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「生き残るための生態学」 サミュエル著 辻 由美訳 東京図書 1974年初版 本棚の隅にかくれていたのを手にしてみた。1度しか読んでなかったらしく、勉強した後が無い。其の時は地球がこんなになるとは私は考えていなかった。教養学程度の気持ちで買った本かもしれない。思想的にもついていけなかったとも思う。 これからでも遅くないと言い訳して、今日の研修報告会をきっかけに熟読にかかろう。 なるべくやさしく噛み砕いて理屈をこねなければ会話にはならないとおもう。話し方の勉強もこれからだ。 新しい写真が無いので、思いでの映像で・・・。
2007.11.30
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安曇野パーマカルチャー熟編 の本を手にしている。パーマカルチャーって何?から書き出すこの本を今から読み出そうとしている。オーストラリアの研修報告を明日に控えてなのであるが・・・。今先、パワーポイントの写真の挿入を終えてやっと一安心。いよいよ明日の報告会が終わったら、次の目標の蛇皮線の練習にかかろう。この本のP116に、デジャーデン由香里さんの文が載っている。彼女の元で研修させてもらい感動を持ち帰った。実践する事から始めたビル・モリソンによって私の人生も変えることが出来ると思う。理屈をこねてばかりではいけないので、収穫できるよう畑に種を蒔こう。蒔いた種は刈り取らねばなららい。そしていい種を残す事だ。そういう意味では育種はとても大切なことだとおもわれるし、これからは武器ではなくて種子の戦争でもある。戦いはこのまないけれど、生物の世界は絶え間ない生存競争であることも確かだ。人間、考える葦の 明日を考えよう。今日も元気。
2007.11.29
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私は くず と 詐欺師 鳥や蝶を観察するための私のドライブコースがある。アサギロードと名前をつけてみた。渡りをする蝶、アサギマダラにちなんでつけてみた。アサギロードの中でも、石積みパンタの付近が一番すきである。与論島クオリアで砂浜が紹介されて、とても嬉しく思った。次の機会には、パンタを案内できればと思う。昨日はパソコンの使い方を教えてもらい、これまで疑問に思ってたことが大分解決できた。自分のメールも取得できたので、そろそろメール通信の方にも手がけて行きたい。パワーポイントは編集してもらったが、写真画像がよくないものを入れ替えして仕上げてみたい。午前中はそれの打ち合わせで街まで出かけよう。出かけようにも、街(茶花)までは10分もかからないけど、作業服を着替えることで、街へ出かける気分になるのだ。普段着に着替えないと女房が気にするので、仕方ない。大分、風がおさまった。雨が降って、植物が喜んでいる。
2007.11.28
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パワーポイントを使って研修報告をしたいが、写真の編集が出来ないのでこれから教えてもらう段取りをしている。ついで、パソコンの応用編についても指導を受けたい。ブログを書きながら色々試しているうちに、変な表示が多くなってきた。整理しないと書き込みまでに時間がかかってしまっている。仕組みがわからないでやっているのが原因だが・・・。 異様な集会
2007.11.27
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ブーゲンビレア いかだかずら ともいう ブーゲンビル島とか南方の海が頭をよぎる パピヨンのロケ地はどこだったのだろうか? 秋風が終わりの頃にはススキの穂も色あせてくる。幽霊の正体みたり枯れ尾花 十五夜の朝 船倉海岸にある按司根津栄の浜宿の遺跡を訪ねた。ここの岬からの東の海の眺めも奄美百景に入れてもらいたいものだ。ここでは旧暦の3月3日に浜下りの行事で氏子が集まる場所である。サークラを作って各々の収穫物を持ち寄って、新誕生した子供を祝うとともに、海に感謝する行事である。生活に密着した祭りの場所が与論のあちらこちらにある。信心深い人は 外でションベンするところが無いといわれるのもうなずかれる。与論の祭りを調べ記録に残してくれる若い世代の与論出身の研究者がいてくれたらと思う。最近琉球大学からの調査があいついでいるようだ。崖のしたで穴堀をしている青年に声をかけたら、「地主のかたですか・・? 先生が断りをいれてあります。」と心配そうに聞いてきた。カエルの化石を探しているという。詳しく話しを聞きたかったが、豊年祭りに行く途中だったので琉球大学の研究室だと聞いて何時か其の先生とお会いしたいと思う。やっと地質学と関係する方に近くなれそうだ。今朝は風が強く小雨も降っている。先日工事した水タンクから溜井戸まで通水するか早くみたい。其の時くじいた足をまだひきずっている。じっとしていられないからながびきそうだ。今日は、パワーポイントの作り方などを教わり、研修報告の準備に時間を費やすとしよう。
2007.11.27
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豊年祭りも無事に終えた。3連休の締めくくりは庭いじりで過ごした。漏水工事も浜砂を運んで、埋め戻しのあと整理を少々残すだけ。 前庭に面する靴脱ぎ石は蟹の甲羅に似た珊瑚石を置いていた。女房がカニ座の生まれだと言う事もあって、少しこだわってみたが、周りの布石を待ちあぐねていた。家を作る際、わざと犬走りをコンクリートで固めていない。 何か、人と変わったことをしてみようと思ってた。あれから26年がすぎて、昨日、珊瑚石をあしらってみた。酔い心地でやったものだから、醒めたらびっくりするかもしれない。夜が明けたら、手直しといこう。それにしても、やっとこさ自分の庭に取りかかれる。庭をいじるときの陶酔感、親方がたばこをくわえながら、空を見つめていた姿を思い出す。 今日は、雨が降らなければパイプハウスの組み立てを女房に手伝ってもらおう。雨ならば、明日葉の増し鉢をしよう。 雨降らば 雨降る思いに 風吹かば 風吹く思いに そぞろ 人の世のはかなさを知り ハイソサエティのメッチェン・・・・ インドシクンシの花
2007.11.26
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地方紙、南海日日新聞で「感激の喜界島観察会」の記事を見た。奄美の自然を考える会(田畑満大会長)が開いた、と紹介されている。ガジュマルの巨木などが載っていて、3月に喜界島を視察した時のことが懐かしく思い出された。 手元に、田畑先生から頂いた「身の周りの薬用植物」(奄美を中心に)から明日葉の薬効作用を書き出してみる。葉や茎を切ると出る黄色い汁にイソクエルシトリンが含まれ、この成分に利尿、緩下毛細血管強化作用があり、緩下、利尿、高血圧予防に用いる。強壮、強精、食欲増進、疲労回復、強心、血管壁強化作用。とある。 明日葉の苗を育てているので、どうしたら売れるかを考えたい。たまたま手にした新聞記事であったが、ずい分前の十五夜でお会いした事を思い出した。この薬草の手引き書には170の薬草の効用が書かれている。この本のほか、与論島の植物の冊子も頂いた。与論島の植物の記録としては先生が一番詳しく調べるられたのではないかと思われます。(私が手に入れた調査物のなかで)もう一度、いっしょに学びたいと思うこのごろである。
2007.11.25
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ネットをかぶせて オオゴマダラの飼育場にと思っている。 自給野菜も栽培します。 ガーニクバインという単語が浮かんだが、ニンニクカズラのことだったか確かめないで書いている。漏水工事の準備中に左足首をひねってしまって、びっこを曳いている。じっとしている事が出来ないので治りが遅くなる。以前に脱臼した後遺症のようだ。癖にならないようにしなければならない。与論マラソンまでは完治させないとならないが、パイプハウスの作業も遅遅として進んでいない。マンゴーハウスのビニールの補修もしなければならない。夜中に雨が降ったので水かけの手間が省けた。そろそろ夜が明ける。畑にでるのが待ちどうしい。今日は午後から豊年祭り(与論島十五夜踊り)がある。そして年に一度の奉納相撲大会。誰が今年の栄冠を勝ち取るのだろうか・・・?按司根津栄神社の境内でも氏子が集まり豊年祭りを行うので、私はこちらで無病息災・島中安穏・五穀豊穣祈願達成を祈って、酔うしれてこよう。氏子の前で飲める宣言をしたのは、シニグ祭りの際であったが分をわきまえて行動するとしよう。少しは大人になる努力をしたい。
2007.11.24
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白檀の香り漂うなかで書いている。オーストラリアで蚊取り線香を炊いてレクチャーを受けた。もともとから香りには感性があったので、お土産は白檀の香り蚊取り線香を買って帰った。与論の風土で果たして蚊取り線香の役目を果たすか実験してみた。やっぱし、緊張の香取が効果は高いようだ、がしかし、この香りは安眠を誘う。神棚の線香は杉の葉からつくるときいたことがある。その線香が切れたので、白檀の香りを買ってきてくれた。これからはこの香りで朝一番のお茶を飲む事にしたい。今さき、オーストラリア研修報告の原稿の下書きを手書きした。ワープロと違いすらすらと思いのままに筆がすすむ。久しぶりの筆記であって、ブログもこんな感じで書きたいものだ。相変わらずの誤字脱字は性格だから仕方ない。 昨日、種苗生産者登録の通知を受けた。「登録証」 登録番号 11047 鹿児島県知事 これは、額にいれて掲げておくとしよう。いいことはうつるものなのか、NPOの手続きの知らせが来て今、決裁に回していますとのこと。年内に望んでいたこたが近づきつつある。明日は今年の最終の豊年祭り。それが終わったら、いよいよオーストラリア研修報告。原稿の原本ができたので、パワーポイントの作成を頼む事にしよう。扱いが始めてだし、公式の場の発表も久しぶりなので、緊張してみよう。 年が明ければ末娘の成人式。農作業も目白押しだ。そういえば、メジロが渡ってきている。 ビカクシダの一種でしょうか?
2007.11.23
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自分の顔が写ってしまった。 反射する物体は 思ったようには写ってくれない。 今朝は完全に素面である。昔TVドラマで石立哲雄が扮する主人公の名前がミズモレコウスケだったような、なかったような・・・?こっけいなトラマだった。それを見て以来、忘れられず自称アワモリコウスケを名乗って水道課を訪ねたものである。今は亡きM課長が気安く迎えてくれた。ブログを書く前から、小文を書いていたので、書きあがったら真っ先にM課長に見てもらった。琉球タイムズのコラムの小文を見てもらい意見を聞いた頃がとても懐かしく思い出される。かの先輩の書き残した小文があるが、文才が覗える。文面の都合で紹介できないのが残念である。 さて、漏水箇所が見つかりほっとしている。修理は、今日か明日かになる。業者が忙しくしているので仕方がない。ここ十数年の間に、水道業者の羽振りがいいように思える。別の建設業種に比べてと、前置きしてであるけれど・・・。浄化槽設置の補助事業が原因しているのかもしれない。浄化槽の事業も3年間担当した。おかげで与論町の今後10年間の水計画もおぼろげながらも把握する事ができた。水の収支計算がすなわち与論の産業興しの基本になる。与論町の開発計画のなかで、一番基本になる調査が与論町総合開発基本調査における、水資源調査である。これを頭に叩き込まないと、行政マンとして長期開発を語ることはできないと思う。古い調査書ではあるけれど、特に水道課の職員は熟知して置いてもらいたい。M課長を思い出したのでついついほとばしってしまった。「覆水盆に返らず」 漏水した水は 庭木を育てたけれど、高くついてしまった。日本一高い水道料金を払っているのではなかろうか・・・?
2007.11.22
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玄関の靴箱の上に2個の水槽でグッピィーとかを飼っている。泥や砂や珊瑚石などをぶち込んだので汚れがひどく中の魚が見えなくなってしまっていた。昨日は、水道の漏水箇所が見つからず、水道課に相談にいったら工事業者に頼んだ方がいいといわれ、直ちに頼みに行ったら、今日の工事予定に組み込んでもらえた。漏水の疑いがるメーター付近に500リットルの水槽が2個あるので、水抜きをしたら、沢山のプラテイが底にあつまったので、移し変えたりするついでに、玄関の水槽の土を赤玉土に変えた。まだ濁っているが、今度は水草を配植して楽しもうと思っている。前回は珊瑚礁の海中をイメージして内容物を配置したのだったが、淡水魚の水槽のイメージを壊す結果となった。しばらくはこの水槽で遊べる。 オオゴマダラの幼虫が見つからない。昨日は1頭、4令ぐらいに成長しているのをみたが、果たして黄金の蛹が見られるか心配になってきた。風も大分冷たくなってきたし・・・。
2007.11.21
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今年もブラジルザクラと言われるトックリキワタの花が咲いている。落葉したあとに一斉に咲いてくれると目立つのだが未だ緑の葉のなかからボツボツとピンクの花が覗かれる。仕方ないので地面に落ちた花を写してみた。リオデジャネイロのカーニバル見物をしてきたと20年以上も前に種から育てた樹である。与論からもブラジルに移住した方たちがいらした。キワタのほかにもコガネノウゼンやキンレイジュの種ももらった。キンレイジュの鮮やかな黄色の花をどこかでえ見かけたが自宅の庭のは日陰になったせいだろうか、近年は咲いたのをみたことがない。又、種から育てる事にしよう。畑の地割ができつつあるので、木を植える場所が確保できた。雨が降ってくれたので野菜や木々が喜んでいる。昨日の続きでキャベツの苗を植えよう。
2007.11.20
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今年初めて実をつけた ビヨウタコノキ 沖縄の東南植物園から種を拾ってきて育てたものです。 20年ぐらいになるでしょうか。 町役場の産業振興課のお知らせに耕地防風林の奨励があり、苗木の助成制度がある。益田教育長の時与論町誌が編さんされた。町木などが選定されそれを普及定着するために誕生や入学、卒業の記念木を植える奨励をしたようだ。町木にシマクルキ(リュウキュウコクタン)が決まって、その苗木を生産する人が選ばれた。立長に住む町議員のKさんの家に苗木の元になる種子を運んだのは時の林務担当のO先輩だった。黒木の種子は城集落の名家のSさん宅のものであった。最初の頃、黒木の苗の育苗はとても難しくて町の予約した苗がなかなか調達できないことがあった。あちらこちらで、そのころは珍しかったシマクルキが種をつけている。いまでは苗木の業者が島外の需要に答えるまでになった。 昨日、駅伝の時間待ちをしているとき、友人が訪ねてきて、いいところに案内すると言われ連れて行ってもらったところにタコノキの苗木が多数にこしらえてあった。やったね、と思った。 私もこれをねらっていたのに、先進的な方は身近にいたのである。その他、幾種類もの防風林に適した苗木がポット育苗されている。この苗木が奄美の耕地を守る救世主として旅立って欲しいと願う。オーストラリアでモクマオウの防風林を海岸で見た時、奄美の海岸のモクマオウの旺盛なことに疑問をもった。南と北でこんなに違うのか・・・。 ソテツを見かけなかった。奄美のソテツも特殊な植物である。珊瑚の生物が作り出した資源、 そして化石燃料が枯渇していく実際を体験していくとやはり、海からのおくりものに早く気が付くことだと思う。潮の満ち干が 何億年も続いた 自然の営みである。 人間の力は高が知れている。 四季の移り変わりに身を任せて 今日の生き方を楽しもう。 夜が明けた。 犬のチレットが散歩に誘っている。 いや、 何かに吠えている。 すぐ、いくからね。
2007.11.19
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船上から 昨日東区のアマンジョー近くの一人住まいの古老から雨樋に自然に生えたガジュマルの苗をもらった。以前からもらわないかと誘われていたが使い道が決まらずに迷っていたが、ついついと立ち寄ってみたら喜んで話しかけてくださったので古老のお話は聞くことができた。そのことはいずれ又の機会に・・・。仙人みたいな暮らしをしている方だと思った。 これから駅伝の開会式にでかける。たすきをちゃんと渡す責任を背負ってのおでかけだ。 無事に駅伝を終了した。小雨のなかの大会であった。私の区間は14区中の12区であった。10チームで争われ、9位でたすきを受けた。8位は目にはいる距離で通過して行った。10位も後から追いかけてきた。ビリの競争である。何とか順位を保ってゴールした時、ホットした。往年の名選手といわれた同級生も走って、今日の選手のなかでは私が最高齢かもしれない。これから慰労会に参加するつもりだが、くれぐれも飲みすぎには注意します。区間ビリの記録が発表されるのが怖いが、これもまた記念の記録と受け止めよう。 記述に誤りがあったことに気が付いたので訂正します。最高齢は私より一級先輩のNさんでした。Nさんは区間2位の記録となっていました。ちなみに同級生は6位だった。ビリケンでも良しとしよう。
2007.11.18
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さめた こーひいーを飲んでいる。Toおじさんが空気入れを持ってもどっていらしたのでかせいにでかけたせいである。 S・54、12、11 名瀬測候所さんはカゼのためこられなく、Kさんがかわりに来られるということを聞いた。 緊張がとれたが、むしろ来てもらった方が良かったかもしれない。Kさんと会うのははじめてである。島(奄美大島)を案内してあげなさいと局長に言われているので、今夕か明日にでも島を回る事にしようといわれた。 このノートんも残り少なくなった。7月31日に書き始めて4ケ月半近くになる。2~3ページ書く時もあるし、1週間ぐらい書かずにいることもある。同じようなことばかり書いているような気もするが、「Kのうちあけばなし」ということでおもっていることを気楽に書いている。 ・・・・ 今日も、これで3ページたわいもないことが、しばしばだ。 ふと、新婚旅行のことを考えたから、両親と一緒に旅行ができたらいいのにと思って、二人で東京あたり旅行するより、九州泊まりの旅行をするのもいいものだと思う。長崎見物をするとしたら・・・、。 秋はカボチャの手入れで忙しい。
2007.11.17
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はなしの寝たがないのでkaiteimsasu¥ iitaikoyha mitubqationotai desita/ kytou、 サイコイウインビ でしゅ。」 ひとりごとb。 明日は ちゃんとgannbnarukara/
2007.11.17
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夫婦で県下しながらの トロフイー に感動しました。 与論島にビニールハウスが導入されたのは昭和50年頃の事だと思う。私が島で就職した52年には自宅にも与論カボチャの展示圃場用に建てられていた。私が産業課で始めて補助事業を担当したのが農村振興運動のコミュニティ事業で農業改良普及所が係わった農村婦人部のよりどころとなる加工施設場の建設であった。前任者からの引継ぎもなく担当したこの事業は集落の派閥の争いのなかで何とか物になった。その次の年からはビニールハウスの導入事業が推進された。立長集落の伊波から気運が高まった。与論カボチャの産地形成に貢献した園芸の盛んな地域である。ここでのビニールハウスの建て込みを皮切りにこれまでにいろんな型式のパイプや鉄骨のビニールハウスが補助事業で導入された。昨日、自分の小さなパイプハウスの骨組みがほぼ完成した。思い起こせば、与論のビニールハウスはほとんど私が手がけた型式が基本になってると思う。奄美の型式に補強型を主張したのは沖縄の鉄骨式の物まねであったが、ついで宮崎型式も取り入れてもらえた。K式でしか補助事業がもらえなかった時代があったなかでの快挙だと私は回顧している。設計図(部材明細)を入札にかけたとき、時の助役から誰が書いたのかと問われた。意味がよくわからなかったが、任意組合の指名で農協はずしをしたのが問われたのかもしれない。さとうきび事業などでビニールハウス事業を導入したとき、現場で突貫工事をしたことなどを思い出す。組み立て方がわからないで、請負業者が四苦八苦していて、あーでもないこーでもない担当者もわからないではどうしようもないなんてことは田舎ではよくあることであった。今ではそんなことはないであろうが・・・。今日から別の圃場にパイプハウスを移動して組み立てる。これで大体の圃場の配置がかたまった。うれしいことに、昨日同級生から退職のプレゼントに電動のアルミカッターを頂いた。嫁ぎ先の亡き母の意志をうけついで、沿道の修景に黙々とつくしている建材店の婦人である。なかなかできることではない地道な活動である。このまま続けてもらって、同級生の模範となって欲しい。鹿児島での同窓会にいけなかったので、CDももらってきた。 これを励みに今日も頑張れる。
2007.11.16
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平凡社から 「沖縄の自然」 その生い立ちを訪ねて1975年3月10日 初版 あとがき沖縄地学会が出来たのは・・・・。 自然は絶えまなくうつり変わる。変わるというより、自然はみずからを作り変えてきたのである。そして、人類が地球の歴史のなかに出現して以来、自然は人類とのかかわりあいのなかで、いっそう変わり方をはやめた。 この本は別記したように、多数の人々の協力のもとにできあがったものであることは何度書いても充分ではない。さらに、平凡社のやまだ・とおる氏の、鬼とひそかにささやかれた活躍に一同から深い謝意を捧げたい。 ミーニシの頃編集委員代表 木崎甲子郎 高校生のころ 地学に一番興味があった。104点をもらったテスト結果の影響かもしれない。地元出身のT先生が担任だった。先生は音楽も担当していらっしゃった。ピアノを弾いたり、歌を歌ったりする音楽専門の先生がいなかったので音楽鑑賞で単位をもらえる仕組みであったらしい。交響曲との出会いであった。三波春雄や美空ひばりからいきなり じゃじゃじゃ、 じゃーん。これには参った。 この先生が始めて偏差値を示してくれた。これも驚きであった。先生にお会いできたら与論の地質について語ってみたい。
2007.11.16
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今朝はこの浜まで走りましょう。数百メートルの練習です。 久しぶりの二日酔い。断酒宣言してから2年ももたなかった。それはそれで、反省しながら昔の夢をみてしまった。 農学博士 安富和男 のやさしい動物学のなかで「カモメとウミネコ」都鳥の本家争い が書いてある。 宇宙から見た地球の姿を「ヤーチャイカ」私はカモメのテレシコワさんの見たような映像が月の地平線から地球を見た時に映し出された日本の衛星技術が、 ひさしぶる 感動であった。 名にしおはばいざこととはん都鳥 わがおもうふ人はありやなしやと ぱらぱらとめくれば 半分ぐらいしか読んでいない様子。こんなブログが書きたいけれど、 カンガルー イギリスの有名な航海家キャプテン・クックがオーストラリアを探検した時、草原で奇妙な動物の名前を尋ねたら 「私は知りません」考える人になったと 土人は 天国で語っているそうだ。 今朝はもうだめだ。 夢の科学 夢の持つ意味。 意味の不明な点は フロイド博士のいう、「一切の夢はこれを分析して見ると、最近の印象が織り込まれている」好例である。 夢を食べてくれる バクが欲しいい。
2007.11.15
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愛意してtりm。 さびしいくて 、会いたくtr「 どおににおmならrくっとぇよ・jrtどの きえいtsくのいかえ
2007.11.14
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マンゴーの栽培講習会に出席した方からオオゴマダラが飛んでいたのを久しぶりに見たとの情報を得た。防風林の苗木生産をしている方で、苗木圃場の近くで見かけたという。この近辺も不思議なゾーンで、迷い蝶や渡り鳥をよく見かける場所である。与論島の案内地図にはクズレ川となっている。与論島は何回か隆起して島が大きくなった。昔、むっかーしはこの辺りは海の中にあり現在の百合が浜みたいに干潮時だけに砂浜が浮き上がる場所だと思われる。与論島の東の区域を水源地とした、地表水が海に流れ出す場所がこのクズレ川である。国土地理院の地図に載っている唯一の川で、増木名川となっているかも知れない。地形図と植物や動物の生息場所を照らし合わせると関連性があることが良く解る。開発行為においては常にこのことを考慮に入れておく必要があると思う。 マンゴーの講師の先生の名刺の下に、奄美を世界遺産にとの文字が印刷されていた。県の方針がはっきり示されている。与論島の住民には何時の時点で説明がなされるのだろうか?自分たち自らが、関心をもって賛成も反対も、利害関係も話し合っておく必要があると思う。市町村合併論議においては、いち早く合併反対でオンリーワンの島づくりをうたい文句に独自路線を歩む選択をした住民であるから、自らの知恵と努力で生き残るしかないと思う。小さい島だから優位に立てるナンバーワンをいくつか造る島を目指したい。 家に迷い込んだキョウチクトウスズメガを撮影した。シンジュサンだったらまた面白かったのにと・・・。自宅のオオゴマダラは何とか育っているが、個体数がつかめない。他の地域でも幼虫になっていて欲しいものだ。ピニールハウスの資材が揃ったので今日はそれの建て込みが楽しみ。農協さんにも、気をつけてもらえて良かった。仕事がはかどりそうで嬉しい朝を迎える。
2007.11.13
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船室にて 旅あきた豊かな人たちの夫婦旅 下は定点調査の浜 現役の小船の名前は 本丸 これほんとうです。 葬式の儀式を意識するようになった時老いの哲学について考えるようになった。身内の何人かの葬儀をしてきて、健康で今生きている自分に感謝できることが朝一番感じる幸せである。寝ているとき、夢を見ながらポックリと逝けたらそれが一番いい、なんて思いもあるが、孫の顔がみたいなど思う煩悩もある。親孝行は、まずは孫を見せてやることだと思う。たまご、というではありませんか。隔世遺伝もあるから、いやな自分が内面に住んでいて、DNAが孫に出会ったら、世直しして去りたいおもいもある。 父が 大部屋に移りたいとのことで、見舞いに行ったそうそう、元のところに返りたいという。それはそうなんだけれど、少しわがまますぎるような気がして様子をみることにした。私も同じ遺伝子。きっとそうなるに違いない。美しく老いるための哲学を学ばなければならない。生活習慣病を体得しなければ・・・。 今日は昨日のマンゴー研修会の続き、室内での栽培講習会。いい勉強会ななった。花を咲かせて、実がなって、収入をえられてこそ農家の経営学なのだと、趣味の世界から脱却しなければならない。 散歩の時間ななった。
2007.11.13
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帰り船の船上から 奄美の沖 宇検村あたり 下は定点調査の フバマ 県の技術職員の指導でマンゴーの栽培をしている。去年花が咲かなかった圃場が多くあったので、前回、枝の剪定やハウス管理の現地指導をうけたのでその後の様子をみてもらい、来年の春先までの管理作業の手順を教えてもらう。 私のマンゴーはまずまずの生育だと思っている。ハウスのビニール整理や圃場の除草がいつものごとく、いまいちだけれど、これは本人の性格どうりだから仕方ないとして、これから冬にむけて、いかにして花芽をもたせるかが勝負時だ。私のはもともと栽培基準に反しているから、指導どうりの方法は取れないが、植物の生理を基本どうりにとらえ、現場にあわせて実践していこうと考えている。ビニールを何時の時期に張るかが、今年の暖冬を予想してチョット微妙な展開になりそうだ。私の圃場は、張りっぱなしのと、台風で全部破れたのと、半分破れたのがあって、面白い実験台だと思っている。現地指導は其の現場現場の状況を判断して、足りないもの、過剰なものとを振り分けなければならない難しさがある。農家の圃場は、農業試験場で確立された環境と同じ条件を満たすことは経済的には不都合なことが多い。だから、現地の農家と組んだ現地試験場が必要であった。 私が農業を担当したころ、この現地試験圃場で県の指導員と農家との両方の技術の声を聞いた。農家は県の指導員養成所ではないよ、との強い思いもあったが、そんななかで色々なことを学んだ。 先日、私が現地試験圃場で一番お世話になった、与論カボチャの原原種の栽培をしてもらったTさんがお亡くなりなり、与論カボチャの歴史に幕が閉じたような気になっている。マンゴー栽培については、与論では私が長いのではなかろうか・・・?私より先に始めた知人が、又もマンゴーの魅力に取り付かれているのが楽しみである。彼なくしては、熱帯果樹の発展は望めないとの思いがある。他にも、さきがけの数名が力を合わせて、熱帯果樹の振興を目指したい。 夜があけて ちょこっと 走ってきます。
2007.11.12
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パナウル健康ウォーキングの半周コースで完走してサッポロ生をぐぐーいいと飲んだ。盛窪兄(やか)車ですよねと念をおされた。家まで歩いて帰り着いてこそ、完走というものだ・・・、とは言えなかったが、来年は一周コースに切り替えよう。毎年ごと、コースを変えているが、歩く人たちの意見が反映されているだろうか?去年は出張のため半周コースを選んだ。今年は、午後から農作業をしようと思い、余力を残しユックリズムで歩いてみた。やっぱり、本来のマイペースが疲れない。 半周コースで12時のゴールできなかったのは、時間を気にしないといいながらも、午後の計画に響いてしまった。自宅についたら、丁度1時のチャイムがなったので書き込むことにした。 途中で撮った模様を紹介しましょう。
2007.11.11
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もうひとつの 皆田海岸ウォーキング前日 グラスボートを待つ 餌をあげたのに山羊が泣き止まないのでお見合いさせた。皆田海岸に7頭の山羊がいたので持ち主に断りをいれてあったので軽トラックに乗せて連れて行った。黒山羊さんのほうに近寄っていったあと、角と角を突き合わせてお互いを高めあっているようだった。始めての体験で私もドキドキしてシャッターを押した。夕方迎えにいったら、りっぱな角の白山羊さんといっしょにいた。どんな子が生まれるだろうか?今日はこれからにでかけます。
2007.11.11
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もうチョットきれいに手入れするつもり 写真写りが悪いですね プロは載せませんでしょうが・・・。 庭が野暮ったくなった。もともとから伸ばし放題の「雑木の庭」と自称している。沖縄の街路樹の種から育てたタイワンモクゲンジは成長が早く周りの木を追い抜いて7年ぐらいで5メートルに育った。これからも大木になるので切り倒すことにした。記念木でもあるので、別の箇所にその子供の木を植えて育てている。幼木が種からよく育つ木で緑陰樹として公園等に使いたいが、台風には弱い枝ぶりだ。 タイワンモクゲンジの影になり日の光をさえぎられたフェニックスは私の30歳の誕生記念木である。久しぶりに葉っぱの整理をしてみた。3メートルぐらいに育っている。同じ日に植えたウスラヤシは2階の屋根より高くなっている。数本あったがタイワンカブトムシの食害にあい1本だけの残ったがとうとう、カブトムシがかぶりついたあとがある。傾いてもいるし、そろそろ切られる運命にあるらしい。我が家のユスラヤシは花はさけどもめったに実をつけない。今年は別の1本に赤い実が見えている。子供の椰子なので、孫を残して切られるつもりであろうと勝手に思った。大木を切るのはつらい思いもあるが、別の生命のために仕方ない。フェニックスは不死鳥といわれるがタイワンカブトムシの好物であり、何時食害に会うか解らないが記念樹として大切に管理していこう。久しぶりの青空である。農作業には好都合だが、アサギマダラも見舞ってこよう。
2007.11.10
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海岸侵食を守るため キミガヨランを植えて実験してみた 花もさいてくれて とても強い植物である トゲがあるのが 難点? 恒例の駅伝大会が18日に開催される。小・中・高から50才までの男女で与論島を2周する。50代の選手が頼めないので走ってくれと集落の体育部長が訪ねてきた。不参加だけは免れるため補欠を引き受けることにした。駅伝はたすきをかける競技だから誰か一人でもブレーキすると迷惑がかかるので、もしものためこれから走ってくることにする。昨日はコースを走ってみたが、マラソンのスピードで走れば何とかたどりつく。散歩のつもりで、海を見てこよう。 小雨の中戻ってきて汗と雨のしずくを流してさっぱりした。区間ビリ記録を塗り替えてしまいそうな走りであった。全体練習は来週からと言う・・、のんびりしたものだ。勝てる見込みが無いから選手を断っているのかもしれない。集落の順位がビリにしろ、区間優勝を狙える選手もいる。それだから、駅伝は面白い。一人は全体のためにと、全体は一人のために、こつこつと頑張ろう。
2007.11.09
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秋の フバマ 今日は祖母の妹の1年忌のため10時から祭りごとに携わった。祖母は古里集落の旧家の長女であった。原田家は西区の麦屋川近くのサトゥヌシサークラから古里に移住したと与論町誌に書かれている。年忌をしたマツは9人兄弟の6番目、8女のなかの6女であった。小学校の教師で終わって長生きしたが、祖母のことを、男のいない家庭において辛い畑仕事をして私達を育ててくれたと話してくれた。生前から葬式のことを頼まれていたので、葬儀の記録を撮ることにした。 長女が婦人団体の役員をしていて、生活改善方式で手際よく1年忌をすませたあと、親戚の長老の下、これからの葬儀のあり方について意見を出し合った。私もかねてから考えていることをはきだしたが、それはいつかの機会で述べることにしたい。誰かが音頭を取って実行しなければ、改善はできない。まずは身内からやらなければならない。 葬儀の記録簿を忘れて、自宅に取りに帰るときベニモンアゲハをみかけたので、網をもって捜したら幸いに捕獲することができたので報告することにする。オオゴマダラが1頭まだ庭で飛んでいた。幼虫は3令になったが、今日は3頭しか確認できなかった。 ベニモンアゲハの便りの書き込みがあり、一緒に土着を証明する記録を残して欲しい。方言で パピルとは蝶類の総称で 蛾のことをいうらしい。綾パピルが通常呼んでいる蝶のことのようだ。パスカル考える葦のパピルスと蝶類を兼ねて 与論島果樹園パピルスと名をつけてみた。熱帯果樹のほか苗木の販売も考えているので、与論島植物楽園パピルスに名前を変更しようかなど夢が又広がっている。
2007.11.08
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オーストラリア研修報告の日程が11月30日に決まった。私の父の骨折の都合で報告が延びてしまっていた。研修報告のレジメを作ってみた。 1、私のパーマカルチャーとの出会い 私がジル・ジョーダンあんど由香里さんと出あったのは・・・ 入国・オーストラリアの風景 2、魔法の土(ミミズと生ゴミでの堆肥つくり) 実際に現場研修を受けて解った、ミラクル土壌 土づくりの研修写真 3、生き方としての、パーマカルチャー 食事の状況・サンシャインコースト・市場などの映像 4、与論に持ち帰って活かしたいこと 趣味の世界に終わってはいけない 農業で収入としながらのパーマカルチャーを目指すこと 現場を表現できる映像(台湾など) 5、夢老い酒 パワーポイントを使うことにして上のようにまとめるつもりでいる。 先日受講した 種苗生産事業者講習終了証明書 が届いた。登録申請をしようと思う。 この別荘を 買いたいと電話して見ましょう ハイ、ポーズの一こま 私はこのあと 飲みすぎが祟って ダウン症状 車のなかで 昼ねしてました。
2007.11.08
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鹿児島県庁から 城山方向を眺めた ここからの 桜島は絶景かな 400円与論島には1件しか本屋さんが無かったころ、「世界の美術」を見つけた。リューベンスが載っている。光と影の描写がこの頃に好きになった。 又、ドラクロア・アングルなどの世界も手持ち無沙汰な日々には興味をそそられるものがあった。東京からは映画館も神田の古本屋さんも持っては帰られないので、池田新聞店に立ち寄るのが私のカルチャーの自己満足であった。素晴らしい古本が一杯あったことを思い出すことができる。もっと買っておけばよかったとおもうのが「世界の美術」であった。最近は本屋さんに寄ることもなくなって、新聞も読んでいない。そんな暮らしでいいのかとも思うが、今はカルチベイトの方が楽しい。昨日は棟上げのお祝いを盛大に喜びあった。私もパイプハウスの棟上げをすませた。部品がちぐはぐなので作業がはかどらなかったので、注文先の 農協さん呼んで確かめてもらおう。頼みの農協さんがこんなでは与論の農家は大変である。私はまだいいとしても、植え付けを待ち焦がれている農家にとっては1年分の収入を失う事にもなりかねない。今日は昨日の続きができないので、出来る事から済ませておこう。
2007.11.07
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デジカメ忘れて 雨にあててしまった。 昨日 探し当ててシャッターを切ったが 写っているだろうか。 パソコンの調子が悪いので 後ほど。 ずい分昔の 月刊おきなわ 「緑と生活」を取り出してみた。平成2年・10月号トロピカルフルーツ・6 とタイトルで具志堅勇夫の文・写真が載っている。私が果樹の担当をした時、講師をお願いして熱帯果樹の勉強会をした。其の時の講師が具志堅先生だった。先生等をつてに、沖縄で熱帯果樹に関する情報と技術を少しづつ手に入れた。植物についても「緑と生活」から学んだことが大きい。この本をはじめ、沖縄発行の図鑑類はとても役にたっている。本や情報が氾濫しているなか、教科書的に取り出して確認する時、其の時々を振り返りいまあることを美しく思う。昨晩は農業で本音を語れる先輩と思いっきり飲んでスッキリしている。与論の農業の先行きをみんなで語らなければ息子は帰って来ないと思う。夜明けだ、今日も楽しみの仕事が待っている。
2007.11.06
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南日本新聞・11月4日、社会欄の入選者の中に本 兼光さんの名前を見つけることができた。以前紹介したことのある アトリエ 「ノアノア」の持ち主である。本 氏は 創元会の鹿児島支部長とのことだ。今回は 空間造形の部門と 平面部門の2部門の入賞である。先日 突然訪ねて行って喜びを分かち合ってきたところであった。変な文章を書いたのは彼のゴーギャンに想いを寄せてる気持ちが私の酔い心地に移ったのであろう。私は絵心がないのであるが、本氏の情熱的な絵に対する話しは以前から聞かされていた。先日撮った アトリエの一部を紹介しよう。
2007.11.05
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意味不明の言葉を並べて遊んでしまった。森瑤子 の 「アイランド」を途中まで読んでいた。ヨロン島が舞台の小説である。源為朝伝説と羽衣伝説を組み合わせた創作劇的な作風で私の興味に合致した作品であった。森瑤子さんの作品はこれ以外は読んでいない。縁があって、彼女の分骨されたお墓にお参りする事が多くなった。とてもいい場所であり、とても不思議な場所でもあり、小説に出てくる井戸もある。偶然とはいえない位の神秘さに、神がかりさえ感じるときがある。やっとまともな書き込み。今日は曇り空で寒い日になりそうだ。これからお茶をいれて、まともな一日をすごしたい。
2007.11.04
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うーん。 地元の人は 多分 わからないと思う。 ある日 満員電車に乗った時 自由とは何か なんて思った。 我が儘 と 自由とはまだ 見境もつかなqかった。 今朝、 うんだま こーりゃ いーけなもんじゃー ひにひに三度は あらもんせーがー いだからむこーてぃきゅるう ぷにでんがー そいから ぽーてぃきゅうる ぷにでんかー あっせーたーが 環は八は。 もじりにあではありますが、 生きたい。 真実の描写。 ダメだ これでは、 優しい言葉で 親切に。 泡 手ない。 そろそろで。 昼食。 お父さん てさ 自炊生活してたと言うけど 大丈夫かな。 結構 楽しんでたらしいけど。 それはそれは。 セイラマサヤという宇宙人がいて まさいどやーやか かっぷ有泉というカプセルどりんく くれたのさー。 あくまでも 昔のはなしでんどー。 それからというもの 泡の盛さん 働かなくなって 湯中かっぷらーめんで 3分缶待ったそうだ。 其のうちに ひろか がうまれ 満ちるも 生まれて sprpそろ 天女の羽衣も羽変わり 身づくろいしているそうな。 大丈夫よ お父さん。 長男が 未だ残って重たいから。 安心して 舞っててね。 だってさ。 おーい お湯沸いたかね。 お粗末。
2007.11.03
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我が燃ゆるおもひにくらぶれば けむりはうすし 桜島 やま 飛行機で飛び越えてしまって 桜島を視なくして 到着してしまった。 程よいの気候であった。 目的があったので、いつものバス停よりズーット先までたどり着きバスの時刻表を捜している時、スーットは入って来たバスは蝶さ 行き。飛び乗った。駅前で降り、JRの時刻表をみたあと、案内板をみようとしたところバスは 青葉台行き。飛び乗ったら、先ほどの運転手であった。運を天にまかせとはよく言ったものである。 終点前でおりて、中津のの田んぼの一角にあるアトリエ ノアノアを目指してふらふらと歩き出した。 ずい分と歩いて、帰りも出来ず、先にも不安があったが道しるべを見つけてひと安心。 ゴーギャンの ノアノアはあった。彼は瞑想のなかであったようだが、 無理矢理現実に引き戻した。 彫刻が 南日本美術展に持っていかれたのは 昨日のことだと言って、 偶然の戯れをもてあそんだ。 あらんぽー・と、ゴーギャンの話しを聞くことが出来た。 少し、美術入門できたかと思える。 作品は 黎明館で見ることができるか、 二次審査 は 大丈夫だったろうか気になるが 兎に角 いい出会いが亦増えた。 とうとぅがなし。 今日の行事は ドゥクーサ祭りである。 ドクサ祀りではないだろう。父と母を見舞って、通称 ピャーヌパンタを通りすがった。異様な集団が いる。 アサギマダラのマーキングをとの思いもあったが、 これでは目立つ。アサギマダラはこの時期のこの場所を選んで訪れている、 アワユキセンダングサが 食料なのだ。 ひよどりばなも あるにはあるのだが。 先日 教育長から 蝶の便り(肥後先生)を聞いたし 昨日の船中にても 一緒だったので 筆舌につくし難い。 私の行動がなおさらに 淋しいおもいがする。 それでも、 記録しておく事は 日々の積み重ね。 大事も 小事もと思った でも、何か行動に移すことを 由としよう。 もう 飛ぶ舞いぞ この蝶々 ベニモンアゲハ つかえました。
2007.11.03
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