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それならなぜ心が波立つのか。 ただ一つ思い当たったのは、妹が少将の持っていないものを持っている、という事実だけだった。 親に認められた安定した結婚、心浮き立つ新婚の喜び、人々の祝いの声、夫という慕わしくも心温まる存在。 醍醐帝に恋い焦がれながらも振り向いてもらえず、かと言って他の男を受け入れることもできない少将には、どれ一つとして得ることのできないものだった。 信明が欲しいのではない。満たされぬ自分に代わって妹が満たされていることが疎ましいのだ。 そんな自分の気持ちに気づいて、誇り高い少将は身震いした。 だが、妹にそんなことを悟られてはならない。自分が惨めさを噛み締めていることなど知られてなるものかという気持ちは、日増しに激しくなった。 だから、妹の前では、少将は殊更に姉らしくその幸せを喜んだふりをしていた。そして、頻繁にそんな無理をしなくても済むよう、普段はできるだけ妹に会わないようになっていったのである。 だが、そんな妹の結婚の幸せも長くは続かなかった。 その年の末に長い間病に伏していた上の妹が亡くなり、気落ちした父母は翌年都中に広まった流行り病であっけなく逝ってしまった。父親の庇護を失った妹は、婿である信明の世話を十分にできなくなった。 やがて、自分より年上の妹にも飽きてきた若い信明は、次第に井戸殿へ通ってこなくなってしまったのである。今では、妹よりずっと身分も高く歌人としても有名な中務(注)と結婚し、昨年娘も生まれたと聞いている。*中務(なかつかさ)…三十六歌仙の一人。父は宇多帝の皇子(中務卿・敦慶親王)、母は同じく三十六歌仙人の一人で百人一首にも歌がとられている歌人の伊勢。信明以外にも多くの男性と浮名を流した恋多き女性でした。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2009年03月17日
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今も信明のくれた歌を口ずさんでいる妹を横目で眺めながら、少将はその頃のことを何となく苦々しいような気持ちで思い出していた。 当時はまだ父も母も生きていたから、少将は時折宿下がりをしていたのだが、ある夜退出してくると井戸殿の様子は一変していた。少将と妹が共に使っていた東の対は妹の新居になり、少将の部屋はそれまでほとんど使われていなかった古びた西の対に移されていたのである。 もちろん、新婚の夫婦の邪魔をするつもりはないし、少将は宮仕えでほとんど自分の部屋は使っていなかったから、当然といえば当然だろう。だが、少将は何となく自分が余計者にされたような寂しさを感じた。 それに、妹の態度も、少将の心を逆撫でするようだった。 妹はすっかり新妻になりきり、東の対を自分の好みの設えにすっかり変え、始終夫の信明に寄り添っていた。 あからさまに自慢げだったわけではない。だが、その態度には自分の満足を周囲に見せつけるような押し付けがましさがあるような気がしてならなかったのである。 少将はなぜか苛々してくる自分に気づいて愕然とした。 わたくしは妹に嫉妬しているのだろうか。 だが、少将は別に信明の妻になることは羨ましくなかった。宮中に仕えているので、信明のことはよく知っている。歌は上手かもしれないが、容姿も才覚も十人並みの、どうということのない男だ。 あの醍醐帝には較べるまでもない。たとえ信明に求婚されたとしても、少将なら断っただろう。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m↓平安時代の貴族の邸宅は、おおかたこの写真のような寝殿造りという形式になっていました。この写真で言うと、中央の建物が寝殿(館の殿様用)、その後ろが北の対(殿様の正妻=北の方用)、寝殿の右手が東の対、左手が西の対です。東の対の方が西の対より若干格が上だと考えられていました。(少将が怒るのも当然かな?)ちなみに、この模型は摂関家レベルの大邸宅。少将の実家のような中流貴族の屋敷は、もっと建物が小さかったり、対の屋の数が少なかったりしたようです。
2009年03月15日
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妹の話は止めどもなく、何度も何度も同じ話を繰り返す。 中でも、特に繰り返される男の話がいくつかあった。どうやらそれは、妹が未だに強い執着を持っている男たちらしい。 その一人が、源信明であった。妹の最初の夫である。 妹は裳着を済ませたあくる年から、さる権門の屋敷へ女房として出仕した。だが、妹はなぜか一年も経たないうちに井戸殿へ戻ってきてしまった。 妹はその理由について何も言わなかったが、その後密かに伝わってきた噂によると、どうやら屋敷の主との関係を怪しんだ北の方に追い出されたらしい。妹ももう宮仕えは嫌だと言ったので、以後はそのまま家にいることになった。 だが、短くても出仕したことは、妹にとって良かったのかもしれない。妹の歌の才は、その権門の屋敷で花開き、世の人々に知られるようになったのだから。 家にいる妹の元には、次々と恋文が舞い込むようになった。 父は妹の縁談にいろいろ腐心していたようだが、妹はあっさりと自分の相手を決めてしまっていた。それが、信明だった。 信明はまだ元服して間もない若者だったが、さすがに後に名歌人として知られるようになるだけあって、その頃から抜群に歌が上手かった。それに、官位は低かったが、光孝帝の曾孫で血筋は良い。 父は二人の結婚を許し、信明は妹の元へ通ってくるようになったのである。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2009年03月13日
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だが、それは少将にとって愉快なことではなかった。 眠っていない時、妹は始終うわ言のように何かしゃべっている。それは大方、今まで自分の元に通ってきた男の話ばかりだった。 どれほどたくさんの男が自分に恋文を寄越したか。あの男は返歌が上手だった。あの男はこんな高価な贈り物を送りつけてきた。あの男は見目は良かったが、床あしらいは下手だった。あの男は若い頃は素敵だったが、年をとってからはつまらなくなったので捨ててしまった。 病の苦しみは人を変えるのか。妹は今まである程度の節度を持ち、事実は事実として正直に語るが、あまりあからさまなことや自慢めいたことは言わなかった。だが、今はもう頭が朦朧として自制が効かなくなっているのだろうか、少将が聞き苦しいようなことまでとうとうとしゃべり続ける。 少将はこれまで以上に妹に苛つき、正直心底うんざりしていたが、それでもいつもの姉らしい態度を崩すことは誇りが許さなかった。それで、時間がある限り妹の側に座り、その話を聞いてやっていたのである。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2009年03月11日
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父母の忌日の法要が終わった後も、少将は井戸殿に留まることとなった。 どうやら、妹の病はますますいけないらしい。近頃は一日中褥(しとね)から身を起こすこともなく、咳がひどくなる時以外はいつもうつらうつらしているようだった。 元々父母の法要などには熱心ではなかったものの、法会がはじまればきちんとやってきて共に手を合わせていたのだったが、此度はいくら誘ってもぶすりと黙ったまま返事もしない。よほど具合が悪く苦しいのかと、さすがに少将も妹を捨て置けなくなってしまった。それで宮中に遣いを出して、しばらくお暇をいただきたいと願い出たのである。 それは少将にとって大きな犠牲だった。 最近、醍醐帝はあまり体調が優れない。せめて少しでも側にいて、何かお世話できることはないかと機会を探していたいところなのだ。 だが、妹の乳母のひどく心細そうな顔を見ると、無下に妹を放って置くわけにもいかない気がした。少将は溜め息をつきながら、しばらく妹の世話をすることにしたのである。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2009年03月09日
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少将はそんな風に思いたかった。女として全く心惹かれなかったわけではない。美しく好ましい女だと想いつつも、ただ亡き我が子に遠慮して愛人にできなかっただけだと。 だが、それがどれほどの苦悩を少将にもたらしたか、醍醐帝は考えたこともあるまい。 少将のこれまでの人生は、灼熱の砂漠をただ一人でさまよっているようなものだった。渇いた人が水を求めるように身も心も醍醐帝に焦がれ、僅かな希望を求めて足を引き摺りながら彷徨し、疲れ果てて倒れ伏しても尚求めることを止めることができない。 一度だけ、ただ一度だけでも、醍醐帝の腕に抱かれることができるのなら、この命と引き換えにしてもよい。 そこまで思いつめ、醍醐帝からお声がかかりますようにと手を合わせて願いながら、これまでの長い年月がただ無為に過ぎていった。 そして、今でもまだ諦めきれない。たとえ、たった一人の妹が重病で死にかけていようと、少将には醍醐帝の側を離れることなどできはしないのだ。 少将は、今傍らに横になって苦しげな浅い息を吐きながら眠っている妹の顔を、密かに重い溜め息をつきながら見守っていた。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)
2009年03月07日
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なぜなのだろうと、少将は何度も考えた。 わたくしのような女は、主上のお好みではないのか。いつも優しくしてくださるのは、ただ誰にでも気を配って接する主上のお人柄がそうさせているだけなのだろうか。それとも、何か理由があるのか。少将がお仕えしている后の宮に遠慮なされているのか。他に何か……。 そう言えば、保明親王が亡くなられたばかりの頃、少将が清涼殿の欄干に寄りかかって庭を一人でぼんやりと眺めていると、傍らを通りかかった醍醐帝はふいに足を止め、少将にふっとこんなことを呟かれた。「そなたを見ていると、亡き保明のことが思い出されてならない」 醍醐帝はしばらくの間、じっと少将の顔を見つめていた。目が赤く潤み、必死に涙をこらえておいでになるようだった。だが、やがていつものように懐かしい微笑を浮かべて少将に頷くと、醍醐帝は何事もなかったかのように去っていった。 帝や中宮のように本当に身分の高い方は、臣下の前では決して自分の本心を見せないものだ。特に、醍醐帝は臣下の者が自分に諫言しやすいようにと、常に親しみ深い微笑を絶やさず人に接するよう努めるほど、周囲に気を遣う御方だった。 もしかしたら、醍醐帝の中では、少将と保明親王はいつも結びついた存在だったのかもしれない。そして、亡き最愛の我が子が幼い初恋の想いを寄せた相手を、他の女たちと同じように手折ることが、どうしてもできなかったのではないだろうか。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m↓清涼殿にたたずむ女官たちの図。(人形ですが…笑)
2009年03月05日
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だが、少将だけは、どうしても醍醐帝を諦めることができなかった。 普通の男の妻となることに、普通の、だが決して価値がないわけではない幸せがあることは知っている。だが、醍醐帝に自分の全てを奉げながら、それを隠して他の男の妻となることは、少将にはどうしてもできなかったのである。 それは今でも同じだ。 結局、少将は誰とも結婚しなかった。ずっと后の宮の側に仕え続け、今ではなくてはならない側近の女房として重んじられている。女官としての俸禄や両親から譲られた蓄えもあるから、老い先も何とか一人でやっていけそうだ。 だが、少将の心の内は、それで満足しているわけではなかった。いや、むしろ寒々とした風が吹き抜け、あまりの冷たさに凍りついて、自分でも押さえきれぬ瀕死の叫びを上げているに等しかった。 なぜ、醍醐帝はわたくしに手をお触れになろうとはしなかったのだろう。 それは、少将がずっと抱き続けてきた問いだった。 宮中にいる数多の后妃や愛人たちが示す通り、醍醐帝は決して女嫌いではない。しかし、宮中でも指折りの美女と呼ばれた少将に、醍醐帝は一度も手を触れようとはなされなかった。 もちろん、少将が后の宮の側に控えていれば必ず目を留め、親しげに話し掛けたり管弦の合奏にわざわざ名指しで加えてくださったりもするし、身の回りの世話をして差し上げればあの少将の大好きな微笑を浮かべて喜んでくれる。 だが、共に寝所へとは、ただの一度も誘われたことはなかった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2009年03月04日
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どこから洩れたのか、少将が保明親王の寵姫となるのを断ったという噂が宮中に広まった時、人々は少将の非礼を責めその愚かさを嘲笑ったものだ。 たかが母宮の女房の身で、親王のありがたい思し召しを退けるなど、思い上がりも甚だしい。保明親王の寵姫なら、これから先も何不自由なく幸せに暮らすことができようものを。何と馬鹿な女だ。 だが、少将はその噂に心を痛めながらも、自分の決断に後悔することはなかった。 確かに、自分の心を曲げて、保明親王の想いを受け入れることはできたかもしれない。だが、一生かかっても、醍醐帝以上に保明親王を愛することはできないことを、少将はよく知っていたからだった。 なぜそこまで醍醐帝に惹かれるのかわからない。でも、誰を見ても、醍醐帝以上に素晴らしいと思うことはできなかったのである。 それは、宮中の誰に聞いても同じことだろう。 主上ほど素晴らしい方はいない。誰もが口を揃えてそう言う。 ただの追従ではない。すらりとした身体つき、整った容貌。優しい人柄と懐かしい笑顔。自然に人をひれ伏させる帝王としての威厳を持ちながら、常に人の心を和ませその広い懐に受け入れてくれる。その上、詩文に通じ、書に優れ、筝の名手としても知られていた。 醍醐帝に憧れを抱かない女などいないだろう。宮中の女たちは挙ってその関心をかおうと躍起になっていた。 そして、幸運な幾人かの女たちは寵愛を勝ち得、もっと多くの女たちはかりそめの逢瀬の思い出を胸に抱いて去り、ほとんどの女たちは憧れは憧れとして諦め自分に相応しい普通の男の妻となった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2009年03月01日
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