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「麦本三歩の好きなもの第二集」住野よる 幻冬舎 麦本三歩は推しメンです。 あ、いや、別に流行り言葉に乗ったわけじゃなくて、2年前の8月の第一集マイレビューにちゃんと断っていまふ。噛んだ。 何度も言うけど、私は「一生懸命頑張っている女の子」が好きなんです! 緊張しいで、 マトモなこと言おうとすると必ず噛むし、 ミスばかしで何千回先輩に怒られたかわかんないし、 自己肯定感薄くて「ひとりツッコミ」大得意、 なんだけど、 小説のお陰で彼女の内面まで丸わかりの私は、 三歩が真っ直ぐで誠実で一生懸命なこと、 知ってる。 第一集にて、 「確かに三歩を彼女にしたら、毎日が心配で堪らなくなるかもしれない。でも孫娘ならば、生きてくれているだけで嬉しい。」と書いたけど、 訂正します。 今回三歩にもボーイフレンドが出来た?ようだけど、 彼とおんなじで、 充分に三歩のこと理解できたら、 彼氏になっても「やっていける」自信?がつきました。 それに、女の子友達だけじゃなくて、 弟にもタメ口、カミカミなしの流暢な会話ができていることが証明されました。 つまり、早くその段階までの関係になればいいんです。 三歩の主観では、優しい先輩、おかしな先輩は三歩の味方になってくれていると思っているかもしれないけど、おかしな先輩は基本三歩のこと嫌いだから。まぁ気がつかなくて良いんだけど。 1番三歩のことを好きだった怖い先輩が居なくなって、 これから社会人4年目の三歩の未来は如何に。 ずっと応援してます。 ところで、文庫本と違って単行本には、リアル三歩らしき女の子が、今回は図書館(武蔵野プレイス)で働いている所でした。この装丁好きです。奥付説明見て、モデルはBiSHのモモコグミカンパニーさんとか。アマプラで聴いてビックリ!でも三歩の好きな歌手はラッパーなので、案外実際の所こんな女性なのかも。うーむ、よくも彼女を選んだもんた。。噛んだ。
2021年05月31日
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「海に生きた人びと 漁労・塩づくり・交流の考古学」大阪府立弥生文化博物館 平成29年度(2017)秋季特別展図録 109pオールカラー 塚本浩司その他執筆・編集 〈ホモ・サピエンス、海を知る〉 原生人類は20万年前に誕生した。8万年前に「脱アフリカ」を図った。大きなルートのひとつとして、バブ・エル・マンデブ海峡を通ってアラビア半島に至る道がある。それでも11キロの海を渡るためには舟を利用しなければならなかった。それから更に4万年後人類は日本列島に至る。海面低下はあったが、対馬海峡も津軽海峡も陸地化せず、琉球列島も大陸とは繋がっていなかった。つまり旧石器人は、航海者だった。特に大陸と陸続きだった台湾から宮古島を経て沖縄本島に渡るのは、かなりな困難がある。偶然の漂流は考え難い。複数の男女の移住が絶対条件だからである。 何故渡ったのか?その社会的・経済的理由は明らかではないが、 「探究心」という〈本能〉は無かったのだろうか? 舟は何処まで発達していたのか? 〈縄文時代〉 縄文海進によって、良好な漁場が増えた。 その規模で、加曽利貝塚も遠く及ばない中里貝塚(東京都北区・中期後半)がある。遺物の出土が殆どない。大型の貝加工工場だった。海岸部と内陸部との交易、地域間での分業の発達があったことを物語る。 〈海民〉 モリで大物を狙い、柄は突き刺さると離れる。誉ある男の所有物だったろう(表紙参照)。ヤスは柄が固定された突く道具。 縄文人はイルカ漁もしていた(横浜市称名寺貝塚)湾内に入り込んだイルカを、浜辺に追い込んで捕獲した。大型の鹿角製の鉤引式モリ頭が活躍した。他にもカジキやマグロ、スズキ、クロダイ、サメなどを獲った。 網漁もしていた。石錘と浮子(うき)の出土で判明。魚はカロリーは高くなく、食べれる人たちは階層が高い人たちだった? 〈製塩〉 海水には塩分3.4%。海水濃度を上げる(採鹹)。煮沸して結晶化させる(煎熬)。更に不純物を含むので水分を吸収して解けるのを防ぐために土器に入れて加熱することもある(焼塩)。 藻塩焼く、は不効率。製塩土器が縄文時代より始まる(宮城県松島湾沿岸・後期後葉) 重要な指摘がある(22p) 縄文時代、塩分は動物や海水を調理に使うことでも取ることができた。魚や貝を大規模に塩蔵加工するには量が少ない。 塩のネットワークの意味は何か?社会的な意味があったのではないか? 人類学的考察で、塩で固めた祭祀道具があったのではないか? それは弥生時代でも可能だろう。 〈弥生時代〉 〈北部九州の海〉 九州型石錘(楕円形に整形、孔や溝を掘り込む) 潜水漁が盛ん(魏志倭人伝)アワビオコシ有り(壱岐・北部九州・山陰)クジラ製のアワビオコシ(菜畑遺跡) 中期は勒島が交易中心、中期末から後期に原の辻遺跡へ(伊都国と経済的にひとまとまり)、終末期は福岡市西新町が国際港へ 〈船を大きく〉 縄文時代(刳り船)→弥生(準構造船) 竪板タイプと貫型タイプ 伊都国糸島市の井戸転用の板は6メートル(縄文時代と大差ない) 大阪府久宝寺遺跡(竪板)12メートル 櫂を使って動かす。しかし、日数をかけた航海では食糧・水や休眠のための港は不可欠、港のネットワークの発達で、海上交通に基盤を置く権力者も出現し始める。 〈昔も今もタコが好き〉 弥生時代からタコ専用の壺漁は始まり、飯蛸用と真蛸用の壺があった。 最古の壺は池上曽根遺跡(中期前葉)ここから西へ広がる。大型建物近くの土坑からまとまって出土も。祭祀道具? 〈北海道の海〉 北海道伊達市有珠モシリ遺跡から南の島でしか採れないイモガイの貝輪が出土した(続縄文時代)。同じものは長崎県佐世保市宮の本遺跡から出土。琉球から九州を経て北海道まで行く。南の島への憧れ、があったのか? 〈北海道だけではない〉 九州にはたくさんの南の島の貝製品が出土する。九州の人たちが、何故南の島に憧れるのか?もっと豊かな〈物語〉があるはずた。おそらく種子島がその貝交易の中間地点だった。実に豊富な貝製品がある。貝輪だけでなく、現代でも綺麗な貝符(イモガイを板状に加工、500点以上出土)がある。中国式の文様もあり、穴を開けて衣服にしばりつけていた。 〈弥生時代の製塩〉 水田稲作の時代に塩の需要は増加する。 専用の製塩土器を使い出したのは、児島半島の中期後半からだった。当時は児島は島だった。 製塩土器はしっかりとした脚台を持つボール状の台付鉢からやがて、ケズリによって表面を整形したビールグラス形(熱効率良い)になる(中期中頃)。終末期には、タタキで更にスマートに。吉備から後期後半になると、大阪湾南部紀淡海峡辺りで塩作りが本格化する。吉備から単純に技術を受け入れたのではなく、自主性もある。吉備はタタキ手法はここから採ったか? 作り方は、海藻を使って濃縮した海水を土器で煮詰める。少なくなれば、継ぎ足して行く。内面にびっしり塩がへばりつき、塩は明るい色に変色している。無駄なく取り出そうとすれば、壊すしかない。 塩の力は、終末期の国々の力関係をどう変えたのか?塩の交易のために、吉備は軍隊を持たなかったか?ホントは鉄よりも塩のために西日本の統一がなされたという説はあり得るのではないか?むしろ弥生終末期に、備讃瀬戸と淡路、大阪南部にしか製塩土器が見つかっていないのが意外だ。交易に使う塩はそれなりの技術と知識が必要だったのだ。 ヒトは1日5グラムの塩を必要とす。仮に500人の国で、半分の製塩が必要とすると、1日1キロ以上の買い取った塩が必要となる。1か月で30キロ。だとすると、塩はその時調味料ではない。クスリだ。国の力が弱まっている、その理由を塩にあると知った為政者は、何をもってしても塩を求めたのではないか? 更には馬は1日40-60グラムの塩を必要とするという(運動すれば100グラム以上)。弥生時代に馬はいないが、もしいたならば? 古墳時代以降は割愛する。
2021年05月30日
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ワクチン接種が云々やっている隙に土地利用規制法案が衆院で強行採決された! とんでもないことである。 (日本平和委員会ホームページより) 危険な「土地利用規制法案」を廃案に! 菅政権が今国会での成立を狙う「重要施設周辺及び国境離島等における土地等の利用状況の調査及び利用の規制等に関する法律案」(「土地利用規制法案」)は、市民を監視し、市民運動を弾圧し、私権を制限する危険な中身です。 法案が通れば、すべての市民を対象にした個人情報の収集のみならず、基地の近隣住民の監視や基地への抗議行動の規制が、政府の恣意的判断で実行されることになります。 日本国憲法の平和主義に反する本法案を、何としても廃案へ! ★内藤功弁護士による緊急学習会を開催しました。 →「土地利用規制法案の危険」録画へ どの報道もとっても他人事。 憲法が保障する「自由」への重大な侵害なのに! 朝日の記事はとても他人事です。それでも、コレは一生懸命問題点を探ろうとしている。でも、不十分。 重要土地等調査法案とは 土地規制法案とは? 自衛隊基地の周辺、持ち主を調査も 太田成美 2021/5/27 7:00 自衛隊基地のまわりや国境離島などの土地の利用を規制する法案が国会で審議されている。法案の狙いや中身、課題は何か。 ADVERTISEMENT ――どういう法案なのか? A 政府が安全保障の上で重要だと判断した施設周辺で、土地や建物の利用状況を調べ、持ち主を調査することもできる。自衛隊や米軍の基地、海上保安庁などの周囲1キロや、日本の国境近くの離島が対象になっている。 ――何で規制するのか? A 自衛隊基地周辺などで外国の会社などが土地を買う例があり、専門家から安全保障上のリスクがあると指摘されていた。 ――土地の売買では、事前の届け出も必要になるとされている。 A 政府が特に重要だと思う施設のまわりを「特別注視区域」に指定する。その区域の中で土地や建物を売買する前には、名前や住所、利用目的を届け出る必要がある。 ――罰則もあるのか? A 施設の機能を害する電波妨害などの違反があれば、勧告や命令が出され、それにも従わなければ、懲役を含む刑事罰が科される。事前届け出をしなくても、罰せられる。 ――そもそも「調査」というのは、どこまでが範囲となるのか? ADVERTISEMENT A 法案では、個人情報の保護に配慮し、「必要な最小限度」の措置にとどめると義務づけられている。しかし、具体的な内容は後から政府が「政令」で決められる。国会でチェックされず、思想信条など個人情報が際限なく集められる恐れを指摘する意見もある。 ――ほかにも今回の規制に課題はあるのか? A 事前届け出は自由な経済活動を妨げることにつながることから、公明党が「対象範囲を絞るように」と主張した。自民党との協議の結果、建物の多い市街地を法施行時には対象外にすることを申し合わせた。ただ、ずっと外れるかどうかは分からない。国会審議で政府がどこまで約束するかが問われる。(太田成美) そして、沖縄タイムスの社説記事は少し問題点に接近している。切実な問題だからだ。 社説[土地規制法案]懸念だらけ 廃案にせよ 2021年5月27日 07:00 自衛隊基地や原発など安全保障上重要な施設周辺の土地利用を規制する法案を、自民党は28日にも採決する構えだ。 私権を制限し、正当な経済活動にも影響を及ぼしかねない内容である。あやふやな部分が多く、恣(し)意(い)的な運用が危惧される。あまりにも問題が多い。政府は法案を取り下げ廃案にすべきだ。 法案は、重要施設の周囲1キロや国境の離島を「注視区域」に指定し、所有者らの情報を収集、分析する権限を政府に与える。施設の「機能阻害行為」に対しては中止勧告や命令を出せ、罰則も科せる。 さらに自衛隊司令部周辺や領海の基点となる無人の国境離島などは、特に重要な「特別注視区域」に指定し、一定面積以上の売買には利用目的の事前届け出が義務付けられる、というものだ。 政府は土地取引に関する情報や、土地利用者への聴取は内閣府に新設する組織が担い、情報を一元管理する、と説明している。 26日の審議で、収集した情報を内閣情報調査室などと共有する可能性について、小此木八郎領土問題担当相は「関係機関の協力を得ながら、必要な分析をすることはあり得る」と認めた。 土地の所有者や利用者がどんな人で、施設の機能を阻害する恐れがあるのかどうか。その判断材料として、収集される情報が名前や住所、国籍、土地の利用状況にとどまらず思想・信条や所属団体、交友関係、海外渡航歴など際限なく広がる恐れがある。 日常的に市民が監視され、人権侵害につながる懸念が払(ふっ)拭(しょく)できない。 ■ ■ 2年前のドローン規制法の改正によって基地周辺の空域が規制された。次は陸域の規制ということだ。沖縄の基地抗議運動への影響も懸念される。 沖縄弁護士会は法案に反対する会長声明を発表した。沖縄は県土そのものが国境離島で、米軍基地も多く抱え「県民誰もが調査規制対象となってもおかしくない」と訴えた。 弁護士会として反対声明を出し廃案を求めたのは、法案が沖縄へ及ぼす影響の大きさを示すものである。 自民党の杉田水脈議員は法案審議で、名護市辺野古の新基地建設に対する抗議活動に参加する市民が食べる弁当のごみが、米軍基地の機能を阻害する恐れがあると指摘した。 県民が基地の過重負担によってどれほど苦しみ続けてきたのか理解が及ばぬ発言である。 ■ ■ 法案は、そもそも肝心の「機能阻害行為」とは何か、が明らかにされていない。 どのような行為が該当するのかは、法成立後に閣議決定される「基本方針」などで規定するという。罰則も設けられた厳しい措置にもかかわらず、国会の承認を必要としないのは疑問だ。 自民、立憲民主両党は運用に関し国会や自治体の関与と、私権制限に配慮することを求める付帯決議に大筋で合意した。だが、この程度では政府に歯止めはかけられない。やはり廃案しかない。 特に問題なのは、 「どのような行為が該当するのかは、法成立後に閣議決定される「基本方針」などで規定するという。罰則も設けられた厳しい措置にもかかわらず、国会の承認を必要としないのは疑問だ。」の部分だ。特定秘密保護法と共謀罪と合わせると、なんでもアリになる。今は日本原基地とかわかりやすい施設が対象となるかもしれないが、やがてすぐに日本中至る所になる。日本中何処で何をやっても「調査規制対象」になり、行動が丸裸にされて、「処罰」の対象になる。恐ろしい世の中になる。 コロナ禍で騒いでいる隙にとんでもない法律を通そうとしている。断じて許してはならない!
2021年05月29日
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「生きているだけで、愛」 ネトモの紹介。 「個人的にはあちらの方が、最優秀メンヘラー賞Death!(笑)」 完全躁鬱で、完全病気なんで、早く治療しろよ、というのが先になって入り込めなかった。 趣里が完全スッポンポンになって力演しているのだけど、菅田将暉が器用に受け身演技しているのだけど、これよりは「愛がなんだ」の方が身近なだけに良かったな。 (解説) 生きてるだけで、ほんと疲れる。鬱が招く過眠症のせいで引きこもり状態の寧子と、出版社でゴシップ記事の執筆に明け暮れながら寧子との同棲を続けている津奈木。そこへ津奈木の元カノが現れたことから、寧子は外の世界と関わらざるを得なくなり、二人の関係にも変化が訪れるが……。 原作は2006年に劇作家・小説家の本谷有希子が発表した同名小説。過剰な自意識に振り回されて自分自身すらコントロールできず、現実との折り合いが上手くつけられない女性の葛藤を疾走感あふれる文体でコミカルに描き、新たな恋愛小説の道を切り開いた。映画ではそんな原作のエッセンスを受け継ぎつつ、男性である津奈木のキャラクターを独自に膨らませるなどして、より二人の関係性にフォーカス。リアルとバーチャルが混在する社会で、他者とのつながりを求める現代の若者たちの姿を、エモーショナルなラブストーリーで綴る。 自分にも他人にも嘘がつけず、真っ直ぐすぎるゆえにエキセントリックな言動に走ってしまうヒロインの寧子には、「ブラックペアン」での好演も記憶に新しい趣里。舞台では圧倒的なオーラを発し、テレビドラマでも際立って爪痕を残す彼女が、自身のキャリアの代名詞になるであろう人物に命を吹き込んでスクリーンに鮮烈に焼きつけた。繊細な危うさと感情豊かな力強さを体現した演技力はまさに圧巻で唯一無二のものである。寧子の相手、津奈木役には今年第41回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞に輝き、名実ともに若手俳優の頂点に上り詰めた菅田将暉。本作の甲斐真樹プロデューサーとは同映画賞で新人俳優賞を受賞した『共喰い』以来の再タッグとなるが、閉ざされた心情と生き様を抑制の効いた受けの芝居に滲ませ、優しさと無関心がない交ぜになった男の肖像を等身大の存在感で魅せるという進化を披露している。また、その元・恋人で津奈木を取り戻そうとする安堂に「ホリデイラブ」でのサレ妻キャラも話題になった仲里依紗、寧子が働くカフェバーの店長夫妻に田中哲司、西田尚美、津奈木の上司に松重豊、同僚には『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』の石橋静河らが扮し、二人を取り巻く奇妙な「普通」を形作る。 今の日本映画界の流れに一発のカウンターを仕掛ける本作のメガホンを取ったのは、これが劇場長編映画デビュー作となる関根光才。CMやMVディレクターとして培った映像センスをともないつつ、フィルムの質感にこだわり、生身の人間に宿る心のなまめかしさとざらつきを16mmのカメラで撮影。初監督ならではの初々しい感性と確かなビジョンで、儚くも熱い愛の美しさをとらえ、処女作としてパーフェクトなスタートを飾った。さらに世武裕子によるエンディング・テーマ「1/5000」は詩人の御徒町凧も共に作詞を手がけ、作品の余韻をじんわりと彩る。 愛することにも愛されることにも不器用で関係が成就する前に自ら壊してしまうような女。他人と距離を保つことで傷つきも傷つけもしないけれどすべてをあきらめているような男。完全に破綻して見える二人が一緒にいるのは、歪な自分を受けとめてくれる相手がお互いに必要だったから。その内側に透けて見えるのは、私という存在を誰かにわかって欲しい、誰かとつながりたいという強烈な叫びだ。それを愛と呼ぶならば、まず自分で自分を受けとめなければならない。生きている限り、自分と別れることはできないのなら、せめて一瞬でも分かり合えたと思える瞬間を信じたい。だからどうかありのまま愛することを許してほしい、「あなた」を、そして「私」自身を。 2021年5月19日Amazonプライム・ビデオ視聴 「天使のいる図書館」 小芝風花の2度目の主演映画ではあるが、残念ながら大和高田市、葛城市、広陵市の観光映画のようになってしまった。まぁ某映画のように酷くはないが、ご都合主義と極端な設定と安易なエンドで、どうかなあと思う。香川京子の最後の出演映画かもしれない。 見どころ 『魔女の宅急便』などの小芝風花を主演に迎え、奈良県葛城に実在する図書館を舞台に描くハートフルな人間ドラマ。赴任したばかりの新人司書が、地域住民との交流を通して風土や土地の歴史を体得しながら人間として一回り大きくなっていく姿を映す。『桜ノ雨』などのウエダアツシ監督がメガホンを取り、脚本を『百瀬、こっちを向いて。』などの狗飼恭子が担当。悠久の歴史を刻む里の春夏秋冬の風景に見とれる。 あらすじ 新卒のさくら(小芝風花)は、奈良県葛城にある図書館の司書として働き始めるが、毎日が緊張の連続だった。ある日、彼女は図書館にやって来た利用者と一緒に探し物をすることになり、自分が勤める地区の隅々まで足を延ばすようになる。やがてさくらはたくさんの地域の人々と知り合い、これまで知らなかった地元の魅力に気付いていく。 2021年5月23日Amazonプライム・ビデオ視聴 「火口のふたり」 荒井晴彦節炸裂の一作。 確かに、久しぶりに会った2人が五日間ヤルだけのお話である。 その間に、2人の人生観と行き違いもわかるし、集団的自衛権やら秘密保護法やら原発やら変な単語も使われる。 でも、全然前衛的でもなければわかりにくくもない。 丁寧に男女のキビを扱った普通の作品だったと思う。 富士山が爆発したら戦争みたいになる、という賢治の感想は、コロナ禍の現在同じようになっているので、ほとんど2年後の日本を予言したような作品でもある。このような日本になったので、2人は、秋田の地できっと2人で暮らしてることだろう。 瀧内公美の魅力満載。柄本佑も上手い。上手いなあ、2人芝居で上手く作品に昇華する。こういう映画もあるんだ。 【イントロダクション】 直木賞作家・白石一文 初の映画化 本作は、09年「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」で山本周五郎賞、10年「ほかならぬ人へ」で直木賞を受賞し、幅広い世代から絶大な支持を得る白石一文による著作の初の映画化となる。 映画化を快諾したという白石氏は、「『赫い髪の女』や『遠雷』の頃から荒井晴彦さんの脚本に魅せられてきた者のひとりとして、その荒井さんから映画化の話をいただき、一も二もなくすべてをお任せすることにした。 しかも今回は自らメガホンを握って下さるという。原作者としてこれに優る光栄はない映画界の伝説ともいうべき荒井晴彦さんの手で、その光がよりなまなましく、妖しく観る者の心を照らし、身の内に眠っていた「おとこ」や「おんな」が強く喚起されんことを切に願っている。」と語り、映画化へ向けて期待の言葉を寄せている。 『ヴァイブレータ』『共喰い』『海を感じる時』日本を代表する脚本家・荒井晴彦監督作 数々の作品で、男と女のエロティシズムを表現し、キネマ旬報脚本賞に5度輝く、日本を代表する脚本家・荒井晴彦。本作は、『身も心も』、『この国の空』に続き、脚本・監督に挑んだ渾身の一作。「死とエロスが匂いたち、相米慎二監督も惚れ込んだという秋田の西馬音内盆踊りと、男女の恋を絡めた映画を作りたかった」と語り、物語の舞台を福岡から秋田へ変更し、全編秋田ロケを敢行した。また、写真家・野村佐紀子によるモノクロームの写真の数々によって、主人公のふたりの過去を鮮やかに蘇り、映画ならではの抒情的な世界観を作り上げることに成功した。さらに、登場人物たちの感情を代弁するかのような下田逸郎によるメロディアスな楽曲が、男と女の深淵へと迫る物語へと見事に昇華させている。 柄本佑・瀧内公美 ふたりだけの日常、ふたりだけの会話、ふたりの身体の言い分 主演を務めたのは、『きみの鳥はうたえる』などで数々の賞を受賞し、今日本映画界で欠かせない存在となった実力派俳優・柄本佑と、廣木隆一監督の『彼女の人生は間違いじゃない』での演技が評価され、活躍の場を広げている新鋭・瀧内公美。出演者はこの2人のみ。数年ぶりの再会をきっかけに、抑えきれない衝動の深みにはまっていく危うい関係を、大胆かつ濃密に演じきった。 他愛のない会話、食事、セックスを繰り返し、「身体の言い分」に身を委ねるふたりの日常の中の性愛。 「世界が終わるとき、誰と何をして過ごすか?」という究極の問いを、観る者に突きつける衝撃作が誕生した。 【物語】 十日後に結婚式を控えた直子は、故郷の秋田に帰省した昔の恋人・賢治と久しぶりの再会を果たす。 新しい生活のため片づけていた荷物の中から直子が取り出した1冊のアルバム。 そこには一糸纏わぬふたりの姿が、モノクロームの写真に映し出されていた。 蘇ってくるのは、ただ欲望のままに生きていた青春の日々。 「今夜だけ、あの頃に戻ってみない?」 直子の婚約者が戻るまでの五日間。 身体に刻まれた快楽の記憶と葛藤の果てに、ふたりが辿り着いた先は。 【クレジット】 出演 柄本佑 瀧内公美 原作 白石一文「火口のふたり」(河出文庫刊) 脚本・監督 荒井晴彦 音楽 下田逸郎 写真野村佐紀子 絵蜷川みほ タイトル町口覚 特別協力あきた十文字映画祭実行委員会 よこてフィルムコミッション 秋田フィルムコミッション研究会 2021年5月21日Amazonプライム・ビデオ観賞
2021年05月28日
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「ヤマユリワラシ 遠野供養絵異聞」澤見彰 ハヤカワ文庫 遠野市立博物館は2001年、「供養絵額」の大規模な展覧会を開催した。お寺に奉納されていた絵馬のようなものであるが、普通の絵ではない。全て、死者の絵であり、みんな幸せそうな表情で、ありとあらゆる幸せアイテムに囲まれている。遺族が、死んだ後の幸せを願って描かせた絵である。よって、現実はその反対である場合が多かったろう。遠野が発祥の地らしく、現存401点の半分以上が遠野で確認されている。 本書は、その供養絵始まりの物語を、本場遠野を舞台に、若干空想的設定を混ぜながらも、弘化の三閉伊一揆(1847)や嘉永の三閉伊一揆(1853)の歴史的事実をも取り込んで描かれた小説である。実在の人物、外川仕候を主人公に据えながらも、座敷わらし伝説や、多賀神社の化け狐伝説を物語に取り込むことによって、結果的に苛烈な藩主のもとで重税に苦しんでいた盛岡藩の百姓たちに寄り添った話になった。 webで実際の供養絵を探したが、3-4枚しか見つからなかった。一度見たら忘れられない。普通の様式張った錦絵のようなものなのであるが、過剰なぐらいに物に囲まれて、色も鮮烈、その全てに戒名と没年、行歳、俗名が記されているのが特徴である。私はこの供養絵を見て、小説を読んでみたいと思った。誰にも師事していないアマチュア画家が、やむに止まれない理由で描き始めたのだという事を確信した。本書は文庫書き下ろしではあるが、県立図書館には置いていなくて、県北の真庭市立落合図書館という謂わば辺鄙な所にある図書館から転送してもらった本である。何故、そこの住民か司書か知らないが、おそらく県で唯一この本を注文したのか?私はそこにも〈物語〉があるような気がするのである。
2021年05月26日
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「マナーはいらない 小説の書きかた講座」三浦しをん 集英社 いつかは弥生時代を背景とした大河小説を書きたい。そんな野望を持っているが、25年間一つも書けていない(泣)。そんなこんなで、藁をもすがる気持ちで紐解いた。文章教室的な本は幾つか読んだが、「エンタメ小説」指南書は初めて。忖度無し、コレは思いもかけず1番参考になる本だった。 しをんさんは「推敲に推敲を重ねよう」と言っているので、感想代わりに、最近このブクログ欄で原稿用紙約9枚のレビュー代わりの小説を書いたので、それを推敲してみようと思う(長さ問題があるので、引っかかった部分だけ)。 「白銀の墟 玄の月(3)十二国記」小野不由美 新潮文庫(20年5月6日) を、検索してみてください。これは、小野不由美女史が創り上げた「十二国世界」の、「創世記」を私流に「でっち上げた」お話です。つまりテーマは、大胆無謀にも、私流の「十二国世界観」です。 〈人称問題について〉 短編なので、一人称は正しかった。本当は主人公はキャラ立ちさせるべきなんでしょうが、長くなると問題なので、便宜的に中国秦国の官僚で記録官「中書令」の犀子(創作)を語り手にしてしまった。上手くいったと思います。大河小説ならば、三人称単一視点も試してみようかな。 〈比喩表現について〉 頭いたい。そもそも、もっと膨らまして9枚→100枚ぐらいには、するべき内容だったと思う。よってするべき比喩はほとんどできていません。でもそんなに長くなったら誰も読んでくれない!!あ、ごめん。この小説は〈小説〉と言ったけどホントは〈プロット〉というべきでした。誰か、これを原案に小説に書いてくれないかな。その前に小野先生に読んでほしいな。因みに三浦しをんさんは、新刊発売直後は感想検索しているみたいです。・・・なんか、「推敲」と言いながら「自己満足」と「言い訳」ばかしだな。 〈セリフについて〉 主な登場人物は3人で、喋るのは主には2人なのだから、此処で出ている「どの様な人が喋っているのか、誰が喋ってるか」技巧は難しくありません。むしろ気がついて欲しいのは、秦国の丞相である李斯は、最初はお尋ね者盧生を呼び捨てにしていますが、セリフのやり取りの途中、相手の正体に少し気がついてきて敬語を使い始めます(少し自慢)。‥‥だけど、繰り返しますが、構成からいってもホントは100頁半分をかけて李斯と盧生の関係を描くべき作品です。あゝ枚数が! 〈取材方法について〉 大変参考になりました(最大限ツテを利用、相手の佇まい・口調に注意)。‥‥でも、ホントは25年間ずっと取材しているようなもの。 〈高揚感について〉 しをんさんは、本の1/5ぐらいを使って映画「ハイロー」論を展開していて、ちゃんと高揚感の手本を見せてくれています。本来なら、私も映画を観た上で本書評を書くべきなんでしょうが、アマプラ無料にはなっていなくて断念しました(^^)。「青臭いセリフは小説だからこそ生きてくる」‥‥案外小説を書くには高揚感は必要なことなんだと思いました。 〈描写と説明について〉 「(粘りすぎるとくどくなるので)さりげない塩梅の描写を探ってください」という指摘が、繰り返しますがこの小説には適応しませんが、グサッグサッと来ました。「あれ?この納豆、あんまり糸を引かないな」‥‥そうです。25年間も温めていたら、そりゃ発酵を通り越して腐るわな(石になっているかも)。 〈書く際の姿勢について〉 「周りのアドバイスなど無用!」友達や同僚から感想を求めない方がいい。・・・迷っていましたが、ホント有り難きお言葉。SNSレビューも気にする必要なし。まぁそうなんだよね。だいたい、自分できちんと推敲出来なかったら、書く資格はない。 〈文章、書き進めるコツについて〉 「文章のデッサン力」という瞬発力が身に付いていたら、あとは「マラソンを完走する」持久力です。とのこと。「闇雲に走らない」。どういうコースか知らないままに42.195キロを走るマラソン選手はいない。「あと2キロ先に給水ポイントがある」とわかっていれば踏ん張りがききます。「ここから上り坂が続く」とわかっていれば、息切れせぬように慎重に行こう、とペース配分できます。‥‥心しておきます。 書いてみて気が付いたけど、しをんさんの本自体が脱線しまくりなのを良いことに、全然「推敲」になってないな。
2021年05月25日
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「現代日本文学体系82加藤周一 中村真一郎 福永武彦」筑摩書房(1971年発行) 最近古書で手に入れた。欲しかった本である。何故ならば「1946文学的考察」が全文載っているからである。私のライフワークは加藤周一なので、「1946」とそれに関する加藤の事について書くだろう。 加藤・中村・福永3作家の共著「1946文学的考察」は、戦後出版業界がようやく立ち上がりつつある時に、雑誌「世代」に、ほとんどわら半紙印刷体裁で連載された。27-28歳の青年による、新しい世代の、時代・文学・世界に向けての文学的宣言だった。私は加藤周一著作集で加藤の担当章と関連文章は読んだが、各人の文章は初めて読んだ。発見したことは多い。 以下、いつか書かれる(35年間書かれていない)「加藤周一論」のためのメモである。 ⚫︎「1946文学的考察」は、3人の文学を語る上でも、戦後文学史を語る上でも重要書物である。何故ならば、3人にとっては正にレビュー作であり、46年1月連載開始、巷に文学雑誌が枯渇していた時期の貴重な時代の証言でもあったからである。 ⚫︎本書の付録に加藤周一「文学的自伝のための断片(1959)」が載っていて、「1946」に対して本多秋五が始めた「星菫(せいきん)派論争」への反論等々が述べられている。論争自体は、加藤の勝ちだったと私は思っている。それは別として、此処で加藤周一は、中村・福永以外に自分と付き合いがあり影響をもらった人物を次々と証言している。曰く。信濃追分に於いて尾崎行雄息子の行輝、中野好夫とのテニス。堀辰雄との知古。又他の友達として、窪田啓作、原田義人、白井健三郎、矢内原伊作、森有正、吉田秀和。又影響を受けた人として渡辺一夫、石川淳、中野重治、矢内原忠雄、太田正雄としての木下杢太郎、また斎藤茂吉が加藤の父親の同級生だったこと。 ⚫︎この1959年時点で福永武彦は古事記を訳し、中村真一郎は平安王朝に題を取った。加藤周一が万葉集や鎌倉時代の文学を主にやったのは、他2人への対抗心、或いはリスペクトだったのかもしれない。 ⚫︎付録に中村真一郎が「戦後文学の回想(1958)」を書いていて、前半は「1946」の中村からの解説になっている。 中村は加藤が「社会的」発言で一貫し、最も問題を多く引き起こしたと評する。非難しているのではなく、楽しんでいる風である。しかし福永武彦は文学的記述に終始したので迷惑しただろう、と述べる。中村にとっても、加藤のジャーナリステックな面は新たな発見だったようだ。つまり、友人からからも、加藤は「1946」で一皮剥けたように見えたのである。もしかしたら、加藤は加藤の「世代」の中で、最も前衛的で戦闘的だったのかもしれない。もちろん、この世代、時代は血のメーデー事件前夜であり、もっと過激な若者は多くいた。しかし、東大出身の若い知識人集団の中で、理性と知性を持ち合わせていて、なおかつ激情を持っていた若者として、加藤は記憶するべきなのかもしれない。それは(加藤は後々に告白するのだが)、大事な友達を2人を戦争によって失ったこと(戦死と心の変容)と関係しているのかもしれない。 ⚫︎「1946」の3人の論考は連続していないし、思想を統一しようとしたものでもない。中村は自ら謂うように、加藤のように戦闘的態度を取らず、時に三人対話、時に夢想を書き、「和解的態度」をとった。「福永に至っては、全く孤独に、北海道の雪の中で、内面を見守って、詩人的態度を持した」と中村は謂う。のちに中村と福永は、小説を書いてひとつの世界を創り、加藤は評論の仕事をして大きな世界を論じた。最初から3人は違っていたのである。
2021年05月24日
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「一年有半」中江兆民 鶴ケ谷真一訳 光文社古典新訳文庫 中江兆民について思い出したので、新訳文庫に入っているのを発見して、紐解いた。原文は漢文調とはいえ学の無い大学生でもなんとか読めたのだから、何をわざわざ訳する必要があるのだろう、悪口を言おうと目論んでいた。 そうすると、訳文と同量の注がついていて、この40年間に画期的に進んできた中江兆民研究の成果を惜しみなく注いでいた。「コレは買わなくては!」となった。感想を書く(当然小論文ではない)。 とはいえ、「一年有半」は万民に膾炙している著作ではないので、簡単に説明する。明治34年、自由民権活動家・中江兆民は喉頭癌を患う。医師から「あと一年有半だ」と告知され、その後約4か月の間に「生前の遺稿」として、告知後の経緯、世の中の凡ゆる人物評、社会評、そして世界観などを著し纏めて弟子の幸徳秋水に託す。秋水はすぐさまそれを刊行。著作は忽ちのうちに一年で二十三版を重ね、20万部、明治の大ベストセラーとなった。「奇人変人中江兆民の書き殴りだ」という評価も、後世までない事はないが、一読、やはり名作である。今回慎重に読み解くことで、私がとうとう書き得なかった「卒論のテーマ」になり得る様な論点が幾つも浮かび上がった。 少し長いが、幾つか述べてみる(近代日本思想史に関心ない方はスルーした方が賢明です)。 ⚫︎兆民は余命を告知された後に徒(いたずら)に深刻にならず、妻と共に文楽座に何度も通っている。この積極的に死を受け止める死生観(cf.加藤周一「日本人の死生観」)は、忠義に死す「葉隠」とも一線を画す「新時代」のものであり、現代においてもかなり卓越したものである。非常に現代的な死生観と言えよう。 ⚫︎同時期に生死を彷徨い、文章を書いていた者に正岡子規がいる(『墨汁一滴』)。子規の辛辣な「一年有半」評がある(『日本』に「平凡浅薄」と述べた)。そのことの意味を鶴ケ谷さんは、かなりページ数をとって分析している。同意する。 ⚫︎星亨の暗殺事件に関わり、兆民は2点重要なことをサラッと言っている。「死刑制度には国際的からみても反対」もう一つは、しかしそれでも「テロはやむ得ない時には必要である」。後者について鶴ケ谷さんの「注」はない。だからこそ、研究する必要がある。 ⚫︎井上毅は、兆民の人生に立ち塞がった帝国憲法を、起草した人物である。同時に留学時代の知人である。兆民は、既に故人だった井上を評して、「真面目な人物、横着でない人物、ずうずうしくない人物」と滅多にない高評価を与えている。この2人の関係はとっても面白い。伊藤博文に対しても、「下手な魚釣り」とかなりな低評価なのだが、「(憲法をつくったことは)功績があった」と評している。皮肉的ではあるが、井上毅評価の裏返しだろう。 ⚫︎兆民の自由党、進歩党評価は、かなりな辛辣さがある。兆民の想いを解説すれば長くなるだろう。そもそも、日本史上初めての政党政治が始まった時代である。西欧政治史に詳しい兆民はその意義、または歴史の反省点を踏まえてか、生涯政党とは距離を置いた。何故その態度をとったのか?では、日本のグランドデザインにおいて、兆民は政党政治をどのように位置付けていたのか?その点を詳しく論じた論文は、これまであったろうか? ⚫︎ 兆民は「日本に哲学なし」(55p)と書いているが、じゃあその哲学というのはどういう意味なのか、突き詰めて考えた論考を調べてみたい。「天地万物の普遍的な本質」とは説明しているが、その効用とかの説明を読めば、哲学ではなく、「グランドデザイン」という風に読める、そうではなく「倫理感」という風にも読める。果たしてどうなのか?第二章で延々と解説している日本の将来への提案が、即ち哲学のある日本ということなのではないか?「哲学によって政治を打破する、これだ。道徳によって法律を凌駕する、これだ。良心の褒章によって世俗の爵位や勲章を払拭する、これだ」(304p)。これだけで確かに卒論のテーマになるかもしれない。その後に書かれた「続一年有半」で唯物論哲学を開陳しているのだが、病状進行で最早まともな事を書けなかった。兆民の初期の論述「維氏美学」「理学沿革史」との関係はどうか?「(日本は)世界のルーマニアとならなければ幸いである」と言った時に、世界情勢を何処まで認識していたのか?彼の唯物論哲学の帰結として、墓無用論も開陳、墓の土地問題を初めて述べ、土葬が一般的だった時に火葬を述べて骨灰共同管理、海中投棄という大胆現代的な提案もしている。そんなことまで書けば相当な論文になるはずだ。 ⚫︎第一章は7月11日に書き終えた。ガン告知は早くても3月28日。3か月ちょっとで書き上げた事になる。借金まみれで、妻と子供を遺して逝くのは可哀想に思ったのだろう。筆は速かった。兆民本来のジャーナリステック精神の本領発揮だろう。その後、秋水に原稿を渡す8月4日までの一月以内に残り2章3章を一気呵成に書いている。そのためか、第1章と比べると、病状の進行と相まって論考の密度は低下している。 ただし、いくら再販を重ねても兆民には印税は払われなかったらしい。この頃は最初の原稿代しか払われなかった。原稿料は医者代金に費やされただけかもしれない。兆民が無理して「続一年有半」を書いたのは、その辺りが大きな理由だったろう。流石に博文館は後年、遺児の教育費を援助したという。 ⚫︎「権謀は悪くない」。「目的を達成するための手段だからだ」ただ、「事」に施すべきで、「人」に施してはいけない。と書く。この時、兆民は忠臣蔵を例に引いたが、ホントは帝国議会の駆け引きやこのら10年の金策の失敗について思っていたのかもしれない。 ⚫︎大物政治家を外国人を例にとって述べた後に、大久保利通が出てくる。外国の政治家含めて、私は理解できない。しかし、おそらく本気で書いているのだろう。全て権謀を得意とする政治家だった。兆民の政治観が非常に良く現れた部分と思える。 ⚫︎ローマ字国語化論を述べているのは、意外。 ⚫︎しっかり管理された売春制度は、人間の性であるから必要だ(梅毒蔓延の観点から芸妓は廃止すべきだ、とも書いている)。とハッキリ書く。ジェンダーの視点から、これをもう少し掘り下げた部分を読みたい。実際、兆民ほどの愛妻子家はいないのである。 ⚫︎政治上の自由と経済上の自由は別問題である。と述べて産業の保護干渉は必要だと断じる。これも現代と通じる。兆民の産業論は現代でも見るべきものが多い。金策に明け暮れた北海道時代ではあるが、もし成功し、身体も健康で政界に復帰していたならば、どういう政治家になっていただろうか。 ⚫︎西園寺公望、井上毅、馬場辰猪がフランス留学時代の知人であることはすでに述べたが、注を見ると「東洋自由新聞」を共に立ち上げた松田正久も留学仲間だった。果たしてどういう人物だったのか。 ⚫︎馬場辰猪は「三酔人経綸問答」における理想家・洋学紳士君のモデルだとされる。アメリカで客死(「問答」刊行1年後)したのも、それに相応しい。 ⚫︎兆民の漢文素養について、本書著者の詳しい注有り。思うに、私は究めないが、近代漢文史における大きな貢献也。 ⚫︎「近代非凡人物31人」の政治家・文化者の中で、政治家・経済家・文筆家に藤田東湖、坂本龍馬、橋本左内、大久保利通、勝海舟、西郷隆盛、岩崎弥太郎、福沢諭吉、星亨、大村益次郎と挙げるのには異論はない。その他、そのあと順不動に親交がある者も短評している。佐々友房、坂本金弥。何故、井上毅がないのか。不思議。 ⚫︎日本の外交の貧しさの原因は「日本人は恐外病と侮外病に罹っている」と述べる。鋭く且つ現代的である。未だ日本人はこの括りから逃れてはいない。 ⚫︎兆民は人生に後悔を持っただろうか?実際には、いろんなやり残したことはあったはずだ。「一年有半」に書かれていることが多岐に渡るのはそういうことである。けれども、最後のページは満足して筆を置いている。実際、私の理想的な人生の終わり方だな、と思っている。 私は漢文の素養が無いし、卒論でさえ途中で挫折しているので、訳文の評価は上手くはできない。しかし、「注」は素晴らしかった。折に触れて紐解きたい一冊になった。
2021年05月23日
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「ワンナイト・カップル」(韓国2016) 思い詰めたら突き進むタイプの女の子と、考えすぎて逃げてしまう男の子の機微を、思った以上に丁寧に描いていた。 ハン・イェリの存在感が良い。こんな娘いるかもしれないと思わせる。 見どころ 慰めあうだけの関係がいつしかお互い気になる存在になっていく、そんな心の変化に胸がときめく。純愛とエロティックが同居したテンポの良い展開で、恋の素晴らしさを実感。 ストーリー 元恋人の結婚式に出席したジョンフンとシフ。失恋の痛みをわかちあう2人は、酒に酔った勢いで一夜を共に過ごしてしまう。そしてシフは、コーヒークーポン券のスタンプを貯めるまでこの関係を続けようと提案。恋愛に疲れた2人の不思議な交際が始まった。 キャスト・スタッフ 出演 ユン・ゲサン ハン・イェリ パク・ビョンウン パク・ヒョジュ チョン・スヨン 監督 ハ・ギホ 脚本 ハ・ギホ 2021年4月7日 Amazon prime ★★★★ 「一度死んでみた」 佐藤健、妻夫木聡、志尊淳、古田新太、竹中直人、池田エライザ、野口聡一さんなどのエキストラ出演。真鍋かおり、柄本時生、西野七瀬、などの脇役出演。かなりの遊びが凄い。ちゃんと伏線回収しているし。 でも、話自体はあまりにも定番。残念ながら、傑作にはなり得ていない。 【キャスト】 広瀬すず 吉沢 亮 堤 真一 リリー・フランキー 小澤征悦 嶋田久作 木村多江 松田翔太 加藤 諒 でんでん / 柄本時生 前野朋哉 清水 伸 西野七瀬 城田 優 原 日出子 真壁刀義 本間朋晃 / 野口聡一(JAXA宇宙飛行士) 佐藤 健 / 池田エライザ 志尊 淳 / 古田新太 大友康平 竹中直人 妻夫木 聡 【スタッフ】 監督:浜崎慎治 脚本:澤本嘉光 音楽:ヒャダイン 2020年作品 2021年5月12日Amazonプライム・ビデオ視聴 「ファブル」 佐藤浩一が「普通の生活をさせてみて、腕が落ちたらそのまま生かし普通に馴染ませよう、人を殺したならば処分する。それが俺の責任だ」と、本心をあそこでいうか? 続編では、その設定はどうなるんだろ。 そもそも、ファブルはどこから拾ってきた子供なのか? 【キャスト】 岡田准一 木村文乃 山本美月 福士蒼汰 柳楽優弥 向井理 木村了 井之脇海 藤森慎吾(オリエンタルラジオ) 宮川大輔 佐藤二朗 光石研 / 安田顕 / 佐藤浩市 【スタッフ】 原作:南勝久「ザ・ファブル」(講談社「ヤングマガジン」連載) 監督:江口カン 脚本:渡辺雄介 音楽:グランドファンク 主題歌:レディー・ガガ「ボーン・ディス・ウェイ」(ユニバーサル ミュージック) 2019年作品 2021年5月12日Amazonプライム・ビデオ鑑賞 「愛がなんだ」 今1番注目している今泉力哉監督2018年作品。 恋愛依存症?の岸井ゆきのを主演に、ダメ男の成田凌、彼が恋するガサツ女の江口のりこ、岸井の親友でいつまでも男をパシリとして扱い恋人としない深川麻衣、そしてパシリであることに満足している、ある意味岸井の合わせ鏡の役割を持ち、ラストで変貌する若葉竜也。 3組5人のメンヘラ恋愛模様が、ある意味とても痛い。 「ホントに1番愛していたのは自分でした」というわかりやすいラストにしていない。しかも、はっきりしたラストにもしていない。 あゝこんな恋愛しかできない女の子や男いるよね、なかなかでした。 2021年5月13日Amazonプライム・ビデオ視聴
2021年05月22日
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映画評「男と女 人生最良の日々」 フランス恋愛映画の傑作「男と女(1966年作品)」の出演者、スタッフが奇跡的に再集結して、50年以上経た彼らのその後を撮った作品です。クロード・ルルーシュ監督は、周囲の反対を押し切り「駄作だったら公開しない」と説得して作ったそうです。結果は「人生」を感じさせる素晴らしいものになりました。 フランスの高級老健施設の中にかつてカーレーサーとして名を馳せたジャン・ルイがいます。今やまるで惚けた老人です。57歳になった息子がアンヌを探し出します。「会いに行って欲しい。いつもあなたのことを思い出している」と。 娘がジャン・ルイの息子と寄宿舎で同級生だったことがキッカケで愛し合うようになったアンヌですが、彼の女遊びのために別れたようです。躊躇うけれども逢いに行きます。 ジャン・ルイを演じたジャン=ルイ・トランティニャンはクリクリとした目で笑い、女たらしだった時のことを彷彿させます。一方、アンヌを演じたアヌーク・エーメは50数年の月日が経ったとは思わせない美貌を保っています。端々に一作目の映像が出てきて、一作目を見ていなくても充分に2人の物語は分かるつくりになっています。 アンヌと出会っても、ジャン・ルイは彼女が彼女とはわかりません。 「いつも女性を愛していた。特にあなたに似ている女性を」 「今は最悪の中のベストだな」 「死は収めるべき税金だ」 2人の会話が、さすがフランス、エスプリが効いています。 ジャン・ルイは時には朗々と詩を暗唱し、アンヌとのことは細部まで覚えていて、認知症を患っているのか、周りをからかっているのか、医者でさえも判断つかないようです。観客の我々も翻弄されます。何処までが彼の体験で、何処からが彼の夢なのか。 アンヌはやはり彼を愛していたし、今も愛している、と言葉にしないでも表情でわかります。 シャンソンが、彼らの想いを雄弁に代弁します。素晴らしき作曲、或いは選曲。作曲家フランシス・レイが、この仕事の直ぐ後に亡くなったなんて、信じられない。冒頭と最後にお馴染みの「ダバダバダ‥‥」のスキャットが鳴り響き、「最良の日々は、この先の人生に訪れる(byヴィクトル・ユーゴー)」ことを信じることが出来そうな作品になっていました。(2020年フランス作品レンタル可能)
2021年05月21日
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「天皇陛下にさゝぐる言葉」坂口安吾 青空文庫 高橋源一郎『「読む」って、どんなこと?』の4時間目「(たぶん)学校では教えない文章を読む」で紹介された坂口安吾の短文です(青空文庫であっという間に読めます)。高橋さんはラスト数行を紹介していたので、私は中盤の数行を抜き書きます。大丈夫です。坂口さんは、一貫してほぼ同じことを言っています。 田中絹代嬢の人気は、まだしも、健全なる人気である。実質が批判にたえて、万人の好悪の批判の後に来た人気だからだ。 天皇の人気には、批判がない。一種の宗教、狂気であり、その在り方は邪教の教祖の信徒との結びつきの在り方と全く同じ性質のものなのである。 地にぬかずき、人間以上の尊厳へ礼拝するということが、すでに不自然、狂信であり、悲しむべき未開蒙昧の仕業であります。天皇に政治権なきこと憲法にも定むるところであるにも拘らず、直訴する青年がある。天皇には御領田もあるに拘らず、何十俵の米を献納しようという農村の青年団がある。かゝる記事を読む読者の半数は、皇威いまだ衰えずと、涙を流す。 初出:「風報 第二巻第一号」 1948(昭和23)年1月5日発行 46年2月から始まった昭和天皇の地方行幸をずっと観察して、遂に我慢ならなくなり発した坂口安吾の叫びのような文章です。雑誌「真相」が「天皇は箒である」という記事を載せたのが不敬である、とか評されて「人間宣言された天皇が人間らしい尊敬のされ方をしない方がおかしいのではないか?天皇さん、それで良いんですか?」と言い「このままいけば、また戦争になる」という警世の言葉を述べた文章です。 天皇巡行の行き先全ての建物は建て替えられて、いく道全て塵ひとつないというのは聞いたことがあります。その意味の「箒」です。天皇の行き先で「地にぬかずく」人がいるというのは現代では見ないけれども、批判が一切ない、というのは現代でも同じです。 NHKどころか、民放もこういう文書は紹介しない(おそらく)。それで良いのか?と坂口安吾さんは言っています。私もそう思います。 ただ、戦後80年経って、「天皇陛下は人間ない。というのが、私の認識です。「人間」ではなく「象徴」という「わけのわからない」者になった。よって、税金も払わない。普通電車にも乗らない。銀ブラもしない。かなり「大変なお立場」に居られます。 現代の坂口安吾は、どのように天皇陛下に言葉を捧げれば良いのだろう?
2021年05月19日
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「「読む」って、どんなこと?」高橋源一郎 NHK出版 てっきりNHKでの放送をまとめた本かと思っていた。いや、コレをNHKがテレビじゃなくても良いからラジオでも放送してくれたら、「日本は変わった」という事になります。勿論、良い方に。勿論、現代のNHKは「こんなもの」を決して放送したりはしません。百万円賭けたっていい(そう思っていたら、高橋さんはNHKラジオでゲストを呼んで本を紹介する番組を持っていた(飛ぶ教室)。今のところ、伊藤比呂美、ヤマザキマリ、しりあがり寿とかが呼ばれている。ホントに賭けて良いのか?いや、大丈夫。きっと)。 どうやら、NHK出版仕様の岩波ブックレットみたいなものらしい。何事も業書の始まりには名作がラインナップされている。志ある編集者が志ある著者に依頼し、志ある事を張り切って書くからである。「学びのきほん」シリーズ。あと他も読んでみようかな。 NHKが決して放送しないようなことって、一体何を読んだの? それは目次を見たら少しはわかると思う(^^)。 はじめに:誰でも読むことはできる、って、ほんとうなんだろうか 1時間目:簡単な文書を読む 2時間目:もうひとつ簡単な文章を読む 3時間目:(絶対に)学校では教えない文章を読む 4時間目:(たぶん)学校では教えない文章を読む 5時間目:学校で教えてくれる(はずの)文章を読む 6時間目:個人の文章を読むおわりに:最後に書かれた文章を最後に読む これを読んで驚いた方は相当いたようだが、私はほとんど驚かなかった。 「つまり、問題山積みで、できたら近づきたくないような文章、そういうものこそ、「いい文章」だ、とわたしは考えています」 という様な高橋源一郎さんの意見は、長い人生で掴んだ私の教訓と、以下の様なことで似通っていたからです。 「世の中の意見が二分するような事柄の中にこそ、世の中で大切にしなければならない核心がある」 防衛問題しかり、死刑制度しかり、生活保護問題しかり、嫌韓問題しかり。 ただ、第5時間目の武田泰淳「審判」には、少し驚きました。 中国戦線における、一兵士の中国人農夫射殺の心理を描いた作品。晩年において武田泰淳は、コレは自らの体験だったと告白したらしい。 私は堀田善衛の文章や「史記」論に寄せた武田泰淳の知識人としての誠実な姿を知っている。 俄には、コレは信じがたいことだった。 高橋源一郎は、Twitterでこのように言っている。 「武田泰淳は『審判』で「知的訓練のない」兵士(庶民)がどんな思考回路で中国農民を虐殺するかを書き「知的訓練がある」(自分のような)兵士がどんな思考回路で農民を殺すかを「内側」から書いたが、本当に恐ろしいのは、この小説を読んでいると我々日本人はまたきっと同じことをすると思えてくることだ。(2019/08/03)」 その通りかもしれないが、正に恐ろしいことだ。 しかし、それを見つめることの中にこそ、「世の中で大切にしなければならない核心がある」。
2021年05月18日
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「神様と仲よくなれる!日本の神様図鑑」大塚和彦 新星出版社 期間限定激安キャンペーンで手に取った(98円^ ^;)。 要は「古事記超簡単案内」と「古事記神様案内」と「祝詞活用術」「神社活用術」、それを基にした「気持ちの持ち様活用術」である。 本人は社会生活数年でドロップアウトしてバックパッカーをして、宗教に目覚め、会社立ち上げしても上手くいかず、古事記を読んで日本の神道に目覚めて、たまたま上手く軌道に乗った方の様だ。 「神様のことを知って(知識)、祝詞を読んで実践する(身体)」ことを「稽古照今」(「古事記」序文に出てくる言葉)というらしい。稽古とは古を知る、という意味があったんですね。 神様に参っても、単に参るんじゃなくて、神様の名前を調べて、その両親の名前や子供の名前も調べよう、そうすると立体的に神様の役割や位置付けがわかってきて、300柱もいる神様も覚えられる、と著者は主張しています。かなり真面目な方の様です。 もちろん、真面目な方ですから、試験勉強対策のごとく本書でも具体的に手助けしています。 「まずは代表的な6柱のことを知ろう」とイザナギ、イザナミ、アマテラス、スサノオ、オオクニノヌシ、ニニギのことは詳しく解説、これによって古事記神話部は案外細かいところまで解説しています。そのあと50柱近い神様のことをイラスト付きで解説。 実は、イラストがほとんどない第5章が著者の最も主張したかったことだろうと思えます。 神社では一般的に願いが叶うことを願ってお参りするのですが、著者は「それはたまたま叶ったのだ」とあまり重視しません。 神様と仲良くなること、そして神様を知ることによって、「変えることのできない現実」を自分なりに受け止めること、これが大事なのだ、と主張します。 何故なら、日本の神様はみんな完全ではないからです。大泣きもするし、悪いこともする。世の中はまだまだ人智では測れないことが多すぎる。でも、神様を知ればそれを受け止めようという気になれる、というわけです。 「自(みずか)ら」から「自(おの)ずから」へ。 つまり 自力で、から、自然にへと。 まぁ日本神道はそういう思想に近いと、私も思います。 会社役員がポジティブに世の中を渡るには、まぁ必要な哲学かもしれません。実際この哲学で、会社コンサルタンティングをしている様なので、効果も出ているのでしょう。 でも彼はあまり厳密に突き詰めていないようなので良いのですが、 コレは悪い意味での「不可知論」です。世界の秘密は自らではわからないので、神様に丸投げする思想です。私はそれに与しない、とだけは言っておきたい。 古事記を何度読んでもわかりにくい神様相関図が、わりと短時間でわかる神様入門書でした。
2021年05月17日
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「百物語」森鴎外 青空文庫 先の森見登美彦「新釈 走れメロス」で「新解釈」された名作短編の中で、最も知られていない一編であろうと思う。私も知らなかった。それで俄然興味を持ち読了した。森見版「百物語」と構造は同じ。所謂、狐に包まされた感は、森見版の方が優っている。 「百物語は過ぎ去った世の遺物である」 と森鴎外の分身ともいうべき「僕」は言っている。もはや明治も終わりごろ。怪談話は荒唐無稽の話になりつつあったのだろう。今回の催しにしたって、途中に酒や食事を出てくるわで、最初から怪談話がメインじゃない。 飾磨屋(しかまや)という一代の分限者が大勢を招待し、屋形船に乗せて、両国の北の寺町辺りの見知らぬ土地に連れてゆき「百物語」をするというのである(森見版が生まれた契機は寺町通りの喫茶店だったのだが、これは単なる偶然か?)。「僕」は冷めた目でこの催しを見ている。 主催者もかなりの変わり者である。 「そう云う心持になっていて、今飾磨屋と云う男を見ているうちに、僕はなんだか他郷で故人に逢うような心持がして来た。傍観者が傍観者を認めたような心持がしてきた」 世の中を傍観しているのだ。 森見版と同じように、主人公は怪談話が始まる前に会場から去ってゆく。 「二三日立ってから蔀君に逢ったので、「あれからどうしました」と僕が聞いたら、蔀君がこう云った。「あなたのお帰りになったのは、丁度好い引上時でしたよ。暫く談を聞いているうちに、飾磨屋さんがいなくなったので聞いて見ると、太郎(私注‥‥芸者)を連れて二階へ上がって、蚊屋を吊らせて寐たというじゃありませんか」 やはり、1番冷めていたのは主催者だった、 という話である。 そこはかとなき怖しい。 ただ、森見版もいろいろ凝っていてなおかつ、主催者と思しき人間が人間ではないような作りになっていて、更に恐ろしかった。 森版よりも森見版の方が優れているということではない。森見登美彦の選択の勝利である。 森鴎外版は、つまりは「普請中」の明治における、近代的自我の存在を描いたのかもしれない。
2021年05月16日
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「新釈 走れメロス」森見登美彦 祥伝社文庫 京都の森見登美彦は博学多才、平成時、若くして名を小説界に連ねたが、性、変態、自ら恃む所頗る厚く、有名に甘んずるを潔しとしなかつた。 「祥伝社編集者に誘われたる古典換骨奪胎」 「さようでございます。寺町通の地下のある喫茶にて、あの企画を提案したのは、わたしに違いございません」(渡辺某の証言) 森見登美彦は躊躇った。必ずこの様な古典的名作の改変を怒る輩が出現すると確信した。しかし引き受けた。渡辺某の提案に抗えなかった。孤高の腐れ大学生を主人公に「山月記」を書くという魅力的な話に抗えなかった。 森見登美彦というと、人々が酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれた物語(はなし)ばかり書くと思われているが、それは嘘です。コレはかなり恐ろしい小説なのです。 勿論生れて始ての事であったが、これから後も先ずそんな事は無さそうだから、生涯に只一度の出来事に出くわしたのだと云って好かろう。それは森見登美彦が「新釈 走れメロス」を書き終えた時である。 小説に説明をしてはならないのだそうだが、間違いは誰にもあるもので、この話でも万一ヨオロッパのどの国かの語に翻訳せられて、世界の文学の仲間入をするような事があった時、余所の読者に分からないだろうかと、作者は途方もない考を出して、行きなり「走れメロス逃走図」を以てこの本の表紙開きに挟み込んでいる。結果、とてもオモチロイものになった。 さて、非常に分かりにくいと思うが、順番に「山月記(中島敦)」「藪の中(芥川龍之介)」「走れメロス(太宰治)」「桜の森の満開の下(坂口安吾)」「百物語(森鴎外)」の冒頭部を改変して、本書の紹介に代えてみた。 やって見てわかったが、そういう安易な方法だと、つまらないモノしか書けない。森見登美彦は、文体は全体的に真似てはいるが、有名文章を無理矢理挿入したりはしない。でも構造は紛うこと無きかの名作なのである。でも紛う事無き内容は森見登美彦なのである。しかもラストの「百物語」で、主要登場人物総出という力技もやってのけ、他作品にも出演している詭弁論部や韋駄天コタツや図書館警察長官まで出てくるのである。正に唯一無二の作家と言えよう。
2021年05月15日
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「吾輩も猫である」赤川次郎 新井素子 石田衣良 萩原浩 恩田睦 原田マハ 村山由佳 山内マリコ 新潮文庫 2016年「小説新潮」が2か月続きで企画した漱石「吾輩は猫である」のトリビュート版を、文庫化した短編集である。その年の年末に出しているから、多分未だにそれぞれの人気作家の短編集には入っていない可能性が高い。ワンコイン弱で買える新潮社のサービス版(消費税値上げ以前は正に500円以内で買えた)。おそらく、これをキッカケに新潮文庫に揃えている漱石を読んでくれると嬉しいし、未読の各作家を手に取ってもらえたら嬉しいという編集長の意図が見え見え(「騙し絵の牙」を読んでから、そういうコンテンツで本を見る習慣がついてしまった)。でもだからこそ、かなりお得な一冊である。 赤川次郎 新井素子 石田衣良 萩原浩 恩田睦 原田マハ 村山由佳 山内マリコ、それぞれの御大が、「猫の一人称で物語を綴る」こと以外は、自由に書いている。 男性作家2人に女性作家6人、気がついたのは、読み比べて猫の立ち位置がなんとなく客観的なのは男性で、女性は完全に猫に同化している気がした。という分析的な評価自体が、いかにも男性的な評価なのかもしれない。 漱石は、当時の文壇や社会をそれなりに批判的に見ていたが、平成の猫たちもヒト科としての人間を相対的に見る視点がそれなりに面白かった。 大傑作は一つもなかったけど、つまらないものも一つもなかった。 赤川次郎さんは、途中でバレバレのゆるい推理ものだった。 驚いたことに「原作」とついていないので、正真正銘、萩原浩が描いたとしか思えない猫の4コマ漫画8pの完成度の高さ。 「彼女との、最初の一年」という短編では、芸大3年の女性に拾われた猫の1年間を描いていた。どうてことはない描写だけど、作者の原作映画「あのこは貴族」には感心したので最近知った作家である。日韓ワールドカップが出てくるから、明らかに2002年からの1年間を描いる。この小説自体を2016年に描いたことは、彼女の14年間に一緒についてきた猫の一生の最初期をあつかった作品に思えてくる。いつかその一代記を読んでみたい気にもなる。山内マリコは初めて読んだが、少し気になった。
2021年05月14日
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「約束の宇宙(そら)」 事実に基づいた映画のように作られた、母親宇宙飛行士物語。訓練描写は本物の欧州宇宙機関(ECA)の協力を得て、ドキュメンタリーのように撮影された。その中で、識字障害などを持つ7歳の娘ステラと2ヶ月後に1年間離れ離れになる生活を送る。 宇宙は、地球の端に出張するのとはわけが違う。子どもは母親離れをするのには幼過ぎ、母親も子ども離れできるほど、子どもから離れられない。子どもを預ける夫と離婚していたのなら尚更だ。「プロキシマ」計画とは「約束」計画かと思っていたら違っていた。「最も近い」計画だそうだ。「離れるほどに強くなる、親子の愛と絆」という煽り文句そのままの作品でした。 けれども、宇宙では何が起きるかはわからない。「詐欺連鎖」は上でも下でも起きるかもしれない。子どもは1年経てば刮目して見よ、となるかもしれない。しかし、それはこの作品のテーマではない。 見どころ シングルマザーの宇宙飛行士と娘の絆を描いた人間ドラマ。待望の任務に選ばれるも、キャリアと娘への愛情のはざまで葛藤する女性を描く。監督は『ラスト・ボディガード』などのアリス・ウィンクール、音楽は坂本龍一が担当。主人公を『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』などのエヴァ・グリーン、その娘をおよそ300人の中からオーディションで選ばれたゼリー・ブーラン・レメルが演じ、『ハウス・ジャック・ビルト』などのマット・ディロン、『ありがとう、トニ・エルドマン』などのザンドラ・ヒュラーらが脇を固める。 あらすじ 欧州宇宙機関(ESA)で日々過酷な訓練に励んでいる宇宙飛行士のサラ(エヴァ・グリーン)は、夫と離婚し、7歳の娘ステラ(ゼリー・ブーラン・レメル)と二人で暮らしていた。ある日、サラは「Proxima(プロキシマ)」と呼ばれるミッションのクルーに選出される。長年の夢がかなう一方で、一度宇宙へ飛び立つとおよそ1年もの間、まな娘と離れ離れになってしまう。出発日が迫る中、母と娘は「打ち上げ前に、二人でロケットを見る」という約束を交わす。 2021年4月25日 シネマ・クレール ★★★★ 「ザ・スイッチ」(原題Freaky) 普段は観ないのだけど、「面白かった」という映画仲間の一言だけで朝早く起きて観た。もちろん、ホラー大好き青年の一言なので、そこまで凄い期待はしていない。 あゝなるほど、プラム(高校生卒業パーティー)の時期にブッチャーなどの殺人鬼が突然出現するのは、「ハメを外すな」という大人たちの戒めなのか!高校生たちはそれを逆手に取って、殺人鬼に追い回されること自体を楽しんでいるのか!アメリカ若者文化なのね。 今回の肝は、殺人鬼がお約束のように「突然」出現するのだけど、何故か気弱くて肯定感低くて実は美人の女子高生と魂が入れ替わり、パーティーが終わる12時までに決められたことをしないと元に戻れないという「設定」になっていること。 けれども、家族は殺されないし、黒人女友達と、ゲイの男友達と、片想いの優しい彼氏は仲間になってくれる。安心して観ていられる。殺されるのは、前半で主人公に意地悪した者だけ。完全にお約束だ。 なるほど、お約束をちゃんと観させてくれた、という事で「面白かった」のか。 最後の死んだはずの殺人鬼が何故か生き残って、主人公と最後の対決をして、気弱だった主人公が「私はたいしたタマよ」と決め台詞を吐くというのは、うーむ、これもお約束なの? (ストーリー) ミリーは、片思い中の同級生にも認識されない地味な高校生。親友たちと普通の学校生活を送っていたが、ある13日の金曜日、連続殺人鬼“ブッチャー”に襲われ謎の短剣で刺されてしまう。間一髪、命は取り留めたミリーだが、次の朝目覚めるとミリーとブッチャーの身体が入れ替わっていた。女子高生姿のブッチャーが虐殺計画を進めるなか、中年男姿のミリーは24時間以内に身体を取り戻さないと一生元の姿に戻れないことを知り・・・。 ※R15+ 監督 クリストファー・ランドン 出演 キャスリン・ニュートン、ヴィンス・ヴォーン 2021年4月29日 TOHOシネマズ岡南 ★★★ 「21ブリッジ」 まさか、こんな作品だったとは!の典型作品。 ニューヨーク85分署区域内で、麻薬強盗関連で警官8人殺しが起きる。敏腕刑事のデイビスは麻薬捜査官と操作に当たるが、犯人2人を数時間で目星をつけ、日の出までの真夜中ニューヨーク・マンハッタン封鎖に踏み切る。そして、夜中のうちに犯人逮捕までいくであるが、そこにあったのは驚愕の真実であった‥‥。 無駄に発砲する刑事ではなく、ホントの正義のために撃つ刑事。そういう意味では、おそらく2019年撮影だろうけど、2000年の問題を先取りした作品だった。これで最優秀男優賞をとってもおかしくはない。この時、大腸癌と戦っていたなんて信じられない。あんなに走って、あんなにガンアクションしているのに! 「シリーズ化して欲しかった」という声が出ているのも宜なるかな。 STORY マンハッタン島で、8人の警察官が殺害される事件が発生する。かつて警察官だった父親を殺害されたデイビス刑事(チャドウィック・ボーズマン)は、全面封鎖されたマンハッタンで調べを進めていくうちに、思いがけない事件の真実にぶち当たる。窮地に立たされた彼は、たった1人で事件の背後に隠されたニューヨークの闇と向き合うことになる。 キャスト チャドウィック・ボーズマン、シエナ・ミラー、ステファン・ジェームズ、キース・デヴィッド、アレクサンダー・シディグ、テイラー・キッチュ、J・K・シモンズ スタッフ 監督:ブライアン・カーク 脚本・ストーリー原案:アダム・マーヴィス 脚本:マシュー・マイケル・カーナハン 製作:ジョー・ルッソ、アンソニー・ルッソ、マイク・ラロッカ、ロバート・シモンズ、ジジ・プリッツカー、チャドウィック・ボーズマン、ローガン・コールズ キャスティング:アヴィ・カウフマン 音楽:ヘンリー・ジャックマン、アレックス・ベルチャー 衣装:デヴィッド・ロビンソン 編集:ティム・マレル 美術:グレッグ・ベリー 撮影:ポール・キャメロン 2021年4月29日 TOHOシネマズ岡南 ★★★★
2021年05月13日
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「シン・エヴァンゲリオン」 2回目の鑑賞である。大きな目的は、台詞の確認である。それは達成できただろうか? 「個人的にQよりも更にわからんかった。後半は何?」 「一挙に回収したからな」 このトイレでの某青年たちの会話が殆どの感想だろう。 おまじないの台詞をメモした。順番に、 「おやすみは、みんな安心して眠るためのおまじないかな」 「おはようは、今日もいっしょに生きていくためのおまじない」 「さようならは、また会うためのおまじない」 そして(握手は)「仲良くなるためのおまじない」 気がついたのは、シンジは第3村にいた時にずっと「失語症」に陥っていたわけじゃない。彼は突然大人になったわけじゃない。徐々になったのだ。その大きなきっかけは、やはり綾波レイそっくりさんどの会話だった。彼女の「仲良くなるためのおまじない」を聞いてからだ。それは他人との触れ合いである。 そして村中で、シンジは明確に 「自分のやったことにケジメをつけるため」に、ウェラに乗っている。 驚いたのは、英国留学していたはずのマリが、シンジが生まれた時には側にいたのである。 シンジは強くなった。 「涙で救えるのは自分だけだ。だから、もう泣かない」 後半で使うのは二つのおまじないだった。 「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」そして渚司令に対して? 「仲良くなるためのおまじないだよ」 カジと渚が、部下上司の関係だったとは! 仲良くなるためのおまじない、はやはり強烈であり、それが大人になったシンジの初めてやったことだった! もしかしたら、庵野監督はおまじないが呪いと書くのを知らなかったかもしれない、と思い始めた。でも、私は再度言う。 これは、エヴァの呪い(のろい)を、握手して、さよならという呪い(まじない)で解放した作品である。 見どころ 1990年代に社会現象を巻き起こしたアニメシリーズで、2007年からは『新劇場版』シリーズとして再始動した4部作の最終作となるアニメーション。汎用型ヒト型決戦兵器 人造人間エヴァンゲリオンに搭乗した碇シンジや綾波レイ、式波・アスカ・ラングレー、真希波・マリ・イラストリアスたちが謎の敵「使徒」と戦う姿が描かれる。総監督は、本シリーズのほか『シン・ゴジラ』なども手掛けてきた庵野秀明。 キャスト (声の出演) 緒方恵美、林原めぐみ、宮村優子、坂本真綾、三石琴乃、山口由里子、石田彰、立木文彦、清川元夢、長沢美樹、子安武人、優希比呂、大塚明夫、沢城みゆき、大原さやか、伊瀬茉莉也、勝杏里 スタッフ 企画・原作・脚本・総監督 庵野秀明 監督 鶴巻和哉 中山勝一 総作画監督 錦織敦史 作画監督 井関修一 金世俊 浅野直之 田中将賀 新井浩一 副監督 谷田部透湖 小松田大全 デザインワークス 山下いくと 渭原敏明 コヤマシゲト 安野モヨコ 高倉武史 渡部隆 CGIアートディレクター 小林浩康 CGI監督 鬼塚大輔 3Dアニメーションディレクター 松井祐亮 3Dモデリングディレクター 小林学 3Dテクニカルディレクター 鈴木貴志 3Dルックデヴディレクター 岩里昌則 2DCGディレクター 座間香代子 動画検査 村田康人 色彩設計 菊地和子 美術監督 串田達也 撮影監督 福士享 特技監督 山田豊徳 編集 辻田恵美 音楽 鷺巣詩郎 音響効果 野口透 録音 住谷真 台詞演出 山田陽 総監督助手 轟木一騎 制作統括プロデューサー 岡島隆敏 アニメーションプロデューサー 杉谷勇樹 設定制作 田中隼人 プリヴィズ統括制作 川島正規 エグゼクティブプロデューサー 緒方智幸 コンセプトアートディレクター 前田真宏 テーマソング 宇多田ヒカル 映画詳細データ 製作国日本制作 スタジオカラー 配給 東宝 東映 配給・製作 カラー 技術カラー 2021年4月8日 MOVIX倉敷 ★★★★★ 「BLUE/ブルー」 負け続ける話。 いつ小川の頭が破綻するのか いつ瓜田は諦めるのか いつ楢崎の才能が開花するのか 結局、そんな感動的なラストは現れない。 何度も繰り返される試合。 こんなにもクライマックスに近い試合があるボクシング映画は初めてだ。 人生って、そうなのかも。 「これが勝負」は何度も訪れる。 無理をする。女にわかるはずがない、とも思う。 でも、負ける。 一回の勝利が忘れられない。 才能ある者も、勝つことの人生以外考えられなくなる。 女にはわからない。でも、多分女性の方が正しいとはわかっている。 千佳はホントによく耐えている。 奇跡的だよ。 挫折を味わった東出の人生も垣間見える。松山ケンイチはもちろん完璧である。 INTRODUCTION リアリティ溢れる描写で人間の光と影を表現し続ける𠮷田恵輔。30年以上続けてきたボクシングを題材に自ら脚本を書き上げ、「流した涙や汗、すべての報われなかった努力に花束を渡したい気持ちで作った」と語る本作で描いたのは、成功が約束されていなくとも努力を尽くす挑戦者たちの生き様。主演は演技派俳優として確固たる地位を築く松山ケンイチ。同じジムに所属する仲間を東出昌大と柄本時生が演じ、『聖の青春』以来5年ぶりの共演を果たす3人の掛け合いも見所。ヒロインは𠮷田監督作品への出演を熱望した木村文乃。実力派キャストが集結し、理想と現実の間で悩みながら生きる登場人物たちを熱演。夢に焦がれた若者たちの葛藤だらけの青春の日々が、観客の心に深い余韻を残す。 時に人生は残酷だ。 どれだけ努力しても、どれだけ才能があっても、 約束された成功なんてない。 STORY 誰よりもボクシングを愛する瓜田は、どれだけ努力しても負け続き。一方、ライバルで後輩の小川は抜群の才能とセンスで日本チャンピオン目前、瓜田の幼馴染の千佳とも結婚を控えていた。千佳は瓜田にとって初恋の人であり、この世界へ導いてくれた人。強さも、恋も、瓜田が欲しい物は全部小川が手に入れた。それでも瓜田はひたむきに努力し夢へ挑戦し続ける。しかし、ある出来事をきっかけに、瓜田は抱え続けてきた想いを二人の前で吐き出し、彼らの関係が変わり始めるー。 2021年4月18日 シネマ・クレール ★★★★ 「パーム・スプリングス」 ループモノの新たな定番。 しかも、今回はかなり好条件。 何しろ、苦労する必要はない。 結婚式当日だから、飲み放題、食べ放題。好きな女の子口説き放題。無茶し放題。 でも、これが永遠に続くとしたら? たまたま、そこにもう1人の女の子が現れた。 さて、質問。永遠に2人で過ごすか?毎朝目覚める時は、違う男女と最悪の寝覚をするのを無視すれば可能だ。 それとも、死んで消滅する可能性はあるけど、ループから逃れることを試すか? 女は迷いがない。成功しても失敗しても、男は取り残される。だとすれば、男は女についてゆくだろう。 これって、二十年前ならば男女反対だった。そして、この姿が、現在の夫婦の未来なのだろう。 一つ疑問なのは、サラが物理学教授を納得させるまで学問するには、何百回もループしなくちゃいけないと思うけど、その間2人は出会わないって、そしてナイルズがあのテンションで待ち続けるのは無理があるのでは? まぁ適当に理屈つけているけど、このループ現象自体物理的に無理があると思うけど。 STORY 砂漠のリゾート地パーム・スプリングス。花嫁の介添人として結婚式に出席したサラ(クリスティン・ミリオティ)は、そこで出会った不思議な雰囲気の青年ナイルズ(アンディ・サムバーグ)とロマンチックなムードになるが、突然ナイルズが謎の老人(J・K・シモンズ)に弓矢で襲撃される。近くの洞窟へ逃げ込んだ彼を追うサラは洞窟内で強い光に包まれ、目覚めると結婚式当日の朝に戻っていた。状況を飲み込めない彼女がナイルズを問いただすと、彼は数え切れないほど同じ日を繰り返していると話す。 キャスト アンディ・サムバーグ、クリスティン・ミリオティ、J・K・シモンズ、メレディス・ハグナー、カミラ・メンデス、タイラー・ホークリン、ピーター・ギャラガー スタッフ 監督:マックス・バーバコウ 脚本:アンディ・シアラ 製作:ベッキー・スロヴィター、アンディ・サムバーグ、アキヴァ・シェイファー、ヨーマ・タコンヌ、ディラン・セラーズ、クリス・パーカー 製作総指揮:ギャビー・レビリャ・ルゴ 2021年4月19日 MOVIX倉敷 ★★★★
2021年05月12日
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4月に観た作品は9作品,3回に分けます。 「ミナリ」 レーガン大統領云々と言っていたから、おそらく80年代の米国。まだ一部では、米国が夢の国として韓国から信頼されていた時代だと思う。 ミナリが、韓国語でセリと分かり、それがやがて「ミナリ、ミナリ、ワンダフルワールド」とデビッドが唄う時点で、ハッピーワードとは予測がつくが、脚本はわざと最後の直前まであざなえる縄の如く、うまくいく場面とダメになる場面を交互に見せてゆく。今になっては、それが狙いとわかるが、みている間は感情が揺さぶられる。 最後に「全てのおばあさんのために」とキャンプションがでて、典型的な韓国婆さんのユン・ヨジョンがキーワードだったとわかる。 でも、狙いと分かっていても、モニカの夫への非難は肯じられない。 韓国語は優しい単語ばかり。おそらく、中国役者のための脚本、米国映画だったからだろう。ハングル学習に最適。 (ストーリー) 本年度アカデミー賞6部門ノミネート 作品賞、監督賞、主演男優賞、助演女優賞、脚本賞、作曲賞 1980年代、農業で成功することを夢みる韓国系移民のジェイコブは、アメリカはアーカンソー州の高原に、家族と共に引っ越してきた。荒れた土地とボロボロのトレーラーハウスを見た妻のモニカは、いつまでも心は少年の夫の冒険に危険な匂いを感じるが、しっかり者の長女アンと心臓に病を持つが好奇心旺盛な弟のデビッドは、新しい土地に希望を見つけていく。まもなく毒舌で破天荒な祖母も加わり、デビッドと一風変わった絆を結ぶ。だが、一家に思いもしない事態が立ち上がる──。 監督 リー・アイザック・チョン 出演 スティーヴン・ユァン、ハン・イェリ、ユン・ヨジョン、ウィル・パットン、スコット・ヘイズ 2021年4月1日 TOHOシネマズ岡南 ★★★★ 「ノマドランド」 ノマドとは放浪者のこと。主人公は「ホームレスじゃないわ。ハウスレスよ」と少し胸を張る。数ヶ月単位で職を渡り歩き、アメリカ大陸を横断する。石屋、国立公園管理者、そしてAmazon労働者等々と、ひと自治体の労働が消えてしまってついた彼女の生き方も、それは飛び込んでみれば人生そのもの、アメリカという自然そのもの。旅は百代の過客にして行き交う水も‥‥。 「私が死んだら、石を焚き火に入れて」そう残して、余命半年の彼女は死に場所まで旅をする。やがて1年後に10人ほどが石を焚き火に投げ入れて、彼女をしのぶ。それもやはり理想の生き方かもしれない。 子供と孫の元に帰っていく生き方もある。けれども、彼女は、そんな自分をイメージできなかったのだろう。 自然と共に生きたい、と言った彼女の自然は、厳しく美しいという。それは乾いた高原と山の世界だ。日本人にとってはそれは自然ではなく「荒野」だ。でも、それを自然と言える人類が世界にいるのだろう。荒野こそが、私達の生きる世界だと思える人たちがいるのだろう。 そうやって世界はできている。 まるで、哲学的な、神話のような、社会派ではない、作品だった。 (ストーリー) 本年度アカデミー賞6部門ノミネート 作品賞、監督賞、主演女優賞、脚色賞、撮影賞、編集賞 リーマンショック後、企業の倒産とともに、長年住み慣れたネバダ州の企業城下町の住処を失った60代女性ファーン(フランシス・マクドーマンド)。彼女の選択は、キャンピングカーに全ての思い出を詰め込んで、車上生活者、「現代のノマド(遊牧民)」として、過酷な季節労働の現場を渡り歩くことだった。その日その日を懸命に乗り越えながら、往く先々で出会うノマドたちとの心の交流とともに、誇りを持った彼女の自由な旅は続いていく。 監督 クロエ・ジャオ 出演 フランシス・マクドーマンド、デヴィッド・ストラザーン、リンダ・メイ 2021年4月1日 TOHOシネマズ岡南 ★★★★ 「奥様は、取り扱い注意」 テレビシリーズが大好きで、つい観てしまった。物語は、テレビシリーズの最後の場面からの続きと、それよりもさらに過去の話からの因縁と、公安の新しい任務と、更にはそこから炙り出される二人をはめる罠と、それを利用した「爽やかな?」ラストを描く。 2020年作品になっていたので、実際の撮影は2019年であることは明らか。綾瀬はるかの身体の切れは半端ない。惚れ惚れします。ところが、なかなかそれが始まらない。いや、始まらなくても良いんですよ。もっとスパイものの怪しい雰囲気をどんどん出してくれれば。それなのに、物語の半分ちかく経っても延々と料理場面を出すものすごいいらない編集をやっていた。前田敦子の医者が出てきた時点で彼女が公安職員だというのは見え見えなのだから、もはや2/3ぐらいになっても「驚き」場面がひとつもないというのは、ちょっとスパイコメディものとしてどうかと思う。 STORY ある出来事で記憶喪失になった伊佐山菜美(綾瀬はるか)は、夫の勇輝(西島秀俊)と共に桜井久実と裕司に名を変え、地方都市の珠海市で新しい生活を送っていた。ここは新エネルギー源「メタンハイドレード」の発掘でにぎわう一方、海を守ろうとする開発反対派と市長ら推進派の争いが激しさを増していた。さらに開発の裏で、国家レベルの陰謀がうごめいていた。 キャスト 綾瀬はるか、西島秀俊、鈴木浩介、岡田健史、前田敦子、みのすけ、セルゲイ・ヴラソフ、中林大樹、浅利陽介、やしろ優、渕野右登、イゴリ、鶴見辰吾、六平直政、佐野史郎、檀れい、小日向文世 スタッフ 監督:佐藤東弥 原案:金城一紀 脚本:まなべゆきこ 音楽:得田真裕
2021年05月11日
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「政治と報道 政治不信の根源」上西充子 扶桑社新書 2月に『呪いの言葉の解きかた』の書評を書いた。さまざまな呪いの言葉がある中で、政治にまつわる言葉は厄介である(今気が付いたが、やっかいには「厄」が付いている)。「政治の話はしたくない」「◯◯を政治利用しないで」「野党は反対ばかり」‥‥。 私はそれらの「空気」を変えたいとずっと思って来た。けれども、なかなか変わらない。何故か。「安倍政権」が世論操作してきたのか?「マスゴミ」が悪いのか?「国民」が未熟だからか?それとも私が「勘違い」しているのか? 今年3月に上梓した本書は、その根源を一生懸命に探っている。上西充子さんは2018年に「ご飯論法」という言葉を流行らせた。安倍政権の不誠実な国会答弁や記者対応を一言で言い表した言葉である。「朝ごはんを食べなかったのか」と問われて「ご飯は食べていない」と答えていながら、実は「パンを食べていた」等と、ことを巧みに隠す言い方を喩えたわけだ。問題を表面化せず、論点のすり替え、等々を使った最近特に目立つ与党の答弁である。(cf.加藤周一「白馬は馬にあらず」)記者は気がついていないのか?気がついてそれに乗っているのか?私はずっと不満だった。 本書は政治報道を丹念に追い求め、ひとつひとつを検証して、じゃどう書けば良かったのか?まで述べたものである。 本来政治報道は、問題の論点を読者に提示するのが仕事のはずだ。しかし、それを避けて「政局報道」に走る。「国会がこのように荒れた」「解散はあるのか」「時期首相は誰か」。その政局報道の陰で、1番問題にするべき時に論点を示さず問題法案が通っていっていく。最近の悪法は全てそれで通って行く。そして通った後に問題点を示す。 例えば、このように「切り込んだ批判」を上西充子さんは書いている。 ⚫︎自民、学術会議問題で「逃げ切り」に自信「批判の電話も少ない」月内に集中審議(毎日新聞2020年11月10日) ・この記事に山崎雅弘氏が「政治記者なのに、なんでそんな風に「傍観」するんですか」と批判した。すると、該当記者が反論したという。「傍観していません。これはストレートニュースです。深掘り記事は他に書いている」と。 上西充子さんは、その主張を受け入れつつも、「ストレートニュースには新聞社の「視点」や「判断」は含まれないのか」と再批判している。そして、記者の該当記事を細かに分析して見せている。事実の切り取り方、表現次第で、読者の印象は大きく変わるのである。「政府が逃げ切りに自信があるなら、もうそのまま逃げ切るだろう」と思うのである。それは政府の印象操作に手を貸す事と同義だろう。 「逃げ切り」報道も、報じられているのは「政局」である。まるで対戦ゲームのように、いかに相手にダメージを与えるか、いかにポイントを稼ぐかに国会審議の狙いがあるかのように描かれている。そこに欠けているのは、何が論じられ、その論点はどうだったのか、だ。 このような「外側」からの報道の「ファクトチェック」はとても重要だと思う。残念ながら、こういう問題意識を持って報道を読んでいる市民は、上西充子さん含めて未だ少数だ。よって、報道はまだ変わらない。 おそらく、ツィッターを見ると、最近はいくらかやっているのは見えているけど、それでも大勢の市民の「ファクトチェック」を始めることが、報道や野党の姿勢を変えることになるのだろう。
2021年05月09日
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「ワカタケル」池澤夏樹 日本経済新聞出版 日本文学全集の「古事記」の全訳が、池澤夏樹の日本古代史正篇としたら、これは日本古代史列伝だろう。小説とは違う、というものを池澤夏樹は目指した。自らが稗田阿礼の如き語部となし、現代の考古学的成果を少しだけ取り入れながら、綿々と「伝えられてきた」神話を語って見せた。だから近代小説の持つドラマトゥルギーや研究書の持つ歴史的な正確さは無視する。 何故ワカタケル(雄略)だったのか。おそらく、古事記の中でも比較的研究が進んでいて、現代の著者の中に豊かにイメージが湧いたのだろう。ホントは最も語りたかったのはヤマトタケルなのに違いないが、それは本書の中で「既に神話となった物語」として生き生きと語られる。 当然、日本統一の物語も、半島侵略の物語も、大和の豪族経営も、現代に解るように語られるけれども、それが歴史的事実であると池澤夏樹自身が信じているわけではないだろう。古事記全訳をした後に、その魂のままにワカタケルの生涯を「夢の力」で見聞きしたのだろう。それは全訳をした者しか聴けぬ声だった。
2021年05月08日
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『陰の季節』横山秀夫 新潮文庫 久しぶりに横山秀夫を読みたくなって昔の文庫本の「山」から引き出した。完全に内容を忘れていた。面白かった。2003年2月読了のメモがある。この頃は感想文を直ぐにスマホに入れ込むなんて出来ないから章と章の間の白紙にメモしていた。 感想文の内容は省略するが、どうやらこれが横山秀夫を読み始めた最初らしい。D県警シリーズの最初だった。社会的事件ではなく、県警内部の〈事件〉を扱った短編集である。この後4年間ぐらいで立て続けに横山秀夫が10冊ほど文庫本が出て全部制覇したのを覚えている。 それほど新鮮だった。時の流れを感じる。 小説内では、まだぷかぷかタバコを吸い、家には刑事専用の電話があり、ファックスがメールの代わりになっている。まるで昭和のようだけど、21世紀の文庫本なのである(初出は98年)。4編のうち2編は警察内の出世のために東奔西走して敗れてゆく話。一編は昔気質の元刑事のプライドの話、一編は目に見えない女性差別の話。て、そんな話ではないという人も居られるかもしれないけど、私にはそう読めた。いずれにしても、少し話の構造が当たり前だけど古い。現在、横山秀夫の新作のスピードが落ちているのも、新聞記者時代のネタが尽きてもうネタ元が(死んだり退官して)居なくて描けないことに理由があるのかもしれない。
2021年05月07日
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昨晩(5月4日)、NHKの「ミステリアス古墳スペシャル」という番組を偶然見た。知らなかったが、第三弾らしい。 全国の「珍しい」古墳を取り上げて、ゲストが素人目線でその魅力を語り、地元の専門家が解説し、松木武彦さんが番組内でコメントするというもの。 (NHK WEBより) 放送 2021年5月4日(火)午後10時〜10時45分[NHK総合] 全国に15万もあるという古墳。そこには古代の謎と驚きがいっぱい。今回のテーマは不思議な姿形。選び抜かれた5つを紹介しながら、おすすめナンバー1の古墳を決定する。 古墳には謎と驚きがいっぱい。今回は不思議な姿の古墳を大特集。茨城の真っ赤な壁画が描かれた古墳。九州に多い壁画古墳がなぜ関東に?前方後円墳の本場・大阪になぜかひょうたん型古墳、四国・香川には古代の最先端技術で作られた石積み古墳、埼玉には横穴が岩壁いっぱいに掘られた古墳マンション、和歌山には怪人ハニワに守られた緑石の古墳。謎から知られざる古代が浮かび上がる。この番組を見ればきっと古墳に行きたくなる! 【司会】恵俊彰、赤木野々花 【出演】武田双雲、ウルフルケイスケ、堀口茉純、国立歴史民俗博物館教授…松木武彦 不思議な古墳を大特集 [1]虎塚古墳/茨城県ひたちなか市 地下に眠る赤い模様のミステリー 九州の豪族が大和王権の命を受けて攻めてきた。 石室の外から多くの副葬品が発見されたことから、石室が何者かによって乗っ取られたのではないか!? [2]金山古墳/大阪府河南町 可愛すぎる!なにわのひょうたん型古墳「金山古墳」 2つの丸い古墳がくっついたものは全国でも唯一ここだけ。 石室とその手前の通路に棺が。 [3]吉見百穴/埼玉県吉見町 山肌が穴だらけ!謎だらけ! 穴は全部で219個あり、棺が置かれていた跡も残っている。 [4]野田院古墳/香川県善通寺市 石造りの巨大バースデーケーキ!?基礎から表面まで石だけでできている 瀬戸内海は交通の要所。高句麗の影響? [5]石橋千塚古墳群/和歌山県和歌山市 200基以上の古墳がある 天王塚古墳…巨大石室がある。怪人が守る青井地下王国! 大日山35号墳…翼を広げた鳥型埴輪、両面人物埴輪などの埴輪が興味深い古墳満載! 虎塚古墳は、ほとんど熊本の装飾古墳そのままの内部である。海から来た熊本勢力が作ったのだろうと言われている。 河南町の金山古墳は、以前行ったことがある。その墳頂から観た河内の町の雨と晴れ間のスペクタルは忘れられない。 その他、セレブの墓のタワーマンションかという表現で吉見百穴古墳群。 讃岐地方独特の石積み古墳(全てカンカン石とは初めて知った)の野田院古墳(写真)。←コレは行ってみたい。 そして、美人の学芸員のいる紀伊風土記の丘の石橋千塚古墳群の荘厳な天王塚古墳は、整備されたならば是非とも行きたい!
2021年05月05日
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毎日新聞世論調査において、改憲意見が反対を上回っているという記事が出た。 憲法改正 「賛成」48%、「反対」31% 毎日新聞世論調査 5/3(月) 0:00配信 日本国憲法は3日、1947年の施行から74年を迎えた。毎日新聞と社会調査研究センターが4月18日に実施した全国世論調査で、憲法改正について「賛成」が48%と「反対」の31%を上回った。9条を改正して自衛隊の存在を明記することに「賛成」は51%で「反対」の30%を上回った。 調査方法や質問が異なるため単純に比較できないが、安倍晋三前首相が首相在任中だった2020年4月の調査では「安倍首相の在任中に憲法改正を行うこと」に「賛成」が36%、「反対」が46%。自民党がまとめた自衛隊明記の改正案に「賛成」は34%、「反対」は24%だった。 今回の調査結果を男女別に見ると、憲法改正について、男性は「賛成」58%、「反対」29%だったのに対し、女性は「賛成」32%、「反対」35%と賛否が割れた。自衛隊の明記も男性は「賛成」61%、「反対」28%だったのに対し、女性は「賛成」32%、「反対」34%と同様の傾向だった。いずれも女性の方が改憲に慎重な考えがうかがえた。 支持政党別では、憲法改正に自民党支持層の67%が「賛成」、立憲民主党支持層の63%が「反対」。無党派層は39%が「賛成」、32%が「反対」と答えた。自衛隊明記は自民支持層の69%が「賛成」、立憲支持層の60%が「反対」で、無党派層は42%が「賛成」、32%が「反対」だった。 憲法に自衛隊の存在を明記する案は、安倍氏が首相在任中の17年5月に打ち出し、自民党が翌18年にまとめた4項目の改憲条文案に盛り込んだ。20年9月に安倍氏から交代した菅義偉首相は同年11月4日の衆院予算委員会で、4項目の条文案について「自民党として提案するたたき台であり、そのまま継承したい」と述べている。【青木純】 国民投票法の改悪法案を強行採決するキッカケになることを恐れるけれども、これで改憲が一挙に進むことを、私は思わない。 もはや、15年前になるけれども、このブログで毎日新聞の世論調査で改憲が一挙に5%上がって60%になったことに危機感を抱いて、当時ブログを開設していた松竹伸幸さんに質問したことがある。 詳しくは「松竹伸幸氏より毎日世論調査の見解をいただいた 」を読んでいただきたい。 今回見て、あの時よりも改憲意見は減っているのである。だから良いとはならないけど、 やはり結論は一緒だ。 一喜一憂することはない。
2021年05月04日
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「図書 2021年5月号」 司修さんの表紙は、2回目の緊急事態宣言が出された後の朝方観た夢を描いたようです。題して「自動人形オリンピア」。内容は(夢ですから)予想もできない展開なのですが、何故か腑に落ち。 今回読めた文章は、 大河原愛「雲と空のはざまで」 毛利悠子「アキバ」 大島幹雄「希望のクラウン」 畑中章宏「わざとらしさ」 こぼればなし だけだった。 ピックアップするのは、またもや畑中章宏さんの「らしさについて考える」シリーズの5である。 「わざとらしさ」。 現代では、ネガティブなイメージではあるが、果たしてそうだろうか?という論旨。 「態(わざ)と」に「らしい」をつけものに「さ」と接頭語をつけて体言化した名詞らしい。 大ぶりな身振り、誇張した仕草、いかにも思わせぶりな言葉遣いなど、人によっては気持ちを逆撫でにされたような気持ちになるのかもしれない。 でも、それは時と場合によっては必要なものではないか? 「祭」「祭礼」では「わざとらしい」ものが好まれる。 そういえば、そうだ。獅子舞を昨年2月神社の節分祭で見た時には、大国の主命に「わざとらしく」退治されていた。韓国の安東で仮面ノリ(劇)を観たことがある。大袈裟な演技で、言葉が分からなくても良く通じた。「わざとらしさ」が神様に愛でられる秘訣だったのだろう。 そもそも能の元は態だった。と、折口信夫は言っていたそうだ。芸能は芸態だった。 「わざとらしい」に似ている「あざとい」が近年たいへん評判が高くなっているらしい。日本芸能史にとって、あざとさがここまで評価された時期があっただろうか?と畑中章宏さんは言う。 つまり、田中みな実の「あざとさ」は、芸能人による「芸能」であるから、売りにもなるし、許されるのではないか?
2021年05月03日
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「日本の名著(36)中江兆民」中央公論社 つい最近思い出すことがあり、紐解く。 中江兆民に関しては、苦い思い出がある。私は大学の卒業論文が中江兆民だった。もはや原稿も紛失しており、どんなことを書いたのかも思い出せない。いや、忘れようとしてきた。 思い出すのは、卒論提出の締め切り当日のことだ。徹夜明けの朝、論文(というのも憚れる)清書原稿を紐で纏めて下宿を出て、大学へ行くまでのその真っ白に積もった雪の長い道のことである。疲れ切った頭は、わざと何も考えまいとしてきた。かじかむ手をこすりながら、研究室に原稿を置いて、学食で250円の具の入っていないカレー大盛りを食べて、そのまま帰ってずっと寝た。 準備をしなかったわけではない。半年前の夏休みは、ほぼ喫茶店に籠ってわかりにくいオール漢文の第一次資料を読もうとしていた。研究書に当たるのは、その後だと思っていた。ところが一日一頁も進まない。時間だけは思いっきりかけた。就職活動は最終学年の10月から始めたのに、一発面接で一発で決まってしまっていた。毎日卒論のことを考えていたのに、何も進まなかった。考えれば考えるほど書けなくなる。これは「隠れアスペルガー」つまり病気だということは、つい最近になって感じ始めたことであり、昔はともかく自分を責めていた。最後は原文ではなく、この中央公論社版の現代語訳本を参考に論を書いた気がする。ほとんど読書感想文だった。就職が決まっていたため、お情けで「可」を貰い卒業した。 10年後、担当教授が大学を離れ東京に赴くためのお別れパーティー(同窓会)があり、出席した。その間に岩波書店が「中江兆民全集」を出していた。漸く本格的な中江兆民研究が始まっていた。私は全集を大人買いしていた。私は教授にお詫びを言い「いつか、まともな卒論を書くので、その時は見てもらえますか」と酔っ払いながら言ったと思う。「勿論です」教授は快諾した。全集は揃えたけど、やはりまともに読まずにここまで来た。まともな事は何一つ書いていない。教授は、おそらく歳からいってもはや論文をチェックしてもらえるような状況ではない可能性が高い。人生の悔いのひとつである。 今回本書をざっと眺めた。 当時私は「三酔人経綸問答」の紳士、豪傑、南海先生の中で、兆民の真意は何処に有るか、というような誰もが考えることを考えていたと思う。明治20年、一介の知識人が日本のグランドデザインを構想して、それが実現するかもしれないと夢想できた時代だった。兆民の構想(小国主義)はかなり現実的なものではあったが、むしろ明後日(あさって)の方向に日本は向かってゆく。「君民共治の説」との関係、「一年有半」での総括、いろいろ感じるところはあるけど、此処に書くには原稿のマス目が不足している。感想文は、又何処かに書きたい。
2021年05月02日
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