2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全7件 (7件中 1-7件目)
1

少将は妹の姿を見ながら、その執念深さに少々あきれてしまった。 歌詠みというものは、これほどまでに自分の歌に執着するものなのか。 少将も宮中で時折歌を詠むし、よくできたと思うものを少しは手元に残している。でも、瀕死の病を押して、上がらない枕から無理に頭を上げてまで、自分の歌を後世に残すための努力をしようなどとは、少将には思いも寄らなかった。 妹はしばらく自分の草稿から歌を撰んだ後、今度はまだ閉じたままの文箱を一つ手に取って、掛けてある紐を解いた。蓋を開けると、しばらく中を見つめたまま黙っている。妹はふいに少将の方を向くと、小さな声で聞いた。「姉様、井戸の周りの山吹の花は、もう咲きましたか」「ほんの少し、蕾が緩んだだけじゃ。綺麗に咲くのは、まだ幾日か先になろう」 妹は重い吐息をついて、手に持っていたその文箱を脇に置いた。そして、腰に引き掛けていた綿入れの夜着を被ると、褥の上に疲れたように伏してしまった。 少将は散らかった紙類を片付けながら、さっきまで妹が持っていた文箱を手に取った。中には、朽葉色に染められた薄様の文と、紙でできた山吹の造花が一枝入っている。 少将は妹が横になって眠ってしまったのを確かめると、その文を取り出して中を見た。それには、見覚えのある手蹟で、歌が一首書かれてあった。もろともに井手の里こそ恋しけれひとりをり憂き山吹の花(あなたと一緒に過ごしたあの井手の里……井戸殿が恋しく思われてなりません。私もあなたと同じつらい思いをしながら、一人で過ごしております)↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2009年04月27日
コメント(0)

妹は手に持っていた古い文を読み終わると、二つに裂いて火鉢の炭の上にくべた。 もしかしたら、妹は自分の命がもう短いのを悟って、自分の身辺の整理を始めたのだろうか。 少将は胸を衝かれたような気がして、水の入った角盥を傍らに置きながら妹に優しく言った。「文反故の整理など、またいつでもできよう。疲れるといけないから、もうお休みなされ。冷たい手拭いを額に当ててあげるから」 だが、妹は文の整理を止めようとはせず、薄笑みを浮かべながら少将に言った。「今まで詠んだ歌がこんなに溜まったから、そろそろ自分の歌集を編もうと思って。それで、あまり出来の良くない歌や、つまらない人からもらった歌なんかを整理していたのですよ」 なるほど、明日をも知れぬ身でありながら、まだ自分の歌に執着しているというわけか。 身辺整理だと思って妹を哀れに思った自分に、少将は密かに苦笑いした。 側に散らばっている紙類を見る。 男からもらったらしい紫や紅梅色の薄様、なにやら書き散らした歌の草稿のはざまに、きちんと綴じられた厚い陸奥紙の冊子なども混じっている。それを手に取って見ると、中には妹がこれまでに詠んだ歌の数々がきちんと清書されてあった。妹はそれを少将の手から取り上げながら言った。「ずっと前に一度まとめてみたのだけれど、その後にもらったり作ったりした歌もあるから」 少将に頼んで墨をすってもらうと、妹は脇に取り除けた歌の草稿の中から一枚取り出して、冊子に書き込み始めた。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2009年04月23日
コメント(0)

山吹の花の蕾が、ほんの少しほころんでいる。濃い緑の中に爽やかな黄味が散る様は、やがて来る夏をわずかに先駆けているようだ。 昨夜は妹の熱が高く、少将は遅くまで妹の枕辺に付き添っていた。そのせいで今朝はつい寝過ごしてしまったらしく、日はもう高く昇っている。急いで身づくろいをした少将は、県の井戸で冷たい綺麗な水を汲み、妹の部屋へ向かった。 妹はまだ眠っているだろうか、そうならば良いのだけれど。 病人の看病は嫌ではなかったが、妹のところへ行くと思うと、心が重く沈むのは止めようがなかった。 東の対の妻戸を開けた少将は、母屋の中が薄く煙っているのに驚いて、慌てて御簾を上げると、妹の病間に入った。だが、妹の側で火事が起こっているのではなかった。 妹は珍しく褥の上に身を起こし、自分の周りに大きな料紙箱やいくつかの文箱を広げていた。手元には、少将がそろそろ片付けようかと思っていた火鉢があり、煙はその中から立ち上っている。どうやら、妹は自分の持っている書類や手紙の類いを整理しているらしい。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2009年04月21日
コメント(0)

この男との一件が終わってから、少将はその後一度も男と交渉を持っていない。本当の癒しを得るには、その相手が重要なのだということを、少将は骨身に染みて感じていたからだ。 あの男と寝ていた時、少将は固く目を閉じて、心の中で醍醐帝の顔を思い浮かべていたものだ。 自分を抱き締めている男が醍醐帝だと考えると、少将の心は熱い喜びに満ち、涙が込み上げるような切なさが胸を打った。身体は自然に柔らかく開き、男の背に回した腕に力がこもる。この一時が永遠に続いて欲しいと、ただそれだけを一途に願った。 だが、目を開けると、そこには別の男の顔がある。それは少将に冷水を浴びせるようなものだった。 人を恋うるということは、こういうことなのだ。同じことをし、同じ言葉を囁かれたとしても、その相手を愛しているかどうかによって、その意味するところはまるで違ってしまう。 醍醐帝は少将に無限の愛と癒しを与えただろうが、あの男からもらったものはただの気休めとそれに倍する嫌悪だけだった。 それに気づいてしまったからこそ、少将はますます気に染まない男を避けるようになり、結局今まで誰とも結婚する気になれなかったのである。 だが、それが少将に幸せをもたらしてくれたかどうか。 少将の今までの人生は、平坦な灰色の道が、ただ延々と続いているようなものだった。何の彩りもなく、心躍らせるような実りも何一つありはしない。 少将は自分の心の中に広がる風景の空虚さに、思わず激しく身震いした。 この世で、何もない、ということほど恐ろしいものはない。 だから、妹の人生に苛立ちを感じるのだ。妹は心の赴くままに人を愛し、多くの男たちの思い出で人生を飾り、それを何の呵責も遠慮もなく堂々と歌に詠んだ。 それはそのまま少将の人生を、そっくり裏に返したようなものだった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2009年04月17日
コメント(0)

しかし、その頃の少将は、どれほど思いをかけても振り向いてはくれない醍醐帝に悩み、わが心の孤独を嘆き、一人寝の寂しさに身を打ち震わせていた。 ほんの一時でいいから温もりを得たい、渇きに喘ぐ心と身体を癒したい。 その欲望はついに少将を突き動かし、自分の局に男が密かに通ってくることを、とうとう少将は許してしまったのである。 だが、結果は悲惨なものだった。 確かに、男は少将の渇きを癒してはくれた。誰のものであろうと、人の温もりは相手の身体を暖め、逞しい腕や胸は女の心に安らぎを与えてくれる。 だが、男の腕から解放された時、少将は深い失望感と嫌悪感を味わっていた。 欲望の熱が冷めると、少将はもはやその男の側にいることが耐えられなかった。男から恋人らしい優しさや愛情を求められると、虫唾が走るような感覚を覚える。少将にとってその男は、ただ一時の慰めに過ぎず、身体は与えても心は一欠片も与えてはいなかったのである。 少将はしばらくの間我慢してその男を受け入れた。すぐに関係を絶つのは男に悪いような気がしたからだ。 だが、そんな無理が長続きするはずもない。男と関係を持つことにやがて嫌気がさした少将は、次第に男を避けるようになった。そして、少将に取りすがってやり直しを懇願した男も、しばらくして地方官を拝命すると、他の女を伴って遠くへ去ってしまったのである。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2009年04月13日
コメント(0)

それと同時に、この歌を聞いた少将は自分の過去を思い出して、ぞっとするような嫌悪感を覚えた。 初めての男。 それは少将には思い出したくもない存在であった。たとえ三途の川で溺れることになったとしても、その男に手など引かれたくはない。 少将は、心はずっと醍醐帝に奉げたままであったが、身体の方はそうではなかった。今までにただ一人だけ、身体を許した男がいたのである。 今では、その男の顔もあまり定かではない。その男はもうずっと前に地方の守となって京を去り、それ以来一度も会っていなかったから。 また、会いたいとも思わない。少将にとってその男の顔は、自分の心に一点黒くついた、醜い染みのようなものだった。 少将がまだ年若く世間知らずで、ようやく宮中の女房として一人前に勤められるようになったばかりの頃だ。 少将の元には既にたくさんの恋文が届けられるようになっていたが、その中に特に熱心に文を送ってくる者がいた。歌も上手ではないし、朝廷での地位が高いわけでもない。だが、他の者よりたくさん文を寄越すし、気の利いた贈り物を送って来るし、宮中で顔を合わせれば必ず話し掛けてくる。 確かに、その男は話題も豊富で話ぶりも面白く、共に過ごすのは楽しかった。人柄も優しくて嫌いではないし、時折見せる男らしさのようなものにふっと心が温まるような気持ちがすることもある。 だが、それは恋ではなかった。 ちょうど仲の良い男友達と話すような感じで、醍醐帝に覚えるような焼け付くほどの思慕の想いを、その男に対しては一度も感じたことはなかったのである。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2009年04月09日
コメント(0)

妹の不幸を聞いた時、少将はつくづく結婚というものの不実さを感じ、妹が哀れになった。 男の気持ちの移り変わり一つで、女の一生が左右されてしまう。 結婚がそんなものなら、一生宮仕えを続け、自分一人の力で生きていった方が良いのではないか。少将にはそう思え、ますます気に染まない結婚をする気はなくなっていったのである。 だが、去っていった信明に妹が送りつけたという歌の噂が流れてくると、少将はまたしても自分が苛々してくるのに気づいていた。それはこんな歌だった。 この世にはかくてもやみぬ別れ路の淵瀬をたれに問ひてわたらむ(この世でのことは、このままで済んでしまっても良いでしょう。でも、死んであの世の三途の川を渡る時、私は一体誰に淵と瀬を尋ねて渡ればよいのでしょうか) 死んで三途の川を渡る時、女は初めて男女の契りを交わした男に手を引かれてそれを渡るのだという言い伝えがある。 妹は最期まで責任を取れと言っているのだ。そのあからさまな歌の詠みぶりと妹の未練がましさに、少将は何となく鼻白む思いがして、妹への哀れさなどどこかへ吹き飛んでしまった。 少将なら、こんな風に自分の未練を人前で歌ったり、他の女に心を移して自分を捨てた男に縋ったりしない。そんなことをするくらいなら死んだ方がましだ。 それくらい、少将は自分の誇り高さにしがみついていた。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2009年04月07日
コメント(2)
全7件 (7件中 1-7件目)
1


