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少し前に本屋で音楽雑誌を立ち読みしていた時に、オスカー・ピーターソン(1925-2007)のドキュメンタリー映画が公開されていることを知った。既にほとんどの映画館での公開は終わっていたし、地元での公開はなかった。ところがamazonのプライム・ビデオでアマゾンのプライム会員は無料で見ることが出来ることを知り、早速試聴した。この類のドキュメンタリーの例にもれず、関係者のインタビューを中心にした構成。変わっているのはバックで何組かのピアノ・トリオが演奏していることぐらいか。オスカーの演奏も含まれているが、有難いのは彼自身の肉声がたくさん含まれていたこと。オスカーがモデルにしていたのがテディ・ウイルソンとナット・コールで、ナット・コールとのピアノと歌の分業?の約束は有名な話だが、テディ・ウイルソンからはどのような影響を受けたのかは特に言及されていなかった。演奏にショックを受けたというアート・テイタムとの関係も興味深い。ハービー・ハンコックが出てきたことには驚いた。ピーターソンとはどういう関係だったのだろうか。クインシー・ジョーンズ(1933-)との関係も分からないが、クインシーはだいぶ老けてしまっていたのが残念。アンドレ・プレヴィンと対話している場面も出てきたのは嬉しかった。またビリー・ジョエルはオスカーの大ファンで、いつも「この人を聴かないとダメだ!」と言っているそうだ。ピーターソンの歌も流れていたが、ナット・コールによく似た声で大変上手い。なるほど、彼らの約束も納得がいった。4番目の妻ケリーもたびたび出て来て、彼の人となりを詳しく話してくれた。ピーターソンが亡くなる時のことも語ってくれていたのも貴重な証言だ。娘のセリーヌがオスカーが亡くなったことが信じられなかったが、愛犬のブルドックがオスカーの手や顔をなめ、最後に35kgの体重をオスカーに載せたことで、オスカーが亡くなったことをやっと納得したという裏話もリアルだ。オスカーを発見した時のエピソードをノーマン・グランツが語っているのも貴重な証言だ。カナダは黒人に対する差別は少ないが、オスカーがアメリカに渡ってからの差別の様子も描かれていた。彼の愛用したピアノがベーゼンドルファーだったことも新たな発見だった。テレビをアンプにつないで視聴したが、音はあまりよくなかった。ということで、オスカーの人となりや音楽について深く知ることが出来て、筆者にとっては有益な時間を過ごすことが出来たと思う。このドキュメンタリーを観終わってから彼の演奏が聴きたくなって、NASにあったMPS時代のハイレゾ音源を聞いた。記憶とは違って、思ったより音が良くなくて少しがっかりした。
2024年04月26日
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HD tracksのメールで知った映画。バーンスタインの伝記映画で、俳優のブラッドリー・クーパーが「スター誕生」に続いてメガホンを取った第二作だそうだ。主にバーンスタインと妻のフェリシアを描いているもので、トレーラーを見ると、実写フィルムを交えた作りになっているようだ。クーパーがマーラーの復活を指揮するシーンも出てくる。このシーン、バーンスタインがロンドン交響楽団を指揮したイギリスのイーリー大聖堂での演奏会を連想させる。また周知のことではあるが、劇場でMTTに似た男と手を握り合っているシーンもチラッと出てくる。クーパーが若い頃のバーンスタインとかなり似ていて、興味をそそる。音楽はヤニック・ネゼ=セガンがバーンスタインとの縁が深いロンドン交響楽団を指揮している。バーンスタインの作品が殆どだが、知らない曲もあり、なかなか興味深いサウンド・トラックだ。但し、全曲が演奏されている曲は「キャンディード」他数曲なので、音楽そのものを聴くには適していない。他にベートーヴェンの第8交響曲の第一楽章のリハーサルや何故かセントルイス・ブルースが収録されている。これはルイ・アームストロングと共演した(1956)時のシーンのようだ。Spotifyでサウンドトラックを聞いたところ、セリフやコンサートでの拍手も入っていて、クラシック・ファンの興味をそそる映画を作りになっている。プロデューサーとして、スピルバーグやスコセッシが名を連ねており、完成度も期待できる。国内では12/8に一部の劇場で公開された後、12/20からNetflixで配信される。筆者のいる地域では劇場では公開されないので、配信で見るしかない。まあ、テレビの音声をコンポにつないで、いい音で楽しみたいと思う。公式サイト
2023年11月19日
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ゴジラ-1.0と一緒に観た映画。こちらが本命だったのだが、ゴジラの評判もよく、上映時間がうまくつながっていたので、二本とも観てしまった。3時にゴジラから観始めて、「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」が終わったのが、9時ちょっと前と、ハードスケジュールだった。「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」は上映時間が半端なのか、上映時間が長すぎるのか分からないが、観客が筆者を含めて二人と、何とも寂しい状況だった。それはともかく、映画の出来が良く、3時間半という長い映画をだれることなく観ることができた。ただ、ストーリーの展開が速く、用を足すタイミングを失してしまって、我慢しなければならなかったのが、辛かった。サスペンス映画なのだが、時々動画を含むモノクロのショットがあり、雰囲気もクエンティン・タランティーノ監督の映画にそっくりで、彼の映画と言われてもおかしくはなかった。まあ、マーチン・スコセッシ監督は彼のような惨たらしいシーンはあまり出てこないが。。。。物語は1920年代のオクラホマ州オーセージ。石油が発掘され、鉱業権を保有していた先住民族のオーセージ族は莫大な利益を得ていた。しかし、その利権を狙う白人たちによる連続殺人が発生し、惨劇が広がっていく物語。原作はデヴィッド・グランの実話に基づくミステリー「花殺し月の殺人」(2018)。アメリカ探偵作家クラブ賞(最優秀実話賞)受賞作だそうだ。まあ、一番の善人と思われる人物が一番腹黒かったというお話。当時の白人が先住民に食い込んでいく手法は、今のC国人の手口と酷似しており、この映画の問題はC国で起こっている問題と驚くほど共通している。話はそれほど込み入っているわけではなく、サスペンス特有の犯人捜しの醍醐味はあまり感じられない。主人公アーネスト・バークハート(レオナルド・ディカプリオ)は叔父ウィリアム・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)の元に身を寄せている関係で、叔父の殆ど言いなりになってしまう。自分の意志で先住民族のモーリー(リリー・グラッドストーン)と結婚するが、次第に悪の道に進んでいく過程が描かれている。後半の主役となる捜査官トム・ホワイト(ジェシー・プレモンス)はそれほど目立つ描かれ方はされていない。むしろ意図的に目立たないように主役を追い詰めているような描かれ方をしているように見受けられる。最初はディカプリオがこの役を演じることになっていたらしいが、変更があり今の形になったと言われている。最初のキャスティングでは、捜査官に重点が置かれたストーリーになってしまい、現在の事実の積み重ねによる凄味は、あまり感じられなかったかもしれない。この意味で、キャストの変更は成功だったと思う。この映画では当時の人々の暮らしの様子が克明に描かれていて、先住民が白人を使用人として雇っていることなどは初めて知った。キャストは充実している。レオナルド・ディカプリオは相変わらず素晴らしい演技で、人間の内面の暗部をえぐり出していた。一番気に入ったのはアーネストの妻モーリー・バークハート役のリリー・グラッドストー(1986-)彼女はネイティブ・アメリカン出身であるため、ぴったりの役どころ。悲しげな表情と病に冒された場面での演技が、真に迫っていた。ロバート・デ・ニーロ(1943-)は80歳という高齢だが、せいぜい70歳くらいにしか見えない。つるんとした顔ということもあるかもしれない。地方の名士であるが、それほど目立たない人物でありながらも、逆にその腹黒さを暗示する演技が見事。最後の方でオーセージ族殺人事件の関係者のその後を伝えているラジオ番組のシーンがモノクロで出てくる。参考:映画『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』が描くアメリカの黒歴史とは? PART4これはFBI長官J・エドガー・フーヴァーを称揚するための番組のような作りになっているが、なかなか凝ったシーンで楽しめる。音楽はロビー・ロバートソン(1943-2023)ザ・バンドのメンバーのギタリストだったそうだ。こちらの記事によると、『彼は1980年から『レイジング・ブル』『キング・オブ・コメディ』『ハスラー2』『ギャング・オブ・ニューヨーク』『ディパーテッド』『シャッター・アイランド』『ウルフ・オブ・ウォールストリート』『沈黙 -サイレンス-』『アイリッシュマン』、『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』などの映画で作曲家、音楽監修者、音楽プロデューサーとしてスコセッシとともに仕事を行っている』とのこと。筆者もこの中の映画は沢山観ているが、音楽が印象に残っていることはあまりなかった。今回も音楽自体あまり印象に残らなかったが、時折現れる一丁のギターから生まれる音楽は、うら寂しい南部の風景を感じさせる見事なもの。「寡黙の饒舌」という言葉を地で行く音楽。公式サイト
2023年11月17日
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山崎貴脚本・VFX・監督による怪獣映画で、ゴジラ生誕70周年記念作品だそうだ。タイトルの「マイナスワン」とは敗戦でゼロの状態になった日本が、さらにゴジラによって「負(マイナス)」の状況に追い込まれる、という意味があるそうだ。(wiki)コロナ禍以降、最近は映画をまったく見なくなってしまった。すっかり出不精になってしまったというのもあるし、何よりも情報を一切収集していないため、自然と映画館から遠ざかってしまっているという感じだ。作家百田尚樹氏のyoutubeを見ていて知った映画で、話題になっているので観てみることにした。公開からわずか8日で観客動員100万人&興行収入が16億円を突破したそうで、前作の「シン・ゴジラ」(2016)を超えるとまで言われているほどです。」昼の3時からの公開で、同時に複数のスクリーンでの上映ながら、少なく見積もっても20人くらいは入っていた筈。物語は終戦直前から始まり、戦後の焼け跡にゴジラが出現するというもの。戦争の悲惨さと、焼け跡のシーン、その後のゴジラとの闘いを見ていると、これは怪獣映画ではなく戦争映画だと感じてしまった。VFXは町の焼け跡ももちろんのこと、戦闘シーンも、かなりリアルで満足した。映画の中で、自衛隊ではなく一般の市民がゴジラと対峙することで、物語に深みが加わり、観客の感情移入も一層強まったと感じた。ただ、戦闘シーンのクライマックスが安っぽく感じられ、突如としてアニメのような雰囲気に変わったのが残念だった。結末は、うるうるしてしまった。最後の最後にどんでん返しがあり、これがなかなか感動的で、山崎監督の思惑にすっかりやられてしまった。エンディングでは伊福部昭のお馴染みのテーマが流れて締めくくられた。伊福部の音楽を聴くと、あたかも初期の埃っぽいゴジラ映画が一気に蘇るような気がする。まさに音楽の力は絶大だ。キャストでは主役の敷島浩一役の神木隆之介は渾身の演技、戦争のどさくさで偶然同居することになったヒロイン大石典子役の浜辺美波も好演だった。機雷除去用の特設掃海艇「新生丸」のやくざな艇長役の佐々木龍之介も持ち味が発揮されていた。「新生丸」の乗組員でゴジラ退治の発案者野田健治役の吉岡秀隆はまさにはまり役。敷島の隣人、太田澄子役で出演していたのが、安藤サクラだと気づいたのは映画がだいぶ進行してから。現在、朝ドラの『まんぷく』(2018)がBSで再放送されているので、役が違うとはいえ、印象がだいぶ違って分からなかった。彼女は強烈な個性の持ち主でありながら、この映画では脇役として素晴らしい演技を見せていた。ゴジラ映画はアメリカでも制作されているが、どろどろとした情熱的な要素は日本映画ならではと感じる。ゴジラのテーマは優れたコンテンツであり、ストーリーがいくらでも考えられるため、今後も何作も制作されるだろう。久しぶりに映画を観たが、やっぱり映画はいい。公式サイト
2023年11月12日
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Amazonプライムをチェックしていて、見逃していたWBCのドキュメンタリー映画「憧れを超えた侍たち 世界一への記録」が無料で見ることができることを知り、昨日見た。基本テレビのドキュメンタリーのような作りで、深みはないが最後まで飽きさせなかった。映像はクローズアップが多用され、ちょっと圧迫感がある。また、映画のようなスケールが感じられないし、音響もあまり良くないのが惜しい。選手の選考会議のシーンが公開されるのは例のないことだったろうが、大変興味深い内容だった。今回は若い選手を中心に据えるというコンセプトが見事にハマったようだが、特に、若くいきのいい投手の選考過程を知りたいと思った。ゆくゆくはその辺りを詳しく書いた本も出るだろうから、そこに期待したい。また、球場の内部での選手の練習風景や、関係者以外見ることができない球場の施設の様子などから球場の巨大さを実感できるのもめったにないことだろう。選手や監督スタッフの映像も、個人の人間像に迫っていて、生身の人間としての彼らの姿を知ることが出来たのは良かった。栗山監督の選手選考における慧眼、選手に対する信頼と思いやりがあってこその優勝だったことが実感できる。大谷の表に出ない陽気な面や、チームを鼓舞する姿など、人間としてのスケールの大きさもよく出ていたと思う。話題?の西武の山川もしっかり映っていて、カットしたらかえって違和感が出るところをあえてカットしなかったのは見識だろう。シャンパンファイトでの近藤のやらかしには笑ってしまったが、何をやらかしたかは本編をご覧いただきたい。単なるイベントの記録ではなく、背後にあるプロジェクトとしての巨大さと難しさを感じることができた。いつまで公開されるのかわからないが、見てない方は是非ご覧頂きたい。
2023年07月12日
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本年度アカデミー賞で主要6部門にノミネートされた「TAR」を見る。余談だが、tarというと反射的にファイルの圧縮形式を思い起こしてしまう。クラシックがらみの映画なので観たいと思っていたが、県内では盛岡でしか上演していないので、通院する予定だった木曜日に観に行った。昼の上映なのに観客が20人ほどいて、関心の多さを感じた。ところが診察前に色々な検査があることを忘れていて、病院を出たのは12:30を過ぎてしまった。上映開始は12:30頃からなので、結局15分ほど遅刻してしまった。映画では重要な出来事が最初にに出てくることが多く、そこのところを見ないでしまったため、よくわからないで、終わってしまった。簡単にいうとレズビアンの女性指揮者に冷たくされた相手が自殺してしまい、そこから指揮者の転落が始まるという、ありきたりの筋立て。ブランシェットの最高傑作と言われているようだが、個人的にはそれほどとはおもはなかった。元々登場人物がレズビアンばっかりであることも理由の一つだが、この主人公の傲慢さが気に入らないことが最大の理由。まあ、演じている側からしたらそう思わせたことは狙い通りだったのだろうが、嫌悪感の方が先に立つ。指揮者は傲慢でなければならないという側面もあるとは思うが、エキセントリックな性格もあり、人間的に共感できる人物ではなかった。まあ、現代では希少価値の指揮者像だろう。会話の中では音楽の話題が多いことは当然なのだが、オーチャード・ホールのことが出たり、マイケル・ティルソントーマスの音楽に文句を言っている場面などがある。これなどは、危ないセリフでもある。危ないセリフと言えば、音楽業界のセクハラの会話でシャルル・デュトア(1936-)やジェームズ・レバイン(1943-2021)の話が出てくるのは、公知とはいえ問題がある。指揮者のジョン・マウチェリが脚本の監修に当たっているので、現場での出来事に不自然なところはない。ただ、リハーサルのシーンではドイツ語の会話の字幕がなかったのは残念。英語の字幕が入る部分だけは日本語字幕があったので、もう少し徹底してほしかった。実際に演奏しているのはマーラーの5番とエルガーのチェロ協奏曲。マーラーは凡庸で緊張感がまるでない。エルガーはチェロの表現力がすごかったというか、ヴォリュームに圧倒された。チェロを弾いているのは、映画でもロシア人チェリストのオルガを演じていたイギリス人チェリストのソフィー・カウアー(20101-)サウンド・トラックではロンドン交響楽団と1,4楽章が演奏されている。映画の中でカウント・ベイシーの演奏でニール・ヘフティのリル・ダーリンが流れていた。常に緊張を強いられる映画の中で、ほっと一息つけるシーンで、なかなか趣味がいい。最後にターが流れ着いた東アジアの楽団の演奏会を聴いている聴衆の風体が異様だ。エンドロールを見るとオーケストラはmonster hunter orchestraという名前だった。なるほど、ウイットに富んでいる。公式サイト
2023年05月21日
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バスケット・ボールシューズの業績が低迷しているナイキが、シェア拡大のために従来の慣例を破って、大学生だったマイケル・ジョーン一人だけにターゲットを絞って、競合を出し抜くという実録の映画化。余計な枝葉を切り詰めて、その部分だけに絞って映画化したものだ。殆どが会話で出来ていて、場所もオフィスと主人公の自宅、ジョーダンや競合他社のオフィスという限られたシチュエーションだ。低予算だったらしいが、これがいいほうに作用して話がスピーディーに進行する痛快な物語に仕上がった。監督は「アルゴ」などで有名なベン・アフレック、主演はマット・デイモンという布陣。彼らは制作も担当している。アフレック自身も運動オタクのNILKEのCEOフィル・ナイト(1983-)役で出演している。アフレックらしい鮮明なカラーの映画で、物語の進行がスピーディーだ。最後はなかなか感動させる。物語はそれまでは個人にスポットを当てることがなかった業界において、、個人専用のシューズを作るという大胆な提案を行い、それを受け入れた会社の決断が痛快活劇のように描かれている。映画の上とはいえ登場人物がソニーをはじめ大変魅力的に描かれている。反面、他の競合メーカーであるコンバースやアディダスのジョーダンに対するプレゼンはほんの少しで、ちょっと影が薄すぎる。特にコンバースの描写は素っ気ない。もう少し、掘り下げた描写が欲しかった。また、業界では類例のない、イニシャルフィー(契約の際の一時金)以外にランニングロイヤリティ(売り上げの一定の割合を当人に支払う)という契約の話も出てくる。レコードや本などでは普通の商習慣として印税という仕組みがあるが、スポーツ用品業界ではなかったのだろう。商品が当たれば大変な報酬を受けることになり、あとに続く選手たちにとっても多大な恩恵を受ける、画期的なことだったのだろう。エア・ジョーダン・シリーズは現在も売れまくっていて、過去5年間で約190億ドルの売り上げで、ジョーダンには13億ドル(売り上げの5%)が支払われているそうだ。出典:Jordan Brand の過去5年間の売上は約2兆4,700万円にキャストでは主役のソニー・ヴァッカロ(1939-)を演ずるマット・デイモンが相変わらず上手い。ただ、残念なのは役作りのためか相変わらず腹がでっぷりと出ていて、なんとも醜悪なこと。彼の映画を観ると、いつ痩せるんだといつも思ってしまうが、今回も期待?を裏切らなかった。それからジョーダンの母親デロリスを演ずるヴィオラ・デイヴィス(1965-)の演技が大変印象深かった。ビジネスライクで如何にもやり手と思わせる一方、ソニーの話に共感するシーンには感情移入してしまいそうだった。NIKEの渉外のハワード・ホワイト役のクリス・タッカーは実物はおとなしそうな感じだが、キャラの立っている人物像を描いている。特にぎょろっとした目が(いい意味で)印象深かったマイケル・ジョーダンを誰がやっているか注目して観ていたが、声や後ろ姿などは映るものの、正面からの映像はなく、見事にしてやられた。Damian Delanoという俳優が演じていたそうだ。wiki公式サイト
2023年04月25日
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東出昌大主演の「Winny」を観る。少し前に産経新聞の「Crossing-クロッシング-」という連載物に彼の回があり、偶然それを読んでいたのが切っ掛け。これを読むと、彼は現在関東地方の山の中で狩猟生活をしながら暮らしていて、仕事があるときに下界におりるという生活をしているそうだ。個人的には例の騒動で印象が悪くなっていたが、現在のストイックな生活を知り、印象がだいぶ変わった。この映画は、ファイル交換ソフトwinnyを使って、違法なアップロードを行ったことに関するほう助で逮捕(2004)されたwinnyの開発者金子勇氏(1970-2013)の裁判の顛末を描いている。winnyを管理人も音楽ファイルのダウンロードで何回か使ったことがある。ただ、ダウンロードに時間がかかるのと、聞きたいジャンルの音楽のラインナップが貧弱だったので、数曲を試しただけでそれっきりになってしまった。その後開発者が起訴されたということは知っていたが、その後の顛末はよく覚えていない。ここに、同時期に起こった愛媛県警の仙波敏郎巡査部長による警察の裏金作りの告発(2005)のエピソードが絡む。この事件でも捜査情報の提供者に謝礼を支払ったという偽の報告書がwinnyで流出したという関連があり、物語として厚みのあるものになった。仙波氏は警察のいろいろな妨害に見舞われたが、最終的には復職を果たし、後に鹿児島県阿久根市の元副市長にもなったそうだ。彼の行為が正しく評価される世の中であったことが救いだ。映画は専門用語が出て来て、素人にはなかなか難しい内容だと思うが、映画でも専門用語は繰り返し説明されていて、多少は理解しやすくはなっている。映画の中では殺人があって、使われたナイフを作った人は罪に問われない、というたとえ話がある。これがこの事件の本質をズバリ言い表している。映画は細部への拘りが凄く、金子さんの住んでいた部屋や金子さんが小さいころに通っていた電気屋さん、本屋さんを含め当時の雰囲気がリアルに伝わってきた。弁護士の公判での尋問のテクニックについて語られているシーンも、素人にはなかなか興味深いものだった。キャストはなかなか充実している。特に目立ったのは主任弁護士秋田真志役の吹越満。飄々とした雰囲気ながら、後半で金子さんを逮捕した北村文(渡辺いっけい)を尋問する場面は切れ味鋭い名演技だった。主演の東出は金子の天才的なプログラマーとしての側面と、いいものが出来るとそれを皆に見せたいという子供っぽい面、天体に対する興味、お菓子好きの側面など多方面にわたって実像に迫っていたと思う。ダブル主演の三浦貴大も不条理に立ち向かう弁護士を力演。エンドロールの後に金子氏の長いインタビューが出てくる。それを見るとソフトを作ることに喜びを感じる技術者であるだけで、ソフトが出来るとそれをみんなに使ってもらいたいという単純な意図しか持っていないことが分かる。映画の中では、仮釈放中はソフトの開発をしてはいけないことになっていたが、バグを見つけて修正したいのにできないという、開発者のジレンマを感じる場面が出てくる。ソフトの間違いを見つけたらすぐ直したいと思う気持ちは、設計者の習性みたいなもので、同業だった管理人にも痛いほどわかる。映画の最後に原案が朝日新聞の渡辺淳基記者によるものと出てくる。昨今は朝日新聞と聞くだけでイラついてしまうが、こういう素晴らしい内容の記事(2020年3月8日)があるうちは、まだ救いがある。ということで、現在公務員の捏造に関して国会で絶賛審議中でもあり、偶然とはいえタイムリーな映画だった。winny事件公式サイト参考:映画『Winny』にも登場、裏金問題の告発者・仙波敏郎氏が語る警察の狡さ 俳優・吉岡秀隆のリアル過ぎる演技に警察幹部が「困った映画だ」 を見ると、警察の体質は今も変わっていないことが分かる。
2023年03月24日
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管理人が好きなジャズ漫画「Blue Giant」が公開された。公開3日目の一番早い回の鑑賞だったが、観客は30人以上はいたと思う。予告を見た限り、テナー・サックスの音があまり太くなく、宮本大のイメージとは違うと思って、少し危惧していた。ところがこれが予想を大幅に上回るパフォーマンスを聞かせてくれた。主人公の宮本大が仙台から東京に来て、ピアニストの沢辺雪祈に自分のプレイを聞かせる場面、いきなりハーモニックスを伴うフリーキーなソロで度肝を抜かれた。これで事前の不安が消し飛んでしまった。この部分はサウンドトラックの「N.E.W.」の冒頭でも少し聴かれるが、このシーンはかなり長く、圧倒的な迫力が感じられる。この映画は、テナーサックスに馬場智章(1992-)を起用したことで、成功したも同然だったろう。彼は『国内外の有力奏者を対象にしたオーディションで満場一致で選ばれた』そうだ。管理人は知らなかったがバークリー音楽院卒で、現在はニューヨークで活躍中とのこと。馬場が「J-Squad」のメンバーだったことも知らなかった。管理人は「J-Squad」のアルバムは2枚とも聞いているが、黒田卓也や中村恭士は覚えているが、テナーが馬場だったとは知らなかった。改めてデビュー・アルバムの「J-Squad」(2016)を聴くと、総じておとなしめのプレイで、それほどインパクトはなかった。なのでJ-Squad以降、長足の進歩を遂げたのかもしれない。映画は、とにかくよくできている。感動的な場面がいくつもあり、最後のジャズクラブ「So Blue」でのライブには感動して、不覚にも涙が出てしまった。このコンサートは事故で右手を骨折した沢辺雪祈のピアノ抜きのテナーとドラムスというデュオだった。ところがアンコールで、雪祈が突然登場して、左手だけでアンコールを弾くという設定に変えられていた。この改変が見事にあたって、感動的なエンディングになっていた。音楽は3人の演奏だけと思っていたのだが、弦や金管、ギターなどが使われた曲もあった。トリオの演奏曲目はどの曲も熱い演奏で、映画の熱気を一手に引き受けていたようなもの。上原ひろみのこの映画に対する貢献度は計り知れないし、彼女を起用した監督などスタッフの慧眼も尊敬すべきだ。映像も普通のアニメの風景だけでなく、彼らが演奏している時のインタープレイの様子や抽象的な映像が熱気と圧倒的なインパクトを与えてくれる。ということで、これ程ジャズマンの葛藤とジャズの熱気を伝えてくれる映画はこれまでなかったのではないだろうか。また、「ジャズマンはいつまでも同じメンバーとやるわけではない」という誰かの言葉とか、「So Blue」の支配人の平が雪祈に「小手先のテクニックではなく、自分を曝け出せ」とアドバイスするところなど、ジャズの人間くささを表現しているところもあり、ドラマに厚みをもたせている。多分原作が若者たちを描いているので、どうしても汚らしく感じられることの多いジャズ映画に比べると、はるかに健全で爽やかなところも観衆に訴えかけるのだろう。単なるアニメというだけでなく、ヒューマンドラマとしても第1級の出来だろう。ジャズファンはもちろん、ジャズを知らない方にもぜひ観ていただきたい、素晴らしい映画だ。続編も期待したい。 ところで、管理人はこのコミック最初から読んでいたわけではないので、連載当初の物を読みたいと思って電子書籍をあさっていたら、kindleで5巻の途中まで無料で読めることが分かり早速映画を観た当日に全部読んでしまった。映画だと最初から凄腕のサックス奏者として描かれているが、そこまでのバークリー出身の音楽教師由比にしごかれて、ひとかどのプレーヤーになるまでの過程が分かり、とても参考になった。2/23までの期間限定なのでご興味のある方は是非!!spotifyでサウンドトラックも聞いてみた。大たちのグループJASSの演奏だけかと思ったら、そのほかの演奏のほうが多い。JASSの演奏は熱いのだが、他の曲は暖かな雰囲気の曲が多い。上原の作曲で統一したことにより、映画全体の雰囲気も素晴らしくいい感じに仕上がったのだろう。こうしてみると、映画での音楽の力がいかに大きいかを思わせてくれる映画だったことが分かる。公式サイト
2023年02月21日
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この前紹介したモリコーネのドキュメンタリーと同じ日に見たアニメ。長年争ってきたA国とB国が若い男女によって仲直りするというおとぎ話。全く知らないアニメだったが、これがとても面白かった。声優の中では、猫のオドンチメグと犬のルクマンの鳴き声が本物みたいで大変上手い。A国の第一女王のレオポルディーネを演じているのが戸田恵子とは知らなかった。高慢ちきで冷たい性格がよく出ていたと思う。主役のサーラとナランバヤルはどちらもキャラクターにフィットしてた。特にの賀来賢人はナランバヤルの前向きで明るい性格描写がよくでていた。最後はめでたしめでたしで終わる、観客が皆ハッピーになる心温まる映画だった。原作よりも洗練されていて、丁寧に作られた映像がとても美しい。音楽はエヴァン・コール。全く知らない作曲家だったが、シンフォニックな音楽が映画にとてもマッチしていた。冒頭の尺八や琴を使った音楽もストーリーが中東のような国の物語なのに、以外とマッチしていたのにビックリした。エヴァン・コールは日本在住のアメリカ人で、昨年の大河ドラマ「鎌倉の13人」の音楽も担当していたそうだ。公式サイト
2023年02月04日
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ジュゼッペ・トルナトーレ監督のモリコーネのドキュメンタリー映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」(原題 Ennio)を見る。コロナ騒ぎが本格化して以来、映画は約2年ぶりくらいだ。モリコーネのドキュメンタリーが上映されるというニュースを知って興味が湧いたことは確かだ。この映画は映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネ(1928-2020)の生涯を関係者の証言をもとに構成したもの。かなりの数の方々の証言が記録されている。映画監督やプロデューサー、俳優、映画音楽の作曲家たちが多いのは当然のことながら、他のジャンルのミュージシャンの証言が多いのに驚く。それだけ彼の影響力の大きさを物語っているのだろう。管理人が知っているところでは、ジャズではパット・メセニー、クインシー・ジョーンズ、エンリコ・ピエラヌンツィ、クラシックだとアントニオ・パッパーノがインタビューに答えていた。メセニーがモリコーネにそれほど傾倒しているとは意外だった。因みにモリコーネはギターの使い方がうまいということも言っていた。ピエラヌンツィはモリコーネの音楽でアルバムを二枚出していることからの起用だったのかもしれない。この映画の特徴はインタビューの中で出てくる映画が音楽付きで流れてくることだ。その効果は絶大で、話だけでは得られないリアリティーがある。そのためか、とても感動した。ところで、映画の引用を許可されるのはとても大変なことだと思う。それが一つ二つではなく、おそらく三桁の数の映画が引用されていたと思うと、この映画の制作に携わった方々の苦労は並大抵ではなかっただろう。また、音楽院にいたころのトランペットを吹いているシーンが出てくるが、妙に生々しい。こんなフィルムがよく残っていたことは、今になるととても貴重な記録だ。モリコーネの音楽とは知らなかった音楽も多数あり、とても勉強になった。モリコーネは当初クラシックの作曲家として独り立ちしたいと考えていた。しかし、仕事がなく映画音楽の道に入ってしまった。クラシックで学んだ膨大な知識を生かし、監督の困難な要求にも対応できる能力を身に着けたようだ。そのためか、映画に他の作曲家の音楽が入るのを好まず、要求が聞き入れられないときは仕事を断ったこともあるそうだ。また自説を曲げず、監督を逆に説得することもあったようだ。このようなエピソードを知るにつれて、彼の頑固な性格と強烈な自信が感じられる。蛇足だが映画「リオ・ブラボー」(1959)に使われていた「皆殺しの歌」(ディミトリ・ティオムキン作曲)を使うというシーンが出て来て、物悲しいトランペットのメロディが流れてきた。子供のころ、この音楽にしびれていたものだが、久しぶりに聴いてとて懐かしかった。https://youtu.be/lU0ky9PdFYw彼は妻のマリアに、1960年になったら映画の仕事を辞める、1960年が過ぎると1970年にはやめる、と言い続けてとうとう2000年になったころにはその言葉を言わなくなったそうだ。ニーノ・ロータの例を引くまでもなく、映画音楽の作曲家はクラシック音楽にコンプレックスを持っているのか、最後はクラシックの作曲家として世の中に認めてもらいたいという願望があるようだ。いろいろなエピソード満載だが、「荒野の用心棒」などで一緒に仕事をしたセルジオ・レオーネ監督が、小学校の同級生だったことが分かる件は、事実は小説より奇なりを地でいくストーリーだ。モリコーネのクラシックの作品も何曲か出てくる。ゴリゴリの12音技法や前衛的な作品も多く、晩年は9.11のためのミサ曲のような宗教曲も作曲している。ところで、この映画を観たら彼の音楽を聴きたくなって、spotifyを除いてみたら、彼の特集がありそこで何曲か楽しむことが出来た。昔なら、一つずつ見つけて音源を入手するという作業をしなければならなかったが、本当にいい時代になったものだ。また字幕では日本未公開の映画には(未)という字幕がつけられているのも親切だ。ということで、やはり映画はいいということを再確認した次第。公式サイトモリコーネの映画音楽と現代音楽の関わり合いについて述べられたサウンドトラック・ナヴィゲーター馬場敏裕氏のコラムが大変参考になる。また「モリコーネの秘密 」という、長い間お蔵になっていたモリコーネのあまり知られていない映画音楽を集めたCDには、実験的な音楽が詰め込まれていて、彼の音楽の別な側面を知ることが出来る。「Eat It」では、彼のトランペットのプレイを聞くことが出来る。
2023年01月31日
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oパンダ・ウインド・オーケストラのコンサートの日は午前中病院に行っていく予定があった。一回戻るのも面倒なので、時間潰しのために映画をチェックしたら、関心があった「ノマドランド」が上映されていたので、午後の上映を観た。平日のお昼なのに、観客が結構いたのは意外。評判がいいらしいので、映画好きの方が観に行くのだろう。原作はジェシカ・ブルーダーの『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』アメリカのノマド(遊牧民)の生態を描いたドキュメンタリー・タッチの映画だった。一人の中年女性ファーンの生活を淡々と描いている。アメリカにはノマドの人たちのコミュニティーがあるようで、広場というか空き地に集まっては友情を温めたり、物々交換したりしている。時にはコミュニティーの指導者の説教を聞いたりすることもある。集まった人たちは時間がたつと、別な場所に散り散りに移動するという生活を送っている。寝るのは車の中。車を改造しているのが大半で、中にはキャンピングカーを牽引している車もある。仕事は行く先々で短期間の仕事を探して働くとか、あらかじめスケジュールをたてて、計画的に働くなどの方法をとっている。レストランやホームセンター、アマゾンの物流センターなどでの勤務風景が出てくる。野外の暮らしをしている人々が現代のアメリカ社会のにいることが驚きだ。そして、普通に生活している人たちとの意識のギャップがものすごく大きいことを感じる。おそらく価値観がまるで違うのだろう。こういう映画を観ると、社会との関わり合いは最小限度でも、自分の気の赴くままに、各地を旅する生活があってもいいと思える。病気のこともあり、地元にへばりついているしかない管理人にとっては、何とも羨ましい気がする。キャストはノマドの人たちとその家族、働き先の人たちに限られている。クレジットされているのは主人公ファーンを演ずるフランシス・マクドーマンドと同じノマド仲間でファーンを愛する男を演ずるデヴィッド・ストラザーンくらいなもの。最後にファーンが亡夫と住んでいた?家を訪ねるシーンが出てくる。無人で荒れ果てた家が悲しい。エンディングで、コロラドのデンバー?の山が迫ってくるような場所を、主人公?が車で走っているシーンが出てくる。横に広がった長い雲が、山の中腹まで下がっていて、手が届きそうだ。さすがに1600mという高地にある土地ならではの滅多にみない風景で、何ともシュールだった。公式サイト
2021年04月11日
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原題は「The Keeper」第二次世界大戦でイギリス軍の捕虜になったドイツ軍のバート・トラウトマン(ベルンハルト・カール・トラウトマン)(1923-2013)が、イギリスのプロ・サッカー・チームに加入し、活躍するという史実に基づいた波乱万丈の人生の物語。wikiによるとバイオの概略は下記の通り。第二次世界大戦ではドイツ軍の空廷兵として、鉄十字勲章を含む5個の勲章を獲得した。あとでこれが騒動の一因となる。イギリス軍の捕虜となり、釈放後はイギリスに定住。セント・ヘレンズ・タウンAFCで活躍後、マンチェスター・シティFCに移籍して大活躍する。1956年のFAカップ決勝では首を骨折するも最後までプレーしチームを優勝に導いた。その功績により同年のFWA年間最優秀選手賞を受賞、引退後イギリスとドイツのチームで監督をする。その後ドイツサッカー協会から派遣されアフリカやアジアの代表チームの監督になる。その功績により大英帝国勲章(OBE)を2004年に受賞する。スポーツ物の醍醐味とインサイドストーリーが加わり、映画の厚みが増している。 1956年のFAカップ決勝の模様がハイライトだが、それまでのドイツ人としてイギリスでプレーすることの苦悩が丁寧に描かれている。当時のイギリスのナチに対する憎しみは、大変なもので、ドイツ人、それも鉄十字勲章をもらっている軍人が、サッカーチームに入ることだけでも大変なことだったろう。それを実力で認めさせることは、実力のみならず、周囲の理解が大きかったのだろう。そこら辺の事情が、詳しく描かれていて、重厚なストーリーになっている。キャストではフレイア・メイヴァー(1993)演ずるマーガレット・フライアーが断然光っている。決して美人とは言えないが、マーガレットの意志が強くて正義感が強い、但し少し癖のある性格を見事に演じている。こういうあばずれの役を自然に演ずる役者は少なくなったと思うが、最近ではぴか一だろう。主人公役のダフィット・クロス(1990-)は、バートの不屈の闘志と寡黙で真摯な性格の演技は、説得力がある。練習や試合での動きも本職はだし。彼はサッカー経験者だが、キーパーはやったことがないそうだ。それでも、キーパーの動きに不自然さはない。ジャンプ力があり、セービングの時の動きもそれらしい。捕虜収容所でバートを見出した、ジャック・フライアー(ジョン・ヘンショウ(1951))の温かみとユーモアのある演技も素晴らしかった。ちょっと異色なのは収容所の指導教官役のハリー・メリング(1989)かなり厳しい教官ぶりだが、最後のほうでバートとお墓で再開するシーンはなかなか感動的だ。サッカーの物語なので試合のシーンが多いが、当時のモノクロのシーンも入っていて臨場感がある。酒場のシーンが出てくるが、それを見ると、イングランド地方の人間のあらあらしさが感じられる。酒場の音楽がジャズだったのも意外。Wikiによると『戦後、アメリカ軍がリバプールに駐留し、米軍放送がリズム&ブルースを含めたニューオリンズ・ジャズばかりを流していて、リバプールに住む人々に大きな影響を与えた』という。マンチェスターとリバプールは50キロくらいしか離れていないので、マンチェスターでも同じような状態だったのだろう。バートは2013年に90歳で亡くなっているので、管理人と同じ時代を生きていたことになるが、なにか遠い昔の良き時代を思わせる映画だ。公式サイト
2020年12月02日
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ポーランドの作家イェジー・コシンスキ原作の同名小説の映画化。第76回ヴェネツィア国際映画祭のユニセフ賞を受賞している。この映画祭で退場者が続出したということを知り、どんなにすごいのかと興味本位で観に行った。入りはまあまあで、熱心な映画ファンが観に行ったのだろう。チェコ、スロバキアとウクライナという3つの国の会社の共同制作。第2次世界大戦の東欧を舞台にしている。決して明るくなく、暗くどんよりとした雰囲気で、それだけで心が重くなるような景色だった。小動物を抱えた少年(ペトル・コトラール)が子供たちに追われるシーンから始まる。小動物を奪われた少年は、やっとのことで叔母の家にたどり着く。しばらく一緒に暮らすが、叔母が亡くなってしまう。両親の元へ帰ろうとする少年が、旅の先々で遭遇する迫害や事件を乗り越えて、自分の家に戻るというのが粗筋。原題は「The Painted bird」文字通り色を塗られた鳥のことだ。その意味するところは、映画の中で説明される。映画のポスターに出てくる太った醜いカラスに、主人公が食いちぎられるのかと思ったら、そうではなかった。ただ、グロに劣らずエロも、普通に出てくるのが意外だった。徹底したリアリズムで描いたのであろう。そのインパクトは半端ない。農村の人たちは、貧しく粗暴な人たちが多い。家庭内暴力も普通に行われている。なので、そこで起こるいろいろな出来事も、さもありなんと、変に納得してしまう。映像はモノクロで、これは正解だった。これがカラーだと、凄惨さが薄れて、単なるスプラッター映画になっていたと思う。ただ、最後のシーンはカラーもありだったように思う。キャストでは何と言っても主人公のペトル・コトラールが素晴らしい。セリフは殆どない。常に孤高を保っているところに、ある種の矜持を感じる。特に目の表情が素晴らしかった。登場人物は殆ど悪人ばかりなので、少年を庇護する善人役の司祭(ハーベイ・カイテル)やロシア人兵士ミートカ(バリー・ペッパー)が印象に残る。女性はあまり出てこないが。鳥飼いと住んでいるルドミラ役のイトカ・チュヴァンチャロヴァーが妖しい魅力を発散させていた。エンドロールで流れる主題歌の女性歌手の澄み切った歌声が心に染みわたる。調べてみたら、スパニッシュ・アラビアン・ポップスのイシュタルという方のHorchat Hai Caliptus(ユーカリの木立)という歌のようだ。歌っているのはルドミラ役のイトカ・チュヴァンチャロヴァー。オリジナルよりも透明感があり、感情を抑えた表現が、この映画に相応しい。この歌が流れてきて、救われたような気がした。YouTubeで全曲聴くことが出来る。公式サイト
2020年11月03日
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ジャズ映画の名作と言われる「真夏の夜のジャズ」が4kでリマスターされたので観に行った。DVDを持っていたので確認すればよかったが、できずじまい。入りはまあまあだったが、席を空けることはしていなかった。隣の人が荷物を置いていて、一つおきだと思っていたらしく、ぼやいていた。この映画が前回公開されたのがいつだったかは、忘れてしまった。このドキュメンタリーは1958年の第5回ニューポート・ジャズ・フェスティバルの模様を撮影したもの。何しろニューポートという風光明媚な場所なので映画的にもロケーションがいい。古き良き時代のアメリカの様子が、そこかしこに出てくるのも嬉しい。今回は、記憶と実際の映画の違いを確認するという変な状況になってしまった。覚えているのは、チコ・ハミルトンが汗だくで演奏しているシーン。てっきり練習での映像かと思っていたら、本番の映像だった。また、ステージが狭いことや、同時期に行われていたアメリカズ・カップのレースの模様も織り込まれていたとは思わなかった。このレースの模様は空撮も使われていて、結構金がかかっていることがわかる。以前この映画を観たときの印象としては演奏が中心と思い込んでいた。ところが、今回観ていたら、一部やらせてのようなシーンがあるものの、この映画の主人公は演奏者ではなく観客だと思った。ドキュメンタリーなのに脚本があるように、一般の人たちの立ち振る舞いが絵になっているのだ。多分、3人の撮影者たちが意識的に撮影していたのだろう。演奏自体は短いものが多く、演奏だけ聞いても物足りないだろう。それでも、ミュージシャンの振る舞いがとても興味深く、映画ならではの楽しみを満喫できた。中では、ルイ・アームストロングとマヘリア・ジャクソンのステージが楽しめた。アニタ・オデイの「2人でお茶を」のは高速スキャットもなかなかの聞き物だった。ソニー・スティットが、テナーで出ていたのも全く記憶にない。ミュージシャンがサングラスをかけている人が多いと思ったら、観客にもたくさんいた。あとで外人は虹彩の色が薄いということを思い出した。ファッションの視点でこの映画に出てくるハイソな人々のファッションについて述べているサイトがあった。ファッションに無頓着な管理人には、とても興味深かった。肝心の映像だが、色はなかなか良かったが、エッジがもう少し締まっていたら、と余計な欲が出てしまった。音はなかなか良かったと思う。ということで、新たな収穫があり、観に行ったのは正解だった。(以下11/2追記)その後、DVDで確認したところ、リマスター版は映像全体の明るさがまし、画像の空間分解能が上がっていて、細部がよく分かるようになっていたことが分かった。夜の部で観衆が踊っている姿など、DVDではまるでわからない。映像のノイズもだいぶ少なくなっていて、4kリマスターの効果が非常に大きいことが確認された。音もDVDではごちゃごちゃした感じで、リマスター版は分解能が向上した感じだった。調べたら、音もデジタル・リマスターを施されていた。DVDを買うなら、入手困難だが、4kリマスター版一択だろう。Amazonプライムなど、ネットでも視聴可能のようだ。公式サイト
2020年11月01日
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マイルス・デヴィスのドキュメンタリー「クールの誕生」を観る。アメリカでは昨年の公開だったが、日本では今年になってからの公開。まあ、ジャズ・ファンしか行かないのだろうが、入れ物は小さいとはいえ20人以上は入っていたと思う。さすがにマイルスの名前は今でも効き目が絶大なのだろう。タイトルが「クールの誕生」なので、そこらへんの時代の話かと思ったら、マイルスの生涯をたどったドキュメンタリーだった。考えて見れば、クールの誕生の話だけでは短編止まりだろう。管理人が勘違いしたということだ。エピソードを丹念に拾い集めて、ストーリーを作るということは大変な労力と忍耐が必要になる。この映画は見たこともないような貴重な映像もが多数あり、楽しませてもらった。そうは言っても「カインド・オブ・ブルー」やはギル・エヴァンスとの諸作のあたりは、見たことのある映像や資料が多いので、新鮮味はない。ところが、そのほかのシーンは個人的にはお宝映像が満載だった。例えばこの映画ではマイルスと女性たちとの関係がクローズアップされていて、語り手の発言が大変興味をそそる。例えば、マイルスがフランスに行った時の、ジュリエット・グレコやジャンヌ・モローとの関係が彼女たちによって赤裸々に語られているところは大変面白い。グレコは晩年の映像だろうが、しわくちゃでよく撮影が許可されたものだと思う。また「死刑台のエレベーター」のサウンド・トラックの吹き込み映像は初めて見た。なるほどすべてアドリブで吹き込んでいる。マイルスの妻たちの証言も大変興味深い。1番多く出てくるのはフランシス・テイラー(画像も)で、彼女がミュージカルのウエスト・サイド・ストーリーに出演していた時の練習で踊っている映像が出てくる。そこに若き日のバーンスタインがちょこっと出てくるのはお宝映像だろ。有名な警察官による殴打事件(1959)の時の血だらけで、頭に二つガーゼをつけている生々しい写真も出てくる。そこにはフランシスも写っている。マイルスのファッションがどんどん変わっていくのも、その時に関わっていた女性たちの趣味だったということも初めて知った。その中でもファッションのほかにもスライなどを紹介したベティ・デイヴィス(ベティ・メイブリー)(1945-)だというのは初めて知った。アルバム「いつか王子様が」のジャケ写にフランシスが写っているが、黒子はつけボクロだそうだ。このドキュメンタリーでは、今まであまり取り上げられてこなかった、ショーターらとのクインテット以降の音楽についても、結構詳しく描かれている。トニー以外のメンバーのインタビューもあり、実験室と言われた当時のグループの緊張感が伝わってくる。この時代のレコーディングで「Freedom Jazz Dance」のメロディーがとても難しいと悲鳴を上げている場面は、生身のマイルスが感じられる。傑作なのはショーターのマイルスのモノマネが上手いこと。ジミー・コブも真似していたが、彼も上手かった。ロックに接近したのは、金儲けができるからというのには、ずっこけた。「ビッチェズ・ブリュー」や「オン・ザ・コーナー」の音楽も取り上げられていた。ビッチェズ・ブリューの意味が「あばずれ女どもは陰謀をたくらむ」という意味で放送では言えない言葉だというのも笑える。「オン・ザ・コーナー」のコンサートでのメンバーの鬼気迫るような演奏ぶりには圧倒される。その後の長い隠遁生活が耐え難い痛みとそれを紛らわすための飲酒、麻薬、結果として体調を悪化させたという下りは、気の毒でしょうがない。「TUTU」のレコーディングのエピソードやモントルーでのクインシー・ジョーンズとのコンサートの風景も映されている。コンサートではウォーレス・ルーニーのサポートを受けて演奏していたが、痛々しくて見ていられなかった。その後の心臓発作には言及されているが、後はサンタナがマイルスの死を聞いたという話で終わっている。見終わったら、オン・ザ・コーナの音楽が猛烈に聴きたくなった。ということで、マイルスの人となりが分かる、大変面白いドキュメンタリーだった。すぐにもう一度見たいと思ったが、公開中のためか、日本版のDVDはリリースされていない。Netflixで日本語字幕で見ることが出来る。公式サイト
2020年10月26日
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映画音楽だけでなく、効果音なども含めた映画の音響の歴史についてのドキュメンタリー。音響デザイナーとして長年活躍してミッジ・コスティンがメガホンをとっている。1927年にトーキーが誕生し、その後のハリウッドの音響の進化と関係者の証言をまとめている。内容が盛り沢山で、知らないことがてんこ盛りだ。サイレントの時代から歴史を丹念に辿っている。音声を入れる工程に従って、説明されているのも分かりやすい。この図を見ると声→効果音→音楽の順に入れていることが分かる。面白いのは効果音を作るための映画監督のあくなき欲求と、アイディアを駆使して涙ぐましい努力を重ねていく音響技術者たちの姿。そのアイディアの数々に驚かざるを得ない。技術がいかに発達しても、人間の汗臭い努力が必要なことを改めて認識させられた。たとえば「キング・コング」(1933)のコングの声は虎とライオンの声をハーフ・スピードで逆再生するとか、トップガンではジェット戦闘機の音だけだと物足りないので、動物の叫び声を入れる等々、思いがけないアイディアが出てくる。テクノロジーの進化も映画の発展に大きく貢献している。70年代になると、ドルビー研究所が映画の世界に参入し、映画音響は加速度的に進化していく。音がステレオになったのは、バーブラ・ストライサンドの「スター誕生」(1977)が初めてだったというのも意外。冨田勲の4チャンネルの「惑星」からサラウンドのヒントを得たというコッポラの「地獄の黙示録」での5.1chサラウンドに結実する。このエピソードは日本人にとっては嬉しい事だ。映像の進化に比べると地味ではあるが大変面白い歴史だ。映画の面白さの半分以上は音のものだと、どなたかが語っていたが、全くその通りだと思う。「プライベート・ライアン」ではクローズアップした戦闘員たちの外側の状況は全く分からない。外の状況を説明しているのは効果音だというのだ。なるほど、音が無ければリアリティもへったくれもない。映画監督も多数出演する。オーソン・ウエルズがラジオドラマの技術で反響音を利用して物語に奥行きを持たせた「市民ケーン」など、映画監督の関与も大きいことがわかる。昨年度のアカデミー賞作品「ローマ」で、人物の移動に合わせて音声も移動するなどというのも最新の成果だろう。内容が込み入っていているので、出来れば書籍化を希望したいところだ。今後映画を観るときに、音声がどのようにして作られているか、などを考える機会が与えられ、さらに楽しみが増えたと思う。とにかく、映画を愛する人たち、特に技術に関心のある方々にとって必見の映画だろう。オフィシャルサイト
2020年10月02日
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本来6月に公開される予定だった、ジャズ喫茶ベイシーのドキュメンタリーが三か月遅れで公開された。ベイシーは今年で50年を迎えたそうだ。記念の年に、このような優れたドキュメンタリーが公開されたのはまことに喜ばしい。5年にわたりのべ150時間もの映像を撮り続けたのは、本作が初監督となる星野哲也。本業は白金のバー「ガランス」のオーナーだそうだ。菅原氏との交流を通じて彼の姿をきちんと形として残しておきたいと思い立ち、1本のドキュメンタリー映画としてまとめた。監督は最後はプロに仕上げてもらおうと思い、「踊る大捜査線」シリーズの亀山千広に依頼したそうだ。結果的に、これが大成功。大変優れたドキュメンタリーになった。店主の菅原正二氏(1942-)のインタビューが中心であるが、そのほかの多彩な顔触れが興味深い。この映画が撮影されたのは2年前だが、とても70歳を過ぎた老人とは思えない。坂田明のことを呼び捨てにしていたので、それなりに年をとっているとは思っていたが意外だった。映画の後半で誰かが、「ジャズはかっこよくないとダメだ。ジャズを愛する人もかっこよくなければダメだ」と言っていた。なるほど氏は昔から格好が良かったし、現在も均整のとれた肉体で、映画のポスターの写真も実に格好が良い。登場するのは、新宿でDIG、DUGを経営する中平穂積氏をはじめとするジャズ喫茶の経営者たち。オーディオの関係者、店を訪れたジャズ・ミュージシャンや俳優など有名人が沢山出てくる。菅原氏の独白が中心だが、彼らとの会話も大変面白い。菅原氏の独白でいろいろと金言みたいな言葉が出てくる。まさに一つの道を探究し続けているその道の達人の言葉だ。例えば、ヴァイオリンなどはすでに行きつくところまで行って進化が止まっっている。オーディオでいえばスピーカーがそれにあたるのだそうだ。何しろジェイムズ・B・ランシングが1940年代に作ったスピーカーがいい音でなるということを言っていた。現在でもアンプは古いJBLで、プレーヤーはリンのLP 12、カートリッジがSHUREのV 15 typelll。何十年も前から変わっていない。そういうラインナップであることも、氏の考え方そのものだろう。何しろ、ジャズ喫茶が衰退した現代でも、よりいい音を求めている前向きな姿勢には共感ができる。最後のほうで出てくる渡辺貞夫がセルマーのリガチャ(クラリネットやサックスのリードをマウスピースに止める部品)を5,6個試し吹きするシーンが出てくる。菅原氏はそれを見てオーディオでいえばリードがカートリッジでリガチャーがシェルだと言っていたのが興味深い。氏は多彩な趣味をお持ちのようで、アンティークのカメラがずらっと並んでいたり、レンズの周辺が暗いので、中心を暗くすると言った、玄人でも考えつかないようなことをやっている。録音の趣味もあるようで、店のライブを往年の名機のナグラで録音している。昔のハイソのテープ録音をダイレクト・カットしたラッカー盤を聴いているシーンが出てくる。なんとカッティング・マシーンまで自前で持っているようで、趣味としても実にハイクラスだ。音楽は映画撮影時に菅原氏が店内でかけたレコードのプレイバックを、「ナグラ」のラインアンプを使用し収録したという。ベイシーでのライブではペーター・ブロッツマン、渡辺貞夫や坂田明も登場する。中村誠一との会話では、好きな歌を歌いながら、最後はテナーのアドリブになるという嬉しいシーンも出てくる。村上ポンタ秀一に至っては、レコードと一緒にドラムを叩いたりしている。クラシックでは小澤征爾と豊嶋康嗣が出演して含蓄のある話をしている。小澤はジャズとクラシックのプレイの違い、豊嶋はヴァイオリンのストラディヴァリについて話している。映画の流れからも、適切なインタビューだった。最初がベイシー(エイプリル・イン・パリス」で終わりの方でもモンクのソロ・ピアノで「エイプリル・イン・パリス」が流れる構成はなかなか気が利いている。ということで、オーディオ・フリークやジャズファンの方々には是非ご覧頂きたい。公式サイト
2020年09月22日
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半年ぶりに映画を観に行った。イタリヤの名歌手ルチアーノ・パヴァロッティ(1935ー2007)のドキュメンタリーで、彼の生い立ちから亡くなるまでを描いている。監督はロン・ハワード。デビュー・コンサートの映像など貴重な記録がふんだんに使われている。父親はパン職人兼テノール歌手で、かなりの腕前だったそうだ。父親の写真も数葉出てくる。若い頃のパヴァロッティにそっくりだ。パヴァロッティは、幼い頃から父親とともに教会で歌っていた。1955年から本格的に音楽を学び、1961年コンクールで優勝し、副賞である「ラ・ボエーム」でデビュー。この時の映像も出てくるが、幾分細身の声ではあるが、パヴァロッティのイメージそのものの声が聞ける。1968年にはMETに登場するというスピード出世。初期の頃ジョーン・サザーランドから教えを受け、特に横隔膜の動かし方について教わったのが大きかったそうだ。どうやって教えてもらったのかという問いに、横隔膜を触ったとユーモアたっぷりに答えた。元々話術が巧みで、テレビへの出演も度々あったらしい。当彼にとっては三大テノールのコンサートを始めたことが、社会貢献活動に転身する、大きな転機になったというのは、初めて知った。コンサートを見聞きするだけでは分からない、インサイド・ストーリーだ。根っから楽天的で、素顔のパヴァロッティもステージでの印象とあまり変わらない。楽天的なのは、子供の頃に生死に関わる大病を患って、どんなことも前向きに考えるようになって以来だそうだ。印象的だったのは、パヴァロッティ&フレンズのコンサートでU2のボノに作曲を依頼し、コンサートへの出演まで実現したこと。あのような有名な歌手が、自らアイルランドまで飛び、ボノの自宅で作曲を依頼するというフットワークの軽さには驚く。おまけに、その模様を映像に撮るためのカメラクルーまで連れていくという強かな側面を持っているのには舌を巻く。この映画は彼の知られざるエピソードがたくさん出てきて、彼の人となりがよく分かる。例えば、コンサートで白いハンカチを持っているのは、リサイタルで緊張し、見かねたピアニストがハンカチを持ったらというアドバイスをくれたという話や、出番の前はいつも死にたいと思うほどナーバスになるという、役柄からは想像できない繊細さを持つことも知った。映画では、付き合いのあった関係者のインタビュー映像が数多く出てくる。深みを与えていたのは、なんといっても、前妻アドゥア・ヴェロー二と三人の娘、2度目の結婚で娘を1人もうけた2人目の妻ニコレッタ・マントヴァーニ、それに元愛人の歌手マデリン・レニーたちへの突っ込んだインタビュー。最も嫌がられるだろう離婚や家族のゴタゴタについても、かなり詳しく描かれている。当人たちの協力は勿論だが、その内容を引き出したスタッフの努力にも頭が下がる。家族のインタビューがなければ、単なる「大歌手の一生」みたいな表面的なものになっていただろう。パバロッティの映像を見ていると、彼のテクニックがどれだけ優れているかが、よくわかる。特にブレス・コントロールは常人離れしている。これは新しい発見だった。音楽は大半が彼の歌声なのだが、それ以外の音楽も趣味のいいポピュラー音楽などを使っていて、悪くない。ということで、すぐれたドキュメンタリーとしてオペラ・ファンはもとより、全てのクラシック・ファンに是非ご覧いただきたい。公式サイト
2020年09月07日
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久しぶりに映画を見てきた。本当はスター・ウォーズを見るつもりが、間違って「フォード vs フェラーリ」をネットで予約してしまった。どっちみち2つとも見るつもりだったので問題はないのだが、自分の間違いとは言え腑に落ちない。公開3日目の最初の回とはいえ、せいぜい10人くらいしか入っていなかったのではないだろうか。きっかけは新聞の映画評で評判が良かったからだが、これがとても面白かった。最初に3時間近い映画ということで気が重かったのだが、最後がエピローグ的な終わり方をしている以外はだれることなく視ることが出来た。ディトナとル・マンのレースのシーンがかなり長かったが、緊張度が高く、コーナーでのブレイキング競争などもあり、ドライバーになったような気がするほど迫真に迫ったシーンが続出した。昔の話なので、現代のようなスマートさこそないが、クルー全員の気持ちは現代とさほど変わらないだろう。レースの結末は史実とは異なっているが、何れにせよ、その行為が非難されることはなかったのだろうか。自動車レースはあまり詳しくないが、覚えているドライバーの名前が出て来て、とても懐かしかった。フェラーリのオーナーがフォードのドライバーだということも、この映画で初めて知った。自動車レース業界ではレーサーがプライベート・チームを作ることはよくあることのようだ。キャストはマット・デイモン(キャロル・シェルビー )とクリスチャン・ベール(ケン・マイルズ)という二大性格俳優の競演が話題だが、クリスチャン・ベールの爆演が凄かった。例の通り減量していて、最後に本物の写真が出てくるが、かなり似ていた。デイモンは特に似せてはいなかったようだ。シェルビー(1923-2012)はF1ドライバーだが優勝経験はなく、ルマンでの優勝が唯一の勝利。引退後カーデザイナーとして数々の名車を作ったそうだ。マイルズ(1918-1966)はモーター・スポーツの殿堂入りを果たしたイギリスの英国のスポーツカーレーシング・エンジニア兼ドライバー。どちらもレース業界では著名な方々だそうだ。他のキャストもキャラクターが立っている。目立ったのは、フォードの副社長レオ・ビーブ役のジョシュ・ルーカス。全権を委任されているとはいえ、自分本位でチームの輪を乱し、ずる賢い人物像が憎々しいほどよく表れていた。まあ、最も上司にしたくない人物像だろう。それにしても、管理職の現場への無理解というのは、昔から変わっていなかったことがよくわかる描かれ方をしていたと思う。ただし実際のビーブは人間味のある素晴らしい人物だったらしいので、どうしてあのようなことになったのか知りたい所だ。この映画ではレースの模様だけではなく、フォード内部での抗争とそれに立ち向かうシェルビーの粘り強い交渉が描かれていて物語に厚みを持たせている。フォードがレースに参戦する契機となった事件(フェラーリの買収失敗)やアイアコッカ(ジョン・バーンサル)から副社長ビーブへの交代劇なども丹念に描かれている。傑作なのはヘンリー・フォード二世(トレイシー・レッツ)にレースがどのようなものかを実体験させるシーン。かなり心臓に悪いが、当ブログも機会があれば体験してみたいと思わせるリアルなシーンだった。ということで、久しぶりに映画らしい映画に出会えてよかった。公式サイト
2020年01月18日
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久しぶりで映画のレビューを書こうと思う。最近映画を見る機会がめっきり減って、前回レビューしたビル・エヴァンスの「Time Rememberd」以来3本しか映画を見ていない。そのうち2本を日曜日に見た。「天気の子供」と「Once Uppon A Time In Holywood」「天気の子供」はネットにはたくさんのレビューが書かれているので、当ブログがさらに追加する必要は全くない。一言付け加えれば、相変わらず映像が美しく、ストーリーも「君の名は。。。」よりは理解できた。今回の本題である「Once Uppon A Time In Holywood」はクエンティン・タランティーノ監督の「ヘイトフル・エイト」(2015)に続く長編映画今回の映画は、ほとんど予備知識なしで観たのだが、てっきり有名なシャロン・テート殺害事件を映画化したものと思っていた。後半のどん詰まりまで、そのつもりで見ていたのだが、最後に大どんでん返し。タランティーノ監督にすっかりしてやられた。いつもながらのタランティーノ監督の独特な進行方法が観客の頭(少なくとも当ブログ)を混乱させる。何しろ、話をしているときにその内容が劇中劇のように演じられたり、何の脈絡もなく突然関係ないストーリーに切り替わったりと、見るほうも大変だ。途中まではコミカルタッチのストーリーで進んでいくが、ヒッピーたちが住んでいるスパーン映画牧場の場面になると、雰囲気が凍り付くような雰囲気にガラッと変わっていくシーンは見事。期待のスプラッター・シーンは最後の部分だけで、シーンそのものはそれほどむごいことになっていない。まあ、武器が素手とナイフなのでおのずと限界がある。どちらかというと火炎放射器を使ったシーンのほうが刺激的かもしれない。CGを使わないですべてセットや現存する建物をつかったというハリウッドの風景もリアリティがある。当時のことを知っているアメリカ人たちには懐かしい風景だっただろう。この映画では、当時のテレビの人気番組やキャストたちが出演した映画の話が出てくる。会話では終わらずに、映画の場面に切り替わってしまうのは面食らってしまうが、より一層リアリティが増すというもの。これらの作品をよく知っている人が見れば、その面白さが増すと思うが、当ブログはほとんど知らないので、面白さも半ばだったかもしれない。当ブログが知っている「大脱走」でスティーブ・マックイーンが収容所の所長たちと会話するシーンで、いきなり主人公のリック・ダルトンに代わる場面がユーモアがあった楽しめた。そのほか、シャロン・テートが出演したコメディ映画の一場面も笑わせる。キャストでは、主役の二人はもちろん素晴らしい出来。映画俳優のリック・ダルトン役のディ・カプリオ(1974-)は落ちぶれた映画俳優の苦悩と悲哀がよく出ていた。コミカルな場面も相変わらず上手い。リック・ダルトンの専属スタントマンのクリフ・ブース役のブラッド・ピット(1963-)はアップになると、さすがに年を感じさせるが、鍛えられた体は見事なものだった。スタントマンという役柄に合わせてシェイプアップしたのだろうか。日常の抑制された表情と、暴力場面の容赦ない表情のコントラストが見事。他にはシャロン・テート役のマーゴット・ロビー(1990-)が大変美しい。シャロン・テートも大変な美人だが、少し憂いが感じられる。ほとんど同じ年齢で、顔かたちから言ってもまさに適役だろう。これから観る方には、彼女が出演している映画を見る場面の足の裏に注目してほしい。他にリックが出演する西部劇の子役トルーディ役のジュリア・バターズ(2009-)の賢いが少しこまっしゃくれた演技がとても新鮮だった。将来が大いに嘱望される才能だろう。公式サイト
2019年09月11日
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ビル・エヴァンスの生涯を残された映像や、関係者のインタビューで構成したドキュメンタリーTime Rememberd(原題 Time Remembered: Life & Music of Bill Evans)を見る。ビル・エヴァンス生誕90周年記念の公開公開3日目の日曜日で、入れ物が小さいとはいえ、前から2列目の席で見ることになるとは珍しいことだ。やはりビル・エヴァンスは人気があるんだろうなと勝手に納得した。位置としては画像が巨大すぎて、ストレスがあるが次第に慣れてきた。慣れとは恐ろしいが、おそらく離れてみたら印象が違ってることも考えられる。昔のフォーラムで一番前で寝て見ていたことを、ふと思い出してしまった。閑話休題亡くなって40年経つので、演奏している場面の画像の状態があまり良くないものもある。音は古ぼけたフィルムの映像でも比較的はっきりしていて、聞き苦しいことはない。見終わった後で感じることは、スコット・ラファロ、兄のハリー、内縁の妻エレインなどエヴァンスの周りには絶えず死の影がつきまとっていたことだ。「時間をかけた自殺」ともいわれるエヴァンスの生涯に、いろいろな影響を与えたショッキングな出来事がありすぎたのだ。ピアニストとしての業績に多くの時間が使われていることは当たり前だが、作曲についても結構時間が割かれていた参考になった。ポケットにいつもノートを入れていて、曲のヒントが浮かぶとすぐ書き付けていたというエピソードは、あまり知られていない彼の側面だろう。その割には作曲したのが60曲ほどだというのは少なすぎるような気がする。ジャズのスタンダードとして確立している曲も多い。初期の名作「very early」が学生時代の作曲であることは、初めて知った。技術に関してはまさに完璧で、コードを間違えたことは、ただの一度もなかったと誰かが語っていたほど。エヴァンスといえば麻薬の話になるが、ほんの軽い気持ちではじめたのが常用化してしまって、寿命を縮めてしまったのは何とも残念。車に乗っている時の吐血から始まる死の直前の生々しい様子が痛ましい。色々なインタビューから初めて聞くことも多かったが、ラファロ、モチアンとのインタープレイをまとめたのがモチアン、というラファロの姉の言葉は貴重だ。ヴィレッジ・ヴァンガードの休憩時間の有名なスナップが何度も出てくる。映画ではとても仲が良かったということになっているが、その頃はギャラのことでエヴァンスとラファロが揉めていたというエピソードがある筈。エヴァンスがケチだったというのが当ブログの認識なのだが、映画では出せないエピソードだったのだろう。エヴァンスがマーク・ジョンソンにラファロの面影を見ていたというのはおそらく本当のことだろう。また彼が参加していた時期の最高傑作がパリでのライブ(1879)と断言していたので、改めて聞き直して見たいと思う。このドキュメンタリーの特徴として死後40年もたっているのに、ハリーの妻や娘のデビー(ワルツ・フォー・デビー)など存命している多くの親族に直にインタビューしていることは、とても重要だ。勿論エヴァンスの肉声も多く聴かれ、エヴァンスが笑っているという珍しい映像まである。息子のエヴアンやその母親のネネットの話も聞きたいと思ったが、残念ながら聞くことはできなかった。生前のモチアンがインタビューで、彼の影響は今後100年は続くと言っていたことが、彼らジャズ・ミュージシャンの共通の考えなんだろう。トニー・ベネットがエヴァンスについて語っていたことも興味深かった。彼らは共演の機会は多くはない筈だが、ベネットに強い影響力を持っていたことは、とても興味深い。「美と真実だけを信じろ」そんなことを教えられたと語っていた。一種のメンターだったのかもしれない。ところで、気になったことが一つあった。チャック・イスラエルの名前がチャック・イスラエルズとなっていたこと。ネットで調べると、イスラエルズと表記されていることは普通にあるようだ。英語読みはイズリールスなので、イスラエルズの方が近い感じはするが、出来れば統一してもらいたいところだ。様々な資料や映像の収集、権利関係の交渉などを1人で行った監督のブルース・スピーゲル の苦労が結実した素晴らしいドキュメンタリーだった。エヴァンスに関心のある方には是非ご覧いただきたい。公式サイト
2019年05月27日
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アカデミー監督賞など3部門を受賞したローマを見る。アルフォンソ・キュアロン監督・脚本・共同製作・共同編集で、メキシコシティで育った監督の自伝的な物語でモノクロの映画。NETFLIXでは通常配信のあとに映画館での公開という仕組みだが、アメリカではこの映画に限り映画館での公開が5日前倒しになっていたということで物議をかもしたらしい。題名のローマとはメキシコシティのローマ地区(Colonia Roma)のことだそうだ。時代は1970年-1971年で、メキシコの中流階級のクリオーリョ(現地生まれの白人)の家で家政婦として働くクレオ(ヤリッツァ・アパリシオ)が主人公。クレオは一緒に住み込んでいる家政婦共々アメリカ・インディアン系の先住民系の女性。彼女たちの会話では、彼らの言語であるミシュテカ語が使われている。ストーリーは夫婦のいざこざや家政婦の妊娠などで、ごく平凡な出来事を淡々と綴っている。ただ、最後の方で、ちょっとした出来事が一層家族の絆を強める、というのは演出だろう。敢えてモノクロにしたことによって、物語がずっと昔のことのように伝わってくるのは慧眼だ。これがカラーだったら、観る者への伝わり方が全く違ったものになっていただろう。映画では凄惨な場面も出てくるが、モノクロであるがために、それ程ショッキングに感じなくて済む。細部の描写に薀蓄を傾けているためか、当時のメキシコの暮らしがビビッドに伝わってくる。家の中も外もやたらと犬が一杯いたり、沢山の糞が散らばっていたり、道路が舗装されていないために雨が降るとすぐ水溜りが出来たり、何故か道路に豚がいたりと、当時のメキシコの雑然とした雰囲気がよく出ている。飛行機が飛んでいるシーンが何度も出てくるのも、何故か印象に残る。個人的にはフェリーニの「道」の雰囲気を思い出す。この家では車を2台家の中に入れているのだが、どちらも幅が広すぎて、絶えず壁にぶっつけて平然としている、というところもフェリーニに通じるシニカルな笑いだ。面白かったのは、当時メキシコで日本の剣術が流行っていたことで、クレオの恋人フェルミン(ホルヘ・アントニオ・ゲレーロ)がかぶれていて、2人でホテルに行った時に素っ裸で剣術術の練習をしていたのは笑ってしまった。このシーンは突然出てきたのだが、修正なしで、逸物ももろに写っている。特にエロい訳ではないが、よく問題にならなかったものだ。あまりにも突然でエロさが感じられなかったのかもしれない。ラジオから流れる音楽や最初と最後に出てくる少年たちのトランペットの楽隊以外に音楽は聞こえてこなかった。映画にしては珍しい。イントロの映像が秀逸。通路の石のタイルを洗うシーンなのだが、タイルのクローズアップに水が流れるのみ。なんだろうと思ってしばらくすると、主人公がタイルを洗っていることがわかるという仕掛け。映画の可能性はまだまだあるということを教えてくれたような気がする。言語がスペイン語なので、作品賞は難しかったかもしれないが、監督賞や外国語映画賞は妥当なところだろう。地味ではあるが、傑作として永く観続けられる映画になる予感がする。公式サイト
2019年04月13日
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ロシア生まれのトム・ヴォルフ監督による、マリア・カラスの生涯を描いたドキュメンタリー映画「私は、マリア・カラス」を観る。こういう伝記物は、本人の映像の他、関係者へのインタビューがかなりの割合を占めるものだが、この映画は、現存するカラスのインタビューや舞台の映像の他は未完の自叙伝の中の文章と彼女の400通を超える手紙の朗読のみで、かなりユニークな作り。朗読は「永遠のマリア・カラス」でカラスを演じたファニー・アルダンが担当している。この方法は実物のカラスが語っているようで、とてもリアルに感じられる。また、こういう音楽関連のドキュメンタリーでは、歌はさわりだけになりがちだが、この映画では最初のノルマの「清らかな女神よ」から最後の「私のお父さん」までフルコーラスで歌われるナンバーが多く、オペラ好きにとっては音楽的な満足度が高い。当ブログは、あの巨大な鼻と同じ高慢ちきな歌手という印象を持っていたが、人間マリア・カラスが描かれていて、本当は傷つきやすいナイーブな心の持ち主であったことを知った。1958年1月のローマ歌劇場での「ノルマ」での、一幕後の降板へのバッシングは有名な事件だ。公私共に親交の深かったディステファノの話によると、前日のテレビ放送が長引いたために、声の調子が悪くなり、一幕は歌いきったものの、それ以上は歌えないために降板したというのが真相らしい。観客は事情を知らないので、ヤジってそれでますます調子が悪くなったらしい。歌手がキャンセルすることはよくあることだが、門外漢はそこら辺の事情を知らないので、気分で休んでいると疑いの目で見がちだが、あくまでも喉の調子が悪いためだということは覚えておく必要がある。まあ、一幕後で終わりというには観客には納得できないことだが、会場側も説明が足りなかったことは確かだ。晩年、カムバックするため新しい歌唱方法に挑戦する前向きな姿勢も、意外だった。カラスといえばオナシスとの恋を出さないわけにはいかないが、関連した映像が豊富で、いかに彼らが親密だったかがよくわかった。なので、オナシスがジャクリーンと結婚したことを裏切りと思ったのも無理はない。ただ、オナシスの晩年によりを戻していたことは知らなかった。映像はあまり良くないが、こんなものだろう。一部隠し撮りのような映像もあるが、著作権上問題はなかったのだろうか。興味深かったのはカラスの顔の幅やメイクの仕方がコロコロ変わることだ。付け睫毛や眉毛の太さや濃さも変化し、どぎついメイクにもたえられる顔だということが分かった。パゾリーニの映画で主演を張るだけのことはあると変に関心してしまった。映画は、ほぼ年代順に進行して行くのだが、複数のインタビューから、その時々の内容にあった部分だけを取り出しているため、同じインタビューが何回も出てきて訳が分からなくなる。インタビューの年代を示してくれれば、大分理解しやすかったのではないだろうか。古い映像が多く、デジタル処理をしたとはいえ、一部鮮明でない映像が含まれるのは仕方がないことだろう。映画を見たら、カラスの歌が聴きたくなって、帰宅後ノルマ(1954)の「清き女神」を聴いた。当ブログはそれほどカラスの歌を知っているわけではないので、機会があれば「ルチア」や「蝶々夫人」も聴いてみたいと思う。公式サイト
2019年04月03日
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予告を観た時は、甘ったるいラブストーリーかと思った。普通だったらそのまま終わりになるところだが、アカデミー賞助演女優賞をレジーナ・キングが受賞したので、観に行った。公開2日目だったが、盛岡アート・フォーラムの上映で、不人気だろうという予想からから、上映は1日1回,それもお昼という、冷遇?ぶり。公開2日目だが、劇場側の予想通り?入りはかなり悪い。10人もいただろうか。若い人は皆無で、映画好きの中高年の人たちが観に行った感じがする。背景に人種差別の問題が横たわっているため、甘さも控えめといったところ。作者のジェームズ・ボールドウィンによると、題名のビール・ストリートはニューオーリンズにある架空の通りで、黒人の故郷とされている。実際はメンフィスにあるそうだ。舞台は1972年のニューヨーク・ハーレム。ティッシュ(キキ・レイン)の恋人のファニー(ステファン・ジェームズ)が、無実の罪を着せられて。刑務所に入れられてしまう。恋人たちの家族が奮闘して、プエルトリコにいる被害者を探して、ティッシュの母親が会いに行くというのが粗筋。途中でいろいろな出来事が発生するが、その都度人種差別の障害が嫌でも意識させられ、それが重苦しい雰囲気を出している。黒人のささやかな幸せが人種差別により、破壊される様には心が痛む。白人の警察官が悪役というのはありきたりだが、そうさせているのは実は社会だということを訴えかけているような気がした。レコードをかけるシーンが何回も出てきて、舞台が70年代ということを教えられる。音楽は「ムーンライト」も担当したニコラス・ブリテル。音楽は弦中心のクラシックとサックスやミュート・トランペットがつかわれたジャズが、混じっている。はっきりとした旋律は聞かれないが、映画のストーリにあった音楽というか、この映画の雰囲気を支配している。ただ、音楽単独で聞いてもあまり面白くないだろう。最近こういった傾向の音楽が多くなった気がする。その分サントラを聴く楽しみが減ったように思うのは当ブログだけだろうか。重要なシーンで黄金のコルトレーン・カルテットの「It's easy Remember」が使われていて、見事にはまっていた。また、マイルス・セクステットの「Blue in Green 」がエコーのように遠くから聞こえるシーンも印象深かった。主役のキキ・レイン、ステファン・ジェームズ(ファニー)はケレン味のない演技で好演。映画では初出演のキキ・レインは大変な美人で、今後人気が出るだろう。ティッシュの親のリヴァース夫妻もいい演技だった。妻役のレジーナ・キングの演技が目立っていたが、アカデミー助演女優賞に相応しいかといえば、スケールの点で疑問が残る。ファニーをしょっ引くベル巡査(エド・スクライン)は痩せて弱々しい感じの男で、逆上すると何をしでかすか分からないような狂気を持った人間の恐ろしさを表現している。出番は少ないが、ファニーの偏見に満ちた母親役のアーンジャニュー・エリスの小憎らしさも見事。結末が描かれていないところがいい、というか描けなかったのかもしれない。監督は「ムーライト」のバリー・ジェンキンス。「ムーンライト」では、ゲイの匂いがプンプンした展開に辟易してしまった。今回はゲイの映画ではないが、黒人の濃厚な愛が描かれていて、当ブログの好みではなかった。ところで、予告を見ていたらNETFLIXの「ローマ」のトレーラーが流れていた。お試しで入ろうかと思っていたので有難い。映画界の圧力が凄かったのだろうか。公式サイト
2019年03月30日
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クリント・イーストウッド監督主演の新作「運び屋」を観る。公開2日目の初回。地味な映画だが、入りは上々でクリント・イーストウッドという信頼できるブランドだからだろう。当ブログもそのひとりだ。原案は『ニューヨーク・タイムズ』のサム・ドルニックの記事「The Sinaloa Cartel's 90-Year-Old Drug Mule」で、80歳代でシナロア・カルテルの麻薬の運び屋となった第二次世界大戦の退役軍人であるレオ・シャープの実話に基づいている。話はデイリリーという1日しか開かない花に情熱を燃やすアール・ストーン(クリント・イーストウッド)が、ネットの台頭で種が売れなくなり、店は潰れてしまう。その後、ひょんな事から麻薬の運び屋を始めるというもの。メキシコから車でイリノイ州まで麻薬を運ぶという仕事で、彼は1回も違反したことがないという事で選ばれた。その後、麻薬捜査官が登場して、最後はお縄になる。それだけだと面白い話にはならないが、アールと家族との確執や、麻薬捜査官コリン・ベイツ(ブラッドリー・クーパー)の家庭での悩みなどが描かれていて、物語に厚みをもたらしている。お決まりの結末になるが、最後のシーンは本来の自分に戻ったアールの姿が描かれていて、心打たれる。傑作なのは描かれているアールのチャラクター。車を運転していて、ラジオに流れている曲を一緒に歌う陽気なところや、若い女性を好むところなど、実物がどうかはわからないが、なかなか魅力的な人物像に仕上がっている。イーストウッドの演技は枯れているが、時に退役軍人の気骨が出ることがある。アメリカの退役軍人はこういう感じなのだろうと思う。麻薬捜査官コリン・ベイツ(ブラッドリー・クーパー)は終始クールで、アールを追い詰めていく部分も、それほど緊迫した感じはない。メキシコ・マフィアは、いかにもという感じの人たちで、若い女性てんこ盛りの豪華なパーティは目の保養になる。実話では運び屋をやっていたのは2009年から2011年と、つい最近お話だが、町並みなどを見るともっと前のストーリーのような感じになっている。実話通りの年代だともっとシリアスなドラマにするしかないので、この設定でよかったと思う。音楽はキューバ生まれの有名なジャズ・トランぺッターのアルトゥーロ・サンドバルが担当している。本職のトランペットは新装なった退役軍人のクラブでの女性ミュージシャンが吹くトランペットの吹き替えぐらいだろうか。この女性はトランペットと、サックス、キーボードを演奏していて、片手でトランペットを吹きながらキーボードも演奏するというスーパーなミュージシャンだった。確かポルカ・バンドと呼ばれていた気がするが、ネットには載っていなかった。ただ、いろいろな情報からアコーディオンを中心に、バンジョー、ドラムなどの楽器に管楽器とヴォーカルが加わったバンド形態のようだ。ポルカというくらいなので、チェコの音楽なのだろう。こちらにサンドバルがこの映画の音楽を手がけた経緯や、詳しい内容が書かれてあり、とても参考になる。それによると、サンドバルを描いたテレビ映画「さらば愛しのキューバ」で、サンドバルを演じたアンディ・ガルシアの紹介でクリントに出会い、ピアノで2,3曲弾いたところで、音楽を依頼されたとのこと。ガルシアは「運び屋」では麻薬組織のボスを演じている。サンドバルにとっては「さらば愛しのキューバ」に続き、「運び屋」が2作目の映画音楽に当たる。マフィアのパーティーでのマリアッチなども彼の手になる音楽。作曲者の個性が全面に出てくるのではなく、既存の音楽のように聞こえるところが、彼の独特な個性なのかもしれない。なお、トレーラーではラフマニノフのパガニーニ変奏曲の18変奏曲のフレーズが流れていたが、映画で聞こえていたか覚えがない。当ブログの耳の具合が悪かったためかもしれない公式サイト
2019年03月13日
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アカデミー作品賞受賞の「グリーン ブック」が公開されたので、公開3日目の初回を見に行った。タイトルは1936年から1966年までヴィクター・H・グリーンにより毎年出版された黒人が利用可能な施設を記した旅行ガイドブックとのこと。派手な映画ではないのだが、アカデミー賞受賞ということか程々の入り。珍しく開始時刻を間違えてしまって、5分ほど遅れてしまった。おそらくトニー(ヴィゴ・モーテンセン)がクラブ・コパカバーナを首になったところを描いていたシーンだったと思うが、それはDVDが出たら見ることにする。ストーリーは高名な黒人ピアニスト ドン・シャーリー(マハーシャラ・アリ)と運転手兼雑用係として雇われたイタリア系アメリカ人のアメリカ南部の演奏旅行を描いたロードムービー。時代は1962年で、ニューヨークを出発し、南部を8週間回るツアーでのいろいろな出来事を描いている。まあ、時代と場所を考えれば、お決まりのことが起きるのは容易に想像されるが、いろいろなことを経て二人の信頼関係が深まっていくところが描かれている。エンディングでは思わぞほろりとしてしまった。黒人ピアニストと白人の運転手という組み合わせはなかなかないと思うが、この組み合わせが絶妙だった。白人でもアングロサクソンなら、こうはいかなかっただろう。ドンの音楽はクラシックをベースとしたポピュラー音楽で、ジャズっぽいところもあるがアドリブはない。編成もピアノ、チェロ、ベースという変わった編成。常にタキシードや燕尾服を着用というのも、なにやらMJQに似ている。ツアーの最後の日に食事に行ったレストランで、ドクが勧められてピアノに向かいショパンの「木枯らし」を演奏するシーンが出てくる。クラシック・ピアニストになれなかったドンが、南部の場末の飲み屋でショパンを弾く心情が何とも切ない。この映画の主人公トニーのぶっきらぼうながら、仕事で培ってきた厄介ごとを処理する能力の見事名kと鮮やかだ。ドクが捕まって弁護士に電話するといって電話した相手にびっくり。そこは、映画を見ていただくことにしたいが、あとで調べたら誰でも知っている政府高官だと知ってびっくり。映画全体が実話に基づくストーリーで、細部は多少異なっていても、大枠は実話と大きく異なるところはないようだ。彼らはこのツアーを機に、終生の友人として過ごし共に2013年に亡くなっている。トニーが1月、ドクター・シャーリーが4月という近さだ。なお、実在の人物についてはこちらに詳しく書かれていて、大変参考になる。作品賞だからといって、必ずしも感情移入できるとは限らないが、この映画に限っては心から感情移入できるものだった。この二人はアカデミー主演男優賞と助演男優賞にノミネートされた。残念ながら主演男優賞は受賞を逃したが、この二人の演技がすばらしい。助演男優賞のマハーシャラ・アリは、シャーリーの一見とっつきにくい性格で、実は差別による挫折を経験している内面の複雑さを見事に表現していた。ヴィゴ・モーテンセンはトニーのイタリア人の粗野だが、マフィアに通じる裏社会の凄みを漂わせた演技で、時折ユーモアを交えた演技もうまかった。その他のキャストでは、トニーの妻ドロレスを演じたリンダ・カーデリーニがブロンクスに咲いた可憐な花のような感じで好感度が高かった。エンディングでトニーとドンの実物の写真が出てくるが、映画のキャストと同じイメージだった。ドン・シャーリーのディスコグラフィはこちら。ジャズピアニスト兼作曲家と分類されている。ご興味のある方はご覧頂きたい。spotifyで何曲か聴いてみたが、それほどうまいとは思えない。イントロにクラシックの曲を使っていることが多く、この人はクラシックに未練があるんだなと思ってしまう。スタインウェイに対するこだわりも、その一つだろう。音楽はクラシック風のポピュラー音楽といった感じで、悪くいえば中途半端。なので、日本で知られていないのも頷ける。彼としてはクラシックをやりたかったろうが、当時黒人のピアニストは受け入れられなかったのだろう。現在でもクラシックの黒人ピアニストなんて、アンドレ・ワッツ(1946-)くらいしか思い浮かばない。他の器楽奏者や歌手などは普通に活躍しているのに、ピアノに限って活躍していないのは、解せない。映画で度々演奏されている、コケティッシュな「This Nearly Was Mine」は残念ながらサントラには収録されていない。というかトリオの演奏は1つもないようだ。公式サイト
2019年03月05日
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本年度のアカデミー賞の主演女優賞と助演女優賞にノミネートされている「女王陛下のお気に入り」を観る。公開2日目の2回目で、入れ物が大きくないスクリーンだったが、7割方入っていた。客層はもちろん高め。映画を観ていると、主役は没落貴族の娘アビゲイルを演じたエマ・ストーンかと思ったが、あとで確かめたらアン王女のオリビア・コールマンだった。エマストーンとアン王女の親友で側近のマールバラ公爵夫人サラのレイチェル・ワイズが脇役だった。映画はこの3人を中心に展開するが、アヴィゲイルが宮殿でのし上がっていく物語がメイン。イギリスはスペイン継承戦争でハプスブルク家側につき、フランスの王国との戦争が行われている時代で、議会の様も描かれていて当時の様子がよく理解できた。映画では痛風を患っているという設定になっていて、禁じられているお菓子を貪り食うシーンもあった。ブランデー好きであったことから、ブランデー・ナンという異名で知られていたらしいが、映画ではそのシーンは見られなかった。この3人は実在の人物だが史実に忠実に描かれていたわけではない。例えばアヴィゲイルは貴族ではなかったことや、宮殿内で策略を弄してサラを失脚させるなどということはなかった様だ。また、アン王女の夫は存命だったが、映画では登場しない。まあ、史実に忠実ならば、映画としては成り立たないので、許容範囲だろう。ここら辺のことはこちらに詳しく書かれている。https://takmo01.com/favourite-background-2309男性は化粧をしてカツラを被っているので、印象が良くない。中では、ゴドルフィン首相を演じたジェームズ・スミスが好印象。出番は少ないが、サラを助けた娼館の女主人メイ(ジェニー・レインズフォールド)のピリッとした演技も良かった。映画はイギリス映画一流のコメディタッチの部分もあるが、あくまででも香りづけで、笑いを誘う場面は殆どない。エロいシーンもあるが、さらっと描かれていて嫌みはない。映像は当時を思わせるような重厚なつくりで、現存する建物も使われたようだ。音楽はバロックやベートーヴェン、シューマンなどのクラシック。オリジナル曲はなく、シンプルで無機的な音の繰り返しが何回も出て来て、観客を緊張させる。音楽ではなくむしろ効果音のような扱いだが、観客に直接働きかけていて、絶大な効果を与えていた。斬新なのは、メシアン「主の降誕」女王の飼っている17匹のうさぎをケージから出して、部屋で遊ばせているシーンに流れている。オルガンが轟々となり、刺激的ではあるが、画像と合っているかは疑問がある。ところで、この項を書いている途中でオリビア・コールマンがアカデミー主演女優賞を受賞したことを知った。無邪気だったり狡猾だったりする、この女王の特異な性格を的確に演じて優れた演技だったことは確かだが、意地悪ばあさんみたいな性格なので、感情移入できるとは思えない。公式サイト
2019年02月25日
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人類史上初のアポロ11号による月面着陸を描いた「ファースト・マン」を観る。原作はジェームズ・R・ハンセン著のニール・アームストロングの伝記「ファースト・マン」「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼル監督とライアン・ゴズリングが再び組んだ映画。伝記に基づいてるので、事実に忠実に描かれているだろうが、そのリアルさは半端ではない。軍用機のテストパイロットや宇宙飛行士の大変さが少しはわかったような気がする。今でも変わらないとは思うが、いつ何時死に直面するかもしれない状況を常に背負っている宇宙飛行士たちの苦悩がひしひしと伝わってくる。発射の時の振動や、音のリアル感が凄く、振動やGこそ感じないものの、実際に宇宙船に乗りこんでいるような緊迫した感情に襲われる。訓練しているとはいえ、その時は逃げ出したいような気分に襲われるのではないだろうか。また、トラブルに見舞われた時の緊迫感も凄く、こういう人たちの肉体と精神の強靭さは凡人には理解できないだろう。アポロ1号の火災事故や、アームストロングが月面着陸船イーグルのための訓練中の事故などは、新しいものに挑戦するときはつきものだが、不確実性からいえばシミュレーション技術の発達した現代のリスクとは比べものにならないくらい、ハイリスク、殆どギャンブルに近いミッションだったのだろう。アームストロングが月へ出発する前の日に、妻のたっての願いで、子供たちにミッションについて説明するシーンが出てくる。当時のリスクの大きさを考えると、行く方の気持ちも、残された家族の気持ちも察するにあまりあるシーンだ。地球に帰還して、隔離されている建屋での夫婦の再会のシーン。ガラスごしに無言で指を重ね合わせるところが、静かな感動を呼ぶ。宇宙船や当時の管制の様子、使用している機材など、正確に再現されていると思われる。レゴリス(月の砂)に覆われている月の表面の様子もリアルの再現されている。余談だが月の表面にはヘリウム3が多量にある。理由は月には地場がなく、太陽で起こった核融合の生成物の一部であるヘリウム3が太陽風に乗って月に吹き付けられて、地表に捕獲されているからだ。東京福祉大の遠藤誉氏によると、中国が月を狙っているのは、ヘリウム3を地球に持ち帰って、核融合発電に使おうという目的だそうだ。これが出来れば全地球の10倍以上のエネルギーが得られると中国では計算されている。閑話休題この映画では、アームストロングの家族や友人たちの描写もかなりの割合を占め、物語が厚みのあるものになっている。また、事故による死者が出たために、アポロ計画があやぶまれる背景である議会や国民の反対運動が描かれていたことも、アポロ計画のむずかしさを伝えていた。こういう風景はどこの国でも見られるものだが、生半可な知識で反対するのはどこの国でも見られる風景だ。また月へ到達するために、1つ1つの技術的課題を克服する過程が丁寧に描かれていて、とても参考になった。今までランデブーの必要性がわからなかったが、この映画を見て初めて理解できた気がする。ところで、アポロ計画のもたらした技術の進歩はなんだったのだろうか。コンピュータや遠隔操作の進歩などの他に、統計学やプロジェクトを進める方法など、物や技術だけではなく、多方面に貢献していることが分かる。当時議会で反対されて計画が頓挫していたら、現在の状態になるまでには10年以上遅れていただろう。当座のことしか頭にない議会など、足手纏いの何者ではない。そういう事を考えると、宇宙飛行士だけが英雄なのではなく、このミッションに携わったメンバー全員が英雄といってもおかしくない。主役のライアン・ゴブリンの常に冷静さを失わない様子や、妻(クレア・フォイ)の気の強さなど、キャストも素晴らしい。映画を観ていて月面着陸時が1969年だと知って、ことしが50年目だということに気がついた。月面着陸50周年記念の映画だったのだ。公式サイト
2019年02月22日
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レディー・ガガ主演の「アリー/スター誕生」を見る。公開3日目の2回目で、程々の入り。ガガの圧倒的な歌唱を期待していったのだが、ガガならこのくらいはやるだろうという想像の範囲以内。それよりもブラッドリー・クーパーが歌が上手いのには驚いた。この映画はご存知のように過去のリメイクだが、過去クリント・イーストウッドがクーパーにお前しかいないと話を持ち掛けたらしいがいったん断って、のちに考え直してひきうけたというもの。因みに過去5回映画化されていて、そのうち一回はなんと日本映画だった。wiki管理人はストライサンド主演の映画は見たことがなく、知っている曲はバーブラが歌った「EverGreen」だけ。この曲は1976年度のアカデミー歌曲賞を受賞した名曲。アリーの華やかさが表に出てしまうのはしょうがないが、ジャック(クーパー)の心情も良く出ていて、男の堕落の物語と感じた。最後は悲惨な結末になってしまったのだが、ジャックはああするしか方法がなかったのだろう。ガガは歌はもちろん演技も素人とは思えないような達者な演技で、見る者を圧倒する。ちょっとふっくらしていて、もう少し絞った方が良かったような気がするが、下積みからスターダムに上がるまでの物語なので、すらっとしていたら却ってストーリーにそぐわなかったもしれない。彼女が歌うシーンでは、怪しげなドラァグ・バー(Drag Bar)で「ラヴィアンローズ」を歌って観客を手玉に取るシーンがエンターテイナーとして最も魅力的だった。主題歌がグラミー賞にノミネートされているが、管理人としてはもう一息という感じ。脇は充実している。アリーの職場での同僚でのちに一緒に行動を共にするヌードルズ (デイヴ・シャペル)の軽妙な演技、ジャックの腹違いの兄のボビー(サム・エリオット)のジャックとの微妙な距離感を感じさせる味わい深い演技などが光っていた。アリーの家にたむろしている老人たちが、スターに比べて俺の方が優れていたが、スターになれなかったとか、過去を懐かしむ話がたびたび出るが、辛気臭くてストーリーの中では逆効果だった。音楽では主題歌の「シャロウ」より映画の最後で歌われる「i'll never love again」に胸を打たれた。公式サイト
2018年12月28日
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久しぶりに映画に行った。殆ど半年ぶりくらいだ。畑とか日常の仕事が多く、どうしても見たい映画も少ないので、億劫になってきたということもあり。大分ご無沙汰してしまった。今回は、評判の良い映画で、トレーラーを観てもわくわくするので、観に行きたいとは思っていた。世の中の評価はとても高いのだが、音楽映画なので、なかなか万人向けとはいかない。そのためか、3日の1回目だったが、半分も入っていなかった気がする。映画はフレディ・マーキュリーの半生を描いたものだ。クイーンの音楽はほとんど知らないし、フレディがエイズで死んだことをかろうじて覚えているくらいだ。映画はクイーンの前身バンドの「スマイル」にフレディーが加わることから始まり、彼らの成功と別れ、クライマックスの再会後のAid Africaの野外コンサートまでが描かれている。その中では、ゲイの話やフレディのエイズへの感染も赤裸々に描かれている。当然音楽の話が多くなるが、レコーディングでのギター・オーケストレーションやコーラスをテープが擦り切れる程オーバーダビングを繰り返した模様や、メンバー間の選曲やクレジットでの揉め事など、実際の出来事が再現されていて大変興味深かった。Live Aidでの演奏曲目は「Crazy Little Thing Called Love 」以外の5曲が収録されている。コレが感動もので、何故か涙が出てきてしまった。圧巻は旧ウエンブリー・スタジアムで行われたlive Aidのシーン。スタジアム上空を俯瞰し、そこから高度を下げてステージに近ずくシーンやピアノの下からメンバーに近ずくシーンなど、映像が実に素晴らしかった。CGかと思ったが、実写のようなリアリティがある。こちらに撮影監督を務めたニュートン・トーマス・サイジェルとのインタビューが載っていて、その時の苦労話が語られている。新しいエンブリー・スタジアムでは、なくなってしまったステージの実寸大のセットやバックステージを作ったというのだから、リアリティがあるのも頷ける。観客は900人で実写とCGを組み合わせたという。また、YouTubeで観られる映像と同じものを作らないようにするため。コンサートの観客からの視点を避けて、映画の観客がバンド・メンバーになったような感覚になる映像にこだわった」というコンセプトも成功している。キャストは万全。特にフレディ・マーキュリーを演じるラミ・マレックの体当たり的な演技は圧倒的だった。ただ、歯が出すぎて、ねずみ男みたいで、髭を生やした頃はラテン系のいい男に見えるので、少し気の毒な気がする。また、フレディの別れた妻メアリー役のルーシー・ボイントンが美しかった。映画はエレキ・ギターによる21世紀FOXのファンファーレから始まり、テンポよく進み、とても分かりやすい。音楽産業の人間臭い側面を見ることができたのも、嬉しかった。ということで、このロックバンドを知っている人も知らない人も、この感動的な映画を是非広いスクリーンと素晴らしい音響の劇場で見て欲しい。公式サイト
2018年11月11日
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第68回ベルリン国際映画祭コンペティション部門で監督賞(銀熊賞)を受賞したストップモーション・アニメ「犬が島」を観る。「グランド・ブダペスト・ホテル」のウェス・アンダーソン監督なのでかなり期待していたが、それほどでもなかったというのが感想。20年後の日本のメガ崎市にドッグ病が蔓延し、人間への感染を恐れた小林市長が、すべての犬を「犬ヶ島」に追放することで起きる騒動を描いている。アニメなのに社会風刺的な作風で、画像そのものが汚い。まあ、ゴミを捨てる場所なので、汚いのは当たり前かもしれないが、その風景が微に入り細に渡って描かれているので、汚らしさが前面に出てきてしまうのだ。キャラクターもかなり個性的なデザイン。人物が昔の目が吊り上がった日本人のイメージで、月並み。メガ崎市長小林の顔は悪役顔の典型的な顔と姿だ。因みに、この映画では日本映画からインスピレーションを得ていて、特に影響が強いのは黒澤明監督だそうだ。また、小林市長は三船敏郎の豊かな表情からインスピレーションを受けたキャラクターという。主役の小林アタルも右目の下にあざ?ができていて、どちらかというとキモイ感じだ。人間に比べると、犬たちはかなりまとも。アタルの護衛犬のスポッツを始めオス犬は汚いけれども、それなりに愛嬌がある。メス犬はかわいい。ストーリーはアタルが犬が島に捨てられたスポッツを、途中で出会う犬たちと共に探しに行くという冒険譚で、それほど気をてらったストーリーではない。近未来の日本という設定だが、日本と中国少々韓国みたいな味つけで、日本人が観たら違和感はバリバリあるだろう。アレクサンドル・デスプラの音楽は邦楽風の音楽を始め、いろいろな種類の音楽が使われているが、わざと貧相な音を狙ったと思える節がある。中では日本太鼓を使ったナンバーが、太鼓のメンバー3人がふんどし一丁で太鼓をたたいているシーンとともに、なかなか印象的だ。「七人の侍」からの音楽や「東京シューシャインボーイ」(暁 テル子)など日本の古い音楽が何曲かスクラッチノイズも生々しく使われている。また、バリトン・サックスが珍しく活躍しているのも面白い。というわけで、大変個性的な映画なことは確かだが、評価が分かれる映画だろう。公式サイト
2018年05月28日
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盛岡にチケットを取りに行くついでに映画を観た。スケージュールに合ったのがこの映画だった。コーエン兄弟が長年温めていたストーリーに、クルーニーが検討していた実際にあった白人による人種差別暴動事件を組み合わせている。アメリカでの代表的な批評は「社会風刺、人種差別への言及、殺人ミステリという3つの要素のごった煮」というもので、まとめ切れていないという見解だ。日本でもあまり良い評価ではなかったが、当ブログ的にはとても楽しめた映画だった。ただ、劇場であえて見るほどの映像ではなく、DVDで十分であることも確か。帰ってからチラシを見たら、なろほどと思わせるところがあった。主人公のガードナー・ロッジ(マット・デイモン)のメガネが割れているし、ワイシャツの襟に血が付いていたり、ガードナーの妻(ジュリアン・ムーア)の姉マーガレット(ジュリアン・ムーア二役)の持っているコーヒーカップのフチがかけている。それに「この二人、何かおかしい」というキャッチコピー。映画を観たらわかることなので、チラシにこんなコピーを使っても、観る人にはちんぷんかんぷんだろう。ストーリーはさすがコーエン兄弟と思わせるもので、得体の知れない恐怖や、悲惨な殺人場面がこれでもかと出てくる。そこにシニカルさやユーモアが混じり、何とも複雑なコメディー・タッチのミステリーに仕上がっている。冒頭1950年代のアメリカのニュータウンの風景が映る。我々のイメージするアメリカの裕福な街そのものの美しい風景だ。ところが、白人ばかりの街に黒人のマイヤーズ一家が引っ越したことで事件に発展する。これは実際にニューヨーク郊外のベッドタウンであるレヴィットタウンで発生した住人による暴動。この暴動に関するドキュメンタリーがyoutubeにアップされている。映画では暴動の発生理由から丹念に描かれていて、普通の人たちが扇動によって暴動を起こす恐ろしさがよくわかる。ただし、映画の本筋からは完全に外れているため、かえって殺人事件の恐怖が薄められてしまった。強盗に入られたほうが、何となく後ろ暗いところがあるのだろうと感じるが、強盗が入った理由はさっぱり分からない。キャストはキャラクターによくあった人たちが選ばれている。特に目立つのは保険調査員のバド・クーパー(オスカー・アイザック)。マーガレットを巧みに誘導して、保険金詐欺を白状させるところはなかなか見もの。ガードナーの息子のニッキー(ノア・ジュプ)がなかなかいい演技を見せていた。ジュリアン・ムーアは老けすぎで、ミスキャストだろう。音楽は「シェイプ・オブ・ウォーター」のアレキサンドル・デスプラット。音楽は管弦楽を使ったもので、寂しい音楽が多く、凄惨なストーリーに似つかわしいが、メロディアスでアニメチックな音楽で救われる。レトロ感があるのも、1950年が舞台の映画に相応しい。最期にニッキーが隣のマイヤーズ一家のアンディ(トニー・エスピノサ)とキャッチボールをする場面で流れる「playing catch in the son」が優しく柔らかい音楽で癒される。1950年代の小道具がなかなか凝っていて楽しい。アメリカではテレビ放送が1941年に始まっていて、1954年にはカラー放送も始まっている。映画では白黒だったが、ブラウン管が四角ではなく、楕円形に近い形をしていて、名前はわからないが、懐中電灯みたいなものをテレビに向けて、チャンネルを切り替えていたのが興味深かった。ところで、二人組の強盗のズボンがつんつるてんなのは何故だったのだろか。公式サイト
2018年05月14日
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先々週から公開されている「ぺンゴン・ペーパーズ」(原題 The Post」を日曜日に観に行った。原作はキャサリン・グラハムの「わが人生」公開から一週間以上過ぎているが、ほぼ満員という人気ぶり。映画の出来がいいというのは知っていたが、メリル・ストリープが主演なので少し引っかかっていた。結果はとても面白く、観に行って正解だった。ペンタゴン・ペーパーズの正式名称は "History of U.S. Decision-Making Process on Viet Nam Policy, 1945-1968" (ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年)というもの。(wiki)主人公はワシントン・ポストの社主キャサリン・グラハム(1917-2001 メリル・ストリープ)で、ワシントンポストの記者たちがこのスクープにたどり着き、新聞に載せるための葛藤とその後について描かれている。キャサリン・グラハムについては、30年以上前にデビッド・ハルバースタムの「メディアの権力」というアメリカのジャーナリズムの歴史について書かれた長大な著作を読んで知っていた。理由はわからないが、この著作で今でも覚えているのは彼女の名前ぐらいなものだ。その中には、この映画に出てくる、ワシントン・ポストの編集主幹のベンジャミン・ブラッドリー(トム・ハンクス)や、ペンタゴン・ペーパーの執筆者で経済学者のダニエル・エルズバーグやペンタゴン・ペーパーズを最初にすっぱ抜いたニール・シーハンのことも書かれている。「背景」エルズバーガーは当初フルブライト上院議員のところへ文書を持ち込んだが断られ、ニューヨーク・タイムズにもちこんだ。ベトナムでの取材経験が豊富なシーハンは、ベトナム人の立場で戦争を見ていた数少ない記者の一人で、この文書を扱うのに最も適していた。シーハンが最初にベトナムに関する特ダネを発表した。それは、1968年のテト攻勢直後に、ウエストモーランド将軍が20万6000人のアメリカ軍増派を要求したというものだった。シーハンはベトナムでエルズバーグ(マシュー・リス )と知り合い、シーハンの評論をきっかけとしてペンタゴンペーパーの掲載がはじまる。タイムズで問題になったのは、文書の真偽のみで、ベトナム戦争に対しずば抜けた知識を身につけ持っているシーハンが「文書は本物であると確信している」という一言で、掲載が決まる。タイムズでは公表が決まった後に弁護士に文書を見せた。そこではワシントンポストと同様な論争が起こったが、憲法修正第1条に保障された言論の自由を行使していることになるので、訴訟には必ず勝てるという判断が下され、当初の半分の長さに短縮されたものが報道された。ここまでの背景は映画では説明されていないが、覚えておくと映画がより楽しめる。映画では、ニューヨーク・タイムズに抜かれたワシントンポストが文書を入手するまでが前半のハイライト。報道するべきかどうかをグラハムが決断するまでがもう一つのハイライト。あとは訴追されたタイムズの裁判の行方がどうなったかについて描かれている。登場人物が沢山いすぎて、よくわからなくなるが、エピソードを手際よくまとめられて、テンポよく進行するところはスピルバーグの手腕が光っている。細かいところにも神経が行き届いていて、緊迫感のあるシーンが大半な中にも、家族とのふれあいやユーモラスなシーンが登場するのは彼らしい気配りが感じられる。キャストではワシントン・ポストの編集主幹ベンジャミン・ブラッドリーを演じたトム・ハンクスのエネルギッシュな演技が光っていた。ただ、精力的に動いているシーンでは感じないが、静的な場面では、老いが感じられる。61歳なのでまだ老け込む年ではないのだが。。。騒動が起きた時、グラハムは54歳で、演じたメリルストリープは60代後半と少し違和感があった。実年齢に近い女優であれば、ちょっと違う感じになったと思う。引退前の社長みたいな感じで、黄昏ているところが少し違和感がある。ベンとの対話でキャサリンの背負っているものの大きさが、ベンとはまるで違って、記事を出すかどうかの苦悩が伝わって来た。文書入手後のワシントン・ポストのドタバタぶりがよく描かれていたが、文書を受けとる段階で少し注意をしていれば、そんなドタバタは起こらなかったというツッコミをいれたくなる。また白熱した議論は文字通り「口角泡を飛ばして」という言葉がふさわしく、観ているものも興奮してくる。当時を思わせるのは、タイプライターや輪転機、古い車などだが、記者が足で稼がなければならないのは今でも変わらない。映画を見ていたら、当時のワシントン・ポストの記者たちの崇高な理念に比べたら、昨今の日本のジャーナリズムがいかに堕落したかを感じざるを得なかった。「調査報道」なんていう言葉は日本では廃れてしまったのかもしれない。週刊誌ねたを堂々と記事にする新聞、それを臆面もなく利用するテレビなど日本のメディアの変質ぶりを見ると、真実を追求する彼らの爪の垢でも飲ませてやりたいと思ってしまう。この映画は登場人物が多く、話が込み入っているので、出来れば背景を学習してから観たほうがストーリーがよくわかると思う。参考文献:ハルバースタム著メディアの権力3(サイマル出版会)または朝日文庫現在はどちらも絶版になっている。公式サイト
2018年04月18日
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ジェニファー・ローレンス主演のサスペンス映画。原作はジェイソン・マシューズ。30年以上CIAで工作員として活動した経験があるため、映画で起きる出来事にも凄みがある。レッド・スパロウ(赤い雀)とはロシアの女スパイのことで、ハニトラを仕掛けていろいろな工作活動をするスパイだ。バレリーナとして、活躍していたドミニカが、足の故障でバレリーナを続けることができなくなって、ロシア情報庁の幹部である叔父のワーニャの手引きで、凄腕のスパイになっていく様子を描いている。最後に意外な人物が、探していたモグラ(情報提供者)であることがわかる。キャストは一癖も二癖もある連中がそろっている。主演のジェニファー・ローレンスはいつもながらのシャープな演技で、濡れ場や痛めつけられるシーンも迫真の演技をみせる。スパイになってからのあまり表情を表に出さない演技もいい。アメリカのエージェントであるネイト・ナッシュを演ずるジョエル・エドガートンはあまりハンサムではないのが、この映画では相応しい。役としてもなかなかおいしい役で、最後もしゃれた落ちだ。ドミニカを監視する重要人物の1人、コルチノイ将軍(ジェレミー・アイアンズ)は冷酷非情なロシアの高官然としていて、とても怖い。ドミニカの叔父ワーニャ・エゴロフ(マティアス・スーナールツ)は誰かに似ていると思ったら、プーチン大統領に似ている。以前から話題になっていたらしい。2時間半と結構長い映画だったが、スイミング後なのに、一度も眠らなかったのは、珍しいことだった。緊張する場面が続き、エログロの描写もふんだんにあるので、神経が興奮して、眠るどころでなかったのだと思う。最後のほうでモグラがビクトリアを訪ねてきたと思ったら、映画のクライマックスで意外な人物がモグラということが分かり混乱してしまった。あとで、あらすじを調べたら、当ブログが見事に騙されていたことが分かった。映画ではトリックがあとで説明されるのだが、複雑すぎて一度見ただけではよく理解できなかったのだ。ロシアの諜報機関の場面は冷徹で怖い感じがするが、アメリカの諜報機関はどことなく明るい感じで描かれている。原作者がアメリカ人だからだろうか。音楽はジェームズ・ニュートン・ハワード。オーケストラを使ったもので、映画音楽としては、シンフォニックでオーソドックスな作り。テンポの遅い曲ばかりだが退屈することはない。全体にグレーでひんやりとした感触を持つ静的な曲が多いが、「サイコ」の殺人場面を思い起こすような、ざわざわする音楽もある。殺伐とした音楽が多い中で、エンドタイトルのイントロの柔らかいメロディーを聴くとホッとする。spotifyにラインナップされているので、聴いてみたが、とても楽しめる。サウンド・トラックは音だけ聞くとつまらないことが多いのだが、この音楽は良くできている。ただ、この映画でキーとなるグリーグのピアノ協奏曲の緩叙楽章が含まれていないのが惜しい。公式サイト
2018年04月14日
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1967年のデトロイトでの暴動と、その際発生したアルジェ・モーテル事件という警察による無実の民間人3人の殺人という実話を基にした映画。暴動そのものは白人警官の不当な扱いに対する黒人の不満が噴出したもので、軍隊が出動しなければならないほどの大事件だった。この映画では記録映像も使いながら、物語を進行させる。一つの不正確な情報が、とんでもないことを引き起こすことを冷静に描いている。また、あの時こうすればよかったのにと思ってしまうシーンもある。当時の殺伐とした風景が冷徹に描かれている。警察にしても、軍隊にしても、平時ではない緊張感がこちらにも伝わってくる。圧巻は本筋のアルジェ・モーテル事件の描写で、デトロイト市警の偏見に満ちた振る舞いに怒りがこみあげてくる。追い詰めるところは共産党の査問みたいなもので、取り調べを受ける人たちの恐怖がダイレクトに伝わってくる。キャストではドラマティックスのメンバーで事件の後グループを脱退するラリー・リード役のアルジー・スミスが印象的だ。彼は映画の中で歌っているが、実生活でも音楽活動をしているようだ。「Grow」という曲は彼の作品で、教会で歌うシーンが出てくるが、なかなか感動的なシーンだった。主役のホテルの警備員ディスミュークス役のジョン・ボイエガはスターウォーズでお馴染みだが、この映画でも寡黙ななかに静かな怒りをみなぎらせた人物を好演している。もう一人、警察官の一人クラウス役のウィル・ポールターは狡猾な表情で、如何にもという顔付だ。一度見たら忘れない顔とは、こういう人のことをいうんだろう。ただ、youtubeで彼のインタビューを見たら、当ブログが役ではなく、彼を憎んでいることに気がついた。彼を憎んでいると思った方は、是非インタビューを見て欲しい。共感できない役をやられる苦しさは、やった本人しかわからないものだろう。差別主義者は無知から来ているという言葉にも、ハッとさせられた。音楽はジェームス・ニュートン・ハワード。映画の登場人物である、ドラマティックスをはじめとした当時のモータウン系の音楽が多数使われている。ところで、アルジェ・モーテルに宿泊した若者たちがラジオから流れるジョン・コルトレーンの「I Want To Talk About You 」(Soul Trane 収録)を聴く場面が出てくる。その中の会話は史実に沿ったものではないので、注意を要する。ただ、ジャズを聴くとも思えない若い連中にも、彼の死が知られていたということは驚きだ。コルトレーンが亡くなったのが、この事件の一週間前なので、まだホットな話題だったのだろう。付け加えると、彼の死因は肝臓ガンで、麻薬とは関係ない。厳密に言えば麻薬を断ち切るための深酒が影響していたのかもしれない。至上の愛が名盤になったのは麻薬のせいだという会話が交わされるが、当時は麻薬から完全に足を洗っていた。麻薬を断ち切ったのは1957年にマイルスに殴られて、マイルスのバンドから離れた後である。(閑話休題)最後に実際の人物たちのその後について説明されている。殆どの人物は警察官を含め存命のようだ。こういうキャプションが付くと、たちまちのうちに、どこにいるのかばれてしまうのだろう。逆に警察官の身の上が心配になってしまう。当日はもう一本見ようと思っていたのだが、あまりにも重い映画で、もう一本を見るのは辞めてしまった。アルジェ・モーテル事件(日本語版)英語版日本語版は概要だけなので、詳しく知りたいときは英語版がいい。公式サイト
2018年04月01日
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坂道のアポロンの実写版を観る。キャストはコミックのイメージ通りのキャスティング。千太郎役の中川大志が豪放な性格と、出自に悩むという二つの性格を持つ複雑な人間を好演している。薫役の知念侑李も内向的な性格から千太郎たちに触発されて自立していく様子をよく演じていた。律子役の小松菜奈は顔が少しきついので損をしている。ディーン藤岡が淳一で、これもイメージが近い。セッションのシーンはあまり多くない。千太郎と薫のシーンが多いが、ディーン・藤岡のトランペットと中村梅雀のウッド・ベースを加えたカルテットのシーンをもう少し見たかった。使われている曲も「モーニン」,「マイ・フェイバリット・シングズ」、「いつか王子様」それに「ファット・ガール」くらいなもので、あまりジャズ色は強くない。まあ、一般受けするにはこれぐらいにしておいて正解かもしれない。トランペットをフィーチャーしたファッツ・ナバロの「ファット・ガール」はアドリブはないものの、立派なジャズで、サウンドトラックにも収録されている。ディーン藤岡のスマートな演技とは対照的なバップらしい粘っこい荒々しいサウンドが面白い。彼らは実際に演奏している。それほど上手いわけではないが、映画の中での演奏としては問題ない。ちょっと下手くさいところは丁度いい。ディーン藤岡はトランペットだけでなく、「But Not For Me」まで歌っている。本人はジャズバーで歌っていたことがあり、チェット・ベーカーを思わせる歌いぶりが堂に入っていた。律子の父役の中村梅雀は今回はウッド・ベースを演奏していたが、私生活ではエレキ・ベースで活動しているという。映画は1960年代の佐世保を舞台としていて、当時の雰囲気がよく出ている。ムカエレコードの店内が実在するレコード店かと思うほどよくできている。JAZZ JAPAN 4月号の記事によると、5000枚のレコードが集められ、店内の陳列、ミュージシャンのポスター、パネル、ライブの告知、レーベルの宣伝ポスターなど、こだわり抜いているという。レコードの包装紙にも、しっかり「MUKAE RECORD」の文字が入って抜かりがない。店は大分県豊後高田市の「昭和の町」にある電気屋の店舗を全面的に改装したというから半端ない。映画ではここの街並みも出てくる。また、服装でも細かいところでこだわりがあり、それがリアリティを生んでいた。映画では千太郎の家庭のシーンが結構あり、千太郎や薫と弟たちとの触れ合いも結構描かれていて、心なごむ瞬間だった。原作では、恋愛のシーンが結構多くて、最後のほうなど、ごたごたしていた記憶があるが、映画では切り詰められてすっきりしていた。公式サイト
2018年03月18日
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アマゾンから連れて来られた半魚人と掃除婦の恋を描くアメリカ映画。公開2日目の初回を観た。入れ物が狭いとはいえかなりの人が入っている。アカデミー賞の結果が出る前だったが、前評判が良かったのだろう。プロットは昔からあるものだが、半魚人が人型ですごくカッコよく、感情移入出来るところがいい。それにヒロインが障害者という設定も、半魚人との意思の伝達から考えると、よく考えられている。背景にソ連との宇宙開発の争いが絡んでいて、ストーリーに厚みを持たせている。アメリカ映画だから仕方がないが、悪役がソ連のスパイなのは、今の時代ロシア人が見たらあまり気分のいいものではないだろう。否定はしないが、いまだに悪役はロシア人というイメージなんだろうか。いまだったら中国人でもおかしくはないが、大スポンサーの気分を損ねることもしたくないのだろう。予備知識なしに見ていて、フランス映画と思ってしまったほど洒落ている。スパイが暗躍するストーリーも絡んで退屈しない。ただ、明るい雰囲気のシーンあまりなく、暗く陰鬱な雰囲気の印象が強い。暗い研究所と、雨のシーンが多いからだろうか。キャストは主人公イライザ役のサリー・ホーキンスがフル・ヌードもいとわない体当たりの熱演。そこら辺にいる人を起用したような自然な感じが良い。40歳くらいだが、まだ体形はそれほど崩れていない。これが美人だったりすると、却ってありきたりのキャラクターになっていただろう。同僚ゼルダは「ドリーム」でいい演技を見せていたオクタビア・スペンサー。この映画でも主人公を助ける役柄で好演している。落選してしまったが、アカデミー助演女優賞にノミネートされただけのことはある演技だった。「ドリーム」の時はかなり横幅が広かったが、だいぶシェイプアップしていた。ストリックランド役のマイケル・シャノンは凶暴で変な癖のある役が似合っていたが、見ていたら昔の上司を思い出してしまった。ソビエトから来たホフステトラー博士(マイケル・スタールバーグ)が研究者らしい朴訥な性格がよく出ていた。音楽が実にいい。フランス映画的な洒落た音楽で、テレビから流れる音楽も時代を感じさせる。挿入歌も有名どころが出演している。「You'll Never Know」はなんとルネ・フレミングが歌っている。ユニヴァーサルのサイトにPVがアップされていた。ブラック・スーツにブラックタイというシックな服装で歌っている。大学の時にジャズを歌っていたので、オペラ歌手が歌うポピュラー・ソングみたいな臭いところはない。ただ、声が歳をかんじさせ、あまり美しくないのが残念。ノスタルジックな編曲が抜群なだけに惜しい。他にもアンディ・ウイリアムズ、カテリーナ・ヴァレンテなどの有名な歌手の歌が使われている。当ブログが最近注目しているマデリン・ペルーの歌も収録されている。彼女の古臭いスタイルがこの映画にあっていることは確かで、音楽を担当したアレクサンドル・デスプラのセンスが光っている。オリジナルはのノスタルジック一辺倒ではなく、ミステリアスな音楽もあり、飽きさせない。ミステリアスな音楽でのアコーディオンの起用も光っている。イライザのテーマは最初の5つの音がチャップリンの「スマイル」と全く同じで、「スマイル」が始まるかと思ってしまう。セットもあまりアメリカ映画らしくなく、シックな感じがとてもいい。惜しいのは、R15指定であることだ。せっかくのいい映画を子供に見せられないのも、もったいない。最近しばらくお目にかかっていないボカシのせいだろうか。ストーリー上なくてもいいものだったので、削除できなかったのだろうか。それとも、半魚人が猫を食べたり、かみちぎられた指が黒く変色していくシーンだろうか。やはり同じような疑問を持った方がいらっしゃるようで、「性的な描写」で引っかかったようだ。当ブログの気になったシーンとは違う2か所のようだ。詳しくはこちらのサイトをご覧ください。映倫でも審査結果が公表されている。3/1にアカデミー賞の選考結果が発表され、本作品は作品賞をはじめとして、4部門で受賞した。個人的には作曲賞をデスプラが受賞したのが嬉しい。ところで、タイトルの「The Shape of Water」は訳すと「水の形」なのだが、どういう意味なんだろうか。公式サイト
2018年03月07日
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モーリス・ベジャール・バレエ団が彼の代表作の一つである「ダンシング・ベートーヴェン」を2014年に15年ぶりに上演するまでのドキュメンタリー。昨年はベジャール没後10周年で、日本ではこの映画は昨年末から公開されている。盛岡では先週の土曜日から公開されている。公開二日目の初回を観たが、ほかには誰もいなくて、貸し切り状態だったのは、寂しかった。インタビューアーは芸術監督のジル・ロマンの娘で女優のマリア。この団の関係者も多数インタビューに答えている。主役はベネズエラ生まれのオスカー・シャコンとキエフ生まれのカテリーナ・シャルキナ夫妻。大貫真幹と那須野圭右の二人の日本人も登場する。この作品は合唱団や独奏者に加えて多くの優秀なダンサーが必要だ。そのため1999年のパリ・オペラ座のパリ公演後依頼なかなか公演が実現しなかった。2014年に東京バレエ団の協力を得て東京での公演が実現した。映画では、実現するまでの苦労話一切出てこないが、観たかった気がする。最初は、スタッフやソリストへのインタビューとモーリス・ベジャール・バレエ団の本拠地であるローザンヌと東京での稽古の様子がうつしだされる。主役を予定カテリーナが妊娠したために降りたり、公演まじかに女性ダンサーが稽古中に足を捻挫するなどのアクシデントを乗り越えて、公演を成功させる。最後に実際の公演の模様もダイジェストで映し出される。オケが舞台中央奥に陣取り、合唱が左右に配置され、ダンサーはその前で踊るという趣向。会場はNHKホールだが、ステージの奥行きがなければ、こういう配置はできない。実演を見たらさぞや感動的なステージだったと思うが、いかんせんそのスケールの大きさはフィルムには納めきれなかったようだ。ただ、上から俯瞰する映像はステージに作られた円を中心とした幾何学模様と相まって、実際の実演では見ることのできない映像で刺激的だった。普段見ることのない稽古や本番でのダンサー達のだらだらと流れる汗が生々しく感じられる。それを見ているだけで、大変な運動量であることが分かる。ステージを遠目に観ているだけでは感じられない、肉体の運動としてのバレエを感じられる瞬間でもある。因みにバレエの人たちは、ああ見えても体幹が凄く鍛えられていて、一流のアスリート並みだという。伴奏はメータ指揮のイスラエル・フィル。あまりぱっとした演奏ではない。バレエだと踊りやすいテンポをキープしなければならないので、少しもどかしいところもある。イスラエル・フィルはまあまあだろうが、サウンドがもっさりして、いまいちだ。世界のオケは急速に進歩しているが、ここは時流に乗ってはいないようだ。NHKホールでの公演はブルーレイでリリースされているが、いかんせん高い。TSTAYAでのレンタルもないようだ。バレリーナの体幹力のすごさについては、こちらにさわりが書かれてある。公式サイト
2018年02月26日
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ストップモーション・アニメの傑作『kubo 二本の弦の秘密」が土曜日から公開されたので、北上に観に行った。日本での公開は11月からだったので、もう終わっていたのかと思っていたが、気がついて良かった。予備知識はほとんどなかったが、凄くいいアニメだった。第89回のアカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートされたのも頷ける。週に3.1コマしか撮影できないので、いったい何年かかったのだろうか。考えただけで気の遠くなるほどの忍耐が必要だろうし、それをやり遂げたことには本当に頭が下がる。この映画では折紙が活躍している。kuboが三味線を弾くと、折紙がひらひらと舞うのだが、如何やって撮影したのだろうか。吊るしておいて動かすのだろうが、いろいろな動きをするし、かなり高速に動くので、手間はすごくかかったと思う。何気なく観てしまうが、細部まで手を抜かない仕事は立派。物語は、父親ハンゾウのいないクボが「父の刀、鎧、兜を探し出しなさい」という母親サリアツの残した言葉に従って、ニホンザルとカブトムシと一緒に戦いの旅に出るというもの。キャラクターのうち、ニホンザルとカブトムシは愛嬌があって良かった。また、クボたちの水先案内を務めるハンゾウの折り紙のしぐさがとてもコミカルだ。クボや母親たちの目がつり上がっているのは、外国人が考える日本人のイメージそのものだろうが、それほど抵抗感はなかった。他では、村のおばあさんがいい感じだった。砂漠に斜めに埋もれた巨大な仏像は、結構インパクトがあった。これは日本人には真似できないセンスだろう。全体的には純和風ではなく、中国風なところもあった。特にkuboの祖父(月の帝)の装束で襟が立っているのは違和感があった。日本語吹き替え版だったが、アニメは吹き替えの方が楽しめる。理由は日本の声優の方が断然うまいからだ。とくに今回は日本を題材にしているので、英語だとかえって違和感があったと思う。6月にDVDが出るので、その時に、日本語と英語の比較をしてみたい。音楽は「つぐない」でアカデミー作曲賞を受賞しているイタリア生まれのダリオ・マリアネッリ。三味線、尺八、琴などの和楽器を加えたフル・オーケストラの音楽が、ダークな色調の壮大なスケール感を感じさせる。三味線が出てくると、外国人の考えた邦楽みたいなところが感じられ、すこしちゃらい。和楽器の中では尺八がオケと一番しっくりくる。エンドロールでの浮世絵風のバックも洒落ている。全体として日本人が作ればもう少し透明感が出たと思うが、アメリカ人の作った日本の昔話としては、少し暑苦しい部分があるにしても、よくできていると思う。特に灯篭流しのシーンは実に美しかった。公式サイトメイキング映像他にもいろいろアップされている。
2018年02月24日
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予告編を観て面白そうなので観に行った映画。フィニアス・テイラー・バーナムの半生を描いたミュージカル映画。予備知識はまったくなかったのだが、観ているうちに、バーナム&ベリーのバーナムだと分かった。吹奏楽では定番のキングの有名なサーカス・マーチ「バーナムとベイリーのお気に入り」を知っていたことからの連想だ。キレキレのダンスとノリのいい歌が繰り広げられ、ウキウキしてくる。気がついたら足を踏みならしていた。がらがら(多分五人ぐらい)だったので、他人には迷惑はかかっていなかったはずだが、混んでいたら迷惑この上ない。ストーリーは実際の生涯と違うところが所々あるようだが、登場人物で重要な役どころは殆ど実在の人物。サーカスの出演者が大部分で、当然かも知れないが、キャラが立っていて、みんな生き生きとしている。最も強烈な印象を与えるのはレティ・ルッツ役のキアラ・セトル。たくましいあご髭をはやしたご婦人。実物はただの太ったおばさんなので、その落差が激しい。それがいったん口を開くと、ゴスペル風の強烈な歌声が響く。サーカス団の中ではもう一人、フィリップ・カーライル(ザック・エフロン)と恋仲になるブランコ乗りのアン・ウィーラー(ゼンディア)が印象に残った。引き締まって柔軟な肢体がサーカスのブランコ乗りに相応しい。スタントは使っていたのだろうか。彼女はシンガー・ソングライターでもありCDもリリースしている。ザック・エフロンとの「Rewrite The Stars」は甘いバラードだが、後半の盛り上がりはなかなかだ。主人公のヒュー・ジャックマンはミュージカル出身なので堂に入ったもので、貫禄十分の歌と演技だった。ただ、老け声なのはどうしようもないことだが、惜しい。バーナムと全米を興行するスウェーデンのオペラ歌手ジェニー・リンド(1820 - 1887)役は同郷のレベッカ・ファーガソン。リンドがバーナムと組むのは彼女オぺラを引退した翌年(1850)で、30歳の時。ファーガソンは今年で35歳なのでほぼ同じ年だが、アップだと少し年を取りすぎている感じがする。「Never Eunogh」という歌をフル・コーラス歌っていたが、それほどいい歌とは思わなかった。最初観てだれか分からなかったバーナムの奥さんのチャリティは「マンチェスター・バイ・ザ・シー」に出演していたミシェル・ウイリアムズで、役どころからいってそれほど印象には残らなかったが、歌も歌っていた。「Thightrope」という歌で、声が美しく、かなりうまいのには驚いた。物語りは、バーナムが子育てのため、興行から足を洗うところで終わる。これ以後バーナムは政界に進出してコネチカット州で活躍した。彼が立法したコネチカット州の避妊法は1965年まで有効だったそうだ。アメリカ人なら誰でも知っている人物だろうが、彼の後ろ暗い部分はあまり出てこない。まあ、一種の英雄譚なので、これでいいのだろう。この映画を見ると、バーナムという人物は、癖があるものの、先進的で、なかなか魅力的な人物であることが分かる。バーナムの生涯公式サイト
2018年02月21日
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今年度のアカデミー賞6部門でノミネートされている「スリー・ビルボード」を観る。原題は「Three Billboards Outside Ebbing, Missouri」(ミズーリ州エビングの外の3つの看板)大層評判がいいのだが、公開二日目の日曜日にもかかわらずあまり入りはよくない。内容は、娘をレイプで殺された母親ミルドレッドが、捜査の遅れに業を煮やして、実力行使に出るというお話。具体的にどういう行動に出るかは映画を見ていただきたいが、奇想天外な行動をとる、何ともパワフルな女性だ。ミステリー性もあり、後半に従ってどんどん面白くなるのだが、途中で終わってしまう感がある。いわば、途中で餌を取り上げられた、イヌの気分を味わっているみたいで、何とも残念だ。あとは観客の想像に任せるといったところだろうか。結構つじつまの合わないところもあるが、本筋には関係ないので、あえて深入りしないというところもある。キャストは一癖も二癖もある俳優をそろえていて、いかにもうさん臭いという感じだ。主人公ミルドレッド役のフランシス・マクドーマンドは、そこら辺にいる初老の主婦といった感じで、顔を見たとたん、当ブログが通っているスイミング・スクールのメンバーの顔を思い出してしまった。この映画はミルドレッドの静かな怒りから始まっているのだが、フィクションとはいえ、このようにアクティブというか破天荒な行動にでる女性はあまりいるとは思えない。彼女の行動が周囲を巻き込んでいく様子も、よく描かれている。警察の悩みもよく分かる。解決出来て当たり前の世界なので、其れが出来ない時にクレームをつけられてもどうしようもないこともあるのだ。当地のウィロビー警察署長(ウディ・ハレルソン)はいかつい顔で、あまりいい印象はない。ただ、いなくなった後でいい印象をも持たれるのは珍しいことで、文字通り役得だろう。悪徳警官ディクソンを演ずるサム・ロックウェルは適役だ。われわれの想像する典型的なアメリカの悪徳警察官を演じている。この役も、最後は観客の好感を呼ぶように変質していくところは、常套手段とはいえ、うまい脚本だ。ミルドレッドの別居している?夫チャーリー(ジョン・ホークス)の恋人ペネロープ役のサマラ・ウィーヴィングがいい。少し癖はあるものの、年寄りが多いなかでは、若々しさが際立っていた。ミズーリというアメリカ南部の田舎で、人種差別がいまだに色濃く残っていることを思わせる描写もある。ジャズの名盤「ミズーリの空高く」のイメージそのものの世界が広がっている。カーター・バーウェルの音楽はギターを中心にした静かなもので、南部の音楽の香も感じる。なお、冒頭で日本では「庭の千草」として有名な「夏の名残のばら」が前面に出てくるのは、少し唐突感がある。何故、アイルランド民謡が出てくるのかはよくわからないが、映画にあっていることは確かだ。キリ・テ・カナワの声に似ていると思って後で調べたら、ルネ・フレミングの歌だった。公式サイト
2018年02月10日
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原題「釜山行き」普段韓国映画は余程のことがない限り観ることがない。この映画で、その余程のことが起こったのは、本やネットでの評価が高かったからだ。それも激賞といってもいいほどだった。去年観ようと思っていたが、結局映画館に行くことはなかった。火曜日にTSUTAYAにいったら、この映画のブルー・レイがあったので、早速借りて観た。韓国の新幹線KTXの乗客にゾンビが紛れ込んだことから起きるパニックを描いている。ゾンビの弱点が世の中でどの様に定義されているかは知らないが、この映画では二つ弱点があることになっている。ゾンビがKTXに乗ることによって、その弱点が本来の弱点となる状況が発生し、映画のキーとなる。ゾンビが出る場所が新幹線にしたのか、弱点を最初に考えたのかは分からないが、この設定がツボにはまっている。中宮崇(サヨクウォッチャー)がIRONNAにあげた映画評には、韓国人の自己中ぶりを描いているという一節があった。なるほど、いわれてみれば、乗客である主人公もどこかの会社のお偉いさんも、その自己中ぶりが何回も描かれている。彼らと真逆な自己犠牲の塊の様な老婆も描かれている。成る程言われてみればそうなのだ。それがパニック状態になったから発揮されたのではないこともある。主人公にもそういう性向があることを描かれているということは、主人公が特殊な人間なのではなく、国民が一般的にそういう民族なのだろうと、少なくとも監督は考えているようだ。ツッコミどころもいろいろあるが、例えば軍隊がゾンビとはいえ素手の連中にやられるなんてありえないだろう。最後の方で涙するシーンがあり、其処で感動する観客が多かったらしいが、当ブログは特に感動しなかった。映画館で見るのと自宅でブルー・レイをみるのとの違いだろうか。殆どのシーンがKTXの車内。乗ったことがないので、興味深かった。座席は両側に2席づつだが、日本のようにおしゃれではない。前の座席との間隔は、日本の新幹線よりは広め。連結部に予備の椅子が出るようになっているが、あれの目的は何だろう。ホームが低いので、乗り降りはステップを出してやるようだ。電車の床とホームの高さが同じなのは、地下鉄を除いて、世界の中でもあまりないらしい。同じ高さにするには、車両をすべてステップのないものにする必要もあり、いろいろ難しいことがあるらしい。キャストは充実しているが、特によかったのはゾンビとの戦いで活躍するサンファ(マ・ドンソク)、主人公ソグ(コン・ユ)の娘スアン(キム・スアン)。それから自己中男ヨンソクを演じたキム・ウィソンは、人間のいやらしい側面を実に見事に演じていた。儒教の影響で上下関係が厳しい韓国では、調子に乗るやつは、上になるとこんな感じの人間になりやすいのだろうが、部下はたまったものではない。公式サイト
2018年01月25日
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ゴッホ(ダグラス・ブース)が親しくしていた郵便配達人ジョゼフ・ルーラン(クリス・オダウド 声 イッセー尾形)の息子アルマン(ダグラス・ブース 声 山田孝之)が、を知るために、パリの北西にあるオーヴェル村の関係者から話を聞くことによって自殺の真の原因を探るというサスペンスミステリー。先月篠山紀信の写真展に行った時に置いてあったチラシで、この映画のことを知った。先週は見に行けなかったのだが、幸いなことに二週目の上映が行われていたので、見ることが出来た。開場は盛岡の中劇。いつも映画を見に行くときには通る場所なのだが、行った記憶がない。あまり期待していなかったが、施設が比較的新しく、座席の間隔がゆったりしていて、とても快適だ。それに通路は昔ながらのスロープで、飲食可なのも点数が高い。ただ入り口から外の光が漏れるのが気になった。日曜日だったが、観客はせいぜい20人ほど。あまり知られていないのかもしれない。この映画は俳優の演技を撮影し、それを元に、総勢125名の画家がゴッホのタッチで1秒12コマ絵画描き、フィルムで撮影するという、大変手間のかかった映画だ。その甲斐があって、素晴らしいアニメ映画になった。12コマなので動きが荒いのはしょうがない。ただ、本来静止しているべきもの、例えば郵便配達人が話しているシーンで郵便局の帽子の「postes」(郵便局)という文字が動くのが気になる。モノクロのシーンが何回か出てくるが、風景は油絵にはしていないようだ。人物がアニメみたいに加工されているので、カラーのアニメの部分との違和感はない。最初観た時モノクロのシーンが実写とばかり思っていた。映像の殆ど全ての素材が、実際にゴッホによって描かれた絵画から抜き出されたものだ。人物は肖像画に描かれた人物に良く似た俳優が選ばれている。最期に実際の写真と映画に出てくるキャラクターが対比されている。これは、最後ではなく最初に見せた方が、観客の理解の助けになったと思う。公式サイトに、役に扮した俳優たちの写真、ゴッホの書いた肖像画、俳優たちをゴッホ風に描いた絵の3つが対比されていて、違いがよくわかる。これを見ると、ゴッホの描いた人物ではなく、俳優を元にした絵を使って正解だったと思う。ゴッホの絵のそのものが動く映画であれば、人物にあまり魅力がないので、あまり面白い映画にはならなかっただろう。風景や家などは実際の風景というよりは、ゴッホの印象だろう。実際の風景がゴッホの絵のようだったら、息苦しくなってしまう。「ローヌ川の星降る夜」や「カラスのいる麦畑」など有名な油絵がそのまま映画の風景に使われていて、其処で人間が動いているのを見ると、観客が映画の中に入りこんで観ているような不思議な感覚に襲われる。ゴッホの自殺は他殺という意見も映画の中で出てくるが、最後はうやむやになってしまうのは、少し物足りない。まあ、そこまで追求したらきりがないのだが、何故自殺に落ち着いたかは明らかにしてほしかった。それに聴く人によって自殺の顛末がまるで違っていたり、ゴッホの性格も穏やかだったり、変人だったりと材料がいろいろ出てくるのはいいのだが、最後のまとめがないのがミステリーとしては消化不良だ。キャラクターでは主人公のアルマン、ゴッホが止まっていた宿の娘アドリアーヌ・ラヴー(エレノア・トムリンソン)、ガシェ医師(ジェローム・フリン)の家の使用人ルイーズ・シュヴァリエ(ヘレン・マックロリー)が印象的だった。日本語吹き替えで、観る前は少し不満があったが、吹替でも満足だった。やはり日本人の吹替えはうまい。知らなかったとはいえゴッホが28歳から絵を始めたということは、人間は年に関係なく何かを初めて、その分野で才能を発揮できることもあるということも知らされた。最近の話題だと遠野出身の女性が63歳のデビュー作で芥川賞を受賞したということ出来事もあった。ところで、映画では10年間に描いた絵画800点のうち売れたのは1点だけと出てくるが、最近の研究だと数点売れていたらしい。出典:HUFFPOST 2015.10.15公式サイト
2018年01月17日
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予告編を見て、面白そうなので見に行った映画。山崎貴監督の西岸良平原作のコミックの実写化。コミックは見たことがないが、永遠の愛とはこういうことを言うんだ、と教えられた気がした。それがタイトルのdestiny(運命)に示されている。キャストが豪華。主役の作家一色正和夫婦(堺雅人、高畑充希)、編集者に堤真一などが出演。主役たちの心のこもった演技、特に高畑充希の純真な演技に打たれた。気恥ずかしくなるようなセリフがたくさん出てくるが、衒いな無く演技できる俳優はそれほどいるとは思えない。そういう意味で適役だろう。脇は主役級の方々が投入されているが、かなり贅沢な使い方だ。貧乏神の田中泯、死神の安藤サクラ、お手伝いの中村玉緒が印象深い。堤真一の飄々とした演技も相変わらずうまい。この中では、特に安藤サクラの起用がはまっている。イメージよりも少し痩せた感じだが、中性的な魅力があり、キャストを知らずに見ていたら、男と思ってしまった。また、かなりのお年のはずだが、若々しく、楚々とした吉行和子の演技が光っていた。セットは鎌倉の古い佇まいの雰囲気がよく出ていた。まるで1970年代の古き良き日本の風景を見ているようだった。作家の家の中など、かなり凝っている。妖怪どもがいたるところにウロウロしているのもなかなかシュールな風景で、とくに夜市の場面は素晴らしかった。圧巻は黄泉の国の風景。島々の上に何重にも重なって家が作られている。東南アジアあたりの集合住宅を思い出させる。調べて見たら、スケールはちがうが、セルタ ラルン・ガル・ゴンパというチベットの四万人あまりの僧侶が住んでいる家のイメージに近い。FSXの手が込んでいて、アメリカ映画に引けを取らないし、日本人らしい繊細さも感じられる。レトロ感満載だが、古臭いとは感じられない。ストーリーが面白く、最後まで飽きることもなかった。黄泉の国での天頭鬼(声 古田新太)一味との戦いはコミカルで、西岸の作風であるほのぼの感を逆に感じてしまった。音楽は佐藤直紀。オケ・メインの久石譲の音楽に似た甘くせつない音楽。普通の映画より音楽の主張が強い。メインテーマがファンタジーにふさわしい甘さと夢のある音楽で強い印象を与える。宇多田ヒカルの主題歌も良かった。spotifyでサントラがないかチェックしたがなかった。レンタルにも出ていなかった。しばらく様子をみたい。まだ新年が始まったばかりだが、いきなり秀作に巡り会えたのは幸先がいい。公式サイト
2018年01月10日
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9月に観た「ダンケルク」以来、久しぶりに映画を見に行った。「素晴らしき映画音楽たち」(原題「score」)というもので、内容を知り矢も楯もたまらず?観に行ってしまった。ハリウッドの映画音楽の作り方が、高名な作曲家や映画監督らのインタビューや作られる現場で記録された映像をもとに綴られたドキュメンタリー。映画音楽の歴史をたどり、エポック・メイキングな映画音楽に携わった方々のインタビューや、映画のワンでショットが次々に出てくる。冒頭のハリウッド・セレブが多く住む高級住宅街マリブにある野外のピアノの映像から度肝を抜かれる。山に何本も長いワイヤーが張られていて、野外に置かれたピアノの鍵盤を叩くと、ワイヤーに音が伝わって、エコーのように響くというものらしい。今回の上映は、ラヂオ盛岡音楽映画祭の上映作品の一つ。とにかくトリビア満載で、映画音楽が好きな方には堪らない内容だった。音楽で特に注目されたとは思えない映画が歴史上の重要な作品だったりする。初代の「キングコング」(マックス・スタイナー作曲)がオーケストラを用いた最初の作品であったり、ジェリー・ゴールドスミスが担当した「猿の惑星」がSF映画音楽史上最も重要な作品だったりする。この映画では沢山のステンレスの調理用ボールを逆さまして叩いている音が使われている。ことほどさように、このドキュメンタリーのいいところは、実際に使われているシーンを映してくれることで、観るものが納得する作りになっていることは大きい。たったの数秒間のシーンのために、映画会社や関係者への交渉など大変な労力がかかっていることを忘れてしまう。MTVが最初に放送したミュージックビデオはバグルスの「ラジオ・スターの悲劇」で、キーボードを担当したのはこの映画の主要登場人物の一人で、ダークナイトやパイレーツ・ オブ・カリビアンを作曲したハンス・ジマーだったというのも驚き。(カットの人物)当時は髪がふさふさでイケメンだった。現代はパソコンで作業することが多いらしく、いろいろなフレーズやサウンドなどのデータをため込んで、それを映画に合わせて出してくるような作業が中心のようだ。もちろん、生音を大切にする作曲家もいて、音のために楽器や道具を探すこともあり、ある作曲家の部屋は、珍しい楽器だらけだった。1番大きく取り上げられているのは、やはりジョン・ウイリアムズ。印象的なのは、ETのラッシュを流しながら、ウイリアムズがピアノでフレーズを弾いて、スピルバーグに感想を聞いている場面。作曲家にとっては、監督がOKを出さないとその音楽が世に出ないということを、観客に確認させるシーンだ。ウイリアムズの音楽でも、映画の評価と映画音楽の評価は異なり、ET,ジョーズの他にスーパマンやレイダースの音楽が高く評価されているのは意外な感じがした。スタジオでの録音風景でオケのメンバーがヘッドフォンやイヤホンをつけていたが、テンポのガイドや別録りがある時はその音源を音で出すのだそうだ。ここらへんの話は、「映画音楽太郎主義 サウンドトラックの舞台ウラ」に詳しいようだ。スタウォーズのジェダイの・エピソード6のセッション風景も映されていた。脳科学者が出てきて、眼球は意識的に動いているわけではないとか、脳波は音色や音程とリズムの受け取る場所が異なるという話も、興味深い。ということで、90分とそれほど長くはないが、内容ぎっしり詰まっていて、とても面白かった。出来れば書籍化して欲しいと思う。あまり入っていないと思ったら結構入っていた。やはり同好の士がいるのは、嬉しいものだ。映画音楽に興味のある方はもちろんのこと、映画好きな方には是非見ていただきたい。公式サイト
2017年11月15日
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アカデミー賞主演男優賞と脚本賞を受賞した「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を見る。日本では5月から公開されているが、盛岡ではほぼ二ヶ月遅れの公開。公開2日目で観客は20人ほど。まあ、じみな映画なので熱心な映画ファンが見に行ったというところだろうか。いつも利用している映画館での上映はなく、ルミエールでの上映。フォーラムだと、もう少し入りはよさそうなのだが、当ブログはルミエールと言うと心理的に引いてしまう。ここのいいところは、飲食OKなこと。他は昔ながらの映画館そのままで、観客席の傾斜も緩い。なので、前の観客の間から覗かないと字幕が見えないこともある。また、最初に明るい空が映し出された時に、スクリーンが汚れているのに気づき、それからずっと気になってしまった。おそらく全面汚れているようで、せっかくの美しい風景も台無しになってしまった。見る前マンチェスターはてっきりイギリスのことかと思っていた。主人公はボストンにいるし、会話の中で車で一時間半で着くと言っていたので、そこで初めてアメリカンの都市であることを理解した。ブログを書くにあたって調べていたら、映画のタイトルのバイ・ザ・シーは形容詞ではなく、ニューハンプシャー州ヒルズボロ郡にある「マンチェスター」と区別をするために1989年に今の地名に変えたそうだ。映画のマンチェスターは「マサチューセッツ州エセックス郡ケープアン(英語版)に位置する町である。景色のいい浜辺や景勝地で知られる。2010年のアメリカ合衆国国勢調査によると人口は5,136人だった」(WIKI)ほかにもロンドンデリーのようにイギリスの地名をつけた都市があるよう だ。ちょっと複雑な関係で、アメリカ人なら自明のことだが、他の国の人ならすぐには分からない気がする。あらすじは父親のジョー・チャンドラー(カイル・チャンドラー)が心臓病で亡くなり、ジョーの弟リー(ケーシー・アフレック)が残された息子パトリック(ルーカス・ヘッジズ)の後見人に指名されていたことから起こる出来事を淡々と綴ったストーリー。まあ、普通に起こることなのだが、ちょっと普通でないのは、兄は離婚していて、母親は別の男と暮らしている。リーも、不幸な出来事から妻と離婚している、という設定。リーとパトリックの後見人をめぐる争いはよくある話だろうが、後見人は自分の利益になることはなく、なかなかつらい仕事だ。後見人を持った子供にしてもつらいことだろう。終始重苦しい中に、酒を飲んで騒ぐ大人たちやバンドの練習、パトリックが女友達とじゃれあうシーン、ボートを操縦するシーンなどが入っていて、飽きのこないストーリーになっていた。キャストでは、主人公よりも、別れた妻ランディ(ミシェル・ウイリアムズ)と甥のパトリック(ルーカス・ヘッジス)が印象深かった。偶然リーと出会った元妻が、リーに許しを請うシーンでの迫真的な演技は素晴らしかった。また、ルーカス・ヘッジスの自然体の演技を見ていたら、自分の子どもの振る舞いを思い出した。国を問わず今時の子供はこういう感じなのだろう。ケーシー・アフレックは少し斜に構えたところが役にぴったり。また酔っ払うと突然切れて殴りかかるシーンはなかなかリアルだった。当初プロデューサーであるマット・デイモンが主役を演じる予定になってたが、アフレックに変わったことが却って良かったような気がする。デイモンだと正面から向き合う感じの人物像になって、出来上がりがだいぶ違っていたと思う。ほかには「キャロル」で印象に残っていたジョー役のカイル・チャンドラーがここでもかっこいい。レスリー・バーバーの音楽はシンプルであまり表に出てこないが悪くない。ア・カペラの「Floating 149 A Cappella」がいい。挿入歌やバックで流れる音楽も趣味がいい。特に、ジ・インク・スポッツとエラ・フィッツジェラルドによる「I’M BEGINNING TO SEE THE LIGHT」やメサイヤからの「主は羊飼いのようにその群れを養い」は印象深かった。今週の金曜日までなので、ごご興味のある方はルミエールへ急げ!! 公式サイト
2017年08月07日
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講談社のイブニング連載の「犬屋敷」が発売されたばかりの16号で完結した。以前も書いたことがあるはずだが、途方もないスケールで毎回楽しみにしていた。初老でうだつの上がらないサラリーマン犬屋敷壱郎が、UFOの墜落に巻き込まれて、サイボーグになる。同じようにサイボーグになり無差別殺人を続ける獅子神に殺された人たちを人間を生き返らせる。最後に地球を救うために力を合わせるというストーリーだ。犬屋敷は獅子神と対決して勝つが、最後は巨大な隕石により滅亡の危機に瀕した地球を、自らの命を捨てて守るという物語だ。最終回を見終わって、少し脱力感と寂しさがあった。ところが、次のページにテレビアニメ化の話や、来年実写化される話が載っている。アニメは10月にフジのノイタミナの枠で放映されるとのこと。また、実写は佐藤健の獅子神皓、木梨憲武の犬屋敷、二階堂ふみの渡辺しおんなどのキャストだ。アニメの犬屋敷のデザインは原作とは微妙に違っているのが不満。獅子神は原作とほぼ同じイメージだ。私の好きな犬屋敷の飼い犬もほぼ原作通り。映画ではその途方もないスケール感が表現されることを期待している。ストーリーのどこまで描かれているかわからないが、飛行機の墜落のシーンまでであれば、映像的にもとても面白くなると思う。心配なのは主役の木梨だけだ。いい意味で裏切ってほしい。TVアニメ公式サイト
2017年07月28日
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メル・ギブソン監督の「ハクソー・リッジ」を観る。公開2日目の二回目の回での鑑賞。内容が内容だけに当然の結果かもしれないが,入りはあまり良くない。1945年5月に行われた沖縄のハクソー・リッジでの戦いに衛生兵として参加したデズモンド・ドスの活躍を描いた実話だそうだ。ちなみに「ハクソー・リッジ」(弓鋸の崖)という呼び名は、沖縄の浦添城址の南東にある「前田高地」の日本軍陣地の北側が急峻な崖地となっていることから、アメリカ軍が付けた名前だそうだ。出典:wiki前田高地は日本軍第二線主陣地帯の核心にあたる地区で、首里地区防衛に関して特に重要な地位を占めていた。 米軍にとっても、眼前にそびえる絶壁の前田高地を奪取することが、首里攻略そして日本本土への進攻の第一歩として位置づけられ、日米両軍にとって沖縄戦の成否をかけた一戦となった。戦いの詳細はこちらに詳しい。この激しい戦いの中、デズモンドは良心的戦争拒否者として、負傷兵の救護に当たる。彼は、武器を一切持たないで、戦闘に参加するというありえない状況だ。1日の戦闘が終わった後、彼は心に聞こえてくる声に従って、信じられない行動を起こす。彼はこの行為により、のちに良心的兵役拒否者として初めて名誉勲章が与えられている。映画は前半はデズモンドが良心的兵役拒否者として軍隊で衛生兵になるまで、後半は主に戦闘のシーンだ。後半の戦いがメインなのだが、凄まじくリアルなシーンが続く。PG12指定だが、子供は勿論のこと、大人でも気が弱い方はトラウマになってしまうかもしれないので、見るのは注意が必要だ。日本軍の兵隊などに見られるような、綿密な時代考証も感じられる。史実をありのままを表現しようとしている監督の姿勢に共感を覚える。装備だけでなく、銃撃戦での鉄砲の音やヘルメットに銃弾が当たった時の安っぽ音など音にも凝っている。ただ、日本兵の殆どがヘルメットを被っていないのは疑問だ。キャストは充実している。主人公もデズモンド役のアンドリュー・ガーフィールド はもう少し引き締まった表情が欲しいが、演技は文句なく素晴らしい。デズモンドの妻ドロシー(テリーサ・パーマー )は昔風の凄い美人だが、当時の雰囲気にマッチしている。軍隊のメンバーも、デズモンドが配属された部隊のグローヴァー大尉(サム・ワーシントン)、厳しい上官のハウエル軍曹(ヴィンス・ヴォーン)など芸達者が揃っている。厳しい戦いの中、普段見せることのないパウエル軍曹の男気など、戦場という異常な状態での精神のなせる技だろうか。其れにしても信仰とはいえ、デズモンドの行動を観ていたら涙が出てきた。映画の最後で、デズモンドや関係者のインタビューなどが映し出されていた。実物のデズモンドは痩せていて、奥さんの方がふっくらとしていた。映画では逆だったので意外だった。この映画はアカデミー賞で録音賞と編集賞の2部門での受賞にとどまったが、当ブログとしては作品賞がふさわしかったような気がする。審査員たちが人種差別反対勢力に忖度?した結果だったろうか。どの国でも左巻きは優勢なのだろうか。公式サイト
2017年06月25日
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大ヒット中の「美女と野獣」を観る。ミュージカルなので字幕での鑑賞。この題材は何回も映画化されている。近年もレア・セドゥの主演で映画化されたばかりだ。それくらい魅力的な題材なのだろう。ディスニーのアニメ版(1991)はリアルタイムで観た覚えがある。ベル役のエマ・ワトソンの演技は悪くはない。歌は練習したのだろうが、呼吸が浅く口先で歌っている様に聞こえるが、許容範囲以内。勿論、他のキャストの素晴らしい歌並みであれば、さらに感銘が深かったと思うが、舞台でやって映画化というステップではないので、そこまで要求するのは酷だろう。音楽はアニメと同じアラン・メンケンなので、アニメの有名なナンバーは網羅されていると思う。個人的には「BELLE」( 邦題 朝の風景)が最も好きなナンバーで、この歌のワクワク感はこの映画でも出ていた。野獣(ダン・スティーヴンス)のナンバー 「ひそかな夢」は特異な声質もあり、なかなか印象的な仕上がりになった。アニメでの野獣のセリフは今回のようににおおくはなかった記憶がある。敵役のガストン(ルーク・エヴァンス)の粗野で性格の悪さがよく出ている。歌もうまい。狂言回し的な役割のル・フウ(ジョシュ・ギャッド)のガストンとのやり取りも軽妙だ。ポット夫人(エマ・トンプソン)やマダム・ド・ガルドローブ(オードラ・マクドナルド)の歌もうまい。彼女らのうまさは、多分にベルが引き立て役になっていたからだろうが、皮肉な結果になってしまった。今回は野獣の表情からして人間に近いし、観る方も、感情移入がしやすいと思う。魔法で家具や雑貨に変えられてしまった家来たちの演技も素晴らしい。ウイットに飛んでいて、映画の成功も彼らの貢献は無視できない。映像は素晴らしい。魔法がかけられ散る状態では、寒々としたお城の周りの風景に対し、城の中の、暗めではあるがシックで暖色系の色彩が素晴らしい。室内は全部がセットではないと思うのだが、本物とCGの区別がつかない。アラン・メンケンの音楽はアニメの音楽が中心で、新たに3曲が付け加えられているが、新曲で印象に残った曲は野獣の歌以外なかった。エンドロールのアリアナ・グランデとジョン・レジェンドのデュエットは例によってさっさと帰ったので聞かずじまい。サウンド・トラックを買おうと思っているので、そちらでじっくり聞くことにしたい。気になったのはオケの金管がいかにもスタジオ・ミュージシャンの音みたいなべたなサウンドだったこと。クラシックの交響楽団が演奏すれば、全く違ったサウンドになっていたと思うと、惜しい。念のためアニメをチェックしようと思って手持ちのLD(古!)を見た。今見ても全く古さを感じさせない映画で、歌に関してはアニメの方が優れている。ミュージカルらしい楽しさも、アニメ方が上だったった。さすがにアカデミー作品賞にノミネートされただけのことはある。特にベルの声(ペイジ・オハラ)が良く、「Bell」も昔のイメージ通りだった。映像はさすがにぼけていたので、DVDかBDでもう一度見たいと思う。公式サイト
2017年05月24日
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