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「ふるさと興し塾」 講師 寄付市場協会長の渡辺 清 氏の講話があった。寄付条例をつくり社会的投資をしてくれる方の力をかりて村興しをしようとの発想である。与論町も是非取り組んで欲しいと思う。首長と役場の職員にやる気とアイデアが試される施策であると思った。 私がNPO設立に期待する部分もこれを使わせていただきたい思いが多分にある。目的献金である。投資家の期待に答えられるようなボランティア活動ができれば寄付してくれるお金も次第に増えるだろうと思うからである。他人力ではあるけれど、動植物は自然の力を生かした他人力で進化してきている、と思えば出来るだけの要望と知恵とお金を寄付していただいて投資家の希望を叶えて行きたいものだ。これこそミライカナイ塾の目的するところだ。 そうそう、提案してたニライカナイ塾の名称は多数決により失格した。与論島ではあまり使わない言葉であるし、思想的な誤解を生む表現でもあるとのことで、うんぱるのを使うことに決定した。 ウンパルとは海と畑を意味する。海の仕事も畑の仕事も上手にこなせるための学習の森をつくろうとの意味で今のところウンパル学校を思案中である。上手くいき、活動の環が広がれば、得意の分野を生かした人がそれぞれの教室を開いてもらいたい。島内外の講師を招聘し、現地で実際に活動に参加していただくのが狙いである。観光客・ツアーも巻き込むのが私の狙いなのだが・・。 兎に角、夢だけは大きく持っているので投資家にこの夢を買ってもらいたい。投資した株が増えるごとに与論島の海と陸の環境が良くなり生き物たちが活性化することが目にみても明らかになるような活動につなげたい。 なーんちゃって 今日から6月、新しい月。神奈川に住む友人から東京行きの日程調整の連絡を受けたそれにあわせて、仕事の段取りをしたい。今日の午前中は古巣で食品衛生協会の総会打ち合わせ。昼食は昨日の講師の先生と「青い珊瑚礁」で特産品開発のことなど話したあと、現地視察案内があるとの誘いをうけている。私のパーマカルチャーを見てもらい、意見を伺い「寄付市場協会」の発想を指導していただきたいものだ。 夜が明けている。満月の夜にさんごの産卵があるとのニュースを見たので気をつけて浜辺を散歩してこよう。今朝も元気に感謝。 なんか妖怪。 私の好きになった人(29年たったら・・)
2007.05.31
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5時半、町指定文化財「あまんじょう」に集合した。19名の会員中12名が参加してくれて、「赤崎ウガン」からシニグ道をたどって歩いた。それぞれの車できてたので、案内者の菊さんの説明を聞き逃したところもあったが大体のところは確認できた。現地研修から総会会場に移動し、総会、懇親会も無事終わりホットして遅い寝床についた。怖い夢でうなされて起こされてしまった。今朝方の夢も何かの探し物をしている夢で目が覚めた。次回の発表を、私を1番に申し出たので気がかりだったのだろうか。私は沢山の宿題をもらったが、できるものから順次片付けて行きたい。教育委員会に頼っていては埒があきそうにない。どうして腰をあげないのか不思議でしょうがないが・・・。花いっぱい運動などよりもっとやるべきことが多いと思うが、グチる前に自分でやったほうが早い。 今日は、古里納税の受け入れ条例などの指導講話があるというので誘いを受けている。観光客の入島税などについても考えるところがあったので、興味深々で参加させてもらうことにした。公務を離れたので自由に意見を述べさせてもらおうと思う。やりたかった発想が次々に行かせるチャンスが来たようで嬉しい限りだ。オーストラリア行きの日程の予約も完了し、あとはツアーガイドの実現に向けて6月の月に入ろう。10日を目標にガイドのパンフを作成したい。 ユンヌカルタを頂いた。 よく読んでみると、子供と老人にはうけるであろう。 難しい与論言葉の本よりも、とっつきやすいだろう。 そうそう、菊さんの「与論言葉で話そう」も 是非ご覧になってください。 昨日の懇親会でも方言の話題は(アガサンチュゆんなど)つきませんでした。 改葬の様子 あらたま を待つ空間 この風習はいつまで残せるだろうか
2007.05.30
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古い記録より 昭和53年5月19日(金) 文集を見せてもらうつもりでS子姉さんを訪ねた。話し始めたところに、野田のおなごが来た。小雨が降っている中をトレパン姿でオートバイに乗って来てある様子。大田商店でパンと飲み物をさし入れ、3分の1女性論などを喋りまくった。野田の女はそれ程のこともないように感じた。誘惑するにはちょうど手ごろだろう。コーヒーに誘ってみよう。ダンス会やその他の活動に誘ってガールフレンドにしたいものだ。 5月30日(火) Mami へ 昨日Mさんに手紙を書いた。ガールフレンドにできたらいいと思う。恋人が鹿児島にいるらしいから、成功しないかもしれない。あるいは先日の感じでは誘いに応じてくれるかもしれない。「遊びはイヤヨ」と言っていた。デートに誘うため手紙を書いてS姉さんに渡してくれるよう頼んだ。郵便局前で待っていると書いたが、成り行きにまかせよう。 銀色の道 黒花の辺りだろうか? さてさて、NPO法人の発起会も無事終わり、今日は郷土研究会の総会がある。5月はめまぐるしく過ぎて行った。このことも青春時代と同じようにいずれは過去のこととして語られるといい。女房との出会いが日記を読み返して見ると詳しく書かれている。記録は怖いものだ。 夜が明けたのでそろそろ出かけよう。夕方は史跡廻りがあるので晴れて欲しい。
2007.05.29
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シミャーと彼方に見える火葬場 民族村の菊千代さんと先日お話をした。小字名を調べた時色々と迷いがあったそうである。現在使われている当て字に納得がいかない箇所をお話していただいた。 古里の皆田海岸の近辺を塩田(スータ)と表示してあるが塩をあてるのはおかしいと話されている。「スー」は塩ではなく「平らな海の底の砂」のことであるという。イノーに見られる「スー」のことらしい。塩川と書いて「シゴー」とよませているが神川「シゴー」が正しいと言われたが、シミャーは「神宮」なのかなどとついつい考えてしまう。 菊千代さんは凄い人だとおもう。あれだけの言葉を集めたのにまだ疑問をなげかけてくる。 私のは東区の地域の言葉だからと言われるのである。赤佐や那間の人はどう反論できるのだろうか。その道の関係者よ頑張れと言いたい。その前に 古里のお前はどうだいと、 自問しながら古里集落のなまりを分析してみたい。さてさて、今頃になって眠くなった。お休みなさい。 にぶいちゃやさいどー。
2007.05.28
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マンゴーの害虫 蛾 名前が知りたい 蝶たちの季節になった。ツマベニチョウがひらひらと飛んできたあとにはギョボクに卵が見つかった。今年からはツマベニチョウも本格的に来庭してくれると思われる。昨日は大輪の赤いハイビスカスの接木をした。園芸品種のハイビスカスは挿し木が難しいので接木で増殖しようと思い、以前に試した品種で実験、台木のハイビスカスの挿し木も準備している。 誰から聞いたのか私の庭を観に島人がちょくちょくやって来る。パーマカルチャーについて説明しているが果たして解ってもらえているのだろうか?悪趣味と取られるか道楽ととられるかだろうが、本人としては生き方・思想だと粋がっている。今日のNPO発起会でもぱーまかるちゃーに少し触れてみたいが、あまり熱くならないように思い伝えることができればと思う。話す原稿など準備しないで日ごろ考えていることをしゃべりたいと思う。午前中に夕方の資料の準備と30日の郷土研究会の案内通知を出すために農作業はお休みする。 援農隊の森田さんからメールを頂いていたので挿し木床の生育状況を写真で報告する。信州でのりんごの摘果作業に旅行予定らしい。一昨日は民族村で信州の方々のツアーに出くわした。来年の再会が楽しみである。写真がアップできなかったので次回に・・・。
2007.05.27
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奉行墓(ブギューバカ)にある個人の墓 薩摩からの使いで島で亡くなった方々の墓らしい 朝戸・城の一部の個人墓(7つぐらいある) 下は前浜のジシ 一族の共同墓地の1つ(8つぐらい) 以前は石積みもなく 風葬されていた TVのコマーシャルでヤカンを持って「ありがとう」を何度も言いながらぐるぐると廻るおばさんがいた。ありがとうの一言であるが役者の一言にとてつもない使い分け(表現)を感じさせられた劇団「四季」の青い鳥の劇場中継のコマーシャルであったと思う。 昨日お会いした方から「ありがとう」と「感謝」のこころをいただいた。 感動して目頭が熱くなるおもいがした。素直に喜べる自分の心境にも満足できてうれしかった。 久しぶりに母を見舞った。母の日にも行ってなかったが白のトルコキキョウは妹が活けたのだろう。手ぶらで病室を訪ねたが顔色が良くて安心した。井戸の話など冗談で話しかけてみたらはっきりと笑う顔と泣き顔が視てとれた。寝たきりで意識が無くなったら延命はいらないといわれてそうするよと約束したはずなのであるがやはり人道的にもできなかった。管を通しての食事をするようになってからはあまり喜怒哀楽を示さなくなっていた。ただ恨めしい目で見つめられるだけであった。それ以来、次第に足が遠のくようになっている。元気な時は庭の季節の花を届けるのが頼みになっていたので見舞いもアテがあったのだが、意識がなくなってからは見舞いがつらくなった。 見舞いに行く行為は自己満足であるなどと言い訳して次第に足を運ばなくなり最近は妹に任せきりになっていたのでホットした。父は相変わらず散歩で体をほぐしている様子。いつものごとく会話の続かぬ見舞いをして別れた。 百歳万歳の雑誌を注文したというからまだまだ元気だ。それだったら家に帰って好きなことでもすればいいと思うのだが、多分私に遠慮しているのだろう。私は自分の息子に遠慮なんかしたくないと思うのだが・・・。 息子に誕生記念の柱時計頼んだが気に入るのが捜せなので約束の日に間に合いそうにないと言ってきたという。文句もいわず探し回ってくれることに感謝しよう。 友達に電話し東京旅行の予定を打ち合わせたので7月には会えるつもりでいる。遊びの計画ばかりではいけないので、そろそろ出かけるとしよう。
2007.05.27
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古池や蛙飛び込む水の音芭蕉の句であったろうか・・・。 古井戸や蛙飛び込むしたり顔 蛹になって2日目 下は予備の観察用の蛹 こちらは5日ほど先に蛹になった 羽化に何日かかるか 積算温度を調べるのもいいのだけれど 久しぶりに古井戸に降りてみた。ずい分と雨が降ったにもかかわらず、水が溜まっていない。3メートルぐらいの深さの手彫り井戸で石積みがされている。底の直径は1.2メートルあった。泥遊びをして水を溜めるには田んぼの土を使えばいいことが解った。溜め井戸だから水漏れで雨水が溜まらないのが原因である。水を溜めるため昔の人は養生をしたのであろう。子供たちがいたずらに投げ込んだであろうレンガ一枚と人の手の大きさのクモガイのかけらを拾い上げて昨日の清掃作業は終わった。何とかして水を溜めるためゴムシートの加工を頼むつもりで工事現場の知人を訪ねたら、専門業者を紹介してくれた。本当は田んぼの土を使って目止めして、溜まり井戸を復旧させたいのだけれど、迷っている。学生の頃だったろうか、父の片方の耳が聞こえなくなって、医者に見せても原因がわからないので、ヤブを拝んだ。ヤブとは琉球でいうノロのことである。 ノロの判断で、井戸が汚れているので直ぐに掃除しなさいとお告げがきた。なるほど、使用されなくなった古井戸は何年も溜まった汚れた土がドブの匂いを放っていた。早速父と二人で掃除をした。それから数日して、不思議と父の耳は何ともなかったように聞こえるようになっている。 私は突発性難聴で方耳の聴力を失っているのでその不思議な出来事は忘れることが出来ない。井戸を人間の耳に例える占いの発想は面白い。 中学生の頃だったろうか?家の近辺にアブ(鍾乳洞の入り口)が幾つも連続してあった。大雨が降ると田んぼが水につかるので、自然に出来た排水溝の入り口がアブである。 連続したアブの1個が一番窪んでいる私の土地にあった。そこは、毎年梅雨になると水が溜まって稲が作れないので山田とよんで雑草のノーダキが生い茂っていた。その片隅のアブを鶴嘴でほじくって鍾乳洞を発見しようと試みたことがあった。竹やぶが茂っていたので、子供の力では人が入れるような穴には掘れなかった。 それが原因とはいえないが、不思議なことに高校2年の時、急に左耳に異変がおきた。旧暦の5月5日で私の誕生日だった。夕食は好物のカレーライスができるまで英語の勉強をしていたのだが、息抜きにオートバイで古里一直線を駆け抜けた。帰ってきたら変に耳鳴りがして、誕生日の日なのに嬉しくもなく、無理に食べたカレーも戻してしまった。食あたりだというので入来先生に診てもらった。食あたりが治っても耳鳴りは治まらないので診療所で診てもらったら軽い中耳炎だとの診断で1か月ぐらいしても益々聞こえなくなった。 鹿児島で医者になっているという古里出身の川畑先生連絡取ったら鹿児島大学の付属病院を紹介してもらった。夏休みを待って鹿大病院で診てもらい入院と通院を1ケ月安静が一番いいとのことで受験勉強もせずあこがれの鹿児島の町で叔母さんの厄介になった。それまで読むこともなかった小説を読んで退屈を凌いだ思い出がある。突発性難聴は初期治療が大切なことから、その時以来左耳は全く聞こえない。当時商船大を目指していた心もひねくれて若きウエルテルになった僕であったが今にしてみればこの道が一番良かったと思えるようになっている。 お蔭様で、島で職を求めて先祖の土地やお墓を受け継いで豊かな日々暮らしができた。 豊かさとは人それぞれの感じ方ととってもらえたらうれしい。あらためて、井戸の深さを知った次第である。あの深さの井戸を掘り、石を積み水を溜める工夫をした先祖にやはり畏敬の念を覚えずにはいられない。ひねれば水がいつでも得られるような時代になったが決して祖先の知恵と努力を忘れてはならないと思う。父の時代に掘った深井戸は今、農業用水でポンプをセットしてあるがそれはそれで大いに利用するとして、この屋敷の大元を築いた飲み水の井戸はいつまでも大切にして後代に残しておきたい。泥で仕上げることが出来ることがわかったので、私の時代には、ゴムシート加工技術で底の部分をカバーしてみたい。出来れば滑車もつけて、水の初はこの井戸の水をお供えしようと思った。 先祖から受け継いだ名前盛窪 は 窪んだ土地に水を盛ると結構溜まるものだと解釈を楽しもう。くれぐれも水漏れ公爵にならないよう すこしづつ すこしづつ 徳をつもう。
2007.05.25
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タイトルに書いたような名刺をいただいた。風貌からして似合った名詞である。58歳で停年、雇用保険期間中で職探し中とはうなずける。五島列島で田舎暮らし(移住)している友人は豚を飼い、塩を作って生計を立ててるという。鹿児島で出版会社を営んでいる方も友人とのことで自宅を訪ねてくれたことが何かの縁になるような気がする。粋な名刺をもらって心うきうきしたひと時でした。百合が浜のキャンプ場のバンガローを予約してきたと連れの長崎さんが言っていたので夜明けに様子を覗いてみようか・・。人生の浮き沈みを経験した人らしいのでチビチビ飲みながら話を聞かせてもらいたいものだが・・・。かっこいいなーと思える出会いであった。 さて、郷土研究会の案内状を書くつもりが「ゆんぬ」 与論・・島のくらしと民族大内 森業 著作を取り出して拾い読みしてるうちに「大東亜戦争中における与論島の教育の一端と同戦争後の教育について」に貴重な資料を確認することができた。竹下 茂徳校長の「大内校長に思う」巻頭言を読み 独特の語りの文体を読むにつけ こんな口調で話せるようになりたいと願いつつ時のたつのを忘れてしまった。茂徳先生が記録に残した物が残っていたら公表して欲しいものだ。「ドゥダンミン」の著書の徹先生の口調よりもっと優しいと思うが、 作者先生 続・族・俗と出して欲しい。 オオゴマダラの記録を残していないので 羽化までの期間を記録しておく。 22日 葉の下で幼虫 23日 幼虫でぶら下がり 23日 午後 蛹になる 羽化まで何日を要するかを調べる となりに 蛹がもう一つ出来た 失敗した場合の予備に観察したい 成虫はここのところ自宅では見かけない これ以前の蛹(2個・玄関横のアダン)もあわせて観察する 上手に撮れてないが仕方ない
2007.05.24
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シミャーにある一族の墓の場所 クモンジョーとかフマイヨーの名前がついている聞く 沖縄から逃亡してきたクニマサまにゅの隠れ住まいだった穴がある ノロ墓と言われている 最近誰か動かしたような形跡がある 時々沖縄から拝む方々が訪れる 石棺はここだけしか見たことがない 誰の所有か誰を拝んでいるのかご存知の方は教えていただきたい これらの映像はこの地を大切にして頂きたいためにまた、文化財として研究し 後世に正しく伝えて行きたいために紹介しました。 大切に保存している方々、お許し下さい。 郷土研究会の発足から1年が過ぎた。何やらこれやらあったと思うが、多忙にまぎれて思い出すことがあまりない。幹事長から電話があり、気にしてた総会の準備にかかっている。日程を30日に調整した。総会の前に現地研修会(赤崎近辺)をしたらとの麓副会長の指導があったので会長に相談したところ結構なことだと了承してもらった。 今朝はNPOの発起会の案内状と郷土研究会の総会資料作成にとりかかった。28日に発起会。6月7日は徳之島食品衛生協会与論支部総会の予定で、感謝状の案内をうけている。6月24日からは伊江島で体験民泊の研修に行けそうなのでこちらは願ってもない楽しみだ。郷土研究会では発表の順番がきているので、事業計画の予定に私も入れておくことにしたい。シニグ道やお墓について資料を提示したいと考えている。資料をまとめるのに時間がかかりそうで自室を整理するためにもパソコンを移動したいが・・。ツアーガイドのためのファックスを買い換えたいので業者に見てもらいたいと思っている。昨日は新しい免許証をもらってきた。今日も町に出かけて、総務企画課でNPOの申請書類の指導を受けてきたい。昨夜の雨で作物が潤っている。もうけ・もうけ・・。雨も止んで、明るくなったのでそろそろ出かけよう。
2007.05.23
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磯振墓 初代世之主の墓 花城真三郎の墓で又吉按司に関係すると聞く 北山王の子孫であるオーシャンとの関係などについての報告が知りたい 泥遊びをしていて泥の違いが解った。単に水漏れがするか否かの違いであるが・・。 穴の開いた寝たきり老人用のバスがある。以前、畑の土をこねて水を貯めてみたが水漏れがするので全面にビニールを敷いて水貯めをしてグッピーを飼ってた。10年ぐらい前だろうか?その後、次々と廃品利用の水タンク、果ては農業用の水タンクを使って雨水をためて水遊びを続けている。畑を掘って水溜めも工夫してみたが水持ちが悪くビニールシートなどで小さな溜め池にしたがしっくりこなかった。やっぱり天然の田んぼが欲しい。ということで、またもや穴あきバスを畑の隅に移動し今度は田んぼの土をもらって入れてみた。どうやら溜まるらしい、今朝、見に行くのを楽しみにしている。水草やグッピーやおたまじゃくしの実験は済んだので今度は稲作を試してみたい。ママゴトみたいなことであるが、実際にやってみた人のいうことには結構難しいそうである。さて、昨日はいろんなことがあって多忙な一日であった。頼んでいた車屋さんが突然来宅、30万ちょっとかかるがどうかという。大きくて運転しにくそうであるが、値段の安さが気にいった。中古で100万ぐらいを見積もってもらってたので、慣れるまではどうせあちこちぶっつけるだろうと思いツアーガイドのお客もとれるかどうかも解らないのですぐさま手を打った。車庫をどこにするかと言われ、軽トラの車庫にも倉庫にも屋根がつかえて入らない。倉庫前の植木を整理し車庫証明を取ることにした。午前中は植木の移動、午後は見送りや車庫証明の書類届けをした。泥遊びのあとは、脱走してきた知人の犬を散歩がてらに送り届け夕食にはドイツのお土産にもらったワインがついた。トマトが取れすぎたというので手作りのケチャップでスパゲティ。久しぶりに息子と電話で話しをし、元気な声を確認でき、柱時計を送るよう頼んだ。NPOの立ち上げを記念に柱時計が壊れて1年ぐらいたつのを新しくする。その記念と称して、ワインを三口、人生に乾杯。ちょっとだけ、酔ってしまった。
2007.05.22
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梅雨の晴れ間というか沖縄地方に梅雨入り宣言したのに晴れの日が続いている。雨を目当てにした挿し木に潅水する作業のあと暑くて農作業する気になれないので妻と連れ立って田んぼの泥をもらいに行った。帰りに持ち主の方と少し立ち話、飼っている牛に昔ながらの鋤起こしを教えているという。牛の鞍も自作で作ったと聞いた。今時、貴重な存在の方なのでいつか聞き取って記録に残しておきたいと思う。多島圏研修センター研究会の案内が来てたので出かけて行ったが人の気がないので出席せず帰宅、風呂に入っていたので汚れ仕事する気になれず妻が友人を誘って、夕日を見にでかけることにした。数年前移住してきた女性画家の海辺の家にお邪魔した。職業が画家といわれる方の家に入るのは初めての経験。コンクリートの打ち放しに床がトラバーチンの全面張り。流石に芸術家の住みそうな家だと関心し、前面に広がる海を眺めながら女性3名の四方山話を聞いていた。分厚い手作り風のテーブルには赤川次郎の小説のカバーの絵があった。異国情緒たっぷりの彼女の作品でのようで、分厚ゲラ刷りの原稿もあって、次の仕事だと話していた。ケルトの北欧神話の話などしているうちに夕日が赤く染まりだしたので外にでたら半そでではちょっと寒い感じがした。庭に緑が欲しいと言われていた。チョット下見も兼ねて来てたので、潮風に強い木や海を借景にした植栽などを考えてみたい。それにしても、すぐに使える植木がなくてはどうしようもない。やっぱり「用意」が必要だ。山の木を根回し作業しておく必要ありと感じている。 星がでているので今日も晴れるか。昨日の泥遊びの続きを午前中に片付けたい。
2007.05.21
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作家 森瑤子さんもニライカナイを信じていただろうか 彼女の視線を感じることがある 死者が行き来する シミャーの蘇鉄トンネル 貴方はくぐり抜けたことありますか? とても不思議な気持ちになります。 ここは与論の大穴場です。 なかなか案内してもらえません。 琉球では海の彼方に理想卿があるという。また、宝船が海の彼方からやってくるとも・・・。与論にもその思想があったかどうか私の頭の中では未だまとまってはいない。日本庭園を造る場合蓬莱思想を取り入れることがあると思うが、私の庭にもそれを意識して造庭しているので、ニライカナイに通じるところがあるのであろう。不老不死の仙人にあこがれる気持ちがあって、又、死んだとしてもあの世があって欲しいとの願いだろうか。禅の思想を庭に写したのが蓬莱山であろう。琉球ではそれが海なのであろうか。理想卿(桃源郷)が竜宮なのであろう。オオゴマダラ蝶の再生を目標に掲げNPO法人を立ち上げる準備をしているが与論島うんぱる学校(塾)など名称を色々迷っていたが与論島ニライカナイ塾として定款を作ってみた。一応申請様式に従ってたたき台を作成したので、海洋少年にまず相談してみようと思う。 さてさて、ツアーガイドのパンフレット作成も中途で止まっている。あれこれの思いつきが頭をよぎって行くがなかなか形にすることができないでいる。「四季必見」リアルタイムで季節を紹介するキャッチコピーが上手く表現できないでいる。案内用の車を手にいれてから考えようかなどとチョット食指が動かない。 郷土研究会の総会の準備も引き受けているので、そちらの方を先(5月中)にしたい。私の発表も順番にきているのでその準備もボチボチ手がけるとしよう。 昨日は田んぼの泥をもらいに行った田畑さんからニコーダ井戸の貴重な話を聞いたのでもう少し調べて記録に残しておこう。今日も泥いじりの続きをしてビオトープで遊ぶことにする。夜明けが待ちどおしい。
2007.05.20
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アカショウビンで検索してみたら鳴き声の録音されたのがでてきた。聞いていると静かな森の様子が覗える。夏の渡りで日本に渡来すると説明がある。近年は声はするけど姿を見かけたことがなかったが数日前ツミ(猛禽類)に捕まった情けない姿を見てしまった。昨日、障害者との交流パークゴルフに参加するため会場に着いた直後携帯に電話がはいり、見たことのない鳥が家に迷いこんでいるので捕まえたがどうしたらいいのかと・・。すぐさま出かけていったらなんとアカショウビンだった。早朝、赤崎海岸にある食堂の隅にいるのを子供が見つけたということだった。写真を撮ったあとにわか仕立ての鳥かごに入れて様子を見ることにしてゴルフが終わったあと、妻や知人にみせたあと一晩飼ってみた。グッピーを上から落としてやったら捕まえて食べてくれたのは意外だった。今盛んに脱出しようと、足元の発砲スチロールを美しい嘴でつついている。怪我もないようだし、元気なので夜が明けたら自然に帰してあげよう。ひょっとしたら先日死んだ鳥と番だったかもしれない。別れにやってきたのだろうか。 昨日、近所の子供たちが毒蛇だと言ってアカマタを殺そうとしているのを逃がしてあげた。先日リュウキュウアオヘビも見かけたので手がけているビオトープは効果をあげてきているようだ。 アカショウビンには子供の頃の思い出がある。私の家のガジュマルの大木に巣をかけたアカショウビンは後ろの兄さんが見つけたそうであるが、祖母は私の家のガジュマルに住んでいるのだから孫のものだと言い張ったということだ。そのころは私の住む屋敷は幽霊が住むといわれるぐらい鬱蒼としていた。アカマタなども子供の腕の大きさのがうようよいて蛇屋敷などと・・・、は言われてなかったが夜は幽霊が怖くて独りでは便所に行けなかった。大便所は10メートルぐらい離れたブタ小屋と併設していた。まー、そんなこともありました。 昨夜はヨロンマラソンつれづれの亀野さんを囲んで楽園荘で懇親会。田中教育長など6名で記念の写真を撮ったのでいつかつれづれで紹介されるであろう。与論情報サイトを是非ご覧になってください。
2007.05.19
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小さいけれど 私にとっては大収穫の喜びを味わいました 盛皿は月桃の葉っぱと花 ターゲットにしたのは イモガイでしたが1個も探せませんでした。 ピンポン・バーベキュー大会なるものが「ゆんぬ・あーどぅーる焼き窯元」で開催されるので夫婦で出かけて行った。バーベキュー用の台が新しく珊瑚の石積で出来上がっていて先客が網で料理を用意しているところだった。次々に集まったテニス仲間のメンバーを見ると長崎・徳間・青木・植田・八木・アリス・アイバーンで原住民が少ない。ホステスの山田さんに私の妻も旅人(タビンチュ)旅行中の亀野さんと名前を聞かなかったお嬢さんもそれに信用金庫の店長さんなど・・・。放言が通じるのは、イカスミで有名な町永さんとテニスクラブ会長の川畑夫妻と焼肉係の英語ペラペラの町くんなど数名であった。飲み放題、食い放題、話放題、ピンポンもやり放題で結局 御前様になるまで楽しんで帰った。夫婦で気軽に参加でき、無理強いしないのみ方とアイバーンがいることで英会話の勉強にもなる。飲み物も持ち合いで色々好きなものを選べる。ワインが飲めないので焼肉が喉をとおらなかったがあれこれと口にした。アリスが持ってきたアロマのローソクを自分でも試してみたいと思った。期せずして廻りにいい友人が集まってくる。これぞ新しい与論の文化人交流会夢が次第に現実となりつつある。 昼食はご飯を弁当箱につめて潮干狩り 珍しく タコが獲れたので タコ踊りを紹介します。
2007.05.19
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国際結婚?アマガエルの上にカジカガエル乗っけて 世の中 ひっくりカエル ドラムカンの廃品利用で ビオトープを作ろう ツミの朝食(餌食)をかっぱらってきました 田中一村の絵にでてくる アカショービン 渡りでやってきた貴重な鳥です 手に取ってみたのは子供の時以来、現在は声すら聞けなくなった ツミには罪なことしてしまった。一村をしのんでアダンの下に埋めました クローズアップ現代でワーキングプアを取り扱っていた。アメリカ社会の歪を見せ付けられ愕然とした。アメリカナイズされた日本社会のやがて来る現実であろう。 飼料作米への取り組みを見ても又考えさせられた。農業の本来の姿が何か違っている。地球的には飢餓があるのに、豊かな国では家畜のために主食の作物を作る。休耕田があること自体の農村社会構造はおかしいとつくづく思う。幸い我が与論島は遊休地が少なく農地は有効に作付けされている。しかしサトウキビを代替燃料に開発する研究も取りざたされる昨今、狭い耕地面積の与論の土地でそれはないだろうと思う。 食料を主体とするエネルギーの確保を与論でも考えるべきだと思った時最低の自給米は必要ではなかろうか。転作奨励金をもらうようになって水田がサトウキビに変った私も水田転作担当をして転作田を測量して回ったこともあるが今はわずかに4ヘクタールとなっている。最近、有機米の自主流通があるようで需要が見込まれるのでもっと増産したい作物である。水田は野菜の裏作も出来るし、わらは牛の飼料やしき草になる。土壌病害の対策としてもこれに勝るものはなく、集落営農など農政の面からの管理も機能的である。サトウキビがダメではないが厄介者を抱えて政府に愚痴られるよりはせめて自給自足で暮らそうではありませんか。などと考えて、私も水田が欲しい。実はお米よりも田んぼの環境が欲しいといったら、この不届き者と天罰が降りてきそうだ。 それにしても「継続は力なり」
2007.05.17
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鳥の写真などデジカメの練習が必要だ。 撮ったのに移りが悪くて昔、海苔の宣伝で「山本山」上から読んでも山本山下から読んでも山本山というのがあった。 元菱刈町長の久保敬語録によると川内川 上から読んでも・・・裏から読んでも川内川に気づく人は少ない。 久保語録・放言録は面白い。 本県農家の短所(日本農業経営者連盟会長 稲垣恒夫) 1、農業でメシを食ってゆくという執念が足りない。 2、役場や農協に対する依頼心が強い。 3、身銭をきって研修する努力が足りない。 鹿児島県の情報誌に「みなみなみ」というのがあった。誰が考えたのかこれも面白い。 与論島は鹿児島県の最南端、最先端は最南端 情報の発信は最南端からとADSLを使いこなせる町民の教育が待たれる。 私が今思うのは 鹿児島の尻尾となるよりも琉球の頭となれとの思いが強い。 本土とか内地とかは情報の世界ではあまり考えなくて 仕事が出来るようになっている。 東京あるいはニューヨークから与論に帰るのに鹿児島を経由するのか 沖縄を経由するのか、 これからは多分沖縄が便利であろう。 学校教育のせいで鹿児島の副読本を読まされた。 服毒本がもっと与論の現状にあったものであったら 歴史や文化に興味を持つ人も増えただろうと思う。 いらない話になったが 久保語録・放言録は 農村振興運動を担当してた頃何度も読み返したものである。 先進地視察について 先進地視察、もうよせ先進地視察、先進地はどこを見て学んだのか 先進地の先進地になれ だったろうか・・・。 自営を始めてから自己流に事を進めているせいか変な夢をみてしまった。 失敗を償うために努力している姿が夢にでた。 諦め切れないうちに目が覚めて ホットした。 ツアーガイドのパンフレットを考えようと思っていたが 夢見が悪いので後回ししよう。 都合のいい性格している。 NPOの立ち上げといい、チョット、プレッシャーを感じているのかもしれない。 でも、今日も元気だ。
2007.05.16
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岸本墓 (按司根津栄神社の氏子の共同墓地) 現在 立長集落に住む立家が管理していると聞く シニグ年の旧暦3月29日が墓参の日と決められている 写真は27日に撮影、下の写真に神木といわれる蜜柑の木 偶然に生えたのか植えたかは解らないが 与論島では祭りの日にミカンの枝を使う 按司根津栄のお墓 上は チンバー(積墓、積庭と呼ばれる) 下は 改葬後の墓 チンバー その3 龍野家の家系図に乗っている 貞順(初代)さんのお墓 積み石が2段構えになっている 永良部の世之主のお墓と比べてみたら歴史の資料になると思える チンバーの4は 石積みのパンタにある 私は今のところ4つを確認している NPOの相談でSさんのお宅で色々お話している中で、「写真に変なのが写っていた」ということに話題が移り、神様(見えない力)はいるんだなーと思える話題。 10年ぐらい前のこと、集団で拝所廻りをしている時わたしは小型のカセットテープで録音していた。何件か回ったところの「馬のクン」と呼ばれる史跡で思いもよらず私が呼び出され、「貴方の守護神はここに祭られている」といわれた。あわててカセットをセットした時、カチット音がした。そこで何を諭されたかは覚えていないが、按司根津栄の係わる史跡を全部廻り、関係する人たちの守護神が示された。 それはそれとして・・・。 あとで、テープを妻と二人で聴いた。途中に録音がされてないかと心配してたが、全てが録音されていたので、みんなにも聞かせようと機会を待っていた。次に話の内容を確認するためカセットをかけてみてびっくり、しゃーしゃーと、わずかの音が聞こえるだけだった。妻に消したのかと聞くとさわりもしてないという、不思議なはなし。 と、昨日、私がブログに載せた写真をみたSさんがその日(史跡めぐり)に彼も写真を撮ろうとして不思議なことを体験したとの話になった。寺崎の拝所でここは与論で一番「神高い場所」と説明され写真を撮ろうとカメラの電池を確認しようとしたところ電池が飛び出してきたので、撮るのを止めた、というだけの話である。 心霊写真をTVで紹介しているが、あんなのではおどろかないくていいような写真を私は見ているが、 本当に不思議としか言いようがない。光の屈折の妙だとは思うが・・・。 神を冒涜してはいけませんので、神に感謝の念を捧げながら、私の心のよりどころである岸本のお墓を載せてみます。お墓参りの日にちを間違えて、旧暦27日に撮った写真です。貴方には 何が写って見えますか。 ここは、一族以外は勝手に覗いてはいけないと聞いています。お亡くなりました、立さん 見守って下さい。
2007.05.15
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与論方言では酢のことを ぺーという 方角で南を意味する ぺーからぺーくくう とは 南から酢が早くきて食べるという意味 遊びすぎて御免。小雨の降る畑から帰ったら、傘もささず人が立っている。誰かと思いきや、喜山さんであった。いやー、 庭を見に来たと言われるので私のパーマカルチャーを宣伝しようと思い案内して帰ると、妻が出てきて玄関の靴箱の上に置き土産があるという。以前に試供品で飲んだことのあるきび酢の製品であった。 喜山さんとの出会いは3年ぐらい前で、私が食品衛生を担当し始めたころだった。頂いた名刺は内装業の社長だった。その後、海洋センターに行く道すがらに、見慣れない壺が立ち並んだ。鹿児島の福山あたりで見たような壺の中身が酢であることがわかったのはそれから大分たってからであった。食品衛生の仕事とは別個に、特産品の開発には興味を持っていたので誰かを知らされた時、喜山さんであったことにホットした。壺の置かれている土地の周辺に子供の頃の思い出があったからである。亡くなったがおばあちゃんが独り住まいしてた頃、こっそりと海辺の見える場所に当時の面影を探しに行ったものである。自宅の黄色のショウギスイセン(ヒガンバナ?)は学生のころ帰省した時喜山のおばあちゃん宅からこっそりもらってきたもので、年々増えて季節の花を咲かせる度に、元気なころの従弟の家に訪ねていらした着物姿のおばあちゃんを思い出す。 まー、そんなこともあって工場を建設しているときや機械が入ったときなどちょくちょくお邪魔虫をしていた。本格的に製造が始まってから、食品衛生や税務上の手続きなどで役場で顔をみかけるようになり海洋少年などとともに居酒屋オアシスなどで一緒に話すことができた。製品にするためには県の工業試験場の指導なども受けたようであったが一番厄介だったのは不純物とうまみの分別方法にあったようだ。これ以上は企業秘密・・・。職人さんを招いてやっと試作品ができ、保健所の申請、商品の表示などの手続きなどを経ての特産品の開発であったろう。さとうきびはもちろん地元産で契約栽培らしい。勇気のいる農法などで作付けされているようだが、その辺は私流のチョットぼかし手法で・・・。私も黒砂糖を特産品にと考えていたので、興味深々で本物が出来上がるのを待ってた次第である。 名前がいい。すかりゆし醸造(株)創ingかりゆしにすかりる(すかれる)を又に賭けている。す(酢)っかり好かれる。など言葉遊びをしてみた。言い訳するが造は昔漢字(むかしじー)を使っている信用を大事にするからかなどとは人生の甘辛を味わって、更にすっぱいを重ねた者で泣ければ本当の人生の味は解らない。私の今一番のお勧めの特産品です。これに続け 特産品開発と島興し。
2007.05.14
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ようこそ与論島へ 原住民 愚鈍童子(ぱんかたわらび)が案内する 与論島の穴場 連絡は 鹿児島県 与論局番 酔い兄さん(4123)まで 白みはじめた 今日も元気だ 出かけよう。
2007.05.13
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今年初開花のドラゴンフルーツの花見つけたのは 霧のたなびく早朝でした 局部気象の原因は焚き火でした 楽天ブログがメンテナンスで時間はずれに日記書いているところにお客さん先日裏通りでお会いした亀野さんだった。ヨロンマラソンでみんなの人気者になって、孫の娘さんが留学するなど、有名人である。今回は独りで来島されたので夕食が淋しいので楽園荘で一緒に食事をしようと誘ってくださった。 夕方、トマトの誘引しているところに迎えにきてくれて毎年ヨロンマラソンを走っている地元の川内さんも一緒でノンアルコールで四方山話をしながらの楽しい夕食をいただいた。齢なので来年も走れるか解らないので今回で一応のけじめをつけたいと語っていらした。私は来年も走れるだろうか?いっそフルに挑戦しようかとも思ったが、口にすると責任が重たい。何を目標に走るかが決まったら走ろう。完走した者でなければ味わえない喜びがある。
2007.05.13
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与論町誌 第5節 年中行事 3月の行事のなかで(四)ナヌカミシャとクヌカミシャ(旧) 3月27日と29日は改葬する日に当たり、埋葬された死者の遺体(三年後の)の改葬を早朝に行う。と記述してある。今日がその日である。 当日は、早朝暗いうちに、死者に最も縁の近い者たちが、花、お酒、白衣、手ぬぐい、バケツ、鎌、掘り具、布切れなどを持って墓へ出かける。墓につくと、年長者が香を焚き、神酒を捧げ「これから御身を軽くしてあげますから、玉になって(白骨になって)拝まれてください」といった意味の祈祷をしてから掘り始める。 今朝は与論町内の主なる墓地の写真を撮ってまわった。与論島の墓地については、沖縄キリスト教学院大学の近藤功行博士の詳しい調査があり大変参考になる。私も以前から興味を持っていたので独自の調査をいつか郷土研究会で報告しようと思い写真で整理したいと思う。今日は農作業を休みにしお墓の研究日にしよう。今朝の改葬の写真を載せてみます。文字を大きくしたのでこれからもあきぱってないで遊びに来てください。 改葬の後片付け ガンブタ・副葬品を燃やす この役割が大仕事です 新玉に清められる間に完了できるようになるには年期がいる
2007.05.13
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クズレ川が写ってなかったので変わりに 希な現象(局部気象)を載せよう 早朝にいつものように出かけると霧がかかっていた 珍しいと思い走り抜けると おかしい 振り返ると 家の周辺だけである 原因は私の野焼きでした 悪いことは隠せないものだ 1キロぐらいの範囲で漂っていた 「上を向いて歩こう」とともに好きな歌であるが、カラオケで歌うとなかなか上手く歌えない。感情だけが先走ってしまうから・・・。 夕空には金星、朝方には木星が輝いている。今朝も木星が独り輝きしている。月がでるには未だ間があるようだ。僕には朝だけれど、たいていの人は夜中だろうけれど・・・。 晴れが続いた、久しぶりに苗木に水掛をした。援農隊にしてもらったクロトンの挿し木はそろそろ芽吹いてきた。これから夏の間の農作業は水掛と草取りが重要な仕事となる。日中は暑いので早寝早起きして、睡眠時間を確保するため昼寝をすることにしている。疲れが取れて効率よく働けると思う。夕食後は疲れているのでパソコンの前の座ると直ぐ眠気を催すのでそのままの眠気を保ったまま移動しベッドイン。だいたい4時間から5時間で目が覚める。夜明けが待ちどうしいのでブログを見たり書いたりしているうち直ぐに時間がきてしまう。頂いた本が溜まってしまって、拾い読みするだけで申し訳ないが農作業の方も面白いので今のところ退屈なしである。今日と明日は妻が仕事なので昼食は作り置きを暖めて食べるとしてそろそろ潮時もいい頃だから海辺でお茶するのもいいだろう。田舎暮らしの醍醐味だ。 先日の雷雨あとのクズレ川の流れを載せててみよう。先日の歩道橋の川口である。この流れからして今年は豊年になると昔の人は占ったと聞いた。
2007.05.11
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ワリバマ 人魚姫が隠れる穴場です ここに入って独り瞑想に入ります株式会社与論島の社長さんから電話をいただいていたので夫婦連れ立って「碧い珊瑚礁」のあるサンセットビーチまで出かけて行った。目的はサツマイモの蔓を分けてもらうためだ。社長の関口さんは栃木県の出身で私が出会ったのは20年以上前のことだと思う。産業課で勤務してた時、明日葉の種を注文してくれとか、パパイヤを特産品にしたいなどと役場に足しげく通っていた。観光客を目当てに特産品を開発したいとの思いを強くもっていた。私がお手伝いした明日葉とパパイヤでは未だ商品化には成功してないがもずくそば・さとうきび酢・じねん(天然塩)では大当たりして特産品の店「碧い珊瑚礁」を構えるまでになった。 倉庫と従業員に呼ばれている部屋はちゃんとした応接セットがおかれた社長室であった。となりは「与論煎餅」のガジュマル工房につながっている。特別に甘いという焼き芋を食べさせてもらいそのサツマイモの蔓を増殖するため分けてもらった。その他、マグロの急速冷凍真空パックや新製品「亀の卵」などももらって帰った。亀の卵はドラゴンフルーツのゼリーである。亀の保護と自然保護を訴える運動を製品にしたものである。 ついで、星の子劇場のキップを買った。こういった活動の環が広がっていくといい。別の方から伊江島の便りを読ませてもらった。何となく、未だ行っていない伊江島が近くにみえる。天気のいい日は高台に昇ると伊江島タッチューが見える。人情も与論の人に似ているそうで何かのわけがあって一族が与論と伊江に移住したのかもしれない。いえいえ、そんなことありませんとはいえません。なーんちゃって。
2007.05.10
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ここで泳いでいた2ひきのあひる(バリケン)が見えなくなって淋しい 天国でも泳いでいるのだろうか それとも営巣のため隠れているのだろうか NPOを立ちあげようと思い申請書つくりを始めているが昨日は同意人を2人お願いすることができた。最低10人の承諾書が必要であるので趣旨を説明し同意をもらいながら定款を完成させたい。昨日は大島支庁の方々の歓迎会に参加させてもらった。ひさしぶりの野外での宴会で元同僚とも話が出来て嬉しいひと時だった。NPOの設立を公言したのでやるしかないのである。例によって過去のメモより 「与論の自然」について研究、記録を生涯の目標に決めている。常日頃の植物採取、観察記録をこころ掛けたい。特に樹木については詳しく調査したい。 略 昼の歌謡曲を録音したあと、「観光白書」を持って雨の中を登校した。就職課で推薦書をもらって、書籍部で「観光レクレーション計画論」3,200円と上原敬二先生著、庭園入門1・2を買い、地下生協で時間をつぶしたあと、教務課で証明をもらい、千歳郵便局で書留速達で書類を送る。観光白書には特別勉強しなければならないことは書いてないが、資料としては参考になる。 略 「庭つくりの用意と構想」を楽しく読んだ。上原博士の人柄が覗える。入門講座10巻をそろえることにしよう。 用意の深いところに誤りなく、志望のあるところにいつか実現の機会が生まれてくるこれが世の中というものだ・・・。 造園を職業とする人々の「こころ」を説いた書である。自信と誇りを持ちたい。 昼に、まんが寺をぬけて等々力緑地を散歩した。まんじゅうしゃげがところどころに見受けられる。本を読みながら、田舎の自宅の庭つくりの構想が浮かんでくる。設計・施行・管理、全て自分が携わるのだから全般にわたって勉強しなければならない。そろそろ公共緑地学の設計課題に入ろう。
2007.05.10
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ワリバマ(割浜) 作家森瑤子の別荘のある浜のとなりの浜 ここで私は海岸植生の試作をしている 何でワリバマというのかというと 沖縄戦で与論島が艦砲射撃を受けたとき岩が打ち砕かれて 小さな浜が二つできたことに由来する。 私の祖父(母の父)は流れ着いた機雷で危うく命を落とすところであった。 農作業を一段落し縁側でお茶を飲んでいたらJAの指導者から若い男女が降りてきた。農大の後輩たちかと思いきや、農業改良普及員さんであった。同行の役場の果樹担当のTさんと農協のベテラン指導員のTさん等とともに丁度マンゴーの剪定をしていたところだったので指導してもらった。妻は時を得たとばかりにトマトの管理のしかたを教えてもらっていた。それにしても若い指導員であること、自分の年齢を考えると納得。私もこんな形で新任の普及員と農家廻りをしたこと思い出した。今日は大島支庁から永峯部長さんが視察にお見えになると聞いている。私がお付き合いしていた県庁の職員は課長クラスなっていて、○○所長・部長とかの偉い役人さんであるけれど気心知れていると思えば懐かしくて会いたくなって、今日も視察途中に挨拶に出向こうと思っている。永峯さんとは虫(蝶)の知り合いでもある。与論島の果樹振興にも励ましを頂いたこともあり、沢山語りたいこともあるが公務中なので又の機会に大島支庁を訪ねてみたい。与論の農政を理解してもらえる方が赴任してらしたと胸躍る気持ちでいる。今日は免許更新時講習会、半月の月がでているので天気もいい。今日も元気。
2007.05.08
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NPO法人の設立について思案していたので役場の担当課に顔を出し海洋少年こと池田課長補佐に指導を受けた。直ちにインターネットから申請書の様式を開いて事業目的と会員名簿まで記入例を示してくれるほどの素早さに目をまわした。待て待てと止めて、MOで資料をもらいもう一つ懸案しているツアーガイドのパンフレット作成について雇用創生対策事業事務所に顔をだした。事務員の仲田さんに指導を受けること相談した帰宅後の農作業はマンゴーの剪定と農園周辺のごみ処理をした。作業中NPO法人の名称を考えた。「イチョーキ未来」と「与論島の蘇生」が頭を廻りめぐり、ほかを思いつかない。公的名前なので勝手につけるわけにもいかないし・・・とりあえずほっといて会員を募ることから始めたい。 早寝して夜中に目が覚めたので、申請様式を開き記入要領従って思いつくままに記入を始めてみた。やっぱりネーミングが引っかかった。考えた挙句、「与論島心開」としてみた。心を開いて語りあいたい。新しく心を開く。志を同じくした集団(シンカ)の会とか色々理由をつけてみた。与論の誠の心を開いて島興しを考えようという目的意識を持ったシンカの会と意味づけしたい。もう1案はサバイバル塾なども考えた。「与論島さばいばる」遊び心だったら「与論島さばいばら」原野に自生する棘と道の険しさを想像してなど、独り考えるのは楽しいが、名称には各自の思いと好き嫌いがあるので賛同が得られるか?とりあえず、申請書の様式を今週中をメドに書き込んでみたい。「さばよみドンのうなぎ釣り」(童話)を思い出しさばいばら・・・ららばい、りばいばら、ばべじばらばら・・・と、ちりちりばらばらにならないように心開(シッカイ)しなければならない。
2007.05.08
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イソヒヨドリ(方言名 ハンシャギタ・グショウバトゥ) ヨロン島リバイバル計画(与論情報サイトから)を読んで真剣に与論島の再生を応援している彼女に感謝する。彼女が観光協会で仕事をしていた時小生意気だと思って意見を言ったことがあった。チョットやり手だとの噂を小耳にしていたので考えていることをききたかったのだが・・・。少し反論してきたがちゃんとした議論が出来ないまま彼女は旅立って行った。その後、何の縁で課東京行きの割安キップを彼女の知り合い名義・・・。久しぶりに情熱的に与論島の再生を語る人に出会えてうれしい。「与論島サバイバル暮らしツアー」などを考えて、皆田離れ暮らしなどを想像して楽しんでいたので、リバイバル計画は是非実行してもらいたい。 連休も終わった。例によってタイムスリップしてみよう。 昭和53年5月6日(土) バルカン5ケ年計画 401便は与論空港上空悪天候のため引き返すことになった。TS・CBを観測、W方向から次第に近づきつつあったが欠航するとは考えてなかった。午前中はBRを記録、レベルチェックをしながら最近の変った天気に驚いている。 長い文なので中止する。思ったのは、この飛行機の欠航により運命が変った人もいるだろう・・・。与論の観光ブームの頃キャンセル待ちのお客を大勢みているから。私の妻も赴任の時与論島上空まで来て引返したという。欠航しなかったら、結婚してなかったかもしれない。縁とは不思議ものである。 先日の雷は凄かったらしい。私は寝ぼけて聞いていて起きた時は遠雷だったから「田園」を感じたようであるが、外の人に言わせると「運命」に例えたようである。確かにそうだろうなーと今はゼウスのイカズチを思い出している。四方山談義さんからコメントを頂いた。同郷の方からのアドバイスはうれしいし励みになる。これがブログの楽しみだと思う。近いうちにホームページをつくりたいが、教えてもらいに行こう。今日も元気。 遊歩道をとおりぬけてクズレの丘にたどり着く
2007.05.06
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隠れた百合が浜展望所 落ち着いて交響曲を聴くこともなくなってしまった。昨夜の春雷の音聞いてたら「田園」を思い出しタイトルにしてしまった。第一楽章は馴染みのメロディーであろうが三楽章から四楽章の収穫の喜びを歌う楽章の感動を語れる友人は与論には少ない。クラシックが好きだなんていうと、笑われるのが落ちだから知ったかぶりしないで隠して置いている。クラシック入門のレコード聞いたのがワルター指揮であった。教養のためにと聞き始めたのだが、音楽鑑賞といったらやっぱり交響曲がいい。マーラーは曲は重たい、モーツアルトは軽すぎ、やっぱりベートーベンがいい。8番の陽気なメルチェルなど又ピアノソナタの有名なメロディが農作業中に浮かんできて音楽は精神の薬になる。相手を必要としない会話もできる。しかし一般的に聞いたり歌ったりするのは歌謡曲の方が断然に多いのだが・・・。私のクラシックの解説書は「世界の名曲とレコード」志鳥栄八郎著、上・中・下である。古本屋で求めた者で、紹介されたレコードの指揮者はこの世の人ではなかった。現代音楽も聴いてみたがそれよりはジャズのほうに興味がわいてきた。ミンストラルからスイングなどクールとかなんとかでジャズのジャンルは広すぎて私のは語ることはできないがBGとしては一番好みである。ジャズに名曲なしといわれるが、サッチモの演奏は格別でほとんど録音して持っているが再生装置が役立たずになってテープとオオーディオ機器が昔を偲ぶだけだ。周りに楽しみが多すぎて、今はPCの操作を覚えるのにも暇がない、というかやることが多すぎるとおもう。ふと「オーケストラの少女」の映画を思い出した。映画も好きになり特にミュージカル映画は名画座など300円2本立てを新宿、渋谷、など映画館あさりですごしたこともあった。歌う場面を聞くためミュージカルは何度見ても飽きない。音楽のこと書くときりがないがレット・イット・ビーも最高である。この曲は1日中でも聴いていられると思う。(実際はしたことない)まー、そんなわけで農作業しながら音楽は贅沢に聞けるとおもうのでどんな媒体にするか誰かに教えてもらいたい。ラジオが無難だと今は思っているのだが・・・。5時になったのに未だ暗い。連休最後の日、実のついてないマンゴーの枝をバッサリと切り落とそう。経営の成り立つ果樹農家を目指してのスタート。 ここへの入り口の案内板がないし、通路も植物が繁茂して歩き憎いようでした。机上の書類を少し置いといて、たまには見回りも必要な管理職の皆様。
2007.05.05
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雨のために銀座通り感謝祭は人がいなかった。夕食は久しぶりにレストラン味覚で焼肉食べたが貸切で客は私たちだけであった。通り会の人たち、準備した食材などどうするのであろうか?お祭りは天気次第だ。まー、海も農作業もではあるけれど・・・、事務仕事はその点ノー天気だよな。昨夜の夜更かしがたたり昼寝もしたけれど不調子だった、農作業する気もおこらずブラブラと暇つぶしをしてしまった。本を読む気も起こらないので昨日の写真をアップし早寝するとしよう。
2007.05.05
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イカした捌き人は私の従弟です。 彼の雄元丸で来月は船釣りに連れてもらう約束です。 昨夜は帰りが遅かったので続きを書けなかった。銀座通りのお祭り騒ぎから2次会はスナックM・Mに移動しカラオケを楽しんだ。お店の客がみんな一緒のテーブルになって飲めや歌えや踊れやと1時過ぎになってやっと真面目に運転手を務め帰宅の途についた。女性の酔う姿はかわいいと思った。みんな今日の仕事大丈夫だろうか?という自分もチョト寝不足だけど・・・。 午前中はお魚祭りもあって漁協が大賑わいしていた。コースタルリゾートでは緑の日を記念して商工会の記念植樹がなされた。海洋少年の呼びかけであった。彼の用意したモンパノキやアダン蘇鉄など120本が植栽された。私も百合が浜の見える丘に蘇鉄の植栽計画をしていたが、午後に時間変更、リュウゼツランを10本を植栽させてもらった。青海荘の親株から育てた苗で、早逝した辰巳さんを偲べたらと思う植物にしている。午後は与論穴の崖に続く丘に蘇鉄、トゲナシアダン、リュウゼツランを植栽した。景観に配慮した仕立て方にしていきたいと思う。靄がかかった天気だったが、天気よかったので記念に周辺の写真を撮ったので載せてみます。 与論の穴場、与論穴です。 商工会の皆様お疲れ様でした。 オオゴマダラの森再生事務局の応援ありがとうございます。 援助金は大切に活用させていただきます。
2007.05.04
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地下通路 ボンベを背負わないともぐりぬけは危険です 試してみたいですね 昨日の二日酔いも一晩寝たら元気を回復し今朝は体調はいいようだ。古里集落の役場職員でつくる古里会による歓送迎会をしてくれたのが飲酒の機会だった。調子に乗って踊ったり歌ったり駄洒落飛ばしたりの大はしゃぎをしたがどうして帰ったか記憶がない。裸足で帰ってきたようで靴を捜しに行ったら役場前のロータリーにきれいに並べて置いてけ掘りくった、靴がそろって待ってた。歓迎されたのは今年新規採用になった看護師、保健婦の資格を持っている。彼女は子供育成会での顔なじみで父は町民生活課の時の上司であったこともあり直ぐに親しく打ち解けることができた。」まー、そんな言い訳の飲み会だった。主賓が飲まないと・・・・。なん茶って・・、すっかり楽しませてもらった。 夕方、写真撮りで皆田の海岸散歩していて楽園荘の金ちゃんに出会って話したいことがあるというので私も実は頼みたいことがあるとのことで夕食後落ち合うことを約束していた。夜が明けたので続きは夜に書こう。昨夜の 与論穴場 海中の穴の映像をもう少しアップします。
2007.05.04
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今朝は二日酔いで気持ち悪く頭痛がした。ドライブ途中で吐き気をもようして車を止めるなどしてしまった。しばらく寝て、昼過ぎからも仕事する気にもなれず写真を撮って来たので載せる。穴場の一つ作家 森瑤子の別荘内の穴場である。小説「アイランド」に出てくるヤドカリの住む不思議な井戸はここのことだろうか。ここの魚たちは簡単につれた。パンくずを食べさせているとのことだった。別荘をご覧になりたい方は連絡ください。海の方から案内してあげられます。 まず、奄美百景の 百合が浜 今日はお客さんも多かったようです。 故 森瑤子別荘 元旦那(アイバーン)が暮らしています。
2007.05.03
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もう だめそうだ。 大分酔いが深いようです。浪人時代、天文館の裏道理をあるいていた。若菜と個展風の店に接ぎに見たなは、愛加奈、であった。加奈志、愛をつけたのかな。まだ、わたしは成人していなかった。鹿児島県人会の集まりだったと思い出している。本土内地大和ひとうちなわんちゅ、わった意あんぐんちゃー 方言は言いたい放題で やっぱり 竹下 とオウル 心正殿どーと思う。 私は徹先生の愛のムチに敲かれた記憶はないが あまいー、あまーい、ふまいい、の 精神の糧は しんせい の父か母の影響によるところが大きい。 私が子供のころ 森先生のところに お使いにいった。うたをうたってくださったさった。 目陸墓さん お使い上手ね。 うてばひびくよで あかるいこえで へんじするのも あのこがすきだ。 最初の遠足は なんぴら 山だった。 あれ、が、 山だった。 並み平だったなんていったら正直ものと物笑い。 私の先祖の森久保は 田んぼを作るため 窪に咲け盛りをしたのかと泡てて なんびらやまおもいだしている。 夜明け前で 少しおちついてきた。 飲んでしまった。 野ではなくって、凄くおいしかった。 sんきゅー。 うたいたかったうたは、 誰が故郷をおもわざる ざる そーめん おいしかったよ。 あーめん。 益田 元帆 帆がないとは与論ことばではいっては・・・ 恩師は いつも 苔の蒸すまで。 映像はあるけど ・とは、未だのうた林。 ほうげん坊。
2007.05.02
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荏原義盛氏の「奄美生活志」ユンダ事がある。私の先祖の玉恵窪はゆんだだったと父正起がはなしていた。ゆんだ の意がわかるとはおもえないが・ バカのひとつ覚えで書いておこう。 幸子 そのかたのもものきにつぎきににいった。 記述的には成功したと思うが 花は開けども 実は成らず であった。 笑って ゆるしてもらった。 口が悪いと与論の人がいうが 本 の 中身は知る日とぞしる 西区の 義盛さんの文化を探って ほしいい。 今日は 酔っ払い。 本音か夢か。 勉強したい。 教育委員会 頑張ろう。 泡 立てない。
2007.05.02
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ここは 瀬良海岸 セーラと読むかシーラと読むかしーらない・・・。 雨の日が続いている。運転免許証更新連絡書が届いていたので与論幹部派出所で手続きをすませた。パスポート用の顔写真ではダメで写真を撮り直したため安全協会費が足りなくなった。任意なので講習会の時よろしかったら収めてくださいとのこと。手続き忘れてわざわざ鹿児島まで行き更新した苦い思いがあって、事務手続きの職員の親切な態度を良しとして平静に受け止めることができた。その帰り、退職金受領手続きの連絡をうけていたので総務企画課に立ち寄った。大田副町長さんと話したりして古巣の雰囲気を見たが懐かしい思いは沸かなかった。海洋少年に呼び止められ、オオゴマダラの森再生の植樹の跡を見回り、管理作業の職員と打ち合わせをして帰りがてらに十五日の潮風を伺い農作業に移った。砂を乗せ自宅に戻ったら、妻がアテモヤの剪定の講習を受けてるところだった。近くに住む友人の専門指導であって申し分のない切り口だった。女房同士も飲み仲間なのでこれからお互い果樹の仲間として益々親交を深めたい。私が果樹の勉強ができたのは彼のおかげであった。彼はアテモヤの栽培技術については鹿児島県ではおそらくナンバーワンであろう。与論の熱帯果樹は夏にマンゴー・冬にアテモヤを柱としてドラゴンフルーツやパッションフルーツを彩りに添えたいと思う。今年度から彼ら本格的に経済栽培している仲間と切磋琢磨し果樹の振興に取り組みたい。与論町果樹振興会も私の担当の時立ち上げているので充実を図りたいと思っていた。果樹だけで1千万取れる自立農家を目標に掲げたい。もうすでに取ってるのがいるかもしれないが・・・。 旧暦の三月十五日の豊年祭典については意識してたのに肝心の按司根津栄神社の豊年祈願祭(大祭)を勘違いして出席しなかった。夕食時に妻に言われて気が付いた。供え物の用意がされてたので神棚に報告したあとウッカリしてた反省をし、今頃、氏子たちは酒宴たけなわだろうこと想像しながら美味しい夕食を頂いた。吉凶を占う百合が浜の砂浜の数は幾つ表れただろうか気にかかりながら早めに就寝した。今日はいい天気になるだろう。昨夕のいつもの海岸の写真を載せてみよう。
2007.05.01
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