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ここのところ暖かい日が続いている。ここに住んで10回目の冬だが、こんなに雪の少ない年は初めて。道路はすっかり乾いており運転に気を使うこともない。寒くなり始めたのも初雪もいつもの年より早かったけれど、雪の降る日は少なくその量も極端に少ない。去年も一昨年も一晩で60センチくらい積もったことがあったけれど、今年は1回に積もる量が数センチなので、まだ雪かきをしないで済んでいる。その分が全部山の向こうの新潟に降ってしまったのかも知れない。新潟から毎月、半月だけ近所に来ているみっこちゃんの話では、新潟の冬の空はいつも灰色とのこと。雪の降り方も半端ではなくいつも3メートルは積もっているそうで、それが又重い雪なので屋根の雪おろしをしないと家がつぶれてしまうと言う。今年の大雪では大勢の方が亡くなったりしてほんとうに大変なことだ。東北や北海道地方の方々も雪との戦いは毎年ご苦労だろうなあと思う。毎夏台風に見舞われる九州地方、よく水不足になる四国の方々、すでに亜熱帯と化している東京や各地の大都市など、それぞれに気候に悩まされることはあってもその季節が過ぎれば又元気になって日々を送り、気候のために住まいを移す人は少ない。やはりそれぞれの土地への愛着が強いのだろうと思う。重い雪が降る場所はそれだけ気温は低くないということ。この辺の雪は3月に入るまではサラサラのパウダースノーだから屋根に傾斜をつけておけば時々雪崩となって滑り落ち、雪下ろしの手間はいらない。その代わり去年までは東は大屋根から落ちる雪で窓の外にヒマラヤ山脈が出来、南にはマッターホルン、北にはモンブランが出現していた。それで今年はお店の南側に屋根付きのウッドデッキを作って通り道を確保したのだが、皮肉なことに今年に限って雪が少ないのだ。でもそこからじかにお店に入ることも出来るようになったのでとても便利。標高1100メートルの外気温は昼間でも氷点下になることが多いが、家の中は暖かい。ずっとお天気の日が続いているので、昼間は部屋いっぱいに太陽の光が差し込みストーブをつけなくても大丈夫。掘りごたつだけあれば十分でそれだけでも暑がりの私は時々スイッチを切ってしまうほどだ。もうじき立春。このまま春になってしまうのだろうか。それとも2月に入ってから本格的な雪の日が来るのだろうか。
2006年01月29日
20日から長野県の別所温泉近くにある女神山ライフセンターでのイアン&ロージー・ターンブル夫妻のリトリートに行って来た。お二人はフィンドホーンにもう24年も住んでおられ、ご主人のイアンさんは地質学者で建築家。彼が廃棄物を利用して作ったフィンドホーンのネイチャーサンクチュアリーは造形的にもとても美しく、高いエネルギーに満ちた建物だ。地質学者としてカナダで名声も地位もあった彼が、たまたまお母さんの故郷であるスコットランドを訪ねた折にフィンドホーンに立ち寄り社会的な成功よりもここのほうが自分らしく生きられると移住を決意。当時5歳と4歳と7ヶ月の赤ちゃんを抱えたロージー夫人は夫の決断を信頼し、それに従って移り住んだとのこと。そのお二人がファシリテートするリトリートはダンスと歌とゲームと瞑想が主な内容。それに参加者全員のシェアリング。そして心をオープンにするのに有効なエクササイズもいくつか。参加者は24人で遠くは北海道や東北、関西、中部からもいらしていて年齢も職業もさまざま。中にはガンを抱えた方も何人かおられた。ガンをご自分で治してしまった寺山心一翁先生も参加者としていらしていたし、毎日が中身の濃いそして楽しい時間に満ちていた。私がお誘いした方たちは主に読書会にいらしている方たちだが、フィンドホーンのこともあまりよくご存知なく、こうした集まりにも行ったことがない人ばかり。その方たちが揃って「来てよかった!」と言って下さったことがとても嬉しかった。いろいろな人たちと話をし、きっとこれまでとは違う人間関係が築けたに違いない。自分を正直にさらけ出せる安心出来る場所があることを知ってきっと世界が広がったと思う。みんなよく泣いた。感動の涙、嬉しさの涙、固く閉じていた心の扉が開いて行く涙、長いこと抑えていた感情が開放されて行く涙。ティッシュがみるみる減って行く。こればかりは参加してみなければ分からない素晴らしい体験だ。それを少しでも紹介出来てよかった。それもこれもご夫妻のお人柄のお陰。こんなに慈愛に満ちて暖かく、優しくて謙虚で無邪気でユーモアがありしかも素晴らしく知的な方たちを私はほかに知らない。皆さんに私が心から尊敬する大好きなご夫妻に会ってもらえて本当によかったと思う。そして一夜明けた今日は初めてお二人が我が家を訪ねて下さる日。昨日は東京は大雪だったらしいがこちらは快晴だったのに、夜から降り始め、朝も吹雪が舞っている状態。ご夫妻に会いたいと集まる予定の方たちのうち5人も雪のために来れなくなってしまった。それでも泊りがけで来てくれた友達も含めて20人が来てくださり、暖炉の前でセイクレッドダンスやテーゼ(歌)や瞑想を楽しんだ。その中の6人がすでにフィンドホーンへ行っていて、これから行く人も何人か。今日中に東京へ戻らなければならないご夫妻と通訳のマリリーナ(愛称)を息子が駅までお送りして、途中「とんぼの湯」で温泉体験もして頂いた。広い浴室や大きな露天風呂をとても喜んで下さったとのこと。ほんとうに嬉しい一日だった。又31日には東京の会でお会い出来るので楽しみ。忙しい中立ち寄って下さったお二人と主催のマリリーナに感謝。ほんとに素晴らしい時間をありがとうございました。
2006年01月23日
15日の我が家での読書会のテーマはタイトル通り。「まなじりを決して仕事に立ち向かったり、愛も喜びもなく自分に仕事を強いたりせずに人生を楽しんではいかがですか」そのほうが仕事の完成度は上がりますよ、という内容だった。まるで自分のことを言われているみたいだ、とうなっていたお父さんもいたけれど、真面目で勤勉が金科玉条の日本人(特に男性)にとってはまさにそうなのだと思う。「仕事」がいちばん大事なことで全てに優先し遊んだり楽しんだりするのは怠けていることと同意語で恥ずかしいこと、非難されることで、楽しい思いをするのに罪悪感まで伴ってしまうのが大方の日本人なのではないだろうか。有給休暇は「取らないのが当たり前」だし、もし取ったとしても平日に家にいたり、遊びに出かけようものなら近所からヘンな目で見られるという。「カローシ」という言葉は日本語にしかないから、今やスキヤキ、ジュードーなどと並んで立派な世界語になっているそうだけど、これって何だか恥ずかしい。仕事、仕事で休日出勤も当たり前、家族との会話も食事の時間もないまま定年を迎えたら、待っていたものは家庭の中での孤立感、熟年離婚、燃え尽き症候群、果ては認知症というのではあまりにも悲しすぎる。こういう国民性だからこそ戦後の復活も早かったし経済成長も成し遂げたのだというお説もあると思うが、その結果が今の社会。いつもいつも時間とお金に追われ、人と人との信頼関係は薄くなり、余裕のない心、モノやお金はあってもそれが幸福感や満足感につながらずいわれなき不安や恐怖で人生を楽しめないでいる。中には仕事そのものが楽しくて、楽しくてという人もいると思うが、やはりそれだけでは人生の彩り、深み、豊かさ、味わいというもののスケールが大きくならないと思うし、いろいろな形の楽しみも経験出来たほうがもっと楽しい人生になることは確か。最近のエッセイにも書いたけど、人にどう思われるか気にするのだけはもうやめよう。毎日をワクワクと楽しんでニコニコとハッピーでいたら、周りの人にもその影響は波及して行くはず。そうやって会社の雰囲気をすっかり変えてしまった女性を知っている。
2006年01月16日
さて最後はローマに3泊。先ずバチカンのサンピエトロ寺院の見学からスタート。これまたすごい建造物。中の彫刻も素晴らしい。床の自然の色そのままの大理石が実に美しい。日曜日とあって丁度ミサが行われており、聖歌隊の朗々たる歌声がドームに反響して雰囲気を更に盛り上げてくれる。しかし細い廊下に出ると両側からの大理石のエネルギーにはさまれて息苦しくなってしまう。この石のエネルギーを分散するにはやはりかなり巨大な空間が必要なことがよく分かる。寺院の後ろ側にローマ法王の住んでおられる建物があったが、ごく普通の四角いビルで、一番上の右から2番目の窓がそのお部屋だとガイドさんが教えてくれた。その後はコロッセオとトレビの泉へ行く。コロッセオは作るのにイスラエルから連れて来た10万人の奴隷が犠牲になったとのこと。トレビの泉ではミーハーに徹して後ろ向きになって右手に持ったコインを左の肩越しに投げる。泉の前の広場は思っていたよりずっと狭く観光客でごった返していた。町中が遺跡だらけという感じで、紀元1世紀に造られた橋がまだ使われているのには驚く。午後は「ローマの休日」ツアーというのがあって、映画のロケに使われた場所(真実の口、記者会見の宮殿、警察署、新聞記者のアパート、スペイン広場)をまわるのだが、道が細いため全部徒歩。多分4~5キロは歩いたと思う。スペイン広場も想像していたよりずっと狭い上階段は人人人でいっぱい。ホテルへ戻って筋肉痛でパンパンになった足をバスタブに浸かってゆるめる。翌日はいよいよポンペイ見学。これが目的で参加したツアーなので私にとってはいちばん重要な日だ。以前からなぜか行きたくて、2年前の江戸博物館での「ポンペイ展」にも行って発掘物など眺めるうちにますます現地に立ちたいとの思いがつのって機会を探していたのだ。なぜそんなに惹かれるのか現地へ行けば分かるかも知れないと思って行ったのだが、その謎は思いがけずガイドさんの説明から分かった。以前私はある方から前世でエトルリアにいたことがあると言われたことがあり、それがどこなのか調べたら古代のイタリアだと分かって「エトルリア」という本まで買って持っている。しかしそれとポンペイを結びつけるものは何もなかった。ポンペイは紀元前8世紀にオスク人によって造られたというのが定説だったが、最近になって実はそれより100年前にエトルリア人がその基礎を築いたということが分かったのだそうだ。つまり私は最初の街造りに何らかの形で関わっていたらしい。もしかしたら噴火で死んだのかも知れないと思っていたのだが、特にそれらしい恐怖もなく、別に懐かしいという感情もない。ただしきりに「恋しい」のだ。日本がまだ石器・竪穴住居時代にすでにここでは見事な街が造られ、下水道や大浴場があり、彫刻が飾られ商業や漁業が発達し、裁判所があって選挙まで行われていたと言うのだから驚いてしまう。日本の歴史がいくら古いと言ってもかなわない。人口2万人に対してパン屋さんが20軒で、売春宿は25軒もあったそうな。約1時間半ほどガイドさんの説明で歩き回ったがゆっくり味わう時間がなかったのが残念。これはもう一度来るしかない。さすがナポリが近いだけあってシーフードはとても美味しかったので、次回はローマのバチカン博物館を見た後ユーロスターでナポリへ来てもう一度恋しい街にゆっくり来よう。ついでにシシリー島にも行ってみたい。こうしてあわただしい私のイタリアの旅は終わりとなったが、ただただ歴史の厚みと大理石の量感と質感、キリスト教を中心とする建造物、絵画、彫刻の素晴らしさ、そしてそれを支えて来た権力の凄さに圧倒されっぱなしの毎日だった。しかしトイレの数は少なくしかも有料。水もタダでは飲めない。とあって改めて日本の無料トイレや喫茶店のお水のありがたさを感じ、久しぶりに見る東京のお店や食品のディスプレイがとても美しく感じられた。
2006年01月12日
お正月3日から昨日までイタリアへ行って来た。イタリアは初めてだし誰も知り合いがいないので今回は大手旅行社のツアーに参加しての純然たる観光旅行。これまでにもツアーに参加したことは何度かあるが添乗員さん同行というのも一人で参加というのも初めて。予想通り他の参加者の方たちはほとんど5,60代のご夫婦ばかりだった。昔、今は亡き作家の森瑤子さんが「レストランで黙って食事をしているのは夫婦者で楽しげにおしゃべりしているのは愛人同士」との名言(?)を吐いたが、どうしてどうしてみなさんよく会話をなさる仲のいいカップルばかり。海外旅行に一緒に行こうというご夫婦はきっと普段からこうなのだと思う。中には若者のようにずっと手をつなぎっぱなしのカップルもいて羨ましい限り。とはいうものの今回の目的はポンペイに行くことだったので、夜ホテルの部屋でホッと出来る一人もまた良き哉ではあったけれど。飛行機は初めてのルフトハンザ。体格のいいドイツ人が乗る飛行機にしては普通より狭く感じる機内だったけれど行きはフランクフルト経由でミラノへ、帰りはローマからミュンヘン経由だった。ミラノではまずドゥオモ(大聖堂)にびっくり。建坪3000坪の巨大な建物が壁も床も屋根も全部大理石。それも数知れぬ彫刻に飾られており、建築に500年かかったというのもうなづける。ミラノに2泊した後ヴェネツイアではゴンドラに乗り、映画でよく見るサンマルコ広場で一休み。自然に口からSummertime in Veniceのメロディーが出て来る。有名なヴェネツイアングラスは美しいけれどとても手の出る値段ではないのでもっぱらウインドウショッピングで目の保養をし、買ったのは25ユーロのイヤリング一つだけ。その日の宿泊はフィレンツェの近郊。翌日は又もやステンドグラスの美しい大聖堂を見てからウフィッツイ美術館見学。「ヴィーナスの誕生」「受胎告知」「聖母子」などメディチ家の膨大なコレクションに圧倒される。各地でその土地の日本人のガイドのほか、イタリア人のローカルガイドさんというのが必ず付くことになっているのだが、このフィレンツェでの方はなんと90歳のおばあさん。少し背は丸いけれどちゃんとお化粧をし、マスカラもバッチリ。貴族の出だそうだが働くのが大好きと言う方で足元もしっかりしている。この日は丁度主顕節というカトリックの祭日。キリストが誕生後初めて人々の前に姿を現した日なのだそうだ。だからこの日までクリスマスツリーや誕生を表わす人形があちこちに飾られている。本当はこの日で片付けるそうなのだが、学校や仕事が始まるのは2日後の月曜日からなので、それまではどこにも飾られていたけれど。(続く)
2006年01月12日
ここ4年ほど暮からお正月にかけていつも長女の一家が来て、ほかの子どもたちも集まり賑やかだったのが、今年は次女が長女を訪ねることになって我が家は息子たちだけ。孫たちの声がしないお正月はちょっと寂しいがラクと言えばラク。泊まるのはいつも近くのホテルだけど食事はみんなでうちでするので私はほとんどキッチンにいることが多かったので、今年はひまで手持ち無沙汰になるくらいだった。お陰でゆっくりテレビを見たり本を読んだりパソコンに向かったり、十分な時間を取ることが出来た。ずっと書けないでいた「海外通信」のマウイ&オアフ編もアップ出来たし、エッセイも一つ書いた。(これは間もなくアップの予定)明後日出発するイタリア旅行のためのスーツケースもさっき送り出したので時間はたっぷり。午後のひとときをコタツに入ってテレビのスイッチを入れたら「昭和の名曲50曲」というのをやっていた。昭和30年代から40年代頃の歌が次々と流れてとても懐かしい。歌は必ずそれに伴うその頃のシーンが思い出されるが、子育てをしながら夫の仕事(翻訳)を毎晩徹夜のようにして手伝っていた頃のことがよみがえって感無量だった。若かったから出来たあの過酷な生活。無我夢中で机の前とキッチンを行ったり来たりして映画1本見に行けない日々だった。丁度食品添加物の害が明らかになった頃だったので、出来るだけ添加物のないものを選んでは3度の食事は必ず手作りにしていた。締め切りに追われるメチャクチャ忙しい中で、ちょっとの間を縫っては毎日パンも焼いたし、味噌やらっきょう漬け、とうふ作りといろいろしていたが、それは1日中机に縛り付けられている生活の中での唯一の息抜きでもあったので、むしろ私の楽しみの時間だった。歌の一曲一曲にその頃の頑張っていた若い私がオーバーラップして危うく涙が出そうになったが、あの頃の20年間があったからこそ、今の安楽な暮らしを神様がご褒美として与えてくださったのではないかと思い、有難い気持ちでいっぱいになった。遂に離婚と言う形で家庭は崩壊し、その後もいろいろ大変なことがあったけれど、今は新しい形での家族の再生があり想像もしなかった生活が展開している。今目の前にあることにだけ一生懸命取り組んでいれば、一日一日が過ぎて行く。そしていつの間にか険しい山道を登り切って頂上の平坦なお花畑の中にいる自分を発見する。過去を後悔することも未来を心配することもない。大事なことは「今」に絶望しないこと。「今」を誠実に生きること。「今」に燃えること。それだけで人生は見事な織物に仕上がって行く。
2006年01月02日
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