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堀河はきちんと座り直して平伏すると、御意を承った。鳥羽院は低い声で堀河に言った。「私がこの話に乗ったのは、忠実の熱意に動かされただけだ。それに、私と忠実はいろいろと利害が一致するところがあるのでな。その辺は実能なら良く存じておろう。忠実は義親の叔父の義綱と親しかったこともあって、昔から河内源氏と関わりを持っていた。それで、今も人気のある義親を旗印にして河内源氏の力を結集しようと試みたのだ。だが、肝心の義親が偽者であるならしょうがない。為義もあきらめるだろう」「為義とは、どなたでございますか」 首を傾げて問う堀河に、鳥羽院は苦笑して言った。「そなたは、本当に何も知らぬのだな。恋い慕う男の息子の名も聞いたことがないのか」 息子……獅子王には子供もいたのか。「源為義は父親の義親が早くに九州へ下ってしまったため、祖父の義家の養子となって京で育ったのだそうだ。祖父と父が死んだ後、ずいぶんと苦労したらしい。何しろたった十四歳で、大叔父義綱の一族を追討させられたのだからな。朝廷の命とはいえ、年端もいかぬ子供に身内を成敗せよとは、白河院も酷なことをなされたものよ。この同族同士の内紛のせいで、河内源氏は主だった武将を全て失い、すっかり凋落してしまった。河内源氏の棟梁として何とか生き残った為義も、官職は左衛門尉どまりで受領ですらない。忠実はそんな河内源氏の窮状を狙って、話を持ちかけたらしい」「その為義殿は何と?」「河内源氏の者たちは、ほとんど信じなかったそうだ。何しろ、義親はとうの昔に死んだはずなのだから。だが、先日の四条大宮の一件で、鴨院の義親の猛勇ぶりを聞き、俄かに興味を示し始めたらしい。ついこの間、忠実のところに為義からの書状が届いたのだよ。もし本当に我が父であるならば、一目会って見たいとな。いくら幼い時に別れたとはいえ、実の息子なら父親を見誤ることはあるまい。もし為義が本物だと認めれば、それに勝る証拠はないだろう。忠実はこれで河内源氏を手の内に出来るかもしれぬと有頂天になった。それで忠実は必死になって行方をくらませた義親を探し出し、早々に二人を会わせる算段をしておったのだが、それも無駄になったと言うわけか」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2013年03月29日
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堀河は安堵して、思わずその場にへたりこんでしまった。鳥羽院はしばらく堀河の顔を見つめていたが、手に持っていた扇をぱちりと閉じると訊ねた。「鴨院の義親が偽者だと判明したというのはまことか?」 堀河は必死になって答えた。「はい。実能様が詳しくお調べになり、偽者に間違いはないと。実能様は忠実様の動きを逐一ご存知で、以前からいろいろと探っておられたのです。でも、どうか実能様を疎ましくお思いくださいますな。実能様はただ、このような噂が広がって世の乱れに繋がるのを憂いておいでなのです。決して、院に背きたてまつるようなお心はお持ちではございませぬ」「そうか」 鳥羽院はなおもしばらく考え込んでいた。そして、何かを諦めるように深く溜め息をついた。「実能に何もかも知られておるというわけか。それならば仕方がないな」 鳥羽院は疲れたように脇息に寄りかかると、堀河の方へ向って言った。「私にも、この国のありようにはいろいろと考えがある。それは誰にも邪魔はさせないつもりだ。だが、私もいたずらにこの世を乱すことを望んではおらぬ。それだけは、実能にしかと伝えておけ」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2013年03月28日
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鳥羽院は冷たい顔つきのままで言った。「私は万乗の君たる帝であった男だ。今上とて、父である私には逆らえはしない。この世のあらゆるものの生死賞罰は全て私の思いのまま。そなたの命も元々私の手の内にあるものだ。そんなものを、どうして私がわざわざ欲しがる?」 そして、また皮肉な微笑を浮かべて言った。「私が義親を手放す気はないと言ったら、そなたはどうする? 私に飛びついて首でも締めるか?」 堀河は絶望的な気持ちになって俯いた。涙が込み上げてくる。 待賢門院のせっかくの犠牲も、無駄になってしまうのか。 だが、この鳥羽院を相手にして、たかが一介の女房に過ぎない堀河に何ができるだろう。堀河は打ち萎(しお)れて言った。「滅相もございませぬ。わたくしごときが院の御意に逆らうことなど出来ましょうか。確かに、私の命など院のために何の役にも立ちますまい。どうぞ……御意のままに」 堀河はゆっくりと身を起こすと、よろめきながら後ろへ膝行(注)した。そして、鳥羽院に向って一礼すると、ふらつく足を踏みしめるようにして、妻戸の方へ行きかけた。「待て」 振り返ると、鳥羽院は御簾の向こうから堀河を見つめていた。そして、やがて溜め息をつくと言った。「どうやら本気のようだな。そなたをこのまま帰せば、本当に何をするかわからん。待賢門院にも憎まれるし、恨みを呑んで死んだそなたに怨霊にでもなられてはかなわぬ」 鳥羽院は皮肉な笑みを消し、今度は本当に微笑んで言った。*注…しっこう。膝立ちで歩くこと。貴人の前では普通に立ち歩くことは無礼だとされていたので、主人の御前ではこのようにして移動していました。まあ、私が十二単を着てみた時の経験では、衣装が重い上に長い袴をはいているので、よいしょっと立ち上がって歩くのは結構な重労働。近い距離なら膝立ちのままで歩いた方が楽だな~といった感じだったので、案外めんどくさかったからこんな習慣が生まれたのかもしれませんね。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m↓ 十二単姿の私(笑)
2013年03月27日
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「いえ。わたくしもそう思っていたことはございました。でも、あの男のことだけは違いまする。そのように変わらぬ想いというものがあることを、わたくしはあの男に出会って初めて知りました」「永遠に、というわけか……何と陳腐な言いよう。名高い歌人のそなたとも思えぬ」 鳥羽院は軋(きし)むような不愉快な笑い声を立てた。その声音に少しむっとした堀河は、下げていた頭をきっと上げて言った。「恋とは、そもそも陳腐なもの。人を恋うのに、理屈がありましょうや? 院にもきっと、ただわけもわからず人を恋うたことがおありでしょう。どんなに優れた恋歌も、そのような陳腐な想いが生み出したものでございます」 堀河の言葉を聞くと、鳥羽院は少し眉を寄せた。誰かのことを思い浮かべているのだろうか。しばらくの間黙っていた鳥羽院であったが、やがてまた堀河を嘲笑うかのような微笑みを浮かべて言った。「だが、人の一生というものはままならぬものだ。自分の想うままに生き、その想いを貫き通すことなどできはしない。その上、すべてのものが流転していくのが憂き世のさだめ。永遠に変わらないものは、この世にはない。もし仮にそのようなものを認めるとしても、あの世まで持っていける人の想いなどあるものか。浄土にあるのは御仏の慈悲のみ。人は死ねば、濁世の愛など忘れ果ててしまう。そなたの想いもそこまでだ。それに、いくらその男がいなければ生きては行けぬなどと言っても、本当に死んでしまう者など居はしない」「そうではありませぬ。わたくしは死んでもあの男のことを忘れるつもりはありません。もし院がお望みなら、喜んでこの命を差し上げても良うございます」「ほう、あの男のためなら命を捨てても良いと申すか」 鳥羽院は驚いたようにしばらく堀河を見つめた。だが、やがてその口から出たのは冷やかな一言だった。「そなたの命など、私に何の価値がある?」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2013年03月25日
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俄(にわ)かに心を決めかねているような鳥羽院を目にした堀河の脳裏に、自分の想いを遂げてみよと叱咤(しった)した待賢門院の顔が浮かんだ。堀河は一息深く息を吸うと、しっかりと頭を上げ、鳥羽院に向って進み出た。「どうかお願いでございます。わたくしにあの男をお返しくださいませ」 堀河は鳥羽院の目を見つめて言った。「あの男はわたくしが心からいとおしいと思ったただ一人の者。わたくしはもうあの男と離れては生きては行けませぬ」 鳥羽院は口元に皮肉な微笑を浮かべて言った。「えらく惚れ込んだものだな。忠実がいうには、義親は何となくはっきりとせぬ奇妙な男だというではないか。それに、さほどの美形でもないらしい。なぜ、そこまで愛しく思う? 源氏の総領であった義親でないなら、あの男はただの地下(注)の庶民に過ぎぬ。そなたなら、他に身分の高い相手がいくらでもおろう」「身分など、関係はございませぬ。わたくしが欲しいのはあの男ただ一人。他に、誰が代わりになり得ましょうか。あの男を失っては、わたくしは生きてはおれませぬ。どうか、わたくしを哀れと思し召して」 堀河は必死の面持ちで平伏した。だが、鳥羽院は表情を崩さない。「私に待賢門院の言い分をきく義務はない。それに、そなたは私に仕える女官でもない。私に何の関わりがある?」 そして、身分の高い者にありがちな、捉え所のない無表情で言った。「私は人の愛などたいして信じてはおらぬ。男と女が共にいたいと望むのも、ただの欲望のあらわれに過ぎない。気持ちの高ぶりも、一時のことだ。その時が過ぎれば、互いに無関心になり、ひどければ憎み合うようになるというのが、人の世の習い。そうではないか?」*注「地下」…じげ。宮中での昇殿を許されない身分の人=一般庶民の意)↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2013年03月19日
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堀河は驚いた。 待賢門院が自分の最も手強い敵になりかねない摂関家の娘の入内を黙認するなんて。 確かに、娘を鳥羽院に入内させることが、忠実積年の念願であることは誰でも知っている。藤原道長の栄華を夢見る摂関家の当主なら当然であろう。 しかし、白河院は頑ななまでにそれを拒み続けた。そのため、忠実の娘の勲子は婚期を逃し、三十半ばを過ぎた今でも独身で過ごしている。待賢門院がいうように、忠実は可哀想な娘と自分の野心のためなら、喜んで義親を手放すことに同意するだろう。 鳥羽院も脇息に寄りかかって顎を撫でながら、しきりに首を傾げた。「あの待賢門院が忠実を許して肩入れするとは信じ難い。そなたも知っているとおり、待賢門院は昔から忠実をたいそう嫌っておったしな」 鳥羽院の言う通りである。 もうずいぶん昔のことになったが、白河院は一時期待賢門院の結婚相手として、忠実の息子の忠通を考えておられたことがあったのだ。 白河院鍾愛の姫君との婚姻は、摂関家にとっても名誉なことのはず。ところが、忠実はそれを婉曲且つ執拗に断ってきた。その理由が密かな噂として伝わって来た時、白河院は激怒したらしい。 何でも、忠実が待賢門院を息子の妻として相応しくないと思った理由は、彼女の身持ちの悪さにあると言うのだ。 その頃、すでに待賢門院と白河院の関係は公然の秘密だったし、その上季通らとの密通の噂も密かに囁かれていた。それを耳にした忠実は、そのようなふしだらな女はいらぬと突っぱねたというのである。 その言い分に、白河院以上に傷ついたのは待賢門院ご自身であろう。それ以来、待賢門院は忠実に冷たい態度を取り続け、今まで一度も側に近づけたことはない。そればかりか、女房たちの間でも、忠実の名は待賢門院の御前では禁句であったほどなのだ。 それなのに、待賢門院は自分の気持ちを曲げ、忠実に譲歩してくれるという。鳥羽院も堀河を見ながら言った。「そなたが待賢門院のお気に入りであることは知っておるが、これほどまでに可愛がっていたとはな。いつもの気紛れにしては、度が過ぎておる。さて、どうしたものか……」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2013年03月18日
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白い頬を紅潮させ、内心は激怒しているらしい鳥羽院を目にして、堀河はすっかり怖気づいてしまった。肩をすぼませて俯く堀河に、鳥羽院は手に持っていた扇を何度も閉じたり開いたりしながら、苛々した声で言った。「私とて、あの義親が本物かどうか確信があったわけではない。忠実が義親の話を持ってきた時は半信半疑だった。だが、忠実は熱心でな。ならばその義親とやらをとにかくこの京へ連れてこいと、検非違使(けびいし)を遣わせて坂東で探させたのだ。そして、忠実に託して、本人かどうかしかと確かめよと命じておいた。それだけのことだ。なのに、この文ではまるで私が悪事でも企んでいるかのようではないか」 鳥羽院はますます刺々しい口調で怒りを露わにする。 堀河は頭を低くして、嵐が過ぎるのをじっと待った。身分の高い者は怒るだけ怒らせておいた方が良いと、体験上知っている。そうすれば、熱しやすく醒めやすい彼らは、独りでに気を落ちつけてくれるのだ。仕える者はただ従順に畏(かしこ)まっているだけで良い。 堀河の思った通り、一頻(しき)りがみがみ言っていた鳥羽院は、やがて気持ちが鎮まってきたとみえ、激怒したことを恥じ入るように俯いた。そして、恐れ伏しているかのように見える堀河に気づくと、生来の人の良さが現れてきたのか、少し気遣うように言った。「そなたを責めているのではない。少し腹がたっただけだ。だが、なぜ待賢門院が義親などにこだわるのか。待賢門院は、義親はそなたの縁に繋がる者だから、そなたの手元に返して欲しいと言っておる。伏して願うから、自分からのたっての頼みを聞いて欲しいと、そこからはずいぶんと頭の低い言いようだ。それだけではない。待賢門院は、もし忠実が義親を手放すことを拒んだら、こう言って欲しいと書いている。義親の身柄と引き換えに、忠実の娘の勲子を私の后として入内させること認めるとな」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2013年03月16日
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しばらくすると、鳥羽院は顔を上げて、堀河の方を見た。不機嫌な、それでいて当惑したような表情だ。そして、御前で平伏している堀河に問うた。「これは一体どういうことか? 何ゆえこんな夜更けに、このような文を持ってきた?」 いつになくきつい鳥羽院の物言いに、堀河は身の縮まる思いであったが、そんな自分を強いて励ますように顔を上げると答えた。「わたくしは待賢門院様の使者。すべては文の中にあると、女院様はおっしゃいました。そして、この文をお読みいただき、どうか善処してくださいますようにと」 鳥羽院は堀河を睨みながら言った。「あの義親がそなたの局に匿われていたということは、忠実から聞いている。一体どうしてそんなことになっていたのか、計りかねていたのだが。待賢門院はどこまでこの一件に関わっている?」「いえ、待賢門院様は一切関わりはございませぬ。わたくしがその男を匿っていたのは、偶然の末の私事」「では、女院はなぜこれほどまでにこちらに譲歩する?」「譲歩? 何のことでございます?」「そなたはこの書状の中身を知らぬのか?」「はい、何も」 鳥羽院は疑わしそうな目で堀河を見たが、堀河自身も当惑したような表情をしているのを見て取ると、ますます不機嫌になった声で言った。「鴨院の源義親は偽者であることが、実能の調べではっきりしたと、待賢門院は言っておる。これ以上手元に置いて匿っても、これから先うまい使い道はないとな。待賢門院らしい、身も蓋もない言いようだ。それに、河内源氏には反対する者たちも多く、世の乱れに繋がるから、早々に手を引いた方が良いとまで言う。何という不敬な文であろう。私を何と心得ておる」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2013年03月08日
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鳥羽殿は、白河院が退位後の自らの仙洞御所として、洛南鳥羽の地に造営された、壮大佳麗な大離宮である。 百余町という前代未聞の広大な敷地に、南北八町東西六町のまるで海のような人工池を配し、それを中心に大小様々な御殿や寺院が点在していた。 白河院が崩御された三条西殿の旧西の対も、院の冥福を祈るため今はこの地に移築されて、成菩提院という御寺になっている。 数ある御殿のうちでも、鳥羽北殿は最も巨大で壮麗な建築を持ち、鳥羽殿の中核を成す院の御所であった。重々しい桧皮葺の屋根の下に黒光りする太い柱が立ち並んだ殿舎は、贅を凝らした装飾と調度で埋め尽くされ、まさに帝王の住処に相応しい佇まいである。 その中でも一際美々しい寝殿の御簾の向こうで、鳥羽院は待賢門院からの文を読んでいた。 もしかしたら、もうすでにお休みになられていたのかもしれない。肩には綿の入った白綾の袷をふうわりと羽織っておられる。白い頬にかかる少し乱れた後れ毛が、何ともなまめかしい。 だが、その顔は険しく、烏帽子を載せた頭を度々傾けては、何度も文を読み返していた。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2013年03月07日
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待賢門院の表情は厳しく、それでいて優しかった。 堀河にはこのずっと年下の女主が、なぜだかとても大きく見えた。まるで、亡くなった母に叱咤されたような、そんな心強さと温かみを感じた。堀河は薄っすらと目を潤ませて、子供のようにしっかりと頷いた。「では、早速奥で文を書く。墨をすっておくれ。文が出来たら、すぐに鳥羽院のところへ遣いしてもらおう。今宵は確か、鳥羽の離宮の方におられるはず。この三条西殿の牛車を使うのを許すから、それに乗って急いで行くがよい」 待賢門院は書状をしたためるために立ち上がった。そして、庭先に控えている桜子に目を止めて言った。「兄上に仕える者か」 桜子は未だに呆然と待賢門院を見上げたままだったが、さすがに我に返って答えた。「はっ、前左衛門尉佐藤康清の一子で、佐藤義清と申しまする」 桜子は待賢門院の前で少しでも自分を大きく見せたいのだろう。無理に胸を張り、まだ名付けられてもいない名告(なのり)を名乗った。「佐藤義清か。覚えておこう。では、そなたに命じる。この堀河の供をして、鳥羽殿へ遣いしておくれ。厩へ行ってわたくしの命だと言えば、すぐに牛車の用意をしてもらえるであろう」 待賢門院は葡萄染の袿の裾を翻(ひるがえ)すと、御簾の奥へ静かに去って行った。 桜子はその姿から目を離すことも出来ずに、奥の屏風の向こうにその姿が消えるまで目で追っていた。そして、しばらくすると、うっとりとした潤んだような瞳を輝かせて、堀河に言った。「あれが、待賢門院様でございますか……まるで、衣通姫(注)のような」 それ以上はもう声にならないのか、桜子はしきりに溜め息をつきながら、いつまでも御簾の向こうを見つめていた。注…衣通姫(そとおりひめ)=衣を身にまとっていても、その美しさが衣の外へ輝き出るほどであったという、古代日本の伝説的な美女。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2013年03月04日
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その時、寝殿の御簾の奥から衣擦れの音がした。堀河が驚いて階から見上げると、御簾の巻き上げられた長押の辺りに、待賢門院が立っていた。 待賢門院は桧扇で顔を隠すこともなく、月光の下にその白い面を晒している。月明かりに輝くその顔は、神々しいまでに美しかった。まるで、遥かな浄土からこの世に降り来った弥勒菩薩の化身のようだ。その清らかに美しい額から、濡れたように輝く髪が流れ落ち、葡萄染の袿の裾を豊かに蔽っている。 いつも見なれているはずなのに、堀河は思わず待賢門院に見とれてしまっていた。桜子はぼんやりと口を開けて待賢門院を見つめたまま、言葉も出ないようだ。 待賢門院は階の傍らに腰を下ろすと、その夢のような美貌と甘い声に似合わぬ、はっきりとした口調で言った。「鳥羽院が、鴨院の源義親を操っておられるのか」 堀河はその口調に押されるように答えた。「はい、お恐れながら」 待賢門院はしばらくの間白銀の庭を眺めていたが、やがて強い輝きを帯びた眼で堀河を見つめると、真顔で問うた。「そなた、その義親という男が本当に好きか」 堀河はいつになく真剣な待賢門院に押されるように、つい恥ずかしげもなく答えた。「はい。何ものにも替え難いほどに」 待賢門院は澄んだ目で、またしばらく堀河を見つめると言った。「これから、一つ文を書く。それを持って、鳥羽院の元へ行くがよい。そして、それを鳥羽院に見せ、そなたがどれほどその義親をいとおしく思っているか説いてみよ。そなたの熱意が功を奏すれば、鳥羽院はおそらくそなたに男を返してくださるであろう」「それはどういうことでございます?」「よいから、行け。その文にあることは、わたくしと鳥羽院との問題。そなたは何も聞かず、ただ自分の思うところを訴えるだけでよい」「でも……」「そなたは、その義親とやらに逢いたかったのではないのか」「いえ、もちろん」「それなら、逢うておくがよい。わたくしのように、後悔はするな」 待賢門院はまた月を見上げた。「わたくしにも、かつて心から逢いたいと思う御方がおったと言ったであろう。わたくしは今まで何度思ったことか。全てを振り捨てて、想うお方のところへ走って行けたならと。わたくしにはそうする自由も勇気もなかった。それだけが、わたくしの心残り……この世を去るその時まで、その苦しみが消えることはなかろう。そなたには、そのような想いはさせたくない。もし、その手立てと自由があるならば、己の全てを賭けて、その想いを遂げてみせるがよい」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2013年03月01日
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