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船内での生活も今日で9日目になり、ようやく何階のどこにどんな場所があるかもわかってウロウロせずにすむようになった。毎日見えるのは果てしない海と360度の水平線だけなのにまったく見飽きるということがない。その間一艘の船も見かけたことがなく、太平洋はただただ広いのだ。気候は全くの夏。たまにスコールが来るので虹が出たり、左舷に出れば日の出、右舷からは日の入りが毎日眺められると思いきや、これが実は簡単ではない。ハワイで経験済みだけれど水平線上には雲があることが多いので、パーフェクトなサンセットやサインライズがなかなか見られないのだ。太陽が真っ赤な頭を出したところは見えてもすぐ雲の中にかくれってしまったり、夕日の時間は丁度夕食時と重なっていてデッキに出られない。だからまだ一度も写真に撮ることが出来ずにいるが、まだまだ時間はたっぷりあるのできっといつか撮ることができると思う。日本ではどこにいても毎日必ず何度かは手に取る財布と手帳と携帯電話がここではまったく用がないのでずっとしまったままで、いつかその存在すら忘れている。乗船時にクレジットカードを登録した顔写真入りのIDカードをもらい、船内では全てそれで用が足りる。真っ先に買ったのがパソコン用のプリペイドカード。これが100分で4200円ととても高いのでつなぎっ放しには出来ない。だからこのブログも部屋で書いたものをコピペしている次第。いろいろな人と話すうち、どこかに何か故障のある方が多いこともわかって来た。糖尿病で毎日3回インシュリンを打っている方、車椅子の方、杖を2本ついて歩いている方、足を引きずって歩いている方、難病の方、難聴の方などなど。でもみなさんに共通しているのは、それを愚痴ることなく積極的にいろいろなことに参加していること。89歳という最高齢の方も絵を描いたりいろいろな勉強をしたりとてもポジティブだ。「トシだから」なんていう人は誰もいない。さすがピースボートに乗る人たちだけある。以前は南極コースに100歳の方が参加なさったそうだ。そうかと思えば南極上陸の朝急逝された方や、明日横浜に帰港するという日に亡くなった方があったり、出航するお母さんを見送った後、家に帰る途中交通事故で亡くなった娘さんのことなど、何回も乗っている人の話は沢山のドラマに満ちている。船での生活は非常に健康的で、3ヶ月の間に知らずに肥満が解消したという人が多く、中にはうつ病が治ったという人もいる。私はと言えば毎朝6時に起き7時にはデッキで気功。7時半朝食。11時半からピラティス。昼食の後は何かしらの自主企画に参加して忙しく、その度広い船内を歩きまわるので、家にいる時よりよほど運動している。(この時期はほとんどコタツから動かないから)夜も「揺りかご効果」もあってぐっすりと眠れる。大きなニュースは文書で張り出されるが、テレビも新聞もないから日本で何が起きているかさっぱりわからないけれど、たまにはそれもいいかもしれない。この3ヶ月間は浮世を離れることにしよう。
2011年01月31日
乗船した翌日はさっそく避難訓練。緊急信号を合図に部屋にある救命胴衣を身に着けて指定された場所に集まる。船の横に吊るされた救命ボートはそれほど大きく見えないが一艘が135人乗りだと言う。それが10艘あるのだから乗員乗客合わせて1000人あまりの人数には十分ということだ。夜は最初の船長主催のフォーマルディナーとパーティー。ずい分前。クルーズと言えば地中海とかカリブ海を1週間くらいでまわるのしか知らなかった頃、いつかそういう船に乗ってフォーマルなパーティーに出てみたいと、その時のためにハワイで買ったドレスがずっとタンスの中で眠っていたけれど、それにようやく出番が来た。肩ひもだけのシンプルなストレートの白いドレスにキラキラ光る糸ですけすけに編んだ半袖の上着がついているのだが、首のところがちょっと寂しいのでインドで買った白と金色の混じった長いストールを二重に巻いて両端を後ろへ垂らしてみたらピッタリ。「とてもきれいよ」と褒めてくださった方もいてニンマリ。食事はいつも半分ずつの人数にわかれるのだけれど、それでも350人が正装で集まるとかなりの壮観。中にはまったく平服というおじさんや若い人もいたけれど、子どもの頃からしつけられている西洋の文化とは違うから仕方ないか。ピースボートだからタキシードまでは要らず背広でOKなんだけれどね。こうしたディナーはこれからも数回あるそうだ。ディナーの後は船長のご挨拶のあと、各部署のトップの方たち十数人が紹介されたが、ほとんど全員国籍が違う。日本人はシェフとお医者さんだけだった。クルーは全員で300人、30ヶ国からの人たちだそうだ。25日の夜はSandi & BunBun のライブ。先ずはサンディーさんの朗々たるチャントで始まり、お弟子さんによるカヒコ、アウアナ、タヒチアン。今回はサンディーさんは踊らず専ら歌い手さんとして、時にパーカッションもやりながらBunさんのカリンバとギターやウクレレの高橋jr.さん(是清氏の曾孫)と一緒にたっぷり3時間の熱演だった。テーマは「今ここに生きる」。まさに私たちがキーワードにしている言葉だ。Bunさんとは思いがけず何年ぶりかの再会でビックリした。何年も前に北軽井沢でタイマッサージの「常世」が行なった満月ライブで奏でたカリンバを聴きながら庭園に張られた御簾の中でマッサージを受けるという贅沢な思い出があるのだ。彼の手作りのカリンバも持っている。彼はもう7回もピースボートに乗っているそうで、今回知っていればカリンバを持って来たのに事前には知らされなかったので残念。でも、ご挨拶したら「ああ、あのカフェの」と覚えていてくださったのでうれしかった。
2011年01月29日
1月29日。横浜を出てから今日で6日目。船はひたすら南に向かって走っている。濃紺の海に白波をけたてて走ると白い泡の下はきれいなエメラルドグリーンで、いくら眺めていても飽きない。速度は車で言えば時速40キロほどらしいが、私には50キロくらいに感じる。360度どこを見ても水平線と言う体験は初めてで改めて地球の大きさを感じている。でも水平線には雲が湧きやすいのでなかなかパーフェクトな日の出や日の入りを見ることが出来ない連続3日間時計の針を1時間進め、明日はいよいよ日付け変更線を通ることになるが、面白いのはそれを決めるのは陸とは違い船長が決めるのだそうだ。それで1月30日が2回続くことになる。昨日からさっそくサンディーさんのフラレッスンが始まり、大勢の人が参加する。Aloha Chantを唱えるところから始まって最後はアチューンメントで終わるいうチャント(!)したやり方で、踊って見せるのはお弟子さんだけれど彼女のイプを叩きながらの歌に合わせてというぜいたくなレッスンだ。でもほとんどが初心者なのにいきなりPua Lililehua というレレウベヘやカオなど難しいステップから始まる曲というのはいかにも酷。しかも絶えず揺れている床の上で踊るのは至難の技だ。1時間のレッスンで汗びっしょりになってしまった。昨日からは有料プログラムの「ピラティス」や英語やスペイン語のクラスも始まり、さまざまな自主企画も盛んだ。社交ダンス、囲碁、麻雀、ストレッチ、短歌、川柳、歴史講座、編み物、コーラス、太極拳などなど盛り沢山でまさに動くカルチャースクール。そのどれもが無料なのだからありがたい。私も朝デッキでの気功を始めた。いづれ折を見てセクレッドダンスやDVDでの映画鑑賞会などもやってみたいと思っている。
2011年01月29日
1月23日(日)横浜港大桟橋に10時過ぎに着くと、スーツケースを持った人たちが次々集まって来る。日曜日とあって見送りの人も多くあちこちで歓談の輪が広がっている。私にも何人もの方たちが見送りに来てくださり感謝感激だ。みんなとハグをして名残りを惜しみながらチェックインをすると、空港のような荷物検査と出国窓口があり、そこを出たところで税関の職員がさっと荷物をカートに載せて船の入口まで運んでくれる。そこで荷物は英語クラスの外国人の先生たちにバトンタッチされて中へ、そして更にピースボートセンターのスタッフが部屋まで運んでくれる、というように至れり尽くせり。部屋は10月に見学した部屋よりちょっとグレードアップされている5階のシングルルーム。6畳ほどの広さの両側の壁にシングルベッドが一つずつ並んでいて、それぞれの横にドレッサーとクローゼット。突き当たりのドアを開けた所が洗面所で左にシャワー、右にトイレがある。シャワーはアメリカ式の固定ではなくハンドシャワーなので助かる。フィンドホーンのシャワールームとそっくりだ。シャンプーやボディジェルや物干し用のヒモもあるが、洗面台に排水口をふさぐ蓋はないので、洗濯用にお風呂のプラスチックの洗い桶を持って来たのは正解。出航時間の少し前に行くともうデッキは人でいっぱい。ようやくいちばん前を確保して見送り人たちをさがす。こういう時こそ携帯電話が大活躍だ。まわりの人たちもみんな携帯でしゃべっている。テープも配られているが場所を離れるともう戻れないし、私の力ではとうてい届きそうもないのであきらめ、手を振るだけにする。乗客だけで約700人だから見送りの人たちもものすごい人数。プラカードなど用意して来ているグループもいて送るほうも送られるほうも大興奮状態だ。色とりどりのテープが飛び交う中で汽笛がボォーッと3回鳴っていよいよ出航。ゆっくりと船が動き出すと何だか涙が出て来た。ここで「蛍の光」など流されたらたまらないと思ったら、それはなくてよかった。それまで大声で「行って来まーす!」「ありがとう!」などと叫んでいた周りの人たちもみんな黙ってなんとなくしんみりとしている。船はどんどん港を離れ、見送りの人たちの顔も見えなくなってしまったので部屋へ戻り、荷物の整理をする。(ハンガーの数が少ないので針金ハンガーを沢山持って来ればよかった)船はゆっくりと左右に揺れているのでまるで揺りかごに揺られているようで眠くなってしま、オリエンテーションの間も居眠りばかりしていた。この動きに逆らうと船酔いをするので「自我」の強い人ほど酔いますよ、とはスタッフの弁。やはりここでも「おまかせ」「流れに乗る」がキーワードだった。それは私の得意技だから酔うこともなく、歩く時によろけそうになるのさえ気をつければ大丈夫とわかって安心する。揺れていなければ大きなホテルの中にいるような気分だ。食事は朝と昼が和洋のバイキングで夜はテーブルでボーイさんがサーブしてくれる。料理は比較的野菜が多く、味も中の上のファミレスくらいだし、パンはなかなかおいしい。ご飯も美味しく炊けているので3ヶ月間3度3度の食事はまあまあ大丈夫そうだ。脂っこいものや肉類は少ないので、これに毎日の階段の上がり降りが続けばうちにいる時より健康的かもしれない。ピラティスのクラスも申し込んであるので、帰る頃はすっかりスマートになっているかも。乞うご期待。乗客は10代20代が40%、60代以上が40%で残りがその間の年代だそうだ。そして全体の80%が一人参加だそうだが、年配のご夫婦連れもかなり多い。ビックリしたのはリピーターが多いこと。今朝一緒のテーブルで食事した方も2回目、3回目、6回目の方たちだった。毎年乗っている人も多いそうで、年齢も100歳の方が南極周りのに乗ってらしたという話を聞いてほんとに驚いてしまった。(今回の最高齢は89歳)私ももう一回くらい行けそうかな?
2011年01月24日
ピースボートに乗ろうと決めたのは丁度10年前。 一生に一度は世界一周をしてみたかったので、決めたらすぐに10年満期の簡易保険に入った。もし十年経っても元気だったら満期になったお金で行こうと思ったからだ。 そして無事10年が過ぎ、昨年の秋に満期となったわけ。 それでいよいよ明日の午後2時、横浜の大桟橋から第72回ピースボートが出航する。期間は83日間、上陸する国は17ヶ国。 http://www.peaceboat.org/cruise/1101/index.html 船を降りて飛行機で移動するオーバーランドツアーがいくつもあるので、日本からのツアーがあまりないアフリカのサファリ11泊というのを申し込んだらすでに満席だったので、イスタンブールとエジプトのピラミッドへ行くのに申し込んだ。 3月23日の誕生日は丁度ピラミッドをながめながら迎えることになりそうだ。 最初の陸地はタヒチだが、そこまでは横浜からずーっと12日間海の上。 全く初めての体験なのでいったいどうなることやら。 小さな船での船酔いの経験はあるのでちょっと心配。 でも楽しみは、かの有名なサンディーさんがタヒチまでは乗船されて、無料でフラやタヒチアンダンスのクラスがあるということ。 私も「自主企画」の一つとしてセイクレッドダンスを申し出ているので、その12日間のうちのどこかですることになっている。 700人の方たちと3ヶ月間一緒の船での旅行の初めにセイクレッドダンスはみんなが仲良くなるのに打ってつけだと思うのでとても楽しみ。 今からあのギリシャの「コス島」のメロディーが頭の中で鳴っている。 今夜は新宿で読書会やフィンドホーン関係の方たちが壮行会を開いてくださるそうなので嬉しいけれど、何年も留守になるわけではないのになんだかちょっと気恥ずかしい。 船の上はけっこう忙しいらしいしインターネット代も高いのでどれくらいブログが書けるかわからないけれど、せいぜい頑張りまーす!
2011年01月22日
昨年8月22日のブログに「ママと、おなかの中からお話しできたよ」の本とその音楽劇について書きましたが↓ http://mixi.jp/list_diary.pl?year=2010&month=8&day=22 その公演が1月28日(金)に六本木で、2月26日(土)に杉並公会堂でありますので、ぜひどちらかに足をお運びください。 詳細はそれぞれのサイトをどうぞ。 1月28日(金)http://ameblo.jp/mana-loa 2月26日(土) http://tsumugi-taiwa.com/default.aspx (もし一回で開けなかったら2回目をトライしてください)お知り合いに妊娠中の方がいらしたらぜひ教えてあげてください。
2011年01月19日
昨日の天気予報では日本列島のほとんどが雪マークだったので覚悟はしていたけれど、昨日午後から降り出した雪が夜じゅう降ったらしく、朝起きたら一面の雪景色だった。 葉の落ちたからまつの枝に雪が積もっている眺めは私の大のお気に入り。 庭の表面もなめらかな雪原となり、凍った氷面に太陽の光が当たって赤、青、オレンジ、緑とキラキラ光りまるでダイヤモンドを撒き散らしたようで美しい。 掘りコタツでぬくもりながらこの景色を眺めるのが私の冬の楽しみ。 今日は幸い出かける用事がなく、船に送る荷物を宅配屋さんが取りに来るだけなので1日中のんびりすることにしよう。
2011年01月16日
1月5日から今日まで東京や逗子に滞在していたが、何だか私のまわりがずっと「喜び」のエネルギーに包まれていたような気がする。5日の夜都立大のパーシモンホールで行なわれたギャザリングには30人ほどが集まり、ダンスやゲーム、歌やシェアリングで楽しいひとときを過したが、みんなでエンジェルカードを引いた後私が代表してその日のグループエンジェルを引いたら「JOY」のカード!まさにその時から「喜び」のエネルギーが私のまわりに渦を巻き始めたのだ。翌日6日は、いつも読書会にお母さんと一緒に来てくれている看護師のヒロミさんが川越の駅のそばに念願のヒーリングサロンをオープンしたので、さっそく私も「レインドロップ」という背骨の脇に精油をたらすヒーリングを受けに行って来たけど、とても気持よくてうっとり。女性らしい柔らかな色調のとても素敵な、いるだけでリラックスしてしまうサロンに喜びにあふれたヒロミさんの笑顔があった。http://amara-flowertone.com/(お問い合わせ先:info@amara-flowertone.com)8日は谷中の娘の家でトランスフォーメーションゲーム。夕方終わってからも何時間も時を忘れての語らいがみなさんにとっても楽しいひとときだったらしい。9日は逗子の親友まみさんのサロン「ワイオラ」で久々のマッサージを受け、終始夢見心地でそのままお泊り。http://homepage3.nifty.com/wai-ola/10日は同じ「ワイオラ」で山川亜希子さんのお話し会と葉山のHiloさんのアフリカンハープ「コラ」のライブ。亜希子さんのパワフルで楽しいお話とコラの美しい調べに30人を越す人々の喜びのエネルギーが一つになって部屋中に満ち溢れていた。そして11日も「ワイオラ」でトランスフォーメーションゲーム。これがまたすごかったのだ。予定時間より30分遅れて始まったのに、終了時間より早くに全員が最後のスピリチュアルレベルまで行き、そのうちの二人は上がってしまったのだ。あとの二人もあと一息と言う所まで到達していてみんな大喜び。私も10年間で百数十回はやっているこのゲームの中で初めてのことだったのでびっくりすると同時にとても嬉しかった。そして最後の締めくくりが今日の読書会。今日も20人以上の方が参加してくださって、いつも通り活発なシェアリングが行なわれ、近くのパブに2次会の席を移してからも賑やかな談笑が続いた。私は2,3,4月とピースボートに乗るので欠席することになるけれど、皆さんからの暖かいメッセージや握手やハグをいただいたので「JOY」のエンジェルと共に元気に23日に出発出来そう。このエネルギーはまだまだどこまでも続いて行きそうだ。
2011年01月12日
大晦日の日、東京の次女と友人Mさんがやって来た。 Mさんは以前フィンドホーンへ行ったグループの中の一人で、それ以来お正月をうちで過したりハワイにも一緒に行ったりして、娘や息子夫婦などとも親しくしている友達。 夕方3人で近くの温泉に行き、マッサージを受けていい気分で帰宅し、知り合いからいただいた年越しそばで夕食を、と準備を始めた時、突然Mさんが身体を二つ折りにして苦しみ始めた。 か細い声で「救急車を・・・」と言っている。 息も絶え絶えに背中が痛い、とも。 つい5分前に車を降りる時まで何でもなかったのでビックリ! いったい何が起きたのかさっぱりわからずパニクる私。 急いでいつも親しくしている看護師のNさんに電話をすると、症状から察して「腎臓結石かも」とのこと。すぐ救急車を要請したほうがいいと言われて119番をした。(母の時以来15年ぶり) こういう緊急事態の時には本当に心強い。 東京では2,3分で来る救急車がここではそうすぐには来ない。 待つこと20分ほどでピーポピーポという音が聞こえて来た時はホッとした。 行く先の病院名がわかったのでNさんに報告し、娘と二人で救急車の後を追う。 病院ではすぐ痛み止めの点滴。そしてレントゲン、CTスキャン、検尿の結果が出るまで待合室のコタツに入って待つ。重苦しい沈黙。 その間にも気分の悪くなった女性や、腹痛を訴える子どもなどが家族に付き添われてやって来る。 3時間後、どうやら「尿管結石」らしいとの診断が下され、取りあえずこの晩は入院ということになって私達は帰ることとなった。 いつもカウントダウンの直後に電話をくれる沖縄の息子たちから電話がかかって来たのは帰りの車の中。つまり、私達は雪道を走る車の中で年を越したことになる。 家について、文字通りの年越しそばを食べたのはもう1時を回っていたと思う。 こんな田舎の病院のベッドでたった一人で年を越すMさんがかわいそう 翌日は元日。近所の神社へ初詣をした後病院へ行くと、すっかり痛みもおさまったらしく元気そうなMさんがいて一安心。 東京の病院への紹介状とレントゲンなどのフィルムをいただいて一応退院する。 夕食は消化のいいものをと彼女にはおじやを作り、私達は近所にお家を新築したFさん夫妻も交えておせち料理とキムチ鍋でみんなで夕食。 すっかり元気になったMさんに安心して床についたが、さあ、大変! 又もや夜中に痛み出したのである。 どうやらホカロンを腰に貼ったのがよくなかったらしい。 前日の温泉もそうだが、暖まったことで石が動いたためらしいのだ。 今回は車に乗り込むことは出来たので娘が病院まで送ることになった。 そしてまた再入院。 今日になって治まったので退院し、うちで少し休んだ後予定通り夕方のバスで東京へ帰って行った。 でも時限爆弾を抱えているようなものなので今後が心配。 「暖める」ことに気をつけて、早く石が出てしまうことを祈るばかりである。
2011年01月03日
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