2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全17件 (17件中 1-17件目)
1

台北 101 大好きな 愛子夫人、大平先生・・・。神前結婚式が目出度く執り行われた。結婚の誓い、指輪の交換、三々九度、・・などなどを無事に済ませて披露宴に移った。来賓などをあわせて56名。シャンペンで乾杯。おいしかった。 田無市長、末木さんのスピーチがとても良かった。お色直しなどはさんで2時間で終了。あっさりと披露宴も終わって、大平先生とホテル内をぶらついたり、写真を撮ってもらったりしていた。 挙式 日本閣にて 11月1日 月(晴れ)
2007.09.30
コメント(8)
いつものとうり 帰った つもり。 写真 見たい 自分で 撮った野の二。 まーまー。
2007.09.30
コメント(2)

オーストラリアの大陸には 巨大なみみづ がいるとの話しをきいていた。 大陸という のもはじめてでしたので 最初は ぼんやりとしかわからない。 ダンダント 日にちがたつと 暑ささむさも感じるようになる。 私には 寒さはちょうどいい感覚であった。 東京暮らしのたった4年間で得た体感であるけれど それは だれかに 暖められた思い出かもしない。 ホレスト グレン にキャンプした。 私たちのコテージは それなりの施設も整って 自分らしさを発揮できる環境にあった。 私が苦手な食事つくりも 妻と一緒だったので 心配することもなく それこそ自由にさせてもらった。 楽天 楽天 と過ぎた日々である。 のー天気の私が みんなに気配りを受けてもらったことは 承知したいと思うノデ キョウハ みみづのつちを 3件実験してみた。 後の楽しみ。 昨日の疲れが どっときている。 昼休みして 夕方から繰り出そう。 デジカメを どこかに忘れてきてしまった。 取り込み中の写真を・・・。
2007.09.30
コメント(2)

皆田 海岸散歩した。 今日は 10時から 海の精 生成した。
2007.09.29
コメント(2)

花井ライブラリーの講話をきいた。市役所を停年退職して 虎さんで再出発。団塊の世代を生き抜く人生論は面白かった。いっしょに聞いてくれた楽園荘の金ちゃんが同調する姿が美しかった。講話の前に 南町長もお見えになttが お話を聞かずに帰られたのは残念だった。コースタルリゾートのヨットハーバーについて意見を交わせたのは幸いだった。これを機会に町長さんとお話を続けていきたいものである。
2007.09.28
コメント(0)

ついに やってきた。人は何のために生きるか 思いあまった末に考える事は いかに 死ぬか であろう。 父が高熱でうなされるを見た時 多分 自分も同じだと思った。 同じだったら 思い切り好きなことして死ねたらいいと思った。 今が私の人生の中での 最高の幸せだと思う。 出来ればこのまま死ねればいいのだが そうも行くまい。 約束ごとがおおすぎる。 できることから始めよう。 オオゴマダラの再生にむけて 再スタートした。 沖縄県うるま市 石川さんに 蛹を依頼した。 これを記念に人生を楽しく生きよう。 久しぶりに写真を撮り込んでみるとしよう。
2007.09.26
コメント(6)

人と自然が輝く オンリーワンの島づくり 南 政吾 の葉書から 継続して 貴方の力を 貸し手下さい 豊年祭に行って来た。 自分なりに 祈願してきたつもりである。 行かないつもりでいたのに 急に思いついて 自分が 果樹振興会のもとじ だった事に気がついた。 サークラに座した。 見える みえる。 末席でも よーくみ得る。 公約 の 3 2 光ファイバーの導入による誘致環境の整備 使いこなせない私であっても 魅力ある課題である おんりー有 であるとともに なんばわー は わんでんどー の シーマン になりたい。
2007.09.25
コメント(4)

南の大陸で初めて星空を見た。夜の10時ごろだったろうか。さそり座がシッポを高く釣りあげていた。 滞在の最後の朝、丁度今の時間、 オリオンに大犬座のシリウスが東の空に認めることができた。南十時星を捜してみたが、 星空の位置感覚がつかめない。もっとしっかり勉強しておく必要がある。 天地がひっくりかえっても 地球は動いているし 与論の小さな島の生活も変わってはいなかった。 少し自分が変われたかもしれない。 父が 高熱をだしていたので 妻は病院で看病 これから迎えに行こう。 帰りは 明けの明星を見ながらのドライブだ。 写真の整理が出来てないので いつもの景色で アップします。
2007.09.25
コメント(8)

旅行をしている間に畑は雑草で覆われていた。一番心配していた育苗中の挿し木苗は雨天が幸いして皆無事であった。良かった、良かった。これから本格的に挿し木苗木の鉢上げをするとする。今日はアテモヤの苗を移植した。来年の春に接木ができるといいのだけれど・・・。鉢育苗していたモンキーバナナを定植した。来年の今頃が収穫時期になると思う。久しぶりの農作業を楽しんだがそろそろ眠くなった。おやすみ・・・。
2007.09.24
コメント(9)

自宅でベニモンアゲハを捕獲した土着してると思う誰か土着の記録を残して欲しい 与論町誌によると八月ニゲーは、大工・鍛冶屋・ノロ・ヤブ(ユタ)・等を職業をしていた霊を祭っている。祭日は旧暦八月1日から4日までの間に行う家もあり、また旧暦八月23日を祭日としている祭主家もある。 今日は旧暦の2日、私の家では神衣を祭って拝むこととする。スーマシとお酒をお供えすることであるが豊年のお礼にとうがんとマンゴーをお供えする。これからお線香とみかんの枝を添えてお祈りします。 それでは また後で。
2007.09.12
コメント(6)

久しぶりにめじろのさえずりを聞いた。今日も雨か厚い雲におおわれて夜が明けた。カエルの声とめじろのさえずりが聞こえ犬のチレットが散歩を待っている。昨日は夕方に歯医者に行って、膿を抜いてもらった。痛み止めをもらったので痛くはないのが助かる。目、歯、まらと齢が進行していくというから、歯の次がそろそろ訪れる。まだまだだと思っているうちに、肉体は確実に進んでいるのが恐ろしい。やりたい事を早くやっておかなければならない。さて、畑の水溜りを確認しに出かけよう くもんじょう・くにまさマニュの隠れ洞窟 ゴールデンシャワー
2007.09.11
コメント(6)

与論町長選挙は現職の南氏に軍配が揚がった。9時半の中間報告を受け、新人候補の竹下陣営は負けを宣言して候補者から「このご恩は一生忘れませんとの」侘びの言葉を聞いた時応援者一同が肩をおとした。立候補から1ケ月間、与論島の新しい未来を目指して、頑張ります、気張ります、クンパリますとの情熱が私をつき動かした。私もおおいに燃えた初めての応援団活動であった。敗戦の将兵を語らず、と言われるが選挙は一筋縄ではないことがよーく解った。私の人生の中で又一つ大きな体験を味わった。 クンパルとは方言で地面を踏みしめ、歯を食いしばり、目標めざして力を振り絞ること表現していると思うら・クパルシータのタンゴの名曲をイメージしながらクンパリマシータと言えば怒られるかも知れないが私は候補者の熱情をこのまま受け継いで自分なりに出来る事から少しづつでも続けていきたい。継続の為政者には公約を実行してくださるよう要望するとともに積極的に協議会に参加させてもらい意見をのべさせてもらい、地域の活性化に協力していきたいと考えている。熱い夏も終盤、神おがみと研修旅行が待っている。それにしてもよく降る雨だ。今年のサトウキビは豊作間違いなしであろう。 五穀豊穣・島中安穏・無病息災、南町政頑張れ。誠の心は 島人の宝。
2007.09.10
コメント(8)

琉球では古くから川や湧水や井戸などには水の神様が住んでいるといわれている。屋敷内に(子供の頃は、畑の側)古い溜め井戸がある。水道が普及してからは全く使われなくなって放置されてあった。大雨がふると水が溜って、日照りになると底までおりることができ石垣積みの石を伝って遊んだ思い出がある。池から鯉や鮒、どじょう、うなぎなどを獲って来て、入れて泳がして楽しんだ事もあったが長らく生きたためしはなかった。 何時の事であったか、父の耳が聞こえなくなって医者に診てもらっても原因がわからないのでヤブ(祈祷師)を拝んだら、古井戸が汚れているので掃除をしろとの占いがでた。早速、父と弟と3人で底のドブさらいをした。不思議と耳が聞こえるようになった。占いによると井戸と耳はつながっているという。そんなことを思い出しながら、いつの間にか溜らなくなった井戸の底に下りてみたが案外ときれいで、子供がいたずらに投げ込んだレンガ1個と貝のかけらが少々あっただけで大掃除するまでもなかった。しかし、せっかくご先祖様から頂いた遺物、大切にしようと思い水が溜るように工夫をしてみた。底をゴムシート張りにすることにして専門の業者にたのんでいたところ一昨日完成し、昨日に溜めてた雨水を通水してみた。お見事、お見事であるが、溜めた水をどんな風に使うか未だしっかりとは考えてはいない。本町の農業は水が基本であるのでため池を沢山作っている。今後はどんな使い方をするかが農業振興方策であると思う。 明日はいよいよ投票日、第一次産業の農業を振興するため、両候補の施政をしっかりと訴えて欲しいと思う。どちらが当選しても、農業の振興方策についてはこれから色々議論をしていきたいと考えている。 琉球には水の神様を大事にする風習がある。私のパーマカルチャーも水が基本であるのでこれからもこの井戸を中心にしたゾーニングをしていきたい。奇しくもこの日に、パーマカルチャー研修旅行の最終打ち合わせをして、明日の選挙を終え、神拝み(8月ドートゥ)を終えて13日出発となる。父も少しずつ回復している。病院に泊っていて、介護する方の苦労が身にしみて感じられた。福祉についても課題は多いと思った。
2007.09.08
コメント(8)

父の病室で泊り、朝の5時前に家にむかった。三日月が空高く、東には明るい星が輝いていた。金星に違いないと思いながら、今回の町長選挙はどの候補に金星が見方するのだろうかなどと思いながら、父が回復にむかっているのを喜んでいる。病室で泊るのは久しぶりである。見回りに何度か起こされたが、よく眠れたので疲れはない。これからもこんなことは何度もあることを覚悟している。跡取り息子の使命だ。さて今日もいい天気だ。選挙戦中日、与論の星を射止めるのは・・・?
2007.09.06
コメント(2)

与論町では現職と新人の一騎打ちの熱い夏の陣の町長選挙がはじまった。出発式があり公約が本人の口から直接に聞くことができた。やはり本人の思ったこと、書いた事を本人の口から直接聞くと説得力があると思った。感動してしまったし、その熱情が廻りに伝わっていった。与論の選挙は親戚選挙と言われるが、それにしても公約を掲げそれを実現してくれる人に貴重な一票を投じていただきたい。 蛸心(たこごころ) 花嫁、花婿に贈りたい言葉、それは「蛸心」である。{蛸の特性}1、蛸は、周りの色や形に自分の色や形に 自分の体の色や形を変えて身を守る。2、骨がなくどんな形の穴にも自分の形を変えて 入り込むことができる。 骨がないのが生き骨。 変幻自在の名人である。3、八本の手には吸盤を持ち、 吸い付いたら離れない、離さない。4、いざというときには黒墨をだして煙幕を張る。5、泳ぐ時はロケット式でスマートである。 蛸は敵を撃退する強力な武器を持たない。そのため周りの色に自分の色を合わせて身を守る。花嫁及び「嫁ぐ」の「嫁」という字は、「女」が「家」についた形になっている。嫁は嫁ぎ先の家風になじみ、色になることである。当世の男女共同参画型社会、とりわけウーマンリブの方々から袋だたきに合いそうであるが、そこはドゥダンミン男のドゥダンミンである。「過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる」、そのとおりだと思い、人生訓にしている。他人を一生懸命変えようとして跳ね返され、惨めな思いをする。自分は変わらずしていて、他人を変えて自分に合わせてもらおうとするところからトラブルになり、悲劇が始まる。嫁と姑の確執、家庭内の不和・不幸はここに端を発する。 右も左も切り立つ断崖、ひとりがやっと通れる「戻り道」というのがある。そこで出あったら、どちらかが戻らなければならないからである。 中略 蛸は、こともなげそのようにして、何億年の昔からいき続けてきた。その生き様は見習いたい、と言えば笑われるだろう。 とりわけ変化の激しい現代、将来に渡って変化に対応し、素早く自己を変えていく。蛸は与論語で「タフ」という。図太く強靭なことを英語で「タフ」という。この世は、タフでなければ生きていけない。 ドゥダンミン2 より抜粋転記 娘が今日の便で熊本へ帰る。 玉も黄金も何せむに 勝れる宝子にしかめやも
2007.09.05
コメント(6)

皆田漁港の防波堤からとなりに住む少女の釣り糸をかりてたれていたら彼女が蛸を見つけたという。ほらほらあそこの岩に座っていると言う。目を凝らしてみたら他とちょっと違ういろの塊があった。目が二つ見えるでしょう、ほら吸盤が動いていると言う。最初にみたのはイソギンチャクと気が付いた。いたいた、いい蛸の大きさだ。私には手におえない、ちょうど蛸名人が通りかかった。呼んで見せると、道具を取りに近くのボートに行き泳いで蛸に近寄っていくのを上からみおろしていた。蛸は見物人の声が聞こえたのか次第に体をちいさくして、名人が近づいたときは姿はすでに見えなかった。名人はもぐると直ぐに銛を突き刺した後息継ぎに揚がってきた。手ごたえはあったようで、見物客が増えだし、少女の父もやってきてガーギを追加して渡してくれた。蛸の穴に適切な引っ掛けるカギの道具が必要だ。私も泳いで引っ掛けてみることにした。確かな手ごたえが在るがひきだせない。たこはスミを出しもぐっても何もみえない。私は諦めて眺めることにした。蛸とり名人は飽きらめづに、ちぎれた手を2本差し出した。もうこれで刺身は充分だというと、頭をとるという。30分ほどの格闘の上全体があがった。久しぶりの感動の実体験であった。少女の父の別荘で久しぶりの痛飲。昨日は一日中、無為の時を過ごした。 今日は出陣式。熱い夏の陣が9日に終了する。与論を住民を燃えさせてくれる人に立会いの演説を応援しよう。
2007.09.04
コメント(6)

記録より・田舎暮らし 今日は弟の22歳の誕生日だ。ラグビーの試合に出かけて行った。兄弟して田舎に帰る話があった。彼は砂糖キビ工場、僕は町役場務めなのだと父から聞いた。 兄弟そろって島に帰ることを両親はどう思うであろうかとか、世間はなどと・・・。家族が喜んでくれればそれでいいのだと思いながら、弟の漠然としか計画を立てていない様子に少々あきれている。僕も我侭育ちだから、「各自が自覚し自分で責任は持つべきなんだ」との思いは彼にはいえない。 暇にまかせて、田舎暮らしの夢でも記そうかと考える。 卒論の資料を集めながら町役場の住民対応の煩雑さに気がついた。ふと眼にした20年後の鹿児島が気をひいて、国土計画や郷土誌そして自然保護などに多少の興味を持った。空港・港湾・環境などに県の計画が書かれている。卒論は「離島観光ブームとその将来」ときめよう。ちっぽけな与論島だけれど、成すべきことは多い。道路・環境衛生・教育・観光・産業など、他の島々に先がけて町政を充実すべき時がきている。自分の能力をフルに活用できる公務に就ければそれでいいのではなかろうか。仕事にはそれ程の情熱はもっていない。生活のためでしかないが、なんと給料の安いことか。 趣味にささやかな夢がある。田舎暮らしを考えるときいつもこの事が先にたつ。 昭和51年9月12日 日曜日(曇)
2007.09.02
コメント(1)
全17件 (17件中 1-17件目)
1