2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全26件 (26件中 1-26件目)
1
「では、なぜ母上は私に冷たかったのか。いつも私は無視され、優しい言葉一つ掛けて頂いたことはない」「それは、そのようにお育てしてしまった我らそばの者の罪でございます。宮様は尊い帝の御娘としてお生まれになり、この上なく高貴にお育ちになりました。人に心を見せぬのも、権高な物言いをするのも、御所の習い。いつのまにか、喜びも哀しみも決して人前では表さず、人を傷つけるような口の利き方しか出来ず、つい心にもないことを言って人を苦しませるようなお方になってしまわれて。ただ、わたくしの前でだけ、本当の姿をお見せ下さっておられたのです。どうぞ、母宮様をお恨みくださいますな。あのように、誰からも愛されぬお方になってしまわれたのも、我らの落ち度でございます」 そう言って、老尼はまた泣いた。「母上は、本当に私を待っていたのか」「最期までその文を握り締め、もうあまり聞こえてはおられぬ耳をすましておいででした。いまに、あなた様の足音が聞こえて来はせぬかと」 私は優しく母の髪を撫でた。短くなった髪は、母をどこか少女のように見せた。ふくよかだった身体は一回り小さくなり、枯れ木のように痩せた手が単の袖口から覗いている。白い小さな顔には深い皺が刻まれてはいたが、その死顔は穏やかだった。 私は涙を浮かべながら、その母の死顔をしばらく見つめ続けていた。 私の心の奥底にあった重い巌の影は薄れ、冷たい氷柱のように凍り付いた心は次第に溶けていった。そして、それと共に、私の見なれた美しいが冷ややかな母の姿もまた、私の中から消えて行った。この穏やかな少女じみた死顔をした老婆が、私の母なのだ。もう、それだけでいい。 私は母の冷たい手の中に、私が陸奥から送った文を戻した。そして、その手の上に私の両手を重ね、涙に曇る眼の奥から、母に永遠の別れを告げた。 母はその翌日、鳥辺野で葬られた。鳥辺山の頂に細く立ち上る葬送の煙を、私はずっと忘れることはないだろう。
2006年01月30日
コメント(0)
私は母の傍らに腰を下ろした。母の枕上には小さな厨子が置いてあり、その中に納められた仏像の手から五色の糸が延びていて、その糸の端が母の手に握らされている。私がその糸を見ていると、ふとその手の下に何かあるのに気付いた。私は既に冷たくなった母の手を取り、その下のものを引出した。 それは、小さく折りたたまれた陸奥紙だった。 開いて見るまでもない。私にはそれが何だかわかった。私からの文を、母はその手に握り締めたまま、逝ったのだった。 私の眼から涙が溢れてきた。母のために泣く日が来ようとは。だが、私は涙を押さえることが出来なかった。すすり泣く私に、老尼は言った。「母宮様は、いつもあなた様に会いたいと、そればかり言っておられました」「それは嘘だ。母上が私に会いたがるはずはない」「いいえ。確かに、誰にでも自分の心を打ち明ける方ではございませんでしたが、襁褓のうちからお育てしたこの乳母にだけは、いつも全てをお話し下さいました」「だが、私は母上から可愛がって頂いたことなど一度もない。母上は、私など要らなかったのだ」「そのようなことがありますものか。宮様にとって、あなた様はただ一人のお子。可愛くないはずはございません。あなた様がお生まれになった時、どれほどお喜びになったことか。あなた様の歌が人々に誉めそやされる度、まるで我が事のように御自慢なされました。東国へお出でになったあなた様の身を案じて、どれほどこの仏にお祈りなされたか。わたくしはいつも傍らでそれを見ておりました」
2006年01月29日
コメント(0)
ところが、やはり親不孝というものは恐ろしいものだ。私が京に戻ってから三日後、長岡の母の館から遣いが来た。 母が危篤に陥ったと言う。 私は急いで仕度を整えると、馬に飛び乗って長岡へ向かった。 長岡はこの京の地に都が築かれる以前、ほんの十年ほどの短い間だけ都が置かれたいたところだ。京の都から少し離れた南西にある。母は京の屋敷とは別に、この長岡にも広い館を持っていた。私は胸の奥に何となく嫌な予感を感じつつ、長岡への街道に馬を飛ばして、出来る限り急いだ。 だが、私が辿り付いた時には、母の別邸は既に悲しみの声に包まれていた。 私は案内も請わずに館の中へ入り、私に悔やみの言葉をかけようとする家の者たちに耳も貸さずに、一人で母の部屋へ向かった。 母は部屋の真中に据えられた高麗縁の厚い畳の上に横たわっていた。長く豊かだった髪は尼そぎに切られ、小さな顔の周りを覆っている。その髪がほとんど白くなっていることに、私は愕然とした。 これは母ではない。あの高慢で美しかった母では。 母の傍らでは、母の乳母を勤めていたひどく年老いた尼が、泣きながら経文を呟いていた。私が近づくと、老尼は私を涙に濡れた目で見つめ、後ろへ退いて言った。「つい先ほど、お隠れあそばしました。最期まで、あなた様が来られるのを待ちわびて」 後は言葉にならず、老尼は泣き伏した。
2006年01月28日
コメント(0)
久しぶりに戻った京は、東国の鄙びた風景を見なれた目には、ひどく煌びやかに見えた。 街は人と物が溢れ、賑やかな喧騒が耳を突く。重々しい立派な桧皮葺の屋根が幾重にも連なり、華やかに飾り立てられた馬や牛車が大路を行き交う様は、京以外にはないものだ。子供の頃から見なれているはずのそれらを、私は初めて見るような思いで見つめていた。 私は取り敢えず妻の家に行って、旅装を解いた。妻は私の姿を見ると、わっと泣き臥し、しばらく宥めることも出来なかったほどだ。しばらくして、ようやく落ち付いて甲斐甲斐しく世話を焼きたがる妻に、私は母について聞いてみた。妻は言った。「確かに、母宮様は大変お具合が悪いと聞いております。今は静養のため、静かな長岡の別邸の方に居られるとか」「ここにも何か言って来たか」「はい、あなたから便りはないかと、何度も」 その夜、私はいつまでも眠られず、母のことを考えていた。 美しく驕慢で冷ややかだった母。その母が私を求めることがあるなど、考えたこともなかった。今でも信じられない。母の具合は相当に悪いのだろうか。 私は母には会いたくなかった。会っても、一体何を話せばいいのだろう。それに、私が五条の姫君としでかしたことを、母はひどく苦々しく思っているに違いない。あのことについて、母に責められるのは耐えられなかった。 私は長旅の疲れを理由に、母を訪れることを一日延ばしにしていた。
2006年01月27日
コメント(0)
さらぬ別れ……少し青ざめた私に、舎人は言った。「母宮様は近頃とみにお身体の具合がすぐれぬ御様子。側に仕える者が言うには、しきりにあなた様の名を出され、一目会いたいと仰せになられるとか」「あの母上に限って、そのようなことはあるまい」「いえ、私も御簾の内からではありますが、親しくお言葉を賜りました。どうか出来るだけ早く、この文を届けて欲しいと」 私には母の真意がよくわからなかった。だが、何か妙な胸騒ぎがした。私は筆を取り、分厚いしっかりとした陸奥紙を選んで、とっさに思い付いた歌を走り書いた。世の中にさらぬ別れのなくもがな 千代もと祈る人の子のため(千年も長生きしてほしいと切に願う人の子のために、どうか死別などという辛いものがこの世になくて欲しいものです)「取り敢えず、この歌を母上にお届けせよ。出来るだけ早く戻れるよう、好きなだけ馬を使え」 私がその文と路銀を手渡すと、舎人はすぐに旅立っていった。 私もしばらく思案していたが、結局は従者に命じて荷造りを急がせた。そして、慣れ親しんだ多賀城の屋敷を、親しくなった国府の官人に譲り渡し、半月も立たない内に陸奥を後にすることになったのである。
2006年01月26日
コメント(0)
陸奥での私の生活は、穏やかに過ぎて行った。 冬の寒さはあまりにも厳しく、野山の自然は荒々しかったが、京にはない力強い美しさがあって、私を魅了していた。人々の気風も京とはずいぶん違っていたが、慣れてしまえば温かく優しかった。 このまま陸奥の土になってしまっても良いか。そう思い始めた頃のことだ。 多賀城の私の屋敷に、母の家に仕える私も顔見知りの舎人が訪ねてきたのである。私を探して、ずいぶんあちこち尋ね歩いたと言う。 舎人は旅にやつれた風体をわびながら、私に一通の文を差し出した。それは母の手蹟であった。母から文をもらったことなどほとんどない。私はいぶかしく思いながらも、その文を開いた。 そこには、母に似合わぬ細く震えた文字で、ただ歌が一首、書かれてあった。老いぬればさらぬ別れのありといへば いよいよ見まくほしき君かな(人は老いればどうしても避け得ない別れが来るといいます。そう考えると、ますますあなたにお会いしたく思えて……)
2006年01月25日
コメント(0)
私は翌日、家へ戻ってきた主に、足が治ったから多賀城へ帰ると申し出た。突然のことに主は引き止めたが、私は何度も礼を言い、荷物をまとめてその翌朝に主の家を後にした。 あの夜以来、妻女の顔は見ていなかった。私は一目会ってからこの地を去りたいと思っていたが、私を見送る館の人々の中にも妻女の顔はなかった。 だが、里のはずれの川に差しかかった時、侍女を連れた妻女が川の向こうに立っているのが見えた。 妻女は私の顔をじっと見つめた。 私も妻女を見つめ返した。 何も言わず、妻女は私に深々と頭を下げた。 私も妻女に会釈を返した。 ただそれだけだったが、私の胸には迫るものがあった。 私はそのとき思った。私はこの女が望んだ通り、きっとこの女のことを忘れないだろう。たぶん、ずっと。 そして、老いを迎えた今も、時々あの妻女のことを思い出すことがある。 本当に、あの妻女の言った通りだった。私はあれから数え切れないほどの女に逢ったが、私を拒みとおしたのは、あの妻女ただ一人だった。私はずっと妻女のことを忘れることが出来なかった。まるで魅入られたかのように、時折夢に現れることすらある。 私があの旅で魅入られたのは、安達が原の黒塚の鬼女でも、信夫の山の神でもなく、あの妻女だったのかもしれない。
2006年01月23日
コメント(0)
妻女に全てを見抜かれてしまっていた。私は目の醒める思いがした。言葉もない私に、妻女は続けた。「でも、わたしはどうなりましょう。わたしにあなたを忘れてしまうことなどできますまい。あなたがもう来ないと知っていながら、それでもわたしはあなたを待ち続けてしまうでしょう。わたしがあなたを想えば想うほど、わたしは辛い思いをせねばなりませぬ。きっと、この世を去る日まで……」 だが、諦めきれない私は、つい言ってしまった。「このように締め出しを食うなど、私は初めてだ」 妻女は答えた。「あなたが今まで思うままに女を手に入れて来たことは、わたしにはわかっております。きっと、これと思う女に叛かれたことなど、一度もありますまい。でも、だからこそ、わたしはあなたに逆らったのです。わたしがもしあなたのものにならなかったら、きっとあなたはずっとわたしのことを覚えておいででしょう。ただ一人、思い通りにならなかった女として。わたしはあなたに愛される喜びより、あなたの心にいつまでも残ることを選びます」 私は自分の浅はかさを思い知った。田舎の女と侮って、妻女を軽く見ていた自分が、ひどく愚かで薄汚れて思えた。私は溜息をついて言った。「人の心の奥も見るべく……あなたの心の奥底を、私もよく胸に刻んでおきましょう」
2006年01月22日
コメント(0)
扉の向こうからは何の返事も返ってこなかった。私は憮然とした面持ちで、塗籠の扉の前に座りこんだ。 さて、どうしたものだろう。 考えていると、しばらくして扉の向こうから、微かな妻女のすすり泣きの声が聞こえてきた。やはり、この女は私を想っているのだと、私はほくそえんだ。そして、何とか妻女を丸め込んで扉を開けさせようと、優しい声でかき口説いた。「あなたがお泣きになるその声が、あなたの私を想う気持ちを私に教えてくれますよ。私はあなたが好きだ。初めて会った時から、あなたをお慕いしてきた。あなたも私のことをずっと想っていてくれたのでしょう。それならば、なぜ私をお避けになる。どうか、ここを開けてください」 妻女は何も答えずに、長い間すすり泣いていた。だが、しばらくして、涙に濡れた囁き声が私の耳に聞こえてきた。「あなたをお慕いしています。初めてお会いした時から、ずっと」 これでようやく扉を開けてもらえる。そう思って思わずにやりと笑いを漏らした私だったが、その後に続く妻女の言葉は、私に冷水を浴びせるようなものだった。「でも、だからこそ、わたしはここをお開けしないのです。わたしは、あなたのお気持ちがわかっているつもりでございます。あなたはこのような山里でふと出会ったわたしを、珍しくお思いになっただけでしょう。そして、気紛れに手に入れてみたくなった。ただ、それだけに過ぎませぬ。もし、わたしを思い通りにして満足なさったら、きっとわたしのことなどすぐに忘れ、ここを去って二度と逢うつもりもないことを、わたしはよく知っております」
2006年01月21日
コメント(0)
「私の気持ちは既にご存知のはずでしょう。歌も差し上げた。本当のあなたがどんな人なのか、私は知りたい。あなたの全てが知りたいのです」 何か言い返そうと開きかけた妻女の唇を、私は自分の唇でふさいだ。妻女は身をよじって私を振り払った。だが、私は妻女の肩を掴み、その瞳を見つめながら言った。「あなたが私を想っていてくれることは、私は既に知っているつもりですよ。あなたがいつも私を物陰から見つめていたこと、いつかあなたが私の鬢の髪を撫でて行ったことを、私が知らないと思っておいでですか」 ほのかな灯火の元で、妻女は頬を赤らめた。私は内心にやりと笑い、これで妻女は私のものだと確信した。私は再び、掴んでいた妻女の肩を強く引き寄せ、もう一度妻女にくちづけしようとした。 ところが、妻女はまたもや強く私を振り払うと、衾を抜け出て立ち上がり、部屋の奥の塗籠の扉を開けて、その中へ駆け込んだ。私も後を追おうとしたが、急に動かしたせいで足が痛み、ようやく足を引きずって扉に辿り付いた時には、中から掛け金を掛ける音が聞こえてきた。 何と言うことだ、この私がしくじるなんて。これもみんな、この忌々しい足のせいだ。私はかっと頭に血が昇って、妻女をなじるような口調で言ってしまった。「これほどまでに嫌われていようとは、思いも寄らなかった。こんなひどい扱いを受けたのは、生まれて初めてだ。あなたは京の雅を心得ている人と思って、お慕いしていたのだが。あなたも私を憎からず想っていてくれると、嬉しく思っていたのに、私の思い違いだったのですね」
2006年01月20日
コメント(0)
しのぶ山しのびて通ふ道もがな 人の心の奥も見るべく(こっそり忍んで通うための道が欲しいものだ。本当はどんな人なのか、あなたの心の奥底を見極めるために) 人の心の奥も見るべく、と書いたのは、私の手管の一つに過ぎない。私は別に妻女の心の奥など知りたくもなかった。ただ、自分の欲望を満たし、一時その身体を抱いて楽しめればそれで良かったのである。 私はこの文を従者に持たせて、妻女の元へ遣った。そして、夜が深まるのを待って、妻女の部屋へ忍んで行った。 私がそっと妻戸を開けて中に入ると、部屋を仕切る几帳の陰に、小さな灯りが一つ揺れていた。茵の上に浅葱色の衾が掛けられているのも見える。私はそっと几帳の方へ忍び寄り、衾の裾に触れた。 その瞬間、衾に包まっていた妻女は、さっと起き上がった。驚いて動きを止めた私に妻女は言った。「やはり、足は治っておいでだったのですね。もしやと思って、眠り込まなくて良かった。わたしたちを騙して、一体どうなさるおつもりです」 少し驚いたとは言え、ここで引き下がる私ではない。すぐに、身を固くする妻女ににじり寄り、強引にその手を取ると、私の唇に当てていった。↓自室で眠る平安女性の図。(お人形さんですが) これは京都の風俗博物館でとったもの。お人形で源氏物語の場面が再現されて います。お人形とはいえ、芸?が細かい!(笑)衣装も調度も本格的です。 平安オタクには(私だけか?)お奨めの見学スポット。
2006年01月19日
コメント(0)
私はますます妻女を手にいれたいと思うようになった。 しかし、妻女は田舎の女にしてはたいそう嗜みが深く、用がなければ私の側近くに来ることはなかった。話相手になるときも、几帳の陰などにいることが多く、あまり顔を見せることはない。足首の手当ても慣れた侍女に任せるようになっていたし、暗くなってから私の部屋に来ることなどまずなかった。 だが、私はそれほど落胆してはいなかった。 私は妻女が時折密かに私の姿を見つめているのを知っていたからである。 一度など、私が簀子に横になって眠り込んだ振りをしていると、庭を一人で通りかかった妻女が足音を殺して近づき、そっと私の鬢の髪を撫でていったこともあった。明らかにあの妻女は私に惹かれている。後はこちらから上手く誘い掛ければ、簡単に落ちるだろうと、私は軽く考えていた。そして、足が治って自由に動けるようになる日を、今か今かと待っていた。 半月も経つと、私の足首はほとんど良くなった。だが、私はまだ痛むふりをして、相変わらず客間で厄介になりつづけていた。良い機会を待っていたのだ。 そして、それはすぐにやって来た。 この家の主が、山を一つ越えた向こうの里にいる親戚の婚礼に招かれて、一晩留守にすることになったのである。主が出かけると、私は早速筆を取り、白い料紙を一枚取り出して歌を書いた。
2006年01月18日
コメント(0)
この家の主ご自慢の妻女の琵琶も、たった一度聞いただけである。 その日はしっとりと雨が降り、庭の草木に当たる雨音が静かな屋敷内に響いていた。雨が降っているせいで、この家の主は外回りの仕事が出来ず、一日中家にいた。そして、久しぶりに私の様子を見に顔を出し、私が退屈しているのを見ると、妻に琵琶を弾かせようかと言い出した。 私は都で何人もの琵琶の名手の演奏を聞いたことがある。田舎の妻女の琵琶などとは思ったが、この頃あまり世話に来てくれなくなった妻女を間近で見たいと思い、主に頷いた。 妻女は渋っているようではあったが、主に再三勧められると、仕方なく席を立ち琵琶を持ってきた。そして、簀子に出て、半ば私に背を向けながら座り、撥を手に取った。 空を斬るような、思いがけず強い音色が、琵琶から迸った。 私は驚いた。その澄んだ力強い音色は、都の上手にも劣らないものだったからだ。 妻女は半眼を閉じて、一心に琵琶を奏でる。私のところから、その妻女の真剣な横顔が見えた。整った小作りの鼻の稜線が、小雨に白く霞んだ庭の風景の上にくっきりと浮かび、その下で紅の唇がしっかりと結ばれている。身につけた柳の織物の袿は、雨の庭の色合いに良く映って、妻女を臈たけて見せた。 私は琵琶を弾く妻女の姿に目を奪われた。どうしても、この女が欲しい。これほど強い欲望を覚えたのは、陸奥へ来てから初めてだったかもしれない。
2006年01月17日
コメント(0)
落馬でひねった足首は、妻女の手当てにもかかわらず、ひどく張れあがってしまい、私はしばらく動くことさえ出来なかった。それで、私は主に頼んで、怪我が治るまでここに置いてもらいたいと頼んだ。人の良い主は快く承諾してくれ、その上言葉が不自由だろうと、京言葉の出来る妻女を私の世話につけてくれた。 私は密かにほくそえんだ。 実直な好人物だとは思ったが、どこまでお人よしなのだろう。あのように美しい女を身近に置いて、私が黙って見過ごすはずはない。 私は舌なめずりする思いだったが、残念ながら足が痛かった。情けない話だが、人の手を借りなければ小用もたせない有様だ。私は早く足が治らないかとじりじりする思いで、高まる気持ちを押さえつけていた。 私の足の怪我は意外と長引き、結局半月あまりもはかばかしく歩くことが出来なかった。その間、私は退屈凌ぎに和歌を詠んで過ごしていた。時には、妻女が碁や双六の相手をしてくれることもあったが、このような田舎の家の主婦は案外忙しいらしく、そう度々ではなかった。
2006年01月16日
コメント(0)
私が荷車の端に乗せられて行った先は、その里で一番大きな家だった。大きいと言っても、私の多賀城の家くらいだ。田舎じみた佇まいだったが、中に通って見ると、意外ときちんと整頓され、奥ゆかしい調度なども飾られていた。 私は客間にでも使っているらしい、小奇麗な板の間に通された。しばらくすると、すっと妻戸が開き、年若い侍女を従えた一人の女が入ってきた。侍女は単などが重ねられた箱を捧げ持っている。女は私の前で丁寧に手をつき、微笑みながら言った。「むさくるしい物ではございますが、どうぞこちらにお着替えを。そのままでは、凍えておしまいでしょう。それから、傷の手当ても致さねば。具合はいかがでございます」 女の口調にはひどい訛があったものの、言葉は京風で、私にもよく理解できた。女は侍女に私の着替えを手伝わせ、自ら私の足首の手当てをしてくれると、また一礼して去っていった。 翌朝、私の様子を見に来てくれたこの家の主に、私は昨夜の女のことを聞いてみた。通訳してくれた従者によると、昨夜の女はこの主の妻女だという。 主は妻女のことが自慢らしく、私に問われるままにいろいろと話してくれた。それによると、妻女はこの土地の生まれではあるが、ごく若い頃しばらく陸奥に赴任してきた国司の北の方のところに、奉公に上がっていたことがあるのだという。それで、京風の言葉使いも出来、女らしい嗜みも身に付けたらしい。それだけではなく、和歌も詠め、琵琶が大層上手だと、主は目を細めて自慢した。 それに、昨夜見たところでは、このような草深い土地には似合わぬ、なかなかの美形である。 主が自慢するのも無理はないなと、私は苦笑した。
2006年01月15日
コメント(0)
そうして、何時が過ぎた頃だったのだろう。 山道の遥か向こうから、小さな灯りが近づいてくるのが見えた。それは、赤くゆらゆらと揺れていて、まるで鬼火のようだった。 もう既に十分怯えきっていた従者は、その鬼火を見ると、ひーっと情けない声を上げて、半泣きになりながら、私にしがみついてきた。私も恐ろしかったが、まさかこちらからも抱きつくわけにはいくまい。私は腰に下げた太刀の柄に手をかけて、鬼火を見据えていた。 ところが、近づいて来ると、鬼火の正体はただの松明だった。先頭に松明を持った従者を歩かせた騎馬の男が、後ろに荷車を従えて、山道を降りて来たのである。騎馬の男は、道端に蹲っている私たちを見ると、びっくりしたような顔をして、馬から下りてきた。 男は三十歳あまりだろうか、田舎びた狩衣を身に付け、萎えた烏帽子を被っていた。どこといって特徴のない平凡な顔だが、実直そうだ。私は寒さに震えながら、男に声をかけた。「私は多賀城から来た旅の者です。馬から落ちて足をひねり、難儀をしております。どうぞお力をお貸しくだされ」 男は心配そうに私の足を眺め、何か言ったが、訛が強くて私にはよくわからなかった。かわりに従者が会話したところによると、これから山裾の里にある家に帰るところだから、荷車に載せて連れて戻ってくれると言う。 私はありがたくその男の好意に甘えることにした。
2006年01月13日
コメント(0)
従者が心配して走り寄ってきた。私は従者の肩に掴まってもう一度立ち上がり、何とか馬に乗ろうとしてみたが、馬の背は高くて、従者一人では私を引っ張り上げることが出来ない。人を呼びにやろうにも、里は遠いし、こんな山犬の出るような山奥に、身動き一つ出来ぬ私を残して行くわけにもいかなかった。 私たちは途方にくれた。 間もなく日が暮れる。こんな寂しい山の中、しかもひどく薄気味の悪い場所で、一夜を明かすなんて。 それこそ、留守番の従者の言いぐさではないが、鬼女か山の神にでも魅入られてしまうことだろう。いや、もしかしたら私が滅多にしない落馬をしたのも、この山の神に既に魅入られてしまっているからなのかも。そう思うと、さすがの私も恐ろしくなった。 だが、無情にも日が暮れた。夜の山の空気は冷たく湿っていて、ひどく寒い。風に辺りの木々が不気味にざわめき、どこからか何の声かもわからぬ獣の鳴き声もする。 私はだんだん生きた心地がしなくなってきた。 そのような私の気持ちが伝染したのか、従者は怖がって、ひたすら誰かいないかと叫んだ。もちろん、こんな山奥に誰がいるはずもない。従者が声が枯れるまで叫び続けるので、私の耳の方が痛くなってしまったくらいだ。 そうするうちに、しとしとと雨まで降ってきた。従者はすっかり元気をなくして座りこみ、私は足首の痛みに歯を食いしばりながら、あまりの寒さにがたがた震えていた。
2006年01月12日
コメント(0)
だが、陸奥の女とはいえ、すべてがこのように田舎びた可笑しな女だったわけではない。 陸奥での思い出といえば、もう一つ今でも忘れられない出会いがある。 あれは私が、鬼女が篭ったという黒塚の伝説で名高い安達が原を見ようと、少し足をのばした時のことだった。私は京から伴ってきた従者を一人だけ連れ、馬に乗って安達が原に向かった。「鬼の出る原などに、どうして行こうとなさるのですか。鬼に魅入られでもしたら、どうなさいまする」 多賀城の屋敷に留守番に残してきた、一番年嵩の従者はそう言って反対したが、私は話に聞く黒塚というものを一目見てみたかった。「鬼は鬼でも、女の鬼になら、魅入られてみたいものだ」 そんな軽口を叩いて、私は無理に屋敷を出てきたのだが、果たして従者の心配は正しかったのだろうか。安達が原へ向かう途中、信夫山という小暗い山に差し掛かった辺りで、私の馬が急に何かに驚いて立ち上がり、私は馬の背からほおり出されてしまったのだ。 一体何に驚いたのか、周りを見まわしたが何もいないし、何の物音もしない。だが、何となく気味の悪い感じがして、私は少し恐ろしくなった。 私は早くこの場所から立ち去ろうと、したたかに打ち付けた尻をさすりながら立ちあがろうとしたが、何ということだろう。足首がひどく痛んで、地面につけることすら出来ない。私はうめきながら、また座りこんだ。
2006年01月11日
コメント(0)
美しい海辺の風景で名高い塩釜、鎮守府のある胆沢城。様々に巡り歩いていると、面白いものに出くわすこともあるものだ。 私の東国での歌の草稿には、こんなおかしな歌が書いてある。夜も明けばきつ水桶にはめなで くたかけ腐鶏のまだきに鳴きてせなをやりつる(夜が明けたら、水桶へぶち込んでやろう。あの馬鹿鶏めが、まだ夜も明けないのにあんなに鳴いて、あの人を帰してしまったのだもの) これは、私が栗原というところへ行った時、ある女に誘いかけられて、気紛れに一夜を過ごしたあくる朝、私の元にその女から届けられた歌だ。きつだの、くたかけだの、私には見当もつかない陸奥の言葉が使われているせいで、こちらへ来てからかなりこの地の言葉に詳しくなった私の従者に尋ねるまで、私にはこの歌の意味がほとんどわからなかった。私はこの歌で大いに笑い、栗原を去る時、これから都へ戻るからなどといい加減なことを言って、女に返歌を送った。栗原のあねはの松の人ならば みやこのつとにいざといはましを(あの栗原のあねはの松がもし人間であったならば、都への土産として、さあ一緒に行こうと言いたいところなのだが) 私は女をからかったつもりだったのだが、女は私の意に反して大層喜んだという。都へ連れて行きたいと思うほど、自分のことを愛してくれているのだと思ったのかもしれない。 田舎びてはいるが妙な愛嬌のあったあの女のことを思い出す度、私は可笑しくてしょうがなくなる。だが、そんな女にでも、誘い掛けられれば寝て見ずにはいられない私の好色さ加減はどうだろう。今思えば、全く度し難い馬鹿者だ。
2006年01月10日
コメント(0)
武蔵を出た私は、下総を通り、ただあてもなく北へ北へと旅を続けて行った。 そして、とうとう陸奥にまで辿り着いてしまった。 みちのおく、と言うくらいだから、陸奥の国は最果ての地だ。もはや都の面影などどこにもない。苔むした巨木の生い茂る山々は恐ろしいほどに暗く、野原は一面名も知らぬ草に覆われて、田畑の姿も稀である。人の住む里もまばらで、ようやく辿り付いて案内を請おうとしても言葉すらはかばかしく通じない。里人の住む家も、ただの掘建て小屋にすぎない粗末なものばかりで、一夜の宿を借りることすら難しかった。 陸奥の旅は困難を極めたが、それでもさすがに国府のある多賀城の辺りにたどり着くと、ようやく街らしい家並みを眺めることが出来た。私はしばらくこの地で旅の疲れを癒すことにし、国府の近くにある小さな屋敷を借りて、ようやく旅装を解いた。 この屋敷は、元は国府の下級官人の住処だったという。館は小さかったが、庭には昔の名残か、形の良い枝振りの庭木が何本もあり、小柴垣の陰には何やら小さな花も咲いている。僅かばかりの調度もあり、古びてはいるが住み心地は良かった。 それに、国府には京から来た官人もいて、様々な便宜もはかって貰えた。そして、官人たちにこれ以上北へ行っては何があるかわからないと言われたこともあり、私は結局この家で二年あまりもの月日を過ごすことになったのである。 今思い出して見ると、陸奥での日々は穏やかで平和なものだった。私は日がな一日歌を詠んで過ごしたり、気の向くままに野山を歩きまわったりした。時には、国府の官人たちと鷹狩に行ったり、酒宴を開いたりしたこともあったが、私は概ね一人でいることを好んだ。そして、気候の良い季節には、僅かな供だけを連れて、陸奥の名所や旧蹟を尋ねる短い旅に出た。
2006年01月09日
コメント(0)
都では見られないのに、なぜ都鳥というのだろう。 私はおかしくなった。だが、その名はやはり私に都のことを思い出させてしまったのだろうか。考えるのを止めようとする私の心の声に逆らって、歌が一首、私の口をついて出た。名にし負はばいざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと(都鳥よ。お前がその名にふさわしいものであるならば、さあ尋ねよう。都にいる私の愛しい人は無事でいるだろうか、どうだろうかと) 私の脳裏に、押さえようとしても押さえきれぬように、姫君の面影が浮かんできた。 太政大臣の館に押し込められたと聞いたままのあの人は、今頃一体どうしているだろうか。太政大臣や少将の君に責められ、周囲の者どもにはうかれ女か何かのように軽蔑され、自由も誇りも失ったまま苦しんでいるのではないか。 いや、もしかして、あの誇り高い人は既に死を選んでしまったのではないか。 そう考えて、私は思わずぞっとした。 あの気丈な姫君のこと、そんなことはあり得ないとは思うが、考えれば考えるほどそれが現実になってしまう気がして、私は慌ててそんな考えを振り払った。 それ以来、私はますます姫君のことを心の奥に押し込み、少しでもその面影を思い出すことさえ自分に禁じてしまったのだった。
2006年01月08日
コメント(0)
都へ戻ることが出来ない今の境遇は、全て私が作り出したものだ。他の誰の責任でもない。 それに、去って行く者よりも取り残された者の方が嘆きは深いのではないか。 そう思った時、ふいに五条の姫君の面影が浮かんできそうになって、私はそれを振り払うように首を振った。都のことを思い出すたび、一番思い出したくないあの時の姫君の眼を思い出す。私は旅の途中、可能な限り都のことを思い出さないよう気をつけていた。 それでも、都と言う言葉を聞けば、やはり思い出さずにいられないこともある。 あれは、少女の三吉野の館を出て、下総の国へ入ろうとしていた時であった。武蔵の国と下総の国の境には、隅田川というたいそう大きな川がある。私たちはさらに遠くへ行くため、渡し舟を雇ってその川を渡ることにした。 馬や荷物を積みこみ、私たちが舟に乗ると、渡守は巧みに船を操って川の中に漕ぎ出した。もう夕暮れに近く、川面を渡る風は湿気を帯びて冷たかった。私は狩衣の襟をかき上げ、川面に映る夕映えを眺めるともなく眺めていた。 私は、その時ふと、見なれない鳥が水の上で遊んでいるのに気がついた。鴫ほどの大きさの白い鳥で、嘴と足の赤い部分がどこか粋な垢抜けた感じがする。従者にこの鳥の名を問うて見たが、誰も知らない。 渡守に尋ねて見ると、これが名前だけは私もよく聞いていた都鳥というものだと言う。
2006年01月07日
コメント(0)
少女の館を出て武蔵の国を後にした私は、また元のように流浪の旅に出た。 別にどこにも行く当てはない。 でも、東国の旅の間、私はいつも出来るだけ遠くへ行きたいと思っていた。都から出来るだけ離れたところへ。 そう言いながら、私も都が全く恋しくなかったわけではない。 東国時代の歌の草稿をめくってみれば、いくつも望郷の想いを詠んだ歌がある。一番私が気に入っている歌は、伊勢と尾張の間の海辺を歩いている時に詠んだものだ。 その日は灰色に空が掻き曇り、冷たい小雨の降る侘しい日だった。風が強く、海岸を馬に乗って進んで行く私の顔にも、飛礫のように小さな雨粒が当たった。鈍色をした海は大きくうねり、荒々しい白波が寄せては返しながら、ごつごつした岩間に砕け散っている。 まだ都を出て間もなかったその頃の私は、その風景の侘しさにふと我にもなく望郷の想いに駆られ、馬上のまま歌を一首詠んだ。いとどしく過ぎゆく方の恋しきに うらやましくもかへる浪かな(ただでさえ過ぎ去った日々が恋しくてならないのに、帰っていく波を見ると、帰ることの出来ない私は、それが羨ましくて堪らなく思えることだ)
2006年01月06日
コメント(0)
私は筆を置くと、その文を先ほど女童が持ってきた桜の枝に結び付け、文机の上に置いた。 そして、密かに従者を呼んで荷造りをさせると、そっと少女の屋敷を出た。今宵に限って、屋敷のうちを警護する家人はだれもいなかった。それに、いつもは固く閉ざされているはずの門も少し開けられ、そこを守り固める武者もいなかった。そのお蔭で、私は誰からも咎められることなく、静かに屋敷を出ることが出来たのである。 おそらく、母親は私の出発に気付いていたのだと思う。だが、気付かぬふりをして、私を引きとめないでいてくれたのだろう。 母親もまた、風雅を解する都人であったのだ。私に娘の将来の望みをすべてかけていたにも関わらず、私にそれを無理強いするでもなく、私の意志を第一に優先してくれた。私の気持ちを察すると、引き止めて懇願することもなく、娘との結婚を断った私を責めることもせずに、私の思うままに黙って行かせてくれた。そして、挨拶もせず、今までの好意に対する礼も言わずに密かに去っていく私を許してくれたのだ。私にはその雅な思いやりが嬉しかった。 果たして、今頃あの少女はあの若者の妻となって、三吉野の地で幸せに暮らしているだろうか。時折は、私のことを思い出すこともあるだろうか。 私にはわからない。 だが、あの少女の無邪気な笑顔を思い出すと、今も心が和む気がする。私がしたことは正しかったのだと、私は信じたかった。
2006年01月05日
コメント(0)
私は床にごろりと仰向けになり、両手を枕にして暗い天井を眺めた。 確かに、私との結婚は母親の希望を満たすことにはなるだろう。 だが、少女はどうだろうか。 私の数多い妻妾の一人となり、時折私の訪れを待つだけの女になることは、果たして少女にとって幸せなことだろうか。それに、今は私を父親のように信頼し慕ってはいるが、私のような男の妻でいるならば、いずれは女としての悲哀を骨の髄まで味わうことになる。 私の脳裏に少女の無邪気な笑顔が浮かんだ。それを失わせるのは忍びない。 だが、あの従兄とやらならば、心底少女を想っているようであるし、本家筋に当たる家の姫を粗略に扱うこともあるまい。いつまでも愛妻として傅き、大切にするだろう。少女の方も若者を嫌いではないようだし、いずれは母親も納得するに違いない。 私はまた苦笑して起き上がった。 馬鹿馬鹿しい、私が他の男にむざむざ気に入った女を譲るなんて。 そうは思ったし、私の中にまだ未練がないわけではなかったが、しばらく考えているうち、私の気持ちは固まって行った。私は文机へ向かい、墨をすって筆を取ると、紫の薄様の料紙を選んで、そこへ歌を一首流し書いた。わが方によると鳴くなるみよし野の たのむの雁をいつか忘れむ(私の方に慕い寄るという気持ちで鳴いているという三吉野の田の面の雁を、私はいつまでも忘れることはないでしょう。それと同じように、この地で出会った少女のことも、私は決して忘れはいたしません)
2006年01月04日
コメント(0)
男は田舎にしては立派な装束を身につけ、庇の間に畏まって座っていたが、式の間中暗い眼をしてあらぬ方を見つめていた。美しい少女の方を見ようともしなかった。 実際に顔を見てみると、男はまだ頬の当たりに微かに少年の面影が残っているようで、私が思っていたよりずいぶん若かった。さしたる美貌ではないが、体つきは逞しく、眼差しにはつわものらしい精悍さがある。 その眼がわずかに涙ぐんでいたようだったことを思い出して、私はまた考え込んだ。 あの若者は少女のことが好きなのだ。どうやら少女の父親も二人が一緒になることを望んでいたらしい。だが、あくまで身分の高い男との縁組にこだわる母親の反対にあって頓挫したのだろう。そこへ私が現れた。おそらく親類の者の間でも、私を少女の婿に迎えることは知れ渡っていたのだろう。それだけならまだしも、目の前で好きな女が別の男のものになるのを見るのは、若者にとって堪らなく辛いことであったに違いない。 その時ふいに、私の心の中に声が響いた。 このまま、この地を去れ。少女の幸せを考えるのなら。 私は苦笑した。この私が少女の幸せを考える? 私は今まで欲しいと思った女を手に入れることを躊躇したことはない。夫がいようが、許婚がいようが、そんなことなど私には何でもないことだった。まして、少女は私を慕い、親も結婚を了解している。 それなのに、なぜだろう。
2006年01月02日
コメント(0)
全26件 (26件中 1-26件目)
1
![]()
![]()
