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【チャッピー】「いや、ダメだ。ムダなことだよ。ボクは死ぬ。バッテリーがないんだ」「いやよチャッピー! きっと何か良い方法があるはずだわ」「いや、ボクは死ぬ」ニール・ブロムカンプ監督と言えば、大ヒット作『第9地区』を作った監督でもある。この監督の一貫したテーマでもある「見かけだけで人を判断してはならない」という主義は、この『チャッピー』においても際立っていて、改めて豊かな表現力と想像力を賞賛せずにはいられない。主人公チャッピーを演じるのはシャールト・コプリーで、役柄上、顔は露出されないけれど『第9地区』以来ずっとブロムカンプ監督とタッグを組んで来た役者さんである。 舞台となっているのは定番の南ア・ヨハネスブルクだ。世界でも有数の犯罪都市ということもあり、警察組織が犯罪に巻き込まれるのを防ぐため、危険な前線にロボットを配備するという設定が、現実味を帯びていて面白い。なにしろヨハネスブルクと言えば最悪の治安で、たとえ警官と言えどもおちおち一人では歩けず、身ぐるみ剥がされるばかりか、最後は当然のように殺されてしまうからだ。そんな状況下で、警察が自衛手段としてロボットを導入するという発想は、今後、あながちありえなくはないのではなかろうか。 ストーリーはこうだ。ヨハネスブルクの当局は、犯罪を軽減するため最先端の人型ロボットを導入した。それらロボット兵器は、警官の代行として危険な前線で戦っていた。人型ロボットの設計者はディオンで、さらなる高性能の人工知能ソフトウェアの開発に勤しんでいた。それは感情さえ持っている人間の知性を搭載したソフトウェアで、やっと開発に成功したのだ。ある時、ディオンは上司にロボットの試作を申請したところ、許可されなかった。だがディオンはあきらめきれず、廃棄寸前のロボットを実験台にするべく、必要なUSBとともに自宅へ持ち帰ろうとした。ところが帰宅途中、3人組のギャング、ニンジャ・ヨーランディ・アメリカにロボットもろとも誘拐されてしまう。一方、ディオンの同僚ムーアは、自分の開発した攻撃ロボットを当局に売り込んでいた。プレゼンテーションではムーアの開発した攻撃ロボットではあまりにいかつい外見で、しかも街じゅうを戦場にしてしまいそうな攻撃力のため拒絶されてしまう。そんなムーアは、前途洋々のディオンに対し、並々ならぬ嫉妬心を抱くのだった。 この作品を見ると、いろんなことを考えさせられる。最悪な治安状況下では、警官の代わりとして活躍をする人型ロボットは、一見、大変効率の良いツールのように思える。ところがいったんウィルスが何かの影響でダウンしてしまうと、ロボットは使い物にならず、やはり最後は生身の人間が手をくだすこととなるのだ。また、外見というものがそれほど大切なものではないとすれば、人の意識をコピーするソフトウェアを使うことで、人としての肉体が滅びようともロボットとして永遠に生き続けるという選択肢もある。そんな中、この問題を追求してしまうと、何やらこれまでの「見かけだけで人を判断してはならない」という主張にメスを入れることになりそうな気がしてならない。 『チャッピー』は日本で公開されるにあたり、カットされたシーンがあるようだ。(ウィキペディア参照)それは、3人組ギャングの一人であるアメリカが、ムーアの開発した攻撃ロボットに惨殺されるシーンらしい。本来はギャングの方が悪役で、ロボット開発者のムーアがやったことが正義となるはずなのだが、この作品では完全に善悪の判断が変わっている。そのあたりをじっくりと考えながら見るのも楽しい。チョイ役でシガニー・ウィーバーが出演しているのも嬉しい。こういう近未来映画には圧倒的な存在感を誇る女優さんなのだ。 2015年公開【監督】ニール・ブロムカンプ【出演】シャールト・コプリー、ヒュー・ジャックマン※ご参考ニール・ブロムカンプ監督の『第9地区』はコチラから
2015.11.30
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【見延典子/もう頬づえはつかない】◆貧困女子大生の恋愛事情70年代は、いろんな意味で新しい風の吹いた年代であった。小説はそれが顕著に表れているのだが、たとえば村上春樹が登場したり、三田誠広や中沢けいなんかも産声をあげた。中でも見延典子は女子大生のゆるい日常を俗っぽく描いていて、本人の体験手記なのではと読者をハラハラさせるリアリティーさが受けた。当時ベストセラーとなった『もう頬づえはつかない』は、著者である見延典子によると、「これは大学に提出した卒業論文」であるとのこと。そのわりに文体は堅くないし、臨場感はあるし読み易いので、ごくごくフツーの小説として楽しめる。 見延典子は札幌市出身で早大第一文学部卒である。最近では『頼山陽』で新田次郎文学賞を受賞しているが、いつから歴史や伝記文学へと転向したのであろうか?代表作の『もう頬づえはつかない』は50万部を超える大ベストセラーとなり、1979年に桃井かおり主演で映画化もされた。(ウィキベディア参照)今回、当ブログの管理者の一人が『もう頬づえはつかない』の単行本を持っていたため、私は遅ればせながら一読させてもらう機会を得た。あらすじはこうだ。 貧乏女子大生のまりこは印刷工場でアルバイトをしていた。そこで知り合った同じく貧乏学生の橋本と、ずるずるとした関係を持つようになったまりこだが、実はまりこには同棲している恒雄がいた。だが恒雄は風来坊で、すでに1年近くも音沙汰がなかった。恒雄はまりこと同じ大学の法学部生だったがすでに退学。愛嬌のある橋本とは対極にあり、無愛想で無口でそれでいてまりこには抗えない魅力を感じさせる男であった。まりこは自分のアパートに住み着いてしまった橋本をキープしつつも、心はいつも恒雄の帰りを待っていた。そんなある日の深夜、ふらりと恒雄がまりこのところへ戻って来た。だが部屋には橋本が寝ているため、まりこは恒雄を中には入れず、場末のスナックへと誘った。後日、橋本が帰省のため鹿児島へと帰ってしまうと、まりこは待ってましたとばかりに恒雄のもとに出かけた。新宿のホテルで恒雄に抱かれ、快楽を貪った。感動的とも思えた再会と抱擁はつかの間だった。まりこは妊娠したのだ。だが、実際のところ、相手が恒雄なのかそれとも橋本なのか分からない。まりこは愛する恒雄の子を宿したのだと思い込み、恒雄のアパートに何度も足を運ぶのだった。 言うまでもなく結末は陰惨で、後味は悪い。こういう小説が当時のベストセラーだというのだから、おそらく時代性もあると思われる。私の好きな書評家である斉藤美奈子が、『妊娠小説』という抱腹絶倒の著書の中で、この手の小説をバッサリと斬っている。「未知なる妊娠に対する率直なおどろきである」と。これは主人公のまりこが女子大生という立場にありながら妊娠してしまうという設定と、著者である見延典子が23歳でこの体験談とも受け留められる作品を発表したという意外性も付加される。青春の苦悩とか何とかを表現した小説には違いないのであろうが、ひょんなことから妊娠→中絶というプロセスは、いつの時代にもごく当たり前のように存在した。娯楽の少ない時代には、肉の悦びもスポーツやゲームの一つだったかもしれない。だが今後はどうなるか?昔はこういう小説が世間をあっと驚かせるものだったのだと若い人に教えてやりたい気がする。この小説を読んで衝撃を受けるかどうか分からないけれど、ちょっと試しに読んでみてはいかがだろう?女子高生、女子大生の方々、ぜひどうぞ。 『もう頬づえはつかない』見延典子・著★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2015.11.22
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【サボタージュ】「あんたは俺たちの心と魂なんだぜ」「今回ばかりはヤバかったがな」「弱気になんかなるな。こうして再会できたんだし。俺たちは生き残れたんだ。チームとしてな」先日見た『フューリー』と同監督がメガホンを取っているので、いくらか期待してしまったのがマズかった。出演者が豪華なだけにまだ良かったけれど、この作品は一歩踏み違えたらB級スレスレの安っぽさしか残らない。見終わった後の充実感が皆無というのも珍しい作品だ。これだけボロクソに言ってしまうと、なんだか申し訳ないような気になり、どこかまともに評価できるシーンなどなかっただろうかと、もう一度思いめぐらしてみる、、、が、やっぱり思い当たらない。『ターミネーター』シリーズのアーノルド・シュワルツェネッガーとしてのキャラが、ちゃんと生かされていたのだろうか?あるいは年齢的なものなのか、アクションにもキレがなく、寄る年波には勝てないと言ったあんばいだ。これだけケチョンケチョンに言ってしまってなんだが、『サボタージュ』のストーリーはこうだ。 ジョン・ウォートン率いる麻薬取締局(DEA)の特殊部隊は、ブリーチャーという異名でその筋の者たちから怖れられていた。とはいえ、ジョン・ウォートンは仕事柄アメリカ国内外の凶悪な麻薬組織を相手にしていることから、愛する妻を残虐な殺害方法で失っていた。妻の悲痛な叫び声が忘れられず、救出できなかった自分の無力さに苦悩する日々だった。ある日、ジョンのチームは麻薬カルテルのアジトに踏み込み、2億ドルの闇金から1000万$をネコババする計画を立てた。摘発の際、押収金の一部を隠し、夜になって再びチームは隠し場所にやって来たものの、金はすでに何者かに持ち逃げされていた。そんな中、麻薬取締局では押収金が足りないことから、ジョンのチームに疑惑の目が注がれた。ジョンの指揮するチームは、それぞれがワケありで粗暴な荒くれ者揃いだったからだ。チームの者たちは1000万$ネコババして、後から山分けするつもりだった計画が崩れ、さらには局内の信用を失い、仕事も取り上げられてしまいクサクサする。そうこうしているうちにチームのメンバーが一人ずつ殺害されていくのだった。 ウィキペディアによると、この作品はアガサ・クリスティーの小説『そして誰もいなくなった』をもとにしているらしい。私はこの小説を読んでいないので、原作については何とも言えないが、少なくとも『サボタージュ』のストーリーについてはツッコミどころが満載で、「えーっ」と声を出さずにはいられない。どこがどういうふうだったら良かったとか、この役者さんのこんな演技がすばらしいだとか、そういう感想もない。残念すぎる作品なのだ。 2014年公開【監督】デヴィッド・エアー【出演】アーノルド・シュワルツェネッガー、サム・ワーシントン、テレンス・ハワード
2015.11.15
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【相棒~劇場版3~巨大密室!特命係絶海の孤島へ】「つまり自分たちの身は自分たちで守るしかないんですよ。そんな簡単なごく当たり前のことからどうしてみんな目を背けるんだ? 私は決して自分から危害を加えたりはしない。そこが決定的にテロリストとは違います」「だとしても非合法兵器を持っていい理由にはならないでしょう?!」「そんなことは分かっている!」テレ朝の刑事ドラマはどれも定評があるものの、『相棒』もまた幅広い年齢層に支持されているようだ。2000年に放送が開始されて以来なので、もう15年にも渡ってお茶の間で愛され続けているというわけだ。今回の劇場版については、これまでどおり可もなく不可もなく、という感想に留めておきたいと思う。もともと『相棒』は思想的にも左寄りで、何かと言うと自衛隊を敵視している。特命係VS自衛隊という図式さえチラチラと見え隠れする。国の防衛という行為を、まるで戦争への助走のように煽り立てるのもいかがなものかと思う。世界常識からすれば、国防に力を入れるのは当然のことであるし、永世中立国と言われているスイスには、ちゃんと軍隊が存在する。防衛あってこその賜物であることは周知のとおりである。 ストーリーはこうだ。特命係の杉下右京と甲斐亨が出勤すると、部屋には神戸尊が待っていた。神戸はかつて特命係に在籍していた人物である。用件を尋ねると、神戸は「馬に蹴られて男性が死亡した事件をご存じですか?」と聞いて来た。その事故は、新聞にも小さいながら記事として載っていたので杉下は知っていた。現場は八丈島を経由した小さな孤島で、某実業家の所有する鳳凰島だった。その島では、元自衛官というキャリアを持つ集団が武装し、合宿生活を送っているとのこと。さらには、生物兵器を製造しているというウワサもあり、特命係に事故の調査を依頼して来たのだ。さっそく杉下と甲斐は島へ向かい、事故現場の検証を行った。ところが不審な点がいくつか見つかり、杉下は事故ではなく殺人事件ではないかという疑念を抱く。杉下は密かに鑑識課の米沢と連絡を取り、真相に迫ろうとしていた。 例によって杉下右京のクールでスタイリッシュな身のこなしは、キャラクターとして大成功である。高度な推理力、洞察力、さらにはいかなる権力、圧力にも屈することのない正義と信念の持主という設定は、視聴者サイドの要求を充分に満たしてくれるものだ。水谷豊のメリハリに富んだ演技も、このキャラクターを活かすのにとても効果的である。刑事ドラマとしての『相棒』はとても完成されたものであるし、万人が楽しめる作品だと思う。 だがもしも思想的なものを盛り込んで社会派ドラマへと転換するなら、もうひとひねりが必要だ。平和を語る前に、日本を取り巻く世界情勢についても希薄だし、自衛隊の存在価値を否定するだけのものも表現されていない。それならいっそ警察内部の汚職などを徹底的にドラマチックに仕立ててみたらどうだろう、定石ながら。災害時に命を懸けて活動している自衛官の姿を見たら、この映画に描かれているような自衛隊への批判など、とうてい言えまい。 とはいえ、興行的にも成功しているこの作品はそれなりに支持されているのも確かである。そこそこ楽しめるという意味ではおすすめだ。 2014年公開【監督】和泉聖治【出演】水谷豊、成宮寛貴、伊原剛志~ご参考~★相棒-劇場版- 絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソンコチラ★相棒~劇場版2~コチラ
2015.11.01
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