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新渡戸稲造が書いた「武士道」を読みました。すごく共感できました。そこに書かれてあるのは、武士の持つ精神世界。武士の時代に生きていないので直接わからないにもかかわらず、その高貴な生き方にココロの何処かが反応します。日本人として同じ血が流れていることを実感できます。本の中では、日本人のこういうところを欧米人はバカにする、というような記述があります。やはり、伝統、歴史、文化、生活が違うと、そもそも受け入れられないんでしょうね。逆に言えば、武士道に共感できることは、日本人にしかできない世界遺産。もっと大切にしたいものです。「ラスト・サムライ」。日本人の手で作ってもらいたかったと思いました。
2004.01.31
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(未だに出張中で、ケイタイからです)なぜ日本では、異能な人が組織に入ってくると、対立したり、孤立させてしまったりします。異能というとカッコイイのですが、単に浮いてしまったり、変人扱いされたりします。なぜか?これは日本の村文化に根本的な原因があるのではないかと思うのです。日本は、大陸から稲作が伝わり、日本の気候が稲作に適していることから農業で生活を営む農耕民族となりました。農業。これは共同作業です。もちろん狩猟民族の行う狩りだって共同作業ですが、農業はきちんと役割分担があって、それを各人がこなす、それは男だけでなく、村で家を守る女にも役割があったりするわけです。さらに、村全体で行う収穫祭などの農業というか、生活というか、に関わる行事があり、村全体で秩序を保つことによって、安定的な収穫、つまり生きていく保障が得られるという訳です。なので、共存、協調が大切な社会なのです。日本は。異能はアイデアのために必要ですが、それ以前に、日本の社会は協調が崩れるのを嫌うのです。全体での秩序が、違う才能をひけらかされたことで崩れることを畏れるのです。広告業界では、年に1度、カンヌでCMのNo.1を決めます。まあ、映画と同じですね。結果を見ていると、アイデアが欧米の方が豊富に感じてしまいます。もちろん日本のCMがグランプリを取ったこともあります。しかし、俯瞰して見ると、欧米の方が毎年毎年アイデアが豊富。そんな気がします。それは、こんな日本の村文化というバックグランドのせいかもしれません。
2004.01.29
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(昨日の日記の続き)最近、異能を大切にしよう、とか言います。つまり、会社の中に違う才能を持った人たちがいた方がいい、という話です。賛成です。違う才能がぶつかり合った方がアイデアが生れます。昨日の日記にも書いたように、組み合わせでアイデアは生れるものです。才能が違う人同士の知恵がぶつかれば、そこにアイデアが生れる可能性が高くなります。ところが日本の企業は、これがうまくいかないことがある。いや、うまくいかないからこそ、わざわざ異能が大切! などと言わなければならないのです。なぜうまくいかないか?(出張中でケイタイからです。続きは後日にさせて下さい)
2004.01.28
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アイデアを生み出すのは大変です。アイデア勝負の仕事、クリエイティブな仕事をされている方は共感していただけると思います。ホント、アイデアを創造するのは大変です。アイデアは、組み合わせで生れます。この世に全く存在しないものを創造するのはムリです。未来ではクルマがタイヤなしで宙に浮いている、というSF映画のアイデアを思いついたとしても、それは飛行機とクルマの組み合わせだったり、原型は鳥と馬だったりするわけです。しかし、この組み合わせがひらめかない。組み合わせて新しい価値、つまりアイデアとして使える場合と、全く何も生み出さない場合とあるわけです。意味のある組み合わせを見つけなければならない。これがムズカシイのです。このために何日も徹夜が必要だったりするわけです。このアイデアを見付ける作業、日本の企業ではやりにくいのではないでしょうか?(続きは後日書きます)
2004.01.27
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とある得意先の偉い方。私はこの方に提案したいことがあって、前から企画書をしたためたり、毎日通っている営業に頼んで思いを伝えてもらったりしていました。イチバンいいのは直接会って、提案したいこと、思いをぶつけること。それも、提案したい内容を考えると、食事でもしながらゆっくりと話せる場があるのがベストです。しかし、これがなかなか実現せず、あの手この手を使っていたのでした。しかし、あの手この手では伝わらないんですよね。どうしても思いや、提案の骨子、本当の狙いのようなものが伝わりません。直接会う機会もたびたびはありました。しかし、会議室でほんのちょっとした時間。なかなか腹を割って話せる雰囲気でもありません。それが今日、やっと実現しました。ランチでしたが、やっとゆっくりと話ができました。そして、伝えたいことを伝えました。伝わりました!直接会って、じっくり話すことで、コトバ以外の部分に含まれている、熱意や思いやこだわりが伝わったんだと思います。この1~2年、伝えたいのに伝わらずモヤモヤしていたものが、ほんの3時間ぐらいの話し合いでスッキリ伝わりました。爽快感があるくらいです。やはり人と会うって大切ですよね。ビジネスの基本だと改めて思いました。
2004.01.26
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今日の新聞にこんなことが書いてありました。「社会経済学者のアダム・スミスは近代社会でばらばらに見える個人が、実は底流にある「共感」で結ばれていると指摘した。共感を得られる働き方は社会の活力回復にもつながる。」共感。大事ですよね。同じ会社に働いている人達は、たとえ部署が違っても同じ目標、同じ夢、同じ生活者への約束を果そうとするから企業が成立するし、働いている意義や誇りを感じられる。でも意外に、こうした共感をしっかりと会社の中で作れている企業は実は多くないのではないでしょうか?特に、大きな企業の場合、つまり大企業病に陥ってしまいそうな会社は社内がバラバラだったり、社内同士で不信感があったりしませんか?先日、ある会社の派遣の社員と話をしていたら、疎外感を感じると言っていました。年末の忙しい時期のことでした。社員は何か見えない目標みたいなものを目指して一丸となっているように見えるけど、派遣の自分は蚊帳の外。というか、社員が一丸となるための踏み台みたいに感じた、と。共感。大事ですね。
2004.01.24
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先日、得意先の方と話をしていました。彼が言います。「商品が売れないと、不信感が生まれるんです」商品が売れないと、営業部隊は生産が悪いと言うそうです。生産調整がなっていない、とか、品質が落ちたんじゃないか、とか。商品が売れないと、生産部隊は営業が悪いと言うそうです。無理に売りすぎる、とか、流通からの注文を聞きすぎる、とか。商品が売れないのは、恐らく複合的な問題からでしょう。それは社内に問題があるよりも、もしかしたら市場の変化に問題があるのかもしれない。いずれにしても、社内で犯人探しにエネルギーを使うぐらいならば、そのエネルギーを売れない根本的な原因探しに使い、社内が一体化して、その原因に取り組んだ方がいいはずです。でも犯人探しを、つい、しちゃうんですよね。なぜか?根本的な原因は、社内のコミュニケーション不足なんだと思います。或いは、企業意志の共有化不足なんだと思います。同じ目標に向って、同じ意志で戦えば、犯人を探す必要がありません。誰もが同じ目標に向っているはずですし、ミスはあっても、足を引っ張ろうとわざと悪いことをしている人はいないはずですから。意志が共有されていて、さらにコミュニケーションも活発ならば、もっと犯人探しは減るでしょう。普段からコミュニケーションを取っている分、ミスは共同責任になるからです。ミスは、ミスした人だけの責任ではない、普段からコミュニケーションしている人が事前に指摘しなかった、或いは事後に善後策を取らなかった責任もある、となるからです。犯人を探すと、自分の責任ではないことが明確になるので、スッキリするのでしょうが、会社全体がイヤな雰囲気になったりしますよね。コミュニケーションって大切なんですね。
2004.01.23
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昨日、「ガイヤの夜明け」を見ました。教育の話をしていました。過去、日本は詰め込み教育をしすぎた反省で、教育要綱でガイドラインを低めに設定したことがあるそうです。いわゆる「ゆとり教育」というヤツですね。そうしたら今度は学力が落ちたというので、上限だったガイドラインを下限に変更したそうです。(例えば、小学校3年生は3桁の計算を教えるのが上限、だったのを最低でも3桁の計算を教える、に変わったということ)もう右往左往ですね。その間、中国の教育熱はどんどん上がっていったらしいです。私が番組を見ていてスゴイなと思ったのは、中国の教育のシステムがスゴイのではなく、子供の熱意、夢がスゴイ。勉強に前向き。それは今の生活をよくするため。夢は弁護士、医者、会社社長・・・。日本もこんな時代があったはずです。でも、今の教育はどうなのでしょう?(後ほど、続きを書きます。21日14:17)私は、教育の本質が見失われてしまっているのでは、という気がします。国力を強めたいときは、今の中国のように誰もがモチベーションを持っていました。しかし、豊かになってしまった日本には、今、そんなモチベーションがありません。しかし、教育は国力を強くするためだけのものではないはずです。教育の本質は、ヒトを育てること、だと思うのです。当たり前というか・・・青臭いというか・・・でも、そうだと思うのです。ヒトを育てる。何も、みんな金八先生みたいになれ、とか、GTOみたいになれ、という訳ではありません。しかし、詰め込みだけの教育も明らかにおかしいです。私の思う「ヒトを育てる」は「自主性を育てる」ということです。「自主性を育てる。」それは、子供の判断に任せる。それは、子供に自由を与える。ちょっと違います。私の思う「自主性を育てる」は。自由は最低限のルールを守ることで得られるものだと思います。なぜか?自分に自主性があるように、自分は自分が一番可愛いように、他人にも自主性があり、他人も自分が一番可愛いからです。自分が自由でありたいように、他人も自由でありたいのです。そんな人たちが集団で社会を構成するわけですから、ルールが必要です。そのルールを守れば、自由が与えられるのです。自主性を発揮できるのです。自主性を発揮できる歓びを感じることができれば、思いやりのココロも生まれると思うんです。自分が自主性を発揮して自分らしくいられるのは嬉しい。それは、自分以外の他人にも当てはまるはず。だったら、他人への思いやりを持とう。自分だけ自主性を発揮できて嬉しがるのはひとりよがりだ。こういう風に子供たちは自然と感じてくれるのではないかと思うのです。(ごめんなさい、また会議です。後ほど。21日17:15)遅刻をするな! しなければ自由だよ。授業はきちんと聞け! 聞けば自由だよ。分からない生徒へは、分かる生徒が自主的に教えてあげよう!授業内容(進め方)は先生だけではなく、みんなで決めよう!言いたいことは人前で言う、影で悪口を言うのは禁止!基準は点数じゃないよ、偏差値じゃないよ、勉強への姿勢、友達を思いやる姿勢。一人ひとりの成績より、クラス全体の成績が重要。落ちこぼれを作らないように、クラスみんなで工夫をしよう!こんなルール(かなりいい加減ですけど)をベースにした学校ができないものでしょうか。自主性を伸ばすようなルールのある学校が。自主性は、その子供がそもそも持つ力を伸ばしてくれるはずです。そうなんです。全ての解答はその子供自身の内側に既に存在しているのです。だから「詰め込み」はダメだと思うのです。「引き出す」じゃないと。その子供のやる気と能力と優しさと思いやりを引き出さないといけないと思うのです。そのための自主性です。そして、こんな学校が現在の教育ヒエラルキーに当てはめても(偏差値とか、合格率とか)日本のトップクラスに君臨できれば、日本全体の教育の仕方が変わる気がするのですが。中国の学力はやがて日本に追いつくでしょう。その頃日本は、学力だけではなく人間力で世界に君臨していたいものです。
2004.01.21
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昨日の新聞に載っていたのですが、「社長のイス争奪戦」をしている会社があるそうです。(スミマセン、たった1行しか書いていないのですが、会議に呼ばれました。後ほど。)その会社は、半年間の成果を幹部で争い、監査役や公認会計士が採点、優勝者が次期社長ポストとその年俸を手にするというルールだそうです。すごくないですか?それを社長自ら決めたそうですよ。普通、自分のポジションは守りたいじゃないですか。しかし、順調に事業拡大していく様を見て(事業開始約5年でジャスダック上場、2004年4月期は三期連続で経常最高益を達成する見込みなど)、自分自身や社内に気の緩みが出るのではと懸念してこうした制度を作ったらしいのです。しかもこの半年間のレースの中間採点で、今の社長は2位。それを奮起の糧にして、勢力的に自ら各支店へ激を飛ばしに回っているというから素晴らしいではないですか!何も全ての会社で「社長のイス争奪戦」をすればいいという話ではないですが、滞りがちな社内活性化をこうした究極策で解決するのは圧巻です。社内が滞るというのは、人間でいうと血管がつまることですからね。要するに致命的です。それをまず最初に解決することに注力。見事な経営判断です。
2004.01.20
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今日、ラストサムライを見ました。もう、たいへんです。途中から嗚咽、嗚咽。最後は泣くのを我慢しすぎて、体が震え、隣で見ているカミさんも不審がっていました。詳しい内容は言いませんが、私はとにかく感動しました。見ていない方もご存知の通り、この映画のテーマの一つに「武士道」というものがあります。「武士道」。私は直接は知りません。というか現代人は誰でも直接は知らないはずですよね、江戸時代までに生まれてないのですから。しかし、これは明らかに日本人のアイデンティティですね。「武士道」に含まれる精神は、完全にコトバにしなくても伝わってきます。理解できます。コトバでなく、表情だけで、態度だけで、もっと言えば空気感だけで。<以下、一台詞だけ暴露あり>最期に勝元(渡辺謙)が言います。「西洋から鉄道や衣服などを導入しても、日本の歴史と伝統は忘れるな」と(だいたいこんな意味のこと)。ホントにそう思います。他の国と同じことだけをするならば、日本である必要がありません。日本人である必要がありません。マクドナルドは世界どこに行ってもマクドナルドです。マクドナルドで世界が均一化してしまったら、面白くないですもんね。観光旅行に行く意味がないってものです。私たちは、日本人にしかできないことを行うべきだと思います。特に世界に向けて。世界は欲していると思います。日本が日本のアイデンティティを、もっと発揮することを。日本らしい産業や芸術やエンターテイメントを世界に向って発信することを。ラストサムライのような映画がアメリカ人によって作られたことを何かのきっかけにして、日本人自らの手で日本をアピールしたいものですよね!
2004.01.19
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最近、ペットブームです。ペットで癒されるという現象が起きています。ちょっと前にはガーデニングも流行りました。やはりガーデニングで癒されるというのです。どうしてこうしたものが流行ったのでしょうか?この背景には、ヒトは本来の姿を求めている、という衝動があるのではと思っています。どういうことか?まず、今ヒトは、本来の姿ではない、ということです。(外出しなければならなくなりました。後で書きます。20:09)本来、ヒトは自然の中に住んでいたものでした。今でも自然の中で極めて原始的な生活を営んでいる部族もいますし、野生に住むチンパンジーとヒトのDNAは約98%が同じです。それをコトバを操り、記録を残せるようになったお蔭で、自然にはないものを作り上げ、街を作り出しました。街は自然ではありません。土からノコノコ生えてくるものではありません。全て、ヒトの脳ミソの中で考えられ、ヒトの手によって人工的に作られたものです。なので、ヒトは本来の生き方をしていないのです。チンパンジーのように野生に住んでいたころの方が何万年と長く、その記憶はDNAに刻まれているはずです。それなのに虚構の街に住むようになった。街を作り上げ住むようになって数千年。DNAが無意識に本来の生き方を欲しても不思議ではありません。それがガーデニングやペットだと思うのです。ガーデニングは決して自然ではないですが、擬似自然を庭に再現するものです。ペットは家で飼われていて全然野生ではないですが、行動やしぐさに野生を感じることができます。こうした、ヒトも本来住んでいた環境を、知らず知らずのうちに求めているのではないでしょうか。最近の新築マンションなどを見ていると、昔のようにただ同じレイアウトの箱型の住居が整然と並んでいるものではなく、吹き抜けがあって光や風を取り込んだり、中庭があるものだったり、エントランスからのアプローチが複雑でジャングルを思わせるものだったり、そんなものに変わってきている気がします。本来の姿を求めて、ガーデニングやペット、住居のあり方などが大きく変わっていく時代がやってくると思います。
2004.01.16
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最近流行っているフードテーマパーク。ラーメン、餃子、スイーツなど、フードの種類もさまざまです。これらのフードテーマパーク、ご存知の通り、定期的に店舗を入れ替えて、常に客に刺激を与え続けることを止めません。素晴らしいですね。全国どこのフードテーマパークも成功していると聞いています。私の仮説なのですが、店舗を入れかえる刺激では限界が来る、と思っています。なぜか?ヒトは刺激を求めます。変化を求めます。それはヒトは進化するという使命をDNAの中に持っているからです。今の自分より強い自分を作る。そのためには今と同じではダメなのです。変化がないと。刺激がないと。新陳代謝がないと。(外出のため後で続きを書きます。12:16)お店を入れ替えるのは刺激になります。その効果も発揮されています。しかし、フードテーマパークの価値は、「食べること」ではありません。フードテーマパークの価値は、「エンターテイメントとして楽しむこと」なのです。もちろん、エンターテイメントの要素の大部分は「食べる」ということなのですが。なので、お店が替わって新しい味を体験できるようになっても、その刺激は徐々に薄れていきます。最初に来店した時に感じたエンターテイメント感はあまり高まりませんから。お店が入れ替わっても。例えば、テーブルが遊園地の「コーヒーカップ」のように動くとか、そういう刺激が増えると客足はまた伸びると思います。そうなのです。フードテーマパークは「エンターテイメント」が本質的価値なので、新しい「味」という刺激だけでは、価値が高まり切れない時が来るのではないかと思うのです。仮説でした。
2004.01.15
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日本政策投資銀行南九州支店が次のような発表をしました。本格焼酎(乙類)の生産・消費量が来年春にも清酒を追い抜く、という予測です。(清酒のアルコール15度を、本格焼酎の25度に換算したもので、清酒の生産・消費実績が実際より低く計算されているそうですが)清酒も、本格焼酎も従来から日本にある伝統的なお酒です。伝統や文化を背負った産業は強い、世界に誇れる産業になり得る、という話を以前書きました。そういう産業こそ海外に大いに展開していかないと、国力が上がらないと。逆に言うと、伝統や文化を背負っている産業は強いのです。それなのに一方は栄え(本格焼酎は近年10%/年の成長)、一方は衰えていく(清酒は近年5%弱/年の減少)。これはどういうことなのでしょう?栄えている産業の方が、革新を続けている、というならば理由は明白です。しかし、本格焼酎と清酒の場合は、どちらも恐らく同じように伝統を守り、同じように原料や製法を守り、同じようにちょっとずつ味を洗練させていっている、ことだと思います。それまでの本格焼酎とは全く違う焼酎ができた、とか、清酒の革命だ、なんて話は聞いたことがありません。では何が違うのか?時代が変わったんだと思います。時代は、ライトに向っています。体に入れるものをライトにしているのです。ストレスのないもの。これを積極的に体に取り入れ、そうでないものは極力口にしません。飽食の時代になってそうなったのでしょうか。別のいい方をすれば、健康ブーム。もっと別のいい方をすれば、ダイエットブーム。(ダイエットは永遠の課題に思えますが、やはり食べ物に困らなくなった最近の時代の話)ヒトは、農薬使っていないもの、脂っこくないもの、炭酸も微炭酸、タバコも低タールのもの、お酒もアルコール度が低いもの、を口にするように変わってきているのです。どうですか? 自分を振り返ってみて下さい。口にするものがライトになってきていませんか?(成長期の子供は今のところ時代が変わってもヘビーなものを食べますがね)待てよ、でも焼酎の方がアルコール度数が高いじゃないか、と。でも、焼酎は水で割ったり、お湯で割ったりできます。では、同じく水などで割れるウイスキーが不振なのはなぜ?焼酎は割れるだけではなく、二日酔いをあまりしません。しかも、血液をサラサラにする効果があるとまで研究の結果、報告されています。本格焼酎も清酒も、ウイスキーと違って日本の伝統文化です。どちらも強い力を持った産業です。しかし、今、時代は焼酎に巡っています。ん~、商売ってムズカシイですね。
2004.01.13
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日本人は農耕民族なので大きな変化は好みません。一度成功した土地は、おそらく来年も豊作が望めるから。その土地に土着し、固執し、変化を恐れます。しかし、命に関わらないものならば、やっぱり変化は欲しいのですね。日本人も生物なので、無意識に進化を志向しています。昨日より今日、自分より子供、自世代より次世代。進化するには新陳代謝が必要です。なので、変化を欲しがるわけです。命に関わる収穫(現代で言うと仕事とかビジネス、政治もそうですかね)は変化を好みません。でも、人生に刺激をくれるちょっとした変化は好きです。例えば、いつも買い物をする流通。よく考えると変化していません?昔はデパートがあこがれで、小さい頃は親に連れられて日曜ごとに銀座の歩行者天国に行きました。それが、スーパーに変わり、作り手より売り手が強い時代になって、一時期ダイエーが価格破壊を起こしました。作り手より、生活者を知っている売り手が売れる価格や構造を先導していったんですね。それと並行して街中ではコンビニが隆盛しました。これはもう付言するまでもないですね。そこには生活スタイルの変化(夜型になったなど)も当然あったのですが、スーパーが24時間化しても、コンビニには勝てません。コンビニは、変化なのです。その変化を欲したのです。つい最近は、ドラッグストア。別に薬だけなら毎日のように行かないのですが、化粧品、コスメ関係、スナック、ドリンクなどと範疇を広げることで、新しい変化を感じたわけですね。そして変化を感じに、みんな行ってしまうのです。そして今、大型ショッピングセンターです。スーパーと言われていた業態が、どんどん変化しています。ウォルマートなどの外資が参入してきたことも影響しているでしょう。変化を見せるための大変革。大きな土地に大きな駐車場。核になる大きなスーパー。周辺には各カテゴリーのテナント。飲食系、エンターテイメント系ももちろん入っています。こうして毎日行くショッピングの場所は、刻々と変化しているのです。
2004.01.12
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本日の日経新聞に「けいざい心理学」というコラムが掲載されています。タイトルは「数字は踊る」。過去の日記で、調査の数字をそのまま信じてはいけない。その数字をどのように読むのかが大切。そのためには生活者のココロを知らないと。といった内容のことを書きましたが、「数字は踊る」でも同じ事が書かれてありました。(来客のため、後程書きます。11:27)例えば、企業短期経済観測調査(短観)。新聞でもよく見かける経済統計の大きな指標です。昨年12月の短観の数字は以下の通り。最近の業況判断は、+11。先行きの業況判断は、+8。こうなるにはカラクリというか調査の限界というか、があるというのです。調査では「最近」と「先行き」の業況判断を記入する欄があるといいます。回答者の心理で、両方ともに「良い」「良い」と続けては答えにくいと。はじめに「良い」と答えたなら次は「さほど良くない」と答えてしまうと。なので「最近」の方が「先行き」より見通しが明るいのだそうです。そんな調査上の限界があるのに、短観の数字が公開されると、日本の経済全体が影響を受けます。これでいいのでしょうか?(打ち合わせ開始のため、また後程書きます。13:12)調査のやり方も進んでいます。私が経験したもので、こんなものがありました。生活者がどんな飲み物を買いたいのかを調べる調査です。普通は、飲み物の名前を番号付きで用意しておき、その番号を答えてもらうという調査をします。しかし、名前だけでは誤認している可能性もあるので、名前とともにパッケージの写真を見せることにしました。それでも、調査で訊かれるのと、コンビニでリラックスして買う瞬間は気分が違うだろうということで、調査会場にコンビニある飲み物用の冷蔵室(リーチイン)を再現して、調査対象者に現金を持たせてそれで自然に買ってもらい、そこで買った理由を訊くという調査をしたことがあります。調査のやり方を進歩させる必要はあります。でも本質は、数字では語りきれない生活者のココロを読むことですよね。世の中では数字に頼らず、生活者のココロを読めるヒトがいます。そういう人がヒット商品やサービスを作っていたりします。
2004.01.09
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福岡にキャナルシティという商業施設があります。複合商業施設で、日本や海外の有名ブランドがテナントとして入り、シネマコンプレックスが入り、ラーメンスタジアムなども入っています。(ラーメンスタジアムは、日本中の有名ラーメン店を一同に集めたものです)建物自体が、アメリカの会社によるデザインで相当目立ちます。運河がテーマになっており、施設内に大きな運河が流れています。そのキャナルシティのほぼ中央にイベントスペースがあります。大道芸人がパフォーマンスを見せたり、コンサートが行われたり、マジックショウが行われたり。2003年の年末にはマジックショウが行われていました。生のマジックショウは久しぶりに見ました。大掛かりな道具が使われ、いくつものマジックが行われていきます。そして、ショウも山場を迎えたとき、出ました! 人体切断です。箱の中に女性が入って、それを大きなナイフで切り、箱を完全に分離してしまうというヤツです。音楽も最高潮に盛り上り、人だかりも増え、観客は固唾を飲んでいます。しかし。私のココロは盛り上りませんでした。どうなるか、分かっていたのです。上記に人体切断マジックの説明をほんの数行で書きましたが、みなさん、どんなマジックなのか、想像できたことと思います。そうなんです。人体切断マジック、どうなるか全員知っているのです。タネは分からないのですが、どうなるのかは知っているのです。結末が分かっている映画は面白くありません。犯人が分かっているミステリーは読む気がしません。人体切断のマジックは、ドキドキさせるものがないのです。タネは分からないのですが・・。ここにマーケティングの本質があります。数年前、ハンドパワー的なマジックが流行りました。それまでの古典的なマジックとは違う見せ方をしたのです。古典的なものと同じようなカードマジックもあったりするのです。しかし、ヒトはタネが知りたいのではないのです。マジックで驚きたいのです。それは、今まで経験したことのない驚きの方がいいのです。経験したことのある驚きではあまり満足しません。新鮮な驚きが欲しいのです。そのためには、同じマジックでも、超魔術とか、超能力とか、ハンドパワーとか言って、今までにはない経験と思わせてしまえばいいのです。脳ミソに。脳ミソは、経験したことないことを経験するとドキドキします。その単純なクセを活用するのが、マーケティングです。マジックは新しいタネを考える必要はないのです。(もちろん考えた方がいいのですが)経験さえ新しくすれば。
2004.01.08
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