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昔、昔私たち夫婦が若かった頃、互いに東京生まれで夏休みになっても子どもたちを連れて行く田舎を持たなかった私たちは浅間山の麓、北軽井沢の地に小さな山荘を作ってそこで毎年夏を過ごしていた。 当時都心の狭い団地に住んでいた私たちにとって、そこは何をしてもご近所への迷惑を考えないで済むのびのびと暮らせる天国のような場所だった。 最初に購入したのは204坪の土地だけ。その頃まだローンなんて言葉はなく「月賦」で数年間払い続けた気がする。 土地さえあればキャンプでもなんでも出来ると思ったのだが、テントは当時とても高価で、同じ金額で近所の廃止になったキャンプ場の不要なバンガローが買えると知り、それを運んで水道だけ引いてもらった。 赤い三角屋根の6畳一間の可愛らしいバンガローは畳が5枚半敷かれて残りの半畳は土間だったので日曜大工が得意だった夫はそこに床を張り、小さな研ぎ出しの流しを買って来て据え付けた。 煮炊きは外のブロックを積んだかまどや七輪。自宅から余っている鍋釜、食器など最低限のものを運んでのオママゴトのような楽しいキャンプ生活だった。 トイレは庭に穴を掘ってまわりと屋根をプラスチックの波板で作り、お風呂は近くのホテルに入りに行ったが、やはりどうしても不便。 そこで翌年またもや月賦でお風呂とトイレとキッチンのある母屋を建てることにし、バンガローとは屋根でつないで、その間をコンクリートの土間にした。 私たち二人は翻訳の仕事をしていたので夏もそこで仕事が出来たのだが、夏休みが終われば東京へ帰らなければならない。緑がいっぱいで涼しい山荘暮らしがすっかり気に入った私たちは、いづれ子どもたちが成長したらここに住もうとまで思っていたのだが、17年間過ごした後に離婚をすることになったのでこの山荘は夫のものとなり私とは縁のない所となった。 やがて夫は再婚をして新しい奥さんとそこを使うようになったので子どもたちもいつの間にか行かなくなり、北軽井沢の地は私たちのまぼろしの故郷となってしまった。 それが奇しくも17年後、いろいろな偶然が重なってそこから2キロほど離れた所に私が住むようになり、北軽は再び私たちの故郷として戻って来た。(私たちが戻って来たのだけれど) 久しぶりに昔の山荘の前を車で通るとバンガローは庭の隅に移され、そこがあった場所には1階がガレージで2階が洋風の部屋という別棟が建てられ、外階段と内階段でつながれていた。 母屋はテラスが広くなり、バンガロー共々手入れをされているのがよくわかってうれしかった。 「もし万一あなたにもしものことがあったら、この山荘だけは子どもたちに遺してほしい」と伝える手段のないままにずっと心の中で思い続けていたことが本当になって、3年前彼が心筋梗塞であっけなくこの世を去った後、山荘は子どもたち3人に与えられることとなった。 3人で話し合った結果、次女がこの家を相続することとなり、何人もの友人たちの手を借りて夥しい数の本や古い家具の整理などがようやく終わった今年、建物と外観はそのままで中をすっかり改装することになった。 設計は次女の大学時代の恩師で建築家の先生が担ってくださることとなり、まずは家に名前をつけなさいと言われて「北軽井沢山荘マナハウス」と名付けられた。 1か月前から実際のプロの手による工事が始まってからは毎週末次女と一緒に東京から来てくださり、その経過をブログにも載せてくださっていた。 4月から東北地方へボランティアに行っていた長男が沖縄の自宅に戻る前にたまたま私の所に立ち寄っていたので、父親譲りで大工仕事が得意な彼は自然な流れで工事の助手を務めることとなって、毎朝早くから現場へ通っては手伝いをしていた。 幼児期から高校時代までの夏を過ごしたその家は彼にとっても特別の場所のようで、特にバンガローへの思い入れは強く、一人で壁の下張や屋根のさび落としなど熱を入れて働いていた。 ふのりとホタテの貝殻をくだいて混ぜたしっくいを塗ってくれる友人も東京から駆けつけ、最後の2日間は息子も含む何人もの男性陣がバンガローの内部を見違えるようにきれいにしてくれた。 そして9月24日、いよいよ完成。午後からはみんなが集まってオープニングのイベントが始まった。 まずはフランス人のマヤさんによる大鼓の演奏。カーンという乾いた鼓の音と共に「イヨォーッ!」というマヤさんの力強い声が響きわたると庭中が浄化されるようだった。 その響きがストレートに胸に来て思わずぐっとこみあげてくるものがあった。その後鏡張りのスタジオに改装された別棟に入って次女の挨拶、私のフラ、東京から来てくれたミヤタさんのライヤーの演奏、来年カフェフルールの店長に復帰するトモちゃんの歌と続き、その後お茶の時間となった。と、ここまでは順調だったのだが、お相撲が大好きで自ら喜一山と名乗る先生が、そこにいる男性陣と相撲のトーナメントをしようということになって、建築屋さんまでが仲間入り。 結局いつもご夫婦で来てくださるSさんのご主人とうちの息子が決勝戦を戦うことになって大相撲となった結果息子が上手投げで優勝したのだが、その後がいけない。 Sさんが起き上がれなくなってしまい、救急車を呼ぶ騒ぎとなってしまったのだ。 検査の結果肋骨が折れているとのことで2週間ほど入院するという、実は大変なことになってしまったのだ。(息子のほうももしかしたらひびくらい入っているかもとのこと) それなのに「丁度休めということだったのかもしれないし、このことは私たちの夫婦仲にとってはとても良いことだったかも」という奥様からの涙が出るようなありがたいお言葉。さすがフィンドホーン関係の方は考え方が違う! 思いがけず彼女は我が家にしばらく滞在することになってしまい、ご不自由だと思うけどどうぞ辛抱してください。 ご主人の一日も早い回復をお祈りします。
2011年09月26日
9月10日(土)熊本での結婚式に行って来た。30代の新郎新婦はピースボートで仲良くなった人たち。新郎は静岡県のOさん。背の高いイケメンでパソコンにも強いので若い女の子たちにモテモテだったが、なぜかいつも昼食時にはお盆をかかえて私たちおばさん連のテーブルにやって来てはおしゃべりの仲間に入っていた。新婦のN子さんもスラリとしたプロポーションの熊本美人。「フィンドホーンへの誘い」を読んだことがあるとのことで私が自主企画でしたセイクレッドダンスをとても楽しんでくれた人だ。フラも上手でサンディーさんのレッスンではいつも最前列で素敵な笑顔を見せてくれていた。この二人がいつの頃からか一緒に食事をしている姿を見かけるようになり、私たち外野はひそかにカップル誕生を期待していたものだ。だから船を降りてしばらくしてから結婚式の案内が届いた時はびっくりすると同時に心から「おめでとう!」という気持ちになってすぐ出席のお返事をした。N子さんからは何度もメールがあってすべての段取りを彼女が手作りで進めていることが察せられたが、会場のホテルに行ったらまさにその通りで、式の直前まで普段着で受付で働いていた。披露宴の席に着くとそれぞれの名札に彼女の手書きのメッセージがあり、私のには「広瀬さんのようにやわらかいオーラを持つ女性に私もなりたいです」とあった。ありがとう、Nちゃん、でも今のままでじゅうぶんあなたもやわらかいオーラを放っているわよ。式はいわゆる人前結婚式で、披露宴の会場で行われた。二人の両側にそれぞれのお父さんが立ち、二人のお母さんがそれぞれのお家から持参した水を捧げ持って静々と現れ、その水を同時に同じ器に注ぐという「水合わせの儀」というのが行われた。二つの家族が溶け合うことを象徴しているようでなかなか素敵な趣向。出席者は70名ほどでピースボート仲間も8人ぐらい同じテーブルだった。スピーチもよくあるパターンではなく、二人の兄弟姉妹がかわるがわるマイクの前に立って祝辞を述べ、仲の良い関係が垣間見えて微笑ましかった。その後は芸達者ぞろいの演芸大会となり新婦が妹さんとフラを踊ったり、新婦のお母さんが民謡のお仲間と三味線を弾いたりととても和やか。二人の生い立ちを紹介するスライドショーからはいかに二人がそれぞれの家庭で愛され大切に育てられたかがわかって、これなら大丈夫、きっと幸せな家庭を作れると確信した。花嫁のブーケもご両親への花のアレンジも、私たちがいただいた引き出物のお花も全部N子さん手作りのプリザーブドフラワー。これだけ作るのはさぞ大変だったことだろう。お花と一緒に手提げ袋に入っていたのはご当地名物のかりんとうというのも、何だか素朴でうれしかった。最初から最後まで手作り感いっぱいの心温まる結婚式だった。二人は今南阿蘇の白川というきれいな水で有名な所でペンションを営んでいる。名前は「麦わらぼうし」。来年のトランプ仲間との合宿はここ、とひそかに決めている。
2011年09月20日
今から1か月以上前のこと、男性の声で「カフェフルール」に昼食の予約の電話が入った。うちはホームページもあるし「るるぶ」などの雑誌にも紹介されているのでそのこと自体は珍しいことではないのだが、びっくりしたのはその人数。なんと25名様とのこと!しかもバスでいらっしゃると言う。エエーッ?!どうしよう!うちはせいぜい十数人しか入れないし食器の数だってそんなにないのに。普通はお一人からせいぜい4,5人までのご予約なので困ってしまい、事情を話して「もし時間をずらして2回に分けていただければ・・・」と伝え、ついでにどこでうちのお店をお知りになったかを尋ねたら、私のエッセイ集「やすらぎの森」を読まれたとのことで2度びっくり。たまにそういう方も見えるのだけれど、最初はたいていお一人のことが多い。いずれにしてもうれしいことではあるのでお受けすることにした。そしてその後、日にちや人数の変更のことで何度もお電話があり、いよいよ当日を迎えた。人数は結局お店に丁度入り切る17人に落ち着き、メニューも前以て知らせてくださったので大助かり。その日に備えて「風の盆」へ一緒に行ったユミさんがそのままうちに来てくれたり、東京の娘も待機してくれていたので準備万端でお迎えすることにした。いったいどこからどういうグループでいらっしゃるのかもわからないので、もしかしたら丁度その日9月4日(日)は嬬恋村恒例の「キャベチュー」(キャベツ畑の中心で愛を叫ぶ)の日だったので、それに参加なさる方たちかしら、などと話し合っていた。時間通りに本当にバスが着いて若い男女が大勢降りていらした。何度も電話をくださった方はTさんという千葉県の銚子市内でカフェを営まれる若い男性で、みなさんはそのお店のお客様なのだと言う。店内はカウンターも使って丁度満席。カウンターに座られたTさんと中年の女性お二人といろいろお話ししたら本当にみなさんが私の本を読んでくださっていて、しかもそれを100%理解して共感してくださっていることがわかり恐縮するやら感激するやら。でも心の底からうれしかった。Tさんはもとは東京の方で2年前に銚子に移り、カフェを開かれたのはまだ1年ほど前だという。それなのにこれだけのお客様が軽井沢まで一緒に来られるというのはひとえに彼のお人柄にあると感服した。見るからに品のいい暖かい雰囲気の方なので十分に納得。「足のほうはもう大丈夫ですか?」と言われて、ブログも読んでくださっていることがわかり、あわてて「はい、もうすっかりよくなりました」と答えたけれど、またもやびっくりするやら恥ずかしいやら。食事が済むとみなさんはそれぞれ店に置いてあるいろいろな楽器やシンギングボウルなどを打ち鳴らし始め、ロフトへ上る梯子を登って行く人たちもあってすっかりくつろいでいらっしゃる。その中にはアーティストもいればヨガの先生、ジャズミュージシャンなどもおられるそうだがきっとみんながTさんのファンなのだと思う。やがて時間が来てまた先ほどのバスが迎えに来た。全員で記念撮影をした後、帰りがけにTさんから「プレゼント」として渡されたのは葉祥明さんの「イルカの星」(Planet of Dolphin)という英和対訳の美しい絵本とご自分の好きな曲を集めたCD。ほんとうに最後まで感激のし通しだった。(後でこの二つ共が私の好みにぴったりとわかって再度感激)みんながこんなにくつろげたのはこのお店の雰囲気のお蔭、また来年の夏も来ますとの言葉を残してTさんは帰って行かれたが、今度は是非とも私のほうが彼のお店に行ってみたいと思う。外に出てバスを見送りながら私は胸がいっぱいになり感謝で涙があふれそうになった。娘も、あとで話を聞いた息子も「よかったね、15年お店をやっていた甲斐があったね」と喜んでくれて、それもまたうれしかった。Tさん、ほんとうにほんとうにありがとうございました。近い将来必ず銚子のお店に伺いますね。その時またゆっくりいろいろお話ししましょう。
2011年09月05日
以前からずっと行きたいと思っていた「風の盆」は毎年9月1,2,3日に行われるのだが、いつもその日は営業日に当たったり別の予定が入っていたりでずっと行けないでいた。それが今年は1日から1泊でのツアーに参加することが出来てようやく願いがかなった。いつもうちのお店をを手伝いに来てくれるユミさんを誘ったら彼女も丁度行きたいと思っていたとのことで、台風12号の接近を気にしながらもそれぞれ大宮と高崎から上越新幹線に途中乗車した。「越後湯沢」で別の特急に乗り換えて富山駅で下車。そこから観光バスで祭りの行われる八尾(やつお)へ向かった。そこには小さな町が10くらいあって、それぞれの囃子方や踊り手がその町の通りを練り歩く。何本もある通りを適当に歩いて行くとさっそく踊りの列に行き会った。通りの両側にはずらりとぼんぼりが立ち並び夜になるとそれに灯がともされて実に美しい。初めて聞くおわら節は物静かで胡弓の音が哀愁を誘い、それに合わせて踊る踊りは何とも艶っぽく優雅で、特に男性の踊りがかっこいい。 手の振りは「米蔵から種にする米を選び出しそれを蒔く」というような農業の手順を表していて、そもそもは嵐になりやすい二百十日(9月1日)が何事もなく過ぎるようにと農業の豊穣を祈るお祭りなのだそうだ。それがなぜ中国の楽器である胡弓が加わって一種独特の雰囲気を醸し出すようになったのかはどこにも説明がなくてわからない。夜になるとどんどん見物客が増えて狭い通りは人でいっぱいになるので行列を作っての踊りは無理になるため数人の男女が一か所で踊ったり、どこかの家の前で踊ったりしている。通りが何本もあっていつどこで踊りがあるのかわからないため運が悪いと一度も踊りが見られないこともあるそうだが、私たちは幸いなことに6回も見ることが出来た。哀調を帯びた静かな歌に合わせての踊りはほんとうに魅力的でいくら見ても飽きない。確かに一見の価値がある。楽器や衣装が繊細なためたとえ小雨でも中止になると聞いていたので台風の影響が心配だったけれど、夕方30分ほど降った時は丁度観光会館の中でステージでの踊りを見ていた時だったのでほんとにラッキー!翌日は郡上八幡へ行ったが、ここにも毎年8月13,14,15日に行われる「郡上踊り」というのがあってそれを見せてもらった。ここは「風の盆」よりはもっとくだけていて必ずしも浴衣でなくてもよく、だれでも踊りの輪に入って楽しむことが出来るのだそうだ。きれいな水で有名なこの町にはいたる所に用水路があり人々の生活を豊かにしている。バスが次に向かったのは世界遺産の白川郷。以前来た時には行かなかった展望台からの眺めはひとときタイムスリップしたようで、合理的でしかも美しい昔の日本の建築に改めて感動する。帰路は乗鞍スカイラインから松本を経て上田へ出たが長野県に入った頃から雨が降り出した。そこから長野新幹線なので私にとってはとてもありがたかったが軽井沢駅に降り立ってびっくり!かなりの吹き降りで駐車場までの道は傘が吹き飛ばされそうだった。雨と霧の中の山道を緊張しながらの運転で帰って来たが十分に楽しめた1泊旅行ではあった。
2011年09月03日
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