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2015.12.30

【山田太一/空也上人がいた】◆いつも僕の傍に空也上人がいるここのところ私は、生涯をかけて大切にしていきたいような素晴らしい小説と出合っている。そのことで人生が大きく変わることなんて、まずないけれど、良質で分け隔てのない物語の世界にゆったりとくつろぐことができる。著者は私の大好きな作家・山田太一である。シナリオライターとしてはあまりにも有名で、代表作に『ふぞろいの林檎たち』等がある。小説では『異人たちとの夏』があり、山本周五郎賞を受賞している。 山田太一の描く主人公の特徴としては、たいてい心に闇を抱えている。例えば、仕事に忙殺されていてものすごく疲れていたり、生活には不自由していないけれど孤独を感じていたり、過去の拭えない記憶に壮絶な自己嫌悪を抱いていたりするのだ。人は皆、多かれ少なかれ、どうしようもない闇を内包して生きている。そんな持て余し気味の自分を、ある人は何でもないことのように振る舞ってみたり、またある人はあきらめの境地で受け入れているのかもしれない。 『空也上人がいた』は、27歳の介護ヘルパーである男性が、勤務先の特養老人ホームである秘密を抱えてしまい、その心の闇を抱えつつも、独居老人や46歳女性・ケアマネージャーとの関わりを描いたものである。 ストーリーはこうだ。特養老人ホームで介護ヘルパーとして働いていた27歳の中津草介は、2年4カ月で退職してしまった。夜勤、オムツ交換、食事介助、徘徊、そんなことの繰り返しから極度の疲労が蓄積していたかもしれない。車椅子で認知症のある利用者を、廊下でつまずいた勢いで、車椅子から転げ落としてしまった。その利用者は6日後に亡くなった。草介は仕事を辞めた。そんな中、ケアマネージャーである46歳の重光雅美は、何かと草介に目をかけていた。在宅の独居老人の介助という仕事を持って来たのは、重光が個人的に草介を信頼してのことだった。草介は、とりあえずその依頼を受けることにした。依頼主は81歳で一人暮らしの吉崎征次郎だった。6年前に妻を亡くし、子どもはいなかった。その吉崎が草介に「京都へ行ってくれ」という。草介は怪しみながらも、京都まで出向き、指示どおりに六波羅蜜寺へ行った。そして宝物館へ入館し、空也上人の彫刻を目の当たりにするのだった。 この小説は恋愛小説というカテゴリに入ると思う。それなのに、これまでの恋愛小説と一線を画すのはなぜか?おそらくきっと、ふわふわしたメルヘンからはほど遠く、より現実味を帯びたストーリーだからであろう。もちろん、読者を意識してよりドラマチックな展開にはなっている。それでも恋愛の向こうに結婚があり、結婚の向こうに介護問題が見え隠れするのは、凄まじいリアリティーさだ。だが心配はいらない。著者はちゃんと救いの手を差し伸べているからだ。人間はそれほど強い生きものではないことを承知の上で、空也上人という壮絶な修行僧を心の支えとして登場させている。(いつも我々と共に歩んでくれるという意味で。) さて、小説のラストでは、草介が老後のことを夢想している。妻の乗る車椅子を押して歩く自分の姿を見ているのだが、その時の妻の目がスゴイ。この描写に私はホラーを見た。山田太一の小説はどれも秀逸だが、この『空也上人がいた』は、さらに輪をかけた素晴らしさである。人生につきまとう自己嫌悪の気持ちを、そっと包み込むような優しさと寛容さを感じさせてくれる作品なのだ。 『空也上人がいた』山田太一・著★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2015.12.26

【葉室麟/散り椿】◆清く正しく美しく生きる姿に、胸が熱くなる。私は今年44歳になったが、中学時代の恩師とはいまだに年賀状のやりとりや、たまのメール交換などをしている。定年を前にした恩師は、これまで以上に読書の幅を広げ、心の琴線に触れるような作品と出合った際には教え子に惜しみなく紹介していこうと思っているようだ。最近、久しぶりに届いたメールにも、やはりお勧めの一冊についての感想が寄せられていた。それが葉室麟(はむろ・りん)の『散り椿』である。もしかしたら私が、「歴史・時代小説が好き」だと言ったことがあるのを覚えていたのかもしれない。だとしても純愛をテーマにしたこの『散り椿』という小説は、恩師がこの一冊としてエントリーした作品に相応しいものだとつくづく思った。 著者の葉室麟は、北九州市小倉の出身で西南学院大学卒である。『銀漢の賦』で松本清張賞を受賞し、『蜩ノ記』で直木賞を受賞するという飛ぶ鳥を落とす勢いのある作家なのだ。(ウィキペディア参照)この小説を何の先入観もなく読んでいると、もしや著者は平成の新鋭か?と思ったりする。それぐらい文体がみずみずしく、しかも純朴な感性に心を打たれるからだ。ところがプロフィールによれば1951年生まれ、御年64歳。いや、驚いた。 あらすじはこうだ。瓜生新兵衛は、ゆえあって故郷を離れ、愛妻の篠とともに京都の地蔵院に身を寄せていた。病床に臥す篠を一生懸命に介護するものの、その甲斐もなく、篠は亡くなってしまう。新兵衛は生前、妻と約束したことを果たすべく、故郷へと帰藩したかつて一刀流道場の四天王と呼ばれた勘定方の新兵衛は、その実直さから上役の不正を訴え、藩を追われていたのだ。帰る家のない新兵衛が身を寄せたのは、篠の妹である坂下里美のもとだった。里見の夫・源之進は、新兵衛の旧友であり四天王の一人だったが、無実の使途不明金を糾問され、自害していた。里見と源之進には一人息子である藤吾がいたが、父親の二の舞にはなるまいと、殖産方として日夜励んでいた。そんな中、藤吾にとっては伯父に当たる新兵衛がやって来たため、心中、穏やかではない。18年も前とはいえ、追放になった親戚が訪ねて来ようとは、はた迷惑な話だと思うのだった。そんな藤吾の複雑な心境をよそに、母の里見はかいがいしく新兵衛をもてなし、新兵衛もまた遠慮のない気さくな態度で接していた。一方、藤吾には秘かに武士として尊敬している人物がいた。それはやはり四天王の一人である榊原采女で、新兵衛の旧友だった。采女は冷静沈着にして容姿端麗。いずれ家老にまで昇りつめるのは間違いないと見られていた。その采女が、実は新兵衛の妻である篠にずっと想いを寄せており、いまだ妻を娶ることのない独り身であることを、藤吾は知ったのである。 『散り椿』は時代小説なので、厳密に言えば歴史考察に難のある個所はそれなりにあると思われる。だが、それで良いと思う。その時代を必死に、懸命に生きる人々を生き生きと自在に描くことに意義があるからだ。現代人には忘れがちな純粋さや素朴さが際立って美しくよみがえる。不正を良しとせず、まじめに生きようとする者が追われる世の中であってはならない。清く正しく美しく生きる姿に、胸が熱くなる。父から息子への代替わり、純粋な恋、不正を許さぬ誠実さ、すべてがドラマチックに描かれている。藤沢周平の筆致にも似ているかもしれないが、葉室麟の方がやや現代的で、若い世代にも受け入れられ易いかもしれない。 「読む本がない」と嘆いているあなた、「感動したい」と切望しているあなた、ぜひともこの作品をお勧めしたい。必読の書である。 『散り椿』葉室麟・著★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2015.12.19

【シグナル】「俺も具合が悪いんだ。まるで体の中に何かがいるみたいだ。その何かが俺をむしばんでいるんだ」「どんなふうに?」「まるで体じゅうに、、、」「・・・違和感がある?」「そうだ」『シグナル』の予告編にもあるように、内容は意外性とか予想を超えた展開に目を見張るものがある。とはいえ、作品自体は低予算映画であることに違いはない。(要するにB級映画というやつだ。)作品の冒頭は、何やらイイ感じの青春映画的な彩りで、男子2人女子1人の関係にワクワクさせられる。これのどこがSF映画なんだろうかと首をかしげながら探っていくと、段々と流れが分かって来る。 ストーリーはこうだ。マサチューセッツ工科大学のニックは、足が不自由で杖を頼る生活をしていた。ガール・フレンドのヘイリーが複雑な想いを抱えつつも、カリフォルニア工科大学へと1年間転学することになり、ニックとその親友ジョナは引っ越しを手伝うことにした。もともとは障害のなかったニックだが、足にハンデを負ったことで、ヘイリーとの関係がギクシャクしていることも理由の一つだった。そんな中、謎のハッカー“ノーマッド”がマサチューセッツ工科大学のコンピュータをハッキングして来た。ニックとジョナはMITの学生という誇りがあるため、何とかしてそのハッキングを阻止してやりたい、突き止めてやりたいという意気込みがあった。マサチューセッツからカリフォルニアへと横断する際、ネバダへと立ち寄ることにした。GPSで“ノーマッド”の居場所を突き止めたからだ。ニックとジョナは、車内にヘイリーを残すと“ノーマッド”の居場所と思われる廃墟を捜索することにした。深夜の廃墟は不気味で、人の気配はなかった。“ノーマッド”にまんまと一杯食わされたと思っていると、突然、車内に残したヘイリーの金切り声が聴こえた。驚いたニックとジョナは、慌てて車の方に戻ると、ヘイリーは何者かに拉致され、突然、周囲が漆黒の闇に変わった。 作品そのものの意図することは、正直わからない。そもそもB級映画にテーマなんかないかもしれないが、ただ、もう少し主人公の背景を知りたかったのは事実だ。たとえばニックのハンデは生まれつきのものではないことは、作中の回想シーンで明らかである。何かクロスロードカントリーのような競技の最中、降雨の後なのか泥に足を取られて転倒するシーンや、ジョギングしているとき水かさの増した川を前に立ち往生する場面が出て来る。これが一体何を意味するのか?このときまで足にハンデはないから、この競技の後に何らかのトラブルに巻き込まれたということなのか?あるいは、ニックが隔離施設に収容されている際、ドクターから「君は地球外生物と接触したことで汚染されている」と説明を受けたあと、ニックは鼻血を出す。このどす黒い鼻血の意味するものは何なのか?さらには、隔離施設でずっと昏睡状態にあったヘイリーが、ニックとともに脱出後、いきなり目覚めるのだが、施設内と外では空気が違っていたのだろうか?そのへんの経緯がわかれば、もっと楽しめただろうし、自分なりの解釈もできたに違いない。漠然と思ったのは、マサチューセッツ工科大学のエリートさえ太刀打ちのできないインテリ生物が、この宇宙には必ず存在するのだ、ということだ。要は、“上には上がいる”という意識を再確認したわけだ。 SF好きには必見の逸作である。 2014年公開【監督】ウィリアム・ユーバンク【出演】ブレントン・スウェイツ、ローレンス・フィッシュバーン
2015.12.14

【仏レポ/徳泉寺 木喰仏】 もともと古寺めぐりを趣味とする私は仏像を眺めるのも嫌いではない。ところが昨今、拝観料をおさめてやっと拝めるか、秘仏扱いでパンフレットでしか目にすることができないこともある。そんな中、地方にはまだまだ庶民とともに寄り添うように安置されている仏像がある。それは実に素朴で愛嬌があり、ややもすればバランスに欠いていて、決して芸術的に優れているかどうかは疑問だ。それでもその一つ一つの仏像に作者の並々ならぬ思いとかロマンを感じないではいられない。それこそが歴史であると私は思うからだ。 さて今回私が訪れたのは、静岡県浜松市浜北区堀谷という集落である。県道296号線を道なりに北上するのだが、すれ違う対向車はなく、昼間だというのに長い静寂と孤独なドライブだった。たどりついた堀谷には、それでも何十軒かの住宅が点在しており、生活の足音が聴こえて来た。目指すのは徳泉寺。そこには、浜松市指定有形文化財でもある木喰仏が安置されている。 ◆木喰仏ってなに? 木喰仏とは、いわゆる木喰上人が残した仏像のことだ。行き着いた先によっても違うが、大きくて立派な仏像を刻むこともあれば、わずか20センチ足らずの小さな仏を宿泊のお礼として農家に残すこともあった。 ◆木喰上人とは? 木喰上人と名乗った僧は何人かいる。これは木喰戒と言って、五穀を口にせず、木の実やそばの実を食べて修業した徳の高い僧のことだ。この堀谷の地に訪れたのは木喰五行上人(もくじきごぎょうしょうにん)と言い、庶民に布教するため日本全国を回った作仏聖(さくぶつひじり)である。 徳泉寺の境内には、樹齢何年(年数を記録し忘れてしまった)というモクレンの木が茂っている。その美しい稜線に、思わず目を奪われる。 目的の11体の木喰仏の隣には、お地蔵さまが仲良く並んでいる。冬のあたたかな陽射しを背中に浴びて、のどかに微笑んでおられるのだ。 木喰仏はさすがに市の文化財ということもあり、頑丈なケースに安置されていた。盗難防止のためなのか、物々しく鉄格子のようなケースだ。(表面のガラス材を通して撮影したため、光ってしまったのが残念。) 堀谷地区は、バスや電車などの公共交通が来ていないため、意志がなければなかなか訪れる機会のないところである。今回、知り合いのN美さんがわざわざ車を出してくださり、草深い徳泉寺まで出向くことができた。この場をお借りして厚く御礼申し上げたい。 【参考文献】『静岡県の仏像めぐり』静岡新聞社
2015.12.07
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