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2013.08.06
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カテゴリ: 名歌と遊ぶ
20130806


どちらが本当か


お前は
晴天なのが本当か
雨のふるのが本当か
曇天が本当か
風の吹くのが本当か
吹かないのが本当か。

川よ
お前は
清いのが本当か
濁っているのが本当か
激しているのが本当か
静かなのが本当か

私は知らないよ。


武者小路実篤


武者小路実篤の飄々とした様子が眼に浮かぶようだ。
かの時代も何かと騒々しかったであろう。武者小路実篤、そこをしかと見つめた上でサラッと言ってのけた。

私は知らないよ。

サスガだ、心底そう思う。こういうのを本当に「穿った見方」というのであろう。

今の世も、武者小路の時代に負けず劣らず何かにつけて騒々しい。新聞を何紙か見ると世は末期症状のごとく思えている。行間からは断末魔の叫びが聞こえてくるようだ。
しかしどうだ、新聞が社説やコラムをもっていくら世を憂い批判しても何か変わったのか?
かつて「山が動いた」と大賛辞した政治は時の歴史に何か変化をもたらしたのか?
虚しい限りである。

だからというわけでもないが、今 我々のまわりで起きていること、というか我々の有限なる来し方行く末において、すべては取るに足らない事である、そう思えてくるのだ。

山道を車で行くと「落石注意」の看板があった。師は絶叫交じりに言うのだ。

『それがどうしたと言うの?
だからどうしろと言うの?』


たえず上を見ながら運転することはかなわない、つまり注意しろと言われても注意など出来ようはずも無い。落石がドーンと来たときに『落石があったなぁ』とわかるのだ。
ブラックユーモアとしては微苦笑も出ようが、「落石注意」という看板の意味をよくよく考えるにうすら寒さを覚える。
とどのつまりは、

私は知らないよ。

そういうことなのだ。
そして武者小路実篤は飄々としつつも明るく無邪気な笑みを浮かべるのだ。斜に構えることなくいつも真正面だ。

あらためて武者小路実篤の達人たるを思った次第。伊達に運命は氏を長生きさせたわけではないのである。氏の薫陶を受けた方々は多くおり、今だご健在の方もあると聞く。
願わくは、その方々には世の瑣末に関わることなく、

私は知らないよ。

と風に吹かれていてほしい。

それにしても、偉いのは武者小路ばかりではない。この案山子はどうだ。ここまでくれば雀はもとより、多少脳みその大きな禽獣とて案山子とは見破られまい。
「落石注意」の看板にくらべ雲泥の差ではないか。

清いのが本当か 濁っているのが本当か


武者小路実篤が、文章をおこし、絵を描き、百姓をした所以もそこにあるのだ。

まあ、何があっても「私は知らないよ」ということでね♪

20130124aisatsu





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最終更新日  2013.08.06 08:44:46
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