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能季と斉子女王が小一条院を出たのは、暑い昼下がりの頃だった。 だが、今はだんだん日が翳(かげ)ってきたのか、それとも池や沼の多い西の京を吹く風はやはり少し冷たいのか、この小八条第はいくらかひんやりとして過ごしやすい。 いや、ひんやりというよりは、どこかじめじめとした陰鬱さがあるというべきか。 能季はいつの間にか自分の額から汗が引いているのに気づいた。 御簾の降ろされた東の対の母屋は、何ともいえない冷たく禍々(まがまが)しい翳りがある。 豪華な調度類に満たされた部屋の片隅の暗がりに、じっとりとしたものが蹲(うずくま)りながらこちらをじっと窺(うかが)っている、そんな感じがした。 斉子女王の方も、そのような小八条第の異様さに、やはり気づいているようだった。白い額が少し青ざめ、不安げな眼差しで俯(うつむ)いている。 だが、そうやって節目がちになると、長い睫(まつげ)が頬にかかるようで、なおさら可憐で愛らしい。 能季はそんな斉子女王の横顔に見とれながら、気遣うように話し掛けた。「道中暑かったから、少しお疲れになったのではございませんか」「いいえ」 そう言うと、斉子女王はまた俯いたまま黙ってしまった。 それ以上掛ける言葉も見つからず、能季の方も着慣れない袈裟の端を引っ張りながら所在無くうろたえるだけだった。 無言のうちに長い時が流れる。 能季は固まったように斉子女王の傍らに腰を降ろしたまま、時折ちらりちらりと女王の横顔に目を走らせることしかできなかった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2016年01月27日
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昨夜、遅くまで頼通と策を練(ね)った能季は、夜が明けるのを待って小一条院へ赴いた。 頼通が用意してくれた貴重な唐渡りの香炉を献上するという名目で斉子女王に会った能季は、ことを全て斉子女王に打ち明けて、その助力を乞うたのである。 果たして斉子女王は応じてくれるだろうか。 そのような危険な役目に、斉子女王は恐れて拒否なさるのではないか。 能季はどきどきしていたが、斉子女王は黙って最後まで能季の話を聞くと、ただあっさりと頷いた。 どうしても師実を助けたいという能季の願い、父親としての悲痛な頼通の心情を理解してくださったのだろうか。 斉子女王は能季から事の段取りや口上をもう一度確認しただけで、すぐに今からここを出て小八条第へ向かおうと言ってくれたのである。 姫宮の急な外出に驚いた母君の瑠璃女御には、すでに頼通からの懇(ねんご)ろな文が用意されていた。 内裏の極秘の用事のために斉子女王の力を借りたいから、自分が責任を持つので女王を預からせて欲しいというものだ。 最高権力者である関白からの申し出では、瑠璃女御も嫌とはいえない。 能季はその文を女御に差し出しながら、改めて頼通の用意周到さと権力に舌を巻いたのであった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2016年01月17日
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出迎えの女房の先導で、斉子女王は小八条第の東の対へ通された。 急なことでさぞかし手狭なことかと思いきや、対の屋の中は美々しく整えられ、特に御座所の豪華さは目を見張るばかりだった。 部屋中を覆い尽くす色鮮やかな大和絵の屏風に、細部にまで精緻(せいち)な螺鈿(らでん)の施された蒔絵(まきえ)の調度類。 さすがは派手好きの道雅だけのことはある。長年引き篭もっている病身の老人の住処(すみか)とは思えない華美さだ。 その中央の座の上に腰を下ろした斉子女王は、案内してきた女房へ細い雅な声で言った。「明日は早朝のうちに嵯峨野まで参るゆえ、こちらは夜の明ける前に出立することになろう。少し休みたいから、気遣いはどうぞ無用に」 その声音には凛とした近づきがたい威厳があった。 院御所の奥深くで大切に育てられた、世慣れない深窓の姫君であるはずなのに、斉子女王は微塵(みじん)も気後れや緊張を感じさせない振る舞いで、能季がお願いした通りのことをすらすらと言ってのける。 能季は正直斉子女王をはじめてみるような思いだった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2016年01月15日
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急に牛車が止まり、外で咳払いの音がする。 下ろされた御簾の向こうから、兵藤太の低い声が聞こえてきた。「ご到着でございます。どうぞ牛車からお降りくださいませ」 御簾が上げられたので、能季は扇で顔を隠しながら牛車を降りた。 簀子に打ち掛けられた牛車の長柄の脇には、人目を避けるための几帳が並べてある。 案内の者らしい年若い女房が、簀子の上でかしこまって平伏しているのに、兵藤太が声をかけた。「こちらは女王の乳母でござる。今日は忍びゆえ、お供はこの尼君だけ」 能季は老女らしく身を屈め、顔を尼頭巾と扇で隠して階を昇ると、あまり目立たぬよう簀子の隅に座った。 続いて斉子女王が車から降りる。 鮮やかな袿姿は、まるでそこにだけぱっと花が咲いたかのようであった。 能季は扇の陰から顔を上げて、そっと辺りを盗み見た。 脇の随身所の半蔀が一つだけ不自然に上げられている。御簾は下ろされているものの、中には人の気配がある気がした。 道雅はきっと自分の目で斉子女王の姿を見たいと思うはずだ。屋敷へ入って御簾の奥に隠れてしまうその前に。 どうやら能季の狙いは的中したらしい。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2016年01月12日
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能季は網代車(あじろぐるま)の小窓の隙間から、前方に見え始めた長大な築地塀を見つめていた。 かなり古びてはいるが、きちんと手入れをされていて、いかにも粋人の住処といった趣きだ。 牛車の傍らを騎馬で従っていた兵藤太が、先触れを告げるために東の門の方へ馬を駆っていくのが見える。 能季は小窓を閉じ、慣れない尼頭巾のせいでひどく汗ばんだ額を拭(ぬぐ)った。幾重にも重ねられた鈍色(にびいろ)の袿も重く、肩に打ち掛けられた袈裟(けさ)だけでも取ってしまいたいくらい暑い。 目の前にいる斉子女王も同じように撫子襲(なでしこがさね)の袿(うちき)を着ているが、こちらはその白い額に汗一つかかず、涼しげな表情を微塵(みじん)も崩してはいなかった。「女装束というものは、何ともうっとおしいものですね。これでは暑くてかなわない」 能季が尼頭巾の端で汗を拭いながら呟くと、斉子女王はほんの少し微笑んだが何も言わなかった。 能季の方も、傾(かし)いだ尼頭巾を所在無く引っ張りながら、それ以上何も言えない。 何とも気詰まりでならなかった。 斉子女王と二人きりになることをあれほど夢見ながら、その機会がやってきたというのに、気の利いた素振り一つできない。 もちろん、これからの試練を考えれば浮ついた気持ちでいられないのは当たり前だが、それでも能季の胸はそれとは違った高鳴りで詰まり、汗が流れてならないのも暑さのせいばかりではないらしかった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2016年01月10日
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