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最小の努力で結果を出す超合格法 モラルハラスメント被害者同盟のサイトで拙著「超合格法」をご紹介いただきました。http://www.geocities.jp/moraharadoumei/ 一見無関係なように見えますが、関係が大ありなのです。モラハラ被害を受けても離婚に踏み切れずにどんどん心を蝕まれていく原因の多くは、離婚後の収入不安が高いためです。特に、小さなお子さんのいるお母さんにとっては深刻な問題です。しかし、最近では独立できる資格(司法書士、行政書士、税理士など)だけでなく、就職に有利な資格や検定がたくさんあり、それらを持っていれば自活の道も十分可能です。現に、私の知人は離婚後有資格者となってバリバリ働いています。このように、とにもかくにも試験に合格するためには拙著の目的である「試験当日に合格最低点以上の答案を適式に提出する」だけでいいのです。横道にそれずに最短距離を辿れば、目的の試験に必ず合格できます。 書店の受験コーナーに足を運ぶと「大逆転できる」とか「偏差値30から」とかいうネーミングの書籍がたくさん出ていますが、それらの本には具体的な「やり方」があまり書かれていないように私には感じました。そこで、本書では、具体的な方法についてどのような試験でも通用するように記載しています。PCが苦手でも有資格者になれば働きながら教わることができます。モラハラ配偶者とサヨナラして、人生をやり直してもらえる一助となれば幸いです。
2010.10.31
私たち現代人は、毎日ゲップが出るような情報洪水にさらされています。そのような「情報洪水」の中で、どのようにして「有意義な情報」(私的であろうとビジネスであろうと)を逃さない簡単な技術をご説明したいと思います。とても簡単な方法なのです。その方法とは、「発信者」と「情報」を切り離すということです。 現代人の、いえ人間の9割以上の人たちがそれをできないのです。例えば、あなたが民主党の小沢氏が大嫌いだとすると、小沢氏の発言も嫌いになってしまい、いかにその発言が素晴らしいものであっても否定してしまう傾向があるという例を出せばわかりやすいでしょう(小沢氏に対し失礼をば)随分前ですが、飲酒運転事故が多発したときに、某消費者金融会社が従業員に「飲酒運転はしません」という誓約書を書かせたことを受け、「いいことはいいこととして認めよう」と本ブログで私が書きました。その後、無料相談を業務妨害と感じる同業者の「荒らし」が増えたため、本ブログのコメントは閉鎖しましたが、その当時の読者のコメントは「社会受けするための目的だ」「消費者金融じゃあ信用できない」・・・という否定的な意見で満載でした。もし、発信者がユニクロでやセブンアイホールディングズ、はたまた社会貢献NPOであれば、構成員に「飲酒運転はしません」という誓約書を書かせたとしたら、おそらく反応は全く異なっていたことでしょう。 情報の発信者と情報内容を別にするのは、思うほど簡単なことではありません。私にしたところで、どうしても嫌いな人間が数人います。彼ら、彼女らから発信された情報は、生理的に受け付けないことがあります。生理的に受け付けないのを無理することはありませんが、マスメディアで悪玉扱いされているけど一度も会ったことのない人であればそのような拒否感は払拭できるはずです。発信源と情報内容を区別して、情報内容だけをしっかり吟味する癖をつけてしまえば、あなたの情報収集力は飛躍的に強力になるはずです。一度試してみて下さい。
2010.10.29
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英語は机で勉強するな! ご存じ、カリスマ英語教師の安河内哲也先生の英語トレーニング本です。この本の素晴らしいところは、税抜き1300円の比較的薄手の本の中に「これでもか!」というくらい英語学習に使えるメニューが解説されていることです。社会人でも学生でも、どれほど少なく見積もっても本書にあるメソッドの5個くらいは使えるくらいの豊富さで、それも先生ご自身が試しておられます。拙著「超合格法」で述べた「キンドル学習法」や「DVD学習法」も形を変えて紹介されていたのには恐れ入りました。さすが英語の達人ですね。本書は1冊持っていて絶対にモト以上が取れる本です。英語を勉強する気が全くない人を除いては・・・(^^;)
2010.10.27
かねてより、和田秀樹先生が指摘していたことですが、日本では「教授」というアガリのポストに就いてしまうとそのまま身分保障がなされてしまい、そのような制度が大学教育を低下させているという事実があります。私が学生だった頃、東大出版会ではたくさんの講義録が売られていました。某講座の講義を聴いていると、斜め前の学生が隣の学生に「次は○○である」とささやくと、教授も同じように「○○である」と話すのです。驚いたことに「ここで冗談が入るぞ」とささやくと、教授は本当に冗談を話したのです。 彼の手元を見たら、出版会で販売していたその講座の講義録がありました。それ以来、その教授は「自分の講義の講義録を買って棒読みしているのではないか」という実に真実み溢れる噂が流れたものです。 アメリカの有名大学では、日本の学者と違って学生に対する教育成果が教員の評価の半分くらいを占め、著名なテキストを出版すると大きな業績になるそうです。経済学のサミュエルソン教授、スティングリッツ教授、マンキュー教授らは、いずれも世界的に広く使われているテキストを執筆しています。学術論文ばかりで評価する日本とは大違いです。また、アメリカでは評価が下がると教授といえどもリストラされてしまいます。今をときめくサンデル教授などは、教育成果という面でダントツの存在なのでしょうね。 それに比べ、最近かなり改善されたとはいえ、日本の大学の授業の質(理解させようとする努力も含めれば)は、お粗末極まりないのではないでしょうか?自分たちの講義がお粗末であるがために、学生たちが余計な金銭負担をしてまで資格試験予備校に通うと、詭弁ばかりを弄して予備校を悪者にする始末です。学生やその親たちだって大学の教育がしっかりしていれば、わざわざ予備校に通ったりはしません。もっと素直に現実を把握して、予備校の講座に負けないような講義をするのが筋ではないでしょうか? そのためには、やはり「アガリ廃止」と「教育力評価」を導入すべでしょう。可処分所得が減少している昨今、大学に通うこと、通わせることは決して楽なことではないのです。心ある教員のみなさまの奮起を期待したいと思っています。
2010.10.26
この度、司法修習生の給費制が廃止され貸与制になることが事実上確定しました。しかし、その理由が「司法改革の流れに逆行する」というのが、私にはよく理解できません。少なくとも法曹人口の多様化、質の向上という面においては「司法改革」は大失敗だったのではないでしょうか。弁護士数を増やして社会の多くの分野に弁護士資格を持った人材を、過疎地にも弁護士を、というのが司法改革の理念だと朝日新聞で青山先生が書いておられました(少なくとも私はそう理解しました)。しかし、現実の企業や役所では弁護士受け入れに積極的ではありませんし、過疎地は司法界改革が始まる前から「ゼロ、ワン」地域といって地方弁護士会会員が定期的に赴いたり公設事務所も作られておりました。ロースクールも「プロセス重視」といいながら、肝心の学生は司法試験対策にいそしみ、ロースクールの評価も司法試験合格率でなされています。つまり、「プロセス重視」が機能していないということが明白になっているのです。 司法修習を有料にするなら、ロースクールも廃止するのが平等な措置でありましょう。と同時に、有料にする以上、専業義務を外すべきではないでしょうか?私たちが司法修習生だったころは「有料でもいいからアルバイトを解禁して欲しい」という声の方が大きかったと記憶しています。実務収集先の実務家の方々からは「修習生の給料だけでは生活できないから実家から仕送りをしもらっている人が多いと思うけど・・・」と同情され、仕送りを受けていなかった私を含めた同期の連中は返す言葉がありませんでした。 私は、銀行、証券業界を経て司法試験に挑戦しましたが、今のような制度では「絶対に」チャレンジできません。ロースクールの学費は払えないし、それに修習中のささやかな生活費を後で返還するなんて不可能です。司法改革推進派の方々は、奨学金の充実したアメリカとの区別ができていないのではないかと思ってしまいます。余談ながら、司法改革の旗頭であった憲法のS先生は、卒業後銀行に入られ、その後研究室に戻られたという話を聴きました(つまり、旧司法試験には合格していないのでは)。自分を否定した制度を悪い精度だとみなして変えてしまおうという意図がほんの少しでもあったとしたら、大変遺憾なことと言わざるを得ません。
2010.10.23
中間試験中の娘に代わって久々に大きな書店に行きました。うわ!と思ったのが、10年くらい前に流行った「日本国破産」やら「預金封鎖」やらがヤマのように積まれていたことです。阿漕なものになると、自分の持っているであろう通貨やら金融商品を勧めている書籍です。本を真に受けて多くの人たちが同じ行動を取れば、当然のことながら著者の持っている金融商品などは値上がりします。高値で売り抜けたとしたら、法律には反しませんが著者道徳には著しく反するでしょう。内容をザッと見ても、10年前に流行ったものと骨格がほとんど同じなのにも驚くばかりです。 現実に目を向けてみると、日本銀行の発行している円という通貨が一番人気。まだしも、10年前の書籍の方が良心的だったような気がしないでもありません。
2010.10.22
最近、弁護士費用で揉めるケースが増えているそうです。かつては、日弁連が弁護士費用についてのガイドラインを定めていましたが、それが撤廃されたことがひとつ目の原因、弁護士費用ガイドラインのある時代を知らない弁護士が増えたのが二つ目の原因ではないかと思っています。 「着手金」「報酬」制度での一般論を以下に書いてみます。1 着手金は弁護士が案件に着手したら基本的に返還を求めることはできません。弁護士の都合で事件を降りたときは、概ねそれまでの労力と成果を斟酌して一部返還することが多いようです。2 報酬は、原則として勝訴、和解、その他、法律上の維持や変更が確定したときに支払うべき金額で、調停不成立や取り下げの場合は支払う義務はありません。3 日当、旅費は、事務所所在地の最寄り裁判所に弁護士が通う場合は不要と考えるのが一般的です(交通費などの実費は必要な場合があります)。4 係属案件についての打ち合わせに相談料を請求する弁護士もいるようですが、通常は不要と考えるべきでしょう。5 広告などで「相談無料」とか「着手金30万円以下」とか書かれている場合は、それ以上請求されても支払う必要はありません。 弁護士費用は案件の困難さなどを斟酌して弁護士が提示します。不満があれば素直にその場で断るべきですし、断ったからといって報復をされることはありません(そんなことをしたら懲戒処分になります)。私は、最初に弁護委任契約(1枚の簡単な内容ですが項目や金額は合意した金額をきちんと記入しました)を必ず依頼人に交付していました。弁護士のみなさんも、一度ヒナ型を作成すれば何度も使えますので、トラブルにならないよう弁護委任契約書をその都度交わしてはいかがでしょう?
2010.10.19
かの有名な書評ブログ「マインドマップ的読書感想文」で拙著「超合格法」を取り上げていただきました。http://smoothfoxxx.livedoor.biz/archives/51869833.htmlsmoothさま、本当にありがとうございます!
2010.10.18
私は常々ポジションが人をつくると考えています。サラリーマンであれば、課長というポジションが与えられれば次第に課長としての能力が発揮できるようになり(残念ながら発揮できない人もいますが)、部長になれば部長としての、社長になれば社長としての能力が次第に備わってきて実力が発揮できるようになるというものです。当事者でない「外野」である間は、「それならあなたやってみろ」といわれていきなりポジションを与えられても右往左往するだけだと思います。野球も、解説者がしゃべるとおりにやればいいのであれば監督は必要ありません。ラジオを置いておいて、解説者がしゃべったとおりにサインを出す人がいればいいだけです。 これは、自由業にもあてはまることで、法廷に出たことのない学者の先生は訴状すら書けないでしょうし、どれだけ税務知識に詳しい人でも税務調査の立ち会いとして税理士の先生方と同じようにできる人はいないでしょう。 そして、それなりの業績を残した方々の回顧録などを読んでいますと「偶然、○○のポストが空いたため私が就任した。それが私の転機だった」という表現を頻繁に目にします。アメリカでは投資銀行や著名ビッグファームに入るために高学歴が要求されています。人種、性別、信条などでの差別が禁じられていることもありますが、多民族国家アメリカでは価値観の異なる人たちだらけで、学歴という客観的尺度を用いざるを得ないのです。日本でも、社内公用語を英語にして、上級管理職になるための条件としてTOEICの一定以上の点数獲得を条件としている楽天のような会社がこれから増えてくるでしょう。なぜなら、外国人の新卒社員を採用したり外資系企業が増加すると同時に、日本人自体の価値観が多様化しているからです。出世はそこそこでいいから転勤したくないという人もいれば、世界のどこへでも行くから大きな仕事をさせて欲しいという「働き方に対する多様性」が既に出ています。生活面での多様性、価値観の多様性、その他、人の能力を従来のように「やる気」や「組織への忠誠心」では測れなくなってきているのです。すると、どこの世界でも客観的尺度が重視されるようになり、それをクリアしないと成長できるポジションに就けなくなってしまいます。多様な社会経験をもち弁護士になればとても活躍できる人材を、新司法試験3回のハードルで道を閉ざしているのも顕著な例です。 拙著「超合格法」は、そのような本人にとっても社会にとっても損失となる事態を極力避けるべく、要領よくハードルを飛び越えることに主眼を置きました。 業績を残した人の多くはポジションで育てられポジションによって活躍できたのです。ハードルを課すことがやむを得ないなら、ハードルを軽く越える方法論があってもいいのではないでしょうか?
2010.10.16
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【予約】 超合格法 16日発売の拙著「超合格法」です。大型書店店頭では、明日にも並ぶところがあると思います。少ない労力で合格できる方法論を凝縮した自信作です。何卒よろしくお願い申し上げます。
2010.10.14
最近、各国が自国通貨安を容認もしくは誘導して輸出企業を助けようとする”通貨戦争”が起こっていると言われています。事実上は、中国人民元安に対する世界各国からの不満が噴出していると考えるのが一般的です。 しかし、中国は早々に人民元を切上げられない事情があり、しかもお国の威信を守るためか、ホンネを世界各国に発信していません。中国の金融は人知国家的で、融資先の資産や成長力、返済能力を度外視して人間関係で融資の可否を決めているそうです。つまり、これが俗に言う「中国の不良債権問題」です。好調な輸出で資金が市中で回転している間は不良債権問題は表面化しませんが、この好循環というか自転車操業が止まってしまうと、とたんに不良債権問題が大きくのしかかってきます。 早い話、「人民元を切上げろと言うのなら切上げてみようか!そうなると中国の不良債権問題が顕在化し、第二のリーマンショックになるぞ!」と、中国は開き直れるわけです。もちろん、プライドの高い中国ですから大きな声でそのようなことは言わないでしょうが、水面下で欧米諸国が中国を脅せばこのような回答がかえってくる可能性はあるでしょう。 つまり、中国以外の諸国としては、ソフトランディングできるように「さじ加減」を調整しながら人民元をじっくり切上げていかないと、とんでもないことになってしまうのです。アメリカ国債を大量に保有し、ギリシャ国債も、日本国債も保有している中国。 それを考えると、ノーインカム、ノーアセット、ノージョブ(収入も資産も仕事もない)人に、住宅価格の上昇期待だけで融資をしたアメリカ、人的関係で融資をしている中国、これが世界第一と第二の経済大国だというのは、世界的悲劇と言っても言い過ぎではないのではないでしょうか。
2010.10.13
ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の授業が東大で行われた様子がテレビで紹介されました。なんだか、賞賛の声ばかり上がっていることに老婆心ながら危機感を持ちましたので、敢て批判的意見を述べてみたいと思います。全てを見たわけではないので、印象に残っている部分だけでお許し下さい。 まず、イチローの年俸とオバマ大統領の年俸を比較して、イチローの方が高いということについての疑問を投げかけています。これに関する教授の誘導しようとする考え方は、私が見落としたのか例によって問題点の提示だけに終わったのかわかりませんが、このような疑問自体がナンセンスでしょう。アメリカ合衆国大統領という名誉、影響力、さらには歴史に名を刻まれるかもしれないという精神的な満足感を金銭で換算すれば天文学的数字になるのではないでしょうか。おそらく、どれだけお金を払ってもかまわないからアメリカ合衆国大統領になりたいと願っている大富豪はたくさんいることでしょう。それに比べ、高年俸のスポーツ選手は、一部例外はあるものの、引退したら次第に忘れ去られてしまいます。中田英寿選手が好例でしょう。要するに、お金というものは十分不自由のない生活を送っていけるだけあれば、それ以上はありがたみのないものなのです。かつての女子テニスの女王、シュテフィ・グラフはポルシェを何台も持っているそうです。これは、車などの物(ブツ)は買ったときが一番うれしく、次第に満足度が低下するという顕著な例でしょう。新車を買うときの喜びを得るために車を買う、しかし満足感は次第に薄れる、そこで新しい車を買う・・・・。体がひとつである以上、その瞬間に乗り回すことのできるのはたった一台にすぎないにかかわらず。 次に、コミュニタリアニズムの本領発揮というべきが昨日の放送でしょう。ひとつの共同体に属しているからといって、共同体の規範、すなわち掟に従うということに対する根本的な議論があまり見られませんでした(これも見落としかもしれません)。家族、国家、それぞれの共同体について、個人が関与していないことについて責任を負担するのは私は大反対です。日本人が海外旅行先のヨーロッパで一般市民を何十人か銃殺したとしましょう。私たちは、永遠に凶暴な同国民のために被害者に謝罪しなければならないのでしょうか? そもそも、近代社会は、拙著「13歳からの法学部入門」でも書いたように、それまで共同体として縛り付けられていた個人を解放するプロセスで進んできました。日本国憲法も「個人の尊厳」を最高の価値としています。これも同書で書きましたが、共同体の解体が個人に自由をもたらし、自由の苦しみに耐えられなくなった人たちが「自由からの逃走」を行ったことも事実です。確かに「自由からの逃走」はナチズムやカルト宗教の格好の餌食になりましたが、だからといって個人を共同体の規範でもう一度縛りなおすというのは本末転倒でしょう。江戸時代の「五人組」のような制度の復活を願う人がいないように・・・。 以上のように、あまりにも無批判で賛同する人たちが多かったがため、敢てサンドル批判をやってみました。もっとも、私はサンドル教授の授業の方法については並々ならぬ敬意を表しています。難しく抽象的な理論を、聴講者のとても身近な問題として問いかけ、聴講者に考えさせる方法はまさに芸術の域にまで達しています。主張や見解に対する批判は、決してそれを発した人物に対する批判ではありません。賛同者の多くが、サンドル教授の「身近な問題として考えさせる芸術的な授業手法」に拍手を送っているのであれば、本稿はまさに「余計なおせっかい」でありましょう(^^;)
2010.10.11
今日は10月10日。本来であれば、東京オリンピックの開会式が開かれた「体育の日」ですよね。私の頃の小学校では、何といっても「かけっこ」というか100メートル競走が一番火花が飛び散る種目でした。当時の私がいた小学校では、身長順にランダムに走者が決められていました。私は、器用なスポーツは苦手でしたが野蛮なスポーツ(走ったり、飛んだり)はかなり得意な方でした。ですから、小5までは徒競走はたいてい一着でした。小6の時でした。ランダムに組み合わされたライバルたちは、それまでの徒競走で栄冠に輝いてきた連中ばかり。今回はさすがに厳しいなあ・・・と思いながらスタートラインに立ったのを憶えています。スタート直後、私はうまく先頭に立てました。「よし、いける!」そう思ったものです。 なぜなら、私は「追い上げる」タイプで、抜かれたことは今までの人生で一度もなかったからです。50メートルあたりで、突然私はひっくり返りました。すぐ後ろを走っていた走者のつま先が私の足の裏にあたって、その弾みで転んでしまったのです。体勢を立て直して走り出し、ようやく一人だけ抜きましたが悔し涙がこぼれて止まりませんでした。先生の一人が「よくがんばったね」といわんばかりに肩を叩いてくれましたが、それさえ振り払って泣き崩れました。 今から考えればたわいもないことかもしれません。でも、一年に一度の徒競走、しかも小学校最後の徒競走で転んでしまったことは忘れられない想い出です。私はその時のことを思い出して「仕方ないや」と思うより、どんな理由があったにしろ思いっきり悔しがり、涙を浮かべまくった自分が今でも好きです。 ですから、何かに取り組む前に「できなかったときの言い訳」をとくとくと話す人がいると「わかりました。もう結構です」などと言ってしまい、イヤなヤツだと思われています^^;
2010.10.10
神戸で16歳の高校2年生の少年が殺害されました。何とも痛ましい事件で、心からご冥福をお祈りします。彼の最後の言葉は「逃げろ!」だったそうな。これは本当に勇気のいることだと思います。人間、誰しも、突然襲われたら、自分の身を守ることを最優先してしまうものでしょう。(それが「生存本能」というものです)ところが、彼は、一緒にいた女の子を助けるために必死の叫びを上げています。もしかしたら、犯人の狙いが女の子にあって、それを彼が命がけで防いだのかもしれません。いずれにせよ、彼の勇気にはただただ敬服するばかりです。 ところで犯人の方ですが、現時点の報道では面識のない小太りの男だったとのことで、プロファイリング的には、何らかの原因でムシャクシャして誰かに危害を加えようとして外をフラついていたところ、楽しそうな男女を見てカッとなった。もしくは、女の子に対して性的危害を加えようとしていたのかもしれません。犯行現場が住宅街だとすると、現場から徒歩圏内に住んでいる可能性が高いでしょう。返り血を浴びている可能性が極めて高く、衣類などが証拠として発見されるのも時間の問題となると、少しでも反省の情があるなら自首すべきであることは言うまでもありません。
2010.10.07
検事が証拠をねつ造。本来、このようなことは決してあってはならないことですが、現実問題として起こってしまいました。ハインリッヒの法則ではありませんが、一検事がこのような極めて大胆な犯行を犯すには、それなりの土壌があるのではないかと思っています。弁護人は警察や検察ら捜査機関の収集した証拠のうち、検事が公判に提出する証拠しか閲覧・謄写できません。今回のフロッピーディスクについても、もし公判に提出せずに済むものであれば「改ざん」されることなく闇に葬られていたと考えると背筋が寒くなります。唯一の救いは、内部告発で発覚したということでしょうか。正義感の強い検事たちによって、ようやく検察の自浄作用が働いたわけです。 よくよく考えれば、私の司法修習の1期上の42期では、検事になった人数は20人に満たなかったと記憶しています。また、ヤメ検の数が採用される新任検事の数を上回る「純減」状態が恒常化していました。それがきっかけで始まったのが司法改革。まさか、法科大学院や裁判員制度まで行き着くとは、当時の私たちには到底想像の出来ないことでした。人事も通常の企業などとは違って、関西方面なら関西方面ばかりを回って昇進していく人が多かったような気がします(本人の希望かもしれませんが)。今回問題となった前田検事は検察官不足の時代に採用された人物でしょう。だとすると、採用の際にはまさに「三顧の礼」で迎えられたのでしょうが、入庁してからの待遇ははたしてどのようなものだったのでしょうか・・・。
2010.10.04
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