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こんばんわ、みなさん、菅総理が「消費税の還付」について減給しました。苦し紛れで言ったのか、選挙票集めのことばとしかおもえません、だいたい、300万以下の年収の人々がどう申請するのでしょうか?ニセ領収書をあつめ、散々還付の税金がむだにつかわれ、何のための増税かになることでしょう。子供手当てでの失敗が身にしみてないようです。4年間は増税「消費税」を上げないと言い切っていた、鳩が飛んでいったから、すぐにこれです、本日は日経平均株価が今年最安値をつけました。景気は確実に回復しているというのは完全な、見当違いであります、肌身で地方経済のでふれスパイラル、収縮経済が進んでいると思います。「仕事」あってこその税収であります、この「仕事」はかろうじて経済を潤わしていました、無駄と批判されていた公共事業です、このカットで自民政権以上の建設業界は瀕死になっています。地方の基幹産業がなんであるか、その産業はグローバル化に対応しているか、その産業は雇用を促進し、地方経済に貢献しているか、この地方のテーマがたくサンあるにもかかわらず、ひたすら財政悪化の対策だけをあげようとしても、それは国民への重税にしかならず、余計に経済は悪化します。日本の地方の銀行や企業は日本に見切りをつけ、中国の企業と提携したり資本提携したり、はては売却などの話がすすんでいるようです。少し前の日本が米国の企業を買収したり、ビルを買ったりしたことを思い出します。このミンスの政治の主意はいつも見えてきません。もっといい政治家が控えているようすがミンスは一度再分裂したほうが得策とおもいます。自民とおなじでは選挙問うことができません。秀吉は城をつくる、大陸を攻めるというので増税しまくり、それが豊臣の滅亡の主因であったようで、4:6 の4を巻き上げて、家康は3:7の 3 を巻きあげたようです。それでも各藩は財政が悪化し、幕末は破綻寸前の藩がおおく、侍と殿様のリストラが維新の主意であったようです。国会議員地方議員公務員のリストラこそがあってしかるべきで、それをやらぬ政権はどうあがいても赤字国債を連発しないともたないのです。
2010.06.30
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こんばんわ、みなさん、にほんがPKで負けた。悲しい、残念、PKはつかれる、今回はまったく見ないようにしていたのだが今夜は見てしまった。ぼくがみるといつも負けるんだ・・・。国民のみなさん、残念です。しかし、日本は強かった、ぜんぜん前と違う印象を受けたんです。道頓堀の厳戒態勢は解除。では、四年後に
2010.06.29
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こんばんわ、みなさん、本日、弁当を配達していると、結婚のときに家具を買った店が店じまい。兵庫区の家具屋がおおくある(あった)通りの最後の一軒が滅亡した。これも実にさみしいかぎり、ポートピアランドがつぶれ、イケなんとか、という欧州の家具屋のでかいのができ、ニトなんとかという東北のほうから攻めているチェーン店のせいである。地元の店がどんどんやられ、しまいには廃墟になってしまいそうだ、生き残れるのは大手のチェーンか外資かになれば、地元にはお金は落ちないということです。大規模店舗規正法というのがあって、これは小泉財政改革の規制緩和でゆるゆるになり、どんどん店が神戸の震災の跡地に火事場泥棒のようにできてきた。これは地元の商店街の空洞化を誘引させ、街の機能を低下させた、どうなるんですかな、この街は、この国は、選挙するまえに、この地方の不景気をどうするんだろうね、政治はまったく関係ないように感じます。この先、闇のような社会ができて、いつかこの国の担当者は困ることになるだろう。
2010.06.28
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こんばんわ、みなさん、絵文字使用。選挙の車がうるさいのがすくない、いいことだ、選挙ポスターをみながらいつもおもう。「なにわらとうねん!何がおかしいねん、」いま国が大変なときに、よう笑って選挙でれるな。ええ加減にせいよ、といつも思う。民主主義の基本である選挙、そして議会政治、政党運営。この運営がどこまできちんと機能してゆくか、もしくは、いつまでこの短いスパンでリーダーが変わるのか、大体のパターンにおいて、二世三世議員は「鳩」をしても短命のパターン。これも必然なのであろう。なるべくしてなったようなもの、コネで入った政治のことより、自分のほうが大事なようです。心臓麻痺でやるくらいの根性もない。さりとて無様に議員を辞めない。管さんを攻撃するネタは散々、以前「愛人騒動」ででたので、再び身辺問題で疑念がでてくることはないとおもうが、このいまの政権もいつまでもつか、と思う。たしかに、絶望的な財政赤字を改善しなけらばならない、しかし、そのことで4年間は消費財を上げないといいながら、舌ねが乾かないうちに自民の後追いのような発言をするのはずるいんとおもう。政治家たちは私腹を肥やすために政治をしていて、結果利権のような地盤を息子たちに告がせるのではないか、あれこそ、私利私欲の権化のようだ。南極に移住希望したいわ
2010.06.27
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こんばんわみなさん、絵文字使用。昨日のサッカーは驚きました、負けるとおもっていたのに、だいたい、ぼくがみると負けるのがおおく、フィギュアスケートでも、見た瞬間、転んだり。ああ、ころぶな。と思うと転ぶ。昨日は仕事もありみなかったけど、マイケルジャクソンがなくなり一年、もう一年ですね、はやいものです、死んでからかなり稼いだそうですが、借財はなくなったのでしようか?最近ずっと昼が暇です、どこも閑古鳥、工事など建設関係も仕事がないようです、うちらの兵庫区は自営業がおおく、大変な不景気に襲われています、見渡すかごりの老人老人老人。岸田聡史の「君の朝」を思い出します。もーにん、もーにん、あの歌はあんまりすきでなかった、岸田さんの音楽をはやらそうと見え見え作戦。ヤングジャパンは つボイさんが降りたオールナイトの枠をむしとり、岸田さんに渡した。岸田さんはどうしているんだろうか、「学生の頃」岸田智史いい声ですね。今日、暇ながらも弁当を配達しようとバイクにのると、さっき店に食事にきていたスーパーのひとたちがさわいでいた。必死に犬を追いかけてる。「迷い犬のようなんです、首輪もない」ぼくが追いかけると逃げる、しかも車道の真ん中、車にひかれそうになる、なんどもなんども追いかけるが逃げる、幹線の道からわき道へおいつめ、追いかけると、一方通行逆行。やばいな、とおもいつつ、公園のほうまでおいかけると公園の中に逃げる、ぼくも仕事があるので、そこでやめて配達にもどる。迷い犬は方向もわからなくなるんですかね、マーキングでわかるはずなんですがね、次の歌は岸田さんが作曲した歌です。百恵さんの歌。「あまりりす」いい歌ですね、松本隆の作詞、百恵さんの世界になっています。1977年の歌というから、33年まえか・・・うーん、マンダムやね(かなり古いギャグ)百恵さんの時代じゃできない歌ですね、時代は「影」です、哀愁の時代なの・・しかし、百恵さんの時代から松田聖子の時代になるんだ、明るい声、かろやかなステップ、次の曲はこれだ!WITH YOU 1983年1983年、前の歌から7年たち時代は変わりつつあった、松田聖子は歌の天才であった、音感抜群、はずさない、声量もある、幅もある、1983年ぼくは22歳まえ、大学四年だった。本当に忙しい四年だった、次の曲も聖子ちゃんの歌ですが、作曲は自身です、松本隆の聖子への「詩」のコンセプトはいずれ来る男女雇用均等法、自立する女への予感、これがすごい、しかし、当時、ぼくらは「詩」の中身はどうでもよい感じで断片的なメッセージトメロディの美しさを聞いていたに過ぎない・・・。Canary最近になり何度も聞いているのが大学四年の秋に流行していた、「蒼いふぉとグラフ」この歌を聴くと大学のときの写真を思い出すます。「いつも何か傷ついていた、そんなとこふたりにていたね」ユーミンのメロディーが松本作詞に乗りまして正隆さんがいい味を出します。蒼いフォトグラフそして、この女の子の別れの情景を描いた作品、ベストテンですが、聖子ちゃんは目でファンを殺します。瞳はダイアモンド思い出します、あのころを、しかしながらぼくは松田聖子のファンではなかった、どちらかといえば、マイナーな、石川ひとみが好きでした。下宿のとなりの後輩や、清水がすきで、ポスターを汚い壁にはっていた、 最後は、この歌でおわり、おやすみ
2010.06.25
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梅雨空の 合間みせ行く青空に 燕飛ぶあと数時間でサッカーの日本戦がありますが、ど深夜で終わるのが五時だからみていると明日仕事にならない。殻、見ない。予想、二対一で日本は負ける。日本で国を意識するのはサッカーとオリンピックぐらいですね、ナショナリズムが欠如するように基礎教育が行われた産物でありましょう。< でも 日の丸と君が代は 天皇家のもの >そういう意見もあるでしょうが、日本は2000年近く形の上では天皇家を元にしてできた国であるのです、この歴史は覆されるものではないでしょう・・君臨すれど統治せず、このコンセプトがあるから何事もうまくいったきたようです、しかしながら戦後日本はいろんな局面を向かえ、対応しきれずあがいております、さすれば、大政奉還をして、もう一度国を変えようではありませんか、選挙で選ばれた人は本当に有効な施策を打てるのでしょうか?疑問です。と、ぜんぜん誰もが思いつかないようなことをここでいってもしかたないですが、政治家たちは二世三星の無能たちのくいものになり、国民は自分さえよければという考えが蔓延しております。話し変わりますが、マツダ暴走男は単にいかれたやつのようでした、こういうのが全国に予備軍として多数いるわけで、こういう人たちを押さえ込むのはいまの社会では困難であります、カウンセラーにしても自発的に行くのならまだしも行かないだろうと思います。犯罪は、反社会的な行動を及ぼす、病んだ心がなせる事象であります、その犯罪ファンタジーを持つような輩は、秋葉原の加藤のようなやつをヒーローと思い込むのです、江戸時代見せしめに、拷問したり貼り付けしたりする行為は、抑止力でもあったわけです、それを肯定するつもりはさらさらありませんが、現代、犯罪を抑止するのは非常に困難であります。被害にあった人々は不運としか言いようのないものであります、心の病んだなせる業は、DVや不和の家庭が起こすものであったり、先天的に妄想をもつものや、学校での極度のいじめなどが主因たるものであります、助け合いかばいあい、もしくは注意したり、そういう相互補助的な機能が昔の近隣のひとびとではありましたが、いまやそれも崩壊し、各自のしたいほうだいは無法地です。この先、日本がどうなるか、危機感がまるでありません、北朝鮮と対峙している韓国は常に危機感があり、徴兵制度まであります、緊張感、というのが欠如したのでしょうか、ものにあふれありがたさも感じことなく夢も希望ももたず、感情のままいきてゆくのでしょうか?
2010.06.24
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こんばんわ、みなさん、明日は休みです、オフです、明日から選挙戦がはじまるんですね。またもや、うるさいのが始まります、意味もなく繰り返す、名前、年齢、今日本当にむかついたのは「すばらしいみんすとう、素晴らしい日本。。まるまるがどうのこうの・・。」明らかにそれはおかしい、誰も聞いていない違反の選挙カーであるが、なんで、ミンスがすばらしいのか、しかも最初にでてくるとは。。。。どこがやねん、と叫びそうになった、沖縄基地問題もうそ800でした。高速道路無料化もできませんでした、子供手当て半額でもあやうい。総理大臣八ヶ月しかもちませんでした。仕分け作業でも無理だからいきなり消費税をバイにしろと・・。えええかげんにせい、いまや、景気は底辺はどんぞこですぞ、景気回復なんてのは、一部だけでしょ、エコカー減税しすぎやん、いつまでしてんの?ガソリン高騰してるのは放置や一部の人だけに恩恵を与え、話題をつくり、マスコミに流してもらい、実際のところはうわべの分がおおいです。エコポイントで潤うのも一部だけ、
2010.06.23
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27歳のころの「つるべ」わいのわいの90MBSで ぬかるみの世界、テーチィン、右はしが、岩本D、通称「がんさん」この番組をつるべと考えた人、この番組は1980年ギャラクシー賞をもらう。
2010.06.23
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ネット小説、未完成ですがよければ、お読みください。ここまだ40ページですが200枚を予定してます、未修正未完成です・・
2010.06.23
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深夜らじおが好きだった。らじおはひらがなのらじおで、ラジオでもなく、レデイオでもない。らじおなのである。いま、ふとAMラジオを聞こうとおもって、災害用に用意してあるものを聞くと、入らないのである電波が、マンションというところはAM電波を遮断している様子、雑音を排除する回路があるのか、同期シグナルがつかないと、雑音さえひらうことがない。あの雑音がいいのである、ぶーとかざーとか、ひゅーとか、いろいろな音が混じっていてそこから人の声が聞こえるのである。デジタルでなくアナログなのである、ダイアルをゆっくりと回すのである、微妙な感じで電波をひらうのである、まさに大海で魚をつるように、ダイアルを回し、どこか面白い深夜らじお番組がないか、探すのである。らじおというものは、個性が大事であり、主張がないといけない。金曜日のオールナイトニッポンはつボイノリオであったのだが彼が体調を壊し事務所を辞めるので番組をおろされた、大変好きな番組であったので、実に残念でくやしくてたまらなかった、好きな深夜放送が終わると、あとの番組は絶対聞かないのがぼくの方針であった、だから、つボイさんのオールナイトが終わる翌週から、電波難民となり、ダイヤルを回し続けてみた、そんなとき聞いたのが文化放送のパックインであった、阿部敏郎さんというフォークシンガーがやっていた、小堺さんもたまに応援でラジオにでていた、阿部さんの声はあったかく、落ち着いた放送であった。阿部さんの歌でのお気に入りは「 神田川を気取って 」という歌で、神田川という有名な かぐや姫の歌を真似て誰もがあこがれる大学の下宿の風景についての歌であった、同棲時代とか映画もありましたが、憧れていてもなかなかできないものです。
2010.06.22
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相撲取り 土俵おりれば ただのデブ数千万の負けがあったという、ことみつき、なんともはや、もうつける薬はない。名古屋場所はやめてしまえ!といいながら相撲には興味がありません、どうぞ、みなさん、国技を相撲から、ゴルフにかえましょう。消費税10%論議がありますが、何でいきなり倍にすんねん、ほんま、ええ加減にせいよ、あの一日国会議員のあの京都のお方、あの方も小沢に踊らされてるんですね、あほですね、誰のために何のために議員を目指すのか・・・・。もう、選挙なんてのは必要ないのではとおもい、民主主義というものがこんなに危ういものかと思うのです、今日もあの政治宗教同一党のかたがこられ、まるまるさんをおねがいします。といいかえる、その地縁知人親戚攻撃はなんのためなんですかね、何をどうお願いするのですかね、選挙というものはお願いするものでなく、国やその他をよくしてゆこうという人をよく選ぶということであって、誰かどこかの人だけに我田引水のものではいけないんですね。空港だって、あんなに反対したんです、神戸市民は、その運動に感化されてあの議員が誕生したほど、強引につくり、残ったのは2000億の借財。選挙の勝つためだけの小沢論法。あれも汚いです、しかし、みんなが悪い、投票にもいかず、人をよくみず、参議院はなくしましょう!
2010.06.22
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こんばんわ、みなさん、昨日はポーアイまで配達にゆきまして、前にここで書いたポートピアの中央ゲートのあとの横を通過したのでした。それにポーアイも変わり果て、デートスポットで有名だったポートピアランドはいまはなく、イケアという場所にかわってしまい、かすかな痕跡として、防波堤が色あせてのこっていた、海も遠くになり、30年前のことは夢のまた夢でありました。神戸空港も散々市民が反対したのに強引につくり、いまや2000億円の累積赤字。これをまた民営にしようとしておるやつがいて、2000億円は残り、いまや夕張の一歩手前のところに来ています神戸であります。神戸の港の機能は貨物コンテナの量は世界有数であったのに激変してしまい、ハブ機能はほとんど機能していない。
2010.06.21
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で、とても気になる変な言葉といえば 「ばり」であります。意味は、形容詞のとても、たいへん、とか言う意味であいつのおっぱい、ばりでかい、「あの人の胸は大きい」となります、ぼくは実を言うとこの言葉は神戸のなかでも兵庫弁の中心であるのではないかと、いうことと、バリバリ伝説という漫画もここからこているのではないか憶測もしています。バリ、という語源はどこから来たのか?南方の「バリ島」からきているのだろうか、この「とても」という言葉は本当にいろいろありまして、とても面白いのです。バリは九州のどこかでもつかうそうで、南北朝時代の戦いの影響がのこるのか・・もうひとつ、不思議な言葉で威嚇することばに「だぼ!」という言葉があります、これは播州の言葉が流れてきているもので江戸時代以前の播州の交流範囲が神戸まであったことのなごりであるとおもいます、そのだぼの意味は、「ちくしょう!」とかくやしがったり、かをつけて「だぼか!」となると、「ばかか!」という意味にも変化します。ぼくの推論ですが、だぼはぜ、という魚の意味からきているのではとおもう、魚を釣ると、またしてもだぼはぜで、残念の意味があったのかもしれません、いま、テレビラジオなど、もしくは携帯やメールなどで方言の消滅か、もしくは廃語になりつつあるでのないかと、危惧をするのです。
2010.06.21
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神戸の言葉は大阪や京都とは違う、関西弁の語圏であるからして、不思議なものであるです、大阪弁の親戚のいとこがいつもぼくの神戸の言葉を笑っていた。神戸という地名も大きく論じられる地名は幕末以降。それ以前は神戸村はひとつの寒村であった。しかし、神戸の言葉は不思議である。だぼか!という言葉があり、これはあほか、という言葉の意味であるがこの語源はなんであろうか、神戸弁のルーツのことばに兵庫弁というのがあり、兵庫の港が古くから町として発展しそこに集う人たちがなせるものである。敬語の「なになに、してはる」の言葉は神戸弁では「なになに、してやる」あのほたるのはかのおんなのことのことばは昔の神戸弁であるのだが、その言葉もだんだん失われつつある、異常な感じは、東灘区住吉にある、ロイヤルホストで見聞きする言葉は実に標準語がおおい、転勤族が多く、それにもまして上級社会の人々の移動範囲は広く、通用度に応じて標準語をつかうのである、しかし、南のほうのスーパーで見聞きする言葉は神戸弁そのものでなく「気取る」ことがなく、方言が絆を深めている。「なになに、してんねん」と、関西弁では、状態を表す形容動詞をつかうのだが、神戸弁では、「なになに、しとん」と、略してしまう、ほとんどの動詞の助詞に「丸々しとん」とつけるのである、この言葉は大阪ではつかわない、尼崎でもつかわない、しかし、武庫川を越えた西宮あたりから使い始め、西は明石あたりまでつかうようだ。神戸の言葉は関西弁というより、姫路の播州弁に影響を受けるか範疇に入るようなかんじがする、これは多分に海洋の文化圏のせいで、海を通じて文化がひろがったことだとおもう、多分に推論です。
2010.06.21
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こんばんわ、みなさん、お元気ですか?参院の選挙ボードが街に設置されて、あとはポスターが公示の日に張り出される。また、笑顔で青空をバックに、白々しいポースターができるのであろう、サッカー残念ながらオランダに破れたらしいが、ぼくもダライラマと同じようにサッカーにはあんまり興味がない。はやぶさのなかには大きな石がないようで、あまり中身期待できないようなかんじ。いろいろなニュースがありまっすね、
2010.06.19
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梅雨空に 天仰ぐ 配達人さまざまなものが個人宅に配達。しかし、雨ともなればたいへんである。消費税10%を当然のように発言し、言質を自民からいただくという、鳩山政権では上げないといっていたのだが下のねもかわかずに、もう、これです。20日に兵庫区にあのヤワラちゃんが選挙演説にくるらしい、しかし、体調不良で昨日のイベントを休んだとか、雲行きが怪しい。体調不良なら、議員柔道も子育ても母もできませんぞ!小沢チルドレンは小沢なきあと小沢散る奴連、になった感じ。もう、ミンスには怒り心頭、絶対、いれん!自民もこのようなことを巻き起こした張本人、では、どうすんの?ないじゃあ^^ありませんか・・。ああ、くだらない、ことばかり、「くだらない」という言葉は、大阪から江戸に商品を送るときにつまらないものは送れない、という意味からきて、京都から周り全部は下る、という、東京が首都になり、東海道はのぼりくだり、という名称でもめた、しかし、天皇が御所をせんとしたのだから、下り上りの基準は東京上のになったのです。ぜんぜん違う思いつきの話。消費税の話だが、いつも出てくる上げる言い訳は介護福祉医療などの話。これをいわれると国民はしかなたないなあ、となるからね、日本はどうなるんですかね、いずれ、大量の移民がやってきて、日本は変わるんだろうね、
2010.06.18
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京都で学生生活を送っていたあの1980年前半、深夜、友人たちと喫茶店にゆくのがすきだった、何もすることもないのだが、コーヒーをいっぱいで明け方まで粘るんだ、好きなレコードがかかっていたり、たばこを何本も吸ってのどがいたくなるほど、灰皿はいっぱいの吸殻。明け方の河原町どうりを原付バイクで下宿までかえり、そのまま寝てしまい、授業をさぼる、必修の出席をとる講義なんですが、眠たさが勝。あのころは眠たかった、眠れないときとか、眠れない悩みなんてのもなかったな、どこでもいつでも眠りに入れた。深夜ラジオ放送もだんだん聞かなくなり卒業しつつあった。当時、女子大生ブームというわけのわかならものがおこり、これは多分にオールナイトフジの影響だと思うけど、深夜らじおのDJも女子大生がしだし、これは僕は聞かなかったのだが、要するに深夜らじおのDJ専業ものたちの仕事を減らすこととなり、深夜らじおが衰退するひとつの契機をつくったとおもう。友人と朝まで語る、このことは何回も何回も下宿でしたな、どっちかが寝だす、それでおわりか、もう寝よう!と言い出すとおわり。何を話したのだろうか、ぜんぜん覚えていない、つまらないことだったのだろう。携帯電話も部屋にも電話がないから、顔を見て話すことが大事だった。携帯電話というのは便利であるけれど、不便でも友人と語ることは大事だと思う、よく見かけた街角で何時間も友人同士が話し合っているのがあったね、いつしか、だんだん減っているような気がする、いつまで、そこで話してるの?と思ったものだ、そういう話したいという気持ちも「メール」や「携帯」が代用してくれるので問題はないのだろう。つるべがよくいっていたのは、深夜らじおの葉書の手書きのほうが読みやすく、メールの活字のほうが読みにくい。不思議な感じがするのだが、「字」をみれば、わかるのだ、誰の字か、字は怒っているのか、笑っているのか、文面を一瞬で読み取れるというのだ、字の集合体をみれば雰囲気というのが伝わるそうだ、活字のほうが手書きより読みやすいはずだが、活字の文字から感情を読み出すのは二次的で困難であるのだろう、友人と携帯やメールでやりとりする現代の学生。しかし、そこには顔が見えないという孤独な一面もある、相手の気持ちや感情は顔を見てしぐさをみて読み取るというものだ、それができなくなりつつあるのではないかと、危惧するのである、老婆心であろうけれども、友語りが一番の思い出であるのだから、
2010.06.17
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AKBには興味がない。なんだあれは、と思う今日この頃、いま聞いているの馬場俊英「明日の旅人」馬場さんの歌はほんと救ってくれるんだよぼくを、鴨川という歌は何回聴いてもいい歌であります。深夜放送ラジオを聴いていたぼくは、あの深い夜の四十万の中、こうして回顧するとは夢にも思わなかった。つるべが映画の主演に出たり、紅白の司会をしたり、この数年の彼の活躍はすさまじい。長年の念願の古典落語への回帰も驚くべきことでもあるし、全国的な人気を得ている彼は優等生であるんだけれれども、なんか違う。あの映画「デイアドクター」のメイキング版のDVDを以前見たのだけれれど、ロケハンをしておる場所の宿にどんどん地元の人がうわさを聞きつけてくるんだ、それにつるべはほとんど対応し、ほとんどいわれるがままにサインをし、写真を撮ってあげる。ほかの女優や俳優は困惑するし、混乱するのだ、そういうスタンスをしながら撮影にも身を要れ手行く姿に驚くんだ。ほとんどの場合、演じる人は一方通行、そういうのはサインとかはしない、自分のなかの何かが崩れるのを恐れている。しかし、つるべは恐れない。そのスタンスはあのミッドナイト東海の深夜ラジオから、双方向であり、変わらぬスタンス。あのDVDでは、「すべて人にしてあげることは、自分に帰ってくる」という。ぼくが四畳半のコーナーの電話に終了後にかけても電話に出てくれた。「ああ、ぼく神戸からかけています電話、わいのわいのにもいきました、今度の落語会もゆきます、」つるべ「ああ、そうか、ありがとうな、落語会いうて、あの神戸のやつか?」ぼく「あ、そうです、松鶴師匠もでるやつですよね!」つるべ「あああ、そうや、(沈黙) 会場では声かけんといてね、ぼくからかける」その意味はわからなかった。翌週、東灘の魚崎にある、小さな会館で寄席があった。ぼくと友人で、つるべがくるのを待った。しかし、なかなか、こない、ほとんどの落語家ははいっていて、あとはつるべだけ、タクシーが止まった。なかからあふろのつるべと、いつももっていた小さめの四角いかばん、着物はない。つるべ「ああ、やばい、やばい・・・」ぼく「 つるべ!もうみんな入っているで楽屋に・・」つるべ 「 ああ、いやや、いやあ、・・」ぼく 「どないしたん?」つるべ 「 ああ、師匠に遅れて入る楽屋ほど怖いもんないで、」そういいながら階段にうずくまるつるべ・・。ぼく 「 あかんで、はよいかな、」そういいながらぼくと友人はつるべをひきずり、楽屋口まで連れて行った、その当時、彼はネタはすう本しかないし、ぜんぜん寄席にはでてないし、師匠にはひとつも落語をつけてもらえることはなかった。「おまえには、おしえへん!」といったきり、つるべは稽古をつけてもらえなかった・。その意味はなんであったのだろうか、自分なりのオリジナリティのあるつるべ話をしろ、ということだったのだろうか、落語は当時は人気が出つつあった、仁鶴、三枝、文珍、たくさんのスターがいたのだが、みんな、落語は稽古をつけてもらい本業としていた。そういう恐怖からかつるべは座り込んでしまったのだ。落語は大爆笑であった、しかし、どこかいつものトークとは違う緊張した面持ちであったのは忘れることはできない。つるべは師匠を敬愛し、必ず毎月墓参りにゆく。師匠の家はいろいろ事情があり、売りに出され、それをしったつるべは銀行から金を借り買取、落語ホールとして再建。つるべとはわいのわいの90で二回ほどあい、この寄席でもあい、彼の頭の中にぼくがインプットされてしまったのである、数年後、ぼくが大学にゆき、それから三度会うことになる、その一度目はぬかるみの世界というラジオ番組のツアーでぼくが参加したのであるが、ぼくを見るなり、「ああ!君を知っている!」といいながら、夢であったのか、前世であったのかのようなかんじで、怖い!なんでやろか、と、新野先生に言っていた、あの落語会の寄席のことを言わずに、僕はにやり、と笑った。そのにやりとした笑いで、余計におどろいていた、つるべは単純でもあったのだ。
2010.06.16
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1989年。名曲 ここ薬師丸さんに提供。
2010.06.16
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「 汐風のなかで 」 there and two のLPに入る、鈴木康博の歌。あの日あの時、ひとつひとつ、いまもむねをあつくする。潮風にほほを染めた君を髪が揺れてる・・・・。オフコースはシングルはベスト1にはならずとも、LPは必ず支持され一位になった。松尾清水大間のメンバーがオフコースのメンバーとなったのだ、彼らはもうそのずっと前からオフコースのバックとして活躍したのだが・・。このLPがでたのは丁度、「さよなら」がヒットした12月のタイミングで、しかし、「さよなら」ははいっておらず、オフコースのファンはそのとき新旧のファンが混在し、昔ながらのファンと、「さよなら」以降の新しいファンと入れ替わるような部分があった。ぼくは「さよなら」を聞いた最初は、月曜日のつるべのヤンタンでゆきのぶが凄い歌が出てきましたと、紹介する前から曲のインパクトを感じさせたのである。ぼくはその「さよなら」のイントロを聞いただけで、ああ、これは凄い歌がでてきたと、オフコースがメジャーになるな、と感じたのを思い出す。高校時代は深夜ラジオ小僧でありまして、何回も言っていますが、オフコースはラジオにも出てこない、テレビにもでてこない、LPの中にしか実在しないグループで「謎」の多いものでした。当時、つっぱりものが流行し、ヤンキーはえいちゃんのファンがおおく、リーゼントの髪にくしを通すのが流行でありました。ミッドナイト東海のつるべの四畳半のコーナーに深夜公衆赤電話から名古屋に電話していたぼくは、やっと、電話がつながった。しかし、既に放送時間が過ぎていた、ディレクターがでてきた、電話ごしに「もう終わったからかけてこないで・・」といった。しかし、その電話をつるべは「でるわー」といってぼくと話をしてくれた。いろいろと数分話をして、明日の神戸の寄席につるべの落語を見に行くと伝えた。つるべは、「そのときは声をかけるなよ、」という不思議なことをいっていた。深夜電話が終わると既に三時半を過ぎていた、何か後ろから視線を感じて振り返るが誰もいず、背筋が寒くなり家に走ってかえったのだ。(つづく)愛あるところへ
2010.06.15
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まやもやぼくの「オフコース病」がはじまった。何度も何度も聞いてしまう・・。小田さんのユニクロのTシャツは即完売。こういうのは実に強い、おだファンの女性は多いが、オフコースのファンともなるともう化石状態。ぼくが高校のとき深夜ラジオ小僧であった、来る日も来る日も深夜4時までラジオを聴いていた。ほとんどがAM電波である、当時はFMはNHKとFM大阪のみ、神戸からあのナショナルクーガーで名古屋の東海放送のミッドナイト東海木曜日を聞いていた。深夜一時から三時。つるべはこの番組でさだまさしと友人にもなり、英五ともであう。とんぼちゃんの曲もよく流れ、オフコースも流していた。ミッドナイト東海の最後のコーナーは「四畳半のコーナー」といい、リスナーが電話を局にかけてきて、つるべとつないで話すのである。いつか、電話をかけてやろうと思っていたが、なんせ、深夜、家はみんな寝静まり、深夜に玄関の黒電話をかけるのは不可能。それであれば、近所の国道の公衆電話からかけるしかない。10円だまと数多く用意、当時は公衆は100円でかけれるものはすくなく「赤公衆」が大多数。今夜こそ、電話をかえようと、音を立てないように・・外にでる。四畳半のコーナーの前は「ゼロ戦ゲーム」だったろうか、そのコーナーが終わろうとしているときに外にでて、猛烈に走り、公衆電話にたどり着く。しかし!深夜二時半にもかかわらず、女の人が電話している、ぼくは驚くの半分、ぞくっとするの半分。女の人は髪の毛が長く濡れていて、赤いコートを着ていた、ぼくは女の人が幽霊でないか、こちらを向いて「口裂け女か、」このねたは鶴光のラジオねたでもあるのだが・・口酒女であった。ぷーん、と酒ににおいをさせ、酔っ払って電話していた。もう、時間がない・・・。腕時計を見るとすでに三時、ああ走れ歌謡曲になってる・・。その日は電話を断念し、家に帰る。翌週もあの口酒女がいるとこまるので10時前に「この電話故障中」電電公社。と書いた張り紙を電話にはり、口酒女対策をした・・・。その日も、深夜10円だまを握り締め、家を音を立てないように国道の公衆電話に向かった。電話番号を書いたメモを見ながら、ダイヤルを回す、ジーコジーコと回す。つー。つー。つー何回かけても話中であった。時間がむなしく過ぎてゆく、気がつくと番組は終わっていた。三回目も翌週チャレンジをした、(続く)おやすみ
2010.06.14
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今日も一日が終わろうとしています。今日はあのはやぶさ帰還で感動しました。7年間の間、宇宙を旅し、いとかわという星のうえの石を採集して帰還するというのはすごいことだとおもいます、これは日本の歴史的な偉業であるとおもうのです、これから何年もたち、この日が転換日であったと後世の人間は認識するでしょう。昨日は大学二年の夏の淡い思い出をかたりましたが、秋になると、大学祭というものがあり、たくさんの人々が押し寄せてくるのです。しかし、ぼくは学内のサークルにも参加していなかったので、「しらけ世代」の人間であったのも半分。一日だけ浜田省吾がくるというので中庭で見たのを思い出す、サークルの連中は異常にもりあがり、最終日には「噴水池」に飛び込むのが恒例であった。ぼくはというと、ぼんやりベンチに座っていると、横に女の子二人が座り、「どこからきたの?」とぼくが問いかけると、西宮だというから、「武庫女でしょ!」というと相手は驚き「あたりです、なんでわかったの?」といってきた、聞けば同じ年、わざわざ、学園祭めぐりをしているらしいい・・。「きょうさんのひとって、みんな、らぶあたっくとかでてますよね!」明るくいうんだ。「そうだね、ばかなことがするひとがおおいからね・・」「あなたはでないのですか?」「いや・・・ぼくはでないよ、まじめだから・・」といいながら、CBCの番組や応援でらぶあたっくに何度も言ったのを思い出していた。「どこか、おもしろいとこありますか?」 彼女たちは学内を案内しろといわんばかり、「合コンとかしたりしますか?」またもや聞いてきた。「ぼくは合コンとかあんまり好きでないんだ、それにこの山の上の大学は何もない・・」と返事すると、がっかりした様子。ぼくは、とぼとぼとひとり帰ろうと階段をおりようとしたら、さっきの女の子がついてきた。「もう、帰るの?」ぼくが聞くと、「あなたの下宿をみせてください、大学生の下宿を一度みたいのです・・。」と、いわれてもなあ、大家さんが見たら変に思うかな?「いいよ、くる?」それでバスにのり、下宿まで案内した。狭くて暗い急な階段をのぼり三畳一間のふすまをあけて。インスタントコーヒーをいれた、「あ!オフコースのレコードがある!」内心、見つかった・・・とあせる、we are のジャケットを飾っていたのだ。「わたしもオフコース好きなんです・・・」「わたしは甲斐バンドのファン・・」オフコースの話になり、今度ライブへゆこうと約束した。しかし、バイトがいそがしく。その年の冬、下宿の友人が事故でなくなり、連絡することもなく消えていった。「オフコースの歌でなにがすきですか?」「やっぱ、さよなら といいたいところだけど。松尾さんのせつなくてが最近何度も聞いているんだよ・・。」ぼくはそのことを思い出しながら30年後の今、なんどもせつなくてを聞いていた。あのころは彼女がいたらどんなに楽しいだろうかとおもいつつもなかなか、好きになれる人がいなかった。ためいきがでるようなくちずけも・・。という経験もなく、彼女たちは近所の定食屋に晩飯をつれていって、そのまま返した。なけなしの財布からおごってやったのだ。なかなか、みゆきちゃんのことをひつこく忘れることができなかったのだろうね、あのころはせつなかったなあ。せつないのあらしだったか、なんで、あんなに切ない気持ちになるのだろうか、オフコース せつなくて
2010.06.13
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みなさん、こんばんわ、今日は熱かった、神戸港では第二次世界大戦で米軍の落とした機雷を爆破するということがあった。60年たっても80メートルのしぶきをあげ爆破した。時の流れとともに海の底で眠っていたのか、しかもポーアイの近くとはよくもポートアイランド埋めた工事中に事故がおきなかったことよ、ゴダイゴがぽ^--とぴあいあ!と歌うあのポートピアの人口島の祭り。ぼくは中央ゲートで掃除のアルバイトをしていた、おばさんと、ひたすらすいがらとごみをひらっていた。大学二年の夏である。同じような年頃なのにゲートの女の子たちはかわいい制服を着てもぎりだ、ぼくはそのよこをうろうろするんだが、声のかけようがない・・・。上がり閉園の時間となれば、彼氏がスポーツカーでお迎えなんだ、ずらりと並ぶ。さすが美人才女は彼氏もいるんだ、ぼくは相棒のおばさんと観光客の押しつぶされながらポートライナーで三宮まで帰る。ああ、こんなバイトはいやだ!格差社会だ!と、おもいつつ、バイトは閉幕まで続いていた。中央ゲートでひとりだけ話をぼくにかけてくれる女の子がいた。「ごくろうさま!」といってくれたり、「バイトですか?がんばってね・・。」とか、ありきたりの言葉。ロングヘアーでさわやかな感じの女の子だった、「ぼくは19歳なんだ、大学二年生、スペイン語の文学を専攻してるんです。」「すごいなー、話せるの?」はなせるわけないだろー、とおもいつつ、仕事の合間で話をしたりした。掃除をしていてもどうもそちらのほうばかりいってしまい、おばさんにあきれられていた。デートに誘いたいのだがきっかけがない、どんどんバイトはおわりにちかづき、夏休みもなくなってきた。最終日は徹夜組みがゲートの前に列をつくり、大変な人数となった。ゲートでは切符のもぎりがおいつかず、お客さんは自分できり、女の子たちに投げつけて急いで入ってゆく、パニックになり、半券は散乱、ぼくも新聞紙やらお弁当のごみやらたいへんな状況下、あのロングへアーの女の子が泣きそうになりながらはいつくばって半券をひらうのをみた、ぼくはあわてて手伝い、一緒になって半券をひらう。汗をぬぐう暇まもなく怒涛のように人々がゲートを潜り抜け、ロングヘアーの女の子は白い手袋で半券をひらう・・。おばさんが、笑いながら「こっちの仕事もしないとあかんよ」ぼくを呼び戻す。ぼくは、じゃあがんばって!と、そこを去ろうとしたらハンカチを取り出し「これで汗を拭いてください」といってぼくにくれようとしたが、ぼくは笑って「いいよ、ありがとう!今度京都でも案内するよ!」といった、ぼくは、あわてて戻ろうとしたとき、女の子はふらふらと貧血のように顔が真っ青でしゃがみこんだ、ぼくは抱き起こし抱えて医療室までつれていった。家族に連絡がゆき、閉園あたりにお母さんともう一人男性が迎えにきた、男性は車に彼女とお母さんを乗せ、ぼくに礼を言いにきた。「どうも、ゆかがお世話になりましてありがとうございました」ぼくはあわてて、とんでもないといいながら、19歳の夏が終わるのを感じた。秋になり京都の大学に戻ると相変わらず彼女のひとりもできないのか、と自問した。三畳一間の下宿の机の上には森英恵のはんかちがあった、匂ってみると、かすかにあの子の香水と汗のあのゲートのにおいがしたようなきがした。ああ、かわいかったなあ・・。とつぶやきながらオフコースの秋の気配を聞いていた。おわり。
2010.06.12
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かっこよかった、雨に煙るもり。ここ
2010.06.12
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ミットナイト東海、木曜日はとんぼちゃんがよくきていた、つるべがすきだったから。物悲しいのがいいなあ、思春期の空気みたいなここ
2010.06.12
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「みどり」安部恭弘&松尾一彦 もしぼくが映画監督ならこの題名の映画をつくるね、凄いイメージがわくね、みどり。
2010.06.12
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こんばんわ、みなさん、今日、民主の選挙カーが前を通る、まあ、みんな違反してるからいいという感じで事前運動をしている、ハイガスを撒き散らし環境を破壊しつつ、エコを唱える、「矛盾」「本音と建前」「あんずとずしお」?関係ない。まあ、当選したら何してもいいみたいですから。当選さえすればいいのです、うそ800を並べても、できないセ策を並べてもいいのです。まるで、大学受験を思い出します。受験戦争はきびしいけど、大学はいれば、遊び放題みたいな感じがおもいおこします。本当に完璧に腹が立ちました。参議院の選挙のまえのタイミングがよすぎ、読売のりーくですが、あの大臣もこのサボタージュCA議員も何かあるのだろーか、「デスク、こういうねたをみつけてんですけど・・」「そうか、いまは新聞のねたがあふれてるので 総理が変わるタイミングでいこう!」という話は妄想です。しかし、ありそーです。真実はどこにあるのか、本当のところわかりません。
2010.06.11
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民主党の河上満栄衆院議員(比例近畿ブロック、当選1回)は11日、横路衆院議長に議員辞職願を提出した。 14日の本会議で許可される見通しだ。 河上氏は、夏の参院選京都選挙区で、同党公認で出馬予定。小沢一郎前幹事長が2人区である京都選挙区の2人目の候補として擁立を決めた経緯がある。//////////////////おいおい、仕事もせんと、辞職とはなあ。これはおかしいです・・・税金かえせ!!!税金泥棒!!
2010.06.11
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こんばんわ、みなさん、お元気ですか。本日はめずらしく一日家にいました。年に数回あるかどうかです、先日前の会社にいた後輩がたずねてきました、子供ができたのと転職のことで、本当によかったな、とつたえました、人生は無駄なことやまわりみちしてることうまくいかないことがたくさんありますが、結果的にすべていい経験になり、いまの自分があるのだと、またもや国会で事務所問題がおきました、しかも、費用でまんがやCDを購入していたそうです。民主も自民もおんなじです。あほばかりです、「ばれなければいい」という現代の論理ですかね、それにも増して、このタイミングです、たぶん、でるな、と思ってましたが、リークするのもタイミングを常にはかっているようです。民主にはがっかりです、まあ、できないことばかりいっているのはわかっていましたが、できることばかりいっても国民は、投票しないしね、回り道するものと要領よくゆくもの、正直なものといつもごまかそうとするもの、本当に正義は政治にない・国会をさぼりまくり自分の選挙のために運動する人が、満額の給与をもらうという、しかも、本人は当然のようにブログで発言。しかも、手当てなどもらっていて、人件費がたらないという、ひどすぎます。この女。
2010.06.10
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[愛を止めないで」のBにはいる、やすの名曲。アカペラでセルフカバーしている。そのまえにでていた、LP「FAIR WAY」に収録。歌詞が大人びていていいのです、やすの曲は当時から少し大人路線で、しかし、ファンは子供だったのだ、アダルトコンテンポラリーの世界は数年あとから・・ここアカペラバージョン、オフコース
2010.06.10
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オフコースは永遠の名作、「over」を渡米しミックスダウンし、カリフォルニアからハワイでゴルフをして帰国して二週間後からこのLPの作成にとりかかった、休止活動を踏まえたことだったろうか、このLP l LOVE YOUを出し、NEXTを出し、活動を休止している、実際その後はなんにもきまっておらず、ヤスの卒業を見守るということか、もしくは会社の運営のためかこのLPを作っているときにジョンレノンが射殺された。オフコースの先輩でもある加藤和彦さんもこの歌をいれるのをみにきていたらしい。しかし、ヤスのこのころの歌はいまさらながら出来がいい、すごく聞いていてすごいとおもう、それなのに、小田さんばかり、日があたる、ここ
2010.06.10
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オフコース時代のヤスの最後歌だろうか、歌うことは・・。めざすものいまもかわりもしない・・。音楽を志、大学を卒業を控え内定までもらっていたのを進路変更し、親に猛反対され、この道にはいり、売れない時期を何年もすごし、売れ始めて、脱退。ほんと、いろいろありましたね、彼の声は高くすんでいそぎよいここTBSのベストテンにかたくなに出ないオフコースは最後に葉書の山をみせられ、このはがきにこたえてほしいと伝えられる、しかし、番組をつくることが決まってもいそがしすぎて、内容がきめれず、たいへんだったらしい、このNEXTというLPもサウンドトラックバージョンであるが、ぼくはこのLPはやっつけのようであんまり評価しない、でも、このやすのうたはすきです。
2010.06.10
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オフコース解散と噂された、あの時期。ヤスの脱退は最後まで秘密にされていた。小田さんの悲しみは深かったんだとおもう、やすは、この歌を書き上げながら「いつまでも この夢をおいつづけてゆくよくじけても・・」やすの気持ちがこの歌にはいっている、コーラスも小田さんの声はない。ここ
2010.06.10
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1980年のライブ音源。小田さんの電子ピアノの弾き語り、雨の降る日は という歌は「ワインのにおい」にはいる歌で出だしは、雨のおとからはじまり、水溜りを車が通過するおとが入っている、その車は当時小田さんが愛用していたバンで車名は・・忘れた・このライブは1980年だから、we areツアーであるとおもう、このころはオフコースのスケジュールはすごくきびしく、春とあきにツアーを行い、LPを必ず一枚作って、シングルも三枚は出していて、ツアーがおわると、次のレコーディングがはじまり、どこで息を抜いていたのかと思う、しかも、この時期前後でメンバーはきちんと結婚もしている。音源。
2010.06.10
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春日三球・照代(かすがさんきゅう・てるよ)は、日本の夫婦漫才コンビ。就中「地下鉄の電車はどこから入れたの? それを考えてると一晩中寝られないの。」のフレーズで有名な地下鉄漫才で1970年代後半に一世を風靡し、立川談志をして「漫才でトリがとれる」と言わしめた。三球はリーガル千太・万吉門下で、別の男性と『クリトモ一休・三休』の名で漫才コンビを組み、1957年に初舞台。『クリトモ』の屋号は、当時南千住にあった漫才の定打寄席『栗友亭』に因んだもの。並いる若手の中でもテンポの良さで売り出し、1962年の第10回NHK新人漫才コンクールで優勝するなど、順風満帆のように思われた。ところがその直後の同年5月に、相方の一休が三河島事故によって急逝する。このため、新しい相方(現ボーイズバラエティ協会所属のアコーディオン漫談家・ハウゼ畦元)と『第一球・三球』を組んで活動。その際に「三休」から「三球」に改名した。一方、妻の照代は、上方夫婦漫才の『春日目玉・玉吉』の娘で、姉との姉妹漫才コンビ『春日淳子・照代』で13歳で初舞台。共に結婚・引退してコンビ解消していたが、1965年に夫の『春日三球・照代』を組み直し、夫婦漫才コンビで再出発した。売れる前は三球がウクレレを、照代がギターを持ち、テーマソングの『線路は続くよどこまでも』を歌ってから音曲漫才を展開していたが、次第にボケを活かしたしゃべくりに徹するようになり、1970年代中頃には『地下鉄漫才』が大ブレークして全国区になった。地下鉄ネタに続き、新幹線ネタや山手線ネタなどの鉄道ネタ、タクシーやエスカレーターといった乗り物全般に関するネタをシリーズ化して人気を維持したしかし1987年に妻の照代が急逝し、三球は再び人気絶頂で相方を失う憂き目に遭う。失意の三球を見兼ねた周囲が、子役出身の声優で漫才経験のある若手女性芸人・芳賀みちるを世話してコンビを組ませ、舞台に復帰させたものの、くすぶったまま約1年で解消。三球はその後も暫く精彩を欠くが、傷心が癒えると共にピンの漫談家として再起した。巣鴨地蔵通り商店街に、山藤章二筆の巨大な似顔絵看板を掲げた『健康肌着の店-春日三球の店』も経営し、ババシャツブームに乗って盛業中である。巣鴨つながりで、青空うれしと組んでの掛け合いも時折見せているが、本格的な漫才コンビ再結成には到っていない。まんざい地下鉄問題本とに発想がよかった、ばかばかしい80年代はおもしろかったな、
2010.06.10
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レコード屋がもうだいぶなくなった・・。自分ながら驚いた、梅田の大月楽器はよく大学一年のころ京都から帰る途中よった、大月みやこさんという芸名はここからきているのだろうか、中島みゆきのレコードを買った覚えがある、京都といえば十字屋だあったろうか、京都にもちいさなレコード屋や古レコード屋がたくさんあったんだ。神戸は星電社のレコード、それにサンプラザのアオイレコード、ここの店主はオフコースとのつながりがあってか、かなり早くから新譜情報を掲示していた、レコーディングが始まるころから予約を募集していた、ここはポスターやいろんなおまけをくれて、しかもスタンプカードもあり、サービス旺盛だった。といいながら、僕自身がアマゾンやネットで購入しているんだから勝手な回顧であるのだ。大月さんはかなりまえに倒産したらしい、アオイレコードはアオイさんは健在らしい、一度いってみよう。
2010.06.10
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なぜか、周期的に「英五」の歌を聴きたくなる。最近はぼーかるのない、フュージョンを聴いていたのですが声がない音楽のほうが聞き流しやすく、自分なりのイメージをもてるわけです。しかし、なぜが、「てんびんばかり」「生きてりゃいいさ」などのうたがききたくなるのです。これはなぜであろうか、2001年に旅立ってもうすでに9年がたつが思い出す周期がどんどんあいてきている。深夜放送のつるべの番組にゲストにきていて、つるべがなんどもかけていた、ぬかるみの世界では、「てんびんばかり」がよくかかる。
2010.06.09
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こんばんわ、みなさん、お元気でしょうか?総理大臣が変わりましたが、何回総理変わるんだ。難局に、そもそも、大言壮語し、実態も把握せず政策を立てたことが問題です。ああ、もうまたもや。「失望」です、景気は最悪です、ひとびとの不安な材料も満杯。しかも、消費税をあげて財政をなんとかしようという道筋をつけるようです、どれだけ税金集めても足らないことですよ。無駄がおおすぎます、というところで、今日はおしまい。
2010.06.08
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少しの間、ぶろぐをおやすみいたします。
2010.06.02
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一年の半分になりに六月に こんばんわ、みなさん、郵政民営見直し法案が可決し、どうもこの時代の流れが読みきれない、あるいは、繰り返す持説にあきらめに多様なものを感じます。自分の選挙のことのほうが、難題を抱えた国の問題よりも優先する不思議な議員たち、所詮、大志を抱くものでない、たいしたものでない輩議員、しかし、自民も民主もおんなじではないか、あんまり好きでないが福島瑞穂のほうがかっこよくみえたんだな。自分の主義というものは変えてはゆけないんだ、あまりにも変節する打算的なやつらが多いので、余計に混乱するのだとおもう。
2010.06.01
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