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はい、こんばんわ、みなさん、四月です。もうかよ。しかし、寒い、桜はどいないやねん、といってます。みんなが桜桜というのでおそらく日本ジンのヒュー間の井戸のDNAの記憶は桜色でシンクロしているんだとおもう。シンクロしているといえば、脳は微弱な電気的なやりとりと化学物質がいりまじっているらしい、双子の子供は同じ夢を見たり、同じ事を考えてたり、テレパシーのような考えの位相をしることがあるらしい、これは脳が同期化しやすい環境でなおかつ、双子という特性であるので当然の結果であろう、よって、ジャパンひゅまの井戸は同期化しやすい環境であれば、同じ方向に思考や行動をしやすいという「推論」「仮説」が成り立つのであるが、何でこんなものがはやるのかというものが往々にして流行する、おばかものなどは、これらが主因ではないかとおもうのである、陰惨な事件が起きると模倣犯が出てきたり、民主党が不況を改善するという妄想を抱いたりするわけだ、この難局はかなりこんなん、しかし!今日めちゃくちゃむかついたポスターを見た、あの何とか実現等のおっさんのみ許可ポスターが空き地やそこらで張られているのだが、あの坂本竜馬の写真を流用し党のポスターとしておるのだ、あれはいけない、冒涜である、天誅である。80年代のころなら許されぬ行為、しかし、今の時代は「いからない時代」、娘が男言葉を平気でつかい、へなちょこみたいな男が人気得る時代。話がずれてきていますが、いろいろ無秩序な時代にあるわけですが、これを改善するのはどうするか、というところで、おわり、
2010.03.31
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こんばんわ、みなさん、郵貯の限度額が2000万のUPとなったようで、あらためてその愚作におどろくものの、現政権も何の配慮も選挙のためだと、情けなくため息が出ます。まずは、やばい地銀が預金の引き出しにあうことですよ、みんな田舎の金持ちは必ず地銀から安心できる郵貯に移すことでしょう、その影響は計り知れず、預金に回ったお金がどう流れてゆくかです。国債の金利などいろいろありますが、民間の融資や景気などの底上げには回らないでしょう。郵便族の票集めをやっただけではないかと思います。地銀がメガバンクと戦うことはできるわけも無く、預金も減り、融資もできず、そうなれば、目も当てられないです、地銀消滅かもしれない。経済はどうのこうのと、いっているが、楽観視しているようなかんじもしますが、三月決算相当やばいところが多いと感じます、この景気の悪さは相当なものであります、何しろ、金や物が動いていないようです。ところで、もう三月も終わり、早いもので今年も25%が終わろうとしている、早いものです。いかなごのほうも終わりが見えてきましたが、今年の暴落振りはすごいもんもので、安売りしているところなど相当やすかったです。購入する人は年配以上高齢なひともおおく、彼らもまたいろいろな要因で財布の紐を締めているようです。
2010.03.30
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昼はすんごくいそがしいい。しかし、夜はっどおひま これは先日の予約、くしあげべんとうです・。桜のように、作ってはなくなる、食べては消える。はかないものですわ いろいろもりあわせ、若鶏のたつたあげ、やきうどん、などなどと、メインが特製えびちりです。ライスついて、みそしるついて580円です。みんなあ、たべにきてよ
2010.03.30
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こんばんわ、みなさん、お元気ですか?僕は少し元気が無い。今日は雪がばらばらと降る変な一日。桜も半分さいて、五分咲きというのでしょうかね、日本人は「桜」がすきですよね、福山の「桜坂」とか、桜の歌がたくさんでてきて、もう、桜歌満腹です。二匹目の土壌はもう古いどじょう。先日の交差点の黄砂ではおもいっきりすべりましたが、おやじぎゃくとかいわれると、無性に腹が立ちますが、おばあちゃんのあのうたは、斬新でいいです。あの「トイレの神さま」は植村花菜さんが歌うものですが、アイデアが斬新。愛がいっぱいつまった、心温まるものです、そういう独創的なものがいいのです。ところで、なんで桜は日本人がすきなのか、僕なりに考察してみると、やはり、「刹那」であるとおもうのです。日本では敗者へ惜別のペーソス感にぐっと心が惹かれます。高校野球で敗れて帰る高校生をみていると、野球知らないひとでも涙さそわれます。それは、勝負に負けたという、ペーソス感が同期化するんだとおもいます。桜は、不思議なもので、普通は葉っぱからでてきて花が咲きます。しかし桜はいきなり咲き始め、最後に散りだすころに葉っぱが出てきます。色合いもその桜の色で覆い尽くされてしまうので、余計に美しいのです。それから、ぱっと散るということろは武士道に通じるものがあるとおもいます。武士とは死に場所を見つけるものなり、といいいます、いかに死ぬかで名誉が与えられ、子孫はそれで生き延びるのであります。医学の発達していない昔は、どうせ死ぬなら、自分の名誉のために死ぬことを重んじるのです。その生き方が桜に通じるものがあるんだとおmのいます。 しかし、近年の桜のあり方も、武士道なんてもうありえない思想だし、日本人は桜を見て時を楽しむより、花見でどんちゃんさわぎしたり、あげくにはバーベキキュー間でする始末。桜を名目に、宴会するということ。そういうことは、まったく、花鳥風月を愛する風流人にはゲセナイ。僕が思い出す花見は、大学のとき友人と缶ビールを片手に加茂川の夜桜を見ながら将来を語り合ったことです。四国にいたときに愛媛の店にヘルプにゆき、帰りの国道でみた峠の桜並木は忘れることができない。人生のうちに何度桜が見れるか、年に一回しかみれない、それも刹那的であるのです。刹那で生きる人間、そして桜の花。どこかで似ているような感じです。
2010.03.29
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こんばんわ、みなさん、お元気ですか?月末に近づくと、あちこちの店が閉店のお知らせ、ここもあそこも、商店街はシャッターがバンバン降りて、閑古鳥の連鎖反応。時代の流れというものなのでしょうが、個人自営の店は弱いものです。しかしながら、店舗数のおおい、チェーンがいいとかというとそうでもありません、そこもひどいもんです。ぼくがファミレスの店長をしているときは実にさまざまな問題がおきまして、毎日へとへとです。金が無くなる。レジの金が合わない、財布の金が無い。財布がなくなるというのはごくたまにありまして、さまざまなバイトがいて、くせのわるいのがいたりするとたいへんです。それとよく起きたのが出入り業者のバイトが控え室でくすねてかえるというもの、ほんとなめられたものです。個人の店なら絶対ありえないことですが、大手のなると、業者選定は本部の権限でお店は一切関係ない、これがいけないんですね。業者はこれもグループ会社。やる気がぜんぜんありません。仕事はあるので困ることは無い、営業で仕事をとることもない、ひたすらお店からの仕事をしていればいい、クリーニングの会社、わすれもしません、お店のユニホームを回収し、クリーニングをして回る、そのバイトが悪いのがいて、どうも深夜、財布かない、金が無い、服が無い、財布もとんでもない川原からでてきて、警察から照会がくる。僕は、もう頭にきて、電話、さんざん、怒りまくり、バイトの高価な服が取られ、僕が弁償することもないのに弁償。しかも10万円。怒り心頭。結局関西全店納品方法を変えることになったのですが、担当社員も店にきてあやまることもなく。アルコール納品のバイトもくせのわるいのがいて、部長のリンテンのときに数万円、いかれる、なかなか言えないんですね。実はね。。僕は違う店だったので、「部長、財布は金庫にいれてもらうべきです・・。」数ヶ月後、自分の店で僕の財布から三万円なくなり、これも誰にも言えることができず、自分の管理もできないのか、と情けない限り。しかし、これが今。自分が経営するみせであれば、起こらないだろう。なぜなら、そういう隙がないし、相手もすぐに取引を停止されてしまうからだ、名ばかり管理職である店長は何も権限が無いまま、ひたすらい店で営業し客にどなられおこられ、取引先にはなめられ、本部にはぼろかすにいわれ、ストレスがたまって当然。いろんなことがありました。またいろんな話をします、おやすみ
2010.03.28
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こんばんわ、みなさん、毎晩毎晩、誰に対して訴えているのか、何をしているのか。眠いのにやめればいいのに、なんになるのとおもいつつながら・・。学生のころは下宿で友人たちと朝まで話したものだ、深夜喫茶が京都にはたくさんあり、カップイン、田中コーヒー、時間割、からふねや、24時間営業の喫茶店で、タバコをふかしながらほんとうにどうでもいいことを話していて、時間を無駄にすごしていたものだ、金は無いが時間がある、何の話をしてたのだろーか、しかし、バイトが忙しくなったり、いろんなことをしだすと夜の喫茶店での会話はしなくなったものだ、京都ももうだいぶいっていない。6年前ほど大学の学部の教授が退官されるというので京都のあるホテルでセレモニーがあり、僕は仕事を終えてから三次会から参加した。阪急の京都線にのるのも久しぶりだった。大学のころは、家が神戸で下宿は京都で大阪からどっちにむかっても、家にかえるんだという不思議な感覚をもったものだ、京都の夜の河原町について、あの木屋町あたりをあるくとたくさんの若者がいた、驚くほどの若者が元気よくあたりじゅうで語り、話、酔いつぶれ、ぼくはあのとき、錯覚に陥った、自分が学生のときの時間に戻ったように、過去の時間の中にいるように感じた、昔の友人たちの待つ居酒屋へと向かう、しかし、目を疑う、どこお見てもいない、どこもサラリーマンがいて、久しぶりに会う友人たちはそのサラリーマンの林にまぎれて埋没したように元気がなかった、ああ、実に寂しかった。おお”!ひさしぶり、といっても元気が無い。実に悲しかった、三次会は一向に盛り上がらず4次会になると、みんな最終電車を気にしだし、嫁さんの実家に泊めてもらうとか、そういう現実味のある話になると、トーンダウンしてしまう。学生のころは、そういうことはなかった、持久線、下宿のタクシーで帰るか、歩いて帰ればいい「もう、みんな、若くはないんだよ」どっかの歌で聞いた台詞を聞いた日には加茂川に飛び込みたい気分であった、みんな帰り、四人になる、京都の住む友人の家にゆき、学生のときのようにあさまで語った。気がつくと、寝ているやつもいる、朝になり、始発でかえる、しかし、そのしんどさはたまらないものだった、いつまでもあのときの学生の元気さはないが、自分らしく生きていたいと、いつも思うのである。さて、あの時は何を話していたのだろうか
2010.03.27
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こんばんわ、みなさん。お元気でしょうか、雨が降ったり晴れたり、はたまた雹が降ったりの神戸でありました。神戸の町もこの30年でかなり変貌を遂げてしまいました、港の出入りが激しく、産業も工場もさかんで、公害もひどかったとおもうのです、まず、この僕のページを見てください。こここれは昭和50年の空中写真です。まず、港を見ていただければわかるとおもいますが、数多くの運搬の船があるのがわかるでしょうか?コンテナがまだ主流でないころ港に入る船は積み下ろしをこの船たちにおろしてかついで突堤に上げる作業があり、膨大な労働力が必要とされていました。はしけ、というものです、ここコンテナ船というものは作業効率を格段にあげ、生産性などはくらべようもない、しかし、このはしけで働いていた労働力は過剰なものとなり、その後どうしたんだろうとおもいます。この昔の写真を見ていると、震災の前にある家々町並みが見ててきてそこに生きるひとびとがそこにいたんだとおもいます。神戸市電はもうすでに5年前に廃止され、山のほうでは夢野ハイタウンという分譲の大規模マンションが建設中のようです。神戸市の頭のいいところは、当時のことですが、必ず、何かをつくるには、何かを何かに移動させて一興両得するのです、たとえば、ポートアイランドという島を作る、そして、その土は西区のやまのおくを削り、そこにもセイシンニュータウンをつくる。墓地ややきばのあったところをまとめ、ヒヨドリ墓地をつくり、そこにアクセスできる道をつくり、その道は北区や西区にゆける西神戸有料道路をつくり、そのあいたところにマンションや団地をつくる。この活気ある雰囲気は昭和の神戸をあらわしています当時、宮崎たつお市長は、神戸のスローガンとして海へ山へ、ということで、海にも山にも街をつくる、というものでした、どこでつまづいたんだろう、このころ、再び、異人館ブームがおき神戸のイメージがあがるのです、いいときは何でもいい方向へ行く。当時神戸は株式会社神戸、といわれ、黒字のオンパレードで神戸は財政が健全でした。少しこの写真は切れていますが、当時はまだ、ハーバーランドというものは存在していません、僕が思うにこのはーばーららんど建設あたりから歯車が狂いはじめたのではとおもう。国鉄神戸駅の南には膨大な線路の海へと続くものがあり、船から陸揚げされたはしけの荷物は貨物にすぐにのせられて東海道線の貨物列車に乗せられるのです、神戸駅のほかに神戸港駅という貨物の専用の駅があり、これは2000年過ぎまで存在したのですがその駅から灘操車場に送られ、貨物編成を行い、全国に輸入品を送付していったのです、これらのすべては、国鉄からJRになって、しばらくはありましたが貨物がすべてコンテナ仕様になり、役目は終わってしまいました。新開地には聚楽館が見えます、いまはラウンドワンになっていますが、この会館がなくなったあとは長い間空き地になっていました、震災前後もそうです。最後にはマンション計画になり、震災後、土地を交換する形でラウンドワンになり、その名前を残しています。滝谷や滝山にはぜんぜん家がありません、造成されたばかりの空き地が広がります。震災がきて、無くなった家、松本通りのかじとか、さまざまなことがおこりましたが、この写真の当時は未来にそういうことがおきるとは誰も予想してなかったのです。
2010.03.26
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みなさん、こんばんわ、お元気でしょうか?本日はお店が休みでしたが、大きな予約があり、しかも三つもブッキングし、かなり、ハードな作業でしたが何とか無事に提供することができました、子供たちのお弁当でしたが喜んで食べてくれている光景をみると、しんどさはふっとぶのです。さて、今日のニュースで、未知なる絶滅した旧人類が発見されたということ、数万年まえまで生きていたんですね、いろんな人類が共存し、それぞれ種の保存ができなく、ホモサピエンスしかのこらなかったらしいですが、その時代の光景はすごいもんだったんだろうな、と思います。サルの種類がたくさんいるように、人間の兄弟もたくさんいたわけで、しかし、僕が一抹の不安が残るのが、ホモサピエンスが存続した理由はいろいろあったんだと思うのですが、闘争や殺し合いで残ったんではないかという部分ですが、今日の多発する残虐な事件などはそういう時代を経験したDNAの記憶のミスイレギュラーではないかとおもうのです。もうひとつ、国家公安なんとかの大臣か、議員のおっさんが愛人といろいろしてるところを週刊誌にすっぱぬかれて、実にみっともないことだとおもいます、もう、地方の議員から国会の議員まで党派を問わず資質の低い人間性の劣る人が実におおいことか、情けないことだとおもいます、民主党もミンスと僕が言ってましたが、それは、民巣との意味合いもあり烏合の衆であるということからきています、子供手当てもことも財源が大きく、たいへんなこととなっていますが、赤字国債で補うか、増税するか、そういうことでは、結果的に子供手当てを今ももらっても、将来における税金ではらわせれれるのだから、意味がないんですね、でも、ものからひとへの投資ということはいいことだと思います、何事もひとつの事を成し遂げようとおもえば、必ず大きな障害、壁というものがでてくるのです、だから、それにめげてはいけない、だいたい、税金をどこまで絞ればいいのだとおもうよ、産業を興し、もう一度日本を再生し、工場をきちんと正社員で自国で設立し、全世界に売るまくる偉大なる日本にならないと、あかんのです、それには、日本には根性がなさ過ぎます、怒り、というものがないんだな、これは日本骨抜きにされたものだとおもいます、タレントを見ていても、一時代前には、おとこらしいひとがもとはやされたが、日本の人気タレントは、女性のようなかんじがおおすぎるよな、しっかりしているのはおんなのほうで、男は実に情けない。これも僕が述べている「男尊女卑」の仕組みの崩壊の影響でもあり、ばかでも中身がなくてもえらそばれるのは議員のみになっているようです。男がえらい、ということは実はえらくないから、えらいことにしてあげるよ、ということなんです、そうしないと、男というのは仕事もしないし、家もつくらず、遊ぶか賭け事かしかしない、それに、先ほど述べた旧人類が絶滅していったのは子孫を残せなかったのですが、残せるかどうかは「精子」にかかっているとおもうのです、要するにたたないとできないわけで、男性ホルモンの多くは睾丸から出ているのらしいのですが、これも大事なことだとおもうのです。あの中井のおっさんは、男性ホルモンだしまくりのようで道を誤りつつあるのですが、ミンスを再び陥れた成果は自民が評価するでしょう。
2010.03.25
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みなさん、こんばんわ、お元気ですか?雨です、菜種梅雨です、桜がかなり膨らんできています。今日は風呂場ででてところでころび足を打ちました。ふりちんでたおれていました。ふりーでおもいだすのは、FMフリーズというミニFM、その名前も相当変ですが、ぼくとあの再会を果たしたN氏が写るのが背景の画像であります、この部屋は放送スタジオでありながら、僕の下宿の部屋でもありまして、いま、考えても相当変わったことをしていたとおもうのです。ぼくの部屋がスタジオにしているので、他の部員が番組を録音しているときは中に入れないのです、月曜日と水曜日は収録があるので友人の下宿にゆくか、どこかで時間を潰し9時過ぎまで帰れないのです。この机は死んだ友人の勉強机でもうひとつは、もともと先輩か誰かが残した机、N氏はその後、本当にアナウンサーになるとは僕でさえ予想しなかったが、あのときの言葉だけは忘れていない。「絶対なれよ!」夢を語る、語れるひとはそういない、僕がファミレすの店長をしていたときも自分の夢を語れるライフプランを持つ人間はあんまりいない。どう生きるか、どうすごすか、流されて、決められた道を行くのが普通であろう。しかし!自分の人生だ、熱き思いで夢を語れる目標をもつことはいいことだとおもう。ラジオが好きであった。今日はTUBEでNHKFMで20年間の歴史をもった、クロスオーバーイレブンを聴いていた、あの放送でぼくはFUSHIONが好きになり、bobjames SAHAKATAKリーリトナーなどの音楽も聴くようになったのだ。実に様々な音楽を聴くのである。CDの棚を見ても種種雑多なものがならぶ。まずみてみると、シモンズのベスト、斉藤哲夫、ジローズ、赤い鳥、オフコースがずらり、吉田拓郎、風、さだまさし、・・・と並ぶ。もう既にラックは満杯で本棚のスペースまでCDが独占しつつある。もう、CD集めはこれぐらいしないといかねいなあ、と思う、よく人の家にいったときにCDをずらりとならんでいるのをみると、僕は内心、軽蔑していた。そんだけ集めて聞いているの?ぼくがそうなるとは夢にも思わなかった。レンタルで十分なんであるが、ぼくがおもうに、購入することが作者への敬意、であると、思うのである、作り手の気持ちを思えば、聞かさせていただき感謝の気持ちはやはり、報酬であろう、その関係がきちんとしないと、この業界はいつまでも芸能界の一部であって、芸術の分野にはいらない。 クロスオーバーイレブンは、11時45分くらいから翌日までの放送で日をまたぎ、一日の終わりと始まりを考えさせる、ゆったりとした気分にさせてくれたのである。音もFMのステレオであり、確か、FM雑誌でも選曲は予告してくれていたのでは、と思う、その選曲がまたまたすばらしいもので、それを手がかりに洋楽の輸入版を購入しにゆくのである、ゆったりとした時間の演出、大人の時間、ラジオならではの表現である、
2010.03.24
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うどんも人気なんですかきあげうどんです。これはなかなかいけますたけのこのたきこみごはん、釜飯風しゃけまでのっています、580円でしたが、あんまりでなかったなあ
2010.03.23
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ああ、またぶれてますがチャーハン弁当です、以前は冷凍ものをしてましたが手作りに変えて余計に人気がでましたが、なかなか忙しい時には対応できないので売り切れになる場合もあるのです、手作りがおおいのです。
2010.03.23
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こんばんわ、みなさん、お元気でしょうか、最近のアクセス様270平均、200平均からあがってきました。しかも、ほとんどコメントない、勇気いるんですかね、まあ、ランダムできている人もいるみたいだしね、どうぞ、コメントを残してください。今日はNさんがひさびさこられまして、オムカレーをご賞味いただきました、相当ご飯いれましたが、カンショクありがとうございます。明日はある東京のお客様のため異人館に配達です。神戸の異人館にゆくのはひさびさであります、横を通過するのはあるのですが、神戸の人間はその存在すら忘れているようです。学生のとき、異人館ブームがおきまして、ポートピア80もありまして、観光の人がたくさんこられ、かわいい女の子たちがわんさか神戸にきてました。それを見たいと下宿のメンバーがいいだし、僕の実家に泊まり、みんなでナンパするでもなく、異人館を歩いたおもいでがあります、大学一年のときは、バイトの給与をたくさんもらい、フレンチを母と姉におごったおもいでがあります。うれしそうに、ワインもオーダーせずにコースを食べました、どこの店か忘れましたが、母の喜ぶ顔は忘れることができません。神戸のイメージも地震のことや、ハーバーランドとかできたせいもあり、異人館の観光は減少しているとおもいます。数年たちぼくはひょんなことから神戸三宮の店に勤務、その当時も異人館ブームはつついていた、思い出すのはGW明けのモーニング、その店の裏のほうには山ほどラブホがあり、そのラブホから出てきたカップルでモーニングオープンともに満席、それから、深夜まで満席は続き。ぼくはそのままラストへ、翌日も朝から勤務。売りあげは新記録でした。
2010.03.22
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こんばんわ、今朝は交差点を見ると、まっき色。黄砂で交差点が黄色。あぶない。飛行機も欠航が相次ぎ、風がすごくて飛ばされそうでした、中国の砂漠の砂がどんどん飛んできて、ついでに有害な物質も着てるのではないかとおもうのです。その中国はミサイル部隊がいざというときに日本を狙っています、そのいざというときは台湾紛争であり、そのきっかけで米国との戦いの火蓋が・・。おそろしいことです、普天間の基地うんぬんでもめておりますが、単純にぼくらはそんな基地いらん、米国に帰ってもらえば一機に解決、と思うのですが、北朝鮮問題、中国との問題で、要衝は沖縄ににあるというからくりです。いくら平和どうのこうのいいながら、裏ではひそかに進行しているので、核お持込み問題と、非核三原則へ形骸化はいよいよ戦争へのシナリオのプロローグになろうとしておるのです。日本が平和憲法をもし、核廃絶を訴えているのに、政治は裏面ではぎゃくのことをしており、情けないのであります。
2010.03.21
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こんばんわ、皆さん、世間は三連休ですが、あいかわらず仕事です。異様にアタッカイ日がくると、大地震がくるのではないかとおもうのですが、まあ、迷信ですが、地震の話をするときりがないのでやめておきます。いろいろな音楽を聴いていた学生時代、中学高校大学と、よくLPを買いにゆきまして、レンタルレコード屋ができて、買うのが減りました。三宮のサンプラザに星電社の輸入LP専門店があり、欧米のLPがずらりとならんでいました、洋楽はあんまり疎いぼくでしたが、クロスオーバーイレブンやNHKのフィュージョン特集などで、FMファンでよく勉強したものですが、そのレコード屋にゆくと、ジャケットがすばらしく、どういう音楽が聴けるのが冒険心もあり、いわゆる、ジャケ買いですが、TOTOの[hydra] 【中古】CD ハイドラ/TOTOこれです、なかなか渋いジャケであります。フュージョン系で特にお気に入りは BOB james 彼のジャケも実にセンスがいいもので、どれもこれも飾りたくなるようなもの Earl Klugh & Bob James アール・クルー / ボブ・ジェームス / Two Of A Kind 輸入盤 【CD】Bungee Price CD20% OFF 音楽[初回限定盤 ] Bob James ボブ・ジェームス / Touchdown +1 【CD】Bungee Price CD20% OFF 音楽[初回限定盤 ] Bob James / Earl Klugh ボブ・ジェームス / アール・クルー / One On One +1 【CD】【Aポイント+メール便送料無料】ボブ・ジェームス Bob James / Sign of the Times (輸入盤CD)どれもこれもかっこよく、アメリカ的ですよね、曲はもちろんすばらしく、アールクルーのギターとボブのピアノのセッションは会話しているみたいに流れてくる。 アールクルーもいいのですが、リーリトナーも最高でした。Lee Ritenour リー・リトナー / Captain Fingers 輸入盤 【CD】 大体みていると、自分の顔をジャケに使う人とそうでないひと、一貫性を持つ人、そうでないひと、いろいろあります。しかし、それもLPの30cmの正方形の表現があってこそです、いまのCDは殆どがケースに入り、コンパクトはいいけえど、ジャケ買いという意欲はおこらナインでは、と思うのです。
2010.03.20
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こんばんわ、みなさん、次々と毎年春になると、ブルートレインや夜行がなくなり寂しいかです。そういえば、客車、というものがなくなっているんですね、歌にもたくさんなっているね、浜田省吾のミッドナイトブルートレイン。どこへゆくのか、わからない、ような歌詞だったか、ブルーの客車が静まり返った街をはしる、そういう光景は絵になるし、情緒的であった。みゆきの「時刻表」「ホームにて」彼女も駅を題材にした歌がおおい、駅の待合とかホームとか、いろいろな人がいろいろな人生を背負い、次の夜行列車にのる。ぼくはそういう雰囲気が好きで、中学のころから夜行で一人旅にでかけた。出雲に夜行でゆき、夜行で帰る、二晩寝ない、少しは寝るけど好きな列車にのり、夜のホームの雰囲気を味わう、東京へは銀河51号かもしくは宇野からあがってくる特急瀬戸のB寝台にのったことがある、帰りもゆきも名古屋のホームの停車時間が長いから、きしめんを食べるのが楽しみ。たくさんのひとが同じように停車時間を利用しホームにあるきしめんを食べにゆく。14系の客車登場からエアコンやリクライニングがついたものに改善されつつあったが、急行や鈍行はエアコンもなく、扇風機だけ、硬い硬い向かい合わせの座席、寝るのは相当苦労する、早くから地べたにどんどん新聞ひいて寝転ぶおばさんもいた、よほど疲れていたんだろう、トイレにゆくのもしらないおばさんをふんずけないように行くんだ、駅のホームにはゆで卵や冷凍みかんとか、訳のわからないものがうっていたな、北海道を旅していたころは、ユースに泊まる金を節約するために、夜行で移動しまくっていたな、旭川を基点に、あのころもたくさんの夜行が道内をぼろぼろの客車ではしっていた、トイレも垂れ流し、駅にいる間は使用するな、と書いてあるんだが、たまに我慢できなくてするやつがいて、ひどいもんだ、田舎のローカル線は大昔は垂れ流しであったのだ。旅の思いではつきない、これもまた、続く。
2010.03.19
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こんばんわ、みなさん、今日は高校の公立の合格発表があったようで自分も思い出すのです。中学のときは鉄道が好きで勉強をよそに時刻表ばかり見ていて、仮想のたびをしていた、ろくに勉強もせず、とりあえず国立の高専というとこを受けたが見事に不合格、私立の併願は受けず、要するに滑り止め、近所の工業高校の電気科を受けることになった、ぼくとしては普通科にゆきたい気持ちが強い、みゆきちゃんは頭のいい女の子で、お父さんは銀行の支店長、お兄様は東京大学。しかしぼくは頭が悪く、もう既に絶望的な状況の中で、おかんには絶対合格せな、特技をさされる。ほんといやいやながらであった。当時も今のように不況で就職がなく、どうせ、ぼくは大学にはゆけないだろうと、それでその高校になった、しかし、恐ろしく倍率が高く。6倍近い倍率。まあ底辺の争いであったけれど。 かなり前にもここで書きましたが、オフコースのところで、屈辱的に成績も悪く、どうしようもない僕は、なぜか、勉強をしだす、猛烈にしだすのであった。一年になり、最初の実力テストがあった、家庭訪問があり先生が僕の家にわざわざ来た、母もいない、僕しかいない、「君は学年で一番の成績だったよ。もっとがんばって勉強しなさい」母が作業着のままあわててパート先から帰ってきて、驚いていた、驚いていたのはぼくでもあった、相当レベルの低い学校かもしれないが、いつも平均点もとれない、成績のあがらない、偏差値も低いぼくは、有頂天になり、深夜放送とともに勉強をしてゆくのであった。工業高校では実習や専門的な勉強があり、レポートもあり、そのことをしながら普通科の勉強をしてゆくのはたいへんであった。もっとたいへんなのは学ランを着た不良たちであった。続く
2010.03.18
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長崎キヤノン(東彼波佐見町)が製造したデジタルカメラが17日、初出荷された。今年はコンパクトタイプ3機種と一眼レフ1機種を計約200万台生産。来年は約400万台に引き上げる計画。国内や欧米に加え、成長市場と見込まれるアジアにも出荷する。 同社であった初出荷式で若狭央幸社長は「今日から『メード・イン・波佐見』として全世界に出荷する。高品質のカメラを作り、500万台、1千万台(の生産)に向けて頑張ろう」とあいさつした。同社は世界的な景気後退の影響で着工を一時延期し、当初計画より3カ月遅れで操業した経緯があり、親会社キヤノン(東京)の真栄田雅也取締役は「紆余(うよ)曲折はあったが出荷式を迎えることができた。最新のデジタルカメラを最先端の技術で生産し、世界に発信することが長崎キヤノンの使命」と激励した。長崎新聞さま本当にいいことだと思う、生産拠点を日本にもどす、それこそが日本再生の道だ
2010.03.18
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で、今日の背景の写真は、卒業式の後の予餞会を藤田ホテルでやったんですが実のところ僕はこの写真はずっと、心を痛めてる、恩師の前に知らず立ちふさがるのが僕です、恩師が無言の抗議をしていますが、この先生は偉大なひとだったのです。前にも述べましたが、卒業判定会議でぼくをだめだ、といったのはこの先生であったのだとおもうのですが、このスペイン語の歴史と文化を教える先生はフランシスコザビエルから延々と続く、あのイエズス会の司教で、河原町カトリック教会における大司教でもあったのです、恐れ多くもぼくはその前にふんぞり返るのです。思い出すのは二年前の歴史のレポートで、秀吉のことを書いて、よくも知らないのに朝鮮侵略のことも書いて、肯定的だったのです。先生は、僕のレポートは採点しないと、スペイン語で書いてくれました、秀吉とバテレンの司教たちのあの歴史は気にも留めないないぼくは、秀吉のキリスト教迫害の事実を忘れていました、怒るの当然のこと、京都から長崎まで足に鎖をつけられ、最後に磔になり殉教した、26人聖人しかしながら当時のぼくは先生の力説していた十字軍の歴史は西洋の歴史であり、イスラムの歴史的な観点は違うものだと、ひそかに批判していた。しかし、なんで、あのゴルゴダの丘とか、イスラムの聖地とかユダヤの嘆きの壁とか隣接しているのでしょうか、あの地点にはなんらかの要因が隠されているんだろうとおもうのです。話し戻って、先生は偉大なるお人で、贅沢はせず、清貧独身を貫き、日本に帰化し、おそらく前世での出来なかった、日本でのキリストの教えを広める目的を果たし、お亡くなりになった。しかも、体すべて、医学のために京都大学へ献体されたのです。多くの過ちをぼくもしたように愛するこの国ももどれない、もうもどれない、あの歌が流れてきます。先生、ごめんなさい。
2010.03.17
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生きる上での煩悩、迷い、様々な渦巻くようなものは「有心」であると、それに対峙し、「無心」の境地、悟りを開くということが禅の道らしいが、ぼくなんぞはいまだに除夜の鐘三乗の煩悩状態、ゴーンン、である。今日、店にゆくときに予約があったので、すこし早く起きてアーケードをあるくと雨露凌ぐ若者が寝袋でまさにおきようとしていた、枕は無料求人誌。仕事がないのか宿もないのか、よく見る浮浪者とはちがい、着るものはきちんとしている。そのとき、僕の心の中には複雑な思いがわいた、「まだ、おれは幸せなほうか」自分はのうのうとマンションで暖房をつけパソコンをして、その数百メートル近くでは若者が仕事なく宿もなく寝ている、もうひとつの思いは、そういう自分の境遇より下がいるといった安堵感を持つ自分への情けなさ、僕がもう少し金持ちで仕事ができるのであれば、何とかして上げれるのだがぼくはいまそれどころではない、ふうふう言いながら、夫婦二人でがけの端である。しかしながら、その境遇から這い上がるのは自分の力でしかない、誰も助けてくれないし面倒もみてくれない。世の中が悪いといっても、どこかでその人は選択を誤り、努力を怠ったのかもしれない。そういうことの光景とは対照的に朝からパチンコ屋に並ぶたくさんの依存症の人々。朝からパチンコするとは、本を読むとか、スポーツするとか、第一仕事には行かなくていいのか、といつも情けなくおもう、人生の砂時計はさらさらおちてゆくんだよ、昼過ぎに、宝くじの売り場にいって、いつもの用にあたらないrotoを買う。そこによぼよぼのおばあさんが現れ、たんまりと宝くじを買って行く、もう人生も終わりが見えてきたおばあさんは何を求め何のために宝くじを買うのだろうか、もう人生の機会というものはほとんど使い果たしているとおもうんですが、人間の欲望というのは果てしないものなんだろうか、人間が死ぬ寸前に美女を抱きたいとは思わないんだろうと思うんですが、有心無心、という言葉が頭をよぎるわけです。お店にたまに、禅寺の修行の人が弁当を買いに来てくださるんですが、これもまたすごい食欲。それに買出しにこられる人がどうも年配、年配になられ修行に入られたよう、ここでまた僕は悩むのです。人生は修行と思うのですが、ある程度年配になると人生の経験も豊かになり、ある考え思想などが確固たる物となり、悟りににたものを獲得できるのではとおもうのです。しかし、それでも家族などを捨てて修行にはいるのは、よほどの覚悟があってこそのことか。。 アーケードで寝袋で寝ていた若者は寒さや世間のきびしさを修行と捉え、その壁をぶち破れることができるのであれば、きっと「悟り」ににたものを得て、無心無欲な人間になれるんだと思う。しかし、なかなかそうもいかず、恨みにも似た反社会的な人間になってしまうか、悪の道に誘われるか、茨の道なのである。老人になっても宝くじを買い、夢を追う人間のはかなさはいつまでも物質は心を豊かにできないもので、心を豊かにするものは宗教や思想などのものであるんだろうね、一番の贅沢はあの年配の修行僧かもしれない。
2010.03.17
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みなさま、こんばんわ、お元気でしょうか?就職が決まらないまま卒業式だとか、ニュースでいってました。本当にひどい世の中であります。マスコミのあおりもありますが日本は本当にやばいとおもうのであります。福岡でまたもや女性のばらばら事件。島根の事件もどうなったいるの?長崎の行方不明の高校生もその後ニュースがでません、こういう世の中を驚かすような事件が未解決というのが、多すぎませんか?世の中がどんどんひどい方向に来てます。悪と金持ちが支配する世の中。善なる人々、正義という言葉が時代の遺物のようなものとなりえている。以前から述べているように、警察の力をはるかに超えた犯罪が悪いので、警察は悪くありません、個人情報保護法やら、取り締まりに規制、もしくは昔の行きすぎた見込み犯罪、誘導尋問、などの弊害がいまきているのです。実証主義。証拠をいかに集めるか、これしかないのです。データーベースの構築。ありとあらゆる物をデーターベースにし、全国オンラインで警察が確認できるようにする。犯罪学、捜査科学の確立。刑事でなくてそういうエキスパートが犯罪を早々に解決で切る環境を作るべきである。もはや、戦闘状態といっても過言ではない、警察官の業務も簡略にすべしとおもうのです、交通違反切符にしても未だに手書きであります、あれもペーパーレス。オンライン化ぬすれば作業の生産性は格段に上昇します。これからも先いろいろなわけのわからない意味もない犯罪が起きます。これはすべて心が成せる業であります。心理分析や心が読めるようにならないとだめです。大体見ていると、家族が崩壊しているところに犯罪者は成長します。家族というものは重要な精神的なバックボーンである、心がしっかりしていれば、そういうことはしない、理性が働くということ。草食系男子というわけのわかなん退化しつつある本脳とは別に、理性で抑えれない欲望むき出しの人間とのアンバランスさを大いに感じるのです。
2010.03.16
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【中古CD】The Best of Shogo Hamada Vol.1/浜田省吾 せつなソングです、「僕が僕であるかぎり・・。」 1982年の ON THE ROAD のシングルのBに収録。 ここ
2010.03.16
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こんばんわ、皆さん。お元気でしょうか?三寒四温といえるような日々が続いています、雨が降れば花粉が収まるようでそれでもマスクの人は再び増えているようです、しかし、あの新型インフルエンザの騒動はどこえいってしまったのか、あんなに、マス添えさんがワクチンがたらないどうのこうの、おっしゃっていましたが、どこかの冷蔵倉庫に大量に余っている光景が目に浮かびます。本当に不思議な新型インフルでした。あの騒動で神戸の観光関連などはかなりの被害を受けました、神戸祭りも中止延期になり。これからも股得体の知れないウイルス性の伝染するものがおきるのでしょうね、大学などの卒業式がはじまりつつあり、高校の入試や発表などあわただしい季節になりつつあります。僕らが受験のときは恐ろしい倍率で、子供もたくさんいたので競争が実に激しかった。今の高校は一倍を下回る倍率だとか、よほどの内申書がわるくなければ、事前に殆ど内定ということなのでしょうか、受験戦争といわれ、三浪や四浪とかおどろくようなひとがいたけれど、滑り止めとかいやなことばだったね、今は滑り止めの学校の入学金を収めなくてすむそうで、昔は私学を滑り止めで少しランクを落として受けて、入学金を払い、公立を受けてそれから決めるということがあり、親御さんもたいへんなものいりだったとおもいます。滑り止めに行きながら、あの学校にゆきたかった、とか思う人はあんまりいないとおもうけど、社会にでる前の関門というか、経験というか、挫折もいい経験だし、自分の努力とかそういうものを経験できるものでしょう。しかしながら、私学の中学からそのまま上に上がる人たちは何もつらいことを知らないまま、のほほんと大学までゆけ、ここも既に格差社会であるわけです。ぼくらが高校のときからマークシートの入試がはじまり、あれは消去してゆくと答えがわからずとも見えてきたり、時間配分なども従来なものとは変質しつつあった。採点が楽であるというポイントだけで、鉛筆でシートに丸を刷るだけ、なんか、哀しいものがあったね、偏差値というものさしもあり、知らず知らずに大学のレベルで人を判断するいやらしい性分がついたり、大学のランクで人生が決まる訳でないんだが就職活動であらためて再認識したものです。就職部に来る求人も国立と私立の三流といわれるところではぜんぜん違い、名も無き会社ばかりで不安になるものでした。しかし、われらが大学はポジテイブに前向きに開拓する精神で小さい会社を大きくするつもりでどんどん行動していたものです。学歴社会という中で、教育にお金をかけれるひととそうでないひとと既に格差が生まれているが資本主義社会では当然の摂理であるのだろう、それでも這い上がれる機会はどこかに潜んでいるからである、努力せず汗も流さず、そういう人は必ずどこかでつまづくんだとおもう。ふぞいろいのりんごたちのドラマで、山田太一さんは「自分に自信を持てばいいんだよ、胸をはっていればいいんだ!」のせりふは未だに忘れることができない。自分は自分だ!堂々と胸をはれ!
2010.03.15
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カレーを三年ほど続けて食べていてぼくは血糖値があがりすぎまして。そういうくせのあるものです、
2010.03.15
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こら!店の前にぱんつまたおくな!
2010.03.15
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深夜ブログビン、もう毎晩毎晩、眠いです。しかし、なぜか、やっている、連日300人のアクセスにふえつつあるんですが、まあ、半分はランダムアクセスでしょう。しかし、謎メイタ、訪問者がおおい、根本的に、深夜ラジオ放送の雰囲気で、下宿の話、深夜放送ラジオの話、と、いろいろやってきまして、どれもこれも未完成であります、オフコースとあのころの話は完結して、推敲しまくり、作品として応募したのですが、リリースするが一発目刷る金はだせ、といわれ、断念したのです。宝くじが当たれば出すことにしますが、いろいろの人の読んでもらい、もっと、内容を膨らませないと原稿量を増やさないとだめだなー、ということで、これも未完成です。深夜放送ラジオの話は、ぼくが中学高校と、深夜放送を聞いていた思い出話から大学にゆき、いろいろなことを経験し、自分の部屋で後輩たちを巻き込んでミニFMをするといった話を、ここで何回も述べていますが、まとめておきたいとおもいながら、なかなか出来ないのであります。ラジオ文化というのがあれば、70年代から80年代にかけて全盛期であり、いろいろな若者の音楽や映画や、いろいろなものがそこから花が開いたといえるでしょう。テレビで活躍している人々はラジオ出身というひとがおおいのです。しかし、もう家ではラジオ聞かなくなった、車やお店では聞くけれど、ラジオというものが廃れてしまうのではないかとおもう今日この頃。聞くべくして聞くものと、聞かざるものとして聞く機械、機会がないことと、要するにスポンサーがつくかどうか、スポンサーがそれで効果を期待できるかといった、やはり、お金の問題も絡んでくるわけです。僕たちが学生のころ、FMといえばNHKと三大都市の民放としかなかった、地方にはNHKしかなかった、米国では数百というFMが24時間放送、ハイウェイや海辺で生かした音楽を聴く風景が流れてきていた、そういう中、それでは自分たちで作ればいいのではないか、という発想。一番の人は、原宿で始めたひとがいた、それから雑誌やテレビなどで紹介し始めた、翌年、僕が下宿の後輩たちに、思い出になるような打ち込めるサークルをつくれ、とアイデアを出した。丁度、TBSの「ふぞろいのりんご」が始まるときであった、もう、電波飛ばすまえに、女子大の前でチラシを配りにいっていた、はやかった。下宿が連絡先にしていて、ダム女、精華や学生の問い合わせがきていた。あの地蔵のロックンロールでおなじみの小山コーポの大家が、まったく断りもなく下宿を放送局にしてサークルの打ち合わせ部屋にして、怒るわけがない。「なにゃ、下宿でするらしな?知ってるか?」僕に聞いてきた、僕はとぼけて、知らないです、と答えた。しかし、強引にやればやるほど、後輩への軋轢、冷戦状態も危険になり、結果的に、彼は小山コーポを僕が卒業後出て行った。大家さんも何が起こっているのか最後まで理解されてない様子、後輩は、チラシを近隣に家にくばり、そのチラシをもって大家さんにリークしにいった豆腐屋がいたのだ、実にぼくはやばい、とおもった、しかし、とぼける作戦で迷惑はかけない、ということになったのだ。
2010.03.14
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こんばんわ、みなさん、全世界の深夜ブログビンのファンのみなさん、お元気でしょうか。本日は昼間はひさびさ、ぶっつぶれまして、オーダーが多すぎて電話も出れずにごめんなさい、申し訳ないです。配達のかなりの時間オーバー。夜はがっくりおちこみ、なんだかなあ、分散しないかな、と思うのです。昔から、ファミレ巣のキッチンで格闘していたころも、「ラッシュ入ります!」の客席の社員から言われて、緊張するのであった、広島の店でいたころは、なぜか、夕刻から8時まで、波状的にお客様がくる、なぜだろうと、いつも不思議に思っていたら、広電とJRの駅が隣接したところにある店で、電車がつくたびに、店になだれ込むんだ、一番、驚いたのは、四国の香川の辺鄙なところにあるお店、市民会館が近くにあるのだが、そこで、三月に一度くらいコンサートがあり、そこの数百の人々が突然あらわれ、常に暇な店だから、二対二で営業、しかし、そこに突然の満席、0から100人の状態になるのだから、どうしようもない状態。まずは、全員ホールの営業をし、キッチンをゼロにして、オーダーをとる、取り捲る、機械で取るのでためまくる、送信ボタンを押さない、「おおい、みんな、とったな。」ひとり、フォールに残し、一斉送信でまとめて作り始める、がんがんつくる、プリンターからのれんのような伝票、まとめてつくり、盛り付けて出す、そこで再びみんなででて運ぶ、がんがん運ぶ、そうやっているうちに30分40分経過、なんとか、こなせたなーとおもいきや、一人うなだれて座る女性、「あああ、あのテーブルの料理がない!」「ああ、送信忘れてました、」既に一時間経過、あわてて作る。「申し訳ありません、たいへんおまたせしました」と平謝り。無言の女性、おこりもしない、見もしない、それから、どんどんかえりだす、ゼンテーブルに下げ物が残り、後味のわるい営業が終わる、それからというもの、市民会館の前の掲示板に注目し、行事シフトをひくことに、しかし、半年で異動したぼくは次の店長にこのことを引き継ぐの忘れていた、同じ過ちを繰り返したかもしれない。それと、お客さんの行動には時間の共時性があることを最近感じ出した、どういう理論で共時が起きるかということがまだ判明しないが、きっかけとなるお客さんがいて、その人が来れば忙しくなったり、注文が入ったりするのだ、それに、団体様の注文がなかなか入らず、一月もはいらないときがあった。しかし、長田のある高校の先生と、東京の団体が同時に注文が入り、しかもキャッチホーンではいった。そのタイミングは恐ろしく同時。時間という軸がどうもなにか、DNAに作用するよう二推測する。「ああ、おなかすいたな」という感情が携帯電話の電波のように飛ぶのではないのだろうか、それを飛ばす力、「念力」のある人が共時を起こし、引き寄せるのではないだろうか、と思う。
2010.03.13
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みなさん、どうぞ、見るだけですがご賞味ください。いつも考えてメニューを作ります。しかし、なかなか、繁盛店になりません。チキンタツタ弁当であります。オムカレーでありやんすN氏のささげます。これは先日のランチです、サラダ仕立てのカルビ焼肉です。540円、ごはんすくなめ
2010.03.13
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こんばんわ、みなさん、今夜もおいでいただきありがとうございます。商店街にいつも朝買いだしに行く。実に歩きにくい、急いでいる。しかし、道は狭く、見渡す限りのご老人。お年寄りの嵐。バギーカー、ショッピングカーとを引くばあさん。本人の動きも複雑であるが、なおかつ、カートも違う動き右へ行くとおもえば、左に行く。突然立ち止まる。もう、市場はお年寄りであふれ、そのリズムでスロー。何を買うでもなく、ゆっくりと字愚座句で歩く。突然、人ごみの中を自転車でくるひと、すごい迷惑。これも、よく見ると、ご老人。そういうことをすれば、怒鳴られたものです。しかし、怒鳴るべき人が昔の中学生のような行動をする。無秩序な時代。ここにも散見できるのです。バランスが悪い社会的な問題もあるのです、昔のように、同じ家でみんなで暮らすこともなく、生活スタイルもちがうので別々に暮らし、それぞれの家が対等のあがくように生きるのであれば力のない老人は、ナントカパーフォマンスしながれでも生きるのである。怒るべき相手も、文句言うべき相手も、指導するべき家族もなけらば自分個人主義的な行動をとってしまうのではないかと思う。これから、もっと老人が増える。社会的な軋轢のようなもしくは摩擦のような事件事故事象がおきてくるだろう。生きているのは大変なことで、死ぬことよりもただ生きていることのほうがいろいろなことがあるわけです、交番の掲示板を見てください。行方不明の老人がたくさんいます、どこにいったのか、徘徊してそのあたりの水路にでもおちて死んでいるのか、まったくわからない。哀れなものです。家族も、失踪宣言というものが出来たとしてもお葬式も挙げれない始末。ぼくは死ぬまで働きたいとおもいます、よぼよぼになっても、現役びんびんで生きたいと望むのです。オムツではなくパンツで生活したいとおもう。四夜連続パンツの話に落ちがついたところでおやすみ。
2010.03.12
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こんばんわ、みなさん、トイレの神様、いい歌です。こういう関係の歌こそ万人に愛されるものです、僕らの世代の祖父母は戦争でなくなったり、生存しているひとがすくなかった、だから、今の世代をうらやましくおもうね、おばあちゃんこ、というのだろうか、きちんとしつけるのが大切なのが、女の子。実にだらしない無法地帯の女の子がおおい、歩きタバコしているのも女の子のほうがおおいようの感じる。次の世代の母親となるべき女の子がはたして、きちんと家庭を築けるのだろうか、と危惧する。あくびをしているのも口を押さえたりせず、かばのように口をあけて「あああー」という顔でバスを待ってる光景をみる。大またであるき、おかしな光景としては成人式に着物きているのだが、化粧が派手で携帯もって、珍問屋のようなこもいる、といってもちんどんやなんてもうみないが昔、女子高の近くのアパートに住んでいたとき、朝がどれだけうるさいかでかい声とから笑いと、まあ、そこの学校のレベルはかなり低いものだったが、しかし、少子化でその学校は生き残りのために男女共学になり、ある大学の付属になった。とたんに、雰囲気が変貌した。静かなのである、なぜ、静かになったのか、レベルがあがったのか、違うのである。どうも、女の子が男を意識し、おとなしくなったのである。昔は、勉強に身が入らないためとか、生活を乱さないために男子校女子高という、溝を形成していたのだが、その溝こそいかんかったのである。見られているという意識、これが必要なのである。しかし、歩きタバコする若い女の子の心理模様は、まったく、見られている意識がない。あれは完全に、ニコチン依存症なのである。依存する気持ちのほうが優先し、家でも会社もけむたがれるのであれば、その間の歩く時間は自分の自由にさせてもらうといったものであろう。化粧を電車の中でする女の子。これもかなり行かれてるのだが、あれもぜんぜん見られているという、「羞恥心」が存在しない。あれは本当に不思議だ。パンツをはかずに外を歩くようなものが化粧おべけの女性の言い分だ、それでは、誰のために何のために化粧をするのか。単にだらしないというわけか、大昔、田んぼのあぜ道で老婆がまたぐらを水路にむけて小便をする心理と同じか、老婆のように、怖いものがないのか、ミセパンというもの不思議だ。パンツの話が三夜連続であるが、パンツを見せるのがおしゃれ、という。これも不思議な心理だ、下着がみえたら、しみちょろとかいって、馬鹿にされたもの、あのなんとかという選手が、だらしない格好でいたのが話題になったがあんなの序の口、ブレザーの高校など、ひどいもの、あれなら学生服のガクランのほうがよかったとおおもうよ、ほんとう、自由規律の学校というのはいろいろな面でだらしない人間になる、ぼくらの時代は管理的で規則的で、反抗ばかりしているひとがいたね、だめ、だというとしたくなるのがIQの低い人の本能。自由にすればー、といわれれば戸惑う、今日、不毛地帯が最終回であった。あの時代に生きた人々の苦労を感じた。あの時代が豊かな日本へと復興させた。きびしく、つらい時代であったろう。しかし、今無秩序な時代、実に先人たちに申し訳ない、と思う。
2010.03.11
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この歌はいいね、ここ
2010.03.11
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本日、自分の店のアクセスログをみていると、なんと、shugin go jp 国会衆議院からのアクセスが続いた、しかしなあ、永田町までは配達できんしなあ。それに、検索ワードが、長七食堂 を名指し、うーーーん。これは、いらない発言をしたせいか、証人喚問を受けるのか前回の衆議院選挙で、あの、麻生さんの長引き作戦、結果惨敗したが、その夏前だったが、地元の民主の立候補のあのお方が、一人でこられ月見ハンバーグ定食をたべていたのだ、ひとりでこつこと、訪問し、チラシをいれて、軽自動車で活動。地道やな、これはいけるのとちがうか、と思っていると、当選したうちの月見ハンバーグ定食で、目がでたのだろう。しかし、今回のアクセスは、恐らく原口大臣系統であると推測。というのは、ツイーターで原口大臣あてのメッセージをおくったのだ。選挙のありかたについてだが、まず、選挙カーの廃止。このうるさい名前連呼するだけの国民を愚弄したものはない、名前と政党を暗記させようと、しているのだ。思い出すのは、27年前、自分でFMをしているとき、N氏と、ある政党の名前があまりにもうるさい選挙カーなのでサブリミナル効果になり、思わず口走ってしまったのだ。丸まるとうの、丸まるでーす!これを郵政省電波管理局審議官がきけば、即座に、実刑として放送電波法違反、選挙法違反で、かみがも警察の留置場でいたことだろう。とにかく、選挙カーをなくす、ポスターもなくす、静かな選挙。インターネットを使い選挙活動や、ネットで投票まできればいい人が選び出される、ということ、どういう人なのか?わからぬまま、お願いされるから、投票するというものやマスコミの偏重で投票するものや、本当に見極めて人を選んでこないからひどい国になったのだ。自民党でも民主党でもいいのだ、どちらでもいいのだ、それは、人物といえるものであれば、党利党略におぼれるもの、巧言令色少なし仁、その人となりである、次回、国民人気者のかき集め選挙は、実に情けない。参議院なんてもの存在はおかしい、違うものを作るべき。という、背景は赤いパンツですが、赤い情熱をもった、自分の理念や信念をもったひとがそれは揺ぎ無いものであるべきですが、そういうひとが必要なんですよ原口大臣よ!
2010.03.11
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廃、今晩ワンわ、パンツに驚いた僕ですがいろいろなことがある毎日新聞です。深夜放送ラジオが好きだったぼくは毎晩毎晩ラジオを聴いていた、秋と春の番組改編時にはいつも心を痛めていた。好きな番組がおわるからである、そんな中でも人気のある番組はつづいていた、パーソナリティをいかすもころしすも、アシスタントのトークが決めてであった、一人で盛り上がるよりも相手がいたほうが話しやすいのである、横井くにえさんもハニーという名前で人気でした、あんなに早く亡くなるとは、残念であります。大津びわこというアシスタントも思い出します、のぶろーのやんすいにでていた変わった女の子でした、さんまのヤンタンにもでて、さんまが一番やりやすいアシスタントは大津びわこだったといったそうです。大津さんはその後結婚引退され、子育てが終わり、再びラジオにでてきて未だにアシスタントで活躍です。その大津さんの娘がすこしまえ、さんまの番組に出ることになり、親子二代、さんまのトークの相手となるのです。ラジオという放送が全盛期を過ぎ、その時代の文化というものが忘れ去られようとしています、ラジオで活躍された人々はどうされているのでしょうか、ぼくのミニFMの番組を聞いていた数少ないリスナーも僕のことを覚えているだろうか、実を言うと、数少ないファンがくれたはがきを数枚、大切に保存し、アルバムにはさんでいます。ラジオの原点は双方向ローカルエリアであります、リスナーが番組を育て、身近な街の放送であるべきです、根本から経営の問題があるにせよ、ネットされた番組を垂れ流している放送局は先がみえてます。独自性というものを持つべきであり、その独自性は強烈な個性をもつDJが表現するものであります、没個性であるFMは、そこが弱いので、聞いていてつまらないのです、
2010.03.10
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『サタデーバチョン』は、ラジオ大阪で1976年~1991年に放送された深夜番組。放送時間は、毎週土曜日~日曜日の23:00-1:00、メインパーソナリティは浜村淳。浜村さんは平日はMBSでありがとうをして、テレビも帯でして、土曜の深夜15年も・・メインパーソナリティ 浜村淳 アシスタント 初代 横井くにえ 「ヒットでヒット バチョンといこう!」より引き続いて担当 番組進行は、まず映画の試写会招待を兼ねた新作映画の紹介からはじまる。浜村お得意の熱演や殆どラストまで語ってしまう詳細な説明(「アホにものいうような」とも評された)は、特にファンから好評だった。その後、番組テーマ曲の『女が町にやってくる』(演奏:ホルストヤンコフスキー楽団)に乗せてタイトルコール。24:00には『午前零時のバチョンクイズ』というコーナーがあり、リスナーと電話をつないでのクイズを行っていた。問題は「今日これから掛かる曲は何でしょう?」で、不正解なら賞金は次回に持ち越す形式。回答者はそこそこ正解していた。24:30頃には『思い出は映画と共に』のコーナーがある。このコーナーは、リスナーから寄せられた映画にまつわる思い出話をニニ・ロッソの「夜空のトランペット」をBGMにして、情感豊かに読み上げるというもの。
2010.03.10
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横井くにえ(よこい くにえ、1948年9月25日 - 2006年8月29日)は、ディスクジョッキー、ラジオパーソナリティである。1970年代からラジオDJとして関西を中心に活躍。「ハニーちゃん」の愛称で親しまれ、「MBSヤングタウン」(MBSラジオ)や「日本列島ズバリリクエスト」(KBS京都ラジオ)などの番組で人気を博す。1977年から10年間渡米し、帰国後はFM802のディレクターやα-STATIONのDJを務めるなど、FMに活動の場を移す。2006年8月29日、尿道癌のため57歳で死去。主な番組。MBSヤングタウン(MBSラジオ) 日本列島ズバリリクエスト(KBS京都ラジオ) サタデーバチョン(ラジオ大阪) ABCヤングリクエスト(ABCラジオ) ミュージックステーション(KBS京都ラジオ) レイクサイドモーニング77(e-radio) SUNNYSIDE BALCONY(α-STATION) 大塚善章のJAZZ名曲倶楽部(KBS京都ラジオ) おはようSUNSUN原田伸郎(MBSラジオ) 日曜ワイド われら夢の途中(KBS京都ラジオ
2010.03.10
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人類誕生以来、いつ頃から「霊魂」という概念を持つようになったかははっきりわかっていない。ホモ・エレクトス以前の古人類には死者を埋葬した証拠が発見されていない。ネアンデルタール人については、(一部に否定説はあるが)死者を埋葬し花を供えるなどの宗教行為を思わせる遺跡が幾つか知られており、これらの行動や文化の原動力として原初的な死生観を持ちえていた可能性があるとする解釈も主張されている。クロマニヨン人などホモ・サピエンス段階になると、より手の込んだ埋葬方法や墓制の存在がはっきりしており、食料や道具などの供物、墓の上に大石を置いたり死体の手足を縛って埋葬するといった風習もあって、原始的な宗教観念と霊魂への慕情や恐れの観念も、より明確であったと思われる。心霊主義では、人には「守護霊」がついている、と説明することがある。また、霊魂は死者の身体からのみならず、時に生きた人間から抜け出すとすることがあり、これを「幽体離脱」と呼んでいる。
2010.03.10
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朝、店に行く前日の雨は残っていた。おもむろに店のまえにある植木をみるとなんと赤い女性のパンツが・・・・なんで、ここに、犯罪の匂いが・・・血痕もないし、死体もない風でとんできたのか、変質h者か。。。。つまんですてて、そこにはきれいなお花
2010.03.10
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みなさま、こんばんわ、本日はあけて、三月十日。卒業式とかあるんだろうな、僕にとっても忘れることが出来ない日、1991年3月10日、その日は、あるお店のオープンの日である、そこの店長であった、大変なオープンであった、オープン日は999名のお客さん、売れに売れたオープンであったがその店でもいろんな人と出会い別れ、阪神大震災もその店で経験、店から500メートルの悲惨なワンルームにすんでいてオープンの日はよくは覚えていない、気がつけっば深夜閉店の時間。ホールを走り回り、トラブル連続であった。いい加減な施工で男子トイレの斜面が逆になっていて水がたまり浄化器のつけ方をまちがえ、お客さんに水がまずいといわれ、とりあえず、基本に立ち直り、マニュアルとおりのみせをつくるという考えで、社外のほうか評価は高く、ロイヤルの部長はくるわ、店長は毎日調査にくるわ、デニーズの店長は家族で挨拶にくるわ、大変な祭りのような毎日、社内の評価は低く、28歳で抜擢人事でもあり、本部も誰も来ない状態、ぼくの宿敵W部長は、「あえて、ゆかなかったんだよ」と嘯いていた、僕の人生は常に回り道で迷いこのようなもので、なんで、あんな会社はいったのか、そう反省することもある、しかし、まあ、そこで知り合ったバイト同士が結婚したりそういうのを見ると、ぼくがそこでいたから彼らの人生になんらかの関与を与えた事実があるのだとおもう。数年前に、広島のお店の立ち上げでゆき、その後四国のお店のオープンでがんばりそういうことばかりしていたので、とうとう、数年間も付き合っていた彼女に愛想をつかされ、そのあと、また悲惨な店舗の建て直しにゆき、そこで、建て直しの短期で成功し、本土でかえることができ、何が因果か、その店の新規募集のバイトの面接に元かのがきて、結婚して近くの町でくらすので、バイトさせてくれと偶然の再会は皮肉な結末であった。しかしながら、公私混乱するような人は採用しない、経験者は採用しないそういう方針でいたので、だめだと、つたえた。三月のオープンでお店が固まるのは秋だった。休みも取れるようになるが、休みをもらってもすることがない情けない企業戦士であった、やがて、ワンルームはごみやしきになり、体を壊し翌年に自分で119に電話し入院するのであった、急性気管支炎であった、病院についても放置され先生が来るまでの数分の間、激しい咳で意識を失い、チアノーゼになり、真っ暗闇の中にいたのを思い出す、遠くの川の向こうで女の人が叫んでいる、僕の名前を呼んでいる。あれが三途の川であったのかもしれない真っ暗闇だったので、まだゆくところではなったようだ、ICUに即座にはいる、点滴と酸素マスクの無様な姿、下着もスリッパもない、ひとりものの入院はつらい。ぼくは、そのとき、もう、辞めようと、思っていた。
2010.03.09
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本日は「串揚げ定食」味噌汁、小鉢がついてご飯少なめで540円、しかし、雨であんまりお客さんこなかったああ、
2010.03.09
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こんばんわみなさん、お元気ですか?トルコで地震がおきたそうでどんどん世界で地震がおきてます。東海大地震は必ずくるといわれたいます、緊急地震通報システムができましたが動くのかどうか、クルクルといれているんですが、長い間です。問題は浜岡原発であります、しかも政府のエネルギー関係はまだ、まだ、新しい原子力発電をつくるという、ドイツでは国が中心となり、原発を廃炉にした、残すことは太陽電池と、無線。今夜は疲れているので、続きはあす。
2010.03.08
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こんばんわ。みなさん、お元気ですか?陰惨な事件、虐待の事件、あげくのはては家族殺し、行方不明も数知れず、親が子供をいじめて餓死させる、動物の生の論理から逸脱する行為、悪魔が来たりている様子を感じます、昔の人は、悪魔とか魔物とか、そういう存在で精神異常者を分別。人間という動物はここ3000年は進化せず、退化しつつあるという、特に、60億という異常な人口増加で、危機的な食料、水事情になっている様子。殺すぐらいなら、生むな作るな、といいたい、戦国時代も親子兄弟殺し合いし、領土を拡大しようとした、家康は儒教などの導入などにより、そういうやからたちは重罪にしようとしていた。犯罪は心がなせるものであり、犯罪者はIQが低い。往々にして、子供っぽいところがあり、悪いことの悪さを感じない、91歳の老人がひき逃げをし、28歳の女が新聞配達の63歳をひき逃げ、年齢関係ないし、人間というものは愚かでかつ悪であるな、とつくづく思う、悪に立ち向かう正義のヒーローというものはどこにいったんだろうか、西部警察のだいもんのような男らしい人がめっきり減り、男が女のようになりさがり、正義とかいうものを語られることもすくなくなった、つまらん吉本のお笑いがテレビやラジオで活躍する姿は実にむなしい。テレビでニュースを垂れ流すのはいいが、コメントしてるのも実にむなしい、いつから、日本国全体がお笑いになったんだろうか、どんどん悪くなる国を笑いでごまかそうとするんだろうか、それなら、陰謀ではないか、大手の会社がとりあえず、CMで購買させようとするためには、笑いが一番なんですかね
2010.03.07
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こんばんわ、みなさん、お元気ですか?今夜もおいでくださりありがとうございます。三月に入ってもさっぱりの営業。しかし、どうなってるんだ、デフレスパイラルは悪いほうになっているのだとおもうのです、安いものを無意識にかう、それはすべての利益圧縮の産物で、ものの値段は人の値段、中国やインドなどの生産されるものがコスト削減で注目されるが日本の半分以上のひとは中産階級、影響を自ら受けながら、コスト削減のみ、話かわって、長崎の行方不明事件であるが、島根の事件のこともあり、あれも未解決であるので、ほんとうのところ連続でないのか心配であります、しかし、遺留品を残しているので、事故か、車にひかれつれさられた事故事件のほうか、と思うのです。親は心配でたいへんだとおもう、日本では数多くの子供の行方不明、殺人事件が起きて解決せずにそのままの事案がとてもおおいのである、みんなで子供を守り、しかる、そういうのがなくなり、無関心であるひとがおおい。それは、やはり、親の責任で、親じたいが、無関心無関係の生活をおくっているのである、本当の悪人というのはおうしようもない、善なるこころが欠落している。
2010.03.06
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3月5日19時14分配信 時事通信 長崎県警は5日、県立希望が丘高等養護学校3年、種村侑里さん(18)=同県雲仙市小浜町南本町=が先月28日から行方不明になっていると発表した。雲仙署などは事件に巻き込まれた可能性もあるとみて、約40人態勢で捜索しており、情報提供を呼び掛けている。 同署などによると、種村さんは卒業式前日の28日午後7時25分ごろ、学校から帰宅途中に雲仙市小浜町のバスターミナルで、バスから降りたところを運転手に目撃されたのを最後に、行方不明になっているという。28日夜に家族が捜索願を出していた。 3月1日に小浜港の岸壁で学用品や財布が入った種村さんのバッグが二つ見つかったほかは、手掛かりはなく、携帯電話は所持していなかった。 ///////////またもや、おきてしまったようです。無事にかえれますように未解決おおすぎです。
2010.03.06
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こんばんっわ、みなさん、昨日はまたもやひまでした、どこの店も閑古鳥が鳴いてました。昼のランチもそこそこでたのですが、和風おむらいす。中身はたきこみごはん、あんかけソースをかけています。さて、今日は二週間前の新聞を読んでいると、以前、よくデリバリーをしていて老夫婦の家が火事で全焼という記事を見つけおどろいた、もうかなりのお年でありながら、家の中も崩壊気味で、ごみ屋敷になりつつあった、相当ひどいもので、たまに、こういう家があるのだが、介護の知識も免許もないし、民生委員にもいおうかどうか、迷うんだが、驚くべきことに、子供らがいて、そのことに気がつかない。親子の断絶みたいなものだろうか、やはり、それはいけないのであるとおもう、喧嘩しながらでも暮らしを互いに看視すべきところが必要であると思う。もう、食い物が買いに行けない、作れない、という家のところからよく配達をたのまれる、痴呆がひどいところでは、頼むことは覚えていて、持ってゆくと忘れて頼んでいないという、何回も繰り返すとこちらももうお断りするしかない、何ヶ月もごみをためる原因のひとつには、分別ができない、ということもある、掃除もできなくなり、どんどんひどくなる。実を言うと、ぼくも十数年前、ひどい労務環境のときにワンルームがごみ屋敷になってしまったこともある、丁度、彼女にも振られ、誰も訪ねるひともいない、そういう外界との関係もない土地で、玄関からひどいことになった、それから、自分で予防策として、バイトの子達をよんでなべをしたり、おでんをしたり、無理やりパーティの真似事をしてそのために部屋を掃除する習慣にしたことがある。老人の家も誰も来ないようになれば荒れてくるのであろう、それに「捨てない」世代なのです。介護の人も大変そうですが、これからはどんどんそういう問題が起きてくるんだと思う
2010.03.05
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こんばんわ、みなさん、お元気でしょうか、本日は久々のやすみでありまして、よく寝ることができました、予約もはいらず、買出しはあいかわらずありましたが、フジテレビ系で、長澤まさみの主演のドラマをちらってみて、深夜ラジオ放送のテーマであったので、見てました、おそらくこの脚本書いた人は深夜放送ラジオ聞いていたひとだろうねとおもいました、はがきとレコードとDJがいれば放送が出来たわけで、当初はスポンサーもあんまりなく低予算でやっていた、しかし、フォークルなどのかえってきた酔っ払いのヒットなどにより、若者のヒットする歌はラジオがターゲットとなり、アーチストたちも自分たちで放送するようになり収益的にはドル箱となりつつあったのだろう、深夜放送が崩れはじめたのは、女子大生ブームのラジオDJからであろう、あんまり中身のないかわいいだけの女子大生が出始めて、本来の職業DJたちの仕事の場を奪うのである、リスナーは六年ですべて入れ替わるので、番組自体はころころ入れ替わり、ラジオからテレビに移行する人も多く、ヤングタウンなどもどんどんおもしろくなくなってゆく。もう、家でラジオすらない若者はたくさんいるだろう、そういう中、文化として深夜ラジオ放送の意義みたいなものを今日のドラマは描いていた。若いときは、悩みが多く、コンプレックスや、友人にさえいえない悩みがあるもの、そういう相談もラジオのはがきの投稿などにより、解消されているものもおおかっただろう、若者の代弁みたいな部分もあるし、体制に抗うものもあったのだ、学歴社会の偏差値教育、いじめ問題、学校は80年代以降、困難な局面を迎えてゆく、学校で自殺するなんてことは、昔はなかった、これは明らかに学校への抗議のパーフォマンス。いま、ラジオを聴く若者はどれだけいるのだろうか、個室を与えられ、パソコンもあり、携帯ももち、物質的には恵まれているだろうけど、日本人全体では、精神性の脆弱化、もしくは、未熟さというものがおおいといえる、これはある時期に体験すべきことをしていないからだとおもう、あるところで人生相談のようなことをしていたら、春になると、新生活のなか、一人暮らしをしてホームシックになる人が多いことに驚く、毎晩実家を思い出してなくそうである、それに、なかなか友人ができない、表面的には付き合えるが深い付き合いはできない、深夜ラジオはいわば、学校の先生のような部分でもあり、兄貴のような部分でもありいろいろなことを考えるきっかけを与えるようなところでもあった、放送局が地味にでもその路線を守りべきである、ラジオで人が育ちにくいといったところも決められた没個性のことばかりするから面白くないのである、千春やみゆきや、拓郎もラジオで語り、つるべも真剣に取り組んでいた彼らの人間性を知るのもラジオであったし、音楽もそこから得たのである。
2010.03.04
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民主党の小沢一郎幹事長は3日、党本部で会見し、夏の参院選の1次公認候補者計87人(昨年12月に内定した10人を含む)と推薦候補者2人を発表した。内訳は選挙区が公認47人、推薦2人で、比例代表は公認40人。過去最多だった07年参院選の候補者数(80人)を1次公認だけで上回っている。それでも元々候補の発表は昨年中に予定されていたにもかかわらず、小沢氏の資金管理団体をめぐる事件などで大幅に遅れた。小沢氏の目指す複数区での複数擁立も順調には進んでおらず、「政治とカネ」問題の逆風が続く中、情勢は不透明さを増している。【高山祐、近藤諭】3月4日1時11分配信 毎日新聞公認発表が遅れた理由の一つは、改選数が複数以上の選挙区で候補者を複数擁立するという小沢氏の方針に地方側が抵抗したためだ。小沢氏は公認発表当日の3日も神戸市入り。改選数2の兵庫選挙区で2人目の候補者となる新人候補を発表するなど、ギリギリまで調整した。 小沢氏が「複数擁立」にこだわるのは、単独過半数に向け「支持のすそ野、輪を広げる」(小沢氏)ためだ。 だが、小沢氏の資金管理団体を巡る事件、北海道教職員組合(北教組)の違法献金事件など民主党が抱える「政治とカネ」の問題は参院選にも影を落とし始めている。自らの主導で民主党推薦候補を擁立した2月の長崎県知事選では、自民党の支援候補に完敗した。党の地方組織に与えた影響は大きく、複数擁立に対する地方の反発は表面化しつつある。 小沢氏は18の複数区のうち、連立与党との選挙協力などを考慮した新潟、広島、福岡を除く15選挙区に複数候補を立てる方針だ。しかし、北海道など7選挙区では目標を達成したものの、福島、茨城、長野、静岡、愛知、京都、大阪の7選挙区では2人目が間に合わず、改選数5の東京でも1次では3人目の公認を見送った。小沢氏は3日「(複数擁立)方針は全く変えてないし、変える必要はない」と明言し、「1、2週間後にはほぼ全県で出したい」と執念を見せた。が、長野選挙区選出の北沢俊美防衛相は複数擁立方針を「支持率が低下するはるか前の戦略だ」と公然と批判するなど、小沢氏の神通力にもかげりが見える。 民主党は、日教組の組織内候補の現職を比例代表で公認したほか、日教組の関係団体・日本民主教育政治連盟(日政連)所属の輿石東参院議員会長らも選挙区で公認した。 しかし北教組事件を受け、民主党と労組の不透明な関係が今後、国会論戦でも焦点化し、労組の動きに影響するのは避けられそうにない。比例代表の公認候補40人のうち10人が連合の組織内候補。民主党は選挙では依然、労組に大きく依存しており影響は深刻とみられる............................基本的に「参院」における人気ものあつめには、反吐が出る。もう、この不況。参院はいらない。これから、自民と公明がわかれたので、選挙の混乱は予想できる。地元神戸でも、不思議な意味ありげの売名用ポスターが乱立、しかも、公明三の横のあるのがふしぎ、近所のよしみか・・
2010.03.04
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リンゴやミカンなど果物の押し売り被害が増加しているとして、国民生活センターは3日、注意を呼びかけた。 同センターのまとめでは、果物の訪問販売に関する相談は、2004~07年度には年間40~70件程度だったが、08年度は127件、09年度は今年1月末時点で既に145件となっている。 業者は2人組で訪問することが多く、高価格・大量の果物を購入するよう強引に勧めるのが代表的な手口。味の良い果物を試食させ、購入後に箱を開けると大半が傷んでいた、というケースも。高齢者が被害に遭っているケースが多い。高知県の80代女性は昨年11月、訪れた業者に勧められ1キロ・グラム1400円のミカンを買うことにしたが、実際には10キロ入りの箱を出され、強引に1万円を支払わされた。 業者の多くは消費者に領収書を渡さないため、業者名や連絡先がわからず、クーリングオフなどの対処が難しいのが実情だ。 同センターは「ドアを開ける前に訪問の目的を確認し、必要なければきっぱり断って」とアドバイスする。--------------------------------------------------------------------------------2010年3月4日(木)0時10分配信 読売新聞まともにやっておるひともいるが、最初からいらないとドアをあけないことです。
2010.03.04
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山本博文教授の江戸学講座こんばんわ、みなさま。三寒四温というか、季節の変化は球技系でころころかわります、全世界で異常な気象が続いているそうですが、春は確実にくるのです、物があふれ、とりあえず食うものはあり、しかし、精神的な豊かさが欠乏する酔うのも感じ、人々は携帯メールばかりのぞき、文庫本を読む人は減少したという。街にはどこも本屋があったのが、いつしか消えてしまった、一番の経営の圧迫はくそがきの万引きであるという、本を読まない人が増えて、ますます日本人は大ばか者に成り下がるようであろう、僕は週刊誌などの雑誌を嫌う、漫画も一部を除き読まない、読むとすれば歴史ものか自己啓発ものである、最近よくよむのは、山本博文教授の本である、江戸時代の古文書からリアルにその時代の様子を伝えてくれる、歴史小説のネタはほとんど、そういう類の文書を解読しかき集め、フィクションを加えできてくるのだ、要するに根本であるので読んでいてリアル感をもてるのである。江戸時代を探検する(新潮文庫)では、江戸時代の困窮した幕府の財政にたいしての侍たちのリストラなどが書いてあるのだ、いまでいう、会社は「藩」に相当し、藩財政は参勤交代や飢饉など、もしくはいろいろな行事などにより財政が圧迫し、大阪の商人などに銀を用立ててもらいのである、当時は金よりも銀本位制であり、藩財政はほとんどが農民からの搾取であり、限界が来るのは当然であった。あの時代を今客観的にみると良くわかるのだが、今の時代も遠視俯瞰的にかつ別時代の未来から傍観すると「問題点」がよくわかるのであろう、今の政治に話を移すと、どうも現実味が感じられないのである、それはどう見ても育ちのいい上の世界の人々が私腹を肥やすために政治を道具としているような感じがするのである。小沢の金のありかたも、政治の生業であれだけの資金をプールさせているのだから、一般市民の金銭感覚というものがわかるはずがない、鳩山にひてもしかりである。党利党略に先行した選挙めあての政治であってはならない。本来の選挙は、選ばれしひとが行うもので、自分たちの団体や会社のための利益誘導型であるのはもういけないのである、
2010.03.03
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こんばんわ、みなさん、今夜もおいでいただきありがとうございます。三月は卒業。よくもまあ、大学を卒業できたものだとおもいます、自分は。勉強しても頭は要らず、もう、どうにかなるさと、思いつつ。みんな、殆ど単位を取っていても、僕はかなり落として、何とか卒業しようとあがいていた。親に学費を払わせるのは申し訳ないからだ、今ほど学費は高くなく、京都産業大学の文科系は40数万の学費で、今の高校の私学なみ、それでも僕は七とか、卒業しようとしていた。一月二月になると、どんどん友人たちはひとり、またひとりと下宿を引き払い、一旦は故郷にかえるんだ。ぼくは下宿にずっといて、プレ入社してバイトしながらがんばっていた。清水の下宿を訪ねると、もう既にもぬけの殻、がらんとした下宿の部屋。ああ、田舎に帰ったのか、すごく、さみしさがこみあげてきた、一年のときに良く語り合った、泊まったことはなんども、壁にはってあった、松田聖子のスコールのLPをかったときにもらったポスターもはがしてあり、そのはがした押しピンのあとだけのこっていた、ああ、僕らの学生生活は終わった、はやい、はやい、四年間だった、ぼくは11月から会社のバイトも始めていたので、卒業も危ういのに、友人たちは気を使い、卒業旅行までも誘いがなかった。まあ、大学三年のときに北海道で脱走したので、危険視されていたのだろう。ひとりで、長崎にでも旅にゆこうとおもった、坂本龍馬が活躍した長崎、亀山社中、グラバー亭などをぶらりと、旅をした。下宿は寸前までいて、荷物はひとつずつ、着払いで実家におくった、ばらばらでくるので、母はおこっていた。死んだ友人のことをひとり、下宿で思い出していた、彼が事故でなくなり、夜に下宿にみんなと、帰り、死んだ友人の部屋をそっとあけると、そのままであった。汚れた白の靴下が脱ぎ捨ててあり、靴下が足の形を残し、置いてある光景を思い出していた。卒業式の何週間かまえ、実家に封筒が届く。それは二種類あり、ひとつは薄い封筒で、ひとつは分厚い封筒。薄い封筒なら卒業式のご案内、分厚いのなら、新年度再履修、留年の手続き、授業料の振込用紙などだ。不思議とぼくは卒業できると信じていた、それどころか、京のすかいらーくのキッチンで既にしごかれていた。母からの電話で、薄い封筒と判明。それから、卒業式を控えた故郷に帰った連中が再び、上洛してきた、泊まるところがないので僕の下宿にどんどん訪れてきて、研修が深夜におわるので、下宿にかえるたびに、誰かが寝ている始末。どんどん増えてきた、10人弱になった。みんなで、卒業式に出た。式がおわると、最後まで内定が決まらない女の子が決まったと教授がよろこんでいた、予餞会を行い、二次会三次会四次会、と、深夜まで続く、翌朝もひとりひとり、北陸本線でかえる清水を見送りにゆき、新幹線で静岡にかえるやつ、岐阜にかえるもの、ひとりひとり減ってゆく、翌日六次会までなったときは、さすがに胃がいたくなり、見渡すともう、友人は三人しかいなかった、別れを惜しむように、ある助教授からわざわざ予餞会の藤田ホテルまで、僕宛に電話が入る。「長七くん、卒業おめでとう!よかったね、卒業判定会議ではあなたの成績ではだまで、他の先生は反対したのよ、でも、私があなたを早く社会に出すほうが言いと考えて、卒業OKしたの、がんばりんさい!」ぼくは、冷や汗を感じていた、あのとき、卒業できなければ、違う人生があったのだろうともおもうし、今に至る僕が社会的貢献をしているかどうか、大いに疑問である、しかし、いまだに反省するのが、真剣に学問に集中できなかったことと、スペイン語が話せない聞けないということが実に情けない、もう一度勉強したいという夢はあるのだが、時間も金もない。卒業式ぎりぎりに内定を持った女子は数ヶ月で会社を辞めてしまい、今は米国のどっかの州に暮らし黒人の警官の妻になったそうだ。商社に勤めても、食品問題の偽装に連座した友人もいるし、欧州でデジカメを売つもいる、三月三十一日まで下宿にいて、最後に愛用の布団を実家に送り、4月1日、京都駅から新幹線で東京三鷹の本部研修に向かった。ホームではたくさんの後輩が見送りにきてくれた、新幹線がホームに来て、デッキにのりこむと、後輩たちは万歳三唱を始めた、京都見物の外国人があつまりだし、会社の人事のひとがあわててとんできた。みんなに手をふり、京都を去った、学生はおわった、さようなら小山コーポとつぶやいた。
2010.03.02
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こんばんわ、みなさん、江戸時代、与謝蕪村が神戸にきて、まあ、当時は神戸と言う地名でないがまだ、灘の酒つくりが始まりそうなころだろーか、摩耶さんにのぼり、一句。「菜の花や 月は東に 日は西に」夕暮れ間じかに帰路につこうとしたのだろうか、あの摩耶からおりつつの尾根でみたのだろうか、山ろくにある、菜の花畑にゆれる黄色のいろ、夕日が落ちてゆくさまと、大きなつきが昇り始める、雄大な海を情景に、写真を撮るが如く風景を言葉に収めている。歴史的にみると、六甲山ろくには小川の水路を利用した水車小屋で精米や菜の花の種から油を精製するひとがおおかった。うちの先祖も油やをいとなんでいたらしい、伝承だけであるが、彼らはどうやって、放浪の旅をできたのか、俳句を読むだけで生計を立てれたのか、彼らには何人も資金を提供するひとや、俳句の弟子たちなどがいて、文化を形成していったのであろう。そういう意味では身分社会といいながらも、自由に生きる人々が存在したということである、彼らは結婚するのもかなり遅く、50代前後であったりする場合がおおい、やはり、旅がおおかったり、世間離れした生活のせいであろうか、摩耶さんを見るたびに、この句を思い出すのである。
2010.03.01
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