吟遊映人 【創作室 Y】

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2008.03.12
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カテゴリ: 映画/TVドラマ

「・・・心得申した。」
(西郷は、大久保との青雲の志に燃えた若き日を走馬灯のように回想する。)
「ご免なったもんし!」
(別府晋介の介錯により、西郷は絶命。)

鹿児島という一つの根から生まれた西郷と大久保は、ともに傑出した個性を持っていたため、どうしても対立しなければならない運命を背負っていたかのように思える。
時代が大きく変わろうとしていた江戸末期、人間は「時代の中に全ての可能性を引き出そうと動いて」いた。
歴史や伝統の中にどっぷりと浸かっていた島国民族が、井の中の蛙であった己の姿に気付き、自己破壊してゆくのだ。
言わば、歴史と伝統を破壊する時代に突入したのだ。


総集編第二部後編は、「明日への飛翔」と題される。
「翔ぶが如く」もこれが最終章となる。

明治6年末、鹿児島県下は無職で血気盛んな壮年、若者であふれていた。
そこで、これを指導し、統御しなければ方向性を誤ると考え、西郷は「私学校」を設立。

名目上は漢文の素読と軍事教練であったが、その実、不平士族の暴発を防ぐことにあった。
しかし、これが西南戦争の直接的原因を生み出す結果となる。
明治10年になると、この私学校の生徒が火薬庫を襲撃するという事件が起きる。
火薬庫を襲うことは重罪で、死刑に値した。
狩猟先でその一報を受けた西郷にとっては、寝耳に水のことであった。
一方、政府はこの一件を鹿児島県士族の反乱と見て、警戒命令を出す。
また、明治政府による西郷暗殺計画などの陰謀が明るみになるなど、様々な要因が重なり、西南戦争の火蓋が切られたのである。

それほどの犠牲を払って死守していた田原坂であったが、圧倒的兵力の差で政府軍が大勝。
薩軍は撤退を余儀なくされる。
鹿児島に入った薩軍はまず城山を占拠。
しかし政府軍は城山包囲態勢を完成させ、薩軍は窮地に追い込まれる。
こうして政府軍の総攻撃により、前線に立って指揮をしていた西郷も股と腹に被弾。

一方、西南戦争で政府軍を指揮し、薩軍を敵に回した大久保は、同じ政府関係者からも批難を浴び、厳しい状況に立たされてしまう。
そしてついに明治11年、大久保利通は不平士族らの手により暗殺される。

作家司馬遼太郎の作品に共通してスポットが当てられる登場人物。
それは、古い歴史や伝統に深い関心や尊敬を持ちながらも、一方では伝統を破壊し、天下に野望を抱くというものだ。
一体、それらが何を意味するのか?
誰にも止められない、逆らうことのできない時代の流れ。
歴史の進行を意味するのではなかろうか。
古い時代と新しい時代との間にできた深い溝。
その溝を埋めるべくして、西郷や大久保たちが全力を尽くして運命に挑戦してくれたのだ。
そうして近代日本を造り上げた彼らの精神を、魂を、決して無駄にしてはならないのだ。合掌。

「時代だ。時代というものよ。時代のみがわしの主人だ。時代がわしに命じている。その命ずるところに従ってわしは動く。時代とは何か。天と言いかえてもよい。」
(『国盗り物語』より司馬遼太郎・著)

1990年TV放送
【原作】司馬遼太郎
【脚本】小山内美江子
【出演】西田敏行、鹿賀丈史

また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。
See you next time !(^^)





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最終更新日  2008.03.12 06:42:34 コメントを書く


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