全23件 (23件中 1-23件目)
1
「子供はわかってあげない」田島列島 講談社 映画を観て紐解いた(ちなみに作品は上白石萌歌の現時点の代表作品になり得る)。 映画の作風から想像して、前回読んだ「水は海に向かって流れる」と同じような、いい具合に削ったセリフと画で構成された、言いたいことをすっかり飲み込んだ漫画だとばかり思っていた。 2014年発行。この6年間に作者はセリフを削りに削ることを覚えたようだ。映画(沖田修一監督)はむしろ、「水は海にー」の映画パイロット版をつくったのかもしれない(次は「水は海にー」か!?)。原作の方はかなり饒舌だった。むしろギャグテイストが濃い。映画だから、「教祖、教団のお金持ち逃げ事件」「明とお爺さんの和解」を省略したり、その他ラスト3回分のエピソードは半分ぐらいに圧縮していた。その代わり、アニメ「魔法左官少女バッファローKOTEKO」のエピソードは思いっきり広げていて流石の映画だと思った。脚本家・ふじきみつ彦は覚えておこう。 閑話休題、漫画に話題を戻す。全2巻一気読み。 ギャグ漫画にありがちな、「笑って泣かせる」作品にしていない。かなりクールで、練られたネームだ。下の編集者の紹介文が、当時のマンガ編集部の興奮をよく表している。 内容紹介 (上巻)水泳×書道×アニオタ×新興宗教×超能力×父探し×夏休み=青春(?)。モーニング誌上で思わぬ超大好評を博した甘酸っぱすぎる新感覚ボーイミーツガール。センシティブでモラトリアム、マイペースな超新星・田島列島の初単行本。出会ったばかりの二人はお互いのことをまだ何も知らない。ああ、夏休み。 (下巻)あの時キミと出会わなかったら、こんなに素敵な夏にはならなかった。サクタさんともじくんのひと夏の青春お気楽サイキック宗教法人ハードボイルドボーイミーツガール、後半戦。イノセントでストレンジ、モーニング超期待の新星、田島列島の初単行本作品です。 (あとがき) 下巻において、作者は4ページのマンガのあとがきを描いていた。私と同じように「なんらかの理由をつけないとホントにやりたいことに手をつけることができない」病にかかっていると、私は観た。「趣味で長編を描いてみようと思い立った」と自分に言い聞かせ、「これは趣味なんだ、これは趣味なんだ」と、2ヶ月間引きこもってネーム全20話を書いたようだ。連載が決まっても、下絵を描くほどに下手になってゆく病にかかったようだ。もう、ほんとに彼女を同類相憐れむように観る私がいた。でも結局彼女は傑作を完成させて、映画化までされた。私は、「俺はいったい何やってんだ」と「ひとり自分を苛む」病にかかったのはいうまでもない。
2021年09月30日
コメント(0)
「アンブレイカブル」柳広司 角川書店 表題の意味は複雑だ。unbreakableは一般的には「壊せない」を意味する。しかし用法としては「壊すのが困難な(困難だが不可能ではない)」という使い方をするらしい。更に著者は最終行、ある人物の呟きを借りて「敗れざる者」と表現している。これは沢木孝太郎のルポの題名にもなったが「才能に恵まれながらも栄光をつかむことのできなかった」者たちという意味で使われたらしい。 だとしたら、小林多喜二や鶴彬、戦時下の「改造」や「中央公論社」の編集者たち、その他特高警察によって逮捕され、拷問や劣悪な環境で死んでいった千数百名の(三木清含む)「アカ」たちを、著者はそのように「顕彰」したかったのだろう。今更ながら。 小林多喜二を主人公にした小説は多数ある。特高による犠牲者の物語もよく聞く。しかし、川柳作家・鶴彬や特高による冤罪・横浜事件、哲学者・三木清に焦点が当てられた小説は初めて読んだ。四つの物語を通して出てくる、特高の「クロサキ」という人物を黒子として今回描いたのは、昭和の戦中の暗黒時代そのものだったと思う。副題をつけたならば、もっとわかりやすかった。「それだとあからさまです」と言って編集者が反対したのかもしれない。例えば‥‥「治安維持法物語」。うん、やっぱりダサい、止めた方がいい。 著者は前著「大平洋食堂」で近代日本社会主義の勃興期と大逆事件(1910年)前夜を描いた。本書で、そこから一挙に20年だけとんで、そして1945年までの15年間の最悪の時代を描いた。こう書くと、なんと短い間なのか。まるまる人の一生の半分の期間ではないか?日本の自由と民主主義は、そんなにも急速に悪化したというわけだ。 著者の問題意識は明らかだ。著者は岩波書店「図書9月号」に「アンブレイカブル」を引き合いに出してこう書いている。 ‥‥治安維持法の最大の問題点は、本法が変革を禁じる「国体」の概念が曖昧だったことだといわれる。曖昧な法律用語に現実が抵触しないようどうするのか、具体的な方策は現場の裁量に丸投げされた。「適当に処置せよ」というわけだ。上から「テキトーにショチせよ」と言われた現場はたまらない。何をどこまで取り締まるべきか?上の顔色を必要以上に窺う者が必ず出てきて、彼らはほぼ100%やり過ぎる。最近では佐川宣寿元理財局長がそうだ。(8p)‥‥ 過去のことじゃない。今この瞬間にも、この国のそこかしこで起きている事態だ。 治安維持法に唯一反対していた代議士・山宣が右翼に刺殺されたのも、当夜「たまたま」特高が山本宣治を尾行していなかったからだ。クロサキは殺したのは特高の指示ではないという。労働者の谷は嘯く。「現場の連中が勝手に忖度してやりすぎた。よくあることだべ」(54p) 「京大はじまって以来の秀才」三木清が治安維持法で捕まり、獄中死する運命を知りながら、クロサキは「どうせアカの連中だ。わざと殺したんじゃなけりゃ、どこからも文句は出ない。いつものことだ」とつぶやく。(261p) 三木清は終戦後1ヶ月以上経過した昭和20年9月26日、豊多摩刑務所拘置所内の劣悪な環境の中で死んでいるのを発見された。 2021年9月26日読了
2021年09月29日
コメント(4)
「名探偵は密航中」若竹七海 光文社カッパノベルズ 光文社文庫ではなく、カッパノベルズ版(2000年発行)について述べます。というのは、ここで書いておかないと編集者がせっかく寄せてくれた後ろ扉のステキな本書紹介文が、絶版になった万巻の書物の下に隠れて無くなってしまうだろうと思われるから。 この物語の主舞台になる日本郵船所属の客船・箱根丸は1921年(大正10年)、三菱長崎造船所で建造された。 船室は1等、2等、3等に分かれ、図書室や社交室、子供遊戯室まで用意されていた。また、熱帯地方を航海中には〈清鮮なる海水を湛えた一大遊泳槽を設け(「日本郵船渡欧案内」より)〉暑さに参った船客を癒したようだ。 オムニバス小説という形式で、箱根丸の魅力を存分に引き出した若竹七海。読者もページを開いて、昭和初期の欧州航路の船旅に乗り出してください。 カッパノベルズは、このように一見内容と関係ない文章がよく載るで好きです。私と趣味が合う(笑)。この1ヶ月半の船旅の最中に、詐欺、殺人、脱走、密航等々の非日常が、クローズドミステリとして描かれます。形式も、コージーからホラー、本格まで様々。登場人物は錯綜しているので、何度も読み返すことも可能。作者はかなり楽しんで書いている風です。旅はホント楽しい。非日常で、「発見」がそこら彼処にあるから。 でも感想を一言で言うと、 一度はしてみたい豪華客船の旅! ぐらい。 若竹七海年間10冊は読もうシリーズの6冊目。一応季節は昭和5年7月12日から8月31日(横浜→ロンドン)となっています。 まるきり内容とは関係ない話(^^;) 2000年発行の初版本を県立図書館で借りたのだけど、後ろにカード入れが残っていた。この時期に未だカード検索をやっていたのか?と、図書館沿革を調べてみたら、「平成11(1999年)年4月ホームページを立ち上げ蔵書検索システムを立ち上げ」とあった。おそらくこの時期は、カード検索と電子検索の併用の時期だったのだろう。カード検索の時代は昭和かと思っていたが、こんな最近なのだとびっくりした。あのカード検索専用の家具は、今はいったい何処に行ったのだろう。
2021年09月26日
コメント(0)
「ペンギンハイウェイ」森見登美彦 角川文庫電子版 ぼくはあまり頭はよくなかったけれども、小さいころからマイペースだった。だからこの作品中の小学四年生〈ぼく〉には少なからず共感をした。 ぼくの妹は最近になって「◯ちゃんはいつも気がついたら何処かへんな処に行ってしまって落ち着きがなかった」とのたまった。だから「◯ちゃんは隠れアスペルガーよ」と言った。そうじゃない。ぼくは「世界的な発見」をしている最中だったんだ。 ぼくはある日、人はみんな死ぬ、ってことに気がついた。隣のヒゲのおっちゃんがある日死んで小さな葬式があったので気がついたのである。ちょうど〈ぼく〉のように、そのことに気が付いたのは小学四年生の頃だったと思う。 〈ぼく〉のように、ノートに詳しくつけて「研究」することはしなかった。毎日うじうじ悩み、時々こわくなった。 〈ぼく〉は普通に突き詰めれば世界的な発見(不思議な異次元的な裂け目のこと)をたんたんと「研究」する。あたりまえかもしんない。その頃は「世界的な発見」はそこらかしこにあった。 〈ペンギン・ハイウェイ〉も〈世界の果ては折りたたまれて、世界の内側にもぐりこんでいる〉ってことも、〈お姉さんの顔がなぜ完璧に出来ているのか、なぜお姉さんのおっぱいが気になって仕方ないのか〉も、全て「世界的な発見」だ。きっとそうだ。ぼくもほんとうは「発見」していたのかもしれない。でも〈ぼく〉のように素早くノートにとる技術を持たなかったから、もう忘れているのかも。
2021年09月25日
コメント(0)
「銀河鉄道の夜」宮沢賢治原作 ますむらひろし・画 扶桑社文庫 ますむらひろしの「イーハトーブ乱入記」を読んで紐解いた。そこで出されたいくつかの問い「ケンタウル祭で川に流される烏瓜」「天気輪の柱とは何か」「三角標とは何か」「プリオシン海岸」「ボス」「ハレルヤではなくハルレヤと歌われたこと」「幻想第四次とはどんな世界なのか」「どこまでも行ける切符とはどんな切符だったのか」「プレシオスの鎖とは」等々‥‥を、確かめたかった。 ご存知のように「銀河鉄道の夜」は有名なわりには、不思議な言葉が散りばめられている。多くは明らかにはなったけど、原作自体が改稿中の未完成作品であり、まだ謎も多い賢治の代表作です。このマンガが発表された当時は解説する辞書などはなかったし、解明されていないことは多かった。マンガで画にする時には、これらの解釈を避けては通れない。このマンガで初めて画になったことはあまりにも多いのです。 迷ったけど、発表順に読んだ。つまり、第三次改稿の「ブルカニロ博士編」を読む前に第四次改稿を読んだ。第四次が約100頁、第三次が約200頁だから、情報量は倍化している。 ケンタウル祭で精霊流しのように流される烏瓜は、上だけ丸く掘られてそこに灯りを入れる仕組みに描かれていた(船の形ではない)。そうすると、烏瓜の灯りは星のように川を流れる。ますむらひろしさんは「ー乱入記」において、星座表と見比べながら原作の日付を8月15日、つまりお盆の日と結論つけている(ちなみに今年の旧暦の8月15日は9月21日でした)。やはり、妹としこのために書かれた物語だということが、そのことでもわかる。 第四次稿において「あの謎めいた天気輪の柱が、いつの間にか三角標の形に変化する」場面、実はますむらひろしさんはこの時(83年)に三角標の形をハッキリ意識していなかったので、灯台のような天気輪に木造の旗がつくような描写になっていた。第三次稿(85年)はまた違う表現になっていたが、今度は数頁に分けてジョパンニが銀河鉄道に乗る重要な場面を三角標を使いながら描いていた。ただ問題は第四次改稿には、その詳細な描写はないのだ。 銀河鉄道なのに、「がらんとした桔梗色の空」には星々はない。まるでアメリカの峡谷のようなプリオシン海岸を含む川の中に無数の星々がある。此処では明確に川が「天の川」になっている。これが「幻想四次元世界」のひとつの姿だった。川の周りでは、鳥を捕る人もいれば、トウモロコシもできるし、林檎さえできる。イーハトーブがそもそも幻想四次元世界なのかもしれない。 川では発掘調査もしていた。120万年前の地層から出てきた「ボス」という牛の先祖が、恐竜のように大きい。その形は「ブルカニロ博士篇」で初めて明らかにされる。 賢治はまるでキリスト教徒のように、銀河鉄道に乗った人々の様子を描き出す。けれども、賢治がキリスト教を信仰したわけではないのは、ジョバンニと沈没船に乗っていた家庭教師との論争を聴けばよく判る。賢治は正式にキリスト教と論争をするつもりはなかったから、彼らの歌を「ハルレヤ」と改変したのだろうか。 セロの声をした山高帽子を被った男の人が「おまえは、あのプレシオスの鎖を解かねばならない」とジョバンニにいう時、ますむらひろしさんはその先に北斗七星を見せた。これは一般にはない解釈である。ある人は旧約ヨブ紀の「プレアデスの鎖」のことで、それは「人間の手によっては解くことのできないものの象徴であるとされている」という人もいる。どちらにせよ、「北斗七星」が「解」そのものではないことは明らかである。 「どこまでも行ける切符」に書かれた「いちめんの黒い唐草模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したもの」も、やはり画になった。ますむらひろしさんは、まるでサンスクリット語崩しのような文字を描いている。 謎はこれだけではない。 それは、現在描き続けられている完成すれば600頁のオールカラーの大作「銀河鉄道の夜 四次稿編」にあるのだろう。いつかは読まねばならない。いい値段はするし、マンガは図書館には置かないようだから、買わなくてはいけない。いつかは決心せねば。マンガの画のわかりにくい説明をつらつらと書いてしまった、私の拙い書評を最後までお読みくださってありがとうございました。 2021年9月21日 88回目の賢治忌に記入
2021年09月23日
コメント(0)
「イーハートーブ乱入記 僕の宮沢賢治体験」ますむらひろし ちくま新書 ますむらひろしの宮沢賢治論ならば面白い。 ますむら・ひろし。1952年山形県米沢市生まれ。20歳の時に宮沢賢治を読み感激し、水俣問題に怒り、描き出したマンガ処女作が『霧にむせぶ夜』だった。「日本中の猫の代表たちの会議が、ますむらの田舎の米沢の河原で開かれ、人間たちを絶滅させる相談をする」というものだった。それ以降、ますむらさんは「常に猫を主人公」に、イーハトーブならぬ「米沢市」をもじって「ヨネザアド」という国の、東京の住処である愛宕駅をもじって「アタゴオル」という地域を舞台に精力的に漫画を描き始めます。‥‥あの命名が、そんなにも単純で、しかも宮沢賢治経由だとは知りませんでした! ますむらひろしさんの賢治読みは、研究者レベルです。一時期研究者の間で定説になっていた「賢治は猫嫌いである」に対して、説得力ある反論を試みています。これを読んで未だ「賢治猫嫌い説」を説く研究者が居たら、むしろその人の論文を読んでみたい気がする。 本書には無数の賢治作品からの引用が入っていますが、どの作品からとか、どのページからとか殆ど書いていません。うっかりすると、まるで賢治が何処かで書いているかのような「引用」が書かれていますが、それがますむらひろしさんの「想像」だったりしてもいます。ここまで賢治を血肉にしている人を初めて見ました。 本書の2/3は「銀河鉄道の夜」論です。何しろますむらひろしさんは、83年と85年に、本書執筆時点で2回猫版「銀河鉄道の夜」を描いています。現在では定説になっている「三角標は星々である」ということを「独力で」発見していて、その経緯を書いています。「銀河鉄道ー」は、ざまざまな謎がありますが、漫画にする以上は一定のイメージを持たなくてはなりません。この漫画自体が、優れた研究書なのだということが、よく分かりました。銀河鉄道世界の空には星はなくて、桔梗色の空が広がっています。それはどんな色なのか、色に敏感な賢治には当然イメージはあったでしょう。でも、漫画版は単色で描かざるをえませんでした。あれから25年、ますむらひろしさんは、現在満を持してカラー豪華版全4巻の「銀河鉄道の夜」を描いています。完成すれば600ページ、今までの約3倍の量です。 それに取り組む前に、私は83年85年版を手に入れないといけないなあと思うようになりました。今年9月は賢治88回忌です。澄み切った夜空を眺めがら賢治に想いを馳せてみるのもいいかもしれない。 2021年9月20日賢治忌前日に記入
2021年09月22日
コメント(2)
「ふところ手帖」子母澤寛 中公文庫 1961年9月発行。その一年後に不朽の名作「座頭市物語」(三隅研次監督)が公開される。本書は、その原作となったと聞き紐解いた。申し訳ないが、本書のたった10頁の短編「座頭市物語」の感想のみを書く。 天保の頃、下総飯岡の石渡助五郎のところに座頭市という盲目(めくら)の子分がいた。何処からか流れ込んで来て盃をもらった男だが、もういい年配で、でっぷりとした大きな男、それが頭を剃って、柄の長い長脇差をさして歩いているところは、どう見ても盲目などとは思えなかった。(120p) ‥‥書き出しである。 映画を観たばかりだから、びっくりした。こんな掌編だったこともそうだけど、切り口としては「史実」として書いていること、物語のエッセンスは映画のストーリーそのままになっていて、主な登場人物はそのまま名前が援用されていた。性格も姿かたちも原作のままである。その一方で、映画と大きく違う部分は、(1)座頭市は助五郎一家にたまたま流れ着いたのではなく、最初から子分になっている(2)おたねは座頭市を好きになるのではなく、最初から妻だった(3)座頭市と平手造酒との友情は一切無く、原作では平田深喜となっていた。(4)あくまでも、助五郎の自伝から採った史実として描いている。反対に言えば、それぐらいしか違う所がない。 この原作を読み、あの座頭市第1作目を観て、やがて26作も作られるシリーズものになることを知っていて、座頭市を演じた勝新太郎が座頭市そのままに太く短く生きたことを知っている身としては、私は「ある感慨」を抱かざるを得ない。 ‥‥あゝこうやって伝説は出来ていくんだな。 元は居合抜きが凄い盲目のヤクザの話だった(それさえも事実かどうかはわからない)。安政年間の助五郎の自伝から約100年後に、子母澤寛という語り部が小さな悪役ヒーローとして作り替える。それを読んだ監督がかっこいい流れ者の悪役伝説をつくる。それを体現する圧倒的な役者が出現し、ありとあらゆる物語が増幅する。そうして、長いこと語り継がれる物語が出来上がる。 もしかしたら、スサノオ伝説は、このように出来上がったのかもしれない。 ‥‥それっきり、市とおたねは元より、おやじの滝蔵も、飯岡から姿を消してしまった。 その後の消息は確(しか)と知る由もないが、一説に足利在に住み百姓として静かな天寿を全うしたとも言うし、何でも遠く岩代の安積山麓猪苗代湖の近くの小高い丘の辺りに住んだともいう。おたねは、湖に映る明月の夜を、座頭の妻として悲しんだかどうか。(129p) ‥‥最終頁、最終行の描写である。おたねは若い身体を座頭の妻として過ごしても後悔することはないと、明月の夜に宣言したことを受けての最終行になっている。伝説の男の終わり方としては、一つの典型ではある。もう一つの(座頭市として暴れ回る)可能性はワザと書かれていないが、子母澤寛自身がそこまで化けるエピソードとは期待していなかったせいだろう。映画で万里昌代演じたおたねが、しあわせになって欲しいと、60年後の今になっては思う。
2021年09月22日
コメント(0)
「座頭市物語」 ある思惑があって、早いけどこの前観た映画をこの作品だけ早く紹介する。 傑作。1962年作品。 既に座頭市の腕は知れ渡っていて、食客として賭場に入り、そして去ってゆくという形は出来上がっている。全ての渡世者作品(女に惚れられて振って去ってゆくことも)の形を踏襲しながらも、隅々まで神経の行き渡った「心理戦」が素晴らしい。座頭市が盲目なので、一段とピリピリとした画面になっている。なかなか見せなくてやっと披露する最初の居合抜きは、正に目にも止まらない。どう撮影したのだろう。そしてロケかセットかわからないけれども、リアルな美術も素晴らしい。当時の時代劇スタッフの底力が判る映像。 おたねが突然座頭市に告白するのは、現代にリライトするのならばもう少し説明が必要だけど、元はヤクザの兄貴の女だったのだからあり得ると見なければならない。一切濡れ場はないが、月夜の帰り道で座頭市に顔を触らせて微かに唇に触れさせるのは、かなりの熟練した女と見なくてはならない。実際かなりエロい場面である。それを清純派とも言えないけれどもそそとした美人の万里昌代にやらせる監督の強かさ(おたねは続編・4作目でも続投する‥‥万里昌代は68年を最後に銀幕から引退している)。ヤクザの出入りで、庶民が迷惑を被る、どちらのヤクザも、食客を利用する事しか考えていないなど、ヤクザに対する見方が厳しい、むしろコレがテーマだとも思える。「めくら」という単語が30-40回は出てくる脚本で、もはやテレビでは決して放映できないが、もっと知られるべき傑作である。 (解説) 勝新太郎が盲目のヤクザを演じて大ヒットし、合計26作品が製作された「座頭市」シリーズの記念すべき第一弾。原作は子母沢寛の随筆集『ふところ手帖』に収録された短編『座頭市物語』で、これを犬塚稔が脚色し三隅研次が監督した。勝新太郎と天知茂の名演技、伊福部昭の音楽など、見どころが満載。 (ストーリー) 貸元の助五郎は居合抜きの腕前を見込み、坊主で盲目の座頭市を食客として迎え入れた。市は結核に冒された平手造酒という浪人と知り合うが、彼は助五郎のライバル笹川親分の食客となってしまう。二人は酒を酌み交わしながら、ヤクザの喧嘩で斬り合うのはごめんだなどと話した。助五郎たちと笹川一家の緊張が高まる中、造酒が血を吐いて倒れてしまう。 2021年9月14日 TOHOシネマズ岡南午前10時の映画祭 ★★★★★
2021年09月19日
コメント(0)
今月の映画評です。 「パブリック 図書館の奇跡」 岡山県には、日本最大の借し出し数を誇る県立図書館があります。此処に人が大勢集まるのは、単なる本の貸借の場所だけではなくて、様々な企画もあり人が落ち着いて過ごせる「公共」の機能もあるからです。 米オハイオ州シンシナティの公共図書館で、実直な図書館員スチュアート(エミリオ・エステベス)が常連の利用者であるホームレスから思わぬことを告げられます。「今夜は帰らない。ここを占拠する」。大寒波の影響により路上で凍死者が続出しているのに、市の緊急シェルターが満杯で、行き場がないというのがその理由でした。スチュアートは独断で彼ら100人のホームレスの占拠を認めます。市長選への立候補が迫って、強い立場を示したい検察官(クリスチャン・スレーター)や、目立つ報道をしたいテレビ局キャスターなどの思惑がすれ違い、予測不可能なラストにもつれ込む佳作でした。 いったいどうしたら良かったのでしょうか? 法と秩序のために力による排除を主張する検察官に対して、図書館の館長は「私は市民の情報の自由のために全人生を捧げてきた。公共図書館はこの国の民主主義の最後の砦だ」と叫んでホームレスと一緒に立て篭もります。「図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る」とした実在する「図書館の自由に関する宣言」を思い出しました。 主演で監督を果たしたエミリオ・エステベスは、安易なラストにせずに公共のあり方を観客に問うています。(2020年米国作品、レンタル可能)
2021年09月18日
コメント(0)
「数え方でみがく日本語」飯田朝子 ちくまプリマー新書 数え方は雑学ではない、と著者は言います。その証拠に著者は数え方専門で教授にまでなりました。 「今年度の卒業生は250名/250人です」どちらも正しい言い方だけど、意味は違う。さて、どう違うのでしょうか? 名簿で把握しているのか、どうかの違いです。 というように、数え方は「私たちのものの捉え方の体系」だということらしい。 人や名のように数えるときに使う名詞を助数詞と言います。主なのはおよそ500種類。ところが、外国語には日本のように豊富な数え方を持たない国が多い。英語やフランス語、ドイツ語、スペイン語などですね。その代わり、これらの国には名詞に冠詞があり、複数形があり、ジェンダー(男性、女性、中性)があります。つまりそれらの国では、しゃべるときにいつもそのことを意識しているということです。裏を返せば、日本語では名詞そのものに含まれる情報量が少ないということか。 それらがない中国と日本では、では考え方が同じかというと違う。中国ではラクダは一頭二頭ではなく、一峰と数えるそう。なるほどなあ、と私は納得する。文化交流で一頭のみやってくるか、日常的に峰で数える生活をしているかの違いなんですね。 数え方を使い分ける着眼点が違う国を比較すると面白い。ミャンマーで話されているビルマ語も日本語と同じような助数詞があります。そこでは、ニワトリの卵も家も家具も同じ「loun」を使う。 ネパール中央で話されているネワール語では、(1)人間・動物を数える「maha」、(2)植物を数える「ma」、(3)その他の無生物を数える数え方群があるらしい。それで行くと「細菌」は(1)になるらしい。 英語にも数え方がある。本来抽象的で形がないものや、はっきりした輪郭がない物体や物質は、数えられない不可算名詞になっています。それでも数えなくちゃいけない。「三つの証拠」ならばthree pieces of evidenceとなります。英語では生き物が群れをなしていると、その群れを集合名詞で表現するちょっと粋な技法がある。「一群のライオン」→a pride of lions。なんとなくわかる。ではカラスは?コレはa murder of crows(ひと殺人のカラス達)となるらしい。物騒です。やはり英語圏は大陸で、かつキリスト教圏だからだろうか。 著者は「ものの捉え方の体系」だということを、きちんと教育すべきだと訴えます。ところが、実際には「数え方」は算数の問題で突然出てくる。著者は小学校一年生の「たろうくんは、ぶんぼうぐやさんで、ノート五さつとえんぴつ六ほんかいました。あわせていくつかいましたか?」で躓いたらしい。どうして「さつ」と「ほん」を買ったのに「さつほん」などではなく「つ」になるのか?しかも、答案に「十一つ」と書くと「答えは十一だけでいいです。つ、はいりません」と書かれているそうです。「いくつ?と聞いてきたからつで答えたのに、こたえが十一になった途端に答え方も変わるなんてあんまりだ」うーむ、飯田さんとっても優秀です。 最後の方は、日本語の数え方の総点検になっていました。全部書ききれないけど、勉強のために出来るだけメモします。 ・生き物の数え方には基本の3種類がある。 (1)鳥類を数える「羽」 (2)人間よりも大きな生き物を数える「頭」 (3)人間よりも小さな生き物を数える「匹」 よってセントバーナードは一頭、チワワは一匹。 では、オニは1人?一匹?それは「どんなオニか」で変わります。絵本では人間に友好的になると突然数え方が匹から人になるそうです。最近のマンガを確かめたくなります。←コレ、日本以外の国はどうなんだろう‥‥。 ・ロボット犬AIBOは?「台」でも「匹」でもなく「体」で数えます。人間や生き物の形をしているものは「体」になる。よって、雪だるまや埴輪、銅像や仏像も「体」になる。 ・電車は元は「輌」で数えていたので「両」になる。大型客船は「隻」、小さい船は「艘」。空を飛ぶ乗り物は「機」、ラジコン飛行機は人が乗れないので機械と同じ「台」。←ならばドローンは「台」だな。でもやがて「体」になるのかな‥‥。 ・「台」で数えるものは「それだけで機能する」特徴があり、パソコン、携帯、テレビに冷蔵庫、自販機など。一方、本体がなければ機能しないもの、マウスやイヤホンは「個」「セット」。 ・建物には「軒」「戸」「棟」の数え方がある。 では、「赤い屋根の家が二軒並んでいる」とは言えるが、ほかの数え方はない。「二万戸が停電した」とは言えるが軒はない。「住宅が倒壊」「新築住宅が完成」の時には「棟」を使う。また、「基」は地面に据えて1人の力では動かせないもの。信号機、エレベーター、ベンチ、お墓、古墳、ダム、発電所など。←日本にある古墳はおよそ三万基です。 ・(これは飯田さんの研究の成果ですが)「縦の長さと横の長さの比が1対3以上のものは本で数える。他は個、鉛筆、ストローは本、印鑑は個。 ・本でポンの数え方の時。「一筋の煙突から一本の煙が立ち上がった」とは言わない。何故なら、本は途中途切れないもの。筋は定まった形を持たず、細長く切れ切れに続くものを数えるから。「電車一本乗り遅れた」のは「運行本数」を数えているから。練習メニュー十本は?時間軸に沿って行われる内容をひと続きに見立てる。では柔道の「一本」は?「心技体を一本化することで、技が決まるから」と大学の選手は異口同音に答えたそうです。 ・腕試し問題で、私が間違えたヤツ。 (1)「歓迎パーティーには、およそ30()の会員が参加しました」 (2)「大きなヒグマの剥製は1()」 (3)「人間を助けてくれる鉄腕アトムは1()と数えます」 (4)「財布の中を見ると500円玉が2()入っていた」 (5)「部屋がとても暑かったので、背中を汗が1()流れた」 ‥‥うぅ難しい。 というわけで、正解はこの1番下に載せますが、詳しい解説は本を紐解いてください。 あらゆるクイズ番組に参加する人は、一度(回ではない)は、この本を紐解いた方がいい。 【答】1 人、2 体、3 人、4 枚、5 筋
2021年09月17日
コメント(0)
「挑発する少女小説」斎藤美奈子 河出新書 世界中でヒットし、今も読み継がれている、10代の少女が主人公のリアリズム小説9作品の解説。日本でも60年代のジュニア小説、80年代のコバルト文庫、2000年代のケータイ小説など多くが生まれたが、この9作品のように長生きはしていない。何故か。 ひとつは、時代や文化の隔たりを超えて、少女に訴えかける普遍性を持っていたこと。 ひとつは、海外ものだったために古さがバレなかったし、異国のお話はオシャレに感じたりさえしたから。 特徴は四つ。 (1)主人公はみな「おてんば」な少女。ジェンダー規範を大なり小なり逸脱。良妻賢母教育のツールとして作られたのに、読者の支持を得て大人社会の陰謀を「出し抜いていた」。 (2)主人公の多くは「みなしご」。19世紀の時代を反映しているからだとも言えるが、親を失った子供は自力で人生を切り開かざるを得ない。そこからドラマが生まれる。 (3)友情が恋愛を凌駕する世界。しばしば物語には「女の子らしい女の子」か登場。主人公の個性を引き立てる役にもなるが、主人公は男の子よりも友情を優先する。 (4)少女期からの「卒業」が仕込まれている。「おてんば」は成長とともに失われてゆく。 別言すると、どれほどハメを外しても将来は約束されているから読者は安心して読めたのか。 或いは一見「保守的」に見える結末も裏には意外な事情が隠されているのか。 或いは、読者には「誤読する権利」があるので、多様な読み方ができるテキストでもあったから、とも言えるかも。 以上が本文に入る前の斎藤美奈子女史の「はじめに」の概要である。コレで「小公女」「若草物語」「ハイジ」「赤毛のアン」「あしながおじさん」「秘密の花園」「大草原の小さな家シリーズ」「ふたりのロッテ」「長くつ下のピッピ」の重要な部分はもうわかった。もう読まなくてもいいんじゃないか。私もそう思いました。 でも、本文を読んだらとっても面白くて置くこと能わざるを経験します。そりゃそうでしょ。原作やアニメで、あんなにも親しんできた物語を女史が案内するんですよ!なんか町山智浩さんの映画評につながるところが、女史の文学評にはある気がする。文体が読みやすいわりには構成がしっかりしていて、新しい視点がある。そして、反権力という点で一本芯が通っている!そういう意味では丸谷才一や吉田健一とは違う。 ‥‥それはともかく、やはり1番面白かったのは、(4)の部分です。特に、女史が想像したり紹介したりする「その後の物語」には共感しきりです。 何度も言いますが、私は一貫して「頑張る女の子」推しです。決して「男の子」ではない。 何故なんだろう。 女の子には、男の子よりも「未来」がある気がするから。 元男の子だった私の叶えなかった夢を叶えてくれそうな気がするから。 元男の子の勝手な思い込みなのかな。 でも、こんなこと、市井のいち老人が言っても女の子は誰ひとりとして「責任」なんか感じたりしないでしょ。 でも男の子は、そんなこと聞くと何故か一定数「責任」を感じるんです。そこんところが、違いかな。
2021年09月16日
コメント(0)
「遺品」若竹七海 角川ホラー文庫 物語は葉崎市の美術館学芸員だった〈わたし〉が失業者になったところから始まる。金沢の潰れそうなリゾートホテルの中に、曽根繭子という有名女優の「遺品」を整理して記念館を作って欲しいと頼まれたところからだった。 葉崎市が出たところで、あの葉崎シリーズだったのか!しまった!と思いきや単なる偶然だった。学芸員が主人公というところで、読んだばかりの「閉ざされた夏」を想起したが、書かれたのはあの作品から6年後なので全く繋がりはない。ただし、「角川ホラー文庫」なので、それなりに覚悟はしていた。有名女優は自殺らしいけど、死体は見つかっていない。如何にも怪しい。ホテルオーナーたちとは色々と血のドロドロ関係がありそうだ。横溝正史系だろうか‥‥。それぐらいだったらいいな‥‥。もっと怖いのはイヤだなぁ。 そうすると、幽霊は頻繁に出てくるんだけど、怖くない。むしろ、〈何故幽霊が出てくるのか〉というホラー・ミステリだった。 それにしても、作者の学芸員愛は本物だと思う。学生の頃、本気で目指していたんではないだろうか?主人公の大学では「200人博物館学課程に登録したが、学芸員になれたのは2人だけだった」という記述もある。若竹七海は立教大学史学科なんだけど‥‥。 年間10冊は若竹七海を読もうシリーズの5冊目。季節を選んで‥‥、いや今回は6月10日から7月25日までの話。少しずれた。
2021年09月15日
コメント(0)
「天国の五人」ミッチ・アルボム 小田島則子・小田島恒志訳 放送出版協会 2003年、エディの83歳の誕生日だった。妻に先立たれ、子供もいない。仕事も希望通りではなかった。その日も、いつも通り遊園地の機械のメンテナンスをしていた。エディは一瞬の事故で呆気なく死んだ。 彼の人生はなんの意味もなかったのか‥‥。 この物語は終わりから始まる。彼を天国で待っていた五人の人物は、どんな人たちで、彼にどんな大事なことを伝えたかったのだろう? ほとんどの人は平凡な人生を過ごして呆気なく死ぬ。 だから、エディの寂しさも、後悔も、怒りも、愛情も、そして思いもかけない真実も、あり得るかもしれない「天国の物語」かもしれない。 と、敬虔なクリスチャンである著者は想像して物語をつくり、ベストセラーになった。神様の存在をよく知らない私は、至る所でつまづきながら、それでもミッチ・アルボムの天国観におおよそ共感してしまった。すなわち、 「人生には終わりがある。愛に終わりはないわ」(191p) 此処でそう言ったのは、天国(?)で待っていたエディの妻なのではあるが、数千という書物で数万の物語を読んできた私も、こういう言い方はおそらく正確ではないはずなのだが、世界中おそらく一言で言い表せる言葉は存在しないと思うのでこういうのだけど、私は「愛」が、「愛」の存在が私の存在が無くなっても存在し続けると信じられるので、自分の死を受け入れることができるのではないか?と一瞬思うことができたのである。この感想、意味わかりますか?
2021年09月15日
コメント(0)
8月残りの3作品。8月は面白い作品は多かった。 「ドライブ・マイ・カー」 実はどこが良いのか、よくわからない。 普通の「喪失感」の描写のような気もする。 ただ、ドライバーの褒める点は、私自身の仕事の見直しになった。実際、急発進や急ブレーキなどを一切感じさせずに運転するのは至難の業なのである。 ラストは、どう考えても「プレゼント」されたとみるべきか。 見どころ 村上春樹の短編小説を原作に描くヒューマンドラマ。妻を失い喪失感を抱えながら生きる主人公が、ある女性との出会いをきっかけに新たな一歩を踏み出す。『寝ても覚めても』などの濱口竜介が監督と脚本を手掛け、『きのう何食べた?』シリーズなどの西島秀俊が主人公、歌手で『21世紀の女の子』などで女優としても活動する三浦透子がヒロインを演じ、『運命じゃない人』などの霧島れいかや、『さんかく窓の外側は夜』などの岡田将生らが共演する。 あらすじ 脚本家である妻の音(霧島れいか)と幸せな日々を過ごしていた舞台俳優兼演出家の家福悠介(西島秀俊)だが、妻はある秘密を残したまま突然この世から消える。2年後、悠介はある演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島に向かう。口数の少ない専属ドライバーの渡利みさき(三浦透子)と時間を共有するうちに悠介は、それまで目を向けようとしなかったあることに気づかされる。 キャスト 西島秀俊(家福悠介) 三浦透子(渡利みさき) 霧島れいか(家福音) パク・ユリム(イ・ユナ) ジン・デヨン(コン・ユンス) ソニア・ユアン(ジャニス・チャン) アン・フィテ ペリー・ディゾン 安部聡子(柚原) 岡田将生(高槻耕史) スタッフ 原作 村上春樹 監督・脚本 濱口竜介 脚本 大江崇允 音楽 石橋英子 プロデューサー 山本晃久 撮影 四宮秀俊 照明 高井大樹 2021年8月21日 シネマ・クレール ★★★★ 「ザ・スーサイド・スクワッド 極悪党、集結」 彼らはいつからこんなに「反権力」になったんだろ。 でも嫌いじゃない。いや寧ろ好きかも。 ピースメーカーが、秩序のためならば犠牲を厭わない「信念」の下に、軍の中の「正義者」を裏切る。それでも、悪物は「仲間」を助けるために、ピースメイカーをやるという構図が、如何にもアメリカ。 ハーレークイーンの「譲れない点」が、そうは言っても「当たり前」すぎて、だったら悪役やるなよ、と思ってしまう。あの大統領可哀想と思ったのは私だけかな? 何故ネズミか。それは、嫌われ者でも生きているから。 この視点が、怪物にも仲間のサメ男にも、あのキモい男にも徹底されていて、エリート女軍人と上手いこと対称になっている。 水槽のキモコワイ生物が可愛い。でも怖い。 STORY クレイジーなハーレイ・クイン(マーゴット・ロビー)、最強スナイパーのブラッドスポート(イドリス・エルバ)、敵をチーズに変える能力を持つポルカドットマン(デヴィッド・ダストマルチャン)ら凶悪な犯罪者たちを集め、特殊部隊が結成される。彼らは成功すれば刑期短縮、失敗すれば即死、命令に背けば首に埋め込まれた爆弾で殺されるという命懸けのミッションに挑む。 キャスト ヴィオラ・デイヴィス、ジョエル・キナマン、ジェイ・コートニー、ピート・デヴィッドソン、メイリン・ン、フルーラ・ボルク、ショーン・ガン、ネイサン・フィリオン、マーゴット・ロビー、イドリス・エルバ、ジョン・シナ、ダニエラ・メルキオール、シルヴェスター・スタローン、デヴィッド・ダストマルチャン、マイケル・ルーカー、ピーター・キャパルディ、アリシー・ブラガ、ファン・ディエゴ・ボト、ホアキン・コシオ、(日本語吹き替え版)、東條加那子、山寺宏一、悠木碧、宮野真守、大塚明夫、玄田哲章、宮内敦士、立木文彦、日野聡、姫野惠二、津田健次郎、上村典子、水樹奈々、江川央生、加藤亮夫、武内駿輔、ファーストサマーウイカ スタッフ 監督・脚本:ジェームズ・ガン 製作:チャールズ・ローヴェン、ピーター・サフラン 製作総指揮:ザック・スナイダー、デボラ・スナイダー、ウォルター・ハマダ、シャンタル・ノン・ヴォ、ニコラス・コルダ、リチャード・サックル 撮影:ヘンリー・ブラハム 美術:ベス・ミックル 編集:フレッド・ラスキン、クリスチャン・ワグナー 衣装:ジュディアナ・マコフスキー 音楽:ジョン・マーフィ 2021年8月27日 MOVIX倉敷 ★★★★ https://wwws.warnerbros.co.jp/thesuicidesquad/ 「サムジン・カンパニー1995」 実際の事件と違い、かなり脚色しているけれども、25年前のジェンダー意識、高卒格差、環境問題、大企業の放漫、グローバル問題からのだきグマ乗っ取りに至るまで、明るい脚本の中に、これでもか、と社会問題を打っ込む監督の手法は心地いい。 どんでん返しによるどんでん返しが、いかにも韓国映画らしい。 introduction ひとりひとりは微力でも、みんなが集まれば大きなパワーとなる。自らの知識と知恵と勇気で会社の不正に立ち向かった女性たちがいた―― 熾烈な学歴社会である韓国で、どんなに優れた能力があったとしても、大卒社員の補助的な役割しかさせてもらえない3人の高卒女性社員たち。それでも彼女たちがいなければ会社が回っていかない、そんな現実をうまく物語に落とし込みながら、内部告発というドラマチックな展開が発展していく。劇中のセリフにあるようにtiny tiny=ちっぽけな存在の彼女たちは、会社に妨害され、挫折を繰り返すけれど、決して諦めることなく自分たちの力を信じて地道に前進していく。その姿は、ひとりの女性が大企業相手に莫大な公害賠償金を勝ち取った映画『エリン・ブロコビッチ』(2000)や、落ちこぼれOLたちの活躍を描いた日本のドラマ『ショムニ』シリーズのように爽快でカッコよく、応援せずにはいられない! 女性社員たちが部署の垣根を越えて協力していく友情に感動し、愛する会社と地域の人々を守ろうとする正義感に胸がアツくなり、誰が本当の黒幕なのかわからない二転三転するストーリーにハラハラドキドキする。最後まで飽きさせないエンタテインメントの誕生だ。 1988年のソウルオリンピック、1993年の大田(テジョン)国際博覧会(万博)。国際的な一大イベントを成功させたこの時代、一気にグローバル化の波を迎え、街にパソコン教室や英語教室などが溢れていた韓国。その真っただ中である1995年を舞台にした本作は、実際に某大企業で商業高校卒の社員のためにTOEICクラスが開設されていたことや、1991年に起きた、斗山電子のフェノール流出による水質汚染事件がモデルとなっている。また、本作のジャヨンにもモデルが存在すると監督が韓国の取材で語っており、現パリバゲットのイム・ジョンリン支会長が若い頃に経験した会社での不当な扱いに立ち向かったエピソードをもとに制作をスタートした。 story 韓国発、実話をベースにした爽快な大逆転ストーリー! 1995年、金泳三大統領によってグローバル元年と位置付けられた韓国。ソウルでは語学学校が早朝クラスでも満席になるなど、街のいたるところで英語が聞こえてきていた。 ソウル・乙支路(ウルチロ)。サムジン電子に勤める生産管理3部のイ・ジャヨン(コ・アソン)、マーケティング部のチョン・ユナ(イ・ソム)、会計部のシム・ボラム(パク・ヘス)。大企業に勤める高卒の女性ヒラ社員たちは実務能力は高いが、主な仕事はお茶くみや書類整理など雑用ばかり。しかしそんな彼女たちにも、会社の方針でTOEIC600点を超えたら、「代理」に昇進できるチャンスが到来!ステップアップを夢みて英語を学ぶ彼女たちだったが、偶然、自社工場が有害物質を川に排出していることを知る。事実を隠蔽する会社を相手に解雇の危険を顧みず、力を合わせ真相解明に向けて奔走する3人。彼女たちの部署の垣根を越えた友情、会社を守りたいと思う愛社精神、そして不正に立ち向かう正義感に勝機はあるのか? 監督からのメッセージ message from Director 本作の出発点は、末端の高卒社員が力を合わせて成し遂げた実際の話からだった。 本質はその人々の中にあった「ファイト」という気持ち。それぞれの人生の中で静かに沸くファイト。 生きていく中で直面する大小さまざまな問題を、諦めず、文句を言わずに解決しようとする人々の物語。 果たして、解決できるのか?こんなことで世の中が変わるのか?と考えながらも、自分を守るため前に進んで行く人たちの話を作りたいと思った。 「たとえ小さな存在でも私たちは偉大なのだから」 そんな信念と共に、自分の仕事に責任感と誇りを持った人たちの話を楽しくかっこよく描きたかった。 何よりも堂々としていて凛々しい彼女たちの突き進む姿を見せたかった。 ―― 監督 イ・ジョンピル 2021年8月29日 シネマ・クレール ★★★★ https://samjincompany1995.com/
2021年09月12日
コメント(0)
「サマーフィルムにのって」 「時かけ」や「サマータイムマシンブルース」その他の学園SFモノをミックスしたような作品、であることは重々自覚しているようで、凛太郎がタイムトラベラーであることは早々に発覚、しかも「宿命パラドックス」の説明によって、みんな明るくこの異常事態を単に映画完成のためだけに乗り切る。 ラストシーンのために、初めから合宿3日を用意している事自体すごい設定だなと思うんだけど、有名らしいハダシ監督のレビュー作品の内容はさっぱりわからない。 普通ラストは、(今回は)エンドでタイトルを出した後に、この映画の幻の作品が発見されました!などの「オマケ」がつくもんだけど、監督や脚本の三浦直之はそれを採用せずに、余韻を残したままエンドロールに突入するラストを選んだ。ホントにあれで良いのか?それを映画を見た仲間で話ってみたい。そういう「世界」も映画の世界だと思う。 場所は京都の千本かと思いきや、足利市でした!足利、映画ロケ地多いよね。スタッフに(見習い)というメンバーが2人も居て、想像を掻き立てる。高校生が混じったかな?三人娘の撮影担当、ビート板の河合優実がメイのゆきちゃんにソックリで、なんか他人事には思えなかった。祷キララも良かった。伊藤万理華のアイドル時代はまるきり思い出さないけど、あっという間に代表作が出来上がった。 明るいタイムパラドックス学園SF映画が、また出来上がった。 (解説) 日本映画界に彗星のごとく現れた『サマーフィルムにのって』。 第33回東京国際映画祭で上映されるやいなや話題を集め、世界各国の映画祭での上映が続々と決定。 青春映画には欠かせない恋と友情に加え、時代劇、SF、全ての要素が華麗にシンクロ。物語は奇跡的なラストシーンへと向かい、唯一無二の魅力を放つ。ここに新時代を代表する青春映画が誕生した。 主役には、猫背・がに股を披露し勝新オタクを熱演、殺陣にも挑戦している元乃木坂46の伊藤万理華。 共演に金子大地、河合優実、祷キララと、今後の活躍が期待される新星が勢揃いした。 監督はドラマや CM、MV など幅広く手掛ける松本壮史が務め、数々の映像作品を共に作り上げてきた盟友、劇団「ロロ」主宰・三浦直之が脚本を担当。 気鋭の若手クリエイターの元に次世代俳優たちが集結、瑞々しくスクリーンに輝く。 Story 時代劇オタクの女子高生監督が 主役に抜擢したのはタイムトラベラー!? 勝新を敬愛する高校3年生のハダシ。 キラキラ恋愛映画ばかりの映画部では、撮りたい時代劇を作れずにくすぶっていた。 そんなある日、彼女の前に現れたのは武士役にぴったりな凛太郎。 すぐさま個性豊かな仲間を集め出したハダシは、 「打倒ラブコメ!」を掲げ文化祭でのゲリラ上映を目指すことに。 青春全てをかけた映画作りの中で、ハダシは凛太郎へほのかな恋心を抱き始めるが、 彼には未来からやってきたタイムトラベラーだという秘密があった――。 2021年8月9日 シネマ・クレール ★★★★ 「17歳の瞳に映る世界」 正に少し田舎の17歳から見た!都会のペンシルバニア。現代アメリカを等身大で映して好感持てた。監督も役者も無名。それでも、こういう作品がアメリカで作られているのだ、それなりに少女に寄り添う公的機関もあるのだ、と思えるような、それでも少女はかなりのリスクを犯してではないと処置できなかった、という現実も描いている。まあまあ面白かった。 抑制の効いたストーリー展開は好み。例えば、彼女はどうやって男と寝て別れたのか、とか。それは観客には知りたいことだけど、彼女には苦痛の思い出でしかない。 (解説) 思いがけず妊娠した17歳の少女の旅路を描き、ベルリン国際映画祭審査員グランプリなどを受賞したヒューマンドラマ。おとなしくて目立たない高校生が、両親の同意なしで中絶手術を受けることができるニューヨークへ親友と共に向かう。監督を務めるのは『ブルックリンの片隅で』などのイライザ・ヒットマン。主演は本作が長編映画デビューとなるシドニー・フラニガン。 あらすじ 17歳のオータム(シドニー・フラニガン)は友達が少なく、目立たない高校生。妊娠していることがわかったオータムだったが、ペンシルベニア州では中絶手術に両親の同意が必要だった。オータムは彼女の異変に気づいた従妹であり親友でもあるスカイラー(タリア・ダイラー)と一緒に、中絶手術に両親の同意を求めないニューヨークへ向かう。 2021年8月15日 シネマ・クレール ★★★★ 「フリー・ガイ」 ゲームソフトの中のモブキャラは、ソフトが終わらない限りに何度でも生き返るけど、映画作品の中のモブキャラは基本的に一度だけの人生だ。 「竜そばかす」含めて、モブキャラに照明が当たっている。彼は成長するAIなので、これからどのように恋をしてゆくのか気になる。 STORY 銀行の窓口係ガイ(ライアン・レイノルズ)は、平凡で退屈な毎日だと感じる一方で、連日強盗に襲われていた。疑問を抱いた彼は、襲ってきた銀行強盗に反撃を試みると撃退でき、さらに強盗から奪った眼鏡を掛けると、街の至るところにこれまで見たことのなかったアイテムやミッション、謎めいた数値があった。やがてガイは、自分がいる世界はビデオゲームの中で自身がモブキャラであることを知り、愛する女性と街の平和を守ろうと正義のヒーローを目指す。 キャスト ライアン・レイノルズ、ジョディ・カマー、リル・レル・ハウリー、ジョー・キーリー、タイカ・ワイティティ、 スタッフ 監督:ショーン・レヴィ 脚本:ザック・ペン、マット・リーバーマン 音楽:クリストフ・ベック 2021年8月17日 MOVIX倉敷 ★★★★ 「ワイルド・スピード/ジェットブレイク」 もうなんでもアリのウルトラチームバディ映画になってきていて、死んだ人間も蘇り、宇宙にさえゆく。 そもそも、車であんな谷の渡り方、「こんなのは初めて」。 あと二作で終わりというけど、あと二作もあるのか。多分見るけどね。シャリーズ・セロン様がラスボスになりそうだし。今回も彼女が良いところを攫っていってしまいました。 終わりが近づいてきたので、南米家族のルーツが語られる。 結局、彼らの価値観は家族>仲間>世界平和なんだと思う。それとも、世界平和(義理)は、家族(人情)に勝つことはあるのか?その辺りが最終的なテーマになりそう。 STORY レティ(ミシェル・ロドリゲス)と幼い息子のブライアンと共に穏やかに暮らすドミニク(ヴィン・ディーゼル)の前に、実の弟ジェイコブ(ジョン・シナ)が刺客となって現れ、次々に攻撃を仕掛けてくる。かつての宿敵サイファー(シャーリーズ・セロン)ともつながるジェイコブは、ある恐ろしい計画を実行しようとしていた。彼らの陰謀を阻止するため、ドミニクはファミリーと一丸となって立ち向かう。 キャスト ヴィン・ディーゼル、ミシェル・ロドリゲス、ジョーダナ・ブリュースター、タイリース・ギブソン、クリス・“リュダクリス”・ブリッジス、ナタリー・エマニュエル、シャーリーズ・セロン、ジョン・シナ、サン・カン、アンナ・サワイ、ヘレン・ミレン、(日本語吹き替え版)、楠大典、甲斐田裕子、松田健一郎、渡辺穣、園崎未恵、坂本真綾、川島得愛、田中敦子、中村悠一、神谷浩史、浪川大輔、下野紘、木村昴 スタッフ 監督・原案・脚本:ジャスティン・リン 原案・脚本:ダニエル・ケイシー 脚本:アルフレッド・ボテーロ キャラクター原案:ゲイリー・スコット・トンプソン 製作:ニール・H・モリッツ、ヴィン・ディーゼル、ジェフ・キルシェンバウム、ジョー・ロス、ジャスティン・リン、クレイトン・タウンゼント、サマンサ・ヴィンセント 2021年8月17日 MOVIX倉敷 ★★★★
2021年09月11日
コメント(2)
8月に観た作品は11作品でした。3回に分けて紹介します。 「ベル・エポックでもう一度」 二万ユーロって幾ら?Yahooで調べたら約260万円だった。ヴィクトルは、タイムトラベルサービスを延長するために、元妻に内緒で別荘を売り払ってお金をつくる。 そのサービスのあまりにもの完璧ぶりに、驚く。ここまでの完璧ぶりはおかしい。これは必ずファンタジーにシフトするぞ、と思っていたら‥‥。 確かに相手の人生を再現するのはかなりの精神的な負担があるだろう。監督と主演俳優が恋人通しならば、無理強いして謝って無理強いしてのループや、ものを壊すわ、サドになるわもわかる気がする。 ちょっと前ならば、ヴィクトルとマリアンヌの関係は反対だった。女性が昔を懐かしんで再現を試みるだろう。これが時代というものか。 (解説) 大切な思い出を再現するサービスを通じ、忘れられなかった出来事を再体験した男性をめぐる人間ドラマ。メガホンを取ったのは『恋のときめき乱気流』などに出演してきたニコラ・ブドス。『画家と庭師とカンパーニュ』などのダニエル・オートゥイユが主人公、彼の妻を『星降る夜のリストランテ』などのファニー・アルダンが演じ、『セザンヌと過ごした時間』などのギヨーム・カネ、『ザ・ゲーム ~赤裸々な宴~』などのドリヤ・ティリエらが共演する。フランスのセザール賞で脚本賞など3部門を受賞した。 元売れっ子イラストレーターのヴィクトル(ダニエル・オートゥイユ)は社会の変化になじめず仕事を失い、妻のマリアンヌ(ファニー・アルダン)にも見放されてしまう。そんな彼を励まそうとした息子は、戻りたい過去を映画セットで再現する「タイムトラベルサービス」をプレゼント。希望の日時を申し込んだヴィクトルは思い出のカフェで運命の女性と「再会」し、夢のようなひとときを過ごす。輝かしい日々の再体験に感動した彼はサービスを延長すべく、妻に内緒で唯一の財産である別荘を売り払ってしまう。 2021年8月1日 シネマ・クレール ★★★★ 「スーパーノヴァ」 イギリスにおける知識人階級におけるLGBTの在り方と、認知症問題を抱えた、人生の終わらせ方。 周りの反応を。見ても、2人の在り方はそれなりに葛藤を経た上での到達だと思える。 超新星爆発は、目で見る事ができる。しかし、後でしかわからない。 (解説) 世界が感涙した、胸が張り裂けるほどの愛に喝采!! 家族・友人に恵まれ、ユーモアと文化を愛し、最高の人生を紡いできた2人。ところが時に運命は、彼らが紡いできた大切な物語を、思わぬ展開へと書き換えてしまう。予定より早く訪れた最終章。だが、それぞれが密かに思い描いていた結末は、全く異なるものだった──。理想的なパートナーを演じるのは、アカデミー賞受賞俳優のコリン・ファースと、同賞ノミネート経験を持つスタンリー・トゥッチ。製作スタッフからオファーされたスタンリーが、20年来の友であるコリンに自ら(実は独断で)脚本を手渡し共演を切望、チャーミングで愛おしい恋人同士を見事に体現した。彼らが選んだ切なくも美しいエンディングが、それまで共にしてきた人生を一層輝かせる、新たなる愛のマスターピースが誕生。 STORY 共に歩んだ人生を祝福する、愛の終わり方とは ピアニストのサムと作家のタスカーは、ユーモアと文化をこよなく愛する20年来のパートナー。 ところが、タスカーが抱えた病が、かけがえのないふたりの思い出と、添い遂げるはずの未来を消し去ろうとしていた。 大切な愛のために、それぞれが決めた覚悟とは──。 (コラム) タイトル『スーパーノヴァ』にこめられた想い タイトルの『スーパーノヴァ』は、タスカーが夜空にロマンと人生そのものを感じていることを表していると同時に、この愛の物語が壮大な宇宙を背景にしていることも指している。マックイーンは、「スーパーノヴァ(超新星)というのは、星の進化の最後に起こる巨大な爆発だ。私はこれがタスカーを象徴していると思っている。何をしても明るく輝いていて、どんな場面でも光と笑いをもたらし、そしてもちろん死を前にしている。彼は、最終章が目前に迫っていることを知っているんだ」と説明する。さらに、マックイーンは付け加える。「ミクロ対マクロという構図にも興味があった。壮大な湖水地方の風景に対比して、キャンピングカーが小さな点のようであるように、彼らの関係も果てしなく巨大な宇宙の基本をなす小さな一部分だ」 マックイーンはまた、死を迎えるという診断を下された人が、向き合う末期の決断についても探求しようと考えた。その際に、シリアスな現実を捉えながらも、軽いタッチで描こうと決めた。マックイーンは、「どう考えるべきかをはっきりと示唆するような映画を作ることに興味はない。決めるのは観客だ。しかし、二人が窮地に立たされていて、そのことが二人を引き離しつつあるのだという事実を主張したかった。私たちはこの映画を観た人々が、他人とどう接するかについてもっと考え、そういう立場に立たせられたらどんなに厳しいかに想いを馳せてくれることを期待している」と語る。 最初は逆の配役だったサム役とタスカー役 ファースは、「最初に脚本を読んだ時、どちらがどちらの役を演じるべきなのか分からなかった。スタンリーから彼はサム役を依頼されたと聞いていたけれど、僕は両方の人物に心を奪われていた」と振り返る。 そして、脚本を何度も読むうちに、ファースは役を入れ替えるべきだと思い始め、トゥッチも同じように考えていたことが判明する。トゥッチは、「ハリーの前でそれぞれが両方の役を演じてみせたら、どうするべきか即座に悟ったよ。なぜかは分からないが、その方がいいと思えたんだ」と語る。 ファースは、「スタンリーがタスカーを演じるのを見た時、他の誰も彼ほどうまく演じられないと分かった。問題は、彼がサムを演じた時にも、同じように感じたことだ。僕は家に帰ろうと思ったよ」と笑う。さらにファースは、「僕たちには役柄にふさわしい演技をするという任務がある。俳優という職業にとって神聖なことで、最終的には自然に決まった」と説明する 監督 ハリー・マックイーン 2021年8月1日 シネマ・クレール ★★★★ 「キネマの神様」 無数のモノにならなかった助監督の物語。 モノにならなかった脚本の物語。 でも、映画だから時間を越えて実現できる。 山田洋次が最晩年に描くのは、それでもやはり「何が幸せなのか」という物語だった。 「カットとカットの間にシネマの神様は宿るんだよ」 100通りのカットがある。 役者の演技がある。 志村けんのままに演技した沢田研二がいる。 それは、私は良くないと思うけど、それが山田組の映画なのかもしれない。 キチンと、コロナ禍を反映した脚本になっていた。おそらく決定稿は昨年3月には出来ていたはずだが、そこからかなり変えている。映画は「現場」でつくられるものなのである。 映画の神様は、そういうラストを作った方がいいのだ。 STORY ギャンブル狂いのゴウ(沢田研二)は、妻の淑子(宮本信子)や家族にもすでに見捨てられていた。そんな彼が唯一愛してやまないのが映画で、なじみの名画座の館主テラシン(小林稔侍)とゴウはかつて共に映画の撮影所で同じ釜の飯を食った仲だった。若き日のゴウ(菅田将暉)とテラシン(野田洋次郎)は、名監督やスター俳優を身近に見ながら青春を送っていた。 キャスト 沢田研二、菅田将暉、永野芽郁、野田洋次郎、北川景子、寺島しのぶ、小林稔侍、宮本信子 スタッフ 監督・脚本:山田洋次 脚本:朝原雄三 原作:原田マハ 音楽:岩代太郎 VFX監修:山崎貴 撮影:近森眞史 美術:西村貴志 照明:土山正人 編集:石島一秀 録音:長村翔太 プロデューサー:房俊介、阿部雅人 2021年8月10日 MOVIX倉敷 ★★★★ 「妖怪大戦争 ガーディアンズ」 やはり前作(2005)を超えることはなかった。やはり小豆洗いは、一切年月を気にさせない。妖怪大戦争だー!と威勢は良いけど、いざという時に逃げ出すのは同じ。妖怪獣と大魔神を呼び出して対決させて、その後の死屍累々の都会には無頓着、そもそも1人も人間の逃げ惑う姿が出てこないのは、子どもに質問されたらどうしよう。 ‥‥と、ここまで前回同様。16年経ったら、もう見る層は違うということか。 メッセージは、こちらの方が饒舌だ。 「ともだちは見捨てない」 「弟は絶対守る」 「闘いよりも話し合いだ」 その高尚な兄弟の決意に、アンナに数万年の怨念をもとにやってきた妖怪獣の力がなくなってゆく。なんだったの?ソンナモンで良いの? 前回は、偶然が勝利を呼んだのだけど、今回はそんな「説得力」はなし。 しかも、「あの方」の存在がずーと物語を引っ張っていたのに、結局ラストで名前だけが少し出てきただけ。 しかもなんと「彼」が「あーあ」と言って、終わり。どうして「彼」がこの場面で出てくるの?あまりにも都合良すぎじゃない? 知らない妖怪は少なかった。 大島優子が色っぽかった。 (ストーリー) 大地溝帯・フォッサマグナから発生した妖怪獣たちが東京に襲来し、世界は危機に直面する。日本の妖怪のリーダー格であるぬらりひょん(大森南朋)は、この危機を回避するために伝説の大魔神を目覚めさせて妖怪獣たちと戦わせることを思いつく。そしてその能力を持つ、いにしえの妖怪ハンター・渡辺綱の末裔である少年・渡辺ケイ(寺田心)に目をつける。 キャスト 寺田心、杉咲花、猪股怜生、安藤サクラ、大倉孝二、三浦貴大、大島優子、赤楚衛二、SUMIRE、北村一輝、松嶋菜々子、岡村隆史、遠藤憲一、石橋蓮司、HIKAKIN、荒俣宏、大森南朋、大沢たかお スタッフ 監督:三池崇史 製作総指揮:角川歴彦、荒俣宏 脚本:渡辺雄介 音楽:遠藤浩二 主題歌:いきものがかり 製作:堀内大示、松岡宏泰、川崎由紀夫、奥野敏聡、永田勝美、松下智人、藤田晋、五十嵐淳之 プロデューサー:椿宜和、坂美佐子 共同プロデューサー:前田茂司 ラインプロデューサー:今井朝幸、青木智紀 撮影:山本英夫 照明:小野晃 美術:林田裕至 録音:中村淳 編集:相良直一郎 装飾:坂本朗 装置設計:郡司英雄 VFXスーパーバイザー:太田垣香織 妖怪デザイン:寺田克也、井上淳哉 スタントコーディネーター:辻井啓伺、出口正義 サウンドエディター:勝俣まさとし キャスティングプロデューサー:杉野剛 キャスティング:平出千尋 キャスティングスーパーバイザー:柿崎裕治 キャラクタースーパーバイザー:前田勇弥 ヘアメイクディレクター:酒井啓介 妖怪特殊メイク造型ディレクター:石野大雅 画コンテ・妖怪デザイン:相馬宏充 音楽プロデューサー:杉田寿宏 協力プロデューサー:水上繁雄、今安玲子 アシスタントプロデューサー:土川はな 宣伝プロデューサー:北原夏樹 妖怪担当:山村淳史 助監督:長尾楽 制作担当:小笠原寿 2021年8月13日 MOVIX倉敷 ★★★
2021年09月10日
コメント(0)
「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」著者:椎名 誠 本の雑誌社 よく考えたら、初めての椎名誠だった。 なぜ、紐解いたかというと、昔の雑誌を俎上に上げているという噂を聞いたから。「本の雑誌社」2冊目の単行本(1981発行)らしく、もはやこの文章群自体が考古学遺物扱いの貴重な「時代の証言」なのではないか?と当たりをつけたからである。 読んでみると一部予想は当たり、一部当たらなかった。当たらなかったのは、表題作の小説(本を読んでいないと、禁断症状が出てしまうほどの活字中毒である本の雑誌発行人、めぐろ・こおじを罠にはめて、味噌蔵に閉じ込めてしまう話)である。発行当時はかなり話題になり、お陰で売れたらしいが、素人の書き殴りにすぎない。椎名誠初めての小説だったらしいので、宜(むべ)なるかなとは思う。 そのあとは、当時(読まれない)全集を訪問販売で売っていた「ほるぷ出版」を罵倒する文章(1979)や「サンリオ出版「恐怖の報酬」のウンコ的本づくりに文句をつける!」(1978)など、いかにも考古学遺物らしい文章が続く。今書いたら即炎上モノの文章が多い。因みに、今さっき「ほるぷ出版」は倒産したのだろうかと思ってWikipediaで調べたら、まぁここでは言い表せない複雑な40年を経ていた。ある意味日本の出版史を体現するかのような展開だった(^^;)。 また、婦人雑誌も俎上に上げる。ある本屋を覗くと、その四雑誌はみーんな赤色の表紙に金ピカ文字がついていたそう。当時の代表的な女優が勢揃いしている。「主婦の友」(松坂慶子)「婦人倶楽部」(十朱幸代)「婦人生活」(栗原小巻)「主婦と生活」(吉永小百合)‥‥いずれも1979年1月号で、すべて家計簿など七大付録が恐ろしいほど似通っているという。現代日本民俗史に堂々と記録しておくべき文章だと思う。 まだ生き残っている雑誌や、名前すら何十年間も思い出さなかった雑誌が、数十冊阻止にあげられていた。とても面白かった。
2021年09月08日
コメント(2)
「維新史再考 公議・王政から集権・脱身分化へ」三谷博 NHK出版 本書を紐解いたのは「図書8月号」の三谷博さんの寄稿文を読んだためだ。そこでは、「廃藩置県」という、武士階級を廃絶させて7割近くの武士を解雇した大変革に対して、何故武士の側から大きな抵抗が生まれなかったのか、を分析していた。 これは実は、「弥生時代の倭国大乱が大戦争を経ずして話し合いで統一された」という私の問題意識と同一のものであり、俄然興味を持った。著者はたくさんの著書を物にしているが、1番関係性があると思われる本書を採った。ところがいざ読み始めると、想像以上に緻密で総合的、そして独創的な維新史論だった。此処で展開するのは、荷が重いかもしれない。勉強のため、出来るだけ(私流に)まとめようと思う。 本書の概要は「まえがき」で以下のようにまとめられている。 1858(安政5)年、アメリカとの修好通商条約の締結と将軍の養嗣子選定の問題が複合して近世未曾有の政変が勃発し、それを機に近世の政治体制が大崩壊を始めた。その時、認識されていた政治課題を集約する象徴は「公議」「公論」、および「王政」であった。幕末10年の政治動乱は、この2点を軸に展開したのである。それが、2つの王政復古案に集約され、徳川支配を全面否定する方が勝利したときには、次の課題が発見されていた。集権化と脱身分化である。(略)新政府は成立の3年半後には廃藩や身分解放令によって、その枠組みを作った。きわめて急進的な施策である。(5p) ←一般的に、維新は「黒船の衝撃で始まった」と言われているが、三谷さんは「安政5年の政変」を最も重視しています。それからの10年で「御一新」を迎えたのが前半。その後の10年もかなりの激動だったという。明治の歴史は薩長の歴史観でまとめられていて、我々は維新の志士が歴史を作ったのだと思っている。そこから抜け出せないでいたのが問題だった。とても刺激になりました。 以下前半の各論。 ⚫︎近世日本の国家は「双頭・連邦」国家と要約できるように、分権的かつ階層的に組織されていた。この国家は、隣国の清朝や朝鮮のような、科挙と朱子学を核とする一元的な組織と比べると解体が容易であった。それは近世の間に生じた各種の不整合、「権」と「禄」の不整合、さらに実際の制度や慣習とズレた規範的秩序像の登場によって、可能性が強まった。19世紀の日本には現存秩序を正面から否定し、破壊しようとする教義はほとんど存在しなかった。大塩平八郎は稀有の例外である。しかし、権力の規制なしに流布したこの天皇中心の新たな秩序像は「日本」を大名国家を超える至高の秩序と見做し、2つの中心のうち一方だけ禁裏を無条件の中心として想定した。近世国家が容易に解体し、しかも直ちに統合に向かった背景には、このような条件があったのではないかと考えられる。(69p) ←つまり、江戸時代最初から天皇もいる「双頭・連邦」国家は知識人の中では知識としては知られていたが、それを重要問題として明らかにしたのは本居宣長以降、それを尊皇思想としてまとめた藤田東湖以降だというのである。ハッと気がついたのは、「双頭・連邦」国家は「現代日本」も同じということだ。もちろん、憲法の制約もあるし、天皇自身に「その気」がないのは知っている。しかし、何かのキッカケで日本が再び「大きな犠牲者無く」一人の人物による一極集中国家になる潜在的な性格があることは頭の隅に置いておきたい。 ⚫︎幕末日本の外交環境はかなり恵まれたものであった。近隣に同盟国を見出せないという弱みはあったが、他地域で侵略をためらわなかった西洋諸国は、日本ではもっぱら市場の確保にのみ関心を注いでいた。(略)他地域でしばしば見られたような、内乱が列強の間の勢力競争と結合し、収束不能となって、国内諸勢力の共倒れとなる事態は、回避されたのである。(125p) ←この時期、もし英仏が香港のように日本に戦争を仕掛けていたら、ひとたまりもなかったろう。また、英仏の代理戦争を強制させられていたら、と思うとゾッとする。もちろん、勝や西郷などの「警戒心」はあったが、それ以上に運命的な「運」もあった気がする。 ⚫︎一旦始まった敵対関係は、暴力行使という薪をくべられて、さらに激しく燃え上がっていった。一橋党の処分が第一段、王政復古の運動家の逮捕が第二段、公家の処分が第三段、最終的断獄が第四段。ここまでは幕府側の一方的暴力行使だったが、それは桜田門外ノ変という反撃に行きつき、その後はテロリズムの模倣が拡がっていった。暴力は被害者当事者とその近親者の間に根深い怨念を植え付ける。かつての競争相手は不倶戴天の敵と変わり、報復と破壊への願望は日増しに募って、相手方が破滅するまで止むことがない。途中で相手が宥和の姿勢を見せても、それはむしろ弱さと解釈されて、報復衝動はより高まる。暴力は一旦応酬が始まると著しく停止困難となるのである。優勢な方は「暴力を止めるための暴力」と意味付けるが、それが功を奏するとは限らない。秩序回復の努力自体が逆に紛争を拡大し、その中で、政治的妥協は絶望的になってゆくのである。(160p) ←これらの「暴力の連鎖」は、今現在、アフガン国で展開されている。人間てヤツは‥‥。 ⚫︎文久三年(1863)八月十八日のの政変後、急進攘夷派がいなくなった京都では秩序再建の試みが始まった。(略)幕府は自らの権力独占を守るに急で有志大名を排除し、横浜鎖港という実現困難な政策を使って天皇を味方に取り込んだ。短期的には大成功であったが、これは長持ちする策ではなかった。名賢侯を追い出し、更には西洋の軍事圧力を呼び寄せる。(205p) ←現代日本政府を見ているよう。近視眼的で、結局大局を誤る。 ⚫︎慶応3年夏の四侯会議の挫折から鳥羽伏見の戦いの勃発までの中央政局は、武力行使の可能性を明示した上での多数派工作を主軸に展開した。(略)しかし、慶喜はクーデターに憤激した幕臣を抑えきれず、開戦の道を開いた結果、政治的成功を手放した。慶応3年後半の政治家たちは、戦争の可能性を絶えず意識しながら、その都度、戦争の回避を選択し、もっぱら政治ゲームで勝つ工夫を凝らした。最後は開戦に行き着くことになったが、この政治的知恵比べは無駄にはならなかった。慶喜は抵抗を避け、彼の擁護に全力を傾けていた土・尾・越は新政府に留まってその有力な構成員になった。クーデターで掲げられた「公議」の理念はよりさらに発展させられ、逆に武力反抗する大名は東北の一隅に留まった。維新における政治的死者の少なさは、抜本的な改革を多数派工作を通じて行おうとした、この年の努力に負うところが少なくなかったのではないだろうか。(304p) ←三谷さんは、慶喜の京都での「戦争回避の努力」は無駄ではなかったと「総括」する。右か左か、を選択する時に、現代日本のように「北朝鮮への武力介入」「台湾有事への対応」「核兵器を持つべき」という発想をする閣僚が、いかに未来に於いて「危ない人たち」なのかを、私は改めて知る。明治維新が、なぜ世界史的に平和裡に終わったかを、私はもっと知りたいと思う。 ここで、時間切れになった。 私の問題意識とかなりかぶるところがある以上、購入することにした。残りの部分は「電子書籍」版に書くことにしよう。
2021年09月08日
コメント(0)
「春秋の檻 獄医立花登手控え」藤沢周平 講談社文庫 雨が上がったあとの濡れた道を、若い男が歩いていた。 ひと夜降りつづいた雨は、明け方にやんで、道のところどころに水たまりを残すばかりだった。東の空に、雨を降らせた雲が、まだ青黒く残っている。雲にさえぎられて、日の光はまだ地上にとどいていなかったが、日がのぼった証拠に、雲のへりが金色に輝いていた。空気が澄みきって、三月の半ばとも思えないほど、肌寒い朝だった。‥‥(6p) 冒頭である。あゝ藤沢周平の世界だと思う。なんのことはない描写ではあるが、この「若い男」が幸薄い世界を歩いていることだけは、なんとなくわかる。しかし、それは真っ暗闇の絶望的な世界なのではない。 「若い男」は女に会いに来たのであるが、木戸から出てきたのは待ち伏せをしていた岡っ引きだった。お縄になり、牢屋に入れられる。若い獄医の立花登は、診察時に「若い男」勝蔵の頼み事につい耳を傾けてしまう。「ある長屋を訪ねて10両を受け取って、おみつという女のもとに届けて欲しい」。しかし、10両という大金、相手が簡単に渡すはずもなく、登は襲われてしまうのだが‥‥。 藤沢周平の再読である。 でも、私には自信があった。 ・ほとんどが20-40年前の読了なのですじは一切覚えていない。 ・目を瞑って、どの藤沢本を選んでもハズレはない。 ‥‥その通りだった。新鮮に読めた。 わたしは約95%ほどは藤沢作品を読了しているけど、本書は約35年ぶり。発見の多い読書となった。 立花登シリーズは藤沢周平の代表作というわけでもない。最近NHKが溝端淳平主演でドラマ化した、というわけからでもなく、電子書籍で少し安く買えたので暇つぶし用に用意したのだが、表紙をスクロールしたが最後、止めること能わなかった。 著者の狙いは明らかだ。 主人公を短編にちょうどいい設定に作っている。 立花登は地方出身の医者見習いの若者。しかし必要な医術は一応できるから、藪医者の叔父貴の家に寄宿しながら獄医の代診も引き受けている。若いから理想家肌、純粋ではあるが、美人には弱い、また情に流されやすい。その一方で柔術の免許皆伝、達人という腕前だ。獄医者をしているので、犯罪と接点を持つ。武士としての責任はないが、岡っ引きや同心から情報を引き出すこともできる。若いので、無鉄砲に首を突っ込み、早急に解決に導く。 35年前にはわからなかった、立花登の女の色気に敏感な部分や従姉妹のおちえの不良に辟易しながらも時々ドキッとしている部分もわかるようになった。頭は良いし、腕も立つのでなんとか切り抜けるのではあるが、今読むと危なかしくてたまらない。藤沢周平は、そんな彼を息子を見守るように描いていたのではないか。 性悪女を信じて島流しにまでなるのに女に金を渡そうとするいじらしい勝蔵という男や、様々な哀しい男女を描きながら、立花登が若くてのほほんとしていて、それでいて強いので、作品に藤沢初期のような暗さはない。むしろ明るい。 さて、次は藤沢周平の何を読もうか?
2021年09月06日
コメント(0)
少し前のニュースですが、平和新聞県内版8月号です。 緊急事態宣言の合間を縫って開催された「水島空襲を考える集い」の未発表写真を下に載せます。
2021年09月05日
コメント(0)
見ようによっては、とても怖い写真。
2021年09月04日
コメント(0)
「図書2021年9月号」 吉田篤弘さんの「王子さまのいない星(下)」。8月号の(上)は謎の提示編でした。私は「アンチ星の王子さま」になるのだろうか?と予想していたのですが、普通の吉田篤弘版星の王子さま論でした。まぁそれでも、学びはありました。久しぶりに読んでみようかな。 大変おもしろかったのは、落語家・柳家三三さんの「無駄と遠廻りと、行きあたりばったりと」。私は書評だけでなく、映画評や凡ゆる文章も、遠廻りに他の話題から入る癖があって、三三(さんざ)さんが「マクラがどんどん脱線して何の話をしていたのか分からなくなってしまう現象」にはとても共感します。今回の三三さんのは巻頭寄稿なので、流石に綺麗にまとめています。 とっても共感したといえば、柳広司さんの「時差式」。編集者の「時事ネタでお願いします」という要請に、「6月末時点で時事ネタは(略)東京だけで大騒ぎしている五輪開催の行方でも、ワクチン接種段取りの不手際でも、お店でのアルコール提供は何時までといったことでもなく「重要土地利用規制法成立」の一事につきる」というチョイスの仕方です。「えっ?重要土地利‥‥何それ?」と思った貴方、それこそが現代日本を象徴している現象です。柳さんは「ひどいザル法」「戦前の治安維持法そっくり」と言っています。柳さん同様、私もこんな酷い法案、流石に今国会では通らないだろうと思っていたらしらっーと通ってしまいました。柳さんは字数の関係か書いていないけど、この法律明らかに憲法違反なんですよ。憲法第三十一条「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」ところがこの法律、肝心の「法律の定める手続き」が一切書かれていない。全部政府に丸投げ、閣議決定でいくらでも細かいことは決められる。例えば辺野古基地を指定軍事施設にすれば「沖縄辺野古基地に反対する人々を逮捕できる」んです。例えば、貴方のすぐ側にも「軍事施設」はあるはずです。その周り10数メートルでは、総ての「不穏な動き」は監視されても文句は言えなくなります。土地を持っていたら、接収・利用されても文句は言えなくなります。知ってました?知らないでしょ。でも「私たちは知らされていなかったんです」というのは、先の大戦でも数多くの庶民が言っていたことなんですよ。「ザル法の弊害は時差式で現れる」。来年施行までに法律廃止が唯一の方法です。
2021年09月03日
コメント(0)
「翔ぶ少女」原田マハ ポプラ社 あかん、これ外で読んだらあかんやつやった。 最初から最後までグズグズやって、恥ずかしいたらありゃしない。 1995年1月17日(火曜日)午前5時47分。あの朝のことは忘れない。遠く岡山で遭って「たった」震度4でも岡山県人には生涯初めての揺れだったし、その2週間後ボランティアで行った神戸の風景は、それまでの世界観を揺らがせるには充分だった。全然他人事のように読めんかった。 長田町のパン屋のイッキ、ニケ、サンクの三兄妹は、両親を失い、命を助けてくれたゼロ先生の養子になる。こんな家族もおったはず。原田マハさんは2012年に連載を開始しているから、東日本大震災のあとに書き始めているけど、僕は3年前の西日本豪雨をも思い出した。あのうだるような夏のボランティア作業を思い出した。95年から、災害はいつか日本人の運命と共にある。 喪失とどう向き合うか。 ボランティアとは何か。 生きてゆくとは何か。 丹華(ニケ)は発見する。 ‥‥急に思い出した。 震災の直後に、ゼロ先生に同じことを言われた。 ーギリシア神話に出てくる、勝利の女神や。‥‥言うてもわからへんか。とにかく、女神さまやで。翼が‥‥羽が生えとぉねんぞ。背中にな、こんなふうに、大きな羽が。‥‥ ニケは前を向く。 (2021年9月1日防災の日記入)
2021年09月01日
コメント(0)
全23件 (23件中 1-23件目)
1