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ほそぼそと座り込みを続けているというパンフを見て、有休の取れた夫と始めて参加してみることにしました。なにもできるわけではないけれど、小さな経験を語ろうというわけです。11時から14時アメリカ大使館前ということだけで行ってみました。少人数のわりに警官が20人強。ちょっと多いんじゃない?と思っていたら、お昼休みの時間には100人あまりに増えました。いろいろな団体の集会の日に当たっていたようです。しっかりおまわりさんにカウントされていました。何回も野鳥の会の方のように数えていましたね。ハンドスピーカーでご挨拶とシュプレヒコールをして、1時間弱でみなさんお帰りになり、警備の人数もまばらとなって、あとに残った7人は用意されたプラカードを掲げたり、自分で作ってきた紙を広げたり、スペースがないので、立ったり植え込みの枠に腰掛けたりして、まぶしい日光と冷たい風、日陰になると寒さに向かっていました。アメリカ大使館の方も通りかかりにプラカードを見たり、まぁ普通にとおり過ぎています。でも2月初めにはOKだった大使館寄りの歩道での座り込みはできなくなっているようです。東京大空襲を経験された方もいらして、「3月10日は晴れていたのに雨が降り、そこに焼夷弾が落とされ、庭の松が燃えていた。下町はひどい状態だった。もっと進んで、もっと恐ろしいことが今はできてしまう。こんなことはもう若い人に経験させたくないので、やってきた。」と話してくださった。外での抗議には帽子と花粉対策も必要でした。まぶしく寒く痒い。解散後、見つけた山形県のアンテナショップでてんぷら板そばで満足。山形ワイン、みそ、ずんだもちを購入。平和を祈って行動するつもりだったのに、また美味しさに負けた。
2003年02月28日
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暖かい午後、上野公園を通り抜けようとすると、噴水周辺が工事のため遠回りしなくてはならなかった。もしかしたら、噴水の脇の桜が咲いているのかもしれないのに、残念。もう少しゆくと、銅像の横にみごとにヒカンザクラが咲いていた。青い空にきれいな濃いピンク。桜の木の下には長い望遠レンズのカメラを構えた超ハイテクの電動車椅子のおじいさんが陣取っている。ここでは花とすぐ近くでやっているパフォーマンスが楽しめる。桜並木にもヒカンザクラを発見。カラスより小さめのヒヨドリが器用に蜜をとっている。ここで立ち止まって見上げていたら、カメラを持っていたおじさんがカシャッ。私はといえば2月中半額とう東天紅の肉まんあんまんを購入して、実は花より団子が目的なのでした。
2003年02月26日
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ちょっと幸せの人生を過ごしていると思う私にとって、人間が苦手と若いころから思い込んできた私にとっても、少なからずの経験を通して人を大事にして行こうと思いつつある。で、どのようにしてとなると、「私にできる」やり方となる。ということは、まず、「話を聞く」ということになるのだが、これは実はかなりのエネルギーが必要になる。一方的にしゃべるのを聞くって、後でぐたっり。同意もいいかげんにできないし。同じ話を何回も聞くって、それが仕事か、もう「これは聞こう」という強い意志を持っていないと難しい。自分の時間をその方に捧げることも、なかなかままならない。仕事から疲れて帰る夫には、おいしい夕食を用意したい。心のエネルギーが減少すると、味が鈍感になって、こんなはずではな~い料理となることがある。聞くだけで改善ということはないから、ちょっと不本意でも「~~すると損よ」とまずは伝えようか。分かりやすくすることが先決かもしれない。そして私にもささやかご褒美を。きょうの分は桜もち。
2003年02月25日
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おでん種を買おうと、根津の昔ながらのお店のおじさんに「このごまの入ったのと、いかボールと、」と袋に計算しながら詰めてもらっていた。そうしているうちに、おじさんの身振りで口で話すことができないことがわかってきた。時々そろばんに入れながら、細かい暗算をしていく。ところが、そこへその家のおばさんと孫が帰ってきた。おばさんはそろばんを孫に手渡して、「そろばんが好きでねえ」とニコニコ。あーっという顔をするおじさん。おばさんは「すみませんねぇ」と、奥で袋から出して計算のし直し。おじさんはそろばんで遊ぶ小さな孫の笑顔に、満面の笑み。おばさんのもう一度のお詫びの言葉に送られて、あたたかさが満ちているお店を後にした。おでん種を買うたびにエピソードがついて、うちの食卓でもおでん物語が続く。小さめの種で種類が多くて、美味しくて、とっても好評です。おじさんも元気でお仕事続けてほしいです。
2003年02月18日
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ランドリーバスケットで検索して、インターネットショッピンッグをしました。欲しかったのは脱衣かご。25年は使ったでしょうか。竹で編んであって、当時9500円は高いなぁと思いつつ、使いやすそうなので手に入れました。もう竹がはずれて、衣類がひっかかりそうなので、お店に行って探してみたものの、替わりになる大きさ・材質・お値段のって売っておりませんでした。こういう時こそと探したらありまして、大きさも2CM大きいが、お値段は¥4000。消費税と送料が必要、4日後に配送とのこと。そして届いた。お店の方が直接届けてくれたので、代引き手数料もいらなくて、うれしい。品物も写真どおりのなかなか丈夫そうなものだった。そして、今までのものは壊すにはしのびなく、使わなくなったスカーフを画鋲で内側に張って、ペットボトル・あきびん・空き缶を入れておくことにした。必要な物は良いものを選びたいが、たくさんの使いきれないものを抱えて暮らしている。古いいただきものを処分できないで。もっと身軽になりたいが、ゴミを増やすことになってしまう。
2003年02月14日
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今日、降りそうな空を心配しながら、横浜のクィーンズスクエアへ出かけた。1時からダメじゃん小出さんのパフォーマンスがあるというラジオを聞いて行ってみようと思い立ってしまいました。横浜は中華街と球場、美術館と新聞博物館には行ったことありますが、今回のように時間的余裕を持って歩いたことはなかった。パフォーマンスは2カ所でやっていて、どちらもかなりの人でにぎわっていた。特に子どもの姿が多い。寒いという感じではなかったので、みなさん最後までじっくり見ていて、帽子に紙のお金もたくさん集まっていて良かったね。はじめ登場したのはハンガーマン。針金ハンガーを巧みに使ったバランス芸。バンダナを巻いた頭から湯気が出る熱演だった。ダメじゃん小出さんはかなりスマートな話芸とジャグリング。みんなかなり笑って幸せな時間だった。芸もさることながら、すっきりとした話が場を引き締めた。ここでは小さな広場で階段や段差を上手く配置してあるので、平面で人垣で見えないということもなく、その場が盛り上がり、楽しい劇場になってしまう。上野公園でもヘブンアーティストが出没しているが、まだまだ慣れていない感じ。通り過ぎる人も多い。段差もないので後ろで見るのは大変なので。人が楽しく満足して生きるには、ローマ帝国の「パンとサーカスを」は時代と空間を超えて真実かもしれない。ささやかな日常のストレスが解消できて、さらに興味深いものを発見して、これから長い時を共に過ごす夫と面白い共通の経験を増やすことができて良い1日でした。日曜日の上野動物園ではエミュの雄が6個か7個かの深緑色の卵をあたためていました。雌は産卵のみだそうです。お父さんエミュは時々隣の足の長いタテガミオオカミと牽制しあって、なかなか緊張感ある生活を送っています。56日で孵るそうなので2月末には雛が見られる計算です。そのころ行ってみよう。
2003年02月11日
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バレンタインのプレゼントというわけではなく、整理していたら茶系の毛糸が微妙な数出てきたので、首が寒いといつも言っていた夫のために編みはじめた。1週間がんばらないで淡々と編んでいった。モヘアのこげ茶色2個半とベージュ2種、こげ茶とオレンジと茶の間の色1個ずつ。モヘア1本とベージュ1本をあわせてベースの色にして、ベージュをこげ茶にかえたりしながら渋い配色にまとめた。編み棒は8号の棒針。寒い季節に手仕事をするのは、なによりも心静かになれる。ベージュがかすかに色が変わってゆくけれど、アイロンをかけるとなかなかの作品となった。ちょっと重いけれど確実に暖かい。マフラーは端をガーター編みにすると形整うし、最後の止めが簡単なので、いつもこの手を使う。あと残り毛糸が40g×7個はあるので、わたしの分も編んでみようかしら。バラバラな色の組み合わせが考えどころ、単純な編み目で短めなオシャレなものを編みたいな。編み物は最初に綿密な計画を立てて、あとは変更することなく淡々とした作業が続く。編み物から興味がPCに移って4年経過。人生で10年周期で趣味が変わってきている。極めることなくそこそこで。連休は新しいマフラーの夫と防寒して横浜へ出かけよう。
2003年02月08日
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先日、家族が出払って、一人で夕食というのは虚しいと訴えたら、じゃぁ一緒に壬生義士伝を見ようと夫がさそってくれた。水曜日1000円というのも魅力なので、ノコノコ出かけて、忙しかったと40分遅くやって来た夫と夕食。7時からの回を見た。映画の作り方をみると、いろいろ気が付いてしまうらしいが、ストーリーを追って行くと、幕末は日本全国武士は新しい動きに参加したくて、気が急いていたように思える。今年100歳になる祖母の実家(庄屋さん)では「ぼっこし」(打ちこわし)が来るからと、銭を瓶に詰めて、大きな木の根元に埋めたとか。その後時代がたって子孫が掘り出したが、その時はもう価値がなくなってしまっていたそうだ。廃藩置県の後、やってきた熱い渦は自由民権運動。この時も地位も家族も投げ打って、父方のひいおじいちゃんはその渦に入っていった。本人からの弁は分からないけれど、残された家族からは一家で窮乏し、また逃亡している夫・父の心配で、大変な生活を強いられたということが伝えられている。詳しい言葉でなく、このような一言が150年前のホントを伝える。「たそがれ」も「壬生義士」も映画の主人公は東北の下級武士、武士らしい武士として描かれている。忠孝とか義はたしかに1945年まで生き延びたことを父の姿に感じることができる。そこまでは武士っぽい生き方が共感されていたと思う。「昔は良くなかった」と父は言う。わたしもそう思う。家族で話し合って今後どうしていくか決めて行くことができる現代をうれしいと思う。
2003年02月07日
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