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今日は2日酔いで苦しかった。もう飲むまいぞ蝶蝶。居酒屋「ひょうきん」で課の送別会をしてもらった。調子に乗って歌い(アカペラで)踊った。焼酎ビン2本で大根踊りを披露した。帰ったら女房の友達がカラオケで祝ってくれてので写真の一部を披露する。ちょっとブレてはいるが・・・・。
2007.03.31
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飲みすぎてしまった。しまった、ではなく、飲んだ。うれしかったので、は言い訳。これからは毎日こなんのが あってはいけない。
2007.03.31
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美空ひばりのマドラスさんを聞いて育ったので船が好きです。「港町十三番地」など、ほとんど歌えるがカラオケのレパートリーで歌うことはない。ひばりさんと比較されたらとてもかなわない。 港町ブルースなどの巷をさまよう歌も好きで18番にしているのは「あの娘たづねて」佐々木新一で、3番の歌詞、船の着く町高松に・・・・・、誰かあのこをあーんあんあんあん しらなーあいいかー・・。みせてくーれー・・・・でした。 まーそれとして。いよいよ辞令をもらう日になった。挨拶をどうしようかとも思うが、 その場の思いつきでいきあたりばったりにしよう。 人生航路にたとえるなら、東京まで行ってやっと与論の港に帰り着いた感じ。今度は小船に乗り換えて、与論の小さな浜辺をじっくり回ってみよう。港も灯台もない小さな浜辺が何をどう待ち受けてくれてるのか楽しみである。新しい航路に進路を取る時、軌跡をたどるのが安全航海につながると思う。初心にかえれ、である。出勤場所が変るだけで、本当の停年は、私の場合は65歳と決めることにしたい。10年では何かが出来るだろう。今年の目標に向けてまず、作業場と生活の場所を区切ることから始めたい。倉庫を整理しデスクを置き、出勤簿を備えること。農作業日誌を記録すること。休日を定めること。農作業の協定等、与論町農業技術連絡協議会(通称・議連会)の指導のもと営農活動に着手すること。営農活動に為にならないボランティア活動は極力慎むこと。お客さんはなるべく招聘し、知識や技術を学び、進んで展示圃場を設けること。など、とりあえず試してみたい。今夕は課内の送別会をしてくれると言うので喜んでお受けしたが、アルコールは断りたい。お返しはささやかに、お世話になった居酒屋「やぐら」のビール券にしよう。 昭和53年3月30日 とうとう3月もあと1日となってしまった。日々の仕事におわれているうちに月日がたってしまう。4月1日からは気象観測が正式に開始される。今日はシーロメーターを使って雲の高さを観測、たいへん助かる。福岡管区気象台の岡田さん等も帰ったのであとはこちらで責任を持って観測に当たらなければならない。心構えをしっかり持たなければならない。 昨日は5時半より気象庁舎で飲み会。空港ではほとんどアルコールを飲まず、大した話題も出ず退屈していた。7時過ぎ空港を出て帰ろうとしたところを局長に捕まってS・Mの3名で局長のお供をした。局長宅では覚悟を決めて飲んだ。酔っ払い相手ににふざけっぱなしだった。初めての局長宅であったが遠慮せずにふるまって、無事におさめることができた。局長の酒癖で、「間違うなよ・・青年町長・・」が気にかかる。それと4月からT君が入るということだ。S君がどうなるかははっきりしない。空港建設事務局が飛行場に移るかもしれないということだ。 昭和53年4月1日 人事異動通知書(定期昇給)を受けた。行政職5等級5号 79,300円を窮する。新採用及び正式な人事異動は4月3日月曜日に行う。採用になってちょうど今日で1年になる。仕事にやや自信がついたけど責任を持って自力でできるかは疑問である。今日から与論航空気象観測所の業務が正式に開始された。この事務所は私が責任を持って管理することになろう。・・・・空港建設事務局が飛行場に移るかどうかもはっきりせず企画課ができるのはまず間違いないらしい。そして企画課の課長には外部の人をもってくるということだ。人事、採用と多いに興味ある問題である。写真は企画調整課から借用19年度から総務企画課となり与論町役場の業務統合は進められている
2007.03.29
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国歌のきみがよは思想を持った人によっては色々に解釈されるらしい。私は単純に、難しいことを考えずに声に出して歌うことにしている。 千代に八千代にさざれ石の 岩となりて 苔のむすまで の歌詞に趣をかんじるからである。(私の好きな貴方の稼ぎで成り立っている)私達の家庭はと接頭の歌詞を解釈して歌うと実に気持ちいいものである。与論の風習には今だ「家」制度が残っていると思われる。シニグ祭りにはそれが顕著に見られると思う。男系を継ぐ慣わしがいまだに強く残っている。 そのことは、とっといて。キミガヨランは潮風と乾燥に強いので海岸植生には適しているのではないかと思い宇勝海岸の緑化ボランティアの際墓地の海岸端に植えてみた。リュウゼツランの隣で元気に成長しているのを見ると試みは成功したと思って、今度は皆田海岸のフバマに植えている。移入種なので反対者もいると思うが、本来の植生を損なわないように海岸前線に試している。もう一つはホンコンカポックと通称の何とかフカノヤドリギも試験中である。これなら挿し木で大量生産できるので成功したら緑化樹として効果が高いだろう。昨日、誰かさんのブログの写真見てたら見たような景色に出会ったので確認のためこれから出かけたい。それと、奄美地方に地震があったと報じていたので定点調査のフバマも様子を覗ってこよう。今日も元気。トランペットの音色を聞きながら記す。アモーレ きみよ。
2007.03.29
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知人の犬と肘掛毛布を分け合ってパソコンに向っている。「OJシンプソン殺害事件の謎」をTVに釘ずけで見たあと部屋にはいると知人宅から遊びに来ているワンちゃんが鎖でつながれている。わんちゃんの主人が風邪で入院したらしいと聞いていた。すっかり仲良しになっているので足元で寝ている。 時間が遅いので、これで切り上げよう。今日の偶然な出来事は飛行場で近藤教授に会ったことだ。教授らしからぬ先生で気さくに話をしてくれて、役場にも挨拶に来られた。今朝ある方と先生のこと話題にしてたので偶然だと思ったのだが、急に飛行機で今日来ることになって、私も特に用もないのに飛行場に行って会ってしまい「あれ偶然ですね。」となったのだ。先生にはここのところいいことがあって、「いろいろ」報告にいらしたとのことである。一緒に調査したいこともあるので先行きが楽しみだ。明日教育長にお会いになるとのことで、報告書なるものを図書館に寄贈することをおっしゃっていた。どんな報告書か興味がある。ジプシーの写真を載せたいがデジカメを仕事場に忘れたので昔の与論の写真を載せておやすみしよう。
2007.03.28
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神棚にお茶を入れる時東側の窓を開ける。今日の天気を覗うその時から新しい1日が始まる。毎日行っていることだけれど、毎日の天気のように2度と同じことはない。同じ祈りの言葉でもその言葉にこめた願いは日々に新しいものが生まれていく。南向きの縁側を空けるとサソリ座が南中(?)していて、左に大きく輝いているのは木星だろう。前庭をもう少し広くとればよかったのにと屋敷のゾーニングした時が悔やまれるがこれ以上の贅沢は言うまい。縁側で月や星が見えるようにと思いテラスは作らなかった。又、意識して落葉樹を配植してある。私の屋敷だけがまだ新緑が見られず寒々としているが、トックリキワタやタイワンモクゲンジ、ハゼノキ、センダンが芽をふきだした。コガネノウゼンの黄色の花が今は目を惹いてくれる。 庭については私の考えで造れたが、家の間取りについては与論の習慣・行事、主に冠婚葬祭に会わせなければならなかった。床の間を広く立派に作るのが常識であったので、私の取った玄関・応接間・床の間と仕切りのない間取りに北の床の間は常識はずれと思われても仕方なかった。祖父も父も真面目と言われる人柄で、酒も飲まなかったので家での酒宴は子供のころあまり見たことはなくたまに長居して父にくどくどと説教たれる酔客を見るにつけあんな酔っ払いには成りたくないと思っていた。農家であまり交際もなかったので床の間にはこれと言って造作を考えないでシンプルにつくってもらった。外見のコンクリート作りのわりに、中身は質素になっておりお蔭様で固定資産の評価もそこそこになっている。見えはどうであれ、子供達の遊び場になった応接間は利用価値があったと評価している。今では珍しくはない間取りで、一生に1度か2度の行事より日ごろの生活が優先したことは生活改善と言えるかどうかは評価が分かれることであろう。酒宴も会場を借りてすることも多くなって親族が集まり神棚に拝むことも少なくなりつつある。職員互助会の送別会を聞いて親戚から頂いたお酒など神棚に供えて報告する与論の風習の一端を写真で紹介する。1年前の今頃はこの神棚のお酒もなくなり台所の戸棚ををあさっていたと思うと人間は変れるものだとつくづく思う。こころの持ちようひとつで しあわせにもなれるし 幸福にもなれる。しかし、 幸・不幸をとやかくいうものではない。与えられた人生を自分らしく生きることをこれからも肝に銘じて。今は、両親に感謝する気持ちになれるようこころしたい。
2007.03.27
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髪きりに行くのは大の苦手である。なんとなくイヤで延ばしに延ばし(3ケ月ぐらいか)ていたがとうとう時間休をもらって床屋に行ってきた。きれいになったついで、パスポート申請用の証明写真を撮ってもらった。4月から町でパスポート申請が出来るようになるので第1号をねらって準備しておきたいと思ったからである。海外は台湾だけしか行ったことないので、できればオーストラリアで本場のパーマカルチャーを夫婦で研修できればと思う。古代インカ文明を訪れるのが夢だけれどお金に余裕ができるまでそれは夢のまんまでとっておこう。職員の移動の話をあちこちで聞く。親しかった方々との別れの季節である。それは又新しい出会いも含むのであるが・・・。役場でも人事異動が公表されつつあり課内でも職務分担が決まった。私が担当していたのは2人に分割された。複雑な気持ちである。一応懸案事項もなく仕事片付けて卒業できる準備はできている。今日の午前中は徳之島保健所の案内でチビッコ探検隊の体験民宿8件の衛生監視に回った。チビッコ探検隊は今年で31回を迎えるというイベント。今年は800名が4泊5日で明日から島を訪れる。食中毒などがない様くれぐれもと注意を呼びかけてきた。担当の期間中に何事もなくすぎたことに感謝しよう。明日は支払いなどのチェックをしよう。
2007.03.27
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上は船倉海岸下は小浜(フバマ)フバマで漂着ごみを集める遊びをしている又、海岸植栽の実験中この浜で父と母がぶらぶらして私が誕生したと父の日記にしるされてあった記録は残るので真実を書かなくては 夢を見た。ちゃんとしたストーリイがついている夢である。私の見る夢は現実との境があまりない夢を見ることも多い。置かれている心理状態そのものである。最近は1時間おきにに目が覚めてトイレに行くがそのたびに夢をみている。トイレが近いのは多分お茶の飲みすぎだと思うが、眠りのリズムで目が覚めるのだろう。夢を見た状態のままでシッコをすませ再び寝床につくと夢の続きが見られると言う構図ができあがる。夢の展開をいい方向にしたい時は、自分なりのストーリーを夢みながらトイレに立つといい。イヤな夢やうなされる夢の場合は一端目を覚まし寝ぼけをとらないと、又いやな夢のつづきを見ることになるから気をつけることにしている。心理学を学んだ者であれば当然のことに思うが夢のメカニズムを考えてない人には不思議に思えるらしい。 さて今朝の夢で、隣のKさんが結婚前は女性アナウンサーだったという事実を知って話上手なことを納得する場面とか、先輩が自宅に物干し広場があったことを知ってなかったことの驚きとか、近年のうちに住宅周辺の環境の変化を説明している自分の姿を夢に見たことで思い出した。小さいことでも記録に残す大切さを考えてた無意識の現われだと夢を解釈してみた。子供の頃には自分の家が恵まれているとは今ほどは思はなかった。貧富の差がない島だったせいもあるだろうけれど、この齢になり同世代の奄美の暮らしを他所で聞くにつけ食料には不自由なく育ったと自分の境遇に感謝している。 妻が、今日は病院がインフルエンザが多発しているため風呂に入れないので自宅を使いたいと父から電話があったと話していた。妹が風邪らしいと父に話を聞いていたので、たまには家にでもと言ったのが通じたらしい。役場を辞めることを本気で知っての行動なのかもしれないと思った。母が寝たきりで会話も出来ない現状では、何も病院暮らしをする必要はないので自宅で一緒に暮らせばいいのにと思う。祖父も、祖母が亡くなってからは晩年まで一緒に暮らしたいい思い出もあり私としてはそれが望みである。そのために、部屋も畑も準備して待っている。親孝行させてくれと思っているのだが、かたくなな心はお互い一緒なようで、なかなか言い出せないいる。ここは第3者が必要だろう。弟よ妹よ何とか伝えてくれと願いたい。なんだか今書いてる内に現実になりそうな気がしてきた。母の介護用に張り出した部屋を改造して風呂と便所を併設したら自宅介護の環境が整いそうだ。自分の夢追うばかりでなく、そんなことも考えなければと今反省する。すなわち、自分の行く道でもあるのだ。夜明けは近い。少し風がでてきたが・・・。
2007.03.26
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田舎では番地を記入しないでも手紙が届く。その代わり、兄妹あての小包が配達されることもたまにある。泡盛さんあてのこつづみを娘が受け取った。娘は名前違いに驚いた封でもないようで受け取っていた、前もって黒猫さんに電話しておこうと思ってたのに忘れてしまっていた。贈りもの頂いたら神棚に報告するのが竹家の慣わしで、「毎日香」を3本たてて先祖様に報告した。しばらくして、この日記を書く机に向かうために部屋にはいると煙が霞みのようにたなびいてなんともいえない美しさといい香り。贈り主にこの感動を蝶の蛹色にたとえて感謝。4月8日、長男の誕生日にお供えしよう。 さて、今朝は久しぶりに海岸に散歩にでかけた。朝が明るくなるのが早くなった。マラソンが終わってから朝日を拝むのは久しぶりなので写真を撮ってみた。イモガイの殻をひろったあと、小浜のごみ拾いをしながら定点からの朝日の写真を載せてみる。 オオゴマダラの蛹の羽化の失敗でなかなか続きがみられなかったが今日の陽気で3頭が羽化した。これからは暖かくなるので続きが見られると期待している。妻は教職員の送別会、娘はデートらしい。静かな夜である。読書でもしたいきぶんであるが、天井のネズミに夢想をかき消されてしまった。映像をアップしよう。
2007.03.26
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「まごころ」を与論の人は「誠」と書いて「まくとぅ」と呼ばせています。 誠うちじゃしょり じゃしょり 誠うちじゃしば ぬまたぱじかちゅんが との歌は 真心で接しなさい 真心を出しさえすれば 貴方の心は相手に伝わるはずだ 何も貴方の貧しいすがたを 笑うはずはない 恥ずかしがらずに 真実を表に出して 思っていることやってみなさい と私は解釈している。 島是と教育の言葉としてよく使われるが 誠をうちじゃすことは勇気がいるものである。 口でよく言うほど、誠の心は持てないものだと 私は恥ずかしさが先にたつ 見返りを期待しない行為の伴う所作が島人の宝(誠)だと思う 私をはじめ島是の誠をうちじゃせないでいる人が多いと思う。 誠を出して接している人のうちにもまごころを感じられない人もあり 他所で悪口を言ったりを聞くと とても興ざめたりする。 枕草子の世界の感情が与論のいにしえびとにはあったと思われるが 現代人にはその奥ゆかしさが失われているように感じる。 巧言令色 少ないかな仁 とか習ったが 教えている教育者のなんと言葉巧みなことよと・・・ 妻に教育者の文句ばかり言って自分はどうなのよと よく言われる 教育者に期待してるから文句言うのだと反論してる 昨日朝、かねてから尊敬している元教育長に会った。ブログ管理の都合で時間つぶしにホームページ検索していたら与論町デジタル図書館に行き当たった。「ムヌガッタイ」を編集したのが時の竹下教育長であった。先生に挨拶し、「診療所の思い出」を記録に残した田中婦長のムヌガッタイの話をした。「私はあれだけであの本の価値があると思っている。ありがとう」と言ってくださった。読み返してみて、記録の大切なことがわかって、私も退職の際に、私の担当した農業の歴史を書き残す使命を改めて感じている。気持ちの中に暖めてはいるが、真心の気持ちでてらいもなく書けるにはまだ若すぎると思う。下書きを列記し暇の時ブログのタイトルにしようかとも思う。そらまめ試作のエピソードや初めて取り組んだクラジオラスの導入から花き振興会が出来るまで又、果樹振興の設立など日記をたどれば年代別にも並べることが出来ると思う。まー、それは後の楽しみ取っておくとしょう。いよいよ役場生活最後の週になった。やれるだけは頑張って卒業したい。それと断酒目標1年目も近い。4月8日はもろもろの思いをこめた「報告お礼会」を持ちたいと思う。今日もいい日旅立ち。 上はトゲナシアダンの挿し木 下はブロッコリーとキャベツの終了と とまと・なす・きゅうり・とうがんの野菜畑 小雪の糞で山羊農法実践中
2007.03.25
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トックリキワタの接木の様子 イジュの花 去年から番狂わせの花を次々に咲かせている 黄色のイペー(コガネノウゼン) このはなを見て欲しがる人が多いが、風当たりの強いところでは開花しない。 トックリキワタもホウオウボクも風に弱い 朝方まで降ってた雨はマンゴーハウスに浸水するほどの雨量があった。私のマンゴーにとっては好都合の雨であった。今年はマンゴーの開花が遅いと見に来てくれた方がぼやいていた。どうやら今のところ私の圃場が一番成績がいいらしい。今が開花の最盛期で、早いものはそろそろ摘果に入らなければならない。今日、初はさみいれをした。午前中は海岸をみまわったり、湿地帯の植物を採取してビオトープに手をいれた。昼寝をしてたら海洋少年に呼び出され、蝶の館にする予定地周辺を検討しにドライブした。植栽用の植物が相当必要だと感じたので、クロトンを使用したいと思い挿し木を考えている。 観葉植物で小遣い稼ぎが出来ないかと広葉のクロトンを集めていたのが大分大きくなっている。海洋少年が挿し木で苗木を作って植栽した実績があり、本格的に使えると思う。裏庭の整理をしながら、アロエベラを移植し増殖用に植えた。又、クロトンは山羊に葉っぱを食べさせたあとを挿し木した。無造作に砂に挿し木したのが生えてくれればこんな楽なことはない。これから梅雨にかけて順次挿し木を続けていきたい。又、使用してないビニールハウスを建て替えて育苗用のハウスに作り変えようと考える。つぎから次へとやることがいっぱいある。書くこともいっぱいあるがここらで止めて、今日の映像を載せてみる。
2007.03.25
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夜中の雨も大分収まったようだ。畑は充分に潤っていることだろう。トックリキワタの花と実接ぎ木によって2種類の花が見られ開花時期も異なる
2007.03.25
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トックリキワタはブラジルサクラと言われ10月ごろから正月ごろにかけてピンクの花を咲かせてくれる。去年は台風が来なかったのであちこちで開花し、存在感を主張していた。毎年見事な開花を見せてくれるのが、吉田鉄鋼所の樹である。去年ご主人が亡くなっただけに、樹の枝の片っ方だけが咲かなかったのがとても印象に残っている。グラスボートの廃船片づけでクレーン車を上手く操作し畑に下ろしたことなど思い出しながら、接木用の小枝(接ぎ穂)をもらった。自宅のトックリキワタから種が落ちて生えた樹に接木2本行った。接ぎ穂はすでに芽吹いていたので接木の時期としては遅いのだがこれも実験台だと思い軽い気持ちでやってみた。 結果で腕次第が解るので依頼を受けるには勇気がいる。ミカンはそろそろ芽がでそうだが、マンゴーはまだ結果がわからない。苗木を売るためにハイビスカスの接木苗を作ろうと思う。もちろん挿し木で増やせるのもあるが、大輪の特別な品種は接ぎ木が必要のようだ。そのためには台木が必要なので挿し木の準備も要る。今日は畑の隅の整理をしながら海砂にクロトンの挿し木をした。これからも海砂を畑の隅に運んで、挿し木苗の床を作ろうと考えた。ソテツやアダンなど、手をかけずに時間をかけて苗を育てよう。畑の隅の有効利用だ。新しいノコギリの刃も買ってきたので、明日も今日の続きの作業を楽しもう。 シャコ貝は2個だけゲット、小さいのは禁猟 イモガイなどの巻貝 もずく・びゅー・すーな なまこは2種類、ジャノメナマコとパナダイしっきー しっきーはナマコの総称 パナダイとは、鼻だれのこと 掴むと溶けてしまう不思議な物体 味噌汁はウンバームイ(うに)のだし汁 与論島にお越しの際はこのメニューで一杯いかがなんて 妙にとろけちゃって・・・。
2007.03.24
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書きたいことはいっぱいあるが思うように書けない時がある。思いが多いから書けないともいえる。こんな時は過去にこだわってしまう。 昨日の夢の続きを転記する。 昭和53年3月22日(水) 自宅で羽化したオオゴマダラチョウ 1番目 つづけ コーラルホテルのデイゴ 月日のたつのは本当に早いものだ。新年度までには色々やっておきたいと思っていたことも出来そうにもなくなってしまっている。出来るだけ日記は続けたいと思っているのだけれど・・・。 今朝も天気が悪い、運行(飛行機)には差し障りはないようだけれど、弟が鹿児島の出張帰りなので安定した天気であって欲しい。2日休んだら久しぶりに、仕事しているみたいだ。毎日の記録をとるのが日記だとしたら、生活の細々としたものを書いてもいいだろう。 昨日の朝は土砂降りのなかでカボチャ植え、能率が上がらないし、畑土は踏み固めるし、いい仕事は出来ないが仕方ない。農作業は天候と相談しながらしなければならない。午前中で終わって、びしょぬれになった着替えのあと、デッキのクリーニングをしたりして過ごした。Eから借りたデッキを立てて使用、ダビングを楽しもう。オーディオの周りをもっときれいにしておきたい。 午後に妹の荷物を送りに出かけたけど、郵便局が閉まっていてダメ。兄妹3名で町のなかをブラブラ歩き、ひぜん屋で電話台3,280円、三巴屋を回って吉田電気、本屋、ヨロンinnでラーメンを食べて帰宅。ラーメンのおつゆを飲んだせいで全身がだるくなってしまう。ニンニクのせいだろうか? 牧草刈りの手伝いに、イーヌパル、ペーヌパル・・、どこの畑も隅の整理が必要である。ブルドーザーを入れて畑の整理をしたら耕地面積が大きくなるだろう。 定例会(飲み会)を予定してたのでEに電話をいれたら8時半に来てくれて、K宅に遊びに(アシビンチュ)・・・、Mに電話したが来れず、4名で卓球場で一汗流してきた。Kが上手なのには驚いた。ダブルスでKと組んで相手したらプレイを楽しめそうだ・・・。定例会は泰斗があいてなくて、郷土料理「太助」にて刺身定植でビール5本。弟がドライバー、ほろ酔いでいい気分、11時半にKを送って「VALCAN]で花札5回、Eが勝ち、私は一人でまけてしまった。楽しい定例会(給料日のおごり)だった。今度は「VALCAN]でゲームしながら飲むのもいいだろう。 計画していたことが実行できないことが多くなった。目先の楽しみばかり追っているからだろうか。もっと気分をひき閉めなければならない。 1、ふすま5枚分を今月の給料から 2、アルコールの宴会は今月分はオフオーディオのことをもっと考えなくては、VALCAN(離れ)に居る時間を増やそう。最近は何かと出歩くことが多すぎる。結局小遣いのムダ使いをしてしまう。雑誌を開くなり、マンガを読むなり自宅に居る時間を多く持たなければならない。バルカンを夢みた最初のころ、また「クボの小さな世界」の夢を忘れてはならない。出来る限りムダな時間(習慣)をけずり、自分に必要な時間を作り出さなくてはならない。思索にふけったり、手紙を書いたりする時間を持ちたいものだ。Rさんからはまだ便りが来ないが、その時は手紙か電話入れたいと思う。次第に遠くなるようだ。こんなもんだとは思わなかったが・・・。 さて、今日も仕事が終わろうとしている。別に変ったこともなかったようだ。エアーバンドラジオの視聴ぐらいか。FM放送、昼のミュージックが聞けるのはいい。今日はダークダックスのコーラスを聞いた。TVよりもラジオのほうがいいみたな昼を過ごすことができた。さて、今晩の予定はテープの整理と本棚の整理をしようか?落ちついてレコードでも聴くとしよう。ゆったりとお茶飲んだりできるといいのだけれど・・・。 今も残る駄菓子屋さんあと 砂糖飴はここでしか売っていなかった
2007.03.24
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たそがれるとはどういうことなのだろうか?たそがれ時とはきいたことがあるが・・・。 昨日「めがね」の台本を読ませてもらった。映画のロケをしていると聞いていたので、どんな映画だろうかと気になっていた。内容についてはここでは触れないでおこう。映画ができあがってからの楽しみとっといて、しかし興味があったので一応セットを見物に行った。海岸での撮影をみたので写真をアップしよう。 そのあと、与論島コーラルホテルの敷地にオオゴマダラチョウの食草ホウライカガミを植えさせてもらった。この地域では以前はよく蝶が見られたものであった。今日もヒヨドリバナにアサギマダラやツマムラサキマダラが群がっていた。この敷地内にもオオゴマダラの再生を試みることにしたい。庭園の管理とあわせて、観光客の遊歩道の整備などを提案したいと思う。 潮時が良かったので、久しぶりの夫婦で潮干狩りをしてきた。2人とも6時から宴会があったので磯ものを夕食で紹介できず残念。カメラを忘れたので写真も紹介できないが、夏にかけては天気のいい日はおにぎりもってでかけ、おかずは捕まえた獲物で間に合わせよう。 コースタルリゾート完成祝賀会から戻って書いている。もう寝ます。おやすみ。
2007.03.23
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興奮して眠れないので暇つぶしをしている。取り込んだ写真を削除したあとブログ日記を読み返してみた。やはり記録は大切だと思い、昔書いた日記を取り出して読んだら懐かしいので夜明けまで転記する。 昭和53年3月19日 日曜日 どうやら晴れそうな気配だ。ここのところ雨ばかりだからすっきり晴れて欲しいものだ。収入金帳簿整理を今日中に終えるつもりでいる。 昨日は同窓会、池田さんが発起人で「ジャガー」にて、○・○・○さんらが珍しい顔ぶれで出席・・、正月2日に盛大にやったあとだけにあまり乗り気でなかったが仕方なく参加、5時半から準備手伝いを少々・・・、女子組みがいそいそと頑張っている。KとMはやはりできてるらしいと感じた。見てると微笑ましい。ムードミュージックが快く響いて準備の時間はとても楽しかった。7時前に帰宅、Eを待っていっしょに出席するつもりが都合でオートバイで出かけたのが8時半、集まりが遅い。皆とちょっとダベリング、音楽が大きいせいか対話がスムーズにできない。今度はコーヒー会(クラス会)でも計画したらどうだろうかと考える。アルコールは慎むことを決めていたから飲まないことにした。9時すぎからボツボツ集まりはじめて10時前に25名ぐらいが集まった。やっと同窓会のムードができあがって、アルコールも大分回り始めた。僕はどうも調子がでなく一人取り残された感じ、菊君がコップ一杯づつ献奉、頭からそれをかぶり、飲むことを逃れた。髪の毛からポタポタ流れ落ちる「有泉」で目が痛い。そしてイヤなアルコールの匂いがたまらなかった。飲めない金井副議長の真似をして頭から酒を被ったのだが上手く逃れる口実を考えなくてはならない。もうあまり楽しいとも思わなかった。酒を飲むだけの会という感じ・・・。弟に迎えの電話入れてたので、一人一芸の歌をトップに歌ってからすぐ退散し「ヨロンinn]でコーヒーを飲んでいたら5分ほどして弟がきた。だるまをキープし水割り一杯のんだあと帰宅、風呂にはいりさっぱりしたあとベッドイン僕にしてはいい同窓会だったとは言い難い。ベッドで聞いたエリントンの方が何倍も良かったと思う。 悪いとは思いながらも逃げてきてしまった。身勝手なのかもしれないが、ガマンして居るほどの事もなかったと思う。こうして友達つきあいからも離れて行ってしまうのかも知れない。 皆をリードしていかなければならない立場の役場にいながら、身勝手に振舞うことはいいことではないだろう。色々考えてしまう。酒飲み会とは別の、人を惹き付ける魅力を備えたいものだ。 静かに落ち着いて物を考えることが余りなくなった。本を読んだり、新聞を開くことをしなくなったからだろう。それと何かに感動することが少なくなっている。 KUBO 25才のころ
2007.03.22
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歴史探訪ではこの人(土持さん)の前に出る人はいません 国指定無形文化財・与論十五夜踊りの解説でも有名人です。 私のお師匠さん。 蝶や鳥達も集まってくる不思議な空間(ここは高屋パンタ)が ウガン(御拝)になっている。 奇しくも、アサギマダラがやってきました。 今年初めてのわたしのマークをしました。 Y-1.ヨロン1のマークの蝶を捕まえたら連絡下さい。 サンゴ礁の海岸研修の前に、歴史探訪の研修をさせてもらった。講師は郷土研究会の麓副会長を筆頭に、城間サークラについては土持副会長が説明を付け加えた。マイクロバス1台、25名ほどの人数で丁度良い感じの説明会であった。先輩方の説明の口調に人を惹きつける魅力を感じさせられ大変勉強になった。私の出番も作ってもらって、麓・土持・竹で「歴史探訪」の筋書きが作れそうである。来年度の講習会にはちょっとした資料をつくり私の散策コースを案内してみたいと思う。 麓さん、今日も予定時間を大幅に延長。時間が気になります。 映像に雲がかかっています。 神様ガ住んでいるところデハ時ドキ起こるカイキゲショウ 文字モドウヤラおかしくナリマシタ。
2007.03.22
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昨日の写真の続きを載せておこう。これ見たら つりキチなら与論にきたくなることだろう。泡 君は陸に海に穴場を沢山持っているから ツアーガイドを頼む時は 是非ご指名下さい。 ことに酔ったら 妻までつけてあげます。 又 怒られるだろうな。 どんまい・どんまい・ごーまい、いんぐうえい。
2007.03.22
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今回のツアーガイド講習会はサンゴ礁の海の生物についてであった。昨日のお客さんの見送りしたあと兼母海岸に行くと注意が終わって海に入るところであった。ガイド用の生物写真の資料はもらえなく、詳しい指導者もいないので自己学習になった。子供連れもいて、結構にぎやかに生き物を探していた。いつも見かけている生物なのに図鑑と照らし合わせて勉強しながら歩く他人をよそに、り-ダーから時々名前を聞かれるので、大雑把な説明をしながらサザエの捜し方など教えてあげた。習いにきたつもりが、教えるほうになった。先輩がいないので仕方がない。サンゴの写真を撮りながら遊んで、サザエが8個取れたからまずまずの大漁。今度は釣竿をもって来たいと思った。道具などもってきたら結構獲れそうなので次の潮時は妻と来たいと思っていたら夕食のつぼ焼きつくる妻もそんな思いでいたようである。久しぶりの潮のかおりがする食卓であった。
2007.03.21
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昨日は2日酔いで午前中、調子が悪くついに昼食も採れず苦しい思いをした。「もう飲むまい」と思ったのでどうやらアルコール依存症から抜け出せると思う。年休をもらいたかったが国学院大学の教授2名の案内の約束で、産業振興課・観光化・企画調整課を案内していたので休めなかった。聞き取りの合間時間があったので、民族村に案内した。島の経済浮揚につての提言を頂いた。自分の考えていることも自由に述べることが出来ていい時間を過ごすことが出来た。体調も元に戻り、東京から長崎さん夫妻に会いに来ている方々との夕食会に妻も付いて行くというので居酒屋「ひょうきん」で楽しい夕べを過ごした。びっくり広場の彫刻が話題になり、妻に私の悪趣味を突かれそれに賛成したお客さんにも、あれがあるともう2度と立ち寄らないといわれヤッパリと止む無く降参することにした。現役のデザイナーと、元TBSのデレクターの彼女らの見る目が正しいことは充分に承知している。場所を変えて使うか、焼却しようとのことで話がまとまって妻が大喜びして、又与論献奉の儀式なども楽しみながら久しぶりに文化人と交流で楽しいひと時を過ごした。又7月にも来てもらえると言うので、その時はビールで乾杯しようと約束した。「友、遠方より来る」のひと時の解禁にしようと思う。兎に角、今月いっぱいは断酒継続を守ることにする。雲が多くて星空案内は中止になって、春の星空観測ガイドは条件が良くないと思イツアーガイドからははずした方がいいと思う。早速今日は例の彫刻の片付け、昼あとは見送りをして、その足でリサイクルセンターからドラムカンをもらって来よう。いい天気になりそうだ。
2007.03.21
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しあわせはあなたのあとから ついてくる。 分けてあげたい 今日の始まり。 きお ひきしめて。
2007.03.20
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龍郷町は名瀬市と笠利町に挟まれた奄美空港に行く位置にあり旧名瀬市のベッドタウンとしての機能が拡大しているせいだろうか奄美市としての合併に応じなく単独町として残っている。平家落人や西郷南州の島流しの地として知られている。耕地面積が狭いためこれと言った目だった農産物はないようである。これから訪ねる秋名集落には「平瀬マンカイ」「ショチョガマ」とかよばれる稲作文化の面影をのこす伝統的な文化財行事が残っていることで知られる。かねてめったに通ることのない左周りの上りコースで秋名を目指す。あれほどくぐったトンネルはここにはなく、アップダウンの道の脇には民家は全くなく着いたと思ったら入り口見過ごして引返し、車一台しか入れそうにない集落道路をまず海岸へ。海岸に出て灯台を捜したがそれらしいき建造物は見当たらないので集落を一周したあと再び海岸に出ておじいさんおばあさん見つけて濱田さんの家を聞いてみた。以前に来た時とおなじで、そんな家は集落にはないという。 前に来た時は灯台のあることは確かめて帰ってたのでもしやと思い、次の集落まで行ってみることにした。トンネル(秋名トンネル)を抜けるとすぐに嘉渡集落であった。交通標語の書いた変な集落案内板(灯台)を見ながら海岸入り口を捜しこれまた小さい道路から海岸に入り小学校横に車を駐車しトイレを借りに降りていくと左手の防波堤に「一隅を照らす者になれ」と教えてくれた人に係わる灯台がひっそりと建っていた。「海の日記念日」を祝して建てられたと碑文があるが濱田の文字は見つけられなかったが確かにこれに間違いないと思った。用足しに来てた、西日本シロアリさんに濱田さんの家を聞いてみたところ以前に仕事したことがあると住宅地図を出して親切に教えて頂いた。教会の隣にあることを目当てに車を動かしたがあまりにも道が狭いので駐車場所を探してぐるぐる回って降りて行くと先のシロアリさんが待ち構えていて門を教えてくれた。他の住宅より大きめの家の門を入ると盆栽などがおいてあった。玄関から家を覗くと電気屋さんの取り込み中であった。挨拶すると、思い出してくれて上がれと勧められたが・・・。名瀬海上保安庁の後輩が来てヨロンマラソンのことなど話していったとのこと。血圧で倒れたと聞いていたが、言葉も動作にも多少の不自由さは残しているものの日常生活は一人でも大丈夫そうだった。上がって話しもしたかったが、突然でもあったし、レンタルカーの時間も気になっていたのでお土産の与論せんべいと「与論島」と「不断の努力」と書いた掛け軸の思い出の小文を置いて帰った。やっと長年の思いが叶った。どうしても一度はお礼が言いたかった。帰りの道すがら、あと一人の恩師高校3年の時の副担任、川畑先生にもお礼に行きたいと心に誓った。あの時の職員室での「ねずみ男先生」のボディブローがなければ高校生活を棒に振ったろうと思うと、やっぱし恩師という言葉を感じる。晴れ晴れとした気分で宿泊所に戻り小雨の屋仁川(やんごー)通りで夕食は「一番軒」のスタミナらーめんを食べた。そのあと、「やどりぐぁー」で酔客と語りながら旅の最後の夜を過ごした。小さい傘に身を寄せて小雨降る屋仁川通りを歩きながら飲み歩いた名瀬の夜の思い出をたどると数え切れそうもなかった。お蔭様で、仕事をとおしてのいい出会いに感謝。そして妻にも。 チョット、おのろけすぎたかな。これにて、道の島の旅は、おしまい。お粗末さまでした。 リュウキュウエノキ 下は喜界島にて宇宙人と交信している地球人、像のおりを意識して
2007.03.18
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南に下るコースで左廻りに進路を取った。名瀬市の住宅団地の小宿を抜けてまずは大和村へ。さとうきびとスモモの郷といわれるゆえんは「すなおかわち」さんがサトウキビの種(幹)を中国から持ち帰ったのが奄美大島や琉球にに広がったということになっている。奄美プラムの銘柄で特産品になっているスモモは大和村が本場である。スモモの品種はからりで、小粒ですっぱいが早だしが特徴であるようだ。本土産のスモモは奄美では温度が高すぎて栽培にむかない。私はこのことを知らずに、試験場の口車に乗って生産奨励した苦い経験がある。品種は「福茜」で、ある一定低温にあわないと結実しない性質があり与論島は暖かすぎた、結果花スモモを観賞することになった。群倉(むれぐら)前で記念撮影、やっと運転に慣れた。入り江のたびにこじんまりとした集落をつなぐ海岸道路は幾つものトンネルが作られて次の宇検村までの道路はすれ違う車も追い抜く車もなく右へ左へとハンドル送りの練習の連続であった。途中、植樹大会で植林した峯山公園は灯台があるので車を降りて海をを見下ろす高台に上った。いつも船上からこの灯台を確認するのが私の船旅の楽しみであるが、妻に灯台の役目などについて思いつくままに語った。宇検村の焼内湾は栽培漁業(養殖)のイカダがいたるところに設置されていた。某代議士の出身地のせいかここまでの道路とトンネルはよく整備されていると思うのは私だけだろうか。しかし、私は宇検・大和村の人柄は好きである。役場前で駐車しスーパーを捜したがみつからず、湯湾岳(最高峰)登りもパスして瀬戸内町まで突っ走ることにした。海岸をはなれ、道路は山奥に入る。行けども行けども海岸にでないので一時は道に迷ったと思ったが、油井林道の看板とヘゴの木々を見たとき以前通りぬけた見覚えがあることを思い出しながら林道を作った人々に感謝しながら眠気覚ましの鼻歌歌った。12時前に瀬戸内について、加計呂間へのフェリーの時刻表を見たが値段も高いし、時間的に無理があったので次回に譲ることにして港町の雰囲気(海上タクシー)を目で味わったあと昼食を食べた。漁業の町と聞いていたので魚料理をと思って入った店ではお昼定植(サービス)で満腹した。 次に目指すは住用村にあるマングローブの群生地。加計路間島がダメだったら、マングローブのカヌー体験をと心に決めていたので途中道間違えて、展望台に登り写真撮影(前回アップ)したあとまたもや、ながーいトンネルをくぐりぬけ眠気よけのガムをかみながらマングローブ公園を目指した。途中、住用村の特産のタンカンを買いほおばると、おいしい。地図を片手に迷い道しながら、カヌー体験茶屋に寄った。丁度2時だったので、けさのクラブツーリズムの団体に合えると期待したが残念、あとで聞いたところによると別にも体験ガイドの店があって多分そこでしょうとのことであった。受付に名前書いて、車の後についていくと川べりにカヌーがおいてある。若い女性が二人に先ほど展望台で一緒になった青年との5人組での体験のインストラクターはこれまた美人の女性。ラッキーなことにさらに、女性のペアは(鹿児島)MBCアナウンサーでしかも実況中継ときている。妻はカヌー初体験なので最初は悪戦苦闘していたがすぐになれてガイドの指示に従い狭い水路のマングローブ林を水の流れに翻弄されながらも実況中継のアナウンサーを他所に二人で楽しむことが出来た。そのうち川幅も広くなり海との合流地点では思い思いに船をあやつり仕掛けの網のノコギリガザミなどを見学しながらアナウンサーたちとの会話も楽しみながらの楽しいカヌー体験でした。住用村から名瀬市内には朝戸トンネルを抜けたらすぐで最終の目的地龍郷町へと今朝通った道を今度は右折した。濱田さんに子供のころのお礼を言いたくて又、昨日船上から見た灯りの灯台を確かめたくて秋名の集落を目指した。
2007.03.18
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朝寝坊した。夢のつづきを見たいところであったが珍しく妻に起こされた。夜明けの天気は曇り、風は穏やかである。英語で歌うコーラスを聴きながらお茶を飲んでいる。役場への出勤時間を気にしながらの朝のひと時を過ごすのもあとしばらくだ。今日は日曜日だから時間を気にすることもないが、これからいつもがこんなになるとするとだらけてしまうかもしれないので朝の習慣をきちっと決めておきたいものだ。今日の午前中は「ツアーガイド育成講座」の歴史案内に参加するつもりでいる。講師は麓先輩。寺と赤と黒について(寺崎・赤崎・黒花)シニグ祭りに関するシニグ道を尋ねてみようとのことで連絡をうけている。私がまだ調べてない部分が多くあるので大変興味を持っている。これからの郷土研究会の活動が期待されるテーマを提供しようとの先輩の試みが覗えて大賛成だ。私がやらなければ先に進まないと思っているが、目先にやりたいことがのことが多くあるので準備してある旧道作成集落地図が白地図のままである。退職ごの最初の課題を与論町におけるサークラ集団のシニグ道として調査し記録に残すことしたい。寝坊しないで朝の30分ぐらいをその時間にあててブログもそのテーマで書くとしよう。朝食までチレットと散歩してくるとしよう。
2007.03.18
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船が5時半発だったので早起きしてタクシーで待合所に着いた。離島の離島の待合所は、ウクレレ背負った男の旅行者私達以外は皆地元の人たちであろう。昨夜の「葉月」の彼女と見送りのママが挨拶してくれた。定刻で出航した船上から喜界島に別れを告げ、次の寄港地名瀬港には大島本島の北端笠利崎灯台を廻らなければならない。初めてのコースなので起きていたが夜明けまではまだ間があった。奄美空港のある笠利町は空港管理事務所勤務の際研修を受けた時あちこち案内してもらったので可也知っている。そのほか農業視察などでお世話になっている。灯台を廻る頃には廻りも明るくなって近くの岩場を見ていたら何か黒い物が波間に見えて消えていく、もしやクジラ?3回見えたので、あわてて客室に下りて妻を起こして見えてた付近を指差すと最後の一回尾びれが見えた。ラッキーだった。隣で見ていた男の人が笑っていた。後で聞いた話によると最近時々見えるそうである。 この海域を昼に航海する船に乗る機会がめったにないので名瀬港に着くまで海岸線をみることにした。妻も付き合ってくれたので、「一隅を照らす灯台」の話をした。ブログでも紹介した「教育観光の島」に応募した小論に、13歳祝いの時「不断の努力」「明るく・強く・正しく」と書いた掛け軸もらった元海上保安庁の人のことに触れたが、その灯台を船上から確認したかった。龍郷町の秋名という集落に建てられたと聞いていたので、一度探し当て灯台を確認したことがあるが、秋名の集落の人に尋ねても濱田さんは知らないと言われ諦めて帰った思い出がある。船上から、秋名と思われる集落の入り江には灯台らしき灯りは見えず、それらしき小さな灯りが隣の入り江には見えるが夜明けになり町の明かりも薄くなって次第に船は寄港地名瀬に近づいていく。チェックインした後はレンタカーで大島本島を廻れるだけ廻る計画を立てた。私は見たことのある場所を妻にも見せてやりたかった。ホテルで朝食を取ったあと、クラブツーリズムのお客さんに声かけてみたら加計呂間島とマングローブの散策コースだという。「与論から来ました」というと、添乗員がいっしょにどうですかと優しいお言葉、「ありがとうどこかで会いましょう」と別れる。加計呂間島か住用村のマングローブの森で会える時間を設定してレンタカーのハンドルを握った。兼ねてのホラふきの腕を妻に示すチャンス到来である。 明日につづく・・・。
2007.03.17
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喜界島は鬼が島などとも呼ばれ古い歴史の中での記述が残ってる島だという。かつては琉球から討伐隊が来るほどの統治府があったらしい。与論島の歴史にも疎い私であったが、島内案内中に見せてもらった古代集落跡地の発掘調査には心躍らされた。かなりの規模の発掘調査をしている現場で琉球大学の調査員の方に案内していただいた。お墓に興味がありと言うと、丁度発掘現場があるとのことで、火葬埋葬骨と装飾品やカムイヤキ・白磁などの埋葬跡を見せてもらった。別の場所では石畳の道路と埋葬あとの墓。屋敷内にあると思われる墓には女性と思われる骨が手と足を伸ばして埋葬されていた。歯のきれいに残った頭蓋骨は頭半分大の石2個で押さえつけられてあった。胸にも1個の石があり、何故なのかとても興味があった。11世紀から12世紀ごろの遺跡らしいとのことで琉球弧でこれだけの集落あとの遺跡は初めてのことで学会でも注目を集めているらしい。古代のロマンを感じさせる島である。 第二の目的、オオゴマダラとアサギマダラについてはとても私たちが取り組んでいる与論の状況は足元にも及ばない広がりを感じた。個人の住宅の庭先には食草のホウライカガミが植えてあり又自然のなかには蝶の食草がいっぱいあった。日ごろの案内者の行いが良かったようで、天気も晴れてきて南向きの海岸端のモクマオウ林の一角ではオオゴマダラ・リュウキュウアサギマダラ・ツマベニチョウ・モンキアゲハなどが飛び交い、オオゴマダラは足で踏みつけられないかと心配しながら写真を撮った。これではとても叶わないと実感して、負けるわけにはいかないなどと変な気を起こしてしまった。兎に角、先進地に学んで食草を植えることと、学校教育を通して昆虫たちと自然の共生を教えることだと思った。5時過ぎまで私のわがままを案内してもらい宿に送ってもらったがどうしても黒砂糖工場を見たかったのでタクシーで荒木集落を訪ね、留守宅の工場2件をみせてもらった。昔風の平たい鍋が2枚あり、どうもキビのしぼりがらで炊く仕組みの様子だった。子供のころ自宅で炊いていた砂糖小屋(サタヤー)を思い出させた。サタ車の変わりに動力になっていたが製法は変らないだろうと思う。次は製法の勉強に来たいと思いながら、帰りは歩くことにした。ハイヒールが痛いと言う妻を励まし、道に迷いながらながらあること約1時間やっと夕食にありつけると入った食事処「みかる」はお客が多くカウンターの隅に座った。山羊刺しをつつきながら初期の目的以上の獲物に感謝しながら高橋先生紹介の「葉月」の話をしていると隣の男性から声かけられ送ろうかと誘われた事から話が弾み、同級生でアサギマダラのマーキングをしている私たちも知ってるかたを電話で呼び出したりして予定は思わぬ展開になってしまった。薬剤士で近くUターンして薬局を開いたという彼は蝶に関心を持っていて喜界島を蝶の町にするのだと情熱的に語る。小学校の教頭をしている友達が息子を連れてやってきてたりして初対面なのにすっかり仲良くなって荒木の黒砂糖つくりのことも聞けて人事交流も出来本当に良かった。「葉月」には店の主人に送ってもらて中にはいるとダンスもできる広さに場違いを感じた。カウンターの片隅に陣取り、先生の紹介したモニカさんを指名するとママなどがやってきて思い出してくれたようだった。カラオケ上手なひとたちばかりで気後れしたが進められるのでこぶしの利く「あの娘たずねて」佐々木新一を気持ちよく歌った。新婚のモニカさんが明日の朝の船で名瀬に行くとかの話しを聞きながら「十代の恋よさよなら」を歌ってお別れした。喜界の人たちとの出会いはすばらしかった。 こころより感謝。 是非、与論島にもお越し下さい。
2007.03.16
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ガジュマル・アカテツ・フクギ・ハスノハキリ 久しぶりの仕事場、急ぎの書類も溜まってなく週末の朝礼で始まった。町長から飲酒運転の処罰の厳重注意があっただけであまり緊張感のない朝、朝礼が終わりインターネットを開くと12日までの報告文書の通知が入っていたので急いで返信した。ネットでやり取りできるようになって、書類作りが楽になっている。この1年の間に与論町役場の文書のやり取りも大分変ってきていると思う。電子社会についていけないと役所仕事も勤まらなくなった。 さて。2日目はホテル荷物を預け、奄美空港を10時20分に喜界に飛び立つ予定で朝食を済ませると空港行きの初バスに乗った。田中一村館のある奄美パークを見学するためである。小雨の中開園まで庭を見て歩いてたあと一村の作品を見たが2度目のためかあまり感動はしなかった。妻はもっとじっくり見たいとか言ってたが、空港行きのバスが気になり玄関で待っていたら与論から研修に来ているYさんに出会った。あーら偶然だなんて言っちゃって、バスを乗り過ごしてタクシーで飛行場に行き喜界島に着いた。降りたら傘でも買って役場に寄ろうと思っていたところ、役場のIさんが迎えてくれた。「女房と弟が寄るからよろしく」と伝えていたが迎えに来てくれるとは思っていなかった。宿の予約をしてなかったので彼に紹介してもらったところはあいにく満室で前に泊った第一ホテルにした。 妻が初めてだということで、観光係の職員も案内についてくれて恐縮することしかりだが、まーあお互い様と甘えることにしてまずは特攻隊の記念物、ゼロ戦の格納庫を案内してもらった。ミカン園の奥にひっそりとあって、個人有地にあるので誰でも見れると言うわけではないようだった。次に、黒砂糖工場がある荒木集落を回ったが、製糖している現場に出くわせないとのことで車からおりての見学は出来なかった。企業秘密で見せてもらえないのだろうと思い無理なお願いはしないで日本一のガジュマルの木に案内してもらった。そのあと、世界一のフクギの木、アサギマダラで有名な福島さんのアカテツの木日本最北端のハスノハキリの大木、夫婦ガジュマルやアサギマダラのマーキングをする林道など喜界島の自然を堪能した。案内する言葉の端々に2人の郷土を愛する気持ちが伝わってきてとても心が和んだ。後半は次回にするとしよう、いっぱいあるのだけれど上手く書けない。
2007.03.16
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休んでいる間のブログ覗いてみると、みんないろんなことあったのだなと思う。全部を見たわけではないけれど季節の天気が体調を崩させるのだろうか?幸いに私たちの奄美の旅は順調すぎるほどのラッキーな旅であった。 初日は年休をもらっていたが出勤して郷土研究会の預金口座を私名義で新規に作ってもらい公印代金の支払いをするのに時間がかかってしまった。月曜日だったせいか、仕事やその他(大学からの調査案内)のことで雑用に追われバタバタしながらお土産を買って登りの船に乗り込んだ。 出航後島を見ながら看板で昼食をとったあとしばらく寝ていたら妻に起こされた。近くで三味線弾いているグループがあるが音色がきれいので聞かせようと思って起こしたという。なるほど、聞きほれる弾きっぷりと歌う男女の声にとうとう沖之永良部に降りるまで耳をそばだてることとなった。廻りの人に遠慮しながら弾く姿や気配りから素人ではないと思はれた。下船する時、挨拶してお礼をいい出身地をお聞きしたら知名町の田皆集落の方だと言われた。師匠にお願いしたい弾き方だった。与論ではこの人より上手な人はまず居ないと思った。 定刻の9時前に下船しチエックインを済ませ行き着けの居酒屋『ドン』に顔だしたら、卒業式の前夜だというので淋しく私たちだけの客であったがビール一杯でおいとました。 電話してあったいづみのママ、としこさんが新しいお店「やどりぐゎ」の外で待っていてくれて久しぶりの再開に妻と抱き合っていた。それこそ小さな小さなお店の中は、趣味の草木や小道具図鑑や雑誌の奄美に関するの本類が並び、大きな水槽には魚が泳いでいる。手づくりのお菓子などを売ったり昼間はご婦人方が談笑できる喫茶店、夜は馴染みの男性の居酒屋になって前よりは気楽にやっていると近況を語り合いながら、夕食を作ってもらった。私はテーブルの火鉢で炭をおこし、ふかした芋を焼いて妻にサービス彼女の店の雰囲気をじっくり味わってもらった。食事が終わったところに丁度女性2人の来客があり一緒になって話しが弾んだ。恰幅のいい年配の女性の方は知名町出身で元神戸製鋼のバレーの選手だったこと、従弟は私のよく知っている仕事仲間だったりして、話はつきそうになかったが午前様になっていたのでママとしこさんとの25年来の友情を確かめあえたうれい名瀬の夜であった。 明日は目的の喜界島、どんな出会いが待っているやら・・・。
2007.03.16
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3泊4日の夫婦旅行から今日帰りついた。楽しくて有意義な研修旅行であった。お蔭様で天気にも出会う人にも恵まれていた。とりあえず、写真を載せてみよう。
2007.03.15
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同窓会は少人数(6人)であった。度々の彼の帰省の同窓会に会長が声掛けを遠慮したという。珍しく女性郡が来なかった。還暦祝いの時の会長までの期間を引き受けることで会長引継ぎも行った。少人数だったので真面目な話になって、私もこれからの夢について語った。二次会まで行ったが、歌も歌わず静かに過ごした。東京で成功していると聞く郷土の先輩の話も聴くことが出来有意義な時間を過ごした。帰りに、百合が浜見たいとの友人と夜の浜辺を歩き海風からパワーをもらい帰宅したら12時前だった。 昨日はびっくり広場あとの片付けの道具を運んだあとは女子マラソンの観戦、マンゴーの接木などで暇つぶしした。雨あとで農作業が思ったようにはかどらないでいる。 さて今日から、奄美大島への旅がはじまる。12時の船で、沖之永良部島・徳之島を経由し大島本島の奄美市(名瀬市)にて下船し泊る。明日は名瀬を発ち奄美空港から喜界島に渡る。島内視察し夕方は筑紫アナウンサーの弟が経営するスナックでカラオケ歌う予定にしている。次の朝早く船で再び大島へ渡り、行き当たりばったりの大島本島の旅をしようと思う。案内は20年以上付き合いのある「スナックいづみ」のママにお願いしようと思う。元海上保安庁に努めていた浜田さんにもお会いしたい。木曜びの下りの船で与論に帰りつく予定を立てている。どんな出会いがあるか楽しみだ。 今日は穏やかな天気に成りそうだ。妻は船に弱いので凪いで欲しいものだ。 びっくり広場(館) 一階は食堂・アトリエ・事務所 二階は住居に改造する計画 このエリアを皮切りに百合が浜入り口の 観光客の憩いの場所のゾーニングを試みる。
2007.03.12
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泡盛の胸の 燃ゆる想いにくらぶれば 煙はうすし桜島山とか、マチャンの航空写真をみながら思ってしまった。何度も鹿児島から与論までの機上から眺めているがあのような写真が撮れる気象条件はめったにないと思う。飛行機に乗ったら天気のいい時は島伝いに位置を確認しながら機上のひと時を楽しんでいる。高度は大体同じなのだけれど、時々飛行コースが微妙に違うので島が見える時と見えない時がある。しかも、雲に左右される。屋久島が見えることは希であった。鹿児島の上空から飛行場までの間は地上での視察地などを思い出しながら場所をあれこれ探す楽しみがある。みんなが気持ちよさそうに寝ている間出張旅費を無駄にしないように勉強することにしていた。船の出張の時も同じで甲板でビール片手酔いしれるまで船上の人を楽しんで旅行気分に浸っていた。 鹿児島市内の予備校に通いながら浪人時代をばら色に過ごした。鹿児島弁の講義が余りわからないので受験勉強よりも社会勉強の時間が多かったのだろうか何になりたいとかの希望もなく両親は教員になって欲しいのはよくわかっていたが自分としては農業改良普及員にでもと思っていた。そこそこの勉強しかしていなかったので宮崎か鹿児島の農学部の園芸科を目標にしてた。祖父が与論では獣医が不足しているのでと獣医学部を勧めたので鹿児島大学の学園祭で獣医学科の教室を覗くと血がドバットついた展示を見せられとてもダメだと思った。 与論の田舎からポット出てきた 我が胸は桜島の煙より熱く燃え 受験勉強よりも社会勉強の方が忙しかった。ボーリング・スケート・映画と知識欲旺盛でわずかな小遣いを頼りに1万円で質流れのステレオを購入してからは城山スズメを聞きながら、演歌以外にも音楽があることを知った。クラシックはヨハンシュトラウスのウインナワルツから始まったと記憶している。外国の歌は「明日に架ける橋」のサイモンとガーファンクルである。ビートルズやジャズは学生になってからでこの頃はフォークというものを知ったばかりだった。 まー、そんな頃コーラスというジャンルがあると知ったのは○○女子高が全国で金賞をもらったと知ったキッカケからである。出張で暇つぶしに桜島桟橋をブラブラすることがよくあるが磯公園で櫻島の借景を見ながら造園学科に進路方向した当時を思い出すからである。 あの浮遊物のような浪人時代がなかったら今の感性はなかっただろうと思う。青春時代をそのまま我がままに生きたと思う。それを許してくれた両親と家族には心より感謝いたします。そして、その頃の私を暖かく包んでくれた出会いと別れた人々にいまさらに感謝いたします。この今の 燃える想いを 君ならで 桜島の連絡船に用もなく ビール片手に乗っている私が居ることだ いやはや、 青春とは 口にとろける蜂蜜のようだね。 その苦さ甘さが 人生の妙味 だろうか。 やっぱし 第九 には感動する。
2007.03.11
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自給野菜の手入れをしているところに来客があり自宅に戻ると昨日相談があった薬草パンフが出来たとのことでHさんがわざわざ訪ねて来てくれた。退職後の自営業などのこと話をしているところに弟もやってきてマンゴーを見たいと言うので連れて出かけるところに電話が来て島内案内を頼まれた。座間市から夫婦で遊びに来ている方に与論の穴場を案内してと言われ天気も悪くて雨も降り出して、しかも2台で行ったので現地に降りて説明もできず不本意な案内となってしまった。昼食前はようやく空は晴れて、気も晴れはしたが昼食のもずくそばはもずくが美味しくなかった。 午後は同級生2件と彼の親戚1件の挨拶まわりについていった。3件のそれぞれの家族の暖かさを感じて満足して帰宅したあとトゲナシアダンの株分けをして畑の隅に植えた。苗木商売の原木用に増殖を行うことにしたのだ。アダンの苗木を防風用苗木として又は観葉植物として仕立てようという算段である。今年の目標NPO法人を立ち上げること苗木の商売を始めること与論民謡「チヌマンダイ」を蛇皮線で弾いて歌えるようになることに向けての準備ができつつある。夏までには蛇皮線を買うことにしよう。妻も亡き叔父さんの歌(自己流)を引き継ぐことを応援してくれるのがありがたい。NHK素人喉自慢チャンピオン大会を見ていて人を楽しませることは素晴らしいことだと思って個性のある歌い手さんがうらやましかった。明日は例のびっくり広場の道具片付け。そろそろ天気になって欲しい。 航空防除事業 知らずに地下水汚染の手伝いをしてた泡盛くん 知らずに写っていた
2007.03.10
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与論島では3月10日はサトウキビの日そして農村婦人の日として捉えられていると思う。百円市(まごころ市)前で「地産地消わくわくフェスタ」が開かれたりしたが今年はどうなるだろうか。自給野菜の苗木を覗きながら、農業改良普及所の活動状況をうかがってみよう。与論島の農業発展につくした普及員の影響は大きいものがある。普及員の普及した作物の名前の前に個人名をつけて君付いんげん・牧野オクラ・後迫さといもなどと呼んだ時期があった。普及員の変るたびに作物が変る産地育成はおかしいと思った。私も少しは農業技術も身に付いた南普及員の頃から石川さといも一本に絞ろうと園芸部会で申し合わせた。花については、普及員が野菜担当だったので農協の技術員が中心になって皆で勉強会をしたりした。行政と技術部門の分担作業も提案し農協・普及所・役場の三位一体の現場指導をモットーにした。指導員が現場で別々の指導をしないことを申し合わせたのである。私は行政の立場で考え、技術指導は極力慎むことにした。農家の意見を補助事業導入などに反映させるのを主なる事としてとらえることにしてたつもりである。 農政に関するマスタープランなども大分書かせてもらったが実際とそぐわないジレンマを味わった思いがする。グチになるので止めるが、与論農業の中長期プランをしっかり立てて欲しい。今日は砂糖の日。製糖工場の行方について本気で考えないと与論農業の発展はありえない。産業振興課と課名がかわり耕地課と産業課が合併したこの際振興方策を農政推進協議会で打ち出して欲しい。与論町技術連絡協議会の皆さん頑張れ。農家は皆さんのご指導と助言が頼りです。
2007.03.10
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観光拠点施設サザンクロスセンターはその建設に散々苦労したと言われ、電話番号を3396にしたと聞いた。土壌診断センターは、3596で産後苦労すると覚えている。ある人は、当時の担当のさコークローするという人も・・・。私の自宅は酔い兄さん、か良い兄さんと覚えるといい。 今朝も小雨降りの寒い天気になった。週末の金曜日は朝礼があり転勤で警察2人の挨拶のあと町長より観光元年宣言があった。観光の建て直しを図る元年にしようと言うことらしい。私たちはすでにオオゴマダラによる島興し宣言をしたとこらであり政策のお手伝いが出来ればと思う。海洋少年君がNPO法人(準備中)愛・平和・ちゅら島ヨロン島の蘇生代表 泡盛凡人のパンフレットを作ってくれた。マラソン記念植樹の寄付金を元に今日からスタートする。奄美大島信用金庫の預金口座を作った。これから、10名の会員を募り規約を作って申請をして今年中には正式に発足したい。 今日はサンキューの日でいいことがいっぱいあった。薬草のパンフレットつくりの相談も受けたので、ちょっとした口添えに稲田先生を紹介することができた。また、高知大学の先生方4人と地下水汚染の状況など資料提供しながら意見交換ができたのは今後の環境検分には大いに役立つと思う。 も一つ、待ちに待ってた、ストックヤード事業の確定通知を県から頂いた。これで心置きなく卒業できる。お手数かけたかたがた特に沖縄チャンドラーさんに感謝。そして、突然役場に顔を見せてくれたのはハナドゥさん親子。法事(1年忌)で帰ってきたという。日曜日には同窓会をする打ち合わせして分かれた。夕方は徳之島保健所の出張帰りの同僚と2分5厘(出張帰りの懇親会)、課長の議会初舞台も兼ねて「海将」で飲んで待ってたが三回電話しても来てくれずあきらめて酔ってる同僚を残し中座した。明日はひさしぶりの農作業を楽しもう。
2007.03.09
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クオリアをクオリティと思っていた節があったが何となく、おぼろに、私的な勝手な解釈をして読ませてもらっている。なかなか理解しにくいのがビートルズの精神文化といおうか「LOVE]についての筆者のクオリアであるが・・・は読むのさえ抵抗がある。それはどの程度私がビートルズを聴いてどのような感動やその曲に対する思いを持っているかにかかっている。私がビートルズが好きだったから読む気になるのだけれどこれがローリングストーンだったらおそらく読まないだろう。「クオリア」を女房に説明していて「概念」について考えてしまったからわけのわからないことの書き出しで今日が始まる。 今朝、ひげをそりながら目の前に100円玉見て回顧した。去年の今頃この時間に目が覚めてすることにカンビール代200円を血眼になって捜すことだろうと思った。10円硬貨も拾い集め裏の中窓を抜け隣の楽園荘の自動販売機に200ミリリットルを求めて散歩にでていた。神棚はもちろん台所の料理酒まで飲んだが料理酒(みりんなど)は流石にまずくて飲めなかった。ワインは何とか飲めたが飲んだ分水を足しておくほどに念を入れたが、女房は気がついたかどうか? なぜ、そこまでなっていたかと聞かれてても酔い心地が好きだからとしか答えられない。 酔狂で文章を書いていてその開放感に浸っていたと思う。 昨日は共通一次試験の合格発表があって、九大と鹿大医学部の合格の知らせが妻に来てともに祝いあった。去年の娘のときは自分の仕事の合否でそれどころではなかった。役場を辞める決心がつかず迷っていた時期でもある。ストックヤード事業採択の知らせを待って決めようとしていた3月1日はとっくに超えていたので、繰越事業になるにせよ責任は取ろうと思っていた。女房にも相談せずに勧奨退職願いを出すことになったがそれがキッカケで断酒が出来たのだろう。このまま役場の仕事を続けると完全に依存症になり人生を棒にふると思ったことと「与論島」を共著にしてくださった高橋誠一先生に顔向けが出来ないと思ったことも手伝っている。一年前を振り返り、ほんとにいい決断をしたと喜んでいる。 合格の通知を未だもらえなかった受験生の皆さん、人生は私が思っていたより長くて厳しかったが乗り越えた時の楽しさうれしさはその分だけ自分に跳ね返ってくることを楽しみに新たなる挑戦を試みてください。真の目的は何なのかはまず合格してからとは思うが若い時の一年はながいと思うけれど私にとってはこれからの人生を長く感じたい今日この日である。 すこしづつ、すこしづつ、それが大きい。 今日も元気でいこう。 写真は企画調整課より ビラミッドの頂点に立っているのは 誰だろう。 窪舎会卒業生頑張ろう。
2007.03.09
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カランコエには幾つも種類があるみたいだ。多肉植物で乾燥に強いので育てやすい植物である。そのなかでも、セイロンベンケイソウは野生化している。かつては畑の雑草として嫌われた植物であったけれど近年は基盤整備された畑では見られなくなった。その他の雑草も基盤整備のせいだろうか、ほとんどがセンダングサに取って代わった。ベンケイソウは観光が盛んな頃、「幸福の葉っぱ」などと名前をつけて出回ったこともある。 リュウキュウベンケイソウのことを知ったのは数年前、奄美大島の植物に詳しい田中満大先生に希少植物であることを教えてもらい株を分けてもらったものである。かつては与論でも自生してたとのことである。暮れごろから咲いている黄色の花は開花期の終わりであるがバカボンの庭さんの要望にお答えして写真を載せてみます。キャリアンドルは上手く撮れませんでした。冬の間次々と咲いてくれるかわいい花です。
2007.03.08
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春の嵐が吹き荒れたあと寒が戻った感じがする数日がすぎた。今日は星空案内のお手伝いが出来ればと思うが天気が気になる。久しぶりに「星座ガイドブック・秋冬編」 藤井 旭著 を手元の置いているが未だ開く気持ちになれない。昭和60年度 「うりじん」 与論町農業自営者クラブの寄稿文「ハレーすい星に寄せて」匿名希望の文頭を載せてみよう。 雪のかたまりの様なものと思われていたすい星は、ピーナツ型の黒い核を持ったものであるらしいと最近の新聞は報じていた。 3月13日午前4時、2日酔いの眠たい目をこすりながら子供を連れて琴平神社の境内に行った。上空には星が輝いているのに東南の空は曇っていて、見えるかどうか心配していたが、次第に雲が薄れ4時30分には肉眼でもはっきり確認できた。新しくそのために買った双眼鏡で見るとテレビなどで放映する白い尾をひいたすい星が目の中に飛び込んできた。「76年ぶりに帰ってきたハレーすい星」をとうとう見ることができた。知人の望遠鏡で土星の輪を見せてもらったり、又、南のそらの星団を覗きながら夜明けまでしばし星空に魅せられていた。9年前与論に帰ってから3年ぐらいはこうして星空をながめたりしていたのだが今は星団・星雲の名もだいぶ記憶から消えてしまった。 宇宙の神秘に思いをはせる時、そこは僕にとって自分がいきづまった時の逃げ道であるように思う。仕事や人生が何となく嫌なとき、星空をながめて流れ星を数えていると、自分がちっぽけな存在になって悩んでいることがバカらしくなる。宇宙のなかのしかも地球の人間の存在なんて・・・・・・・。 夏の夜、一晩に流れ星を120個数えたこともあった。科学と言わず農業情勢の変化はめまぐるしく・・(略)。「うりじん草」とは春の芽吹きに畑に勢いよく生えてくる雑草の総称である。与論島では ムラサキカタバミ・ヤエムグラ・トウダイグサなどをさしている。近年はこのうりじん草もシロバナセンダングサに駆逐されて見かけることが少なくなった。沖縄では「うりずん」と発音している。私の心は今 うりずん の晴れやか気持ちでいる。今日も元気、いい日に感謝。 ルリかたばみがうりじんぐさでムラサキカタバミは外来種のオキザリスの原種 の勘違いでした。ヤエムグラか かなむぐらか? 図鑑を調べずに書き込んでいるので、あしからず。
2007.03.08
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私が役場にお世話になってから取り組んできた園芸作物について今朝写真で紹介したが、実際自分で経営することになったのは熱帯果樹であった。いんげん、石川里芋の輸送野菜からグラジオラス、菊などの切花を経てマンゴーやアテモヤに取り組んできた。その他、沢山の試作のなかで、自分にあったのは果樹だと思った。もともと木を育てることが好きだからである。枝を仕立てる作業が苦痛ではなく楽しいから長続きしている。果樹のあとは、観葉植物をと思っていたので、退職を機会に苗木栽培を考えている。熱帯性の観葉植物をどうにかして流通に載せて商売できないかとこれからその関連の人の知恵とアドバイスを分けていただきたい。かねて見過ごしている、自然に生えているもみじの葉っぱがお札に化けたように私の庭には妖怪がいっぱい潜んでいる気がする。これから このはのこ とともだちしてみよう。 「クオリア」について検索してみた。面白い概念に取り付かれ、妻に説明を試みたがよく説明が出来なかったし私自身がまだまだ理解できないでいる。他人の「嘆き・痛み・苦しみ」などの概念についてどう説明していいかわからないようなものであるらしい。とかの程度に理解した。 さて、今日、県庁からとうとう最後のハード事業の確認の通知を受けてホットしている。めでたしめでたし、やっと卒業できる。農業振興を図るために農作物の推進と販売促進に携わってきた。農協との連携でそれを達成するために努力したつもりでいる。写真は私が少なからず関係した農協の流通施設である。これらの施設整備に当たり、出張などの多くの機会があり大変勉強になった。特にアグリベンチャー事業は国の臨時予算で導入した悩みの産物であった。関係機関の方々、特にコンサルの野島さんに心から感謝申し上げます。 あれから立ち直り、今回の国の事業を最後に、やっと補助事業の仕事を卒業できてうれしく思い、自分にご苦労様と言いたい。事業は効果を挙げてこそ目的達成であるので今後も自分がした仕事については忘れてはならないと思う。住民として、農家としてこころして生きたい。
2007.03.07
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「与論島クオリア」を(与論情報サイトで)読ませてもらっている。いつもながら感じることに、私にはあまり見えてない鋭い目が光っていることだ。こんなに島を想ってくれる人がいるのだと・・。どっぷりと島時間に浸りきっていると見逃したり感じることを忘れていたりしている事象に光を与えてくれる。私の持っている感性の及ばぬ時点での与論の将来を捉えて話しかけてくれる。ヨロンマラソンへの励ましのコメントは最大級にうれしかった。私もやっとブログの仲間入りが出来たと思い、これからもあれこれと教えてもらい、与論島愛好者に地元情報を発信できればとの思いを強くしている。 喜山さん この場を借りて 「とぉとぅがなしどぉー」 昨日のツーリズムクラブとの交流は私がこれから試みたいツアーガイドの参考になった。明日は星空観測のお手伝いを頼まれているので、少し予習でもしておきたいが、明日の天気見ながら考えよう。 さて、今日の写真は昔の与論島より私が仕事で取り組んだ新規作物を載せてみる。与論島における園芸農業の作物のほとんどが私の担当してた時代に導入され失敗も多かったが残っている作物が現在の、いんげん、石川里芋、花や果樹である。詳しいことはいつか「私の農業史」として記録に残したいと思って構想を暖めている。
2007.03.07
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地主(とこぬし)神社境内にて マラソン大使 窓口に観光で訪れたらしきお客さんの声がしたので暇つぶしの相手に話しかけたところ気心があって話しこんでしまった。グラスボートで百合が浜の見物予定が悪天候のため中止になり用事もないのに待ち合わせのため役場に入ったとの事である。旅なれた人たちであちこちの観光地の地元の対応の仕方などについて気ずいた事を率直に語ってくれた。面白い人たちだったので、時間休をもらい案内のバスに同乗させてもらった。役場の職員がどんな案内をしてくれるか面白がっている風だったのでこちとらも、面白半分真面目に案内することにした。場所はと聞いたらなんと「赤碕海岸」。しめしめ・・・。今朝のブログに書いたことしゃべればいいなんて思いバスにのり冗談ぶちかましたら「お前はしゃべりすぎだ、わたしたちにもしゃべらせろ」ときた。実にあいずちが上手いしつっこみも・・・。漫才組もうと言い出す場面もあり、マーまー受けたようであった。赤崎海岸に着くとうそのように天気もよくなり、案内者にとってはラッキーだった。貝殻が欲しいとの要望に、今朝見つけてあったのを持ってきてあげると未だ隠してあるのだろうとの要望にも答えてあげることが出来た。「味咲」食堂で一時休憩、飾ってあった貝殻に目をつけて本物を手にして喜んでいるお客さん、星砂をただでわけてもらったり、お客さんは与論島の心を拾って帰ったと私的には満足であった。見送りするつもりでオオゴマダラの蛹を用意して空港に行ったが着くの遅かった。お客さんから聞いた時刻が間違っていたのだ。てっきり臨時便と勘違いしてた。ま、いいさ、乗ってるか乗ってないか判らない飛行機に滑走路の脇で降りて「ズンドコ節」を思い出し手を振った。観光ガイドの大切さを心した。お客さん、又あいましょう。あのなかの2~3名はもう一度来てもらえると思った。そんな出会いが多くあればいい。 百円市場「まごころ市」 生活改善グループ担当時代 その後農協婦人部の「みのり市」もでき自給野菜売場が広がる コイン式自動給水施設 与論島第1号機 野菜端境期事業(国庫補助)で導入 井戸は畑潅事業(百トンタンク)、浄水道事業などの用途変更手続きなど経て 和泊の先進地に学び設置した。
2007.03.06
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おいら岬の灯台守りは 妻と二人で 道行く人の 無事を祈って 灯を灯す 灯を灯す 完走パーティのひょっとこ踊りの仕掛け人は、海上保安庁の職員だった与論ひょとこの仲間だとてっきり思っていた。海上保安庁の来賓さんに、13歳祝いに「不断の努力」の自筆の掛け軸下さった浜田さんのことを話したらご存命だと知って、今度の奄美旅行のさい訪ねてみようと思う。灯台係長で停年後はお亡くなり(倒れた)なったと聞いていた。私の進路の目標を与えてくださった恩人である。自費で建てたという灯台は見に行ったことがあり、その足でお宅を探したがとうとう会えなかった。 赤碕の海岸の灯台を見るにつけ思い出さないではいられない人である。今回のひょっとこ踊りは神のお導きがあったと思う。マラソンの当日犬のチレットと「赤碕拝(ウガン)」に手を合わせた。コースタルリゾートの次はこの一帯の整備が必要だとこの一年赤崎の海岸をほっつき歩きながら考えていた。与論の原住民の上陸地がここであるならばまずここを清めるのが先だと思う。「美咲」食堂がここに営業を始めて以来、ちょくちょく顔を出しながら構想を練っていた。ここの自然石を利用して灯台までの自然を生かした手作りの道をつくりたい。まず手始めに、昨日写真で紹介した海岸への降り口に砂利を敷いてみた。美咲食堂のご主人さんも協力してもらってすこしづつすこしづつとの積み重ねで歩きやすくなったと思う。私の、ハーフマラソンの練習道路であった。成果はこれからである。一人の一歩が(美咲さん)私に移りこれが浜を訪れるお客さんに移るといいな。共動の砂の道ができる。ついでに、美咲のご主人は真田さんだ。真田行村の子孫かどうか聞いてはいないが、与論の人と結婚した定住者の一人である。 ともあれ、コンクリートの道よりは、自然石を利用した方がいいに決まっている。幸い、灯台の周辺は耕作放棄地が多いので地主と相談してモクマオウ林を地元に元から自生していた植生に再生をかけたい。さて、誰がこれからどう動くのか。泡くん頑張れ。
2007.03.05
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昨日とは打って変わって雨模様の寒いひになった。記念植樹の場所に行って準備をしながら果たして何名参加してくれるか心配になりモンパ・アダン・ソテツ・ホウライカガミを植栽位置に配置して待った。10時になって、小雨の寒い中で麓会長の趣旨説明のあと私も一言。人は一生のうちに5本の木を植えましょう。一本の木が林になり林が森に育ちやがて森林となる・・・。蝶の飛び交う島づくりを呼びかけた。植栽の様子は与論町役場公式ホームページでとくとご覧下さい。これから、この一帯を与論の海岸植生を考えた植栽を試みようと計画している。地被植物から潅木・中木・高木と潮風に強い樹種を選びその中に蝶々の食草となるキョボクやミカン科の植物、トウワタ等・・。来年の植樹の時まで全種類の蝶の食草の鉢植えを準備しておきたい。参加費1万五千円いただきましたので、その費用にしたいと思っております。寒い中本当にありがとうございました。夏にはこの場所にオオゴマダラの幼虫と蝶を放ちます。協力していただいた皆様への報告は公式ホームページでご覧下さい。3年以内に与論で普通に見られる全種類の蝶々の姿をこの森で見られるよう泡盛がお約束します。蝶の好きな全国の皆さんアドバイスをよろしくお願いします。そのほか、百合が浜の見える大金久海岸に「蝶の館」も計画しています。展示などもできたらと思っているので、標本つくりにも協力下さい。ヨロンマラソンの朝この海岸で足腰鍛えました。私の足跡です。ついでに記念樹も植えておきました。ハスノハギリです。大木になって赤碕のシンボルの樹になって欲しい。神木に育てよう。
2007.03.05
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久しぶりの雨の音である。一日おくれで本当に良かった。今日は「蝶々の王様・オオゴマダラの森」の記念植樹何名参加してもらえるか心配だが、兎に角準備は整っているようだ。あとはホウライカガミのポット苗を運ぶだけである。雨具が必要だけれど、そこまで手がまわるかどうか?ボランティアは先準備がたいへん ・・・。昨日のマラソンのボランティア皆さん、ありがとうございました。 さて、今週中に主な仕事をかたずけたい。来週は、奄美大島と喜界島に黒砂糖工場を見学に行く予定を立てた。 三角 スケール ワード の操作がまだうまくいけない 3.5インチフロッピーに とりこみできたが どうしたものか 人生 を きめるのは 本人自身であると自覚しているが 自覚ない 他人は どうなんだろう ひとのいたみがわかると ひとのいう 人とは じぶんではないのではないか さるひと えらいひと 心臓 に けがはへそうなひと などなどの 他人 わかりそうで わからない たにんの いたみ おなじように しあわせ 喜び なげき かなしみ かゆみ いたみそれがわかるようになれば だれでも 芸術家になれる 今日もあめだけれど うるおい をもたらしてくれる しぜんのめぐみ 私のこと偽善者 という なかれ あるちゅう と いゆなかれ 6年もかかってやっと 世間にでられたから なんのためにいきるか なんて かんがえてつまも こどもも かえりみなく せんぞのためにだけではないにしろ しごとしているすがたは みたくない おまえ くさでもとれよ やぎが たべてくれたよ 荘迂回(変換に)失敗 今日 やるべきことは 今日 しなさい あすやれることまでは きょうは しない いけだ なおや まっすぐに じをかく 直哉 に ものもうす さんかくすけえる みえたかな 別名 みつもり 水守こうすけ これで とうるかな はちや まゆみ が またおこる おにがお あさがおが みてみたい すっぴん かっぴん くっぴん おやのまけ わかるだろうな あしびんちゅう さんきゅうで またあうでしょう ゆうらくにん やくしょのぴちゅには きをつけましょう とくに 泡には ぶるもーす かいたいというひと きおつけい めいれい はやべん おしいことでした・つづきは しおた(スータ)の いけのこい もりくぼで ゲえエぷ H.17.2.2005年2月20日 おもしろかった海洋少年と谷川真理さんあれー下向いちゃった。
2007.03.05
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よろんマラソンの完走したので久しぶりに泡のたつ飲み物のんでみた。あーあ、しあわせ。娘が運転手。 リゾートホテル、ぴきで夕食。いつもだったら、レストラン味覚での家族団らんの焼きに木ヨロン産九肉が売る者だった。今日は、おやすみ。一杯だけがいっぱいのんでしまった。目標のタイムをはるかにおーばー、弟にも抜かれてしまったが、あしたがあるさ、明日があるさ。ガンバガンバ。ひとつの出会いで夢広がる。約束したオレンジ色のゆにほーむに乾杯。君の瞳にも完敗。明日が本番。マダラチョウの夢を貴方にも。 もだ紺といい視長月の ありあけのつきを まちいでつるかな 竹 酔日
2007.03.04
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妻の父は登住まいは旭集落である畠は東にあるから誠に縁起がいい。私の祖母は小金畑から東畑(アガリーバッタイ)に嫁にきた。私が子供のころの小組合名は粟畑(オーバッタイ)であった。人数が増えたので分割して川久保組になったが、祖父がなずけている。本当は川窪が地名のあるが。まーそれはどでもいいが、東の方角は陽が上がるので芽出度いのである。ヨロンマラソンの朝日を撮ったのであとでアップしよう。朝食に呼ばれているので中断。さあこれから出発。人生の縮図のドラマがはじまる。泣いても笑っても今日の陽は今日しか見えない。明日は明日の陽が昇る。朝日のあたる我が家が与論町で一番。風は辰巳の方角、風花の風車の追い風受けて坂道休まず昇るぞ。あとは、第二の人生、役場前まで一気に走りぬけろ。泡の竜ビール一杯ならあさひ。どらいにいこうぜ。
2007.03.04
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ヨロンマラソンの前夜祭に撮影応援のマッチャンさんを送った後夕食食べたら眠くなってコタツで寝てしまった。10時前に目が覚めて、ジェッケンや靴にチップをつけてもらった。妻は経験者で詳しく、アドバイスしてくれるので心の準備はできていてもう完走した気分でいる。携帯がなったので海洋少年からのお呼び出しかと思いきや同級生から明日の完走パーティの踊りのお誘いだった。「与論ひょっとこ踊り」の仲間になってるので去年同様張り切ろう。すっかり忘れていた。マチャンを案内してハーフコースの下見をしながら与論島一番の高台と与論駅を案内した。曇り空で海の色がいまいちだったので撮影には不向きで与論穴など数箇所しかシャッターを切らなかった。歓迎パーティ会場で女子の優勝経験者名瀬市の川さん見かけたので写真を撮らせてもらった。早いランナーは完走した足でそのまま飛行機で帰る人もある。川さんはどうするのだろう。12時半発の奄美行きには間に合うが・・・。明日は1時頃にゴール予定にしている、そのあとは赤崎海岸に記念植樹しようと思っている。先に植樹したオリーブは大丈夫のようだ。今朝は、叔父さん宅から斑入りのアダンを株分けして植えた。これで自宅のアダンはビヨウタコノキ、八丈アダン、斑入りアダン、トゲナシアダン、在来のアダン5種類がそろった。5点セットでネット販売でもしようかと思いついた。誰かこの商売買ってくれないだろうか。それでは、ビヨウタコノキの花を紹介して寝るとしよう。これでは、2時か3時の目がさめるだろう。その時は早めの散歩でも楽しむとしよう。
2007.03.03
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ペットボトル・ビン・カンをリサイクルする。 ストックヤードは単なる上記の一時倉庫である。 作るのが目的ではなく いかにリサイクルに役立つかが今後の課題である。 どうしたのか「生態学の窓から」が頭から離れないで本棚の中から取り出してみると著者は吉良龍夫、1971発刊となっている。特に読みこなした後もないが、ぱらぱらめくると「いねかけ」が目に止まった。稲の干し方の日本文化を旅行記にからませて書いてある。そういえば一時期、植物を取り上げて一筆書いてみようと思い雑文をかいたことがあった。多分にこの本の影響であったろうし、「生態学』の言葉に魅かれたからであろう。もう少し年が行ったらこんな遊び(文章)もあるのかと思い後に楽しみをとっておこう。 昨日トゲナシアダンを粗大ごみ置き場にとりに行ったついでに役場生活の思い出の場所の写真撮ったので載せてみよう。今現在、町民生活課で勤務している。環境担当といえば聞こえはいいが、ごみ処理の担当である。平成12年度にリサイクルセンターができて以来清掃センターと協力して与論町のごみリサイクルが稼動した。リサイクルセンターの計画の一部、ストックヤードが財政事情で先送りになっていたのを私が異動で引き継ぐことになって今年度やっと完成にこぎつけることができた。着手までの一年、国の採択を受けるまでのあの苦しみを思うと今は天国に居る心地がする。去年の今頃はアルコール依存症の真っ盛りだった。役場生活の締めくくりをごみ処理で終わるのも人生に花を添えるものと喜びたい。それにしても、県から未だ確定通知をもらえない。10月に実績報告の書類を提出し足りないと要求される書類は提出してあるのに・・・、事業計画のときからいじめられている感が抜けきらない。上級機関の県庁職員よしっかり指導してくれ。と、たまには文句を言いたい。ヒヤリングでいい加減な理屈つけて手直しされた下級職員も多いと思う。出来ないやつに限って多く見られる県庁職員の横柄な態度。事業効果がでない原因の一端がペーパー審査なのだと思う。県もかわいそうなもので、国のわからずやに説明しないといけないのでお互い様とあきらめることにしているが、せめて住民の意見を聞くときはお上さんになってはいけないと思う。役場職員でさえもお上さん風吹かす人見るとアーあー怖い。あと一月で私も一般住民だ。今日は辛口スタート。 臨時職員で働いていた海中公園センター(国民宿舎) 観光全盛期の置き土産 廃墟となっているが国の補助金がらみで 取り壊せないらしい。向こうに見えるのが粗大ごみ置き場 風向明媚な場所に国民宿舎は建設されたはずなのに 時代はめぐりめぐり まるで私の人生を思わせる 与論駅を載せたつもりが写ってないので もう一度アップ あれー肝心の車輪が撮れてない。 これもまた人生 私がここの場所に植栽をしてた時は 車輪だけがあった。 ここから遊歩道入る。与論ノ穴場ですぞ。
2007.03.03
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ヨロンマラソンまであと2日となった。早い人たちはちらほらみかけるようになった。外勤から帰ってきたら「亀野さん」がたずねてらしたと同僚から伝言があった。男前1113さんのブログのあの方である。昼食時間に楽園荘を覗いてみたが会えなかった。午後からは年休もらっていたので妻と一緒に、トゲナシアダンを粗大ごみ置き場から拾ってきて小浜海岸に植栽している最中に海洋少年から応援要請の電話があり飛行場に出かけていった。役場最初の勤務場所(昭和52年4月採用)がこの与論空港であった。3年3ヶ月、田舎の青春真っ盛りのころで空港管理事務所で勤務のかたわら学生時代よりも多くの本を読むことができた。坂本九さんや西条秀樹さんなど芸能人などともこの事務所で時下にみたり話をすることもあった。懐かしくその頃を思い出しながら空港のエプロンに入って歓迎ようのゲートの飾りつけを手伝った。その様子を写真でご覧下さい。あだにぬちー(アダンの実) 母校の小学校の校長先生から、ビオトープをやりたいとのしらせがあって、うれしく思いあれこれと動き回っている昨今である。校長先生が、水辺の隣にアダンも植えたいと言われ話が弾む。ヤシガニや、やどかりなどがアダンの実を食べにきたら生徒たちも喜ぶだろう、できたら自分の子供のころの、自然と共生した生き方を子供たちに見せたい様子を語ってくださった。やっと、慈雨にめぐまれた昨今。今年の旧盆あけで沖永良部郷土史研究会の方々を迎える日に書いている。 アダンは別名タコノキとよんでるが、タコのように足がいっぱい生えてくるためだろうか。校長室でアダンには幾つかの種類があるなんて言っちゃった手前、私の庭のアダンの想い出を書いてみよう。アダンには棘があるのが普通であるが棘のないアダンもある。子供の頃、その葉っぱを使って、風車(はだんもー)を祖母に作ってもらった。そのトゲナシアダンはとても大切な先祖からの贈り物のような気がしている。家族づれで東南植物園を訪ねたとき、変わったアダンに出会った。これまで見慣れている島アダンとは姿が違うので、落ちていた実を拾い長男のリュックサックに数個しまいこんだ。それが今、ビヨウタコノキとなって見事な姿に育っている。もうひとつ、従弟が八丈島で仕事していた時に持ち帰ったタコノキは天をつきさす様に伸びていたが、足を数本切られたために台風にあい横たわってしまった。新しい根が伸び、また天に向かいい勢い良く立ち上がる姿を楽しみにしている。さて、タコノキはオスとメスがあるようだ。うれた実をみた都会からの観光客は、パイナップルの果実に似ていますねと話す。食べられますかとの質問に、子供の頃はかじりましたと答える。おいしいですかとの問いに。やどかりの大好物ですよと答えて、苦笑しながら「われは海の子」を歌った頃が懐かしくおもいだされるひとこま。 さてと、アダンの根っこのことを与論島では、アダナシと呼び作業用の紐(ぴぬい)を作るための生活に欠かせない植物であった。それから、アダンの新芽は食用になり、また追い込み漁の道具になることもある。潮風を吸い、砂に根を固め、陸と海との潮騒の調和を奏でる貴重な植物である。蛇足だけれど、棘なしアダンの実からは棘ありアダンが生えてきた。海岸植生の最前線で、海の風から私たちの暮らしを守っているアダンに感謝しながら子供のころにかえり、カジマヤー(風車)を作ってみよう。 丁度、小型飛行機がおりてきた。空のタクシーとして沖縄に飛び立って行った。
2007.03.02
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「第16回ヨロンマラソン記念植樹」のタイトルの看板ができた。完成まじかのコースタルリゾートの緑地帯に記念植樹をすることを海洋少年が提案してくれた。ソテツ・アダン・モンパの木に混ざってオオゴマダラ蝶の食草ホウライカガミを植えることになった。早速、オオゴマダらの蛹を提供してくれた沖縄の「トサガーデン」経営者の石川さんに趣旨とこれまでの経過を報告しホウライカガミの苗木を送ってもらうことになった。「蝶の楽園」構想はいよいよスタートをきった。これを手始めに、与論島の在来の植生を再生させるとともに南方系の有用植物を導入し新しい土着生物の緑地帯を試みてみたい。明治神宮の森を造営された上原敬二先生に学び「植物と人間」の宮脇昭先生の環境の科学を今こそ実行に移したい。これまで自分の庭先でやってきたことを、今度は公共の場に展開できればと思っていた。幸い今月いっぱいの役場人生の区切りに再出発の目標が定まった。 大学の造園学科を選んだキッカケは「磯公園」だった。そのころ公害ブームで、公務員になる近道がその類の学科だったが私が卒業する頃になると鹿児島県庁の募集要項にはその類の分野はなかった。そんなこともあるので、県の敷地であるコースタルリゾート計画のなかに私のささやかな夢を乗せてみたい。鹿児島昆虫同好会にも呼びかけて、南の島のメイチョウの観察地を作り上げたい。南の侵入害虫も与論島で最初に発見されることが多いのも事実であり私もその発見の手伝いをいろいろさせてもらった。農業関係の虫の仲間や林業の行政マンもこの際巻き込んで自然保護団体からクレームもついた埋め立て開発であるけれど出来たものに価値を吹き込むのこれを使い育てる住民の強いバックアップが必要だと思う。町長からお許しをもらった「蝶々の王様・オオゴマダラの森」ヨロン島が世界に誇れる蝶の島おこしに貴方の共同参画おまちしてます。 写真は企画調整課より借用
2007.03.02
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30年の公務員生活も残すところ1月になった。卒業式や教職員などのお祝いや送別会であわただしく過ぎていくだろう。仕事の方もビツボツ片付いているので心配事はないけれど業務に支障がないように引継ぎをきちんとできるよう整理にかかりたい。それと30年の歩みをハード事業を振り返りメモしておいておこう。今もあとでも、懐かしく思い出せるように出来れば映像を伴って。 音沙汰のないのはいい知らせというが 久しぶり長男のこと思い出したので 東京の旅行記の一部を載せてみよう。 西 東 京 市 23日 浦田さん宅発 田無駅前着・・・歩いて10分下田さん宅前久しぶり 下田のおじさんのような 都会の人の生活にあこがれて上京したのに,やはり田舎暮らしに染まっている。学生時代,アパートの世話から身なりの世話までもいろいろお世話になりました。 白い椿のきれいなお茶の庭,しゃらそうじゅ・もくれん・つばき・・・もろもろの庭木、息子と会話しながら,成長したのかと,ほっとして,田舎暮らしでもいいのかなーとためいきついた。息子は腹一杯ごちそうになって,体にあった上着をいただいて,会議があるというから,それではとかれはおいとまする。私としては・・・武蔵野のおもかげをさがしにいきますと,二人で駅まで歩く。 しあわせが,ふたつ,親父元気でね・・・じゃー。ぽつんと独り・・・神代植物園がまっている。 久しぶり・・・バラ,百合,鳩,それらがすべてなどと,若い頃の事が懐かしく思い出される。やはり,森をめでることだ。ここにはやはりぼくのふるさとの森がある。 東京にもふるさとがある。東京での同窓会を企画した友どもに感謝。下田のおじさんのお宅では たいへんなおもてなしをうけ オンザロックで数杯・・・ぐっすりねむれて ,明日は帰るのか・・・・まだまだ居たい 東京なのに またいつかこれるのかな やさしい人たちに会いたいから。 24日 いよいよ帰りの日 時間を確かめ,朝5時起床,朝の散歩で街並みをたしかめながら,明日の夢をみる。 かねては食べることのできない,ステキな朝食をいただき 6時においとまする。次は女房とつれそって,お世話になります。と・・・ 西部新宿線,乗り慣れた電車,懐かしい駅の名前を確かめながら お世話になりました。
2007.03.01
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