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8月6日(水)広尾町はどこかに寄ろうと思っている間に通過していた。襟裳岬に向かう海岸沿いの地形は、波に削られた断崖が多くて、そこをくり貫いたトンネルを幾つも潜っていく。岬に近い最後の方のトンネルで、いきなりフロントガラスが曇って、前が見えなくなり後ろに続く車と対向車のハザマで慌てふためき醜態を演じた。事故らなくてよかった。30℃を超えるトンネルの外の気温から、断崖の中の地下水でジメっとした低温に入ったせいで、結露してしまったのだった。慌ててエアコンをつけたが遅かったようだ。他の車はエアコンをつけて窓を閉めているが、ボクは窓を全開してエアコンを消しているから・・・襟裳岬の駐車場に車を停めて、岬の先端へ歩いた。岬の先端が、まるで海に沈みこみながら消えて行っているような錯覚に陥る風景。コンブ漁をしている漁師が岬の平らな面に砂利を敷いて、昆布の干場にしているから、そこに入らないで欲しい!そういう看板が立っている。こういう端っこが好きなんだよなあ・・・襟裳岬の歌の歌碑が二つ建っている。森進一と島倉千代子の歌で知られているが、今の若い人たちは知らないだろう。♪}えり~~も~~のはる~~は、なに~~もない は~る~~で~~す~~お土産屋さんで何か買うものを探したが、何が欲しいのか自分で分からないボクは黙って入って、黙って出て来た。さて、お天気が良くない方へ向かうという予報に、明日のアポイ岳登山は無理かな?と思いつつ、隣町の様似へ向かう。
2025/08/31
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8月5日(火)朝から雨になるという昨日の天気予報だったから、早朝4時に起きて、テントの撤収を始めた。雨の中のテント撤収はやりたくないと常々思っているから。幸い未だ降っていなかった。テントをたたみ、道具をまとめる身体に虫がまとわりつく。そうして刺される。その為に、キンカンを同行している。汗かきなので、虫除けスプレーしてもすぐに汗で流れてしまう。刺されたら、搔きむしらずにキンカンを塗る。掻きむしると赤くなって爛れてくるから・・。さて、今日の行く先は、襟裳岬方面にして、ナビを操作する。やはり、50年ぶりの広尾町になる。愛国から幸福へ・・・なんて言う駅めぐりが流行っていた頃。ここも廃線で今や駅などない。降ってきた雨の中を、阿寒湖への道を分けて陸別の方へ向かう。この路線は4,地名の後ろに「別」が付いていると嫌でも気づく。クマが出て来そうな狭い道路、峠を越えて陸別の市街地に入る。道の駅が町の中心地にあるが、どうやら廃線になった国鉄の駅跡らしい。松本零士の漫画、銀河鉄道999のラッピング客車が展示されている。このようなラッピングは方々で見掛ける。陸別はマイナス40℃を超える日本最低気温記録がああるそうで、日本一寒い町というキャッチフレーズで町興しを図っている。次に車は足寄に入るここも、道の駅の中に、鉄道のレールを残して展示している。この町出身の松山千春のコーナーもあり、名入りの煎餅も。興部のように、駅跡は完全抹消するところもあれば、こうして記念に残しているとところもある。それぞれの考えがあるのだろう。部外者としては、できれば残して欲しい。次の本別は、昨年訪れた記憶のある駅跡に行き当たり、思い出した。幕別を通り、帯広市には入らずに忠別、大樹、と続く。マウナンゾウの発掘地なのか、忠別の道の駅にはそんな表示がある。すぐ裏はキャンプ場になっていて、ネットは此処を無料としていたが、実際は有料で、かなり綺麗に整備されていた。だが、何しろ、ここは30℃を越えていて、暑い!!通過して大樹の道の駅、ここで、ネット検索、札内川園地キャンプ場に着目する。でも、現在地からは遠そうだ。兎に角行ってみることにして、川に沿って日高山脈の方へ向かうが、途中から分岐した道はかなり狭隘。戻ろうか、行こうかと、迷っているうちに車は前へ進み、そのうちにここまで来たら戻れないと言う心境になる。この心理パターンは、山の道迷いの時のそれか?と、内心思う。かなり走ったと思う頃、札内川をわたり、園地キャンプ場の表示のパーキングに着く。此処までくればかなり涼しい。停まっている車は少ない。橋の上から、「ピョウタンの滝」と言うのが見える。ここの売りらしい。そのうえがピョウタンの池と言うらしい。日高山脈の山岳センターという表示の管理棟があったから、そこへ入り係員の説明を受ける。入場料一人800円、一台500円、計1300円が必要だという事だった。一旦そこから退出して、展示室を見学。昭和40年代、福岡大のワンダーフォーゲル部の学生が日高山脈、幌尻からカムイエクチカウシ岳への縦走中に熊に襲われて5人のメンバーのうちの2人が犠牲になったことは有名な事件だが、現場はここが登山口なると知り、驚く。舌を噛みそうな名前の山だ。日高山脈のジオラマも展示してあった。外を歩きながら、ここへ泊ろうと決めて、管理所で手続きをする。トイレと水場の建物は新しい。水場の流し台もステンレス製のピカピカの新品だった。テント地へ来るまで入れる、オートキャンプ場形式なのか?ロープで仕切られた一つ一つの区画は広い。川沿いの固まった先客から距離を置いて、テントは張らずに車中泊とすることに。山間だから、日の入りは早い。此処も虫が多く、アブは相変わらずだが、バッタがやたらと多い。イナゴじゃないかと思う。子供の頃に学校総出でイナゴ取りをして、佃煮業者に売り、小学校の備品代に充当していたことを思い出す。トイレもその真新しい清潔さと設備に驚かされる。400角位のタイル張りの床は上履きに履き替えての入場、しかも、こんな山奥のトイレでキャンプ場だというのにウオシュレット完備だ!!これはもう、唸るしかない。アンビリバボ~~~あくる朝、7時を回ったころ、管理棟へシャワーを使いに行き、100円で20分使用。ユニットだから、狭いが、安い。ここで話をした係員の青年は、埼玉出身だと言い、親近感を示してくれた。カムイエクチカウシ岳の登山のことも話してくれた。数日前に、6,70代の女性が2人、この山の登山路で心肺停止状態で発見されている。この登山路は、環境省から日高山脈が国立公園にごく最近してされたこともあり、それなりにトレースらしきものもあるが、かなりの方まで渡渉を繰り返し(沢靴で行くらしい)それから尾根に上がって山頂に着くという。草深い藪歩きのような登山道らしい。水に濡れるから沢登はしないというポリシーのボクはそれを聞いて、登らないなあ!と胸の内で呟いた。ジオラマでみても、日高の山は山稜がナイフエッジ、尖っているようだった。ゴミを管理棟に置いてある器に移して、思い付きで来た地で思いがけない環境に出会い、いい経験をしてきた道を戻り、広尾と襟裳岬へ向かった。
2025/08/30
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昨年の北海道の旅は、海岸沿いをグルっと廻ったから、今度は内陸部を主に廻っている結果となっている。内陸部は北海道と言えども今や、夏場は30℃越えが連日続き、とても避暑などとは言えない環境となっているから、余り走り回りたくないのだが、だからと言って、どこかに一か月滞在するという発想も無い。この写真は美深の道の駅の屋上から、裏側に隠れるように展開していたキャンプ場と日帰りの温泉だ。お堀のような沼と言うか、池が道の駅を隔てていた。そこに溜まっている水はあんまり綺麗には見えなかったが。取りあえず行っては見たが、そこへ泊ろうとは思わなかった。オートキャンプ場のようで、車をテントの直ぐ傍に停めていた。ご丁寧に、駐車場には車中泊禁止の看板が立ててあった。西興部村の道の駅の音楽は、ふいごで鳴らすオルガンだと知った。たまたまボクがいた時間が、時報の時だったようで、いきなりオルガンの音が聞こえてきて、驚かされて、音のする方をキョロキョロと音源を探した。村と言うネーミングが示すように、住民は2025年7月現在人口は936人、629戸だとなっている。独り暮らしの人が多いのかも知れない比率。ボクが言うのもなんだけれど、こういう村にはしぶとく生き残って欲しい。ボクの故郷と重なって見えるから、応援したくなる。故郷は空き家が増えて来て、老人だけの集落となりつつあり、子供は全くいない。TVの「ポツンと一軒家」に出て来る住人が、昔はこの辺りに数十軒の家があった集落だったのだ、と言う、そんな風景が見えるような気がする限界集落と化している。そういう村で獲った熊の缶詰と鹿の缶詰を思わず買ったのだったが、なるほど、缶詰工場などある訳もないよなあ・・・・と納得してしまう。外部に委託して作り、村の名産品として販売する。それほど多く作れるとは思えない。希少品かも知れない。今も熊の出現情報は、北海道も本州でも連日報道されているが・・・。熊一万、鹿七十万と言われているらしいが、もしかしたら、西興部には人よりも、鹿と熊の数の方が多いのかも知れない。
2025/08/29
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上士幌から北見への道は、すっかりナビ任せで、今、思い出しながら地図を眺めていてもどこを走ったのか良く判らない。ただ、足寄の市街地へ入る前に北へ進路をとって分岐したのはよく覚えている。そこからの道は、原生林の中の真っ直ぐな道だったことと、前にも後ろにも車は全く見当たらない孤独な走行だったこと、対向車が忘れた頃にやって来たことそんなことだ。どうやら、美里別川に沿った道で、分岐したのは芽登と言うところらしい。それから置戸町へ出て、訓子府を通って、北見市へ入った。昨年は一か月で北海道を5000km走ったのだったが、今年は燃費の節約と、地球温暖化防止の為に、というとってつけた理屈で走行距離を抑えようと思って走っていた。北見の写真は全く撮っていない。郊外の山の中にキャンプ場があることを調べて行ってみたら、車止めの柵が設けられて、背が伸びた草で覆われていた。仕方なく撤退。「近くの無料キャンプ場」とグーグルのマップに打ち込み、検索しているのだったが・・・北見では、地元のスーパーで食料を調達しただけで、市街地もろくに見ないまま通過してしまった。昔は世界でも名だたるハッカの生産輸出をしていたと、中学の社会科で教えられたけれど、今はどうなのだろう?せめてもと、士幌の道の駅で「ハッカ飴」を買って、道中舐めていた。隣町の美幌にキャンプ場の情報を見つけた。北見から、再び峠越えをして、美幌へ。美幌の市街地へ入る前の山際に「緑の森キャンプ場」の案内板が建っていた。ここは有料キャンプ場で、南富良野の「太陽の里」と比べると、明るく、見た目もカラッとしていた。チェックインはPM3時だったが、管理棟へ行き、管理人に内容を訊くことにする。車中泊は禁止だという。車中泊を許していたところ、車がアイドリングを続けていて、テント泊やバンガローの人達とトラブルになって、真夜中に管理人が呼び出される騒ぎになり、以来、厳禁と言うことだった。それでは仕方あるまいと、テントを張ることにした。400円のショバ代、洗濯機が置いてあって、150円の使用料、乾燥機は無い。洗剤は別売りだが、切らしているから、と管理人が自前のを分けてくれ、感謝。ちなみにこの時には、デイキャンプだったのか先客の一組が帰ると誰もいなくなった。洗濯ものを炊事場の柱間に細引きロープを張って干した。此処は暑い!!一本だけ立っている樹の木陰にテントを張り、陽が陰るまではテントの中には入りたくなかった。此処でもラジオは入らず、せっかく充電したポータブルバッテリーは使い道が、スマホとLED聡明だけだ。木陰に椅子を出してすることもなく、時は過ぎて行った。あくる日、噂に聞く風光明媚な美幌峠の観光に出掛けた。美幌の町を通過して、キャンプ場とは市街地を挟んで真反対側へ走る。道路の両側に白樺の並木が続いている。30℃を超えている美幌の町から、峠へ向かって標高を上げて行くと段々涼しくなっていく。美幌峠の駐車場は「道の駅」だった。ガスがかかっている。走るようにガスは流れて、風景が目まぐるしく変わっていく。屈斜路湖が消えたり現れたりしていた。擬似木の手摺に沿って登っていく展望の道。風光明媚なこの風景を出し惜しみしているかのような霧だ。一通り歩いてから建物の中に入るが、食事をするわけでもなく、する事が無い。手持無沙汰・・・・屈斜路湖や摩周湖の方へ降りて行くつもりはサラサラ無く、来た道を戻って、道中にある「峠ノ湯」で入浴し、スーパーで食料調達。冷蔵庫の無い夏の車中泊は、こまめに買い物をして食あたりを防ぐしかない。しかし、このキャンプ場でも、コッヘルの炊飯は芯が残った「メッコメシ」だった。キャンプ場では少し離れてテントを張った男性が、一人焚火をして、炎を赤々と燃え上がらせていた。テントのそばで焚火って、火の粉でテントに穴が空きはしないかと心配で出来ないなあ。。。などと、せこいことを思うボクなのだった。
2025/08/29
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8月1日8月に入ったが、曜日の感覚が分からなくなってきている。毎日の走行に曜日は関係ないし、テレビはみないし、ラジオは電波を捉えられない。食事のご飯をパックライスにしているが、依りリーズナブルにしようとして、無洗米を買って一食分をコッヘルで炊いてみたが、今のところ上手くいかずにコッヘルの底を黒くしてしまった。焦がしたのだ。ガスの火を弱くして時間をかけているが、炊飯器のようにはいかない。南富良野の道の駅に寄ってソフトクリームを食べて、出発すると、道は狩勝峠に入る。すると、ガスが出て来て、どんどん視界が悪くなって来て前の車はどんどん離れていき、後ろの車はどんどん車間を詰めてくる。こんな視界の悪い状態でスピードを緩めない運転は信じられない。後ろの車に圧力を感じ、ビビってしまう。北海道の峠の道はいつもこんな濃霧なのか?やっと峠道が下りに入って、ガスが薄くなってきたときには助かったと、ホッとした。道はその後国道を逸れて農道のような畑の道に入り、大豆とジャガイモ畑、刈り入れの終わった小麦畑、麦藁をロールした光景、そんな中を走っていく。士幌の道の駅には乗馬のコーナーがあった。上士幌にキャンプ場の情報を見つけて行くと、8月の初めの三日間、熱気球のイベント会場となっている隣がキャンプ場だった。そんなことは全く興味のないボクは全然知らずに、行ったのだった。生憎、お天気が悪くて、中々予定の中身をこなせていない熱気球のイベントを見に行ってみた。キャンプ場は500円の費用。相変わらずにテントは張らずに車中泊をする。テント場は大盛況だった。多くは家族連れだ。バーナーの音が響く。花火大会もあったが、遠く離れた上士幌市内のようで打ち上げ花火しか見えなかった。ボクは花火を見ようと、キャンプ場から、高台に上がる通路で平板のズレた段差にけ躓いて見事に転んだ。両手にカメラと荷物を持ち、転んだ時に手を付けない格好で顔面強打・・・ああ、なんてこった!!肘を擦り剥き、顔に打撲・・・本人ミジメ、傍から滑稽。カメラは叩きつけてしまったが、傷は入ったものの作動したから壊れてはいなかったようだ。これに乗るには3000円ほどかかるらしい。上士幌の町は小さいようで、食料品を買おうとすると、Aコープの小さなスーパーマーケットがあっただけだった。無論、コンビニはあるが。市街地にある公営の日帰り温泉に入り、汗を流して、2泊したキャンプ場を後にした。
2025/08/28
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7月30日(水)美瑛・蔵の丘道の駅を出て、丸山公園のグランドを横目に丸山公園の小山を一周し、富良野へ向かう。富良野の街中へは入らずに、バイパスから市街地の外を通過する。今日の宿泊地を調べて、南富良野の「太陽の里」というキャンプ場を見つけてそこへ向かう。富良野を過ぎて、道はどんどん畑の中の農道のようになっていき、住宅など見当たらずに不安になっていく。やがて、90度に方向を変えて山すそへ入ると、キャンプ場の看板が見えて来て、駐車場へ車を入れる。渓流を挟んだ両側にある芝地のキャンプ場で、無料になっていて、ゴミの処理ができる。ここで先着のキャンピングカーで車中泊をしていた男性と言葉を交わすことになった。愛知で農業機械販売会社の経営者、もう80になるという車の好きな人だった。このキャンプ場が「芦別岳」という山の登山口になると教えられて、直ぐに登る気になった。だが、この界隈には食料を買える店は2キロほど離れたコンビニ一軒だけと言うことで、富良野で買って置けばよかったと後悔。この季節、冷蔵庫もない車に生鮮食料品は買い置きできないから、どうしてもその都度買うことになる。キャンプ場の草刈りをしていた管理のオジサンに芦別岳の登山路について尋ねると、大層親切なオジサンで、近くの管理用の小屋に招かれ、地図を指しながら、旧登山路と新登山路について説明してくれた。旧登山路は渓流に沿って登っていく道で、12時間ほどの往復になるために、朝3時には出発が必要だといい、新のほうは尾根歩きで往復8時間ほどだという。ボクは、もうこのコースタイムを聞いた瞬間に新登山路を行くと決めていたが、オジサンは旧道が好きなようで、旧道についてなおも詳しく説明してくれるのだった。いわく、遭難者のこと、GPSが無いと迷ってしまうような地点があること、などなど。翌朝、4時に出発。ヘッドランプは取りあえずなくてもいいくらいの明るさになっていた。水楢の森を行く。展望はガスで全くなかった見晴台通過。この辺りはダケカンバの中を歩く。此処が旧道と繋がる分岐らしいが、オジサンの話だと学校登山の為に新道と旧道をつないでショートカットの周回路を昭和50年代に作ったが、次第に使われなくなって、今や藪路、遭難者も出ているということ。林が急に開けたが、展望は無い。良く歩かれているようで、踏み跡はしっかりしている。下からはガスに覆われて見えなかった山頂が見えて来た。手前のピークを越えて、登り返す奥のピークが山頂らしい。登り返しが嫌いなボクは、見ただけでウンザリする。山頂は、結構、岩稜らしく見える。途中、追い抜いて行ったハイカーは、まるで走るような足取りの中年の男性だった。手前のピークから見た山頂。草臥れているが、まだあの尾根筋を歩いて、だいぶ行かなきゃならない。北海道のマッターホルンという別名もあるらしい。山頂に着いた。コースタイムは4時間半くらいらしいが、亀足のボクは4時間45分かかった。標高1727m、意外と高い山だった。旧道は、こっちの方から上がってくるのかな?貸し切りの山頂で、軽食でスタミナを補う。道すがら、度々、花を見掛けた。北海道の山の花は、短い夏に一斉に咲くのだろうと思う。ウサギキクかな。ミヤマキンポウゲ?ウメバチソウ下山後、汗を流したくて、スマホで温泉を検索。かなり走らなければならないが、金山湖湖畔に日帰り温泉があることを調べて、走った。金山湖は北海道で最も大きい貯水量を誇るらしい。この湖畔の道路で、行きも帰りも狐を見掛けた。いずれもアスファルトの道路を歩いていて、逃げる様子は全くなく、跳ねないように気を付けたのだった。温泉は有料の湖畔のキャンプ場に隣接していたが、閑散としていて、入浴客は僕一人だった。
2025/08/27
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美瑛の道の駅はJRの線路の直ぐそばにある。全部デイーゼルカーだから架線は無く、列車にパンタグラフもない(当たり前だが・・・)美瑛にはもう一つの道の駅があった。駅から、東に向かってひたすら真っ直ぐに十勝岳の方へ向かっていくと、白金温泉の手前に「青い池」という観光地があって、そこの駐車場的なところだ。そこへ移動して、夜を明かして、十勝岳の望岳台へ向かう。小雨が降って、ガスが覆う道を走ると、噴火時の避難所のような建物の前にある駐車場へ着いた。前泊でここへ泊っている人もいるようだ。登山口は駐車場の奥の山寄のところ。ガスの中に、石ころゴロゴロの荒れた斜面が広がっていた。雨はこれ以上は降らないかと、楽観しようと自分に言い聞かせて歩き出す。ケルンに「望岳台」の文字が浮かんでいる。残念ながら、このガスでは十勝岳の姿は影も形も望めない。だだっ広いトレースが有るこの辺り。美瑛岳(美瑛富士)との分岐があった。そっちにも行ってみたいとは思うものの、両方一日では行けない、老体の悲しさよ。北海道の山は、ガスがつきものと思うことにしよう。ガスの無い山は無かったような気がしてきた。時折、ガスが部分的に晴れると、先が見えてくる。小屋が見えて来た。小屋の目的は、何だろう?避難小屋かどうか、ボクは知らない。小屋のそばを登山道はかすめて、沢を渡って尾根へ取り付いていく。十勝岳は活火山であり、比較的近年に噴火しているから、登山口からずうっと木立は無い。ひたすら、噴出した岩と瓦礫、砂礫の連続だ。ボクが小学生の頃だったろうか、噴火している十勝岳の写真を叔父が送ってきたことをよく覚えている。見た眼は、なだらかな丘陵のように見えるけど、歩くのはシンドイ。あのガスに霞むずっと先が山頂かと思うと、その遠さに歩く気が萎えていく。あの尖がっているところまで行くんだから。さて、やっと山頂か。いや、まだ先にピークが見えて来た。お!山頂だ。大雪山系だから、先日登った黒岳から縦走できる訳だ。中間に、トムラウシ山がある。ツアーでガイドまでもが遭難死したかの有名な山名。北海道の山は、トイレが無い。気温の低さから、バイオトイレはバクテリアが生存できずに処理できない。従って、携帯トイレが必携という事になり、登山道に点在するのは、携帯トイレを使用するブースだけという事になる。つまり、自分の出したものは持って帰るという事だ。ボクは諸事情があり、携帯トイレに自信が無い。汗っかきなので、小の方は水分調整で日帰りなら山中では出ない。ボクと前後しながら登ってきた母子連れは山口からだと言っていた。50代の母親と東京に住む息子。ボクの子供と孫くらいの世代だ。リンドウか、時々見かけた。下山してから、白金温泉で日帰りの入浴施設を探したが、目当ては休業、入れるのはホテルの入浴料千数百円というものばかりで諦めた。白金ピルケに戻って、道の駅のシャワー200円で20分と、コインランドリーを使用。ただ、コインランドリーは一台だけなので使用者がいるとその終わりを待たなければならない。夕方五時で終了だから、なかなか使うのにハードルが高い。ここでも、ソフトクリームを食べて、しかし、目玉の「青の池」に行くことは全く考えなかった。十勝岳災害復旧の土砂で出来た水溜りが池になったものらしい。ただ、この道の駅は使用者が多く、尚且つマナーを逸脱したものが多くて、見るに耐えられずに夜を前に街中の「蔵の丘」に移って夜を明かした。
2025/08/26
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7月28日(月)富良野の麓郷へ行ってみようと、足を伸ばした。今、テレビでは「北の国から」の再放送をやっていて、そういう意味ではタイムリーだったのかも知れない。美瑛からナビは家の無い原野のような中を通り、麓郷に向かう。やっと家がパラパラと出て来たとっかかりの交差点を、家の無い森へ向かって進む。森の中の駐車場へ車を停めて歩くと、入場券売り場が出て来た。ドラマで作ったセットの家が3か所あって、通しの入場券があるがそれは買わないで、石の家の入場券だけ買った。つまり、ここは柵外から見ただけで入らなかったという事だ。三か所の黒板五郎の家はそれぞれ離れた場所にポツン、ポツンと建てたらしい。ボクには「石の家」一つで充分だったから、それだけ500円で購入して、ダートの道をこれで行けるのか?と不安にかられながら行った。駐車場に車を置いて、入場口を通り、木々の間を歩いて行くと見えて来た。切り開かれた草原のような広場の向こうにそれは建っていた。ドラマは1981年に始まっていて、当時、未だ僕には子供がいなかった。だからかどうか、ドラマの中の純と蛍が無性に愛らしく映ったのをよく覚えている。もしかしたら、ドラマが懐かしいというよりも、ドラマを見ていた当時のボクを懐かしんでいるのかも知れない。炭焼き窯の屋根だ、そんな場面もあったのかも知れない。黒板五郎はドラマの中で亡くなったんだっけ?よく覚えていない、そんなものなのかもしれない記憶。ただ、ドラマの出演者の多くは鬼籍に入っている。石の家。そうか、現実の家はこんなものだったのか・・・ドラマの為のものが、それだけ残って独立した観光施設になったことが、何故か違和感もある。昨年行った夕張の「幸せの黄色いハンカチ」もそうなのだが。良くできている。余り懐かしさは感じない。登場人物の方が遥かに懐かしい気がした。大友柳太郎(東映時代劇のスターだった。自宅マンションから飛び降り・・・)地井武男、いしだあゆみ、田中邦衛、レオナルド・クマさん、小松正夫、大滝秀治・・・皆居なくなった。北海道へ戻ったばかりの時に住んだ廃屋らしいが、ここは無料だった。ボクが生まれて育った家と大差はない。昔はみんなこんな家だった。入場口の管理棟を振り返り、ボクは帰路に就いた。子役が成長していくその様をドラマの中で生かして展開していく、そんな長い時間と、同じ俳優の時間経過をそのまま取り込んでいく。無常、人は時間の中を生きていく旅人を実感をもって受け止める。この後、美瑛に戻り、白金ピルケという道の駅に行って車中泊だった。
2025/08/25
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層雲峡の温泉を出て、ボクはナビに現在地から一番近い道の駅を指示し、何処なのかと言う確認をしないまま、呑気に走った。途中、おかしいぞとは思ったもの、ま、いいか!と。着いたら、遠軽町だった。戻った様な気がしたが、そこで一夜を明かして、東川町へ戻った。この町では、図書館を探して立ち寄った。この町は昨年も寄ったが、図書館は初めてだ。知らなかったが、写真の町を標榜していて、図書館の前の芝生の広場は写真展が開催されていた。室蘭の図書館もガラス張りの近未来的な建物だったがここもそうだ。ボクは此処へ二日ほど通った。旅の合間に図書館で読書をするというのは気持ちが切り換えられて落ち着く。この町では昨年寄ったコインランドリーで選択したり、Aコープで食料品買ったり、郵便局に寄ったり、寛いだ。2日いたこの町から、ボクは美瑛町へ向かった。美瑛町の道の駅は、ホテルだった。この区画は、美瑛石という特産の石を使った建物にするという義務があるという。そんな石があったのかと思った。ボクはこの町に移住した叔父を訪ねて50年前に訪れている。戦後直ぐに、叔父は家族を連れてこの町の原生林の開拓に応募して、やって来ていた。しかし、叔父はその頃には既に離農して農地を離れて街中の借家に、叔母と二人夫婦だけで住んでいた。ボクはそこへ転がり込んだのだった。ボクは明治の時代ではなく、昭和の敗戦直後に開拓に手を挙げて移住してきた叔父が好きだった。けれどもその叔父の開拓した農地を見たことが無くて、それがずっと心残りだった。叔父は晩年は北海道を離れて東京の子供のところで生涯を終えたが、叔父に農地のことを訪ねる機会をもてないままになった。無論順序だてして、付き合いのない従兄に訊けば判るのだろうが‥‥ボクも叔父のいる世界へ行く日が近づいてきて、今回、やっぱり知って置きたくなった。役場を訪ねて聞いてみようと行ってみた。美瑛町の役場は親切だった。いきなり、雲をつかむような話を持ってきた余所者に、ボクの断片的な情報で、それならこの辺りじゃあないかと、地図に印をつけて推測を語り、それ以上のことは図書館で町史を調べて欲しいということ。図書館のオープンを待って、入館、「美瑛町戦後40年史」という本を見つけた。そこには、昭和22年度、ルベシベ地区、畑、113人、叔父の名前それだけの記載があった。1947年、いまから78年前になる。ルベシベへ行ってみた。富良野へ行く国道から南の方に入って行くと、波を打つような丘が広がっている。78年前、この辺りは原生林で、火を放って焼き払い、馬を使い切り株を伐根、農地にしていったのだと思うと、パッチワークの畑を見る目は変わって来る。この畑の作物はジャガイモのようだった。この地区のどこだったのかは特定できないが、この辺りだっというだけで充分な気がした。50年前は、美瑛は観光地ではなかった。今、観光客でにぎわうが、地元にお金が落ちない日帰りの客ばかりが、農道に車を停めて農業用機械の通行を妨げて、中には畑の中まで入り込んで作物を踏みつけたりするばかりだと迷惑の声が高い。今だって、この畑が働き手の思う通りの結果を出しているのかどうか、どうなのだろう。叔父は、子供が農業を継がないために、離農した。子供が寒さに弱かった、そういう話を聞いた記憶があり、そういえば、ボクも関東に住みながら、今も毎年手や足が霜焼になっている。北海道の厳しい寒さに耐える自信は無い。ルーツ探しというのと意味は異なるが、美瑛町はやはり特別な意味がある町だ。美瑛の駅から真っ直ぐに十勝岳の方へ向かうと、丸山公園がある。今、ここは運動公園なのだろうか。この辺りに叔父は借家に住んでいた。50年前だから、もう建物はないだろうが、似たような建物があった。懐かしさと、無常感と。
2025/08/24
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綺麗なキャンプ場。炊事場とバンガローが夕闇に浮かぶ風景。バンガローは鋼管の大径パイプを使用していた。7月25日(月)晴れ次の日、早朝、閉じられたゲートを自分で開けて車を出して閉めて出掛ける。ゲートは鎖を数回巻いただけのカギ無し状態。層雲峡温泉街の入った直ぐにある屋根付き駐車(無料)に止めてロープウエイ乗り場まで歩く。クルマの中の食料が気温の上昇で傷まないように、ロープウエイ駅そばの青空駐車場は利用しない。乗車券はリフトも含めて往復3900円。これを使わずに歩いて登る選択肢も勿論ある。始発待ちの行列に並ぶ。7,8分で上の駅へ着き、歩いて数分、リフト乗り場に移動。林間の木陰を歩いていく。ほぼ、水平な舗装。単独者は一人でリフト乗車。ここも数分で7合目の駅に着く。この小屋で入山記録に記入したが、帰りに日付の間違いで戸惑った。ジグザグの九十九折の登山道がずっと続く登り道だ。層雲峡を挟んだ山々が見える。ここも登れるらしい。登山道の脇にチシマノキンバイソウが咲いていた。キンポウゲかと思っていたが・・・・山頂の岩が突き出しているのがちらっと見えて来た。山頂に着いた。乗り物で楽をしたから着くのは早い。広大なお鉢が見えている。あれは北鎮岳というらしい。あそこに登るとお鉢巡りは一時間ほど多くの時間を要するらしい。イワキキョウ山頂で休憩中に。千葉から来ているというボクよりはズウット若い男性と言葉を交わした。彼とはこの後も何度か途中で顔を合わせることになった。地元の人なのか、縦走目的らしいテント泊まりのクッションを付けた大きめのザックを背負った同年配らしい男性が、昔は大雪山にはコマクサなどなかった、と苦々しげに語っていたが・・どうなのだろう?子の山々の淵の様な周辺部を歩くというお鉢周りが、めっきり体力の落ちたボクに可能なのか?弱気になってしまう。イワブクロの花は大雪には最も多い花ではないかと思う。黒岳のお鉢へ下る斜面には「ナキウサギ」が棲んでいるのだそうだ。雷鳥と同様の氷河時代の生き残りだとか。お目にかかれるのは朝方か夕方、稀なことらしい。踏み跡、あるいはトレースが白く細く見える。石小屋、宿泊できる施設のようだった。ここでお鉢周りの北回りと、南回りの分岐になる。北回りで、北鎮岳をトラバースしていくことを目指して、石小屋を通過していく。砂礫地にコマクサが顔を見せていた。いよいよお鉢にやって来た。この一周は5時間くらいかかるというが、リフトの最終運転時間はPM5時半、それまでに戻らないと乗り遅れるということになる。この時時刻はAM9:30、岩小屋からリフトまでは2時間、コースタイムで歩けなければ難しいか???氷河に削られたカールが美しい斜面のカーブを見せている。北鎮岳の手前をトレースが細く伸びて、雪渓が涼しげにその上部を挟んでいる。右上方から対面のスカイラインを歩いていくのだ。はっきりと見えるから、その遠い距離と歩くしんどさが想像されて、歩く前から既にシンドイ。北鎮岳との分岐まで登ってきた。あっちはシンドイから行かない。こちら側の稜線を行くが、ダラダラの登りになっている。お天気は良く、眺めもまた最高。雪渓が点々と残っている。流石に涼しい。北海道に来た、とシミジミ思う涼しさだった。中岳に着いたが、何処が山頂かと思うようなノッペリとした起伏が感じられない山頂。来し方を振り返る。先は長い。裾合分岐と間宮岳分岐との表示。あれ?聞いたことのある地名。ああ、そうか、昨年の旭岳から裾合へ行くときに通っている!なあんだ、そうなのか、あの道と、黒岳からのお鉢周りは途中で重複しているのか、と今更納得。綺麗な蝶だ。カラスアゲハの親戚かな・・・ ミヤマカラスアゲハらしい。間宮岳・ここも昨年歩いていた。旭岳から黒岳は思ったよりも遠くないらしい。ここはほぼ勾配の無い平ら歩きが続いて、有り難い。此処からはアップダウンたっぷりのコースに戻るようだ。このお鉢の中の雪解けの水はひとつの流れとなって層雲峡の方に流れていくようだ。北海岳の山頂もなんとなくなだらかなものだった。これで登りが終わるのかとちょっとホッとしたりする。沢に沿って下った道はここで渡渉して登り返して石小屋に戻るようだった。ボクは、ここで右足が吊ってしまって、その痛みに呻いた。少し落ち着いたころに、千葉から来ていた彼が追い付いてきて、吊った症状に効くというコムラナオール?だったか、そういう錠剤をくれたので有難く頂戴した。吊ったことを、こむら返りという表現があったっけ。彼は北鎮岳を折り返して来たらしい。渡渉して少し上がった斜面はチングルマの群生が今を盛りと花開かせていた。今頃の開花は、この辺りに遅くまで雪渓があったからだろう。短い北海道の夏の、更に短い高山の夏、一斉に咲いている。石小屋に戻ってきた。なるほど、名の通りだった。此処で休憩をして、リフトへ戻ったのは16時だった。何とか、間に合った訳だ。ロープウエイを下りて、車に戻り、着替えとタオルを持って、温泉街の日帰り温泉に入った。層雲峡温泉街はコロナのあおりを食って、廃業が相次いだとかで、今は閑古鳥が鳴いているかのようだ。ひっそりとした温泉街は寂しさが漂う。2階ベランダに作られた野天風呂から、山々を眺めて、長時間のハイクの疲れを癒したのでした。
2025/08/23
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興部から足寄へ寄ったのは記憶違いだった。足寄に寄ったのはもっとずっと後、興部からは西興部経由で名寄へ。足寄は内陸部なので海沿いに行くここでは通過しない。熱いオホーツクの海にもお別れして内陸部へ向かう。疎らになった農場の間を走っていくと、西興部村の道の駅があったから寄ってみた。大きな人形が並ぶ時報によって動き出すからくり人形のようなものがあって、丁度動き出していた。パイプオルガンだろうか?面白い缶詰があって、思わず購入してしまった。今、いろんな意味で話題の「ヒグマ」の缶詰だ。600円で70ℊ、西興部村で獲った熊を村外の缶詰工場で加工して売っているという。食べたが、癖のない普通の味がした。もう一つは鹿の缶詰だ。これも同様だが、こちらはもっと大きく値段は800円。こちらはまだ食べてはいない西興部の道の駅を後にして、峠を越えていくと名寄に出た。あしょろとか、なよろ、とか、似た地名が続く。ここでは大きな公園が町の外れにあったから、取りあえずそこを訪れ寛ぎたかった。けれども、公園の入り口に車止めが道を塞いで「立ち入り禁止」となっていた。この公園で熊が闊歩していて、近くを走るJR北海道の線路を渡ったりしているのが目撃されたために公園は市民の公園使用を禁じたらしい。仕方なく、公園の前の道路の路肩で車を停めて、車内でお昼を食べてから撤退した。熊注意報だものなあ・・・・行く先を道の駅に変えてそこを今夜の逗留地とした。駐車場は広い。道路を挟んでJRの列車が走っている。足寄はモチ米の町だそうで、多くの種類の大福を売店で売っていた。もちろん、餅好きのボクは迷わず購入して飲食コーナーで早速食べた。ここでもソーラーで充電して、漸く安心できる%の量となった。道路反対側の畑には小豆だろうか、広い畑がずうっと続いていた。あくる日、隣町の士別の道の駅にも寄ってみた、ついでだから。この頃、北海道では未だ夏休み前で、太平洋高気圧とモンゴルからの高気圧、プラス中国大陸の熱された空気の影響と三重の熱気で熱されて、今まで高温など無かった学校にはエアコンなどの装備が無く、学校を臨時休校にしたと報道されていた。それくらい熱い毎日なのだった。ボクもどこが涼しいかと考えて、高いところを探して、層雲峡のキャンプ場へ足を運んだ。旭川方面から層雲峡へ向かって、ロープウエイのある温泉街の手前にキャンプ場はあった。4,5キロ手前だろうか。受付に行って説明を受けたところ、入場料として800円、人数割りひとり500円、合計1300円が必要。シャワーが5分で200円という。フリーサイトに行き、木陰に車を停めて、テントは張らない。他に車が一台、バイクが一台、自転車のサイクリストがインバウンド2人。バンガローもあるから、そちらに泊まっている人の方が多いのだろうと想像した。キャンプ場を囲うように電気柵が設けられている。熊除け、野生動物除けというが、まあ、熊が主たる対象でしょうねえ。火は使えてごみの処分もできる、加えて涼しい、マアマア満足な気分でした。この日、ボクはノースフェイスのウエストポーチのバックルが破損して百均やホームセンターなど探したけれど無くて、後日、モンベルでも探したが親切な店員さんが、オリジナルのバックらしいからメーカーじゃないと無いだろうとのこと。ノースフェイスは分品の販売は行わずに、アフター部門へ現物を送りなおして返送するシステムと言う。夏の山野だから当然とはいえ、虫の多いキャンプ場だった。北海道はとにかく、アブが多い。牛アブと言うか、馬アブと言うか、家畜の飼育が多いからだろうか。気が付くと首筋を吸われていたり、足と言わず腕と言わず、肌を露出しているところは常に被害の対象になっている。チクッツと痛みを感じて初めてやられているのに気が付く。今回の旅にはキンカンを用意したのだがこれはナイスジョブでとても役に立った。刺されたら直ぐに塗り付ける。さて、明日は早朝から大雪山の黒岳へ登ろうと思って、車内のマットに上掛けも使わずにそのまま横になって、眠りについた。朝方、足の辺りが冷えて、シュラフのインナーシーツに足を突っ込んだ。
2025/08/22
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77月22、23日 22日は湖畔のキャンプ場と浜頓別の街で停滞、時間の使い方が下手なボクはすることが何もなかった。23日、朝、またソーラーパネルの充電を始める。1000Wたっぷりになるのはかなりの時間を要する。クルマのシガーソケットからはその専用コードが無いと無理、ソーラーからのみ。町のスタンドでガソリンを10Lだけ入れて、網走方面へ海に沿って走る。枝幸町の手前にパーキングがあったので寄ってみた。江差と枝幸、読みが同じ、アイヌ語の意味も同じ「岬」なんだとか。千丈岩という景勝地らしい。海岸線が浸食で残った奇岩、全国各地にみられる。公園にしてインターロッキングを敷いておしゃれにしている。この時の観光客は数人。気温がボツボツ高くなってくる。北海道は涼しいから夏にやって来るわけだが、この数年来はそうもいかなくなってきていて、鮭が取れなくなり、代わりにブリが取れているんだとか。温暖化の変化だ。岩の上を歩くコースがあってそこを歩く。千丈岩を後にして、枝幸の街を迂回してバイパスを走り、市街地は通らない。最近は何処もそうだ。街中の交通量を減らす、良いのか悪いのか?三笠山という展望台があったから、車でそこへ上がって行った。枝幸の街が眼下に見える。50年前、ボクは稚内から鉄道で枝幸まで来て、ここから遠軽まで鉄道は無くて、バスでつないだ記憶があった。今、ここに鉄道は無い。人口の少ない地域では元々、乗客は少ない。経済的な原理では成り立たない経営だから、当然のように廃線となっていく。興部まで行くとそこからまた足寄のほうへ鉄道がつながっていた。こうしてみると枝幸の街は結構大きく見える。漁業以外の産業はあるのだろうか。浜辺には畑が無いから、農業の関係産業はないだろう。さて、この建物は展望台と売店などを兼ね備えた観光客用だと思われるが、いま、営業はしていない。閉鎖されている。イベントなどが開催されることがあれば、オープンするのだろうか。投下された資本は回収できるのか・・・なんて思うのは僭越と言うもの。無論、ここへ上がってきている人間などボク以外には誰もいない。無人の観光施設。50年前に運転免許はもちろん車などある訳もなく、それでもボクは時刻表を片手に鉄道とバスを乗り継いで、オホーツクの海に沿って網走の方へ旅をしていた。バスに停留所まで畑の中の長い道を歩いたかすかな記憶がある。今は車で走るから、鉄道やバスの時刻に無頓着なままに何時でも何処でも行けてしまう。そうしてボクは次の街、雄武に入り、道の駅で車を停めて昔の駅跡を探した。線路の跡も何もなく手掛かりはなかったが、道駅の建物自体が駅跡に建っているということが判った。そうなのだ。影も形もなくなっていた国鉄の線路と駅舎。いっそ、気持ちが良いというべきか。余りのことにその建物外観を撮ったら、それでもう雄武の町は後にすることにした。興部には道の駅に国鉄の名残があった。客車を残して、無料の宿泊施設にしていた。ライダーたちに好評だとか。この日、既にここでは気温が30℃を越えていた。ホームは当時のものなのだろうか。線路もまた。良く残してくれたなあ・・・理由もなく感謝。2両のうちの一両は談話室のようになって、入ることが出来た。もう一両は宿泊施設のようでロックされていた。畳が敷いてあるようだ。先着順で宿泊できるらしい。係の方へ申し込みが必要だが・・・。願わくば泊まってみたかったが。ここではソフトクリームを買って、感謝の意を表現でした。またしても、甘いものを買っていました。
2025/08/21
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7月21日森林公園から歩いて市内へ降りて、町の外れを歩いて、再び森林公園へ戻ると、急に此処を立とうと思い立った。稚内市からオホーツクに沿って東へ向かうと、やがて住宅も無い道路の両側が畑ではない草原のような原野になる。そして間もなく宗谷岬に着く。ダ・カーポの歌う宗谷岬が流れる碑がある岬へは向かわずに、反対側の小高い丘の上に上がって車を降りると強い風が吹いていた。宗谷港も見える。ロシア領の陸地は見えない。サロベツ原野にある道の駅は立ち寄らなかった。風の強い今日のような日は、ここは吹き曝しだから、外で歩き回るのはちょっとどうかなと思った訳だが。風が無ければ椅子にでも座り、寛ぎたかったが無理な様子だった。やがて道は浜頓別へ入り、道はここでオホーツク沿いと内陸部の中頓別方面へと別れていく。此処では道の駅へ。道の駅は建て替えたばかりのた獲物らしく如何にも綺麗で清潔なものだった。直ぐ道路向かいに地元資本のスーパーマーケットがあった。ここで食料を仕入れて車中泊をすることにした。ポータブルバッテリーにソーラーパネルで充電しようと駐車場で試みたが、夕日になるころの話、弱い日差しでそれほど効果はないようだった。あくる日、クッチャロ湖が直ぐそばにあり、キャンプ場もそこにあるようなので行ってみることにした。クッチャロ湖と屈斜路湖、両方あるのだからややこしい。屈斜路湖は道東の摩周湖の方にあるカルデラ湖、ここクッチャロ湖は潅水湖、ラムサール条約に加盟している。双方ともにアイヌ語でクッチャロ(水の出口)なのだという事だ。なるほどねえ・・・此処のキャンプ場は使用量が400円、ゴミは捨てることが出来る、これはもう泊まるしかないと申し込む。直ぐ上に温泉があり、450円、これもまあ安い方だろう。入浴して着替えた。キャンピングカーが目立つ。一千万近いものを変える資力にため息が出るばかりだが、不思議に羨ましくはない。ボクはテントは出さずに車中泊をすることにした。テントの撤収が面倒くさいから。風が強くて、見ているとテントを張るのに苦労していた。晩飯を作る以外にすることもなく、一度街中へ戻って道の駅から離れた方へ行ってみるとチェーン店の大型スーパーもあったが、やはり食料品は高い。沖縄と北海道は運賃がかかるから、その分製品に上積みされているようだ。太陽が見え隠れするから、大きめの公園の駐車場でソーラーパネルを出して充電する。今度は5%ほどの充電ができた。スマホが2回、ラジオが3時間聞ける、そんな充電量だ。なんだか、バッテリーの充電ばかり気にしているような駐車中。スマホ、携帯扇風機、シェーバ、電動歯ブラシ、と、それほど使う訳でもないのだが、気になってしまう。ただ、昨年はバッテリーを持たなかったために、行く先々でコンセントを探して窮屈な思いをしたことを考えればそれがないだけ、マシ、ということになる。ウインドサーフィンをしている人もいた。気が付けば、場所を変えてソーラーパネルの日当たりのいいところへ移っていたりする(笑)しかし、ラジオの感度が悪いせいかここでは電波が入らなかった。地形で届かないこともあるようだ。相撲が聞きたかったのになあ・・・・とすこしばかり、ガッカリ。此処を立ったら、オホーツク沿いに興部までは行ってみようと思うが、そこから網走までは海沿いにはいきたくないと思う。気温が30度を超えているから、北海道なのに。
2025/08/20
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7月18日。音威子府の道の駅は中頓別へ行く道と稚内方面へ行く道の分岐するT字路の真ん前にある。稚内方面へ向けて別れると直ぐに天塩川の橋を渡る。歩いて橋の上まで行って川面を覗いてみた。魚影は確認できなかったが豊かな水量を見ることが出来た。音威子府、アイヌ語だと思うけれど、どんな意味があるのだろうか。小学生の頃に「コタンの口笛」という小説を読んだ記憶があるが、内容は見事に忘れている。ネットでググればすぐに出て来るけれど・・・この橋を渡り、森の中を天塩の川に沿い稚内方面へ走っていく。やがて、無料の自動車道に乗ると稚内はもうすぐそこだ。稚内は何度か行っているがいつも港の周囲だけだった。稚内駅もそこにあるから。だが、音威子府のほうから市内に入ると、港の周囲とは異なったごく普通の街の郊外風景を感じた。どうもボクの中には、最果ての地と言うイメージが染みついている稚内なのだった。ドーム型防波堤の方にある港の緑地は行き止まりになった道路が車中泊のポイントになっているらしいが、何だか馴染めずに、探して、稚内森林公園のキャンプ場を見つけた。此処の駐車場で車中泊すれば、火を使えるし、ごみの処分もできて、その上無料だ。早速肉と野菜を炒めてタンパク質を補うこととした。小さなスキレットで炒めるが、こぼれてしまいそうだ。半分はタッパーに入れて次の食事に回す。ピーマンは生でも食える。今回の旅では結構生で丸ごとかじった。種も食べる。駐車場から一段上がった樹林の中、芝地の上にテントを張るようだ。ここ数日北海道のお天気は良くない。この日も曇っていて、小雨がパラついていた。トイレもキチンとあるし、毎日係の人が掃除に来ているようだった。駐車場には車中泊の車が多いようだ。ターフだけでもしのげるかも知れない。キャンプ場から戻る様にしていくと、公園があって市内が見下ろせる。お天気が良ければ樺太が見えるか?いや、それは無いだろうなあ。樺太からソ連軍に追われて命からがら逃げて来た人や、最後まで残った交換手の悲劇などを偲ぶ像とモニュメントが建っていた。野生のシカが堂々と逃げもせずに公園の芝地で草を食んでいた。誰かが、鹿が十万頭、熊が一万頭と言っていた。キャンプ場には3泊したが、一度だけ歩いて山を下りて市内へ行ってみた。真っ直ぐな道路が歩いても遠く感じられて疲れてしまったようだった。山の日と重なった連休だったこともあってか、駐車場があふれた日もあった。ただ、気温は20度台で涼しくてこれだけでも来た甲斐があったと思えた。自分たちがジビエの供給源だとは思っていないだろう鹿。まるで奈良公園の鹿だ。フェリー乗り場のそばにある100円シャワーにはいり、そこのコインランドリーにもお世話になった。名残惜しいけれど、何時までも稚内だけにいる訳にもいかないし次の宿泊地を探して出立しなければならない。どこへ行くかはその時に考えて決めている。取りあえず、次は宗谷岬へ向かおうと思う。今回は礼文島にも利尻島にも行かない。
2025/08/19
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小樽に戻り、静かな公園で休みたいと思い、山の方に上がった公園の駐車場に車を停めた。金網の柵の向こうにあるグランドが雨が上がって来て、白い水蒸気を上げながら乾いていく様は見事だった。公園の四阿で休んでいて、許されるならこの公園で車中泊をしたいと思わされた。無論そんなことは不審者として扱われるだろうと思えば無理な話だが。暫く居て山を下り、市内の日帰り温泉「オスパ」へ。850円は高いなと思いながら。温泉を出てから、今夜の宿泊を求めて北上する。狭い道をナビの指示で通り、広い片側3車線に出てまるで高速道路のようなスピードで走る。80KMくらいだと流れに合わず追い抜かれ続ける。やがて当別道の駅に着く。ここは札幌の圏域らしく広いが混んでいる。広い畑の真ん中にある広いパーキングを供えた道の駅だった。道の駅の建物の後ろには農家のビニールハウスが建っている。暫く石狩川に沿った道を走っていく。北原研二の石狩エレジーの今や懐メロが頭の中で流れて居る。月形町の道の駅とキャンプ場などの複合施設のそばを通ったから寄ってみた。蛇行した石狩川が残した元の流れが沼のようになったほとりにキャンプ場があって、いいロケーションだった。ここへたどり着いたのが夕方だったら躊躇なく泊まっただろうと思うような風景だった。囚人の監獄として開発された歴史の町、その政府側の元締めの名前からとった町名だとか。さて、結局ボクは稚内へ向かっているようだった。昨年通った道は通りたくないと思っているが、いつの間にかその道を辿っているようだった。北海道にいるうちは車の冷房は切ったまま、窓を全面開放して走っているが、その開放した窓から虫や蛾が飛び込んでくる。この時は,虻かと思っていたらスズメバチだった。直ぐに出ていくかと思ったら、窓枠にしがみついて出て行かない。仕方なく、片手でハンドルを握ったまま、片手で殺虫剤スプレーを握り吹き付けた。80KMで走る車だから、視線は前に向けていないと危険極まりない。ところが、スズメバチはボクの方へ向かって飛んで直ぐ傍に落ちた。慌てて車を脇道へ入れて止め、ハエ叩きで外へ放り出した。普通の殺虫剤ではなかなか効かないが、それでも今回は効いたようだった。これで刺されてたらシャレにならない。そんなこんなで、昨年雨竜沼へ登った雨竜町へ入り、見たことのある風景だと気づく。その隣町の北雨竜町(なんで似たような名前つけるんだろう?)、ヒマワリの観光畑告知を見て寄ってみた。もう、売店は営業をしていなくて、イベントは終わっていたのだろうか。駐車場もガラ空きだった。ヒマワリも散り始めていた。花が太陽の方を向いて咲くから、右へ倣え、みたいな一様性がちょっと気味悪い。順序が逆転したが、ここへ来る前に、滝川を経由している。ここは幌加内の道の駅。何故か、あまり記憶にない。ここから音威子府へ向かう。音威子府も昨年通過していた。中頓別から音威子府へ出ていた。音威子府の道の駅は管理棟が閉鎖されていた。委託管理が打ち切られて新たな管理者が決まるまで閉鎖。だが、トイレは解放されていて、それも極めて清潔で綺麗だったから、ここで車中泊した。駐車していたのはボクの一台だけだった。朱鞠内湖で車を停めて湖を覗く。朱鞠内湖は士別市に属するらしい。森に囲まれてよく見えない。この湖のほとりにもキャンプ場があるようだ。広い畑の大平原も北海道なら、深い森の中の直線道路もまた北海道だ。
2025/08/19
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7月16日早朝4時、フェリーは小樽港に着いた。今年は自分の愛車に迷うことなく辿りついて、下船できた。早朝のこと、行く先も限られるが、運河の観光は昨年済んでいるから、波止場で釣りをしている地元の太公望でも見物して時間を潰そうと行ってみたが、ほとんど人はいなかった。仕方なく、車のナビに積丹岬を入力して走らせる。某ウイスキーメーカーで有名な余市だが、アルコールを止めた今のこの身には全く魅力的ではないから、工場見学も関係ないし、魅力的とは言えない。素通りして、道はいよいよ海岸沿いの崖っぷちを行く。お天気はあまり良くないなか、暗い海に沿って走っていく。積丹の神威岬はゲートが閉まっていた。AM8:00に開くという看板表示に、通り過ぎたパーキングにクルマを入れた。このパーキング前の道路は半分封鎖しての工事中で、パーキングにも入りにくい状態だった。泊まっている車はみんな工事関係者の車で一般車はいない様子だ。ハマナスが咲いている植込みのような叢の向こうに岩だらけの海岸線が見える。海とは反対側の方を見上げてみるがガスっていてはっきりとは見えないが、積丹岳と言う山があるらしい。駐車場のトイレに行ってぼーっつとしている間に雨が降り始めて来て、車に戻るのに濡れそうで雨脚が弱まるのをじっと待ったが強くなるばかりで、戻る機会を掴めずしばらくオートドアのトイレの入り口わきに佇んでいた。けれども一向に止む気配はなくて、結局は濡れて車へ戻ることとなった。神威岬のゲートが開いただろうと戻ると表示通りに開いていた。ゲートから少し入ると舗装された駐車場になっていて、売店のような建物が一棟建っている。此処に車を置いて、徒歩で笹の中に見える踏み跡を辿り、岬の突端方向に行けるようだが、強い風と雨の中ではそんなことはしたくはない。売店は未だあく気配はなく、駐車場へ入って来る車は、状況を見て、直ぐに戻って行ってしまう。ボクも間もなくそうしてここを去った。この日から数日後のこと、ここへヒグマが現れたということで岬への通路にロープが張られて立ち入り禁止となってしまった。無論、この売店も営業中止となった。今年、熊注意報がでたほど、北海道は例年になく人の生活圏内にむやみやたらに出現している。この後も方々で熊のニュースに遭遇して溜息が出た。幸か不幸かボクは一度も熊には出くわさなかったのだが、まあそれは幸の方だと思っておこう。雨のお陰で積丹岳に登ろうかと言う希望は封印して、この後、道を戻り北へ進路をとった。
2025/08/18
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熱射病になってしまいそうな異常な暑さがやって来て、どうにも我慢できなくて逃避することにした。昨年、北海道に一か月ほど行っていて、その時には来年は来ないだろうと思っていたのだが、暑さには負けてしまい、簡単に見通しを変えた。昨年は物忘れの激しいお年頃の結果、部分義歯を忘れて出掛けてしまい、子供に稚内の局留めで送ってもらったりしたことを思い出して、今年は忘れ物の無いように気を付けたつもりだったが、どんなに気を付けても忘れるから、忘れ物なのだと胸の内で思う。太平洋のフェリーは高いので、日本海側のフェリーを使うのは今年も同じだ。ただ、この日は台風の影響で太平洋側は欠航していて、乗客は日本海側に回ったなどと聞く。夜の下道を新潟に向けてR17を走る。川越から、東松山に出て、熊谷、深谷、を経て群馬に入る。三国峠からプリンスホテルの前を通り、湯沢。小千谷のパーキングで仮眠をとり、新潟市内に入ると、朝の出勤ラッシュにはまり、渋滞でイライラ。フェリーターミナルに入り、車を行列に入れて、受付のある建物へ入り冷房の効いた中で時間待ちだ。フェリーの船体はでかい、何トンあるんだろうか?14:00発なのに、11時半には乗船が始まる。乗船すると車を置いた場所を確認する。昨年は何も気を付けずにいて下船の際に広い車載スペースのどこに置いたかわからなくなって、かなり焦った記憶が蘇る。乗船すると手荷物だけ持って指定のカプセルホテルのようなベッドに向かい、荷物を置く。その後ロビーへ戻って椅子に腰を下ろして出航を待つ。船内には風呂もあり、航行中に入浴する人は多いが、ボクは入らなかった。明朝AM4:00小樽着を目指してフェリーは夜の日本海を滑っていく。
2025/08/18
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