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♪ 何をどう詠んだっていい言うなれば短歌はトランスフォーマーである 以前から興味はあったもののそのままになっていた名古屋駅西の「平和園」。短歌の聖地として名を馳せていて、全国から興味を持った人々がそこを目当てにやってくる。 小坂井大輔。破天荒と言うかドロドロした、それでいて身につまされるような鋭い感性の歌に若者が共感し、店に置いてあるノートに自分で詠んだ歌などを書き残していく。 歌集が出て一気に火が付いたらしい。新聞、テレビで紹介され一躍時の人に・・。 名古屋の歌人・荻原裕幸さん主催の「東桜歌会」に2015年ごろ、参加したのが歌を詠む始まりだとか。荻原裕幸さんたちが『平和園は“短歌の聖地”だ』って言い始めて、広がっていったらしい。 詳しいことは、ジョモコロ「 自堕落だった30歳を、短歌が変えた。町中華「平和園」が歌人たちの聖地になるまで」をご覧ください。「短歌ノート」。2016年からスタートし、8冊目にまでなっている。(2023年4月の段階)Yahooニュースより 名古屋駅西には朝鮮人が多く住んでいて、昔は何かとガラの悪い下町だった。キムチの材料を売る店が何軒かあって(最近減った)、わたしもキムチの材料を買いに行く。 そんなついでもある場所だし、“私もこっそり一首書き残してこようかしらん” 最近そんなことを思うようになった。秋だねえ。 名古屋には歌人・加藤治郎さんがおり、朝日新聞「東海歌壇」を担当していて、私も10回ほど掲載されている。 加藤治郎さんは斬新な歌を詠む人でもあるし、小坂井大輔氏もちまちました常識的な歌じゃない。いい刺激にもなっている。「平和園に帰ろうよ」小坂井大輔「どこにもいけないどこにもいけないどこにもいけない 全身が恥部」「雨の音をアプリで買って聴いている晴れの日こんな午後に死にたい」「夜、いちばん愛より遠ざかっているマンホールの鉄蓋のつめたさ」「カッとなりたまたま持っていた恋のような鈍器で殴ってしまう」「父の切る爪がぱちんと飛んできた箱根の5区の坂の途中で」「家族の誰かが『自首 減刑』で検索をしていたパソコンまだ温かい」「生涯に見る夢すべて繋げたら映画になる神様の計らい」「犬の糞を入れた袋をひったくられなんて美しい世界なんだろう」「別れ話とわかっていたら頼んではいなかったレモンスカッシュが来る」「値札見るまでは運命かもとさえ思ったセーターさっと手放す」「信号機にもたれて眠る花束を本能が見ることを許さない」「下の歯が二本しかないおっさんの声よく通る名古屋競輪」「柔道の受け身練習目を閉じて音だけ聞いていたら海です」「土下座したこともあるんだブランコに座った男の靴に踏まれて」「金がそんなに偉いかちきしょうそんなにも偉いか 金が 金を ください」「目に映るすべての景色が詩なんだよわかるか、なぁ、火ぃ貸してくれるか」
2024.10.05
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♪ 生きものにうんこはみんなごちそうで野糞にむれるいのちの歓喜 若い頃に、ワゴン車で北海道から帰って来る途中、山中で車で寝た朝、野糞をしたことがあった。面白いのは、すぐに金蠅らしきものが飛んできて何匹かの幼虫を産み付けていった。あっという間に幼虫に占拠され、わが “落し物” は幼虫の餌になった。 これには驚いた。幼虫を直接産み付けるというそのすごさ。胎生というのは知っているが、まさか幼虫という形の胎生があるとは。 自然界には微生物を始めさまざまなものたちが、分解し再有効利用する循環システムが出来上がっている。こういう記事を読むと嬉しくなる。野糞を奨励している人がいるなんて思っても見なかった。中日新聞 糞土師、伊沢正名さんは稲田石の産地である茨城県桜川市で、「糞土塾」を開いている。彼にいわせればSDGsなんて綺麗ごとで、本物の共生とはお互いに生かし合うこと。お互いに食べ物を与え合うことだと。 人間は他の生き物の命を奪って生きている。だったら人間も他の生き物に食べ物を与えなくちゃいけない。その最良の方法が野糞だと。そして、地球上の全ての生き物にとって、「うんこ」はごちそうだという。「野糞をしてうんこを自然の中に置けば、いろんな虫や獣がそれを食べ、さらに菌類が食べて分解して土の養分に変えて、その養分で植物が育つんですよ。つまり人間のうんこが多くの生き物の食べ物になり、ひいては命になるんです。」greenz.jpより「食は権利、うんこは責任、野糞は命の返しかた。」とおっしゃっている。 ほとんどの人は野糞の経験など無いでしょう。登山やワンダーフォーゲルとかでキャンプをしたりしない限りそんなチャンスもない。トイレが整備されていないところは野蛮な場所という認識しか持てない。汚いもの不浄なものという固定観念を払拭することなど不可能かもしれない。 大橋巨泉は、“トイレで自分のウンチを絶対に見ない” と聞いたことがある。 私は野糞を何度か体験していますが、一度、体験することをお勧めします。“その気になれば” できないことはないでしょう。山の中が一番気持ちがいいですが、里や野原でだって人気のないのを確かめてやれば大丈夫、できないことはないでしょう。 ただ、草むらで「草におしりが触れないように」、用心してください。野生のダニに刺されたりすると大変ですから。 いつもと違う非日常の体験は、特別なことをしなくてもいつだってできる。どんな発見があるかも分からない。“常識的な生活をちょっとだけ疑ってみる” というのも悪くないんじゃないかな。
2024.07.16
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♪ 何やかやマッチングする世となりてやがてネットにレオポン現れる 最近、個人の力で様々なアプリや便利なシステムが次々と生まれている。いかにも簡単そうに作ってしまうのには驚くばかり。 アイデアが出て実行に移すためのハードルが低いというか、ポテンシャルを持った人達の行動力と情熱に良い時代になったもんだとつくづく思う。 自分とは距離のある分野ではありますが、こんなのが新聞に紹介されていました。中日新聞 こういうものはこれからどんどん出てくるのでしょう。必要な情報が簡単に手に入り、効率よく無駄のない活動ができるようになる。 便利なものが、必要という母の下に生れていく。誰も損をせずに、快適な社会になって行ければそんな良いことはない。「ちょこっとほいく」利用者のインタビュー①クリックでYouTubeへ 逆に、こちらは預ける側の立場から作られたアプリ。東京都内と周辺が中心のもの。東京都内のほか、三鷹、横浜、調布、府中、立川とどんどん広がっているらしい。クリックでサイトへ 株式会社ライフケアパートナーズでは、一時保育マッチングサービス”ちょこいく”を本日(2022年1月24日)からスタートいたします(実証実験期間中は世田谷区でのサービス提供。提供エリアは順次拡大予定)。 このサービスは、子育てを頼りたいお母さん、お父さんと、保育施設をつなぐ、一時保育のマッチングサービス。 こちらは港区のためのアプリ・アイデアで、まだ実用化はされていないようだ。拡大します 良いとなれば必ず競合する相手が現れる。どれだけ内容を充実させていけるかが鍵でしょう。ちょこっとほいくの高井新司氏は、全国展開を視野に入れているらしいが、高齢者が増える一方で子どもの数は減っていくばかり。 高齢者と子供の両方を対象にしてバランスを取っていかないと、いずれ頓挫してしまうんじゃないだろうか。
2023.10.06
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♪ 未知の道ゆくあらたまの年はじめ見るものすべて未来なるべし 穏やかに新年がスタートしました。 世の中には奇特な人がいるもので、尼崎市の中村菜花群(なかむら)さん(59)はほぼ毎日「いろは歌」を詠んでいるという。あのすべての仮名を旧仮名遣いで1度だけ使うというもの。(天声人語より)「黒豆蓮根(はすね) 海老昆布 青菜添へけり さて御節 太陽(たいやう)燃える 良き年に 笑顔(ゑがほ)の我ら 睦(むつ)みゐぬ」 あまりに良くできているので、1語が1度で全部使われているなんて信じがたい。確認してみよう。「くろまめはすね えびこんぶ あおなそへけり さておせち たいやうもえる よきとしに ゑがほのわれら むつみゐぬ」 こんなのを毎日のように詠んで楽しんでいるという中村さん。「て」や「に」は助詞にもなれてどこにでも当てはまる優等生だが、「ろ」は使い道が限られている個性派だとか。 明治時代に、新聞が募って1万を超える投稿から選ばれたというのが紹介されている。「鳥啼く声(こゑ)す夢覚ませ 見よ明けわたる東(ひんがし)を 空色映えて沖つ辺(べ)に 帆船(ほぶね)むれゐぬ靄(もや)のうち」 言葉を知らないと、とてもじゃないが出来るものじゃない。韻を踏んだり七五調をも意識する、かなり高度な言葉遊び。 どうです、皆さんも試してみては? 短歌を詠む人なら多少は有利かもしれない・・。*「いろは歌」について『国語学大辞典』では(空海作ということを)”否定する説が多”いとあり、また、”「いろは」の歌詞は今様の形式である”が、今様が盛んになった時代と空海の時代とは合致しないとある。『国語学研究事典』でも”空海の時代はア行のエとヤ行のエとの区別をしていた時代”であり、いろは歌にはその区別がないため、空海作者説は否定されているとのこと。 息子一家が電車で帰省したので、留守番の犬を散歩をさせるために9時頃に出かけた。散歩のついでに近くの神社へお参り。時間が遅いので年越しで参拝客を出迎えていたテントも撤収され、人出はそれほどでもなかった。 海椙と書いて「うすき」と読む。ちょっと珍しい名前の神社だ。 当神社の始まりは、大同元年(806)と伝えられ(神社遷宮史による)その後延喜3年(903)、疫病が大流行した折に「山城国祇園の牛頭天王(須佐之男命)を祀らば悪疫収まらん」との神のご託宣が降り、古字池田山の地に新殿を建立。 その後は、海の守り神としてまた、災害の守り神として住民から深く崇敬され、現在は本殿に建速須佐之男命を、相殿に皇大神宮と蛭子神と高龗(たかお)神を合祀している。 社歴も千二百年と古く、また社格も旧「郷社」であり、社名も古くは「海洲鬼神社」と称していたが、文政14年(1831)許可を得て、海椙神社と改称したとある。 平成19年10月8日、常滑多屋土地区画整理事業により、長年鎮座した森西町の地より現在地に遷座している。 去年は雪が降った後で風も冷たい散歩だったが、今年はとても穏やか。小次郎も2歳半になってだいぶ落ち着いて、吠えたりすることもなく、とてもいい子ちゃんになった。 庭が広いので繋がれることもなく走り回って遊べるのは、小次郎にとっても飼い主にとってもとての良い。草が伸びていて大外周りが出来なくなっていたので、きれいにして走り回れるようにやった。しばらく走り回っていなかったせいか、大して喜びもせず走り回る様子もないので、棒きれを投げて無理やり走らせたり・・・。 留守番して寂しかったのだろう。行くと全身で嬉しさを表現し、飛びついて、抱き着いて、長餅になったり丸餅になったり、可笑しいほどにすり寄って来る。最近はよく言うことを聞くようになってきて、そうなると可愛さが倍増する感じだね。 ウララちゃんは家の中でノンビリと日向ぼっこ。ガラス越しのご対面。撫でてれやればしきりに喉を鳴らして喜んでくれるが、この日は家の中には入らず。もう一匹の若猫ココちゃんは、二階にでも上がっているのか姿が見えなかった。 夜には家族が返って来る。
2023.01.02
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♪ 水の星に水を抱えて生きている罪も未練も流されてゆく 面白い記事を見つけた。勉強を始める前に適量の「水」を飲むと脳の働きがよくなるというもの。 イースト・ロンドン大学とウェストミンスター大学の共同研究で、知的作業に集中する前に二つのグループに分けて実験した結果だそうです。 一つ目のグループはおよそ0.5リットルの水を飲み、二つ目のグループは何も飲まない。その結果、一つ目のグループは二つつ目のグループよりもおよそ14%も反応時間が速くなったそうです。 喉が渇いた人に対して実験を繰り返すと、その効果はさらに大きくなった。また、子どもたち向けの実感では “集中力と記憶力の向上” が見られたそうです。理由は明確には分かっていないそうです。 脳は80%が水で出来ているといわれ、脳の働きをよくするために水が効果的なのかもしれないということ。 冬は夏ほど水を飲まない。この時期のテストや受験の勉強時に適量の水を飲んでおくと勉強がはかどるかも知れない。また、試験の直前に水を飲んでおくと、周りの人を一歩リード出来るかも。 (朝日新聞 EduAより) 徳島県の小さな町に来春、テクノロジーとデザインを学びながら、起業家精神も育む「神山まるごと高専」という全く新しい学校が誕生する。 学費は企業からの出資金の運用益でまかない、学生の負担は無料とする方針だという。 寺田親弘理事長「高専として19年ぶりの認可ということもあるし、他に学校法人があって高専を作るのではなく、学校法人の設立と私立高専自体の設立を同時に行うという類を見ないことだった」。「起業家として活動する中で使う知識に、学校で習ったものはほぼない。教育の内側でもっとやれることがあるのではないかという気持ちがあった」と振り返る。「高専なら集中的なカリキュラム設計ができ、フリースクールとは違って大学への編入もできる。これまでにない学校になる」神山町役場で開かれた記者会見。左から2番目が寺田理事長=生津勝隆撮影、神山まるごと高専提供 1学年40人の5年制。建築中の校舎は平屋建てで、同町の木材を使用。全寮制で、町が提供した古い中学校の校舎を改装して寮とする。異学年の6人でユニットを作り、共同生活のルールも自分たちで作ることで問題解決力を養う。給食も地元産の食材が中心になるという。 母体を持たない私立の学校法人のため、寮費も含めると学生1人あたり年間200万円超の費用がかかるという。学費の無償化にこだわった寺田理事長は、企業から出資を募り、運用益で奨学金を出すことにした。 既にデロイトトーマツコンサルティング、ソニーグループ、伊藤忠テクノソリューションズ、ソフトバンク、ミクシィ、セプテーニの6社から計55億円が集まっており、来春入学する一期生の学費は無償と決まっている。目標は100億円で、実現すれば二期生以降も無償化できるという。8月に開かれたサマースクールで参加者によるプレゼン=神山まるごと高専提供 中学生向けの説明会にはこれまでにのべ千人以上が参加。 8月のサマースクールには、東京など全国から200人以上の応募があり、「これまで熱中していたことを表現する3分の動画」と「将来やりたいことと、神山まるごと高専で学びたいことについての作文」の課題を経て選ばれた38人が、5泊6日の学校生活を疑似体験した。 入試も「単純な学力だけではない試験にする」と寺田理事長。応募要項は9月15日に発表予定という。☆ 優秀な人材が海外へ流出するというのが問題になっている日本。目先の成果だけを求める小市民的な関係機関の長。学校への援助が削減され、研究費が減り、意欲も体制も後進国となりつつある。 こうして育った人材が、果たして十分にその能力を発揮してくれるのか。 もっとも、この学校のコンセプトは「テクノロジー×デザインで人間の未来を変える学校」で、ソフトウェアやAIなどのテクノロジー、外観やアートなどのデザインに加え、会社を作るための知識や仲間とのチームワークを学ぶための科目も設定し、起業家講師としてDeNAの南場智子会長、星野リゾートの星野佳路代表ら50人以上が名を連ね、毎週水曜夜に交流する機会を設けるということからして、それほどの人材は育ちそうにない気がしてくる。 基礎として学ぶべきものは必要だ。そしてその後に繋がっていく、未知の領域を目指すような人材の育成が重要だろう。下手をすると、個々に名を連ねた講師が人材を一本釣りしてしまうんじゃないか。そのための資金提供だという、テレビドラマのオチのような結果にならなければいいが。 しかしそれも人材次第ではある。その枠からはみ出るような人材を集められるかどうかの試金石となる。 また逆に、そんな人材はこういうところには寄り付かないだろから、やっぱり結果は推して知るべしか。
2022.12.16
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♪ 悲しみかはたまた安堵かじんわりと明星の光(かげ)の胸に満ちゆく 28日に義父が急逝して慌ただしく過ごした顛末を記しておくことにする。弱っている高齢の義母(88)も(ボケが始まっていてあまりよく認識していないらしいが)、このことを切っ掛けにして急速に生きる気力を無くしてしまう心配もあるし、同じことが起こる危惧もあってあらましを残しておく。 第一発見者の夫である私は部外者として扱われ、ほとんど質問されることもなく眺めているだけだった。それで、客観的な目線で見ていることができた。 発見した時、かなり気が動転していたようで、電話の声は叫びに近かった。「今から救急車を呼ぶので、すぐ来て!」と言われて自転車で、上りの長く続く坂を必死で漕いでヘロヘロになって着いたときには、既に救急隊員が死亡を確認していた。 それから救急隊員に遺体の状況などの説明を求められて、食事のことや体調のことはもちろん、既往症や飲んでる薬、通院の状況など事細かなことを聞かれる。警察も来ていて再び同じことを聞かれ、さらに、お金は盗られていないかどうかの確認、玄関のかぎの扱いはだれがどうしているか、合いかぎが何本あって全部あるかどうか。お金の管理はどうしているか、年金の受け取りの通帳はどうなっているか。その通帳のコピーが欲しいとか、とにかく先ずは疑いの余地を残さないように徹底的に調べていく。義父母の結婚した時期や本籍地まで聞かれている。 今度は刑事がまた同じことを聞く。しかし、警察官も同席しているのである程度省かれての聞き取りだが同じようなことが繰り返される。やましいことがあれば辻褄が合わなくなり、答えが曖昧になったりすれば、おおよその見当がつくというもの。疑いがあれば署に同行を求められ、刑事が姉と妹を別々に入れ替わって調べることになる。 松本清張の小説「砂の器」が頭に浮かんだりする。世の中には様々なドラマがあり、人の闇の奥深さを刑事たちは日常の中で関わっていることを、そばで聞きながら改めて納得したりしていた。 疑われるようなものは何も無いと分ってもらえて、経験者に聞いていたものよりも意外に早く終わったようだ。キーポイントはたぶん、保険が掛けてなかったことかも知れない。保険なんか親も娘も必要ないという信念のもとに生きてきた。そんな金銭で問題になるようなものは全くないので、詮索の余地はなかったわけだ。 警察が、一応遺体を調べる検案(検死とは言わない)のためにと、運び出して行った。そういうマニュアルになっているらしい。「担当してくれる医者を探しています」という電話が午後2時に頃入り、事件性が疑われるものは無かったとの報告があったのが午後4時過ぎだったか。 その間に市運営の知多斎場に連絡。ここに葬儀の施設があるのを、以前新聞チラシで知ってそのチラシが取ってあったのが役に立った。民間よりもかなり安くできるのと、両親を早くに亡くして孤児だったという義父には身寄りも少ないので、身内だけで質素に済ましたいという意向もあった。義母も部屋に残してのことなので、お通夜も省いて近親者だけで一日で済ませられるプランにしてもらった。 検案の結果を出すにあたって、死亡推定時刻が何時になるかで葬儀の日程が決まる。どうやらその日の朝8時半ごろだったとのことで、単純にそれから24時間後には荼毘に付することが出来る。しかし、その検案の医師の裁量で書類に記入したときを死亡時刻とする場合があるらしいく、そうなると翌日にずれ込んでしまう。でも、検案の時刻が死亡時刻となっていたのは有難かった。 担当のクリニックからは、翌日の11時に取りに来てくださいと言われたが、それでは遅いので早くもらえないかと問い合わせると、大丈夫とのこと。医師の検査の内容を説明するためにその時間をとってくれていたらしい。「すでに警察の方から聞いているので大丈夫です」と言ったらOKが出たというわけだ。死因は「虚血性心疾患」で、心臓が以前から弱っていたらしい。それでも苦しむことなく長寿を全うされて、老衰と言ってもいいものだった。 最初の案通りに執り行うことが出きた。年末休暇に入った矢先のことだった。もう一日延びていたらと思うと最高のタイミングだったわけで、最後まで家族思いのお祖父さんだった。感謝するばかりです。 お寺もお墓もないので当然宗派も関係ない。以前にお世話になっていたところの縁でキリスト教の信者ではあったものの、最近はそことも疎遠になっていた。キリスト教の葬式もなかなかいいもので、敬虔な信者なら神父さんに来ていただきくのが筋かも知れないが、それもちょっと憚られた。喪主の長女は、お通夜がないのはいくら何でも寂しいと思ったようだが、人が死ぬというのはごく自然のことだし、ましてやほぼ老衰の大往生なのだから、本来だったお祝いしたいくらいのもの。 葬儀なんて、元々はお寺のお坊さんが亡くなった時にしていた儀式を、金儲けのために一般に広げたも。葬式仏教に成り下がったお寺の金儲けに利用されるのは御免だという意識もある。世はまさにお寺離れがようやく一般の人にも及んできていて、そのムーブメントが正しい形で勢いを増している。コロナ禍と併せ持って世の中が “本当に重要なものは、それとは違うんじゃないの” という意識に目覚めて、変わっていく黎明期に入っていることを感じている。今回のことで留飲を下げる思いがしないでもない。 葬儀は、こじんまりとした部屋一室の施設で何ものにも煩わされることなく、我々だけでお祖父さんとのお別れをじっくり味わいながらできたのは、とてもよかったと思う。「まごころ葬儀株式会社(市の委託を受けている)」が、警察へ受け取りに行った段階では裸のままで袋に入れられて戻って来る。それを納棺師がきれいに整え、服を着せて化粧を施してくれる。それを間近で美しく整えられていくのを眺めながら、一番年が近い私は、お祖父さんの来し方を思っていた。「仏様みたいな人」と言われたりして誰にでも好かれた人柄や、世間に対する不平や文句も言わず、いつも正座をして背筋をピンと伸ばしていた姿や趣味の木工技術は独学でマスターし、あちこちから部屋の改装を頼まれて実益も伴っていたこや(私もオーディオラックを作ってもらい、部屋の扉や作り付けの立派な収納棚などを作ってもらった)など。実直で悪いところが見つからない真面目一直線の人生だったことを改めて思い、感慨深かった。 納棺の儀には、控室で参加者全員で折り紙を折り、ひ孫たちにも囲まれて花と一緒に遺体を飾ってあげた。穏やかな顔は、今にも目を覚まして何か言いそうに思えるほど。「お疲れ様」を言って蓋をし、出棺。火葬場に隣接しているので何かと都合がよく、炉に入れる準備までスムーズに進行していく。全員で線香手向けて、お別れをした。焼却には1時間半かかるらしい。 葬儀総額 297,800円(税込327,580円)- 写真 16,800円、納棺の儀 43,000円を含む 別に知多斎場量料(火葬料)9,180円、検案(死亡診断)30,000円(検案 25,000円 検案用紙 5,000円)医師は5万円を上限に自由に設定できるらしい。 もしこれが、一般の家庭の通常の葬儀となればこんなのじゃ済まない。嫌でもしなければならないことが山ほどあって、ゆっくりとお別れや悲しみに浸っている暇などない。亡くなった当人は何も知らないところで、家族は嵐にでも巻き込まれたような数日間を過ごすことになる。 それもこれも、「しきたり」という伝統的な訳の分からない理屈の中で発展してきた、一般常識という幻影に翻弄されるわけだ。メンツと虚勢とエゴと断ち切れない血縁が絡み合って、抜き差しならない仕組みとなっている。これらのものが同じ形で永遠に続いていくことはあり得ない。
2021.12.30
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♪ 一升の焼酎およそ一週間知らで消えゆくわが台所 いいねえ! こういう経歴を持った人が家業を継いで新しい世界を開いていくというのは。経営者の親が亡くなって急遽跡を継ぐというのは簡単なことではないけれど、宿命のような気がしてしょうがない。 曽祖母の「男を従わせてバリバリだった」姿を知っているというのも大きい。今は女性の杜氏も珍しくはないかもしれないが、男も女もない時代になりつつあるなかで杜氏として社長として、音楽の感性が相まって現場はしなやかに変化していくでのしょう。 確かに焼酎には音楽がよく似合う。奄美地方の土地柄と焼酎の持っているキリッとした陽気さが、ナイフとフォークのように不即不離の関係で活きている感じがする。温度や状態を管理する繊細な感覚が、生きて変化する音楽のセッションのようだと思って接している姿がいい。 しかも美人というところが小憎らしい。どんな世界でも女性がマスコミに登場する時、この美人というのが物差しになっているのはどうしようもない事実。美人は得だ。 でもやっぱり、美人に越したことはないと思ってしまうのは、世界共通に持っている無意識の美意識なんだからしょうがない。 隣接する酒蔵は、70名程度収容可能なコンサートホールになっていて、多様なアーティストやメディアがコンサート・収録などを行う他、杜氏西平せれな自ら演奏会を開くなど多様な芸術を楽しむ場となっている。 令和1年8月23日。奄美市の商店街に彼女(西平せれな)が店主となり、「カナドニシヒラ」という名のアンテナショップをオープンしている。「島の文化を、島の景色に」をコンセプトに。〒894-0027 鹿児島県奄美市名瀬末広町10-1 中央通りアーケード内「KANA du NISHIHIRA」☎︎0997-57-150910:00-19:00(水曜定休日) ロゴにあしらった4つの文字、「酒・造・音・楽」には、カナドニシヒラの可能性が秘められているという。店のカウンターでは一杯¥500〜 立ち飲みができるという。音楽ライブや、トークショーなど、様々なイベントも行われているらしい。 奄美大島は行ってみたいところの一つ。沖縄もそうだけど、日本を旅行しているとどこも似た様な景色ばかりで移動した感じがしないけれど、北海道と宮崎辺りはちょっと趣が違っている。奄美・沖縄まで足を延ばせば、そりゃあ異国情緒な趣を味わえるだろうからね。
2021.12.16
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♪ 立て続けに伊能忠敬パガニーニ自己超越レース見て立ち尽くす すごい日本人がここにも。ジャーニーランをする日本人は世界的に見ても多い方だろうと思いますが、その中でもこの人は破格だね。田中陽希は先ごろグレートトラバースの日本三百名山一筆書きを終えたところで、彼もすごいがもっとすごい。 ここにある「日本山岳耐久」「米大陸横断」「ドイツ縦断」「欧州縦断」「フランス1周」のうち、「米大陸横断」を経験した人を知っていますが、その人はあまり多くを語らない人だったのでその過酷さなどはあまり分からないでいる。 246kmを走破するスパルタスロンでは、標高は海抜0メートルから1200メートルまで、舗装路、トレイル、山岳コースによって構成される過酷なもの。2019年は日本人が41人参加して19人が完走している。 1997年に始まったこの耐久走「シュリチンモイ自己超越3100マイルレース」は、1周約883メートルのコースを計5649周、1日に走る距離が最短でも平均約96キロに及ぶ過酷なレースらしい。3100マイルは、東京から直線で米アラスカ州やバングラデシュまで到達する距離だとか。 レースは9月5日開始され、朝6時からの18時間が競技時間で睡眠は1日約5時間。コースはニューヨーク・クイーンズにある高校などを周回する歩道で、平日は登下校中の生徒の中を走るというもの。「883メートルのコースを5649周」するという、変化のないコースを51日間(1か月半)ずっと走り続けるなんて、まさに修行のようなレースだね。2019年の模様 YouTubeへ 社会にうまく適合できないという意識は多かれ少なかれ、誰にでもあるんじゃないでしょうか。私にもその傾向はあって、若いころは随分苦しんできた。就職で面接を受けて、翌日から行くことになっていたのをすっぽかしてしまったこともある。自分の場合は適応障害というよりも対人恐怖症に近いものがあった。通っていた専門学校を中途退学してしまい、そういう自分を変えたくて、バイトで稼いだ5万円を持って体験旅行と称し、1年の放浪生活をしたりもした。自信は付いたものの根本的な部分はそう簡単には治らない。人間不信というものも抱えていて、人との関係もうまく結べない傾向があったが、さすがに今は無くなっているものの、組織の中にいることは苦手のままだ。笑顔を見せる瀬ノ尾敬済さん=9月26日(ニューヨーク) この横浜市の看護師瀬ノ尾敬済さん(38)はうまく社会に適応できないと自覚しつつも、走ることが得意だという天賦の才能があることで救われている。内面に抱えている負の意識がエネルギーになっている。そう、人は押しなべてそうやって生きている。人は、自分の欠点を自覚したときにベクトルの向きが変わって、逆に強くなれるのです。 私はブログを毎日書くことを始めたのが2005年3月23日、一日一首の短歌をアップし始めたのが翌06年の5月8日だった。それからずっと(やむを得ず抜けた月と日が少しある)書き・詠み続けてきたのも、ベクトルの向きが変わってのことだろうと思う。ずいぶん遅い変化ですが、生活環境の変化とか様々な要因で紆余曲折の果てに、ようやく辿り着いたというところでしょうか。 人生に順風満帆なんてありえない。あったと思ったのも束の間で、必ず何かが心身に覆いかぶさってくる。それを手で払い身をすくめて、なんとか波の静かな入り江に逃げ込んでやり過ごす。みんなおんなじ道を生きてるような気がします。
2021.11.24
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♪ 言うなればこころの窓は maindw 風が冷たくて開けてられな 人は人との関りの中で喜びを感じている。ほんの些細なことでも心が反応して嬉しくなる。こころの窓が開いているからこそのことで、窓を閉じてしまっていては決してその喜びを得ることは出来ないでしょう。 Open the Window of Mind. 喜怒哀楽はすべて、その人のこころが作りあげるもの。物質の化学反応みたいなもので、脳内ホルモンの為せる技なのかな。こころの窓を開けておかないと、エゴという触媒が化学反応の引き金になって、場合によっては暴走してしまったりする。 私のこころの窓は時どき曇っていることがあって、それに気づかないまま妙な化学反応を起こして脳が熱くなったりする。こころの窓を開けておくための秘訣って、あるんだろうか。 「心とは揺れ動くもの萩芒(はぎすすき)」 内山章子(あやこ) 秘訣なんかないかも知れない。時どき、窓が開いているか閉まっているのかを自分でチェックするしかないのかも。まあ閉まっていたとしても、磨いておけば光も入るし外の様子も分かる。世間の風が冷たくて開けていられないなんてこともあったりして。 さあ、勇気を出してカーテンを開き、窓を開けよう。こころの窓を。 今日は、冬型の気圧配置になっていて、北西の風が強く肌寒い。部屋の窓は開け放してはおけないようだ。 稚内では初雪を観測したらしい(平年より2日早く、昨年より17日早い)。最高気温は全国的に平年より低く、11月並みの所が多いらしい北海道では雪もチラつくという。一時的なものらしいが来週の水曜日以降は、ぐぐーっと冷えてくるらしいので要注意。
2021.10.17
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♪ 六割を占める水分保ちつつ三割占める地表を歩く 夏にウォーキングする時は水を持参していくことになる。持たない時は、給水できる水飲み場があるところをコースに入れるようにしている。公園や学校の周辺にはたいがい設置してあるので、公衆電話の設置場所と合わせて頭に入れておくようにしている。 街中や知らない土地、また海外でも水が手に入らないと困ることがあるでしょう。ペットボトルの水を買うとその空いたペットボトルの処理に困る。プラスチック削減の必要性は分かっていても、実行するとなると今までの習慣や状況が邪魔をしてなかなか難しかったりします。 拡大します 日本では年間252億本のペットボトルを生産していて、そのうちの15%に相当する39億本はリサイクルされず、焼却や埋め立ての他は海や川に流れてしまってる。世界的に見ると、1分間に100万本以上のペットボトルが消費され、そのうち、9割がリサイクルされないんだとか。 日本は美味しく飲める水に恵まれた国で、世界で15カ国(アイスランド、アラブ首長国連邦、オーストラリア、オーストリア、カナダ、クロアチア、スウェーデン、スロベニア、ドイツ、日本、ニュージーランド、フィンランド、南アフリカ、モザンビーク、レソト)の一つなのに、毎年大量の飲料水が入っているペットボトルを買っている。 水道水は厳格な安全基準をクリアしたもので、高価な浄水器など買う必要もないし、わざわざお金を出して水を買う必要なんかない。そりゃあ山地から湧き出る清水が美味しいのは認めますが、森林の空気が美味しいからといって空気を買ったりはしませんよね。 健康志向を標榜する人、或いはタダの水で金儲けを企んでいる人達が、ああだこうだと水道水をあたかも害のあるもののように言っている。手のひらを顕微鏡で視て、「黴菌だバイキンだ」と大騒ぎしているようなものでしょう。 以前、こんな歌を詠んだことがあったっけ。 水道水質データベース 「平成30(2018)年度 水道統計 給水栓水の水質(水道用水供給事業)」 検査項目が多いのでリンクを張っておきます。愛知県の場合 全国一覧から都道府県別に水質検査結果が見られます。これを見れば如何に上質な水が供給されているのかが分かります。 昔はカルキ臭くて飲めなかったことがありますが今はそんなこともなく、水道水をそのままメダカの水槽に入れても問題ないくらいになっています。 mymizuはペットボトルの利用を削減し、日本中に持続可能な環境を目指すムーブメントを巻き起こすことをミッションとしているスマートフォン用アプリ。アプリでは、地図上から給水できるお店や公共施設を探すこともできるし、登録することもできる! 給水を記録したら、これまでに自分が、何本のペットボトルを削減したか、どれくらいのCO2を削減できたか確認できる。 アプリを使えば、ペットボトル入りの飲料水を購入する代わりにこれらのスポットで給水することができるという。公的水飲み場および給水パートナー(カフェ、レストラン、ホテル、お店等)日本国内で6,000カ所以上、世界各地で約20万カ所の給水スポットとユーザーを結びつけている。「ペットボトルの代わりに、マイボトルを使う」それは、SDGsにもつながるってこと。 自動販売機で、水の代わりに買っている各種飲みもの。このアプリが、使えない場所にしか必要がなくなるかも知れない。 一般社団法人Social Innovation Japan代表理事。国際機関のコンサルタントとして従事し、これまでに20カ国以上における政府間組織、社会的企業、NGOで活動した経験を持つ。渋谷QWSイノベーション協議会の理事。エジンバラ大学国際ビジネス学修士課程卒業。
2021.09.26
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♪ 大好きな肉が上手に食べれない「だって前歯がぐらぐらしてる」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 爺さま、新聞を広げて「こんな記事を読むと楽しくなるなぁ」「5歳かぁ、やるもんだねぇ。」 親が日本語教師だからかな、おませだねぇなんて感心してる。拡大します 孫ちゃんがことばを覚え始めたころ、面白いのでメモしとこうなんて言ってたけど、あんまりメモってないみたい。他の事に気を取られて忘れちゃうんだね。 「かおりこっこ(かとりせんこう)」とか、「もうまんち(ばあちゃんち)」とか、「かっちんこっきん」とかも言っていたなぁ。もっといろいろあったのに、書いて置かないから忘れちゃうね。 以前(2017年7月31日)のブログに、俵万智「生まれてバンザイ」の歌集にいたく感心したことを書いていた爺さま、感化されて孫ちゃんの歌をたくさん詠んできたかというと、やっぱりだめだった。 歌集からメモってあった歌を幾つかを書き出してみる爺さま。やっぱり俵万智は凄いなぁと改めて感心している。1ページに1首づつ縦書きで、分かち書きしてあるって、サイズも単行本なのでとても読みやすかった。 泣くという音楽があるみどりごをギターのようにきょうも抱えて 記憶には残らぬ今日を生きている子にふくませる一匙の粥 クロッカスの固き花芽の萌すごとぽちりと吾子の前歯生え初む ろうそくの炎初めて見せやれば「ほう」と原始の声をあげたり 昨日すこし今日もう少しみどりごはもこむくもこむく前へ進めり あーじゃあじゃ、うんまばっぽー、この声がいつか言葉になってゆくのか ものに名のあるとふ不思議知りそめて朝ごと吾子が揺らす「かあてん」 むしろ死に近きおさなご這いゆけばダメダメダメが口ぐせとなる 「かーかん」と呼んだ気がする昼下がりコスモスだけが頷いている 孫ちゃんとは週1回、二人だけで過ごす2時間ちょっある。とても貴重なんだけど、どうやって過ごそうか、何をやって遊ぼうかという方に気を取られて歌なんか頭にないまま、かけがえのない時間が過ぎ去っちまってる。 それを反省してなのか昨日のことを思い返し、何とか詠んでみようとしている。けど、スラスラ出てくるというわけにもいかず、朝のブログに納めるのにはちょっと無理があるんだけど・・。♪ ぐにゅにゅにゅと鼻をこすったその途端 鼻血たらたらたらと、止らず♪ おもむろにトランプ手品見せやれば真似てカードは散らかるばかり「このブログは2020年8月22日より、飼い猫ピピの目線で書いています。タイトルの頭に ◇ が付いてますが一部例外があります。日によって文体が違ったりしますが、未熟さを面白がりつつやり過ごして頂けるとありがたいです。」
2021.07.13
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♪ 日に継いで文字をつづればうたかたのブログの中を浮き沈みする‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 何気ないことを文章に出来るというのはとても幸せなことだと思います。そのままでは忘れてしまう事が、文字に書くことで記録されると同時に、読んでもらう機会が有れば第三者がその内容に共感したりしてくれたりもするんですから。 朝日新聞に連載中だった小池真理子のエッセイ「月夜の森の梟」が最終回を迎えました。ガンで亡くなったご主人の藤田宜永(よしなが)への想いを綴ったものでした。「元気だったころ、派手な喧嘩(けんか)を繰り返した。別れよう、と本気で口にしたことは数知れない。でも別れなかった。たぶん、互いに別れられなかったのだ。 夫婦愛、相性の善(よ)し悪(あ)し、といったこととは無関係である。私たちは互いが互いの「かたわれ」だった。時に強烈に憎み合いながらも許し合い、最後は、苔(こけ)むした森の奥深く、ひっそりと生きる野生動物の番(つが)いのように、互いがなくてはならないものになった。『かたわれ』でなければ、そうはならなかった。」2020年1月30日に69歳で亡くなった藤田宜永さんと妻の小池真理子さん。ともに直木賞を受けた人気作家同士だった=2015年9月撮影(朝日新聞出版写真部) この最終回の末尾に書かれた文章が、私の心にじんわりと響いてきた。喧嘩は後味が悪いのでしない方が良いと思うこともあるけれど、その反面思ったことをぶつけあって心の中を曝け出すことには意味があるとも思う。 吾が夫婦もよく喧嘩をする。ひとたび喧嘩をすると1週間ほど何も言葉を交わさないでいることもある。それでも別れるということにはならない。何だか知らないが、外で会う見知らぬ人には「仲がいいですね」と言われることがよくある。どこにそんな雰囲気が出ているのか分からないが、そういう風に言われて悪い気はしない。 小池真理子が言う「かたわれ」というものなのかも知れない。ブログでは内面的なことを赤裸々に書くなんてことは出来ないけれど、もし小説家だったら修辞を尽くして脚色もして、読み応えのある文書に時間を掛けて書くのかも知れない。 まあ、私はプロではないし良く見られようというスケベ根性もない。フォロワーが付くというような事もないけれど、書くという行為そのものには魅力を感じている。なので人様の文章には関心がある。心惹かれれば切り抜きもする。 ときどき素敵な文章に出会うと嬉しくなって、こうして紹介したくもなる。著作権的には問題があるのかも知れないけれど、出展を明記することで勘弁してもらう。 朝日新聞 5月29日 橋田寿賀子さんが「書くうえで一番参考になったのは『ひととき』っていう新聞の読者の投書」と、佐藤愛子さんとの対談で話していたそうです。 文才が身を助けるというのはよくある、いや、まれにあることで、自分の生きている様を披歴することでファンが付くなんて、僥倖としか言いようがないですね。 山本ゆりさんは料理コラムニストという肩書で、Twitter「山本ゆり(syunkon レンジは600W)」で、ツィートがすでに3万件。フォロワー数が108.4万にもなるらしい。
2021.06.21
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♪ 脳社会のノイズとなりゆく人間のバーチャル崇めて虫を知らざり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨夜遅く、網戸に守宮が止まっていた。灯りに寄って来る虫を待っているのだろう。ジッとしたまま動かない。まだ夏には間が合って、虫もほとんどやって来ないようだ。昨日は30℃を超えてとても蒸し暑かったので、ちょっと早いけど出てきたのだろう。ちょっと不思議な写真になった。 外が暗くて室内が明るいガラス戸の外の網戸に止まっているため、ガラスが鏡面になって写り込んだ室内と一緒に映っている。フラッシュを使って 可愛いじゃないですか。とても華奢で臆病なやつ。虫を捕ってくれて危害を加えることもないので、家を守ってくれるというところか、守宮・家守となったらしい。平均して10年くらいは生きるとか。 アランが見つけると飛びついて捕まえようとするので、あいつには内証だ。そういえば玄関フロアにトカゲのシッポが落ちていたっけ。またどこかに逃げ込んだやつが、意外な所から出て来たりするのだろう。★ 現代人は、密閉空間に住んで蠅や夏の虫などやって来ない生活が理想的だと、ほとんどの人が思っいるでしょう。でもこうして “自然界の生きものと共存することこそが本当の豊かさだ” と、私なんかは思っています。野鳥が庭に餌を食べに来て、気に行ってくれれば庇下の巣箱に営巣もしてくれる。小さな庭でも土がある事で、色んな出会いや発見がある。 お隣さんが目高を狙ってやたヒバカリがを捕まえたのを譲り受けて、飼いたいといっていた義姉に持っていってやったり・・カマキリが卵から孵ったり・・蜂が巣を作ったり・・アオシジアゲハが孵化したり・・チュウレンバチが薔薇の葉を喰い荒らしたり・・・ 小池真理子のエッセー「月夜の森の梟」(朝日新聞に連載)、5月29日の文の最後の部分に「ブラッシングして抜けた猫の毛を集め、小箱に盛って外に出してみた。野鳥たちが次々にくわえ、巣に運んでいく。うちの猫の毛に包まれて生まれてくる雛を想像する。萌(も)え立つような新緑に雨が落ちてきた。」という記述があった。キビタキ、コガラ、カワラヒワ、ミソサザイなど色々来るらしい。 そうか、猫の抜け毛を巣作りに使うのか。今、毛が夏毛に変わる時なのでものすごく抜ける。ブラッシングする度にかなりの量の毛が取れる。それを来年の早春に外へ出しておいてやろうか。思い立ったら吉日、さっそくビニール袋に溜め始めた。その話をしていた矢先、「カワラヒワ」が庭にあった猫の毛を咥えて行ったのをカミさんが目撃。「ああやっぱり」と、二人して大いに納得したのだった。*写真は拡大します ほとんどがピピのもの 息子の家の小次郎もご多分に漏れず大量の抜け毛に辟易していて、「布団に出来るほど抜けた」とか言っていた。それも溜めておいて、と頼んでおいたらさっそくその一部を持って来てくれた。 柴犬・小次郎のもの 一カ月前なら相当の量になっただろうけど、一時ほどは抜けなくなくなっていて収量は少ないようだ。 来年、我が家のがどうなっているのか分からないけれど、野鳥を寄せることは続けて行こうと思っている。
2021.06.16
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♪ 衝動買い吾に大金のプレゼントいつ以来なのか思い出せない‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ご主人様、久し振りに用事を幾つかまとめて名古屋に出掛けて行ったようです。博物館のミュージアムショップに用事があったのに、店長が休みで肝心の話が出来なかった。木金の二日しか出て来ないらしい。このご時世だから仕方がないことだけど、経営も大変だろうなぁ。 知人がデパートで二人展をやっていたので覗きに行った爺さま、一緒にやっていたステンドグラスの作家といろいろ話して目に付いたものがあった。ガラスのペンダントでダイクロガラスといってガラスの上に金属の欠片を入れて2-3回焼成して作るものらしい。 気に入ったので、カミさんにプレゼントと思ったけどちょっと高いなぁと、諦めてエレベーターに向かった。美しいソファーが置いてあったので、「ダイクロガラス」という名前を忘れる前にメモっておこう・・。どうもさっきのペンダントが気になる。普段喧嘩ばかりしているので、こういう時に罪滅ぼしにをするのもいいんじゃないかと思ったようだ。 手編みのシルクベストの染め直しをした代金が入る予定だし、こんな事はもう無いだろうからと、取って返して再び彼の元へ。カミさん好みの青い色のものを選ぶと、作者の彼も好きのやつだという。彼も青が好きで青いものばかり作っているらしい。青なら組み合わせするものと喧嘩しないし合わせやすいだろうし、しずく型のシンプルな模様なのも気に入った。「ダイクロガラス」とは、ガラス板の片面に金属を真空蒸着させたもの。ベースとなるガラスには、透明(薄黄色)のガラスか黒の色ガラスが使われる。真空蒸着させる金属には、金・銀・銅・チタンなどが使われる。 多分、dichroic glass の略語だと思う。dichroic は「二色性の」という意味らしいから。 ベースになるガラスの色と蒸着する金属の組み合わせによって、虹色や玉虫色など、見る角度によってさまざまな色彩に輝く。 その後、横尾忠則の「GENKYO展」を見に行った。滝の絵葉書を収集していて莫大な量を所蔵しているのは知っていたけど、それがバーッと展示してあった。通路を設けて両側と天井にびっしり張ってあって、その床が鏡になっている。滝の葉書が下の方にあるのを見ながら、透明なガラスの床を歩くような浮遊感とスリルを味わえる設えになっている。高所恐怖症の人やこどもは怖がるかも知れないけど、爺さまは半分ほど歩いてフーンという感じ。 さっき見たステンドグラスの作品にも鏡のものがあって、薄黄色いブロックガラスを割ったガラスを使っていて、長楕円のシンプルながらいい感じのものを褒めてきたばかり。鏡繋がりが面白かったりして・・。 聖シャバラ ミケランジェロと北斎の因果関係ジュール・ベヌルの海 最新作の横尾マスクを描き込んだ小品が、出口のところに方向を違えて設置したガラス面にびっしり張ってあるのが面白かった。大作に圧倒はされたが、彼の作品は小品の方が味わい深くて好きだなあなどと思いつつ美術館を出てきた。もう一か所行く予定だったらしいけど作品のパワーに圧倒されたか、疲れてしまってこの日は車だったこともあり、そそくさと帰って来たようです。「衝動買いしちゃった」と言いながら、プレゼントを渡している。男はこういうのに慣れていないので渡し方を知らない。何の記念日でも無いし、「二度とこんなことないだろうから」なんて言いながら渡すと、「前にもセーターをくれた時に同じことを言ってた」って。へへへと、照れ笑いするばかり。 「旅行に着けていくね」と大いに喜んでくれた。もちろんそれは想定しての事。こういうのは、たま~~~~~にやるから価値があるんだと、勝手なことを言っている爺さまでした。「このブログは2020年8月22日より、飼い猫ピピの目線で書いています。タイトルの頭に ◇ が付いてますが一部例外があります。日によって文体が違ったりしますが、未熟さを面白がりつつやり過ごして頂けるとありがたいです。」
2021.03.17
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♪ 図々しいくせに繊細 厚かましいのに小心な一匹オオカミ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ なんかこういう話好きだなぁ。子に対する親の心配りや見守っている目線の暖かさなど、慈しみというかしっとりとした温かみが感じられてジンとくる。拡大します 相手の娘とこの子の心をくみ取りながらも差し出がましい事は言わず、やさしく見守っている姿勢がいいね。 自分は、いわゆるサンドイッチ現象で、親の愛に飢えているだけの子どもだったので、とりわけこういう話には弱いかも知れない。 戦後の混乱期から大変な思いをして5人を育てて来た両親。4番目の捻くれ坊主には手を焼くことはあって、充分に愛情を注ぐ余裕などなかったのだろう。親を有難い存在だと思った事が無く、いつも何かに飢えていた。弟に当たり散らしたりもし、親から見てもどうしようもない子どもだったに違いない。一人っ子が羨ましかった。 そんなことが根底にあって、何ものに対してもレジスタンス、反抗的な態度を取っては世間を斜に構えた生き方しか出来ない歪んだ人生だった。“三つ子の魂百まで” もし、もっと違う家庭環境に育ったら全く違う人生だったろうと恨みに思う事も多かった。 他人と同じというのが気にくわず、群れることが嫌いで集団行動が出来ない、あぶれもののアウトサイダーは付和雷同などもってのほか。私利私欲のために己を殺して生きていくなんて、最大の屈辱と言って憚らない。 しかし、誰もが何かしらの問題を抱えて生きているはずで、甘っちょろい事を言っているんじゃないという声も聞こえてきたりする。何だかんだで70年が過ぎ、ちっとも成長できないまま死んでいくのかも知れない。 こんなくそ爺を無垢な孫が好いてくれる。それは、邪な所のない澄んだ目で見つめられて、恥ずかしい自分をベールに包み隠しているからだろう。子ども扱をせず、ちゃんとした人格を持った人間として接しようと心掛けているのも、孫にとっては心地いいのかも知れない。
2021.03.02
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♪ 水商売に甲賀くの一現れて酔生夢死の女神とならん‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ここへ来てメディアや媒体にある「新春」の文字を見ると、まだ1月なんだなぁと、爺さまはエアポケットに入った様な気分で眺めている。正月気分が全くないまま、実体感のない長い時間が過ぎた心持がしているらしい。 新型コロナのせいで多くの慣習が失われたり保留になったりして常識というものが通用しない異常な正月が、時間という抗うことの出来ない波にさらわれてゆく。 まともに年を越すことが出来ず正月どころではない人も沢山いて、緊急事態宣言というあいまいで掴みどころのない呪縛に真綿で首を絞められるごとくに喘いでいる。時間だけがむなしく過ぎてゆくばかり。 そんな中で、爺さまにはこんな女性の活躍が救世の女神のように見えているようです。失語症にかかってモゴモゴいってるばかりの閣僚や菅総理、二階幹事長の傲慢な発言など国民はウンザリしている。背筋をすっくと伸ばしてつき進んでいる姿は、まるでオベリスクのようだなぁって。拡大します この閉塞的で糞詰まり状態の社会にもこういう人達が潜在的にいて、まさしく有事といえるこういう状況になると顕在化してくるのでしょうか。古い体質の中からは絶対に出て来ない、既得権益などというものには縁のないものからの、新生萌芽とでも言うものでしょうか。 甲賀香織経歴1980年 埼玉県生まれ。2002年 青山学院大学文学部卒業2003年 出産後、無農薬栽培のお米の通販事業を立ち上げる2006年 (株)ベンチャー・リンクに入社。(株)カーブスジャパンに出向し、創業期スーパーバイザーとして600店舗を支援。2008年 水商売の現場経験のため銀座『ル・ジャルダン』に入店。2010年 (株)TrueHeartを設立。2011年 「お水大学」を創設。多数の方々の独自のノウハウをまとめる。2018年 「一般社団法人日本水商売協会」を設立。☆趣味・特技運動。クラブチームに所属して陸上競技(短距離)を走る。料理。どんなに忙しくても、毎日手料理を作るのが日課。☆好きな言葉 清廉潔白 好きな言葉が「清廉潔白」。いいですね、ほれぼれします。才色兼備の生まれながらにして人類のために尽力する宿命を背負っている女性なんでしょうね。「水商売は、日本の経済を活性化する起爆剤です。女性活躍社会の中心です。」と、理不尽な扱いを受けている業界の人々を勇気づけている。ジャンヌダルクになって、このコロナ禍を、ポストコロナを引っ張って行ってほしいものです。 「清廉潔白」って、いかにも清々しくも心地いい言葉ですが、国会議員になったりするといつの間にか雲散霧消してしまう。まともな人は国会議員(地方も)なんかにはならない方が良いと思わされている今の世が情けないと、何も出来ない爺さまは臍を噛んでいるばかりです。【このブログは2020年8月22日より、飼い猫ピピの目線で書いています。 タイトルの頭に ◇ が付いてますが一部例外があります。日によって文体が違ったりしますが、そのうち一つの形に収斂していくと思いますのでそれまでは、未熟さを面白がりつつやり過ごして頂けるとありがたいです。】
2021.01.22
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♪ まだるっこい手順をさえも楽しみぬ時が醸してゆくものがたり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 爺さまが手作りのノートを置かせて頂いている、名古屋市熱田区にある喫茶店ミュージック・アーデン。最初に買って頂いたお客さんから手紙を預かっているというのを聞いて、取りに行ってきたようです。 その手紙というのがとても気が利いていて、短歌が一首したためてあるだけの簡潔なもの。 爺さまが短歌を詠んでいることなどオーナーもだれも知っているはずが無いのに、短歌で繋がったという不思議なご縁を感じている。単なる偶然と思えばそれっきりだけれど、縁と捉えてしっかりと受けてめる方が楽しいといういうのが爺さまのいいところ。 それで、あまりしたことがない返歌というものを、どう詠んだらいいものか分からないまま一首作ったようです。頂いたのが、小型の便せんにきれいな毛筆で書かれていたこともあって、こっちもPC印字のものでは失礼だし面白くない。それで手書きで認めることにしたらしい。 達筆な毛筆とはいかないし、練習して書くのもまだるっこい。“下手も味のうち” と頑迷固陋を知りながら、いつもの狷介不羈の心意気で、よくやる “棒の先に墨汁を付けて書く” という荒手を使ったようです。ま、本人は気にいってる方法なのでうきうきしながら書いていた。 2~3枚書いたのかな。最後の一枚がまあまあだったので手を打ったようです。♪ 笹舟が時の流れをゆく朝(あした)添いて光の流れゆくみゆ これをスキャンして、メールに添付(連絡先も何も分からないので)する形で、店に送信。それをプリントアウトして、本人に渡してもらうという手筈になっていたらしい。 アナログとデジタルの合わせ技。“コロナを背景にした今風のやり方” と言えるんじゃないのかな。封筒に入れて渡すという手もあったけれど、手紙を預けられたのが10月25日なので、すぐにでもお渡ししたかった。 こういうことを蔑ろにしないで、面白がって楽しんでやるのが爺さまらしいところ。 玄関が少しばかり模様替えしてあった。梵字の壁かけに替えて僕らの仲間をモチーフにした染め布が掛かっている。 ちょっと不出来のために売ることなくどこかに仕舞い込んであったものらしい。ゴールドは爺さまのラッキーカラーだから、これで運気も上がるんじゃないの。 【このブログは2020年8月22日より、飼い猫ピピの目線で書いています。 タイトルの頭に ◇ が付いてますが一部例外があります。日によって文体が違ったりしますが、そのうち一つの形に収斂していくと思いますのでそれまでは、未熟さを面白がりつつやり過ごして頂けるとありがたいです。】
2020.12.15
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♪ 表裏より脳波を送るプロジェクト生きもの地球と安寧祈念‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ドイツ在住の日本人女性のブロ友が面白いことを始めたので、私も共感して実行し始めた「スマイル地球プロジェクト」。 宇宙の真理と精霊と精神性との間に漂う何ものかを見極めんとして、日々「アメブロ」に書かれていく事柄を凡人の私には理解できない部分も多く、ただただ関心と感心をもって読ませて頂いているばかり。「完全無欠の唯一存在(おそらくエネルギー、その中に特にエネルギーが凝縮したイデア的物質部分=地球+人類 も含まれる)が在り、それに加えて、限られた認識能力と自由意志と幻像力を持つ4次元存在の我々の脳とが擬似存在する。 負の波をいなすのが無理な場合、不安・絶望・悲哀・苦痛・憎悪・怨恨・義憤などの感情が意識で倍増されて根を残しているのを、地球の汚れとして拭き取る、それが『スマイル地球プロジェクト(仮称)』日本時間で22時、こちら(ドイツ)では15時、10分間のみ同時に瞑想して、地球とその生物の安寧を祈念する。各自自由な瞑想で、何が自分の中から湧いてくるかにも注意しながら・・・ 副産物として、自分の中へ旅することも、直感的に感じる何かも、意識でありながらそれを超えるのかもしれません。能力への挑戦とも。」 ある日のブログに私がコメントし、甚く感動して頂いたその若々しくも熱い感性にこちらも心打たれたました。 錐子オババという別人格に仮託して書いておられ、色々ある中にある日、ご主人に対するすべての怨念が消えたということが書かれていました。ご本人の祈りのみならず、たくさんの有志の愛念送信と浄化の試み、それらなくては考えられないということも・・私 何だかカフカの不条理劇を見ている様な気がしてきました。 エンドレスの進行形という形を持って、形而上と形而下を往復しながら宇宙の真理につき進んでいく途中に起こるリアルな現象は、イディオムの連続として不条理につながって行く・・・なーんて 彼の女性 すごいコメントいただきワーと叫びました。 この5行の文章に心打たれました、言葉の力、躍動してます。 言葉が生み出す可能性を改めて感じました。 新たな気持ちで言葉を紡いでいきたいと思いました。 今朝のアイデアは:万物から自分へ、いかに愛が放射されているかを心で、理性で感じられるかを一瞬ごとに試してみよう!! 私にとってこの方は、とても重要なのに普段は無意識の中に見えない形で存在していて、時おりキラッと光を放って存在を意識させる、いわば裏山の山神様みたいなもの。どうしてもその存在を書き残しておきたくて、ご本人には無断で書かせて頂いています。 文章もさることながら詩や短歌もやられる才媛でもあります。10年ほど前らしいのですが、ブロ友が短歌に音を入れてYouTubeにアップして呉れたりしているんですね。小説も書いたことがあるとも聞いていますし「カクヨム」に、「希少率0、8%木原東子の思惑全集 巻8 詩集『庭の雑草』」と題して50編の詩をアップしていたりします。 博識なだけでなくユーモアもあって、自虐・諧謔を織り交ぜた文章は他に比類のないものです。聡明で博識な方で、どちらかと言えばリケ女なのかなと想像していますが、お会いしたこともなくその詳しい人となりは分かりません。それがまたSNSでの交流の面白いところかもしれません。ラジオと同じで想像することで、自分なりのイメージを作って楽しめるんですから・・。
2020.11.25
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♪ 曇りなき目をして遊ぶ幼児の見透かしてくる神の眼差し‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 孫ちゃんが来る月曜日のために借りてきてあった絵本「まざっちゃおう!」が、なかなかよかった。 遊んでいて、突然「なんか お菓子作ろうよ!」と言い出した。「そうだねぇ、久し振りにクッキーでも作るか!」となった。何の準備もしてないので、その準備の間に絵本を読んでいてもらう事にした。 3つの色たちがなかよく暮らしていた。あかは いちばん にぎやか。きいろは いちばん あかるい。あおは いちばん すましている。 ある日あかが突然「あか さいこう!」と言い出した。きいろは「ちがーう!きいろがさいこうだー!」あおはなんにも言わなかった。 こうして 色たちは別々に住む事になってしまった。 あるひ、一人のきいろが、あおと出会って何かが起きた。それから二人はいつも一緒。でも、周りは文句をぶつぶつ・・。 だけど、きいろとあおは お互いが大好きで大好きで、「まざっちゃおう」と決めた・・。そして二人の間に新しいみどりが生まれた。 そんなみどりに、だれもが夢中になった。もっと新しい色が生まれるかも・・。そこで、みんなも混ざり始めた。色々ないろ、色々な名前が生まれた。 こうなったら、「あかむら」「あおまち」「きいろがおか」なんて、もういらないね。 みんな一緒に住めるように、まちをつくり変えた。新しいまちはいろとりどり。完璧じゃないけど、ここは最高のまちなんだ!」 孫ちゃん、一人で黙々と絵本を読んでいるなんてことは今まで無かったのに、この本は最後まで一人で読んだみたい。それで、クッキーの準備ができたので爺さまが「どうだった?」と感想を聞くと、熱心にその内容を話してくれていた。面白かったらしい。 孫ちゃんが帰ってから、爺さまは興味をもったらしく目を通している。「色が混ざると新しい色が生まれる」ことを見せながら、多民族のいる社会の在り方を暗示しているようにも読める。このタイミングなのでトランプに揺れるアメリカの今を表現しているようでもあって、「よく描けてるなあ」と感心している。 「絵が良いし、文の運びもいい。」絵本って、どうしても教条的になって言葉でそれを言ってしまうようなのも多いので、この絵本はそこを充分に考慮したうえで巧みに作られている。「ずば抜けてるなあ」と感心している。 幼子が(文字は少ないものの)一人で最後まで読んで、内容まで話してくれるところを見れば、この作品の良さが分かるというもの。「5歳までこどもは天使」だそうだけど、6歳前後のこどもは曇りのない目を持っていて本質を見抜いてくる。「こどもは神の使い」なのかも知れない。 作者は、アリー・チャンというサンフランシスコ在住の作家・イラストレーターで、「NINJA!」(未邦訳)なんて作品もあるらしい。この本の原作「MIXED」は、イギリスのFCBG(こども本グループ連盟)による「2019年チルドレンズ・ブック賞大賞を受賞しているらしい。★ バターが無くなり、小麦粉も残り少なくなってしまったけれど、いい味のクッキーが出来上がって、大満足。クラッシュアーモンドを入れたのも良かったし、有塩バターの塩味がかえって甘すぎない奥行きのある味になっていて、爺さまも鼻を高くしていたね。 食後に食べることにしていたので、as soon as で飛びついてパクパクと・・・。風呂でそのぱんぱんにふくらんだ腹を見て、思わず撫でまわしてしまった爺さまでした。 このブログは8月22日より、飼い猫ピピの目線で書いています。タイトルの頭に ◇ が付いてますが一部例外があります。 日によって文体が違ったりしますが、そのうち一つの形に収斂していくと思いますのでそれまでは、未熟さを面白がりつつやり過ごして頂けるとありがたいです。
2020.11.17
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♪ 孫という存在なければ出合わない言の葉種(ぐさ)とポケモンしりとり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今やもう社会現象化している感のある「鬼滅の刃」。孫ちゃんがワイワイ言ってるのは分かるけれど、大人までもが感化されているようでだね。爺さまも孫ちゃんと一緒に見たには見たけれども、どうしてそんなにヒットしたのか理解できないでいる。「名探偵コナン」のように何の逡巡もしないで人を殺す漫画は嫌いだし、ワンピースなんか登場人物の顔、とくに何の感情も表さないあの目が嫌いで一度も見たことが無い。「鬼滅の刃」も鬼を殺すシーンが残酷だ。子供向けには絶対に殺人シーンなどは書かなかった江戸川乱歩が見たら、一体どう言うだろう。 世の中にはしょっちゅう殺人事件が起こっているし、親殺し子殺しも無くなる事がない。それがこれ等の漫画のせいだとは思わないけれど、見てるうちに慣れっこになって行くのはどうかなぁと思ってしまう。でも、しょせんは現実とは違う架空の世界の話だという事を、子供たちはちゃんと分かって見ているはずで、そう目くじらを立てる必要はないのかも知れない。 爺さまが子供のころは、カエルや蝉などに随分残酷なことをして遊んだらしい。子どもはそもそも残酷なもので、昆虫をいたぶったりするのは通過儀礼として必要なことだとも思っている。そういうことさえもさせてもらえない今の社会が正しいのかどうか。「小さな命を大切にしましょう」と言って、通過儀礼さえ奪ってしまう事が本当に情操教育にとって正しいことなのかどうか。 おっと、話が逸れてしまったねぇ。この「鬼滅の刃」の鬼は、首をちょん切らないと死なないというので、真っ赤な血を飛び散らせて首が飛んでいく。それは鬼だから仕方がないことで、鬼の血を浴びると鬼になってしまうことから逃れるにはそうするより仕方がないわけだ。 一話しか見て無いので詳しくは書けないけれど、よく見ると相当に計算されて描かれているように思えるのも確か。愛とか慈悲とかが根底にあって、ただ怨恨で人を殺す「名探偵コナン」とはわけが違う。 NHK Eテレの子供番組では、難解な諺や慣用句を美輪明宏や歌舞伎役者が出て何度も読み上げながら紹介したりしている。意味は分からなくても覚えておく必要があると考えての番組構成なのだろう。落語の寿限無も出てくるし、子どもはそれを難なく覚えてしまう。 それと似た考え方がこの「鬼滅の刃」にもあるらしく、難しい漢字や四字熟語が頻繁に登場する。今までには考えられないことに挑戦しているようで、ただ当たり障りのない夢を描くのとは違う、文学的な要素を加味したところにコンセプトを置いて制作されているように思える。 この漫画に反応するのは子供たちだけでなく、高齢者にも支持されているらしいのには、少しばかり驚かされている。孫に言われて見ている内に感化されていくらしく、そういう要素を持っているからこその事でしょうか。 同じ日に違う紙面に掲載された新聞の投稿記事を紹介します。爺さまと同じ世代のおばあちゃんたちです。 男は、頭が固いのでこういうものを受け入れるのには、凄く抵抗がある。意外に面白いなぁなんてたとえ思ったとしても、あからさまに意思表示したりはしないので、表からは分からないしね。 ここに出てくる四字熟語で、カルタを手作りしちゃったお母さんがいるみたい。この機に四字熟語を覚える人が増えるのは、立派な社会貢献に違いない。鬼滅の刃四字熟語かるた 上・取り札 下・読み札 いいねぇ!こうやって自分で作るっていうのは。ただ売ってるのを買い与えるんじゃなくて、作ってる本人も楽しんでるのは子どもにもちゃんと伝わるし、作ることで養われ培われるものはとても多いからね。 しかしこれ、市販したら間違いなく売れるね。今の子供は、格段に知識も豊富だし頭も柔らかいので、猫に失礼な「猫に小判」なカルタなんかより、よっぽど面白がるだろうしね。記憶はエピソード記憶にして覚えるのが一番だから、絵柄が体験となってとことばと結びつくのは理に適っている。 このブログは8月22日より、飼い猫ピピの目線で書いています。タイトルの頭に ◇ が付いてますが一部例外があります。 日によって文体が違ったりしますが、そのうち一つの形に収斂していくと思いますのでそれまでは、未熟さを面白がりつつやり過ごして頂けるとありがたいです。
2020.11.14
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♪ コンビニのレジで対面するのさえ多生の縁と思えば嬉し‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ コンビニのレジ前は、老若男女それぞれの心模様がそのわずかな時間に垣間見れたりするね。4年前の芥川賞「コンビに人間」は読んでない爺さまも、近くのコンビニには主に酒を買いにちょくちょく行ってるのでスタッフとは顔見知りだ。 でも、この元サークルKのファミマは、店員が無愛想で必要なこと以外はほとんどしゃべらない。たまに一人の男の店員にこっちから話題を振ってみたりして話し掛けりことはあっても、向こうから何かを言って来る事はまったくない。それが何だか味気なくて、「もうちょっと何とかならんのかいなぁ」と、ぼやいている。 この子の明るさにはホント、救われる感じだね。どこのコンビニも同じなんだねぇ、店員の不愛想なところは。この子供に、その不愛想な世間というものを改めて思い知らされてるんじゃないの。店の人もお客の方も。 本部からの指示かオーナーの配慮なのか。「余分なことは言ってはいけない」とのマニュアルでもあるのだろうか。「コンビに人間」を読むとそんなところの事情も分かるのかも知れないけれど、それはそれ。 やたらに多くの業務を負わされて、心に余裕がないのかも知らんけど、声を出すと自分も明るくなれるんだよぉ。心のささくれた客が、「その言い方が気に食わねぇ」とかいって食って掛かって来るようなこともあるんだろね。 けど、店が暇な時間帯ぐらい、顔見知りの常連さんにちょっとした声を掛けても罰は当たらないでしょう。相手によりけりだけど、悪い気はしないし、親近感を持ってくれると思うよ。そんな甘いもんじゃないのが今のご時世だって?何か悲しいねー。 ファミリーマートのキャッチフレーズは「あなたとコンビに」。企業と客とが家族のような関係で共に成長していく願いが込められているってことらしいけど、人と人の関係をもっと具体的な形で表すべきだよね~。 ウォーキングでも、全く挨拶することが頭にない人がけっこういて、怪訝な顔をしてそのままスルーする人もいる。断然、男に多い。でも、長いこと続けているのでほんの一部ですが、向こうから挨拶してくれる人も出てきているのは嬉しい。 この爺さまに感化されて、そういう人が増えれば嬉しいのだけれど、あんまり変わって来たという印象はない様子だね。爺さまも最近は間が開いてしまって、歩く時間帯もまちまちだから存在感が薄いのでしょうがないんだけどねぇ・・
2020.11.02
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♪ かげろうや羽化登仙の砂の山登るをやめて薫風のそら‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 外出禁止で家飲みをするようになった呑み助たちが、依存症になるんじゃないかと心配されている。昼間っから飲むことになったり、エンドレスで飲み続けたり。飲まざざるをえない心境とけじめがつけにくい状況とが重なって、気が付けばビールの空き缶が山になっていたりする。 酒は一時的には良い気分になったり憂さを忘れさせてくれるが、脳を麻痺させていることの副作用が多かれ少なかれ必ずついて回る。大量に、そして長期間飲めば当然だが、少量でも害があることが最近の研究で分かって来ている。 この記事が出たのがちょうど私も禁酒断行をした矢先のことだったし、好きな作家の町田康のことなのでより親近感を持って読んだ。単に身体に悪いからという理由じゃないところに作家らしいし、その洞察する姿勢が興味深い。物書きという生き物は、何にでも興味を持ち真相に迫ろうとする孤独のエクスプローラーだ。 酒を止めたことで、自分を客観視できるようになりその心理的背景を探っていくことで、はたと気付く。“楽しく生きなければ負け” という強迫観念から、酒という麻薬に手を出していたと。 その強迫観念から下りるには、「自分は普通の人間である。」と認めて、「普通の人間の普通の人生はそもそも楽しくないものである。」と考える。そして、低めのところに自分を「ずっぽりと普通」と設定するのがいいという結論を引き出す。幻冬舎Plus 対談 私は、毎日が自分のために使えて誰にも文句を言われない。大酒のみ程ではないにしても、気分が悪い時など昼間っから酒をひっかけることがあった。精神安定剤としてとても良いものだし、気分が良くなる妙薬だ。何か有ればすぐに手を出す状況は酒依存症に限りなく近い。飲み出すと一杯が二杯に三杯にと、止まらなくなる。それが一番問題なわけだ。 最近、飲んでもあまり酔わなくなってきていて、それを喜ぶどころか危ない兆候じゃないかと心配になってきた。肝硬変で死んだ知人はアル中で、毎晩、焼酎2ℓも飲んでいたというのを聞いていた。酒量が多くなるのは酔わなくなるからで、それを続けていれば脂肪肝から肝硬変か肝臓がんに至るのは必至のこと。 そういう危険が近づいていることに気付いていた。そして血液検査の結果に、酒に原因があるとアラームを鳴らしている項目があると知った。気づいたからには、そりゃあ普通の人間である私は、考えざるをえない。血液検査 Fib4 は肝線維化を予測するスコア。2.68がリミット それで。断酒ではなくあくまでも「禁酒」という、軟弱な落としどころに。飲まなくなくなって(一週間後にワイン1本空けたが)、タバコをやめた時と同じように気づくことがあった。 タバコを吸うのは単なるきっかけを口実に習慣化していただけだし、酒もそれと同じで単なる癖でしかなかったことを知った。逃げ場と思い込み、依存するのが癖になっていただけ。 好きでやっているにしても多少の罪悪感があるもので、それから解放され爽快感をもたらしてくれる。幸いアル中ではないので禁断症状など無いし、酒で得られるものとは違う突き抜けた心地よさだ。 小理屈、屁理屈は町田康に任せるとして、飲まずとも存分酔えるようになりたい。もしなれれば、もう普通の人間じゃないかも知れない。
2020.05.04
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♪ くるわしき弥生の空のかすみいて眼を過ぎりゆく黄色いちょうちょ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 20℃にもなった昨日、その暖かさに騙されて冬眠から目覚めてしまったのか、黄色いちょうちょが二階から見下ろす庇の上を飛んでゆくのが目に入った。高山でも20℃になったらしいので、自然界の生物たちはそりゃあもうビックリしたことでしょう。 先月は、暖かい中にびっくり水のような寒気が入ってカツを入れられ、今度はその真逆のびっくり水に心のタガを緩められて、いやはや・・・。 気温は14日頃までは高く、その後は平年並か低い日があるものの、17日頃から暖かい空気に覆われやすくなるため、かなり高くなる可能性があるとか。開花予想も更に早まっている。 「黄蝶」は、唯一成虫で越冬する蝶らしい。本州以南の各地に分布。前翅長は20-27 mmで、近縁のモンキチョウよりもやや小さい。翅は黄色で、雄の方が濃い色をしているとか。 幼虫の食草はネムノキ、ハギ類(メドハギなど)のマメ科の植物。 その年の最初に見るちょうちょが黄蝶だと素晴らしい年になるという。縁起のいい蝶とされている。黄金にも通じる色ということもあるのだろう。 風水のもとになった「五行説」では、万物は「木火土金水」で構成されているとし、黄色は土の属性であり、「土」は他の属性「木・火・金・水」を調整する役割を持つとする。バランスをとるのが土の役目とか。 だから土を意味する黄色は健康運になるという。「土」の字には「ためている大地のエネルギーを放出する」という意味があり、土の属性を持つ黄色は金運向上の意味があるという。かなりのこじつけ、後付けの論理ではある。 また、蝶が縁起のいい生き物なのは、発音が「長」や「丁」と同じことから来ているという。「長」は「優れている」「長じている」、「丁」は「整っている」意からくるようだ。 また蝶は「卵」「幼虫」「蛹」「成虫」と「完全変態」するため、古代から「蝶は凄い能力を持った生き物」と考えられてきたらしい。 ギリシャやヨーロッパ圏の古い言い伝えでは蝶は死者の魂と考えられていて、蝶がやってくると「祖先が見守ってくれている」と考えられていたとか。夏の黄蝶 冬にはこの黒い縁は消えてしまう。 まあ、部分的な記述から抜粋してきて、こじつけようと思えば蝶に限らず、何だって当てはめることができる。しかし、それが良いことに繋がるものなら、信じた方が得なのかも知れない。 普段あまり意識したことがない風水。試みに「ラッキーカラー」を調べてみる。と、ズバリ的中。ラッキーカラーは「白・金・銀」。エレメントは「金」を象徴し、方位は「西」、金運や事業運など経済的に豊かになる傾向の強い分類になるそうな。 まさに黄色、黄金の色が当てはまっている。北西に「白・金・銀」のラッキーカラーを生かす色を使用することで金運や成功といった効果を呼び寄せられると。 ★ こいつぁ春からー 縁 起 が 良いわい!! 因みにラッキーナンバーは「3」で、この数字は人間を取り巻く三位一体を象徴し、多くの人間とのふれあいから幸せを得る可能性を秘めているらしい。
2020.03.10
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♪ 透明な空気のごとく在るべしと淋しがり屋が雲を見ている‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 朝日新聞の投稿「ひととき」から、ほのぼのとする “ちょっといい話” をふたつ紹介します。 何気ないことで、すぐに忘れてしまうような事でもこうして文章にしておくのはいいですね。私のような年(70歳)にもなると、何でもすぐに忘れてしまう。事柄は覚えていてもディティールが抜け落ちてしまって、まともな文章にならなかったりします。 上下二つともほとんど同じ文字数なのは紙面の都合で当然としても、文章がよく似ているのは加筆・修正がなされている証拠でしょう。起承転結もビシッと決まっている。 そのお陰で読みやすいし読後感もいい。下手な文を読まされては興を削がれるし、内容も上手く伝わらないでしょうからね。 私もコンビニでこれとは少し違うけれど、順番を譲ったことがある。ファミマはそうなっていないがセブンイレブンだったかはフォーク並びになっていて、床にYの字に形に矢印がしてある。 それを知らないで左側のレジの前に並んでいる中年の婦人がいて、私がそのことを伝えると、私の後に移動して来た(フォークの柄の部分に並んでいた)。で、右のレジが先に空いたので、その方に “お先にどうぞと” 手で合図をして先に行ってもらった。 婦人は、何だかピンと来ないような風で、黙ってレジへ。終わってからも何のリアクションもないまま行ってしまった。中年のおばはんにはこういう不感症的な人がままいるので、別に腹も立たなかった。 “ほんのちょっとした良い事” をして上げた私の方には、僅かながらオキシトシンが出ていたはず。「見返りを期待しない」というのが、このところの私の三つのスタンスの内の一つで、自分の中だけの “ちょっといい話” 、それだけのこと。
2020.01.09
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