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記憶喪失。わだのはら やそしまかけてこぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね 鹿児島市での苦労人時代の事を思い出して書いたのに どうしてか パソコンに拒否された。 仕方無いので 犬のチレットと散歩して帰った。 東の空に 明けの明星が輝いていた。 私も もっとしっかりしないといけないと 思いながら、 今日は新しい月。 水の初 だった。 忘れえぬ 人々。 満 天 の 星キャスト あ うえい 「漂流」 ひょうりゅう の 旅人たち 歩け あるけ あるくのだいすき。日取りよし てんきよし 酔いもよし・・・・・・ 友里 賀 はま に 漂着し じか足で ほしのすなを ふみしめる 急に なみが おしよせる ぐらすボート ゆらりゆられて 星の砂との しばしの わかれ お便りいただきまして ありがとうございます。この島にうまれて 本当によかったとおもいます。ビールの 泡におぼれている 毎日ではありますが すきなように かんがえながらあすをみつめて いきていきたいとおもいます。 つづ浦々を 歩いていらっしゃるみなさま どこかで きっとあいたいでしょう いいたいほうだい しったふりして おゆるしください。 また いつか どこかで会える機会 を のぞみながら 酔い 待ち 草そう 下関 大宰府 小郡市 H.17.2.9 竹 酔 人
2007.08.31
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えいさー、ほいさー、よいさー。 沖縄北部地域の駅伝大会があった。どんなきっかけで与論島が参加できるようになったのだろうか。興味がわく。道州制の議論があまり聞こえてこないが まー そんなことよりも なにはともあれ 私は生活を稼がなければならない。 ここのところ 遊びすぎているので 月末の今日は 汗してみよう。 夕方は サークラ直し。 これで シニグ祭りの骨格が解ったような気持ちになっている。 私も 本陣の座元のはしっこに座すことを許された。 兄 弟 島 沖之永良部と与論は兄弟島と呼ばれている。遠い昔、琉球の北山王ハニジがヤンバルを治めていた時、次男には沖之永良部島を、三男のオーシャンには与論島を与えたと記録されている。久しぶりの出張で乗った定期船のデッキからしみじみと島影を眺めてみた。何度も何度も見ている景色。定期船は向きを変え、しだいと遠のいていく生まれ島は琉球の山に抱かれているように見えた。 港に着くとホテルの迎えが来てくれた。他に乗客がいなかったので運転手さんに気軽にはなしかけて「世之主の墓」などのことを聞いたら、ちょっと寄り道してくれたところは,あまた集落の田芋を栽培しているところでした。自然水を利用して耕作された昔ながらの田芋は、都会に移住した民への故郷のお土産として高く評価されているとの話をきいて、つくろいをしている小母さんに芋を分けて貰った。与論島から来たというと「兄弟島やー」と親切に扱ってくれた。会には少し遅れたけれど、運転手さんの気配りがとてもうれしかった。翌日は、自衛隊の施設や鍾乳洞などを見学したあと、私だけが下りの定期船を利用するので、お墓などに寄り道しながら知名町の職員に和泊の港まで送って貰った。 下りの船のうえで、沖之永良部島に受けた恩をしみじみと思い出していた。花の島の農業生産を真似ながら、二十年遅れていると発奮をかけられた農業を担当していた頃のことが懐かしくおもいだされた あれから、二十年たった。兄弟島から熱帯果樹の視察に来てくれた。マンゴー、アテモヤ、ドラゴン・スターフルーツなど、農家の試行錯誤で特産物に値するものができつつある。島は小さいから、大量生産は無理。少量多品目、高付加価値生産、直通販売、インターネットでのブランド販売などと考える昨今である。やっと繕った原稿であったが、楽しく書かせてもらいました。今日うれしかったことに、ボランテアで植樹する現場でテリハボク(うんじゃんがらがら)を植えさせてもらった。航海安全の意味をこめ、「かりゆしの樹」と名づけたい。 (父・母・兄弟の島々・・・琉球。 とうとがなし。)
2007.08.31
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部数(1000部発行)に限りがあります。友人、知人への回覧をお願いします。 「喜山康三議員日記」のHPで内容を公開(8月31日)します。みじらしゃい。与論町長選における公開質問書 「西海に入る夕日 赤々と燃えて尽きなんわが命」 人柄と熱意を感じる。 さて、きょうは サークラなおし。 千円会費でとの誘惑にはかてない。 妻が 飲まないで帰ってきたら 彼女たちの 魔女連とカラオケが楽しめるが の誘惑 迷わず 明けの明星に 入れる。 「憂きことの わがみのうえに 積もれかし 限りある身の 力ためさん」 私の恩師 竹下先生の卒業アルバムの言葉を思い出す。 とおる ばか そんなおはかありますかありません なぜ なぜなんだろう。 ぼくの おんし なぜかしら なんだろうの たびをしました。ふしぎはっけん と じぶんがく。だれもが しっているのに しられていないふしぎなこと。 かそう ば ができたので すこしくしきたりが かわりつつあるようだ。XXXXXX の りょうしんの かいそうかそうにいくやくそくを すーぽおん化 してしまった。 いいわけない。 またもや よいしれて ぐちももらして おしっこも とや びんぼうくじ の だんっぢまん。 H.17.5.6 酔いひと 洋 です。 つれました。
2007.08.29
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上2枚はジェロニモのブス目が撮った写真 下は 昔 娘が溺れた海の写真 実は 動転した私のほうが溺れるところでした 実は 私は海も得意なんですよ。 自己評価で 20点。 今日はシニグ祭りの日。どんな年になるか おのおののサークラで 祈願祭が行われる。 私は 按司根津栄神社の氏子であるので ここのところ 意識して行動を慎んでいる。 さて、 表題にした冊子は 113ページからなる。 学生時代の登録番号と同じ数字であるのは 奇遇だ。昨日は さとうきび生産対策会議の研修会にも参加させてもらい いいお話をおききできたので 平成13年3月にできた この小冊子を取り出した次第である。 基本理念(p74) 自然美しい 緑の島 与論島の 保全と保護 キャッチフレーズ みんなで目指そう。美しいオンリーワンの島 ゆん 読み返してみて 与論に生まれて良かったと思います。 私も 縁あって 審議かいで意見を述べさせてもらったので 言い訳がましく申します。 がしがよー、 この冊子は 誰によんでもらっているのかと 思ってしまった。 昨夜は 月食はみれなかったが 素晴らしい出会いがあった。 これだけでも 私の人生 最高に 幸せ。 宇宙の神様に感謝。 書き込み 書き込み申しそうろう。
2007.08.29
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旧盆の終わりの日、娘を連れて潮干狩りに行った。おひるの弁当を作ってもらって、特別に缶ビールをつけてもらった。おかずは ウニを見つけて食べることを目標に知り尽くした皆田の海岸。 娘が撮った写真を載せてみよう。設 立 趣 旨 書1 趣 旨 「東洋の海に浮かび輝く一個の真珠」と表現される美しい与論島の自然環境を後代に引き継いでいくために、与論島の保全・保護・再生などの多面にわたる分野での島内外の意見を統一して地域環境の美化を図り、より住みよい与論島にしていきたいと考える。 近年の与論島は大金久海岸の保安林を見ても明らかのように、度重なる台風災害により海岸植生が破壊されてきている。私等は与論島の植生の変化について日ごろから関心を持っていたので、植樹などの事業に個々でボランティア活動に参加するとともに動植物の観察などを通して環境の変化に憂慮した活動を行ってきた。近年はオオゴマダラ蝶を見かけなくなっていたので、その再生のため有志がヨロンマラソン第16回大会を記念に、オオゴマダラの森記念植樹祭を与論港コースタルリゾートで執り行った。これを契機に、この運動を島全体に普及し人と自然が共生できる島づくり活動に発展していきたいと思いたってNPO法人の設立に取り掛かることにした。 これまでは会員個々のボランティアで行ってきたが、今後、更に活動を拡大・充実させるためには、行政業務のお手伝いや助成金の交付が必要であることから、特定非営利法人として活動することが望ましいと判断いたしました。 2 申請に至るまでの経過2005年 4月 ヨロン島蘇生の植生をテーマに海岸植栽に取り組んだ。モンパ・アダン・リュウゼツランなどの海岸植栽を提案した。 2005年11月 百合ヶ浜キャンプ場の入り口で行われた森林環境税・海岸植栽事業に協力参加した。 2006年11月 オオゴマダラの蛹と食草のホウライカガミを沖縄より移入し, オオゴマダラの再生に取り組んだ。 2007年 3月 第16回ヨロンマラソン大会記念植樹、オオゴマダラの森再生事業に着手した。 2007年 4月 特定非営利法人設立に向け準備会を開いた。2007年 5月 特定非営利法人設立に向け設立総会を開催した。 平成19年5月28日 特定非営利活動法人与論島ウンパル学校 設立代表者 住所 鹿児島県大島郡与論町大字古里1283番地 氏名 竹 盛 窪 印
2007.08.27
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今年の目標の一つ、NPO法人の設立にむけて申請書類を作成していた。何度も訂正をして提出していたが何とか受け付けてもらえた様子である。次の目標の「苗木商」の講習会は10月の予定。すこしづつではあるが目標に向って進んでいる。今日はお盆の終わりの日だがこちらでは精霊流しなどの慣習はない。天気も悪くないようなので久しぶりに潮干狩りを楽しもう。 特定非営利活動法人設立認証申請書 平成19年 月 日 鹿児島県知事 伊藤 祐一郎 殿 住 所 鹿児島県大島郡与論町大字古里1283番地 氏 名 竹 盛 窪 印 電話番号 0997(97)4123 特定非営利活動法人を設立することについて,特定非営利活動促進法第10条第1項の認証を受けたいので,下記のとおり申請します。 記1 特定非営利活動法人の名称 特定非営利活動法人与論島ウンパル学校 2 代表者の氏名 竹 盛 窪 3 主たる事務所の所在地 鹿児島県大島郡与論町古里1283番地 4 定款に記載された目的 この法人は,与論島において,与論島の自然の蘇生に関する事業や地域活性化に関する事業を行い,住みよい与論島づくりを目指し、地域の発展に寄与することを目的とする。
2007.08.27
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アカマタが路上に座り込んでいた。早朝の砂運びの途中だったが、帰りにも同じところに居たので車をおりてみたところ殺されていた様子だった。蛇を助けるとお金持ちになれるかも知れないと思い道路わきの藪に捨てることにした。今年のアカマタの初見だったので記録しておこう。 お盆の中日、庭を見たいと言われたお客さんを案内した。「宮内」に住んでいたといわれたので、まさか中原街道の「まんが寺」の近くですかと聞いたところ、そうですという。学生時代の3年を暮らした土地だ。世間様は狭いものである。後ろの家に嫁いできたKあんにゃーの実家もすぐ近くだった。悪い事は出来ない者である。 さて、蛇の思い出を転記してみよう。まったぶ(大蛇) 与論島には、ハブがすめないと、地質学の専門のかたのはなしをきいていただけに、きょうの(16日)沖縄の新聞紙に蛇のながさの大記録をみたので書いている。この頃わたしの島で、アカマタとおもわれる蛇が道路上で息絶えているすがたが散見されている。先日、民宿のおかみさんから、お布団をたたんでいたら細いひもがもがいているがどうしたらいいものかと妻に電話があってでかけていくと、丁寧に頭がつぶされてあった蛇にであった。私は爬虫類にがてであったので、息絶えた蛇を目の当たりしてほっとしたが、アカマタとは違う、うろこのいろとしっぽのほそさに興味を引かれ頭を掴んだ。死んでいると思って安心した蛇くんは右手にからみついた。おどろいた数名のものどうしで、蛇のなまごろしは、うんぬん・・・となって、完全に頭をつぶし息たえることでした。心配になって、思い悩んだあと、家に持ち帰った。結局は私の家の水瓶壷(みずがめ)にかくまうこととした。あしたの朝、水がめでおだぶつになった長いひもは、一メートル5センチでした。弔いながら畑の隅に埋めましたが 、もしかしたら、ガラスヒーバーでしょうか。明後日、動植物の好きなかたがたとであえますのでお尋ねしたいと思います。なにかの縁があるでしょうか。お話を期待しつつおまちしております。 お伝えすること、わすれていました。アサギマダラがたびたびやってまいりました。F先生の文献をおうかがいしますと、マダラ族のことがいまだはっきりとはわからないとかいておられます。渡る蝶のことの記録ですが、環境を考える仲間にとってはこれからもたいへん重要な調査になっていくと思います。東洋のガラパゴスのの著作者もお見えになって琉球弧の生物について語り合い、世界遺産についても検討しますが、開発と保護はおなじ目線でとらえたいとは私の持論です。異論もいろいろあるでしょうが、生活の基盤はそこに住む住民でしょうし、蝶や虫、海の生物、星や砂、その地域に根ざした文化など、「与論島まるごと博物館」構想が住民の工夫で、外からの知恵や力をお借りしながらすこしづつ、すこしづつとおもうあきのひより。
2007.08.26
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まんまの浜 台風4号で浜の様子が変わった 以前この浜辺を歩くと リアルタイムの映像が見られたが 現在はどうなんだろうか? 島崎藤村の歌を句智頭差身ながら 泡さんが・・・。 私が与論島で初めてパッションフルーツを口にしたのは昭和49年の後半のことであろう。観光農園を経営していたSさんの農園であった。観光客相手に記念植樹(ぱぱや等)させたり、マンゴーやバナナも栽培してたと思う。Sさんは私の家にも何度か見えて父と話しうぃしてたのを覚えている。そのころは未だ与論カボチャの全盛期であって父は観光農業の話しには全く興味がなかった。 あれから30年以上が経った。私は役場を辞め、Sさんが目指していた観光と農業の交流をテーマにそれに自然農法を組み込んだ生き方を追求する「私のパーマカルチャー」に本格的に取り組もうとしている。 1999年の記録にパッションフルーツの導入品種が記録されているので転記する。 紫系(サマークイーン) 赤系(ルビースター) 黄系(ハッピーゴールド)大島の農業試験場で育種され喜界島で増殖された苗が私の畑で20本が試験的栽培された。今年の与論のパッションフルーツは商品として人気があったようだ。短期間で産地が作れる品目であり技術てきにも割と入りやすい作物である。初心者には是非お勧めしたい。家庭用に1~2本あればひと夏を楽しめる。 思いつきで書いたので今朝はこれぐらいにして・・・。趣味の園芸に挿し木で増やせるので今、挿し木したら来年の夏は多分収穫できるであろう。私も3本植えてあるので今から棚仕立ての用意をしなければならない。選挙の熱い夏の合間に農作業とお盆の行事を勤めよう。夜明けが近いが、昨日の写真の残りをアップしてから出かけよう。
2007.08.25
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8月22日与論町土壌診断センターで果樹振興会の総会が開催された。会員名簿には28名が載っており、いつから変わったのか妻から私に名前が変更されていた。栽培品目には、マンゴー・アテモヤ・パッション・ドラゴンと書かれている。役員改選の議題で事務局(案)から私の名前が上がった。心づもりはできていたので素直に喜んでお引き受けした。豊富は与論農業に果樹の産地を位置付ける事とした。初年度は生産額を数値で示せるように各農家の実態を把握すること。5年間を目標に1億の品目を育成する。として会員に呼びかけた。現地研修会の後の懇親会は久しぶりに燃えた。完全燃焼であった。 西海に入る夕日 明明やー 矢か盾か 島ぬたみならんちちちちドゥ うまりとぅる 昨日は水の初。祖母と先祖代々の神様が同日に神棚で待ってくれている。妻がご飯と洗い米を用意してあった。お花はクロトンの枝にした。私もいつの間にか現代風に花活けの材料が変わっていた。そんなこと考えながら先祖崇拝の思想をこの島の守り神様として浸透させて生きたい。 昔、昔、その昔むぬがったいをした あきれた小文を載せてみたい。 雨の音と 雷で今朝は砂運びは無理である。先日撮った写真は与論港からの夜明けである。待ちどおしい。豊年祭典(与論島の十五夜踊り) 旧暦の十月十五日、地主(とこぬし)神社に奉納される国指定の無形文化財の豊年祭りがあった。「あーみたぼーりたーぼーりー、あーみたぼーりー田彫りー・・・」。雨をくださいと天に祈る詞書からはじまるゆがぷー踊り。五穀豊穣・島中安穏・無病息災を願いながら、伝え継がれた踊り子達が舞う。仕事帰りに覗いてみたところ参拝者が多く立ち見席の一角であった。 奉納相撲の土俵を照らす月がとても新鮮にみえて、ここのところに降った恵みの雨に感謝しながら、奉納すべき別の一族のサークラに向かって歩いていた。途中で軽トラック運転の親切な人に話しかけられたのは実の弟だった。どうするのときかれて、これからお祭りだとこたえた。きみは、どうするの、ときいた。神社氏子の慣習がこの島には残っていると思うので兄弟で先祖から伝え聞いた話を語り、境内で飲んでみたいと思ったが、ときがもうすこし待つよと彼につたえながら「按司根津栄神社」に送ってもらった。 氏子が会いそろった宴がはじまるときの席につくことになった。祭司にお祓いをしていただいて仲間入り、今年の無病息災を感謝しながらまわりと打ち解けて泡盛をくみかわすことでした。 酔いもまわったころ、子供たちが道路横断中のヤシガニを見つけたとの知らせが入った。調子にのった私の出番と勇みよくつかまえて、こどもたちに講釈たれたのはよくなくて、薬指はさまれてしまった。 指がちぎれるかもの痛みと、こどもたちの目線をきにしながら、ヤシガニの気持ちをきいてみた。わたしはオスなのかメスなのかしらべてくれませんかときかれて、おなかをひろげてたしかめようもない分繰りの重さやしぐさにおどろきながらも、かにのつめの動きとはやさにはやさしさをかんじた。とうとうがなし・・・。(ありがとうございます。) おじいとおばあがヤシガニのふんぐり(プグイ)を取りに行くはなしを沖縄の艶笑譚で読んでいてよかった。事実は小説より奇なりとの伝えのような経験であったのでかきしるすこととしよう。今年はやっすう年ですが、来年はゆがぷーをいのりたいです。(氏子一同のいやさかを祈る。) お世話になります。 酔いどれ親父の独り言 ぱな と うる ヲーキング 楽しみました。 沖縄タイムスの原稿 下書きより天気 雷が去ったので犬と散歩しよう
2007.08.23
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あだにぬちー(アダンの実) 母校の小学校の校長先生から、ビオトープをやりたいとのしらせがあって、うれしく思いあれこれと動き回っている昨今である。校長先生が、水辺の隣にアダンも植えたいと言われ話が弾む。ヤシガニや、やどかりなどがアダンの実を食べにきたら生徒たちも喜ぶだろう、できたら自分の子供のころの、自然と共生した生き方を子供たちに見せたい様子を語ってくださった。やっと、慈雨にめぐまれた昨今。今年の旧盆あけで沖永良部郷土史研究会の方々を迎える日に書いている。 アダンは別名タコノキとよんでるが、タコのように足がいっぱい生えてくるためだろうか。校長室でアダンには幾つかの種類があるなんて言っちゃった手前、私の庭のアダンの想い出を書いてみよう。アダンには棘があるのが普通であるが棘のないアダンもある。子供の頃、その葉っぱを使って、風車(はだんもー)を祖母に作ってもらった。そのトゲナシアダンはとても大切な先祖からの贈り物のような気がしている。家族づれで東南植物園を訪ねたとき、変わったアダンに出会った。これまで見慣れている島アダンとは姿が違うので、落ちていた実を拾い長男のリュックサックに数個しまいこんだ。それが今、ビヨウタコノキとなって見事な姿に育っている。もうひとつ、従弟が八丈島で仕事していた時に持ち帰ったタコノキは天をつきさす様に伸びていたが、足を数本切られたために台風にあい横たわってしまった。新しい根が伸び、また天にむかい勢い良く立ち上がる姿を楽しみにしている。さて、タコノキはオスとメスがあるようだ。うれた実をみた都会からの観光客は、パイナップルの果実に似ていますねとはなす。食べられますかとの質問に、子供の頃はかじりましたと答える。おいしいですかとの問いに。やどかりのだい好物ですよと答えて、苦笑しながら「われは海の子」を歌った頃が懐かしくおもいだされるひとこま。 さてと、アダンの根っこのことを与論島では、アダナシと呼び作業用の紐(ぴぬい)を作るための生活に欠かせない植物であった。それから、アダンの新芽は食用になり、また追い込み漁の道具になったこともある。潮風を吸い砂に根を固め、陸と海との潮騒の調和を奏でる貴重な植物である。蛇足だけれど、棘なしアダンの実からは棘ありアダンが生えてきた。海岸植生の最前線で、海の風から私たちの暮らしを守っているアダンに感謝しながらこどものころにかえり、カジマヤー(風車)を作ってみよう。
2007.08.22
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沖之永良部からグラジオラスの球根が導入され与論島でも花の産地づくりが始まったのが昭和55年だと思う。私が役場に勤務してから最初の移動で産業課の園芸係に配属された。最初の仕事がグラジオラスの球根の掘り取り作業であった。品種は、ファイヤーとトラベラだった。詳しく後日に書くとしよう。 メモより グラジオラス(55年) スターチス(57年) ユリ(60年) キク(61年) 大輪キク・天寿(62年) リアトリス 現在はソリダゴが主流となっているようだ。花の振興会とともに色々な経験をさせてもらった。 今日は果樹の振興会の総会。妻の名前で振興会の一員として参加する予定にしている。総会のあとは現地検討会がある。枝の剪定の勉強をしっかりしてこようと思っている。野菜・花き・果樹の振興会はいずれも私が事務局の書記・会計を長年担当しただけに懐かしくもあり責任も感じている。これからマンゴ栽培農家としてもっとしっかりと農業振興に努めなければと思う朝である。仲順の 赤木七枝踏み上がり 鳩の夫婦が 孝行となく (沖縄 中城にて) 経営構造対策事業の行方について H.12.9.24 美知瑠の運動会の日、シドニーオリンピック女子マラソンで高橋選手がみごと金メダルに輝いた。勝つための努力は計りしれないものがあるだろう。昨日はサッカーがPK戦で敗れた。期待していただけにファンのショックは大きいだろう。 僕の担当している経営構造対策事業も座礁してしまった。昨日から検討してきた複合経営促進施設は22日H氏宅にて話し合いを持ち、県の指導している団地化と共同利用の理由づけがむづかしいとの結論で事業導入を断念し、県単園芸ブランド事業で予算枠を広げて採択してもらう様お願いすることで話がまとまった。もうひとつの集落営農機械化組織については、受委託作業が明確に説明できるかどうか,又、規模決定根拠、補足説明資料の作成が期限内にできない事由により中断している。明日、支庁のS技師が来島するので指導を受けることで行方をさがしたい。 昨今、「ケ、セラ、セラ』の心境である。今朝方は、水平方向に加え、垂直にも飛べる夢をみた。それをきいた高校の教諭が特殊能力を記事にしたいとの夢事であった・・・。願望がよくでている。その前の日の夢はミナタ離れの潮の出入り口での、台風の波をうけての脱出状況の夢も今の心境そのままである。 挿絵あり・・・。 願望どおり事が運んだらどんなにいいものだろう。夢で知らせるといった沖縄のあの「ガブガブの神」を信じたい。 今日、中学校へ行く道すがら、台風のあとに切られた森のあとを見て、ちょっと気にかかった。石積パンタの下の道路の右上部、按司根津栄のインジュルキの戦い跡(屋敷)、朝戸公民館北側の屋敷跡(?)、残しておきたい屋敷林が消えていく。大きなガジュマルが倒れていく危険性からだろうか・・・。寄らば大樹の陰というけれど・・・。 14号台風でナンヨウスギが折れてしまった。ホウオウボク、トックリキワタの枝もだいぶ折れてしまった。家の近くに植える樹等、他人に迷惑がられる木の植栽には気配りが必要だと反省している。新しい品種を持ち込んだ者としての責任を感じなければならないだろう。後々の管理もよく考えて行動しなければならない。在来の品種を生かしながら、用途の高いもの、金のなる木を植えなければならない。産業課で防風林の普及に力を入れてきたつもりでいるが、イヌマキの樹種選定は失敗だった。キオビエダシャクに食害されたのだが、混植によって救えないだろうか、自分のところで試してみる必要がある。自分が生涯かけてできることといったら、木を植えることしかないと思える。自分の屋敷内に動植物が調和できる生態系を作りたい。 さて、経営構造対策の目標は担い手農家の育成であり、地域農業の変革である。いくら農業が好きでも、職業として農業で食べていけなければ後継者は残らないだろう。将来の農業をどうするかは、さとうきびの経営方法にかかってくると思う。製糖工場の存続とあわせて、農政を本音で語り合わなければならないと思う。きびの機械化が進まない中でのさとうきびの規模拡大は困難である。喜界島の農業事例は本町においては真似のできない土地基盤整備状況がある。畜産農家は活気がでている。機械化による大型経営が可能になっているからだ。しかし、畜舎などの建設費、元牛導入など、経営規模の拡大には資金が必要なことも現実的な問題である。今年の上位20の内10人が畜産が主の経営であった。後継者がいることも強みである。 施設花き(ソリダゴ)も高収益を上げる品目として位置づけられ、経営の柱となりえている。花き農家についても目標が設定できたと言えるだろう。 まわりの産業構造を考えると、観光の落ち込みは厳しいものがある。商店街もあまり活気がない。このままの調子で人口が減り続けると、与論島全体が倒産してしまうのではないだろうか。町の財政が苦しい・・・、公共工事が少ない、教育費の負担が大きい、医療費が負担仕切れない・・・。どういった方策を取ればいいものだろうか、節約しかないのではなかろうか。 自分の家庭の財政事情を考えるとしよう。現在、農業収入は0であるから給料、真弓のアルバイト代、父母の年金収入で日々暮らしをしている。長男・正太郎が就職することになったので学資の仕送りしないですむ事になりそうだけれど,長女・紘歌の時になったら借金するしかないだろう。2人、3人と学資を仕送りしている家庭はどんなやりくりをしているだろうか? だから夫婦して皆一生懸命働いているのだ。本来農業収入で生活の足しにしなくてはならないのに、父が病気してからは農作業を放棄している。 体育館で弁当をたべたあと、シニグ道を通って家に帰ったあと役場に行った。耕地課で3名頑張っている。T・Kがここのところいつも残業だ。公共工事を導入し職員も残業してやるくらい仕事をしなければ、皆が生活できない社会になるのではあるまいか。 昨夜、アメリカ大統領選挙の応援合戦を見ながら感じた事は、アメリカ社会に変革が起きるのでなかろうか。アメリカはIT産業を打ち出し、世界経済を牛耳っている、がしかし、この便利社会はいつの日か足元からくずれるのではないだろうか。アメリカに追随してきた日本経済がまずはじめにおかしくなるのではないかと懸念される。相次ぐ金融業の破綻、ゼネコン、大企業の統合、リストラ、行きは不安材料ばかりである。与論島の金融業、建設業も果たして大丈夫なのだろうか。建設業界に仕事がなければ出稼ぎしかない。おのずと人口が減少し、経済は小売店を直撃する。外資を稼ぐ施策が必要となるが・・・。 農業を興さなければならない。M(株)が畜産に目をむけている。その前は、観葉・洋欄に手がけていたがどうも成功したとは思えない。農事組合法人○○組合の果樹についても未だ実績が出てこない。今年の台風では、果樹の施設も大分被害があるはずだ。与論カボチャを生み出したように、特産品を作るまでの生みのくるしみだろうか。それを思うと、熱帯果樹は魅力ある品目である。 防風林帯をしっかり整備し、長期構想のもとに島の農業を展開する必要がある(果樹について) 又、消費市場を沖縄に定めた農業の展開を考えると楽しくなる。今のところ輸送費が割高になっているのがネックだ。夏野菜・冬野菜の流通を考えると、沖縄市場をもう一度考える必要がある。 将来の自家農業を考えた場合、まず後継者を想定することができない。正太郎には、与論の事は考えないで自立くれと言っている。現在保有している農地では農業では食べていけない。他の産業にも従事できるあてもない。もしチャンスがあれば、何か資格を取って,それを生かせる職場が島にあるかどうかだ。それまでは島をあてにさせてはいけないと思う。かれが定年退職して帰れる家づくりを夫婦で心がけねばならないだろう。 そのために 多額の借金をしない 自分たちの稼ぎに合った生活を心がける ムダ使いをしない 事故をおこさない 先祖や親を大事にする 長い目で世の中を見つめ謙虚な気持ちで生きる 子どもを信じ正しい道を歩ませる 自立し、自立させる 金銭感覚をきちっとする 恩返しをする やさしい思いやりのことばをかける 自給自足の食生活を目標とする農業基盤づくりを心がけている。竹家にしかない独自の生産物(特産品づくり)が物々交換品として気持ちよく相手に受け入れてもらえる、漬物・果実・たけのこ・野菜・香料・花き・薬草等々。屋敷内で採れる(生態系を利用した)ものを生かす工夫を今から考えていくとしよう。 有機農業の確立 ソテツ等在来種の利活用 海産物の有効活用 この仕事で行きづまってから、人前に出るのが億劫になっている。何をしても自信がもてない。気力がなくなっている。仕事をやめるしかないとも考えた。しかし妻や子どもの生活を考えると、農業で食える当てもないし、ましてや他の仕事など手に技術がない身にとっては何とか今の仕事を続けさせてもらうしかないであろう。美知瑠の高校卒業までは何としても持ちこたえなくては・・・。あと5年。53歳。美知瑠が短大卒なら55歳。耳も悪いし、世代交代の時期だし、第二の人生に余力をのこしの退職となるいいころあいではなかろうか。 去年の今頃は父が生死のさかいであった。そう思えば現在は、去年より気を楽にもったらいいと思う。父母は、自分らの身を削って苦労し、大学をだしてもらい今の職につけさせてくれた。両親には孝をつくさないといけない。しばらく母を見舞っていないので久しぶりに花を届けたい。いつか自宅で介護してあげないといけないのだが・・・。今のほうが手厚い介護になるかも・・・父が生き生きと暮らしているのがなによりだ。パッションフルーツの畑を父にゆだねた方がいいのかもしれない。僕も元気をだしてマンゴーや果物の手入れに精を出し、活力をつけなければと思う。父も母も、たぶん長生きするであろう。母は回復する気配はないが目に見えて弱るという風でもない。いじけないでくれたら、今のままで生活を安定させることができる。兄弟の協力が必要になってくる。MAは専門学校志望とのことで資金借用の保証人となった。MIは短大を今年卒業だろうか?農協は停年が早いときいている。 親持ち子としての責任は、先祖のお墓と屋敷守りだと考えている。親戚づきあいを極力おさえているのは竹家の血統からだろうか。反省する点も多いけれど、次世代のことを考えるとその方が(自分も楽)いいと考える。 5年前の 記録より転記する。 金城先生にお会いしてからいろんな体験しました。 平成18年4月17日 転職してからやがて半年がくる 今のところお蔭様で 順調子 にゃまからん ふぬとーりあらちたばーり
2007.08.21
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東の庭のパパヤ(雄樹の花) 夜明け前 メールアドレス:kinnda@cricus.ocn.ne.jp受付日 2003-10-30意見者名:与論町職員の妻 私の主人は与論町職員です。 役場の「ご意見箱」に入れようと思っていましたが HPにご意見箱を見つけたので こちらに意見させていただきます (投書したのが私の妻ではないかとの声があったので、当時私の反論をメモしてみました) 不思議でならない「飲み会」の事です 何故、あんなにお酒を飲む機会を作るのでしょうか? (家庭に帰るのがイヤ、特に妻の顔を見るのが、 怒るより趣味をつくるとか、友達をつくるとかしたらどう?) 島外(県、大島支庁、国、etc・・・)から来島しては お酒を飲み 仕事で来ているんですよ。 「もてなしする」必要ありますか? (別にないが、島の人にはない知見や趣味人に会える) 貴方達が出張行って、いつも盛大に集まってもらって 飲ませてもらっているんですか? 違いますよね。 (待ち合わせて、二次会までつきあってくれる 何か事業がある度に飲み 少しおかしいと思いませんか? (少々はおかしいと思うこともあるが、自分で好きで飲んでいる。 同僚には強制はしてないつもり。) 仕事で勝負できないから お酒で誤魔化しているとしか思えません。 (そんなことはない) たくさん飲んだ翌日の午前中 二日酔いの職員が何人もいる事は 多々あるんじゃないですか? そんな職員の姿を町民が見ているんです。 (すみません、と、謝るだけ) 貴方達は税金から給料をもらっているんです 恥ずかしくないでしょうか (それはそうだけど、税金分は働いているつもりだし、 ちゃんと納税し家族の生活を支えている) 与論献奉は与論の文化とも言えるでしょう (勝手にみんながそう思っているだけだ) でも、貴方達の与論献奉の使い方は 乱用しているのではないですか? (適量を守っている) お酒は強い人も弱い人もいるんです (ごもっともです) 翌日や家族のこと考えて 献奉の回す回数を減らすとかしてください (そのように努めている、以前に比べるとかなり改善されていると思う) 子供は父親の酔っ払った姿を見て育ちます 島外に出て、他の大人と比べて 自分の父親のお酒の飲み方が 普通ではないと気付くはずです (りっぱな父だと思うように家庭教育したらどう?) そんな父親の酒の飲み方を聞いた友人達は きっと、馬鹿にしますよ 間違いなく。 (お客さんが、心から感謝して帰ったことなど話してもらったら、 解ってくれるとおもうけどナ) 恥ずかしいですね 与論の人口も減る一方ですね 島の中心の役場が全く魅力ないですから (それとこれとは違うでしょう) 私の意見に反対される方もいるかもしれないけど 考えてください 島のエリートの集まりなんだから。 (エリートと思っているなら勘違いじゃないの) とか、家庭内の会話をしたら楽しい。 次の課長会で周知徹底を図る必要あり。 と助役に文字が書き込まれ (対応方お願いします)とあり その対応は職員に知らされただろうか。 又は 投書にたいする返事が書き込まれたろうか。 現在は ネットによって迷惑メールがあふれているが この投書は まるで私にあてた妻からの手紙だったような気がして ファイルとして とっておいたものであろ。 悪意はないので 悪しからず。 そろそろ夜が明ける。 砂を乗せた軽トラックが2日前から待っている。 犬と散歩から始めよう。
2007.08.20
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真夏の寄るの夢 自動レベル調整なし 1999年は私の役場生活のなかで一番充実してた年であろう。6月と7月のスケジュール表をみるとそれがよくわかる。国の政策のなかでリフレッシュビレッジ構想を目にしてから10年ぐらい経ってから私にその仕事の出番が来た。農業構造改善事業の最終の年度がきて国は費用対効果を重視した経営構造対策向けて農政の転換をしてたと今にして思う。 国民年金の係りを5年勤めて、またもや農業への,でも鳥と陰口もたたかれたことだろうが。ルネッサンスという言葉を新鮮に感じられたし、私の農業興しの旗揚げだと少し力んでいたとも思う。私が担当した時はすでに構想は出来上がっていて、書いたものを実物に仕上げる時に潮時がきていたようであった。構想は私が学生の頃からあたためていた農業・漁業と観光のツーリングであった。それに、教育の要素も加えると、この与論の島が理想卿に見えてきた。「天国に一番近い島」が頭をよぎった。森瑤子の「アイランド」を読んだとき、自分が宇宙船に乗ってこの古里にやってきたような錯覚に陥ってしまった。 そんな自分的な背景のなかでアグリルネッサンス会議を立ち上げる事ができた。結局は形だけの組織になったが、わたしは今でもこの会議には未練がある。事務局として説明にあたったとき、A農法のIさんが冒頭からたちはだかったこと思う。私は若い自分、農業技術連絡協議会を農政の議論の場として活用させてもらった。よくその場で議論したのがI先輩だった。I先輩は有機農法が口癖だった。私も張り合って、有機に取り組んだのは平成元年から始まった、ぶどうといっしょにとりくんだMさんの農業とのお付き合いである。今では足が遠のいてしまったが、Mさんは私にとても親切にしてくださった。断りもいれず色んな方面の視察の案内もさせてもらったし、酸化鉄の効果などについて実地見聞させてもらった。導入した作物についても栽培から流通まで沢山学んだ。今では、有機栽培が当たり前となった時代である。有名だった 宮崎県の綾町 のこと今では話題にもならない。今 宮崎のマンゴーが話題になっているがこれも一過性にすぎないと思う。単なる先どりと話題性なのであって、儲け、つまり豊かさは別個である。つぎつぎとかわるかけことばに惑わされる事なくはやく、しっかりとした目標を見つけたい。 話しがずれてしまった。都市と農村の交流・食と健康の島つくり、そして郷土を愛するこころを育てる教育の島を目指し私のパーマカルチャーをすこしづつすこしづつと思う朝。夢み心地で書いたが お許し下さい。 ドゥダンミンの熱に浮かされています。 竹 酔人。
2007.08.19
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啄木に こころよき疲れなるかな 息もつかず仕事をしたる 後のこの疲れ という詩がある。 朝起きて ブログを楽しんだあと 夜明けとともに砂盗りに出かけている。 一握(悪)の砂を口ずさみながら スコップで200杯すくい軽トラックで運ぶ。 1時間足らずの作業である。 これを終えて朝食をとると、 1日の仕事が終わったような安堵を覚える。 この砂は 台風4号が防波堤を越して 運んでくれたものである。 本来ここにあっては困るもので、 せっせと奉仕の除去作業をしているといいわけ。 久しぶりに 啄木詩集を取り出してみた。 読むでもなく、ぱらぱらめくってみた。 さて、昨日の朝撮った旧与論港桟橋の待合所からの 写真を載せてみよう。
2007.08.18
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今年のマンゴーの収穫が終わった。商品となったのは極わずかであった。中元に贈る予定にしてた物まで使ってしまったので、小約束していた方々に迷惑をかけてしまった。群馬県から便りもらった方に1個でも贈りたいとおもってたのに結局ださないでいる。 りんごマンゴーがないので別の品種でもと思い熟れごろを待っている。アーウィンの品種が与論では圧倒的に多い。味・香り・見た目からしてアーウィンに勝る品種はないと言われる。商品としては多分、そうであろう。しかい、食べ飽きると他のも食べてみたくなるのが人情だ。残り物に福ありとのことでキーツ(あお)とキンコーがあと数個あるので何とかしようと思う。 この品種は収穫の時期と食べごろが難しい。写真に撮ろうとしているキンコーは枝整理していて誤って落としたものである。一週間ほど経っているがそろそろ軟らかくなってきた。あと一日二日してから冷やして食べてみよう。着いたら冷やして直ぐ食べられる頃合の技術を勉強しておく必要を感じている。ついで、写真の勉強も兼ねて、三脚を使わずに写真撮影をしてみる。とりあえず、文章は閉じて、床の間に高盆に載せてデジカメの練習です。
2007.08.17
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内地では猛暑が続いているようだ。与論島は雲もあり過ごしやすい天気であった。水場つくりとマンゴー手入れで、仕事半分遊び半分の体たらくで一日を過ごした。仕事終わりに久しぶりに缶ビール飲んだら極楽、極楽で調子に乗って書き込みの返事を書いたので文面がおかしいと思う。悪しからずご容赦願います。 娘に家事をしてもらい、女房は農作業(草とり)を1日中頑張った。おかげで通路がきれいになってお客が見にきても少しは見栄えがよくなっている。そのうち入場料が取れるようになるかもしれない。入場料代わりに無理矢理、酔って書いた文集「南の島のぴーびーの暮らし」を売りつけようかと思ったりしている。考えるだけは楽しいものだ。とうがんが収穫できたので現金に換えたい。お茶代ぐらいにしかならないが自給野菜で一番作り易い作物である。娘が夕食に豚骨汁を作ってくれた。野生のばんじろう1個が落ちてたのを拾ってきたら食卓にでていたので写真アップする。娘は左ききで生まれてきた。私の父が少し左が入っているので隔世遺伝だろうか。 PDCA(プラン・ドウ・シー・アクション)によせて DCMAY(どぅーしーまい)にならないように (ごっちゃまぜでいいかげんにならないように) じくじたる思いのする PDCA 計画書(オンリーワンの島づくり) 係長が部下に教える 課長補佐が立証する 課長が管理し実行させる 町民がそれに答え 町長に意見を正す そうじゃないかい 役場職員 H.16.1.9 竹 酔 人 万年係長の想い出から書き出し 5時になったので そろそろ出かけよう にわか雨が降ったけど・・・。 議会だよりが来た。 一般質問事項が載っていたが 議会を初めて傍聴した印象が良かったのに 議会だより見てがっかりした。 答弁に重点が置かれた文面である。 質問の本質に触れた記述が足りない。 2時間の応答の内容はもっと凄かったのに これでは、質問した議員さんがかわいそうに思える。 インターネットの活用に もっと対応していただきたい。 観光元年を正した質問にもちゃんと答えてもらいたい。 ちょっと辛口でしたか。
2007.08.16
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アセロラで島興しをしようとある議員さんから提案があって、私も7本を庭木として植えてから20年以上が経っている。先進的として導入した方々から、その後に成功談義がないのは残念だ。 又、10年ぐらい前、沖縄の糸満市ではアセロラで構造改善事業を導入すると聞いたがその後どうなったか気にかかる。 ニチレイからアセローラジュースが販売されてから久しいが・・・。産業として見込みを感じなかったので、7本の内の1本を残して切り倒した。花は咲けどもあまり実がつかなかった。あとできいたところによると、ジベレリン処理をすると着果率が高くなると知ったがそこまで手間暇かけて作るべき美味しい果物とは思えなかった。残した1本は他の樹とは違い、実つきがよく年に4~5回収穫できる不思議な樹で、今では大木になっている。昨日は熟れて落ちた実が散り敷かれ、踏みしだかれている様を見てかわいそうに思え花火見物パーティのデザート用にと収穫してみた。ビタミンの摂取にはいいと聞くが果物として出荷するには日持ちが悪いのでジュース加工しか商品の道はないのだろう。収穫しながらコマーシャルで流れてくるアジア系の顔を自分の真っ黒く日焼けした顔にダブらせてみて、原住民感情を楽しんだ。仕事の合間に2~3果食べるくらいで、近所の子供たちも食べてくれない。邪魔になった枝がヤギの好物だが、枝には少々のトゲがあり材質が硬くノコギリが思うように入らない厄介者である。残すとしても、通路の邪魔になるのでそろそろ剪定が必要だ。そろそろ出かけよう。 三脚を使って撮ってみました。 練習が必要ですね。 商品紹介としてマンゴーを撮って練習してみたい。 庭木の隙間から オリオンの三ツ星が見えてます。 そろそろ出かけよう。
2007.08.15
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慈雨のあと木々の緑が一段と増している。中でもクロトンの原色の色が目立って美しい。与論島は旧盆なので私の家庭は普段と変わらない生活している。盆休みで子供や親戚が帰省している家庭はにぎやかな笑い声が聞こえていることだろう。 歯医者さんに通っている原因が、この前取り出したお墓の 盛窪じいさんの頭蓋骨のアゴのかみ合わせ不具合のせいかを気にしている。娘も夏休みで帰って来ているので、納骨堂の様子を確かめるためお墓参りに行く事にした。クロトンがきれいので、ガジュマルのかわりに活けることにした。お墓参りの七つ道具お水・有泉・線香・ライター・お花・剪定鋏・ほうきは素手ですませる。掃除を済ませ、一応のお断りのお祈りをあげて重たいふたを開けたら、やはり気にしてたように下あごがキチンとは治まっていなかった。納骨堂の中は二段仕切りで、頭蓋骨部分と首から下の骨は分けて安置してある。上段には5人の頭蓋骨が並んでおり、左の一番奥が私から曽祖父にあたる二人目の 盛窪じいさん。この前取り出せなかったのは乗せてある板の前面部をはずしてなかったせいだと解った。内部は無駄のないスペースで作られているようだ。子供の時、出来立ての納骨堂の中に入ってしかられたことがあった。小学3年生が入れるぐらいの大きさである。 頭蓋骨を取り出して、上あごと下あごがかみ合うように片手でつかみ奥のほうに安置しようとするがなかなか上手くいかない。肉や腱がついていてこそ形どおりに骨どうしがかみあうことにしばらくして気がついた。それでやっともとの位置に戻し、お墓参りを無事に済ませることができた。これにて、分のわからない歯の痛みも治ることだろう。いやはや、本当は サダム先生の治療のおかげである。気持ちのせいか今朝は以前より歯の神あわせがいいようだ。 今夕は夏祭りの延期になってた花火大会。以前紹介したことのある、ある画家のお宅の庭で夕食しながら花火を楽しもうと知人からお誘いがあり、初めてお会いするおばあちゃんとの会話を楽しみにしている。 今朝2時半から3時までに流れ星は5個しか観察できなかった。北の空にカシオペアとペルセウスが輝いて見えてた割には期待してより少なくて残念だった。東にはおうし座とぎょしゃ座が顔を出していた。スバルとヒアデス星団が美しく輝くなかで、アルデバランに対抗して光る惑星は何だろう。土星だろうか?。天体図をしばらくみてないので、夏の星座でも検索してみるとしよう。10月が町長選挙と思ってたのが、9月9日にようである。島を救う新星を期待している。 熱い夏が続く。
2007.08.14
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海岸を散歩しているとサンゴの石が気にかかる。様々な顔をした石に出会うと持ち帰りたくなって、もうかれこれ10年ぐらいはなるであろう。最初は妻から気持ち悪がられた。珊瑚の石はまるで骸骨みたいに見えたらしい。中には頭蓋骨そっくりなのもある。島じゅうの海岸をまわり、持ち上げられる気に入った珊瑚石はほとんど運び込んだ。庭の園路の縁どりや、根石の添え石、影石としてなど色々と試している。 浜から運んだ当初は白い珊瑚石も時が経つにつれ灰色に変わり、やがて苔むす石になる。砂を運び、砂利を運び、石を運び、次第次第に自分らしき庭が見えてきた。これからまだまだつづく。一生涯の楽しみだ。 昨日は「まんま」と呼ばれる南向きの海岸に行った。台風4号の爪あとが、波がかつて無い高さまで陸を侵食していた。その被害のおかげで隠れていたものが露にされた。多分、拝所と思われるところを発見した。その足で 奇妙な形の珊瑚石を見つけて運んだ。重たいので3回の休みをとって車まで移動する。運んだ中に、与論の形をした石もあったので大の収穫の喜びだった。これら集めた石はこれから続けるパーマカルチャーの庭の園路に使いたい。石の個性を生かせたらと思っている。絵を見ていると、その人の個性がでる。私も集めた石で私の夢を表現できればと思っている。与論に無尽蔵にある砂と砂利と石とで与論の緑を引き出せたらと思う。そこに熱帯の果物と花とシダ植物を使って、生活する人のこころをなごませる造形ができたら幸いである。「ランドアンドランドスケイプ」そんな本が本棚にしまってある。イギリスが発祥の地だっただろうか。今朝は目覚めがよかった。雲がかかって今年の流星群には会えなかった。昨晩も寿里香ちゃんの歌を聞きに行った。遠くで撮った写真を載せてみよう。西尾夕紀さんとともに応援をよろしくお願いします。 与論の形の珊瑚 個性的な形の菊目珊瑚石 1年経たずの間の庭石の様子 これに苔が息子ろは 私もつえをついている頃 町長選挙に対立候補が出ました 「ドゥダンミン」の作者の 竹下 徹 元教育長 私も 公約だけの立候補表明してたのに やったね 先生。 頑張りましょう、島起こしと 人興しのために。 私家族は 応援します。
2007.08.13
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創元会 鹿児島支部長 本兼光 アトリエ 「ノアノア」にて この仮面がこれからどう描かれるか 楽しみにしてます 降り続いていた慈雨も夕方には小降りになった。すでに中止および延期(花火大会)になった夏祭りを他所に小雨の中、畑仕事と庭いじりを楽しんでいたら「サンゴ祭り実行委員会」の宣伝カーが巡回してきた。仮面ライダーショーと西尾夕紀一行の公演の知らせであった。7時から砂美知来館(サビチラカン)で開催されるとの事であった。山田太郎と西尾夕紀さんのステージは翌日に設定されていたのでゲスト出演する地元の寿理香ちゃんの応援にいくつもりでいたのでこれ幸いと夫婦(娘は友達3名のアッシー)で出かけて行った。 お決まりの仮面ライダーショーのあとは記念写真の撮影にこれまで見たことの無い長蛇の親子の列が並んだ。次の歌のショーの開演時間になっても記念撮影が続く。これだけでも今年の夏祭りは成功だと思った。交通整理など青年団の一生懸命な姿を見ることができた。座席を少し前の真ん中にして座っていたら同窓生のお祭り夫婦もやってきて同席した。おしゃべりしているところに、少し通路をあけてくれと、花舞台の通路にシートが敷かれた。ここを通ったら握手でもしょうかと冗談いいながら西尾夕紀なんて知らないし、子供の時に遊んであげた寿理香ちゃんがどんな姿で登場するかを待っていた。30分遅れの開演で、大人っぽくなった寿理香ちゃん与論デビュー。パンチのきいた歌声はまずまずであったが、衣装はもっと明るく若い感じのするのが良かったのにと思った。西尾夕紀さんはこぶしのきいた演歌を聞かせてくれた。やっぱり歌手は違うと好印象を受けた。TVにも出演していると聞いて急にミーハーに変身。握手のサービスを受けて喜んでしまった。握手のお礼に演歌のカセットを買って、帰りの車でききながら遠回りして、ヤシガニをさがしながらのドライブを楽しんだ。帰ってTVつけたら水木しげるの作品を上映していて戦争の異常な状況を憎らしくおもいながら寝床にむかう、雲の厚い空を見上げたがペルセウスは望むべきにはあらずであった。星空が気になり寝付けず、何度も起きたが朝方うっすらとオリオンを確認しただけで流れ星を数えることができなかった。しかし、実体験できないすばれしい夢を見ることができた。今ある生活に感謝しなければならない、私たちの今の暮らしを支えるため命をささげた人々がいることをそして貧困が世界中の広がっていることを。 みなさん物を大切に。 ぼくらよ いささか おちょこちょいで 虫けらの ごとき ぼくらよ ぼくらはこころの中から 急速に失われて いったものを いまやっと ぼくらは知った それは 物をいとおしむこころだ ぼくらは ついうかうかと 言いなりになって 買っては 捨てていたのだ 捨てていたのは 物のつもりだった 危ないところだった 捨てていたのは 捨てさせられようとしてたのは じつは こころだった でも まだ 間に合いそうだ みなさん 物を大切に 1972年 暮らしの手帖16号 花森 安治の長詩の最後の小節 「未知に挑」造園学科指針より転記
2007.08.13
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雨で散歩に行けません 今年も去年に続きゴールデンシャワーの黄色い花が見事に垂れ下がった。昨日の慈雨で大分落下したかもしれない。あとで写真を撮って載せてみよう。 天気のせいで昨日の夏祭りのパレードが中止となった。準備で頑張った方々の心境はどうであろうか?屋内ゲートボール場の有効活用はできなかっただろうか。舞台の出し物としてお互いがショーを楽しむ形で発表し次回の構想を練る機会に転換できればいいのにと独りでごちていたけど・・。音響装置などの設置もありそう簡単にはいかないことは青年時代、古里の盆踊り大会に携わっていて良くわかる気がする。祭りは観光客を意識するのは当然ながら、自分たちがまず楽しくなくてはならないことは言うまでもない。自己満足で参加者が盛り上がれば成功といえる。恒例で茶花海岸のイベント広場を使っているが来年はコースタルリゾートを使ってみてはどうだろうか。場所やセッティングが変われば発想も新しくなるだろうパレードは人集めの行列では面白くない。少なくてもいいから、個性のある集団を参加させ見物人を多くした方がいいのでは・・・。ただの行列を見ても面白くは無い。 さて、文句ばかり言わずに泡さんがお手伝いできる事があるならやってみろ。何もできないとすれば「夕方には雨が晴れますよう」天にお祈りします。花火が見れますように。 それと、ペルセウス流星群に出会えますように。なんて勝手なことで今日が始まる。こらから嵐の後の ゴールデンシャワー を撮影してきます。
2007.08.12
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与論の自然のなかでのんびりと 過ごしませんか タラソテラピーの島です。 父と母がお世話になっている。末娘が夏休みで帰ったので母を見舞いに行った。父にはお土産の他、パンとバナナを買って持っていった。病院入院となっているので老人ホームに併設した大部屋に一人住まいしている。散歩に出かけて留守していたのでお土産置いて帰ると、廊下でばったり会って娘と久しぶりに会話していた。 母は喉元から管を差し込んで食事をとっている。看護婦さんが手当てを終えたところに見舞いに行った。特別室になっていて4人に人数が増えていた。この部屋に移ってから半年ぐらいに経ってるだろうか。この部屋から移されるときは自分の家しかない。手当てを受けた後だったので、目をあけていた。娘が話しかけると表情が現れたので意識があるのは確かめる事ができる。表情もよくて、私も話しかけることができたので娘に感謝しながら寄り道して観光ブームの最初の頃にオープンしたコーラルホテルのプライベットビーチの写真を撮影した。天気がいまいちだったがどう移っているかアップしてみる。オオゴマダラの食草のホウライカガミの生育も確認できた。今日の夏祭りは天に恵まれない。日ごろの行いが悪かったようだ。農家は雨がうれしい。
2007.08.11
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お盆前 東京でお世話になりました 江戸川女子学園に勤務しているTが帰郷しているからと急遽同窓会の連絡をうけた。去年飛行場で見かけて挨拶を交わしただけだったので、嬉しい連絡だった。 近所では葬式があったので参列し世間話を楽しんだ。故人は94歳での大往生だったので、畑に臨時に設けられたテントの下では木魚の音が聞こえるだけで、葬式の悲しい雰囲気が伝わってこなかったのを幸いに1時間あまりは情報交換の場となった。火葬式にも住民はすっかり慣れて手際よく簡素化されてきたと思う。それとともに、緊張感が私も同様、薄れてきている。私自体が、葬儀の場で無駄話を平気でするようになった、というか仕向けてさえいる。 末娘が夏休みで帰るので飛行場まで夫婦して迎えに行く様は、のんびりしているとしか思えない。飛行機が遅れて待たされたが、娘の同級生の迎えの親が多く見受けられた。外に出て、迎える親たちの出口での様子を観察していて、それぞれの親子の会話が聞こえてくるようであった。娘はかわりなくはしゃいで、迎えの車が変わっているのに興味の質問をあびせたりした。 同窓会はいつもの、ひょうきん。少し遅れて部屋にはいると一目で親娘とわかる美人が同席していて、一杯目の生ビールがお変わりをまっているところだった。お決まりの与論献奉の挨拶で教頭になったと聞いていた同窓生から「島は思ってたより広く感じた」と嬉しいあいさつがあった。彼の職業のせいだろう、話題は教育やら外国の話題となった。娘がボストンで暮らした経験があり、つぎはフランスなどとのことであったが、語る同窓生を見ていると落ち着きもあり、教頭の品格もついて、話題に雰囲気が感じられた。娘さんが彼の後姿を写していて、とてもいいかんじがしてつい嬉しくなって、地元で暮らしている同窓生がいかに島を愛しているかを熱くなって語ってしまった。 妻を4年前に先立たれた彼を知る同窓会長が、カラオケ歌うというのでのこのこついていった。同世代の歌を歌った。彼が歌った「神田川」は彼の若きときの姿そのものだと・・・。 カウンターには海上保安庁の灯台係りの旅人は歌っていたので私は意識して「灯台守り」を歌った。飲めたらビール1本持って行って、恩師の濱田さんのこと語りたかったが踏みとどまって、酔い心地の彼らを妻をよんで送ってもらって帰宅した。 夏祭りの「ひょっとこ踊り」に一緒に興じてくれる約束をしたのでそれを楽しみにしよう。今朝は寝坊してしまい、書き込み中に食事によばれている。久しぶりの娘との朝食だ、写真はあとで載せるとしよう。それでは、ごきげんよう。五万アクセスが近いが・・・・。
2007.08.10
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台風4号あとの寺崎海岸 映画「めがね」のロケの場所 ここにかき氷屋がセットされた 以前にブログで紹介した場所 ここにアップしたら良くわかるのだが 暇があったら、 ウクレレ弾いてたと思うが・・・。 我が家では真夜中に3名のご婦人が四方山談義に狂じていた。新しく買った冷蔵庫のお祝いに妻が女友達を呼んでいた。私は一眠りしたあとに仲間にはいっていた。冷蔵庫のビールも尽きたので、そろそろドライブがてら茶花まで飲み物買いにでかけようかなど言ってた時グラグラ揺れた。小刻みの立て揺れに感じた。中越沖地震の横揺れを東京の旅行中に体感してたので比較するのに地震情報が気になったがしばらくして与論が震度4とTVにニュース速報がでた。揺れた時、動いたのは私一人だった。この前の時は妻に声かけて一人で庭に飛び出してしまい妻にヒンシュクかったので飛び出すのは止めたが縁側までは移動した。彼女等は酔いのほうが体感としてのこってたのであろうか、あまり驚いた様子も無く、といって、食器類が倒れることもなく震度4では大丈夫のようだ。携帯で沖縄地方に最近地震が多いことを調べてくれた我が家の婦人会は御前1時を持ってお別れした。週間行事にしたいなどと言ってたがお付き合いが楽しみだ。 歯痛はアダム・サダム・付箋紙科院で治療してもらった。歯並びが悪い(かみ合わせ)とのことでやすりで削ってもらい、根っこなどの治療をしてもらった。薬をもらってなかったので、夕食じに常備薬の鎮痛剤を飲んだので痛みがとれたが、今朝は未だ痛みがない。 台風7号も無事に通過してくれた。観光元年の最大のイベント夏祭り(サンゴ祭り)新聞少年の山田太郎一座が応援してくれる。祭りの盛り上がりは天気次第。幸運を呼び込みたいものだ。 それにしても、まとまった雨が欲しい。
2007.08.09
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ネット通販開業のためのホームページ講座の第2回で、撮影の方法について勉強してきた。ブログに載せるためデジカメで風景写真を中心に撮ってきたが商品用にと意識してカメラを構えるとどう撮っていいか迷ってしまった。まーどでもいいからと撮ってみた。 会議の後に(真昼の情事)など勝手に想像して説明文を考えているとたのしい。売れるうれないは別として、何にでも想像を膨らませる時間があるという事は健康である証拠だ。健康が一番。 考えないで撮る写真の方がやっぱり楽しい。
2007.08.08
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定点調査の小浜 台風あと浜が大きくなった。 海岸植栽を試験していたホンコンカポックは波でさらわれていた 現在の植生より前面の植樹は 地球温暖化が進むと難しいと思われる。 明日葉の鉢植えを整理した。知人から苗をもらってせっせとポット育苗した小苗が置き場所と鉢用土の違いで大小になって育った。枯れたのもあったので整理したら大分すくなくなったが、五百鉢ほどあるので売らないと処分できそうもない。今の2寸鉢では売れないので鉢を大きくしようと思うが作業が大変だ。 JAで農業指導をしている先輩のところに出かけ彼の両親の明日葉茶の美味しかったことなど話したあと役場に寄ったら、環境保全型農業推進協議会長と企画総務課長、副町長を交え明日葉ドリンクの試作品の品定めをしているところに出くわした。アーラ偶然。島外の業者に頼んで作ってもらった栄養ドリンクよりも、私は明日葉茶のほうが美味しかった。役場の用事は担当が不在で要をなさなかったが、明日葉の鉢植えに効用を見出した思いで帰った。せっかく育てた苗であるから大事に育て売れなければ無料で配布すればいい。帰って地植えの明日葉を見ると種がついている。え。え。今日は明日葉の日だった。午後はながーい昼寝をした後は、台風で傷められた別の鉢物など移動して夏の疲れをとった。鉢に水をかけるときが一番心やすまる。今日はどんな一日になるだろうか・・?
2007.08.07
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台風4号のあおりを食った自給野菜の整理をしている。ニガウリ・オクラ・とうがんは元気を盛り返してきた。ナスに花芽がついた。まるまる2年になるピーマンの実が赤く熟れている。剪定をすればまだ実が取れそうなので水をかけ、ハサミを適当に入れた。潅水施設がないとこの旱魃では作物は無理だ。何もしないで寝ていた方がまし。だからサトウキビでは・・・。とおもいながら、無料開放されたコイン給水施設から軽トラックでせっせと水を運んだ。500リットルの水を流すのに1時間をかけなければいけないので、ホースを移動しながらあれこれの作業をする。効率が悪いと思いながらも、一方では自宅の潅水施設も併用している。夏は水遣りが仕事のほとんどである。昨日から苗木の手入れも始めた。まずは明日葉の鉢の並び変え、大き目の鉢への移し変えも始めてみたが、これをどうして売るかを考えていない。さーて、今日も昨日の続き・・・。手始めに、役場近くの退職記念樹に水遣りしてこよう。ポリタンクの出口ホースを大きくしておくべきだった。今日も元気。
2007.08.05
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台風4号で海岸の様子が変わったので撮影 これはあまり変化のなかった 寺崎海岸(東) 映画「めがね」のロケ・セットにつかわれたのは西海岸 台風の片付けと農作業(水かけ)で汗だくの一日を過ごした。もとの緑がかえってきて、花も咲き出した。7月の旅行気分を抜け出してもとの正常な生活に戻る事ができ、夜はパソコンの勉強に出かけた。基礎的な知識もなくブログをしてたので、これを機会にすこしでもスキルの練習をしようと思っている。「WEBの仕組みと通販」の講義は解りやすく要を得た講義であった。5人の受講生のなかで画面がスムーズに開けなかったのは私一人だったが何とかついてはいけそう。次回は写真の撮影の仕方。12回の講座でホームページが作成できることになる予定。私は変則日程を組んでもらって、11月までには、ホームページにブログを取り組める作業を完了したい考えでいるが果たして結果はどうなるか自分でも楽しみにしている。そろそろ夜明け、犬と散歩してこよう。
2007.08.05
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長い夢を見ていた。中学生に入学したての頃のことだ。内容は書かないが、純真無垢なころの真心の夢が見られて良かった。今朝からブログ再開。 「与論島デジカメ民俗散歩」を琉球大学の津波高志教授から頂いた。「沖縄民俗研究」第二十五号 抜刷 である。与論のお墓について調査したものである。ユーモアがきいて面白い調査報告であるし、貴重な記録である。出あったご一行様に感謝もうしあげます。お蔭様で先祖のお骨とも久しぶりに対面する事ができました。調査の資料の一部として残ることを期待してます。 あまりにもやる事が多くて困惑している。台風の後片付け、農作業、講習会に書籍や資料の整理など、又夏祭りや風習など少し落ち着いて考えていこう。今日の夜は久しぶりの勉強会でパソコン教室。それでは、今朝はこれくらいで。今日は元気。
2007.08.04
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光で ふぁいばー しました。 猫が いいこと 訓えてくれた。 教訓。 映像は アシアトカラ。 戸から。 元に戻った。 原点。
2007.08.02
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