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「食欲の秋」は中国には存在しない?食いしん坊の私は毎年この時期になると、必ず、「おいしいもの食べましょう!」をあちこちで連発する。でも、中国人はそんなことを思わない....のかも知れない。と、そんな疑問に気付かせて下さったのは、語言大学時代の元同級生で、シンガポールに住んでいる日本人・豆蓉さんからの一通のEメール。「ご記憶にあるかどうか・・・黄老師の授業で『秋天来了、Zhe意味着~~~』の例文を発表したことを私はよく覚えています」な~んていうメールを頂いたからである。ちなみに語言にいたのは、2002年2月から7月までなのに、何故、自分が秋の話をしていたかはまったくに記憶にない。きっと、時期も関係なく、やっぱり「食欲の秋」の話がしたかったのだと思う。で、これまた自分では覚えていなかったのだけど、豆蓉さん曰く、「私は大いに納得し同意していたところ、黄老師は「はぁ?」と言って『収穫の秋、又は紅葉の秋』と言うべきだ、と言いましたよね」とのこと。「中国の先生方は時折彼らのロジックに合わないことを外国人生徒が発言すると拒絶することが多かったですよね。あの時に(食欲もスポーツも読書も日本人の考えなのかぁ)と思い知ったのです」「まだまだ知らない外国の人々との論理性の差を考えます」というのである。わあ、おもしろい。自分ではすっかり忘れていた(いや、きっと理解していなかったんだ、きっと 恥)ことを教えてくれた元同級生に感謝!そして、もちろん、恵みの秋にも感謝!(これも理由はわからないけど)。もし、中国人に、もし「食欲の秋」の意識がないなら、普及させよう! きっと同意してくれるはず!...?うん、今年もおいしいもの食べるぞぃ。----★追加メールの転載とお名前を出すことを許可いただきました。その際に、頂いた情報を以下に追加します。「総合の捷径の深緑色(中冊)の42ページ7-2です。「我愛秋天、因為秋天意味着~~~」の~~~を埋める問題でした。前回も書きましたが、黄老師は収穫とか紅葉最美的時期とか、大きな範囲で皆が理解できることを言わなければいけない、と言いました。個人の意見はいけない、とそんなことも言いました。食欲の秋、は日本において大きな範囲で皆が当たり前のように理解することなのにぃ、と私は思ったのでした。その時のだーれんさんはぽけっとしていました(笑)。」(註:苗字→だーれんに変えました)やっぱぼけっとしてたらしいです(笑)。
2004年09月29日
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「ラブストーリーは突然に」を歌ってしまった。しかも、それが発売されるかも知れない。恥ずかしいから、これ以上は書かない。興味がある方は直接そっとお問い合わせください(笑。ところで、「ラブストーリーは突然に」はこちらの学生と話をしていて登場する率がダントツのような気がする。前にも日記に書いた気もするが、同級生に頼まれて歌詞を訳したこともある(のに、今日歌詞をまるで覚えたいないところが音楽的素養のなさを証明している)。しかし、「ラブストーリーは突然に」は、何故に、中国でこうも人気があるのだろうか? ドラマ「東京ラブストーリー」の舞台となっている90年代前半(?)の東京が、今の中国都市部の若者にとって身近な憧れの対象になるから、といった分析は、いろんな人が言ってそうである。音楽のことはまったくわからないんだけど、日本人にも中国人にも受ける旋律なんてものはあるのだろうか? 「ラブストーリーは突然に」はそれが詰まっているとか?中国で有名な日本の曲の横綱と言ったら「北国の春」や「四季の歌」だと思うけど(92年に「東京都青少年洋上セミナー」で中国を訪れたときのしおりにも歌詞があった)、音楽そのものに共通点があるものなのかどうか? なんて考えるのは、通信簿で2をとったことが確かあったくらいの音楽の素養なしの私ならではの発想なのか? どうかもよく分からない。ところで、女子十二学坊の演奏曲に取り上げられたのは、彼女たちの希望や提案もあったのだろうか? それとも、日本側の意向だろうか? この辺はきっと芸能誌を探れば、誰かがインタビューしてそうだけど、中国で暮らしていると、コンビニでの立ち見もままならず(最近出来たばかりのセブンイレブンはとっても便利で日本のものもいっぱいあるけど、日本の雑誌はない。当たり前だけど。でもこれが当たり前じゃない日ももしかしたらくるかもとちょっとだけ期待している。何でもありの時代だから。話が横道にそれた)、そう、こんな情報も自然には入ってこないんだ、中国では。ちょっと悔しい。(もっとも入ってこないのはアンテナを張ってないからで、これは日本にいても、同じことのような気はする、うん)うぅぅ、音楽のことを書くと、どんどん支離滅裂になっていく。けど、開き直りついでに書くと、それにしても最近の世の中は音痴は生きにくい。カラオケは日本語のはずなのに、中国人のほうが、カラOK、カラOKって言っている気がするし。ちょっと大きな家に行けば必ずといってよいほどみんな持っているし。ああぁあ。実は祖母がピアノの先生だったなんていう衝撃の事実もあり、「生まれつきの音痴はいない」らしいので、努力次第なのかなと思いつつ。仕事時代の接待でも決して歌わなかった歌を、今日マイクの前で歌ってしまった。果たして三十路直前・自己改善は出来るのか?うん? 今日の日記は変だなぁ。
2004年09月28日
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以前この日記で、マクドナルドから見た中国研究をしてみたい、といった趣旨のことをたぶん書いたことがあるのだが、その後、この研究はまるで進んでいないことに、ちょっと罪悪感を感じている。まあ、それは、この話に限ったことではなく、他にもいろいろあるんだけど。。。しかし、そろそろ留学生活も終わりを見据えて、まとめの作業も考えなくてはいけないんだろうなとは思っている。まあ、出来ないだろうけど(笑)。だけど、せっかく思い出したので、マクドナルドに関するお話をいくつかまとめて。一つ目。土曜日、「日中会話」に行く前の腹ごしらえをマック@建国門で。1号セット=ビックマックを注文。レタスが規定の量より少ないぞ、文句言おうか……(以前、中関村店で実際代えてもらったことあり。こういうところには変なこだわりがあるのだ笑)、などと考えていたら、チーズが入ってないじゃないか!!!マクドナルドバイト暦3年以上の私の経験からみて、ビックマックにチーズを入れ忘れるとは、こりゃかなりのボケボケ犯罪である。ミートを置く段階で、何故にあんなに鮮やかな黄色が欠けていることに気付かなかったのか?即効、カウンターに駆け寄り、交換を要求。マネージャーは、若干を顔を青色にして一言「ごめんなさい」。数分後、新しいビックマックを持ってきた。まあ、それだけのことと言えば、それだけのことである。果たして、日本で、あるいは米国で、あるいはその他の国で、この手のNGがどれだけ発生してるのか、分からない。が、分かりやすいマニュアルを導入し、作業工程も研究に研究を重ねているマックでも、こういうミスが発生するということは、ちょっとおもしろいと思った。まあ、私としては、レタスたっぷりのできたてビックマックと交換してもらい、いい経験が出来たので、この件はこれで良しとする。二つ目。その後の「日中会話」で。ペアの彼女と雑談していたら、何とその子もマックでバイト経験があった。大学1年生のときにやっていたらしい。時給6元(約90円)。ちなみに、ビックマックセットは17.5元くらいだから、3時間働いてやっと買える計算だ。日本のマックのバイト代は場所によって違うけれど、ビックマックセットよりも安いことはあり得ないだろう。世界中のマックのハンバーガーの値段を基準に物価を比較する研究はあるが、時給との関係は研究されているのだろうか?ちょっと面白い切り口かも知れない。それと、もうひとつの関心。それは、中国で、食後のトレイを客が自ら片付ける日が、いつの日か来るのかどうか? 今は、食べ終わったごみを自ら片付ける人はほとんどいない。外国人も次第にこのスタイルに同化している(と思う)。少なくとも私はそうだ。だって、捨てにいくと変な目で見られることもある(言い訳?)。そもそもフロアの店員の数が多く、もし客が捨てに行くと彼らの仕事を奪ってしまう恐れもある。が、将来店員のバイト料が上昇すればやはり日本スタイルにするよう経営側が考えるのではないか? そのとき、中国の客は素直に従うだろうか? 「自分で片付ける=格好いい」のイメージを植え付けるキャンペーンが実施されるかも知れない。ドラマで人気の芸能人が颯爽とマックのトレイを片付ける?あっ、まだあるぞ。ジュースのストローを店員が渡してくれる日が来るのかどうか?現在、ストローは客が自分でとって入れなければならない。マックの飲料をストローなしで飲む人などたぶんいないのになぜなのか? 店員の入れ忘れによるクレーム予防のためだろうか? だとすると、店員の質があがれば、日本式にストローも店員が揃えてくれる日が来るのだろうか? あるいは店員がストローを置く数秒を惜しんでレジの回転率を上げるためなのか? だとすると、永遠にこのスタイルのままなのだろうか?(ちなみにコーヒーのミルクや砂糖、マドラーは店員が渡してくれる。これはコスト管理の観点から取り放題を防ぐためか?)う~ん、やっぱりマック研究は、いつかやってみたい。共同研究者募る(笑)
2004年09月27日
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なかなかこの日の日記が書けなかった。泣いちゃいけない、そう思う。強く、そして楽しく生きることを教えてくれた人なのだから。私に社会人としてのイロハから、中国・台湾とのビジネス、電子部品の基礎知識、そして人との接し方、生き方までをびっちり丁寧に教えてくれた人。台北への初出張で仕事後に初めて足マッサージに連れて行ってもらった。すごく痛かった。台湾からの輸入部品は、不具合が多発し、一緒に群馬までよく行った。ペーパードライバーだった私に代わっていつも運転してくれた。「明日出来ることは明日やる」その裏返しは今やるべきことは今きちんとやる。私が残業して遣り残したことをサクッサクッとフォローしてもらったこと度々。ちょっといい加減なようで、実はとても繊細。期末は100以上ある部品の棚卸でいつも大変だった。「中国に留学に行きたいんです」2000年3月、棚卸から戻り、そう打ち明けたとき、俺もおまえの立場だったら、と心から応援してくれた。それから2ヵ月後、出張先から日本にかけた国際電話で、「俺、癌だよ」と聞かされた。その後数ヶ月の入院生活。そして無事退院。会社復活。私は7月末の予定だった退社時期を半年伸ばして1月末に会社を辞め、01年2月から中国留学を始めた。それから、日本に戻るたびに、会社の同僚を集めて飲み会を開いてくれた。体は半分くらいの大きさになってしまったけど、辛いところは見せず、とても元気そうだった。メールでは、中国の仕事が増えて、今後いやいやながら(?)、中国出張が増えます、と言っていた。そして、昨年10月、済南に行く途中で、北京にもわざわざ寄ってくれた。一緒に北京ダックを食べた。故宮へも行った。けど、4時を回っていて入れなかった。次は万里の長城を案内します、と約束した。食べたいと言っていた宮廷料理のよい店も見つけた。今年に入って周囲の人からあまり調子が良くないと聞いていた。帰国時、何度も連絡しようと思ったけど、迷惑かなと思うと電話を取れなかった。その後、元先輩たちから、危ない状態にあることをメールで知らされた。何も出来ない。ひたすら遠くから祈った。それから、2週間。峠を越えたもの思っていた。が、26日早朝のメールと電話。まだ30代半ばだった。どうしても実感が湧かなかった。会えなかった後悔の念。しばらくして、どうしてもお礼が言いたくなって、どうにかして帰れないものかと画策した。が、無理だった。けれど、これまでに、仕事について、生き方について、教えて頂いたたくさんのことはいつまでも引き継いでいける。そう考えたら、少し気持ちが楽になった。「大好きな中国で夢を実現してください」色紙に書いてくれたこの言葉を忘れずに。いつか大きな恩返しが出来るように。今しか出来ないことを、楽しみながら今、頑張るしかない。....そう思っています。だから、辛かった体を楽にしてしばらくはゆっくり休んでください。そして、たまには遠くからこの日記を見てアドバイスをくれたらとても嬉しいです。今まで本当にありがとうございました。ゆっくりお休みください。
2004年09月26日
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今日はいくつの新たな出会いがあっただろう?13時から日壇公園で行われた「日中会話」(主催:北京市人民政府、北京市対外友好協会、日中会話組織委員会)というイベントに参加。18時からは、北京留学生通信の代表しゅんさんとそのご家族を北京に迎えてのオフ会@太婆天府山珍(キノコ鍋)。私は現地幹事だった。「日中会話」は、北京市が企画して行われてた初の試み。新聞などで公募された中国人50人と、北京日本人会を中心に集められた日本人50人が参加。日中1人ずつがランダムでペアを組み、与えられたテーマ(芸能、飲食、インターネット、動物など)について自由に話し、最後に抽選で選ばれた10組が壇上で皆に発表するというもの。10組に選ばれると、ソニーやパナソニック、三洋などなどスポンサーからの商品がもらえる。携帯電話、MP3、CDラジカセ、宣伝用グッズなどがあった。このイベントの目的は、北京市民の外国語学習熱を刺激するきっかけ作りにあったようだ。以前には「英中会話」が開催されたという。ところで、私のペアは小さい頃から日本の漫画が好きだったという北京出身の大学3年生。「ペット」に関する話題を選んで話をした。まずは我が家の「ポテト」を披露。ちなみにポテトは我が家の4男。私は長男、下の弟2人は人間。4男はミニチュアダックスである。みな名前の最後に「と」がつく。彼女の側は、名無しの亀と小鳥を披露。一緒に風呂を浴びる仲のよさがアピールポイント。「肝っ玉が小さい」彼女は、犬や猫は飼えないという。しかし、「小鳥に名前がないと不便でしょ?」、という私の振りに、彼女は、では、と小鳥の名前を「トマト」と命名! めでたく、わが家のポテトとトマトは、兄弟の契りを結ぶことと相成った。いつの日かポテトを北京に連れてきて、トマトと一緒に風呂を浴びさせることを約束。これを舞台で発表していれば、審査員特別賞を新設されたこと間違いなしなのだが、果たして、20%の幸運は巡ってこなかった(審査員なんていなかったけど)。終わってから、実行委員会に八つ当たりした(ごめんなさい、笑)。とまあ、こんな感じで楽しいひと時。今度一緒に日本食を食べにいく約束をして別れた。是非、こんな機会が今後も増えていって欲しい。さて、イベント終了後、オフ会への合流する仲間も自然と集まり、地下鉄で移動。18時ほぼぴったしに現地着。いろいろバタバタもしたけど、最終的に27人が参加。人数が多く、一人一人とはゆっくり話せなかったけど、久しぶりの再会、新たな出会いがあり、おいしいキノコ鍋を囲んで楽しい時間だったぁ。不手際も多かったと思うけど、何とか現地幹事をやり遂げてひと安心。その後、二次会は、痩人のライブを初体験。初めて行ったけど、胸に突き刺さる振動は止みつきになるかもしれない。若い日本人がドラムで頑張っているのもスゴイ。また機会を見つけて行ってみたい。長い一日。忘れられない一日になった。
2004年09月25日
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日本⇔中国EMS(国際スピード郵便)【価格対決の巻】は、日本の圧勝である。日本からEMSで送られてきた書類に、署名・捺印をしてすぐにまたEMSで送り返した。日本→中国 900円(90g) 中国→日本 115元(105g)115元は約1,495円(1元13円で計算)。っていうことは、中国から送るほうが595円も高い!なぜだ~~~!?ちなみに、日本では300gまでが900円。中国では500gまでが115元、と計算方法が違う。が、同じ重量で比べても、日本からは500gで1,100円なので、中国から送るよりもやはり安いことになる。よって、今回の勝負は日本の勝ち。EMSは日本から送ろう!....?○日本料金表○中国料金表このEMSが日本に到着したら、次回は【速さ対決の巻】を報告します。
2004年09月24日
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「すっかり気に入っちゃったんで家族連れて遊びに来ちゃいました!」今年の春、ビジネス視察のような形で北京へいらっしゃった際に友人の紹介でお会いした方からの突然の電話。奥さんとお子さんと昨夜北京へ。今夜遅くおばあちゃんも到着されるとのこと。おおー、こんな形で北京ファンが増えるのはとても嬉しい。16時半、授業が終わり、タクシーと地下鉄を乗り継いで、待ち合わせ場所に決めた北京飯店へ。途中、北京住在の先輩と偶然遭遇。観光でいらしているご家族を案内中だった。北京飯店に着けば日本人の団体がたくさん。そう、今、北京は一年で一番いい季節。観光客で溢れている。18時、久しぶりの再会。奥さんは綺麗でお子さんは可愛い。北京に着いてから何を食べたかのリサーチがまだだったのでその場で相談。北京ダックの店に行きましょう、ということになったが、お薦めの店3軒に電話するもどこも一杯、最低20分待ち、9時までは空かないという店もあった。やはりこの季節は出来れば数日前までに、予約をしておきなきゃだな...。で今日は結局、水餃子のお店へ。私も分からないメニューがたくさんだったが、「おいしい、おいしい」と食べて頂けてよかったぁ。就職活動に関するアドバイスも頂き、ご飯もごちそうになってしまった。ありがとうございました!今週末は北京留学生通信の創設者・しゅんさんのご家族も北京にいらして、25日にはそのオフ会もある。北京の秋、人の集まる秋、食欲の秋。うぅー、これからも益々楽しみである。-----「妊娠してるんじゃないの?」とよく言われるが、そんなはずはない。妊娠していると推定されるその根拠はこの体型と、すっぱいもの好きという2点だけなのだから。みんないい加減なことをいうものだ。しかし、実際、妊娠されている方がどれくらい酸っぱいものが好きになるのかもよく分からない。が、本当に妊娠している方が酸っぱいものが等しく好きであるのならば、私にもその可能性はもしかしたら少しくらいあるのかも知れない、とも疑ってもみる。それくらい、私すっぱいものに目がない。レモンを筆頭に柑橘系ならなんでも好き。酸でなくとも、梅干系すっぱいものも好き。レモンで口内を酸化しておいて、直後に梅干のアルカリで中和すれば何となく体にもよさそうだ。こんな私にとって、早生みかんがたくさん出回る今の季節は本当に最高の季節だ。毎晩、十数個を30円くらいで買ってきて、バクバク食べる。そんなに食べたら手が黄色くなるよと言われるけど、そんなことは構わない。すっぱいみかんがこんなにいっぱい安く食べられる北京にいて本当に本当に幸せだと私は心から思う。願わくばこんな秋がずっと続いて、みかんにはあまり甘くならないで欲しい。
2004年09月23日
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大きい。第44回ミス・インターナショナル(中国名:国際小姐)が今年中国で初めて開催される。決勝戦は10月16日、北京工人体育館で。今日は、中山公園音楽堂で行われた中国地区の決勝戦に仕事を頼まれてお邪魔した。終始バタバタ。綺麗なミスたちをゆっくりと見る暇なく残念。公演後、パーティーで、お偉いがたに促されて二鍋頭(白酒)をコップいっぱい一気。取り乱さないよう緊張していたら、その後ミスと乾杯するも、何故か大きな背中ばかりが印象に残った。ちなみに、環球小姐(ミスユニバース)、世界小姐(ミスワールド)とこの国際小姐(ミスインターナショナル)が世界3大大会といわれるそうだ。しかし、どうでもいいけどミスを「小姐」と訳すのはどうなのだろう? 何となくミスマッチな感じがする。---このところ朝晩は冷える。夜、窓を開けて寝たら、冷房をつけているが如く寒く凍えた……。体調管理に注意。
2004年09月22日
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どうにも終わらない論文の締め切りをひとつ、10月の連休明けに延ばしてもらって、ちょっと気が楽になった。とは言っても単に苦労の先延ばしなんだけど……。一日中パソコンに向かっていて、首と肩が凝り固まる。夜、友達と頼まれ仕事の打ち合わせをしながら2度目の夕食の後、足つぼマッサージへ。気持ちよくて途中からの記憶がない。マッサージ中は悪いものを外に出すためお茶をがぶがぶ飲めと言われる。しかし、お茶は有料なので、無料のお湯を頼む。そして今では当たり前のようにただのお湯をがぶがぶと飲むけれど、考えてみれば、日本では、お湯なんて飲まなかったなぁ...。----貴州の友達に送った招き猫と日本のお菓子が無事届いたとショートメールがあった。「お母さんが休みになったら遊びにおいでと言っている」とのこと。喜んでもらえたようで良かった。
2004年09月21日
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「人が老けると頭がいつダメになるか分からないし、体力も衰えてくる。…退職が制度化されれば指導層の交代や移動も比較的容易になる」トウ小平は89年9月、中央の数人の責任者に対して、自らの引退について相談したいと切り出した後に、こう語り、そこで江沢民を軍事委員会主席に推薦した。「引退することはもう決めており、引退すればいいことが多い。もしも引退しないで職務について死んだりしたら、国際的にどんな反響を引き起こすか想像も出来ない。わたしが引退して、確かに何も仕事もしておらず、しかも生きているということになれば、まさにそのことがある役割を果たすことになるのだ」「軍事委員会には主席が必要である。まず党の軍事委員会主席を確定すること。そうすれば国家の軍事委員会も確定される」「わたしは江沢民同志が軍事委員会主席を担当することを提案する」天安門事件の混乱を収拾するかたちで党総書記に就任した当初、「軍に対する影響力は全くない」「お飾りにすぎない」「国際舞台でも無名に近い。長くもつことは考えられない」(89年6月25日付朝日新聞「記者座談会」)と言われた江沢民。15年間担ってきた肩の荷を下ろした今の心境はどんなものだろうか? 「引退した人の功績をしきりに称えるようなことを慣例にしてはならない」「誰だって確かに功績があり、またどのみちある程度の誤りもあるのに、功績ばかり称えている。…名誉が高すぎるというのは負担になる」。これは、トウ小平の言葉である。※引用:「改革・開放が安定すれば、中国は大いに希望が持てる」(1989年9月4日)『トウ小平文選第3巻』(pp.315-321)(訳は、テンブックス版pp.319-325)---夜:加藤屋日本映画祭にあわせていらっしゃった編集者の方を囲んで。
2004年09月20日
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「中国大陸製は、質が悪い」、と切り捨ててしまうのは、努力しないことの言い訳に過ぎないのだな、と以前、商社勤めをしていたときに思ったことがある。当時私が扱っていたのは自動車に使う電子部品や、エナメル銅線、医療用ベッドの電源コードなど。原価低減の流れの中で、日本製の価格が釣り合わなくなり、台湾へ。そして、台湾でも日本との価格差が縮まってきて、次は中国大陸へ。私はちょうど、台湾から大陸への工場移管の作業を担当した。実は、台湾製を使っていたときから、不具合が頻繁に発生し、工場からしょっちゅう呼び出しをくらっていた。組み付け部品であるため、寸法が数ミリ狂うとアウトなのだが、それが多発。そのたびに自動ラインがストップしてしまい、工場からは大目玉。本来は台湾メーカーが飛んできて不具合に対する対処をすべきだが、近いといっても、すぐに飛んで来られる距離ではない。ということで、品質保証を負っていない商社という立場ながら、我々が定規を持って工場へ行って、OK品とNG品との選別をするというようなことも、何度もあった。そこに台湾から中国大陸への移管の話。工場担当者は反対した。我々もどちらかというと反対だった。台湾でも悪い品質が中国大陸へ行って大丈夫なのか?しかし、原価を下げなければいけないという市場からの要求には誰も逆らえない。購買担当の決断によって、中国工場での生産が決まった。それから先は工場内部での努力である。我々買い手の要求は、品質をこれまでよりも下げないこと。そのために、作業工程表などのマニュアルの見直しを行ったり、日本からも品質管理担当が工場に通った。結果、不具合率は、中国大陸に移ってからのほうが低くなった。その理由として、言われたのは、若くて意欲のある労働力と徹底した品質管理、そして人海戦術の全数チェックだった。台湾工場では年配のおばさんたちが主な作り手だったのに対して、大陸では田舎から出てきたばかりの10代半ばから後半の女性たちがその仕事を担うことになった。少しでも給料を多く稼いで実家に戻るため、残業がない会社は嫌われる、工場ではそんな話も聞いた。工場の壁には「今日努力しないものは、明日仕事探しに努力する」そんな標語が掲げられていた。結果残ったのは、まじめで意欲のある若いワーカーたちだった。そんな彼らをマネジメントするのは台湾人。イラストを使って誰にでも分かるマニュアルを作ったり、工程がひっくり返ったりしないよう、工場レイアウトに気を使ったり、万一ミスがあっても、それが工場から流出しないシステムを作ったり。これまで不具合を多数発生させた経験がそこには生きていた。こうした新たな徹底した管理が、「中国製は品質が悪い」というこれまでの常識を覆した。3年ほど前のこんなことをふと、思い出したのは、今日、私のパソコンが壊れて、修理のため2度もショップを往復したからだ。夏前からおかしかったディスプレイの異常はビデオカードの不良によるものだったらしく、今朝方ついに画面に何も映らなくなった。それと前後して、寮の部屋の電源が一切使えなくなるというハプニングもあったため、当初は、電力が足りないからなのか? などと思い、自分でPCをいじくり回していたが結局断念。ショップに電話。いつものように「来てくれ」と頼んだが、週末だからと無理だと言われ、待っていても埒があかないので、パソコンを抱えて自ら乗り込んだ。こうやってすぐに対処してもらえるところは、杓子定規の日本と違っていいところだ。が、店頭の片隅で、客の対応に追われながらする修理。パソコンの修理ってこんなんで大丈夫? と思っていたら、やはり大丈夫ではなかった。直った! と思って、自宅に戻ったらショップでは映った画面が映らない。おまけに起動すらしない。さすがにいらいらしながらも、再び大きなデスクトップを抱えてショップへ。パソコンの内部を開けてもらうと、中の部品がひっくり返っていた。ねじを留め忘れたのである。そして悪いことに、その勢いで心臓部のCPUに傷がついてしまっていた。「いったい誰がこれ修理したんだ!」ショップのマネージャーの怒りの声が飛んだ。「いや、俺は、最後のふたをしめただけっすよ」店員の同士の責任の擦り付け合いが始まった。一番悪いパターンである。無料でした修理によって、1030元のCPUを壊してしまい、店側負担で弁償したのだから、私のPCの粗利はすでに飛んでしまっているのは間違いない。こうした経験から何かを学ぶことによって、カイゼンを積み重ねることが出来れば、サービスや品質管理をあげて、競争力もあがっていく。モノの品質を上げるためには、ワーカーの質を上げなければならない。それが出来ない企業、ショップ、そしてワーカーは脱落していく。中国はそんな競争社会への変化の真っ只中にいる、こちらで生活しているとそんな風に感じることが多い。こういう変革の過程を見られるところにも、今の中国の面白さがある。が、その現場で戦うのはちと、いやかなり辛そうだ。
2004年09月19日
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パソコンのディスプレイから、目を少し脇に向けると、その向こうにはおっきな北京の秋の空が広がっている。人民大学で以前学んだことのあるというドイツ人が、「寮は古くて綺麗とは言えないけど、窓が大きいのがいいのよねー」と言っていたのを思い出した。壁一面に広がっている窓の先には、北京の南西部にあるテレビ塔が綺麗に見える。立ち上がって窓を開けると、吸い込まれてしまいそう。おへその位置はもう窓なので、外の風景に見惚れていると本当に、おっとっと……ということになる。けれど、窓の外に向かっていた視線を部屋の中に戻すと、途端に現実に引き戻されてしまう。床にも広がる新聞に、雑誌に、本の山。「部屋を整理すると勉強の効率もあがるんですよ」小学校の時、四谷大塚という塾の先生にそう言われたことは今も覚えていて、確かにその通りだと思う。けれども、あの日の整理下手は今も変わっていない。会社を辞めて留学生活を始めて2年半、大学院も2年目。早くもまたこの先の進路を考えないといけない時期にある。論文も書き進めなければならない。早く現実の世界に戻らないといけないのだけど、窓の外ばかり眺めて、部屋の中は一向に片付かない。-------九一八中国人なら誰でも知っているこの日だが、私も中国に来る前は意識したことがなかった。満州事変から73年である。「国恥を忘れるな」として、夜9時18分に、サイレンや車のクラクションを鳴らすことを「遼寧九一八戦争研究会」が呼びかけ、今年初めて、全国100ヶ所以上で行われる計画があることを、事変の起こった地元遼寧の夕刊紙が報じた。北京の新聞もそれを転載している。その他報道でも、愛国が強調されているが、日本と結びつけた報道は、外交部の記者会見以外、今のところ、見かけていない。○人民網日本語版今年「9・18」全国100以上の都市で一斉サイレンhttp://j.people.com.cn/2004/09/16/jp20040916_43460.html
2004年09月18日
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17日から24日まで北京・王府井で「日本映画祭」が開催中。 中井貴一さん、田中麗奈さんらも来ているらしい。中井貴一さんがプレスリリースのなかで、サッカーと反日に触れている。「サッカー以来、中国の反日感情が問題となり世間で騒がれている昨今ではありますが、初の日本映画祭が、中国本土、北京で開催される事となりました。中国映画に参加させて頂いた私にとって、こんな幸せな事はありません。我々には、政治的背景などは微塵もなく、映画という一つの文化を通じて、お互いの国が理解し合い、両国が共有できる時間をもっと持つ事ができるようになれればと、心から願っています。はじめの一歩・・・・・・!! 中井貴一」...私も見に行きたいのだが、まだ行けていない(19日現在)....(泣)。北京大使館からの案内http://www.cn.emb-japan.go.jp/jp/2nd%20tier/15infojapanem/bunka040823j.htm日本電影節サイトhttp://www.omega.co.jp/jff/top.htm
2004年09月17日
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久々のダイレクトメールが立て続けに2通届いた。語学教室と飲用水の会社から。北京日本人会の名簿を見て、ということがその住所表記から一目瞭然。一方、住民票を抜いてある東京の留守宅に来るDMは最近めっきり少なくなったが、電話の勧誘は相変わらずたまにあるようだ。ご苦労様である。名簿を管理する会社があるなら、北京に引っ越したんですよ、と教えてあげたいのだけど。------北京に戻って1週間。耳はいいが、口はまだ。話のプロのアナウンサーも放送前に口をモゴモゴ、早口言葉の準備運動をする。リスニングはそう簡単に衰えないけど、スピーチは30年近く鍛えきた母語でもすぐ衰える。ましていわんや外国語...。初心忘れるべからず。残りの留学生活、言葉の訓練をもっと重視しなければ。書くほうも。------中国共産党の第16期中央委員会第4回全体会議(4中全会)が16日開幕。「執政能力の強化」が主要議題。19日まで。-------日本外務省のサイトに川口外務大臣と唐家セン国務委員との12日の会見の内容がアップされた。http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_kawaguchi/china_0409/gaiyo.html日本での報道は、朝日新聞しか見ていないが、13日朝刊で、東シナ海での天然ガス開発問題と靖国問題について簡単に触れられたのみのよう。王毅新大使の動向とともに、新日中友好21世紀委員会につながる動きに注目したい。日中比較もしたいところ。<以下、特に気になる点を抜粋>3)新日中友好21世紀委員会 ●川口大臣発言 近く新日中友好21世紀委員会第2回会合が開催される。その際、日中両国国民間の相互理解の問題も議論されると承知。日本側として同委員会を重視している。●唐国務委員発言 サッカー・アジアカップの決勝戦においては確かに様々な問題が出た。メディアの役割もある。新日中友好21世紀委員会において、日中両国の国民間で日中友好に向けた感情が希薄になっている状況を如何に解決していくかにつき議論されることを希望する。 ●唐国務委員発言 (イ) 小泉総理の靖国神社参拝については、信条や理念と言うより、日中関係の政治的基礎に関わる問題である。この場では多くは述べぬが、小泉総理には先見の目を持つ政治家として正しい判断して欲しい。
2004年09月16日
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牛丼屋に一人で入る女性。これが日本でニュースになったのは何年前くらいだったろうか?デパート(当代商城)6階のレストラン街の一角にある、カウンター形式の火鍋屋さんで一人鍋をつつく女性を見ながら、そんなことを思った。中国では男女を問わず一人外食するのは意外に不自由である(*)。大学や会社の食堂、汚い安食堂を除いては、これまで一人で気軽に入れる定食屋さんのような店がほとんどなかった。8年ほど前に中国のあちこちを一人旅をした時には、せっかく旅に出たんだから、当地の有名レストランで食べてみたいと思って、大きな丸テーブルにちょこんと腰をかけた。すると今思えば自意識過剰なのだけど、周りの目が気になった。さらに、すべてが大皿料理のため、おかず一品とチャーハンだけでも食べきれない量になり、店員に笑われながらお土産に持ち帰り、朝ご飯にしていた。中華料理は大勢でワイワイ食べるもの。これは多くの人が納得するところだろう。そして、これまでの中国のレストランは、そういうレストランが多かった。が、時代の流れは急である。一人鍋はその象徴に映る。便利にはなるが、何故かちょっと寂しい気もする、そんな食欲の秋である。*牛丼は男性が食べるもの、みたいな観念(差別)は、中国にはそもそもあまりないように思うがどうだろう? 女性の視点も聞いてみたいところ。もっとも、吉野家に関して言えば、中国ではカウンター形式ではなく、マクドナルド形式なので、日本の女性客にも受け入れやすいかもしれない。----(おまけ)ラーメン屋に吉野家の牛丼。一人鍋屋をちょっと歩くと、日本式ラーメン屋と吉野家が並んで入っている。一応敷居で区切られているのだが....。ラーメン屋でなかで、子供はラーメンを、お母さんは吉野家の牛丼を食べている。そんな光景はここでは当たり前である。
2004年09月15日
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「署名(および拇印)証明書」なるものをもらいに北京領事部(三元橋・南銀大sha2階)まで行ってきた。1通130元(約1820円)。日本国内に住所がないと「印鑑証明」がとれないため、それに変わるものなのだが、なんでこうもバカ高いのか?印鑑証明と違って、担当係官の面前で署名をし、拇印を押すため(拇印は押さなくても可)、機械で自動発行できる印鑑証明とは手間がまるで違うことは確かだ。が、それにしても高い、高すぎる。他国の手数料は調べてないが、世界共通価格なのかもしれない。しかし、中国では、日本語の堪能な中国人が執務しているわけで、その給料は世界共通ではもちろんないはず。やっぱり納得いかない。ちなみに、住所を証明する「在留証明」は1通90元。日本の戸籍もしくは有効な運転免許証と、居留証、パスポートの提示で即日発行してくれた。----昼:留学生食堂で魚を食べて8.5元夜:火鍋@建国門 *出張者と---※気になるニュース日本通の王毅氏が駐日大使に。「謹んで職責を尽くし、国の恩に報い、人民のために、積極的に切り開いて恥ずかしくない仕事をしていきたい」。相互理解が深まることを期待。「王毅氏の駐日大使着任 中日関係の改善に期待」(人民網日本語版14日付)http://j.people.com.cn/2004/09/14/jp20040914_43378.html
2004年09月14日
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何も出来ない。かつて非常にお世話になった方が苦しんでいる。なのに私は遠くから何をすることもできない。ただただ回復を祈るのみ。---学部授業の時間割表を留学生事務室で借りてコピーする。大学院の時間割はネット上でチェック。まだ時間割が出来上がらない。前学期の成績がわからないから、取りこぼしあったのかないのかいまだ不明。---大学内の付属病院へ。留学生事務室からの依頼状を持参。学生証に「公費」のスタンプを押してもらう。これで、校医での治療が無料になる。...と、まだ手続きに追われる生活。---昼:留学生食堂、3.5元
2004年09月13日
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何で俺に聞く?大学院の入試に関して、以前ある交流会で一度会った中国人から問い合わせのメール。「妹が人民大の新聞学院を受験したいと言っているんだけど、受験科目は何が必要?」以前にも、見知らぬ別の中国人から、クラスのHPの自己紹介ページを見て、「授業内容などについて教えて欲しい」と問い合わせがあった。クラスのホームページでは本名を名乗っているので、明らかに日本人と分かるはずなのだが。私自身、大学院受験に際しては情報収集に苦労したので、出来るお手伝いはしたいと思っている。だから問い合わせは大歓迎だ。が、中国人の入試と留学生の入試は選抜方法が異なる。中国人は英語や政治などの全国統一試験を受けた上で、専門科目を受験するが、留学生の場合には、統一試験はなく、その代わりに中国語の試験を受ける(あくまでこれは私の大学の場合で、他校では異なるかも知れない)。専門科目の試験も内容に大差はないが、形式が異なる。中国人の試験は、穴埋めや語句説明など、知らなければアウトの問題も多いが、留学生試験は論述がメインなので、自分の国の例に引き付けて書くことも可だ。と、せっかく問い合わせを頂いても、こんな説明をして、納得してもらうしかない。「必要なら、クラスメートに聞いてみようか」とも言ってみるが、多くいるクラスメートの中から敢えて私を選んで質問してきた彼らに別の人を私が紹介するの何だかおかしい。中国人同士では、恥ずかしくて何となく聞きづらいので、外国人である私に質問したということなのかもしれない。にしても、大学院の受験っていうのは、なんでこうも分かりにくいのだろうか? 思えば、日本でも、少なくとも私が大学を卒業した当時は、他大学からの受験生には情報が閉ざされていることが多かったように思う。大学院への進学率が高まっている今、この辺にも改善は見られるのだろうか? --昼:宮保鶏丁丼夜:羊肉麺
2004年09月12日
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デジカメと携帯の電源を日本に忘れてきた。1か月も近くも日本にいたのに、荷詰は出発直前3時間前に始めたのだから自業自得。時差は1時間でも、1か月も留守にすると、すぐには日常モードに戻れない。大して忙しいわけでもないのに、頭がパニックっている。いかん、いかん。ひとつひとつやるべきことをきちんと片付けていくべし。----※気になるニュース*Googleのニュースサイトが日中でついにオープン。日本は9/1、中国は9/10(?未確認)。将来、メディア革命のひとつとして位置付けられるかもしれない。時間を見つけて、日中メディア等の反応を追ってみたい。*新日中友好21世紀委員会第2回会合9/19-20、軽井沢で。日本外務省が10日、正式発表。メンバーの一員である中国の人気キャスター白岩松も訪日か?両国のメディアの取り上げ方にも注目したい。◇新日中友好21世紀委員会の委員(第一回04/05/11現在) 【中国側】 鄭必堅(座長、改革開放フォーラム理事長)▽閻学通(清華大国際問題研究所長)▽張蘊嶺(社会科学院アジア太平洋研究所長)▽陸忠偉(現代国際関係研究所長)▽楊元慶(聯想グループ総裁)▽孫東民(人民日報日本支局長)▽白岩松(中国中央テレビ「東方時空」キャスター) 【日本側】 小林陽太郎(座長、富士ゼロックス会長)▽園田矢(NHK解説委員室専門委員)▽五百旗頭真(神戸大教授)▽松井孝典(東大教授)▽石川好(作家、秋田公立美術工芸短期大学長)▽伊藤元重(東大教授)▽向井千秋(宇宙飛行士)▽国分良成(慶大教授)http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/16/rls_0910c.html
2004年09月11日
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11時北京空港着。ひと月ぶりの第2の故郷はやっぱり落ち着く。新しく北京に来た知り合いの入学手続きを手伝いながら、自分も「報到」。奨学生切り替えの手続きなど。1月分の奨学金1100元を現金で受領。夜は知り合いのルームメートとなった日系ドイツ人とその友達のドイツ人たちと日本食。---今日、中国は「教師節」、先生の日。夏、貴州に訪ねたネット友達は、9月に小学校の算数の先生になったばかり。さっそく祝福のショートメールを送る。低学年の子供がいうことを聞いてくれなくて大変だという。今日は何でも泣いてしまったらしい、先生が。頑張れ、先生!
2004年09月10日
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成田空港のYahoo無料ネットカフェ。出国手続きも終わり、搭乗時間を待つのみ。目の前にはパイロットさん。こんな同じスペースで時間を潰すんだ!パスポートのコピーをスキャンで取られましたが、無料は嬉しいなー。便利な世の中です。。。。九州の台風により、福岡からの同行者の飛行機は欠航に。一路平安を祈って!では、行ってきます~!
2004年09月07日
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最終日。まあ色々あった。近藤書店(朝日店)朝日新聞社内にあるだけあって、小さいながらメディア系の本の品ぞろいはなかなか。1万円弱分を思い切って買う。→青山ブックセンター(六本木)再開支援フェアペーパーバックを一冊。525円。秋葉原で壊れたノートパソコン用のハードディスクを購入。免税(DutyFree)。ADSL不調につき、入りなおすこととし、Yahoo! BBの加入手続きを代理で。自分は使えるときにはもう北京だけど。上野で海鮮。さんまの刺身、アジの活きつくり....、オレンジシャーベット。帰国中はまってしまったTBSの昼ドラ「虹のかなた」が見られなくなるのは残念! テーマが「氷点」に似ている。---明日、お土産の「招き猫」を買うのを忘れないこと!
2004年09月06日
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久々に赤ちゃんを抱っこした。お知り合いのお家を訪ねて。6か月の女の子。小学校時代、弟を抱いてお風呂に一緒に入って以来、忘れていた感覚かも。その11歳違いの弟もすでに18歳。「子供のために」、そう思う気持ちが今の時代、大切だなと思う。----夜は大学のゼミの同窓会。5年ぶりか。卒業後ずっと働いている組は、社会人6年目。ゼミ長は米国出張帰りで遅れて駆けつけてくれた。みんなバリバリ、でも昔と変わってない。うれしい。ここでまた生後6か月の赤ちゃん。可愛い!先生が来年から広島なので次の同窓会は広島で牡蠣を食べるか? 今から楽しみ!
2004年09月05日
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7日に上海、10日に北京へ。3週間強の今回の一時帰国も結局は最後はバタバタ。毎日のようにたくさんの方に会えたけれど、会えなかった方もまた多い。今回の最大の反省点は、パソコンも名刺も住所録も持って来なかったため、連絡先がわからない方がいたこと。「会いましょう!」とこちらからメールしておきながら、連絡先が北京に戻らないと分からない方がいる。失礼極まりない。帰ってからひれ伏してお詫びしなければならない。ごめんなさい!!!-----ネットカフェに来て、クラスのホームページを見ていたら、クラスメートたちはすでに北京に戻りつつあるようだ。宿題の論文の提出方法の話が飛び交っている。何でも13日が先生が学部に成績を出す締切日なのだとか。。。えぇぇー、本当か? ならば、10日に帰ってから宿題を提出して間に合うのだろうか??? もう少し余裕があると思っていたのに……。かなり心配になってきた。単位を落としたら卒業出来ないぞ。----時間がなくて日記にしてないこと(メモ)・東京都美術館 院展・北京の写真@モス・新聞社見学・成田空港にお出迎え・書店巡り
2004年09月04日
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またもやADSL途切れる。プロバイダーに電話するも解決せず。ホームテレホンがいけないらしい。ってなわけでゆっくり日記書けず。。。。しばらく更新が遅れるかも知れません。7日に上海、10日に北京です。(以上、いちょう団地にて更新)
2004年09月02日
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