しかった。今度仕事とアパート探しにこちらに来るのは11月とか。「またうちにきてね」とお願いしました。彼のほうも「モントリオールに来てね」と。「でも、冬はよしたほうがいいかも」って。こっちも冬はそうだから笑っちゃいました。
2005年08月27日
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魚が大丈夫だというので、マグロのサイコロステーキにしてみました。お客さん、一口食べて「これ、おいしい!」って。「魚はくさいからっていう人がいるけど、これだったらだれでも大丈夫だ」付け合せは、サラダにオリーブスライスをかけたもの。スープは、みそがどうかわからなかったので普通のチキン味にして、具は、ラピーニ(苦味のあるブロッコリの花のようなやさい)とワカメとゴマ。それからちし寿司。後はだんな君が外で買ってきた生春巻きでした。テーブルいっぱいで華やか。(めずらしい!(^^;))今日はまあまあの出来でうれしかった。(^^)お客さんはとても面白い人。あちこちの料理の話をしてくれました。キューバでは政変以来料理の伝統が絶たれてしまっていること。イギリスの料理のひどさ。ハンガリー系の結婚式ででた野生の生き物の焼肉の激しい味、好きな韓国料理、などなど。私が朝ミサに行っていることを知り、「ローマン・カトリックだよね。絵が飾ってあるから、そうかなと思ってたけど、僕のパートナーもそうだよ」と教えてくれました。「もっとも、アフリカン・キューバンの色が濃くって、いろいろ変わったところがあるみたいだけど」と。例えば、聖パウロの日に土地の聖人(?)をいっしょに祝うようなことがあるそうです。「習慣を取り入れたのかな」と言ったら、「そう」とのこと。興味あります。いろいろ聞いてみたい。「こっちに来たら彼と一緒にミサに出れば良いね」とだんなくん。そんなことができればいいなあ。二人でいっしょに来てくれる日が楽しみです。ただ、お客さんはカナダ市民でアメリカ滞在ビザは就労ビザ。パートナーを呼ぶビザが取れません。アメリカは男女間の婚姻しか認めていないので、何かと障害があります。いろいろ考えさせられました。
2005年08月26日
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朝ミサへ元気よく。お客さんは朝ごはんを食べない人でした。コーヒーだけ。だんな君はまだ寝ていたので、猫のことやカナダのことなど話す。だんな君、後から起きてくる。この辺の人の雰囲気、職場の様子など、お客さんと話す。お客さんはキューバ系のカナダ人。「昨日、白人のカナダ人が来るのかと思ったわ、とか言われてびっくりしたよー」って笑ってた。彼の名前は、聞いただけだと普通のポピュラーネーム。カナダ人って言えば、無意識に白人を想定するんでしょうね。だんな君と私、笑ってしまいました。私はアジア人、だんな君は黒人で、3人とも白人じゃないので、こんな話ができます。なんといっても白人ばっかりの中西部。皆親切なんだけど、やっぱりわかってないなー、ってとこもある。その辺の話はやはり有色人同士だと気軽に話せますもんね。「『アフリカン・アメリカン』って言われるのどう思う?」「僕は違うっていうな。だってキューバ系だし」「うん。僕も違和感を感じる。文化的には切り離されてるからね・・・」二人はそんな話をしていました。お客さんは、お昼から自分のオフィスを整えたり人と合うために職場へ。ミーティングをかねた夕食の後、ボスに送ってもらってうちまで帰ってきました。ちょうど私は庭に出ていたので挨拶。ボスもお誘いして、お茶になりました。ボス、しゃべるしゃべる! 地域のこと、人事のこと、数年前にいたとんでもない秘書のこと。「・・・。だから私は裁判になっても良いからって彼女を解雇したのよ!」(@v@;)・・・。いつも感じるんだけど、アメリカ人って夫婦単位でお付き合いするから、どっちかの職場の人たちと一緒ってパターンが多いのだけど、どう思ってるんだろう、こういう時。はっきりいって、相槌も打ちづらいし、適当なことしかいえないし。(話を聞いている分には人間観察にもなって面白いと、最近は開き直っているからいいのですけど。アメリカに来て最もなじめなかったこの夫婦単位のお付き合いのパターン、職場の話オンリーになったときの居心地の悪さよ・・・。といいつつ面白かったのでずっと笑ってたんですけどね。)お茶とケーキで楽しい時間(^^;)を送って、彼女が帰った後、だんな君とお客さんが顔を見合わせて笑ってたのがおかしかった。・・・そんなことしていたら、花壇に水をやるのを忘れていたー!!!ごめんよ、花たち・・・。
2005年08月25日
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朝ミサ。今日はバーソーロミューの日。ロザリオ一環。帰りに朝市で小さな花を買って帰って来ました。今日からしばらくお客さんが滞在することになりました。だんな君の職場に1月から採用になった人が会議に来ているとか。ホテルを取っていたとかで、だんな君が見かねてうちに呼ぶことに。じゃあ掃除をしようと昨日の朝までは思っていたのですが、結局ぐずぐずしてバスルームしか掃除していません。今日の午前中にと思ったら、今日は9時半から、地域の日本の子供たちのためのキルト作りが、うちであったのでした。夏休みが入ったのですっかり忘れていました。いいや(^^;)、ということで半ば開き直っています。リビングにはキルトトップと道具が広げてあるし、テーブルの上は本が積み重なっていて、台所は品物が点々と置いてあり、猫は家中を転げまわっているのです。こういう私たちなんですよー、ってことで・・・。(^_^);・・・。ごめん・・・。
2005年08月24日
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だんな君の日本語のほうが私の英語よりもずっと上手なので、日本語のほうをよく使っています。昨日、夕方になりかかった頃、そろそろごはんかなー、と(だんな君は不規則なので、食事の時間はいつもばらばらなのです)「ごはんいつにする?」とたずねました。すると、「いつでもいい」。「そっか」と判断。普通の人の晩御飯の時間までにはまだ間があるし、しばらくあれこれしておこうと違うことをし始めました。が、ふと振り返ると、だんな君がおなかに手を当てて困った顔をしながらぽつんと立っている!「どうしたの?!」「おなかがすいた・・・」「だって、さっき『いつでもいい』って言わなかった?」「言った・・・」「え?」「もう食べられる」「・・・。ちょっと待って。『いつでもいい』って『今じゃなくていい』って意味だと思うんだけど?」「違う。『もう食べられる』という意味。」「えー。そういう意味だとは知らなかったよ!」びっくりしました。そのうち自分でも不安になってきちゃったのですが、皆さんだったら「いつでもいい」って言われたらどう対処していたと思いますか?「ねえ、じゃあ、私、結婚以来、ずっとこういう対応をしてきたと思うのだけど、どう思ってたの?」「うん。イウは意地悪だと思ってた」「なにそれー!\(^∧^;)/」8年間、夫に空腹を感じさせ続けた妻です。(^^;;)・・・否定の表現が豊かだったり、否定的感覚が多く用いられる日本だということはわかっていました。でもだんな君の言う「いつでもいい」って、日本語だったし、無意識で感じたとおりに行動していました。英語の「いつでもanytime」が「もうOK!」という積極的な意味合いなんだってことは、英語で言われてみて初めてわかること。なまじ日本語で話していただけに・・・。この話を、やはりこっちで結婚した友人にしたら、「そうでしょー。だからうちなんてもう英語でしゃべってくれって頼んでるの。だって行き違いが多くてね。」「そういうもんですかね?」「そうよー。いらいらしてやってらんないわよ」「そうか。じゃ、英語で話せば、ストレスは減るかぁ。」「うん。でも根本的な問題が解決するわけじゃ全くないんだけどね」「そ、その通りですね・・・。」わはは!と二人笑ったのですが、心は微妙。「アメリカ人夫に突然離婚を切り出され・・・」ってのはよく聞くけど、「突然」じゃないんだよね・・・。(´v`ヾ)・・・。
2005年08月23日
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修服や秋澄む乙女の祈る朝テレジアのバラに差す日や秋の朝前の席に、黒いベールに水色の修道服、すらりと背の高いシスターが座りました。拝領のときにちらりとお顔を見たら、まだ少女のような面立ち。ミサの後、久しぶりに会ったのか神父さんと挨拶を交わし、召命について話しているのが聞こえてきました。最近は修道服着用の修道会が少なくなったのでしょうか。アメリカで修道服のシスターを見かけることはあまりありません。久しぶりの修道服姿のシスターに、全てをささげて修道生活を送っているのだなーと感動。帰り道、ずっと気になっていた隣の建物に行ってみました。マリアとヨセフの像があるのには気づいていましたが、マリア像が二つも?と。近づいてみたら、ひとつはテレーズでした。道からは少し奥にあるので今までわからなかったのです。下にはプレートがつけてあって、「○○修道院」と書いてあります。知りませんでした。今もここに修道会があるのでしょうか。小さなレンガ造りの建物なのです。写真を撮らせていただいて朝の探検を終え、帰宅しました。
2005年08月22日
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行き合わす喧嘩にそらすぎぼしの目立ち尽くす男は知らぬざくろの実
2005年08月21日
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投げかける夏木の影や夕陽入る道真直ぐ流るる木々の葉月かな昨日、ちょっと遠くの日系スーパーまで行ってきました。隣の文房具&レンタルビデオ店に、ほんの小さな日本語の本のコーナーがあるのですけど・・・はらだたしきもの古書店に読みたき本の下巻のみ (`ヘ´#)/!イライラ
2005年08月21日
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カナダから来る風とか涼新た昨日今日と気温が低くなりました。北から寒気が流れ込んでいるそうです。昼間はまだまだ暑いのですが、季節は確実に秋に向っていっているのですねー。
2005年08月21日
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きりぎりす男だったらいいものを
2005年08月20日
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先日、日本人の友達と集まったとき、話が宗教のことになりました。きっかけは、ホームスクールをやっている人が評判の熱心なクリスチャン、というところからだったのですが、「世の中の価値観に子供をさらしたくない」という理由でやっているそうだというところからスタートしました。それから、どうしてクリスチャンって・・・、という風に話は進んでいったのですが、4人とも、多かれ少なかれ、何らかのネガティブな印象を持っているのでした。その原因は、怖い看板だったり、恐怖をあおるような街頭布教だったり、知人のクリスチャンのエキセントリックな行動(←これが一番強烈なようです。)やら、アメリカで声高なキリスト教右派だったり、エホバやモルモンの訪問、統一協会もその数に入っているのでした。(^^;)こういう話になるときは、後で一緒にいる人が気まずい思いをしたらいやだから、「クリスチャンなのね、」って早い段階で言っておきます。(^^;)(それから、家が、仏教の一派の熱心な信徒団体、ということも言っておきます。こっちのほうもよく話題になるので。)そう言うと、一瞬警戒の色が見えるのですが(^^;)、私は結構ボーっとしているので、そんなに場を固まらせることもない・・・と、本人は思っているのですが、実際はどうなんでしょうね・・・? (-v-ll)アヤシイ・・・ただ、友達は「そういう教えだから、こうこう・・・」なんて言ったりしています。明らかな誤解には、説明しました(エホバやモルモンや統一協会や、アメリカのバイブルベルトのことなど)。まあ、それはおいておいて、友達の個人的に遭遇したいろいろを聞いていると、「うーん」と考え込んでしまいます。なんていうか、私からすると、キリスト教だからというよりは、その知り合い個人の問題が大きいような気もするのですが、聞いていると「ありそー!(^^;)」と私自身納得して笑ってしまうのもあって・・・。きっとその人は、キリスト教徒はこうあるべきだと思ってそういう行動にでたんだろうな、とうかがえたりして。「自分が正しいと思っているんだよね」「広めなきゃいけないと思ってる」そういう言葉もありました。信者になりたての学生だった頃、少なからずそういう印象を人に与えていたはずの私なので、ギクリ(^_^;;)ギクリ、と反省しきり。まあ、信者なら一応は信じてるわけで(^^;)伝えていくということもよく考えたらしていかないといけないことなんですが、問題はそこじゃありませんよね。「正しいんだ、って態度」「布教してくる」、そういう印象しか与えていないのが問題なんじゃないかな。そういうことを考えて、なんとなーく、日本人にとってのキリスト教の未来を心配してしまったりして。とはいえ、その後、上で触れた仏教の信徒団体に話題が及ぶと、そちらのほうが盛り上がってしまってキリスト教のことは忘れ去られてしまったのですが・・・(^^;)「よくわかったー!おもしろかったー」と、この方面に強い私、少しは役に立ったのでした。
2005年08月20日
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食欲不振ですっかりやせてしまった黒猫ハチくん、病院でもらってきた薬が効いてきたのか、少しずつ缶フードを食べ始めました。よかった!いっぺんに食べられないので、小分けにして少しずつ食べさせているのですが、お皿にもっておいた餌が減っていると、こっちがうれしくなります。午後、お皿を見たらほとんど食べている!やった!「ハチ~、がんばったね。よく食べたね。もっと?」ハチは思案顔。「ハチ?ご飯食べる?」「ご飯」という言葉はわかっているし、食べたいときは「にゃぁ」と鳴いて尻尾をキッと立てながら足元にスーッとまつわりつくのですが、ハチまだ思案中。私、声を大きくして、「ご飯食べる? ん?どうするの? ご飯どうする?」とハチに迫りました。すると、向こうの部屋から「うーん、パスタなら食べられるかなぁ!(・∀・)」と、だんな君の声が!!私 ( ゚ ▽ ゚ ll)・・・。 Λ Λハチ ( ゚ ▽ ゚ ll)・・・。黙ってパスタを作って出しました。ハチに話しかけてたというのは秘密・・・。 「・・・やれやれ・・・」
2005年08月20日
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子なければ口をつぐめりきりぎりす
2005年08月19日
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テゼの祈りのブラザー・ロジェが殺されたというニュースに驚きました。うそだと思って何度も確かめてしまいました。もう90におなりだったのですね。今までに数回テゼの祈りの集いに参加していました。教派にとらわれないところ、その穏やかな祈りの雰囲気、繰り返される静かな歌のリフレインがとても気に入っていました。ブラザーの出されたメッセージなど、熱心に読んでいる方もいらっしゃるので、このことは大きな衝撃だと思います。今日からのケルン・ワールド・ユース・デイに参加するはずだったようですが、健康上の理由のため出席できないが「心はそこに」と新教皇に手紙を送られていたとのこと。フランスに留まって、祈りの集いに出られているさなか、刺されてしまったのだそうです。一体なにがあったのか・・・。どうぞ神様の元で休まれますよう。・・・・
2005年08月18日
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ちきちきとはじける鳴き声に空を見上げてみると、三つの鐘のついた塔の周りをつばめたちが飛び回っていました。「ああ、帰るんだ!」と、こんな風にしか言えませんが、ふわっと感動しました。
2005年08月17日
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お向かいの家の人のパーティー。今日はミニおにぎりを和風の平たいお皿に並べて持っていきました。好みで海苔を巻けるようにもって行ったのですが、ちょっと難易度が高かったみたいです。グロテスクに見えるのと、トライしてもらっても噛み切れなかったりするのがだめみたい・・・。ただ、ちんまりときれいに盛り付けて行ったので、単なるおにぎりなのにおしゃれに見えていました。きれいねーと見た目はほめられたりして。(^^;)こっちのお料理って、大皿にどっかーんって感じですもんね。お孫さんがよく遊びに来ているお向かいさんは、いつも丹念に庭の手入れをしている元気な人。だんなさんはじめてみたなー、と思っていたら、そうじゃなくてボーイフレンドなんだそう。それから、この間のケーキ事件のお隣さん夫婦、初めてあうご夫婦とその子供二人というメンバーでした。子供たちは、ティーンエイジャーの女の子と、10歳くらいの男の子。二人ともお母さんがホームスクールで勉強を教えているとか。ホームスクールの制度は知っていましたが、実際にやっている人に初めてあいました。「ここに越して来たときに、ホームスクールですといったら、ジョアン(お向かいさん)に、『私たち(コミュニティー)を信頼してないの?』って言われたわ。」と笑うお母さん。「学校を信頼していないとかじゃなくて、やってみたかったし、実際に自分が学ぶことが多かったの」と。それから苦労と成果をいろいろと聞かせてくれました。支援団体がいくつもあって、スクーリングなどもあるとか。でも、娘さんはもうハイスクールになるので、来年から学校にやることにしたのだとか。価値観が多様なだけに選択肢が多く、いろんな人がいるのでおもしろいです。夜遅くまでおしゃべり。といっても途中で疲れてほとんどボーっとしていた私でしたが・・・。バタ・・・・!
2005年08月16日
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15日は聖母被昇天。この世での時間を終えた聖母が天にあげられたことをお祝いします。朝のミサにはいつもの倍くらいの人が来ていました。タイトルの句は、ICF求道俳句投稿板で余白さんの被昇天祭の句を読んで。分かち合い、酌み交わす・・・、そういう飲み方を久しくしていないなー。σ(^o^;)
2005年08月16日
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金土日とフォークフェスティバルなる村祭りにて、ダウンタウンに出でる。片田舎のこととて、屋台など数えるほどなれど、人々あまた出で来たりけり。「ミ○ガンでは『万博』並みの扱いなり」とだんな君(ぎみ)笑い申しける。さて、その『万博』、年々規模縮小にあれど、多少の見所あり。全国からバンド来たりて、諸所にて演奏いたしける。しかして、ロック、ポルカなど見るべきにもあらず。カナダはトロントより来たる日本太鼓のパフォーマンス、これを見ん、とて特設会場へ。この「永田社中」と申せしバンド、日系三世五人になるアンサンブルにて、その演奏、会場震わする迫力にあれば、子供等ぽかんと(°д°)仰天し動くことあたはず。高く低くに胸を打ち、心沸かするリズム、ようよう母は揺れ、父は踊る。「スワ何事!」と集まりくる人、にはかに魅了され、やんやの喝采、口笛を浴びせけることはなはだし。スタンディングオベーションもちて、演奏終はりければ、この田舎万博にて、この日一番の人気と皆々同心しける。
2005年08月15日
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投げかけて言葉返らず虫の鳴く夜部屋にぽつんと取り残されて
2005年08月14日
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数日前、教会でもらってきた雑誌。コルベ神父の記事がよくでているなと思っていたら、所属していたコンベンツアル聖フランシスコ修道会が出している雑誌でした。日本のカトリック教会のパンフレットコーナーによく置いてある雑誌「聖母の騎士」の姉妹雑誌のようです。題名は「Immaculataイマキュラータ」。コルベ神父はアウシュビッツで、死刑を言い渡された一人の身代わりになって刑を受けて亡くなりました。14日が命日です。敬愛するマリアに身をささげた神父です。明日の15日は聖母被昇天の祝日で、その関連を思わずにはいられません。奇しくも、戦争でなくなられた方のことを思うこの時期、心から平和を祈りたいです。コルベ神父は日本とも深いかかわりのある方ですね。昭和のはじめに来日。長崎大浦に印刷所を作って「聖母の騎士」を発行。6年間の滞在中、病や修道士、資金の不足などで苦労をしながらも布教にあたりました。その後、ポーランドへ帰り、ナチスに睨まれアウシュビッツへ送られました。1982年、列聖されました。長崎の大浦天主堂へ向かうお土産屋さんが続く坂の途中、看板案内をみながら右手に折れると聖コルベ記念室があります。コルベ神父が仮住まいした修道院跡で、火災で焼け残ったマントルピースが保存されています。写真展示、ビデオもあり、コルベ神父の身代わりによって助けられた方の話が視聴できます。蛍茶屋駅から少し山手に入ると、本河内に神父設立の聖母の騎士修道院。前教皇が来日したときに長い時間黙想された祈祷台、椅子が保存されいます。コルベ神父の住んでいた部屋も保存されているようですが、こちらはまだ見学したことがありません。裏山にはルルドの聖母。ロザリオの祈りのためのレリーフがあり、ルルドまでロザリオを唱えながら上っていけるようになっています。こんなことを書いていたら、長崎にまた行きたくなって仕方がありません。(^^)平和を祈る町、長崎。
2005年08月14日
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朝ミサのチャペル出でれば雨上がる甘き野の香に感謝今日の日
2005年08月13日
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血液検査に異常のなかったハチ、今朝、レントゲンの検査のために動物病院へ預けました。今、9時15分。病院から電話があって、もう撮り終わったとのこと。だんな君がピックアップに行くところです。だんな君はナナに向って、「じゃあ、また新しい友達を連れてきてあげるね」と!やっと威嚇しなくなったばかりだったのに・・・。また、ハチだってわからなくなっちゃっているのでしょうか。今から心配です。
2005年08月12日
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詩人、エッセイイスト、小説家かつ仕事人、もずさんのブログ「飯を喰わせろ!」に、よくお邪魔しています。(作品群をUPしてくださっているので、ぜひ行って読んでみてください!(ToT)!カンドー!おすすめです。)コメントを書き込みしましたらお返事をいただき、太陽系新惑星発見の話題(もずさんは話題が豊富)から、話はテレーズへと進んでいきました。そのやり取りの私のコメントからの一部です。(>引用部分はもずさんからいただいたお返事です。了解いただいて、ここに載せます(^^))----->でもいうさん、地球の兄弟星が、太陽のまわりを一周するのに560年かかるというのは、なんかとっても不思議な気持ちになりませんか?本当ですね。言われてみれば、本当にそうです。そう考えると、テレーズの、My life t'is but an instant・・・の詩が思い出されます。・・・----->「聖テレーズって、なにした人?」 「祈ってた人」 「わたしだって祈ってるわよ」 「そうですね」なんだか、この会話、ありそうなのがすごく実感できて、わらってしまいまいした。(^^)そうですね~、何、という何かをした人とは違いますもんね。どなたの文にだったか、取り立てて何か言うほどテレーズの印象はなかったと同じ修院の修道女が言ったと。残された文や詩を読むと、その偉大さに「おお!」となるわけなのですが・・・。本当に、あの神様への信頼、全てを愛をもってした強さ。自己愛にまみれた私には、到底まねも、きっと理解もできないのですが、やはりあこがれます。書き込み長くなって良いですか?(ごめんね)彼女があまり知られていないとしたら、もったいないことですよね。カトリックになる前、迷いながら聖公会の教会に出入りしていたころ、教会のショップで彼女の写真と言葉の入った「テレーズとの朝」という本を買いました。ICFで、彼女の名前を持っている人がいたり、彼女のファンがいたりしたのは知っていたので、興味を持っていたんですね。読んでみたら、夢中になってしまって。(^^)これが、金沢教会で見た高山右近の隣のステンドグラスの修道女だったんだ!と。 ところが聖公会の聖人にはテレーズ、いないんですよね。(当たり前だけど)え?いやだ、なんかさみしい・・・。でも、じゃあ、カトリックって、どんな・・・?というのも、カトリックへの道につながったと思っていますです。(^^;)今では、そんな教派なんて関係なく、愛されるべき人なんだー、と思っています。マザー・テレサと同じように・・・。だから、もずさんがテレーズを敬愛してる、っていうのがうれしくって(^^)一節だけ書いた詩、「今日の歌」です。手元に日本語訳がないのですが、もずさんが書いてくれたそれです。こっちだとたまに教会のパンフレットの中にテレーズの記事が出ていたりしますよ。・・・-----・・・以上が私のコメントのテレーズに関する部分からです。その後、もずさんはあらためて日記でテレーズについて触れておられます。(^^)
2005年08月11日
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猫が窓際で騒がしいと思って外を見たら、なんと、ラクーンが来ていました!しかも4匹も! 暗くてよく写らなかったのですが、何とか2匹をカメラに収めました。・・・あれ・・・?あのしましましっぽには、見覚えが・・・はっ! ナナ、お前は・・・!(ナナはMaine Coon、その名もメーン州のアライグマと呼ばれる種類の猫だったのでしたー。)
2005年08月10日
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jiqさん「長崎のステンドグラスにあの記憶」の句に・・・浦上の記憶ガラスに透ける風 いう
2005年08月09日
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以前はドライ・フードしか食べなかったハチ。去年、手術で歯を何本か抜いてしまったため、今は、大嫌いだった缶・フードしか与えていません。それで、ときどきいやがってハンガー・ストライキを起こすのです。ここ一週間、なかなか餌を食べようとしません。もともとやせている猫なのに、腰骨が出るほどやせてしまったので、これはいかんと、だんな君が猫病院に連れて行きました。病院から帰ってきたハチは、血液検査のためにのどもとをツキノワグマのようにそられていました。月の輪猫。今回は検査だけだったので、特に精神的ショックも受けずケロリとしているハチ。 昨年の手術後のハチ、のどと腕を剃られてる・・・ところが、ナナは、帰ってきたハチにむかって「シャーッ!」と歯をむき出して威嚇! ハチはもともとナナを無視しているので、われ関せずと歩き回っているのですが、ちょっとでも近づこうものなら、ナナは「ヴ~ゥッ・・・ヴ~ゥッ!!」とうなります。いつもは鈴でも転がしたかのようなかわいいナナの声なのに・・・。「病院のにおいが怖いの?ハチのにおいが消されちゃってて、わからないんだね。これはハチだよ、ハチ!」・・・と説明しても受け付けるわけもなく、遠くからうなりながらハチを威嚇するナナ、哀れ!すっかりおびえて毛がぼさぼさになり、そのうちうずくまってしまいました。そういえば、去年、大手術の後ハチが帰ってきたときもそうでした。あの時はひどくて、1週間以上もそんな状態だったのです。「あ~あ!また新しい猫を連れてきたと思ってるよ・・・。」とだんなくん。「なにそれ」「去年ハチが突然いなくなったと思ったら、新しい猫が来た。その猫にやっと慣れたと思ったら、また違う猫を連れてきた。」「病院のにおいがとれたら思い出すでしょう?」「いや、3匹目の猫だよ。」そんな・・・。ナナは、3匹目の知らない新しい猫がやってきたと思っているのでしょうか。ナナの記憶の中で、ハチはどこに行ってしまっているのでしょうか・・・!!(°д°;)
2005年08月08日
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幾万の霊(たま)引き上げて空高し
2005年08月07日
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朝の空高く受け入る主の変容雲からの声に秋虫唱和せり
2005年08月06日
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ゆうべ、テレビジャパンをつけて広島からの中継を見ました。こちらの夜7時15分、私も黙祷を。Peace to people on earth...!
2005年08月06日
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今日が「ローマのマリア教会献堂の祝日」だということ、さるすべりさんの日記を読んで知りました。実は、朝ミサで、神父さんが「今日はオーディナリ・タイムの18週、8月の第一金曜・・・」と日の説明をなさったとき、「マリアの・・・」のとおっしゃったのですが聞き取れませんでした。(あれ、今日はマリアのなにか祝日だったかなー)なんて思っていたのです。(^^;)ですから、日記に由来もきちんと説明していただいて、ありがたかったです。(^^)ともあれ、初金にミサに出られてよかった。金曜はイエスが十字架につけられた日でもあり、節制したり(お肉は控えたりとか)祈りのときをもつ日で、特に第一金曜日を大切にするのは伝統なのですね。平日ミサ、ビギナーの私としては、勉強することが多くおもしろいです。写真はチャペルのモザイク画。イエスがマリアに促されて結婚式に水をワインに変えたというエピソード「カナの結婚」です。絵の下には、「Do whatever He tells you.(なんでも彼の言うとおりにしなさい)」というマリアの言葉が書かれています。
2005年08月05日
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今朝も寝ぼけまなこでミサへ。とりあえず、三日坊主からは脱出(^^;)?トップの写真は朝ミサのある教会の、聖堂にあるステンドグラスです。朝日をたっぷり通したステンドグラスは壁一面の巨大なものです。カメラに入りきりませんでした。こちらは、チャペル入り口にひっそりと作られたお庭にたたずむ聖フランシス(フランシスコ)。鳥に説教をしたという、動物の守護聖人でもあるフランシス。出張していただいて、うちの2匹の猫にも説教をいただきたいものです。(^^)
2005年08月04日
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霧の中、引き続いて朝ミサに出ています。月、火、水と出てみたのですが、毎日違う神父さんです。3人もいらっしゃるのかな。今日は年配の神父さん。手で受けないで、直接口に聖体をいただく人もいました。カメラを持っていったのに、なんとバッテリー切れ。人がいなくなるまで待っていたのに(^^;)。聖堂のほうに行って、ステンドグラスを眺めてから教会を後にしました。7時過ぎ。今日は8時から朝市の立つ日だったので、まだ早いと思いながらも会場へ。案の定まだ商品の積み出し中。時間をつぶそうと公園の花壇へ。朝露に足をぬらしながら、すがすがしい花の香りにたたずんで良い気分でいたところ・・・花園に露踏み分けてしかあれど蚊に食われたる時ぞ悲しき次々と襲い来る蚊、蚊、蚊!! ひーっ!!~~`・・・/(>
2005年08月03日
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今日の朝ミサには間に合いました。(^^)-ほっ!ところで、日本で今、とりハムというのがはやっているのですか?鳥の胸肉をごっそり買ってきたのですが、なににしようかと検索したらでてきました。ぱさっとしがちなむね肉がハムのような食感になるという・・・。ためしに4枚、砂糖と塩と胡椒をすり込んで、空気を抜いた袋に入れて寝かせてあります。ゆでて食べられるのは2日後。楽しみです。晩御飯は鳥南蛮にしました。(^^)
2005年08月02日
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所属教会より近いカトリック教会があります。思い立って朝ミサへ。6時過ぎに家をでて歩いていきました。夏時間なので、6時といえばまだ薄暗い。キョロキョロと怖がりながら歩くことになりました。(^^;)それでも、鳥の声と草の香りを楽しみながらの道のり。ついてみたら、なんと遅刻でしたー!30分でつくと思ったのに・・・。_| ̄|○ガクリ。もう朗読が終わらんとしているところでした・・・。平日のミサは展開が速いですもんね(^^;)この教会には、何回か来たことがあるのですが、朝ミサのあったチャペルに入るのは初めて。正面には「カナの結婚」をモチーフにしたモザイク画。両脇にはロザリオが巻きついた聖母子像と聖ヨセフの像。左手には木彫の聖母子像。なんだか福禄寿@七福神のように額が長い(^^)。後ろにはオルガン。壁に幼子イエスの像がありました。あっさりした所属の教会の雰囲気とはまた別のチャペルです。いつか写真が撮れたらアップしたいです。帰りに塔の横に立ててある看板を読んでみたら、私の所属教会はこの教会からから分かれたことがわかりました。80年代までは教区で一番大きな教会だったとか。40年代から60年代に熱心な神父様がいらして、この地に教会を建て、学校も建て、学生へのミッションとして特別に私の所属教会も作ったのだそうです。なるほど。ともあれ、こんな風にミサの機会に恵まれているのはありがたいことですね。ふっと訪れて、祈りのときをもち御聖体をいただく・・・。早起きしてなるべくミサに預かりたいものです。
2005年08月01日
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