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銀座にあります資生堂ギャラリーとハウス・オブ・シセイドウ。二つとも資生堂が運営するアートスペースですが、意外にも今回が初めての共同企画展だそうです。 銀座という土地柄、資生堂というブランドを意識したスタイリッシュな展示をしている両者ですが、どちらかといえば大通りに面している資生堂ギャラリーの方が現代作家に力を入れている印象がします。今回は、その両者が共同で企画したのが「都市に生きるアール・デコ展」です。 「アール・デコ」とは、20世紀に流行したデザイン様式ですね。日用品、自動車から建築に至るまで様々なデザインに影響を与えました。幾何学的な線が特徴的です。 今回の展覧会は、一級建築士であり写真家、紀行作家でもある稲葉なおと(稲葉尚登)さんが、世界11都市にあるアールデコ様式のホテルに泊まって撮りおろした写真作品180点による展覧会です。 世界各地にあるアールデコ様式のホテルなのですが、どうもオトナの雰囲気がします。建設されてから100年ぐらい経った建築物が多く、おそらく「老朽化による取り壊し」と「古典化による保存」の狭間から、ようやく古典の方に針が振れたような建築なのですが、成熟したスタイリッシュなオトナ文化の匂いがするのです。 ホテルというのは、考えてみれば面白いところですね。 ホテルに何を求めるかは各人・各ホテルによって強弱の差はあると思うのですが、「自宅に帰ったような、くつろぎ」も、「せっかく泊まりに来たんだから、という高揚感」も、どちらも必要な場所でしょう。 おそらく、出来た当時は時代の先端を行く「高揚感」なのでしょうが、今から見ますと、どのホテルもクラシックな装いとともに「懐かしさ」を感じてしまう。でも、そのゴージャスな雰囲気から高揚感といいますか、タイムトリップでもしたような浮遊感がするのです。 この、異なる二つの味が、巧妙に混ざったような写真展ですね。 まあ、写真の中にも、どこかの海岸の、あんまり高級ともいえなさそうなホテルで、しかも入り口付近で泊り客が食事をしている前を、ジョギングしている人が横切っていくような、どうしようもなく日常的な風景もありますし、パリやニューヨークの高級そうなホテルのラウンジもあります。 でも、全体的にちょっと日常と非日常が同居する感覚。1日の時間にたとえれば「たそがれ時」のように昼間と夜が交錯するような雰囲気がします。 そのスタイリッシュさは、やっぱり、資生堂ギャラリー的でもあるし、ハウス・オブ・シセイドウ的でもある。なかなかテーマの選定として、いいところに球を投げた写真展ですねえ。 しかも、アールデコと資生堂の高級化粧品の雰囲気も、どこか重なる感じもします。うーん、資生堂はファン作りが上手いなあ、と思ってしまう展覧会でした。 *会期中、作品の展示替えがあるようです。入場無料ですから、何度行ってもいいですねえ。
2006.04.30
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つねづね思うことですが、日本の美術館・博物館の「常設展」という表示は、カンバンに偽りがあります。 常設展というのは、読んで字の如く「常に美術館に設置してある」ということでしょう。ルーブル美術館だと、ニケとかモナ・リザとかですね。ところが、東京都現代美術館の常設展は、本当にいつも展示している作品は本当に少ない。 もちろん、現代美術館の持っているコレクションは、現代日本の美術を語る上では外せない貴重なコレクションです。他の企画展でも、「あれ!?見たことあるね」という現代美術館のコレクションに出会うことが多々ありますので、やはり企画展へ貸し出すことを考えれば、常設できる作品が少ない、あるいは作品保護のために常時展示しておくのはコストがかかる。これは分かります。 ですが、例えば貴重なコレクションを「あそこに行ったら、いつでもアレが見られる」というものがあるでしょうか。観光客、常連客問わず、やはりマスターピースを見たいときに見られるというのが常設展であり、美術館がコレクションする醍醐味だと思うのです。 スペースの関係もあるので常設展をこれ以上増やすこともできないとは思いますし、コレクションの中から企画展を開催するような常設展は、企画の腕を磨く最良の機会だとは思うのですが・・・・。うーん、ちょっと納得いきませんねえ。 さて、29日の前日に現代美術館から案内が届きました。「アーティスト・トーク 中村一美」です。いま、現代美術館の常設展でコーナーが設置されている作家さんです。カルティエ展を見て、その後トークに行こうと思ったのですが・・・・。 寝坊しました。 常設展をぱっと見て、中村一美さんの作品を確認。なかなか面白そうなので、そのままトークに参加しました。 会場は、講堂が7割方埋まるぐらいで、思ったよりも人が入っております。 時間が来ると、ヒゲの男性の方がマイクを片手に・・・・。 あ、中村さんって、男性の方だったのですね。てっきり女性と思っておりました。 以前、ここのアーティストトークで篠原有司男さんのアーティストトークはハチャメチャで面白く、もうなんでもやっちゃえ的な勢いがあったのですが、中村さんは対照的に、非常に理論的で静かに喋る方でした。しかし、うーんなるほど、そういうことですか、と抽象画をどうやって描いてきたかを知られて納得。アーティストの話は、面白いですねえ。 彼の作品は、ルーツである故郷の桑の木から、地図記号の桑畑を表す「Y」をモチーフに抽象画を描いたりしていたそうですが、内容紹介はここまで。 え!?と思われた方。 百聞は一見にしかず、当日の内容は東京都現代美術館の「MOT the Guide」として公開される予定だそうです。しかも5月末には当日の様子を収録したビデオを展示室にて上映するとのこと。そちらを見てください。カルティエ展のお供にどうぞ。
2006.04.29
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先日の「カルティエ現代美術財団コレクション展」のオープニングに参加したことをブログにしようと、他の人のHPを検索していたところ、takahitoさんの「石原東京都知事がカルティエ現代美術財団を叱る!?」という記事に行き当たり、ちょっとコメントしたいなあ、と思いまして。 「現代美術はガラクタ」 と彼が言った文脈は、現代美術はインスタレーションなど、やたらに大きな作品になっていることがよくない。好きではない。やはり、家の中で日常的に鑑賞できる芸術の方がいい、といった趣旨の発言だったように思います。 「こんなものをコレクションするくらいなら日本人作家の作品を大量購入するべきだ」 まあ、石原さんお得意の話ですよね。 日本人作家のレベルだって、ここに大仰に展示されているレベルと比べてもたいした開きはない。もっと日本人の作品を買え(もしくは、来場していたアーティストに、もっと海外に売り込めというハッパ)という意味だと思います。 「西欧芸術よりも日本芸術のほうが優れている」 このくだりは、フランスの文人で文化大臣も務めたアンドレ・マルローが来日したとき、石原さんが会ったことを引いて話していました。マルローさんは、日本人は瞬間に美を封じ込めるセンスにかけては、自分の見るところ世界一だ、と絶賛していたという内容でした。 石原さん自身が、西洋の美を全く認めないほど視野の狭い人だとは思えませんでした。当日のスピーチを聞いていますと、欧米のアーティストは、その得ている名声に比べると内容は、それほど良くない。日本人作家も、もっと評価されてしかるべき、もしくは、もっと欧米に打って出て、あっと言わせてみろ、という良い意味での「挑発」だったと思います。 で、文末に「フランス・リベラシオン誌の記事」へのリンクがあったので辿ってみたところ、「石原都知事のフランス語発言に抗議する会」が訳したリベラシオンの記事がありました。 ロン・ミュエクの作品に関しては、「家で飾れるぐらいの作品が良い。巨大なのは好きではない」の文脈で話されていました。 石原さんは、「でかい女の作品があったが、あれって説明を聞いたら、母親から出てきた赤ん坊の目線で、初めて母親を見たときのサイズを表現したくて、あれだけ大きくしたんだって。説明聞かないとわかんないよ、そんなの。そうやって一目みただけじゃわからない作品というのはねえ」という趣旨の発言だったように思います。 「ベッドのなかの巨大な母親像は、まるで赤ん坊のような目をしている。」という訳文では、的を射ていませんし、そもそも発言の内容が、よくわかりません。 大変失礼ですが、リベラシオンの記者氏の聞き間違い、同時通訳の間違い、「抗議する会」の翻訳間違いのどれかだと思われます。早速、フランスのリベラシオン紙のページへ飛んでみます。Le maire de Tokyo ne peut pas encadrer l'art contemporain 原文を見た限り、リベラシオン記者の間違いなのかなあ、と思われますけど。 「見る者に説明を要する現代美術というのは無に等しい」という訳文の趣旨の発言は、当然ありました。 ですが、石原さんだって、言葉を使うアーティストです。言葉を使うアーティスト、つまり文学者の立場からすれば、当然かもしれません。文学者は、言葉で説明してナンボです。言葉で分からせないといけません。 ですが、アート(特にビジュアルがあるもの)は、言葉で説明するんだったら、ビジュアル要らないじゃん、とも言えるのではないでしょうか。 説明無しには何もわからない。美しくも無く、これという感興も呼び起こさないものは「コミュニケート」を拒絶している、もしくは「分かる人だけ分かればよい」という態度では、無いのと同じじゃないかという彼の不満として、私は理解しました(まあすべてに賛成はできませんけど) とかく誤解されやすい人ですし、挑発が好きな方ですし、フランス語を攻撃してから、きっとフランス人記者にも目を付けられているのだろうと思いますけど、私が聞いた限りでは、こういう文脈で石原さんは発言していたと思います。 別に、私は石原さんが物凄く好きなわけでもないですし、フランスにも何年か滞在していたのでフランス語を揶揄されたフランス語の先生方のお気持ちも、よく分かるつもりです。ですが、フランス紙の記事を、そのまま訳して流すのは、芸が無いかなあと思った次第。 そういえば、アーティスト石原慎太郎は、こういう発言もしていました。 ものを作る人間というのは、私も含めて、後世に残したいと思って作っている。ここにあるのは8割がた良くない作品だと言ったが、あとの2割からは必ず次代に残っていく立派な作品があるはずだ。それら全部を含めて後世に残していくことが重要なんだ、と。 いや、私もシャンパン飲みながら聞いていたので、間違っていたらごめんなさい。 でも、聞いた限りでは、こういう内容でしたよ。 その後、「ほとんど読ませていただいております」という題で、この問題につきまして、私なりに深く論考してみました。検索で探し出した範囲だけですが、この記事をご覧になったみなさんのブログを拝見して考えたことです。できれば、それをご参照の上、議論をしていただければと考えております。TBしていただけると助かるのですが・・・・(主人軽薄) 今週発売されている「週刊新潮」に関連記事が載っております。記事を書いたリベラシオンの記者にも取材しており、今のところ手に入れられる日本語メディアの唯一の記事といえると思います。
2006.04.29
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「ハウルの動く城」以降に、宮崎作品ってあったっけ?と言う方!ありますよ! 原作・脚本・監督:宮崎駿です。 それが、この「やどさがし」です。三鷹の森ジブリ美術館で上映される短編アニメーションの中の一つですね。 この作品の特色は、1.マンガのように効果音が文字として画面に現れること2.セリフがほとんどなく、効果音などがすべて人の声によって行なわれていること です。 しかも、その効果音を担当したのが、なんとタモリさん。いやあ、さすがに上手い。例えば、みなさんも手近なマンガの効果音を、声に出してみてください。これを、「それっぽい音」として表現するのは、かなり高度な技です。 効果音自体を「モノマネ」するのではなく、あくまでも擬音語・擬態語として画面に踊っているカタカナから発しているような音を、声で作らなくてはならないわけですから。 主人公の声は矢野顕子さん。ジブリ関係と言えば「ホーホケキョ となりの山田くん」の主題歌を歌っていらっしゃいましたね。 映画の内容は、矢野さん演じる「フキ」が都会を出て新しい家を探す、という話です。自然に帰る、という内容が宮崎監督らしいと言いますか・・・・・ この映画を見終えた時に脳裏に浮かんだのが、この歌です。 このたひは ぬさもとりあへす たむけやま もみちのにしき かみのまにまに (菅家) 百人一首の歌ですね。 この上の句にある「ぬさ」がキーです。昔の人は、旅に出るとき「ぬさ(幣)」というものを用意しました。紙や絹の切れ端ですね。 昔は、新しい土地に足を踏み入れるたびに、その土地に住んでいる神様に対して挨拶をするのです。つまり、「ぬさ」を神様にささげて、どうぞ安全に通してください、と祈るのですね。 ちなみに、もっと昔になりますと、自分の爪や毛髪の一部を捧げていたそうです。自分の一部を切り離すことで、呪術的な効果を狙ったものなのでしょうが、これが簡略されたのが「ぬさ」です。菅原道真は、あまりにも急に流刑にされてしまったので、「ぬさ」の代わりにモミジの葉を用いた、という歌です。 この映画で主人公のフキが所々に「ぬさ」を置きながら旅をしているのを見て、私はすっかり嬉しくなってしまいました。 日本人の旅の原型といいますか、自然への畏敬といいますか。宮崎監督の「つくりたい意志」が、過去の大作からも脈々と繋がっている、いい小品でした。 しかし、スタジオ・ジブリは上手いですね。 こういった短編映画を上映させることで、いつきても必ず「変わったもの」を美術館に用意しています。また製作スタッフも短編映画なので、かなり実験的なものも遊びのものも作れるのですから。 おそらく、長丁場で10億円単位の制作費がかかっている長編アニメでは、こんなことは出来ないでしょう。が、かといってテレビで披露することもできない。短すぎる上に実験的ですし、テレビの制作費や制作期間などの制限からすれば、作るのは難しそうです。 その点、ジブリ美術館の「土星座」は、そのすべてを解決してくれる絶好の場所です。 うーん、面白い。
2006.04.23
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「アルプスの少女ハイジ」が放送されたのは1974年といいますから、もう30年以上前のアニメなんですね。74年は長嶋さんの巨人軍引退、小野田少尉の帰国などの事件がありました。 そんな昔の作品にもかかわらず、いまだに地方局などで再放送されつづけ、保険会社のキャラクターにも採用されるなど、いまだに愛され続けている作品です。 この作品自体はスタジオジブリの作品ではないのですが、後年ジブリを立ち上げることになる宮崎駿監督、「火垂るの墓」でも知られる高畑勲監督が関わった作品ということで、作り手たちが当時を振り返って「あの頃は、こういう感じで作っていた」というのを回顧する展覧会とも言えるでしょう。 この作品が画期的だったのは、この特別展のパンフレットの「ご挨拶」を見ると、関わった人材の高さだけではないようです。当時、スポ根ものやSFものが全盛だった時代、この作品は、このようなポイントを持っていたようです。○高橋茂人プロデューサーが「海外販売を視野に入れた、子供のための良心的な作品をつくる」という戦略を立てていた○それを実現させる為に、1.通常よりも長い海外現地ロケを含んだ準備期間、多い予算を組んだ2.アニメーションでしかできない表現により丁寧に登場人物と日常を描写することで実写とは違うリアリティを持たせる演出をした なぜハイジが成功したかについて分析されている方もいるとは思いますので、詳細なことには立ち入りません。ですが、これを見ると、あらかじめプロデューサーの立てていた方針に、すぐれた才能を結集させて十分な予算を組んだ上で、気持ちよく働いてもらった、という印象を持ちました。 前記事でも触れましたが、見ている子供のことを真剣に考えている、という熱意が上手い具合に作品作りに集約されていっている印象です。 さて、展覧会の内容ですが、全話の紹介パネル、ハイジの家周辺のジオラマ、ハイジの家の中の再現、スイスのロケハン時に撮られた写真、宮崎駿監督による当時の製作現場のイラストが所々に貼り付けられたり、という内容になっております。 驚いたのが、子供が展示物である「ハイジの家の中の再現」の柱や大工道具をペタペタ触っても、係員が何も言わなかったこと。これは、ある意味、衝撃的でした(良い意味で)。 普通、展示物と言うのは触らないことが原則です。なので、たとえ触るつもりがなくても白線を越えただけで犯罪者のように注意されるのが普通でしょう(美術関係に限らず) でも、この展示では触っている。「触らないでね」というカードが下がっていた印象がないので、おそらくスタンスとしては「触ってもいいけど、あんまり乱暴に触らないでね」といったところだったのでしょう。 これは、係員としては難しい。マニュアルのような杓子定規ではすまないのです。注意するのなら、展示物が壊されそうだったり、子供が怪我をしそうになったりした時になるのでしょうが、それを個々人が判断するのは、マニュアルどおりには行かないのです。注意することだって、仕方が難しいですね。高圧的になってはいけないだろうし・・・・ それに、触って欲しくないのなら、あらかじめ手の届かないところにディスプレーしておけばいい。にも関わらず、あえて手の届くところに置いておき、子供や保護者の良心に任せておく。こんなに見学者を信頼していると思った事はありませんでした。 ディスプレーの一部に「かんなくず」が撒いてあったのですが、それを子供が触って、歓声を上げる。それを、「あんまり触らないの!」と母親が注意する。係員は、それを成り行きに任せている。うーん、実はこの情景、ちょっと深いなあと思いました。 展示内容としては、そこまで言うほどのものではないですが、ハイジの作り手が、どうやって作っていたかという回顧としては素晴らしいと思います。過去に渋谷パルコで「プロダクションI.G展」を見たことを書きましたが、比べ物になりません。展示するという意味、見学者の気持ちをよく考えている展覧会です。そんなに大きいスペースでもないし、読む展示が多いのですが、どうも内容が豊かで冗長でもなく、飽きさせない。 こういうものがプロの仕事であり「芸がある」ということだ、と私は言いたいわけです!
2006.04.23
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よく晴れました。 バスに乗るのはもったいない(散歩するのも良いし、交通費も浮きます)ので、歩くことにしました。ちょっと駅からありますが、歩けないほどでもないです。しかも、美術館までは所々に案内板が丁寧に設置してありますので、迷う事はありません。バスも可愛くて、乗っていくのもいいですけど。 やってまいりましたのは、「三鷹の森ジブリ美術館」です。 ジブリと言えば、日経BPコンサルティングの「ブランド・ジャパン2006」発表したデータでトヨタ自動車やセブンイレブンを押さえて、第一位になりました。 なんだ、ただ映画とか売れてるだけで1位になったんでしょ、と言われる方。それだけでは無いと思います。ただのガキ相手の漫画映画制作会社、宮崎駿監督の個人プレーでヒットを連発しているだけ、の会社ではないことは、ジブリ美術館に来れば一目瞭然です。 ということで、いつも美術ファンの視点から美術館のレポートをしておりますが、それ以外の視点も入れて書いてみようと思います。 この美術館やジブリの作品に共通することだと思うのですが、徹底してお客さんをもてなし、その視点に立って考え、モノを作っている、本当にお客さんのことを考えているということです。 例えば、作品自体にしても、千と千尋の神隠しについて、宮崎監督は「山小屋でいつも遊ぶ1幼いガールフレンドがいたが、周囲に男の子の気をどう惹くかという趣旨の漫画が溢れていて、生きる力を発揮できる環境がなくなっているような気がする。彼女たちを本心から喜ばせたいというのが制作動機の根本。難しいことは考えていない。」 という趣旨の言葉を残しています。 また、 のイラストでは、「うちの子はトトロがスキでズーッとみてるんですョ」と言うお母さんんに「イケません だめ! やめてください 年に1回位にして下さい」と仰っています。子供の「生きる力」を真剣に心配している、しかもその考え方が徹底しているのです。 例えば、この美術館。これはジブリ美術館の宮崎駿館主の「こんな美術館」という一文にすべてが集約されています。これが、すべてにおいて徹底している。社是に書いてあることが徹底されていない会社は数あれど、ここまでコンセプトを徹底しているところは知りません。 あまり引用してしまうと長くなるので原文は引用しません。ご覧ください。 ただ、このブログでも何回も主張しているように、混雑している美術館、見学者を見学者だと思わない美術館が当たり前な中、あえてローソンの端末で事前に予約して入らないといけないシステムをとり、来場者が自分のペースで楽しめるだけの余裕を館内に確保しているだけでも、賞賛に値します。 しかも、展示物をマンネリにしない。開館当初から同じように見えて、細かい部分はどんどん変えています。 何も無かった壁に壁画を入れたり、展示室の展示物に、さりげなく「ハウルの動く城」のものを入れていたり、巨神兵に植物のタネを仕込んで、どんどん成長させたり。開館してから5年経ちますが、建物自体もよくメンテナンスされており、老朽化した印象を与えません。 その良い例がトイレでしょう。開館当初も、トイレ設備の充実、清潔度、デザインに驚きましたが、きっと管理が良いのでしょう、開館時と同じく清潔なままです。建物やその使い手の質は、いくら外側を気取ってみても、トイレの清潔度がほとんどすべてを物語っていると思うのですが、まさにそれです。 また、展示室についてもジブリだけではなく、より普遍的なクリエーター(いや、この美術館にはクリエーターという言葉よりも「作り手」という言葉がふさわしい)の創造に立ち会うような感触を与えています。発想の源泉から、アニメ製作の苦しみまで、私たちが眼にするアニメの奥に隠された、底力といいますか、その手の内を公開する。 いや、そもそも展示室1階で「アニメと言うものは」というところから展示するマジメさ。本当に脱帽です。すべてに関してお客さんの為に高品質を維持しよう、深く考えようという姿勢が見える。 そうなんです。 表面に浮き上がるまでの試行錯誤の膨大な蓄積が隠されており、それがジブリの総合力を支えている。しかも、それらの蓄積が何の為、誰の為のものづくりかという最終目標にズドンと打ち込まれているように思うのです。 それは、確かに宮崎駿館主という、日本を代表する映画監督が携わっているからと言えなくもないですが、決して彼一人の功績ではないと思うのです。彼の理想が、スタッフ全員に共有されていると思うのです。 さて、それではいよいよ企画展「アルプスの少女ハイジ~その作り手たちの仕事」展に向かいます。
2006.04.23
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前の記事からの続きです。足りない。何かが足りない。 そう、肝心の武満さんの「音楽」が足りないのです。武満さんの音楽を聴きながら鑑賞したかった。こんなことなら、持っている武満さんのCDを携帯音楽プレイヤーに落として、聞きながら観るべきでした。 こんなに良い展覧会を企画したのなら、あらかじめ携帯プレイヤーのメーカー(アップルでもソニーでも東芝でも)に協賛を持ちかけて製品を20台ぐらい提供してもらえば良かったのに。 中には展示に関連する楽曲を入れておけば、プレイヤー会社もレコード会社も喜んだはずです。レコード会社は、他の武満作品を知ってもらう絶好の機会ですし、プレイヤー会社は自社の製品を使ってもらういい機会です(音質もアピールできたかもしれません) 出口でCDを売れば、売上にももっと貢献できたはずです。文化施設の経営が難しい昨今、これぐらいのことをしてもらえれば、もっと展覧会を楽しむことができたし、みんな喜ぶと思うのですが・・・・(こんなことを考えるのも、私の職業病ですね) さて、そんなことを言っても仕方がないので、本題へ。 一応、会場にもプレイヤーが2箇所に設置してあります。一つは、ルドンという画家の「眼を閉じて」という作品の前に置かれている「閉じた眼」という作品。 これは、武満さんの恩師、瀧口修造さんの訃報に接した時に書かれた曲です。 そしてもう一台は、イサム・ノグチの作品の前に置かれていたのですが・・・(思い出せません。済みません。誰か教えてください) でも、ヘッドフォンが各2台なので、ちょっと長く聞くのは無理かもしれません。やはり、プレイヤーで持っていくのがいいかな、と思います。 絶対に持っていくべきなのは、代表作でもある ノヴェンバー・ステップス。 これは、直筆原稿が会場に展示してあることもあり、絶対に持っていくべきですよ。聞きながら直筆原稿を見る。作曲家の手の動き、息遣いを感じながら曲を聴くのは、かなり良いと思いますよ。 武満さんは、マン・レイの撮ったマルセル・デュシャンの「星型に髪を剃っている」後頭部の写真を見た夜、星型の庭に向かって鳥が舞い降りていく夢を見たそうです。その風景を音楽にしたのが、この「鳥は星型の庭に降りる」です。 写真を展示されているサイズで見ながら、この曲を聴きたかったなあ。 映画セクションでは、かなあ・・・。 そのほかにも、もし武満作品を持っているのでしたら、そのなかからお気に入りの曲をピックアップして持って行ってみてください。面白い発見もあると思います。「あ、この曲って、この作品からインスピレーションを受けたんだ!」とか。 ちなみに、図録ですが、楽天ブックスで買うとポイントがつく分、お徳だったりします(会場で買った後、気がつきました)
2006.04.22
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武満徹さんが亡くなってから10年経ちました。もう、亡くなってからそんなに経ってしまったのか、と時の流れが速く感じます。 生前、オペラシティの芸術監督をされていた関係で、没後10周年を記念した「武満徹-Visions in Time」展が開催されている、東京・新宿の初台、東京オペラシティギャラリーに来ました。というか、前日にお芝居を見に来ているので2日連続でオペラシティ。 武満徹といえば、現代日本を代表する作曲家の一人です。代表作としては、ノヴェンバー・ステップスが上げられると思います。音楽の教科書にも取り上げられていたので、もしかすると授業で琵琶や尺八が鳴っている、ヘンなのを聞かされた、という思い出がある人もいるかもしれません。 今回は、その武満さんの「多彩で国際的な活動を、たんなる一作曲家の回顧展としてではなく、彼が関心を示した多様な領域からの展示品によって多層的多面的に紹介するものです」(公式HPより)という展覧会。 普通、音楽家は美術作品を残していないわけですから、今回の企画は冴えていますねえ。ただ音楽を取り上げるだけではなく、武満さんの音楽に影響を与えた美術、好きだった美術を通して武満さんの創作活動を照射しようというわけですから。 会場は、武満さんが実験工房時代から亡くなるまでを取り上げています。その中に一台のスピネットピアノ。 武満さんは、戦後、ピアノを持てないまま作曲活動をしていたそうです。紙に原寸大の鍵盤を描いてピアノの代用としたり、ピアノのある家で弾かせてもらったり、昼間自由にピアノを使えるという約束で米軍キャンプのPXで住み込んで働いたり・・・。 そんな苦労をしていた武満さんの家に、ある朝、このピアノが届けられたそうです。実は、黛敏郎(題名の無い音楽会の司会をしていた作曲家)さんが、武満さんの窮状を知って送ってくれたものだったのです。その後、作曲に使わなくなっても、このピアノは手放さなかったと言います。 さて、肝心の美術作品ですね。 出展されている美術作品は、どれも武満さんにインスピレーションを与えた作品や、関係する作品ばかりです。中には、武満さん作の抽象画や「図形楽譜」という楽譜もあります。 この楽譜は、普通の5線紙の形式で書かれたものではなく、あくまでも図形。それを演奏者が自由に解釈して演奏する、という作品です。楽譜自体が、いわばアートでもあり演奏の為の楽譜でもある、というものです。いやあ・・・・どうやって演奏するんだろう・・・。 後半には、黒澤作品をはじめとした、武満さんの映画音楽コーナーもあり、往年の名画ポスターが貼られております。会期中には、その映画の上映会などもあるので、好きな方はチェックしてみてください。 でも、これだけじゃ、ちょっと足りないなあ・・・・。次の記事につづく。
2006.04.22
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久しぶりに、演劇を見に新国立劇場へ行きました。 今回は、岩松了さんの「マテリアルママ」。あまりの人気に、チケットがすぐに完売、追加公演も完売ということです。そうだったんですか・・・・。 今回は「LOFT」という、新国立劇場の小劇場を、さらに小さく区切って、小さく、客席に近い空間で芝居を見せるというシリーズです。 岩松了さんと言えば、最近だとテレビ朝日系で放送された、ドラマ「時効警察」の時効管理課の熊本課長、といえば分かるでしょうか。 全体的にゆる~く、ネタが豊富、かつ短いセリフをやり取りするシーンが多かった時効警察ですが、この第3話「百万人に無視されても、一人振り向いてくれれば人はしあわせ・・・じゃない?」の脚本・演出を手がけているのが岩松さんです。電車に轢かれてしまう商社マンの回ですね。 「マテリアル・ママ」 出演は、仲村トオル(車のディーラー) 伊藤 歩 (ディーラーの婚約者) 早船 聡 (介護ヘルパー) 岩松 了 (隣のおじさん) 倉野章子 (車の持ち主) 劇の内容は、「車を扱えないお母さんがいて、メンテに来るディーラーがいて、隣のおじさんが時々顔を出し、ディーラーの彼女もどういうわけか来るっていうくらいの話ですよ(笑い)。ただ、サスペンスフルなところもある話がいいなと思っているので、そういう人間が寄り集まったときに何故か不安をかき立てるものがあるとか不可解なものがそこにあるっていうふうにしたい」(新国立劇場情報誌ジ・アトレ1月号 岩松了インタビュー) という岩松さんのコメントが表しているとおりでしょう。 ただ、かなり難解で、謎めいている舞台ではあります。すべて理解するのは難しいし、非常に多面的に解釈できるので、一緒に見た人と終わった後に話すネタには困らないと思います。登場人物同士の間には、何本もの関係の線ができている上に、微妙に絡んでくる「車」の存在。 気になった謎だけ追うのもよし、すべて追うのもよし、だと思います。 随所に「あ、時効警察の時っぽい・・・」と思わせるようなコミカルな部分が挿入されているのも面白いですね。ただ、ちょっとジーンっとこさせる部分が不足しているような気がします。不安を掻き立てるような演技・演出だから、なのでしょうけど。 仲村トオルも伊藤歩も、私の好きな役者さんなのですが、ちょっとぎこちなさがありました。伊藤さんは舞台初挑戦とのことなので、日程の後半はもっと良くなっていると思います。 いよいよ発売される時効警察DVD-BOX。本編には未放送映像もあるということなので、楽しみですねえ。全話で9回しかなかったのも、ちょっと残念。同じ金曜ナイトドラマ枠からブレイクした「トリック」のように、続編製作されるといいですねえ。
2006.04.21
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東京都現代美術館で開催される「カルティエ現代美術財団 コレクション展」に行ってきました。 文字通り、フランスの有名ブランド「カルティエ」が、企業メセナの一環として、アーティストに対して作品を注文制作させたコレクションを、今回は東京で一挙公開すると言う大規模な展覧会です。いわば、カルティエは、現代美術の「パトロン」としてアーティストを支援してきたわけですから、貴重な会社ですよね。 カルティエ現代美術財団は、パリの14区にあります。私は、「村上隆 カイカイキキ展」以来行ったことはないのですが、先日までは「横尾忠則展」を開いていたそうです。欧州以外のアーティストも積極的に紹介している、とのこと。 さて、今日は一般公開に先駆けての関係者向けオープニングレセプションです。 いつもの現代美術館が、パリコレの会場のように豪華にセッティングされています。壁には大きいスクリーンが設置され、玄関の大ホールには、いくつもの黒い大きなボックス(これは、後の立食時間に食べ物を提供するスタンドです)。会場入り口には、大きな白いゲートが設置されておりますし、みんなシャンパンを飲みながら待っているのです。いつもよりも臨時のスタッフが多いし・・・。 知り合いのスタッフさんに伺ったところ、1000人ぐらいしか来ないだろうと思って招待状を発送いたところ、1800人分も返って来てしまったとのこと。むちゃくちゃ混んでいます。 石原都知事曰く、「今日の客は。6割がカルティエの顧客、あとの4割がアーティストだと聞いている」ということですが、来場者を見回すと、まさしくそんな感じです。 都知事はオープニングの挨拶で、相変わらずの石原節を披露されておりました。曰く、今回の展覧会は8割がた大したことがない。日本のアーティスト諸君も頑張って、世界に通用するようになれ、とのこと。都の芸術支援策についても触れ、会場のアーティストに発破をかけていかれました。あと、持論のインスタレーションは嫌い、芸術は家に飾って鑑賞されて価値が出る、という趣旨の発言もありました(今回の展覧会は大規模な作品が多く、だから大したことない発言に繋がるんですけど) それにしても、会場には有名な方が多かったですねえ。 なんか陽気な外国人がいると思ったら、ロッテマリーンズのバレンタイン監督!(ロッテ頑張れ!) ヒゲをはやしている外国人だな、と思ったら、デザイナーのマーク・ニューソン(auのtalbyをデザインした人)だ! 遠くに見えるのは・・・・チョイ悪オヤジの教祖・・・かな?(未確認) 横で一緒に作品を鑑賞しているのは・・・横尾忠則さんではないですか! すれ違った、派手なおじさまは、まぎれもなくドン小西さん。 ふっと見たことがある顔だと思ったら、山口晃さん(この前の三越の個展、いきましたよ~) あ、あそこに居るのは宮本亜門さんだ!(Into the Woods、また見に行きますから~) あれ、帽子を被った女性がいますが・・・チラッと見えたけど・・・まさか椎名林檎さん?(未確認) そんなこんなで、自分の憧れの人々がそこらじゅうを歩いている光景にクラクラしてしまった私は、当然、作品に集中できなかったわけで・・・・。この機会を逃さずに、話しかけておけばよかったと悔やんでおります。 でも、どうやって声をかけたらいいか、分からないですよね・・・・・ と思っていたら、Takさんという方のブログを拝見していたら、村上隆さんも来場されていたとのこと。知らなかった・・・。うーん、せっかくパリの展覧会も行ったので、いろいろ聞きたかった・・・・と悔やむわけです。
2006.04.20
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今日は、東京国立博物館で開催中の「天台宗開宗1200年記念 最澄と天台の国宝」です。 最澄によって天台宗が開かれてから1200年を記念した展覧会ですが、ボリュームたっぷりの内容で、国宝・重要文化財のオンパレードです。何を見ても「国宝」「重要文化財」ばかりですので、日本の仏教美術の名品を、一箇所で見られる点では、非常に優れた展覧会でしょう。 仏像以外にも、装飾経(平たく言えば、ものすごく豪華につくったお経)や、絵画関係も充実しております。古美術が好きな方には、たまらない展示でしょう。 ただ、どれも「凄すぎる」ということで、私は個人的に強烈な衝撃を受けた作品が無いのです。いや、「いいなあ」と、ジーンとくる作品はあるのですが、10日経ってしまうと、もう強い印象として残っていないのです。 もう、眼が回ってしまいますね。展示にメリハリがなく、物量で圧倒するような展示であったように思います。 確かに、名品ばかりですから、そのまま並べておくだけでも十分で、分かりやすいように展示を工夫したり、会場のアートディレクションなぞしなくても良い、という考え方もあると思います。 ですが、「国立博物館」のパワーで名品を借り出してきただけで、「良い展覧会」が成り立つのかは、ちょっと疑問です。特に、「混雑」する大型展覧会が多い東京国立博物館は、鑑賞者の為の展示が下手だと思います。 例えば、展示室の使い方。壁伝いに、順番に鑑賞していく。広い展示室の真ん中は、デッドスペースになります。普通はベンチを置くのでしょうが、置いてあるのは後半だけ。前半の展示室は、鑑賞者が疲れていないから置かないのでしょうか。そもそも、鑑賞者の総量に対して、ベンチや休憩スペースが少なすぎる。 また、展示品の感覚が狭く、作品の正面に居る人が、次の作品を見ているような状況も珍しくありません。私のように高身長なら後ろからでも見られるでしょうが、混んでいると身長の低い方は見づらい。「絵の前で立ち止まらないでください」と係員が連呼する展覧会も珍しくなく、一昔前の映画館と同じです。いまや映画館も「シネコン」に代表される総入れ替え、全員着席、どの席からも良く見えるスタイルへと変わってきています。 美術館・博物館も、鑑賞者の裾野を広げる為には、「快適に過ごしてもらう」という視点が必要なのでは無いでしょうか。いつも混雑して、珍しいものを見せるのなら良い、という姿勢が抜けないような気がします。 だからこそ、美術鑑賞が一種の「イベント」から抜けきれず、企画展は混んでいても、常設展には閑古鳥という状態から抜けられないのではないでしょうか。 珍しいものを並べておけば事足れりというのでは、頂けません・・・・。
2006.04.16
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ちょっと長くなりすぎてしまったので、2回に切ってしまいました。 さて、佐藤雅彦先生と坂井克之先生。 後半は、ちょっとアカデミックに脳の専門家、坂井先生です。 外界からの刺激が眼から脳に伝わるメカニズムについてです。 一般に流布されているイメージでは、眼から脳まで情報が伝わる順序・階層は一定で、段階的に伝わっていくようになっています。もしくは○○という作業を行うのは、脳の××という部分だけ、とか。実は両方とも、必ずしもそうは言い切れないそうです。 つまり、眼から入った情報が、一足飛びに上の階層へ飛んでしまうことがある。脳の中で情報が伝わる経路には近道(ショートカット)があるそうなのです。 なぜかと言いますと、ショートカットをすることで、最初に大雑把に情報を掴んで、階層を一段ずつ上がってきた分析結果に対してバイアスをかけることで、理解を早くするそうなのです。 面白いことに、けばけばしいもの、どギツイものが必ずしもインパクトがあるわけではないとのこと。佐藤作品は、もしかすると上手くショートカット経路に「スポーン」と情報を流すことが出来るので、どぎつくなくてもインパクトを残せるのではないか?という仮説も披露されました。 あ、そうそう。 最後の質問コーナーで「佐藤先生は、どんなときにひらめくのですか?」という質問に対して、「会社の会議室や黒板の前」だそうです。 学生の前とかでテンションが上がると「こんなのはどう?」というようにアイデアが次々と出てくるということですが・・・皆さんも試してみてください。
2006.04.15
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今日は、お台場にあります日本科学未来館で行われました、特別シンポジウム「脳の不思議 認知の仕組み×表現の広がり」へと行ってきました。ちょうど、ゆりかもめが故障して運休停止。どうにかりんかい線で行けましたけど、駅から20分ぐらい歩きました。 それでも、こんないい景色。 科学館前では、菜の花が満開でした。 今回の講演者は、佐藤雅彦先生と坂井克之先生。 佐藤先生と言えば、以前にギンザ・グラフィック・ギャラリーで行われた佐藤雅彦研究室展にも行ってきましたが、本人を見るのは、初めてです。 いわずとしれた、NHKの「だんご三兄弟」やCM「ポリンキー」などを手がけたCMプランナー、今年の3月までは慶応大学の教授で、現在は東京藝大の大学院の教授だそうです。 対する坂井克之先生は東大大学院で助教授をされている方で、前脳前野の認知制御機能、脳機能画像などが専門の研究者です。 感性と理性、文系と理系のような二人の講演、大変面白かったわけです。 佐藤先生は、自分が電通に居たときに作ったコマーシャル(湖池屋のり塩、サントリーモルツ、NECばざーるでござーる)をネタに、どうやって見る人たちの認知を得られるように工夫してきたか、ということについて講演されました。(まあ、きっと大学などでも、同じように授業をされるのかもしれませんが) つまり、「どうしたら、よりよく人間とコミュニケートできるか」という点でCMを考え、自分で「新しいCMの作り方」を作っていったそうです。 最終的には20個以上のルールにまとめられたそうですが、その中の一部を紹介されていました。 例えば、「映像表現は、音が決定的な要因」。 「スコーンスコーン、湖池屋スコーン」と、洋館の一室のような場所で、社交ダンスの練習をしているCMがありますが、まさにあれは「キテいる」音なのです。韻やリズム、音の高低によって、まず視聴者を掴んでしまうのですね。 それに、あのクルクル踊っている人たちが「ぱりっとさっくと美味しいスコーン」でステップを踏むのですが、そこで商品の特性が、すっと見ている人に伝わってしまう。 他にも、「バザールでござーる」や「モルツ」で、視聴者の視線を、視聴者の予想する方向からずらすことによって印象を強くするということもありました。 ござーるがトロッコで坂を下りようとすると、空からカラスが舞い降りて、ござーるの乗ったトロッコが坂の頂上から、いっきに登ってきた方向へ下ってしまうというCM。普通に見ていると、ござーるが予想したのと反対の方向へ消えてしまうので、見ている人の視線が、画面を泳いでしまったりするのです。 どう認知させるか、のプロとしての佐藤先生の講演、面白かったですねえ。 つづく。
2006.04.15
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いつだったか、上野公園の東京都美術館で開催された「ニューヨーク・バーク・コレクション展」に行ってきました。 感想はというと・・・・個人のコレクションとして、ここまで集めたと言う点は非常に素晴らしいと思いますし、部分的に良い品もありました。特に蕭白や若冲の作品は、とっても良く、ちょっとジーンと来ました。 ですが、トータルで見たときには、あまりパワーの無い展覧会だと思います。 2時間ほど見ましたし、それほどの「見せる」ものはあるのですが、1000円以上の観覧料に見合う内容ではないでしょう。 なんか釈然としない。 そうなんです。 そこから徒歩2分で行ける「東京国立博物館」の常設展には、日本の名品が数多く所蔵されていますが、観覧料は420円。このボリュームと値段に対して、バークコレクションは、果たしてそれほどの価値があったかどうかは疑問です。 つまり、作品の質として「これだけの作品、日本じゃ見られないなあ」とか「この作家の、この作品、やっぱり凄いなあ。来て良かったなあ」と思わせる部分が、あまりないのです。コレクションの収集範囲が、モロに国立博物館と重複することも原因だと思われますが・・・・。 3つ星レストランの隣に1つ星レストランが開業したようなもので、その点から言うとちょっと可愛そうな展覧会ではありました。 (ちなみに、その後に国立博物館に行きましたけど)
2006.04.14
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ちょっとは散りかけたとはいえ、桜が綺麗な時期です。 こんなとき、東京の美術館でのんびりするとしたらココ、東京都庭園美術館でしょう。(ちなみに訪れたのは8日です 旧朝香宮邸として建てられた、アールデコ様式の建物もさることながら、目黒にあるのに大きな庭がついていることもチェックポイントですね。よく手入れされている上に、のんびりできる。さすが有料だけあります。 ちょっと桜餅などを持ち込んで、日光浴しながら食べました。まだ、ちょっと肌寒かったんですけど。今回、参りましたのは、宇治山哲平展です。 実は会期終了前後までノーマークな展覧会だったのですが、どこか落ち着いて桜が見られるところはないかと思ったときに、ふと思い出した庭園美術館のHPで発見してしまい、これは行ってみなければ、ということで行ってきました。 宇治山の作品は、完全に抽象的です。もう○△□を合わせた、純粋な「カタチ」そのものの配置と面白さで見せていく作家です。大分を中心に活動しており、作品も大分県の県立芸術会館所蔵のものが多くありました。東京では、赤坂のサントリーホールにあるレリーフが宇治山作品です。 いやあ、これはやられました。 近くで見ると、絵の具に水晶粉を混ぜ合わせて描いているので、画面が漆喰のような壁のような独特の質感があります。それが、本当にどこかの壁画を切り取ってきたかのような、存在感があるんです(実際、宇治山は左官屋さんのように絵の具を塗りこめていったようですし) 近くで見ると分かるのですが、地の色を一面に塗った後、一部分を削り落とし、他の色を入れているようなのです。それがまた、どこかの遺跡のモザイクかレリーフのような質感を出していました。 遺作となってしまった最後の制作中の作品も展示してありましたが、やはり円の中心にはコンパスの穴が入っておりました。あたりまえですけど。 淡い色の形が踊っている楽しい作品です。曼荼羅のような作品から、普通の抽象画までありました。これは、仲間内で、ワイワイ言いながら、話しながら見るのがいいですね。正しい解釈は無いわけですから。 こういった、あまり知られていない作家の展覧会を開くのは勇気がいることだと思いますけど、続けていって欲しいです 難点はカタログと音声ガイド、展示方法。 カタログは売り切れ(通常の単行本タイプで読み応えあり。買えなくて残念)、音声ガイドはカタログの棒読み箇所がおおく、500円は損したと思わせてしまうものでした。 これならば音声ガイドに、もっと鑑賞のポイントや、その絵を描いた当時の作家の状況なりを吹き込まないと。絵とコメントが合っていない感じもしました。これは改善するべきでしょう。 展示も、観覧順に回っていきますと、製作年が前後したりするので、よく分からないわけです。年代順、もしくは作風ごとに、など改善できる部分があるように思いました。(元々は住宅という物理的制限で、そうなってしまう事もあるのでしょうけど・・・・) 次回は「北欧のスタイリッシュデザイン フィンランドのアラビア窯」です。日本でもムーミンの絵がついたマグカップなどで有名なフィンランドの陶器メーカーですね。近年の北欧デザインブームを追い風に、混みそうな予感がします。 (最近、併設カフェとミュージアムショップを改装した上に、今後も修復中の部屋が公開されていくということで、徐々に整備が進んでいる印象を受けました。)
2006.04.13
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もはや「バブルの塔」と揶揄されてしまう六本木ヒルズ。 その最上階にありますのが、森美術館です。今夜は会員専用日ということで駆けつけてみました。 外はあいにくの雨模様。 せっかくの夜景も見えず、展望室は雲の中でした。さすがは高層ビルです。海中に潜っているような妙な雰囲気でしたが、やってまいりましたのが「東京-ベルリン/ベルリン-東京」展です。 森美術館とベルリンの国立新美術館の共同企画とのこと。日本で、世界的な企画展を開くという点で、森美術館は、かなり意欲的です。「○○美術館展」ばかりでは芸がないですからねえ。 もっとも、「○○美術館展」は開きやすいですよね。新聞社が企画することが多いのですが、1.交渉相手が1箇所2.輸送が一回で済む3.相手美術館の改装予定と合わせれば、予定が立てやすい といった運営面でのメリットがあるからかもしれません。 それとは反対に、今回の東京ベルリン展は、様々なところから作品を借り出しているので、スタッフの方の苦労も大きかったと思います。コレクションを持たない企画展専門だからこその短所であり、また長所だと思いますけど。 ・・・とにかく、今回の企画展はボリュームが多い。伝統的なフランス料理のフルコースのようなボリューム感。前に一回だけ見に来ましたけど、その時も3時間、今回も1時間半は見ていました。全体で11のセクションに分かれているのですが、通常ならば、この1つ1つのセクションだけで企画展が開けるぐらいの内容です。それぐらい見ごたえがあります。 (展覧会の概要は森美術館のHPで確認してください) 東京ベルリンと銘打っておりますが、それほど2都市を重く意識しているというわけでもないようです。内容から言えば、同時期の東京とベルリンのアートシーンを並べて、その相互作用があるときには、その作用をフォーカスして取り上げているという程度です。 それでも、日本からはジャポニズム、ベルリンからはダダや「シュトゥルム木版画展」といったように相互に影響を受けているわけで、決して意味として軽いものではないのですけど。 今回の目玉は、ドイツ表現主義のキルヒナー「ポツダム広場、ベルリン」(この展覧会で、時価1位です)でしょうけど、日本国内では知名度が低いと思いますし・・・・。大恐慌や戦争を含む時代だけに、美しいものだけでなく、ちょっとドロドロしたものもあるので、あまり美術に関心の無い人にはウケないかも。 会員限定だったので落ち着いて見られました。しかも、担当学芸員さんの解説ツアーと、美術館スタッフとの懇談会付きです。 しかし、相変わらず展示室のデザインが良いですね。モノの見せ方、ポスターや会場のアートディレクションも洗練されています。六ヒルにお越しの際は是非。
2006.04.11
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長らく更新していなかったのですが、美術館めぐりは休んでいなかったのです。 今回は、今話題の東京国立美術館で開催中の「生誕120年 藤田嗣治展」に行ってきました。 ちょうど、皇居のお堀端に桜が咲いている時期で、花見客も多い。そして、美術館への来館者も非常に多かったのですが、まあ普通に見られなくはない、という混み具合。「ゴッホ展」のような異常な混み方では無かったです。 藤田嗣治(1886-1968)とはモディリアニなどと並ぶ「エコール・ド・パリ」の代表的な作家で、独自の「乳白色の肌」をした作品が有名な、重要な日本の近代作家の一人です。晩年はフランス国籍を取得し「レオナール・フジタ」と名乗っていました。 私は、藤田嗣治の作品と言えば近代美術館に展示されている戦争画とブリジストン美術館の作品ぐらいしか見たことがなかったのです。今回の展覧会では内外から、藝大卒業時から晩年までの、幅広い作品が網羅されており、質量ともに満足のいく内容だったと思います。 特に、共感したのはフランスに渡って独自の「乳白色の肌」の技法を編み出したころ。 海外に留学経験のある方であれば、自分が外国人の中で、どう自分を表現し、かつ自分の中の「日本」を発見し活用していくかについて考えたことがあると思います。若き日の藤田も、まさにそのなかから自分の技法を苦心して編み出していったのでしょう。 藝大卒業から渡仏直後は、なんともアカデミックな画風で当時流行のキュビズム絵画を描いていたりしています。その後に友人のモディリアニの影響が見えるような人物画を描いているのですが、段々と独自の画風を築いていきます。 例えば、日本的なモチーフや日本の筆や墨を画材として用いるなど、西洋人が使えない技を取り入れることによって、静かで淡白な画風を確立していったように見えました。 経営でも美術でも「差別化」が重要なのですが、フジタの場合は自分自身のキャラクター(おかっぱ、ヒゲ、眼鏡)によってパリっ子の耳目を引き、画風では日本とパリの雰囲気を混ぜ合わせていくことにより、自らを差別化していったのでしょう。彼の作品からは、パリのエトランゼとしての日本人の苦心が感じ取れました。 また、後半に行きますとメキシコで影響を受けて作風が変わったり、戦争中は「乳白色の肌」とは正反対にあるような、生々しくどろどろした戦争画を描いたりと、作風も一定の場所に留まっては居ません。 その流転する作風を時代とともに追えることも、この展覧会の魅力の一つだと思います。 結局、戦争画を描いていたことで、戦争後に日本に居られなくなってしまって再渡仏するわけですけど、その後に描かれた乳白色は、以前のものと少し違いました。 展覧会に行きましたら、もう一度、最初と最後の乳白色を比べてみてください。 (メジャーな展覧会なので、ここで私が「これが違う」と言うよりも、見てきてもらったほうが良いとおもわれますので) 晩年になりますと、「子供」の絵が多くなるのですが、どことなく奈良美智を思わせるような印象がありました。奈良さんには不機嫌な子供の絵がありますけど、あんな感じです。参考にしていたのでしょうかねえ。 ・・・・関係ないですけど、出品作品に個人蔵が多いのはうなずけます。 家にあったら、絶対に飾りたいと思いますもん。
2006.04.01
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