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ハンギングヘリコニアとトックリヤシモドキの花 自宅ではこれから夏の花ざかり 一つの月に満月が2度あるのは珍しいと言われ、そういえばこの月がそれなんだと思った。与論島では、満月と夕焼けの落日が同時にみれることは珍しくはない。でも十五夜のお祭りの日に、夕日と満月の取り合わせを見た時は感動した。なぜかといえば、案内したお客さんの感動につられてのことである。私たちがいつも目にする光景が感動の対象になっているのだ。そう思うと、これからでかけて目にする日々の朝日だって東京からだったら往復で5万円はかかるだろう。 で、これからその朝日をおがんでこよう。
2007.06.30
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ツアーガイド用に写真を撮ってみた。百合が浜が出ていたので遠景写真を撮ってみたが望遠がきかないのでぼんやりとした映像になった。書くことが多すぎて書けないので写真だけでもとりあえず。
2007.06.30
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ここの場所のお庭で月見しながらの バーベキューを楽しみました ゆんぬあーどぅーる焼きの家族もいっしょでした この庭で先日結婚式を挙げたあとの 片付けも兼ねての月見でとても静かな海辺であった。沖縄の視察研修から戻ってきたらめがねが待っていた。早速めがねをかけてインターネット開いてみた。百円めがねとの違いが出てとても見やすい。持ち運びもしやすい小型ケース付きである。失くさないよう大切に使いたい。 旅の疲れが出て、今朝は書く意欲が出ないのでとりあえず・・・。 研修の3日間連続して飲酒した。これで断酒宣言が崩れてしまうことになる。これからは禁酒の言葉を使う事にする。昨日の帰りは船の中で洋上に浮かぶ伊江島を眺めながらビールを飲んだ。船を降りた時は、久しぶりの酔っ払いすがたで足がふらついた。迎えた女房にビンタを食らったが悪さした子供のごとく侘びを入れたが口先だけの軽い気分だった。又、禁酒にはいるがいつ又飲む日が来るのかを楽しみにしょう。昨夜もバーベキューに誘われて飲酒の機会があったが女房のアッシーを勤めることができた。これから港までオートバイを取りに行ってこよう。先日のヨットで知り合った方からメロンが届いていた。自分たちだけで食べるのはもったいないので娘たちのにも贈って、いっしょに味わおうと言っている。マンゴーも一緒に贈るのかもしれない。さて、本格的にセミが泣き出した。
2007.06.29
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伊江島 明日はとうとうこの島に渡れる 洋上から幾度見ただろうか 山路を登りながら、こう考えた。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。 又寝したが眠れぬので草枕の冒頭を開いてみた。 「前を見ては、後を見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ。腹からの笑いといえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想い、籠もるとぞ知れ」 夏目漱石は洒落が上手いとおもった。私が何気なく使う言葉に啄木があるらしい。妻に言わせると、全てがだれかのパクリであるという。 それならばと思い、最近考えている与論島における保安林造成について私なりに考えてる事を近くなった夜明けまで書いてみよう。大金久海岸の保安林面積は私が担当していた頃は28ヘクタールあった。かなりの面積である。飛砂防止保安林・健康保安林・○○防備保安林などと多機能を持ってた。(呼び名はうろ覚え)人工林の防砂林として昭和30年代の初期に植林されたと聞いている。そのおかげで百合が浜の後背地が立派な耕地となった。近年は基盤整備により豊かな一等地となっている。当時、選定されたのはモクマオウで砂地に育つ事、成長が早い事、強風に耐えることなどの条件で国外からの移入種であった。与論島に限らず、奄美大島のどこに行っても保安林といえばモクマオウである。その特異な条件のため移入したモクマオウに、10年以上ぐらい前からクレームがつき始めた。海岸植生を壊すし、景観に悪いとのことである。 最初は私も、島外者が何おほざいているかと疑問に思っていたが段々と考えもかわってきた。 度重なる台風により大金久海岸のモクマオウの大木が枯れていくのを目のあたりにして、モクマオウ一辺倒ではまたもやおなじことが起きると思った。何度か書いているが、複相林を造りたいとの思いがあって樹種を調べたりしていた。従来あったアダンやハマボウの他にテリハボクとアカテツには興味をもっていた。テリハボクについてはすでに八重山から導入し実証済みであった。アカテツは与論では見かけないので喜界島から取り寄せた。亡くなった伊藤さんが実験的に蒔いたら成長もよいのでこれを増やそうなどと話したことがあた。あれほど二人で捜したアカテツの木は実は与論にも自生していた。しかも、伊藤さんの庭先にあったのだった。物笑いしたが、林業試験場が試験的に取り扱ってくれて今ではテリハボクやサキシマハマボウなどとともに樹種にいれているようだ。 ちょと、余談になった、しかし伊藤さんがいつも前向きに取り組んでこられた功績を知ってもらいたかった。又、役場を退職されたO課長も保安林の造成には功績のあった方である。 それで、(夜明けがちかくなった。)現在はアダンやテリハボクなど機能を果たしているところを残しモクマオウを主体とした複相林の造成をしてもらって大変ありがたくおもっている。年次計画で工事が進んでいるので立派な防風林が造成されることは間違いないとされる。 で私の要望したいのは後の管理作業のことである。また、保安林の機能の強化も挙げたい。保安林の機能を重視した保安林育成管理が重用である。ここで、行政に頑張ってもらいたい。観光地としての与論島を考えるならば健康保安林としての機能を強化する施策が必要であると考える。私案を作って、県の担当に相談してみたいがその前に地元の役場で保安林計画を聞いてみるのが先であろう。沖縄視察を前に、産業振興課の課長にお話を聞いてみたい。伊是名島も同じ条件で取り組んでいることだろうから、質問事項の一つにいれておきたい。そろそろ夜明け。今朝も保安林の散歩をする。
2007.06.24
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蓮の花が開きました 東京都町田市に住む与論の人から苗をもらいました 与論高校の運動会の卒業生のプログラムは毎年昼食後の第1番目の競技である。今年の競技は三人四脚で5分間のうち何回リレーできるかを競った。私たち2期生は2組できた。1期生が3組できてたので今年は参加人数で負けてしまったが競技は1番だった。やったやったーと満足して、応援合戦も見ずに帰って廃品利用の水タンクを作った。ベランダ園芸の区画にブロック代わりに利用しようと考えた。ドラゴンフルーツを植えようと思っている。すでに植えてあるのにはいつの間にか花が咲き実がついている。夜の女王にも花芽が見えているので咲く日を忘れないようにしなければならない。明日から沖縄で観光産業の視察研修、留守中の水掛が心配だ。
2007.06.24
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茶花通り会の感謝祭のヒトコマ 与論でもこんなことができるようになりました 島興しは このような若い力 変な趣味の方のちからを見つけ出す事だと思いませんか? 三角定規とコンパスは製図に欠かせない道具であった。線を引く為、平定規が見つからないので三角スケールを久しぶりに手にした。学生時代、実習に使った製図用具は役場生活では日の目を見なかった。 農大の肩書きが上司には農業の知識しか頭になかったのであろうか。造園工事の資格を持っていなかったのと、専門の作業を担当させられるのを嫌って土木工事関係には極力背を向けていた。知識としては建築や農業土木も役場程度では応用がきいたかも知れない。学生時代の講義で「役所に入って、土地交渉の仕事に就いたら最悪だ」ときいていたので耕地課と土木課は避けて通りたいと思っていたのも設計に首を突っ込まなかったせいもあって幸い避けてとおれた。しかしながら、ビニールハウスの工事や農協の選果場の補助事業など設計図書を扱う仕事は結構あったので工事仕様書を読むなどには役に立ったと思う。 関係ないこと書いてしまったが、三角スケールを使って線を引いたというだけのことでタイトルにしてしまった。ただ、使い慣れた、また長く親しんできた道具にはいろんな思い出があるものである。スケールの目ひとつ、単位の間違いで工事現場と違いがでてくることもある。公共工事などでは言い訳がきかないことでもあるので、大雑把な農業の園芸担当で終わったのが気が楽でよかった。最後の仕事になったリサイクルセンターの建設工事も上司が建築士だったので多いに助かった。県の担当が事務家だったのでなおさらであった。という事で、先日タイトルにしたリサイクルセンターについては今後ごみ処理の有効活用を促したいということで留めよう。 昨日は地方紙(大島新聞)の取材をうけた。「パーマカルチャー」が珍しいというので兼ねてから懇意にしている記者が訪ねてきてくれた。ドラム缶の炭焼きで初めて新聞に写真つきで載ったときはうれしかった。それがきっかけで他の新聞社からも取材を受けて朝日新聞の西日本版(?)にも載ってたと友人からの知らせも届いた。そんなことで変な事すればマスメディアが取り上げてくれる事は承知である。今は又変なオジサンがと言われるくらいである。一度でいいから町長さんから新聞とか雑誌に「載ってたね」と声かけられたらうれしいものである。 ほめて使えと言うではありませんか。バカの泡さんは 酔ったら直ぐ電柱に登る癖があるので・・。 ほめ上手は使い上手。でもお世辞は逆効果。やる気のアルヤツをうまく見抜く力を管理職に期待してます。 今朝は辛口。やるき満々の朝です。
2007.06.22
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与論中学校 給食室のとなりの教室が2年生の時 担任は元栄パナプ先生でした この教室で、勉強する事の大切さに芽生え初恋もまた 思い出のガジュマルが写っている 「上流社会」という古い外国映画を見た事がある。ミュージカル映画だったような・・・?主演はフレッドアステア、軽快なステップ踏んで踊ってたと思う。 書きたいことが思い浮かばないので30年前の与論島の中流の家庭の青年の日記を転記する。 S.53.6.23(金) 私の現在の家庭の状況を書いてみよう。農業をしている父母、寝たきりの祖父、弟は農協、妹は鹿児島で自動車免許の練習中である。父母は一年中暇なしの働きづくめだ。父は朝早く牛の草刈り、私が起きてくる頃までに一仕事が終わっている。母は朝食の準備、7時半ごろから食卓に集まってくる。私は8時過ぎに出勤、ついで弟、父は8時半~9時ごろ畑に出かけているようだ。私は6時前に飛行場から戻ってくる。父母は日が暮れるまで仕事をする。今の時期は8時ごろまで働いていることになる。父母は毎日畑仕事、一日たりとも休む事なし。とても私にできることではない。そんな苦労のなかで家庭ができている。与論では中流の暮らし向きと言えるだろう。車・TV・冷蔵庫などと生活必需品は全部そろっているから不自由はしてない。 私が不満なのは働き過ぎと思う事だ。一生懸命働くからこそ今のような生活ができるのだろうが、それにしても寝る暇が無いほどだ。 今のような生活のなかには嫁はもらえない。生活を改善する必要があろう。両親と同居するからには生活パターンを変えていくしかない。8時の出勤、7時の夕食。朝は今のままでいいとしても、夕食を早めに取る事だ。6時に仕事を終え、7時に食事を取るようにし、8時からは家族団らんの時間を作らなければならない。現在は夕食は8時から9時となっている。これでは若夫婦はやっていけない。7時の夕食は必ず実行されなければならないだろう。 まず現在の家のつくりは改造されなければならない。今の間取りではどうしても文化的な生活は無理というものだ。台所を改善し、食事の場所はもっと小奇麗で清潔でなくてはならないし、家庭の団欒の場所である。TVが見れる事、使いよう台所であるこが大切だ。農作物が家でごろごろしているのは見苦しい。部屋はきちんと整理されているのが望ましい。主婦の仕事場であり、家族全員が顔をそろえるスペースだ。次は応接室、お客様を向かえる部屋で洋風にソファーを置き、TVやステレオをセットする。自分たちが新聞を広げたり読書をしたりするにも利用できる。 中略 家を造ってから嫁さがしといこう。私の望む生活ができないようであれば結婚なんて意味のないことだ。来年こそバルカンの夢の実現を。 君へ・・・。 君と会うのはいつの日かわからない また会えるものかどうか・・・ それはどんな形でなされるか私にはわからない 君は今どこにいるのだろう? 私は君に何を求めているというのだろう よき母・よき妻・よき話相手・・、理解者。 あまりににも多すぎる期待に 君は答えてくれるだろうか? 君に話したい風のそよぎ 緑の鮮やかさ・海のきらめき・花の色・ 詩の響き・星空の美しさ・宇宙の神秘・オーケストラの音 私がこれまで取り入れた知識の断片を 君にわけてあげたい。 そしてまた 君が生まれ育った環境のこと 私に出会うまでに歩んできた君の人生・・・ そして君が心躍らせ感じるもの全てを聞いてみたい 君が安心して休めるよう この胸をかしてあげたい 君の瞳の中に私の姿がとらえられるららば それが幸せというものだ 君よ 君はどこにいるのか・・・。 S。53.6.24(土)
2007.06.21
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昨日の夕方、ヨットが寄航すのでとの誘いがあって茶花の海岸に行った。船を舫っている間、海岸を散歩していると古巣の友がイベント会場で宴会をしていた。覗いてみると自動車リサイクル協会の新担当との交流会だった。偶然、偶然にといって、しばらく宴会を楽しんだ。前の担当には親切にしていただいたので感謝を述べることが出来て良かった良かった。 これから、ヨットの見送りに行くので中断する。7月中に母港の横浜に帰るとのこと。かりゆし、かりゆし、かりゆしの島、与論島。 リサイクルセンターの事書くつもりが気分が乗らず書けなくなった。今日はビンの収集日であったのでその他ビンとペットボトルをゴミ収集所に運んだ。3月まで担当だったので出していたビン仕分けなおしておいた。夕方、犬の散歩がてら収集所を見たら収集袋が残してあった。仕分けが悪いので(燃えるゴミ)わざと残したものと思われる。来月は早めに行って、仕分け方の注意を促したいと思う。 梅雨が明けた。暑さ対策の農作業の手順を考えなくてはならない。挿し木の苗木を鉢あげしたりの、木陰でできる作業を考えつこう。明日葉の鉢植えも大きくなっているので増鉢が必要だ、それと置き場を確保しなくてはならない。昼寝の時間をとり、9時に寝て、3時に起きるように出来ればいいと思う。そろそろ時間だけれど今日は未だ眠くならない。 貞順墓 ミシヌピーヤーと呼ばれるとか聞いた ミシとは北の方角と思われるが どこから北にあたるピーヤーなのだろうか ピーヤーとはお墓のことだろうか? 文面と写真は関係ありません。
2007.06.21
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初収穫の恵み NPOの仲間たち 初めての唇を経験したのは鹿児島で浪人してたころであったのでかなり遅い初体験であったのだろうか。甲突川の川べりで柳の下だった。甘いものだと想像してたのにやけに水っぽいものだった。 6月の定例議会があり、一般質問の傍聴の初体験をしてきた。これまでモニターで見てたのと違い、全員の一挙手一動が目の前で展開される。議員さんもなれてるとはいえ緊張感が漂ってきた。K議員がいつものごとく持ち時間ぎりぎりまで説明を求めるものの見事な質疑に感服した。二番手は同級生のF議員は、兼ての大人しい口調で町長に、観光元年に期待する施政を問うた。町長の用意した答弁に対し、以前に町長の揚げた八つの目標について一つづつ取り上げながらの質問と、議員の考えを述べる問答は私のかねてから思っていた代弁に思えて感動した。インターネットを活用した観光の宣伝の効果について与論町公式ホームページの活用を問いただし、ブログの紹介に私のチヌマンダイを取り上げたり、緑化推進のオオゴマダラの森再生などが出された。決して打ち合わせをしたわけでもなく、彼は私が傍聴席にいることを知ってたわけでもなかった。 他のの議員さんは私がブログをやっていること知る由もないし答弁される課長さんの何名が読んでくれているやら・・・・?おそらく一人か二人ぐらいであろう。答弁をした元上司の課長さんさんは私がインターネット習い始めの時パソコンにしがみついて仕事をしないと怒った方である。追い詰められたような答弁にあーあすっきりした。 意地悪な感情であるが、私の本音である。私が役場をやめる決心をした当時の状況を思うとき溜飲を下げた思いの議会傍聴初体験でした。いやはや 神はみすてたもうたものではない。 過去の恨みは水に流して、もっと広い心を持つように心がけたい。今あるのはあの苦しみがあったればこそである。 NPO申請書が戻ってきていたので修正し、早く提出しなければと思いつつ事業計画と収支予算書を残している。指導してくれる担当が適切な書き込み訂正があり何とか上手くいきそうだ。午前中に済ませよう。昨日は夫婦で目がねつくり。東京見物で二重橋がよーく見えるようにと奮発した。映画「めがね」の公開も待ちどうしい。 今日もいい日でありますように。
2007.06.19
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NPO法人 与論島ウンパル学校発起会 泡君 55歳誕生会 日程がほぼ固まった。7月の10日与論発鹿児島経由、7泊して17日与論帰着14日と15日に座間市の同窓生宅に泊めてもらう。14日は同窓生が数人で歓迎会をしてくれるだろう。15日は横浜あたりか鎌倉でも江ノ島でも箱根でも・・・。出発の日は鹿児島空港に真弓の友人に川内から迎えに来てもらい途中親戚のアトリエに寄ったあとその日のうちに実家に泊って11日の午前中にお墓参り野田駅まえから空港バスで夕方便のJASで東京へ品川プリンスホテル泊。12日は東部デパートで知り合ったUさん宅に泊めてもらう14日は武蔵野の面影を捜して散策予定15日か16日に息子と過ごしたいが未だ行き先が未定16日は品川に宿を取っているので17日の帰りが楽であるのでお台場あたりの夜景を楽しむのもよかろうと思った。真弓の兄にも会いたいし、農大にも顔を出してみようと思うと結構忙しく行動しなければならない。13日に音大の百周年記念音楽祭のキップを手配しようとUさんから電話があったが残念、予定が埋まっていた。移動時間を頭にいれて行動計画をたてることにしよう。 これで妻真弓に退職のプレゼントができる。これまでのアルコール依存症でかけた迷惑をチョーケシにしてもらいたい。
2007.06.19
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按司根津栄にまつわるお墓 上は 岸本墓(氏子の先祖の共同墓地) 中は 按司根津栄の改葬後の納骨墓 下は チンバーと呼ばれる按司根津栄のお墓 放った弓矢が的に当たってしまった。降り続いている雨の中弓道場に向った。第4回按司根津栄杯弓道大会の案内をうけていた。参加は今回が2度目である。競技に参加するでは無く、氏子として大会を盛り上げるためである。要するに、宴会要員、別名割り勘要員のつもりで参加した。大会の名目である按司根津栄に敬意を表するため船倉にある浜宿りを経由し神社にお参りして参加した。 競技がおわり余興に、参加した氏子が弓矢を2本づつ引かせてもらった。皆さん初めての経験で緊張し、近くにしつらえた大きい的だけれどなかなか当たらない。私の番がきた。構えて放つと中心を離れたが2本とも当たってしまった。大当たりの優勝でした。流石にうれしいもので、宴会を楽しませてもらった。 妻の名は真弓。彼女の父が弓道をしていらしたので何度か所作というかをみせてもらっていたので初めてではなかった。一度だけ引かせてもらったことがあった。そう易々当たるものではないことは承知していただけに妻の名前の面目を保つことが出来たし妻にも喜んでもらえた。 今年はシニグ祭りの年である。氏子が集まって按司根津栄神社の由来についての案内板について話し合いたい。現在の由来書は私の遊びの文面が入っているので見るのが心苦しい。もっと真剣に由来書を記したいと思う。
2007.06.17
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毛虫の被害を免れた木 収穫まであと一月ぐらい、今年は営業できません。 久しぶりに朝の海岸で潮風を受け砂遊びをしてきた。太陽の光が強く感じられ、クマゼミの鳴く声をきいた。そろそろ梅雨が明ける知らせである。梅雨開け宣言は未だであろうが、農作業としては真夏の到来と思ってもいい。トマトの片付けをして鍬をふるった。相変わらずとウリハムシと夜盗虫の被害にあって、キュウリ、ナス、トウガンがなかなか成長しないでいる。農薬を使用しない防除方法をとるには、防虫網を張った施設栽培が必要である。農協に依頼した小型ハウスの見積もりが30万以上かかるらしい。思ったより高いので、立て込みは自分でしようと思った。 夕方、いつものように近所の餓鬼が3名ヤギを冷かしていたのでザリガニのこと聞いたら、一緒に採りに行こうとなって、3名を軽トラに乗っけて小学校近くの排水溝に連れて行ってもらった。農業用水のため池からあふれ出た水が増木名川に流れてそこがザリガニの棲家となっていることが解った。場所を移動しながら7匹ゲットした。子供たちは遊びのルールがあって、小さいのは採らない、採ってはいけないところには保護マークをつけるなど、なるほどと思わせる子供の遊びの世界を見せてもらった。私が同じ頃だったとき、そこは増木名池と呼ばれる自然の池があったところである。祖父が連れた牛と一緒に水浴びしたことなど思い出した。基盤整備で畑になった牧草畑が心なしか窪んでいる。何十年か経ったらもとの池に戻ると思った。排水路の側溝の法面には私の林務担当の時に緑化樹として植えてもらったイヌマキが途切れ途切れながら成長していた。那間小学校の校歌に歌われている小緑の再生を願って止まない。 ザリガニはタンクに入れて飼育して観察することにした。3ぴきは亀といっしょに、大きな4ぴきはザリガニだけにした。餌を何にしようかと考えている。 出かけようと思ったら雨になった。梅雨はまだ続くのだろうか・・・?
2007.06.16
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3週間ぐらい前の写真 挿し木の苗木は100パーセント成功 マンゴーは残念ながらの結果です 手前のように20本を剪定 別のハウスも仕立て直し中 室内講習会を終えた後、私の圃場でマンゴーの現地指導を受けた。10年経ったらこんな姿(樹形)になることと有機栽培の実践を見てもらいたかったのである。もちろん県の栽培基準を守っていないので技術指導の見本とては失格であるので、仕立て方の指導は無かったのであるが、玉つりや袋かけなど、農業資材を見本にしての講習をうけた。今回の講習会に参加して思ったことに、果樹農家が真剣に取り組んでいる姿が覗えた。帰りしなに、振興会長から次期の会長をたのまれたが他に立候補者がいなっかたら引き受けたいと思う。役場の在職中に色々勉強させてもらったので少しでもの恩返しが出来ればと思う。 私にとって果樹で生計を立てられる農家の育成を目標にしてたので一応の目処がついた。 次は苗木業の育成(自分)に向けて行政に働きかけていきたい。一次産業者が他産業者と遜色ない暮らしができる産業を目指して夢みる少年の気持ちでいる。
2007.06.16
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貴重な体験をさせてもらった。今朝はその時の映像だけでも・・・。 かりゆしを祈ります。
2007.06.15
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文と写真は関係ありません 火葬場遠景 オオゴマダラの食草を植えてもらいました いつかこのあたりに蝶が飛び交うようにしたい 雨の中、海上生活者と自称する人が訪ねてきていたのでどんな船なのかと妻と朝の漁港までドライブしたら、先日から寄航していたシンシアともう一艘、流浪(横浜)がもやっていた。近くまで寄ったが声をかける勇気がなく、ウロウロしているところに顔見知りの漁士の妻がやってきて世間話をして帰った。 午後からは沖縄研修の視察の説明会に出席、ついでに観光課に立ち寄り、南町長の観光元年の取り組み姿勢などにたいする一般質問やグリーンツーリズムについての意見交換をして、またもや農作業をしないで過ごしてしまった。近日の大雨で土中のドラムカンから水があふれグッピーが流れ出していたのでそこの窪みに穴を掘り20リットルタンクを2個埋めた。これで大雨になっても魚たちが干上がるのが免れるだろう。 そんなところに海洋少年から電話があり、自分の飲み物を持って寄っといでという。妻が船内を見てみたいといってたので、チャンスとばかり急いでかけつけたら船尾で三人で一杯が始まっていた。船酔いを心配してた真弓はビールの酔いのせいか船には酔わなくて雰囲気にすっかり酔ってしまって上機嫌。そんな夕暮れの落日を眺めながらの静かな時をやぶりもう一艘のヨットが近づいてきた。和歌山と船体に書かれてある。マストが帆船にふさわしくかっこよかった。 そのあと、二組の海上生活者が合流し海の話を沢山きかせてもらった。シンシアの船内は小さなホテルよろしくの雰囲気でハイネの「夜の船室にて」などの詩を思い出した。 ワインなど飲みながら物思いにふけってみたいなどとおもいつつ堪能した港をはなれ家路についたが、妻はその余韻に浸っている様子でカラオケなどとりだしていたがわたしはお休み。 今日はどんな日になるだろうか。午後からは熱帯果樹の現地検討会。夕方は多分懇親会になる、果樹仲間の意見交換を楽しみにしている。
2007.06.14
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今年の与論島の梅雨は例年にない梅雨らしい天気が続いている。ラニニーナ現象とかいう報道をよく耳にしているのでそれが原因であろう。異常気象という言葉はもう使えなくなって、世間が狭くなったせいかどこかで異常がいつでも発生している。畑に出られないので机の周りを片付けることにして、退職時に持ち込んだ封筒や書類を整理していたが未だ散らかっている。分類の仕方が悪いので今のパソコンの場所を移動して書斎を作ろうかとおもいつつも電話回線の問題を抱えている。 さて、今日も雨。雨の日は、高野悦子の「二十歳の原点」を思い出す。学生時代に手にしたが私には彼女の心情が理解できなかったし、何度か読んだ今も解らない。私はこれまで自分で死のうと思ったことがない。死ぬのが怖い。永遠に目覚めることが出来ないと思うと怖いので、何かを残して死にたいと思うようになった。高校生の頃から、自分を勇気付けるため日記をつけることにしていたので他人の日記は気になっていた。そのころは、私は学生運動を知らずに過ごした。田舎に育ったせいもあったろうが、そのせいか今でもそのようなイデオロギイにはあまり興味がない。 二十歳の原点を読んでかしらず、学生の暇にまかせて書き溜めた冊子が結婚するまでの間にずい分溜まった。結婚してからは仕事日誌のメモ程度で手紙の下書き、仕事に対する目標をまとめた随想的なもので残っているが。昨日も片付けものの中から、辞表に関するけじめの心境をつづった小文を読んですでに今の勧奨退職のこころ構えをよんで苦笑した。 まー、そんなこともあったのでブログは私のストレス解消になった。一番の効果は禁酒に成功したことである。みんなに思わせぶりを書いてそれを成し遂げる課程を楽しむのは実に快感がある。ホラふきと自分でホラを吹いていれば失敗してもダメ男で言い訳できるからだ。だからいつまでも妻に言われる詭弁男である。 今の時代は「二十歳の原点」のような死に方がすくなくなった。どうせ死ぬのなら精一杯真実に生きてひとがどう思うとも、自分に正直に生きたい。我が儘な僕である。 与論で死んだ人の魂は どこに帰るのだろうか そして私のいく先は何処だろう 88歳まで生きるにしてもあと33年はある 33年忌を何人できるかを生きがいにするのはいいと思った。
2007.06.13
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二日酔いでない朝のすがすがしいこと 健康が一番です。 新釈・走れメロス 森見登美彦を読んでおかしく笑った朝です 1年になった。すっかり習慣となって、朝起きるのが楽しみである。特に書き込みの時間がずれてる人のを開ける楽しみがある。ネット通信は引きこもり的な目で見られるみたいなところがあるが決してそうでないことも解って又、紹介してもらった論文や意見などを読んで大変勉強になった。それと、自分の主張が自己責任において言えるのが何よりもいい。写真や絵など芸術性のあるのも見えるし、感想が書き込めるのもいい。 玄関の靴箱の上に白い封筒があった。農業応援隊でお世話になった京都の方からのお手紙であった。お手紙にはその人の文字で書かれた温かみと息遣いが感じられる。読んだ後しばらくは神棚の横の飾りだなに置いといて溜まったら机の引き出しに仕舞うことにしているが、それもそろそろ整理しないといけないほどになった。これまで書いた日記と手紙で私が生きた証は充分にあると思う。そして、この1年間のブログ日記も過去の日記に劣らず充実したものである。特に、アルコール依存症からの脱出の記録と公務員人生に区切りをつけ人生の再出発を決めた1年でもあった。 内面を深く書くことは出来なかった、又当たり触らずの他人の悪口も書いてしまったりプライバシーに触るような迷惑もあったと思うが有意義な時間つぶしで過ごすことができた。これからも続けていくのでよろしくお願いいたします。今年はホームページにも挑戦したいと思っているのでそれらのこともあわせてこれから勉強していきたい。夜明けとなったが しとしとと雨音がする。 どんな一日を過ごそうか?
2007.06.11
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女性団体連絡協議会主催でタイトルの行事があり冷かしついでに手伝ってきた。真弓からテント張りを手伝ってくれとの電話を受け駆けつけると、集落の婦人部隊がぞくぞくと集まってきてあれよあれよという間に花やと野菜屋さんの出店が立ち並んだ。南町長があいさつ、パナウル王国にふさわしく花とサンゴの島づくりを目指し「観光元年」にふさわしいイベントだとやたらに観光に力をいれる発言を 最近耳にする。町長選挙の年であるが、今のところ他の立候補者を耳にしない。観光元年にふさわしい町長の公約と施政を早く示し、実行に移してもらいたい。島が沈滞ムードで活気が欲しいのは私ばかりではないようだ。婦人パワーがそれに答えるかのように動きだした。婦人が動くと強いとは良く言われるが、男は公約倒れに対して、婦人は行動力と持続性がある。 今年の花の苗木交換のイベントは、にわか準備にもかかわらず成功だった。農業改良普及員の「花つくり講習会」もまずまずであった。来年はわがNPO法人も緑化応援隊で参加したい。海洋少年の育てた苗木(クロトン・ソテツ・アダン)の無料提供は評判が良かった。テーマとしている「ヨロン島の蘇生」にむけての活動が進んでいる。来年は緑化講習会と苗木の販売をさせてもらうとしよう。 昨日、軽トラックがパンクしてしまい朝の運動ができないので今朝はこれから犬とドライブしてこよう。天気もいいらしい。ツアーガイドの見習いのため、鹿児島から里帰りした方の案内をさせてもらいたいので、後で宿泊所にお邪魔してみようかと思う。役場にも用事があるので今日は、観光ガイドについて考える一日としよう。 これが羽化したがどこに飛んでいっただろうか 今日も1頭が羽化する予定 沖縄からホウライカガミの苗木が届いている 火葬場のまわり(広場)に植栽してもらう相談をしてある 魂が蝶になって天国にいけるようにと願いをこめて
2007.06.10
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デジカメがチョットおかしいので オオゴマダラの羽化状況が載せられない 昨日の午前中無事に羽化に成功しました 梅雨の休みに入ったのか、久しぶりに晴れた。以前から気にしてほったらかしていたベランダの雨漏り防止にと思いセメントを1袋買ってきた。建材店でお茶をもらいながらオオゴマダラの話が弾んで、挿し木用のホウライカガミの蔓ももらって帰った。浜砂に挿し木をしているところに、来客2組あった。マンゴーの出来がみなさんの気になるところらしい。その後も一人二人立ち寄っていった様子をみながら、セメントをこねてかねてから目をつけている箇所の修理をした。ついでフエンスの足場も補強したので蔓植物をからませてみることにしょう。 子供が小さい頃はベランダで遊ばせながら鉢物をいじったりして暇つぶししていたが、子供の勉強部屋にと張り出し小屋を作ってからはベランダでの植物栽培を止めていた。そろそろ復活したいと思い立っての作業であった。ドラゴンフルーツなどの乾燥に耐える植物を栽培するにはいいと思う。子供たちが巣立った今は2階は寝るだけの部屋になっている。片付けてもっと有効に使わなければもったいないスペースである。今日も天気がいいので、ベランダで栽培する鉢物などについて考えてみたい。植物を栽培することで雨漏りがひどくならなければ良いが・・・。
2007.06.10
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アカショービンの受難 またもやリュウキュウアカショービンの死骸をあずかることになった 高校の事務室の窓ガラスに当たったらしい。 脳震盪ではすまず、家に持ち帰ってしばらくして死んでしまった。 知人が絵を書いた後、十字架をたてて埋葬すると持っていってもらった。 再度ブログで紹介した日の翌朝の出来事だった 何かの知らせなのかと 偶然にしてもあまりのも偶然。 自然からの警告に注意しよう。 食品衛生協会の総会ご関係者との懇親会に参加した。感謝状と食品衛生功労者の盾を頂いたお礼に有泉1本ぶら下げて行った。またしても飲んでおおはしゃぎしてしまった。3次会まで行ったようであるが、お客さんを送った途中、かりゆしバンドに寄って演奏の待ち時間中一人舞台を演じたことを思い出して苦笑している。同級生の議員をしているグル-プのお客さんとしばらく談笑し演奏が始まるまで待てずに2次会に追いついた思いがする。 お蔭様で昨日は寝てくらした。断酒を決めてからこれまでのうちで最悪の気分の悪さを味わった日であるこれからは恥ずかしくて断酒しているとは言えなくなった。禁酒という表現に切り替えないと嘘つきになる。夕食はおかゆと豚汁で美味しく食べられたので元気を取り戻したが9時から寝てしまった。真弓は女性団体の会合がここのところ多くなってでかけて行った。去年、教育委員会関係の全国発表で表彰を受けたので今年の全国大会の会場地が与論になっている。花一杯の準備をいまから頑張っているということだ。事業部長だし、婦人会長が身内(親戚)なので協力せずにはいられない。が、いいことだから多いに賛成である。わたしのNPO活動の目的にもあっているので私としても協力をおしまないつもりでいる。 盾をもらうのは、高校の県の弁論大会以来の出来事で飾り物の少ない床の間には小さいながらも居場所を確保してくれた。父がもらった表彰状やトロフイーなどは飾れ切れないほどあるが私のは職員互助会でもらったつり大会の大物賞ぐらいで寂しかった。勤務年数3年の短い期間に功労賞はふさわしくないだろうが、与えてくださった会長や担当の職員に感謝している。これからも親しくお付き合いしたいと思う。個人的にも訪ねてくれるといってくださっている。そんなお友達が増えるのが楽しみだ。 今日は元気がでているので、農作業に久しぶりにマンゴーの手入れをしよう。袋がけと吊り下げ作業が遅れている。相変わらず虫たちが多い。野菜にはヨトオムシが大群で発生している。雑草にまで虫がつくとは・・・、バッタも発生をはじめて小さな虫の大群が押し寄せてくる。まるで「風の谷のナウシカ」みたいに・・・。自然は人間だけのものではないことを自覚し農薬を使わずに虫の食べ残しを頂くとするが、めについたのは手でつぶすのだから人間はむごいことをしている。お互い生きなければいけないのできれいごとだけはすまぬすまぬといいわけ。これ言い訳。 5時のチャイムが鳴った。新しい時計の音で今日の楽しい始まりだ。1日ので出しに感謝。
2007.06.08
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言行一致の美名をえるためにはまず自己弁護に長じなかればならぬ。 羅生門・鼻・種々の言葉言葉がでない。 ある夜の感想。眠りは死よりも愉快である。少なくとも酔おう伊には違いあるまい。 また 飲んでしまった。 また はじめよう。 夢想国士の文字にあこがれる。 鎌倉だったような、 紫陽花寺もおもいだす。 センチメンタルな僕。
2007.06.07
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今日は食品衛生協会与論支部の総会 塩やさとうきび酢などが私の担当している期間に 営業が開始された これらの商品が特産品として島の経済を支える 事業所に発展してもらいたい。 決められた申請手続きのお世話をさせてもらっただけなのに 感謝状がもらえるというので喜んでお受けすることにした。 保健所の方々を初め与論の食品営業の関係者に心よりお礼いたします。 昨日、6月6日は色んないいことがあったので語呂合わせもいい日なので何の日かと思い検索してみた。習い事を始める日とかケロケロの日とかあった。時の記念日を予想してたがそれは6月10日であった。時の記念日は水時計の使用開始に由来すると書いてある。何かの記念日でなければ日ごろは時を意識することがないが毎日の積み重ねで齢を重ねていつか墓場に到達することになる。 息子に頼んでいた時計が届いた。父(柱)時計は食卓室の壁にかけた。母時計は応接間の壁にかけた。母時計は仕掛けがついていて、鳴らして、子供みたいにはしゃいでしまった。新築祝いに頂いた柱時計が動かなくなって1年以上になる。退職記念に人生の再スタートに時計が欲しいとおもっていたので誕生日にあわせて贈るようにいってあった。時計にまつわる思い出は色々あるのでいつかの日にとっといて・・・。 昨日は妻の父の命日だった。妻の郷帰り計画もあったが、東京行きの予定に組み入れることにした。来月11日から17日までのキップと宿泊所を予約、9月の沖縄のキップも押さえておいた。また、NPO法人設立申請書を郵便で送り帰宅したら頼んでいた車も届いていた。55歳の齢を記念に新たな人生に再挑戦したい。 平成53年6月6日(火) 愛について かつて、星を愛するように花を愛するように、静かな気持ちで女性を愛したいと書いた。その裏には、激しい気持ちで女性を愛していたから・・、もっと冷静になりたい気持ちがあったからだろう。 愛情・・・、すべてのものに愛情を持たねばならぬ。博愛主義・・・、星を愛す、花を愛す。恋愛とはまた違う感情なのだろう。では恋愛とは、どんな感情なのだろうか。さびしさのよりどころ、心のよりどころ・・。切実な願い、恋人が必要だ。恥も外聞もなく燃えてみたい。今のままではいけない・・、自分をもっと語らなくては。 愛とか、恋とかバカみたいなこと言ってないで、行動あるのみ。好きな女性にアタックするのだ。そこから何かが生まれる。 6月7日飛行機を見送った後、Mへ手紙を書いた・・ 今日はあれから30年目の時の記念日。これからどんな時が刻まれるか、この家庭に息子から送られてきた時計がそれぞれの時を刻んで動き出した。同じセイコーの時計なのだけれど正確に時を入れた時が始まりなのだ、としたら今日の目覚めからこの時計たちと第二の人生をスタートしよう。どちらの時計が丈夫で長持ちし、人生を意義あるものに出来るか見つめあいたい。
2007.06.06
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きれいな手がもう一度見たいという要望に答えて アーガールを手放す前に撮った写真 アーとは赤いとの方言 ガールはわからないが 一人の少女と英訳? 東から太陽が あがーる と縁起のいい言葉です 5時を少し廻っている。法人申請書を整理したあと日記に向っていると天井でねずみの大運動会。足音からすると猫ほどはありそうだ。台所にはちょくちょく顔出ししているそうで、私もたまに見かけているが今のところ悪さはしないので無視している。 昨日、早めの昼食をしているところに堆肥センターの所長が見えた。用件は町で生産販売している堆肥の苦情処理のためである。先日役場で書類を見てもらっていてたまたま、堆肥センターの堆肥は未熟堆肥で、しかも使い方間違えたら作物をダメにするとの話題になり、担当課長を交えて意見交換をさせてもらったお返しである。早急な対応がうれしくて、私が試している現場での実情を話した。元同僚の彼は日ごろから親しくしていて、農業を実際にやりながら農政に携わっている者同士の阿吽の呼吸がある仲間である。 昨日のブログに書いた、視聴覚機器を駆使し発表資料を作ったのは彼の仕業であった。その他からの才能は色々あるが、サッカー少年を育成した実績は多いに評価すべきである。 それはさておいて、有機農業の島づくりを目指して、堆肥センターを多いに活用してもらっている。堆肥生産の技術にアイドーラ液を使用していてアイドーラ農法が普及してもう10年ぐらいは経過しただろうか。私としては平成元年を有機農業の着手年ととらえている。というのは、その道の先駆者Mさんがいわれているからで、わたしも同じころから彼らと興味をももって係わりあってきたからである。内容については又いつか書かせてもらうこととして 要するに私が使った堆肥は未熟だったということの説明と使い方を間違えたらこうなったとの説明である。彼は直接この話は私から聞いていたので長い説明はいらなく今後の対策についてはなした。今年の完熟にした堆肥の保管倉庫が事業計画に乗っているので早いところ住民の誤解を解くようにと、できればアイドーラ農法の創始者との意見交換をさせてもらえたらと頼んだ。有機の島づくりは私の目標としているパーマカルチャーに含まれるので町が生産している堆肥が有効に活用されて欲しいのである。有機農法は色々な手法があるので、アイドーラだけが一人歩きしても反発する人も出ている様子を聞く。その手法を取り入れている堆肥センターとしてはきちっとした使用方法と技術の裏付けが必要なことは言うまでもない。私かつて燃えた農業技術員としての使命である。与論町農業技術連絡協議会の皆さんに多いに期待します。先輩として多いに意見を出し、実践もし、展示圃場などの実験の場を提供し農業の基本たる土づくりを一から初めて見たいと思っている。環境保全型農業推進協議会を立ち上げたのは当の私自身なのであるから。国や県の技術専門員とも現地に来てもらい議論したい課題をたくさんもっている。また、私の取り組んでいるパーマカルチャーについても県の環境保全型農業を推進している立場の方の意見もお聞きしたいと思った。やりたかった、言いたかったかとが、今はできるる喜びを感じたいい日であった。
2007.06.06
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猿渡家の門(ひんぷん) 昔の映像から 湯布院の町並を思い出したので平成7年の第45回九州地区学校保健研究大会での資料を取り出してみた。鹿児島県代表で発表する機会を与えられてはじめての大きな会場での発表はスタッフに作ってもらった録音テープと映像による与論島の景色が喜ばれあとの懇親会で多いに話題にしてもらった。資料をご覧下さいと冒頭の挨拶だけで、あとは録音機のスッイチをいれてもらって映像による活動記録を報告しただけであった。そのころ、こんな田舎で視聴覚機器(スライド)を使いこなせるスタッフは珍しかったと思う。たまたま、保健の役員をしていて発表にかりだされた役得であった。 資料から転記、5、おわりに 私がかねて心がけたいと思っていることは、地域の行事には家族全員で積極的に参加し、自分も子供も磨きたいということである。生涯学習の時代といわれているが、地域行事に参加していれば色々な学習が出来る時代である。盆踊り大会、敬老祝賀会は、私ども家族が楽しみにしている行事である。また、ヨロンパナウルウォーク(20キロ)には家族全員で参加している。ヨロンマラソン(フル)には、昨年から長男も参加するようになり、家内と3名の応援を娘二人がやってくれる。 学校や地域行事に家族そろって積極的に参加することが、我が家の家庭教育の方針であり、家族の心と体の健康づくりの素になっている。 あれから10年以上も過ぎ、子供が巣立ってしまった。このときに書いたように、今でも地域の行事には積極的参加しているつもりでいる。飽きられるまで、いやがられるまでは続けたいと思う。 朝寝坊してしまった。今日は、NPOの就任承諾及び誓約書を作成し申請書を送付したい。
2007.06.04
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網のつくろい もうこんな風物は見られなくなった どこの海岸だろうか もしかしてタテダラだったら、2度と再現できない風景だ 赤碕に独り住まいしている人から、「石やーぴちゅぬてぃーくうゆんどぉーやー」と言われた。もらった石を素手で運んでいるのを注意したのである。思い当たることが経験上あったので直ぐに理解でき、手袋をはめて作業をした。軽トラック一杯分の石のかけらを運ぶ作業の間見守って下さった。生まれながらの足首の奇形のため不自由な暮らしにもかかわらずそんなそぶり見せない人だった。チョト気難しいところもあってか、役場の職員は少しひいたような対応の仕方を見受けていたが私が福祉運動会などでお付き合いをした時機転のきいたアドバイスなどを受けたことがあったので気まぐれに訪ねたのがきっかけで、集めた石をもらうことになった次第である。 海亀を飼った話も聞かせてもらった。手のひら大の亀を10キロぐらいになるまで育てたが子供がいたずらして目をつついて眼鞍になってからは餌を食べなくなって死んでしまったそうである。最初は海水で飼っていたが、掃除が大変なので水道の水で大丈夫だったという話。ミドリガメを飼育タンクに返したばかりだったので参考になった。清潔にしてやることが肝心だと思った。 運んだ石のおかげで夕方まで庭弄りを楽しむことができまた、注意をうけたことで手袋をはめ、石に手を咬まれることも無く作業をこなした。このぐらいの庭仕事では少々の血豆は覚悟せねばならないと思っているが先人の教えはためになった。 もう直ぐ夜明けが待ちどうしいが、申請に至るまでの経過を見直して修正しておくことにしよう。
2007.06.03
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中学校に再現された ぱるやどぃ(畑の休憩小屋) ぱる とは畑のこと うん とは海のこと ウンパル学校は 海と畑の学校 とりあえず、設立発起会のメンバーが教師であり生徒である いつかは各自で得意分野の教室も開くことが夢である 今朝は雷雨であった。雨が欲しかったので自然の恵みがありがたかった。挿し木や植えたきゅうりやトウガンの苗が喜んだろう。 昨夜は夕食を終えて珍しくTVを見てたところに電話がありカラオケするから遊びにおいでとの誘いで近所にお邪魔した。東京のお客さんも交えて9人で歌い放題で楽しんできた。 カラオケセットはカラオケで有名(?)な第一興商からもらった年代物だという。別荘を作った関係で古里集落にも色々寄付とか頂いている。大変気前のいい社長さんらしく聞く。何度も会ってはいるがまだ一緒に飲んだことが無いので今度見えたら遊びに行こうと思う。皆田海岸の環境保全の協力をお願いしたいと思うからである。 NPOの発起会を終えたのでいよいよ申請書を提出したいと今朝から書類の手直しを始めた。名称を与論島ウンパル学校に決めて、議事録など作成、申請に至るまでの経過を調べメモしてみた。今週中には提出したいと思う。 与論高校でオオゴマダラの蛹が羽化したと真弓から電話があり自宅の玄関横の蛹1頭も羽化に成功していた。真弓のそっくりさんの一行が今日帰ると言って、挨拶にみえたので黄金の蛹を見せると驚きの証拠写真を撮ってくれた。記録用の蛹はもう少しかかりそうだ。 昼寝したあとは、先日もらってあった赤崎の民家から石運びをした。門のところの敷石に使ってみたが目地を工夫すると結構いけると思う。門から玄関にかけてのアプローチは本職の庭師にお願いしたいと思っている。庭の周りを整理するのにあと10年ぐらいかけたいとおもうので門構えはまだまだ後の楽しみに取っとこう。 畑の水溜め桶から子供たちがいたずらで隠したのだろうかミドリガメが見つかった。空を飛ぶ夢も見れたし、今日は本当にいい日であった。
2007.06.03
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よみもの動物記 白井祥平 がある。昭和44年7月25日発行 となっている。 この本のおかげでラグーンの生き物の名前を少々知ることが出来た。地球温暖化のせいでサンゴが死滅してしまった今、昔の記録は重要な意味を持っている。海岸を歩き、打ち寄せられたサンゴ石を拾い集めているがこのサンゴのかけらさえもいつかは貴重な資料となるのではあるまいか。私的には、庭石としての園路に使用しているのだが・・・。 昨日も妻と潮干狩りに散歩がてら遊んできた。海藻採りの人たちは相変わらず多かったが私たちは海洋調査みたいな気持ちで潮風に当たっただけだった。それほどの獲物もなく替わり果てた海の様子を今、本を手にしながら恨めしく思い出している。 海の生物の再生を願うならば、期間と立ち入り禁止区域を決めた全員への禁猟しかないのではなかろうか。道具を持って海に入ったら見つけてしまった小さな獲物までとりたくなる心情に負けてしまう。採らなくても、歩くだけ、観察するだけでもサンゴ類や色々な生物を踏み殺してしまっている。 禁酒するには、まずは酒を買わないことだ。手元にあるから飲んでしまう。まず目にしない。手に取らない。口にしない。 昨夜は妻のそっくりさんを交えた宴会場で飲まずに平気でいられた。アルコールを見ても、それほど欲しいと思わなくなった。与論の海を守るには禁酒に例えて、禁猟を全面的に行うと効果があがること間違いなしである。住民の心を統一した話し合いにまとめていくことが肝心だがでは誰が言いだしっぺになるかと泡さん どうですか? なかなか いえません。 どれどれ、遅くなったがでかけよう。 与論穴 上から写してみました。 二つの岩が支えあっています。 相方 お互いがしっかりと肩をくんで 同じ願いに向って夢を追い求めたいものです。
2007.06.02
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