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何か適当なものはないかと押入れの中を物色したところ、棚板の一番奥に、仕事で使えそうな茶色の鞄があるのが目に止まった。ダレスバッグだ。ちょっとくたびれたそれは、壁とダンボールとの間に挟まれ、窮屈そうに潰れていた。
引っ張り出してみると、焦げ茶色の革の表面には無数の疵が付き、お世辞にも綺麗な状態ではない。取っ手のすぐ下には、油を垂らして出来たような、親指大の目立つ染みがあった。触ると、周りに比べそこだけ硬い。
そのゴツゴツした感触を指先に感じた瞬間、不意に、忘れていた記憶が蘇った。長いこと思い出さなかった古傷にうっかり触れてしまったかのように、ひやりと背筋を緊張が走る。そうだ、これは油染みなどではない・・・。
このダレスバッグを買ったのは、今から10年近く前のことである。当時、とにかく早く一人前になりたかった僕は、しかしどうすれば良いか分からず、日々をぼんやりとした焦燥の中で過ごしていた。
そんな時、何気なく立ち寄った老舗の鞄屋で、仕事に使えそうな鞄を見ていたとき、目に止まったのがそのダレスバッグだった。そう広くない店内の、壁一面に並ぶ無数の鞄の中で、それだけは他とまったく違う引力を持っていた。僕が鞄から目を逸らすことが出来ずにいると、すぐに店員が寄ってきた。
お客様、お目が高いですね。このバッグは限定品でして…
それから色々と説明を受けた気がするが、何を言われたのか覚えていない。当時の自分には明らかに分不相応な値段だったが、まるで熱に浮かされたように、気が付くと分割払いで買っていた。持ち帰るあいだ汚れないようにと白い不織布のカバーを掛けられたそれは、まさに宝物そのものだった。
一目惚れし、精一杯背伸びをして手に入れたダレスは、しかし、僕を洒脱な大人にはしてくれなかった。相変わらず仕事では精彩を欠き、私生活もうだつが上がらず、それまでと何一つ変わらなかった。その上、最初は壊れ物のように大切に扱っていたダレスに、ある時、大きな引っかき傷を付けてしまった。その瞬間から、鞄の扱いはどんどんぞんざいになっていき、蒸し暑い車のトランクに放り込んだまま何日も放置することすらあった。
そしてついに、決定的な事件が起こる。ある夏の日、うだるような暑さの中で仕事の合間に食べたソフトクリームが、熱風に煽られて思った以上に早く溶け、ぼんやりしている間に鞄の上に滴ってしまったのだ。
あっと思ったが、後の祭である。糖分をたっぷり含んだクリームは、柔らかい革の奥まで浸透し、濃い染みをかたち作った。ぬるま湯で拭き取ってみたりもしたが、二度と柔軟さが戻ることはなかった。
形あるものを壊してしまったときの気分は、嫌なものである。その染みは自分の愚かさの証明のように存在を主張し、僕を責め立てた。見ないようにしても、ついそこにばかり目が行ってしまう。あんなに溺愛していたダレスを見ることが次第に辛くなり、とうとう使わなくなってしまったのだった。
久しぶりに見たダレスは、最初に出会った時と変わらない魅力を湛えていた。無数の疵や、そしてあの忌まわしい染みもすっかり馴染み、風格すら漂わせていた。ひょっとすると、何年もクローゼットの奥で寝かされている間に、ゆっくりと革の熟成が進んだのかもしれない。
改めて見ると、今更ながらにこのバッグの貴重さが理解できた。ダレスバッグと言えば、その多くは硬いブライドルレザーやそれに準じる丈夫な革で作られており、蓋を止めるストッパーには金属製の錠前まで付き、総じて格調高い造りになっているのが常だ。
ところがこのダレスは、柔らかくしなやかなタンニンなめしのヌメ革をふんだんに使い、持ち主に寄り添うように形を変えた。また、実用性を重視したのだろう、留め金はシンプルな捻り金具のみで、すぐに物の出し入れが出来るように配慮されていた。焦げ茶の革のマットな風合いと、飾り気のないたたずまいが素朴で好ましかった。
それは、久しぶりに再会した友人に対する印象が大きく変わってしまったのに似ていた。年を経て、出会った頃には分からなかった多くの美点に、ようやく気付いたようなものだ。
今だったら、もう少し大事に使ってやれたのに。ほんの一瞬、掛け替えのないものを粗末にしてしまった苦い後悔が胸を刺した。あの頃、ダレスの疵や染みが許せなかったのは、未熟で疵だらけの自分が許せなかったからに他ならない。
これからは、良き相棒として一緒に歳を重ねていこう。僕は自分によく似た鞄の蓋を開け、書類と少しの荷物を詰めた。
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